サボテン今昔 No.3 「Conophytum burgeriPart1
竹村氏ブルゲリ
1970年頃のある日、ブルゲリは私の所にやって来た。その他大勢の一員として。
戦後日本に導入された南アフリカの植物のほとんどはカープ氏(M. B.Carp)からであった。そのカープ氏が亡くなったあと1〜2の供給元はあったが取り立てて珍しいものもなく、しばらくの間、何となく不満を感じていた。そうした頃にデビューしたのがラヴェ氏(Mr.R.Raw´)のサン・マリナ園である。彼のリストにはカープ氏が嘗て紹介してくれた以上の珍品が並んでいた。私は当時輸入を取り仕切っていた賀来得四郎氏を通じて、日本人にとっての初もの、またはそれに準ずるものの輸入を依頼した。詳しいことは覚えていないが、コノフィツムに関しても、兎に角聞いたことのない名前のものなら一通り取って欲しい、というようなことを頼んだと思う。そしてそれが届いた。期待通り、われわれにとって初めての新種が相当数含まれていたのである。ブルゲリはこうしてお目見得した。

赤石氏ブルゲリ 赤石氏ブルゲリ2 赤石氏ブルゲリ3 赤石氏2頭花

私はブルゲリについて何の知識もなかった。ヤコブセン(H.Jacobsen)のハントブック、A Handbook of Succulent Plants 1954(英語版)にも記載はなく名前すら聞いたことがなかった。後になって知ったことだが、ブルゲリの正式記載は1967年。ヨーロッパでも超稀品であったはずで、改めて考えるとそのころ早くも日本に渡来したことは異例であり、まことに幸運であった。
本来ならばこの世紀の貴品との対面に随喜の涙を流し、飽かずに何時間もそれを見つめ、最上の用土に心して植え込み、日記に特筆大書してもおかしくはない出来事であったはずである。ブルゲリはどう思ったかわからないが、待遇は極めて冷淡だった…と今にして思う。悪いことに当時私は大変に多忙であった。本種についての無知がそれに輪をかけた。過去何回かの経験で馴れ切った手順で、到着品のすべてを角鉢の端から機械的に植え込んだのである。ほとんど何の感激もなしに。

ここでブルゲリに関する記述について少々。初出は南アフリカかヨーロッパのジャーナルではないかと推測するが、私は見ていない。ヤコブセンのレキシコンLexicon of Succulent Plants 1970(英語版)には“産地 ケープ州小ナマクァランド。單幹。低い円錐形。高さ13〜18m/m、体径2cm、割れ目3〜4m/m。光沢ある緑色。頂部は多少窓となる。花筒は白、花は紫桃色”と淡々と記載されている。
橋口氏ブルゲリ

橋口氏
burgeri
ブルゲリ展示品

展示会出品のburgeri
林氏栽培品
神奈川県 藤沢市
林 俊之氏栽培のburgeri

日本コノフィツム協会の会報No.14(1973年10月)江藤雄司さんがもっと詳しい解説をしている。以下のその抄録。
“最近、最も話題になっているブルゲリは3年程前に少数導入され、その形態の珍奇さから大切に栽培されたが、枯らした方が多く全国で3〜4本のみと推定されマニア渇望の品種であった。最近、実生2〜3年ものの小苗が時々導入されるようになった。本種は現在までに知られている全てのコノフィツムとは形態が大変異なっている。それは、他品種が根際で細くなる逆円錐形か円筒形をしているに対し本種は丸味はあるが正円錐形をしている。現地では單頭で生育しているとのことで、日本の栽培技術では分頭が考えられるが、現在3年ほど栽培し花も咲き大きくなったがいまだに分頭はしない。終生單頭だろうと半ばあきらめの境地になっている。
体形は丸味のある円錐系で下部で径30m/m、頂部は鋭く尖り殆ど見逃すほどの2m/mくらいの割れ目がある。肥培すれば径、高さとも35m/mほどにはなりそうである。肌は微細な乳状突起があるが滑らかで光沢がありオフタルモフィルムの肌のようである。体色は半透明な淡緑色で上部になるに従い透明度を増し、肌も滑らかになり光沢も増す。体色は年明け頃からだんだん赤味を帯び、休眠前の四月頃にはやや褐色味のある深赤色となり、全く植物ばなれした形・色になる。その後球体はしなびて来て休眠に入る。古皮は薄い紙状になって手伝ってやらないと新球にへばりついてしまう。
 花は10月頃に咲き、径20m/mほどの大輪で紫桃色。底部及び花管は白、花弁は先の広いヘラ状、雄しべは束状に集って立つ。
 本種は「活ける宝石」にふさわしく、磨き上げたヒスイの玉のようなすばらしいものであり、光を浴びてルビーに変化するなど本物の宝石にまさるともおとらない。入手の機会があればぜひ大切愛倍されることを願う“
 導入後わずか3年のこの当時、初ものを見事に育て上げ、しかもこれだけ詳細な解説。さすが江藤さんと改めて敬服する。
 私はと言えば、あっという間に枯らしてしまった。その後山掘り球は入手できなかったと記憶する。江藤さんの記述にある通り、龍膽寺先生ほか何人かが実生苗を輸入して販売した。その後何年か後には我が国で実生に成功する栽培家も現われた。私は機会あるごとに2〜3本ずつ入手しては失敗を繰り返した。何とかうまく育ってくれた年もあったが2年以上長続きしたためしがなかった。大抵は球体下部の接地面から腐れ込むのである。江藤さんのアドバイスを受け、球体下部に小砂利をあてがい多湿を避けるようにしてからは簡単に死ななくなった。もう大丈夫と自信を持ちかけた年もあるが、皮肉なことにその秋はナメクジに食い殺された。サボテンの原産地旅行で留守をしていた間のことである。ほかに幾らでも餌があるのに、何もよりよってブルゲリを食わなくてもと地団駄踏んでも後の祭りである。性懲りもなく何度目かの補給をした。今度はわれながら見事に育ち、花も咲いて種子も取れた。1株は2頭になった。ブルゲリは時に分頭する。私より遥かに栽培の上手な人の所ではもう何年か前に2頭株が出現している。
4頭ブルゲリ
 その後3頭株にもお目にかかった。人伝てに聞いた話では5〜6頭の株も出来たそうである。ブルゲリの体内にいったい何が起こったのだろうか。ブルゲリはその体形からして複数の群生には全く不向きである。何年も單幹のままデンと落ち着いているべき種類だと思う。寿命はそれほど長くはないような気がする。自生地では開花結実して子孫を残し、順調に世代交代しているものと思う。ブルゲリは多頭になると次の年は大抵死にますよ、と言う話を聞いた。さもありなんと思う。私の2頭株も予測通り消滅した。
 自家採取の種子はよく生え小さな播き鉢はブルゲリの赤ちゃんで一杯になった。元気に年を越しブルゲリとは縁の薄かった過去とも訣別できると胸をふくらませていた。だがそれは文字通り糠喜びに終った。ある日突然1本残らず消えたのである。同時に播いたオフタルモフィルムはほとんど無傷で残ったにもかかわらず。なぜにブルゲリだけが消えたのか。さっぱり見当がつかない。悪性の菌か何かのしわざであろうか。
 

松露玉 実生菊水
松露玉 実生菊水

全く自慢にはならないが、実生苗が一夜にして消滅すると言う経験は以前にもある。一つは松霧玉Blossferdia liliputanaの場合である。この時も播き砂が見えないくらいに生え、そして惚然として消えた。菊水Strombocactus disciformisでも似たようなことがあった。それも微細種子ということではブルゲリと共通しているので何か関連があるのかも分からないが。

 


観峰玉
観峰玉(奈良多肉植物研究会)

ここから少し脱線する。多肉植物の話であるからお許し願いたい。観峰玉Fouquieria(Idria)columnarisの実生である。もう30年くらい昔のこと、大量の観峰玉の種子を入手した。大量と言っても桁違いの大量、優に洗面器1杯はあった。ご存知の方も多かろうと思うが観峰玉の種子は稲籾くらい、私の知っている範囲では燕麦に似ている。手でもんで調べた所、籾殻もかなり混じっているようであった。そこでまずその一部を風選して見ようと思い立った。箕などと言うものは持合せがないから、薄箱に入れ頭の上にかざしてさらさら足許に落とす。シイナは風で飛んで充実した種子だけが残ると言うわけである。栽培場のはずれの作業だったが、2〜3日して現場を見て驚いた。風にまかせて廃棄した籾殻がこぼれたあたり一帯を点々と発芽した幼苗が見えるではないか。
 その頃、山掘りの観峰玉は時折、入荷していたが数はそれほど多くはなかった。実生苗は輸入、国産ともに皆無であった。早速、実生に取り掛かったのは言うまでもない。それにしても種子が多すぎる。ひとつかみも描けばもう棚は一杯である。残りは自宅に持ち帰り菜園の一隅に播くことにした。畠を起こして半坪余りの播き床を作り、コマツナか何かを播くように観峰玉の種子をバラ播きしたのである。3日もしないうちに播き床はうっすらと緑に覆われた。その数何千本、全部育ったらどうしよう……。
 雨が降った。畠の観峰玉は一段と緑を増した。翌日も雨が続いた。そして、あれほどの実生苗は一夜にして消えたのである。生き延びてどうにかモノになったのは栽培場の箱播きからの数十本。悲喜劇はこうして終った。
 蛇足。ハバ・カリフォルニアの観峰玉の自生林の中を歩いた人の話。季節は5月。天に聳える大株はとても持っては帰れない。何処かに手頃なものはないかと探し回った所、車の轍に沿って盛上った土の所に生き生きとした幼苗が列になって生えていたと言う。その他の所にはどこを探しても小苗は見当たらなかったそうだ。私の実生体験と合わせて考えると、発芽には無論、適度の水湿は必要。だが発芽の後の水浸しに近い状態には耐えられない、ということだと思う。私が自生地を訪ねたのは10月、観峰玉は開花未期、そろそろ結実が始まるころだった。1本でどれほど種子をつけるのかは分からないが、子供の枕ほどの分量を日本に送りつけた人がいるくらいだから毎年、地上に落ちる種子は膨大な量であろう。無事発芽して育つのは何万分の1。鉢植え向きの手頃な株が座っていて買えた…などと言う過去のことは奇蹟に近いという思いがする。
Hammer本1
 標題に戻る。ブルゲリについての“江藤解説”から丁度20年、優れた研究家スティーブン・ハマー氏Mr. Steven Hammerが「コノフィツム」The Genus Conophytumを出版した。本書はコノフィツム属全種を根本から見直し、彼独自の見解を披瀝した意欲的なもので推奨に値する本である。ブルゲリについての記述の中から、分布地と栽培に関する部分を紹介する。『自生地はNamiesbergの北西にある。Aggeneys鉱山近くのAggeneys農場ただ一箇所で、ブルゲリと言う名称は農場主であり、本種の発見者でもあるWillem Burger氏に敬意を表して命名された。私有地の中と言う事情でプラントハンターに見つかる機会が少なく、自然保護の意識が高まってきた所に発見登録されたことはブルゲリにとって幸せであった。発表後、ほかに類例のない特異な形態の故に特別に注目された事実を考えると、若し野放しの時代に見つかっていれば、今頃は絶滅していたかもしれない。農場主本人でさえ、花が咲いていたので認識したと言うことである。土質は石英質で、植物体は他の類似種と違って土中に埋まっていない。栽培は難しくはない。唯一の繁殖法は実生だが、生育は遅い。初夏に播き、発芽苗に肥料をやって育てると結果は良い。実生1年の苗は数ヶ月休眠させる。成球は休眠時心配になるほどしぼむが夏の暑さが終ればふくらむ。長く栽培すると鶏卵大になる。毎年皮むきをする人もいるが、よけいなお世話である。』  Part2へ