cinema / 『座頭市』

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座頭市
監督・脚本・編集:北野 武 / 企画:齋藤智恵子 / 原作:子母沢寛 / プロデュース:森 昌行、齋藤恒久 / コ・プロデュース:黒田正典、吉田多喜男 / 撮影:柳島克己 / 美術:磯田典宏 / 衣装:黒澤和子 / 衣装監修:山本耀司 / 音楽:鈴木慶一 / タップダンス指導:THE STRIPES / 出演:ビートたけし、浅野忠信、大楠道代、夏川結衣、ガダルカナル・タカ、橘大五郎、大家由祐子、岸部一徳、石倉三郎、柄本 明 / 製作:バンダイビジュアル、TOKYO FM、電通、テレビ朝日、齋藤エンターテイメント、オフィス北野 / 配給:松竹、オフィス北野
2003年日本作品 / 上映時間:1時間56分
2003年09月05日公開
公式サイト : http://www.office-kitano.co.jp/zatoichi/
丸の内プラゼールにて初見(2003/09/27)

[粗筋]
 座頭市(ビートたけし)、盲の按摩にして居合の達人。旅の道中、縁あっておうめ(大楠道代)という女性の手助けをし、しばらく町はずれにある彼女の家に厄介になった。
 おうめが商売をしている宿場町では最近、銀蔵(岸部一徳)率いる一家が幅をきかせ始めている。ここ数年に台頭してきた連中で、古いヤクザや商家を倒しては版図を拡大していた。あまり場所に近づくな、というおうめは市に忠告するが、按摩は飄々と笑って博打に出かけていった。
 同じ頃、宿場町に二組の剣呑な気配を纏った旅人が現れた。一方の服部源之助(浅野忠信)はかつて某藩の剣術師範代として奉職していたが、今はさる事情から浪人となり、病弱な妻おしの(夏川結衣)を連れて各地で用心棒として雇われながら糊口をしのいでいる。この宿場町で、服部は銀蔵一家に仕事の口を求めた。
 もう一方のおきぬ(大家由祐子)とおせい(橘大五郎)のふたりは旅芸者を装った盗賊であり、かつて米問屋として栄えた家の者を皆殺しにした連中への仇討ちを胸に秘めた姉弟であった。ある時はおせいが男娼として客を取り、あるときは座敷で財布を掠め取って金を稼ぎながら、通称しか知らぬ仇「くちなわの親分」らの一味を捜し歩いている。ふたりは手がかりを求めて、この宿場町にひととき身を寄せた。
 賭場に現れた市は、優れた聴覚を駆使して賽の目を的確に見抜き、着実に勝ち続ける。そんな彼にいち早く気づいたのが新吉(ガダルカナル・タカ)、おうめの甥で博打に狂って身を持ち崩しているチンピラだった。市の読んだ目に乗って荒稼ぎした新吉は、感謝の気持ちもこめて市を色町まで連れ出す。そんなふたりに、おきぬとおせいの姉弟は目をつけた。
 連れ立ってあがった座敷で、しかし市はふたりが真っ当な芸者ではないことを簡単に見抜いた。観念して事情を打ち明けるふたりに、新吉は盛んに同情し、いつの間にか四人のあいだには妙な絆のようなものが生まれていた。
 銀蔵一家はいよいよ気勢を上げ、横暴ぶりも顕著となっていく。そんな中で、事件は起こるのだった……

[感想]
 効果音とともにいきなりタイトルロゴが示されるのに驚いた。道端で腰を下ろしくつろいでいる座頭市のもとに、因縁のあるらしい男達が姿を現し、早くも最初の立ち回りが始まる。巧みな呼吸に引き込まれたが最後、ラストシーンまで引きつけて離さない。
 実のところ、ストーリーはそれほど込み入ったものではなく、いちおう秘密はあるのだが制作者自身積極的に隠そうとしておらず、あっさりと看破することが出来る。逆に、単純だがあまりに多くの過去をきっちりと描こうとしてしまったが故に、少々整理が雑な印象を受けた。
 特に、唐突に過去の出来事が挿入されるため、しばしいまどの時制で語られているのかが判断できなくなる。また一部だが、とってつけたような印象があることも否めない。その最たるものが、中盤に挿入される市の立ち回りである。冒頭と、賭場での一幕を除いて、市が圧倒的な強さを見せつける場面が少ないせいもあって作品的には肝となっているのだが、筋運びとして眺めると明らかに浮いている。
 だが、こう書いておいて何だが、観ているあいだそうしたことはほとんど気にならなかった。立ち回りのみならず、随所に観客を楽しませよう、というサービス精神が満ちあふれていて、整理の悪さや考証のうえでのミスを(多分に意図的ではあるのだが)意識しないのだ。
 時代劇だから、と構える必要は全くない。その顕著な象徴が、随所で登場するタップダンスである――と言っても、普通のタップとは当然ながら趣が異なる。初めてそれがスクリーンに登場するのは序盤、市と銀蔵一家の行列がすれ違う場面である。四人の農民に扮したダンサーは足でリズムを刻むのではなく、BGMに合わせて鍬を振り上げ耕し、その動作による音をパーカッションとして音楽と一体になっている。この趣向は作品を通して何度か登場し、エンディングの総勢六十人によるタップダンスを導入した祭りの風景に繋がっていく。時代劇とタップダンスという取り合わせ、ただ話を聞いただけでは違和感を覚えるが、それを取り除くために作品のリズムとしてあちこちに導入していく手管はなかなかに巧妙だ。そして、祭りのリズムと大人数によるタップダンスの高揚感は、頭で考えるよりも遙かによく合っている。
 加えて、ちょこちょことお笑いの要素が交えてあるのもいい。訳もなく家のまわりを走り回る男に市が後ろ手に薪を投げつけたり、市の真似をして目をつむって博打に出てみた新吉が痛い目を見たり、血が多く流れ殺伐とした物語に、タップダンスとは別の形でリズムを与えている。
 そうした絶妙のバランス感覚に支えられた、時代劇の方法を借りた上質の娯楽作品。従来の北野作品に苦手意識のある人でも楽しめるはず。迫力の立ち回りと圧巻のタップダンスを堪能するために、なるたけなら劇場で鑑賞することをお勧めします。

 実は劇場で北野作品を鑑賞したのはこれが初めてだったりします。『BROTHER』も『Dolls』も観るつもりだったのですが、何故かタイミングを外しがちで……。

(2003/09/29)


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