cinema / 『THE ONE』

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THE ONE
監督:ジェームズ・ウォン / 製作:グレン・モーガン、スティーヴン・チャスマン / 脚本:ジェームズ・ウォン、グレン・モーガン / 編集:ジェイムズ・コブレンツ / スペシャル・エフェクト・スーパーバイザー:テリー・フレイジー / アクション・スーパーバイザー:コーリー・ユエン / 音楽:トレヴァー・ラビン / 出演:ジェット・リー、カーラ・グジーノ、デルロイ・リンド、ジェイソン・ステイサム / 配給:東宝東和
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間27分 / 字幕:菊地浩司
2002年06月01日日本公開
2002年11月20日DVD日本版発売 [amazon]
2004年03月03日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://one.eigafan.com/
有楽町ニュー東宝シネマにて初見(2002/06/08)

[粗筋]
 この世には無数の宇宙が存在する。確認されている126の宇宙にはそれぞれ同じ容姿をした人間が存在し、互いに交わることなく均衡を保って――いるはずだった。その男が現れるまでは。
 その日、並行する宇宙のひとつで、ひとりの囚人が護送されようとしていた。男の名はロウレス(ジェット・リー)――同じ刑務所に収容された荒くれ者たちからも憎悪される彼は、軽い蹴りで鉄格子を歪めるほどの、奇妙な怪力の持ち主でもあった。だが、護送車に近づいたその瞬間、ロウレスは通風口からの銃撃で命を失う。警官達の一斉射撃に傷ひとつ負うことなく、悠々と姿を現した犯人は、ロウレスと全く同じ姿形をしていた。犯人は人間離れした反射速度と運動能力で警官隊を一掃すると、凄まじい脚力で逃走する。その影を、警察とは別のふたりが追跡を始めた。そのふたり――多次元宇宙を跨る犯罪者を追跡する捜査官のローデッカー(デルロイ・リンド)とファンチ(ジェイソン・ステイサム)――は、ある時間に10分だけ開く別の次元への扉で犯人・ユーロウ(ジェット・リー)を待ち伏せ、ギリギリのところでワープホールの転送先を多次元宇宙捜査局の施設に書き換えることで辛うじて確保に成功する。
 しかし、ユーロウは諦めていなかった。多次元宇宙に存在する別の自分を倒すと、そのエネルギーが残った他の自分たちに吸収される。ひとり倒せば、その度に強くなる。“唯一無二”の存在となることを目指したユーロウにとって、標的は残りひとつ。ユーロウは、帰還不能の黄泉宇宙に島流しされる直前、妻の機転により転送装置のプログラムを書き換え、最後のひとりが待つ宇宙へと消えた。
 最後のひとり――ゲイブ(ジェット・リー)はこの宇宙のロサンゼルスで、保安官として勤務していた。重罪人にさえ心遣いを絶やさぬ優しい男で、獣医の妻と平和に暮らしている。その日、ゲイブはある重罪人を護送するために、やはり刑務所から護送車へ向かう途中にユーロウの襲撃を受けた。だが、生き残りであるゲイブもまた別の自分のエネルギーを得ており、武道においてもユーロウに負けず劣らない。ここに、“唯一無二の力”を賭した戦いの幕が気って落とされた――!

[感想]
 予告編でそのイカれた映像を初めて目の当たりにしたときから期待していた一本でした――期待通り、エキサイティングで爽快で、何よりお馬鹿な作品であった。
 プログラムにカプコンの岡本吉起が寄稿しており、その文章がほぼ言い尽くしていることなのだが、本編のツボは有り得ない設定を約束として無批判に受け入れさせ、それを前提にアクションとサスペンスとを成立させる――その一事に執心した作品である(岡本氏の文脈は違います。詳しくはプログラムをご確認のこと)。
 SFに慣れた人間なら、そもそも並行世界に数が定められているとか、別世界の自分と逢うことが出来てしかもそれを倒せばエネルギーが吸収できる、などという設定が如何に約束から逸脱しているか、説明するまでもなく解るだろう。しかし、作中ではそれを理屈で説き伏せようなどとはせず、「そーいうもんなのっ」とばかりねじ伏せて、あとはただひたすら追跡と人間離れした格闘の連続のみ。
 元々舞踏のごとく華麗な武芸に、『マトリックス』などの登場により洗練されたVFXを組み合わせたのだから、その美しさだけでも充分に楽しめるのだ。クライマックスなど、1時間半にも満たない尺の20分近くを費やしてジェット・リー同士の死闘を見せるだけだが、趣向を凝らしたカメラアングルとまさしくゲーム的な舞台装置によって眼を釘付けにされる。
 アクションを見せることに特化しすぎた所為で、基本設定以外のSF的要素の説明が非常にお座なりになり、多次元宇宙捜査局のふたりが持っていた武器やアイテムに一体どんな意味があってどう物語に影響を与えたのかがいまいち解らない(後付けで解釈することは出来るが、観ている間ははっきり言って考えている余裕がない)――何より、勝者に与えられた報奨が、よくよく考えると基本設定に矛盾する内容になっているのがSFとしては致命的だが、この点も「ゲームとしてのお約束」を遵守した、と捉えれば批判の対象とはなるまい。
 つまるところ、冒頭で提示された約束を素直に受け入れられるか否かが最大の分水嶺だろう。ここで躓かない方で、もー単純にアクション映画が好き、という向きには確実にお薦めできる。こと、血を見せず後味も爽快な仕上がりは理想的と言ってもいい。納得のいくSFを――と願う方ははなからお呼びではない。取り敢えず、私はシンプルに楽しみました。何せ隅から隅まで期待通りだったし。
 個人的には、本当にこの設定を借りてアクションRPGを作ればいいのに、と思ったりもする。シナリオをやや改変する必要はあるが、けっこー面白いものになるんじゃなかろうか。何故たった2週間で上映終わるのよ。

 これだけ本数を観ていると、広告など目に留めることもなく予備知識抜きで劇場に足を運ぶ場合もあり、それ故に広告の仕方に突っ込むことも減ったのだが、今回は久し振りにこいつぁまずかろう、と思ったので、ひとつだけ触れておく。
 ……ジェット・リー、125人も出てこないじゃん。まともに戦うの、2人だけじゃん。

(2002/06/08・2004/06/22追記)


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