cinema / 『エヴァとステファンとすてきな家族』

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エヴァとステファンとすてきな家族
原題:“Tillsammans” / 英題:“TOGETHER” / 監督・脚本:ルーカス・ムーディソン / プロデュース:ラーシュ・ヨンソン / 撮影:ウルフ・ブラントース / 美術監督:カール・ヨーハン・ドゥ・イェール / 衣裳:メッセ・メッテル / メイク:リンダ・ボイエ・アフ・イェンネース、イェシカ・セーデルホルム / 編集:ミカエル・レズチロフスキ、フレードリック・アブラハムセン / 録音:ニクラス・メリッツ、アンデシュ・ビッリング、“ユードリーガン” / 音響:モーテン・ホルム / 出演:エンマ・サミュエルソン、サム・ケッセル、リーサ・リンドグレン、ミカエル・ニューグヴィスト、グスタフ・ハンマシュテーン、アニア・ルンドクヴィスト、イェシカ・リードベリィ、ウーラ・ノレル、シャンティ・ルネイ、ウッレ・サッリ、ラーシュ・フローデ、セシリア・フローデ、アクセル・スーベル、エミール・ムーディソン、ヘンリック・ルンドスロム、テレース・ブルンナンデル、クラース・ハッテリウス、ステーン・ユングレン / 配給:Bitters End
2000年スウェーデン作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本版字幕:松岡葉子
2003年11月29日日本公開
公式サイト : http://www.bitters.co.jp/kazoku/
銀座テアトルシネマにて初見(2004/01/01)

[粗筋]
 エヴァ(エンマ・サミュエルソン)とステファン(サム・ケッセル)の両親が喧嘩した。もう一回殴ったら出て行く、と宣言していたお母さんのエリザベート(リーサ・リンドグレン)は激怒して、エヴァとステファンのふたりを連れて家を飛び出した。
 向かった先は、叔父さんのヨーラン(グスタフ・ハンマシュテーン)が暮らすコミューン“Together”。主義も思想も全然違う人たちが同居して、まるで晴れたらがっかり、雨が降って大喜びするみたいなあべこべの価値観がまかり通る世界だった。
 同居人はざっとこんな面々。アンナ(イェシカ・リードベリィ)はカウンセリングがきっかけで同性愛に目醒めて夫のラッセ(ウーラ・ノレル)と離婚した、けれどいまでも“Together”に同居していて、ラッセとひとり息子のテト(アクセル・スーベル)の目をはばかることなく、新参のエリザベートにモーションをかけている。ラッセのほうも、やっぱり同居人でおかっぱ頭がトレードマークの同性愛者クラス(シャンティ・ルネイ)の熱視線を浴びて辟易気味。そんな彼らを共産思想で啓蒙しようと躍起になっている若き活動家のエリック(ウッレ・サッリ)、彼ほどアグレッシヴじゃないけど思想意識のはっきりしたシグヴァルド(ラーシュ・フローデ)とシンネ(セシリア・フローデ)夫妻にその子ムーン(エミール・ムーディソン)。そしてヨーランの恋人だけどフリーセックス思想の信奉者で、ヨーランにも欲望に正直であることを勧めるレナ(アニア・ルンドクヴィスト)――以上、総勢十人。
 よく言えばとても優しい、悪く言えば優柔不断なヨーラン叔父さんはとても親切にしてくれるけれど、エヴァとステファンにとっては居心地が悪くて仕方ない。思想のまるで違う“家族”は集まれば常に大騒ぎだし、小さな家にこの人数だから住める部屋もなくて、エヴァにあてがわれたのは物置部屋。
 いたたまれなくなって、家の外に停めてあるヴァンにいたエヴァに声をかけたのは、近くの家に住むフリドリック(ヘンリック・ルンドスロム)。自分とほぼ同じ度の分厚い眼鏡をかけているその少年にエヴァは自分と似た一面を感じて、フリドリックを意識するようになる。ただ、フリドリックの母親マルギット(テレース・ブルンナンデル)は集団でひとつところに住み、毎日怪しげに騒いでいる“Together”の人々を快く思っていないらしいのが気掛かりだった――尤も、父親のラグナル(クラース・ハッテリウス)のほうにはまた別の感情があるみたいだけど。
 子供達が“Together”の環境に戸惑っているあいだ、彼らの父親で配管工のラルフ(ミカエル・ニューグヴィスト)も手をつかねているわけではなかった。繰り返し連絡を取り、どうにか戻ってくれるようにエリザベートに懇願するのだけど、妻がいないことで促進してしまった酒癖のせいで失敗続きだ。“Together”での暮らしに悩んで父の元をステファンが訪ねてきたときには、荒れた家と自分の姿を取り繕っているうちに帰られてしまうし、せっかくエリザベートが電話を取ってくれたときには逆上して台無しにし、以来電話に出てもくれない。勢い余って、自分と似たような境遇の客・ビリガー(ステーン・ユングレン)に修理に呼び出されたとき、苦しい胸の内を打ち明けた。とにかく子供にちゃんと会うようにしろ、と言われてその気になったラルフは早速エヴァとステファンを連れてレストランで食事をしたのだけど、場が持たず途中で酒を口にしてしまったラルフはレストランで騒ぎ、ふたりにプレゼントを買ってあげるために移動する途中、財布をなくしたと言ってレストランに戻って、店の人間に「お前が盗ったんだろう」と言いがかりをつけて警察に捕まり、子供ふたりを置き去りのまま拘留される始末。とうとう電話に出たエヴァに一言も口をきいて貰えぬまま受話器を置かれるまでになって、ラルフは悲嘆にくれた。
 けれど、このころからエヴァとステファンの、そしてコミューン“Together”の人々の意識に、ちょっとした変化が起きはじめていた……

[感想]
 まるでナレーションのない“大家族ものドキュメント”である。なんの説明もないままコミューンの生活が映され、そこへふたりの子供を伴ったエリザベートが介入してくる。観客が必死に登場人物とその関係を把握しようと努力しているあいだにも、たたみかけるように色々な事件が発生する。
 事件や人々の見分けがつくまでがかなり散漫としている点、あまり印象がよくない。いったい話が何処へ向かおうとしているのか解りにくく、意識が分散されるからどうしても興味が繋がらない。かなり激しく状況は動いているのに、退屈という念を起こさせてしまう。これといったBGMを用意せず、規正の楽曲を作中でかけることでその騒がしさと静けさのコントラストを形作っているあたり、ハリウッドなどの大作とは一線を画したムードを構築していて好感が持てるものの、それが序盤の退屈さを助長している事実も否めないだろう。
 が、上の粗筋を区切ったあたり、人物の入れ替わりや関係の変化が起きはじめると俄然面白くなってくる。実際、お話としてはここからが本番といえるだろう。前提として登場人物同士の関係が観客に受け入れられたと見て、これまで以上にたたみかけるが如く事件が起き、それまでの関係を敷衍しながら思いがけない方向へと話が転がっていく。当事者には不幸な出来事であったり深刻な決別であったりするはずなのに、これが何故か見ていて楽しい――他人の不幸は蜜の味、というのとはちょっと違う。いつの間にか観客側にも、こういう変化、こういう幸せの形もありなのだろうな、と思わせてしまうのだ。
 本質的には一種のホームコメディと言えるだろうが、そのわりに素直に楽しめない理由には、当時(1970年代)のスウェーデンの社会情勢や、登場人物それぞれの主義思想といった形でほうぼうに知識を要するネタが頻発するせいだろう。価値観の違い自体が笑いに繋がる場面ならまだしも、理解していることを前提として仕掛けられたネタとなると、思想に疎い私のような人間は正直戸惑う。
 が、最終的に物語はそうした思想さえも突き抜けて、実に爽やかな結末に至る。必ずしもみんながまるく収まったわけではないし、今後も色々な波乱が予測されるにも拘わらず、ひとまず「良かったね」と思わせてしまう――こういう風に持って行くのは、非常に難しい。
 基本的に家族であっても他人は他人であり、互いを受け入れるのは難しい。でも、そうと解っていても一緒にいることは可能なんじゃないか? そんな希望を、しちめんどくさい悲観論を覆したうえに軽く載せられてしまうような作品。冒頭のぎこちなささえなければ大傑作になったと思われるのだけど、まあ、それは望みすぎかも知れません。

(2004/01/01)


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