私たちは“日本語”だけの情報で十分だろうか? 英語は生活に必須か
外国語を身につける
百万人の英語 (NEW)
戻る











































私たちは“日本語”だけの情報で十分だろうか?

 もし、日本語だけの情報でいいのだろうかと思った事はあるかな? 日本語の訳されてない本を読みたいと思っても英語力がないから必要ないからあえて原書を読もうとは思わない人が多いであろうか。

ADHD/ADDとは少し違う話だが、日本語だけの情報では済まされない事件があった。それは今年の初め頃から問題になった本が1冊あった。『食いしん坊な脳、うつになる脳』と言う本。どこが問題になったのかと言えばアスペルガー症候群の人のイメージであった。問題になった箇所はアスペルガーの人は「平気で犯罪を犯す脳を生まれつき持っていて何も感じないのである」と言う部分が最大の問題になったのだ。この本はすでに書店から完全に回収されていて出回らないが、一部の図書館にはあるらしい(今は図書館から図書として借りられないかどうかは分からないが)。翻訳者もアスペルガーの正しい知識のない全く畑違いの分野の人が訳していたのだ。

もし、ADHD/ADDの正しい知識のない全く畑違いの分野の人が訳していたらと思ったらとても他人事では済まされないゾッとするような話であるのだから。これで日本語訳で全部読めば十分なのかと言う話が出てくるが、私自身は十分でないと思うのだ。理由は上に書いた件の本事件が日本では十分まかり通っている事であるから。

日本より10年いや20年進んでいるアメリカでは毎年のように沢山のADHD/ADD関連の本が出版されている。素晴らしい本も日本と比べにならないほど出版されている事になる。その中から日本語訳されるのはごく一部で、大人に関する限りでは非常にお寒い状態なのは言うまでもないであろうか。

そんな事を書いているのなら自分で訳して出版社に売り込んだらいいんじゃないのと言われてしまいそうだが、私の英語力では訳者として本に自分の名前を連ねるレベルでないのが本音であろう。個人的なレベルでは読む事が出来るが文章力・コネなど翻訳家に必要な物は皆無に等しいのだから。『私たちは“日本語”だけの情報で十分だろうか?』

 恐らく大部分の日本人は自分に必要でかつプラスになる情報を必死に集めている。東京のような大都会からバスが1時間に1回しか来ないようなのどかな田舎に住む人までADHD/ADDに関わる全ての人が日本語での情報を探し集めている。情報はネット、オフ・セミナーなど多様にあるが、ほとんど“日本語”での情報交換だろう。『片づけられない女たち』の作者で有名なサリ・ソルデンさんが東京・大阪でのセミナーに講演した時、同時通訳者が付いていたのだ。その時のセミナーの入場料がたかったのは同時通訳者と(同時通訳の)機械の費用だと言われている。

日本語だけの情報は集めつくすとおのずと限界が見えてくる。私も日本語だけの情報では限界が見えてきたなと感じている。やはり、海外からの情報を集めざる得なくなってきたのだ。中には日本でも役に立つ情報は少ないのに海外の情報ばかり集めるのはと首を傾げる人もいる。

私は日本国内の日本語での情報や正しい啓蒙活動は必要であると考えている。まずは足元(日本)を固めてから海外からの情報や交流をしていけばいいのではないかと言う意見もあるし、正しい啓蒙活動して行くには本に載ってない具体的な医療機関名を公表したら世論を動かし、初診だけで2年待ちをしなくてもいいのではないかとあるADHD/ADD関連のBBSに個人的な意見を書いた人もいるのだ。

そこで私は、自分のHP(Rosamonde.Nethttp://www5d.biglobe.ne.jp/~rosawond/index.html)をほとんどオープンにして公開している。SOAA(大人のADHD/ADDの人を中心にした自助支援グループで去年NPO法人として認可されている)は18歳以上の人だったら誰でも書き込みをしているが、18歳の高校生在学者の書き込みは原則禁止している。それを知らずに“本物”の高校生がうっかり書き込みをしているのがちらほらあった。

私のHPは基本的に自分の意見が言えてネチケット違反しない人だったら中学生・高校生の書き込みを認めている。特に中・高生のADHD/ADDを扱っているHPは少なく、隙間的な存在であろうか。小学生ぐらいまでは親が管理人になって自分のHPから発信している。一番中途半端なのが中・高生でないかと思えてくるのだ。子供のADHD/ADDはHPの数は多いし、親の会などネットワークはかなりある。大人に関してもここ1年でHPの数は2,3倍増えてるし、地域によるが頻繁にオフ会をしている所もある。

親たちは自分の子供が数年経ったら中・高生になっているのを想像して、今から数年後の事を考えて彼らのスペースづくりが必要だと感じている。特に高学年くらいの子供になると、数年後は大学受験を迎えるその時、それらに必要な事はこの国(日本)ではあるのかと言う事である。ADHD/ADDの支援に関しては子供が小さいほど分厚いのである(大人から見ての話で、実際あるオフで私が聞いた話でもあった)。大人になればなるほど“お寒い”状態だと言われている。

進んでいる海外ではどんな支援や配慮があるのか? 日本でも役に立てるのか? 参考になるのか? 情報として使えるのか?など海外の情報はある意味欠かせないのである。日本と外国とは文化・習慣・考え方・法律などかなり違う部分があると思う。我々日本人は平安時代の“かな文化”のように海外の文化などを自分たち流にアレンジし定着させるのはとても上手いと言われている。したがって海外のいい所のノウハウなどを日本の事情や風土に合わせてアレンジするのはお家芸なのかもしれない。

そんな夢のような考えで現実を見なさいと言われるような気がするのだが、前編に書いたように足元を固める為にも日本語だけの情報では限度が出てくる部分がある。日本でのADHD/ADDの歴史はまだ始まったばかりなので試行錯誤の繰り返しが続くだろう。一番大事なのはそれぞれ自分の出来る範囲で正しい啓蒙活動をして行き、少しでもサポーター(理解者)を増やし自分たちの見かたにして行くのが一番いいのかもしれないが。

by Rosamonde

トップへ











































英語は生活に必須か


 Rosamondeさんのファイトにはいつも頭が下がる。また、インターネット時代、海外の大学の教育をこのような形で受けられるのは大変なメリットであり、それもまた彼女が高度な英語能力を有しているからに他ならない。

 このような場合のみならず、確かに国際語である英語が理解できることで得られるメリットは数え切れないものがある。このインターネットも通常私たちがアクセスしているのはもちろん日本語だが、世界中のサイトの90パーセントどころか、印象では97パーセントくらいは英語ではないだろうか。したがって、英語のサイトにアクセスして得られる情報量は、日本語だけのサイトからの情報量に比べて桁違いに多いのも当然だろう。

 たとえばADHDについての情報も、英語版サイトが非常に参考になる。ただし、ADHDもそうだが、インターネットサイトで一番多いのはアメリカだろうし、それからヨーロッパあたりだと思われる。結局は、インターネットが出来る国々はかなり世界でも少数派で、サイトが先進国に偏っていることは否めない。また、ADHDについて自体、やはり一番多いのはアメリカやカナダ、イギリスあたりなのだ。

 私は、けっして生まれつきのバイリンガルでもないし、自分でも堪能だとは思っていないが、よほどの特殊な分野でない限りとりあえずは特に不自由を意識しないで読める。これは、仕事で身につけた能力だが現在では非常に幸運だったと思っている。

 日本は、海外へ向けての情報発信は少ない方だし、海外でも日本の情報にはあまり重きを置いていないが、海外からの情報の取り入れはかなり盛んであり、海外ニュースも即刻日本語訳にされて流され、海外の著名な本も日を待たずして翻訳されている。高度な情報もほとんど日本語で読め、ビジネスでも芸術でも教育でも、日本にいる限り日本語ですべて用が足りる。

 一方、発展途上国では、自国語ではまともな教育が受けられず、情報を得られず、技術を学ぶことが出来ず、ビジネスも出来ないのがふつうだ。従って、教育を受けられる層の子弟は英語教育が必須であり、自国で得られない情報を得たり教育を受けるために、欧米にでることになる。そうやって、優秀な頭脳は海外へ流出し、自国の発展のために役立たない。なにしろ、帰国しても受けた教育を活かせる職場がないのだ。

 自国語だけで教育、技術、ビジネスなどすべてがまかなえる国は、英語圏をのぞけばごく一部でしかない。そして、それらの国の人間たちは、本質的に外国語を学ぶ必要がないので、共通して外国語が下手だ。むろん、ヨーロッパなどは地理的条件から一部数カ国語を話す人達が居るが、やはり少数でしかない。まして、アメリカ人の外国語音痴は救いがたい。これはまた、アメリカ人が非常に閉鎖的であることも関係しているのだろう。世界にはアメリカしかないと思っているアメリカ人がなんと多いことか。閑話休題。

 少なくとも、英語は理解できるようにしておいた方がいいとはおもう。だが、英語を知らなくとも生活に不自由がないのだから、そうそう憶えられるものではないだろう。日本へ働きに来る東南アジアの人々などは日本語が話せなければ生きてゆけないので、ふつう3ヶ月もあれば簡単な日本語を話すようになる。英語は非常に簡単な言葉で、おそらく1月もあれば彼らの日本語レベルにはなれるはずなのだ。だが、幾らそんなことを言っても、幾ら英語を学ぶ環境が整ってきても、日本人の英語のレベルがそうそうあがるとは思えない。だから、私が、とりあえずなんとか今のレベルまで修得できたことは非常に不思議だと思っている。

今、日本では英語を学問として教えており、受験科目などになっている。したがって、試験に受かる目的にはかなうかもしれないが、コミュニケーションとしての道具にはなっていない。実際、かつて私は、高校の英語の先生たちと一緒にボランティア活動をしたことがあるが、彼らの会話力がゼロに等しいので驚いた記憶がある。確かに私が習った教師たちも、流ちょうな会話をしていた場面など見たことがない。

日本の語学教育は、目的が受験に絞られておりとにかくつまらなくなるように工夫されているから、英語を好きになるわけがない。そんな英語を何らかの理由で学ばなくてはならない機会が増えてきたが、いやな思い出がよみがえり、また一番効率の悪い方法で学ぼうとするので進歩しない。

結局、英語を身につけるのであれば、目的が明確にあり、その目的実現のために一番効果的な方法で学べばよいし、目的に近づいていることを自覚できれば進歩も早い。

前回書いたが、日本では英語などを知らなくてもあらゆる情報を得られ、技術を習得でき、教育が受けられ、仕事が出来る国だ。だから、ふつうは英語の必要性がない。結局、英語を学ばなければならない理由がないのだから、英語が上達するわけがない。無意味な努力はしないほうがいい。単なる趣味で英語をやるなら上達しようなどと思うのは間違いだ。

とはいえ、一般企業でも社内の書類や会議は英語を使うというケースが出てきたり、いやでも英語を身につけなければ出世も出来ず、というより勤め続けられないケースが多少出てきた。そんな場合は英語が必須なのだし、憶えざるを得ない。そのようなケースで初めて英語をマスターできると考えた方がよい。

もう一度自分が本当に英語を必要としているのかどうかを考えてから学んではどうだろうか。受験にさえ役に立てばいいのであれば、それなりの非効率な方法で勉強をしなくてはならない。ほんとうにつまらないことである。

明確な動機を持つべし。必要もないのに、みんながやっているから、かっこいいからだけで学び始めてもあまり身に付かない。他にもっと役に立つことをやった方がよい。

もしどうしても英語が身に付いていなければ人生に支障が出るのであれば、3ヶ月みっちりやる。そうすれば、ある程度身に付き、後は終生磨きをかけてゆけばよい。3ヶ月で身に付いた実感がなければ、おそらく覚悟が足りないのであり、英語を必要としない人生に切り替えた方がよいかもしれない。

私の例で、かつてフランス語を短時間習ったが、そこに通ってきていた奥さんがボンジュール、コマンタレブーを20年続けていると知り、びっくりした。全く進歩しないのに、フランス語を学んでいることだけが楽しかったらしい。わたしも、全く進歩せず、考えてみればフランス語を学ばなければ生きてゆけない状況ではなかった。
受験英語が実用にならないとは繰り返し書いたが、実用向けの勉強とはいかなる物か。自分でやってみて、またいろいろな専門家の勧める方法としてとにかく繰り返すしかないという結果になる。また、それが一番効率が高く早い。

英語はボキャブラリーも少ないし、文法的にも動詞の語尾変化などが最小で名詞に性別がないなど(ドイツ語に男、女、中性があることや、スペイン語の動詞語尾変化が理論上128通り有るなどを考えると、頭が痛くなる)かなり覚えやすい言葉なのではないかと思うが、それが世界語として普及してきた理由の一つではないのだろうか。もちろん、アメリカの国力が第一の理由なのだろうが。

具体的には、とにかく英語の文章を耳で聞き、口まねすることから始める。単語の意味を、単語帳で憶える方法は、全く、まぁ〜ったく、役に立たない。単語帳などすぐに捨てて厄払いをすべきである。単語だけ覚えても、使えなければ貯金の変わりに石ころをためるようなものだから。

文章の意味は、最初は日本語訳などを読んでおき、ひたすらテープで流しては、聞き取れた部分だけでよいから口まねをする。最初は、書取はしなくても良い。聞き取り口まねに専心する。英語の歌の練習は良いのではないだろうか。ただし、歌詞は日常会話とは違うので、それに頼ってもよくない。

そうこうするうちに、ところどころ単語単位で聞き取れていた物が、文章単位で聞き取れるようになり、その意味が英語で理解できるようになる。これが肝心。言葉単位ではなく、文章単位で憶える必要がある。

発音は、もちろん正確に出来るに越したことはないが、あまりこだわっていると進めなくなる。どうせ、ネーティブスピーカーと同じ発音は出来ないし必要がないと考えた方がよい。英語はたまたまアメリカ人イギリス人の母国語だが、現在は世界共通語としての役割があるのであり、話をする相手はアメリカ人やイギリス人だけとは限らない。となれば、アメリカ式発音やましてスラングにとらわれるのは本末転倒であり、きちんと相手が聞き取れるのであれば日本式でよい。インド人式発音、中国式発音、ドイツ語式発音があるが、ちゃんと聞き取れる。聞き取る方の慣れの問題でもあり、日本式発音も市民権を主張するべきである。第一、どんな発音でも、大きな声で3回繰り返せば通じる。

乱暴な話だが、発音記号よりカタカナでふりがなをふった英語の方が通じる場合もある。発音は大切だが、それ以上にアクセントやイントネーション、リズムが正しくなければ全く通じない。そのためにも、文章単位で憶えてしまう方が断然よろしい。

また、th、f、vの発音やr,lの聞き分けなどは8才以後に始めたのではほとんど聞き分けられない。私も聞き分けてはいないと思うが、文章の前後で判断しているのではないかと思っている。発音の方は、練習すれば出来る。

この回の最後に書いておきたいのは、教材として自分の興味のもてる、自分の知性レベルに有ったものを選ぶことが大切だ。教材の中身に興味がもてなければつまらない。よく、初心者だからと英語の子供向け絵本などを教材にする場合が有るが、やめた方がよい。あれはアメリカイギリスの幼児向けの内容で、大人が興味を持てるわけではない。私たちが中学校で最初に使った教科書は、I am a boy, I am Jack Jones. I have a bat and two balls.(誰だ!こんな教科書作ったの)だったかと思うが、日本語でも私は少年ですなどということは実際にはない。

英語が上達するには、必要性が重要だとは前回書いた。しかし、根本的な要素が実はある。言葉に対する感受性だ。つまり、日本語が下手な人が英語を完璧にこなそうなど、ひっくり返っても無理だ。きいてみればなるほどと思うだろうが、日頃から日本語をとぎすませておくことが他の言語を身につけるための要素といえる。母国語以上の内容を外国語で話し聞くなどあり得ない。

また、私たちは何語をどんなに完璧に話していようと、日本で育ちそこで外国語を学んだとすれば頭の中身は日本人であり、日本人としてのアイデンティティーをベースにして話すことを忘れてはならない。単にアメリカ人やイギリス人の話し方をまねすればよいのではない。日本人としての英語をマスターするべきであり、アメリカ語やイギリス語をまねするのは間違っている。

どこの言葉でも独特の言い回しが出来てくる。それは主としてその言葉を使う地域の文化が大きく影響する。卑近な例では、遊牧肉食民族が使う英語には、家畜や肉を表す言葉が非常に多い。雄牛、雌牛、乳牛、種牛、子牛を言い分け肩、背中、腹、クビ、足などと肉の部位で言い分ける。一方、日本は肉食牧畜の習慣がなかったので、このような細かい言い分けがない。しかし、四季がはっきり分かれて農耕をしてきた背景から、たとえば雨、風、雲などに細かい使い分けがある。言語と文化背景は切り離せないのでそのようなことを念頭に置いておく必要がある。つまり、インターナショナルイングリッシュを学ぶべしという所以である。ただし、インターナショナルイングリッシュによる文学は出来ない理屈だから、イギリス文学、アメリカ文学などを楽しむために、アメリカ語イギリス語の知識を持つのはもちろん有益である。

さて、最近は何でもかんでもカタカナ語が氾濫し、まことに腹立たしい。日本語に対するアイデンティティーを日本人自身が失いつつあるのだろう。が、それはさておき、カタカナ表記の英語は間違っているから正しい言葉にするべきだというお節介な人々がしゃしゃり出てくるのが煩わしい。

ルームクーラー、フリーダイヤル、パソコンは英語として通用しないから、エアコンディショナー、フリートルナンバー、パーソナルコンピューターと言うべしなどのお節介は無視しよう。どう言おうとカタカナ語であることに変わりはなく、つまりは英語を語源とした新しい日本語なのであり、日本人がわかるのであればそれで用は足りる。roomcooler、部屋を冷やすもの、実にわかりやすいではないか。遠慮無く使おう。問題は、それがそのまま英語だと勘違いして、英語で話しているときにMy pasokon is now out of order, as the roomcooler hit it, so I have to call the maker's free dial. などと言ってもいっさい通じない。それさえ、気をつければよい。

ただし、英語がインターナショナル化してくると、地域により勝手な言い方が出来てきてそれがいつの間にか市民権を得てしまうことがある。

よく言われる冗談だが、ホテルでボーイに、Call me taxi と頼んだら、OK, Mr. Taxi.と言われたというが、そんなことはない。実際はちゃんとタクシーを呼んでくれる。もちろん、Callmetaxiが間違いであることは事実だが、状況から通じてしまうということだ。ご無沙汰していました、のいみでLong time no seeという言い回しがあり、これは完全に間違いなのだが、ちゃんとアメリカでも通じる。元々は中国人が使うピジンイングリッシュあたりから出てきたそうだが、一度英語がインターナショナル化するとこのようなことが起こりうるという見本だろう。

ブロークンイングリッシュはなるべく避けたいが、完璧になってから話そうなどと言っていたら、泳げるようになってから水に入ろうというがごとしで、いつまで経っても話せない。少しでも単語を覚えたら遠慮無くそれを並べて、とにかく話してみればよい。間違っていればすぐに気がつくし直せる。そのような積極性がやはり言語上達の必要条件であろうと思う。

基本的に英語は日本語ではなく(あたりまえ)そのまま意味を英語から日本語には移せない。日本語には冠詞、助動詞などがなく、主語を省く傾向があり、彼彼女のような代名詞を使う傾向が無い。現在進行形、完了形、関係代名詞、受動態などが無い。時制もはっきりしない。

単語の意味が違う。boyと言えば少年と訳すが、子供の男という意味はごく一部であり、男一般を指すと考えた方が良い。神godなど基本用語だろうが、日本語の神と英語のgodとは全く意味が違うのに、簡単に神をgodと訳してしまってはとんでもない誤訳になる。そのような例が多くあるので、英語/日本語の訳というのはきわめて難しい。それが、英語/フランス語などの訳とちがう大きな点である。

前回でもちょっと触れたが、文化の違いを無視して訳すとこれも大変な間違いになる。たとえば、日本ではよそのお宅を訪問してお菓子などを差し出すとき、つまらないものですが、と言う。本当につまらないものなどもって行くはずはなく、気に入ってもらえるだろうと思うから持ってゆくのだし、送る場合でもご笑納くださいなどと書き添える。受け取った方は、どんなに気に入らないものでも、結構なものをちょうだいいたしましたと言う。

アメリカなどの場合、これはおいしいものなので持ってきた、と言い、もしもらったものが口に合わなければ、私は甘いものは嫌いだ、と言う。(もちろん、言い方には気をつけるが)

日本語の「つまらないものですが」をthough this is a trifle gift などと訳そうものなら一騒ぎ持ち上がる。「つまらないものですが」は、I hope you will like this one.くらいに訳すのが本当だろう。

ただし、会話で使用している場合、日本語訳は全く不要であり、英語で話しているときは英語で考えているのが普通である。また、そうでなければ会話は成り立たない。どうしても仕方がないとは思うが、相手の言葉をそのまま頭の中で日本語訳してから理解し、自分の言葉を頭の中で英訳してから口に出すなどしていたら、かんたんな日常会話以上には絶対に進まない。したがって、英語は英語で理解する必要がある。

相手が"I have an apple"と言ったら、he(she)(が) has(している) an apple(を)であり、決して"(彼、彼女)がリンゴを持っている"と考えてはならない。上記の( )内も概念として思い浮かべるのであって、言葉で思い浮かべてはならない。結局、頭のなかに浮かぶのはあくまで"He(She) has an apple"でしかない。英語で考える・・これが出来て初めて会話が出来ると考えて良いと思う。

そんなわけで、テープなどを聴くときは、通常の会話のスピードに最初からなれた方が、結局は近道である。外国語を最初に聞くととんでもなく早口に感じるが、おそれることはない。あまりゆっくりの速度になれてしまうと、思考スピードに追いつけず、結局頭の中で日本語に訳してしまったりこんがらがったりする。最初から自然な速度の会話になれておいた方が良い。そして、ちゃんとそれで聞き取れるようになる。

頭の中の日本語を排するためには英英辞典などが役に立つが、それはずっと後でよいし、基本の言葉はやはり日本語でいくつ理解しなければならないので、きちんとした英和辞典/和英辞典は必要である。ある程度レベルがあがってくれば、あとは英語の文章をそのまま理解できるようになるし、その状態でボキャブラリーも増えてくる。

ボキャブラリーは多いのに越したことはないが、使いこなせない単語を1000語憶えているより、使いこなせる単語を300語憶えている方がよほど会話が出来る。実際は2〜3、000語の単語が使えれば大体会話が出来そうな気がするし、1万語使えればたいてい大丈夫なように思う。私の語彙がどのくらい有るかははっきりしないが、かつてたとえばランダムに選んだ英和辞典の10ページの中の知っている単語に印を付け、それを数えて、全体のページ数から推察するという方法がある。それで数えてみたら約3万語有ったが、もちろん使いこなせる単語はずっと少ない。感じでは、文章の中で読んでみてわかる数がそのくらいでも、会話で使うのは5分の1くらいだろう。ただし、今はそれが増えているのか減っているのかははっきりしない。

わたしのボキャブラリーには、日本語で何と言っていいのかわからない英単語がたくさんあり、それは辞書をひかずに英語の小説などを読み飛ばした結果である。それでちゃんと小説が読めるし楽しめるものである。最近も一冊読み、たとえば漁師が使う単語がいくつかボキャブラリーに加わったが、日本語で何というのかわからないままである。fishguff,linenet,corkside leadsideなどなど。それぞれ、船上で魚をさばく頑丈な柄のついた手かぎ、おそらく線状に設置する網、網の浮きのついた側とおもりのついた側という概念はわかるから、本を読むうえで不自由はない。ただ、漁師の使う特殊な言葉は日本語でも私は使わないから、日常生活にも困らない。現在、(9月中旬)21世紀の科学予想の本を読んでいる。辞書は使っていないが、初めて接する言葉が有るはずなのにあまり意識しない。何となくわかるし、何度もその単語が出てくれば間違いなく理解しているようだ。辞書を全くひかないと決めているわけではないが、実際はひかないで読んでいる。

 最終回のつもりが長くなってしまったので、もう一回続く (^o^;/~

 お断り前回ピジンイングリッシュは中国人が使う云々と書いたが、太平洋諸島で使われているらしい。ハワイでも使われているとなっているが、現実には、アメリカ本土と変わりのない英語が使われている。方言があるのかもしれないが、私には明確には聞き分けられない。まあ、アメリカも地方により確かに響きに違いは有るようだが。東海岸の人間が南部英語を馬鹿にしているのはたびたび聞いたが、ニューヨーカーの英語も美しいとは言えない。

ところで、言語は読み書きより、話し聞くが原則なので、本を読んでいるだけでは肝心の発音が正確にはわからないし、読めるけれど聞けないという典型的な日本人の姿になってしまう。やはり、毎日ある程度耳で接する努力は続けなければならない。あなたの配偶者や兄弟がネーティブスピーカーでないのであれば、テレビの二カ国語映画はサブで聴く、吹き替えなしのビデオを観る、英語放送(AFN)などを聴くなどのことを毎日やらなければ、憶えただけの英語などすぐにさびつく。可能であれば、自分で英語の独り言をやってみるのも大切だ(電車の中などではやらない方が良い。満員電車の中で気がついたら周りから人が居なくなっていたなどの経験がある)

しかし、なんと言っても、実際に会話をするのが一番良いのだが、日本に住んでいてしかも都会ではないとすると、周りに英語を話す人はあまりいない。日本人同士でやっても良いが、少なくとも相手が自分より上のレベルでないとあまり練習にならない。これも、日本にいる限り英語があまりうまくならない理由の一つかもしれない。

さて、海外旅行をする人達が最近は多い。2年間カナダに留学してきたという人がいたのだが、ほとんど英語が話せない。カナダに行って何を学んできたのか不思議だったので、ある日思い切って訊いてみたら、日本人だけで固まって住んで、いつも一緒に行動して、語学学校の学生になったはずなのにほとんど授業に出なかったという。

もちろん、これは例外だろうが、授業は当然英語が出来ないという前提でやるわけだから、自分が本気にならなければ学校で英語が身に付くわけはないし、日常生活で英語を使わないのだから、やはり英語など身に付かない。語学留学をしてきた人のなかにはこのようなケースもあるし、まして、団体旅行で1,2週間アメリカに行ったとしても、英語のひとかけらも身に付かない。以前、アメリカ人の職人と通算3ヶ月ほど日本で仕事をした。だが、彼は一言も日本語を覚えず私が腹を立てて、なぜ憶えようとしないのかと訊いたら、おまえがいるから必要ないと抜かした。

結局、仮に英語などを身につけたとしても毎日それを磨いていないと、すぐに役立たなくなることを頭に置いておく必要がある。アメリカにでも住んでいれば普通に出来るだろうが、日本では教育、ビジネス、情報など生活が全て日本語で間に合うために(このような国は世界でも希なのは前にも書いた)英語には意識しなければ接していられない。だからこそ、日本人の英語は上手にならないのだが、これは誇るべきことだ。

会話が言語の基本だから、すこし偏って書いたが、もちろん読み書きも大切な情報伝達手段だし、仕事でもこの能力は磨いて置かなくてはならない場合があるだろう。会話と違い、何度でも読み直して意味を確認したり、書くときでも何度でも推敲できる。発音もイントネーションもアクセントもそれほど厳重に考えなくとも良い、と思うかもしれないが、基本は頭の中に活きた言葉をいかに再生するかということが、読み書きにも大切だ。したがって、自分は実際に会話はしないで読み書きだけだから会話の技術はいらないとは考えない方がいい。きちんと会話が出来れば、読み書きも飛躍的に向上する。会話から始め、ある程度のレベルになったら読み書きも始める方が結局は早く身につくと信ずる。

ところで、毎回タイトルにしているように、英語は本当に自分の生活に不可欠なのかどうかを考えた方がよい。不可欠でなければ、上達するはずはないし、趣味にとどめておく方がよい。ほかに、やることはたくさんある。

それにしても、なんで、こんなに国から個人まで英語英語と騒ぐのか。そんな暇があったら、日本語をもっとしっかり身につけるのが先ではないだろうか。崩れたスラングだらけの英語をしゃべるのがいいのではなく、きちんとした日本語を話せる方が、よほど価値がある。どこかの馬鹿たれ役人か訳知り顔が、英語を第二公用語にしようなどと言っていたが、愚の骨頂である。英語は、必要な人かやりたい人がやればよい。流行だからやるのは時間の無駄だと思う次第である。

さて、英語についての連載はこれでおしまい。もし、それでも気楽に英語をやってみようと思われたら趣味としては悪くない。英語サイトのネットサーフィンをするだけでも非常に便利だ。ただ単に趣味であるなら、スワヒリ語でもバンツー語でも、ウエライ語でも良いようなもので、実用性を思い切り無視するのも楽しいのだが。


トップへ











































外国語を身につける

昔は仕事柄英語を使っていたので自然に身に付き、今でも特に不自由は感じない と思っている。会社勤めをしていた頃とは使い方が違うから能力が衰えるのは惜 しいので、とにかくラジオでFANを聞き流すとか、テレビの英語もそのまま聞き 取るようにしている。

しかし、昔は英語など身に付くもんかと思っていたほど苦労して、当時英語が身 に付く条件を考えたりした。順不同だが思い出してみると:

1)言葉を覚え始める頃から英語だけに接する
2)アメリカに生まれる
3)出来たらアメリカ人を両親に持つ

だったかと思うが、むろんそう言いたくなるほど英語が駄目だった。しかし、実 際に仕事で英語を使わなくてはならなくなったら、いつの間にか身に付いて、自 分なりに自然に読み書き聞き話し出来るようになっていたので、結局必要に迫ら れない限り外国語など身に付かないのだと悟った。

日本に来る外国人の水商売の女性達などは3ヶ月もすればそれなりに日本語を身 につけるのだから、やはり語学能力が生活に結びつくことが言葉を学ぶ必然性な のであろうと思う。さて、それはともかく、

私なりに外国語を身につけるコツをまとめてみた。

1)語学と考えない。言葉は学問ではなく技術であり、学ぶ物ではなく身につけ る物である。

2)完璧な外国語など目指さない。日本語でさえ相当不完全だが日常生活には不 便がない。したがって、通じれば良しとする。

3)発音も結構通じる物だから、完璧を目指さない

4)文法はあまり気にしない。日本語でもかなりいい加減な文法で使っている し、そもそも文法など昔は認識されていなかった。

5)日本語能力を身につける。日本語がまともでなければどんな外国語もまとも に身に付くわけがない。日本語で理解出来ない専門分野は外国語でも理解出来ない。

6)初心だからと、子供の絵本などを教材に使わない。最初からきちんと大人が 興味を持てる内容の文章を教材とする。

7)最初からナチュラルスピードの会話を聞き取れるようにする。何度も聞いて いると、部分的に単語が聞き取れるようになり、最後に文章が聞き取れるように なる。

8)とにかく聞く。英語放送を聞き流す。時々注意を集中して、聴き取れる単語 がないか注意する。また発音を真似してみる。最終的に文章全体が聞き取れ、そ のまま言えるようになる

9)とにかく読む。意味が分かる単語を探す。文章の内容を想像する。次第に正 しく理解出来るようになる。

10)とにかく書く。口で発音しながら書く。何度でも繰り返し、文章を見なく てもまるまる書けるようにする。むろん、意味も理解しておく。

11)最初から日本語で解説したテキストは使わない。ただし、英語以外の外国 語では英語で説明したテキストが良いようだ。ある程度進んだら、その言葉で書 いたテキストを使う。それは辞書も同じで、最初は日本語-外国語辞書もやむを 得ないが、なれたら、外国語-外国語辞書を使うようにする。所詮、外国語をそ のまま日本語に訳すことなど無理なことであり、それを頭の中でやらないため。

12)頭の中で日本語と外国語を変換しない。最初からその言葉で考えるように する。最初は難しいがなれると非常に早く頭に入る

13)短期間である程度のレベルになる。ある程度とは、日常会話が普通に出来 るレベル。何年もかけるといつまで経っても出来ない。3ヶ月で初歩レベルにな るし、どんなにかけても一年で日常レベルに達しなければのぞみがない。それ以 上は、一生かけても完成しないと割り切る

14)生活に必要がないなら、無理して続ける意味も無いので、面白くないと 思ったら止める。

15)そうでないなら目標を持つ。現地に行って現地の言葉で現地の人と話すなど。

今ならチャットやツィッターで殆どの言語が書き言葉として使えるし、映像 チャットを使えば会話も出来る。それが出来ることを目標としても良い。ただ漠 然とやるのは続かない。

以上だと思うが、補足すると:

日本人で数カ国語を話す人は珍しいけれど、ヨーロッパには普通に居る。アメリ カ人は全く駄目。 しかし、人間の能力として10カ国語位を身につけるのはそ んなに難しくないとのこと。だだし、英仏独西葡伊語などは同じ言語グループに 入っているので英語などを身につけると後は比較的簡単に身につけられる。

インドヨーロッパ言語とは別に、中国語やアラビア語などをやるのも趣味として は面白いかも知れない。実用レベルとなると、かなりの覚悟が要る。

私は、英語はまあまあ実用レベルにあると思うけれど、他の言語は全くの初歩的 挨拶程度。でもせっかく昔身につけたので無くなるのは惜しいと思い、最近とり あえず三カ国語をブラシュアップしている。また、昔、英語を基に学んだので、 それは非常に良かったと思っている。むろん、それが今後の生活にどれだけ役立 つかは疑問、というより役立つことはないと思うが、単なる頭の体操、娯楽とし て続けている。

日本では日常ドイツ語やフランス語などを耳にすることは少ないけれど、やろう と思えばユーチューブなどがあるし、テキストは不自由がない。

やれる環境があるなら、上に書いたようにチャットやツィッターで筆記会話は出 来るし、映像チャットが出来ればなおさらだ。金はある程度かかるが、相手を見 つけて国際電話をかけてみるのもありかも知れない。

by ロクスケ










トップへ











































百万人の英語

今日は、ADHDの話題からは少しそれて、英語の話です。

これまでのロクスケさんからも、英語を話せるようになるまでの貴重なご経験談 を教えていただきました。今日の話も、そのお話に近いもので、小生のようにこ れから英語をまた勉強しようとしている者には、また一当事者としても大変励み になる話です。

今日のタイトルは、今から30年くらい前、小生が子供の頃にラジオでやってい た番組の名前です。その後、英語教材としても発売されているようで、ご存じの 方も多いと思います。この番組に出演していたのが、小林克也氏という方です。 ロクスケさんと同年代の方で、英語に堪能な芸能人として、多くの方がご存じと 思います。

以前から、車を運転するときはほぼ必ず、地元のラジオ局であるNACK5を良く聞 いています。そのNACK5で、毎週金曜日の朝9時から夕方6時頃まで「ファンキ ーフライデー」という番組をやっています。DJである小林氏がずっと朝から晩ま で生放送で曲紹介などしながら一人でひたすら喋り続けるという大変ユニークも ので、毎週この小林氏の声を聞くたび「あぁもう金曜か」と思っています。

週1回とはいえ、朝から晩まで一人で喋り続けるそのパワフルさにはいつも圧倒 されます。仕事柄、余程喋るのがお好きなのでしょうが、自分の親くらいの年代 の方々がこれだけ元気であると、まだまだ青二才の小生には大変励みになります。 最近の50〜70歳の方々は本当、元気ですね。

その小林氏の経歴を拝見すると、英語の勉強のスタイルに関して非常にユニーク で面白いです。ネイティブの米国人と間違われるくらい流暢な英語を話すそうで すが、何でも、生粋の日本人である上に、全く海外に留学や居住した経験が無い そうで、英会話学校に通ったこともなく(逆に、DJの仕事をするために日本語教 室には通ったそうですが)、若い頃に英語のラジオ放送や好きな洋楽を夢中で聞 き続けてマスターしていったのだそうです。

そういった前人未到的な、常識破りの方法で一つの道を極めたという点もまた、 非常に励みに、参考になります。特に、ラジオを夢中で聴き続けた、憧れたエル ビスプレスリーを真似て米国南部訛りの英語を喋る練習をした等、好きなことに 過集中にのめり込むADHD、アスペ当事者には大変通じるものがあると思います。

どこかのサイトに載っていたインタビュー記事によると、小林氏流の英語上達の コツは、自分が何かの人に成りきって喋っている姿を思い浮かべるというイメー ジトレーニング、あとは自分のスピーキングの弱点、悪い所をつぶさに見つけ、 それと向き合って、克服してゆくことの2点だそうです。この2点も、小生個人 的には、今まさに自己改善に向けて取り組んでいる自分の方向性に通じるものが あり、非常にツボにはまる感じがします。

ロクスケさんをはじめ、小林氏のそういった経験談やパワーを励みに、自己改善 だけでなく、今後は英語の勉強にも力を入れてゆきたいと思います。とりあえず、 高校生の頃一時的に続けていたラジオ放送のFENをひたすら聞くということを、2 0年ぶりにまた復活してみようかと思います。

by なさ







トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ














































トップへ