cinema / 『隣之怪 壱談「フレーム」』

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隣之怪 壱談「フレーム」
原案・監修:木原浩勝 / 監督・脚本:横井健司 / 企画プロデュース:松島富士雄 / 製作:古屋文明、山本理恵 / 撮影:田中一成 / 美術:石毛朗 / 録音:新開賢 / 編集:難波智佳子 / 音楽:朝枝有 / 出演:吉岡美穂、白石朋也、里中あや、三俣凱 / 作品ナビゲーター:木原浩勝、南まい / DVD発売元:Warner Home Video
2006年作品 / 上映時間:1時間26分
2006年10月20日DVD発売 [amazon]
DVDにて初見(2006/12/02)

[粗筋]
 森口夫婦は、次第にはしゃぐことの減っている息子・悠(三俣凱)のことを気にかけていた。積極的に遊びに連れて行くが、人目を気にしてかやはり大声を上げることもない。
 浜遊びに出かけたときの様子を撮影したビデオを確認しているとき、何もなかったはずの場所に奇妙な人影が映っているのを、妻の梓(吉岡美穂)は発見する。それを示すと、夫の達也(白石朋也)は昔撮ったテープにも似たような姿が写っていたように感じたことを口にしたが、さほど気に留める様子もない。しかしその日から梓は、身辺に異様な気配を感じるようになった。家屋のどこかから何者かが蠢き、笑うような物音がする。
 更に、悠の様子が前にも増しておかしくなった。毎日気怠そうにして、眠る時間が長引いている。辛いなら学校を休んでもいい、と言う梓に、だが悠は何でもないとかぶりを振るのだった。
 日中、ひとりでいるのが居たたまれなくなった梓は、友人のさやか(里中あや)を呼び出して、くだんのビデオテープを観てもらう。さやかは一目で興味を示し、他のテープにも写っていないのか、と軽く訊ねる。だが、そのひと言をきっかけに異常な事実を梓は知ってしまった。
 すべてのテープに、あの人影が映りこんでいた。悠を身籠もった、その頃のものから。

[感想]
 中山市朗氏とともに『新耳袋』シリーズで文章媒体による百物語全十巻完結、という偉業を成し遂げた木原浩勝氏が企画・監修を手懸けた、ビデオオリジナルの映像シリーズ第一作である。
 同書の映像化である『怪談新耳袋』は実話をもととした原作から拡げてホラーにしているが、このシリーズはオリジナルの怪奇現象を積み重ねることで、『新耳袋』とは違ったスタンスでの“怪談映画”を志向して製作されているという。だが、とりあえず初めてリリースされた本編に関して言えば、その雰囲気は『怪談新耳袋』のそれを踏襲しているといった印象が強い。序盤では決して怪奇現象をあからさまに示すことをせず空気をのみ濃密にしていき、じわじわと登場人物、観る側とを追い詰めていく。
 大きく違うのは、観る側に怪奇を実感させるような表現を選択している点であろう。周囲を徘徊する物音、視界の隅にちらつく人影など、1個1個は昨今の和製ホラー隆盛のなかにあって確立された表現であるが、それらを虚仮威しではなく、観る側の感覚に訴えかけるように採り入れているのが絶妙だ。
 それだけに、意識的に描かれているものを観るようにしなければ、恐怖を感じられないような作りとなっているのも確かである。DVDには珍しい帯にて京極夏彦氏が書いているように、「そんなに怖くはないですよ。ちゃんと……見なければ、ですが」なのだ。漫然と観ていると、登場人物が何かに怯え、混乱していく様が漫然と認識されるのみだが、きちんと画面に正対し、普通に物語のなかに入り込んでいけば、かなり怖い。
 なぜ異様なものが写りこんでしまったのか、あれはいったい何者なのか、そして本当にこれで怪異は終わりなのか、そうしたことについては一切触れずじまいであるために、ホラーであっても筋を求める人にはやはり不満の多い作りであろう。だが、起きた“怪異”を解釈も何もなく、感じられたままに剥き身に綴ることが“怪談”本来の姿であることを思えば、これは正しい“怪談映画”であり、企画監修を手懸けた木原浩勝氏の貫いてきたテイストを踏襲するものである。
 まさにタイトル通り、身近で起きているかも知れない、という種類のいちばん厭な感覚を齎す新シリーズと言えよう。同時に『弐談「バック物件」』もリリースされているが、順調に巻が重ねられることを期待したい。

(2006/12/04)


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