はじめに

当ホームページの主人公セキセイインコ“ゆう”が旅立ったのは昨(2006)年の1月21日(土)。あの日から丁度一年経った今年1月20日(土)の初診の結果、1月25日に乳がんと告知された時には「もしかして“ゆう”が寂しくて迎えに来たのかな」と一瞬考えてしまいました。私は若いときから、そして今も、生きていることにあまり執着していないので、「“ゆう”の元へいけるならそれもいいかな」と思ってしまったのです。がんの告知を私よりも重く受け止めてしまうのでは…と心配したのはやはり母でしたが、「検査の結果、悪性だったよ。…乳癌だって」と言った私に、始めは「えっ! ホント?」と言った母ですが、その後「あなたの人生は退屈しない人生だね」と言いました。ホントの気持ちは複雑だろうけど、思ったより穏やかだったのでそのことが一番ホッとしました。
父方の親戚にも、がんで亡くなった方はいますが、より親しく付き合ってきた母方の伯父が食道がん(永眠)、もう一人の叔父が喉頭がん(10年経過、でも言葉を失う)そして小学校の時から仲良くしてきた従姉妹(2歳年上/血縁なし)が乳がん(もうじき10年)を患ったこともあり、私自身が、がんを患う危険性がないとは思っていませんでした。ただ、乳がんになった従姉妹とは体型も食事の好みも全く違うので、胸の小さな私が乳がんになるとは思いませんでした(従姉妹は豊かな胸です)。しかし、確かにいわゆる乳がん危険因子は(肥満以外)ほぼ当てはまるのです。今更あれこれ考えても患ってしまったものは仕方ありません。いくら考えても悩んでも何もなかった以前にはもう戻れないのです。不幸中の幸い、乳がんでも発見が早かったし年齢は高くいわゆるハイリスク群ではないので、今すぐゆうの元へ行けそうにはありません。そこで、私も自分の記録を残すことにしました。そして今後、不幸にして乳がんを患ってしまわれた方たちの参考になればと思います。
乳がんと分かった時、インターネットのありがたさを痛感させられました。今や知りたい情報は殆ど得ることが出来るのです。それは医学専門的知識も勿論ですが、手術前に行う検査から術後の補助療法まで、既に乳がんを体験された方のページがとても役立ちました。ただし、私の場合は発生部位も「内側の下部」(5〜9%)と一番少ない部位、そしてがん種も「粘液がん」という特殊型(3〜4%)…と、とにかく特殊づくめなので皆さまのお役に立てるかどうかは定かではありません。逆に数少ない特殊型の乳がんページが殆ど見当たらない現在、それに該当する方たちの参考の一助になればと思います。
尚、鳥さんメインのページの片隅に、この「乳がん」ページを加えることはどうなのだろうかと正直迷いましたが、これも、私、管理人の人生の一部だと思い、お許しいただければと思います。

生きていなけりゃ

すべてのものが思い通りに
いくなんて事はないだろう
誰にしたって多かれ少なかれ
苦い水の味を知っているよネ

どこまで走り続ければいい
答えは今はここにないから
くいしばるしかないじゃないか
頑張ってみるしかないじゃないか

心くだけても涙がつきても
生きていなけりゃ
そう生きていかなけりゃ

…著作権法に引っかかるとのことで、これ以上の掲載は控えます。
といっても、少し前まで掲載していたのですが、ごめんなさい。

作詞・作曲/吉田拓郎(1995年)
(拓郎さんが肺がんを患う前の曲)

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