cinema / 『タイムマシン』

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タイムマシン
原題:THE TIME MACHINE / 原作:H・G・ウェルズ / 監督:サイモン・ウェルズ / 脚本・共同製作:ジョン・ローガン / 製作:ウォルター・F・パークス、デイヴィッド・ヴァルディス / 製作総指揮:ローリー・マクドナルド、アーノルド・リーボヴィット、ジョージ・サラレギー / 撮影:ドナルド・M・マカルピン / 美術:オリヴァー・ショール  / 視覚効果監修:ジェイムズ・E・プライス / 特殊効果監修:マット・スウィーニー / 音楽:クラウス・バデルト / 衣装:ディーナ・アプル、ボブ・リングウッド / モーロック特殊メイク:スタン・ウィンストン・スタジオ / 出演:ガイ・ピアース、サマンサ・マンバ、ジェレミー・アイアンズ、オーランド・ジョーンズ、マーク・アディー、シエナ・ギロリー、フィリーダ・ロウ、オメーロ・マンバ / 配給:Warner Bros.
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間36分 / 字幕:佐藤恵子
2002年07月20日日本公開
2002年12月20日DVD日本版発売 [amazon]
2003年12月06日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.timemachine-movie.jp/
劇場にて初見(2002/08/03)

[粗筋]
 1899年のニューヨーク。コロンビア大学で教鞭を執るアレクサンダー・ハーデゲン(ガイ・ピアース)はその日、一世一代の大勝負に出た。研究馬鹿で黒板に向かうと周りが見えなくなるような男だったが、友人のデイヴィッド・フィルビー博士(マーク・アディー)が紹介してくれた女性エマ(シエナ・ギロリー)を初めて本気で愛したのだ。彼女の誕生石である月長石の指輪を携えて、夜の公園でプロポーズする――彼女は快く受け入れてくれた。だが、そこにたまたま居合わせた男が拳銃強盗であったことが、アレキサンダーの運命を大きく狂わせた。指輪を奪われそうになって、必死に抵抗したエマは、拳銃の暴発で命を落とす――
 それから四年。アレキサンダーはあの日からずっと、連日のフィルビー博士の訪問も拒みながら、たったひとつの研究に没頭していた。狂ってしまった運命を矯正するための唯一の手段――タイムマシンの開発に。遂に完成した機械を発動させ、アレキサンダーは運命の日に舞い戻る。本来の自分よりも先に公園を訪れ、エマを連れ出し何も聞かずに家に戻るよう諭すが、あの日約束していた花束を買いに寄り道した一瞬の隙に、エマは倒れた馬車の下敷きになってしまった。
 運命は変えられないのか。千回過去に戻れば千の死にざまを目の当たりにするだけなのか。懊悩の果てにアレキサンダーは、その答えを未来に問うことに決める。機械の進行方向を逆に切り替え――2030年で足を止めた。
 アレキサンダーは早速、幻想のような技術が横溢するニューヨーク科学博物館を訪れる。ホログラムで映される疑似人格・ボックス(オーランド・ジョーンズ)に「現実における時間旅行の可能性」について訊ねるが、出てくる答えはフィクションに関してのものばかりで埒が明かない。
 更に未来を訪れようとしたアレキサンダーだったが、2037年、一端の足止めを余儀なくされる。数年前から現実化していた月面開発の過程で生じた爆発により月の軌道がずれ、地球に大接近しつつあった。逃れるようにタイムマシンを動かすアレキサンダーだったが、衝撃で期待の一部に強か頭を打ちつけ昏倒する。その間も機械は未来を目指しつづけ――目醒めたとき、世界は一変していた。
 ――時は西暦80万年。

[感想]
 ……猿の惑星(リメイク版)?
 冗談のようで冗談でない。こと、後半の冒険部分の骨格は非常によく似ている。だが、そういう見方をした場合、物語としてはこっちの方がまだしも整っているだろう。
 原作は、現代に至るあらゆるSFの根源とも言うべき作品である。価値は巨大だが根源であるだけに、その後様々な形で検討された理念やパラドックスはまだ影もないはずだ。最初の舞台を19世紀に設定し、古典の雰囲気を留めながらもタイムパラドックスに対し世界観を壊さない程度の答えを示したことに、恐らく本編の価値は存在する――といまいち歯切れ悪く評するしかないのは、今回予習をせずにその場のノリで訪れてしまったからで。
 そうした推測込みの評価は別にしても、VFXの雰囲気と奇を衒わないストーリーは、単純ながらそれだけになかなか惹き付けられる。個々の展開が孤立しすぎているとか、タイムマシンそのものの解釈にはいまいち踏み込みきれていない、など、SF読みには数多の不満があるだろうが、こうしたSF要素はそもそもの発端で冒険ものの素材として取り扱われていた現実を顧みれば、寧ろ原点に立ち戻った表現とも言えるはず。
 現代の技術で往年のSFを表現するには、どのような方法があるか――そうした問いには充分な答えとして機能しうる作品だろう。とりあえずは及第点、てとこだろうか。

 しかし、なんで猿の惑星しかもリメイク版を連想したかって言うと……ガイ・ピアースも笑顔が猿っぽいからであって……その。いや、とてもいい役者だと思うんだけどね。

(2002/08/03・2004/06/23追記)


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