cinema / 『真夜中の弥次さん喜多さん』

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真夜中の弥次さん喜多さん
原作:しりあがり寿 / 監督・脚本:宮藤官九郎 / エグゼクティヴ・プロデューサー:椎名 保、藤島ジュリーK.、島本雅司、吉田博昭、長坂まき子 / チーフ・プロデューサー:豊島雅郎、小川真司 / スーパーヴァイザー:柘植靖司 / プロデューサー:宇田 充、藤田義則 / アソシエイト・プロデューサー:原藤一輝 / 撮影:山中敏康 / VE:宇津野裕行 / 照明:椎原教貴 / 美術:中澤克巳 / 録音:藤丸和徳 / 整音:浦田和治 / 編集:上野聡一 / VFXスーパーヴァイザー:田中浩征 / VFXプロデューサー:曽利文彦 / 音楽プロデューサー:安井 輝 / 音楽:ZAZEN BOYS / 劇中歌:富澤タク / 製作:アスミック・エース・エンタテインメント、ジェイ・ストーム、カルチュア・パブリッシャーズ、ティー・ワイ・オー、大人計画 / 出演:長瀬智也、中村七之助、小池栄子、阿部サダヲ、柄本 佑、森下愛子、岩松 了、板尾創路、竹内 力、山口智充、清水ゆみ、ARATA、荒川良々、中村勘九郎(勘三郎)、生瀬勝久、寺島 進、大森南朋、古田新太、松尾スズキ、楳図かずお、毒蝮三太夫、妻夫木聡、麻生久美子、研ナオコ / 配給:Asmik Ace
2005年日本作品 / 上映時間:2時間4分
2005年04月17日公開
公式サイト : http://yajikita.com/
池袋シネマサンシャイン五番館にて初見(2005/04/14)

[粗筋]
 弥次さんこと弥次郎兵衛(長瀬智也)と喜多さんこと喜多八(中村七之助)は花のお江戸でディープに愛し合うホモの恋人同士。が、弥次さんはお初(小池栄子)というれっきとした妻があり、一方の喜多さんは重度の薬物中毒とそれぞれに悩みを抱えている。騒動には事欠かないが“リヤル”を実感できないお江戸にうんざりしている喜多さんを見かねた弥次さんは、すべての苦しみや困難が昇華するというお伊勢への旅を提案する。
 バイクでかるーくひとっ走り、すぐさまお伊勢着……かと思いきや妙に時代考証に細かい岡っ引き(寺島 進)に見咎められてお江戸に舞い戻り、すごすごと徒歩にて東海道を旅するふたりが最初に辿り着いた関所は箱根。が、ここの関所がいきなり曲者であった。笑いが取れないものは関所を越える資格なし、として、奉行・木村笑之新(竹内 力)の厳しい審査をクリアしないことには抜けられないことになっていたのだ。奉行のお通りの最中、ヤクの禁断症状を起こした喜多さんとそれを抑える弥次さんの姿を素晴らしいボケとツッコミだと誤解され笑之新に注目されてしまったふたりは勢い、必死になってネタを仕込もうとするが、笑之新の目は誤魔化せなかった。弥次さんには通行許可が下され、一方の喜多さんは押し止められ――ふたりは旅の冒頭にしてあえなく引き裂かれてしまう。
 禁断症状に苦しむ喜多さんを思って用足しを堪えてみる弥次さんであったが、救いの手は意外なところで差し伸べられる。ひとり枕を涙に濡らしていた宿で見た夢の中、喜多さんが辿り着いたのは妙なお座敷。そこでやはりヤク中が原因で足止めを食わされた浪速の芸人ホット(板尾創路)と対峙させられた喜多さんは、隈取りをした奉行から妙なクイズを出される。スケスケの箱の中に入っているものを当てろ、という奇妙な問題だったが、箱の中に入っていたのは、ドラッグだった。弥次さんとの約束を思い出して必死に堪える喜多さんに対し、ホットは幻覚に屈して薬を口にしてしまった――気づいたとき、喜多さんは関所を越えて、弥次さんに追いついていた。
 一方その頃、お江戸ではまたしても大きな騒動が持ち上がっていた。弥次さんが留守にしていた長屋で発見されたのは、ほかでもないお初の屍体。町奉行の金々(阿部サダヲ)は部下呑々(柄本 佑)から得た情報をもとに、三角関係のもつれから喜多さんか弥次さんが殺したと推理、お伊勢参りに赴いたというふたりを追って東海道に旅立つ。
 そんなこととは露知らず、喜多さんは道中、逢ったこともない清水の次郎長に憧れて待ち伏せていた“喜び組”に思わず加わってしまったり、そんな“喜び組”の一同がなぜか次郎長ではなく弥次さんに一目惚れしてしまったり、などと妙な騒動に巻き込まれつつも着々とお伊勢に近づきつつあった。が、次なる中継地、名峰富士の絶景が拝める吉原にて、ふたりの“愛”に思いもよらぬ試練が降りかかる――

[感想]
 こーいうのも幸福な結婚と呼べるのでしょうか。原作は、およそ映像化とは最も縁のなさそうな特異すぎる作風のしりあがり寿。脚色と監督は、随所に笑いを盛り込みながら企みに満ちたストーリーを編み上げることで人気を博した脚本家・宮藤官九郎が手がけている。かなり突拍子もない発想を披露してくれる宮藤氏が脚色と演出とを担当したことによって、原作に勝るとも劣らぬ無茶なアイディアとストーリー展開が正当化され、原作の不条理性の背後に隠された深甚なテーマも巧妙に織り込まれた、理想的と言ってもいい映像化が実現された。
 ……と堅苦しく書いてはみたものの、基本的には“笑い”に拘りを見せる宮藤官九郎らしく、終始ニヤニヤさせられっぱなしのやり取りと映像世界は、あんまり込み入った思考を必要とさせず、肩の力を抜いて楽しめる。まず弥次さんの夢という形で描かれる出来事の妙さ、旅立ち直後のロックミュージカルもどきの歌えや踊れの大騒ぎ、いちどバイクで出発してはみたものの「いま何時代だか解ってんのかてめえら」という岡っ引きに引き留められて、目的地の手前で逆戻りさせられて徒歩にて再出発する。ようやく関所に辿り着いたと思えば、笑いなくば通さず、という珍妙な方針に苦しめられる旅人の姿がある。ほとんど切れ目なく繰り出される変な出来事の数々に、半ば弛緩したよーな表情になってしまうこと請け合いである。
 しかも使っている役者が憎い。ワンシーンしか登場しない瓦版売りのおっさんが生瀬勝久だったり、“笑い”を強要する関所の奉行が『ナニワの帝王』の竹内 力だったり、訳もなくヒゲのおいらん姿で(しりあがり作品を知っているならここも笑いどころ)熱唱しているのが松尾スズキだったり、とそれぞれのキャラクターを存分に活かしながらも瞬く間に消えていくという使い方が贅沢だ。実は本編は中村七之助とその父・中村勘九郎(今年三月に勘三郎を襲名)の映画初共演作でもあるのだが、それがあんなシーンで果たして良かったのか。撮影後に現実で起きた出来事を思うと、リンクしているようでちょっと気持ち悪い。
 ま、それはともかく、そんな感じに役者とアイディアをやたらと注ぎ込んで構築された“笑い”の随所に、ちゃんと物語としての幕を下ろすために必要な伏線を鏤めているのが見事だ――と言っても、実はこの宮藤官九郎という人は、深く考えているようでいて基本的には思いつきでシナリオを書いていて、それをあとの展開によって多少無茶でもフォローしてしまうあたりに味があるのでは、と個人的に見ているのだが、本編もまたそういう組み立てをしている印象がある。特にラストの異様なヴィジュアルは、序盤のある人物の台詞があったために生まれたのではないか、と邪推しているのだが如何か――仮に読みが当たっていたとしても、そのおかしみが減じるわけではないので何ら問題はないのだが。
 何にしても、笑いと哲学的なストーリーの構築に不可欠な伏線と象徴とをあちらこちらに鏤めて、それを必要なものは回収して、説明する必然性のないものは放棄して想像の材料に供しているあたり、実によく弁えた脚本であることは間違いない。冒頭、「考証が甘い」と弥次喜多を連れ戻す岡っ引きなんてものを出したわりには終始考証は意図的に雑なままだし、時間と距離感が甚だ無茶苦茶ではあるが、そんなことに拘りすぎては楽しめまい。
 そうして徹底的に楽しむのがいい映画だが、出来れば終盤で主要登場人物たちが見せる繊細な演技と、深みのある場面場面をきちんと分析しながら見て欲しい、とも思う。特に、偽の弥次さんと戯れる喜多さんの切羽詰まった様子、すべてが書き割りになってしまった場面の切ない表情。弥次さんとある人物との神妙なやり取りなど、VFXを駆使した滑稽な描写に埋もれ気味だが、演出にはかなりの細やかさを感じさせる。その中でも、回想シーンにおける小池栄子の演技は鬼気迫るものがあり、かなりの見せ場と言えるだろう。
 相変わらずの癖とテクニックとを感じさせる厚みのある脚本に、初監督としてはなかなか堂に入った演出、粒の揃った俳優陣がそれを支えた本編、やはり漫画と映画との幸福な結婚、と表現して差し支えないのではないでしょうか。
 ――ひとつだけ注文をつけるなら、宮藤作品の常連である曲者俳優・阿部サダヲにもーちょっと活躍の場が欲しかった。いや、充分に活躍しているといやそうなんですけどね。

(2005/04/15)


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