cinema / 『トゥー・ブラザーズ』

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トゥー・ブラザーズ
原題:“Two Brothers” / 監督:ジャン=ジャック・アノー / 製作:ジェイク・エバーツ、ジャン=ジャック・アノー / 脚本:アラン・ゴダール、ジャン=ジャック・アノー / 撮影監督:ジャン=マリー・ドルージュ,A.F.C. / 美術:ピエール・クフェレアン / 衣装:ピエール=イヴ・ゲイロー / 編集:ノエル・ボワッソン / 特殊効果:フレデリック・モロー / 音楽:スティーヴン・ウォーベック / 出演:ガイ・ピアース、ジャン=クロード・ドレフュス、フィリピーヌ・ルロワ=ボリュー、フレディー・ハイモア、マイ・アン・レー、ムーサ・マスクーリ、ヴァンサン・スカリート / 配給:日本ヘラルド
2004年フランス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2004年09月18日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/two_brothers/index.shtml
恵比寿ガーデンホールにて初見(2004/08/29)※ジャパン・プレミア試写会

[粗筋]
 植民地時代のアンコール遺跡に、トラの親子が暮らしている。仲睦まじく日々を過ごしていた彼らの元を、ある日突然、災厄が見舞った。
 冒険家として知られるエイダン・マクナリー(ガイ・ピアース)は先のオークションで成果を上げられず、新たな“商品”を求めて現地の村長の仲介で遺跡を訪れた。トラの存在に気づいたキャラバンは追い出しを図るが、運悪く遺跡の中でひとりの男がトラの父親と遭遇、襲撃される場面に行き会ったマクナリーはトラを射殺する。トラの遺体を運び出そうとしたとき、マクナリーはその影に隠れていた一匹の小さなトラを見つけ、保護した。
 どうやらそのトラがマクナリーに懐いたころ、マクナリーは村に戻ったが、村長の姑息な目論見によって遺跡盗難の疑いをかけられ拘置所に入れられてしまう。小さなトラは村人の手に残り、間もなくサーカスに売り払われた――そこでクマルと名付けられ、次なるショーの目玉として育てられるために。
 マクナリーは幸運にも、彼の素性に気づいた行政長官(ジャン=クロード・ドレフュス)の口添えで拘置所から解放されたが、出航までに手続きが間に合わず現地に足止めを食ってしまった。ハンターとしての彼の功績を熟知していた行政長官は、そんなマクナリーに頼み事を申し出る。行政長官は政府の助力を得て現地に道路を建設、重要な遺跡を観光資源とした開発計画を推進していたが、現地の皇太子からその承諾を得るために様々なもてなしを企画していた。そのひとつとして、本物の“狩り”を行うつもりだった――対象は、野性のトラ。
 遺跡では残されたトラの母親ともう一匹の子トラが、身を潜めていた。母トラは用心に用心を重ねていたが、やんちゃ盛りの子トラは虫に気を取られるあまり罠にかかり、2匹揃って落とし穴に閉じこめられてしまう。皇太子殿下が現地を訪れるときまで、彼らを確保するためにマクナリーが用意した罠だった。
 狩りの当日、放たれた母トラは皇太子の撃った一発で昏倒する。だが、それが耳を射抜かれたときの衝撃で気を失っただけだと気づかず、とどめを刺さずに記念写真を撮ろうとしたその矢先にトラは意識を回復して逃げ出してしまった。行政長官たちがあわてふためくなか、長官のひとり息子ラウール(フレディー・ハイモア)は木のうろに隠れていた子トラを発見した。
 子トラはサンガと名付けられ、ラウールのもとで飼われることになった。もともとクマルと比べて臆病だったサンガはラウールに良く懐き家族にも可愛がられたが、ある日不幸な経緯から長官一家の飼っていた犬を噛み殺してしまい、そのためにラウールの元から離されてしまう。彼は“凶暴な人喰いトラ”の汚名を被せられ、皇太子殿下のコレクションに加えられた……
 それから一年後。マクナリーとラウール少年の前で、成長したトラの兄弟は惨い形での再会を遂げる……

[感想]
 この映画を観て、誰しもがまず感じるのが「いったいどうやって撮ったんだ?」という疑問だろう。冒頭から、トラたちが本当に監督らの指示に従って演技しているのではないか、と思えるような場面が続出する。主人公となるトラの兄弟の両親が出会い交尾(!)に及ぶ場面、小さな子供達が森にいるタヌキと睨み合いをしたり木に登ったり落ちてきた木の実で戯れたりする場面、人間たちの集団と巡り会った際の複雑な描写――そうしたすべてが、CGを一切使わない本物の映像によって綴られる。そのことにまず度肝を抜かれる。時間のかかる撮影を根気強くこなし、場面それぞれに見合ったシーンを丁寧に繋ぎあわせたということだろうが、解っていても頭の下がる思いがする。
 当然ながら、演技をしているように見えてもトラたちが台詞を話せるはずもなく、彼らが主役であるこの映画はほとんど説明がないまま本筋が進められていく。だが、説明がないにも拘わらず主な展開、更にはトラたちの感情まで伝わってくるような組み立てが出来ており、知らず知らずのうちにトラたちの苦境や奮闘ぶりに感情移入させられてしまう。まさに花形役者の風格ある活躍ぶりである。
 一方、彼らを望む望まないとに関わらず引き裂く結果になってしまう人間たちのほうは、トラの兄弟それぞれと深く関わることとなった冒険家のマクナリーに長官の息子ラウールを筆頭にかなり巧い役者が揃っているが、いずれもあまり突出した動きを見せることなく、トラたちの引き立て役となったり、ドラマに深みを与えるための脇役に徹している。但し、マクナリーは村長の娘で英語を解する女性と恋仲になったためか一年後の場面では現地の言葉を使いこなすようになっていたり、皇太子はクライマックスの手前で成長したトラの姿に自らの境遇を顧みたり、とよくよく眺めると芸は細かい。
 その細心の配慮が、トラの兄弟のドラマにおいても充分に施されている。やはり素晴らしいのは引き裂かれ、成長した彼らが再会する場面だ。皇太子の要請で行われた園遊会の催しのひとつとして、用意された闘技場に放たれた2匹が、最初こそ牙を交えるけれど、間もなくお互いが兄弟だと気づく。このとき、序盤で描かれた小さな兄弟の戯れるさまが効果的にオーバーラップする。さりげないシーンの抽出でさえ気遣った作りだが、それ故に浪費した膨大な時間と手間が窺え、改めて感嘆を禁じ得ない。
 しかし、そういう穿った見方を抜きにしても、単純ながら実に秀逸なドラマである。中盤の兄弟を巡る動きは数奇だが、再会と結末は予想を超えるものではない。だが、その予定調和と思える展開が、率直に胸に染みてくる。労苦を惜しまず、ドラマの部品として最適な場面を丁寧に拾い集め、人間の役者たちがそれを真摯に手助けしたからこその、感動的なクライマックスがここにある。
 ひとつだけ気に掛かることがあったが、その点もスタッフロールのあとではあるがきちんとフォローされている。隅々まで配慮の行き届いた、完璧な作品。どれほどの感動を味わえるかは個人の資質次第だが、誰しもこのクオリティを否定することは出来まい。

(2004/08/30)


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