cinema / 『時をかける少女』

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時をかける少女
原作:筒井康隆(角川文庫・刊) / 監督:細田守 / 脚本:奥寺佐渡子 / 製作総指揮:角川歴彦 / キャラクター・デザイン:貞本義行 / 作画監督:青山浩行、久保田誓、石浜真史 / 美術:山本二三 / 色彩設計:鎌田千賀子 / 撮影:冨田佳宏 / CG:ハヤシヒロミ / 編集:西山茂 / 音響効果:倉橋静男 / 録音:小原吉男 / 音楽:吉田潔 / ピアノ演奏:美野春樹 / 主題歌:奥華子『ガーネット』(Pony Canyon) / アニメーション制作:マッドハウス / 声の出演:仲里依紗、石田卓也、板倉光隆、垣内彩未、谷村美月、関戸優希、桂歌若、安藤みどり、立木文彦、山本圭子、松田洋治、原沙知絵 / 配給:角川ヘラルド映画
2006年日本作品 / 上映時間:1時間38分
2006年07月15日公開
公式サイト : http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/
テアトル新宿にて初見(2007/07/22)

[粗筋]
 紺野真琴(仲里依紗)は、自分を平凡な女の子だと思っていた。遅刻もさほどしないし、成績も優秀ではないものの馬鹿というほどではない。人間関係のしがらみに悩まされることもなく、そこそこの運とツキを保っている――はずだった。
 夏休みを間近に控えた7月13日、だけどこの日は真琴にとって最低の1日だった。いつになく派手に寝坊して、ギリギリで教室に辿り着いたと思ったら抜き打ちテストで、まったく手も足も出ない。調理実習では天麩羅を揚げるのに失敗してあわや火事という騒ぎを起こしてしまうし、休み時間にはプロレスに興じる男子生徒に巻き込まれて潰される。とことん悪いことばかりが続く1日のトドメは、自転車のブレーキの故障。気づいたのは下り坂、行く手には閉ざされた踏切、そして間近に迫った電車――遮断機に引っかかり、派手に宙に舞った真琴は、死を覚悟した。
 ――次の瞬間、真琴はほんの一瞬前に戻っていた。坂道の途中でおばさんにぶつかり、前を見れば、真琴が轢かれかかったはずの電車が轟音を立てて通り過ぎるところだった。
 夢でも見ていたんだろうか、と呆気に取られながら、母(安藤みどり)に頼まれた用足しに国立博物館に向かう。ここで絵画の修復をしており、真琴にとって良き相談相手である芳山和子(原沙知絵)にいまの経験を話すと、彼女はあっさり「あなたはタイム・リープの力を得たのね」と言った。タイム・リープ――不可逆な時間の流れを跳躍して移動する能力のこと。
 まさか、と思いながらも、家に帰ったあともモヤモヤとした気分を抱えた真琴は、試しに“飛んで”みた。すると、本当に彼女は1日前に舞い戻ることが出来た。妹・美雪(関戸優希)に食べられたプリンを心ゆくまで味わった真琴が次にしたのは、最悪の1日を塗り替えることだった。
 早起きして徒歩で登校し、問題の解っている抜き打ちテストは完全制覇。失敗した天麩羅は、野菜を切っていた同級生に替わってもらって難を逃れ、プロレス男子の襲撃も躱した。いい1日にしたことにご満悦の真琴だったが、相談役である和子は「誰かにツケが廻ってるかも」と思わせぶりなアドヴァイスをする。
 ――実際、ツケは廻ってきた。このまま平穏に過ぎるかと思っていた真琴の周囲に、少しずつ変化が訪れていた。確実に、彼女のタイム・リープの影響を受けて――

[感想]
 原作は筒井康隆の、これまでに幾度も映像化の為されたジュヴナイルである。中身は知らなくてもタイトルを知っている人は多いだろう。まさに“タイム・リープ”テーマのフィクションを代表する作品となっている。ただ、不勉強なことに私は大林宣彦監督・原田知世主演の映画版はおろか、原作も読んでいない。原作が未読であるのには個人的な理由があるが、その辺の説明はとりあえず脇におかせていただく。
 ともあれ、そんな風に原作・旧作に対して何ら記憶も思い入れのない状態で鑑賞したわけだが、何の問題もなかった。本編は単体で充分に完成された、優秀な“ジュヴナイル”である。
 物語はヒロイン・真琴の夢から始まる。夢と言っても派手さはない。毎日のように繰り返している、友人・間宮千昭(石田卓也)と津田功介(板倉光隆)との出来事を反復するだけの内容である。だが、彼女が男の子たちと屈託なく遊ぶような快活な少女であること、いつもの出来事を夢で反復するくらい、毎日について不満のない少女であることがまずこのひと幕で充分に伝わる。起床するなり遅刻に気づいて慌ただしく家を飛び出していき、珍しく立て続けにトラブルに遭遇する。そうしてあっという間に、死を覚悟する瞬間に辿り着き、タイム・リープが始まる。滑らかで、かつ勢いのあるストーリー展開で、あっという間に観る側をとりこんでしまう。
 しかも、このスピード感に満ちあふれたシークエンスのなかに、後半で活かされる伏線が無数に織りこんであるのが見事だ。観ている側は意識せず、日常の1コマと捉えてしまうような場面が、後半にて思いがけない形で意味を持つ。作劇上の基礎であるが、これほど巧みに、無数に鏤めることで先読みを困難にし、その効果を余計に高めている。どこがどう、と解説してしまえば興を削ぐのは自明なので、このあたりは作品を観て実感していただきたい。
 作画のクオリティ、映像演出も申し分ない。大画面であることを念頭にロングショットで人物たちを捉え、細かな動きを固定したカメラのなかで長々と描くことで動きを表現する一方、自転車、或いは自分の足で全力疾走する真琴を至近距離から躍動感たっぷりに表現する。このメリハリのあるカメラワークが、夏特有の青の強い空を取り込んだ背景と相俟って、活き活きとした雰囲気で作品を満たしている。ところどころ簡略化の行きすぎた作画が見られたり、足の太さや等身が不自然な箇所もあるが、ご愛敬のレベルである。
 だが、本編を何よりも魅力的にしているのは、ヒロイン・真琴の人物造型であろう。捉えやすく感情移入のしやすいシンプルな性格付けで、よく動く表情とも相俟って実に親しみやすい。特に終盤、必死さのあまり汚れたり傷だらけになったり、果てはおよそヒロインとは思えないくらいみっともない泣きっぷりを披露するが、それが可愛らしく魅力的に映るのだから大したものである。そうして飛び回り跳ねまわった末にラストシーン付近で見せる表情の深みもいい。
 タイム・リープの原理にはいささか疑問が残る。この現象では物理的にかなりの負担がかかるはずで、果たしてこんな理論が成立するかどうか――だが、そのあたりを約束と割り切って、しかし制約を存分に活かしきったからこそ、本編の脚本は優秀である。
 繰り返しになるが、年代を超えて楽しめるレベルにまで高められた、これこそ本物の“ジュヴナイル”である。この夏、様々な話題作が上映されるが、下手なものを選ぶくらいならばこれを観てほしい。いっそ嫉妬さえ覚えるほどの名作である。

(2006/07/22)


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