cinema / 『8月のクリスマス』

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8月のクリスマス
監督・脚本:長崎俊一 / 映画『八月のクリスマス』(ホ・ジノ監督/1998年韓国作品)に基づく / エグゼクティヴ・プロデューサー:三宅澄二、森川欣信 / プロデューサー:小松万智子、千村良二 / 撮影監督:長田勇市,J.S.C. / 美術:花谷秀文 / 録音:武進 / 編集:阿部亙英 / 照明:祷宮信 / スタイリスト:村吉由紀 / VFXプロデューサー:石井教雄 / 音楽プロデューサー:穂苅太郎 / 音楽:山崎まさよし / 主題歌:山崎まさよし『8月のクリスマス』 / 出演:山崎まさよし、関めぐみ、大倉孝二、戸田菜穂、井川比佐志、西田尚美、野口雅弘、諏訪太郎 / 配給:東芝エンタテインメント
2005年日本作品 / 上映時間:1時間43分
2005年09月23日公開
公式サイト : http://www.8xmas.com/
シネ・リーブル池袋にて初見(2005/09/23)

[粗筋]
 北陸の長閑な町の一角に、昭和の雰囲気を残した趣のある写真館が佇んでいる。経営しているのは、いまは隠居した父・鈴木雅俊(井川比佐志)からこの仕事を受け継いだ寿俊(山崎まさよし)である。デジカメプリントを導入しながらも、子供達に親しまれ、昔ながらの家族写真やパスポート写真の撮影もこなし、地元に根付いている。
 友人の葬儀を訪れた帰り、寿俊が店の様子を見に来てみると、ひとりの女性が慌ただしく駆け込んできた。地元の小学校で臨時教員として働いている彼女、由紀子(関めぐみ)は訳あって急ぎで焼き増しを頼みに来たのだが、友人の死にかなりの衝撃を受けていた寿俊は「あとにしてほしい」と断ってしまう。だが、由紀子は無理矢理フィルムを押しつけていくと、店から見える場所にあるベンチで拗ねて待っている。いっそ無邪気といってもいい態度に根負けして、寿俊は缶ジュースと一緒にお詫びの言葉を届けるのだった。
 そんな初対面が印象的だったせいか、由紀子は何くれとなく店を訪れては、寿俊と他愛のない会話をしていくようになった。臨時教員ゆえの苦労を傍目に察した寿俊は彼女を優しく気遣い、由紀子も次第に心を許していく。
 しばらく前に母を亡くし、父とふたり暮らしの寿俊の家にはときおり、嫁いでいった妹の純子(西田尚美)が訪れて、家事の手伝いをしていくのが習いになっている。あるとき、純子は幼馴染みの佳苗(戸田菜穂)が実家に戻っていることを告げた。かつて寿俊の恋人であった佳苗は、別の男と結婚したものの、家庭の不和としばしば夫の暴力に悩まされているという。それとなく、寿俊がまだ彼女に未練を残しているのでは、と態度を窺う純子だったが、寿俊は曖昧に応えるだけだった。
 ある日、当の佳苗が写真館を訪れてきた。ごく自然な態度で迎える寿俊だったが、ちょうどそこへ、しばらく前の出来事のお礼として花を携えた由紀子がやって来る。寿俊と佳苗のいかにも親密そうな雰囲気にショックを受けた由紀子は、ろくすっぽ話もせずに帰ってしまった。その日、寿俊は佳苗の頼みに応じて、写真館の窓際に飾ってあった、学生服の佳苗と純子を収めた写真を取り外す。
 頼まれた写真を届けに由紀子の勤務先である小学校を訪れた寿俊は、そこで初めて彼女の仕事する姿を目にする。先日、佳苗と親しげだった寿俊の姿に感じた苛立ちをまだちょっと引きずっていた由紀子は彼をバスケットコートに誘い、運動不足気味の寿俊に意地悪をする。が、そのせいで筋肉痛になっていないかと心配になった由紀子は明くる日、アイスクリームを抱えてまた写真館を訪れるのだった。
 寿俊には亮二(大倉孝二)という、学生時代からの悪友がいる。ある晩、亮二を飲みに誘った寿俊は、冗談めかして「おれ、もうすぐ死ぬんだ」と告げる。悪趣味な言動に怒るふりをする亮二だったが、しかし酔っぱらった挙句に喧嘩沙汰を起こし連れこまれた警察署で、突如「俺は何もやってない、どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだ」と喚きだした親友の様子に、言葉を失う。
 ――寿俊は、まだ誰にも告げていなかったのだ。自分がもうじき死ぬ運命にあるということを。

[感想]
 生憎と私は本編の原作となった韓国版『八月のクリスマス』を鑑賞していない。韓国映画に苦手意識がある、というのとは関係なく、公開された時期も映像ソフトになったのも本格的に映画を観始める以前だったから、というだけの話で、いわゆる韓流ブームの先駆けとなった原作についてはいずれ機会があれば観てみたい、と念じつつも今日まで実現しなかっただけに過ぎない。
 そんなわけで、骨子を除いてはほとんど予備知識も先入観もない状態で鑑賞した本編であるが、基本的な要素に手を入れていないというのを信じるとするなら――なるほど、評価が高いのも納得がいく。静謐でありながら情感豊かで、ひしひしと胸に迫ってくる物語である。
 全体としては地味な印象が否めない。まず主人公は、死を間近に控えたとはとても思えない――いや、だからこそなのか、仙人然とした悟りの境地にあるように飄々と日々を送っている。そんな彼の生活や、関わる人々、町の情景に至るまで、これといって耳目を惹くような事件が起こるわけでもなく、淡々と過ぎていく時間を切り出しているだけの場面の数々は、設定から直観的に想像するような切迫感や胸を衝く哀しみとはまるで無縁に見える。まず、そうした情景描写に魅力を感じられないと、地味どころか作品そのものに“退屈”という烙印を押してしまう観客も恐らくあることだろう。
 しかし、死の宣告を周囲にひた隠しにし、穏やかにその時を迎えることを決意した主人公の日常は、それ自体が貴重で切なく、淡々とした日々のふとした拍子に激情や、それを懸命に堪えようとする姿が浮かび上がってくるさまが余計に胸に沁みてくる。たとえば、粗筋の締めにした親友との一幕とその後の出来事などは実に味わい深い。そこだけ切り出せば単なる漫然とした日常に過ぎないのだが、この物語のなかに当て嵌めることで、まったく違う価値を備えてくる。
 実のところ、本編はそのすべてがそうした効果を狙って構成されているのだ。丹念に日常を積み上げていくからこそ、時折滲み出す死への恐怖、喪うことへの恐れが痛切に伝わってくる。序盤での日常描写がしっかりしているからこそ、お互いに想いを寄せ合ったふたりの何気ない所作が、ふたりの身に起きた変化やその穏やかでも強い感情を浮き彫りにさせているのだ。
 クライマックスにしても、決して涙を強要するような過剰な演出はしていない。その瞬間は静かに訪れ、人々の上を過ぎ去っていく。残された人々の姿と、彼が残していったものを静かにカメラが捉えて、幕が下ろされる。謙虚なラストシーンは一瞬こちらを戸惑わせ、しかしやがては暖かい気持ちにさせてくれる。
 正直に言うと、観終わった時点の感想は、「まあ、こんなものかな」という感じだった。だが、感想を書き上げるために場面のひとつひとつを振り返り、検討していくうちにじわじわと余韻が深まり、評価が高まってしまったことに自分でもちょっと驚いている。観た瞬間の印象に惑わされず、心の中で幾度も反芻してようやく本当の味わいが滲んでくる、これはたぶんそういう映画なのだ。もし観終わったあと、退屈だった、いまいちだった、という印象を受けられた方があるなら、ヒロインの不器用でどこか幼稚だけど真っ直ぐな言動、主人公が自らの死に備えて行う諸々とその結果、またそれに対する家族や友人の反応を顧みて、いまいちどその優しさに触れてみることをお薦めしたい。たぶん、とても好もしい作品に思えてくるはずだ。

 役者に触れるタイミングを逸してしまったので、末尾にて軽く言及しておきたい。
 これが久々の映画主演となる山崎まさよしは、本業でないせいもあるが却って自然体の表現が出来ており、仙人然とした寿俊のイメージをよく再現している。その友人を演じた大倉孝二や父親役の井川比佐志、妹の西田尚美も、それぞれ登場シーンこそ少ないが、だからこそ貫禄の演技でいいアクセントを添えている。
 特に素晴らしいと感じたのは、ヒロインを演じた関めぐみである。このキャラクター、かなり天真爛漫すぎて、やもすると厭味な印象を与えかねないが、それを絶妙な匙加減で愛すべき無邪気さに留めているのは、彼女の大きな目に象徴される凜とした存在感に負うところが大きい。既に成人して臨時とはいえ教職に就きながら、せいぜい十歳そこらしか違わない主人公を「おじさん」と呼んで憚らなかったり、見知らぬ女性と親しげにしている姿に拗ねてしまう姿がさほど違和感を齎さず、けっこう可愛く見えてしまうのは実に見事だった。今後『笑う大天使』や『ハチミツとクローバー』といった話題作への出演が決まっているとのことだが、そちらも楽しみにしておきたい。

(2005/09/23)


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