雲の城 第四話 招き人(3)
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 突き当りを左に曲がったところで、二人の姿はすぐに確認できた。
 やっぱりというか、何というか、二人は複数人の学生と睨み合っていた。相手の着ている物は皆久世少年等と同様制服の学ランで、久世少年等は墨汁とイカ墨で何重にも染め上げたような黒に対して、相手は紺、それも黒に近い濃紺だった。遠くから見ると違いははっきりしないが、近づいてみると、なるほど、確かにはっきりと違いが分かる。
 近づいてみて分かったことが一つ、それは、濃紺連中が不良、もとい不良を気取っている輩であるということ。
 二人は――特に久世少年は、口こそ悪かったものの、黒髪に着崩れしない服装と清潔感漂う正装だったが、この濃紺連中は一目見て「ああ、これは関わらないほうが良いな」と思えるような身だしなみだった。
 具体的に言うと、まず茶髪、ピアス、くるぶしより下まで伸びきったズボン、外れた学ランのボタンや袖の隙間から見える赤いTシャツ――と、お洒落が半分、威嚇が半分といったところだろうか。僕のいた高校は筋金入りの管理校だったので、ああいうのには憧れ、というより畏敬の念を抱いていたのだが、現にこうして生でこういった集団を見ていると、やっぱり僕には似合ってないなと思えてしまう。
 濃紺連中の数は、ここから遠巻きに見えるだけでも四人、多くても、店の中にいるのは七人といったところだろう。そのうち三人が二人に近寄って話しかけて、残りは入り口付近で待機している、といった感じだった。
 ここから確認できるのはそれぐらいで、何かを話しているということは分かっても、その何を話しているのかは全く分からない。もう少し近づいてみる必要がありそうだ。
 もっと近づいてみるか、と思ったそのとき、
「お客さーん、何してるんですかー」
 いきなり真後ろから声がした。
 ビクッとして振り返ると、例のフレンドリーウェイター、由奈さんが立っていた。左手には暖かそうなコーンスープの入ったお盆が乗っている。
「店出るなら何か飲んでからでも遅くないでしょー。 水だけじゃ糖が足りませんよー?」
「……誰ですか、あの人たち」
 僕はカウンター側、濃紺連中を指差す。由奈さんの言うことを無視したことに後ろめたさを感じたが、今はそれどころではない。あれがさっき言ってた「森里ご一行様」なのだろうか。というか、あの殺伐とした雰囲気は多分、何かヤバそうな気がする。
 由奈さんは一瞬怪訝そうな顔をしたあと、妙に納得した面持ちで、
「あ、お客さんって東雲の人? そうかー、だったらここに来るのも初めてだよね。あ、『だるま亭』を今後も御ひいきにね! ちなみに私は従業員の樋口由奈です」
 そう言って、由奈さんはウェイターの制服の胸ポケットから名刺大の紙を取り出し――というか実際名刺だったのだが、それを僕に渡した。ただの従業員がここまでやるとは思えないが、あまり突っ込まないでおくことにする。
 あと、僕は東雲でなく、というかそもそも古峰の人でもないのだが、面倒なのでそのまま通すことにした。聞かれてもないことをペラペラ喋るところは、どこか横井少年に似ていた。ただ、由奈さんの方が若干、テンションの初期設定が高い気がしなくもない。
 由奈さんは続ける。
「あいつらはすぐ近くの森高……じゃなくて、森里高校ってとこの奴らで、森里……あ、ここらへんの地区みたいなものと思ってね。で、その森里を根城にしてるチンピラみたいなもんね。そう……これこれ」
 由奈さんは僕の右手に乗った名刺の左隅、この店の住所を指差す。そこには「安関市森里中鵜田3-11」と、しっかり「森里」の字があった。
 森里高校。「森里ご一行様」は「森里高校チンピラご一行様」という訳か。
「そいつらって、ここによく来るんですか?」
「うん、大体友くんたちは週一ぐらいだけど、あいつらは週二ぐらいかなー? いや、どちらもこの店を潤してくれて助かってるよー」
 あいつらもあの二人みたいに、ダージリンやらキリマンジャロやらオレンジペコやらカタカナだらけの飲み物を朝っぱらから嗜んでいるのか。それにしてもチンピラ御用達の喫茶店とは、また難儀なことだ。さぞ店の管理が大変だろう。
「で、それがねー、あいつらと友くんってすっごい仲悪くてねー……。あ、もしかしてアレを気にしてるの?」
 由奈さんは、僕が指差した方向、カウンターを見た。さっきから、まだ膠着状態が続いてみるみたいだ。
 僕は頷く。
「だって、アレ、何か、良いんですか?」
 文章として成立していないが、とりあえず危険っぽいことをアピールする僕。いつ均衡が破られて取っ組み合い、いや、リンチが起きてもおかしくないように、僕には見えた。二人は原付から転落しても咄嗟に受け身を取れるぐらい運動神経が優れているようだが、人数が人数だ。まともな喧嘩じゃ多分勝ち目は無さそうだ。僕が加勢したところで、多少の時間稼ぎにしかならない。
 しかし、由奈さんは爽やかな笑みを浮かべたまま、手を目の前でひらひらさせた。その笑顔と、黒と灰色のウェイターの服装が、何だかひどくミスマッチだ。
「あんなんだいーじょーぶだって。ただのマセガキとクソガキのお遊戯だから」
 マセガキが東雲、クソガキが森里だろうか。今の言葉を聞いたらあの濃紺連中はどう思うだろう。まだ出会って十分ぐらいしか経ってないのに、僕はこの人の底知れなさを垣間見たような気がした。
「クソガキって……。あの、森里ってヤバイところじゃないんですか?」
 何だかんだで、一番重要なこのことを聞くのを忘れていた。まあ、見た目からして何をしているのかは大体見当がつくが、それだけで判断するのはあっちにとって失礼だろう。でも、誤解を招くような格好をしているのは向こうなんだから少なからず向こうにも責任はあって、あ、でも向こうはただのファッションとしてああいう風にしているだけで実は本当はいい奴である可能性だって少なからずとも……、
「え、お客さん東雲なのに知らないの? あー、有名なのは安関市内だけだったんだなぁ……」
 しまった。やっぱりあのとき訂正しておくべきだった。やはり面倒臭がるのは良くない。
「あ、すみません。本当は僕、本州、てか大阪から来てるんですよ」
「え?」
 それまでずっと由奈さんは笑っていたが、急に虚をつかれたような顔をした。想定外だったようだ。由奈さんは目を見開いて、僕の身なりの隅々まで見回した。久世少年よりも、もっと入念に。
 やがて、由奈さんは納得したように、
「ははーん。『外』の人か……。道理でただの人じゃないと思ったんだよねー……。ん? なんでそんなお客さんが友くんと知り合いなの?」
「それは後から説明しますから……。とりあえず森里のことを聞かせて下さい」
 僕はもう一度カウンターへ目をやる。まだ双方に動きはないが、事態が好転した訳でもない。やっぱり、今すぐ飛び出していって止めた方が良いかもしれないと思ったが、やっぱり、僕が出る幕じゃないような気もする。
「そう? じゃあまずお客さん、カウンター左手、水槽の前にいる少年にご注目下さいー」
 由奈さんは空いた右手のひらをカウンターの方へ向けた。そういえば、左手のお盆に乗っているコーンスープは冷めてないだろうか。
「えー、あちらに見えますのがー、スリ通算記録77勝10敗の高校生記録保持者、森里高校二年四組北川潤君でございます。あれ、78勝だっけ? 79だっけ? まあいいや」
 それは素人の僕からしても盗っ人界の新人賞を総なめにして裏の業界に旋風を巻き起こしかねない数字だということは理解していたし、そもそも誰がそんなの記録して、なんで由奈さんはそんなことはおろか個人情報まで知ってるんだ、とありとあらゆる疑問が僕の頭の中に浮かんだが、とりあえず話を進める為に全て、無理矢理脳味噌の中へぶち込んだ。
 僕は由奈さん手のひらの延長線上を見た。そこには言われた通り、入り口の脇にある水槽にもたれかかった濃紺連中の一員、森里高校のメンバーらしき少年がいた。何だかうつむいているようだが、あれは多分、寝ているのだろう。
「彼はその持ち前の器用さと俊足を生かして、森里高校野球部のトップバッターとして大いなる活躍をしています」
「野球部?」
 二人と、森里高校との仲が悪いのは、野球部同士で何かいざこざがあったということなのだろうか。
「あの子たち、野球部なんですか?」
「あれー? てっきり友くんから聞いてると思ったんだけど、まあいいや、続いてカウンター正面に見える少年を」
「ちょ、ちょっと待ってください。二人と森里の仲が悪いって言ってましたよね。どうしてなんですか?」
「あー、そうじゃなくて、ちょっと違うかな、惜しいけど。正確には『東雲高校野球部』VS『森里高校野球部』って感じでねー、私もさ、ちょっと詳しいことまでは分かんないのよ。友くんにも雅道くんにも他の子たちに聞いても『何もしてない』の一点張りでねー、私って嫌われてるのかな?」
 由奈さんは肩をすくめる。とりあえず僕は由奈さんが嫌われているのかどうかをあの五分にも満たない注文のやり取りの中で見出すのことはできなかったので、そこに関しては考えないでおいた。
 つまり森里高校側の言い分からすると、ああして東雲高校野球部にちょっかいを出すのは、ただ単に八つ当たりや暴力に享楽を求めている訳ではなく、やられたことに対する報復だ、ということらしい。
「……嘘ついてるんじゃないですか」
「え?」
「いえ、だから、嘘をついてるんじゃないかって」
「と、友くんに限ってそんなことある訳ないでしょう!」
「うわっ!」
 由奈さんがいきなりヒステリックを起こした。さっき話していた声より二オクターブは高い、殆どコウモリの超音波みたいな声だった。本当にコウモリの超音波だったら人間では聞こえなくて良いのに、と、僕は我ながら訳の分からないことを思った――じゃなくって、いきなりだったので僕はびっくりして、振り上げた右手が由奈さんのお盆にジャストヒットしてしましまった。
 お盆はそのまま床に落ち、乗っていたコーンスープはそのまま宙に浮き上がって、そのままお盆と同じような運命を辿るように思われた。
 が、由奈さんは落ちたお盆を右手で掴んで拾い上げたあとそのまま真っすぐ持ち直して、コーンスープを受け止めた。職人芸だ、お見事。ただひとつ残念なことがあるとすれば、それはこの奇跡の瞬間に立ち会っていたのが、僕と、由奈さん本人だけだってことだ。ホームビデオに撮影しておけばめざましテレビやズームイン朝か何かの特集で恒久ワゴンがプレゼントされてもおかしくはなかっただけに、大変悔やまれる。でも、もう一回やろうとは思わなかった。
「い、いきなり危ないじゃないお客さん!」
「す、すみません。……あの、嘘ついてるのは二人のほうじゃなくて、森里の方ってことを言いたかったんですが」
「あ! ……あーごめんなさい。私てっきり。えーと、つまり、お客さんの言い分では、向こうのその絡んでくる理由ってのはただ単に東雲と喧嘩したいからっていうから勝手にそれらしくでっち上げたでたらめな理由ってこと?」
「そうです。だってそれなら二人が知らないのももっとも……」
「いい推理なんだけどねー、ていうか私もそりゃ考えましたよ? 考えたんだけど、どうもそうでもないみたいなのよねー」
「なんでですか?」
「それはねー、まあ、また今度の機会に。えー、続きまして、カウンター正面、目つきがいかにもそれらしい、今にも雅道くんに殴りかかってきそうな、闘う為に生まれてきたみたいな少年をご覧下さいー」
 由奈さんは勝手に話を進めてしまう。どうやら、自分のペースに他人を巻き込むのが得意技のようだ。
 僕は話の軌道補正を試みる。ここが多分、一番重要なことなのに、由奈さんは勝手に別の話に持っていってしまう。
「い、いや、今度じゃなくて、今教えてもらえませんか?」
「えー、こっちが話したいこと話し終わったら何でも言って差し上げますよー。ほらほら、あの少年」
 ようするに、由奈さんは話し相手が欲しいということらしい。質問を先にしたのは僕の方だったんだけど。
 僕は言われるがまま目線を由奈さんからカウンターの正面、つまりは戦闘の最前線となり得る場所に向けた。カウンターに店員の姿は見当たらない。広さの割に従業員が少ないのか、ただ単に店の奥に引っ込んでしまったのか。
 そいつは確かに、横井少年と対峙していた。柄の悪い森里高校の連中の中でも特に悪ぶっている感じがしていて――というより、元々の顔が悪人顔というか、細い目がさらにタレているせいか、余計不良っぽさが際立っている気がした。確かに由奈さんの「闘う為に生まれてきたみたいな少年」という言い方は、なかなか言いえて妙だ。
 少年は右手はポケットに突っ込んだまま、左手で横井少年の胸倉を掴んで、自分のほうへ手繰り寄せていた。一触即発、というより、もう手遅れかもしれないが、一応、誰かが手を出したという訳ではなさそうだ。でも、近いうちにそうなるということはいやがおうにも予想できる。
 ……ん、左手で胸倉を掴んでいるということは、
「彼は何を隠そう県大会万年一回戦負けの森里高校野球部の革命者、そして背番号一、ひいてはエースピッチャー、『外』からのお呼ばれもあったと言われる本格派サウスポー、二年六組三屋修介君です」
 今度は喧嘩の戦歴や強盗の成功率、今まで殺した人の数なんかが出てくるのではないかと思ったが、由奈さんのデータは至極真面目なものだった。確かに、三屋少年は背こそそこまで高くない(でも横井少年や久世少年よりはずっと高い。170はゆうに越えている)とはいえ、いかにも筋肉隆々な体育会系少年という言葉が当てはまりそうな体格をしている。その筋肉を、どうせならもっと野球にぶつけてくれれば、こちらも要らぬ心配をしなくて良いのだが。その不良っぽいスタイルも止めてくれれば「頼れる兄貴キャラ」として、クラスで一目置かれる存在になると思う。いや、でも今はもう既に「一目置かれる」点は達成しているので、もし三屋少年の目的が「一目置かれる」であれば不良であるという選択肢も決して悪くは……、
「な、なんと彼は一年の夏から既にエースの座を勝ち取って森里高校野球部を復興させた第一人者でもあります。今年の夏はベスト8で、この前の秋大は森里高校史上初の四強進出! いやー、森里高校の野球史は彼をなくしては語れませんね! ……ちょ、ちょっとお客さん、視線があさっての方向向いてますけど大丈夫ですか?」
「え? あ、すみません。ちゃんと聞いてます。続けてください」
 また知らないうちに自分の世界に入り込んでしまった。このうつ病患者もびっくりの誇大妄想は、誰かが現実に戻してくれない限りとどまることがない。
 たった一年半で四強とは凄いな、という素直な感嘆と多分森里高校の野球史なんぞそうはいないだろうな、という皮肉が半々で絶妙にブレンドされた感情が僕の頭の中を駆け巡った。まあ、由奈さんの言ってることを全て真に受けている僕も僕か。でもきちんと聞かないと、由奈さんに失礼な気もするし。
「えーと、どこまで話したんだっけ……ああ、そうそう、森里が強いって話か。でも三屋くんの凄いところはなんといっても」

 あの敵に対する容赦の無さだね! と由奈さんが言ったのと、ポンという破裂音がカウンターの方からしたのは、ほぼ同時だった。

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