cinema / 『トンネル』

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トンネル
原題:“DER TUNNEL” / 監督:ローランド・ズゾ・リヒター / 製作:ニコ・ホフマン、アリアーネ・クランペ / 脚本:ヨハンヌ・W・ベッツ / 出演:ハイノー・フェルヒ、ニコレッテ・クレビッツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、ゼバスチャン・コッホ、マフメット・クルトゥルス、フェリックス・アイトナー、クラウディア・ミヒェルゼン、ウーヴェ・コキッシュ、ハインリッヒ・シュミーダー、サラー・クベル、ライナー・ゼリーン、カリン・バール / 配給:alcine terran
2001年ドイツ作品 / 上映時間:2時間47分 / 字幕:寺尾次郎
2002年04月13日日本公開
2002年11月29日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.alcine-terran.com/data/tunnel/tunneltop.html
日比谷シャンテ・シネて初見(2002/04/27)

[粗筋]
 1961年、東ドイツ。ハリー・メルヒャー(ハイノー・フェルヒ)は世界記録目前の好成績で制した水泳大会の表彰台で、役人から差し出された手を無言で拒んだ。かつて反ソ連運動に手を染め、4年間服役した経験があり、妹ロッテ・ローマン(アレクサンドラ・マリア・ララ)の執拗な抗議で漸く出所したという経緯のある彼にとって、東ドイツの役人は敵に等しかった。――まるで合わせたかのように、大会の翌日から、ベルリンは東側政府の手によって壁で二つに分断されようとしていた。アメリカ・イギリス・フランス・ソビエトの四カ国に分割統治されていたドイツであったが、数年前からソ連が協調路線を外れるようになり、度重なる東側からの脱出を防ぐために、ベルリンの西側支配区域を壁で囲う強硬策を選んだのだ。
 政府と相容れないハリーにとって脱出は必然だった。ハリーの親友マチス・ヒラー(ゼバスチャン・コッホ)と繋がりのあるヴィットリオ・カスタンツァ=ヴィック(マフメット・クルトゥルス)の手引きで入手した偽造の観光パスポートにより、ハリーは無事に西側に脱出する。妹とその家族も連れて行きたかったが、家族や団体のパスポートは偽造も脱出も難しかった。だが、ハリーは愛する人たちをそのまま東に置き去りにするつもりはなかった――
 一方マチスは妻カロラ・ランゲンジープ(クラウディア・ミヒェルゼン)と複数の仲間とともに下水道経由での脱出を試みるが途中で発見され、暗闇での慌ただしい逃亡の最中にカロラとはぐれてしまった。西側の集合場所でそのことを聞かされたハリーは、途方もない脱出計画を提案する――西側から地下にトンネルを掘り、そこから脱出させよう、と。
 あまりに大胆な計画に、仲間の一人フレッド・フォン・クラウスニッツ(フェリックス・アイトナー)は最初難色を示すが、じわじわと高く広く延びてゆく壁にそれぞれの危機感を募らせ、彼らは遂に作戦を開始する。西側、壁に隣接した廃工場を借り受け、その地下から7m掘り下げ、更に東側、無人地帯にある家屋のいずれかの地下室まで約145mというあまりに長いトンネル。幸いに粘土質で掘ること自体に問題はなかったが、1年近くを費やす壮大で困難な事業であることに違いはなかった。それでも、ハリーは地面にスコップを突き立てる。
 エンジニアでもあるマチスの図面に従い、一同の作業が漸く軌道に乗りかかった頃、掘削現場に闖入者が現れた。バーでハリーたちの密談を偶然耳にして尾けてきたフリードリケ・ショルツ=フリッツィ(ニコレッテ・クレビッツ)は、疑心暗鬼のハリーたちに対して、自分も仲間に入れて欲しいと懇願する。東側にいる恋人ハイナーを脱出させたいという彼女をハリーたちは今一つ信用できない。だが、ある日、マチスの指示に従わず、支柱を立てないまま闇雲に掘り進もうとして、地上の振動で崩落した土砂に埋もれたハリーに的確な対処を施したことから、フリッツィは仲間として認知され始める。と同時に、致命的な人員不足も自覚し始めた彼らは、新たな協力者を募る――

[感想]
 こいつは素晴らしい。いい加減そこそこに目は肥えてきて、いたずらな娯楽志向も頑なな社会派志向も鬱陶しいと感じる程度にひねくれてきた私にとって、東西分断時代のベルリン地下に掘られたトンネル、というのはかなり微妙な題材に思えていたのだが、鑑賞数分でそれが杞憂に過ぎないことを悟り、劇場の灯りが点いたときには感覚が冴え冴えとして居ても立ってもいられないくらいに興奮していた。こいつは素晴らしい。
 実話に基づいているためにディテールは明確である。また、ドイツにとってそうであるように、国際社会にとっても東西対立のあからさまな象徴であったベルリンの壁を用いたことで、やもすると物語を煩雑にさせがちな敵対関係の説明を最小限に押さえる利点を齎し、壮大で長期に亘る計画を極秘に遂行するスリルと、仲間うちや東ベルリンにいる関係者たちの心理的葛藤を描くことのみに時間を割くことを可能とした。題材選択の段階でこれだけの利点があるのだから、そもそも余程のへまをしない限り失敗作とはなり得ない、という考え方もできるだろう。
 だが、そうした好条件を考慮からはずしたとしても、作品の質の高さを認めないわけには行かない。実に2時間50分近い長尺を殆ど意識させないほどに研ぎ澄まされた脚本と緊張感を繋ぐ演出の巧みさ。実話に基づく、としながらも各登場人物の設定は実在の複数の人物の役割を集約させていたり、或いは物語を盛り上げるために創造されたもののはずなのに、観ている間本当に実話としか感じられないくらいにきっちり人物像が確立しており、また役者陣もそれを着実に演じきっている。暗いトーンで顔がよく見えないことが多いのに、見分けることに困難を感じさせないのがその証左だ。
 何より、そのテーマにも拘わらず、作品の中でイデオロギーを前面に押し出すことを避けたことが最大の功績だろう。東側の人間を、ハリウッドの単純な勧善懲悪もののようにただ悪人として描かず、西に逃走しようとした友人を悲痛な顔で撃ち、計略に巻きこまれた挙句親しい人を自殺させてしまうという悲劇の渦中に経たされた男を「自分の責任だと思うな」と諭し、脱出計画成功を目前にした相手に「お互い同じ信念ならよかった」と呟く、普通の人間として画面に焼き付け、尚かつスパイなどを利用しながらも「人は極力殺さない」「国境を越えた銃撃戦は行わない」などのルールを(たとえ当時の社会情勢に乗っ取ったものだとしても)守らせることで、現実に裏打ちされた奥行きのあるエンタテインメントとして作品を完成させた。――極端な話、東と西の対立など念頭から外して構わないのだ。ここにあるのは、ただ愛する人たちと再び巡り逢うために計画を遂行する人々と、おのが信念と社会的なルールに則ってそれを阻止しようとする人々の、限りなく純粋な戦いだけである。そこに徹したからこそ、贅言抜きで「面白い」と言える作品に仕上がっているのだ。
 扱っているのはトンネルだが作品としての穴はなし! 完璧! 観なさい! 絶対に損はしないから! なんで東京単館上映なんだっ?!

(2002/04/27・2004/06/22追記)


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