岩佐流のこだわり
らぁ〜めん酒屋
世に「京の持味、浪速の食い味」と申します。四季折々の素材を巧に取り入れた京料理にくらべてらぁめんは、年中材料が変わらず季節感に欠けるものでした。「無駄なく味良く値打ち良く」という浪速の気質と京の伝統を重んじ、一鉢のらぁめんも浪速料理、京料理の逸品として楽しんで戴ければと、美饗庵兎家では椀物の感覚を取り入れ
゛じゃっぱらぁ〜めん″として、お勧めしております。長年の京料理修業と仕事を活かせて、今後も季節感のあるじゃっぱらぁめんに取りくんでまいります。「じゃっぱ」とは、雑端と書き、じゃっぱ、又はざっぱともいいます。雑端とは読んで字の如く捨てるものつまり魚の粗のことを指します。この雑端を゛焼き干し″として他に根昆布、干し海老、するめ、河豚のひれ、鱧、甘鯛の骨と共にだしを取っています。じゃっぱの焼き干しこれがいい味を出す秘訣です。店主
室戸岬より少し北よりの漁師の息子として育った私は、幼い頃から魚を食べることには恵まれていました。と、いうよりは魚漬けの毎日です。いろりを囲んでの魚中心の食事、今時分の寒い朝、鍋の中には、夕べ煮た魚の残りアラが、煮汁の煮凍りとなっています。ポロンとしたあめ色のゼラチン質のだしと魚の身をあたたかい白ごはんで食べていました。味わうと、トロンと舌の上で溶けていく、煮汁と白ごはんの相性がなんとも言いがたいものでした。思い出しつつ味を確かめる、確かめながら料理を楽しむ…。せわしく食事を仕舞うのではなく、ゆっくりと今の食事を楽しむ心がけで召し上がっていただきたいものです。一人で料理をしていますと、何から何かと大変時間がかかります。ゆったりとしたお気持ちで是非ご来店ください。
味というものは変なもので、その時々気持ちで、主観的に動かされ、変わっていく。その感じる味はそもそも当人にとっては絶対であるべきで、状況で動かされるようでは大した食通ではない。でも、中々そうはいかない。財布の具合もあるし多年の経験も必要だし味が素直に判断できるようになるには、大変なことでもある。味を覚えることは、ものの深奥を極める努力によって向上するものらしい。・・です。味や美の道には頂上は在り得ません。通人にとってある意味大変不便で不自由であると言えるがその先新発見の味感があるといえます。ただ、世の中には、語るに足る相手が稀なために、狭い世界にはいってしまう。これを三昧の境地とでもいうのでしょうか。
