cinema / 『透光の樹』

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透光の樹
原作:高樹のぶ子(文藝春秋・刊) / 監督:根岸吉太郎 / 製作:朝野勇次郎 「透光の樹」製作委員会 東洋コンツェルン / プロデューサー:岡田 裕 / 脚本:田中陽造 / 撮影:川上皓市 / 照明:熊谷秀夫 / 美術:小川富美夫 / 編集:鈴木 晄 / 音楽:日野皓正 / 制作:株式会社スタッフ東京、株式会社イマージュ、アルゴ・ピクチャーズ株式会社 / 出演:秋吉久美子、永島敏行、高橋昌也、吉行和子、平田満、寺田農、田山涼成、うじきつよし、大高洋夫、村上淳、マギー、唯野未歩子、松岡俊介 / 配給:cinequanon
2004年日本作品 / 上映時間:2時間1分
2004年10月23日公開
公式サイト : http://www.cqn.co.jp/toukounoki/
シネカノン有楽町にて初見(2004/11/20)

[粗筋]
 新しいドキュメンタリーの根回しをするために石川県入りした今井 郷(永島敏行)は、ふと足を伸ばし二十五年振りに鶴来町を訪れる。駆け出しの頃に刀鍛冶・山崎火峰(高橋昌也)の取材のために訪れて以来だったが、火峰はまだ同じ場所に住んでいた。既に耄碌し寝たきりの状態となり、今井が訪れたときまだ高校生だった娘・千桐(秋吉久美子)が介護している。千桐はこの二十五年のあいだに短大を出て結婚し、子供を産み、離婚していまは父と娘・眉(仲村瑠璃亜)とをひとりで支える立場になっていた。覚束ない収入のために借金を抱えており、惚けた火峰は今井を借金取りと勘違いして、彼になんとか金を返せ、と千桐に言い募る。
 東京に戻った今井は、ある晩千桐に電話をかけ、借金の返済を助けたい、と申し出た。なぜ、と問われて今井が冗談半分で口にした「目的はあなた以外にない」という言葉を、千桐は真に受ける。
 春が訪れて、千桐は今井に宛てて一通の絵葉書を寄越した。平泉寺に咲く片栗の花をあなたに見せたい、という趣旨の。今井は約束通り、現金を携えてふたたび石川県の千桐の元を訪ねた。彼女の運転で片栗の花が咲き乱れる場所をふたり眺めたあと、今井は千桐の従姉妹・松子(吉行和子)が留守を預かる旧家に彼女とともに投宿する。夜が更けて、今井から現金を渡された千桐は、彼と同衾する。数年振りの情交に乱れながら千桐は、わたしは郷さんの娼婦になると決めた、と告げる……
 今井から受け取った金で千桐の生活は以前よりずっと楽になった。借金を清算し、既に自宅で介護する限界を超えていた父・火峰を入院させ、時間が空いたことで寿司屋での職を得ることも出来た。千桐はなんとか今井に感謝を伝えようとして、いちど留守電に吹きこんだメッセージをあとから取り消そうとしたり、と引き裂かれたような行動をする。
 そんな彼女の様子に苛立ちを禁じ得ない今井の身に、ある日異変が起きる。部下と共に訪れた外人バーのトイレで、不意に躰を支えられなくなり尻餅をついてしまった。長年の不摂生が祟った、と察知した今井が電話越しに弱音を吐くと、千桐はすぐさま東京まで駆けつけた。再び狂おしく互いの躰を求め合うふたりだったが、終わりの時は刻一刻と近づいていた……

[感想]
 一般的に言われる大人の恋愛、という奴が大っ嫌いです。終始スマートで洒落っ気に富んでいて、言葉のやり取りや微妙な態度を楽しみ、別れるときは後腐れなく――とかいったものを本気で口にしている人間を見かけるとときどき反吐が出そうになります。この定義自体が言葉の自己矛盾みたいなもので、そもそも恋愛感情というものにスマートさや優雅さ、状況を楽しむ客観的余裕は本来存在し得ません。当事者の幸せも不幸せも主観から発生し、基本的に傍目には醜く滑稽で、始末に負えないのが恋愛というものでしょう。大人の恋愛などという定義を日常的に用いてどうこう出来る、と思いこんでいる人間は結局のところ本気の恋を知らない。
 翻って、本編で描かれているのはそういう意味で本物の“大人の恋愛”と呼んで差し支えない、と思う。大人と言っても本編の主人公であるふたりはいずれも日常のしがらみに搦めとられ、自由に身動きのままならない立場だ。千桐は離婚のために娘を養う一方、惚けた父の介護もせねばならず、ろくに働きに出ることも出来ずギリギリの生活を強いられている。一方の今井も借金はあるが仕事上金の流れが速いので生活に余裕はあるが、しかしマスコミ関係の職場であるため会社を離れられず、家庭を顧みることが出来ない。二十五年前、ほのかに想いを寄せ合ったふたりが偶然に再会し、今井が千桐の苦境を知ってしまったがために、意外なかたちで関係が生じる。
 巧妙なのは両者の性格付けである。今井にはマスコミの人間らしからぬ義理堅さがあり、駆け出しの頃世話になった刀鍛冶――ひいてはその娘の苦境に、多少なりとも下心は含んでいるが、無視することが出来なかった。千桐のほうはかつて羽振りが良かった名残でもあるのか、プライドが高く夫の浮気が原因で離婚したときも執着を覗かせず、今井の恩義に報いるために“契約”というかたちで関係を持ち、それをしきりに主張する。この状況が、世間的には不倫の関係である両者を奇妙な格好で繋ぎ止め、また双方の想い――執着を膨らませる要因ともなっている。
 序盤では再会から“契約”に至るまでの動きを静かに追い、中盤では“契約”によって結ばれてしまった関係と、裡に秘めた想いとのギャップに困惑するふたりの様を押しつけがましくなく、しかし情緒豊かに描き出している。そうして後半、別れとその後の推移が更に濃密なタッチで映し出される。中盤で“契約”の楔が外されたふたりが互いを求め合い、逃れがたい宿命のために引き裂かれる様は、当事者にとって深刻であればあるほど客観的に見苦しい。とりわけ離別の場面における千桐の感情表現は、まるでまともに恋を知らなかった娘のように無様だ。
 この映画は恋に溺れた男女の無様さを、東北の美しい情景と落ち着いたカメラワーク、また時折挿入される濃密な性描写によって飾りながら、しかし本質的に覆い隠すことなく表現しており、そういう部分で昨今流行りのお涙頂戴を主題としたような恋愛映画と一線を画している。惜しむらくは、それでもまだ性愛の表現が優等生的で圧倒的なインパクトに欠くことだろう。情交の場面でものちの展開の鍵となる言葉のやり取りが繰り広げられるのだが、それが強烈に印象に残るような描写がもう少し欲しかったところである。
 しかし、本編の白眉は今井と千桐が別れたその後――千桐の娘・眉が結婚し子供もある状況で描かれるエピローグである。物語のすべてを背負い、凝縮しながらも決して安易に美化しないこのラストシーンがあるからこそ、本編は有り体の恋愛映画の枠から抜け出し得たのだ。
 トランペットとピアノのみで演奏されるBGMと呼応して、気高くも汚れきった情を描ききった、ちかごろ希有な本物の恋愛映画である。大ヒットしたあの手の作品と混同して軽いノリで鑑賞するとラストシーンにおける成人した眉(唯野未歩子)の台詞が思いの外重くのしかかってくるだろうが、そうしたものに飽き足らない向きであればかなり満足のいく仕上がりのはず。

 ……ほんとは、作品そのものの感想の中では触れるべきではないだろうな、と思うのですが、この記事には深川自身の覚書という側面もあるので、あのことについてちょっとだけ付け加えておきます。
 今井郷はもともと永島敏行ではなく、萩原健一が主演ということで撮影が進められていましたが、諸般事情から一ヶ月で降板、交代に至ったといいます。そのあたりの事情が公開後に訴訟沙汰となって報じられ、本編は悪い意味で話題を振りまいた格好となりました。
 では果たしてこの作品、萩原健一であったらどんなものになっていたか――正直なところ、あまりいい印象は抱かなかったのでは、と思います。萩原健一独特のしゃがれ声や雰囲気は個人的に好きではあるのですが、本編の備える透明感とはどうしても合わない。永島敏行はベテランながら無臭に近いイメージで、それが役柄と非常に良く馴染んでいたと感じます。
 公開中のいま現在、未だトラブルを引きずっている当事者には気の毒ですが、この交代劇は作品にとっていい意味で貢献したのではないでしょうか――反面、やっぱり悪いイメージが着いてしまったことも否めないのですが。
 上記の通り、細かい嫌味はあれど本当の意味での“大人の恋愛”を描いた秀作であることは確かなので、興味がおありの方はその辺の事情を忘れて御覧になることをお薦めします。だったら書くな? ごめん。

(2004/11/22)


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