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『light as a feather』トップページに戻るボイス
英題:“Phone” / 製作総指揮:チョン・オクファ / 監督:アン・ビョンギ / 製作:アン・ビョンギ、キム・ヨンデ / 脚本:アン・ビョンギ、イ・ユジン / 撮影:ムン・ヨンシク / 美術:チョウ・ソンウォン / 編集:パク・スンドク / 音楽:イ・サンホ / 制作:TOILET PICTURES / 出演:ハ・ジウォン、キム・ユミ、チェ・ウジェ、チェ・ジヨン、ウン・ソウ / 配給:ブエナビスタインターナショナル(ジャパン)
2002年韓国作品 / 上映時間:1時間42分 / 字幕:根本理恵
2003年04月26日日本公開
2003年10月16日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.movies.co.jp/voice/
劇場試写会にて初見(2003/02/18)[粗筋]
ジウォン(ハ・ジウォン)はある雑誌の依頼で手掛けた、女子校生の援助交際に関する記事をきっかけに、ひとりの男に執拗に付きまとわれるようになった。ストーカー紛いの男に屈しない気丈さを持ち合わせた彼女だが、連日の電話攻勢とつきまといに耐えかねて、姉・ホジュン(キム・ユミ)と会社社長の夫・チャンフン(チェ・ウジェ)の別宅にいちど仮住まいすることに決め、同時に携帯電話の番号の変更手続を取った。
端末を利用して空いている番号を検索していた代理店の店員は、首を捻る。どういうわけか、たったひとつの番号しかヒットしないのだ。急いでいたジウォンはこれも何かの縁だから、とその番号に決めてしまう。末尾は、6644。西洋でいう悪魔の数字と、東洋でいう死の数字の不吉な組み合わせ。
別宅に戻ったジウォンは、姉がアトリエ代わりに利用していた一室を自分の城に決めて模様替えをする。ジウォンひとりの邸内には、何故か異様な気配がまとわりついていた。隣の家から聴こえてくる『月光』の戦慄が、やけに寒々しく聴こえる。
ある日、ジウォンは姉ホジュンとその娘・ヨンジュ(ウン・ソウ)と連れだって、美術館を訪れた。絵を前に歓談する姉妹の背後、ソファでひとり戯れていたヨンジュは、悪戯心を起こしてジウォンの携帯電話を取り出す。途端、鳴り始めた電話に出た娘は、突如狂おしい叫びを上げた。ジウォンが電話を取り上げると、スピーカーからは不気味な低いうねりのような音が聴こえるだけだった……
その日を境に、ヨンジュの言動がおかしくなった。やけに大人びた口を利き、父に病的に執着し、母に異様な悪意を向けるようになる。カウンセラーは、この年代にありがちな変化だと軽く宥めるが、ホジュンは不安でならない。
一方、雨のなか車を走らせていたジウォンは、いきなり前に立ちはだかった少女(チェ・ジヨン)を乗せて家まで送ることにした。少女の指さすとおりにハンドルを切ると、曲がり角を折れたところでふたたび少女が真っ正面に現れ――轢いた、と思った次の瞬間、姿を消していた。車を降りて確認しても、どこにも気配はない。それどころか、乗せていたはずの少女までがいなくなっていた。そこは、ジウォンが身を寄せている姉夫婦の別宅から程近い場所だった……[感想]
予告編と、本編を利用した携帯電話の電源に関する注意のスポットのほうが遥かに出来が良かった。
何せ、あまりに展開に脈絡がない。冒頭、エレベーターのなかで起きる怪異の表現に切迫感がない時点で厭な予感はしていたのだが、本編に入ると怪奇現象のひとつひとつがちぐはぐで、全体での盛り上がりが非常に薄い。とりわけ、ヒロインがパソコンで受信したメールに添付されていた画像など、無駄に映画的に作りすぎていて滑稽なだけだった。
いちおう怖いことが起きそうな予感は演出しているのだが、作品全体ではその動機を設定しているくせに、現象はほとんどそれを踏まえていないことにあとで気づく。ただ怖い要素を並べただけでは、その場その場の虚仮威しになるだけで全体を通しての恐怖に繋がるはずがないのに、その点まるで無自覚な作りなのだ。
くわえて、登場人物たちの演技にメリハリがなく、またキャラクター造形も平板なため、年齢と性別以外に見分ける方法が乏しく中盤までは人間関係が把握しづらい。また、やけに人物関係が輻輳しているわりには、物語を発展させるうえであまり奉仕していないことも問題だ。主人公である女性記者(この設定もほとんど死んでいた……いちおう、事件の発端と絡んだ箇所があったはずなのに)はむかし手掛けた仕事によりストーカーに付きまとわれている、ということになっており、ちゃんと問題の男も登場するのだが、この男の言動が途中まで半端に怪異に絡んでいたはずなのに、最後は意味不明の形で退場し、以後まったく話に絡んでこない。
そして何より拙いのは、せっかく「携帯電話の番号にまつわる恐怖」という魅力的なシチュエーションを得ているのに、それがほとんど発展しないばかりか、結末にまったくと言っていいほど役立っていないこと。決着だけ見ると非常に狭い範囲の話に収まってしまって、それ以外の怪奇現象から意味が剥奪されてしまっているに等しいのだ。
あまりに全体がギクシャクし過ぎている。脈絡がない。結果として、退屈な内容になってしまう。僅か1時間40分程度の話なのに、30分ぐらい経った頃から幾度も腕時計を見ていつ終了するのかを確認してしまった。構成的にもシナリオ的にも無駄が多すぎる。
プレスノートによれば、撮影時は本編の結末を外部に漏らさないため箝口令を徹底したと言うが――この結末にそれ程の価値があったとは思わない。確かに意外と言おうとすれば意外だが、話の規模を小さくしているだけとも言える。また、それが意外と思えるような演出も行っていないために、更に価値を減じている。いちおうここでは伏せるが、期待はしない方がいい、というか私自身はまったく驚きも感心もしなかった。
唯一、評価したいのは娘ヨンジュ役のウン・ソウ。作品のギクシャクぶりが気の毒に思えるほど、ただひとり熱演している。決して可愛いわけでも顔立ちがいいわけでもないのだが、電話を取ってから変調を来していくくだりは、大袈裟ではあるが理想的に近いホラー女優の演技となっている。肝となる呪いの根源となった人物を演じている役者などより遥かに迫力はあった――が、それ故に全体が低レベルの作品のなかで浮いてしまい、滑稽に映るのが本当に気の毒で仕方ない。
それなりに海外のホラー作品を研究していると見えて、子役含め部分的にはツボを押さえた描写があるものの、全体の恐怖を盛り上げていくうえで呆れるほど役立っていない。
試写会で鑑賞させていただいたのだが、上映前のアナウンスでは『呪怨』を超えると言ってみたり、プレスシートの出演女優紹介では『ユージュアル・サスペクツ』『シックス・センス』のようなサプライズがあると本編を評しているあたりには首を傾げるほかない。本気ならば、監督俳優ともに映画、ひいては作劇法自体を勉強し直した方がいいだろう。『リング』の束縛から逃れるのに苦労した、とプレスシートにはあるが、縛られていた方がまだまともな出来になったはず。
基本的にいいところを中心に拾い上げて、それで認められるならば認められる論調で、というのが私が映画の感想を手掛けるうえでの態度なのだが、今回は無理。ホラー映画にまったく免疫がなくなるべく軽いものから観てみたいとか、そういう女の子を連れて行って怯えさせたいという下心がある御仁には有用かも知れないが、本気でホラーを堪能したいなら他に出来のいいものが沢山あります。韓国でもこの二年ほど前に制作された『少女たちの遺言』のほうが遥かにまとも。どうして『スターウォーズ episode II』を抜くほどのヒットになったのか、まったく理解できません。
楽しむための一番簡単な方法は、期待しないことだろう、たぶん。そして複数で鑑賞して、あとあと心ゆくまで話の肴にしてください。私はそうしたしこれからもそうする。余談も苦言というのは非常に心苦しいのだが、でも書いておかないと対応してくれない気がしたので書いておく。
韓国語なので字幕の出来は基本的に詮議できないのだが、それでも言いたいことがある。
携帯電話に表示される発信者名や看板など、多少なりとも本編に関わりのありそうな箇所はすべて字幕で見せた方がいいと思う。表示されているのに読めない、という箇所が沢山あって苛立つことしばしばだった。どーも日本での編集中に色々とあったらしいが、んな詰まらない怪奇現象に煩わされたことを喧伝する前に、もうちょっと配慮してください。(2003/02/19・2004/06/26追記)