cinema / 『笑の大学』

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笑の大学
監督:星 護 / 原作・脚本:三谷幸喜 / 製作:亀山千広、島谷能成、伊東 勇 / 企画:石原 隆 / プロデューサー:重岡由美子、市川 南、稲田秀樹 / アソシエイトプロデューサー:小川 泰、佐藤 玄 / ラインプロデューサー:前島良行 / 音楽:本間勇輔 / 撮影:高瀬比呂史 / 美術:清水 剛 / 照明:小野 晃 / 録音:田中靖志 / 装飾:高畠一朗 / スクリプター:外川恵美子 / 監督補:加門幾生 / 制作担当:牧義 寛 / 出演:役所広司、稲垣吾郎 / 製作:フジテレビ、東宝、パルコ / 製作協力:共同テレビ / 配給:東宝
2004年日本作品 / 上映時間:2時間1分
2004年10月30日公開
2005年05月27日DVD発売 [スペシャル・エディション:amazon|通常版:amazon]
公式サイト : http://warainodaigaku.nifty.com/
日比谷映画にて初見(2004/11/13)

[粗筋]
 時は昭和十五年、日本全体が戦争へと向けて不穏な気配を孕みはじめた頃。
 満州で思想統制に携わっていた向坂睦男(役所広司)が日本に呼び戻され就かされた役職は、検閲官。自他共に認める「笑いを解さない人間」である向坂だが、そういう人間こそ相応しいと上司に諭されやむなく任に赴いた。
 大挙するくだらない台本、思想性の色濃い脚本を生来の生真面目さで一刀両断していく向坂だったが、そんな彼の前に一風変わった男が現れる。青空貫太(小松政夫)が座長を務める浅草劇場街の劇団“笑の大学”の座付き作家・椿一(稲垣吾郎)である。
『ジュリオとロミエット』という、かの名作を露骨にもじった内容と西洋人を主人公にした下らない作りに激昂した向坂は、登場人物と設定をすべて日本に置き換えろ、と無理難題を示す。だが椿はたった一晩でそれを『貫一とお宮』に改稿、無理に手を加えたことで更におかしみが増した、と喜びさえする。困惑しながらも向坂は更に無理難題を突きつけるが、椿はそれを乗り越えて新しい“笑い”を作品に盛り込んでいく。はじめこそ苛立っていた向坂だったが、次第次第に椿の熱意にほだされていき、取調室でのふたりのやり取りはいつしか検閲ではなく、更なる笑いの追求に変貌していった……

[感想]
 いつもより粗筋が淡泊なのは、この可笑しさは変に詳述するよりは実地に確かめた方がいいと考えたから。笑いを解説するというのは、基本的には無粋な行為に類する。
 この作品の凄いところは、その野暮な行いをベースに喜劇を構成していったことだ。喜劇作家・椿が相手にするのは、これまでの人生で一度として心から笑ったことがないと標榜する検閲官であり、椿は自らの脚本の狙いとその笑いどころを様々な手を尽くし解説する必要に迫られる。だが、その検察官・向坂の朴念仁ぶりが、ある意味で彼同様に生真面目すぎる椿の個性と噛み合ったとき、従来の喜劇のラインを踏まえながらも一風変わった笑いを生んだ。
 物語は大半、取調室を舞台にこのふたりの会話のみで成立する、いわゆる密室劇の体裁を取っている――その限定された状況で緊張感と絶え間ない可笑しさを表現しているあたりが、舞台作品として高い評価を受けた一因なのだろうが、それ故に映画では動きに乏しくなる嫌いがある。そこを本編の監督は、随所に舞台の再現を導入したりという小技とともに、カメラのほうを極限まで動かすことで拡がりを演出してしまった。実際に、舞台の様子を描いた場面はあまり多くないのに、取調室での雄弁なカメラワークと、役者ふたりの文字通り画面狭しと駆け回る八面六臂の活躍によって、実際以上に世界を大きく見せているのだ。
 その中で展開する、知的ながらも下らなくておかしいやり取り。終盤で見せる、突如として緊迫する空気と、それを乗り越えて出来する感動的なクライマックス。『古畑任三郎』で強烈な存在感を示すテーマ曲を制作した本間勇輔氏による音楽もまた、時代背景と雰囲気に良く馴染んで作品世界を盛り上げている。トータルバランスに優れ、あますところなく楽しい出色の喜劇である。

 本編に登場する、“笑の大学”座付き作家・椿一は、稲垣吾郎のどこか浮世離れした所作も手伝って、何やら一風変わった雰囲気を漂わせている。その印象を更に強めているのは、チェックの背広に蝶ネクタイという独特のいでたちだ。
 ふと気づいたのは、本編の原作・脚本担当である三谷幸喜氏が、チェックの背広まではいかないが、よく蝶ネクタイを締めていること。初の連続テレビドラマである『振り返れば奴がいる』やコロンボ風の推理もの『古畑任三郎』、史実を大胆に脚色した今年の大河ドラマ『新選組!』など決して縛られてはいないものの、氏は従来から喜劇作家であることに自負を持っている節がある。もしかしたら、蝶ネクタイとは氏がイメージする喜劇作家に欠かせぬ小道具なのかも知れない――が、そこに稲垣吾郎を宛がうのはちょっと美化しすぎという気がしなくもない。

(2004/11/13・2005/05/27追記)


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