○社会福祉の歴史4

(1951 社会福祉事業法成立)
社会福祉事業の共通的基本事項を定め、その公明かつ適性な実施を目的とする法律。 これによって、戦後期における社会福祉事業の近代化は一応の完成をみることになった。 本法は、行政が公的な福祉サービスの必要性や内容を決定する措置制度を基本にし、福祉サービスの提供者・監督者に関わる規定を中心に構成されており、今日からみると、利用者という概念はなく、その利益の保護といった規定も含まれていない。
本法では、行政による社会福祉事業と民間の社会福祉事業が車の両輪のようにそれぞれの役割を果たし、社会福祉事業の増進に寄与することが期待されていた。  しかし、アメリカと比較して、経済的な余力もなく、文化的・宗教的な基盤も異なる日本においては、民間の社会福祉事業は公の支援なしに発展することは困難であったと言える。  公的な支援策を基盤にした結果、当初、民間社会福祉事業に期待されていた自主的な創意工夫による先駆的な福祉サービスへ取り組むといった側面は次第に後退することとなった。

(1951社会福祉法人の会計要領制定、厚生省)

(1955 ILO障害者の職業更正に関する勧告)

(1958 国民健康保険法成立)

(1959 児童権利宣言 国際連合宣言)
児童の健全な発達・成長の権利を宣言

(1959 英国 精神衛生法)
コミュニテイ・ケアの最初の制度化

(1959 デンマーク知的障害者サービス法)
バンク・ミケルセンによって始めて使われたノーマライゼーションの概念の制度化

(1960 精神薄弱者(知的障害者)福祉法成立)

(1961 国民皆保険制度(医療保険))

(1961 国民年金制度)

(1961 社会福祉施設職員等退職手当共済法)
社会福祉法人及び社会福祉施設の職員の共済制度

(1963 米国 M・ハリントンの「もう一つのアメリカ」発表)
1959年の米国人口の20−25%が貧困であるとした。 1958年ガルブレイスの「ゆたかな社会」は、根本的誤りであった。  米国の「自助の精神」「貧困惰眠観」は、1950・1960年代の公的扶助の引き締め策の背景となった。

(1963 老人福祉法成立)

(1964 母子及び寡婦福祉法成立)

(1965 母子保健法成立)
福祉六法の完成(生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法成立、老人福祉法、母子及び寡婦福祉法成立)。 戦後の生活保護的福祉から、ニーズ別、障害別に応じた福祉が考えられるようになった。

(1966 米国 J・ワイリー等の福祉権運動)
公民権運動の継承として、貧困戦争の限界を突き破る運動。 被救済者が「与えられる救済」から「自ら自主的に参加」する運動。 また、「自助の原則」の大幅な転換である。

(1967公害対策基本法成立)
公害対策の責任は、まず事業者にあることを確認し、良好な生活環境を保つ国及び地方公共団体の責任が明確化された。 しかし、同時に「成長なければ福祉なし」の経済優先の立場であった。

(1967 全国障害者問題研究会結成)
高度経済成長は、「教育投資」の観点から職業訓練偏重の「特殊教育」の振興をもたらしたが、それは障害の重い児童を埒外に置く「障害児対策」であった。 「障害者の権利を守り、その発達を正しく保護するために、理論と実践を統一的にとらえた自主的・民主的研究運動を発展させること」を目的とする研究会(右田p337−8)

(1968 英国 シーボーム報告)
財政危機の下、ケインズ理論による福祉国家から、多元的福祉国家へ。
イギリスの社会福祉の転換と地方自治体社会福祉行政の改革
Personal social service
地域社会重視 及び Specific からGeneric
Productive partnership

(1970 日本は高齢化社会に突入)
65歳以上の人口が7%以上の国を高齢化社会、14%以上の国を高齢社会と言う。 日本は、この年、高齢化社会に突入した。 1995年には高齢社会となる。

(1970 身体障害者基本法成立)

(1971 ドル・ショック)

(1971 児童手当法成立)
児童手当の発足によって、日本の社会保障も、世界的レベルの社会保障、即ち社会保険―家族手当―公的扶助―社会福祉という範式でとらえられるものとなった。  家族手当は、生活水準の安定化を図ろうとする社会保障制度中でもっとも積極的な制度である。

(1971 国連総会、精神遅滞者の権利に関する宣言)1971/12/20

(1972 社会福祉法人の経営する社会福祉施設の長について) 社庶83
施設長の資格の指導基準を明示している。

(1973 老人福祉法改正) 
老人医療の無料化、福祉元年と言われる。

(1973 オイル・ショック)

(1975 国連総会、障害者の権利に関する宣言)1975/12/9

(1976 社会福祉施設を経営する社会福祉法人の経理規定準則について)
厚生省、社施代5号 1976/1/31

(1976 国連総会、国際障害者年)1976/12/16
国連総会は、1981年を「障害者の権利宣言を単なる理念としてでなく、社会においてそれを実現する意図のもとに、国際障害者年」と定めた。  

(1979 社会福祉法人監査指導要綱の制定について) 社庶57
監査の必要最低限の事項が記載されている。

(1979 在宅福祉サービスの戦略 全国社会福祉協議会)
主に自治体により需要先導的、試行的に展開されていた在宅福祉サービスに対して理論的裏付けを与え、社会福祉を伝統的な居住型施設を中心とする施設福祉型から在宅サービスを中心とする在宅福祉型に転換する重要な契機となった。

(1979 経済社会7カ年計画)
「国家による福祉」の失敗を避けるため、我国固有の「福祉の含み資産」である家族・親族・近隣・企業・地域社会による相互扶助と連帯を基軸に「社会による福祉」を構築するという日本型福祉社会論である。それは、公的福祉依存型の西欧型福祉とも異なり、自助努力を前面に出す米国型福祉とも異なる福祉を目指したものである。

(1979 英国 サッチャー政権誕生 1979−1990)
「信念と対決」の政治姿勢により、ケインズ的経済政策=ベヴァリッジ型福祉国家理念と決別し、膨張した社会補償費の抑制のみならず、社会サービスの運営全般にわたり、サッチャリズムの改革と変革がなされた。サッチャー政権は、民間活力の活用と市場原理による雇用創出を基本理念としていた。

(1980 社会福祉施設の長の資格要件について) 社庶13、14
基準の具体化の規定を設ける。



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