暗い、長い洞窟があった。
視界は黒一色。
己が手にすら質感が持てない闇が、どこまでも広がる。

しかし音は聞こえていた。
この耳にかろうじて届く音を頼りに、私は洞窟を進んだ。



・・・その音は何だったのだろう。

その音は何故、あの場に響いたのだろう。


そして私は思考というものを知った。

そして私は思い出を紐解いた。

そして私は、自分と、世界と、・・・光を思い出した。










石牢の王 〜光葬〜








この世は生きる限り、喪失の連続なのですよ。
そういうものだと割り切らねば生きていけぬことが溢れている。
それも確かな現実です。
何故、そのようなことに貴方はそれほどまでに憐憫の情を催すのでしょうか。
貴方がそのような方だから、・・・私たちはここまでこれたのでしょうが。
しかし、それは困難な生き方です。
貴方は今や、美しいものだけを見ていけるようになられたというのに、何故そのようなことしか出来ないのでしょう。
貴方は、そういう方です。
そして、そんな貴方だからこそ、私たちは。
・・・・・・私は・・・。




(・・・この性分は、おそらく死んでも捨てられまい・・・。)
いつの間にか開いていた瞼から、冷たいものが流れた気がする。
乾いた唇が引きつって戦慄いたが、その感触はもう彼自身に感じられなかった。

ファラミアは視線だけを移動させ、天蓋を見上げた。
まるで黒いものに押しつぶされそうな感覚に見舞われ、思わず苦笑する。
自分が損な性格だとはとうに解っている。そのせいで今まで散々苦労したのだ。

父親が自分をあのように扱ったのには、この性格によるものが大きいのだと感じていた。子供の頃から現実的な考えばかりしていたことにはそれなりの理由がある。役割はそれぞれにあると思ったのだ。兄が剣を磨きたいというならば、自分はそれを補う能力、兄が安心して自らの鍛錬をしていられるような能力、そして後々には双璧として父を支えていけばいいと、最初はそう思った。
しかしその考えは誤解を招き、父は息子を過小評価した。いや、おそらくはどこかで真実を悟っていたのだろう。しかし手放しで全てに理解を示せるほど、父は寛大ではなかった。おそらく、傷を負っていたこともあるのだろうが。

(・・・ああでも結局、父上は兄上が大好きなだけだったのかもしれないな。・・・あの人は誰にでも愛されたから)
思って、苦笑する。
きっと。
あの人もそうだったのだろう。
次の瞬間には彼の顔はゆがんでいた。
こんなときも、脳が訴えてくるのはただ一人。

どうか、誰かあの方を。
どうか、誰かあの方を。
一目でいいから、再び相見舞わせて欲しい。

しかしそれを望んではならない。
そうしてあの人がどうなるのかは、自分の負える範囲を大きく越えてしまうのだ。
しかし、僅かな期待も捨てられない。
こんなところまで父に似てしまうのかと、妙な所で繋がりを感じてしまう。


・・・ああ、あの人はもう戻ってこないというのに。

(・・・思い出)

それで行くとしよう。
大丈夫。
私はあの方との思い出だけで幸せを感じられるのだ。
・・・私は大丈夫。
それで逝くとしよう。


彼は深く目を閉じた。
体の上で合わせた両手。その指に力を込める。

(思い出。思い出・・・。・・・・・・いや、)

奥歯が噛み合わさって、不快な音を立てた気がした。

(いや、これは…。死に逝く為の走馬灯ではない)


これは……未練だ。













「昔話をしないかファラミア」

この国の、ゴンドールの朝を告げるトランペット。
白い都を鋭い東からの光と、柔らかくも力強い楽器が包み込む。
全ての始まりは、楽の音からだった。この時空から、美しい世界から、暗黒の世界まで。力ある楽の音は創造をもたらし、次につなげていくのだ。

その清々しい音色と同じ声が、暗い部屋に響く。
それは横たわるファラミアには悪魔の甘言にしか聞こえない。その声が耳に届くまで彼の心は穏やかなものだったのだ。少なくとも、彼はそう思っている。

ファラミアはゆっくりと目を開いた。
そこに光はない。あるのは暗闇だけだった。これから見慣れてしまう、これから見続けるであろうものだ。

だが傍にチラリと輝くものを見つけて、彼は知らず身震いしてしまった。
それは、彼の王の横顔だった。
すらりと伸びた鼻梁はこちらを向かず、ファラミアに右肩を向けて遠くを見ている。いつの間に入室したのか全く解らなかった。寝台の横に放置されていた重い椅子を動かす音も聞こえなかったし、気配もない。現に今も彼の王が隣にいるという実感がまったくないのだ。人間が持ちうる叡智を備えた執政が幽鬼ではないかと疑うほどに、王には生を示すものがなかった。

ファラミアの思考が、完全に自分に向けられたことを悟ったのだろう。
王はゆっくりと振り返ると、やはり音もなく立ち上がって椅子の上に座りなおした。今度は体をファラミアに向けている。
その瞳は灰色がかった青で、まるで星々が閉じ込められたかのような光を宿している。驚くほど長い、色素の薄い睫が影を落としていても、その光を遮断することは出来なかった。

ファラミアは息を吐き出した。
やはり、目の前にいるのは幽鬼などではなく、彼が仕える王だ。
・・・何故、そのような考えが浮かんでしまったのだろう。

そしてファラミアは王の言葉を反芻し、理解したと同時に重いため息が漏れる。
昔話と、王は言った。
だが、そんなものはもうこの部屋に必要ないのだ。
つい今までファラミアがしていたことを、王は知っているのだろうか?そしてそのせいでファラミアは自身を苛んだことを、王は気付いたのだろうか?
いまや、光も届かぬ部屋で、自分に最も必要なものはただひとつ。
・・・「王がいない」ことだ。


「王よ。私が唯一人、生涯の忠誠を誓った、偉大なりし王よ。・・・私は、この先を見とうございます。・・・昔などではなく」
言葉に込められた皮肉に気付いたのだろうか。告げると、王は俯いて一度視線を落とし、ファラミアの顔を見た。顔は見たが、その瞳を覗き込むことはしなかった。前髪がはらりと額を伝い、王の青白い頬にかかる。

「不安なのか。それとも・・・」
「はい。以前にも、申し上げましたが、新しき旅立ちは不安をも伴います」
無理に遮ったことを、彼の王は気にもしていないように頷いた。
それはまるで、都の経費削減についての進言をしたときなどにみせる反応にとてもよく似ていて、ファラミアは思わず眉根を寄せた。
その瞬間、王は初めてファラミアの瞳を見た。
「・・・・・・・・・。」
ファラミアはその間合いに驚き、息を詰める。
しかし王はそのことにも言及せず、それどころかそれに気付いた風でもなく、目を反らさずに口を開いた。

「もしこれから新しきものを見るとして、それまでの貴方を貴方自身が忘れたならば、素晴らしい光景やその世の美しさも、そうとは思えないのではないかな。」
「・・・・・・・・・。」
・・・何だろう。
以前、王がこのような口調で何かを諭したことがあったような気がする。
「経験は大切なものだろう?貴方が見たこと、覚えていること、そのときに思ったことが、他ならぬ貴方を形作るのだ。」
しかし、それがいつのことなのか思い出せない。
「貴方は美しい人だ。思い出は比較するものではないが、その貴方を貴方たらしめた、貴方の最も美しいと感じた思い出を、聞かせてほしいのだ」
無機質にも聞こえる声音は、何時間も前に訪れたときと打って変わって安定している。
ファラミアはそのことをとても不思議に感じていた。
しかし同時に、我が身と目の前の王を滑稽にも感じて、自嘲めいた笑みが浮かぶ。

「まるで、走馬灯のように、・・・・・・ですか?」
自分への皮肉を込めた言葉だったが、王は真面目な表情で頷いた。
「私は人が走馬灯を見るのはそういうことからだと思いたい。無意識のうちに、己が存在を顧みるのだ。」
ファラミアはこの王の言葉を内心、好感と共感の心境でもって聞いていた。

(・・・美しいのは、他ならぬ貴方でしょう。私の王よ。)
一瞬。
そう伝えたい衝動に駆られるが、彼が少し前に選んだのは、諦観であって希望ではなかった。
そして、何より今の彼にはその勇気がなかった。
なのでファラミアは瞳を閉じ、王をも暗闇に置いて呟いた。

「王よ。如何なされました。私がようやく自分と折り合いをつけたというのに、何故貴方は今頃になってこのような場に参られたのです」
わざと子供を諭すときの口調で語りかける。
すると王の声は僅かな迷いのような、後ろめたさのようなものを乗せて返ってきた。
「・・・すまない。一度逃げ出した者が顔をみせたことに怒りを感じても仕方のないことだ。だが私は、貴方を救いに来たのではない。・・・貴方を後悔させにきたのかもしれん」
ファラミアは何のことかと静かに口を開いた。
「・・・というと?」
王の顔は見えない。

「貴方は、人の思いは受け継がれていくと言っただろう。」
「はい、申し上げました・・・」

確かに、そう言ったのは私だ。

「それは永遠を紡ぐも同じだと。そう言ったな」
「はい・・・。申し上げました、王よ」

かすかな希望を乗せて、私は告げた。

「私は、私を成り立たせているかけがえのない者たちにそれを見たよ。もちろん、ファラミア」

ああ、なるほど・・・。

「貴方の脈は、貴方のエルボロンに受け継がれていた。」



(ああ、そうか。あの時の言葉だったのか)
ファラミアは、目をこじ開けた。
(あの子が生まれたときの、貴方の言葉か・・・)
相変わらず暗闇が広がる室内だったが、隣には、逃げることのない、強い星の光があった。
彼はそのことに大きな安心感を得た。おこがましいのは他ならぬ自分だと自らに言い聞かせながら、王の瞳を覗き込む。
それはやはり星々に彩られ、執政の老いた顔を見ていた。


期待のこもった目を向けられて、王は内心安堵した。
まだ、彼は大丈夫だ。
闇に囚われてはいない。
そのことが、これ以上ないほどに王の心を満たしたのだが、彼は表情に出さなかった。
「息子は、エルボロンは・・・私をなんと・・・?」
震えた声で先を促され、王の感動はますます強まる。

ああ。 貴方たちは、素晴らしい親子だ!
そう叫んで涙したい衝動に駆られる。
王は出来るだけ穏やかに、声が震えぬよう滑らかに、新しい執政の言葉を告げた。


「彼は貴方が大切だと・・・。貴方を愛していると、そう言ったよ。」
「・・・そう、ですか・・・。」
「ああ。」

ファラミアは口を強く閉じて顔を歪ませた。
その瞳に光が溜まり、涙となってゆらゆらと揺れている。僅かに体が震え、嗚咽を漏らさぬためか、口を閉じたまま息を吐いた。視界が河のせせらぎのように揺れたが、それでも目を閉じることなく、彼は頭を僅かに傾けて王を見上げた。
対する王は、慈愛の表情でファラミアを見つめている。
何と切り出していいのか解らず、口を開きかけた瞬間、王が一つ頷いて笑った。

「ああ。誇るべき後継ぎだ」
「・・・・・・・・・。」








どれくらいの時がたったのだろう。
いや、そもそもこの部屋には時など最初からなかったのかもしれない。
王はぼんやりとそのようなことを思って、ファラミアを見下ろしていた。

「・・・・・・もう八十年近く前になるのでしょうか。兄が死んだあと、父は私を蔑みました。」
「・・・・・・。」
兄。
彼の兄。
あの太陽のような人の子。

「それでも私は父を愛し、また父に愛されたいと思っていました」
「ああ。だがデネソール公は貴方を愛しておられた」
それが真実だった。
仕組まれた狂気と不幸の連続に、人間の魂は壊されていく。
矛盾に気付けるか気付けないかはその人次第ではあるのだが、あの時代にそのゆとりが持てたのは、ヌメノールの血が薄いと言われていた・・・彼だけだった。

「・・・人は、大切なものが傍にあるときはたいていそれに気付きません。失って始めて、それをいかに大切に思っていたか気付くのです。・・・子の目で見て、父の人生はまさにその典型でした」
ファラミアは、悲しみと後悔の念で僅かに顔を歪ませ、呟いた。
王はそんな彼の秀でた額に手をやった。
爪の先は冷たいが、手の平は暖かな温もりのある大きな手が添えられて、ファラミアは心地よさげに瞳を閉じる。
王はどこか痛ましい表情で告げた。

「・・・しかしこの世には、何も気付かずに逝ってしまう者も大勢いるのだ」
「ええ。その通りです。」
ファラミアはなおも心地よさそうに目を瞑っている。
「私もそうなるところだった。私を救い上げたのは、きっと貴方だ」
穏やかに言葉の音を紡ぐ。
しかしその言葉を否定するかのように、ファラミアは鋭く瞳を開け、王を見上げた。
「・・・・・いえ。きっと、兄上がそうだったのでしょう」
それはまるで、王になりたての頃、立ち振る舞いを厳しく正された時にとても似ていた。
王は思わずファラミアから手を放してその顔を覗き込む。

「ファラミア・・・」
「私は兄上が歩ませた貴方の足元を僅かに整えただけです。兄は貴方の中で何にも侵しがたい位置にいる。もう、何十年も」
一気に言って、ファラミアは王から視線を外し、自らを嘲った。

(ああ、我が身の、なんと浅ましいことか・・・)
こんなことを王に言って、一体どうするつもりなのだろう。
追い詰めるだけなのだ。
彼を追い詰めて、また永遠の孤独を思わせるだけなのだ。
それは、自分の望んだことではないはずなのに。

王はファラミアの顔から視線を反らすことなく、しかしどこか迷いの残る表情で囁いた。
「ファラミア。聞いてくれるか、ファラミア。」
その声にファラミアは顔を戻し、王を見上げた。
王は視線が合った事にホッとしながらも、決意のこもった眼をしている。


「・・・あの旅は、各々自身との闘いだったのかもしれない。」
「・・・・・・・・・。」
その通りだ。
そしてかの人は負けた。
負けてしまった。

今更何を言うのかと思った瞬間。
ファラミアは彼の王が何を告白しようとしているのかを悟った。

ああ。

「彼は・・・、私は。・・・・・・彼に。ボロミアに、闇に落ちてほしくなかった」
「貴方が心痛める必要はありません。あれは兄の試練であり、・・・兄は敗北したのです。」

ああ、そうか。

「・・・兄は、貴方を抱いたのですね」

ようやく、答えを下さるのか。






「・・・・・・・・。」
王は視線を反らすことこそしなかったが、確かな返事を返すことはしなかった。
だが答えは明白である。
ファラミアは、自分がもっと衝撃を受けるものと思っていた。
しかし感じたのは妙な晴れ晴れしさだった。何故か、とても不思議だった。

「そうですか・・・。ああ、ボロミア。貴方はなんと不敬なことを為したのでしょう・・・」
呟いて、瞳を閉じる。
確かにそう思うのだが、ボロミアを責めることも、王を責めることも、・・・そのような感情は浮かんでこなかった。
ただもう、本当に。
これで本当に、見切りを付けられた気がした。


「違う、違うんだファラミア。あれは、私が悪かった。あのような方法で指輪を否定することなど叶わぬはずだったのに、」
それなのに、王はまた思い違いをして彼の人を庇い、言い募る。
その真摯さに、その思いの深さにファラミアはより一層自分の心が遠ざかっていく気がした。
口にうっすらと笑みすら浮かべて、人事のように囁く。
「王よ。私はなにも貴方方を責めようというのではありません。ただ知りたかったのです。」
「貴方はそれを知り、何をしようというのか?」
ひたと自分の目を見据える王に、ファラミアは重々しい視線を返した。
空気すら重くなる。

「なにも。・・・もう、なにもかもが私の手の届かぬところにあります。それが残された確かな私の死なのです。」
口に出すと、何故か本当に死が眼に見えるもののように思えて、苦笑した。
ああ、そこに確かな死があるのだ。


しかし王はそれを許さなかった。
強引にファラミアの手を握り、強く握り締める。
ファラミアはその感覚に小さく顔を顰め、王の顔を仰ぎ見た。
そして目を見開く。

王の顔には、大きな決意があった。
ファラミアは王が何をしようとしているのか解らなかった。
解らなかったのに、彼の見開かれた目からは自然と何かが伝う。
彼はそれにも気付かず、ただ王の顔を見ていた。




「ファラミア。貴方のような人が絶望を知ってはならない。・・・・・・ファラミア」

懇願するように、何かを切望するように声を発して、王はファラミアの手を静かに放し、身を乗り出した。
それまでの動作は、横たわるファラミアには非常に鈍い仕草に感じられる。彼はぼんやりとした目で王を追っているだけだ。
王は彼の耳元に手を添えると、その額に小さく口付けを落とした。
ファラミアはその一連の動作を、どこか他人事のような感覚で受け入れる。

「ファラミア。そなたに誓約を課そう」
ゆっくりと少し身を放した王の声で、ファラミアは我に返った。
大きく眼を見開くと、熱い涙が。
耳の裏まで伝い落ちる。

王はファラミアの焦点が自分に合ったことを確かめると、威厳のある声で唱えた。



「そなたは偉大なりしエルの御許にて我を待ち、世界が尽き果て新たなる楽の音を奏でしときまで我が身を支えんことを。また、次の選択において我を見つけたとき、そなたを我が魂にて永久に、縛りつけんことを・・・。我はそれを、エルの御名においてそなたに課す」


ファラミアは信じられないものを見る目で王を見上げた。
いま、この王は何と言った。
いま、この王は何と言った?
そんなことはありえないはずだ。
この王に限っては、在り得ないというより考えすら浮かばない。
色々なものが混じった、しかし最も強い感情は「混乱」で見上げてくるファラミアに、しかし王の反応は簡潔だった。

彼はファラミアを見て、あの頃のように笑った。



「・・・何を考えておられるのですか」
喉が、詰まる。
「何を?」
声が、震える。
「マンウェと言わず、イルーヴァタアルの名のもとに貴方は一体・・・、何を誓われたのか・・・?」
涙が、溢れる。
「ファラミア」
王がまた笑った。
僅かに小首を傾げ、上目遣いでこそなかったが、彼の癖の通りに、岩から染み出る泉の如く、笑った。



「私は、私たちは、貴方といよう」


ああ・・・。


「私たちは、エルの御許で共に音楽を奏でよう」


我が王よ。


「そのときまでしばしお別れだ」


貴方は逃げたのではなかったのか。


「次の世も、我らは共にいよう」


それなのに貴方は。


「私たちの、約束だ」


・・・私に、貴方を下さると仰られる。







笑いながら、王は泣いていた。
後悔の涙ではなかったが。
悲しみの涙ではなかったが。
心の中での、晴れ晴れとした、喜びの涙であったのだが。

ファラミアは、もう自分を律することなく涙を流した。
涙は光の泉のようであり。
喜びは剣のようだった。

「王よ。あなたは御身を犠牲に私を救ってくださった。ああ、誓いますとも、我が王よ。貴方は私に永遠をくださった。御身を私のために削ることを、お許しになられた。・・・王よ。暗闇のなか私を探しだし、導き出して下さった貴方は、偉大な王ではありませんでした。これは王としてあるまじきことだからです。しかし貴方は、偉大なお方です。慈悲と癒しの御手を持つ、偉大なりし方です。」
王は頷きこそしなかったが、その決意が揺らぐことはなかった。
「次の世でも、貴方が私たちの希望であることを願いますよ」
これが答えだった。
しかし王はファラミアの言葉に僅かに視線を下げて、苦笑した。
ファラミアは今やとても穏やかな瞳で王を見つめている。

「私は、そのせいで無理しすぎたのだろうよ。おかげで何もわからない時期が長過ぎた」
「いえ。貴方は少し頑張りすぎただけです。何より、その長き時がいまの貴方を形作ったのです」
「・・・ありがとう」

王は小さく呟いて瞳を潤ませた。
睫が下りた瞳が青く揺れる。
それを美しいと思いながら、ファラミアは笑みを浮かべた。






「王よ。貴方は、私が持ちうる、私を私とした美しい思い出を聞きたいと仰られましたね」
「ああ、そうだ。」
この部屋に入り、声をかけた際の会話の内容をふられて、王は小さく瞬いた。
ファラミアはどこか幼いその仕草に微笑みながら、いとおしむような表情で天井を見上げた。
その目が見ていたのは暗い天蓋などではなく、忘れることのない光景だった。

「・・・白き都」
「・・・・・・。」
ハッとしたように王が顔を上げたことに、ファラミアは気付かない。

「誇り高き浪々としたトランペットが朝の帳を押し上げ、戦士の剣よりも確かなアノールの光をもたらします。白き塔の輝きが朝日をはね、都は光に包まれてその日の始まりを告げるのです。夕刻には城の真珠が、疲れ果てた兵士に帰路を伝えるように煌きます。それは一日の光を湛えて、故郷を知らせると共に新たなる希望をも人々に与えるのです。・・・わかりますか、王よ」
解らないはずがない。
王は強く頷いて、数時間前にファラミアが自分にしたように、告げた。


「ああ、わかるとも・・・。・・・我らの家だ。」
「我らの・・・我らの家・・・」

ファラミアは瞳を閉じ、噛み締めるように何度もその言葉を繰り返す。
その顔には平穏な幸福が見られる。
王もこのとき大きな感動を味わっていた。王は微笑をその顔に乗せ、寝台の横に膝をついて囁いた。
・・・ファラミアに聞こえるように。


「ファラミア。」
「はい・・・」
ぼんやりとした、衰えはないが意識の定まらない声が返る。
王は瞳に熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、しかし感情に負けぬよう、囁いた。

「ファラミア、私はあの旅の最中、貴方と同じ言葉を聞いたことがあるよ」
「・・・・・・。」
「・・・そうだ」
王は再び嬉しそうに笑った。
ファラミアの、今にも閉じてしまいそうな青い目を見つめながら。

「あの旅の中でも、ボロミアは貴方と同じことを言って、笑っていたよ」
ファラミアの目が、僅かに動いた。
そこにあるのは悲しみや苦しみではなく、大きな喜びだった。
新たな涙が一筋、流れ落ちる。







「王よ。私は兄を愛しております」
「ああ。」


王は自分の声が震えてしまうのを感じた。
思わずファラミアの痩せた手を握りしめる。

「王よ。私は、父を愛しております。母を愛しております。我が祖を、我が祖国、白の木と石のゴンドールを、その民を愛しております。」
「ああ。」


彼の言葉を逃さぬように。


「草原と馬のローハンを、その民を愛しております。正しき光が差し込む大いなる大地を、生い茂る森々を、厳しき山々を、善意に支えられる人々を、悪意に虐げられる哀れな人々を、彼らを愛しております。」
「ああ。」


全身全霊をかけてその言葉を辿った。


「ゴンドールに光を齎す高貴な王妃を、ゴンドールの宝たる高潔なお世継ぎを、姫君方を愛しております」
「ああ。」


彼の言葉を忘れぬように。


「あの凛々しき妻を愛しております。ただ一人の息子を愛しております。」
「ああ。」


「王よ。」
「・・・・・・。」



彼の思いを受け止めるために。




「あなたを、愛しております」
「・・・ああ。」





















「・・・ファラミア?」





「・・・ファラミア。」





「・・・・・・・・・・・・。」







アラゴルンの頬を、一筋の涙が伝った。




















ゴンドール暦第四紀82年、冬至。
統一王国初代執政、ゴンドール王国第27代執政、ファラミア二世逝去。


翌々日。
葬儀は厳かに行われた。













詰め込みすぎですか。
行間がむずいです・・・。