cinema / 『UDON』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


UDON
監督:本広克行 / 脚本:戸田山雅司 / 製作:亀山千広 / 企画:関一由、阿部秀司、島谷能成 / プロデューサー:織田雅彦、前田久閑、安藤親広、村上公一 / 撮影:佐光朗,J.S.C. / 照明:加瀬弘行 / 録音:伊藤裕規 / 美術デザイナー:相馬直樹 / 装飾:田中宏 / 編集:田口拓也 / VFXスーパーヴァイザー:石井教雄 / VFXディレクター:山本雅之 / 音楽:渡辺俊幸 / 制作プロダクション:ROBOT / 出演:ユースケ・サンタマリア、小西真奈美、トータス松本、鈴木京香、小日向文世、木場勝己、升毅、片桐仁[ラーメンズ]、要潤 / 配給:東宝
2006年日本作品 / 上映時間:2時間14分
2006年08月26日公開
公式サイト : http://www.udon.vc/
日劇PLEX2にて初見(2006/08/26)

[粗筋]
「世界中を笑わせたい」
 そんな野望を持って、スタンドアップ・コメディアンを志してアメリカに渡っていた松井香助(ユースケ・サンタマリア)だったが、まったく芽の出ぬまま、莫大な借金だけを抱えて郷里である香川に戻ることになった。姉の万里(鈴木京香)やその夫の良一(小日向文世)、周囲の者たちは微温的に迎え入れたが、製麺所を経営する父の拓富(木場勝己)は「出戻りに喰わせるうどんはない」と冷たい。
 そんな香助にとっての転機はほどなく訪れる。山中で車を走らせていて、ガス欠で立ち往生した香助は、取材のために近場を訪れていた宮川恭子(小西真奈美)と遭遇する。諸々あって山中を二人して彷徨する羽目になったが、ようやく辿り着いた一軒家は、まるでごく普通の民家のような外観にも拘わらず、れっきとしたうどん屋であり、差し出された一杯のうどんはこの上なく美味だった。
 親友である庄介(トータス松本)の紹介により、奇遇にも恭子の勤める『タウン情報さぬき』編集部にアルバイトで加わることになった香助は、営業のために訪れた書店での出来事を端緒に、誌上で穴場の讃岐うどん店を特集することを提案する。
 だが、これが意外と大変な作業だった。香川県のうどん屋は人口に対して驚異的な高比率で存在するにも拘わらず、やたらと山の奥深いところにあったり、ごく普通の民家の軒先で営業していたりと見つけるだけでひと仕事になる。ようやく誌面をあがなうだけの取材を済ませて記事を起こしてみたが、美味しさがうまく伝わらない。
「讃岐うどんは、何時間も苦労して捜し出して食べるから美味いんや」
 そんな編集長・大谷(升毅)のひと言がヒントで、香助は記事から写真や地図を一切排除し、自分たちが店を見つけ、実際に食すまでの過程をそのまま文章に起こしていく方法を提案する。さながら宝探しをするようなこの喜びを、読者にも体感してもらおうと考えたのだ。
 この手法は見事に的を射、『タウン情報さぬき』は飛躍的に売り上げを伸ばしていった。そうして、次第次第に広まっていく讃岐うどんブームはいつしか都会へまで飛び火していく……

[感想]
 当方、無類のうどん好きである。蕎麦も嗜むが、基本的に理由がなければ蕎麦屋でもうどんを注文する。開眼したきっかけがまさに讃岐で食べたうどんであったために、本編は内容如何に拘わらず観るつもり満々であった。本当に、仮に出来が悪くても、まるっきりの色物でも構わないと思っていたほどだ。
 しかし、意外――と申しては失礼だがやはり意外にも、本編はごく真っ当に面白い。
 冒頭、主人公・香助とヒロインである恭子の出逢いの場面では失笑を禁じ得ず、果たして大丈夫か、と思わされたものだが、迷った挙句の“うどん”との邂逅、そこから記事作りに至る流れの必然性とリアリティは実に見事だった。話がある程度進むと、冒頭の作りは寧ろ寓話、もっと言ってしまえば伝説的なものに映り、実に効果的に演出されていたことが解ってくる。
 このあたりの構成の巧さは、全篇で威力を発揮している。特に象徴的であるのは、途中でジョークのように挿入される『キャプテン・ウドン』のモチーフだ。香助が幼少時代に空想したヒーローをもとにしたこのキャラクターは、当人たちの思惑を超えて拡大していく讃岐うどんブームを象徴するように随所で顔を覗かせるが、終盤においてまた意外なかたちで本筋と結びついていく。この『キャプテン・ウドン』シークエンスの押井守監督の『立喰師列伝』を意識したらしき個性的なヴィジュアルもちょっとした見所になっているが、恐らくほとんどの観客の予測を超える終盤での活かし方は、脚本と構成の巧さの最も特徴的な側面であると思う。
 キャラクター作りの巧さも特筆すべきポイントである。はじめからユースケ・サンタマリアが演じることを想定して作られたという香助の愛すべき適当人間ぶりは無論、綺麗なのにどこか垢抜けない女性として描かれるヒロイン・恭子、諦観に裏打ちされた情熱で彼らを支える親友・庄介、またやたらと口のうまい編集長やスピード狂の編集部員などなど、ちょこっと台詞があるだけという人物に至るまで、きっちり個性を組み立て、それがほぼ余すことなく物語に奉仕している。
 だが何よりも評価したいのは、その主題である。上の粗筋だけだと、まるでブームを仕掛けるだけの映画のように映るだろうが、しかし実際はきちんとその先を見ている。この作品は、ブーム――熱狂と言い換えてもいい――を超えたあと、その世界にどんな影響が及ぶのか、そしてそのことを踏まえてどう歩くべきか模索する、そんな姿までをきちんと描いている。
 基本的な筋廻しは王道と言っていいものであり、ある程度話が進めば予測は難しくない。クライマックスにおける表現にしても、私が概ね想像したとおりだった。だが、予測通りだから悪いという話にはなるまい。きちんと計算され、流れをかたちづくり、じわじわと情感を高めたうえ齎される結末は、侮っていると本気で感動させられる。してやられた気分だが、しかしそれが心地好く思えるのは一種の職人技と言えよう。スタッフロールの傍ら流れるエピローグにも厭らしさはなく、最後にちょっとニヤッとさせてくれる。
 実のところ、こういう類の映画は洋の東西を問わず幾つも存在した。だが、日本特有の素材を遺憾なく活かし、満足いくまで描ききった作品というのはたぶんこれが初めてだろう。観終わったとき、うどんに限らず自分にとっていちばん大切な食べ物が思い浮かんだなら、それは間違いなく本編に魅せられた証拠である。
 ……但し。CMでも言っているが、間違っても空腹で観てはいけません。そしてうどん好きの人は気をつけましょう。かなり本気で、香川までうどんを食べに行きたくなりますから。かくいう私が耐えられなくなってますぅああああああ今の仕事が片づいたら行ってやるぅぅぅぅ。

(2006/08/26)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る