ここでは、当委員会メンバーなささんが定期的に投稿されている原稿をまとめました。




なさのノート

〜鬱的精神状態からの脱却を図るまで、またそこから学んだこと
プチ成功体験
自己サイトの内容拡充を中心に
歴史上の先人に学ぶ
物事が上手く行かない原因を考える
暗黙知について考える
私が会社を辞めた理由
能力コピー
新年の目標「達成」
再生可能エネルギーに挑む
世の中の仕組みを考える
我が家に来るネコ母子
能力とは何か?
落ち込まなくなった?!
2014年を振り返って
早め早めの行動
癖付けに関する経過報告
先延ばしについて考える
前年の振り返りと今年の目標
発達障害自助活動の今後について
今年一年を振り返って
今年の計画
うっかりミス等の撲滅
今年の振返りと来年の目標など
今年一年を振り返って(NEW)

-->













戻る






























〜鬱的精神状態からの脱却を図るまで、またそこから学んだこと
 

 1.問題解決以前 仕事の失敗の繰返し等により、一時期かなり危険な精神状態に陥っていた(失敗の具体的な事例については今回は割愛する。別の機会に個別に採り上げたい)。正直なところ、自殺願望や世の中を巻き添えにしてやるといった様々な“危険思想”が頻繁に頭の中をよぎっていた。

  後述の対策以外にも、全く手を打たなかったわけではない。今から8年ほど前だが、催眠(特に自己暗示)を勉強したことがある。テレビのバラエティー番組に出てくるような胡散臭い催眠術ではなく、正当な一心理学としての催眠である。ややマイナーだが専門的なある本を読み、さらにその著者の運営するクリニックで直接のカウンセリング指導まで受けた。部分的に効果があったが、途中で挫折してしまっていた(この一連の経験についても別の機会に採り上げたい)。

  一念発起して精神科に通院しようとしたが、当初家族の理解が得られなかった。(鬱病の目安と言われる)「2週間連続して鬱状態になっていない」「精神科通院歴ありとなってしまい、その情報がどこかに漏れたとき、冤罪に陥れられる」「お前のような自分勝手な鬱に処方する薬など無い」などと言われ、猛反対に遭った。その一方で、落ち込んで帰宅すると、「自分のせいで失敗したのに勝手に落ち込んで、家庭内の空気まで壊すな」「会社のことを家庭まで持ち込むな」など厳しい態度を度々とられた。今にしてみれば、家族の気持ちも理解はしたいと思えるが、当時は精神的に相当追い討ちをかけられ、つらかった。

  ちなみに、やはり8年ほど前、当時出版されたばかりの「片付けられない女たち」をたまたま読み、自分もこれに当てはまるのではないかと家族に話をした際、理解をされず門前払い同然に一蹴されたという経緯もあった。今にして思えば、このとき一蹴された影響で、自分が成人ADDではないかと改めて自覚するまで相当の年月を要することになってしまったのではなかろうか。

 2.問題解決以後 結局、家族の反対を押し切り、ある精神科を受診した。きっかけは、会社の健康診断での問診で産業医からメンタルヘルスの受診を勧められたことであった。当時精神的に相当辛かったこともあり、藁をもすがる思いで即座に有給休暇をとり、受診した。


プチ成功体験

  初診時に精神安定薬(レキソタン)を処方された。即座に服用したところ、劇的な効果があった。落ち込む頻度が大幅に減り、冗談を言って笑うなどの安定した精神状態が持続するようになった。それと連動して、いわゆるプラス思考的な考えやバイタリティも不思議に自然と湧いてくるのである。その後、レキソタンは手放せない常備薬となった。家族は当初反対を押し切って受診したこと、処方された薬の服用に対してかなり冷ややかな態度であったが(眠くなるという副作用に対して「危ないので車の運転も頼めなくなる」等)、劇的な効果に驚き、次第に何も言わなくなった。薬の効果の原因を探ると、(あくまで自己観察からの知見であるが、)決して全てが薬の薬理的効果によるものではなく、ある程度は自分の思い込みによる心理的効果、いわゆるプラシーボ効果によるものとも考えられる。というのも、精神的に辛くなってレキソタンを服用した際、口に含んだ瞬間気分が和らいだということが一度あったからである。それほどの速さで薬理的効果が出るとは考え難く、したがって、少なくともその場合は心理的効果によるものと考えられる。

  大きな効果はあったが、決して万能薬ではなく、効果の限界はあり、副作用も少なからずあると感じている。例えば、程度のひどい落ち込みまたは連続的な落ち込みを経験した際、薬を(許容の範囲で)何錠服用しても落ち込みが改善されなかったことが何度かあった。また、一日あたり何錠も服用した場合、昼間の勤務中に非常に眠くなり困ったこともある(コーヒーを今まで以上に大量に飲用するなどの対策で何とかしのいだ)。そもそも、自己観察から、睡眠不足だと気分が落ち込みやすくなるようである。その場合、薬を服用しても余計に眠くなりやすく、悪循環である。さらに、ただ一度だけだが、真夜中に突然睡眠から目覚め、頭がキンキンして手足が一定時間震え続けるという気味の悪い経験もあった。このとき、即座に救急車を呼ぼうかと本気で考えたが、幸い一定時間後に症状は治まり、事無きを得た。ちなみに、このときの症状を後日主治医に報告したが、「一度きりだし、症状の再現が無いのだから大丈夫では?」と話を流されてしまった(専門家として本当にそのような判断で良かったのかと今でも疑問に思ってはいる)。

  今年に入り、職場の異動を経験し、仕事の面でのストレスがかなり緩和された。精神的にある程度の余裕が生まれたこと、さらに前述の薬の効果の連動による(と思われる)プラス思考、バイタリティが土台となり、自分の能力的、性格的な問題点(今にして思えば成人ADHD/ADD特有の症状)を何とか少しでも克服したいとの思いが強くなってきた。たまたまネットで類似の悩みを持つ人はいないか探している途上、過去の「片付けられない」の本のことを思い出し、成人ADDとの自覚を持つようになった。その結果、数はまだ少ないが成人ADDを診断する専門医が日本にもいること(ちなみに、前述のレキソタン処方医師には成人ADHD/ADDのことは一蹴されてしまった)、WingBrainはじめADD当事者の自助努力的サークル的活動、サイトが存在することなどを知り、精神的に大変勇気づけられた。また、今年の初秋、成人ADHD/ADDの専門医にやっと巡り会うこともでき、専門的診療を受けている(ただし今現在は確定診断前である)。これらのことが(あくまで自己観察に基づく推測だが、)前述の薬と同様、精神状態の更なる安定化に大きな効果があったように思われる。

  今現在、ほぼ安定した精神状態を実現できているが、それでも些細な失敗によりたちまち気分が悪くなることが時々ある。この場合、スイッチが切り替わったかのように、気分に連動してマイナス思考や危険思想、周囲の人物への憎しみ的な感情などが次々湧いてきてしまう。幸い、僅かでも気分の落ち込みを感じたとき、ほぼ例外なくレキソタンの服用が頭に浮かび、実行できているため、気分の落ち込みは電気信号のパルスのようなごく一瞬の“不具合”として自分の中では処理できている。マイナス思考の自分が、そのマイナス思考状態を維持しようと、薬の服用を無意識的に拒否または忘却してしまうこともあるのではと思ったが、幸いそのようなことは今のところない(このような心理的メカニズムについても別の機会に考察したい)。

 3.まとめ (得られた成果、知見と今後の課題など) 今現在、前述の要因により、ほぼ安定した良い精神状態の実現に成功していると言える。ADD的悩みの克服はまだまだこれからだが、安定的な精神状態は全ての活動の土台になるものであり、城の築造に例えれば、強固な土台が完成し、これからその上の城本体の構築を始める段階にあると自分では捉えている。

  今にして思えば、前述の一連の経験から実に色々なことを学んだと思う。ここから得られた知見、教訓を是非世の中の人、同様な悩みを持つ人々に強く訴えてゆきたいと思っている。すなわち、  ・鬱的症状やADD/ADHDに対しての世の中の偏見や誤解はまだまだ大きい。家族や職場の同僚、専門外の医師等による助言は(申し訳ないが)過度にあてにしない方が良い。  ・かといって、それらの弱みに漬け込み変に理解を示すインチキ商法や新興宗教、NPO等にも気をつけた方が良い(ネットを見ていて、そういったサイトをいくつか見つけた)。特に個人情報の流出や金銭の振込の面で。  ・周囲の理解の無い意見や反対を押してでも、精神的に少しでも苦しいと感じたら、躊躇せず直ちに精神科、できればADD/ADHD専門医にかかることを強く勧める。  ・ただし、自分の経験から、ADD/ADHD専門医の初診を受けられるまでには一定のハードルがあると強く感じており(これについても別の機会に述べたい)、まずは精神状態の安定化が全ての活動の基盤になるとの考えから、たとえADD/ADHD専門外で成人ADD/ADHDに理解を示さない医師でも良いから、とにかくまずは身近の精神科を受診すべきである。  ・専門医の受診と並行して、ADD当事者のサイト、活動にも参加するなどし、同じ悩みを持つ方々と情報や気持ちを共有することも少なからぬ効果があると思うので、勧める。といったことである。

  最後に、今後は、精神状態と思考が完全に連動してしまっている現在の状態を上手に切り離す訓練を積み、気分的にはプラス思考を保ちつつ、視点としてのマイナス思考(ただし危険思想は除く)を上手く活用するなどの技能を身につけたいと思っている。また、前述の一度挫折した催眠の再習得、ADD的症状の克服にも全力を傾け、その経過を逐次本メルマガ上で報告してゆきたい。

体調を崩さない

 今日も、自分が最近良い意味で変わってきたことの一つについてお話します。

 ここ最近、以前とを比べて体調を崩さなくなったと感じています。昨秋を最後に、今年の冬は全く風邪も引きませんでしたし、概ね身体の状態は良好な状態を保てています。(まだ寒い時期なので、時期尚早かもしれませんが。。)

 体調を崩さなくなった原因としては何点か挙げられるとは思います。が、やはり一番の原因は精神的な状態が良くなったことではないかと考えます。心身相関とか言いますが、精神的に辛い状態が続いていると、体の免疫力にも少なからず影響があるのではないでしょうか。

 以前ロクスケさんも書かれたように、精神的に辛いと、頭の中も前向きな考えが浮かびにくくなってきたりします。逆に、精神状態が良いと、心身の様々な面の歯車が良い方向に噛み合い出して、良い結果に結びついてくるような気が改めてしています。

 このように、精神状態とは人間の心身の根幹を成していると言えます。良い精神状態を維持することは非常に重要なことだと改めて感じる今日この頃です。

 ちなみに、医学の素人の勝手な経験則なのですが、体調を崩す、何か大きな病気にかかるというのは、長く続いた苦労や緊張状態が解け、ふっと気が緩んだときに起こりやすい、ということはないでしょうか。

 事実、上で「昨秋を最後に」と書きましたが、その最後に体調を崩したのは、実はADHD専門医の初診とWAIZ-IIIなどの心理検査を受診した直後のことです。足掛け数ヶ月もかけてADHD専門医を見つけだし、初診で専門の先生と話をしてもらえ、その上検査まで受けられ、ある種ほっとした瞬間だった気がします。

 以前も書いたように、小生自身の正直な、率直な思いとしては、最終的に昨年末にADDの確定診断をもらったときには、あまり内面の心境の変化はありませんでした。むしろ、初診と心理検査を受けられたときの方が変化が大きかったと記憶しています。その意味では我ながら、辻褄の合う話だと思っています。

 その心境の変化以降、体調は崩していないし、考えも前向きに、やる気も出てきて、WingBrainに、さらには夜明け掲示板にも参加するようになって、現在に至っています。重ね重ね、この今の良い状態を今後も長く維持していきたいと思います。

心と体はそれぞれ独立した物ではなく、密接に結びついているのは言うまでもなく、たとえば断腸の思いなどと言うのは、ストレスが高じると実際に腸から出血をする現象を言います。精神的に落ち込んでいるとき体調が崩れるのは誰しも経験すること。

 しかし、生きている限りストレスはさけられず、同じストレスでも精神的に落ち込んでいるときはもろにその影響を受けるけれど、精神的に高揚しているときはストレスを無視できると言うことでしょう。

 分かり切ったことですが、常に意識しておく必要があると思います。むろん、体調がいいと、精神状態もよいという逆も成り立ちます。すると、私たちにとってコントロールしやすいのは体だと思えるので、散歩をしたり、運動をしたり、食生活に気をつけたりして体調を整えることから始めるのも確実な方法だと、わたしは考えます。もちろん、意識できる範囲で心を改善する努力もしなければなりません

 体調を改善し、心が改善され、また体調が改善されるという良いスパイラルに乗ることができれば最高ですね。
 
 
from ロクスケ

少しずつ片付ける

今日は片付けについてのお話です。
ADHD/ADDには典型的な特徴かもしれませんが、小生はご多分に漏れず、片付けるのが相変わらず苦手です。とはいえ、何とか少しでも克服したいとは思ってはいます。

そのせいかどうかわかりませんが、最近少しずつ片付けられる癖、コツが身に付いてきたような気がしています。そう思うのは、自宅の居間や台所の掃除に関してです。

二人の幼い子供(特に下の子)は、おもちゃ箱、本箱を次々とひっくり返しては、また次のおもちゃや本に興味が移っていってしまいます。放っておくと、たちまち部屋の中が足の踏み場もないくらい散らかります。

以前は、部屋が散々散らかってから、正直嫌々片付けていました。が、(かなり初歩的なことですが)最近あることに気付きました。子供が次のおもちゃや本に興味が移った時点で、さっさと前のおもちゃや本を片付けてしまえばよいのです。子供にも、「出したものは片付けてから新しいものを出そうね」と教え、なるべく自分で片付けさせてもいます。
今のところ、これで結構うまく行っています(と思っています)。

自己分析するに、子供へのしつけの効果だけでなく、小生自身の片付け力?の向上にも多少たりともつながっている気がします。少しでも散らかった時点ですぐ片付けるという行動を起こすこと、一回の片付け作業を少ない量に分散させていることなどが小生を嫌々な気持ちにさせず、結果的に先延ばし防止になっていると思われます。

食事後の台所の片付けなども同様です。食べ終わった食器から次々台所に運び、さったと洗ってしまうのです。最近そういう癖がつきました。こうなると、食事が終わる頃には食器の片付けもほぼ終わっています。

個人的にはこの身に付いた癖は気に入っています。もっとも、自分以外の家族から見て、あまりマナー、印象として良くないのかもしれませんが。次は、何とかして、小生の自室の書類の山を「少しずつ」片付けたいと思います。これを今年の目標の一つにしたいと思います。


常日頃散らかったら片づけることで、どうしようもなく散らかる、汚くなると言うことは避けられるはずで、おっしゃることはその通りだと思います。

私も可能な限りそうしていますが、それを癖づけるのは大変で、やはり相当時間をかけ習慣化する必要がありますね。つまり、使った物は元に戻す、その場で出たゴミは処理すると言うことにつきますが、それがADHDの性格上できないとうことですからADHDの本質に関わる問題です。なかなか難しいですね。

from ロクスケ


自己暗示による感情コントロール

 10年ほど前だが、小生は社会人となって間もなく、早くも壁にぶち当たった。

 仕事で散々失敗(今にして思えば、典型的なADD的失敗)をやらかし、人づき合いの下手さも重なり、上司や先輩から繰返し叱られ、嫌味を言われるうち、精神的に滅入ってしまった。

 すぐに精神科に行けば良かったのだろうが、当時はそういった行動を採らず、どういうわけか、以前から興味のあった心理学に解決策を求めようとした。

 当時はネット環境が貧弱であり、主に本屋の立ち読みで情報収集していた。心理学のコーナーで悶々と本をあさっても、自分の悩みにそのものずばりと言えるものはなかなか見当たらなかった。

 当時まだADHD/ADDを全く知らず、例の「片付けられない女たち」の本も出版前(2000年5月出版)と記憶しているので、無理からぬことだったかもしれない。

 その中でも、精神の安定化、能力・性格の改善という点に魅かれ、催眠やNLP(神経言語プログラミング)などに段々と傾注し、本を買いあさることを繰り返した。

 ちなみに、後者については、(そもそも本を買って安心してしまい、書いてあることの実践もロクにしなかったが、)何も効果は無かった。後にネット上で全くのインチキである旨の記載を見つけ、全く信用しなくなった。

 前者の催眠については、これもピン〜キリと言え、胡散臭い本も少なくなかった。胡散臭くはないにせよ、ヨガのようなものを解説した後、「生きることの意味について考える」ことをやたらと推奨するなど、哲学・宗教色の強い本もあった。

 段々と希望を失いかけていたとき、ある大型書店の片隅で「感情モニタリング」という本に出会った。お世辞にもメジャーな本とは言えない代物であったが、著者の経歴や資格、何より本の内容から、個人的には「これだ!」と感じた。

 指先の触覚など身体感覚を意識することにより、喜怒哀楽的な感情を自在にコントロールするという、ある意味では画期的な方法である。

 姉妹編の本も探して読み、半ば自己流で(ではいけないのだが)色々と実践した。後にその著者のカウンセリングルームにも一年ほど通った。その結果、数か月を経て、精神の落ち込みが非常に減った。家族からも「ねぇ〜、落ち込まなくなったよねぇ。」と驚かれるほどであった。

 ただ、結局このときは、後のあるきっかけで落ち込みやすい自分に戻ってしまい、その意味では失敗に終わったが、部分的には成功体験と言えるものであった。

 次回以降、その成功、失敗の話を掘り下げて述べたいと思う。  
今日は、話の続きとして、特に以下の2点について触れたい。
  ・感情モニタリングなる方法やそれを開発した心理士を何故信用したのか?
  ・具体的にどういう手法なのか?どういう訓練が必要なのか?


まず、何故信用したのかについて述べる。

小生がたまたま見つけた「感情モニタリング」なる本は大型書店の片隅で埃をかぶっていた本ではあったが、特にそれまで小生が読んた本の内容と比べ、理論的、体系的であり、またそれが首尾一貫していたからである。

また、商業色や哲学・宗教色が全く無く、むしろそれらを批判的に書いていたことも挙げられる。(それまでに読んだ本は、肝心の部分の科学的説明をぼかし、セミナー等の金の支払に誘導しているもの、途中から宗教的思想や教えに走っているものも少なくなかった。)さらには、人間の感情のメカニズムを分析し、高度な心理学的技法によってそれらを制御できるという、いわば人間機械論的な思想を感じたこともある。(最後の点は思想信条にも関わる部分なので、受け止め方は人それぞれだろう)

何より、(初めはそれでも正直半信半疑だったが、)一念発起してその心理士の下に通い、数か月を経て効果が少なからずあったからである。


次に、具体的にこの方法がどういう方法なのかについて。

良いまたは普通の精神状態で、指先の触覚などの身体感覚や、喜怒哀楽的な感情(に起因する身体感覚、たとえば頭にかーっとに血が昇っている状態、緊張して心臓がバクバクしている状態など)に気付き、それを対象化して客観的に見つめてみるという方法である(と小生は解釈している)。

これは、先日のワンフレーズにも挙げた「眺める自分」を前面に出すことの言い換えとも言える(と勝手に理解している)。

こうすることで、不思議にも、怒りや落ち込みなどの感情がぼやけ、精神に落ち着いた状態(トランス状態、潜在意識が出やすい中立的な感情の状態)に入る。訓練を積めば、強い不快感や精神の落ち込みをも落ち着かせられるとのこと。つまり、精神状態の安定化が図られるのである。

加えて、トランスの状態に入っているとき、自己暗示をかけると、その暗示は通常時よりも効きやすくなるという効果もあるのだそうである。自己暗示は、禁煙やあがり症の克服などの自己改善に役にたつ。

この方法を適切に訓練を積めば、このように様々な面で少なからぬ効果が見込まれるようだ。


なお、この方法を開発したきっかけの話が本に出ていた。面白いので、ここでご紹介する。

古い年代の哲学者・心理学者が、人間の感情とはいったい何なのかを探究すべく、自分の内面の感情を客観的に観察しようと試みたそうである。

だが、どうやっても、湧き起こる喜怒哀楽的な感情(に起因する身体感覚)を客観的に見つめようとすると、すぐに感情が治まってしまい、全然観察、研究ができないという泣き事が古い文献に書かれていたそうである。

これは、裏返せば、湧き起こった感情を客観的に観察することでその感情を静められるという大きな発見でもある(上記の哲学者・心理学者はその価値に気付かなかったらしい)。それを応用して開発したのが、この「感情モニタリング」なる臨床心理学的技法だそうだ。

プチ成功体験5・ネット投稿、サイト運営で得る緊張感

早いもので、小生がWingBrainに参加させていただいて、半年が過ぎました。また、自分のサイトを開設して、3か月が経ちました。

この間、色々なことをネット上に投稿、議論しました。その中で、この世界の先輩方々からいただいた有益なお話が何より有難いものです。


それ以外にも、小生自身の日々の体験記や日誌的なものを定期的にネット上に報告、投稿する形を採るようにしたことで、良い意味で自分を追い込み、適度な緊張感を保てるようになったと思っています。

今までは思いついてちょっとやっては、すぐ飽きたり忘れて挫折、というパターンの繰返しだったので、それが毎日ペースで日誌的なものをつけられ、ひいてはそれで自分を客観的に見つめられるようになったのはすごく大きな進歩です。

自分で言うのも何ですが、他サイト掲示板の過去記事や自分のサイトの記事、更新履歴などを見ると、この先延ばしが激しく、意志薄弱な自分が、我ながら良く継続できているなぁ、とちょっと感慨深いものを感じます。

この達成感を味わうと、今の精神状態が良いからというのもありますが、何だか先延ばしなどの欠点を克服できた、あるいは今にもできそうな気さえしてきます。大袈裟かもしれませんが、でも自分を良い意味でだますことは必要と思います。


正直なところ、掲示板の記事や自分のサイトのヒット数、アクセス数がどうしても自然と気になります。初めは意識的にそんなの気にすべきではない、と言い聞かせていましたが、最近はむしろ意識的に気にするようにしています。

というのも、それで投稿、サイト運営への意欲を保て、ひいては上記の良い緊張感を保てることにつながるからです。あと、日々の生活の中で、ささやかな楽しみを増やすことも、ストレス解消、気分転換の意味で重要と思っています。


この緊張感を保ちつつ(と言いつつも、最近ちょっと中弛み気味ですが)、またどんどん新たなことにチャレンジしてゆきたいです。それでは。

プチ成功体験4・催眠、自己暗示による感情コントロール(3)


 今日は、話の続きとして、特に以下の点について触れたい。・感情モニタリングなる方法は具体的にどんな方法なのか? 習得するには、どのような訓練をどの程度、どんな頻度ですべきか?・本の通りにやってみて、実際のところどうなのか?

 本の受け売りだが、どんな感じの方法なのかをまず簡単に述べる。(本記事はあくまで小生個人の視点で書いているので、詳細は前回紹介 した本を直接参照されたい。念のため、本記事の最後にも再度挙げる。)

 人間の五感(触覚、味覚、聴覚、嗅覚など)を意識するという方法である。まずは触覚が良いとのことなので、その通りにしてみる。指先で物を触れているときの感覚、あるいは立っている・座っているときの足が床に触っている感覚、尻が椅子に触れている感覚などを意識する。

 慣れないと何だかよく分からないし、初めに言葉で言われるだけではピンと来ないと思うので、とにかくまず試してみるとよい。ここで、意識する際、気楽な感覚で、興味本位で眺める程度の感じでやることが大切のようだ。歯を食い縛るほど強く意識しすぎるのは逆効果である。

 小生の主観的な感覚で言うと、特に目をつぶって触覚を意識すると、頭の中に触覚に対応した漠然としたイメージのようなものが浮かぶ。そんな状態を気楽に構えてしばらく(数十秒?)維持していると、何となく感覚的にホワーっとした、視界もややぼやけるような気分になってくる。

 それが催眠の言葉で「トランス」と言い、感情的に中立な、暗示のかかりやすいリラックスした状態である。自然に体の力も抜けてくる。(強いて言えば、テレビをぼーっと見ているときの感覚に近いだろうか? 誰でも、そんな感じになるときはあるでしょ?)

 このような触覚の意識化と合わせて、今現在の自分の気分、精神状態が良いのか、悪いか、あるいは普通なのかをチェックするという行為を行う。(触覚の意識化でトランスに入ってしまえば、気分は悪くはなくなるはず)

 自分の経験からすると、初め本を読んで、自分の精神状態の良悪を自分で気づくのは案外難しいのでは?と思ったが、やってみると意外とできる。ただ、慣れないと、何でもない普通の状態というのはピンと来ないかも。

 頭の中や腹、胃のあたりの身体感覚(のイメージ)を意識してみると良い。あとは、自分に対して心の中で「今の気分はどうだい?」と語りかけてみると心の奥から返事が返ってくるかもしれない??。

 チェックして、気分が悪くなければ(=良い、普通ならば)、やはりしばらく(数十秒?)その気分、精神状態のときの感覚を気楽に構えて味わうように意識する。逆に、気分が悪ければすぐに意識化を止めることが大切だそうだ。

 気分の意識化をしばらく続けた後(あるいは悪い場合に意識化をすぐ止めた後)、また上記の触覚の意識化に戻り、今までの流れを5〜10回程度繰り返す。これら一連の動作を一パックとして、一日あたり一パックを3回(朝・昼・晩?)やり続けると、約2週間で触覚や気分の意識化が自然とできるようになるそうだ。

 これらができるようになることが、感情モニタリングの基礎になるとのこと。小生はまだ基礎がしっかりできていないので、しばらく続けてゆきたい。今回はここまで。続きは、追って2週間後に次回の記事として報告したい。

 参考文献:「感情モニタリング・実践編」(河野良和著、1988年、河野心理教育研究所出版)

自己暗示による感情コントロール

 今回も続きとして、感情モニタリングなる方法を実践してみての経過、効果について述べる。

 前回の原稿を書いた日からほぼ1か月経つので、概ね1か月間続けていることになる。

 結論から言えば、自分の身体感覚に注意を向けて集中するのが意外と難しく、すぐ意識が他に飛んでしまうことから、なかなかきっちり身に付いたとはまだまだ言えない状況にある。とはいえ、それでも自分なりに集中する方法をいくつか編み出したので、今回はそれらのちょっとしたテクニックをお伝えしたい。

 繰返しになるが、一連の順番としては、・身体感覚、特に指先など触覚を意識してみる。・自分の感情が不快か快かをチェックする。というのを何度も繰り返すことである。

 まず自分の感情をチェックするには、心の中で「今の気分はどうだい?」と念じてみることである。冗談のように聞こえるが、意外と効果がある。「そうねぇ、今は普通かな」「ちょっと不快かな」などの返答が自分の心の中から帰ってくる(ように感じる)。

 小生の経験則から、触覚ではないが、頭、および胃のあたりの身体感覚と感情とがどうも連動しているように思われることから、頭、胃のあたりの身体感覚を同時に意識するようにしている。気分が不快だと、これらの身体感覚にノイズのようなものが走っているように感じることが多い。

 また、触覚を意識するときには、動かしている身体部分、目で見ている先の部分の感覚を意識すると比較的長く意識集中していやすい。前回も書いたように、頭の中で身体感覚に連動したイメージを浮かべていると、トランスの状態に入りやすくなると思われる。トランスに入りかけてくると、不思議と体の力が自然に抜けてきて、体の動きがゆっくりになってくる。

 気分チェック、触覚意識化を5〜10回繰り返すにあたり、意識が別のところに行ってしまいやすいことに改めて気付いた。実際のところ、10回も繰り返せたことは自慢ではないがまだ一度もない。

 とはいえ、何度か気分チェックと触覚意識化を繰り返すことにより、初め不快だった感情が、途中からぼやけてきて、快適とも言えないが不快ではない感情に変わった体験を今回も何度か味わった。

 今後続けて、10回程度まで繰り返して意識できるようになる方法を研究してゆきたい。また、不快感情をぼやけさせる体験を頻繁に、効率的に出せるようにしてゆきたい。

 今回はここまで。続きはまた2週間後に。
 
by なさ

ADHDが自己暗示に限らず、催眠術にかかりにくいと言うデータがはっきりと出ているわけではありませんが、わたしも自己暗示をかなり長期間試み、また内観法や自律訓練法などもやってみて、結果として意識の集中が出来ない、したがってこれらの方法が無駄、という結論に至っています。

ただ、催眠術にも意識の集中をせずに一瞬のうちに催眠状態に入る方法として驚愕法、痛覚法というのがあります。つまり、人間はびっくりした瞬間精神上の錠前が外れ、その時に与えられた暗示を受け入れるのが驚愕法、また歯や胃が痛いときには何を考えようとしてもその痛みに意識が行ってしまう状態を利用し、その痛みに暗示を組み合わせることによって催眠状態に導く方法です。とはいえ、非常な高等技術であり、誰もが連取して出来る物ではありませんが。

なささんの、体の可動部分に意識を集める、不快か愉快かに集中してみるなども良いかも知れません。つまり、具体的にどこかに意識を集中するのであって、意識の上だけの概念に意識を集中するよりもしやすいかも知れないと言うことです。

from ロクスケ

催眠、自己暗示による感情コントロール




プチ成功体験11・失敗すると研究が進む仕組み(1)

今回も成功体験を書きたいと思います。小生、単純な性格ゆえか、こうして毎回 成功体験を書いていると、何だか全てが上手く行くように思えてきますね。ある 意味、おめでたいんだろうと思いますが、それがプラスに働くのであれば、大き な効果だと思います。


つい最近まで、ひどい失敗を散々繰り返していた。以前は、それで毎回落ち込ん で終わることが多かった。

それでも、前にも書いたが、11年ほど前の新入社員の頃、当時の小生なりに失 敗克服に前向き、積極的に取組もうと、日々の仕事の上での失敗をとにかく手帳 にメモするというつぶさな失敗記録メモをつけていた。

失敗の種類をある程度分類して、途中段階までの分析も少し進んではいたのだが、 当時は精神状態が良くなかったこともあり、途中で挫折し、結局最後はその克明 に記したメモの手帳も自宅の中の山積みの書類や本の中に埋もれてしまった。そ の挫折の後、長い時間が過ぎた。


ADHDの確定診断を得た1年前頃から、処方されている向精神薬のおかげもあって、 精神状態も安定的に良くなり、少しずつではあるが、失敗しても、その失敗を良 く分析して今後の再発防止に活かそうというポジティブな考えに再び満ち溢れる ようになってきた。

特に、1年ほど前に自分のサイトを開設し、サイトのコンテンツを考えていた折、 これまでの自分の失敗の記録とその分析、対策などを体系的に「ADHD当事者 の失敗学」としてまとめてゆこうという構想に行き着いてから、小生の失敗分析 の取組みは少しずつ軌道に乗ってきたように思う。

今現在の取組みは、今の流れのままで行ければ、うまく軌道に乗ってくれると確 信している。今の取組みが比較的上手く行っている原因の一つとして、この一年 こつこつと続けてきたことがあると思う。


前回の成功体験でも書いたが、頼まれた事務手続きなどのうっかり物忘れ防止の ため、携帯電話メールを使ってメモをとっている。この物忘れ防止メモを癖にで きたのはごくごく最近なのだが、それよりも1年ほど前から、携帯メールを使っ たあるメモを続けている。

何のメモかと言うと、アイデアメモである。何かの拍子に突然思いついたアイデ アを、手帳などに書き留める代わりに、小生は携帯のメール機能を使ってアイデ アメモをしている。

電車に乗っているとき、歩いているとき、自宅で家族と過ごしているときなど、 突然アイデアが浮かぶことが時々ある。放っておくとすぐ忘れてしまうので、携 帯メモは重宝する。


今回はとりあえずここまでです。続きを次号に書きます。

 前回の記事(4)を書いてから、また一ヶ月過ぎてしまった。この一ヶ月を振り返ると、少しずつではあるが取り組みの効果が出てきたように思う。今回はその点を中心にお伝えしたい。

 前回も書いたように、自分の身体感覚の意識化や感情状態のチェックをしようにも、すぐに意識が飛んでしまい、なかなか集中できていなかった。

 しかし、諦めずに続けていたところ、少しずつではあるが、一日の中で高頻度にこれらを思い出し、意識化とチェックができるようになってきた。その点は前回からの進歩点と言える。

 なかなか集中できない中でできるようになってきた理由としては、
   ・最近の日常生活の中で、身体感覚の意識化、感情チェックに強い興味
   を抱くようになり、そのことばかり考えるようになってきた。
   ・静止している状態よりも、歩いているときの足の裏の触覚など動き、
   変化のあるものの方が身体感覚を意識化しやすいことに気付いた。
   ・あるいは、視線の先にあるものを見つめる、意識的にゆっくり動作
   するようにするとトランスに入りやすいことにも気付いた。
   これらの特性も活かすようにした。
   ・一連の感情モニタリングの取組みを文章化していたことにより、
   集中できないこと等を概念化して意識できるようになった。
   ・仕事の面で辛いことが色々とあり、必要に迫られて、何とかこの辛い、
   落ち込んだ気分を回復させたいとの理性的な思いがあった。などの点が挙げられる。

 4点目の文章化は、このWingBrainメルマガや自分のサイトの記事として経過を書き綴るうち、効果が意外と大きいことに気付いてきた。行き詰まり易いところを文章化すると、そのことを意識しやすくなるのである。

 「今の気分はどうだい?」と自分に語りかけるところまでは最近では浮かびやすくなっていたが、そこまで行っても、そこで意識が飛んで終わっていた。それがついここ数日、その場面で、「気分はどうだい?と語りかけたなら、頭と胃の感覚にも意識が向くことが望ましい」との思いも連想的に結びつくように少しずつなってきたのである。

 最後の5点目については、最近仕事の面で辛いことが連続する中にあって、ほぼ唯一のすがるべき対象であり、唯一取り組みが上手くいきかけていたこと等が背景にある。

 できるようになってきたとは言ったものの、一連の感情コントロールに必要な動作としては、まだ部分的なものである。とはいえ、そのような部分的な取組みに対して、不快感情の沈静化という点で部分的に効果は出てきているとの実感がある。

 「今の気分はどうだい?」と心の中で自分に語りかけ、気分チェックをする。その際、語りかけるだけで意識が飛んで終わってしまうことも少なくないが、続けて頭や胃のあたりの身体感覚に意識が上手く向いてくれることも段々と増えてきた。

 訓練を積んだせいか、頭や胃の身体感覚に意識が向いた際、一瞬の意識化であっても、「ん?今自分は落ち込んでいるのか? 普通なのか?」と今の自分の喜怒哀楽の状態が分からなくなる、ぼやける感覚に陥りやすくなった。この分からなくなる、ぼやける感覚を経ると、結果的に不快な感情が鎮まる、あるいは軽減するのである。

 ここ最近、仕事から帰った平日の夜や週末にずっと落ち込み気分が続くことが多かった。だが、つい最近、家族から「落ち込んでも立ち直りが早くなった」との言葉を頂戴した。自分ではなかなか気付かないが、周囲から見て、回復が多少たりとも早まっているのだろう。

 自分の中で感じる進歩点としては、
   ・「嫌なことがあって落ち込んだところで、何の得にもならない。
   落ち込みは理性的に考えて無意味な行為なんだよなぁ」、
   ・「どうしても落ち込んでしまうなら、それでも構わない。
   そうなったときに感情チェック、身体感覚の意識化を確実にすれば、
   気分は自然に回復するんだよなぁ」
   ・「気分はどうだい?と語りかけたなら、頭と胃の感覚にも意識が向く
   ことが望ましいんだよなぁ」(既述)といった思いがごく自然に浮かぶようになっ   てきたことが挙げられる。

 また、道を歩いている途中、突然足が地面を踏む身体感覚に急に意識が(この場合は良い方向に)飛んだり、何か他のことをやっている最中でも身体感覚や気分に意識が急に向くなどの「おや?」と思う体験が時々ではあるが、起こるようになってきた。

 さらに、ここ2〜3日のことだが、日常生活の中で歩くなどの自分の動作がゆっくりになってきていて、かつその動作を意識化できていることに気付いた。たとえば、トイレに行こうとして居間の畳の上で座った状態から起き上がる際、「今立ち上がろうとしている」と意識に浮かぶのである。これらは、裏返せば、衝動的、反射的な動きが減っているとも言える。

 今から8〜9年前、この感情モニタリング法が一度は上手く行ったとき、その成功の直前の時期に、これらに類する体験が起こっていたと記憶している。つまり、今は成功の直前段階なのだろう。そう確信している。

 課題として、(以前のような器物破損や夜間徘徊などの問題行動こそ殆ど無いものの、)「これではダメだ」などの無意識的、突発的な独り言が最近だいぶ増えている。家族もこれをだいぶ気にしているようだ。

 原因を考えるに、感情を意識化してるだけのつもりが、知らぬ間に無意識的な自分の感情を抑え付けてしまっているのかもしれない。とりあえずの対策として、独り言を出ないようにしようと意識するのではなく、「独り言が結果的に出てしまって構わない。」と無意識の自分のガス抜きをしてあげられるよう、半ば気楽に構えるようにしている。

 最後に述べた課題もあるものの、概ね良い方向に向いてきていると思う。今後もこの調子で続けたい。また、上手く行っても油断せず、よりきめ細かいコントロールができるように、変化の様子をもっと定量的に、視覚的に表せるように努めてゆきたい。

 今回はここまで。引き続き経過を報告したい。また、次回は特に、以前通った臨床心理士・河野良和氏の言葉を一つ一つ思い出しながら、自己催眠治療、感情モニタリングの本質に迫ってゆきたい。



 今回は8年前に通ったカウンセリングルームでの、臨床心理士
 ・ A氏の言葉を思い出しながら、催眠治療の本質に迫ってゆきたい。

 以前に書いたように、A氏の著書に出会ったのは今から10年ほど前である。初めは本を読んで半ば自己流で試していた。

 ある程度効果があることはあったが、途中からやはり著者の元で指導を受けたいとの思いが強くなった。

 A氏のカウンセリングルームが小生の実家
 ・ 自宅からそう遠くなかったため、一念発起して通うことにした。2001年3月のことである。それから約1年間、週1回〜月1回程度のペースで通った(毎回30分7000円は高かったが)。

 A氏は当時既に70歳を超えており(現在は80歳近い)、初対面の第一印象としては、おっとりした老人という感じであった。

 しゃべり方は非常にゆっくりで、イントネーションがやや異質に感じた。方言ではなく、今にして思えば、催眠治療の一環として、意図的にか自然にか、クライアントの心の中の無意識、もとい潜在意識に印象的に語りかけるためにそうしていたのかもしれない。確かに当時言われた言葉の数々が今でも印象的に(非常に忘れっぽいこの小生でも)思い出される。だから、その意図は狙い通りなのかもしれない。

 これ以降、A氏から当時助言として頂戴した言葉を思い出しながら挙げ、それに対する意味を解説する形で述べることにする。催眠、暗示とはどういうものなのか、どうやれば良いのかといった疑問への基本的な答えがこれらの言葉には詰まっていると思う。

 まず、以下の言葉を挙げたい。これらは、ついついやってしまうなど悪い癖を直すための方法に関するものであり、以前述べた気分、精神状態の安定化のための方法とは(共通部分も多いとは思うが、というか本質的には同じことかもしれないが、)また少し異なったものと理解している。

 ・ 「〜できると良いんだよなぁ、と思う」
 ・ 「ただ思うだけ」
 ・ 「やってしまって、構わない」
 ・ (ついついやってしまうことと、それをやらないでいられるあるべき姿とを)「くっつける」「同時に意識する」
 ・ 「意図的努力に頼ることを幼少期から叩き込まれているから、ついつい『頑張ろう』と思ってしまう。でも、頑張ろうと思うほど、逆に上手く行かないんです。」

 これらは皆、A氏独特のゆっくりした、やや不思議なイントネーションでの話し方で発せられた言葉である。言葉で敢えて表現するなら、「た
 ・ だ
 ・ 思
 ・ う
 ・ だ〜け!」といった感じであろうか。

 これらの言葉の解説をしたい。

 要するに、何かの悪い癖やわかっちゃいるけど止められない、ついついやってしまうことを直したいとき、それを無理に止めようと思うのではなく、欲望的、無意識的な自分に敢えて逆らうことなく、なすがままにそれをやってしまうのである。その代わりに、その場面であるべき姿(それをやらないでいられる自分)を頭の中でイメージするようにする。

 これにより、段々と脳の中でそれら2つのことが段々と強く結び付けられるようになる。その結びつけ訓練を数ヶ月(A氏によれば、最速で三ヶ月?)くらい継続的に続けていると、ついやってしまう癖を段々と止められるようになってくるのである。

 悪い癖を止めるだけでなく、人前での発表などの際のあがり症を直す、あるいは何か上達したいことをできるようにするといった目的でも効果があるようだ。(そもそも、イメージトレーニングとは、本質的にはこの結びつけ訓練そのものなのではないだろうか?)

 ちなみに、当時の小生は、缶コーヒーを高頻度に買って飲む習慣(今も悪しき習慣の一つだが)を止めようとした。

 A氏の指導の下イメージトレーニングを続けたところ、当時いつも買っていたある特定の銘柄の缶コーヒーだけ不思議と買いたくなくなってきたのである。しかし、他の銘柄は引き続きつい買ってしまう。それをA氏に話したところ、「ほう、こりゃ面白い」と興味深い目で見られた。

 この結び付けの自己暗示は、以前気分の安定化の方法で述べた「トランス状態」(身体感覚の意識化などによりその状態になることができる)のときにやると、なお一層上手く行きやすくなるのだそうである。

 トランス状態になると、不快な精神状態が鎮まるなど精神的に落ち着いた状態になると以前述べたが、もしかすると、不快な気分だけでなく、何かをやりたいといった欲望的、衝動的な気分も鎮まるものなのかもしれない。(そういえば、A氏の本のどこかの箇所に、体験者の談話の一部としてそんな話が出ていたと記憶している)。

 今回はとりあえずここまで。次回は、小生がA氏の下に通い続け、なかなか順調に効果が出なかった経緯、その過程でA氏がどんな助言を得たか、そもそも何故順調に行かなかったかの敗因分析などについて述べる。

プチ成功体験4・催眠、自己暗示による感情コントロール(7)

 今回も、2001年頃に臨床心理士・K氏の下に通い続けたときの話である。なかなか順調に効果が出なかった経緯、その過程でK氏がどんな助言を得たか、そもそも何故順調に行かなかったかの敗因分析などについて述べる。

 まず、順調に行かなかった敗因の一つ目として、毎週ペースで通って面談を受けていたにも関わらず、次の面接までの間、きちんと練習をしなかったことが挙げられる。

 (練習しない割には、面接の際、K氏に催眠の有効性について理論的な側面 ばかりをあれこれと問い詰めるように質問していたと記憶している。 K氏も時に困って、「何と言えば良いのか…」と言葉に詰まるときもあった。)

 部分的には、(以前の回に書いたが、)缶コーヒーを飲まないようにするなどの練習もある程度はして、その効果も徐々に出てきてはいたが、その他の面の練習をサボり気味であった。

 やろうやろうと思ってはいたが、ついつい先延ばしにしていた気がする。先延ばし癖の酷さはこの頃から今現在までも相変わらずであろう。

 とにかく、適切に練習を積むには、別記事で挙げた、先延ばしの対策をあれこれ実践してゆくしかないと思う。あと、催眠自体に強い興味と執着心を持てるかどうかもあろう。

 敗因の2つ目として、そもそもこの種の治療暗示の性質上即効性が無いこと、そのために効果が無いと早合点してしまうことも挙げられよう。

 「早い人で3ヶ月」と(例の独特のイントネーションで)K氏にも言われたが、暗示によって癖などを直そうとしても、適切に練習を積んだとしても、数ヶ月の時間はどうもかかってしまうようである。

 本当は徐々に頭、心の中が変わってきているのかもしれないが、いかんせん目にも見えないものであるし、頭・心の中の微小な変化を自分で感じ取ることは小生はどちらかと言うと不得手であるため、「効かないなぁ」とつい思ってしまう面があったように思う。特に適切に練習も積まなかったのなら、なおさらである。

 対策としては、催眠、ひいては心理学、脳科学の信憑性を受け入れるならば、自分の気付かない範囲で、徐々に頭、心の中が変わってきていると概念的に理解し、自分を納得させることだろう。

 できることならば、催眠、暗示による僅かな変化を何らかの方法で可視化できれば一番良いのだろうが。

 敗因の3つ目として、K氏の指示通りに練習できていなかったことも挙げられる。

 K氏からは「ただ思うだけ!」 「イーッ、頑張ろう!と思うと、上手く行かないんです」と再三言われていた。

 (逆に、頭の中でただ思うようにイメージしたことは、やりたくなくても無意識的に実行 してしまうこともあるのだそうだ。いわば、負の暗示効果と言える。K氏もそれについて (不都合なこともついイメージしてしまうと、)「一発で効いちゃう」と言っていた。)

 それは概念的には分かっていたのだが、いざ練習するとなると、ただ思うだけの暗示の訓練というよりは、ついつい歯を食い縛って我慢するような行動になっていた気もする(例えば、缶コーヒーを飲まないようにする、など。一応効果は少しあったのだが)。

 K氏曰く、特に日本人は誰でも、幼い頃から歯を食い縛って努力すること(K氏の言葉を借りれば「意図的努力」)を叩き込まれてきているため、その「ただ思うだけ」がなかなか理解されず、また実践もできないようである。

 小生もご多分に漏れず、典型的な日本人であったということか。「ただ思うだけ」がもっと効率よく出来ていれば、より短い期間で、より多くの効果が出ていたのだろうと思う。今現在でも、当時よりはだいぶ改善されたとは思うが、まだ「ただ思うだけ」が十分にできていないのかもしれない。

 敗因の4つ目として、K氏からの助言の受け止め方が挙げられる。

 今でもそうだが、K氏という人物を催眠の分野の権威と思ってはいるが、ついつい不信感を抱いている面がある。それは、これまでにK氏から頂戴した言葉の数々にも起因するものと思う。

 例えば、暗示の一環として、自分ができないことをできるようになったイメージを浮かべてみてくださいと言われ、単なるイメージトレーニングの類だろうかと思いつつやってみると、意外にも具体的なイメージが浮かばないことが多々あった。

 それを相談すると、「イメージが浮かびませんか?ならば、浮かぶまで待つ、という〜」「とにかく、浮かぶまで、待〜つ!」という、ややのん気な助言が返ってきた。

 催眠の性質上、それが妥当な方法なのだろうが、30分7000円も払っている、決して安くは無いカウンセリングの場でそのように言われると、「何だか無責任だなぁ。本当かなぁ?」という不信感にどうしても繋がってしまうのである。

 その他にも、色々ある。

 例えば、「どれくらいで出来るようになるんですか?」と初めの頃に聞いたときには、「まだまだまだ。今は、イメージを、育てる!」と、イメージトレーニングをとにかく続けることだけを助言され、どれくらいで効果があるのかの回答が無かった。


 長く続けて書いたシリーズも今回で最終回としたい。今回は、これまでのまとめと、K氏の下に通わなくなってから現在までの間のことを書きたい。

 今回はこのシリーズの最終的な結論から先に書くことにする。

 催眠(自己暗示、感情モニタリング)は本当に効くのだろうか?小生の結論としては「効く」。なぜなら、小生自身が試して、決して完璧ではないにせよ、部分的に効き目があったからである。もし催眠それ自体が完全にインチキであったならば、小生の当時の体験はいったい何だったのか、科学的な説明が全くつかなくなってしまうのである。

 ただし、この結論は条件付きである。

 まず、条件の一つ目を挙げておく。小生は一年間も継続的にK氏の下に通い続け、毎回30分7000円もの高額な金額を払い続けてしまったが、こんな金を湯水のように投じることは、いくら催眠は効果があるからと言っても、決してしない方がよい。

 小生は一年間K氏の下に通い続けた。K氏の療法は、少なくとも部分的にはインチキでないと今でも信じているが(別にK氏をかばいたいのでも何でもなく、上記のように自分のプチ成功体験に対する科学的な説明がつかなくなってしまうからである)、一年間投じた金の費用対効果は非常に悪かった。その費用対効果の悪さが上記の理由である。

 今さら別にK氏を訴えようなどとは思わないが、ダラダラと定例的に通い続け、軽々しく金を払い続けた自分の行為を後悔している。確かに直接通って本以上のものを得たことはあるにはあるが、それ以上の金銭の損失の方が大きかったと思う。

 K氏の催眠法全部が仮にインチキでないにせよ、客商売として催眠療法を行っているならば、大人しく毎度金をホイホイと払う客は相当な優良顧客、言い換えれば良いカモであろう。ましてや、一般の催眠療法士ならば、完全なるインチキ商売として行っている輩も少なくなかろう。そんな療法士相手には絶対にビタ一文金は払ってはならない。個人情報の登録もNGである。

 このK氏の教える催眠法(特に感情モニタリング)は、本も出ているし、実際に通わなくとも学ぶことは十分可能である。以前他サイトの掲示板にも書いたのだが、徹底的にケチるならば、本も図書館で借りて読めば、「0円」で学ぶことも可能である。特にK氏の本は絶版に近く、買おうにも品切れであることが多いので、借りるのが確実かもしれない。

 催眠の本を読み、信頼できそうなサイトの情報も参考にしつつ、本の通りに催眠療法を実践し、その自分の取組みについて克明に日記をつけてゆく。これが効果的な上達の一番の早道であると思う。金を投じないなら、時間と手間は投じることにはなるが、少なくとも金銭的なリスクはゼロである。

 自分一人でやると、なかなか効果が上がらないのではとの意見もあろう。それに対しては、他人の(プチ)成功体験を参考にすることが有効と思う。小生のプチ成功体験の経過、結果を自分のサイト上で克明に情報公開してゆくので、それを参考にしていただければと思う。http://sites.google.com/site/nasa2009add/

 (ちなみに、近い将来、久しぶりにK氏の下を取材目的で訪ね、通わなくなってから溜まった疑問点の数々をK氏にバンバンぶつけて回答を得てきたいと思っている。K氏も高齢であるため引退してしまう可能性も高く、早いうちにそれを実行しておく必要があろう。そして、得た情報は自分のサイト上などで情報公開する予定である。)

 もちろん、他の方の催眠関係の解説サイトでも得るものはあろう。勝手ながら、小生から見て信頼でき、参考になりそうなサイトを挙げておく。参考にしていただければと思う。:http://www10.atwiki.jp/realhypnosis7/pages/1.htmlhttp://psych-toolbox.hp.infoseek.co.jp/hypnosis/

 条件の二つ目は、特に自己暗示や感情モニタリングは、真面目に訓練を積んだとしても効果が出るまで数ヶ月もの長い時間がかかることである。訓練の効果が少しずつ目に見えれば訓練を続けやすいであろうが、残念ながらなかなかそうもいかないため、特に飽きっぽい人は非常に挫折しやすいものであると思う。

 (訓練の効果をできるだけ目に見えるようにする方法、挫折しにくい方法を大真面目に今後考え、開発してゆくつもりである。脳科学が今後発達すれば、催眠を科学的に完全に解明できると小生は信じている。やや気の長い話だが、少なくともその時点では効果的な訓練法も開発されよう。)

 ADHD当事者は普通の人よりも集中力が無いため効かない、との意見もある。確かにそのような傾向はあるのかもしれないが、当事者と一口に言っても、個人差は大きく、集中力の程度は皆が皆一律に同じではないだろう。訓練方法の工夫により、その継続的な集中力の無さをカバーすることは十分可能と思う。また、実は部分的な効果が出ているのに、目に見えにくいため、「だめだ、全く効かない」と思い込んで決め付けてしまうということもありえよう。

 それゆえ、催眠、特に感情モニタリングや自己暗示はADHD当事者にも価値のあるものであると思う。是非諦めずに試していただければと思う。ただし、是非0円で。おこがましい言い方かもしれないが、何より小生自身のプチ成功体験が証である。

 以上が今回のシリーズの最終的な結論である。以下では、K氏の下に通わなくなった頃から現在までの話を書きたい。

 催眠療法士・K氏の下に通い続け、数ヶ月が経った頃、以前も書いたが、感情モニタリングの効果が少しずつポツポツと出始めてきていた。

 まず第一に、それまで非常に落ち込みやすかったのに、大抵のことで落ち込まなくなった。これは、プチ、どころか非常に大きな成功体験であった。

 自分の感覚としては、訓練の実践により、不快な感情が急にふっと晴れるなどの体験がポツポツ出てきているといった程度のものであったが、それ以上に、自分以外の他人から見て変化があったようだ。

 家族からも「ねーっ、落ち込まなくなったよね!」と半ば不思議がられつつ、関心されたのである。落ち込んだときに能動的な方法で落ち込み感情をかき消すということも実践していたが、それ以上に、そもそも無意識的な次元で落ち込まなくなってきたようであった。

 そうなる直前、時々落ち込んでも、もう一人の冷静な自分が自然に心の中に出てきて、「今、自分は落ち込んでいるが、これが平気ならばいいんだよなぁ」と思うことが何回かあった。これは成功体験の予告とも言えるものであった。

 これ以外にも、以前も書いたように、特定の銘柄の缶コーヒーを買いたくなくなるという体験もした。缶コーヒーをついつい買って飲んでしまう悪い癖を直そうと訓練したことの部分的な効果であった。残念ながら、これについては、缶コーヒーを完全に買わなくなるまでに行かぬうちに挫折してしまった。とはいえ、部分的にはプチ成功体験そのものであった。

 これらの効果を実感していた折、2002年の初頭であるが、あることがきっかけで、落ち込まなくなった成功体験が崩れてしまったのである。

 家族とデパートで待合せした際、今でも相変わらずの時間ギリギリ癖がたたって遅刻してしまった。家族はかなり立腹していて、遅れて着いた後に道路上でちょっとした言い争いの喧嘩になった。その際、何と言ったのかはっきり覚えてはいないが、小生はある程度の大きめの声で、自分が落ち込んでしまいやすいといった旨のことを口にしたのである。

 その直後、どういうわけか、それまで平然としていた小生が、急に金縛りに遭ったかのように、落ち込み気分に襲われたのである。今思えば、これこそまさにK氏が「一発で効いちゃう」と言っていた、負の暗示そのものであったと思う(注:前回までの記事を参照のこと)。大きな声に出すと、暗示は効きやすくなるようだ。皮肉にも、それを実体験できてしまった。

 その落ち込み気分はその日ずっと続き、なかなか回復することが無かった。それ以降、落ち込みやすい傾向が知らぬ間に戻ってしまった。ただし、この時点で急に戻ったのか、段々と時間をかけて戻ってしまったのかは覚えていない。が、全体の辻褄を考えれば、前者の可能性は高いのではないだろうか。

 この失敗体験?に追い討ちをかけるように、2002年の2月、小生は以前会社内で起こしてしまったある不祥事(これについては機会を改めて書きたい)を理由に、都心からやや遠くの勤務地に左遷された。その左遷的異動のため、K氏の下に物理的に通えなくなってしまった。

 その異動はその2年後に解かれることになったが、自分の中で催眠訓練に飽きてしまったためか、再びK氏の下を訪ねることなく月日が過ぎ、現在に至っている。

 今思えば、途中までは上手く行っていたのに、非常に残念な、中途半端な成功体験になってしまったと思う。と同時に、成功、失敗を問わず、非常に今思えば有益な体験ができたと思う。テストの点数で言えば、80点や100点には遠いかもしれないが、かといって0点でも無い。20〜30点、あわよくば50〜60点はとれていたと思っている。

 昨年2008年に成人ADHDの世界に入ってきて、再び催眠(自己暗示、感情モニタリング)に強い興味関心を抱くようになってきた。是非当時の部分的な成功体験を、今度こそものにしたいという強い思いを是非実らせたい。そして、誰でも0円で、安心して催眠(自己暗示、感情モニタリング)を無理なく習得できるような環境を整え、この催眠法の普及に多少たりとも貢献してゆければと思っている。(小生は催眠の専門家ではなく、一当事者に過ぎないのだが)

 その強い決意表明を最後に、今回のシリーズ記事を終えたいと思う。

 最後に、ここまで長きに渡りお読みいただいた読者の方々に感謝いたします。
by なさ



欲望的行動の克服

 先日11月9日(月)、昼休みにちょっと良いことがあったので、嬉しくなり ました。それで思わずこの原稿を書きました。何かと言うと、最近ちょっとした 悩みの一つであった悪い癖を克服できたのです。どんな悪い癖かと言うと、個々 最近、昼食に、ある職場近くのチェーン店の定職屋の「油そば」というメニュー を毎日毎日食べ続けていたのです。それを止めることができたのです。

 600円近く毎日財布から金が飛んでいくし(それまでは自宅から持参のおに ぎりで金をかけず過ごしていた)、体重も一時期より5kg増えるし、良いこと はありませんでした。何とか止めて、またダイエットしたいとの強い思いがあり ました。小生の特性として、一度癖になると毎日毎日延々と同じ物事を繰返すの です。最近サボり気味ですが、以前続けていた昼休みウォーキングも、出発・ 帰着時間も毎日殆ど同じ、コースも道一本変えない(変えたくない)のです。 そんな小生ですので、一度癖になると、良くも悪くも止まらなくなります。

 しかし、そのように何かにとりつかれたかのように毎日食べ続けた油そばを今日 は何となく食べたくなくなったのです。半ば無意識的、欲望的に店の前まで 行ったのですが、あまり食べる気が起きず、手前のセブンイレブンで軽いものを 買って立ち食いし、終わりました。その行動に思わず嬉しくなってしまいました。 悪い癖を続けつつも、何とかしなければと細々と自分なりに対策を打ってはいま した。それが効を奏し始めたように思います。

 どんな対策かと言うと、以前K氏の下で習った自己暗示、イメージトレーニング です。こう言うと、反発、拒絶感を持たれる方もいるかもしれませんが、小生は ここ毎日食べてしまうたび、「今はつい食べてしまうけど、食べなくても平気 なんだよなぁ〜」と意識的に暗示をかける(K氏の言葉を借りれば「ただ思う」) ようにしていました。また、毎日夜、失敗日記と家計簿をつけながら、「また油 そばを食べた」ことを文章に記し、食べてしまったことを意識化するようにして いました。これらが徐々に効いたのではないかと思っています。

 あるいは、二日前の夜、油そばのカロリーを調べようとネット検索していて見つ けたサイトの影響もあるかもしれません。他店の油そばの写真、解説が出ている サイトがあり、写真を見るとあまり美味しそうに見えず、さらに文章に書かれた 味を想像すると、何だか口の中が酸っぱく感じ、やや不快な気分になりました。 その体験が結果的に自己暗示として効いたのかもしれません。いずれにせよ、 これも自己暗示です。頭の中で「油そば」=美味しくない、酸っぱそう、まずい という結び付けが出来たように思います。

 今まで色々と自分なりに取組んできて、ほんの僅かでも効果を発揮する(ように 見える)と、とても嬉しいですね。たまたま偶然では、との反論もあるかもしれ ません。それでも構いません。今日の体験が励みになって、成功が連鎖してゆけ ば良いのです。この日の夜は、この嬉しい体験を何度も自分の中で思い出し味わ いながら床に就きました。

 そしてその後の続きです。翌日火曜日も食べたいという欲望が薄く、食べずに済 みました。それどころか、一念発起して、最近サボり気味であった昼休みのウォ ーキングを再開したのです。昼休み1時間のうち50分間を使って5kmウォー キング。300kcalの消費です。カロリーを摂取するどころか、消費できる。 まさに理想的ダイエットです。このパターンをまた毎日続けたいと思っています。

 この週は、翌日水曜日と金曜日が昼前後に外出する用事があり、ウォーキング こそできませんでしたが、例の油そばは食べずに終えることができました。 木曜日は、雨が降ったり止んだりでウォーキングには微妙な天気だったこと、水 曜日までの成功に酔いしれて調子に乗ってしまい、つい「1週間に一度くらい なら良いか」などと思ってしまったため、遂に油そばを食べる行動に出てしまい ました。(敗北!!)

 ただ、それでも油そば=美味しい、食べるのが楽しいという頭の中の結びつけを 壊そうと思い、わざと大盛りで注文しました。以前、何度か大盛りで注文した ことがあるのですが、量が多すぎ、途中から苦しくなってきて、午後は胃がもた れて仕事を続ける上でちょっと辛かったのです。それを敢えて実行しました。 油そば=食べると苦しい、胃がもたれる、辛いとの結びつけを懸命に図りました。 そのおかげか、この記事を書いている16日(月)早朝現在、特に食べたいと思 いません。この成功体験を是非継続してゆきたいと思います。また進展があれば、 プチ成功体験の続きの記事として書きたいと思います。

 ちなみに今現在、図に乗って、さらに大胆なダイエット法(「いいメモダイエッ ト」、オタク評論家の岡田斗司夫氏が成功させたもの)にも挑戦し始めています。 毎日何を食べたか、それがおおよそ何カロリーか、何円払ったかなどをつぶさに メモしてゆくのです。まだ助走段階でそこまで細かく出来ていませんが、日課の 日記に記す内容の一つになっています。これもやはり今後、(プチ?)成功体験 の記事として書きたいと思います。

 今回は以上です。

自己サイトの内容拡充を中心に

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

前号で昨年1年間の取組みを総括しました。本記事では、今年1年のADHD関連の小生の目標を新たに掲げたいと思います。ここでは、話の範囲を小生個人サイトの内容の拡充という側面から述べたいと思います。というのも、ADHD関連の取組みは全て、自分のサイト上にその内容を記載するようにしているためです。


昨年秋、小生のサイトは構成をリニューアルした。それは、以下に述べるADHD関連の取組みに関する4つの「柱」、すなわち主体的項目を主体とするものであり、ある程度自分なりに熟慮の上で決めた構成である。

他にも付帯的、形式的な項目もあるが、ここでは特に本記事上で書くべき、あるいは書いて差し支えない項目、すなわち4つの柱について、ある程度掘り下げて、問題の深刻な順(言い換えれば、小生含め多くの人がADHDの世界に入ってきた後に直面するであろう順)に書いてゆくことにする。

今年は、これら4つの柱を「ADHDアクションプラン2010」と名付け、着実に実行に移してゆきたいと思う。ちなみに、このようにまだやっていないこと、これからやるべきことを宣言することで、暗示効果、締切効果が有効に働くものと期待している。


(1)「ADHD的悩みを抱える人を支援する」
まず柱の1本目は、自分はADHDではないかと疑い、初めてこの世界に入ってくる際の入口のハードルが高いという問題に関することである。これは、さらに以下の4つの小項目に分割される。


小項目の1つ目を述べる。ご承知のように、ADHDに関するDSV-4という診断基準に沿って専門医師が診断することで初めてADHDの確定診断を受けることになる。しかし、この診断基準の項目を部分的に満たしているが、確定診断のレベルまでは行かないという、いわばグレーゾーンと言える人々も実はかなり多いのではなかろうか。

(小生自身はグレーゾーンの人達の数は相当に多いと思っているが、現状では残念ながら、そもそもグレーゾーンがどの程度いるのかという医学的データが存在しないと思われるため、小生自身の勝手な推測でしかない。その点はご了承いただきたい。)

確定診断を受けた人ですらも、十分に満足な支援環境が得られているとは言えない面がある。ましてやグレーゾーンな人達は行き場が無く、満足な支援、専門的なケアは殆ど受けられていないのが現状ではないか。

小生は丁度1年前、他サイト掲示板上にて、「何%ADHD的」という考え方を提唱した。一部で当方の主張が誤解されたことにより否定的意見も返ってはきたが、賛同的意見も少なからず頂戴でき、手前味噌ながら、今もって個々人のADHD的特性を適切に捉えるのに適した指標ではないかと自負している。また、この考え方の導入が、グレーゾーンの人々の積極的な認知と支援につながるものとも思う。

昨年の段階では、当事者の自己分析のための指標という位置付けで提唱したが、可能ならば、専門医師も巻き込んで、ADHDに関する診断基準、考え方を根本的に変えることも真剣に議論したいと思っている。すなわち、自閉症スペクトラムと全く同様な捉え方(健常者と自閉症患者とはグレーゾーンを挟んで連続的に分布しているという捉え方)ができるよう、医学の視点を見直してほしい。

いずれにせよ、「何%ADHD的」という考え方自体はもっともっと広めてゆきたい。


小項目2点目。発達障害(特にADHD)を専門とする医師への受診に関するものである。現状では、以前より改善されてきたとは言え、まだまだ潜在的な当事者の数(国民の数%という説が正しければ、日本では数百万人レベル)に比して専門医師の数が少なく、なかなか専門医師の受診に辿り着けない。

数年前までの現状より厳しい状況の名残?からか、ネット上では専門医師に関する情報を公開することを当事者間で遠慮する風土がある一方、製薬会社主体の公式的な専門医師のナビサイトができるなど、情報公開に関して、この世界全体でややちぐはぐなところがあるように見える。

ナビサイトもそれなりに情報が揃ってはいるが、小生の現在の通院先が記載されていないなど、掲載からこぼれている医院、医師も少なくないと思われる。一方、あらゆる当事者間で遠慮なく情報交換が十分にできるならば、貴重な情報を少なからず共有化できよう。

そこで、これらの点を踏まえ、専門医師に関する当事者向けの情報センターを設置することを構想したい。ここさえ見れば、専門医師に関する概略的な情報からかなり詳細な情報まで、何でも分かるようにしたいと考えている。


小項目3点目。当事者のお悩み相談に関することである。他サイト掲示板などを見ると、初めてこの世界に入ってきた人の初歩的な悩み相談の書き込みが少なからずある。本人たちにすれば、自分の悩みへの答えを見つけるために必死なのであろう。一方で、それらの悩みは結果的に似通っているものが多く、この世界の古参の人から見ると、毎度毎度同じに見え、うんざりする面もあるとのこと。

相談内容やそれへの回答が毎回ほぼ同じでは、掲示板リソースの面でも何とかしたいところではある。とはいえ、こういった悩み相談の場合、これまでの他の人の悩みと似ていることは百も承知でも、ストレス解消のため、とにかく話を聞いてほしいという本音もあろう。

そこで、この世界の初心者?向けの、自由に書き込める悩み専門の掲示板を古参の人達の目に邪魔にならないような形で構築する一方、それらの悩み相談&回答の類似例をすぐ検索できるようなシステムを導入できればと思う。まずは、樹形図的フローチャートのようなものを作り、トラブルシューティング的なステップで有用な答えを、たとえ断片的でも良いから得られる仕組みを構築したい。その上で、最新のデータベース検索技術を採り入れた検索エンジンを構築してゆく。


小項目4つ目。実生活の上で何とか自分のハンディキャップを乗り越えて生きてゆくためには、それなりのテクニックを身に付ける必要がある。そういったテクニックは、当事者個人、もしくは自助グループのサイトで比較的充実しているが、その充実ぶりゆえに、初心者には逆になかなか目移りしてしまってスムーズに身に付けにくくなっているようにも思われる。また、テクニックの中には、十分に練られ、試されたものもあれば、単なる思いつきの提言レベルで終わっているものもあろう。言い換えれば、有効性の高いものもあれば、低いものも実際にはあるであろう。もちろん、個人差もあろう。

そこで、これらのテクニック集も体系化し、目的にマッチした手法の検索を容易にする。同様に、データベース検索技術を採り入れて実現したい。また、それらを他の当事者が試した後の効果の検証結果などについても情報として付加し、テクニックの言いっ放しに終わらせないようにしたいと思う。


(2)「様々な治療法を試す →その効果」
柱の2本目は、精神医学・臨床心理学の公式的治療法に関するものである。現状、 ADHDに関する治療法としては、専門家により考案、使用されている科学的根拠の強い治療法から、いわゆる民間療法的なものまで色々とある。これらの全体像、特にそれらの有効性やリスクはどうなのかということが初心者には特に見えにくい、見えてこないという問題はあろう。

そこで、まずはこれらの治療法に関する情報の収集と整理から行ってゆく必要がある。基本的に全ての治療法をなるべく等価に見て、何の科学的根拠もなく、個々の治療法を執着・嫌悪したり、否定・肯定したりせず、色々と試してゆきたいと思う。そして、試すからには徹底的にその効果や自身の経過について分析し、情報公開してゆきたいと思う。

これも情報センター化し、透明化を徹底的に図りたい。特に、小生がこれまでに取組んできたワーキングメモリ訓練、認知行動療法的カウンセリングの2点について重点的に透明化したいと思う。いずれも、昨年のメルマガ記事として書いてきたことだが、より緻密、詳細に自己観察、分析をしたい。後者のカウンセリングについては特に、いわば「公開カウンセリング」化し、当事者間でのできるだけリアルタイムな情報交換につなげたい。


以下、長くなるので、前半部分として、今回はここまでとしたい。次号で後半を述べることにする。

今回は、前回の続きとして、今年の目標として掲げた「ADHDアクションプラン 2010」の4つの柱のうち後半2つについて書きます。


(3)「日々の試行錯誤 →その効果」

この項目は前回の「(2)様々な治療法を試す →その効果」に近いものだが、 どちらかと言えば、正式な治療法というよりも、当事者の自発的努力の範疇と 言えるもの、強いて言えばカウンセリングなどで行われる認知行動療法に近い ものを、(2)と分離する形でまとめてみたものである。

投薬治療など、前回の(2)で考えられる治療法は挙げてはみたが、それら既 存の治療法の組合せだけではやはり限度がある。民間療法的なものもあろうが、 科学的信憑性がなければ、確実に良くなる保証はない。

したがって、消去法で見ても、残りは当事者の自助努力に頼らざるを得ない。 自分の努力で済むことならば、金もかからないし、当事者自らが主体的、能動 的にできる、すべきこととして、何より自助努力が一番に挙げられるのではな いか。投薬治療などネット上で色々と議論はあれど、当事者、専門家いずれの 間でも、実は一番おろそかにされているのが当事者の自助努力という選択肢で はないか。

とはいえ、自助努力すると言っても、具体的に自己改善を図るのに何をどう努 力してよいのか分からないという問題もある。色々とやってみてもなかなか集 中できないなど、うまく行かないことも多々ある。根性論、精神論だけでは何 も解決しない。うまくいくための具体的なノウハウ、コーチングが必要である。

現状では、自助努力に関するネット上での情報はまだまだ少ないと思う。片付 け方など様々なテクニックは各所で紹介されてはいる。しかし、それを取組ん で見ての成功率だとか、挫折しにくくするためにはどうすべきかといった実際 に取組んでいくための情報がさらに欲しいところである。

また、各所でバラバラにテクニックが紹介されているよりは、どこか一箇所で 体系的にそれらのノウハウをまとめ、必要なときに必要なだけ情報を引き出せ るような形があれば理想的である。(特に成人向けの)カウンセリングに関し ても、自助努力同様に成功率などのデータが非常に少ない。是非、医師やカウ ンセラーなどケアする側の専門家からも成功、失敗両面の情報提供が望まれる。

この(3)は、以上のような背景を踏まえて成り立っている面がある。また、 当事者としてのアイデア、視点が最も発揮されるところである。断片的なアイ デアは色々と小生の頭の中に浮かんではいるものの、まだまだ具現化されてお らず、したがって小生のサイト上での記事もこの(3)については特に充実度 が低い。なので、特にこの(3)を今後は重点的に頑張ってゆきたい。

まだアイデアの断片の段階だが、今何を考えているか、これからどのようにや っていくかを簡単に紹介する。

今現在の自分の苦手なことを克服する、あるいはより特技を磨くための様々な 訓練法を考えてみた。

例えば、小生の最大の悪い癖である先延ばし、時間ギリギリ癖の克服訓練。何 日先延ばしにしたか、どのくらい締切に対して余裕をもって終わらせられたか などを克明に記録するなどして、自分を意識的に追い詰めてどのくらい改善が 図れるか、自己観察してデータをとり、それをもって訓練カリキュラムのあり 方を考えてみたい。

また例えば、並列処理の訓練。1個から始めて、段々並列する作業の個数を増 やしてゆき、何個まで耐えられるかを見てみたい。あとは、歩きながら、他の ことをしながら大事なことを考える訓練、いわば考え集中訓練。無意識的にや ってしまって失敗することを防ぐための、無意識行動を分解し、制御するため の訓練。自分の特性を様々な面から見て数値化し、できるだけ客観的、正確に 自分を理解する訓練。

訓練以外にも、面倒くささを克服し、士気を上げるための方法の研究。今現在 でも、ライバルを意識的に作るなどして、色々と工夫をしてみている。失敗し ないためのADHDに特化した当事者向け失敗学的データベースの作成。これは過 去の自分の失敗日記を体系化する形で作ってゆきたい。自分以外の方々からの ご協力も得られれば、その分充実することになる。

演技療法というか、うまくいく人を演じることで、やればうまくいく、できる という暗示を自分にかけるということも考えた。その他色々。いずれにせよ、 色々な方法を試し、汎用性のある万人に効果的な方法として開発してゆきたい。

自己人体実験として、長期的に諦めず自己観察してデータをとってゆきたい。 これは当事者だからこそできることでもある。自己分析を通じて、自分自身を より良く理解することにもなる。そこから対策も生まれてくる。

例えば、小生も並列作業、優先順位付けが苦手であるが、どうも一番やるべき だが面倒でやりたくないことがあると、2番目以降にやるべきことをやりたが る(その2番目以降のことが単独であるとやりたがらないのに)といった傾向 があるようだ。そんな知見はポロポロ得られてきている。

色々試すとはいえ、当事者たる素人の手探りで行う方法なので、できれば後の 段階ででも専門家とともにより良い方法に仕上げてゆきたい。これも効果を自 己観察、分析を緻密に行ってゆきたい。

話は戻るが、とにかく、(3)は今後重点的に行ってゆく。


(4)「ADHD界の進歩のために考える」

昔よりはだいぶましになってきているのだろうが、ADHDに関する科学、医学の 発展、当事者を取り巻く環境の改善はまだまだ不十分であると思う。

そこで、ADHDの世界に大きな進歩をもたらすにはどうすればよいかを小生なり に考え、色々と提言してゆきたい。決して絵空事、非現実的な妄想ではなく、 今現在の、あるいは近い将来の科学技術、医療で可能なこと、ちょっとしたア イデアの組合せで実現できる方法論、解決策を考えてゆきたい。この(4)は その提言の場である。上の(3)までは実践であったが、こちらの(4)は考 察が主となる。

既に色々と提言はしてきたが、より自己改善に直結するテーマを中心的に考え てゆきたい。また、他人事な提言で終わるのではなく、主体的に実行につなげ られるように考えてゆきたい。

上の(3)と同様に、こちらも当事者のアイデア、視点が発揮されるところで あろう。今現在考えている一例を挙げる。

できる、できないことの科学的原因、メカニズムを考えてみたい。人工知能の 理論、脳神経科学の観点から、できる人モデル、出来ない人モデルというもの を考え、それに基づいて、できない人ができるようになる訓練法などを考え、 自ら実践して試し、後検証してゆきたい。

最近言われることだが、年をとっても、脳には可塑性がある。発達障害の当事 者とてそれは同じであろう。その脳の可塑性の限界に挑戦したいのである。い かなる人間にも脳の可塑性があるなら、変わらないはずはないのである。

あとは、理想的な当事者向けの補助器具のあり方を考えたい。例えば、空気を 読みやすくなる道具、自己観察をしやすくなる道具というものはできないだろ うか。順次具体的に考えてゆきたい。

さらに、ADHDに関して世の中をより良く変えてゆくための方策についても考え たい。ADHDの理解度向上に向けて、対策の一環として、前回までにも述べたよ うに、動画配信を近日実行する。第一回目はこの記事の内容を動画化したい。


以上、長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。 是非、皆様からの忌憚無いご意見、ご感想をお待ちしております。
ストラテラ(ADHD治療薬)治験日誌(1)

既に他サイト掲示板や小生のサイト上でも書いていることであるが、この秋からストラテラ(商品名、成分はアトモキセチン塩酸塩)というADHD向け治療薬の治験に申し込み、参加している。


ネット上でも(特にリタリン、コンサータなどの中枢神経刺激薬と比べて)ストラトラは効き目が弱いという声が多い。また、小生は今まで処方してもらっている向精神薬を含め、投薬治療に固執しているわけでも全く無い。

ただ、あらゆる治療法を等価に見て、リスク、コストが低く可能性のある手段は色々と試してゆきたいというのが自分の基本スタンスなので、その精神を貫いて、なるべく厳正中立的な視点から一つの可能性としてのストラトラという薬を見てゆきたく、治験に参加した次第である。


つい先日より治験が始まり、これから数ヶ月かけて進めていく予定となっている。薬(と言っても偽薬=プラセボの可能性あり)の服用は年明けからである。

本記事では、一部既に他で書いた内容と重複してしまうが、今日今までの体験談も含めて、気付いた点や現在までの経過などをなるべく他と重複なく書きたいと思う。


1点目は適用外処方についてである。他サイト掲示板上にて記載があり、ストラテラ治験が行われる一方、既に適用外処方、オフラベルではあるが正式に処方されている人がいるという点である。

掲示板上でこの投稿を見たとき「本当か?」と思い、小生の主治医に確認してみたが、「ストラテラは適用外処方、確かにできますけどね。今ここでは治験中ですから、それをやってしまうとまずいわけですよ。」と、あっさりストラテラを適用外処方できることを認めたのである。

治験をやる一方で、正式に処方もやろうと思えばできてしまう。何だか矛盾しているというか、不思議な気がするが、あくまでオフラベルでの処方なので、本来目的とされていない疾患の治療に医師の裁量で処方するという位置付けなので、名目上の矛盾は無い、ということになるのだろうか。

ストラテラの今現在の本来の目的は未成年向けへのADHD治療のはずであるが、適用外とすると成人にも適用できてしまうのか。では、同じ未成年限定の薬であるコンサータは同様なことはできないのか(一部でコンサータを成人に処方している医師もいるという情報も耳にしたことがあるが。違法ではないのか?)。その辺の解釈は何とも不可思議な感が否めない。釈然としない。

わざわざ一定の手間をかけて治験に申し込まなくとも、適用外処方してくれる医師を探す、あるいは具体的なやり方は良く分からないが個人輸入という形でも入手できるそうなので、そういった手段を講じる方が得策とはならないのだろうか。


2点目は、他の薬を止めねばならないことである。小生の場合、向精神薬としてレキソタン(頓服用)、ドグマチール(朝昼晩各1回毎日服用)を処方してもらってきた。それらの薬を皆、治験中は服用をストップしなければならない。市販の風邪薬一つとっても服用には相談が必要になるとのこと。かなりの制限である。

特に小生の場合、たまたまこれまでの主治医=治験担当医師なので、強制的に処方中断となった。これは少しつらいかもしれないと身構えている。これらの向精神薬を絶ってから今現在で1週間ほど経過したが、やや落ち込み気味になることがポツポツとあったものの、たまたま大きな失敗などが無いこともあり、幸い無難な状態のまま推移している。

むしろ、薬を絶ったことで、夜猛烈な眠気に襲われることが明らかに減った。以前から小生は睡眠時間が短い方であったが(一日平均4時間半、概ね3〜6時間の幅でばらつきはある)、ここ数ヶ月間、夜まるまる爆睡してしまうことが多く、夜やりたいことがなかなかできず困っていた。それが、起きていられる、あるいは一度寝ても比較的すんなり起きれるようになり、深夜の時間を有効に使えるようになってきた。その点は意外な恩恵である。


3点目は、今回の治験では、既にADHDの確定診断を得ていても、再度治験担当医師による確定診断を受ける必要があることである。馬鹿馬鹿しいが、再度DSV-IVの診断基準に沿って細かく問診などを受けねばならない。医師がいちいち各質問を事細かく読み上げてそれに答えていく形をとるので、非常に時間がかかる。

この1週間で12月5日(土)、9日(水)の2日間に分けて受けてきたが、かなりの時間と労力を要した。ここで確定診断を得られない場合、不適合ということになり強制的に治験は終了となる。症状がグレーゾーンに近い場合は、医師により診断を出すか出さないかは多少は差があるだろうから、もし今回落とされたらどうしようかという不安もあったが、幸い小生は2度目の確定診断(ADHD不注意優勢型、いわゆるADD)を得た。

通知表など幼少〜少年期の資料を用意するとともに、その頃の様子を思い出しながら医師に伝えた。一例として、学校の授業用に用意したノートを、初めは一応科目別に用意して使い始めるのだが、そのうち何故か国語のノートに反対側から算数の板書を書くようになり、やがてどれが何のノートか、どこに何を書いたか分からなくなってしまい、最後はそのノートもどこかに無くなってしまうといったエピソードを伝えると、仏頂面の医師もさすがに吹き出していた。


4点目は、治験というものの信憑性について。

治験コーディネーター(治験の世話役を担当する派遣社員または病院職員)から聞いたことだが、今回の治験は全国で200人程度の被験者を選び出すそうだ。小生の通う某大学病院では小生を含めて4人だとか。実際には診断その他適正検査の類で不適合になる人が何割かいるので、その分初めの時点では数は多いそうだが。この数が多いのか少ないのかは良く分からない。

いずれにせよ、小生含め全国の200人を対象に、データが採取され、最終的に一般の正式処方の可否についての判定がなされることになる。本来、厳正中立なテストから信憑性のあるデータが集められるはずであり、今回の治験についてもそうであることを願っているが、一点以前小生が聞いた話が気になっている。

小生が親しい間柄の一人に、精神科医ではないが医療関係者がいる。その人にこんな話を聞いた。治験は、特に製薬会社が絡むものの場合、採取されるデータがかなり都合よく捻じ曲げられることが多いのが、医療の世界での実態なのだそうである。

製薬会社は新しい薬をどんどん開発して販売せねば利益を上げられない。そのためには、良いテスト結果を出して、厚労省に認可してもらわねばならない。一般論として実際には薬を色々と開発すれば、都合の悪い結果がテストで出ることも多々ある。悪い結果は製薬会社の利益につながらない。その結果、捻じ曲げが起こるのである。

今回の治験は、もろに製薬会社が絡んでいる。その製薬会社を信用はしたいが、上の一般論としての話を踏まえると、やや疑念が沸かなくもない。特にストラトラは、今回のPhase3治験と前回のPhase2治験(数年前に実施)との間に何故か数年のブランクがある。普通はPhase2が終われば、あまり間を開けずに次のPhase3に進むものではないか。謎といえば謎のブランクである。

治験コーディネーター曰く、「製薬会社側の都合」が理由とのこと。ブランクの直前時期に起こったリタリン騒動については「たまたま時期は一致するが、関係ない」。ネット上で話が出ていた自殺年慮が確認されたという情報については、「そういうデータもあるにはあるが、それが治験中断の直接の原因ではない」。とはいえ、薬効成分の見直しは前回のPhase2で済んでいるので、今回は一切行っていないとのこと。ますますブランクを開けることが謎に包まれてしまう。釈然としない。この謎については、今後も考えてゆきたいと思う。


長くなりましたが、今回はとりあえず以上です。また治験が進展したら、追って続編を書きたいと思います。


※2010/01/26追記:
治験は残念ながら中止になりました。先日、ストラトラ服用開始直前で治験担当医師よりアスペルガーを疑われたためです。製薬会社の該当条件は一応満たしているようですが、医師判断で中止となりました。よって、次回でこのシリーズは打ち切りとなります。中止までの詳細は次回書きたいと思います。


ストラテラ(ADHD治療薬)治験日誌(2)

前回に引き続いて、治験の話を書きたいと思います。

ただ、後述しますが、諸事情から主治医の判断で(さんざん引っ張られましたが、) 小生の治験は打切りとなってしまったため、今回をもって治験日誌も打切りとな ります。本記事では、打切りとなるまでの経緯などを書きたいと思います。


小生の治験が始まったのは、2009年12月上旬からである。

もともとPhase2で中断されていたストラテラの治験再開の話を聞いたのは、今の 主治医に初めてかかった昨年2009年05月頃のことである。製薬会社の治験募集に 関する主治医への説明会があったのが同年8〜9月、同社の治験募集を公示するサ イトが立ち上がったのが同じ頃であり、そこからさらに数ヶ月を経て、やっと年 末に始まったので、結局初めて治験の話を耳にしてから半年以上も経っているこ とになる。

それでも、当初は治験開始は2010年01月と主治医から言われたので、それよりも 少しは早くはなったのだが(その点は、主治医と治験コーディネーターが融通を 利かせてくれたようだ)。

もっとも、ネット上の情報によると、早い人で10月頃から治験開始となったよう なので、だいぶ遅れたことにはなるのだが。当初、ネット上では既に治験が始ま っているとの情報が流れているにもかかわらず、製薬会社から何の電話もかかっ てこなかったため、治験候補者から落とされたのかと思っていた時期もあったほ どである。

(そのあたりの経緯は、他サイトの掲示板に投稿してあるので、そちらをご参照 いただければと思います。特に、上の最後のリンクに12月上旬の治験第1回目の 話を書いてあります。:)
http://www.yoake.biz/bbs/adhd_yoake_nandemo/c-board.cgi?cmd=one;no=14257;id=
http://www.yoake.biz/bbs/adhd_yoake_nandemo/c-board.cgi?cmd=one;no=14262;id=
http://www.yoake.biz/bbs/adhd_yoake_nandemo/c-board.cgi?cmd=one;no=14383;id=
http://www.yoake.biz/bbs/adhd_yoake_nandemo/c-board.cgi?cmd=one;no=14527;id=


本記事では、治験診察2回目以降の経緯を以下に書きたいと思う。

治験としての診察2回目は、結局年明け2010年01月16日(土)となった。当初は 年末にもう一度診察を行い、最速でそこから治験薬の処方、服用が開始されるは ずであった。が、主治医の判断により、一定のリスクのある治験薬の服用開始を 病院側が休みとなる年末年始の時期に当てたくないとのことで、さらに病院側の 診察予約の空き具合の関係から、1月中頃となってしまった。

ちなみに、治験は、通常の診察の合間を縫って行われる。とはいえ、1回の診察 の時間長さが通常の診察よりも長くなりがちであるため(後述)、小生の通院先 の大学病院では通常の診察が終わる昼頃に始まる(大学病院は通常午前中のみの 診察であるため)。

ちなみにちなみに、ここの大学病院では、本来は水曜日など平日が治験の診察対 象日だそうであるが(当初治験コーディネーターからそのように聞いた)、会社 を毎度休みをとって通院する負担を考慮し、土曜日に診察を行ってもらえるよう 融通を利かせてくれたようだ。その点は有り難かった。


結局、12月上旬に1回、1月に2回、診察を受けた。

毎度所要時間は1時間半〜2時間程度かかった。毎回、病院に予約時間に着き、 診察券を出すと医師から呼ばれる前に治験コーディネーターがやってきて別室に 通される。

そこでまず、用紙に前回診察からの間の精神的具合の変調の有無などを記入する (これも規定の心理検査のようだ)。特に1〜2回目は、それに加え、採血や心 電図の検査も伴うため非常に長かった。

その後にやっと医師から呼ばれ、問診となる。問診も、複数の種類の検査をマニ ュアルに従って医師がたどたどしく読み上げながら一問一問問答してゆくため、 非常に長くかかる。医師も慣れていないのか、途中途中で脇についている治験コ ーディネーターに確認しながら進むため、その間の手待ち時間もかなり多かった。

毎回午前11時から開始であったので、診察が丁度昼にかかり、家族は自宅に残り 昼食もとらないまま待たせることになってしまった。家族には申し訳ないと思っ たが、診察の都合を考えるとやむを得なかったとは思う。

問診の中で、特に毎回必ず行うものがあった。自殺念慮に関するものである。コ ロンビアの自殺スケールという名の心理検査である。幸い、治験期間中に自殺念 慮を抱いたことは一度も無いので、初めの6問くらいNoと答えるとそれで終わり にはなるのだが。これ自体時間的には短いものだが、毎回長い検査をやる中での 一つなので、正直うっとおしいのだが、治験である以上は仕方ないだろう。

本来ならば、1月の1回目診察の終了時点で治験薬の処方が始まる予定であった が、融通を利かせて土曜日にしてもらっている点などから、各種検査をぶっ通し でできないため、本来1回分(通しでやるとすればかなり長いことになると思う のだが)の一連の検査を分割して2回分にしてもらったため、なかなか薬の処方 に辿り着けない状態が続いた。


1月2回目の診察の時点で、処方の1歩手前まで行ったのだが、検査の途中で主 治医が「そういえば、アスペルガーなどの検査って今までにやったことあります か?」とふと気付いたように問いかけてきた。

そういえば、前の主治医のときはそういった類の検査は一切していなかったし、 今の主治医になってからも、前の医師の診察をベースに薬の処方などが中心であ ったので、何もそういった検査の類はしていなかった。

そう答えると、「じゃあ、念のためやってみましょう」とのこと。ただでさえ長 い治験の診察に、さらに対象外の検査までやることになった。とはいえ仕方が無 いので、大人しく言われるがままに検査用紙に回答を記入していった。

すると、質問項目の殆どに不思議と当てはまるのである。特定の物事に強いこだ わりがある、自傷的な傾向がある、チック症状があった(小学生の頃の一時期、 まばたきを頻繁にする癖が出ていたことがあった)、などなど。

その回答を見て、主治医が苦笑いした。「いや、これなら、もっと早く気付くべ きでしたね。」どうやら、(今現在もまだ正式な診断は降りてはいないが、)小 生はアスペルガーらしいのである。前の医師の診断を信用し、尊重していたので、 特に今まで疑わなかったとのことであった。とはいえ、不注意傾向もれっきとし てあるので、ADHD併発型ということになり、その点で前の医師の診断が誤りとい うわけではないのだろうが。

聞けば、今回の治験は、併発を伴わない純粋なADHDでないと治験対象者の資格は ないのだそうである。したがって、小生は必然的にアスペの疑いが濃厚となった 時点で治験対象者から外れることになってしまった。

主治医は苦笑いした時点で既に治験は続けられないとの判断をしていたようだ。 その時点では、コーディネーターからは「資格は満たしているはずですが、先生 独自の判断があるようなので…。」と、まだ継続の可能性がある旨を言われてい たが、結局翌週電話がかかってきて、正式に治験中止が決まった。医師が製薬会 社側に強く働きかけたようだ。

もともと、治験が始まった時点では治験候補者から落とされる可能性は低いと言 われていたこともあり、医師もコーディネーターも中止になるとは思っていなか ったようだ。特にコーディネーターは困惑していたように見受けられた。


医師に苦笑いされた回の最後に、小生の実の母に幼少時、少年期の様子を記入し てもらうよう、問答で使用した回答用紙を別に渡された。やむなく、実家の母に 訳を話して郵送して記入してもらった。

それまで、前の医師の診察において幼少時の資料(保育園や小学校低学年の連絡 帳、通知表など)を提出したときは、実家の母には理由を適当にぼかして資料提 供をお願いしていた。別に隠すべきではなかったのかもしれないが、心配をかけ るのも気が引けたので、特に小生の診断や症状については何も言わないでいた。 したがって、母は小生の診断など全く知らなかった。

それが、母も一連の経過を知ることとなったので、今更ながらだいぶ心配された。 電話口で大丈夫だ、と何度も言ったのだが、まだ心配はしているようで、一度時 間を作ってじっくり話をしておいた方が良いのかもしれない。その点も申し訳な いとは思っている。


電話でコーディネータ−から中止を知らされた後の2月6日(土)、最後の治験診 察を受けた。中止が決まっているのに馬鹿馬鹿しいが、何故か採血と心電図の検 査を再度やらされた。その後で、今後の治療方針などについて医師から説明があ った。

あくまで、製薬会社が決めた今回の治験の基準を満たさなかっただけであり、今 後ストラテラが正式に認可された後では処方の可能性はあること(例えば様子を 見ながらペースを落としたり、途中止めたりしながらの処方は認可された後なら ば自由にできるが、治験ではペース一定と決まっているので、その人に合ったペ ースで処方できない)、また、アスペならば、ストラテラだと物事へのこだわり がかえって強くなってしまい、逆効果な面もあること、他にもアスペに有効であ ろう薬もあること(具体的な薬剤名は聞いたが、失念した。ネット上の情報では、 アスペに直接効く薬は無いとのことなのだが)などのフォロー的説明であった。

最後に、コーディネーターからも、今回の治験では日本では通常の診察では行わ ない心理検査も行えたので、今後の治療にも間接的に役立ったのではとのフォロ ーもあった。

中止になったのは残念ではあったし、特にコーディネーターにも良くしていただ いたので、その点は申し訳なかったが、最後にこちらからもコーディネーターに これまでのお礼を最後に言って終わった。


次回の診察は2月下旬の平日である。以前のように通常の診察に戻る。ただ、ア スペの可能性も出てきて、念のため他の精神疾患の可能性も疑ってみる必要があ るとのことなので、脳波検査なども受けることになった。その関係から土曜日で は難しく、次回は平日となった。

脳波検査で何か異常が見つかる可能性は、まぁ殆ど無いではあろうが、綿密に調 べてもらえるのは有り難い。自分をより良く知る上でも、大人しく検査は受けて おこうと思う。


以上です。治験の日誌としては今回で話は打切りとなります。ただし、主治医の 診察は今後も継続しますので、タイトルを改めて投稿を続けたいと思います。

プチ成功体験9・締切を守る

今日は、小生の最大の悪い癖である先延ばし癖、および時間ギリギリ癖に関する ことを成功体験として書きたいと思います。

以前にも書いたが、小生のいわゆるADHD的症状の中で、特にひどいのが時間 に関することである。先延ばし、時間ギリギリ。これらの原因により、つい最近 も含めて、数々の失敗を繰り返してきた。家族からも以前、「(特に問題なのが) とにかく時間関係なんだよねぇ。」と指摘されたこともある。とにかく、自他と もに認める最大の症状、悪い癖なのである。

社会人として仕事をしてゆく上で、この時間関係の欠点は致命的な問題点である。 締切が守れない、あるいは物凄い締切ギリギリな状態で仕事をしていれば、周囲 には多大な迷惑がかかるし、信用も評判も低下する。たとえ他の面でどんなに優 れていようと、時間関係が致命的に悪ければ、良く評価はされない。今日今現在 までの小生がまさにそんな状態である。

そのような最大の癖を何とか克服すべく、独力で様々な方法により改善を図る一 方、別記事でも書いたが、昨年秋からカウンセリングルームに月1回程度通い、 生活指導、特に時間管理について重点的に指導を受けている。

色々と改善への取組みをしてゆく中で、ここ数ヶ月で時間管理に関して大きな成 功体験をした。それは、他ならぬ、このWingBrainでのメルマガ原稿書きと記事 の編集(下案作成)に関してである。

WingBrainに参加させていただき、メルマガに記事を執筆してから早や1年と数ヶ 月が経つが、昨年秋頃まで、いつも発行のギリギリ直前に記事を発行責任者であ るロクスケさんにお送りすることが多かった。

昨年の秋頃、一度記事をお送りすると言っておきながら、特に連絡も無く発行日 直前まで先延ばしにしてしまったことがある。このときはさすがに、ロクスケさ んから厳しくお叱りを頂戴した。直後に誠心誠意謝罪をし、寛大なご配慮でお許 しはいただいたものの、非常に自分の心の中に罪悪感が残った。

このとき、熟慮の末、同様な迷惑をかけぬよう、自分なりの対策を打つことにし たのである。一つは、メルマガ原稿の締切について、自分だけの締切(マイ締切) を作ること、二つ目は、メルマガ記事の編集をお手伝いすることであった。

一点目については、自分向けの締切を、メルマガ発行日(隔週日曜日)の6日前 の月曜日の朝7:00と設定した。作成および各メンバーへのメール送付がこの マイ締切を過ぎてしまった小生の原稿は、いかなる理由があろうとも、その直近 の号には掲載しない、というルールとした。

二点目については、メンバーからの投稿を待ち、それらを組合わせてメルマガの 下案を作るというものである。下案にはテキスト版(メールマガジンとして読者 に直接メールで送付するもの)とHTML版(WingBrainサイト上に掲載するもの) の2種類が必要となる。これも、上の原稿のマイ締切の月曜日の2日後、水曜日 の夜にロクスケさんにお送りすることとしている。ただし、こちらは原稿のマイ 締切ほどは厳しく設定しておらず、時折小生の都合で木曜日夜になってしまうこ ともある。

これら2つの取組みを、昨年の秋から今現在まで半年弱の間継続的に続けている。 結果として、それ以降はメルマガ投稿の締切の面でご迷惑をおかけしたことは無 く、余裕をもって発行日にメルマガをロクスケさんから発行していただいている。 (発行の責任者はあくまで委員長たるロクスケさんである。)

つまり、自分で設けたマイ締切という締切をきちんと守れているのである。ただ し、今回のこの記事なども含めて、執筆を始め、仕上げるタイミングはマイ締切 ギリギリの日曜日の夜〜月曜日の朝となってしまうことが多いのであるが。。

それでも、日曜日の夜になると、「やばい、締切過ぎる」との思いから、追い詰 められたように取り掛かることができ、かつ仕上げることができる。下案作成の 編集作業も同様である。原則水曜日の夜に、やはり同様に締切に追われるように 作成している。

「締切効果」という言葉があるそうだが、まさにその通りで、締切を設けること での効果は大きい。ただ、仕事の面などでの締切に対して、現状本当にギリギリ になってしまっており、それでは良くないなぁと思ったので、少しずつではある が、その締切に対して数日前に作成してしまうように心がけている。

この記事を書いているのも土曜日夜であり(もっとも途中で寝てしまい、結局日 曜深夜〜月曜早朝に仕上がったが)、下案作成も月曜日や火曜日の夜に作成でき たことも数回あるので、次の目標としてはそのように余裕を持った行動を心がけ たいと思う。

さらに、新年度からの次の目標として、このメルマガ作成での成功体験を活かし、 仕事の面でも、マイ締切を本番の締切の前(例えば1週間前)に設けることで、 本番の締切に十分に余裕を持って間に合わせるようにしたいと思っている。

年度末に向けて仕事が色々と溜まり、それを何とか一つ一つ片付けているのでは あるが、締切ギリギリで少し雑なもの(例えば論文)を提出してしまい、後で苦 言を呈させた面もあるので、そういったことの無いように、やはり十分に余裕を 持った行動につなげたい。

4月から丁度職場も変わるので(といっても前の職場に戻るだけだが)、自分の 仕事の仕方を抜本的に見直し、自分向けの仕事上のルール、マニュアルを作り、 その通りに行動するようにしたいと思う。挫折しにくいように、予め上司にその 旨伝え、その通りに小生が行動できているかをチェック、評価してもらうように したい。

メルマガでの成功体験を踏まえれば、決して難しいことではないように思う。む しろ、新たな環境で、新たな仕事の仕方で、以前と見違えるくらいに活躍できて いる自分を思い浮かべると、楽しみですらある。そのような前向きな考えを意識 的に持ちながら、頑張ってゆきたいと思う。

以上、また長くなりましたが、お読みいただき、ありがとうございました。



プチ成功体験10・やり忘れチェック
立て続けですが、最近の成功体験についてもう一つ書きたいと思います。

以前からの小生の悩みの一つに、うっかりもの忘れがあった。頼まれたことを忘 れてしまう、つい直前のことを思い出せないといったことである。特に、人様か らの頼まれ事を忘れるというのは、先の時間管理と同様、大きく信用、評価を下 げることになる。先延ばし癖、時間ギリギリ癖に次いで、これも長らく大きな悩 みの種ではあった。

「あった」と過去形で書いているのは、つい最近になり、そうでも無くなってき たからである。自分なりに工夫して、うっかり忘れを防止できてきたのである。 つまりこれも成功体験である。今回はその自分なりの工夫とその効果について書 きたいと思う。


頼まれたことを忘れないための対策として、ごく普通に考えられるのはメモをと ることであろう。

それは頭ではかなり前から分かってはいたのだが、何故かなかなかきちんと実践 できずにいた。手帳にメモなどしても、メモして安心して忘れてしまうのである。 あるいは、ひどいときなど、そもそも手帳のどこにメモしたかも忘れてしまうこ ともあった。

また、メモして忘れてしまわないよう、10年くらい前だが、やるべきことを定 期的にチェックするような方法を自分なりに考えたこともある。例えば、毎時00 分になったら、手帳を見返すようにする、など。しかし、これもキリが無いし、 手帳を常に肌身離さず持っているわけでもなく、結局簡単に挫折した。

そんな感じで何となくごく最近までズルズルまともな対策一つ打たず(打てず) に来てしまっていた。当然、その間、人から頼まれたことをうっかり忘れること、 数知れず。今にして思えば、それにより失った信用も数知れず、であろうか。


それが、ごく最近、先に書いた時間ギリギリ癖の克服などと合わせ、また少しず つ自分なりに対策を打ち、しかも今回は少しずつ上手く行くようになってきた。 効果を我ながら実感できている点も嬉しい。

その方法を具体的に書くことにする。やり方は非常に簡単である。携帯のアラー ム機能とメール機能を利用するだけである。小生の携帯のアラームは、最大10 個程度まで登録できるようになっている。

そこで、10個分丸々使い切り、やり忘れのチェック時間を登録しておく。とり あえず、平日の仕事の時間に合わせ、7:30、9:00、10:00、11:00、12:00、13:00、 14:00、15:00、16:00、17:00の10回としてある。この時間に毎日必ずアラーム が鳴る。ただし、音を出すとうるさいので、マナーモード(バイブレーションの み)にしているが。

平日、休日とも、小生は必ず持ち歩いている(携帯を胸のポケットに入れ、スト ラップのひもを首からかけている)ので、アラームが鳴れば、どんなにぼーっと していても、あるいは何かに熱中していても100%気付くことができる。

そして、アラームが鳴ったら、メールの送信トレイに下書きとして保存してある 「ToDoリスト」のメールを見るように癖をつけている。ついつい他のことを やっていて見ないで済ますこともあるが、なるべく見るように心がけている。昼 間毎時1回鳴るので、何回かに1回見るのでも、十分チェックにはなる。 (本当は、強制的にアラームが鳴ったら、このToDoリストメールが画面に出 てくるようになると良いのだが。)

ToDoリストのメールは、宛先も書いていない下書きのメールである。これな ら、間違って誰かに送信してしまうこともない。

メールの本文には、箇条書きで頼まれたことを書いてある。やり終えた項目には マーク(小生は猫が好きなので、絵文字の猫の顔にしている)をつけ、まだやっ ていない項目よりも下の行にカット&ペーストしていく。

また、ずっと本文を書き換えていないと、送信トレイの表示順(時間順)が他の 送信済メールに紛れてどんどん下位になっていってしまうので、一日過ぎるごと に過ぎた日の日付をまだやっていない項目群よりも下(猫マークのついたやり終 えた項目との間)に書き込んでいく。

送信トレイを他のメールと分ける方法もあるが、一緒の送信トレイにしておけば、 他の下書きメールを見る際に、時間のアラームに関係なくついでに見ることもで き、一石二鳥なので、そうしている。


方法としてはこれだけである。思えば、携帯は以前からずっと身につけていたわ けで、もっと早く実践しておくべきだったと思う。携帯電話という今風の機器の 機能を有効活用して自分の弱点を補えている点が、手前味噌だが、画期的と言え るかもしれない。

先の時間ギリギリ癖の克服と合わせ、これらの成功体験をもとに、さらに他のこ とでも成功体験を増やしてゆきたいと思う。

以上、お読みいただきありがとうございました。




プチ成功体験11・失敗すると研究が進む仕組み(2)
今回は前回の続きのお話です。携帯電話を使ったアイデアメモのところから。

初めは純粋なアイデアメモのつもりであったが、いつのまにか、ADHDに関す る問題意識とか、世の中の不条理なこと、ワンフレーズなど、頭の中に浮かんだ こと何でもメモするようになってきた。

特に、そういったアイデア以外のことは、何かある程度大きな失敗をして自分が 嫌な思いをしたときにまとめて浮かびやすい。嫌な思いをしたとき、気付いたこ とを携帯メモしておくと、それ自体が多少のストレス解消にもなり、一石二鳥か もしれない。

この1年近く、失敗したときを中心に、そういったアイデアその他の携帯メモを 続けた結果、相当なメモの量になった。見方を変えれば、小生自身にとっては宝 の山である。


これらのメモの内容は、自分のサイトのコンテンツの材料にしている他、何より WingBrainのメルマガ原稿やの貴重なネタになっている。隔週発行のメ ルマガに毎回2通の原稿を書き続けられるのも、実はこの携帯メモのおかげなの である。この1年でネタはかなり溜まってきた。

原稿を書くペースとメモを書くペースとを比べると、まだまだネタには困らなそ うだ。単に原稿のネタというだけでなく、文章化することで、自分自身を良く見 つめられることにもなる。それは自己改善につながる有益な手段の一つである。

失敗して思い付いたことを携帯メモし、それを文章化、原稿化し、原因と対策を 考えて、自己改善につなげるという、好循環が少しずつだが、出来てき始めた気 がする。これがまさに、タイトルの通り、失敗すると(自己改善に関する)研究 が進む、という仕組みそのものである。


それでも、少し前までは、失敗した時点では、メモをひたすらするだけであった が、特に最近は、失敗しても、今までにメモしたこと、考えたことをその場で思 い出しながら、原因と対策について前向きに考えられるようになってきた。我な がら、より良い状態ではないかと思う。

加えて、自分のサイトや他サイト掲示板、何よりこのWBメルマガ上で、失敗に ついて色々と記していると、自分の失敗についてより一層分析したくなったり、 対策を考え、施すなどの意欲がわいてくる。失敗分析に一種の楽しさ、やりがい を感じるのである。

失敗したときの分析にそういった楽しさ、やりがいを感じられると、失敗しても 落ち込みにくくなる。場合によっては、むしろ「来た〜」とやや楽しい気分?で 受け止められていることもある気がする。また、精神状態を安定的により良くで きることとの相乗効果、相互作用にもなっていると思う。

おかげさまで、最近は色々な取組みの効果なのか、失敗が少しずつ減ってきた気 がする(あくまで気がするだけかもしれないが)。今後もこの好循環をより一層 育てつつ、メルマガ原稿を精力的に書いてゆきたい。


以上です。お読みいただき、ありがとうございました。

プチ成功体験12・仕事の仕方の改善(1)

早いもので、4月に入って半月が過ぎた。新しい職場で2週間ほど経過し、よう やく慣れてきたという感じである。

今の職場は、前の前の職場と同じである。役職も何も変わらないから、つまり、 出戻りという形になる。以前は散々仕事上でミスやトラブルを起こして周囲に迷 惑をかけていたから、今度こそ頑張ろうという意気込みで一杯である。

今の職場に出戻ることを内々に聞いたのは半年ほど前である。この半年ほどかけ て、4月以降の仕事の仕方を色々と練ってきた。これまでのADHD自己改善の 取り組みの中で、多少たりとも効果のあった方法を組み合わせ、自分なりの工夫 を現在進行形で進めている。

細かく書くと長くなるが、今回は概略的に、どのような工夫をしているのかにつ いて書きたいと思う。


まず、4月に入って引越した新居(といっても実家だが)から片道2時間かけて 通っている。しかも、行きは朝一番の電車である。朝は少なくとも4時半に起き る。以前から、夜は妻子とともに早く寝て深夜3時前後に起きることが多かった ことから、自分としては特に違和感はない。この原稿を書いている4月19日 (月)の早朝も、3時ぴったりに起きた。

毎朝5時丁度頃に出る電車の車内で朝食の弁当を平らげ(昼飯用ではない。そも そも、家を出る前に食べれば持って行く必要もないのだが)、6時50分に職場 に着く。当たり前だが、当然一番乗りである。自分のPCを起動してメールチェ ックなどをし、仕事を開始。


ここで、仕事の手順として、4月以前から練っていた手順に沿って行うようにし ている。まず、職場の共有フォルダ内に皆が見ようと思えば見られる形で「行動 指針」「業務計画」「作業日誌」「自己反省チェック」という4つのテキスト ファイルを置いている。

大胆にも、敢えて職場の共有フォルダに置いているのがミソである。直属の上司 にも、異動直後にそのように宣言し、「このような仕事のやり方、ならびにその 通りに実行できているかの実績を踏まえて評価してください。」と露骨に伝えて ある。

今のところ、その点についてどう思われているかは不明だが、以前よりも明らか に褒め言葉のようなものを交えて話をしてくれるなどの上司の態度からして、 (自意識過剰かもしれないが、)期待はしてくれているのでは、との感触はある 。裏返せば、以前はかなり冷たい態度を採られていた。


「行動指針」には、過去の自分の悪かった点を踏まえ、「〜する際には必ず〜を 実行する」といった自分向けのローカルルールを羅列している。ADHD活動で 言えば、このWBメルマガの原稿執筆を発行日前週の月曜日朝を締切にしている のと同様である。

その上で、「業務計画」には、その月、その週、その日それぞれにすべきことを 箇条書きにしている。特にその日にすべきことには、番号付けして優先順位を明 確につけている。毎朝、定例的にその日の作業の優先順位付けを行う。

原則として、業務計画に書いた順序通りに仕事をこなしてゆく。一つの作業に手 をつけたとき、終わったときとも、「作業日誌」にその旨をやはり箇条書きで記 録してゆく。終わったときは終了時刻を記入する。また、箇条書きの項目には必 ずマークをつけている。業務計画で予定した作業の場合は●マークと計画発生日 を、突発的に割り込んできた仕事には・マークをつけている。

最後に、夕方帰宅前には「自己反省チェック」をつけ、その日に失敗した、しか けたことを数行箇条書きでメモして帰る。特に仕事が間に合わない、あるいは夜 の席などの予定がなければ、朝早い分、夕方は5時少し前に退社し、夜7時に家 に着き、家族と食事をする。そして、夜9時台に床に入り、10時には寝る、と いう一日である。


ずいぶんと縛りの強い生活ではないか、と思われる方も多いかもしれないが、こ の2週間続けてみて無理なく持続出来ているので、多分今後長らく続けられると 思う。引き続き、方法は随時大なり小なり改善してゆきつつ、精力的にこの流れ を続けてゆきたい。


今回は以上です。次回は今日の話のうち、細かい点について書きたいと思います。

by なさ



プチ成功体験13・先延ばしの克服(2)

今日は、小生が最近やっていて効果のあった、超簡単な克服方法をご紹介します。 先延ばしの克服については、以前にも一度成功体験の記事にしました。今回は2 作目となりますが、その方法を少し進化させたものなので、シリーズ13作目と させていただきました。

タイトルにあるように、先延ばしの克服に用いた方法なのですが、他のことにも 色々と応用できる汎用性の高い方法なので、「同時意識法」と勝手な名前を付け てご紹介します。例えば、繰返しつい食べて、買ってしまうものを止めたいとか、 面倒くさくてつい先延ばしにしてしまう仕事に手を付けたいという場合にある程 度有効な克服方法です。

本当にすごく簡単です。自分のあるべき姿(例えば、つい食べてしまうものをな ぜか食べたくなくて平気でいる自分)と、自分の好きなこと(例えば、好きな音 楽、食べ物など、快感、楽しい感覚の湧くものなら何でもOKです)とを 「同 時に」 頭の中で意識します。意識するのはごく一瞬でOKなので、すぐにあち こち意識が飛ぶADHD当事者でもそれほど問題無いと思います。これを毎日毎日、 1〜2ヶ月くらい、思い出すたびにひたすら繰り返します。ただそれだけです。 一種のイメージトレーニングと言えるものです。

ただし、いくつか注意点があります。あるべき姿を頭の中に浮かべるとき、好き なものを「我慢」している姿を思い浮かべてはいけません。我慢とか忍耐とか、 辛い、不快な感覚が少しでも生じるイメージを浮かべると、逆効果だそうです。 その食べ物を見ても、 「なぜか不思議と」 食べたいと思わない、「あれ、な ぜか平気だ」といった感覚のイメージを浮かべるのがコツです。

好きなことを浮かべるときは、実際に本当に音楽を聴いたり、好きな食べ物を食 べていてもOKです。というか、その方が快感、楽しい感覚が直接生じる状態な ので、より良いかもしれません。変な話ですが、ある食べたいものを止めたいと き、実際にそれを食べてしまいながら(食べることで楽しい感覚が湧く)、その 食べ物をなぜが食べたいと思わなくなるイメージを同時に浮かべるのでもOKで す。

自分の経験からすると、「平気」なイメージって、意識的に浮かべようとすると、 意外となかなか浮かばないもんです。この方法を教えてくれた人によれば、そう いうときは、「浮かぶまでのんびり待つ」と良いそうです。ただそうは言っても、 いつ浮かぶとも分からないのに待ってられないですから、そういうときは、「平 気〜」という言葉を実際に口にして言うか、頭の中で言ってみると、意外と効く そうです。

ここ1ヶ月くらい、延々と先延ばしにしていた仕事の残務にいい加減手をつけよ うと、この方法を試していました。好きな音楽を聴きたくなったら、全く我慢し ないで聴き、その代わりに聴きながら必ずその仕事の残務をしている自分の姿や、 その仕事に使うファイルを開いたときのパソコンの画面などを、ひたすらひたす ら繰返し思い浮かべていました。

すると、すぐでは全く無いのですが、すごく徐々に、その仕事への頭の中での抵 抗感が減った感覚になってきて、つい先日、ついにその仕事に手が着きました。 まだまだバリバリ仕事ができているまでは行っておらず、課題は残っているので すが、成功まであと一歩、二歩ってところです。

なんだかインチキ臭さ満点の方法ですが、だまされたと思って1〜2ヶ月くらい、 試しに続けてみてください。仮に、本当に「だまされた!」という結果になって も、失うものは何もないと思いますので(笑)。

それでは。

by なさ






プチ成功体験14・毎日の周期性と積み重ね
成功体験シリーズも稚拙ながら今回で14作目となります。失敗事例の増強ととも に、成功体験も増やしてゆきたいと思います。今回の話は、特に会社を休職した 後のここ3ヶ月での成功例です。


手前味噌ながら、小生はこの一年くらい、長期休暇などの期間を除き、毎日ずっ と日記をGmail上でつけています。朝何時に起き、朝昼晩に何を食べたか、やる べきことをやったか(毎日ToDoリストを前夜に作ってその日の夜にチェックして います)、どこで何を何円で買ったか等、家計簿も兼ねてつけています。一日あ たり大よそ15〜20分程度かかりますが、ほぼ毎日欠かさず実行しています(たま に夜爆睡してしまい、翌日まとめて2日分つけることもあります)。

先日、上の息子が夏休みの終わりが近づいた頃、宿題の一つをやっていなかった ことが発覚し(といっても、必須ではなく、できる人、やりたい人だけやれば良 いという任意のものですが)、息子が直前ギリギリでやっぱりやると言い出し、 最後の数日間で親子で慌てて片付けました。

その宿題とは、毎日の一言日記というもので、その日に何をやったか、何時に起 きて天気はどうだったか等を箇条書きで記録していくというものでした。天気は 今時はネットで調べれば、すぐ分かります。一方、自分のことは「あの日何して たっけ?」などと、1ヶ月〜数週間も経つと意外と思い出しづらいものですが、 手前味噌ながら、小生の日誌があったので、それを手掛かりの一つにでき、より スムーズに思い出せました。

もっとも、その際、頻繁に行っていた近所の子供プールのコインロッカー代金を 家計簿につけるのを全く忘れていたことにも気付きましたが。。


これ以外にも、最近では小生の自サイトの内容拡充が挙げられます。春先までず っと先延ばし放置していた時期もありましたが、休職後精力的に毎日ペースで増 強を続け、手前味噌ながら、だいぶ充実してきました。

特に、休職直後から始めた「失敗事例集」の構築を毎日1件のペースで進め、こ の原稿を書いている今日9月6日の前夜に登録100件を突破しました(もっとも、 他の方から特別寄稿いただいた分が1件あるので、小生自身の登録件数で言うと、 今日でやっと100件になります)。

ロクスケさんの小説1000作には遠く及びませんが、少しでも見習って、こちらも 今後精力的に続けてゆきたいと思っています。もしよろしければご参考ください。:
http://groups.google.com/group/PDD_failureDatabase


これらはいずれも、今現在はやるべきことを細かく項目化していくと一日あたり の項目数はかなりの数になりますが、初めは項目で言えば1個〜ごく数個の実行 から始めたものです。それを、十分毎日やる癖がついたと言える段階で新たに追 加でやることを少しずつ増やし、今ではかなりのボリュームになりました。

例えれば、綿アメが出来ていく過程とも言えるでしょうか。初めは核となる裸の 木の棒から始まり、徐々に綿アメを巻きつけていって、最後はふんわり膨らんだ 綿アメになります。まさに癖をつけるのもこんな感じと考えています。

自分の狭い経験則からすれば、何かを一念発起してやろうとしても、初めから一 気にワーッとやろうとすると(例えば、家の掃除をしようとしてあれもこれもと やり出すと)、大抵初めのやる気に反して途中で息切れしてしまい、挫折してし まいます。

自分なりの工夫として、以前あるときに気付いたのは、毎日少しずつやる癖をつ ければ、無理なく実行でき、かつ一定の期間が経つと、一定の成果が出るという (見方によってはごく当たり前の)ことです。人間誰でも、毎日寝て起きて、食 事をしたりと、日々同じルーチンを繰り返しているので、そのサイクルの中にや るべきことも上手く組み込むことで、挫折しにくく、無理なくやれるようになる と考えています。

組み込む際には、既に癖をつけてやっていることや好きで毎日自然にやること (小生で言えば、ネットを見る、コーヒーを飲む等)にくっつけ、その前にやる ようにマイルールを作ることです。特に好きなことであれば、その前にやること で、好きなことがやったことへのごほうびにもなり、一層効果的と思います。

思うに、癖をつけるということだけでなく、上述の失敗分析や自己改善全般など も、誰でも日々意外と同じことを繰り返しているという周期性に解決、向上の突 破口があるのではないでしょうか。この点についても、引き続き精力的に考えて ゆきたいと思います。

by なさ







歴史上の先人に学ぶ(1)

今回から、新たなシリーズとして書きたいと思います。

ADHDの世界では、よく歴史上の偉人がADHDであったといった話が出てきます。も ちろん、歴史上の人物、故人ですから、たとえ専門家である医師が判断したとし ても、ADHDであるとの診断を与えることはできないでしょうが、それでも歴史上 偉大な功績を残した人たちがADHD、あるいはそれに類する特性を持っていた可能 性が高いということは、現代の当事者にも少なからぬ励みになると思います。

そこで、半ば小生の独断、趣味嗜好に基づく視点ではありますが、そういった歴 史上の人物(といっても比較的現代の人、あるいは場合により今も健在の方、AD HD的な要素の無い方も)を採り上げ、その方の苦労や功績から色々と学びとりた いと思います。


第1回目は、数学者の岡潔氏(1901-1978)です。Googleで検索すると、健在で いらした頃の写真も含め、色々なエピソードなどの情報が出てくると思います。
(例えば、 http://staff.aist.go.jp/t-yanagisawa/oka.html

この方の専門は多変数複素関数(解析関数)論という、特に比較的現代になって 発展した数学の一分野であり、非常に難解な理論です。平たく言えば、高校で習 う微分積分を大幅に発展させたものです。普通、微分積分というと、実数を変数 とするものしか習いませんが、それを拡張して複素数(虚数)を変数とし、なお かつ変数が2個以上(y=f(x)の形ではなく、z=f(v,w,x,y)のような形)の場合の 微分積分とも言えると理解しています。

2年ほど前、研究所にいた頃、自分の研究の関連で調べ物をしていて、この方の 存在を知るに至りました。この方の数々のエピソードが個人的に非常に共感する ものがあり、尊敬する人物の一人となりました。エピソードの詳細はネットで色 々と出てくると思いますので、ここでは個人的に興味深い、共感するところを箇 条書き的に採り上げたいと思います。

一つは、岡氏が患っていたと思われる精神的な疾患です。躁鬱病であった可能性 が高いという記述、証言もありますが、終生その症状と格闘しておられたようで す。30代後半という若い時期に、広島の大学での教員職を病気を理由に休職の 後退職し、その後郷里の奈良県に帰り、ほぼ10年近くも自宅に籠り、孤高の研 究生活を続けたそうです。

(特に自宅に籠っていた時期のことでしょうが、)鬱的な日は一日布団から出ず、 寝ながら過ごしたそうです。数学の問題を考えるときも、布団の中で寝ながら、 枕元でコーヒーを飲みながら、ノートに数式を書き綴ることが多かったそうです。

二つ目は、(大変失礼ながら、あくまで数々のエピソードから表面的に見て、) 非常にADHD・発達障害当事者に似た特性を発揮しておられた点。例えば、
 ・朝から晩まで常に専門の数学研究のことばかりに没頭していた(過集中?)
 ・広島の大学教員の頃、まともに授業をせず(できず?)、それが遠因となり
  教員を辞めたこと(→自分の研究のことで頭が一杯で、授業のことを考えら
  れず、いい加減な授業を繰返していた、との話もあります。)
 ・世間的な見方として、非常に変わった人物であるとも見られていたこと
  (→そのいでたち、数々の奇行から、変人的な見方も根強かったようです。)
これらは皆、上の精神疾患にも関連することかもしれません。

三つ目は、本業の数学研究で、結果的に偉大な功績を残されたという点。非常に 難解な問題を20年の歳月をかけて解いた、とか、海外の学者たちが岡氏が独力 で多くの功績を生んだことを信じられず、岡潔という名前を複数の学者たちの ニックネーム的なチーム名だと思っていた、などの逸話があります。


勝手ながら、これらの話に今の小生自身の状況を重ねるに、非常に励みになるも のがあります。もちろん、小生自身は岡氏のような功績を生む能力も無ければ、 家族に負担をこの先かけ続けることは決してできませんが、上述のような人生を 遂げた先人が実在するということは、今後自分が生きていく上で、非常に勇気づ けられる大きな羅針盤の一つであり、色々と思うところがあります。

岡氏は、仏教を熱心に信仰しておられたことでも知られ、本業の傍ら随筆も書い ておられ、評価も高かったそうです。当時、新聞にも連載していたとか。機会が あれば、随筆も読んでみたいと思っています。皆さんも是非いかがでしょうか。





歴史上の先人に学ぶ(2)

前回の岡潔氏に続き、第2弾です。今回は、明治から昭和の初期の頃に活躍した 物理学者、寺田寅彦氏です。随筆なども著しており、国語の教科書などで採り上 げられているので、名前はご存じの方も多いと思います。あるいは、「天災は忘 れたころにやってくる」という名言を発した人物としても知られていると思いま す(実際には本当に発言したかは定かではないそうです)。

この方は、岡氏と異なり、特に(あくまで表面的に)ADHDなどの発達障害的な症 状に悩んだという記録は無く、したがって当事者のモデルとして採り上げるわけ ではありません。


注目したいのは、この方の研究テーマとしたことです。当時の日本を代表する物 理学者でありながら、地球物理学の研究をする一方、身の回りの日常的に見られ る物理現象に興味を持ち、研究したことでも知られています。例えば、金平糖の 角のでき方など(詳細はネット上で色々と解説されています。例えば、 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2351_13814.htmlなど)。寺田氏 は終生、こういった身の回りで日常的に起こる物理現象のメカニズムに興味を持 ち、研究を続けたそうです。

結果的にそれほどの業績を残せなかったとの指摘もあるようですが、そこは運や 生きた時代の違いという要因もあるのではないかと思っています。例えば、現代 ならばコンピュータをフル稼働させて数値シミュレーションをガンガンするよう な物理現象に時代を先駆けて着目していたと言われており、もし寺田氏が現代に 生きていれば、より一層の業績を上げていたとも思われます。

物理学の研究というと、素人目には、地球の地殻変動とか、原子物理学といった 華のあるものが浮かびますが、人間の日常生活の中にも、物理学的、数学的に研 究してみると非常に奥が深く、意外と難しいメカニズムを持っているものが多い ものです。例えば、猫の宙返りは、物理学(力学)的には正確にメカニズムを解 明し、現象を再現しようとすると、かなり難しい問題になります。

最近は、そういった身の回りのものを物理学的、数学的に研究することにも注目 が集まってきているようですが、まだまだ世の中には、我々の身の回りにも未解 明の物事は沢山あるように思います。


小生個人的には、その一つに、ADHDなどの発達障害に関する諸々の問題があるよ うに思っています。

もちろん、発達障害自体のメカニズムは、精神医学や脳科学、臨床心理学といっ た従来の王道と言える分野で今後も研究されてゆくべきでしょう。ただ、当事者 目線で科学的に突き詰める、追求することができる領域も少なくないように思い ます。

例えば、普段当事者(例えば小生)は、どのようなうっかりミスをしがちである か、どのような原因、経過によって対人関係や仕事の上で失敗、失態を犯したの か、それを何をどうすれば防げたのか、といったことです。これらも、一見する と物理や数学といった概念からは遠いように思えますが、科学的にモデルを立て て、定量的にデータを採って分析するといったアプローチで導ける、改善できる ことは意外と多いと思います。

特に最近は、失敗学や渋滞学といった、身の回りの実用に直結する学問に注目が 集まってきており、そういった面も追い風になるように考えています。小生も微 力ながら、今後はそういった身の回りの現象、とりわけ成人発達障害のメカニズ ム解明、改善方策の研究に邁進したいと思っています。

by なさ






物事が上手く行かない原因を考える(1)

以前から何となく気付いていたことですが、最近改めて実感したので、記事にす ることにしました。


仕事が上手く行かない原因とは何だろうか?。成功と失敗の分かれ目とは具体的 に何処であろうか。昨年、自分の過去の仕事等における失敗経験を片っ端から思 い出し、原因分析や、どうすれば防げたかといった自己分析を行ってみた。その 結果、特にスケジュール管理や優先順位付けのウェイトが高いと改めて気付いた。

これらの分析した自分の失敗事例も踏まえて、よくよく突き詰めてみると(とい う程でもないが)、仕事、特に時間管理面で上手く行かない原因とは、意外と単 純に、

 @やるべきことを忘れている(または、知らない、気付かない)
 A優先順位付けができていない
 B面倒くさい、やる気が起きない(または、他のことがやりたくなる)

という3つの原因のどれかに必ず分類できるのではないだろうか。

ここで、場合により、3つの原因のうち、どれか1つかということもあれば、2〜 3個が複合的に混ざっている、重なっているということもあると考えられる。仕 事のやり方が悪いという場合も、そのやり方を細かーく分解してみると、結局こ の3つのどれかに行き着くのではないだろうか。

これが最近改めて気付いた、仕事等の失敗に関する“法則”である。意外と単純 なことである。裏返せば、このたった3つを個別に克服できれば、理屈の上では 上手く行くようになるはずである。小生自身も含め、上手く行かず悩んでおられ る方々にとっては、こう考えると、少しは気が楽にならないであろうか。

具体的な対処策として、@については、こまめにメモを取り、要所で確認する癖 を十分に身につける、または必ず気付くような上手い方法を確立することなどが 考えられる。Aについては、適切な監督者・支援者とともに仕事をする、予め仕 事の処理をパターン化して、適切な順序をルール化して決めておくこと、Bにつ いては、やはり監督者・支援者の下で仕事をする、何度もイメージトレーニング をする、好きなことを結び付ける(出来たら自分にご褒美を与える等)といった ことが挙げられる。

これらはいずれも、自分自身が今現在部分的にでも取組んでいること、特にある 程度は効果を実感していることである。これらの実践をより精力的に行い、改善 の実績を積むことを今年2011年の個人的な目標の一つに掲げたいと思う。


今回は以上です。簡単に言いすぎかもしれませんが、何とか上の3つの法則を裏 付け、かつ改善を図りたいと本気で考えています。是非、同じお悩みをお持ちの 方は、ご一緒に取り組んでいただければと思います。

by なさ

暗黙知について考える(1)

今回からの新たなシリーズ記事です。過日、年末の記事を急遽差し替えたと申し上げましたが、その差し替え前に予定していた内容の記事を、遅ればせながら投稿したいと思います。


自分で言うのも何だが、ここ最近、今まで苦手であった場の空気を読む、暗に言われていることに気付くといった、いわゆる暗黙知の能力が、何故か不思議と向上してきていると自負している。その向上の理由は挙げれば色々あろうが、ここでは割愛させていただく。

本稿では、その暗黙知というものについて、自らの暗黙知能力が今現在どの程度なのかを自己検証することも兼ね、また実際に小生が体験した事例を交え、メカニズム的な観点からの考察をしてみたいと思う。既に世の中にはコミュニケーション論といった論考、学問分野もあるにはあるようだが、敢えて白紙の状態から自由な発想と独自の視点で考えてみたい。

暗に伝えるとは、具体的にはどういうものであろうか。本稿読者の大部分の方々が、人に暗に伝える、あるいは人から暗に伝えられるという体験をされていると思われるので、その皆様ご自身のご経験を重ねながら読み進めていただければと思う。


まず事例を一つ挙げてみる。これは小生が以前実際に体験したことそのままのケースである。必要以上に詳細な話になってしまったかもしれないが、実際の小生の体験をなるべく克明に思い出し、検証するために記載したことをご了承いただきたい。

小生の前職の職場で、小生より少し若い女性の方がいた。その人は、小生と年齢や家族環境等の境遇など類似した点が多い上、どうも噂には小生がその職場に異動したきたことで、他社員も含めた人事考課等を当時の上司が勘案し、彼女を他職場に異動させるつもりであったらしい(職場の要員配置の関係上、転入者が出れば、必ず同じ数だけの転出者が出る。因みに、結局、その彼女は折しもその少し後に産休に入ることになったため、その異動はどうも立ち消えになったようであった)。

これらの要因から、どうもその彼女は小生に相当なライバル心を持っていたようであった。実際、小生が異動してきてから、彼女は業務上の実績を上げようと、必死に抱える仕事を進めており、時折小生の仕事と比較しながら、「○○さん(小生の名前)は、まだ(仕事が)〜の段階に達してないですよねー」と、自らのアドバンテージをアピールするような発言を(時に上司の前で)していた。

加えて、特に彼女が産休に入る直前の大事な時期にだが、小生の(発達障害的)欠点に起因する仕事上のトラブルにより、多大な業務上の迷惑をかけてしまっていた。情けなくも、小生自身はそのトラブルの解決に主体的に行うことは無く、上司も手伝いに入りながら、その彼女が産休に入るギリギリ直前まで頑張って対処してくれ、おかげで一応の応急処置的な解決に繋がった。


その後、彼女は無事出産し、その数ヵ月後に職場に挨拶に訪問してきたようだが、その訪問日時は、小生がたまたま用事で有給休暇を取った日であった。さらに、彼女が職場復帰を申請したのは、小生がその職場を異動した直後であった。予定通り?、彼女の復帰直前に小生は再度その職場から他に異動となった。

その後暫くして、再度挨拶がてらその職場を訪問した際には、復帰したはずの彼女はタイミング良く有給休暇(ただし午前のみ半日分)を取っていた。その訪問の際、小生の用事が延び、午後も居残ることになり、図らずも彼女とばったり会うことになったが、脇を通っても彼女は小生に気付かない様子で(気付かないふりをしていた?)、彼女の方から小生に声をかけることは一切無かった。小生の方から声をかけると、挨拶を返してくれたが、今思えば、失礼ながらいかにも社交辞令的なものであったように思う。


事例としては以上であるが、読者の方々は、この彼女の行動から何を感じたであろうか。小生に対して、「あなたにはもう会いたくもない、接したくない」という暗黙のメッセージを伝えていると感じた方が殆どではないだろうか。

実際、(今以上にKYであった当時の)小生も、迷惑をかけた点については、さすがに申し訳ない気持ちにはなっており、「もしかして小生のことを相当に嫌っているかも」と、何となく感じてはいた。しかし、さすがKYというか、当時は「もしかして」「何となく」のレベルであった。今思えば、これは明らかに露骨なまでのメッセージであると考えている。その点は、自分で言うのも何だが、自らの暗黙知能力の進歩であると思う。


以上、また長くなってしまったが、今回はここまでとしたい。次回は、今回の事例を基に、本題の暗黙知のメカニズム的考察を進めてみたいと思う。


暗黙知について考える(2)

前回、小生の狭い経験談を例に挙げ、暗黙知に関する序章的な考察を行いました。今回は前回の事例を基に、本題である暗黙知のメカニズム的な考察を進めてみたいと思います。

前回の一連のエピソードから、職場の同僚であった女性社員から嫌われているという暗黙のメッセージを小生は受け止める結果となった。このプロセスを振り返って紐解き、暗黙のメッセージが生まれるまでのメカニズムについて考察してみたい。


一連のプロセスでまず浮かび上がるのは、いわば“不自然な偶然性”である。即ち、小生がたまたま休みをとったときに彼女は職場に挨拶に来、小生が異動後にその職場に出向いた際、彼女はたまたま休みをとっていた。勿論、この2回の出来事が全くの偶然と言う可能性も物理的にはありうる。が、(明確に数値で表すことは難しいにせよ、定性的に言って)その偶然の確率は非常に低いものであろう。

偶然でなく、何らかの必然性があったとすれば、意図的にそうなるよう彼女が行動したという解釈になるのがごく自然な流れであろう。いわゆるKYな小生でもそのように疑う、感じるくらいであるから、一般に日本人は(いや、国地域を問わず、そもそも人間は?)そういった不自然な偶然性を疑いやすい性質を持っていると考えられる。

加えて、その不自然な偶然に何らかの必然性があるという解釈を生みやすくする材料がある。それが常識観というものであると考える。例えば、彼女が自らの休職前に小生のことをライバル視しており、かつ小生が彼女の休職直前に仕事面で大変な迷惑をかけてしまったという経緯から、彼女は小生のことを良く思っていないという推測が成り立つ。これは、自分がそういった目に遭ったとすれば、その相手をどう思うかという観点から考えれば、誰が考えても思うところはほぼ同じであろう。即ち、その意味で常識観であると言える。


相手に意図的な暗黙のメッセージを伝える場合、このような常識観や不自然な偶然性への疑心というものを、意識的に、または無意識的に加味しながら、然るべき状況を作り出すことで実現される。逆に、メッセージを受け止める側も、常識観や不自然な偶然性への疑心を、伝える相手が期待する通りに持ち合せることで、ほぼ相手の意図通りにメッセージを受け止められる。この一連のプロセスを経て、一つの暗黙知コミュニケーションが完結することになる。

一般に、日本人は(あるいは国地域を問わず、そもそも人間は?)、大人になるにつれ、段々と(あるいは半ば先天的に?)そういった暗黙知コミュニケ―ションの能力を養ってゆくのであろう。


逆に、何らかの理由により、その暗黙知コミュニケ―ションの能力を正しく習得できずに大人になってしまうと、小生のような、いわゆるKYな人と周囲に評価されることになるのであろう。

決して、KYな人が皆発達障害であるとは思わないが、発達障害、とりわけアスペルガー症候群の当事者の場合、いわゆる認知の歪みに起因して、上述のような暗黙知コミュニケーションのための適切なスキルが育っていないと考えられる。結果、対人関係の上で暗黙知が大きなウェイトを占める日本の社会においては、当事者は大変な苦労を強いられるのではないだろうか。

裏返せば、適切な暗黙知コミュ能力を養うには、上述のような暗黙知コミュのプロセスを分析的に見て、自らの経験と照らし合わせ、ずれているところを地道に修正していくしかないと考えられる。因みに、その地道なズレの修正は、今まさに小生自身が意識的に取組んでいることの一つでもあり、決して他人事として論じることのできないことでもある。


今回はここまでとしたい。次回は、今回の最後に触れた、適切な暗黙知コミュ能力を養うための、ズレの修正の具体的な方法論と見通しについて、小生自らの経験と取組みを交えて論じたいと思う。

暗黙知について考える(3)


今回は、前回の最後に触れた、適切な暗黙知コミュ能力を養うための、ズレの修 正の具体的な方法論と見通しについて、小生自らの経験と取組みを交えて論じた いと思います。


暗黙知コミュ能力とは、暗に示唆されていることに適切に気付く能力、さらにそ の上で自分から暗に適切に伝える能力の2つから成り立つと考えられる。よって、 暗黙知コミュ能力を高めるには、その両方の能力を養う必要がある。本稿では、 このうちの前者について論じたいと思う。

まず、日本の社会においては、暗黙知はあらゆるコミュニケーションの場面でご く普通にあり、しかも明示的なコミュニケーションと同程度の割合を占めている ということを普段から心構えとして意識しておく必要があろう。暗黙知が普通以 上のレベルで出来る人にとっては、そのような心構えは半ば無意識的に、ごく自 然に自ら悟るものであろうが、コミュニケーション、特に暗黙知が苦手な発達障 害当事者の場合は、それ自体を意識的、明示的に留意しておくべきと思う。

その上で次に、相手の細かいサインやちょっとした仕草に気付くための観察力を 養う必要がある。そのような力を養うには、人だけに限らず、自分の周囲にある もの全てにある程度細かく気付ける能力が不可欠と考える。自分の狭い経験から すれば、その能力を鍛えるには、最近流行りの脳トレ的なものを繰返し繰返し行 うことなどが有効ではないかと考える。

それと同時に、人とのコミュニケーション、特に暗黙知に興味を持つことが必要 であると思う。自己分析してみると、自分の興味あるもの、熱中しているものに は、過度に敏感に反応する、気付く傾向がある。発達障害当事者の場合、良く言 われるように、興味対象への強いこだわりや過集中という特性を持つことから、 その自分の興味対象を上手く対人関係に向ける工夫、努力が有効ではないかと考 える。即ち、自分の興味、趣味嗜好を意図的にコントロールするということであ る。

それには、催眠、とりわけ感情モニタリング的な方法を応用して、自分の好きな こと(好きなことなら何でも良い)と他人とコミュニケーションを行っている自 分の姿とを同時に頭の中で繰返し繰返しイメージすることが有効ではないかと考 えている。あるいは、コミュニケーションを上手に行い、物事が上手く行って楽 しい気分でいる自分の姿をイメージトレーニング的に繰返し意識することも有効 であろう。

加えて、「〜という状況で、〜といった仕草をされたら、それは〜という意味で ある」といった常識的な判断、推測を人並みにできるようになる必要がある。普 通はそういった判断、推測の能力も成長とともに自然と身に付くものであろうが、 結果的に身に付いていないのであれば、そういった能力をやはり意識的に訓練し て養う必要があろう。それには、対人関係に関するケーススタディを重ね、対人 関係のパターンをいくつも頭に叩き込むのが、地道ではあるが一番の早道ではな かろうか。既にそうしたものの基礎的な部分は、ソーシャルスキルトレーニング の一部として体系化されていると思うが、より細かい、より高度なパターンを事 例集的に整備し、それを教科書にして訓練していく必要があろう。

最後に、相手からの暗示の仕方が微妙で、相手の意図を一意的に読み切れない場 合の対処能力を身につける必要があると考える。即ち、「〜という状況で、〜と いう仕草をされたが、それは〜という意味かもしれないし、あるいは〜という意 味かもしれない」という微妙な暗示をされた場合に、それらの複数の考えられる 意味を同時並行的に意識し、どちらに転んでも良いようにその後の言動に反映さ せる能力のことである。もっと言えば、意味を一通りに定めかねる場合、相手に 「どちらの意味ですか?」と暗に聞き返して答を(やはり暗に)得るという能力 も身に付ければ、より完璧ではないか。


以上、(またも長くなってしまったが、)暗黙知コミュ能力の基礎となる、相手 からの示唆に適切に気付くための能力の養い方について考えてみた。今回はとり あえずここまでとしたい。次回は、冒頭に述べたうちの後者、即ち自分から暗に 適切に伝える能力の養い方について考えてみたい。さらに、余力があれば、今回 の考察をより深度化して(場合により、ケーススタディも行いながら、)考えた いと思う。

暗黙知について考える(4)

今回は、前回の冒頭に述べたうちの後者、即ち自分から暗に適切に伝える能力の養い方について考えてみたい。


前回述べた、暗に示唆されていることに気付く能力と同様、日本の社会において、暗に自分から相手に示唆する能力も、コミュニケーションの上で非常に重要なウェイトと占めることを心構えとして持っておくべきであろう。

ただし、前回の気付く能力と決定的に異なる点は、気付くのはあくまで受け身であるのに対し、自分から伝えるのは能動的な行為であることである。受け身であれば、示唆されたときに、半ば機械的、単純作業的に示唆の意味を理解すれば良いが、能動的な伝達となると、相手を見ながら、適切なタイミング、適切な伝え方で行わなければならない。行為としての自由度、ひいては難易度が大きく違う。

暗に気付くことができて、初めて自分から暗に伝えることができるのだと思う。裏返せば、暗に気付くことが難しければ、自分から暗に伝えることはさらに難しい。受け身の気付く能力とて、小生を含め、いわゆるKYな人、対人関係の苦手な人にとっては難易度の十分高いものではあるが、(煽るつもりは全く無いが、)暗に伝えるとは、求められる能力としてさらに高度なものではないかと思う。

より具体的には、前回、受け身の暗に気付く能力の内訳として述べた、相手の細かい仕草などに気付く観察力、ならびに「〜という状況で、〜といった仕草をされたら、それは〜という意味」という対人関係、暗黙知の上でのパターン、ならびに、相手の意図、解釈を一通りに絞り込めないときに、何通りかの可能性を同時並行的に考え、上手く聞き返すといった能力、知識が、まずは必須ということになる。

その上で、自分から暗に伝えるにあたり、伝える言葉の選び方、言い方、言うタイミングを上手く図ることなどのハードルを越える必要があろう。さらに、相手を見る目として、相手がどれほど対人関係、とりわけ暗黙知の能力、センスについて、どの程度、あるいはどのような種類のものを持ち得ているかを見抜く能力も必要条件になろう(なお、見抜く能力は、ある意味では観察力の一部であると言えようが、敢えてここでは別の能力として採り上げた。その点をご了承いただきたい)。

細かく見るならば、いわゆるKYな人、対人関係の苦手な発達障害者のみならず、一般にどんな人であっても、対人関係能力、特に暗黙知の能力が一律に同程度ではなかろう。したがって、相手により、また状況によっても、伝え方の間接度、暗示度を柔軟に変えることが求められよう。それには、今上で述べた言葉の選び方や見抜く能力などが総合的に必要になると考える。

これらを養うには、前回述べたような脳トレ、催眠などの心理学的、脳科学的な方法論、およびパターン事例集の整備、習得も共通するものではあろうが、何より、既存のソーシャルスキルトレーニング(SST)なども援用しての、コミュニケーションの実践的訓練が必須ではなかろうか(もっとも、それは受け身の能力でも言えることかもしれないが)。


以上、暗に適切に伝える能力に関する考察を行った。なお、前回併せて予告したケーススタディについては、紙面の関係から、次回以降に取り組みたいと思う。その点をご了承いただきたい。

暗黙知について考える(5)

前回までに、暗に気付く、暗に伝える能力について、抽象的、総論的に論じた。 今回は、前回紙面の関係で割愛した、暗黙知のケーススタディを1例行う。

採り上げる事例は直近のものであり、皆様もほぼ例外なくご存じのケースであろ うものである。それゆえ半ばミエミエではあろうが、関係者への最低限度の配慮 という意味で、ここでは敢えて固有名詞は伏せたいと思う。その点を予めご了承 いただきたい。


大規模な自然災害を直接の起因として、ある地域に立地するエネルギー関係の大 規模施設で深刻なトラブルが発生し、かなりの広域に渡り、周辺地域への環境汚 染が問題となった。加えて、間接的にも、風評被害なども含め、有形無形の少な からぬ影響を与える結果となった。

その施設を管理運営する企業、政府とも、特に最前線の現場では、懸命の不断の 努力が続いており、その点には敬意を表するとともに、心から応援したいもので はあるが、首脳部の後手後手の対応などから、当該地域の住民や自治体は怒り心 頭である。

先日、その企業の社長が、謝罪と状況説明のため、当該地域の自治体の首長を訪 ねたが、首長が会うことはなかったという。そのニュースを受け、メディアでは 「面会拒否」という言葉が踊った。その際、「会いに来たことすら知らない」と いう首長の談話が紹介されていた。

本ケーススタディの肝は、この部分である。

細かい話ではあるが、その首長は、本当に会いにきたことすら知らなかったので あろうか。あくまで、小生個人なりの解釈、推測ではあるが(とはいえ、大部分 の方々と恐らく同じであろうが)、実際は、事前に水面下の根回しで、首長は自 分の部下から聞いて、社長の訪問予定を熟知していたのだろうと思う。しかし、 自治体の首長として、地域住民の感情を踏まえ、あるいは首長自身の強い憤りと して、面会拒否を選択したのだろう。

ここで、本来ならば、談話で「会いたくないので拒否した」と明言しても良さそ うなものだが、そう直言するのも大人げない、あるいは発言として過激すぎるの で、一計を案じ、間接的かつ暗に拒否姿勢を示すコメントとして、上述の内容に 落ち着いたのではないかと考える。

この場合、併せて示唆される意味として、

@災害復興や当該トラブルによる自治体としての住民対応や、政府への働きかけ 等に追われ、極めて多忙であること。またそのため、社長との面会など優先順位 としては遥か下であること

A住民感情を踏まえれば、あるいは半ば常識的処置として、たとえ社長と言えど、 大問題を起こした企業の幹部になど、アンチテーゼの意味で会うべきでないのは 当然の選択であり、したがって首長に話を上げること無く、首長の部下が裁量で 断る程度の案件であるということ

などもあるのではないかと考えられる。


以上、暗黙知のケーススタディを一例採り上げ、半ば馬鹿馬鹿しいかもしれない が、回りくどく、かつ理屈っぽく分析的に考察を行った。次回以降も、同様な形 で、別の事例をケーススタディの一つとして採り上げ、考察してゆきたい。



暗黙知について考える(6)


前回、暗黙知のケーススタディを1例行った。今回も、前回と同様な形で、引き続き別の事例をケーススタディの一つとして採り上げ、やや回りくどく、理屈っぽく考察したいと思う。

自分の記憶の範囲での事例を1件挙げる。

前職の会社に入社して間もない頃、お世話になった一つ上の先輩がいた。失礼ながら、今回はその先輩の失敗談である。人様をあら探しする気は毛頭なく、その後の酒の席でその先輩が面白おかしくご自分の失敗談を皆に語っていたものである。それゆえ、採り上げさせていただくことにした。その点は予めご了解いただきたい。

その先輩も小生も、それぞれ入社2〜3年目であり、現場第一線の職場に配属されていた。たまに、より上の先輩や課長クラスに呼ばれて、最寄りの支社に行くことがあった。その先輩があるとき支社に寄った際、たまたま外が寒い日であり、厚手のコートを着込んで支社を訪問した。支社内で部長にたまたまお会いしたそうだが、その際、両手に荷物を持っていたそうで、面倒なあまり、コートを脱がずにいたそうである。その際、部長の横から課長が「××(その先輩の名前)、随分と暖かそうなコート着てるなぁ」と言ったそうである。

そこでその先輩はふと気付き、慌ててコートを脱いだそうだ。その先輩が言うには、「あの発言は、俺にコートを脱げってことだろ」とのことであった。当時の小生にはその課長氏がそういう裏の意味を持っているとは、とても自己判断できなかったが、その先輩が言うのだから、多分そうなのだろうと思っていた。

あれから10年以上経ち、当時を、いや10年以上の会社員生活全般を振り返ると、人様のあらゆる発言には、それくらいの裏の意味、暗示された意味があったのだろうと改めて思う。言い換えれば、それらに気付けなかった当時の自分の無能さを恥じる思いもある。

今さら、それら全てを一つ一つ振り返るのは、骨が折れるし、後ろ向きな考えのようではあるが、今後の自分の対人関係の能力向上を目指すには、ある程度避けて通れないのではないだろうか。

そこで、今後当面は、そういった事例を一つ一つ思いだし、ケースステディを精力的に行ってゆきたいと思う。昨年、過去の失敗事例を毎日1件のペースで振り返り、半年間に渡り分析を行った。今回もそれと同様の形で進めてゆきたい。これ以上、1件1件をメルマガ原稿にするのはキリがないので、自サイト上などで進め、体系化した上で情報発信してゆきたいと思う。

メルマガ原稿としては、次回以降は、今回までに挙げた事例を中心に、分類と考察を行ってみたいと思う。その上で、発達障害当事者、ならびに専門家や支援者の方々とともに暗黙知能力の自助・支援活動をどのように行ってゆけば良いかについても、掘り下げて考えてみたいと思う。

暗黙知について考える(7)

前回までに、暗黙知のケーススタディを2例行った。今回は、これらの事例を中心に、分類と考察を行いたいと思う。

暗に人に何かを伝える、或いは伝えられる場面というのは、例を挙げればキリが無いであろうとは思う。しかし、それでも大雑把にはパターン、傾向があり、分類できると考えている。昨年取り組んだ失敗事例のように、毎日事例を挙げて分類してゆけば、自ずと体系化されてゆくのではないかと思う。

既に2例ほど挙げたが、今回は敢えてこの2事例から分類を行ってみたい。今までの狭い経験に基づいての話だが、初めの段階で意識的に分類を先行して行っておけば、後々に事例を思い出すのもやりやすくなると思われるためである。以下、分類を具体的に行ってみる。


@本当に言いたいことを部分的、断片的に言う。

前回のコート着用の指摘の話のように、「コートを脱げ」という一番言いたいこと(文、または文章。知識工学・論理学的に言えば命題、命題群)のうち、一部を断片的に言う。断片とは、文、文章としての断片だけでなく、単語レベルでも良い。

この際、例えば、「コートを脱げ」のうち、ただ「コート」と一部を言うだけでなく、「そのコート、暖かそうだね」と、本音で言いたいことと無関係なことを付けて言うという方法もある。前回のコートの話は、まさにこれに該当する。また、無関係なことを付け加えることを研ぎ澄ますと、「お前、話が長いよ」と言いたいのを、「S君は話が長いよねー」と、主語や目的語を部分だけを他の関係ない人(あるいは立場、年齢など相手に近い人)に言い換えるという手法、あるいは指す人物が同じであっても、今は大丈夫だが、過去はダメだったというような主旨で、オブラートに包む方法、話を一般化、抽象化してぼかす(例えば、「一般論として、話が長いと嫌われるよねー」)という手法なども考えられる。


A本音が類推して分かるように、回りくどく言う。

例えば、「お前は話が長い」と言いたいところ、「あれ? もうこんな時間か。」「何か、みんなちょっと疲れ気味だな」というように、わざと回りくどいことを何個も言って、暗示するという方法である。この場合、何個も言うタイミングとして、一気に言ってしまうこともあれば、適切に時間差を設けて言うこともある。なお、暗に伝えるという意味では、@もAも区別が難しいようにも思えるが、何個も言うか、1個だけ言うのかという明確な違いがある(Aが前者、@が後者)。


B不自然に偶然を装った場面を作り、おかしいと思わせる。

前々回の1例目の話がこれに該当する。建前上は、たまたま小生が休んだときに同僚の女性が挨拶のため出社し、逆に小生が挨拶で出社したとき、たまたま彼女が休んでいるという偶然の出来事とされる。しかし、本音ではどうしても小生のことが嫌いで会いたくないため、偶然を装った演出をしたと考えられる。その際、彼女が小生のことを嫌って避けているのだということを暗に伝わるよう、2度の場面で連続してすれ違いという不自然さを与えた、ということである。

逆に、単に嫌いであり、それを気付かれたくない、暗に伝えたくない場合は、2回のうち、我慢していずれか片方は会って社交辞令を交わすなどの対処がなされると考えられる。逆に言えば、この場合は、暗に嫌いだと伝わってしまわないよう、そこまで十ニ分な配慮をする必要がある、ということでもある。或いは同様に、意図的に偶然を演出して相手に何かを気付かせたい、ただし演出を見抜かれたくないという場合、2回も演出すると不自然に思われるため、1度の演出で気付かせ、そこで終わりにするという配慮が必要になる。

以上、3つに分類してみた。このように分類してみれば、皆様もご自分の過去の経験に照らして、「あぁ、そう言えばあのときのあの人は…」と、一つ以上の事例を思い出しはしないであろうか。具体例は今後も順次挙げてゆくが、恐らく大部分の事例がこの3つのいずれか、或いは複数に跨って該当するのではないかと考えている。

なお、@〜Bのいずれも、どの程度断片的に言うか、どの程度関係ないことを加えて言うか、どの程度回りくどく言うか、どの程度の偶然を演出するか等によって、暗示の間接度が変わってくる。これは言う本人の暗示する力量と相手の気付く力量を勘案して、判断されるべきものであろう。自分の力量を向上させる、相手の力量を推し量るには、一定の努力や知恵が必要と思われ、これはこれで奥が深い、高度なセオリーが必要な問題であろう。そういった点も今後突き詰めてみたい。また、その過程から法則性を見いだせれば、面白いし、役に立つのではないかと思う。

今回はここまで。次回は、暗黙知能力に関する発達障害当事者への支援のため、 いかにして多くの方々に参加し、共同で取組んでいただけるかについて考えてみ たいと思う。

暗黙知について考える(8)

前回は、ケーススタディを交えての考察、分析を行った。今回は、さらにその続きとして、暗黙知能力に関する発達障害当事者への支援を行うには、特にいかにして多くの方々に参加いただき、共同で取組んでいくべきかについて、ある程度具体的に考えてみたいと思う。

まず、現状について確認してみたい。発達障害者向けに、ソーシャルスキルトレーニング(SST)というのがあり、主要な自助・支援団体などが当事者向けに講座を開催している。それらは非常に有用、貴重なものであると思うが、その関係者の方にお話を伺ったところ、場の空気を読む、暗に伝えるといった能力のトレーニングは、現状のSSTでは対象外なのだそうである。

よって、大変僭越ながら、既存のSSTの追加分、もしくは発展形として、暗黙知能力の向上を図るトレーニング方法の開発を行ってゆくことが適切では無いかと考える。その際、既存のSSTに関わる専門家の方々とも連携を取っていければと思う。既に、この世界で少なからぬ専門家の方々とやりとりをさせていただいているが、さらにより多くの方々と、より深い議論、連携を行ってゆくよう、引き続きこの世界で精力的に活動を行ってゆく所存である。

暗黙知トレーニングのカリキュラム、メニューを具体的に考えるとき、必須となるのが、先の記事でも採り上げた、事例研究である。代表的、典型的な事例から始まって、できれば世の中のあらゆる暗黙知のケースを網羅するよう、多くの、いや膨大な事例を集め、体系化していく必要がある。

まずは、小生が自分の狭い体験に基づいて事例を挙げてゆきたいが、それでも事例の数、バリエーションともに限度はある。何らかの形で、この世界のできるだけ多くの皆様にもご協力いただくこともまた必須であると思う。そこで、広くこの世界で呼びかけ、ご協力を募りたいが、これまでの経験からすると、呼びかけ方や参加の仕方を上手く工夫しないと、この手のものはなかなか前に進まないのが実態であろう。

別に取組んでいる失敗事例集の件でもそうだが、広く事例を募集したとしても、ネガティブな面があると、どうしても人に言いたくないという心理が働いてしまう。自分が犯した失敗、失態などは、単純に恥ずかしいという思いが強いであろうし、暗黙知の場合も、「建前上は〜と言っているが、暗に〜と思っている」といった自分の事例を喋ってしまうと、自分の周辺の人たちから、「あの人は、そういうことを内心は思っていたのか」と思われてしまうのが嫌という思いを持つのではないか。

これは特に、企業などの組織の中で事例を募集したときに、強く見られる傾向のように思われる。自分の狭い経験だが、前職の会社において、業務上の失敗、ヒヤリハットな事象を見える化、ノウハウ化していこうという取組みが一時期あった。しかし、事例が殆ど集まらず、事実上頓挫してしまったようであった。特に、企業内では、単に個人レベルで恥ずかしいというだけでなく、自分の人事評価、風評にも直結するため、何としても言いたくないという思いが強く働くのではないだろうか。

或いは、込み入ったケース、嫌な思いをしたケースであれば尚更、それを思い出して、緻密に分析をしてという作業が、面倒くさく、また嫌な思い出が蘇るので思いだしたくもないという心理にもなろう。また更には、言わずに気付くことが美徳という価値観から抜けきれず、やはり自分で何とかして気付くようにしてほしいという思いから、暗示の明示化に抵抗感を感じる人も居るかもしれない。

組織の性格にもよるであろうが、例えばどこかの製薬会社や大規模なNPO団体がこういった内容を主催しようとしても、主催する側の人たちが自らの評価などを気にするようであれば、容れ物だけ作って中身が一向に揃わないという状態に陥る可能性が高いと思われる。

私見として、そうならないためには、誰かが、もっと言えば小生のような者が、率先して自己犠牲的に、精力的にやってゆかねばならないと思う。たとえ、当初は特定の一人の狭い経験談に基づくものであったとしても、当事者誰でもある程度は置かれた状況は同じようなものであると考えれば、その一人が経験の範囲内で事例を出し尽くせば、ある程度皆様にも共有化、活用していただけるものができるのではないかと考えている。そして、皆様に活用いただけ、意義を理解していただければ、皆様にも事例投稿の取組みに参加いただきやすくなると期待している。

失敗事例も同様であるが、事例を実践的に活用いただくには、集めた事例群をいかに有機的に体系化し、類似の事例を検索しやすくするかといった、機能面の充実が必須であろうと思われる。ただ膨大な事例集が山のように集められていても、そこから自分に合った有用な情報を取り出すのは一苦労であり、逆にそれがある程度容易にできなければ、何の使い道にもならないと考えるからである。よって、失敗事例集と同様、追ってIT(特にデータベース)、人工知能関係の理論、技術を中心に勉強をし、検索システムを試作してみたいと思う。

また、皆様に参加いただきやすくするための工夫、配慮も様々に必要であろうと思う。例えば、皆様のプライバシーに無用に踏み込まない、明かさないため、やや話が遠回しに、分かりづらくなってしまっても、事例の中での話は固有名詞を伏せるのは勿論、ある程度ぼかして、抽象的な言い方に留めるようにしなければならない。そのぼかす手間も意外と大変であるため、まずは小生などの運営スタッフが皆様から信頼を得た上で、事例投稿をまず個別にご相談いただき、どこをどうぼかすか、分析が適切かなどを話し合い、その上で加工した情報を公開する形を採るのがベストかと考えている。

またできれば、将来的には、この取組み上で発生した収益(有料サービスとするか、もしくは掲載広告の収入)を、ご協力いただいた皆様方に、何らかの形で適切な額をお返しできる仕組みも構築できればと思う。

以上、長くなってしまったが、今回はここまでとしたい。次回以降、今回挙げた仕組みのあり方などをより深く、具体的に掘り下げて検討してゆきたいと思う。特に、データベース機能の試作などを実際に進めて、その進捗状況や得られた知見などの情報をお伝えできればと思う。よって、本シリーズ記事は、しばらく準備のため中断させていただくことにし、進捗次第また続きを書きたいと思う。

by なさ




私が会社を辞めた理由(1)

この手のタイトル、巷の本でありがちなものかもしれませんが、自分自身への言い訳として、備忘録として、書き記しておきたいと思い、筆をとりました。下書きとして箇条書き程度のメモ書きをみたところ、相当な分量になってしまったため、新たなシリーズ記事として回を分けて執筆したいと思います。

前職の会社を休職して早や1年が過ぎた。秋には退職して1年になる。休職以降、今現在に至るまで、適応障害とそれに伴ううつ症状という診断に真正面から向き合い、療養中である。併せて、その病状を睨みながら、次の仕事に向けて準備を進めている。

この1年、発達障害の自助活動に励むとともに、自分自身の自己改善にも精力的に時間と手間を注いできた。そろそろ次のステップに向けて、明に行動を起こしてゆきたいと思っている。

それにあたり、今一度、これまでの自分の行動を振り返って、自分自身で決めた進路が妥当なものであるかを再確認したく、前職を退いた理由を、自己分析的に綴りたいと思う。ある程度、もとい全て本音として、赤裸々に綴りたい。同様な境遇にある方々に、ぜひご参考いただければと思う。

退職の理由は細かく言えば諸々あるが、それらを大まかに分類すると、以下の7点に集約される。

@うつ症状の悪化と治療のためA会社内の様々な人に迷惑をかけてしまったためB家庭事情への配慮と、当面の生活の目途がついたためCライフワークに時間を注ぎたいため。人生の残りの時間を踏まえてD悪い意味での組織の性質を知り、その呪縛から解放されるためE“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかったF前職の研究テーマを仕上げるため

これらの理由を、順に、回を分けて、ある程度詳しく書き綴ってゆきたいと思う。まず、初回である今回は、@について述べる。

@うつ症状の悪化と治療のため

前職の頃、特に今から4年前頃は、発達障害的特性に起因しての激しい不注意ミスや対人関係のトラブル等により、激しいうつ症状に陥っていた。一時期は自殺年慮も抱く、深夜に朦朧と近所を徘徊する、奇声を発するなど、酷い症状に妻子を悩ませていた。

その後、精神科に通院し、かつ専門医の下でADHD診断を得、精神的にはだいぶ気楽になり、うつ症状も改善されてきたものの、やはり仕事上のミスやトラブルは(一時期よりは改善したものの、)依然として多く、その都度職場で白い目で見られ、うつ症状が悪化していた。

特に、一時期良くなったと思われた矢先、昨年春先であるが、突発的に症状が酷くなり、それまで何度も思い立っては未遂に終わっていた休職の願いを通し、自宅療養に入った。ちょうど1年前になるが、休職中、今後について、素直に復職して頑張るか、別の道を歩むか、しばらく悩んだ。

その結論として、復職は諦め、別の道を歩むこととした。これ以上、自分をストレス環境に置いて精神的に追い込むことは、何より心配、迷惑をかけている家族や職場の方々のためにも適切ではないと判断したためである。

その後、幸いうつ症状は小康状態を保っており(時々、ちょっとした日常のミス等に起因してうつっぽくなることがあったが)、現在に至っている。昨年復職していたら、ここまで精神状態は安定していなかったであろうことを考えると、判断としては間違っていなかったと率直に思う。

また、うつ症状以外にも、不注意ミスや対人関係スキルなど、いわゆるソーシャルスキルの抜本的な改善に専念する必要があると思ったこともある。今後何をするにしても、一社会人として仕事をするなら、あらゆる短所的特性を克服または上手にカバーせねば乗り切れないであろうと今でも考えている。

幸い、結果として、この1年間の休職〜退職後の期間を経て、うつ症状の改善とともに、過去の失敗事例の分析、改善のためのアイデア整理など、自己分析や改善の取組みも、まだまだ決して完璧ではないものの、着実に進展してきたと思っている。前職における、ミス、失態、精神状態の悪化という悪循環を断ち切れた点は、それ自体が大きな改善点、評価点と言える。

今回は以上です。次回以降も、A以降について詳しく書き綴ってゆきたいと思います。

私が会社を辞めた理由(2)

前回に引き続き、今回も辞めた理由について自己分析的に綴ってみたい。今日は前回目次として挙げた@〜Fの7つの理由のうち、Aについて述べる。



A会社内の様々な人に迷惑をかけてしまったため

これを敢えて理由の2点目として挙げたい。自分の病状や希望もあるが、何よりお世話になった人様に迷惑がかかり、その人たちが酷い目に遭っていくのを見て、罪悪感から精神的に耐えられなかったということがある。



この場では個々の詳細は敢えて省略するが(別途、失敗事例集でも昨年一部採り上げており、未着手の事例も追って何らかの事例集の形で詳細を綴ってゆきたい)、過去10年以上、特に最後の数年間勤めた中で、社内(出向先含む)でお世話になった先輩、上司、後輩の人たちが何人も、十中八九、自分の犯したミス、トラブルが原因と推察される中で、左遷されていくのを何度も見た。

一度や二度ならば、たまたま偶然かな、原因は他にある(その人自身のミス等)のかなと思うであろうが、それが何例も続くとなると、さすがのKYな小生でも、自分に原因があると察して、思ってしまうものである。自分が致命的なミス、失態をする。

その暫く後、そこでお世話になった方々、例えばそのときの上司や小生の業務の上位統括部署の担当者が、不意打ちのように突然の左遷的人事(遠方の勤務地に、決して栄転と言えない肩書きで異動になる)が発令され、その人たちが居なくなってしまう。それが数年に渡って何度も何度も繰り返されたのである。

中には、共同プロジェクトとしてお世話になっていた某関連子会社の営業担当者が突然辞めてしまったこともあった。その暫く前、小生が大失態をして、その人が打合せの席でブチ切れて小生を怒鳴りつけたことがあった。子会社の人が親会社の人に立て付く、ブチ切れるなど、ビジネスの世界の常識からして異常な事態であったが、後から聞けば、何かが吹っ切れたようにその人は辞めたと言う。

また、別の事例として、進みかけていた比較的大型のプロジェクトが、小生が上手く立ちまわれば成功に進んだものを、途中で頓挫して、絶ち消えになってしまったものもあった。そのときにお世話になっていた相手方の会社があったが、その会社としては、そのプロジェクトに相当に社運をかけていたようで、途中の打合せではかなり上位の幹部まで出席するなど、気合いが感じられた。しかし、その期待を外してしまい、その1年くらい後、当時の先方の営業担当者は「お世話になりました」という比較的簡単な挨拶メールとともに、転職してしまった。

後から気付いた例もある。前職在職中、あるいは昨年休職〜退職して、改めて自分のこれまでを思い返してみる中で、ふと、「あのときのあの人の異動はもしかして…」と、今さらながらに気付く、察したこともあった。その後から気付いた事例が一気に複数の事例に上ったために(「もしかして、あのときのも、このときのも…」)、一気に自分のうつ症状が(余計に)酷くなっていまったこともあった。



それでも、淡々と給料稼ぐためと割り切っての仕事であれば、まだ耐えられたのかもしれない。

しかし、小生の前職の仕事は、もともと自分で学生時代に希望し、自分のそれまでの研究テーマなども活かせ、半分はライフワークとして取り組める業種であった。自他共に認める程に、愛着を持っていた仕事、会社であっただけに、周囲からは「こいつは何があっても辞めないだろう」と思われていた節もあり、小生自身も途中まではそのつもりであった。が、上述の事例を数々経験して以降、逆に愛着、拘りがあっただけに、精神的に耐えられなくなったというのは、自分の心の中での率直な事実である。

だからこそ、今だから敢えて正直に申告することだが、昨年退職したとき、退職関係の書類を記入する際、事実とは異なる方便を書いてしまった。具体的には、退職後の失業給付金の申請にあたり、病気療養中(傷病手当金の支給中)であったため、給付開始の延長手続きが必要であった。その際、うつ症状の発生原因などを、全て自宅、自分のせいとしてしまったのである。申請書類には会社の業務中に発症したという記入もできたのだが、敢えてそうしなかった。

調べてみたところ、仮に業務中の発症による退職という訴えが役所に認められれば、会社都合退職になり、その分退職金を多く得られるといった可能性もあるにはあった。持って行き方次第だったのかもしれないが、敢えてそういった会社に迷惑をかける行為はしたくなかった。ただでさえ、再三慰留されたのを自分で強引に振り切って辞め、退職の当日まで、直属の上司を怒らせたこともある。これ以上迷惑はかけたくなかった。

この件について、事実と異なる虚偽申請をしたという意味で、異論は頂戴するかもしれない。それは敢えて覚悟の上で、自分の率直な思いとして、ここに馬鹿正直に記した次第である。 何卒、ご理解いただければと思う。



…今回は以上です。次回は理由Bについて述べます。

私が会社を辞めた理由(3)

前回の理由Aに引き続き、今回は理由B「家庭事情への配慮と、当面の生活の目途がついたため」の前半について書きたいと思います。



小生の前職の会社は良くも悪くも全国組織であり、総合職採用ということもあり、先輩方々の人事運用を見るに、基本的にはいわゆる転勤族であった。特に、入社後数年間は現場の配属となり、仕事柄、勤務シフトが不規則であった。5年目あたりから月−金の普通のデスクワークにはなったが、出張やら残業、夜の席なども少なくなく、また今後転勤や再び現場に管理職として赴任する可能性も高かった。

結婚前は何ら問題ではなかったが、妻子ある身となり、それらの会社の勤務体制が悩み材料になってきていた。結婚直後も、現場勤務であり、当時普通に月−金のデスクワークをしていた妻と休みも合わず、なかなか二人でゆったり過ごすプライベートの時間も取ることができなかった。

特に、妻は以前から、精神疾患とまでは行かないのかもしれないが、夜一人で居ると不安感に駆られるところがあり、小生が職場で泊まり勤務をするときなど、夜度々職場や携帯に高頻度に電話をかけてくるなど、段々と深刻な問題になっていった。

結婚後一定期間、そういった不規則勤務を続けた結果、妻の不安症は増大してしまい、詳細はここでは割愛するが、一時期は、(小生でなく妻のことで)職場にも色々と迷惑をかけてしまい、止む無くその件で精神科医や会社の人事に何度も相談したし、仕事を変える、辞めるという選択肢も考えざるを得なかった。自宅に帰っては精神的に荒れた妻に罵声を浴びせられるなど、やや大げさかもしれないが、毎日が戦場のようであった。

後に問題となる小生自身の仕事ぶり(の悪さ)は、当時は不思議とそれほど問題ではなかったが、妻への配慮、対応の面で、小生自身にも少なからぬ精神的負担にはなっていたかもしれない。

とはいえ、仕事のせいにばかりはできない。当時特、に小生の妻への気遣い不足も非常に大きかったと思う。もう少し気配りができていれば、そこまで事態は悪化しなかったのではないかと思われ、その点は今も非常に悔やまれる、大いなる反省点である。

その後、デスクワークとなり、環境は著しく改善されたが、妻の不安症は残り、夜の残業や夜の席に出るにも、事前に親に面倒見を依頼するなど一定の配慮をしておかねばならなかった。また、今後の転勤リスクなどを踏まえると、悪化が再発することも懸念されていた。



また、もう一つの家庭上の問題として、両親、親戚の年齢という問題もあった。親、親戚とも皆それなりに高齢であり、勿論大往生してほしいとは思うものの、常識的に見て、年齢的に病気等のリスクは色々とあった。言葉にするのは不謹慎かもしれないが、万が一のことを考えれば、遠方に転勤しているがために親の死に目にも会えないという事態は避けたかった。何より、今後一緒に過ごせる時間をきちんと確保したいという思いが大きい。

さらに、子供の教育上の問題もある。妻、小生ともに一致する考えとして、子供の教育上、特に子供が幼いうちは、両親ともにできる限り一緒に過ごす時間を確保したいということがある。小生が子供の頃は、親はずっと昼も夜も働いており、思えば一人寂しく過ごす時間が多かった。ベビーシッターだ習い事だと、金をかけて子供を預ける手段は世の中にはある。

しかし、金で全て解決できるわけではない。家族一緒に過ごせる時間は、他に代え難い貴重なものである。自分がかつて味わったような寂しさを自分の子供にはさせたくないという思いからも、上述の小生の勤務体制はやはり課題があった。



幸い、今は小生自身がずっと自宅に居り、妻も残業の基本的に無いデスクワークである。親とも同居しており、家族と接する時間は非常に多くある。その点は、何より有難い、他に代え難い貴重な時間であると思う毎日である。特に、都心のマンションを引き払い、片田舎で過ごしているため、子供の遊ぶ環境にも非常に恵まれている。

あのまま都心に住んでいたら、(今と比べて相対的には)遊ぶ場所も乏しく、親とも別居のために子供を学童保育に預けざるを得ず、結局は小生が子供の頃と同じ環境を味わわせていたであろう。そう思うと、昨年のあのタイミングで引っ越し、また仕事を辞めて良かったと改めて思う次第である。



…今回は以上です。次回は理由Bの後半について書きます。


私が会社を辞めた理由(4)


今回は、前回前半部を書いた理由B「家庭事情への配慮と、当面の生活の目途がついたため」の後半について書きたいと思います。



家庭事情への配慮という意味では、金銭等の問題もあるが、何より小生本人が心身ともに健康で生き続けるということもまた、大事な要素であると思う。自分で言うのも何だが、一家の大黒柱が倒れる、間違っても命を落とすということ以上に、妻子や両親への大きなダメージは無いのではないだろうか。

何を大げさなと思われるかもしれないが、実際に働き盛りの一家のお父さんが倒れ、命を落とすという事例を、今までに小生は身近なところで3例も見てきた。これが多いのか少ないのかは分からないが、特に残された妻子や両親の方々のことを思うと、何ともいたたまれないものがある。



3例のうち、1例は、小生の高校の担任である。一応進学校と名の付くところに居たが、その中でも進学クラスを担当するなど、同僚の教師の中でも出世頭であった。が、同時に、教え子の進学実績も上げねばならないという猛烈なプレッシャーに常に晒されていたようで、そのストレスからか、小生たちが卒業して10年以上経ってからだが、50歳を目前にして、病に倒れ、そのまま亡くなった。

訃報を聞いたときは、ショックというよりは、全く実感が湧かず、久しぶりに当時のクラスメイトたちとともに葬式に行ったが、線香をあげても尚、あの先生が無くなったというのが信じられなかった。思えば、小生たちが卒業した直後、結婚をし、挙式にも招かれたのを今でも覚えている。その後、お子さんも二人生まれ、順調に家庭を育んでいたようであった。

思うに、そのご家族にとって、計り知れないほどにショックなことだったのではないだろうか。葬儀の際、せめてお会いできれば励ましの言葉の一つでもおかけしたかったが、お互いの時間の都合などもあり、お会いできなかっただけに、今思い出しても気になるところではある。



2例目は、小生の前職の企業の上司に当たる方である。面識は無いものの、小生が休職〜退職直前まで勤務した部署に勤務されており、小生の配属と入れ替えで地方支社に栄転された方であった。その地方支社は当時、未曾有の大規模災害に見舞われ、会社のインフラ設備が重大な損害を受けたため、支社の人たちは皆、不眠不休でその復旧に当たっていたそうである。その矢先、くも膜下出血(だったと聞いている)で倒れ、帰らぬ人となったそうだ。

3例目も、前職の上司に当たる方で、この方は面識があるどころか、同じ地方支社で当時非常にお世話になった方であった。体育会系の方で、人事畑を歩み、いわゆるノンキャリア採用でありながら、人事・企画課長まで上り詰め、あと一歩で部長という人であった。やはり激務を日々精力的にこなしていたようで、病に倒れた。1度倒れたときは一命を取り留めたものの、仕事の無理が祟ってか、再度倒れ、2度目は帰らぬ人になってしまった。



極めて偶然かつ皮肉なことだが、これら2,3例目の方々はいずれも、1例目の小生の担任と同じく、50歳を目前にして倒れ、しかも奥様と幼いお子さんが残されている。出世コースを歩む中で、日々のプレッシャーと激務をこなしていた点も同じである。

偶然とはいえ、こういった事例が身近なところで3例も目の当たりにしてくると、自分の人生観も少なからず改めざるを得なかった。働き盛りとはいえ、死んでしまっては元も子も無い。妻子をポツっと残し、ましてや親よりも先立つなど、残された家族にとって、これ以上の不幸があるだろうか、とも率直に思う。

話がやや飛躍しすぎかもしれないが、一定のプレッシャーと多忙さの中で働き続ける以上、小生も、将来的にそういった事態に陥る可能性が無かったとは言えない。その意味では、そういった環境から退き、家族とゆっくり過ごせる時間を確保できたことは、この上無く有難い、他に代え難いことである。



…今回は以上です。次回も理由Bの続きを書きます。

私が会社を辞めた理由(5)


前回に引き続き、理由Bの続きです。


理由Bの続きとして、今後の生活設計についての問題がある。日々生活してゆく上では、現実問題として欠かせない問題である。一般常識的に考えれば、会社を辞めるか否かを選択する上では、本来的には一番優先的に考えるべきことであろう。

ここでは、長期的にどうしてゆくか、および短期的にどうしてゆくかの2つに分けて考えてみたい。まずは長期的にどうするかについて。


実家では、以前から家業を持っている。その具体的な中身はプライバシーに関わるので割愛するが、親が経営してきたものである。個人経営であり、そろそろ親も老齢にさしかかるため、今後どうしてゆくかを考えねばならない時期に来ていた。

実家に戻って家業を継ぐのか、それとも家業は閉めて、我々は都心部など他地域で別の仕事をしながら生活を続けるのか。基本的には、その二者択一であった。以前から、実家の親も、また妻も、将来的には前者で…という主旨のことを希望として話していた。一方、小生は、以前は態度をはっきりさせておらず、どちらかと言えば、内心は後者に傾きかけていた時期もあった。

しかし、既に申し上げているように、小生は前職で再三ミスやトラブルを起こすなどし、酷いうつ状態に陥ったこともあり、そのような状況のままで当初傾いていた希望を叶わせることは難しかったようにも思う。妻もそれを見越していたのかもしれず、それを踏まえた上で、実家に戻って…という考えもあったのかもしれない。

休職する少し前、妻の希望も踏まえ、都心のマンションを引き払い、実家に戻った。その時点では小生もまだ前職の仕事を続けてはいたが、偶発的なきっかけもあり、その後程なくして休職した。

これで、少なくとも結果的には、家業を継ぐ環境が整ったことになる。ある程度偶然の出来事が重なった結果でもあるが、或いは妻や両親からすれば、ある程度は計画的に事を進めた結果なのかもしれない。

今後は、妻の現在の仕事の実務的な中身が家業に近いこともあり、妻を中心的な役割として継いでいく予定である。小生に何ができるかはもっと考えねばならないだろうが、少なくとも全体の労力としては、妻に偏ることなく、夫婦二人で家業を支えてゆかねばならないことは言うまでもなかろう。

諸々の社会情勢も踏まえれば、親がやってきたことをそのまま続けるだけでは、仕事として上手く行かなくなる可能性も高い。新たに変えるべきところは何か、それをできるだけ失敗のリスク無く実現してゆくにはどうすべきか、真剣に考え、夫婦で、或いは両親も交えて議論をし、家を、家族を、仕事を守ってゆかねばならない。今さら避けて通ることのできない、また決して軽々しい、半端な気持ちで引き受けられない、妻子と老齢の親を抱える一成人に課せられた、プレッシャーの高い任務である。

ある程度は既に妻とも話して、具体的なプランはあるものの、まだまだ検討としては不十分と考えている。今後、親からバトンタッチをしていく中で、しばらく時間をかけて、少しずつだが綿密入念に案を固めてゆきたい。



以上の長期的な課題、展望を踏まえた上で、次に短期的にどうするか、即ち当面の生活の問題がある。

今はまだ基本的に家業のバトンタッチをしておらず、また妻も別の仕事を通勤しながら続けている。いくら家業を継ぐとは言え、それを前提に親のスネをかじるわけには決してゆかない。バトンタッチが済むまで、別の手段で、夫婦で収入を得、日々の生活をしてゆかねばならない。

幸い、(これもある意味親のスネかじりと同じにはなるが、)妻も以前住んでいた都心部での仕事先から転勤(厳密には転職)となり、キャリアアップの扱いで、給料は増えた。小生が前職を休職、退職して収入が減る、または途絶える中で、その点は非常に幸いであった。

また、小生自身も、前職の仕事をしなくなったものの、うつ症状の悪化を主たる理由として休職、退職したこともあり、休職直後から少なからぬ額の傷病手当金を頂戴している。

社会保障の権利を行使しているわけだが、この手当金の源はと言えば、前職の企業の健康保険組合の財源、即ち、前職企業の皆様が日々真面目に働いて収めた保険金である。非常に有難いことであり、そういった皆様に感謝の念を抱きながら、心して使わせていただければと思う。ただし、言うまでも無く、期限付きのものであり、また病気療養のためのものであり、決して甘えては、安易に頼り続けてはならないと自分に言い聞かせている。

同時に、以前都心部のマンションで暮らしていた時期と比べ、実家なので当たり前だが家賃や駐車場代もかからなくなり、また同居前に時折行っていた親への仕送りも諸事情で止めることにしたため、日々の出費はだいぶ減った。さらに、以前は車のローンも残っていたが、数年前に完済できている。親への仕送りはともかく、車のローンを残し、かつ都心部マンションに住み続けることと比べれば、その点でも身軽にはなったことは非常に幸いではある。



以上、理由Bのうち、日々の生活面の課題について、長期、短期の2つの視点で述べた。思うに、妻と親の許しを得られたのも、こういった事情、環境があった、恵まれたからこそのことではないかと思う。改めて、その環境と、何より妻、親の寛大な配慮に強く感謝したい。



…今回は以上です。次回は理由Cを書きます。


私が会社を辞めた理由(6)


前回に引き続き、今日は理由Cを書きます。
なお、今回から、原稿の文字数は1000文字程度にするようにします。



Cライフワークに時間を注ぎたいため。人生の残りの時間を踏まえ。

「人生の残り」とは、今現在36歳の小生が言うのはやや大げさかもしれないが、今からの時間ではなく、サラリーマンの仕事を退職してからの時間、という意味である。

あのままサラリーマン生活を続けて行けば、普通に行けば60歳頃、いやそれ以上の年齢までその生活を続けることになっていただろう。無論、今は60歳代でもまだまだ若い年齢であり、そこから新しいことを始めても、達成できることはきっと多いとは思う。

ただ、やりたいこと一つ一つの重さや、できるだけ早急に最大限の労力を注ぎたいこともあり、その意味でも、昨年のあのタイミングでスパッと前職を辞して良かったと思っている。

逆に、あれより早ければ、やりたいことがまだ成熟しておらず、持ちだせる成果や人脈など、何のアテも無いままに飛び出すことになったろうと思う。その意味では、早すぎず、遅すぎず、ちょうど良かったと思う。



小生のやりたいこととは、主に次の3つである。:

 ・発達障害の自助・支援活動(これまでの延長)
 ・人工知能系の研究(前職研究の続き、およびそれとは少し別のところ)
 ・理数系科目の教育のあり方の研究

これら3つを、妻と共に家業を継ぎながら、もっと言えば、あわよくば仕事として利益、給料も頂戴しながら、行って行ければと思っている。幸い、最後の3つ目は、小生の実家の家業にある程度関係のあることであり、家業を継ぎながらできることでもある。

いずれも、一つが重い、奥の深いテーマであり、自分の理想とする完成系に持っていくには、専任的に取り組んだとしても、各々、かなりの時間、手間を要することであろう。

あまり大風呂敷を広げ過ぎないようにしないといけないが、どうしても3つを並行に続けなければならないと考えている。

1つ目の発達障害支援は、自分自身の今後も含め、当事者各人の人生、命にも関わる重大な問題であり、この世界の現状を見れば、支援に早急に取組むべきだと思う。

2つ目は、前職において途中まで取組んで学会発表もしているものであり、お世話になった大学の先生との繋がりや、他所に成果を取られる可能性なども踏まえると、あまり長期間放置すべきではなかろう。

強いて言えば、最後の3つ目を後に回すべきだが、家業を継ぐ上でも直面する問題でもあるので、やはり3つ同時になるかと思う。



幸い、ここ最近で言えば、1週間の計画を適切に立てることで、先延ばしや挫折なく、いくつかのタスクをきちんと消化できている。このペースで、今後の長期的な計画を立て、精力的に進めてゆきたい。

…今回は以上です。次回は理由Cの続きを書きます。

私が会社を辞めた理由(7)


今回は理由Dを書きます。:

D悪い意味での組織の性質を知り、その呪縛から解放されるため

前職を10年以上も勤めて、恥ずかしながら退職も近くなって、ようやく気付いたことがある。それは、会社、組織というものの怖さである。


入社して10年も経つと、初めは青二才の新入社員だった人たちの多くが結婚して所帯を持ち、早ければマイホームを30年ローンで購入する人まで居る。その分だけ、生活がかかってくるため、会社を辞めるリスクは当然高くなる。会社をクビにならないためには、もっと言えば、給料を少しでも多くもらい、出世するためには、会社、上司の指示を忠実に守らねばならないだろう。

小生が新入社員の頃から、社内で噂の一つとしてささやかれていることがあった。それは、「マイホームを買ったら即、単身赴任の法則」である。小生がそれを初めて耳にしたときは、マーフィーの法則と同レベルに聞こえた。

しかし、10年以上勤務して実感、直感したのは、決してマーフィーの法則などではなく、会社、上司の側が、意図的にそうしている可能性が高い、ということである。実際、支社に勤務していた頃にお世話になった課長氏二人が、まさにその法則通りの異動をされていた。


生活がかかっている社員に対し、会社・上司は、その弱みにつけこんだ人事や業務指示を平然とする。本質的に、会社とは、組織とは、それくらい冷徹な、厳しいところなのである。

会社、組織における大原則は、アメとムチである。それは社会常識として、社会人になる前から何となく分かっていたことではあるが、10年以上会社勤めをして分かったのは、そのアメとムチは、当初の想像以上に非常に徹底されているものなのだ、ということ。皮肉にも、退職も近くなって、それを身をもって知った。特に、ムチの凄さ、怖さを。

そして、そういう会社、組織で働く社員たちは皆、生活がかかっていることもあり、良くも悪くも染まってくる。新入社員の頃はチャランポランだったような人でも、段々と目の色、発言、態度が変わる。実際、新入社員の頃以来、久しぶりに会った同期生が、当時と発言も態度も180°変わっているのを目の当たりにして、驚いたことがある。


そういった会社に忠実になっていく社員たちを使って、わざとらしい状況を仕組んだり、場合によっては陰湿な嫌がらせ、プライバシーの侵害にもなりかねないスパイ的行為までしてくることもある。

違法行為のようにも思えるが、確固たる証拠を挙げて検挙、立証しづらいものであり、逆にそれゆえに、そういった行為が横行しているのが実態なのではなかろうか。実際、小生は、そういう体験をこの数年でいくつもした。おかげで、うつ症状はだいぶ悪化し、精神的に相当追い込まれた。

こう書くと、かなり妄想的とのご批判もあるかもしれないが、それは承知の上で、敢えて筆を続けたい。そういう体験をしたこと、少なくとも小生がそう感じて精神状態を極度に悪化させてしまったことは、紛れも無い事実だからである。


…今回は以上です。次回はこの続きを書きます。


私が会社を辞めた理由(8)

今回も、理由Dの続きを書きます。:
 「D悪い意味での組織の性質を知り、その呪縛から解放されるため」


前回述べた組織の怖い面の話に関連して、ある出来事を2つ採り上げて考えてみたい。

1つ目。小生が新入社員の頃、お世話になった支社の課長代理氏が居た。いわゆるノンキャリア採用の方で、ある程度年輩の方であったが、生真面目な人柄と仕事ぶりから、課長代理の地位まで出世されていた。

あるとき、用事で支社に出向き、手待ち時間が少しできたため、支社の方々と短く雑談をした。その際、横でPCに向かっていた、その課長代理氏が、「…本当、こんな仕事、もう辞めたい、辛い…」という本音をポロっと漏らしたことがあった。普段、その方は実直に仕事をこなしている。その人をして、そういう本音が漏れてきたのは、正直なところ意外であった。

2つ目。先日、とある企業の社長が突然行方不明になり、後に遺体で発見されるという非常に悲しいニュースがあった。自殺の可能性が高いとのこと。記憶にある方も多いと思う。その企業では、そのしばらく前に、世間を賑わす事故を起こしていた。幸い、犠牲者は出なかったものの、負傷者を出す大事故であり、監督官庁からも徹底指導されていた。ただでさえ苦しい経営状態の中、事故対策などに追われ、さらに苦しい状態にあった。


これら2つの事例。なぜ、そんなにも辛い精神状態になるのであろうか。特に、後者。企業のトップの地位に昇り詰めてまで、自ら命を絶つほどに追い込まれるとは、どういうことなのだろうか。諸々の業務に追われ、休みもとれず、残業続きで、肉体的に疲弊し尽くし、精神も蝕んでいる。それが一番可能性としては高いだろう。しかし、それだけなのだろうか。

自分の狭い経験からすれば、そういった肉体的疲労だけでなく、前に書いたような、組織の冷徹、陰湿な側面ででも、精神を大きく蝕んでいるということは無いのだろうか。

自分の業績が好調ならば、組織の中では、人事評価・風評も良く、給料も増え、順調に出世し、周囲の接し方も優しいだろう。しかし、ひとたび業績が悪化したら、それらが全て手のひらを返したかのように、全てひっくり返る。前回書いたように、組織とは、アメとムチが非常に徹底されたところである。ならば、特に一度はアメを経験しているなら尚更、ムチの酷さ、厳しさに、精神を蝕まれる人が続出しても、何の不思議も無いと思う。

平社員、中堅社員だけでなく、たとえ社長のような組織のトップであっても同じではないか。むしろ、社長や幹部こそ、業績が悪ければ、即刻解任、降格の憂き目に遭う。幹部とは、業績が全ての、ある意味では非常に厳しい立場にあると言える。


もっと言えば、単に自分がそういった冷徹、陰湿なことをされるだけでなく、自分が上からの指示を受けて、良心の呵責に耐えながらも、他人に対してそういう行為をせざるを得ないとしたら、どうであろうか。ましてや、自分がそうした相手が、そのおかげで精神的に大きく傷ついたとしたら。

自分が組織で生きて行く限り、上から業務指示で命じられれば、それを拒否はできない。そんなことをしたら、自分の立場、評価・評判も悪くなる。自分の本心に関係無く、忠実に与えられたミッションを実行、達成しなければ、組織ではやっていけない。逆に、そういうミッションを確実に達成できる人は、評価はどんどん良くなるだろう。

今、自分が前職を辞め、改めて思うのは、自分が下手に前職に留まっていれば、遅かれ早かれ、そういうミッションを担わざるを得なくなったのではないか、ということ。人様にそういう行為を働き、それで罪悪感を抱けば、さらに自分の精神状態も悪化していただろう。その意味でも、組織を離れ、そういった宿命から逃れられたことは、決して大げさでなく、幸運であったと思っている。

今後、次の仕事として自分がやっていきたいことでも、大なり小なり何らかの組織体制を採らざるを得ないとしても、そういった悪い意味での組織体制には絶対したくない。より良い組織、チームとは何か?。次の仕事を進めつつ、それを今後考えてゆきたいと思う。


…今回は以上です。次回はこの続きを書きます。
私が会社を辞めた理由(9)


今回は、理由Eを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


小生は、前職において、技術系の総合職の立場にあり、特に退職前の5年以上に渡って、研究開発の職に従事していた。個人的な希望としては、そのまま長く研究の仕事に就きたいと思っており、会社にはそれを再三伝えていた。研究の仕事をしてゆきたいという思いそれ自体は、今も何ら変わっていない。


が、前職の社内事情として、総合職は、古い言葉で言えば幹部候補生の扱いとなり、ある程度の年齢になれば、技術系と言えど、マネージメントの割合がぐっと高くなる。ましてや、小生が在職した研究開発機関も、実態は研究開発それ自体は実質外注が主体であり、その事務処理と統括、実務部署との調整が業務の大部分であった。したがって、求められる能力も、それらの能力であり、純粋な意味での研究能力、技術力ではなかった。専門的な知識が乏しくとも、事務処理や人との調整能力に長けた人が生き残るという皮肉な競争下にあった。

また、社内政治的に見ても、実務、特に人事関係の部署・ポストが格上の存在であり、研究開発はどちらかと言えば格下の業務・職場であった。そのような力関係、格の上下がある中で、人事運用面でも、実務や人事業務にデキる人が吸い上げられるようになっており、出世のためには早くそういう流れに乗ることが暗黙の了解となっていた。それでなくとも、研究開発などの閉じた部署に長く塩漬けにするのは良くないという風土から、意識的に他部署に異動する運用にもなっていた(それ自体は良いことだとは思うが)。

加えて、昨今の不況下、企業とて売上が減れば、投資は減り、コストダウンを迫られる。実態として、真っ先に予算や人員が削られるのは研究開発部門であった。今日明日の第一線の実務に直結しないという意味では、ある程度仕方のないことではなるのだが。ましてや、小生の希望する研究テーマは、どちらかと言えば基礎研究的なものであり、当時在籍したチームの優先ミッションからは少し外れたものであった(ある程度は関係するものだったが)。


これらの点で、小生の希望するテーマで研究を前職企業の中で続けるのは、段々と無理が生じてきた。

唯一、退職の数年前に出向した公的研究機関や大学研究所は、その意味では存分にできる環境にはあった。実際、公的機関に出向中、暗に完全な転籍を誘われたことも度々あり、一時期は本気で小生もそのつもりで居た。

が、結局その職場でもトラブルを起こし、嫌われてしまった(それでも、手前味噌ながら、後に晩回して、ある程度は回復できたが)。また何より、皮肉なことに、テーマの棲み分け、役割分担を巡って、出向元企業との間で対立が生じてきており、その公的機関でもそのテーマを自由に研究することが困難な状況になりつつあった。

特に、小生のテーマは、基礎研究ながら、変に応用・実務的要素もあったこと、出向元企業よりは同業他社のニーズに合ったものだっただけに、真っ先に出向元から問題視される憂き目に遭ってしまった。

これらの事情から、結局転籍という選択肢も断念せざるを得なかった。消去法的に見ても、段々と大学に目が向かうようになったものの、諸々の事情から、大学に必要に応じて籍を置きつつも、最後は自分で一から興さないとダメだという結論に達した次第である。

それらの意味でも、前職の退職は必然的なものであり、追い風にすらなるものであったと言える。


…今回は以上です。次回、またDの続きを書きます。


私が会社を辞めた理由(10)


今回も、理由Eの続きを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


前回、前職での経緯から、自分のやりたい研究を続けるためには、大学に籍を置かせていただきつつも、自分で興してやらないとダメだとの結論に達した旨を書いた。今回は、その続きで、自分で興すことの意義や、より具体的な方向性について書きたいと思う。


前職での散々な経験、そして昨年休職〜退職して自宅でずっと過ごすようになったことを踏まえて、自分に向いている、生き生きとやりたいことができる理想の形、立場とは何かを考えてきた。

詳細な案は少しずつ自分の中で固めている最中であり、また”企業秘密”的な観点からも、あまり詳細は書くことはできない。が、大枠で言うなら、基本的には、できるだけフリー、身軽な立場で、かつ、今後の世の中における仕事の有り方というものを真剣に追求する形でやっていきたいと考えている。

極めて当たり前の話なのだが、妥協なく自分の理想を追求するには、自分のわがままを押し通すためには、結局自分で一から興すしかないのである。改めて、そう痛感した次第である。自分で主導権を握れるもの、とは決して言わないが、前記事で述べたような、数々の嫌がらせ、仕組まれたやらせ的出来事のような、悪い意味で組織の歯車になる、組織に振り回されるのは、できればもう二度と今の人生では経験したくはない。


かつて、学生時代だが、数学者・秋山仁氏(東海大学教授)の講演会を聴講したことがある。同氏は、以前から、某大手予備校の人気講師としても活躍し、NHKの数学講座や民放のバラエティ番組にも一時期出演しており、”レゲエ教授”として知名度のある方である。その方をして、「自由な人生でいたい」とのこと。このときの講演会での一言に意外と影響を受けているのかもしれない。

もちろん、ただ自由で居るだけで、同氏のような研究・教育両面での高い実績を上げることは、並大抵のことではない。上述の講演会でも、はるか人並み以上の努力と苦労をされてきたご経歴を伺った。自由であるとは、裏返せば、自分の好きなようにできるが、反面、全ての言動に責任を持ち、全て自分で努力、カバーせねばならないという意味でもある。そこは、繰返し繰返し、肝に銘じなければならないだろう。


具体的な形としては、ベンチャー企業としての起業、もしくは非営利でNPOの設立ということになる。これも、特に前職で大学や公的機関に出向していた頃、お世話になった方々が興したベンチャー企業の動向を色々と拝見し、図らずも成功・苦戦の両面を垣間見てきた。順風満帆に成長の一途を続けている人たちも居れば、必ずしもそうでない人たちも居る。それが厳しい現実であろう。そういった先人の方々の取組みから学び、無駄な過ちに陥ることなく、新しいことを展開できればと思っている。


…今回は以上です。次回はこの続き、特に大学に籍を置くことについて書きたいと思います。

by なさ 私が会社を辞めた理由(11)

今回も、理由Eの続きを書きます。:「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」

前回、自分のやりたい研究を続けるため、自分で興すことの意義等について書いた。今回は、その続きで、大学に籍を置かせていただくことの意義等について書きたいと思う。


「自分に向いている、生き生きとやりたいことができる理想の形、立場とは何かを考えてきた」と前回書いた。その答えは、前回の通り、基本は自分で興さないとダメだということ。その自分なりの結論は、何ら変わっていない。

小生がこれからやりたいと思っている研究や取組み。どれも、幸か不幸か、自宅に籠ってできることばかりである。極端なことを言えば、PC1台(できれば数台)とネット環境さえあれば、原理的にはできる。研究テーマなどによっては、大規模な実験施設が必要だったり、社会調査などのフィールドワークが必須な場合もある。しかし、小生の研究テーマ、やりたいことは、原則そういった類のものとは無縁である。

やりたいこと、研究テーマのうち、特に1つはかなり基礎研究的なものである。数理科学系の。大学や研究所に居たとしても、研究室に籠って、PCや書物に埋もれながら手を組んで朝から晩まで考えあぐねるスタイルになろう。(実際、前職で公的研究機関に出向してた頃、そんな毎日であった。)ならば、それは自宅でも存分にできることである。


数理系の基礎研究と言えば、最近でも有名な逸話がある。フェルマーの最終予想(定理)を証明した、米国の大学教授・ワイルズ氏は、自宅の屋根裏に長期間籠って問題を考え続けたという。ある程度脚色の要素もあるのかもしれないが、全く嘘でもなかろう。確かに、数理系の基礎研究、理論研究ともなれば、閉鎖的な集中できる環境が必要なことは、ほぼ間違いなく言える。

もう一つ例を挙げる。とある若手の現役学生のインタビューをどこかで読んだ。何でも、ロボットの開発に熱心に取り組んでいるという。自力で、望む高性能なロボットを作り上げたいとのこと。就職活動など、進路のことを聞かれても、「コンビニでバイトし続けてでも、ロボット研究を仕上げてやる」という大した意気込みであった。これも、若気の至り、あくまで意気込みに過ぎない、と評することはいくらでもできよう。しかし、不思議と、小生はそう感じなかった。


これら2つの例に共通するのは、両氏とも、趣味と仕事を超えた、ライフワークとして取組んでいるのだろう、ということ。その研究こそがアイデンティティであり、自分の人生そのものなのだろう。自分自身の価値観なども交えて、両氏の話を聞くと、そうひしひしと感じるのである。以前記事で触れた、数学者の故・岡潔氏も、もちろんそのような人物の一人であろう。

以前、お世話になっている大学の先生に、学者として食っていくことの苦労について伺ったことがある。少子化で大学の経営も厳しくなり、教員・研究者の処遇も、現状維持がやっとというレベルである。年々、短期的な成果を求められ、雇用面でも厳しくなっているとのこと。それでも、「まぁ、最終的には、学問への愛があるかどうか、だね。」と力強く語っておられた。その一言は、今でも強く小生の脳裏に焼き付いている。


自宅なり研究室なり、閉鎖環境に籠って、好きな研究に没頭する。社会人、ましてや妻子ある身で、それは非常に贅沢なことである。当たり前だが、家族も自分も食わせていかねばならない。その大人として当たり前の役割を、最低限度果たしつつ、そのすき間の時間を繋いでやっていくしかない。小生の場合、家業の一端を責任もって担うことが、最低限度の役割ということになる。

あわよくば、それでまともな成果が出たならば、その時点で、初めて大学なりの門を叩くことになろう。裏返せば、それまでは叩くべきではない。叩いたところで、先方も迷惑であり、お互いに何の意味も無かろう。つまらぬこだわり、信念ではあるが、その方針は貫きたいと思っている。


…今回は以上です。話が尻切れトンボになってしまいましたが、次回この続きを書きたいと思います。

by なさ 私が会社を辞めた理由(12)

今回も、理由Eの続きを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」

前回、妻子ある身として最低限度のことを果たしつつ、一定の成果が出るまでは、学位取得のためとはいえ、大学の門を叩くべきではないと書いた。今回は、その続きの話を書きたいと思う。


叩くべきではない。その理由。それは、今まで自分がしでかしてきたことを反省し、その対策としてのことである。

これまで、特に今振返れば、非常に悪い意味で衝動的に行動を起こしてきた。一般論としては、時にはそういった行動もアリではあろう。しかし、自分の中では、それらの行動の結果を振返るに、得策では全く無かったと言える。


前職の頃、何人かの大学の先生に、衝動的に学位指導のお願いをし、進捗の報告をすると約束しては、その取組みが途中で崩れてきたり、先延ばしになったりし、結果、先生の期待を大いに裏切るものになっていた。そもそも、学位指導をお願いする先生は、一人であるはずである。先生から断られたのであれば、別の先生にお願いするのもやむを得なかろう。しかし、そうでもないのに、自分で勝手にお願いをし、途中で進捗が狂って関係が気まずくなったら、また衝動的に別の先生を探してお願いにあたる。…実に恥ずかしいことだが、こんなことを繰返していたのである。それが嘘偽りの無い事実である。

もっと言うならば、そういった無責任かつ衝動的な言動。これまで、自分のことばかり考えていた。自分ではあまり自覚せずとも、自分を中心に物事を考えてきた気がする。お世話になる先生、前職の関係者、家族…そういった人様にどれだけの迷惑、影響があるかをあまり考えず、自分の将来のことばかり考えていたように思う。


言うまでも無く、こんなことでは、物事がうまくいくはずが無い。全く無い。今思えば、何と愚かなことをしていたのか。思い出すだけで顔から火が出る。いや、それでなくとも、今現在の自分の言動の多くもまた、火が出るべきものなのかもしれない。まぁ、プラスに物事を考えならば、それを自覚して、少しでも何らかマシになる対策を考え、実行するだけ、僅かにでも進歩したということか。

今の自分の心境としては、何より、家族含め人様にこれ以上迷惑をかけたくない。中途半端な決意と進捗、行動は、方々に迷惑この上ない。それを今さら気付いた以上、同じことはできない。自分のこれまでの失敗の数々と、特性を考えれば、十分な対策が打てない限り、同じことを繰り返してしまうだろう。その愚は犯したくない。良い意味で、自分を信用せず、できるだけ疑ってかかる。物事をフェールセーフ的に考えるならば、そう判断せざるを得ないと思っている。


学位取得のためならば、自分の研究の進捗や成果の見込みが備わっているのは当たり前だが、それ以上に、今の自分の境遇を十分に踏まえ、金銭的な面も含め、家庭事情も十分考慮せねばならないだろう。十二分に環境を整え、その上で取得なら取得に全力を尽くすべきであろうが、さらにその後の将来像もきちんと描いて、その通りに着実に着実に進めるようにしてゆかねば。そこは肝に命じたい。


…今回は以上です。次回は、この続きとして、学位取得の具体的な方法などについて書きたいと思います。


私が会社を辞めた理由(13)

今回も、理由Eの続きを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


前回、なぜすぐ行動を起こさないかについて書いた。今回は、その続きとして、学位取得の具体的な方法などについて書きたいと思う。

前職の頃からの個人的な目標の一つに、学位を取得することがある。長年ずっと続けてきた研究を、何とか形あるものにまとめ、取るものを取りたいと考えている。そのため、前職の頃から、お世話になった大学の先生をはじめ、何人かの方々にそういったご相談をさせていただいてきた。お忙しい中、個別にお会いしてお話し、色々とその世界の実情や裏事情なども教えていただいた。やはり、大学院の募集要項やネット上で得られる情報には限りがあり、その点では大変感謝してもし尽くせないものがある。


一時期は、我ながら、取得することそれ自体を最終目標に考えていた。しかし、あくまでそれは一里塚に過ぎず、やっとそれでスタート地点に立てる、とも言えよう。そこは履き違えてはならない。最近特に、肝に銘じている。

さらに言えば、前職の頃、博士号を取り、大学教員の道に進めないか、とも考えていた。今現在もその可能性は敢えて捨ててはいないが、自分の今現在の境遇や世の中の情勢を踏まえれば、現実的な可能性として、今さらこの年で再出発しても、厳しいのが実態であろう。もちろん、それでも可能性に賭けて、一心不乱に邁進することも大事ではある。しかし、妻子ある身、家業を継ぐかどうかという状況において、安易に自分勝手な行動もできない。よって、常識的に考えて、最も現実的な、無理のない進路を考えざるを得ないだろう。


今現在の考えを述べる。今はまだ療養中の状態をやや引きずってはいるものの、そろそろ次の仕事に本格的に全力で取りかからねばなるまい。それでなくとも、家業の方は時間の問題になってきてもいる。よって、現実的な選択肢としては、家業などをこなしつつ、学費を貯めて、社会人枠で大学院に通うしかない。というか、それが半ば当たり前であろう。学費も、この年で親や妻のスネをかじるような真似は絶対にしたくなく、家業とはいえ、自力で学費くらいは稼ぎたいと考えている。あるいは、次の仕事に絡めて、何らかそこでなけなしの収入が得られれば、との思いもある。

家業、次の仕事、そして家事育児の大半もこなしつつ、自分の時間で、研究の続きをやり、最低限度人に見せられる成果、もしくはその粗削りな原型になった段階で、かつ学費が貯まった段階で、初めて先生に頭を下げ、大学の門を叩く。それしかないと考えている。

ネット上で知り合った大学院生の方によれば、無職の場合、大学院入学の面でも、学費(あるいは生活費も?)の補助がある程度あるやにも伺った。それが本当ななら、非常に有難いことだが、幸か不幸か、家業をこれから引き継ぎ、かつ次の仕事を始めようとしている身である。単純な無職ではなくなるため、そのあたりは安易に糠喜びできなかろう。詳細な点は、改めて自分の目で確認したいと思う。


その上で、晴れてもし取るものが取れたとすれば、それを土台、担保にして、次の仕事を自分で興し、やりたい活動をしてゆきたいと考えている。もちろん、家業を妻と継ぎつつ、家事育児もある程度こなしつつ、である。時間的、労力的な限度はもちろんあるが、入念に事前準備をし、計画を立てて、確実にこなしてゆきたい。


…今回は以上です。話がまたも尻切れトンボになってしまいましたが、次回この 続き、課程博士、論文博士の話などを書きたいと思います。

by なさ


私が会社を辞めた理由(14)

今回も、理由Eの続きを書きます。:「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


前回、学位取得後の身の振り方について書いた。今回は、その続き、というよりは前段階として、博士課程の履修について書きたいと思う。

研究者、学者の道を志す場合、博士号を取得することが、一つの要件となる。博士号が無くとも、その道で生きることは、決して不可能ではない。とはいえ、基本的には、あるに越したことは無い、重要な資格の一つであり、その道のステイタスとも言える。


博士号を取得するには、日本では、大きく分けて2つの手段がある。いわゆる課程博士と、論文博士である。

基本的には、前者の手段で取得することになる。大学院で、まず修士課程(大学によっては、前期博士課程と呼ぶ場合もある)を2年間で修了し、その後に博士課程(後期博士課程)に入学、3年間で修了する、というのが、ごく標準的な流れである。無論、学業成績次第では、修士・博士課程ともに、それぞれ2年・3年間で修了できない場合もある(留年)。逆に、極めて優秀であれば、飛び級的に2年・3年以下の期間で短縮して修了できる大学もある。


ちなみに、後者の論文博士とは、大学院に入学せずに論文審査を受け、博士号を取得するという制度である。平たく言えば、自動車免許の取得に例えれば、教習所に入学せずに、独力で自動車運転の知識技能を学び、警察の免許センターで直接試験を受けるようなもの、と言えるだろうか。これは、日本独特の制度であり、海外ではあまり見かけないそうだ。比較的最近まで、あくまで日本国内で、だが、後者もメジャーな取得手段ではあった。

論文博士はこれまで、慣例的に、おおよそ2つのパターンで用いられることが多かった。1つは、大学で生え抜きの学者になる人が、指導教官の教授に弟子入りして奉公する場合である。教授が非常に厳しいがために、博士課程3年間で修了できず、形の上で博士課程を中退する代わりに、その教官の助手として奉公し、その間に愛のムチを受けながら研究を仕上げ、最後に温情で博士論文として通してもらう、というもの。小生の学んだ理工系の大学教官の場合、このパターンが多かったように思う。

2つ目のパターンは、修士課程を修了して、外部の企業や研究機関に就職した人が、仕事で取組んでいる研究で博士号を取得する場合である。仕事が忙しく、博士課程を履修する時間が無いため、論文審査のみで通してもらう、というもの。勝手な私見だが、どちらかと言えば、良い年の幹部クラスの人が博士号を取得したいとき、大学教授に口を利いてもらうことで、活用されてきた印象がある。


しかし、文部科学省の意向や、少子高齢化などの影響もあってか、今後は、論文博士の制度は、基本的に廃止する流れになるそうである。既に、それを見越してか、論文博士の制度を、校則レベルで廃止した大学もある。よって、小生が、今の身分で、これから取得するには、現実的な選択肢としては、前者の課程博士しか無いと考えるべきであろう。



…今回は以上です。話がまたも尻切れトンボになってしまいましたが、次回この続の話を書きたいと思います。

by なさ

私が会社を辞めた理由(15)

今回も、理由Eの続きを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


前回書いたように、日本国内で博士号を取得するには、いわゆる課程博士と、論文博士の2つの手段があるが、後者は世界的な流れ、文科省の指導から、縮小傾向にある。よって、今後取得を目指すなら、現実的には、課程博士にならざるを得ない。今回は、このあたりを掘り下げて書きたいと思う。



前にも書いたが、博士課程(後期博士課程)とは、標準の在学期間は3年間である。大学にもよるが、飛び級的な短縮の制度がある場合、それ以内の期間、たとえば1〜2年間で修了することも、制度上は可能である。当たり前だが、入学試験(筆記試験、口頭試問試験)を受け、合格した人が入学を許可される。また、最近は、純粋な学生の身分として入学する普通の枠と、働きながら学ぶ、いわゆる社会人枠というものを設けている大学が殆どである。制度として明に定められているのは、概略的には、この程度である。


それに加え、前例というか、慣例的な暗黙のルールがいくつも存在する。まず、社会人枠の場合、一般の枠と比べ、出席すべき授業の一部免除、実質的に入学試験の合格ラインの敷居が低くなるなど、いくつかの優遇措置が採られることが多い。制度上は、入学後に研究計画書を提出するケースが多いが、実際には、入学試験の段階で、これまでの研究業績や、今後の研究計画を論文として書かされるケースが殆どであるため、入学後に白紙から研究テーマや計画を決めることは、あまりない。

博士論文の審査基準としては、事前に査読付論文を3本通しておき、それらをまとめたものであることが、実質的な要件となっている。あるいは、査読付論文を2本+国際会議での発表を1回という条件とする大学もある。世界的な流れも踏まえるなら、後者の方が今後の標準とも言えるかもしれない。また、この他にも、博士論文の参考文献として挙げる数は、概ね100本程度(確か、内訳として、日本国内の文献50本、海外50本)など、細かい慣例が存在する。これらを、すべてクリアしなければならない。


また、制度上は、入学後に研究指導をいただく教官(教授)が決まるはずだが、実際には、あらかじめ特定の指導教官に対し、根回し的に頭を下げ、今後の進路等について相談、了承を得、さらには、水面下で事前の研究指導を受けておくことが通例となっている。そして、水面下で準備を進め、ある程度見込みが立った段階で入学し、標準以下の期間で修了することが、半ば常套手段化している。

中には、露骨に研究成果や論文の原案をコツコツと貯めておき、入学後にさっさと論文を書き上げて提出し、期間を短縮して修了する場合もある。悪く言えば、ある意味、確信犯的なやり方とも言えるが、個人的には、あまりそういうやり方は好きではない。やるからには、みっちり3年間を普通に消化し、修了したいと考えている。



…今回は以上です。話がまたも尻切れトンボになってしまいましたが、次回この続きの話、研究テーマのことなどを書きたいと思います。

by なさ


私が会社を辞めた理由(16)

今回も、理由Eの続きを書きます。:
「E“次の仕事”に向け、立場・職・肩書き・戦略を変えたかった」


前回、いわゆる課程博士での博士号の取得の仕方について掘り下げ、確信犯的に在学期間を短縮するのではなく、みっちり3年間をかけて修了したいと書いた。今回は、その続きとして、前回の話を踏まえての、3年間という限られた時間の使い方などについて、掘り下げて書きたいと思う。



基本的には、入学する前に、理論的な基礎的考察は、少なくともアイデアレベル、概要のレベルでは固めておきたい。できれば、簡単な、代表的なケース数通りでシミュレーションをして、妥当性を確かめ、残りの大部分を、何をどう行えばよいかまで計画、スケジュールを立てておくべきであろう。事前に、3年間、あるいはその後のことまで、しっかり計画を固めておく。もちろん、不測の事態に備え、臨機応変に変更できる余地は最低限残しておくべきであろう。

その計画と入学前の成果の芽、見通しなどを、ご指導いただきたい教授に、予め頭を下げてお願いに上がり、ご説明し、了承、ご助言を得る。その上で、入学後のご指導の了承を得る。変な話だが、博士論文の章立て、全体構成の素案、もっと言えば、入学後に本格的に用いるシミュレーション用のコンピュータプログラムの仕様設計くらいは、既に考えておき、ご指導を仰いでおくくらいのことが必要だと思う。


裏返せば、そこまでしていなければ、全く白紙の状態からスタートすることは、現実的には入学すら困難であると思われる。なぜなら、それでは、入学の段階で研究計画書を書くことすらできないからである。ある意味では、やらせ的な感じもあろうが、現実問題として、そういった根回しを、慎重に確実に進めておかねば、事は進まない。

そして、入学したら、計画通りに淡々と作業を進めてゆく。3年間を通じて、なるべく機械的な作業で終わるようにしたい。時間的にも、余裕を持たせ、3年間ギリギリまでかけるのではなく、できれば2年半でほぼ全体が終わり、残りは仕上げの段階といったペースになるようにしたい。絶対に、行き当たりばったり的な展開にすべきではない。スケジュール管理は、自分の過去の失敗も踏まえ、今まで以上に、意識的に重点的に行ってゆくべきであろう。



あと、本題の研究と並んで、英語の能力も上げておかねばならない。特に、こればかりは、入学してから英語の勉強を始めたのでは、とてもとても間に合わない。事前に、一定の能力に達している必要がある。TOEIC700点くらいは取れないといけないであろう。読み書き(Reading、Writing)はまだしも、小生は会話(Listening、Speaking)が非常に苦手である。そこを、抜本的に鍛えなければなるまい。

具体的には、もう20年も前になるが、高校生の頃、英語の能力を少しでも上げようと、ラジオのFENをずっと聞いていたことがある。ただテキストも使わず、聞き流していただけであったが、それでも少しは上達した感があった。残念ながら、当時は途中で挫折してしまったが、それを再度復活させたい。


最近は、聞き流すだけの英会話教材(○ピード○ーニング)などが盛んに宣伝されているが、そういった有料のものを使わずとも、いくらでも無料で語学学習はできると思う。今は、ネットもある。本のテキストすら、下手をすれば、買わずに済むかもしれない。そのあたりの工夫の仕方それ自体を楽しみながら、アイデアを駆使して、徹底的に安く学びたいと思う。

折しも、子供二人が、学校や幼稚園で英会話を習っている。もちろん、ごく初歩的なものだが、大人にとっても、良い意味で刺激になる。レベルは根本的に違うにせよ、小生も、子供と切磋琢磨して、英語力を少しでも上げたいと思う。それが今年の目標の一つでもある。



…今回は以上です。話がまたも尻切れトンボになってしまいましたが、次回この続きの話、研究テーマのことなどを書きたいと思います。

by なさ














能力コピー

今日のフレーズも小生の勝手な造語です。能力という意味で、前回の続きです。


自助努力も含め、発達障害の当事者の支援活動の真似事をやっていて思うのは、特に成人の場合、いかにして当事者が仕事をバリバリこなす能力を十分に身に付けられるかということである。

不況のこのご時世、たとえ障害者枠での採用でも、職場で求められる能力を発揮できねば、雇用され続けるのは難しい。かといって、当事者皆が皆、障害年金を十分な額もらうことも、国の財政事情を踏まえれば難しく、特にグレーゾーンの人々が宙に浮いてしまったり、健常者による成り済ましが横行する可能性もある。何より、勤労の義務に反することに繋がる。


諸々のことを考慮するなら、やはり一番良いのは、当事者誰もが仕事の能力をきちんと無理なく身に付け、勤務先でバリバリ働いて金を稼ぐことである。それを実現すべく、当事者がキメ細かな職業訓練を受け、無理なく身に付ける。何より、当事者に優しい就労環境を実現し、能力を十分に発揮してもらう。それが、成人当事者への究極の支援策ではなかろうか。

現状、障害者支援センターなど公的機関により、職業訓練を受けられる場は既に実現してはいる。そこで、最低限度のスキル、マナーなどは身に付けられるとは思われる。その意味で、有難い、貴重な場であると思う。しかし、あくまで最低限度のスキルを磨く場であり、高度な、専門的なスキルまで学べるわけでは必ずしもない。

また、就労環境と言えど、現状の障害者雇用と言えば、特に精神系の障害の場合、作業所のような場で、段ボールに物を詰めるなどの非常に単純な労働で終わるケースも少なくない。実際、そういった就労経験のある当事者の方々から、非常に単純で退屈だったとの感想も漏れ聞こえてくる。何より、そのような超単純労働では、とても自活できるだけの高い賃金は得られない。発達障害の場合、知能的には高い人が少なくなく、能力的・性格的な個人差も大きく、その意味で障害者枠=作業所の単純労働などと限定されるのは不合理極まりない。


よって、今必要なのは、ある程度応用的な仕事スキルの習得環境、および当事者の特性を考慮した就労環境、雇用枠の確保であると考える。

一個人、一当事者たる小生が雇用を創出することは難しいが、自助努力も兼ね、就労支援になる取組みはこれまでにも色々と行ってきている。その一つが、本記事のタイトルである能力コピーという考え方である(前置きがだいぶ長くなり、申し訳ありません)。

簡単に言えば、仕事がデキる人がなぜできるのか、デキない人はなぜ出来ないのかを、できれば職業・業務内容別に徹底的に分析し、デキる人の仕事の仕方をデキない人に徹底的に真似てもらうことで、デキない人のスキルアップを図ろうということ。一部のデキる人の能力、ノウハウをデキない人に大量コピーするという意味で、能力コピーという言葉にしてみた次第である。言い換えれば、仕事のモデル、デキる人のモデル、とも言えるかもしれない。

とはいえ、あらゆる業種・業務別に実現するのは、容易なことではない。競争の激しい現代社会では、デキる人もなかなかコツやツボは教えてくれないだろう。よって、それを無理なく実現するための仕組み、風土作りが必要と言える。


今日はここまで。次回、具体的なその仕組みや風土作りについて述べたい。
























新年の目標「達成」

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

昨年2011年は、何と言っても03月11日の東日本大震災を筆頭に、年末ギリギリまで実に色々な出来事がありました。当事者の皆様におかれましても、お仕事に家事・育児に忙しい毎日を、あるいはそれらのために精神的に辛い日々を過ごしてこられたかもしれません。

今年2012年こそは、そういった皆様の日頃の苦労、努力が報われ、お悩みが解決、軽減が実現する年でありますように。何よりそれを冒頭に申し上げた上で、僭越ながら自分自身のことを書きたいと思います。


昨年2011年は、一言で言えば「実践」を目標に掲げてきました。おかげさまで、一昨年2010年から色々と理屈をこねていたことを、順次実践に結びつけることはでき、その意味では、我ながら一応の進捗を見た、とは言えると思っています。

ですが、全てのことを実践し尽くせたわけではなく、また実践できた時期も、秋口、下手をすると年末になってから、というものもありました。その点は重ねがさね、大いに反省材料であり、特に未着手の課題は、今年2012年に持ち越しというお恥ずかしい状況ではあります。まず何より、その未着手課題への早急な着手が再優先であり、年明け1月8日頃から迅速に着手したいと考えています。


その上で。

2012年の目標は、実践の次のステップということで、「達成」にしたいと思います。昨年色々と実践したこと、着手したことを、きちんと仕上げる、達成する、成果を出す、という意味です。一昨年まで理屈をこねるだけだったのを、実践に持っていけたのは、第一段階としては進歩と言えるでしょうが、やはり実践するからには達成しないと、行動としての意味がありません。

そこで、昨年実践した、作業として着手した課題のうち、特に自分として重要度の高いものから優先的に、今年の達成課題に掲げたいと思います。具体的には、大まかに分けて、3つあります。それを追って個別にご説明します。長くなるので、いったん原稿として区切ります。





続けます。まず、本稿では、1つ目をご説明します。


@自分の研究をきちんと仕上げる。

1つ目に自分のことを掲げてしまい、すみません。もちろん、発達障害の支援に直結するAやBが最優先事項ではあるのですが、それにかこつけて、自分の研究テーマを前職在職中から中途半端、アラアラにかじるだけで来てしまいました。前職でお世話になった方々のために、また自分の今後のためにも、いい加減きちんと仕上げたいと考えており、その意識付けのため、敢えて1つ目にしました。

前職を退職後、遅々とではありますが、少なくとも頭の中では考察、構想を練ってきてはおり、あくまで頭の中レベルでは、ある程度まとまったものが出来てはいます。ただ、作業として、目に見えるアウトプットとしては、お世辞にも出来上がっておらず、非常に説得力に欠けるため、そのアウトプット作業をとにかく早急に進めてゆきます。


昨年それでも、自宅PC上で数理解析ソフトを用いて、第一段階のレベルまではプログラミングなども行い、おかげさまで少しは進捗を見ました。特に秋口、過集中的にこなせたことが大きな勝因ではあります。(とはいえ、その期間、他のタスクが先延ばしの犠牲になったため、全てのタスクを均等に進めるという面では大いに課題ではあります。)

今年は、昨年の良かった点をより伸ばすという意味で、@については、以下の行動指針を徹底したいと思います。:


[1] PCに向かう時間は作業の時間。考察は、ウォーキングなど他のことをしながら(良い意味で)上の空で進める。その区分けをより一層徹底する。逆に言えば、PCにせっかく向かいながらも手が動かない状態を作らないようにする。

[2] 考察もある程度頭の中で上の空モードで進めたら、考察結果や課題などを明示的にきちんとメモするようにする。頭の中で考えるだけでは、何となくモヤモヤ、あいまいなままになり、かつ忘れてしまうことも多いため。

[3] また、ただメモを羅列するだけでなく、あとで効果的、体系的にまとめられるよう、予めメモのフォーマットを入念に考えて、メモするようにする。こうすると、単にまとめやすくなるだけでなく、頭の中の整理にもなる。

[4] プログラミングや解析作業も、すぐ手を動かせるよう、何をどう書けば良いかを上の空で考え中に予め決めておく。できれば、考察メモの上でも、その作業順序を筆頭に明記するようにし、その通りになるべく機械的に手を動かす形で作業を進めてゆく。これにより、作業計画も立てやすくなる。

[5] 作業計画は、単に時間配分するだけでなく、作業としての進捗目標を明記するようにする。また、年間計画、半期、月間、週間の各レベルで目標、計画を掲げる。こうすることで、ただその時間こなせばよいというやっつけ仕事的なこなし方を防止し、常に進捗を強く意識した状態で作業を進められる。


…今回は以上です。次回以降、上の(1)の記事で掲げた3つの課題のうち、残 る2つ:
  A支援ツール、アプリを完成させる。
  B言論活動を完結させる。
を具体的にご説明してゆきます。











トップへ












































再生可能エネルギーに挑む

今回は、少し趣向を変えて、エネルギー問題について考えてみたいと思います。発達障害に直接関係のある話題ではありませんが、間接的に少しは関係するところも無くは無いので、敢えて採り上げます。(間接的に関係するところも、最後の方で触れます。)



世の中、福島の原発事故に起因して、脱原発の是非、原発の稼働停止による電力不足、エネルギー問題全般に大きな注目が集まっている。特に、事故以降、脱原発が言われて久しいが、感情的な脱原発の主張を押し通すだけでは、日本の経済にも国民の生活にも支障が出る一方である。安全性や経済性、技術的な可能性などの総合的な視野で、今後の我が国のエネルギー事情を理詰めで考えてゆかねば、まともな結論には辿りつくまい。

一部、非理性的、感情的な脱原発の信者は世の中に居る。そのような人たちはさておき、大多数の、一定以上理性的な判断、思考のできる国民を対象に、理詰めな思考、判断を呼び掛け、かつ、出来る限り中立的、専門的に誤りのない情報を提供し続けてゆく。それが、脱原発を含めた、昨今の我が国のエネルギー問題を少しでもまともな方向に軌道修正してゆくために、必要不可欠であると考える。

本記事は、微力ながら、その軌道修正の一助となればとの勝手な思いから執筆するものである。また、前回記事で記した、小生自身の失敗、すなわち、自分の頭と手を動かさず、人の受け売りで浅はかな言動をしてしまったことへの反省の意味も込めてのことでもある。



結論から先に言うならば、太陽光発電、水力・風力発電などの、いわゆる再生可能エネルギーが、原子力・火力などの従来の主たる発電手段に取って代わることは、まだまだ難しいと考えざるを得ない。ただし、今後の技術革新の可能性も踏まえれば、あくまで補助的な手段として、技術的、経済的に実効性のある手段ではあると思う。

そのことを、脱原発に今現在傾きかけている多くの国民に適切に伝え、理解、賛同を得てゆければと思うが、一部の非理性的な一派の存在も踏まえれば尚更、この結論を単刀直入に伝えるだけでは不十分かとも考えている。また一方で、小生自身、脱原発派ではないものの、再生可能エネルギーには、技術的な面で大いに興味はある。


そこで、自分の中での上述の結論はありながらも、敢えて再生可能エネルギーに片足を突っ込んでみようかと考えている。より具体的に言うならば、今年の夏以降、自分の頭と手を使って、いくつかの再生可能エネルギーを取り出す装置をDIY的に自作し、大げさながら実証実験をしてみたい。そして、これらの取組みの経過、結果を、自らネット上等で事細かく情報発信してゆく予定である。

そのことを通じて、再生可能エネルギーの実用化の難しさを、自分を含め、できるだけ多くの方々に、実感的に理解、納得していただければと思う。理論上、言い換えれば、机上論で考えるだけでは、技術的な難しさは十分には分からない。理系のはしくれとして、その点を忘れないためにも、敢えて装置の自作、およびそれを用いた実証実験を行おうと考えた次第である。

再生可能エネルギーのうち、特に個人的に注目している、興味があるのは、太陽熱発電、マイクロ水力発電、風力発電の3つである。詳細は、Wikipediaなり、専門の解説サイトをご参照されたい。ここでは、ごく簡単に概要のみ記す。


太陽熱発電とは、太陽電池を用いた太陽光発電とは別の発電方法である。晴天の日、虫メガネで太陽光を一点に集め、そこに黒い紙などを置くと、煙が上がり焦げる。その原理を応用し、パラボラアンテナ状の集光器を用いると、焦点となる位置に太陽光を集中させられ、極めて高密度の熱エネルギーを取り出せる。発電設備の規模にもよるが、効率的に行えば、焦点付近は数百〜1000℃にもなる。その熱で水を高温高圧の蒸気に変え、その蒸気でタービンを回して発電する。

この方法の長所として、高価な太陽電池が不要であり、原理もシンプル、既存の技術の延長、組合せで出来る、蓄熱材と組合せて夜間発電も可能などの点が挙げられる。発電効率も、条件が揃えば、太陽電池方式よりも良い。一方で、デメリットとして、晴天時以外の効率の悪さ、集光器の向きを自動調節する精密な機構が必要なこと、日本の気候には向かない等の点がある。広大な砂漠を有する国などで注目を集める一方、日本では太陽電池方式に押され、知名度は低い。

マイクロ水力発電とは、小型の水車と発電機を、小さな川・用水路の水辺、あるいは高層ビルを上下に走る水道管などに設置し、水流で水車を回して発電する方法である。従来の大型の水力発電と比べ、場所の自由度が高い上、ダム建設による環境破壊のリスクが低いことなどがメリットだが、価格性能比という面でまだまだ大型の水力発電には及ばない点などがデメリットである。

風力発電は、既に知られた通りで、風車とそれに直結する発電機を設置し、自然の風の力で風車を回し、発電する方法である。再生可能エネルギーの中では、相対的に発電コストが低い、設備建設が短期間で可能などのメリットがある一方、常に強い風が吹く場所でないとまともな発電ができない等のデメリットもある。



これら3つに注目する理由は、自力でDIY的な日曜大工の延長で制作が可能であり、自宅内で発電行為が可能であることである。もちろん、本格的にやろうとすれば、高い技術力や設備規模、高価な専用機器などが必要にはなるが、アマチュアの小規模な実証実験の程度であれば、それこそ小学生の夏休みの自由研究のレベルでも出来るものである。我が子の夏休みの宿題のこともあるので、題材としては丁度良いと考えた次第。

このうち、太陽熱、マイクロ水力に関しては、別に検討している雨水の有効利用とも深く関係するものであり、上手に組合わせることで、雨水利用にも効果が出、一石二鳥、いや一石三鳥以上であると考えている。例えば、雨どいの下部にマイクロ水車を設置しての発電、あるいは貯めた雨水を太陽熱で蒸気に変えてタービンを回し発電、同時にタービンを通った蒸気を冷やし、蒸留水を精製し、飲料水として用いるなどのアイデアが考えられる。特に、太陽熱の場合は、熱効率等の面から、発電よりも、水の加熱や蒸留、調理加熱などでの利用がメインとなろう。



…以上、概略を述べた。今年の夏以降、これらの発電装置の製作と実証実験を行ってゆく予定である。その経過、結果は、本記事の続きとして公開してゆきたい。


太陽光や水力、風力といった再生可能エネルギーを有効活用する実証(?)実験。今回も、その話の続きを書きたいと思う。

なお、前回も書いたように、本実験の趣旨は、あくまで、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をしないことを学び取るためのものである。机上で訴えるよりも、自分の手と頭を使ってやってみた方が、より説得力があるのでは、との思いから、取り組む次第である。



前回、特に注目する発電手段として、太陽熱発電(注:太陽電池を用いる太陽光発電とは別の手段)、マイクロ水力発電、風力発電の3つを挙げた。「発電」という言い方をしてしまったが、今さらながら、発電という文言は、今後はあまり強調的、中心的には書かないことにする。というのは、再生可能エネルギーの場合は特に、発電という行為にこだわらず、エネルギーを得るという、より広い意味で捉えた方が得策だからである。

物理学の授業ではないが、エネルギーは様々な形で得られ、扱うことができる。電気なら電気エネルギー、その他にも熱エネルギー、運動(回転)エネルギーなどがある。太陽熱の場合、その名の通り、基本的に熱エネルギーとして得られるものである。ある意味では当たり前なのだが、熱は熱のまま利用する方が無駄が無く、したがって効率が良い(たとえば、太陽熱調理、太陽熱温水など)。


逆に、猫も杓子も、何でも勘でも発電、電気にしようとすると、エネルギーのロスが生じてしまい、得策ではないのである。太陽熱発電の場合、どんなに技術的に工夫を重ねても、発電効率は30%程度と言われる。つまり、太陽熱で発電しようとすると、太陽から得られるエネルギーのうち30%しか電気エネルギーにならず、残り70%は捨てることになってしまう。これは、非常にもったいない。

しかも、一般家庭の日常生活で使われる電力を、用途別に内訳で見てみると、電子レンジやコタツ、ドライヤーなど、物を温めるために使う割合が意外と高い。ということは、仮に太陽熱発電で電力を得たとすると、熱エネルギーをいったん電気エネルギーに変換して、その後また熱エネルギーに変換するという行為を行っていることになる。変換の労力自体が無駄である上、変換の効率は100%にはなり得ないため、必ずエネルギーロスが生じる。これでは、本末転倒である。



とはいえ、テレビやパソコンなど、どう頑張っても、純粋に電気が無いと動かないものもあるため、電力は最低限必要ではある。そこで、一計を案じてみる。一つのアイデアとして、折衷案というか、ハイブリッドな考え方をしてみる。すなわち、太陽熱なら太陽熱のエネルギーの中で、得られる分の何割かを発電(電気エネルギー)に、残り大部分を熱エネルギーのまま利用するという方法である。

こうすると、発電も最低限行いつつ、変換のエネルギーロス分(上述の発電効率30%の話で言えば、残り70%)が無駄にならず、非常に合理的、効率的である。発電という狭い意味で見た場合、技術的に、どう頑張っても30%しか電気エネルギーとして取り出せない。残り70%は無効エネルギーなどと呼ばれ、完全にドブに捨てることになる。しかし、熱を熱のまま利用すれば、30%の壁は関係なくなり、限りなく100%に近いエネルギーを有効活用できるようになるのである。



…今回はここまで。次回以降、数値計算なども交え、具体的に検討してゆきます。



太陽光や水力、風力といった再生可能エネルギーを有効活用する実証(?)実験。

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


せっかく挑もうとするのなら、既成概念に捉われて、人と同じやり方をするのはつまらない。大なり小なり、自分なりの色というか、独自のアイデア、創意工夫を盛り込みたいところ。これは、人と同じことをするのが嫌いという小生自身の気質による。加えて、意識があちこちに飛びやすい(裏返せば、奇抜なアイデアが湧きやすい)、特定の物事への強いこだわりといった発達障害当事者の特性を、少しでも活かそうという意味もある。

今回は、そのあたりのアイデアを列挙したいと思う。具体的に、2点ほど。特に前者は、前回の記事で述べた考察は踏まえつつも、敢えて発電という狭い視野で言及してみたい。



1点目は、設備・機器の共用(併用)化というアイデアである。再生可能エネルギーによる発電の問題点の一つとして、コスト高であることが挙げられる。それを少しでも克服、改善するための方法である。

半ば当たり前だが、従来の方法では、太陽熱・水力・(マイクロ)風力といった発電手段ごとに、別々の設備や機器を用意せねばならない。基本的に、全く別のエネルギー源であるため、発電手段も基本的には異なる。しかしながら、発電機の近傍だけで見れば、羽根車の回転運動から発電するという点では同じである。そこを最大限活かせないだろうか。


すなわち、1つの発電機(ダイナモ)を、太陽熱・風力・(マイクロ)水力それぞれの発電において、共用するのである。加えて、これら3つのエネルギーを取り出すことが困難な状況(たとえば、風の無い曇りの日)において補助的に用いる発電手段(具体的には、薪や炭を燃焼させて水を蒸気に変え、それでタービンを回すという火力発電など)にも共用する。もっと言えば、これらの発電手段を同時に併用する際にも、1つの発電機を併用する形が採れれば、ベストであろう。

もっと言えば、羽根車すらも、限りなく共用できないものだろうか。風力、水力、太陽熱・火力とでは、風・水流・蒸気と、それぞれ回転の動力源が異なるため、それぞれに最適な羽根車の形状も異なってくる。そこを上手く工夫改良することで、どれにも併用・共用できるものが作れないだろうか。何か、アイデアが閃きそうな気がしている。

あるいは、他の部品レベルでも、共用(併用)化の余地がまだまだあるように思う。たとえば、パラボラアンテナ状の太陽光集熱器も、太陽光が降り注がない雨や曇りの日は役に立たない。そこで例えば、雨の日は、角度を真上に向ければ、一時 的な雨水の貯蔵タンクに早変わり。その水を底から少しずつ下に流し、その水流で水車とそれに直結した発電機を回す。これで、たとえ微量でも、立派なマイクロ水力発電になるのではないだろうか。


このような創意工夫、改良を重ねることで、再生可能エネルギーによる発電の設備コストを多少は下げることができよう。引き続き、アイデアをあれこれと考え続けてゆきたい。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。


引き続き、再生可能エネルギーの活用における独自アイデアについて書きます。



2点目は、ゴミ・廃材の有効活用である。

発電に限らず、再生可能エネルギーを取り出すための装置、機器。それを製作するには、当然ながら材料が必要である。その材料、出来合いの部品や機器を組合せれば、容易に作れるのかもしれない。あるいは、例えば太陽光集光器などは、ズバリそのものが太陽熱調理器として販売もされている。しかし、それらはそれなりの値段がする。何より、それでは創意工夫にならず、子供の夏休みの自由研究のネタにはならない。

そこで、敢えて(意地でも(!)、)装置を限りなく100%自作しようと考えている。しかも、材料費を極力浮かすこと、およびゼロエミッションという別の目的も兼ねるべく、我が家から日々出る廃材、ゴミを上手く活用し、組合わせることで製作しようと考えている。そうすれば、一石二鳥である。


一般家庭で日々出るゴミ。例えば、我が家の中で見てみると、こんなものが毎日〜1週間に1個は発生する。:

   ・缶ビール等のアルミ缶
   ・牛乳パック
   ・ペットボトル

   ・新聞紙、雑誌、広告の紙類
   ・スーパーのレジ袋、ビニール袋類
   ・段ボール、発泡スチロール
    etc…

いずれも、今現在、そのままゴミとして廃棄している。最近でこそ、ゴミに出しても、リサイクルされるようだが、それでも再度溶かして別のものに加工するなど、一定のエネルギー、言い換えれば環境負荷はかかる。ましてや、ゴミ処理場でそのまま燃やしたり、燃えないゴミとして埋め立てたりすれば、なお一層高い負荷となる。

そこで、環境負荷軽減のためにも、これらの廃材を上手く活用したい。それぞれ、材質・物性、ひいては長所・短所が全く異なる。よって当然、適材適所な使い方が求められる。アイデアは色々浮かんでいるので、順次紹介してゆきたい。まず、ここでは、今現在試しているものを。牛乳パックと新聞の広告類の活用である。

新聞には、毎日のように、スーパー等の広告チラシが束になって織り込まれている。新聞紙は、別途、紙薪(ペーパーログ)などに有効活用できるし、地面に埋めれば自然に土に帰る。しかし、広告チラシ類は、紙質が異なるため、土に帰りにくく、燃やすと有害なガスが出る。そこで、発想を変え、そのままの形で活用する。ついでに、新聞紙よりも紙質が硬いことを活かす。

単純な作業だが、広告チラシの紙を、折り紙のように半分に折る。それをさらにまた半分に折る。それをひたすら繰返すと、棒状になっていく。力まかせにギリギリ折れるところまで折り、上中下の3か所程度をセロテープで巻けば、硬い棒になる。曲げはともかく、長手方向の圧縮の力にはかなり耐えられる。これを何本も何本も、ひたすら製作する。

数が溜まったら、牛乳パックの中に縦に隙間なく詰め込む。それで蓋をしてテープで止めれば、立派な柱の部品の完成である。これを用いて、装置を作ってみる。耐水性などの問題があるが、それも考慮済みである。その詳細は、追って示したい。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。


再生可能エネルギーに挑む(6)

太陽光や水力、風力といった再生可能エネルギーを有効活用する実証(?)実験。

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。



さて、前回、牛乳パックや新聞広告など、日々必ず出るゴミを徹底的に再利用して取組む旨を書いた。その趣旨に忠実に沿って、鋭意、実証実験に必要となる装置、器具の製作を進めている。結論から言うならば、今はまだ、装置、器具の一部分、部品のレベルを製作している段階である。したがって、人様に誇ってお見せできるレベルではない。とはいえ、その部品の作り方、意外と奥の深いものがある。実際に取組んで良く分かった。今回は、特にそのあたりを中心に書きたいと思う。

今、製作しようとしているのは、太陽熱の集熱器(放物面鏡)である。太陽熱調理器として、鍋ややかんの水を温められるものが、1万円前後で市販されてはいる。しかし、そういった出来合いのものを購入するだけでは、実証実験としてはつまらない。何より、子供の夏休みの自由研究にならない。そこで、半ば馬鹿馬鹿しいが、それを自作しようとしている次第。いきなり欲張るのも何なので、まずは市販サイズと同等のものを製作する予定である。それに向け、何の材料を組合わせるべきか、あれこれ検討している。


当初、缶ビール(アルミ缶)を切断し、表裏をひっくり返して平板にし、それを貼り合せて放物面鏡にしようと考えたが、実際にアルミ缶を切断しようとすると、アルミが薄く柔らかいためか、すぐにグニャっと曲がってしまい、しわ、ヒビが入ってしまう。切断作業が思いの他大変であり、何より、缶の裏面も、コーティングがされているようで、光を良く反射しないようであった。さらに、ポテトチップスの袋も、裏面が缶ビールと同様になっていたが、これも裏返して光を反射させてみたところ、性能は芳しくはなかった。

そのため、残念ながら、これらの利用は諦めることにした。結局、鏡の面には、市販のアルミホイルを新品のまま使用する予定である。この部分だけは、廃品の再利用にはならないが、やむを得ないと判断した。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。


再生可能エネルギーに挑む(7)


引き続き、再生可能エネルギーの活用における、独自アイデアについて書きます。



次に、放物面鏡を支える支柱である。これは、前回書いた、牛乳パック、および新聞広告(特に、光沢のある厚い紙、冊子や雑誌の同質な紙も含む)を何度も何度も限界まで半分に折り返し、テープで巻いて棒状にしたものを使用する予定である。こちらは、当初の計画通りに使用する予定。広告用紙の棒は、前回からコツコツと数十本(!!)も製作したが、どれも縦方向の圧縮に強く、有用性が高い。

加えて、改良を加え、広告用紙を8枚程度重ねて半分半分に折返し続けると、最後はかなりの力が要るが、直径1.5cm程度の丸い棒になり、長手方向の圧縮の力のみならず、横からの曲げの力にもかなり強くなることが分かった。耐水性の問題を置いておけば(この対策は、追って書きたい)、大げさながら、ちょっとした鉄骨や木材並みの部材になる。

これらを支柱として、やぐらを組む要領で組み上げれば、牛乳パックを用いずとも、一定の大きさの器具、特に支柱・土台部分を組み上げることは可能との感触を得た。あとは、組み上げ方をさらに具体的にあれこれ工夫し、耐水性の他、荷重、さらには大げさながら、地震の揺れにも耐えられるようにしたい。



牛乳パックは、あくまで支柱としては補間的な位置付けとし、例えば放物面鏡の面に、アルミホイルとともに用いる(牛乳パックを広げ、板状にし、そこにアルミホイルを糊付けするなど)ことにした。牛乳パックは、広告用紙とは逆に、耐水性に優れているため、例えば、雨水が広告用紙の棒の支柱に浸み込まないよう、カバーとしての使い方ができる。

我が家では、牛乳パックのゴミは、1週間平均して、一日に1本出るか出ないか程度である。新聞広告の紙と比べて発生量が少ないため、ゴミの発生量に応じた使い分けになるとも考えている。なお、新聞広告の用紙には、冊子や雑誌の同質な紙も含めている。読み終わって廃棄する冊子や雑誌を、ホッチキスを外し、ページを一枚一枚バラバラにして、新聞広告の用紙と混ぜて使用している。



また、これらとは別に、ペットボトルを利用した、雨水リサイクルの装置も製作している。小生自身が、毎日必ず1本、900mLペットボトルのトマトジュースを飲むため、その量だけのペットボトルゴミが出る。それを、雨水の貯水タンクにしようと考えている。昨年、一念発起して、それをやろうとしたものの、悪い癖で先延ばしモードになり、ただ空のペットボトルを毎日毎日貯めるだけになってしまい、家族から不評だったので、今年はしっかり形にしようと考えている。

これも今実験中であるが、空のペットボトルの適切な位置に、千枚通しなどで穴を開け、ストローがギリギリ通る直径に広げる。そこにストローを通し、ペットボトル同士を連結する。ストローは、何本も挿して、適切な長さにし、両ペットボトルの底部に届くようにし、ペットボトル間を渡す水パイプの役割にする。この要領で何本も連結してゆけば、サイフォンの原理で、いずれか1本のペットボトルに水を注げば、他のペットボトルにも水が行き渡り、理論上は均等な水位になるはずである。

だが、実際にやってみると、使い古しのものだからか、ストローをペットボトルの穴にねじ込む段階でよじれてしまい、水の通りが悪いようである。そのため、均等な水位にならない。それを今、改良中である。


● 先延ばしについて考える(83)


引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までの実践結果・仮設を踏まえながら考察を続けたい。



前回の仮説においては、目や鼻などのパーツについて、実際の写真と特徴を大げさに描いた似顔絵それぞれを見たとき、どちらも特定の人物とすぐ判別できることを根拠として、人間の顔などの対象物を捉える脳の仕組みとして、一つの対象に対して複数の捉え方をしている可能性に言及した。

この点を改めて再考すると、特定のパーツの捉え方を数学の一次変換・写像になぞらえるならば、1対1の対応ではなく、1対多の不可逆変換としてモデル化することで、必ずしも一つの対象物に対し複数の捉え方をしているとは言えないことに気付いた。

この点をもう少し?み砕いて論述したい。例えば、非常に特徴的な目をした人が居るとする。その人に実際に会って(もしくはその人の写真を見て)正確な目の形状・輪郭を目の当たりにした場合でも、その特徴的な目をやや大げさに描いた似顔絵を見た場合でも、頭の中に描かれるその人の顔形はほぼ同じものになるのではないだろうか。


● 先延ばしについて考える(84)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までの実践結果・仮設を踏まえながら考察を続けたい。



前々回までの仮説においては、目や鼻などのパーツについて、実際の写真と特徴を大げさに描いた似顔絵それぞれを見たとき、どちらも特定の人物とすぐ判別できることを根拠として、人間の顔などの対象物を捉える脳の仕組みとして、一つの対象に対して複数の捉え方をしている可能性に言及した。

前回はこの点を再考し、数学の一次変換・写像になぞらえて、1対多の不可逆変換としてモデル化することで、必ずしも一つの対象物に対し複数の捉え方をしているとは言えないことを述べたが、やはり更に考察を重ねてみると、二転三転するようだが、複数の捉え方をしている場合もあり得るとの考えに達した。

というのは、例えば、(不適切な例えかもしれないが、)厚化粧の女性が居たとして、厚化粧をしている時と化粧を全くしていないすっぴんの時とで、似ても似つかぬほどに、全く別人に見える程に変貌するとすると、その両方の顔が同一人物であると認識・学習した際、その対象となる人物を複数の捉え方をしていることになるからである。


● 先延ばしについて考える(85)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までの実践結果・仮設を踏まえながら考察を続けたい。



前回までの考察内容、即ち一つの対象に対して複数の捉え方をしているのか、一対多の写像になぞらえて単一の捉え方をしているのかに関わらず、そもそも論として、観察対象への注意・意識に大なり小なり偏りがあることが、観察力の欠如、歪みを生む最大の原因なのではなかろうか。

既述のように、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵について、誰の目に見ても誰の似顔絵かが分かるのであれば、それはそもそも、人間の脳の仕組みとして、観察対象のうち特定の部位・特徴に対して注意・意識の偏りがあると言えるのではなかろうか。

さらに言えば、発達障害者、とりわけ小生のように観察力の劣る者の場合、その注意・意識の偏りが健常者と比べて特に強いため、いわゆる認知の歪みの一側面として、観察力の歪み、欠如を生んでいるのではないかと小生は考えている。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(8)

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


前回、アルミホイル、ペットボトルや新聞紙などを用いた、いくつかのアイデアを述べ、それらの装置の製作を行っている旨を書いた。それらは、鋭意進行中であり、追って進捗を報告したい。本記事では、また新たなアイデア、構想中の計画について述べたいと思う。2つほどご紹介する。



1つ目は、前号の編集後記で述べた、新聞紙をスリット状にして空気と接する表面積を増やし、吸湿に用いる方法。除湿器の稼働量、ひいては消費電力の軽減にもつながるものである。製作にあたっては、新聞紙を重ねる際、適度に空気が通れる狭いすき間を上手く作らねばならない。

早速、1個試作してみた。当初は、段ボールを短冊状に切って新聞紙のすき間に入れ、貼り付けることを考えたが、その手間と糊の使用量、さらには段ボールの他用途への利用(上述の放物面鏡など)を踏まえ、軌道修正した。単純に、新聞広告の棒作りと同様、新聞紙の端部を一定の長さ分、細く何度も折返して、厚みを持たせる。こうすれば、支柱となる部分以外、材料は新聞紙だけで済む上、新聞紙の縦横の長さを切らずに調節することもでき、一石二鳥である。この方法で、製作を続ける予定である。加えて、支柱になる部分を、段ボール箱を切り貼りして製作してゆきたい。



2つ目は、石の有効活用である。

我が家の周辺は、地面の土中に石が多く埋まっている。親に聞けば、古代に河川がこのあたりを流れていたとのこと(地質学的には非常に興味深い話だが、ここでは割愛)。その副産物として、石が多いそうである。確かに、生ゴミ等を捨てるための穴を庭に掘ると、大なり小なり石がゴロゴロ出てくる。今までは、土と一緒にただ埋め戻していたが、せっかくなので積極的に有効活用することにした。

生ゴミ穴を掘った際などに、出てきた土を地面に薄く広げ、地道に手で石を一つ一つ拾うことで、石と土を分離する。土は、ゴミ穴埋めの他、花壇や菜園の土壌として利用する。石は、雨水に晒して土の汚れを落とした上で、庭の一角に山にして集めている。数ヶ月前から集め始めたが、ゴミ穴は比較的頻繁に掘るため、あっという間に石が溜まってきた。

とりあえずは、敷石にしたいという親の要望から、庭の周囲、特に道路に面した駐車スペース周辺に敷き詰めている。土が剥き出しだと、雨天時にぬかるみや水溜まりになり、足が汚れたり転びやすい。それを防止することが、主な目的である。加えて、踏むと音がすることから、防犯上の効果もある。雑草やキノコが生えにくくもなる。一石三鳥である。

とはいえ、そろそろ敷き詰める場所も無くなってきたことから、他の用途を考えている。それが、本記事のネタである。いくつか思い付いたので、それらのうち特に2つを、以下にまとめたい。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。



再生可能エネルギーに挑む(9)

引き続き、再生可能エネルギーの活用における、独自アイデアについて書きます。



石の有効活用策。1つ目は、簡易的な蓄熱材としての利用である。

石は、下手な金属よりも融点が高く、高熱に晒すことができる。熱した石を鍋に入れて沸騰させる石鍋料理があるように、歴史的にも蓄熱材として利用されてきた経緯がある。それを見習おうというものである。具体的には、太陽光を既述の放物面鏡で集め、その光の集まる場所(焦点)に適度な大きさの石を置き、太陽熱で加熱しておく。その加熱した石を、陽の沈む夕方〜夜間に室内に持ち込むなどして、アンカ代わりに用いるという方法である。放物面鏡では、主に水を熱するつもりだが、半ばおまけで石も温めてみようというもの。

アンカ目的では、主に冬場向けの用途になろうが、真夏にも応用はできると考えている。即ち、真夏の炎天下は太陽光が強烈であるため、相当に高温に熱することができる。水ならば100℃で沸騰してしまうが、石ならば100℃以上、数百℃には熱することができるので(あくまで理論上)、陽が沈んだら断熱材で包むなどして保温しておき、夜間に水を温める際に用いる(石鍋料理の原理と同じ)という方法である。これも、梅雨明け以降、真夏の時期に試してみる予定である。



2つ目は、雨水の貯水槽への利用である。

既述の通り、ペットボトルを連結して製作しているが、ペットボトルもそれほど多く発生しないため(平均で1日あたり1個程度)、あまり数を量産できない。そこで、ペットボトル方式と併せ、別の簡易的な貯水手段として、石(や木材)を用いた方法を考えている。

即ち、地面に一定の深さまで穴を掘り、ビニールシートなど、水を通さない膜で その穴の横壁面、底部を覆う。穴の上部にはスノコ状、網目状の木材を渡し、蓋代わりにする。そして、その網目状の木材蓋の上に石を敷き詰めるのである。石の大きさは、木材の網目よりギリギリ大きいくらいなのが望ましい。そこに雨水を貯め、必要に応じて汲み上げて使う。

水面を剥き出しにしてしまうと、蚊の発生源になってしまうため、蓋をする。とはいえ、我が家の庭に木材はあまり無く、石の方が圧倒的に多いため、棒状の木材を最低限用意し、石で大部分の面積を覆うようにするのである。石を隙間なく敷き詰めれば、蚊は進入できないが、水は浸み込むことができ、かつ水のろ過装置としての役割も最低限果たすため、一石三鳥である。

なお、木材は、庭の木の切り株を掘り起こし、ノコギリで切り出して用意する予定。こうすれば、木材を別途購入せずに済む。既に、切り株を数個掘り出して放置してあるので、それを有効活用する。また、穴は、出来るだけ深くし、直径を小さくするのが望ましいが、スコップで採掘する手間を鑑み、深さと直径との適度なバランスを模索してみたい。これは、ペットボトル方式とともに、雨が多く降るこの梅雨の間に試してみる予定である。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。

再生可能エネルギーに挑む(10)

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


前々回、アルミホイル、ペットボトルや新聞紙などを用いた、いくつかのアイデアを述べ、それらの装置の製作を行っている旨を書いた。本記事では、それらの進捗状況を報告したい。



まず、アルミホイルを用いた放物面鏡。これは、まだ製作に着手していない。

鏡面に用いるアルミホイルは、既に本用途向けに近所のスーパーで購入済であるが、その背面や支柱に用いる材料を揃えているためである。前回述べた通り、新聞広告を何重にも折って丸めた棒、牛乳パック、あるいは段ボールを用いる予定であるが、特に牛乳パックは、一時的に別の用途(花壇の仕切り、土中に埋めて使用)に転用したため、数が不足しているためである。折しも、梅雨に入り、日照時間が減ったため、梅雨明け頃には製作したいと思っている。

ネット上で情報収集や、お世話になっている方からのご教示によると、アルミホイルをシワ無く綺麗に張る(貼る)のが難しいとの事。スプレー糊で背面の段ボールや牛乳パックに貼り付けるのが一番簡単かつ確実のようだが、耐水性等の面での課題はあると思われ、そのあたりの対策を、実験しながらさらに考えてゆきたい。

とりあえず、支柱となる段ボール、新聞広告の棒の数を地道に細々と揃えてゆく。新聞広告の棒は、そろそろヤグラの組み方を固めたいと考えている。縦方向の荷重への強度のみならず、ちょっとした地震の揺れや人為的な揺らし、振動などにも耐えられるような組み方を研究中である。棒同士の接合方法が一番の課題だが、簡単には、セロテープで接着する、もしくは紐できつくグルグル巻きに縛るなどの方法が考えられる。この他にも、いくつかのアイデアを考案、検討中であり、追って試験しながら有効性や課題の検討を進める予定である。



次に、ペットボトルを連結して、雨水の貯水槽を作る件。こちらは、鋭意進行中である。

当初、底部のストローで連結した部分の水漏れが完全に直らず、水を貯めては水漏れをチェック、その後水を抜いて完全に乾かし、接着剤で補修を繰返していた。それにより、進みが停滞していたが、何とか水漏れ箇所を補修できたため、ようやくだが、次のステップ、即ち貯めた水を庭の菜園の植物に自動的にチョロチョロと水やりする機構の製作に進む予定である。なお、水漏れを完全に埋める方法、および、そもそも水漏れを起こさないための製作方法については、後日改めて記事にまとめたいと思う。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。


再生可能エネルギーに挑む(11)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。ここでは、さらに新たなアイデア、構想中の計画について述べたいと思います。


今回は、1つだけご紹介したい。即ち、地熱の有効活用である。地熱と言っても、地熱発電のエネルギー源とされるような、火山帯の地下深くの高温熱源ではなく、任意の土地の地下5m程度の深さでの土中の熱である。

参考サイトの図をご覧いただければ一目瞭然だが、地下5m程度の深さでも、地上の温度に関わらず、土中の温度は15℃前後で安定している。加えて、地上から地下に熱が伝わる速度の遅さに起因して、地下5m付近では、夏と冬とで土中の温度が逆転している。即ち、「夏涼しく、冬暖かい」状態にあるわけで、これを一般家庭の冷暖房に活かさない手は無い。


ただし、住宅メーカー等が開発している、出来合いの地中熱の循環装置を導入するのは、ソーラーパネルと同様、高額な費用がかかる上、学校の自由研究的な要素が薄れてしまうため、得策ではない。やはり、他のものと同様、DIY的に装置を自作するのが一番であると考えている。

とはいえ、地下5mの深さまでスコップで人力で掘り進めるのは、容易なことではない。また、掘ったとしても、自然災害等で穴の側面が崩れる、人が転落する等の危険性もあるため、うかつにやるべきではなかろう。そこで、一計を案じた。

別の参考サイトの情報に基づき、井戸掘りのうち、特に打ち抜き井戸(塩化ビニル製等の細いパイプを地面に突き刺して、細い穴を掘る方法)の方式に着目した。これなら、安全に掘り進められるものと考えられる。なお、今回の目的は、純粋な井戸掘りとは異なり、地下5m程度の穴が掘れれば良いため、穴1個あたりの労力は軽いものとなろうが、その代わり、穴の数を多くしたいため、トータルの労力はあまり変わらないものと想定している。


全体の概要、アイデアとしては、以下の通りである。

まず、打ち抜き井戸の方式で地下5mの穴を掘る。次に、穴の側面に発泡スチロールや気泡シート(いわゆるプチプチ)などの安価な断熱材で一定の厚さの壁を作る。地上側の上部にも、基本的にはこの断熱材で蓋をしておく。底部には断熱材は敢えて敷かず、熱伝導の良い金属製のカップ等を置き、側面の断熱壁と隙間なく接着させる。そして、その穴に水を貯めれば、底部の土中温度が金属を介して水に伝わり、水全体が地下5mの土中と同じ温度に保たれるはずである。

必要により、その穴の上部の蓋を開け、その周囲の空気を扇風機等で循環させ、外気とできるだけ断絶した状態で室内に取り込めれば、室内も地下5mと限りなく同じ温度になるはず、というものである。扇風機で電気を使用するものの、特に冷房の場合、エアコンに比べれば消費電力は少なくて済むと考えている。

アイデアとして以上だが、実践するには、具体的に大なり小なりハードルがあると思われる。引き続き、このアイデアの実現に向け、思考錯誤してゆきたい。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。

by なさ
再生可能エネルギーに挑む(12)
今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


今回は、新たなアイデアを1つご紹介するとともに、現在の進捗と今後の見通しについて述べたいと思う。

新たなアイデアとは、やはり地面下の熱に関するものである。即ち、前回紹介した地中熱とは別の熱源として、生ゴミの分解時に生じる熱を有効活用する。地中に限らず、段ボールに生ごみを溜め、生ごみを燃えるゴミとして出さず、自宅内で処理する方法が、これまでに自治体や環境問題の専門家の間で推奨されている(参考:例えばhttp://www.asahi-net.or.jp/~ge3m-hsmt/conposuta.htmlなど)。

匂い等が漏れないように容器等に密閉し、土中の特定のバクテリア、もしくはミミズを増殖させて、分解を促進させる。この分解の際に、一定の熱量が発生する。その熱を有効活用するものである。熱以外でも、ゴミ類が土に帰ることで、その土が菜園やプランター植物の有用な肥料になるなど、自宅内での生ゴミ処理の利点は大きい。せっかくなので、さらに一石二鳥、いや三鳥以上にしようというものである。

季節に関係なく、生ごみは一定頻度で出続けるので、そのペースで処理してゆく必要がある。現状、我が家では、深めの穴を庭に掘り、そこに生ごみを捨て続け、穴が埋まったらその穴を土で埋め、別の場所に新たに穴を掘っている。しかし、深い穴にただ捨て続けているので、分解の速度も遅く、また分解熱を全く利用できていない。そのパターンを変える必要があろう。即ち、穴は浅めにし(もしくは、段ボール等で密閉容器を作り)、分解を促進するためのバクテリアやミミズを意図的に増やし、さらに促進剤などを撒くこと等で、分解を促進させる。かつ、その分解熱を、無駄なく集める必要がある。

暑い夏の間は、あまり有効活用しにくいかもしれない(夏の有効活用策については、引き続き考えてゆきたい)。しかし、特に冷え込む冬場には、有効と考えている。たとえば、自宅内の暖房の一部に利用したり、菜園にビニールハウスを造り、その中に置くことで、ビニールハウスの温度を維持することに役立てる、など。とはいえ、熱源としては小さいものであるため、前回述べた地中熱の利用と組合わせるのが、一番現実的かと考えている。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(13)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。ここでは、現在の当方の進捗について述べたいと思います。


前回述べた、地中熱の有効活用策。潜在的な可能性は大きいことは分かっているが、実際に活用できねば意味がない。まずは、深さ5mの細い穴を掘らねばならない。今まで、ゴミ穴はスコップで地道に掘ってきた。良い運動になるとはいえ、腰への負担も大きく、何より時間がかかる。夏の炎天下では、大変な重労働である。そこで、採掘の方法を、ネット上でにわか勉強ついで、調べてみた。DIYで井戸穴を掘っている先人の方々の有用なサイト、ブログをいくつか発見し、精読させていただいた。

考えながら拝読した限りでは、専用の道具を自作されている方が多かった。また、そういった自作道具を製作することが推奨されていた。そこで、小生もその通りに自作しようと考えていたが、何種類もの工具を自作する必要があること、使用中に破損するなどのトラブルも多いとのことから、熟慮の結果、市販の手動の穴堀り器具をネット通販で購入することにした。12000円もするものだったが、特許技術で簡単に穴が掘れること、ドリル部分とハンドル部分を切り離せ、改造が容易であることなど、先人の方の評判が良かったことから、購入を決めた。

早速注文し、手元に届いた。実際に使ってみたが、確かに掘りやすい。ただ、細く深い穴掘りには向いているが、我が家のゴミ穴のように、大きめの直径の穴掘りをするには、使い方をさらに研究する必要がある。何より、本来目的の、深さ5mの穴掘りのために、ドリル部分とハンドル部分の間に自作の継ぎ手を足す必要がある。そのあたりを、今後、色々と実験しながら、研究してゆきたいと思う。



また、5mの穴を掘った後、どのように地中の熱を取り出すかについても、机上で研究を続けている。基本的な方向性は、前回述べた通りだが、金属を用いるべきなのか、それとも何らかの方法によって、空気や水を地中に通して冷却させ、それを循環させて屋内に取り込むようにすべきか、改めてあれこれ検討している。できれば、扇風機などの電力を全く使わず、自然に涼しくなるような仕組みにしたいと考えているからである。今現在は、流体の自然対流の特性に着目し、にわか勉強しているところである。

この他にも、直接エネルギーには関係ないが、以前述べたペットボトルの雨水貯留装置、自動水やり装置の製作、研究も、細々と進めている。ペットボトルの底部に小さな穴を開け、そこに綿棒を刺し、ジワジワ水が染み出てくるのを観察しているが、途中で水の染み出しが止まってしまうようで、なかなか上手くいかない。さらに、ペットボトルを7個底部でつなげたものを貯留装置の1ブロックとしているが、複数ブロック連結する際には、ペットボトルの上部を通して、長めのストローで間をつないでいる(サイフォンの原理の応用)ものの、水のブロック間の移動が不完全であり、これまた上手く行っていない。その辺で、悪戦苦闘している状況である。

穴掘りの話とともに、これらの進捗は、追ってこの場で報告してゆきたい。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(14)

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


今回も、新たなアイデアを2つご紹介するとともに、今現在の取組みの進捗について述べたいと思う。新たなアイデア、という程ではないかもしれないが、発泡スチロールと気泡シート(いわゆるプチプチ)を組合わせて、日よけ、もしくは断熱の壁を作るという方法は、以前から考えている。

今現在、我が家の南向きのテラスには、ホームセンターで購入した市販の日よけタープを設置している。昨年は、ゴーヤなどの作物を植え、グリーンカーテンでテラス全面をカバーしたが、他の植木などがあって手入れしにくかったこともあり、途中で毛虫が大量に発生したり、実ったゴーヤを収穫しきれず、熟れて腐らせてしまった上、作物が成長しないと直射日光を遮ってくれないなど、問題がいくつもあった。そこで今年は、グリーンカーテンは手が届きやすい半分の面だけにし、残りを市販の日よけタープにした。

この記事を書いている7月25日も、晴天で真夏の炎天下にある。しかし、日よけが機能して、室内はそれほど暑くなっておらず、タープが十分に効果を発揮していると言える。ここでのアイデアは、それに付け加えるものである。即ち、発泡スチロールの箱をゴミとして捨てず、加工して、テラスのサッシ、あるいは日よけタープと同じ大きさで厚めの板状にし、さらに気泡シートを両面に貼り付ける。これを、タープの内側に立てかければ、さらに直射日光の熱を遮ってくれる効果が期待できる。



ただ、風を通すために網戸にしている場合、それを塞いでしまうと、風の通りが悪くなって、かえって室内が暑くなりかねないので、そこは工夫の必要がある。加えて、炎天下でテラスの金属製サッシを触ってみると、わずかには熱を感じるが、それほど熱くはなっていない。タープの内側は陰が出来ており、その意味では直射日光の大部分はカットできていることになる。よって、市販のタープがあるならば、単なる日よけのために製作する必要性は薄い。

では全く価値が無いのかと言うと、そうではなく、前回までに書いた、地中5mの熱を活用する方法と組合わせれば良い。5mの穴を掘り、そこから15℃の冷気(冬は暖気)を室内に引き込む際、室内と外との断熱度を高めた方が、地中熱をより効率的に冷暖房に活用できるからである。加えて、冬はタープを撤去するため、夏のように外と室内との間に挟むものが無くなる。夏と違い、外からの冷風は全く入って来ない方が良い。…こう考えると、どちらかと言えば、特に小生の今の自宅の場合は、夏よりも冬に活用できるものであろう。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(15)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。ここでは、現在の当方の進捗について述べたいと思います。



続いて、2つ目のアイデア。前号までに書いた、ペットボトルを7個接続して、雨水貯水タンクと作物への自動水やり機を兼ねる装置に関する、追加のアイデアである。

ペットボトル7個を1セットとして、別の7個組と接続する方法が課題であると先日書いたが、それとともに、作物への自動水やりの方法も検討を進めてきた。綿棒を底部に穴を開け差し込む方法を試したが、水がうまい具合に染み出なかったことに加え、綿棒なり布製のひもなどを先端に付けると、特に夏場は常に濡れた状態になるため腐敗しやすい、取替などのメンテが定期的に必要などの課題があった。

そこで、別の仕組みを採用してみることにした。DIY的な自動水やり装置としては、様々なものが考案されているが、小生が特に興味を持ったのは、朝晩の気温差を利用した方法である。詳細は、こちらのサイト等をご参照いただきたい。:
アイデア主婦マイコレクション


こちらの方法をそのまま採用するのも創意工夫が無いので、少し味を付けてみたい。即ち、水やり用のチューブも不要にする方法、および水やりの量を任意に調節する方法である。それを説明するため、まずは上で紹介させていただいた方法を科学的、原理的に説明する必要がある。今採り上げた方法を、より科学的、理科的に説明するなら、こちらのサイトのような説明となろう。:
おもしろ実験と自由研究「不思議なペットボトル

この原理からすれば、ペットボトルの底部に穴さえ開いていれば良いことになる。水やりする作物の根元にペットボトルを置いておけば、チューブは特に必要無い。加えて、ペットボトル内の水と空気の容積比率を予め調整しておくことで、水やりの量も任意に調節できる。これは、高校レベルの物理化学で言うなら、(理想)気体の状態方程式にあてはめて考えれば、比較的簡単に分かることである(紙面の都合上、ここでは詳細は割愛)。

この2つの付加的なアイデアに加え、上の方法を我が家で用いる際には、さらなる工夫が必要になる。即ち、以下の課題をクリアするためのアイデアである。:

(1) 水やりすべき苗、作物がそれなりに多いため、個々の作物に1つのペットボトルを設置すると、減った分だけ水を個々に補給せねばならず、手間がかかる。

(2) 水が減ってくると、ペットボトル内の水と空気の比率が変わってくるため、同じ気温差でも水やりの量が変わってきてしまう。

折角、ペットボトル同士を連結しているので、上と同様な原理を利用して、水の補給は1ケ所で済むようにしたい。また、水やりの量は、個々のペットボトル毎に予め設定した量(空気と水の比率で決めた量)を変えないようにしたい。その仕組みを、今現在、思考錯誤しながら検討中である。方法が固まったら、追ってこの場で報告したい。



最後に、他の取組み全般の進捗であるが、恥ずかしながら、手を動かした取組みとしては、あまり誇って報告できるものがまだ無い。新聞紙を使った吸湿器は、途中まで作りかけで、梅雨明けを迎えてしまった。そこは反省点であり、今後は予定を立てて、アイデアや理屈を考えるだけでなく、手を動かして作業を進めてゆきたい。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(18)

>今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


今回も、今現在の取組みの進捗についてご報告するとともに、その取組みの過程で思い付いたアイデアなどについて述べたいと思う。

まずは、前回に引き続き、ペットボトルを利用した菜園への自動水やり装置について。前回、試験的にペットボトルを3個、菜園の苗の根元に設置した旨を書いた。その後の経過についてご報告したい。



前号の通り、設置当初、動作は概ね良好であった。しかし、1週間ほど経ち、どれも水の出が悪くなってきた。また、隣接して3個のペットボトルを置いたが、水の出が良い、悪いのバラツキが生じてきた。当初は原因が不明であったが、調べてみると、意外と単純な原因であった。湿って粘土状になった土が、ペットボトルの小さな穴を塞いでしまっていたのである。実際、手で力を入れてペットボトルを押すと、水圧で穴に詰まった土が取れ、中から勢い良く水が飛び出した。

しかし、試験的とはいえ、今の設置の仕方では、すぐ土で目詰まりしてしまう。ペットボトルの穴は大き過ぎると、表面張力が働かなくなるため、水が自然に漏れてしまう。それゆえ、今の小さな穴のままでなければならないが、穴が小さいと、土の粒で目詰まりしやすいというジレンマがあった。


また、もう一つの課題として、穴から出た水を、正確に苗の根元に伝えることがあった。根にギリギリ接近させてペットボトルを置けば良いのだが、当たり前ながら、どうしても葉や茎、花がペットボトルに当たってしまう。

そこで、当初は、ストローを割って半円状にしたものを、雨どいのように地面に敷き、ペットボトルの穴から苗の根元に水が伝わるようにしていた。しかしこれも、数日経つと、ストロー雨どいの中に湿った土が流れ込み、雨どいを塞いでしまう。雨どいが塞がると、水がそこから周囲に漏れてしまい、苗に水が届かない。



そこで、対策として、一計を案じることにした。ペットボトルの穴を覆うように、ストローを接着剤でペットボトルに接着させる。外見からすれば、ストローがペットボトルに突き刺さった格好だが、本当に突き刺すのではなく、ペットボトルの側面(穴の周囲)に、ストローの口を当て、接着剤でただ固定するだけである。単純な方法だが、こうすれば、穴は小さな穴は周囲の土から守られ、汚れる心配も無い。同時に、穴から出た水は、ストローを伝って、苗の根元にきちんと届く。ストローの長さを調節すれば、離れた苗まで水を送ることもできる。一石二鳥である。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(19)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。次は、放物面鏡による太陽熱の利用(太陽熱調理、発電等)について。



しばらく手つかずであったが、いい加減夏も終わってしまうので、前号記事を書いた直後から、少しずつ手を付け始めた。まずは、放物面鏡の素材について。

過日の号にも書いたように、当初は、アルミ缶を切断して裏返し、貼り合せて製作しようとした。しかし、実際にアルミ缶を切断、裏返して太陽光に当ててみたが、反射が悪く、材質として適さないことが分かった。以前、アルミ缶の裏側はコーティング材が塗ってあるため、反射が悪いとのご助言を頂戴していたが、全くその通りであった。次に、市販の料理用アルミホイルを太陽光にかざしてみたところ、アルミ缶よりは反射が良い印象であった。実際、アルミホイルを木材や段ボールなどに巻き付けて、放物面鏡を自作した方もいらっしゃるので、やはり有用な材料なのであろう。

しかし、何と言っても、スバ抜けて反射が良かったのは、鏡である。反射した太陽光を日陰に向けると、向けた先が日なたと同様の明るさになる。そこで、加工は大変ではあろうが、あえて鏡で製作することにした。100円ショップに行けば、一定の大きさの手鏡を売っている。近所のダイソーを覗いてみたところ、最大で20cm×30cmの鏡を税込105円で売っていたため、迷わず購入した(試しに1個だけではあるが)。鏡の単価、すなわち単位面積あたりの価格で言えば、相当にお得である。


この鏡、このまま使用する価値も高いが、放物面鏡を製作するにあたっては、ガラスカッターで細かく切断して、放物面の断片にしなければならない。ネット上で検索したところ、ガラスカッターでの切断は一定のスキルが必要なようであるが、実際にそうやって放物面鏡を自作された方がいらっしゃった(→参考サイト)。こちらの先人の方、だいぶ試行錯誤されたとのことだが、小生からすれば、非常に心強い存在であり、先人に学び、見よう見マネで小生もやってみようと思う。

放物面鏡の形状としては、上述の方のように、平面に傾きを変えた鏡の断片を配置する方法の他、半円筒形ならぬ半放物面系の筒状にする方法もある(→参考サイト)。こちらの方が加工としては簡単だが、太陽光が一点に集まらないため、製作する鏡の用途やサイズなどによって、一長一短がある。今のところ、小生としては、前者の形状を目指したい。引き続き、ガラスカッターを用意し、購入した鏡の切断を練習を兼ねて試行してゆく予定である。

…ここまでを、今年の夏のうちに取組みたいと思っている。これもまた、今までの経験からすれば、恐らく一発で上手くいくことは稀であろうが、それでも地道に、精力的に試していってみたい。その経過は、またこの場でご報告したいと思う。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(20)


今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネル ギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向 けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次 第です。


今回も、今現在の取組みの進捗についてご報告するとともに、その取組みの過程 で思い付いたアイデアなどについて述べたいと思う。

まずは、以前から述べている、地中5mの熱を利用する方法について。引き続き、 穴の掘り方、および熱の有効活用方法について、少しずつではあるが、検討を進 めているが、つい先日、今さらながら、有用なヒントを一つ得た。今回は、それ をぜひご紹介したい。



夏休みも最後になり、日曜日に家族と近所の川に遊びに行ったときのこと。駐車 場から歩いて河原まで行く途中、山肌の斜面脇の細い道を少し歩くのだが、途中 で一瞬だがひんやりする場所があった。その日は気温35℃以上の猛暑日で、昼間 に外を歩くだけでも汗がダラダラ出る状況であったが、その一瞬の場所だけは非 常に快適に、涼しく感じられた。帰路、再度その場所を通った際に、その周辺を 観察してみると、斜面の下部に穴が開いていた。形状からして、恐らくは自然に 形成された穴と思われた。穴はどうやら、斜面の向こう側までつながっているら しく、冷たい空気が向こう側から流れてくる。

つまり、これは風穴である。山肌の下の方に自然に出来た穴を空気が通り抜ける ことで、穴の中の岩肌・土砂で冷やされ、冷気となって噴き出すものである。日 本国内だけでも、このような風穴は何箇所もあるそうで、有名なところとしては、 富士山麓の青木ヶ原の樹海にあるものなどが挙げられる。
→参考サイト
鍾乳洞なども、これの親戚と見るべきか。

このような風穴も、大規模なものになると、江戸時代などには、天然の冷蔵庫と して活用されていたそうである。今は実用的には廃れてしまった所が多いが、改 めて見直され、積極的に活用されて然るべきではなかろうか。



そこで早速、これをヒントに、地中5mの穴の掘り方を考えることにした。つまり、 いわば人工の風穴を作ればよいわけである。極めて簡単に言うなら、地面に一定 の深さ、長さの穴を掘り、そこに空気を流し、温度調整した空気を冷暖房代わり に建物内に引き込めれば、たちまち天然の冷暖房に早変わり、という次第。でき れば、その穴を通りぬける空気も、人工的に扇風機などで送るのではなく、自然 の対流、風の流れで発生するようにしたい。それゆえ、改めて、流体力学的、熱 力学的な知識を呼び覚ましながら、良い方法を案じているところである。

過日の号では、5mの穴に雨水を溜め、穴の中で水の流れの循環を起こすようにし て、地上で接する空気を冷やし(もしくは温め)、その空気を建物内に取り込む ことを考えていた。その方法とともに、より多角的に考えてゆく必要があろう。 いずれにせよ、(大げさに言えば、)穴を掘るという土木工事によって、冷暖房 のエネルギーを節約できるのなら、意義のあることではなかろうか。無論、大規 模な事業として行うのなら、費用対効果は当然考えねばならないことだが。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(21)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。次は、水とエネルギー との関係性について。



この記事を執筆している9月初頭よりも少し前、関東では日照り続きで雨が降ら ず、水不足に陥る可能性があった。一部のダムでは、貯水量が底をついていた。 幸い、その後の雨により難を逃れたが、一時期は節電に加えて節水も求められる という事態に陥るところであった。改めて、水の確保の重要性を再認識したとこ ろである。

今回の出来事をきっかけに、改めて水の確保とエネルギー、とりわけ再生可能エ ネルギーとの関係性を考えるようになった。水(水道)それ自体は、エネルギー には直接関係のないものではある。しかし、上水道の給水や下水処理などには、 一定のエネルギーが消費されている上、水を上手に活用することで、冷暖房など のエネルギー削減にもつながる。何より、人間が生きていく上で、水は欠かせな い要素であることは言うまでも無いが、エネルギーという一面で見ても、水は重 要な存在であると言える。そこで、水をどのように活用すれば、エネルギー削減 に最も効果があるか、この機会に考えてみたい。



水に関して、以前から何となく考えているアイデアがある。それをいくつかご紹 介する。一つは、治水にも絡むことであるが、江戸時代のように、東京のような 大都市、およびその近郊に、川・水路を張り巡らせるという方法である。自然環 境の維持・再生、子供の遊び場確保などの目的もあるが、特にエネルギーの観点 からすれば、気温調整、交通機関(水運)、発電の意味が大きいと考えている。

今回は特に、1つ目の気温調整について述べる。

ご承知のように、今の東京は、世界的にも類を見ない高密度な大都市であり、高 層ビルなどの人工建造物に比して、土や緑の面積が絶対的に少ないこともあり、 夏のヒートアイランドが深刻な問題となっている。地球温暖化の流れも相まって、 皆が冷房をガンガンにかければ、当然のことながら、消費エネルギー(電力)量 は莫大なものとなる。さらに言えば、冷房とは熱交換なのであり、皆が冷房をか けることで、建物内が冷やされる一方、建物の外に排熱されることで、外は余計 に暑くなる。これでは、悪循環である。

国・自治体などが主導して、このようなヒートアイランド対策は色々と行われて いるが、その中でも特に個人的に注目しているのが、川・水路の活用である。メ ディアにも度々採り上げられているので、ご存じの方も多いと思うが、東京都目 黒区では、区内を流れる目黒川を風の道と位置付け、川沿いに流れてくる東京湾 からの風を市街地にうまく流す町づくりを行っている。
→参 考サイト

目黒区の取組みには、個人的にも多いに注目し、また期待もしているが、そもそ も、川や水路がもっと絶対的に都内に多ければ、ヒートアイランドに相当な効果 が期待されよう。既存の河川・水路・皇居や緑地公園だけでは、絶対的に足りな いのではないか。それゆえ、道路整備などと一体でも何でも良いから、東京都心 に、江戸時代のように網の目の水路を整備してゆけないものだろうか。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、この続きを述べたいと思う。

再生可能エネルギーに挑む(22)

今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


今回は、前回の記事(21)の続きとして、水とエネルギーの関係について引き続き述べたいと思う。

前回、川を風の道として積極的に活用している地元自治体の取組みを採り上げた。このような川の積極的な活用策を、東京都心のようなヒートアイランドの酷い大都市中心部では、全域的にもっともっと推進すべきであろう。それこそ、江戸時代の先人の知恵に改めて習うのはどうだろうか。

江戸時代は、江戸の町中に網の目のように水路が張り巡らされていた。主に物流や江戸城防衛の目的で作られたものだが、江戸幕府が無くなり、鉄道や自動車が発達して水運が衰退したために、そのような水路は埋められたり、上空に首都高速が建設されるなどして、水路としての機能を失ってしまった。特に、首都高の高架橋の直下は太陽光が当たらず、環境面でも著しい影響があろう。実際、首都高下の水路・川の水質は、お世辞にも良いとは言えない。

これは、非常にもったいないことであると思う。首都高を老朽化による作り直しのついで、地下に移設し、地上の水路を整備して再生しようという構想がある。別に土建屋や道路族議員・官僚の肩を持つ気はさらさら無いが、環境・エネルギー問題という観点からすれば、個人的には決して悪い案とは思わない。地方に閑古鳥な高速道路や空港を作るより、はるかに費用対効果、意義のある事業ではなかろうか。



もっと言えば、都心部の都市計画の一環として、道路整備とセットで、水路・川を道路沿いに整備してゆくのはどうだろうか。できれば、コンクリートの護岸は止め、石や土、樹木などのみを用いて、自然豊かな環境として整備できれば、都会のちょっとしたオアシスにもなる。また、費用対効果に見合うならば、だが、水路沿いに水車を設置すれば、小規模なマイクロ水力発電も可能になる。

大田区に等々力渓谷というところがある。小生も家族と実際に行ったことが何度かあるが、局地的に見れば、とても東京都心とは思えないくらい涼しく、緑豊かな空間である。まさに、あのようなイメージの空間が東京都心のあちこちに再現できれば、ヒートアイランドの軽減に寄与するのみならず、東京都民の精神面にも良い影響を少なからず与えるものと考える次第である。

最近、都心部の水害対策の一環として、地下調整池なるものが幹線道路の地下などに建設されている。環境的な意味合いからすれば、むしろ逆にすべきではなかろうか。すなわち、調整池は地上に設け、幹線道路(車道)を地下に移す。こうすれば、地上には歩道と水辺、地下に車と分離でき、環境面、都民の精神面で良いだけでなく、歩行者の安全性も向上する。加えて、地上部の調整池には常時水を溜めておく(豪雨時のみ排水する)ようにすれば、水不足対策にもなる。まさに一石四鳥である。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ




再生可能エネルギーに挑む(23)

引き続き、再生可能エネルギーの活用について書きます。次は、水とエネルギーとの関係性について。



引き続き、再生可能エネルギー、特に水とエネルギーの活用について書きます。次は、海水の有効活用策について。



小生家族は沖縄が以前から大好きで、時折夏場に旅行に出かけてきた。特に、沖縄本島以上に、離島を巡るのが楽しく、これまでにも西表島など数々の島を訪問した。元はと言えば、そのときにふと考えたことである。

離島の場合、本州と異なり、台風などの悪天候で海運が欠航になった場合、物資の供給がすぐ途絶えてしまう。その物資の一部には、場合によっては、水(ミネラルウォーター)も含まれる。すなわち、真水の取水が困難な島の場合、水道水自体をタンク等に入れて本州や沖縄本島などから運ばねばならないのである。島の周囲は海水で満ちているのに、真水をわざわざコストをかけて運び入れている。これは、考えようによっては、非常にもったいない話である。



海水を真水に変えることができれば、水は無尽蔵に得ることができる。だから、そうできないか、という単純な発想である。中東など、一部の石油産出国は、有り余る金に物を言わせて、海水を電気分解して真水を取水している。それはさすがにコストがかかりすぎ、当たり前だが、日本の島しょ部に導入するのは、とても費用対効果に見合わない。ここで発案するのは、そうではなく、海水を太陽熱で蒸発させ、真水を、ついでに食塩も取り出すという方法である。

沖縄などの南国の場合、本州とは異なり、亜熱帯の気候である。夏場は、最近でこそ最高気温は東京や熊谷の方が高いものの、太陽光の照射量、強さともに本州の比ではない。この有り余る太陽エネルギーを有効活用するのである。いわば、中東における石油に相当するのが沖縄の太陽光、ということにでもなろうか(もっとも、中東とて暑さの厳しい砂漠地帯だが)。

すなわち、規模の大小にかかわらず、放物面鏡を作り、強い真夏の太陽光を焦点に集中させ、そこに海水タンクを置く、もしくは海水をパイプに流せば、海水は直ちに蒸発して、水蒸気と固形の塩分に分かれる。水蒸気を外に逃さないよう、放物面鏡の上部を屋根で覆えば、水蒸気は屋根に付着して冷やされ、水滴になる。この水滴を集めれば、真水を得ることができる。



加えて、水が蒸発した後には塩分が残る。これを集めれば、ミネラル分たっぷりの自然塩も得られる。水は生活用水に使い、塩も調味料として活用する。余るなら、地元特産の自然塩として販売すれば、町おこし、経済の活性化にもつながろう。まさに一石二鳥である。

塩は、最近でこそ化学合成して製造するものが主流だが、かつては塩田が海岸近くにあり、海水を天日に当てて水分を蒸発させて塩を製造していた。これもまた、見方によっては、実にもったいない話である。塩を得るため、せっかく蒸発した水分、すなわち真水を丸々捨てていたことになるからである。海水から塩と真水を両方得ることを前提にすれば、そのトータルのコスト、費用対効果は、事情が変わってこないだろうか。寡聞にして、そのような試算は聞いたことが無い。もし誰も考えていないことならば、小生が試算して、可能性を考えてみたいと思う。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、この続きを述べたいと思う。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(24)

1回分開きましたが、今回も、前々号までの話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。



早いもので、季節も秋になり、暑さから一転、段々と寒くなってきた。夏と同様、冬も電力不足が懸念される時期であり、その意味でも本記事の取組みを続ける意義はあると考えており、今回も引き続き執筆する次第である。

ここでは、堆肥作りによる発熱エネルギーの有効活用について述べる。



堆肥については、以前も一度触れたが、改めて説明したい。簡単に言えば、家庭で出る生ゴミや落ち葉などを、燃えるゴミとして出すのでなく、土に還すことである。これらは、普通に土中に埋めてもいずれ土に還りはする。しかし、処理を上手に行うことにより、より速く土に還せたり、害虫やカビ、病原菌類の発生を抑え、土に無用なダメージを与えることもなくなる(裏返せば、上手に行わないと、それらと逆のことが起こってしまい、問題になることもある)。

何より、本記事のテーマに沿うものとして、堆肥化の際に出る熱エネルギーを有効に取り出しうるというメリットがある。条件さえ整えば、堆肥化、つまり生ゴミや落ち葉が土中の微生物により分解される過程で、堆肥内は70℃強の温度になるそうである(詳細は、こちらなどをご参考のこと)。

夏はともかく、冬場にこの熱エネルギーを活かさない手は無い。自宅室内の暖房の他、たとえばビニールハウスで野菜等を栽培する際の温度維持に活用することもできる。用途は意外と広いのではなかろうか。ビニールハウス栽培などは、温度維持のためのハウス内の暖房コストがかなり高くつくと聞く。農業や家庭菜園を行うならば尚更、野菜くず等の生ゴミや落ち葉などは定期的に一定量発生する。その処理にもなり、一石二鳥ではなかろうか。



家庭での生ゴミや庭の落ち葉の量など、たかが知れているのでは?、年間を通じて定期的に発生するものか?、といった疑問もあるかもしれない。生ゴミはともかく、落ち葉などは、季節によって発生量にばらつきがあるだろうとは確かに思う。しかしながら、そういった生ゴミや落ち葉などを家庭外で入手することは、そう難しくは無い。

たとえば、近所のスーパーなどに行けば、生鮮品売り場でキャベツやレタス等の外皮が大量にゴミ袋に入れられているのを目にするはずである。あるいは、公園の落ち葉掃除なども、ご近所のボランティア有志の方々の努力で行われていたりする。また、河川敷などの公共地内に夏場に生い茂る雑草の除去作業も定期的に行われている。

これらは皆、最終的には一定のコストをかけ、ゴミとして処分されている。しかし、特に雑草などは、単に燃えるゴミとして処分するとコストがかさむため、液肥にされたり、あるいは肥料の元として無償提供されることもある(たとえば、小生の住む埼玉県内では、このような取組みが行われている)。このような除草後のゴミなどを、各々の自宅内で処理できる分だけもらってくれば、ゴミ処理の行政コストの削減につながるだけでなく、自宅内の暖房費節減にもなり、何より環境保護にもつながり、一石二鳥どころか、一石三鳥ではなかろうか。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(25)

引き続き、再生可能エネルギーについて書きます。次は、竹の伐採について。これ自体、エネルギーには直接は関係ないものの、間接的に関係あるものと考え、採り上げます。



以前にも述べたかもしれないが、最近、竹に興味を持っている。それに関連して、数ある諸々の環境問題の中で、特に放置竹林の問題に関心を持っている。

ネット上でにわか勉強したところによると、放置竹林は、主に西日本地域で問題になっているそうだが、小生の住む埼玉県内でも、所々ではあるが、放置されていると思われる竹林が散在している。個人の敷地内であれば、何ら問題にはなりえないものの、河川敷等の公共の敷地内の場合、竹林が無用に拡大してしまうことで、他の動植物の生態系や河川の機能に影響を与えうる。よって、条件を満たすならば、伐採することが望ましいと言える。

調べてみたところ、河川敷などの公共地であれば、一定の条件を満たせば、国交省や地元自治体等に申請、許可を得ることで、個人で竹林の伐採を行うこともできるそうである。早速、小生の居住地域の関係自治体等に相談してみているところである。許可をもし得られれば、近日、試しに少量ではあるが、竹の伐採を試みたいと考えている。



伐採した後、その竹を適切に加工して、木材ならぬ竹材にしたいと考えている。木材の代用として、例えば、菜園の囲いや、簡易的な屋根を作るなどの用途(あるいは、最近痛んできた我が家の周囲の木製の塀の修理用にも?)を目論んでいる。その用途に竹材を用い、前記事で述べた生ゴミ分解熱を活かしてビニールハウスでも構築できれば、年間を通じて野菜の栽培等が行える。しかも、再生可能エネルギーを活用して、環境にも優しく、低コストに実現できうる。それゆえ、竹の伐採が、間接的に関係すると考えた次第である。

本格的に行おうとすれば、実に壮大な構想かもしれない。とはいえ、一個人がボランティア的に行うには、できることにも当然限度はある。しかし、このような取組みが将来的に広がれば、全国の放置竹林の問題解決にも寄与でき、意義があると信じて、引き続き精力的に取組む次第である。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、この続きを述べたいと思う。

by なさ


再生可能エネルギーに挑む(26)

今回も、この話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。



唐突だが、我が家の庭にある菜園で、これからの寒くなる季節に、ビニールハウスでの野菜栽培などを手掛けてみたいと考えている。ハウス内での暖房手段としては、これまでの記事で述べてきた、生ゴミの分解熱や、深さ5m程度の地中熱(15℃前後)など、いわゆるエコな、再生可能エネルギーの有効活用を考えている。

それを実現するためには、当たり前だが、まずはビニールハウス自体を構築せねばならない。その構築に、今号の2つの記事で述べる廃材を有効に活用したいと思っている。具体的には、竹・石・ビニールゴミの3つである。それを今回、以下で順に述べることにする。これ自体、エネルギーには直接は関係ないものの、間接的に寄与するものと言うことで、何とぞご理解いただければと思う。



まずは、竹について。前回、近所の河川敷などにある放置竹林を、許可を得て、環境保全のボランティア作業として伐採し、その切り出した竹材の有効活用を図る話を述べた。その具体的な有効活用法について、独自に思い付いたものが幾つかある。その一つが、以下に述べるビニールハウス等の骨材への利用である。

ビニールハウスを製作する場合、ある程度本格的なものを作るなら、普通は市販の材料・キットを購入する必要がある。当たり前だが、それにはお金がかかる。ネットで価格調査した限りでは、規模にもよるが、数万〜十数万円が相場のようである。本格的に仕事として農業に携わるなら、必要な投資額かもしれないが、家庭菜園を趣味でやるには、我が家のような庶民の一般家庭には、ハードルの高すぎる価格である。



そこで、何とか廃材を利用して、それを限りなく0円で作ってしまおうと思った次第。竹は、スギやヒノキなどの木材に比べて強度や耐久性が劣るため、そのままでは建築材料などには向かないが、ビニールハウスの骨材程度なら、それほどの強度も必要なく、竹垣の延長で作れ、手ごろな活用法であろうと考えている。市販の金属パイプのビニールハウスの構造、ならびに竹垣の作り方を参考に、竹をヤグラ状に組合せ、交点を頑丈なヒモで縛るなどして、骨組みを構築する計画である。

竹は、基本的には無加工の青竹のままで用いるつもりだが、必要があれば、中の節を抜いた上で、竹の表面を火であぶって油分を抜いたり、縦に裂けるのを防ぐため、頑丈な細い糸で上下端をグルグル巻いて縛るなどの補強策を採ることも検討中である。



この竹で組んだ骨組みに、透明なビニールをかぶせて全体を覆い、ビニールハウスを作るのである(ビニールについては後述)。

さらに、あわよくば、骨組みの壁面に、100円ショップで売っている大型の鏡を何枚も取り付け、太陽光を反射させて日陰に照らすことも考えている。これにより、日向の面積を実質増やせ、結果的に作付面積を増加させられると考えている。もっと言えば、過日の号で述べた放物面鏡も、ある程度大型のものについては、竹を組合わせて製作したいと考えている。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(27)

引き続き、間接的ながら、再生可能エネルギーに関する話を書きます。次は、石の再利用方法について。



竹を組んで、ビニールハウスの骨組みを作る。そこまでは良いが、土台をどうするかは、意外と重要な課題である。家庭菜園のレベルながら、実用的にビニールハウスとして用いるためには、地震や、台風などの強風・豪雨にも十分耐えられる強度が求められる。言うまでも無く、そのためには、土台がしっかりしていなければ、お話にはならない。その強固な土台を、我が家にゴロゴロしている大量の石を用いて築こうと考えている。


過日の号でも触れたが、我が家の地域一帯は、大昔は川だったそうで、その名残なのか、少し地面を掘ると、大小の石がゴロゴロ出てくる。農作業をするには天敵であり、近所のお宅の畑などを見ると、開墾のときに出てきたであろう大量の石が、畑の隅の方に積まれて山になっているのを、しばしば目にするほどである。

我が家もその例外ではなく、先日も、大根やゴボウなどの縦長の根菜類を栽培しようと、菜園の一角のまとまった面積を深く掘ったところ、相当な量の石が発掘された。親や妻は、その石の量を見て困惑し、目触りだし邪魔なので、後で再度地面に埋めておいてほしいと言われていた。せっかく埋め戻すのならと、活用法をあれこれ調べながら考えていたところ、ビニールハウスの土台にするという結論に行き着いた。



ネットでにわか勉強したところ、何でも、建物の下に、大量の石を広範囲に深く敷き詰めると、車が通ったときの振動や、地震の揺れを軽減する効果があるそうである。なおかつ、冷暖房効果があって、省エネにもなるとか。
(→参考サイト: [1][2]

砂利を下に分厚く敷くと言えば、身近なところでは、鉄道の線路が思い付く。あれも、電車の荷重や衝撃を分散させ、振動を吸収する役目を担っている。もっと言えば、古代のピラミッドなども、見えない地下に分厚い大量の石で基礎がしっかり作られてるそうで、過去何度も襲った大地震にもビクともしていないのだとか。これらはまさに、昔ながらの知恵、温故知新と言える。

最近でこそ、住宅などの建物に対して、耐震補強・免震構造といった概念、あるいは、地中熱を活かした省エネなエコ住宅などが定着してきている。しかしながら、このような機能を持った住宅は、少なからぬ金がかかる。庶民がマイホームとして建てるには、少なからず値が張るものではないか。その点、砂利を下に分厚く敷くだけなら、シンプルでコストも抑えられよう。首都直下地震などが懸念される東京都内の建物など、耐震補強の一環として、皆このように建物の下に砂利を分厚く敷き詰めれば良いのに、と思う。



話を元に戻すと、竹の骨組みを構築する際、一定の幅・深さ(たとえば幅30cm×深さ1m程度)の溝を掘り、竹の骨組みの下部を溝に入れ、そこに大量の石を投入して溝を埋め、上から棒などで叩いてギチギチに詰め固める。このとき、竹と溝の周囲の土とが接しないようにする(竹材は土に接すると、すぐに傷むため)。こうすれば、かなり強固な土台になろう。

のみならず、菜園の周囲を石の層にすることで、排水路の役割も果たすため、水はけも良くなる。粘土質など、水はけの悪い土壌の地域には、特に有効ではないか。また、竹と土を直接接しないようにすることで、竹が傷みにくくなる。何より、農作業の厄介者の石の有効活用策になる。そう考えれば、一石二鳥どころか、一石四鳥と言えよう。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、ビニールゴミの活用策など、この続きを述べたいと思う。

by なさ

再生可能エネルギーに挑む(28)

今回も、この話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。



前回の続きとして、廃材を用いたビニールハウスの構築について述べたい。竹・石については前回述べたが、ここでは特に、残るビニール類のゴミを活用する方法について説明する。



ゴミの中で、ビニールやプラスティック類のゴミというのは、ある意味では一番厄介である。なぜなら、紙や生ごみと違って、人工の素材であり、地面に埋めても土に還らない(最近は土に還るタイプのものも増えてきたが)、燃やすと石油のような匂いがする(紙も、印字やコーティングがしてあれば、同様)など、扱いにくい面があるからである。

紙類は、たとえば新聞紙や新聞広告などは、吸湿紙にしたり、丸めて頑丈な丸棒にしたり、あるいはペーパーログにするなどの活用策を考えていたが、ビニール・プラスティック類のゴミは、これまで特に活用策を考えては来なかった。しかし、改めて我が家のゴミ箱を覗いてみると、下手をすると、紙ゴミ以上に多いようにも見えたため、これらについても策を考え、講じることにした。



以前から何となく考えていた活用策として、例えばスーパーのレジ袋などを束ねて、ビニールハウスを覆うビニールシートにするなどの方法が挙げられる。しかし、過日、レジ袋を試しにそのまま屋外に放置しておいたところ、すぐに劣化して破れてしまうことが分かり、そのままでは難しいことが分かった。

熱を加えて、溶かして加工できないかと考えていたところ、ネット上にこんな記事を見つけた。まさに、当方が求めていたような話である。:
   ・(1)
   ・(2)
特に注目したのが、前者である。レジ袋を何枚も重ねて、アイロンがけをすると、熱で溶けて分厚いビニール素材になる。これなら、屋外で雨風に晒しても、耐久性は高いだろう。



さっそく、我が家にあるレジ袋とアイロンで試してみた。アイロンにレジ袋が熱でくっつかないよう、レジ袋をクッキングシート(耐熱のプラスティック製シート)でサンドして、上からアイロンをかける。上述の記事を見よう見まねしてやってみた。

初め、アイロンの温度を「中」に設定したところ、温度が上がり過ぎ、下のレジ袋が溶けて大きく収縮したり、穴が開いてしまった。温度設定を「低」にして、ゆっくりと、やや押しつけるようにアイロンをかけると、適度にレジ袋が溶けてくっつくことが分かった。袋を何枚重ねるか試してみたが、4枚重ねではやや薄く、6〜8枚程度なら適度な厚みになることが分かった。

元々買い物で使って一度クシャクシャになり、そのまま丸めて台所の引き出しに入れておいたものなので、どうしてもシワは完全には延ばすことができなかった。手でやや引っ張るようにして一枚一枚重ね、アイロンもシワを中から外に押し出すようにかけてみたが、思うようにシワは無くならない。重ねる枚数が少ないほど、シワシワな状態になってしまったが、6〜8枚重ねなら、シワも目立たなくなるようだった。このシワを上手に無くす方法は、今も試行錯誤中である。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ



引き続き、間接的ながら、再生可能エネルギーに関する話を書きます。次は、再び竹の話について。先日の号で、放置竹林の問題とともに、伐採した竹材の活用策について述べました。ここでは、竹に関する、その後の話について書きます。



先日たまたま、とある地域の行事に参加した際、竹をコップ代わりに一節単位で切断したものを数個ほどもらった。しばらく庭先に放置しておいたが、ふと思って、これを用いて実験を行ってみることにした。

折しも、週末の暖かかった昼間、庭で家族とバーベキューをした際、炭火が残ったので、これで竹を炙ってみることにした。青竹は、そのままでは竹材として用いるには強度や耐久性が不足するようで、そのために、青竹を天日干しし、炭火で炙って、水分や油分を抜く作業が必要なのだそうである。まさに、その作業をやってみることにした。



竹を炭火で炙ってみると、すぐに油分がジワジワと浮き出てきた。雑巾などで拭き取ると、雑巾が薄く黒くなる程度の量だが、火でじっくり炙りながら拭き取るのは、なかなか時間も根気も要る作業ではある。頑張ってみたものの、時間の都合もあり、途中で諦めざるを得なかった。面倒なので、最後は、燃焼する炭の上に直接竹コップを置いてみた。

すると、たちまち底が真っ黒に焦げ、コップの底、つまり節の部分がもろく破れた。さらに放置しておいたところ、側面も真っ黒に焦げ、竹全体が燃え出した。油分を含むからか、一時は激しい炎と目にしみる煙を出して、勢いよく燃えた。さすがに危ないので、炭火から降ろしたが、それでもまだ燃えている。結局、その竹コップは燃え切って、真っ黒な燃えカスが残った。そのカスを見ると、立派な竹炭になっていた。

もう1つの竹コップは、そこまで激しい燃え方はしなかったものの、炭火から降ろすと、やはり側面は真っ黒に焦げ、上部が炭火のように赤くなって、内部燃焼していた。口でフーっと息をかけると、さらに内部が赤くなった。



結局、完全に燃え切ったもの、途中まで燃えて、竹の形を保ったまま竹炭状態になったもの、ただ表面が炙られて黒く煤けたものが出来た。成り行き任せではあったが、個人的には興味深い結果になったと思う。

まず、いちいち油分を炙って拭き取る作業は大変ではあったものの、うまく炙れば、勝手に油分が浮き出て落ち、全体が燃え切る、炭になることなく、形を保ったまま、それなりの炙竹になることが分かった。

同時に、やり方を工夫すれば、竹炭も作れ、あるいは薪代わりに、かなりの火力を出す燃料にもなることが分かった。以前、キャンプ場でカラマツの枝や実などを燃やしたところ、松脂を多く含むためか、良く燃えたことを思い出した。それと同じであろう。竹は水分を多く含むので、木材のように薪、燃料にはなりにくいとの話を聞いたが、やり方次第では、決してそんなことはないと改めて知った。

こう考えると、竹は、竹材としての活用だけでなく、直接のエネルギー源、つまり燃料としても有効な資源だと思う。これからの冬の季節、今年は河川敷の竹林で伐採してきた竹を燃やして、光熱費を少しでも浮かせようかと思う次第である。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、この続きを述べたいと思う。

by なさ
トップへ












































再生可能エネルギーに挑む(16)


今回も、その話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、夏の電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。


今回は、今現在の取組みの進捗についてご報告するとともに、その取組みの過程で思い付いたアイデアなどについて述べたいと思う。

まずは、以前から採り上げている、ペットボトルを利用した菜園への自動水やり装置の製作である。これ自体、電気やエネルギーの節約に直結するものではないものの、少なくとも将来的には、電気等を用いずに、冷暖房なり、家庭菜園作業の自動化に間接的に寄与するものとの期待から、取組んでいる次第である。その点を予めご了承いただければ幸いである。



前回ご紹介した、他の方が考案された方法をそのまま真似る形で、簡単に実験してみた(参考サイト様、再掲)。

ペットボトルの底に小さな穴を千枚通しで穴を開け、水を7分目くらいまで入れ、フタを閉める。初めはチョロチョロと水が漏れるが、すぐに水の出は止まる。ペットボトル内の上部の空気が陰圧になるためである(詳細は、前回ご紹介したリンク先などを参照のこと)。外に置いておくと、特に今のような真夏の炎天下では、昼夜の寒暖の差が大きいため、内部の空気が膨張と収縮を繰返す。昼間、特に直射日光が照らす時間帯は、中の空気が温められて膨張し、その力で面白いように水が穴からチョロチョロ出る。本当にごく簡単な、いい加減な実験であったが、まさに上述のサイト様のお話の通りであった。その様子を眺め、思わず嬉しくなってしまった。



そこで早速、庭の何箇所かに分散して植えている様々な苗類のための自動水やり装置を製作することにした。まずは、ほぼ上の簡単な実験と同じように、苗の根元の近傍に小穴が来るようにペットボトルを置く。このとき、中の水が空になっても風で倒れないよう、土でペットボトルの周囲に土手を作り、固定する。この設置作業を、個々の苗について地道に同様に行う。まずは、あくまで試行ということで、設置は3個に留めた。この3個の状態を見つつ、さらに改良して、他の苗類にも装置を設置しようと考えている。

3個設置して数日が経ったが、おかげさまで、動作は概ね良好である。ただ、今は個々のペットボトル同士を連結していないため、当たり前だが、中の水が無くなれば、個々にフタを開け、水を注いでやらねばならない。今の時期、晴天の日ならば、900mLペットボトル1本につき、概ね3〜4日で水は出切ってしまう。つまり、その日数ごとに、水の補給が必要になる。まだ3個だから良いものの、これを何十個も行うとなると、普通にジョウロで水やりをする手間と比べ、大差ない。そのため、次のステップとして、水の補給作業を大幅に省力化する方法に取組んでいる。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。

by なさ



再生可能エネルギーに挑む(17)


引き続き、再生可能エネルギーの活用、特にペットボトルを用いた菜園への自動水やり装置の製作について書きます。



個々の水やり用ペットボトルに水を一括で補給する方法。単純には、ペットボトル同士を連結し、どこか1ケ所に水を補給すれば、全てのペットボトルに水が行き渡るようにすれば良いわけである。

過日、ペットボトルを7個連結した、雨水の貯留装置を試作した。あれは、いったんは要改良ということでお蔵入りにしていたが、改めて引っ張り出してきて、それを改めて眺め、ヒントにしつつ、連結の方法を改良することにした。ペットボトル同士を完全に密着してしまうと、雨水貯留装置としては良いが、水やり装置とするならば、当たり前だが、個々の苗に1個ずつペットボトルをあてがうことができない。苗の間隔と、ペットボトルの寸法・個数とが釣り合わないためである。

菜園の苗の間隔を改めて定規で計ってみると、概ね25〜30cm間隔で植えているはずであったが、自然の植物であることもあり、何より小生の植える作業の下手さから、きれいな等間隔とはお世辞にも言い難い配置になっていることに、改めて気付いた。そこで、そのような不等間隔にもフィットするようにせねばならないと分かった。



一計を案じ(そんな大したことでもないが)、市販のストローの曲がる部分の機構を応用することにした。妻子がジュースを飲み終えた後の廃ストロー(無ければ、仕方ないので新品のストロー)を、曲がる関節部分の前後で一定の長さにハサミで切る。その関節部分を切り出したストローの断片を、以前の7個連結と同様に、ペットボトルの底部に固定する。底部にストローと同じ直径の穴を開け、接合面のフチに接着剤を塗布し、乾燥させて作成する。

ストローの関節部分は、縮んだ状態で約1cm、伸び切った状態で約2cmである。そのため、この接合をストローの断片の両端に対して行えば、単純には、ペットボトル間の距離を1cm程度微調整することができる。あるいは、未着手だが、必要があれば、同じ内径の長めのゴムホースを用意し、水漏れが起きないように注意しながら、ストローの端同士と連結すれば良い。

加えて、ペットボトルの底部だけでなく、上部(あるいはフタ)にも穴を開け、底部と同様に、ストローでペットボトルの上部(フタ)間も連結する予定である。こうすれば、ペットボトル内の上部の空気の圧力・量が、全てのペットボトルについて均一になりやすくなり、直射日光の当たり具合によって、水の出の良い悪いのバラツキが生じにくくなると考えられる。



最後に、大元の貯水槽を1つ設け、そこから一筆書き状に、全てのペットボトル(の底部・上部いずれも)を連結する。こうすれば、水の供給は1ケ所で済む上、必要により水抜きや圧力調整もそこ1ケ所で済み、一石二鳥である。

…ここまでを今年の夏のうちに完成させたいと思っている。今までの経験からすれば、恐らく一発で上手くいくことは稀であろうが、それでも地道に、精力的に試していってみたい。その経過は、またこの場でご報告したいと思う。



…今回はここまで。次回以降、引き続き、設計・製作の話などを書きます。


再生可能エネルギーに挑む(30)

今回も、この話の続きを書きます。なお、繰返しになりますが、再生可能エネルギーに過度に淡い期待をすべきでないことを学びつつ、電力不足の危機に向けて、少しでもエネルギーの自給自足ができればとの思いから、本記事を書く次第です。



さて、季節は早や冬。年の瀬12月。11月後半あたりから、関東でも急速に冷え込んできた。埼玉の片田舎に位置する我が家でも、暖房が手放せなくなってきた。先日、関東では、冷え込みが厳しくなったからか、消費電力が一気に伸び、電力供給が限界に近付く一幕もあったようである。

言うまでも無く、冬の電力消費は、主に暖房のためである。節電に一役買うためにも、何より(計画)停電で暖房が使えなくなってしまうリスクを回避するためにも、電気に頼らない暖房にしたい。できれば、ガスや灯油でなく、再生可能エネルギー、自然エネルギーを活かした暖房にしたい。その意図から、今回の記事を書きたいと思う。



電気はもとより、ガスや灯油にもなるべく頼らず、暖房効果を高める。具体的には、炭火や薪ストーブ、あるいは気泡シート(いわゆるプチプチ)を壁や窓などに貼って断熱効果を高めるなどの方法が挙げられる。もちろん、これらも出来るだけ実践したいと思っているが、ここでは、過日の記事でも触れた、堆肥、特に落ち葉堆肥の熱を有効活用することを採り上げたい。

我が家の庭には、田舎特有の作りと言うか、多少の樹木がある。そこから、落ち葉が定期的に出る。加えて、近所の公共施設や沿道の樹木から大量の落ち葉が発生し、風向きによっては、我が家の庭に大量に降り注ぐこともある。いずれにせよ、ご近所の掃除当番なり、庭掃除として、その大量の落ち葉を片付けねばならない。毎年の秋〜冬にかけての、面倒な作業である。今までは、燃えるゴミに出すか、庭に埋めていたが、ふと思い、積極的に堆肥として活用することにした。



繰返しになるが、生ゴミや落ち葉などを集積し、適切な環境を維持することで、数ヶ月〜数年の期間を経て発酵し、栄養分の豊富な土に還る。その土は、家庭菜園で有効活用するとして、それ以外にも、発酵の際に出る熱を有効活用したいと以前から考えてきた。これらの堆肥は、適切な環境の下での発酵過程で最大70〜80℃にもなる。そこまでの最大温度になるのは一時的だが、それ以外の期間も、安定して30℃を維持するそうである。(例えば、参考サイトの5ページなど)

真夏はもちろんだが、真冬に屋外で行っても、それほどの温度になる。言い換えれば、室内の密閉された環境ならば、かなりの暖房効果が期待される。実際、そのような発酵熱を暖房等に有効活用した先例、製品などもあるようである(たとえば、Googleで「堆肥 発酵熱 利用」と検索すると、色々な事例が出てくる)。だが、出来合いの製品を買うのも面白くない。何より、金がかかる。そこで、DIY的に手作りでお金をかけず、自分の手と頭を働かせて実現してみたい。

未だ、机上でのにわか勉強の段階ではあるが、頭の中でどのように行うかのシミュレーションをしている。一般的な堆肥作りの手順を踏まえると、数週間に一度は堆肥の中を撹拌しなければならない、落ち葉の種類を選ばねばならない、温度や湿度の管理を適切にしなければならない等、意外と面倒な作業がある。それをできるだけ軽減、回避するためのアイデアをいくつか思い付いた。それをご紹介したい。



…長くなるので、いったんここで記事を区切ります。


再生可能エネルギーに挑む(31)

引き続き、再生可能エネルギーに関する話、落ち葉堆肥の方法論を書きます。



落ち葉堆肥を作成で必要な面倒な作業。一番は、定期的に撹拌しなければならないことであろう。少量ならばまだしも、ある程度多くの量の堆肥を作るなら、その労力は馬鹿にならない。量が多いと、かなり骨の折れる重労働のようである(例えば、(30)の記事で採り上げた参考サイトの3ページ目を参考のこと)。

撹拌の主な目的は、堆肥の中に空気を通し、分解を担う微生物に呼吸させることである。したがって、その意味では、撹拌をしなくとも、中空の細いパイプを何本も突っ込み、そのパイプの側面に細かい空気穴を無数に開けておけば、空気の通り道ができる(実際、(30)の参考サイトでも、発酵過程の後半では、実験的にそのようにやっている)。

とはいえ、撹拌自体を完全にゼロにはできないようなので、撹拌しやすい工夫を施す。例えば、この側面に無数の小さい穴の開いた空気パイプを組合わせて、水車かプロペラのような形状を作り、堆肥の中に突っ込んで外から手でシャフトを回転させれば、ミキサー的に中をかき混ぜることができる。かき混ぜないときは、そのパイプが空気の通り道の役割を果たせる。もっと言えば、空気穴は、中に空気を送り込むだけでなく、中の熱を外に適度に逃がす役割も果たせる。一石二鳥どころか、一石三鳥である。

それでも足りないのなら、特に発酵の初期過程では、落ち葉が土に還っておらず、軽いので、落ち葉を入れておく容器を段ボール等の軽い材料で作っておけば、両手で持ち上げて逆さにし、ザーッと中の堆肥を別の容器に移し替えることも容易であろう。段ボールを容器にすれば、ゴミのリサイクルにもなり、これまた一石二鳥と言える。



次に大変な作業と言えば、落ち葉を種類別に集めることではないか。確かに、路面に散ってしまった後の選別は、骨が折れるであろう。

ならば、例えば、葉が落ちる前に樹木の下部にネットを張っておくのはどうか。こうすれば、落ちた葉がネットに引っ掛かり溜まることで、樹木毎に葉を集めることができる。道路や公園など公共用地内の樹木にネットを張るのは難しいかもしれないが、自宅の敷地内ならば、家主(自分を含め、家族の誰か)が同意すれば、やろうと思えばできることである。もちろん、美観等になるべく影響が出ないよう、配慮せねばならないが。



最後に、温度・湿度の管理について。これ自体、重労働ではないだろうが、こまめに測定して、管理するのは面倒ではある。ましてや、堆肥からの発熱を暖房利用しようとするなら、それにも合った温度とせねばならず、なお面倒である。とはいえ、上述の参考サイトのように、様々な条件下での科学的なデータは情報として得られるので、それらを参考にすれば、おおよその推定はでき、最低限の管理で済むと思われる。

(30)の参考サイトによれば、撹拌したり、おがくずなどの発酵促進剤を投入する度に、温度が一時的かつ急激に上がるそうである。また、その上がり具合は、初期ほど高く(最大70℃程度)、その後段々と指数関数的に下がり、数ヶ月すると、撹拌などしても、温度は上昇せず、ほぼ一定(30℃前後)に保たれるとのこと。ならば、撹拌や促進剤の投入を、小刻みに少しずつ行えば、急激な温度変化は起こらず、終始ほぼ一定になるのではなかろうか。そうすれば、暖房目的にも使いやすくなるだろう。そのあたりは、実際に実験しながら試行錯誤してみたい。



…長くなるので、今回はここまで。次回以降、この続きを述べたいと思う。

by なさ
トップへ












































世の中の仕組みを考える


今回から、また新たなシリーズ記事を書きたいと思います。何をどこまで掘り下げるかによりますが、場合によっては、かなり長期に渡るシリーズになるかもしれません。お付き合いの程、よろしくお願いいたします。



我が国の政治情勢は、相変わらず茶番劇の連続である。震災、原発事故以降は特に、被災地復興もままならず、電力の問題も混迷の状態が続いている。また一方で、発達障害の世界でも、徐々に知名度と理解が世の中に広まってはいるものの、特に成人の場合、不況も後押しし、雇用枠の狭さ等、解決すべき課題が山積みである。これらの問題を、何とかできぬものかと憂う毎日である。


そこで、これらの問題解決に、微力かつ間接的ながら、何か貢献できないかと自分なりに考え、本記事を執筆してゆくことにした。本記事では、できるだけ既成概念にとらわれず、ゼロベースで世の中の仕組みを見直し、より良い政策などを提言してゆくことを目的とする。

とはいえ、資本主義や共産主義等々、政治思想、イデオロギー等に露骨に言及するものではない。あくまで、現状の我が国の資本主義のルール、政治思想はそのままに、より良い、かつ無理のない世の中の仕組みのあり方を具体的、実践的に考えてゆくものである。決して、抽象的な理念、理想論ばかりのお花畑思想に終始するものでは全く無い。その点は、繰返し強調したいと思う。



具体的、実践的な世の中の仕組みを考えるにあたっては、特に、日進月歩の勢いで発展普及しているIT技術を積極的、中心的に採り入れて考えてゆきたい。IT技術、コンピュータは、既に現代社会には不可欠な要素となってはいるが、理系のはしくれの小生ごときから見ても、まだまだ、特に最新技術ほど、世の中に十二分に活用されているとは言い難い面もある。おこがましくも、個々のIT技術の潜在的な価値、未だ世の中で発案されていない活用法を、ある程度ITの専門的な視点も交えて見出し、理論として理詰めで考えを積み上げてゆきたい。


具体的には、まず思い付くのが、在宅オフィス(SOHO)の普及である。インターネットが世の中に普及し始め、SOHOが言われるようになって久しいが、未だ世の中に定着普及していない。仕事だけでなく、学校での勉学も同様である。勉学の場合、究極の姿は放送大学であろうが、そこまで行かなくとも、普通の学校でも、在宅受講・学習の割合を増やすことは、まだまだできるはずである。

当シリーズ記事では、まずは、そういったSOHOや在宅学習が定着していない理由、背景などを十分考察の上、普及定着させてゆくための具体的かつ無理のない戦略を提言したいと思う。次回以降、掘り下げてゆく予定である。

世の中の仕組みを考える(2)

久しぶりに、このシリーズ記事の執筆を進めたいと思います。前回、2012/05/06発行のメルマガ266号にて(1)の記事を掲載させていただきました。6ヵ月ほど経過してしまいましたが、以下で(1)の続きの話を述べたいと思います。



前回記事の繰返しになるが、本記事は、資本主義や共産主義等々、特定の政治思想、イデオロギー等に露骨に言及するものではない。あくまで、現状の我が国の資本主義のルール、政治思想はそのままに、より良い、かつ無理のない世の中の仕組みのあり方を具体的、実践的に考えてゆくものである。決して、抽象的な理念、理想論ばかりのお花畑思想に終始するものでは全く無い。その点は、繰返し強調したいと思う。

その上で、前回、インターネット(以下、ネットと称する)を始めとするIT関連の技術を根幹の土台にして、新しい世の中の仕組みを考える旨を述べた。また、手始めに、具体例として、ネットを活用した在宅勤務(SOHO)や、放送大学のような在宅学習について掘り下げる旨も述べた。今回は、その話の続きである。



今さら小生ごときがこの場で述べることでも無いが、昨今のネットの普及とその効果は、計り知れないものがある。携帯電話などもそうだが、文明の利器をひとたび手に入れると、もうそれ無しでは生活できなくなる。それくらい世の中を大きく変えたのが、ネットなのである。それについては、異論を唱える人は皆無であろう。

しかし、ネットの技術的な性質を勉強しつつ、掘り下げて考えてみると、まだまだ潜在的な可能性が眠っているように感じてならない。それは、単に趣味・娯楽、商売的な用途だけでなく、そもそも論として、世の中の仕組みそれ自体を大きく変えうるものですらある。とはいえ、残念ながら、小生のような政治の素人から見ても、ネットによる大きな変革の可能性があるにもかかわらず、未だ悪い意味で旧態依然な世の中の仕組み、政治の仕組みは、多々あるように見受けられる。



その一つが、上述の在宅勤務・学習という仕組み、ということである。これらの概念は、ネットの誕生とともに唱えられ始めたと理解している。小生の持論として、在宅の勤務・学習は、(特に発達障害をはじめとする精神系の)障害者の方々に優しい労働・教育環境を生むものであり、したがって、世の中で広く標準的に普及、定着することが望ましいと考えている。

しかし、特に日本国内では、在宅勤務・学習とも、未だに広く普及しているとは言い難い面がある。それは何故なのか。さらに、その対策として、何をどうすれば良いのか。既にそれら自体、世の中で言及されてはいるが、特にここでは、(発達)障害の一当事者という視点から、独自の着眼点、アイデアを交えて、掘り下げてみたいと思う。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。



世の中の仕組みを考える(3)

話を続けます。



在宅勤務・学習はなぜ定着しないのか。理由は、いくつも挙げられよう。

まず、1つ目は、業務・学習内容によっては、ネットを介して在宅で行うことが困難である場合があることである。例えば、当たり前だが、製造業の場合、物品を製造できる環境が無ければ、物を作ることはできない。自宅で個人の工房を構えられるものならまだしも、鉄鋼なり自動車製造などは、常識的に考えて、生産ラインを自宅に持ってくることはできない。またあるいは、学校教育でも、体育の授業を在宅でネットを介して行うことも、現実的には困難であろう。

2つ目は、ネットを介した在宅勤務・学習環境のセキュリティであろう。学習はともかく、勤務においては、社内機密の内容を取扱うことが普通である。セキュリティ環境があまりに脆弱であれば、そのような情報がダダ漏れになってしまう。あるいは、在宅勤務者に悪意があれば、故意に機密情報を闇に流すことも、やりやすくなってしまう。特に、昨今は、近隣の某国によると思われるサイバーテロ的な犯罪行為(不正アクセス、データ盗難等)が増えてきており、その意味でもより一層のセキュリティ強化が望まれる。



以上2点の理由は、既に世の中でも言われていることであろうが、改めて採り上げてみた。以下は、恐らくだが、当方が勝手に思い付いた理由である。



3つ目は、社員と直接接することができず、労務の管理上、支障があることが挙げられる。小生のサラリーマン経験からすれば、上司・経営者の立場になるなら、部下の素性、適性を把握するには、単に指示した業務上の成果物だけでは十分とは言えない。日常から隣同士で机を並べて仕事をし、さりげない仕草や言動など、直接のコミュニケーションをとることで垣間見える面というのも、決して無視できないものである。同時に、組織の結束力・チーム力を高める上でも、やはり直接のコミュニケーションが与える影響は大きい。

特に日本では、ノンバーバルなコミュニケーションが全般的に重要視される社会であり、ネットを介した在宅環境では、そういったいわば無形な面で支障が出ることにもつながる。裏返せば、在宅環境を推進したことで、そういった無形な面にどれだけ支障が出るかが未知数であるために、組織力の維持の面での懸念から、企業側として躊躇してしまう面は大いにあると考える。



4つ目は、経営者・社員の個々人の嗜好や都合、保守的な思想である。例えば、夫婦・親子関係が冷え切った人の場合、失礼ながら、今さら在宅勤務にして、ずっと自宅に居たいとは思わなかろう。むしろ、仕事とかこつけて、自宅外に居る時間を長く作りたいのではないか。あるいは、夜の酒飲みが好きな人であれば、仕事上のやむを得ない付き合いと称して、毎晩のように飲み歩き、夜遅くに帰宅する人も居るだろう。在宅勤務になれば、このような行為もしにくくなる。

これらのみならず、スーツをビシッと着て、自宅から遠く離れた勤務地で執務にあたることが美徳、当たり前であるという保守的な価値観を持つならば、特に具体的、詳細な理由が無くとも、今までと大きく変わる在宅環境になるのには何となく抵抗があるという人も少なくないのではないだろうか。



…以上、思い付くままに、在宅勤務・学習が定着しない理由を挙げてみた。他にもあるかもしれないが、次回以降、これらの理由を踏まえ、ではどうすれば良いかという対策について述べたいと思う。
世の中の仕組みを考える(4


前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、在宅勤務・学習が定着しない理由として、4点ほど挙げました。今回は、それらの点を踏まえ、ではどうすれば良いのかについて、掘り下げて考えてみたいと思います。



まず、1つ目として挙げた点、すなわち、業務・学習内容によっては在宅で行うことが困難であるという点について。

これは、ある意味では不可抗力的なことでもあり、決して、全ての業種・学習内容を在宅で行おうという考えでは毛頭無い。しかし、世の中にある業種・学習教科を思い付く限り挙げつらってみると、在宅で行うことが困難なものは、案外少ないとは言えないだろうか。言い換えれば、朝夕のラッシュアワーの混んだ電車に乗って通勤通学している人たちのうち、かなりの割合の人が、実は在宅で仕事や学習を済ませられるのではないか、ということである。

それだけでも、社会的に見れば、少なからぬメリットが生まれるものと思われる。具体的なメリットとしては、通勤通学先であるオフィスや店舗のスペースが不要になることによるコストダウン効果、さらには、通勤通学客が減ることによる交通機関の混雑緩和、個々人の通勤通学の時間・手間のロス解消などが挙げられる。したがって、100%ではないにせよ、可能な限り多くの人たちが仕事・学習を在宅に切り替えるべきではなかろうか。



次に、2つ目のセキュリティ面、すなわち、在宅で仕事や学習を行う際、個人情報や機密情報が無用に外部に漏れるリスクについて。これは、今現在のIT技術を駆使すれば、十分に解決可能な問題ではなかろうか。

例えば、e-tax(税務署への電子申請)やネット通販など、極めて機密性の高い個人情報を取扱う手続きは、今現在でも普通に行うことができる。住基ネットの個人認証カードやクレジットカードの認証システムなど、十分に安全性の高い仕組みが確立しているためだが、それらの仕組みは在宅勤務などにも応用できよう。それにより、ハッカーのようなネット上の悪意ある第三者からの不正アクセスの防止になる。

あるいは、仮に在宅勤務者が悪意を持ち、勤務先の機密情報を漏洩・盗用しようとするケースも考えられる。この場合は、例えば、やや専門的な話になるが、いわゆるシンクライアント的な仕組みを導入すれば良いのではなかろうか。すなわち、在宅勤務中は、各在宅勤務者の自宅PCを、勤務先のサーバが遠隔で適切にコントロールできるようにし、在宅勤務者が意図的に悪意ある操作を行えないように規制・監視する。これも、今現在のIT技術で実現可能なものである。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。



世の中の仕組みを考える(5)

話を続けます。



次に、在宅勤務・学習が定着しない理由の3つ目、すなわち、管理職にとって、直接部下と接することができないと、労務管理の面で支障があることについて。

これも、2つ目と同様、技術的な方法により大部分解決できると考えられる。例えば、オンラインの英会話レッスンなどでは、PCにカメラとマイクを装着し、講師と生徒が双方向でPCに向き合って会話することで、授業が行われる。これと同様に、在宅勤務・学習中は、上司と部下、あるいは教師と生徒とが、PCに向き合い、カメラ・マイクを通じて、適宜コミュニケーションを取れば良いのではなかろうか。

オンラインのチャット形式にすれば、1対1の対話だけでなく、1対多の授業、あるいは多数の出席者による会議なども、この仕組みで行うことはできよう。必要により、お互いのメンバーの様子を画面を切り替えて見ることも可能である。それでも不十分であるならば、例えば週に1回程度は実際に勤務先・学校に出社・登校するようにするなどして、直接のコミュニケーションを取れば良かろう。



最後に、4つ目、経営者・社員の個々人の嗜好や都合、保守的な思想について。

これは、案外ハードルの高いものかもしれないが、企業の経営者、あるいは監督官庁がトップダウンで半ば強制的に在宅勤務を推し進めることにより、打開してゆくことはできよう。最初は、皆が嫌々行っていたとしても、それが定着してゆくことで、徐々にだが、それが当たり前という風土になっていくと考えられる。

その意味では、例えばクールビズの浸透などと同様ではないか。夏の炎天下でも、仕事はネクタイをキュっと締めてするものというのが従来の保守的な考えであったと思われるが、最近は節電の事情も後押ししてか、冷房使用量を抑えるためにも、ノーネクタイの軽装な服装がサラリーマンの世界にも定着しつつある。

夜の席などは、3つ目と同様、週に1回程度の出勤日を設け、その日に飲みにでも行くことにすれば、十分ではなかろうか。それでなくとも、不景気の現状、個々人の懐の事情から、酒飲みの機会は減っているのが実態であり、その点も加味すれば、むしろバランスが取れるように思う。何より、在宅時間が圧倒的に増えることで、家族と接する時間が増え、家族の絆をより一層深めることにつながるのではなかろうか。



…以上、今回は、在宅勤務・学習を定着させてゆくための対策を、思い付く限り挙げ、考察してみた。この他にも、問題点や対策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降は、直近の総選挙、これまでの話なども踏まえ、政治の仕組みについて応用的に考えてみたいと思う。


世の中の仕組みを考える(6)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までに、在宅勤務・ 学習が定着しない理由を4点挙げ、その具体的な対策について述べました。今回 は、前回の最後に予告したように、選挙・政治の仕組みのあり方についても考え てみたいと思います。



去る年末、総選挙が行われ、ご承知の通りであり、概ね事前の世論調査の通りの 結果となった。小生も、もちろん選挙当日に投票会場に出向き、自分の意思を反 映した一票を投じたが、その際、改めて政治の仕組みについて考えさせられた。 今回は、それを記事にしたいと思う。

以前より、インターネット上での選挙活動を解禁することの是非が議論されてき ている。個人的には、インターネット全盛の今の時代にあっては、その解禁には 大いに賛成であり、むしろさっさと実現してほしいとすら思っている。今回改め て思ったのは、そのネット選挙の解禁のみならず、そもそも論で、選挙の投票自 体をオンライン化・電子化できないか、ということである。以下、より詳しく述 べる。



インターネットやIT技術がこれだけ発達、普及している時代である。純粋な技術 的観点からすれば、ネット投票は、特に難しいことでもなかろう。むしろ、投票 会場に有権者が出向き、紙に鉛筆で政党や立候補者の名前を書いて投票箱に入れ、 それを選挙管理委員会が集計するという、旧態依然の仕組みと比べれば、はるか に簡略的、効率的かつ低コストに選挙が行えるのではなかろうか。裏返せば、そ れゆえ、必要により、高頻度に選挙を行えるようにもなる。先日の東京都のダブ ル選挙のように、投票箱が足りないといった無用な心配も無くなる。

PCやインターネットの扱いに慣れていない有権者に対しては、役場などに補助的 に投票会場を用意し、銀行ATMのようなタッチパネル式のディスプレイでも設置 し、必要があれば補助説明員・監視員を傍に配置すれば良かろう。ネットがこれ だけ世の中に普及した現在にあっては、ネットが不得手な人は、特に若年層では それほど多くはなく、主に高齢者が対象になるものと思われる。有権者に占める 高齢者の割合から考えれば、たとえ高齢化社会と言えど、現状のオールアナログ 投票と比べれば、投票会場ははるかに小規模で済む。

もっと言えば、期日前投票の考え方を拡大し、投票日そのものを数日間設け、そ の間の好きなときに投票を行えば良いようにする。自宅PCからオンライン投票す る場合には、夜間や早朝深夜帯でも投票できるようにする。こうすれば、若年層 を中心に、投票率の大幅な向上につながるのではなかろうか。また、投票期間を 数日間設けることで、上述の主にネットに不慣れな高齢者のための投票会場も、 役場の会議室にPC数台と言った環境で十分対処できよう。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ


世の中の仕組みを考える(7)

引き続き、話を続けます。選挙投票の電子化・オンライン化について。



もし、選挙投票の電子化・オンライン化に問題点があるとすれば、不正行為やサ イバー攻撃などのセキュリティ面などではなかろうか。しかし、確定申告などの 重要な役所絡みの事務処理申請ですら、今や電子化・オンライン化されている時 代である。選挙の投票においても、確定申告(e-tax)などと同様、住基ネット カードを使用するなど、十二分なセキュリティ対策、不正防止対策を施せば、技 術的には実用化可能と思われる(とはいえ、無論、近隣某国などからのサイバー 攻撃には、最大限の対処をしなければならないが)。

あるいは、例えば、職場や組合の会館など、集団・組織が集った環境で、上司や 組合幹部など他者の監視の目がある中で、部下や組合員が特定の候補者への投票 を実質的に強要られるといった状況も想定される。それに対しては、例えば会社 や組合などの組織のサーバ・PC上、あるいは携帯・スマートフォンからの投票は 全面的に禁止とし、予め登録した有権者個々人の自宅PC、ならびにその有権者個 人名義で契約したインターネットプロバイダーの回線を通じてのみ投票できるよ うにすれば良いと考える。



もっと言えば、国会や地方の議会もまた、いっそ全面的にオンライン化してはど うであろうか。歴代の政権において、「小さな政府」の実現が課題の一つとして 掲げられてきている。中央から地方への権限・財源移譲という意味だけでなく、 地方の議会、あるいは中央・地方の省庁・役所においてすらも、徹底的に電子化・ オンライン化を追求してはどうだろうか。

例えば、中央も地方も、議会はオンラインでのテレビ会議を原則としてはどうか。 議員は皆、自宅なり個人事務所なりでカメラ・マイク付きのPCに向かい、Skype を用いるようにして、オンラインで議論を行う。その各議員のやりとりの様子は、 自動的に録画され、YouTubeなどのオンライン動画として無条件に公開されるよ うにする。いっそ、政治活動は原則すべて、ネット上で行わなければならない、 もしくは、ネット外で行った政治活動の記録を、必ずネット上のブログなどに事 細かく載せて公開しなければならない、とでも規則化してはどうだろうか。

さらには、役場の仕事なども、デスクワークならば、原則は企業の在宅オフィス と同様、役場職員の自宅で行い、市民からの相談・申請などもまた、原則はオン ラインで行うようにする。



こうすれば、議会や国会議事堂、役場などの施設は、理屈の上では不要、もしく は大幅に小規模化でき、議会や役場の運営コストを大幅に縮小できよう。ただし、 首相官邸や、閣僚向けの議員宿舎くらいは、今のまま残しても良いとは思うが。

何より、全てをオンライン上で行うことにより、やりとりの記録が原則すべて録 画されるため、第三者の監視の目が行き届きやすくなり、機械的なチェックもか けやすくなる。これにより、議会での下らない野次なども飛びにくくなり、汚職 や談合などの不正防止にもつながるのではなかろうか。



…以上、今回は、選挙投票や議会・役場運営などの電子化・オンライン化につい て考察してみた。この他にも、問題点や対策はあるかもしれないが、それらにつ いては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降、より根本的か つ高度な政治の仕組みのあり方、さらには、経済・お金の仕組みについても考え てみたいと思う。


世の中の仕組みを考える(8)


前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までに、選挙投票の電子化・オンライン化について述べました。今回は、前回の最後に予告したように、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、より根本的かつ高度な政治の仕組みのあり方についても考えてみたいと思います。

なお、本記事の論述は、特定の政治思想や政治改革を主張するものでないことは、冒頭に強調的に述べたいと思います。あくまでも、インターネットやIT技術の発展普及により、今までは実現が難しかった新たな政治の仕組みの可能性、選択肢を広げるための考察であることを、予めご理解ください。その考察の上で、本当にその仕組みを導入するか否かについては、この記事を超えて、然るべき政治論争の場において、議論がなされるべきであると考えます。



新たな政治の仕組みに関連して、一つユニークなアイデアを紹介したい。ハンガリーという国に存在する、「インターネット民主党」という政党である。この政党、普通の政党とは異なり、専らインターネットを通じて直接民主主義を実現することを目的に活動しており、その目的以外に、特定の政治思想や政策を持っていないと言う。

あえてこの場で説明する必要も無いかもしれないが、一応記しておく。直接民主主義とは、最も原始的な政治の仕組みであり、国民・市民一人一人が直接、予算執行、政策の決定、またそれらのための政治討論などに参画するものである。従来、自治体や国としての規模が小さい場合に限って、現実的に成立可能であるとされ、逆に規模が大きい場合は、膨大な数の国民・市民が一堂に会して議論を行うことが現実的に困難であるため、実現が難しかった。

我が国をはじめ、世界の民主主義国の大部分で採用されているのが、間接民主主義という仕組みである。すなわち、自治体や国に議会が設けられ、市民・国民から選挙で選出された議員が議会の場において政治に携わるものである。この仕組みにより、世界の多くの国の政治が行われてきているが、議員の汚職や利権誘導が起こりやすい、有権者の政治離れが起きやすい等、デメリットも少なくはない。

それゆえに、直接民主主義への回帰という思想が生まれてきたものと思われる。インターネットやIT技術を活用すれば、膨大な数の市民・国民から一斉に意見を収集し、集計することは原理的に可能であり、それらの利点を最大限に活かして直接民主主義を現代の大規模な自治体・国において実現しようとするのが、上述の政党なのであろう。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ




世の中の仕組みを考える(9)


引き続き、話を続けます。政治の仕組みのあり方について。



上述の政党のような直接民主主義への回帰も一つの方向性ではあろうが、一方で問題点も少なくない。例えば、全有権者が直接政治に参加することになるため、少数意見・少数政党ばかりが多数乱立しやすく、大同小異な意思決定がなされづらいとも言われる。あるいは、首相公選制なども同様であろうが、政治の素人が直接意思決定を行うことで、悪い意味でのいわゆる大衆迎合的な政治に陥りやすいという点も挙げられよう。

そこで、単に直接民主主義/間接民主主義と二極化して考えるのではなく、双方の利点を活かし、欠点を克服した、いわばハイブリッド的な新たな仕組みのあり方について考えてみたい。ここでは、今現在の我が国の政治の仕組みが間接民主主義であることを踏まえ、間接民主主義を議論、考察のベースとし、現状の欠点、問題点を挙げつつ、それを克服する新たな仕組みのあり方について考察する。



現状の政治の仕組みの欠点、問題点を、思い付く限り列挙してみる。:

  ・有権者一人一人が十分に考え抜いて投票していないこと
  ・タレントやスポーツ選手等、知名度が高いだけの人が当選しやすいこと
  ・投票率が全般的に低いこと

  ・汚職、利権誘導が起こりやすく、
   有力者の利益に反する政策が実現しにくいこと
  ・政治活動に多大な費用がかかるため、金銭面で裕福な人でない限り、
   政治家になることが現実的に難しいこと

これらは、我が国のみならず、世界各国においても、ある程度共通する問題であると言えよう。



これらの問題点を克服するべく、既成概念によらず、全くの白紙状態からアイデアを振り絞り、例えば以下のような仕組みを考えてみた。いかがであろうか。:

  ・立候補権(被選挙権)を持つ成人全員が、自由に無料で立候補できる。
  ・立候補者は必ず、自らの政策マニフェストを事細かく掲げ、十分な
   論述を行い、文書にまとめて提出し、審査を受けねばならない。

  ・審査の結果、論述が不十分な者は、その時点で不合格となる。
  ・審査に合格した者全員が、自ら掲げたマニフェストに基づいて、
   公開の場で、政策討論のトーナメント戦を行う。

  ・トーナメント戦の各試合は、以下のように行う。:

    ・立候補者同士が1対1で対戦する。
    ・対戦相手の組合せ、対戦順序等は、ランダムに決定される。
    ・ただし、前回戦の上位者は、いわゆるシード権を持てる。

    ・お互いのマニフェストの妥当性について、事細かく討論する。
    ・相手の掲げたマニフェストの全項目に必ず触れねばならない。

    ・相手を完全に論破するまで、徹底的にひたすら討論を行う。
    ・対戦中の様子は全て録画され、ネット上に必ず公開される。

    ・勝ち負けの判定は、審判役が行う。
    ・判定を行う際には、判定根拠を事細かく挙げねばならない。
    ・判定結果は、判定根拠とともに文書ですべて公開される。

    ・審判役は、裁判と同様の仕組みで選出される。すなわち、
     国民・市民の中から無作為に抽出された判定員(裁判員)、
     専門の国家資格を有する判定官(裁判官)の混合チームから成る。

  ・トーナメント戦で順位が確定した後、上位の一定数に入った者が
   議員としての資格を自動的に得ることができる。
  ・ただし、議員の資格を得た者に対しては、就任後に必ず、定期的に
   有権者による不信任投票が行われるものとする。すなわち、
   本業の能力が十二分でも、素行・品格次第では資格取消しになる。



…以上、今回は、政治の仕組みについて考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降、今回の考察の続き、さらには、経済・お金の仕組みについても考えてみたいと思う。

世の中の仕組みを考える(10)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、前回に引き続き、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、より根本的かつ高度な政治の仕組みのあり方について考えてみたいと思います。



前回、現状の政治上の問題点を踏まえ、既存の選挙の仕組みを大幅に見直した、討論トーナメントという新しい仕組みを提案した。ここでは、その提案に関する補足説明をしたいと思う。



前回の提案は、選挙に関する既成概念を大きく覆すものである。まずは、その点を詳しく解説したい。

既存の仕組みでは、被選挙権を持つ立候補者が、実質的には少なからぬ額の政治資金を費やして、政治活動を行い、その上で有権者に投票により選ばれるというものである。

これでは、金銭に余裕のある者や、タレント・元スポーツ選手など知名度のある者しか実質は立候補、当選できない。また、十分に高いとは言えない投票率、ならびに投票者全員が適切な視点での判断をしているとは言えない等、様々な問題点がある中で、投票結果が決まることにもなるため、当選者の全員が全員、純粋な意味での政治的・弁証的な能力、資質を本当に十分に有しているとは言えない。



これらの問題点を、前回の提案では、全て解決するようにした。即ち、被選挙権を持つ立候補者は、名実ともにほぼ完全に無料で、政治活動と立候補を行うことができる仕組みとした。

これにより、十分な能力ある者が、何ら金銭的負担を負うことなく、プロの政治家になれることになる。また、討論トーナメントにより勝ち進んだ上位者が自動的に当選する仕組みであるため、低い投票率や有権者の判断が必ずしも適切でなくとも、十分に政治的・弁証的な能力を有する者が当選できることになる。裏返せば、それらの能力資質に欠ける者は、たとえ十分な金銭的余裕や知名度、パフォーマンス能力があろうが、当選できないことになる。

ただし、民主主義の原理原則に則るならば、有権者の意志が全く反映されないのは問題があると考えたため、トーナメント戦で勝った者に×を付ける権利、仕組みを別途用意することとした。即ち、トーナメント戦で十分に能力ある者を選抜して取り揃え、「優秀な者がこれだけ揃いました。これでいかがでしょうか?」と、有権者にお伺いを立てる仕組みとも言える。なお、これは、現状の裁判官の信任投票(リストアップされた現職の裁判官に、不適切と思えば×を付けられる投票制度。国政・地方自治体の選挙に付随して行われることが多い)の仕組みを参考したものである。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。



世の中の仕組みを考える(11)
引き続き、話を続けます。次は、政党の概念・意義について。



前回の提案は、政党の概念をも大きく覆すものである。

政党・政治団体とは本来、政策や理念等を同じくする政治家同士が政治活動を組織的に、大規模に行うために結成する組織である。しかし、現状の政党を見ると、大政党ほど、異なる政策マニフェスト・理念を持つ者が集う、いわば野合的な寄り合い所帯の色合いが強く、政党内に派閥や会派が形成され、政党内政党的な状態にすらなっている。あるいは、脱原発の是非など、政策理念がどの政党でも似たり寄ったりであったり、支持率や選挙対策などのために、特定の政策を急に転換するなどの傾向も散見される。これらは、政党の本来の概念、理想論からすれば、大きくかけ離れたものであると言える。

また、既存の選挙では、自分の支持する政党を一つ選ばねばならないが、各政党が掲げる政策すべてに賛同できない場合、有権者がどこかで取捨選択をして投票しなければならない。即ち、政党Aが政策A1とA2を、政党Bが政策B1とB2を掲げていたとして、有権者が政策A1とB2に賛同し、A2とB1に賛同できないという場合、A・Bどちらの政党に投票すれば良いかで迷わざるを得ない。



そこで、これらの問題点を踏まえ、前回提案の仕組みでは、政党についても、本来の概念・理想論は出来るだけそのままに、具体的な結成・運営方法を大きく見直すこととした。それについて、具体的に以下で解説する。

まず、個別の政策マニフェスト(例えば、脱原発/原発推進)ごとに、一つの政党が自動的に立ち上がる仕組みとする。当選した議員は、自ら掲げる政策マニフェストに従って、それに合致する、または最も近いマニフェストの各政党に自動的に振り分けられ、そこに所属することになる。所属政党は一つではなく、議員が自ら掲げる政策マニフェストの個別項目の数だけ、掛け持ちする格好となる。

各政党への議員の振り分けが決まったら、その議員同士で再度、今度はその政党のマニフェストのみを議題にして討論トーナメント戦を行い、全ての議員に順位を付ける。あるいは、議員選出のための討論戦で結果が明白な場合は、そのときの結果を基に順位付けを行っても良い。その順位に沿って、希望順で政党の役職を決めることとする。その上で、各政党には、所属議員の人数規模やそれまでの活動実績に基づいて、政党交付金が審査の上交付される仕組みとする。あるいは、有権者による、各政党への信任投票があっても良い。



このような仕組みとすれば、政策の個々の違い、あるいは逆に政策の類似を理由として、選ぶ政党に有権者が悩むことは無くなる。また、政党交付金も、単に人数規模だけでなく、活動実績を踏まえて厳正に審査されることにより、政党としての適切な活動を十分に行っていない政党には、交付金が出ないというペナルティが課されることになる。

政党の結成、所属を、議員の能動的な意志で行うのではなく、あえて自動的に行われる仕組みにするという、いわば逆転の発想をしている点が、ここでの大きな特徴であると言える。



…以上、今回も、政治の仕組みについて考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降、今回の考察の続き、さらには、経済・お金の仕組みについても考えてみたいと思う。
世の中の仕組みを考える(12)


前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、前回に引き続き、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、より根本的かつ高度な政治の仕組みのあり方について考えてみたいと思います。



前々号で、現状の政治上の問題点を踏まえ、既存の選挙の仕組みを大幅に見直した、討論トーナメントという新しい仕組みを提案した。ここでは、前回に引き続き、その提案に関する補足説明を続けたいと思う。ここでは特に、討論トーナメントの意義について、現状の選挙運動との違いという観点から述べる。



現状の選挙制度においては、言うまでも無く、立候補者は、選挙前になると、街宣車で選挙区を回ったり、駅前などで遊説したりと、自己の存在やマニフェストのアピール、場合によっては敵陣営のネガティブキャンペーン的な演説も行うのが通例である。選挙直前ともなると、各立候補者とも、声を枯らし、ヘトヘトになるまで演説や有権者への握手回りに尽力している光景を頻繁に見かける。

これらの立候補者の努力は、現状の選挙制度の下では、一定の評価はもちろんされるべきではあろうが、政治家の本業、すなわち議会での議論や立法という観点からすると、その期間は、専ら有権者へのアピールという行為に多大な時間と手間、コストを投じているため、本業を殆ど行えていないことになる。今の選挙制度の下では仕方のないことではあろうが、考え方によっては、本業からの乖離と言う意味で、猛烈に無駄な期間であるとは言えないだろうか。

また、既述のように、その期間の有権者アピールに多大なコストを要するため、一定の財力や知名度を有する者しか実質的に立候補できない現状がある。



前々号で提案した討論トーナメントという仕組みは、それらの点を抜本的に改善する意味でもある。それについて、以下で詳しく解説したい。

当提案の仕組みにおいては、政治家になるためには、多大な費用をかけて有権者へのアピール合戦をする必要はなく、立候補者同士の討論での勝敗結果のみで決まることになる。その討論とは、まさに政治家の本業、すなわち議会での議論やそれを踏まえた立法に直結する行為そのものである。つまり、政治家として選ばれるために行う行為が、政治家になった後に行うべき行為そのものになる。選挙運動という概念は、その中には全く含まれない。その意味でも、現状の選挙制度と比べ、かなり抜本的に異なる仕組みであると言えよう。

立候補者間の競争が激しいほど、討論トーナメントにおける議論は、より白熱した、中身の濃いものとなる。それゆえ、そこでの討論から生まれる結論、知見はより価値の高いものとなる。すなわち、討論トーナメントは、政治家=議員を単に選出するだけでなく、本業=議会での議論・立法での成果をも同時に生み出す、一石二鳥的な仕組みである、ということである。

裏返せば、討論トーナメントが終わった時点で、議員が選出されるだけでなく、既に本業の議会での議論・立法もある程度は進んでいることになるため、現状の仕組みで言えば、選挙期間においても、本業=議会での議論・立法という行為を継続的に進められるという大きなメリットがある。ここが、当提案のアピールポイントの一つでもある。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。




世の中の仕組みを考える(13)


引き続き、討論トーナメントの意義について、話を続けます。



現状の選挙運動、すなわち各立候補者による有権者へのアピール行為を、立候補者同士の討論トーナメントという仕組みに変えたとすると、有権者へのアピールを行う時期が全く無くなってしまうことにもなる。それはそれで問題ではないのかという指摘も当然あろう。その点も、当提案では、考慮している。



一旦話は逸れるが、ここ最近、インターネットを用いた選挙運動の解禁の動きがある。今後、解禁が実現し、ネット上での選挙運動が広く普及してゆけば、極論すれば、選挙運動はほぼ全て、ネット上で行うことも不可能では無くなる。そうなれば、現状の街宣車や運動員を動員しての選挙区遊説という行為の意義は薄れることになり、ひいては、立候補のために投じる時間や手間、何よりコストは、より少ないもので済むことにも繋がるのではないだろうか。

ここで話を戻すが、ならばいっそ、現状のような街宣車や運動員を動員しての遊説といった選挙運動という行為は、全面的に禁止にしてはどうかと考える。少なくとも、本提案の討論トーナメントという仕組みの下では、そのような選挙運動行為はあまり意味をなさない。それどころか、余計な行為に時間や手間(、コスト)を投じることになり、討論トーナメントの質が落ちるという懸念もある。その意味でも、少なくとも当提案においては、現状のような選挙運動は全面禁止とすることを前提としたい。



その代わりに、立候補者が、現状で言えば政見放送のような、同一公平な形で、ネット上にて有権者へのアピールを行う。それが、当提案の仕組みにおける、唯一の選挙運動的なものに相当する。アピールの形を画一化、同一化することにより、立候補者間のマニフェストや活動実績、討論トーナメントの勝敗などの違いを有権者は比較しやすくなる。これにより、討論トーナメント後の信任投票(これも前々号で提案した仕組みである)を有権者がしやすくなり、ひいては選出された全議員のクリーン、透明な政治活動の実現にもつながると考えられる。

なお、選挙運動とは別に、現状の各議員のいわゆる政治活動、すなわち選挙区内で有権者、支持者と対話したり、政治的な要望を聞い入れたりするなどの行為は、当提案の仕組みにおいても、引き続き継続するものとする。なぜなら、それらの行為は、政治家、議員としてのマニフェスト作成に不可欠なステップでもあり、また議会制民主主義の根幹に相当する部分でもあると考えるためである。ただし、討論トーナメントの期間中は、討論に専ら注力してもらうために、それらの政治活動の行為も全面禁止とすべきであろう。



…以上、今回も、政治の仕組みについて考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降、今回の考察の続き、さらには、経済・お金の仕組みについても考えてみたいと思う。


世の中の仕組みを考える(14)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までに、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、より根本的かつ高度な政治の仕組みのあり方について考えてきました。今回から、経済・お金の仕組みについて考えてみたいと思います。



近年のIT技術の進歩を背景に、電子マネーの普及が進んでいる。例えば、電車に乗る際には、SuicaやPasmoといったICカードを購入し、それに料金をチャージして使うことが多い。これらのICカードは、電車の改札口のみならず、いわゆるエキナカの店舗、あるいは町中の店舗のレジで品物を購入する際にも使うことができ、非常に便利である。

各業界、各社様々な仕様のカードが登場しており、この店舗・電車ではこのカードしか使えない等の不便さはややあるものの、SuicaとICOCA、Kitaka等、異なる地域のICカードの相互利用も進んでおり、やがては限りなく単一の種類のカードで全ての買い物や交通機関の利用ができるようになると予想される。

他にも、高速道路を利用する際には、ETCを車に設置して、料金を自動で引き落としにする形態がかなり普及してきたし、ガス・電気・水道などの公共料金も、毎月自動的に銀行口座から引き落とす方式になっている。さらに、クレジットカードがあれば、インターネットでの買い物も容易にできる。

このように考えると、世の中、我々の身の回りでは、実際の現金を用いること無く、いわゆる電子マネーのみで日常生活を送ることが現実に可能になってきた。今回は、この点を背景、前提として、話を進めたいと思う。



ここまで電子マネーが普及してくると、逆に現金を直接取り扱う機会の方が稀という方も少なくないのではなかろうか。それならば、いっそ、政府の政策として、実際の現金(紙幣、通貨)の流通を原則として止め、電子マネーのみで国内の経済を運用する方式に移行してはどうであろうか。

ただし、紙幣や通貨を完全に廃止するのではなく、ごく一部に例外的には残すこととし、大規模な停電や金融システムダウンなどの万が一のトラブルに備えるとともに、国際的な経済面でのやりとりにも対処できるようにするものとする。

今の世の中に流通しているICカードやクレジットカード、キャッシュカード類は、政府の政策として、できる限り全てが相互利用できるようにし、すべての国民の金銭の支払いは、原則そのカード類のいずれかで行うようにする。ただし、カードやパスワードの盗難、不正利用などの犯罪・トラブルを防止するため、指紋認証などのセキュリティ対策は十二分に行っておくものとする。

こうすることで、造幣局等で行われている紙幣や通貨の製造は原則として不要になる。加えて、役所や店舗等での金銭の支払いも、現金の取扱いが原則廃止されることで、システム・業務フローが簡素化される。それらの面で、行政や企業のコストを大幅に削減でき、世の中全般において、大きなメリットが生じると考えられる。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。



世の中の仕組みを考える(15)


引き続き、IT技術を前提とした経済・お金の仕組みについて、話を続けます。



現金の流通を原則止め、ほぼすべてを電子マネー化することで、企業側には他にもメリットが考えられる。実際の現金を取り扱わなくなることで、顧客の側の「何円使った、かかった」という金銭感覚が緩むことで、顧客の購買意欲を促進することになる。ひいては、世の中の経済の活性化にも少なからずつながると期待される(もちろん、それで、いわゆるカード破産のような事態が多発しては元も子もないが、適度な範囲であれば、プラスの面が大きいと思われる)。

役所や企業側のみならず、客の側にもメリットは少なからず生じるものと思われる。まず、金銭の管理がすべて電子化されることになり、財布の中に紙幣や小銭をいちいち入れておく必要が原則無くなる。うっかり銀行でお金を降ろし忘れ、財布を開けたらお金が足りない、といったリスクは原則無くなる。さらに、電車の切符を買ったり、スーパーのレジで小銭や紙幣をチャリンチャリンといちいち入れる手間、時間が節約できる。

さらに、これは企業側・顧客側双方のメリットとして挙げられることだが、原則すべてが電子マネー化されることで、料金の区分もよりきめ細かく設定することができる。例えば、電車の運賃は10円単位であり、通年固定の金額だが、これを1円単位にしたり、時期や時間帯によって値段を変動させることもできるようになる。こうすることで、企業側にとっては、より競争力のある商品値付けが柔軟にできる一方、顧客側にとっても、実質的な値下げによる節約効果も生まれることになる。



加えて、例えば前回まで述べてきた政治の世界などにも、間接的に良い影響が生じると期待される。なぜなら、金銭のやりとりが原則すべて電子化されることで、不正な金銭の授受を探知・防止することができ、汚職の防止にも間接的ながら一役買うことにつながるからである。

なお、それでも、物品の授受や飲食接待などを探知・防止するのは難しいかもしれないが、それらについては別途、例えば物品には原則位置検知機能を搭載したタグを貼付したり、飲食店の店頭への監視カメラの設置義務化などの推進により対処することが考えられる(これらの考察の詳細は、別の機会に回したい)。



…以上、今回は、経済・お金の仕組みについて考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降は、IT化によるペーパレス化等についても考えてみたいと思う。


世の中の仕組みを考える(16)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、経済・お金の仕組みについて考えてきました。今回は、ペーパレス化について考えてみたいと思います。



既に、ペーパレス化という言葉が世に出て久しい。IT技術、ネットの普及とともに、文書や書籍、論文などの電子化が飛躍的に進み、仕事でもプライベートでも、紙と接する機会がめっきり減ったことは、誰しも否定しないであろう。実際、小生は以前と比べて、紙の本をめっきり買わなくなったし、ノートも使わなくなった。たまたま先日、今も細々と続けている前職で取組んだテーマの研究の必要があって、ノートを100円ショップで購入したが、レジで購入するとき、自宅に持ち帰って使い始めるとき、不思議と懐かしい感覚を覚えたほどである。

今さら小生が述べるまでもなく、地球環境保護という観点からも、紙の資源を節約することには、大きな意義がある。のみならず、人間の無駄な作業労働の軽減、削減という意味でも、ペーパレス化には大きな意義があると以前から考えている。



とはいえ、安易に現状を手放しに喜ぶことは、まだできないとも考えている。確かに、一昔前(例えば20〜30年前)と比べて、紙との接点は誰しも減っているであろうが、逆に電子化が進んで、紙の消費が増えているのではないか、との指摘も一部にはある。例えば、ITの専門家が、このようなことを述べている。

IT化・電子化が進むとともに、プリンターの技術が進歩・普及したことで、電子文書をじゃんじゃん印刷できるようになった。その結果、せっかく電子化された文書を、片っ端から紙に印刷する人が居る、というのである。これは、言うまでも無く、せっかくの電子文書化が台無しであり、かえって逆効果であるとも言えよう。

上述のサイトでも指摘されているように、クリエイティブな仕事をする人にとっては、思考を進めるためには、紙に出さないと、書かないとダメ、ということは、小生の狭い見聞からしても、確かに同意はできる。そこは、百歩譲って、ある程度はやむを得ないとは思う(それでも、仕事の仕方を見直す意義はあろうが)。

だが、自分の前職での経験からすれば、単なる事務手続き的な業務の上でも、わざわざ電子文書をじゃんじゃん紙に印刷している風潮があった。世の中の仕事のうちでクリエイティブな仕事と言える業種・業務というのは、それほど多くは無いように思うし、単なる事務処理的な仕事に、未だ紙をじゃんじゃん消費しているところは、まだまだ探せば少なくないと考えている。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ




世の中の仕組みを考える(17)


引き続き、IT技術を前提としたペーパレス化について、話を続けます。



単なる事務処理的なものに、未だ紙をじゃんじゃん消費しているところ。それを具体的に、以下で挙げてみたいと思う。



まず、仕事ではないが、役所や銀行等での手続きが典型的な例ではなかろうか。

引っ越しに伴う住民票の変更手続き、確定申告などの税金関係の手続き(e-taxで出来る部分を除く)、クレジットカードの入会、etc…。役所や銀行で何らかの手続きをするには、ほぼ必ず、紙の書類に手書きで記入し、押印をしなければならない。ここは、真っ先に見直すべきではなかろうか。

十二分なセキュリティが確保されているという条件付きで、ではあるが、それらの手続きは、e-taxのように、インターネットを通じて、自宅のPCからオンラインで行うことは、今の技術をもってすれば、決して難しくはなかろう。印鑑についても、指紋認証や、タッチペンを用いた直筆署名の画像認証などで、十分代用できよう(そもそも、印鑑自体、日本固有の慣習であり、偽造が容易にできる点で難があるように思われる)。



2点目は、店舗等で受領するレシートや領収証の類である。

確定申告に関しては、e-taxが普及しているものの、結局後からレシート類の束をまとめて証拠として税務署に提出しなければならない。その点で、完全な意味での電子化・ペーパレス化とはまだ言い難い。また、我が家の家計簿を日々つけているが、紙のレシートから文字を手作業で読み取り、PCの家計簿ソフトやExcelに入力しなければならず、IT化が進んだ今の時代にあっては、家事の中で最も無駄な作業の一つではなかろうか。

最近でこそ、家計簿ソフトも進化し、PCやスマートフォンのマイクに向けて音声でレシートを読み上げると文字・数字データに変換してくれるものや、レシートをカメラ撮影すると、画像から文字を自動認識して変換してくれるものもある。

だが、そもそも論として、未だ買い物の度に紙のレシート・領収証・明細書等の受け渡しがあること自体、見直し対象ではないかと考える。例えば、前回述べたSuicaなどの電子マネーを用いて、コンビニで買い物をしても、当たり前のように紙のレシートを渡されるが、よく考えてみれば、これもある意味では本末転倒ではなかろうか。前回提言したように、国の政策として、電子マネー化を徹底するとともに、紙のレシート類の削減・廃止をも徹底すべきではないかと思う。



そして、最後の3点目として、企業などでの社内業務のあり方を述べる。

小生の前職での経験を例に挙げたいと思う。予算申請などの際、幹部クラスに資料を携えて説明をし、了承を得て決済をもらわねばならない。社内システム上は、電子決済ができる仕組みに一応なっているものの、幹部社員の方針により、わざわざ決済書面を紙に印字して提出し、赤鉛筆でサインを入れてもらう必要があった。さらに、その前段での説明資料も、すべてフルカラーで紙に印字していて、A3なりA4サイズの紙にコンパクトにピッタリと説明内容が収まるよう、時間と手間をかけて、Power Pointで資料を作っていた。

今思えば、相当な無駄であったように思う。小生の前職ほどのお役所的な企業は少数派かもしれないが、多くの日本の企業では、このような仕事の仕方がある程度は残っているのではなかろうかと思う。言うまでも無く、見直し対象であろう。



…以上、今回は、ペーパレス化について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降は、やや話が大きくなるかもしれないが、防災・国防の観点から世の中の仕組みを考えてみたいと思う。
世の中の仕組みを考える(18)
前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、インターネットやIT技術の普及を大前提としての、ペーパレス化について考えました。今回は、やや大げさですが、防災・国防の観点から世の中の仕組みを考えてみたいと思いま す。



東日本大震災から丸2年が過ぎた。被災地の復興も十分進まない一方で、東海・東南海・南海での巨大地震、あるいは首都直下地震などの大災害のリスクが改めて注目されている。一方で、近隣諸国からの領海侵入などが相次ぎ、国防の強化が喫緊の課題ともなっている。そこで今回は、これらの大きな課題を最優先に、その他の時事的な話題、問題なども踏まえ、特に我が国のインフラ整備をテーマとして、考察を行いたいと思う。



「日本列島改造論」という言葉をご存じであろうか。今から40年も前に、当時の有力政治家・田中角栄氏が展開した持論であり、書籍名でもある。日本中に新幹線や高速道路などを張り巡らし、日本の国土を大々的に造りかえ、さらなる発展につなげようという思想、構想であり、当時の昭和40年代中頃、高度成長期直後の日本において、大いに支持された。

しかしその後、オイルショックなどを経て、当初の計画、構想通りには交通インフラの整備は進まず、また実際に整備しても期待した経済効果などが出ないなどの結果にもなり、田中氏が政治の表舞台から去るとともに、段々と世間から忘れ去られて行き、今日に至っている。

とはいえ、我が国の国土全体のインフラ整備、再構築という観点に立った場合、当時と今とで、時代背景などはある程度異なるにせよ、この列島改造論は一つの大きなヒント、前例になるものではあると考えている。ゆえに本記事では、この列島改造論をベースにして、同論以降の世の中の動向や新たな視点を付け加えることによって、これからのインフラ整備について考えることにする。



まず、同論が当初の期待と異なる結果になった点についてまとめてみたい。

一つには、いわゆるストロー効果が挙げられよう。すなわち、大都市と中小都市との間に高速道路や新幹線などが新たに開通した場合、観光客など、大都市から中小都市への旅客流動が増える一方、大都市から通いやすくなることで、企業の支店などが中小都市から撤退してしまうことなどにより、中小都市側に負の経済効果や居住人口減を招き、一方で大都市側への一極集中を招く、という現象のことである。また、二つ目として、同論をダシにして、利権主導型の政治家による、地元選挙区への我田引水的な交通インフラの誘致合戦につながってしまった点が挙げられる。

これら二つの点により、当初期待された経済発展とは異なる結果を招き、結局は地元の土建屋と政治家の懐が潤うばかりという結果になったように考えられる。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ




世の中の仕組みを考える(19)


引き続き、インフラ整備について、話を続けます。



次に、同論が唱えられた当時と今とでの時代背景の違いについてまとめる。

1点目として、当時は高度成長期の直後であり、まだまだ右肩上がりの時代であったが、今は少子高齢化が進み、生産年齢人口のみならず日本の人口そのものが減少する時代になっていることが挙げられる。2点目として、今の時代は、当時以上に近隣諸国を意識しての国防が当時以上に必須である点が挙げられる。また、3点目以降としては、環境への配慮が当時以上に重視されるようになったこと、建設したインフラのメンテナンス、特に老朽化への対処が必須であること、インフラというハードの整備のみならずソフト面での対策も重視されてきたこと等が挙げられよう。

以上のまとめを踏まえて、独自の視点、アイデアを交え、いわば新たな列島改造論という位置付けで、提言をしてゆきたいと思う。



提言の一つ目として、上述のソフト面での対策について、具体的に論じてみたい。

これまで、同論なども含め、様々な理由、経緯から全国に高速道路、新幹線、空港と言った交通インフラが整備されてきた。開通後、経済効果などの面で大いに役立っているものもある一方、利用率が閑古鳥で、大赤字の経営が続いているものも少なくない。あるいは、例えば大都市部の道路や鉄道などでも、朝夕のラッシュアワーの混雑・渋滞が特に激しいが、よくよく見ると、混雑・渋滞しているのは常に片方向だけであり(朝:郊外→都心、夕:都心→郊外)、反対方向はガラガラということが多い。こう見ると、日本全国で、部分的・一時的にでも輸送力を持て余している交通インフラはかなり多いと言える。

これらのインフラは、既存の人の流れや人口分布などをありきとして、それに合わせる形で整備されてきたが、その考え方をあえて逆転させてみる価値はあるよように考える。すなわち、既存のインフラの余力に合わせて、逆に人の流れや人口分布などを変える、という発想である。もちろん、今の民主主義の我が国において、国民の居住地を強制的に変えさせるなどの策を採ることは困難ではある。だが、国策として、個人・法人の地方・郊外への移住・移転を促すための様々な奨励策を打つことで、かなりの効果が見込めるのではないかと考えている。

それにより、人口が日本全国に適度に分散することになり、既存の交通インフラの利用率・収益性が改善する一方、極端な過疎地域を広範囲に作らずに済むため、国防・国益という観点から見ても望ましい状態になると考える。とりわけ、首都直下地震や東海地震などのリスクを踏まえると、現状の東京一極集中は決して望ましい状態であるとは言えず、大阪を副首都にするなど、首都機能の分散移転も国策として強力に進め、同時にあの手この手で東京から人を減らす努力が必要であると考える。



…以上、今回は、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降も、引き続き今回の考察を続けてみたいと思う。
世の中の仕組みを考える(20)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。



前回、インフラ整備に関するソフト面の施策として、既存の人口分布や旅客流動に合わせて交通インフラを整備するという従来の方式に加え、逆の発想で、既存の交通インフラの余力に合わせて、人口分布や旅客流動を変えることの必要性を提言した。今回は、ハード面の施策として、インフラ整備そのもののあり方、考え方についても述べたいと思う。

今、日本は人口減少時代に突入している。大都市の一部では人口増が局地的に続いてはいるものの、地方部なども併せれば、日本の人口はトータルで減少の一途を辿っている。人口減少それ自体、ある意味では憂慮すべき事態ではあるが、今回はそれ自体の言及は本題から外れるので割愛させていただき、人口減少をありきとした上での、これからの時代のインフラ整備のあり方を考えてみたい。



インフラ整備に関する根本思想の一つとして、「建主改従」という考え方がある。一方、その対極の思想として、「改主建従」という考え方がある。すなわち、前者は、既存のインフラの改良よりも、新規のインフラ建設に力を入れようという意味であり、後者はその逆の意味になる。

これまで、我が国のインフラ整備は、前者の建主改従の思想で行われてきたと言える。昭和の右肩上がりの時代には、その思想が合致していたとは思うが、高度成長期からもだいぶ経ち、人口減少に突入した今の時代にあっては、むしろ後者の改主建従の思想に軌道修正することが適切ではなかろうか。

もっと言えば、改主建従をさらに拡大解釈して、既存のインフラも重要度の低いものは、自然環境その他の要因にも配慮して、廃する、壊すこともまた選択肢ではないかとさえ考える次第である。実際、最近では、古くなった砂防ダムなどを、環境に配慮して、あえて壊すところも出てきている。あるいは、富山市などのように、山間部などの小規模集落の住民に平野の都市部に移り住むよう促し、人口分布を都市部に固める、コンパクトシティという施策を行うところも出てきている。

このような取組みを、既存の道路や線路、空港などの交通インフラにも全国的にある程度ダイナミックに適用してゆくべきではないかと考える。いわば、コンパクトシティならぬ、コンパクトカントリー、コンパクトネットワークとでも言うべきものである。すなわち、山間部などの人工過疎地域のインフラは政策的に廃し、ある程度の人口集積地、太い動脈になっているインフラのみ残す。ただ不要なものを切るだけでなく、残すべき基幹のインフラは、改良を重ねて、機能性をアップさせたり、大規模な改造補強を行うことも必要であろう(例えば、高速道路や鉄道の曲がりくねったルートを直線化したり、容量を増やしたり、災害等に備えてルートを二重系化するなど)。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(21)


引き続き、インフラ整備について、話を続けます。



次に、今述べたインフラの再編のあり方に関する考察とセットになるものとして、再度ソフト面の話に戻る格好になるが、インフラ管理・運営のあり方についても考えてみたい。これは、改めて国防という観点から見ても、非常に重要なことである。



1ヶ月ほど前になるが、米国資本サーベラス社による、関東の大手私鉄・西武鉄道の敵対的買収というニュースがあったと思う。創業家である堤家による経営面での不祥事により西武鉄道は株式上場を廃止され、堤家を排除した上で経営再建を進める中、資金繰りのためにサーベラス社の支援を受けていたが、経営が持ち直した最近になり、サーベラス社が西武鉄道の経営に執拗に口を挟むようになってきた。とりわけ、株式の再上場に向けて、株価を少しでも高くするため、不採算な路線の廃止やプロ野球球団売却などを行うよう圧力があったと言われる。

同鉄道の現経営陣には、路線廃止や球団売却などの意図は全く無く、経営が持ち直している中で、利益追求だけのために公共性、地域密着性の高い交通機関や球団を売却することに、世間から猛反発が巻き起こり、慌てたサーベラス社は事実上その意向を撤回する格好となった。これで、少なくとも当面は、路線廃止や球団売却の可能性は非常に低くなったと言え、その意味で安泰ではあろう。



しかし、今回の騒動を契機に、改めてインフラの管理運営について、大きな課題が浮き彫りになったと個人的には考えている。すなわち、いかなる理由があれど、我が国の動脈に相当する交通インフラの所有・経営を、海外資本に事実上乗っ取られるような事態は、国防上非常にマズいのではなかろうか。今回のような米国資本であれば、日米同盟の前提で考えればまだしも、例えば中国や韓国などの資本による、我が国の鉄道や道路、空港の所有経営の乗っ取りという事態がもし仮に起こったとすれば、それは非常に由々しき事態であると言えないだろうか。

あくまで一つの提言、選択肢に過ぎないが、そのような憂慮すべき事態を防ぐためにも、またたとえ国内資本による所有管理であっても、赤字であるからと言って、簡単に国土ネットワーク形成上重要な路線を廃止するなどのリスクを生じさせないためにも、線路や道路、空港などのインフラは、実質的にでも国や自治体が所有管理し、その運営のみ民間資本に委託する形にした方が良いのではないかと思う。これは、いわゆる上下分離、または公設民営と言って、国内の一部の鉄道路線などで実際に行われている運営形態である。

路線廃止のリスクと言うと、先に述べた、インフラ網の再編の話と矛盾するように聞こえるかもしれない。その点をこの場で補足するが、ここで廃止のリスクを考えているのは、先に述べたコンパクトカントリー、コンパクトネットワークの方針に則って再編した後の、主要な基幹インフラのことである。一般にインフラの整備運営には莫大なコストがかかる。国策上不可欠な基幹インフラであっても、採算的に見れば(少なくとも現段階では)赤字ということもある。そのような箇所を、赤字を理由に簡単に廃することは得策では無く、そのための対策が必要である、ということである。



…以上、今回も、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降も、引き続き今回の考察を続けてみたいと思う。
世の中の仕組みを考える(22)


前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。



前回、インフラ整備に関する「改主建従」の思想、ならびに、海外資本による国内のインフラ乗っ取りのリスクについて述べた。今回は、それらの点も踏まえつつ、特にインフラ整備の際の、インフラそれ自体の内部構造的な仕組みのあり方について考えてみたいと思う。



昨年末、中央自動車道の笹子トンネルにおいて、天井板が崩落し、多数の犠牲者を出すという、大変痛ましい事故が起きたことは、記憶に新しい。事故後の現場検証や原因究明の結果、同トンネルは、完成から数十年が経って老朽化が進んでいた上、建設時に手抜き工事が行われていたこと(接着剤の不十分な充填)が崩落の原因であったとされる。この事故を受け、奇しくも同時期に発足した自民安倍政権では、全国の老朽化したインフラの大改修を公共工事の一環として進めてゆく考えを表明した。

それ以前からも、首都直下大地震のリスクに備え、老朽化した首都高速を全面的に地下方式で作り直す構想が出されたし、何より、一昨年の3・11の東日本大震災での大津波被害を受け、護岸工事などの既存のインフラ整備の方式での津波対策の限界が露呈していた。これらの点、ならびに前回述べた人口減少時代におけるインフラ網のスリム化などの視点も踏まえると、我が国のインフラ整備のあり方について、内部構造的な面からも、改めて根本的に考え直す必要があるのではないか、と小生は考えている。



では、インフラを内部構造的な面で、具体的にどのような形で整備すれば良いのであろうか。あくまで一つの考え方として、ではあるが、小生は、古代のエジプトやローマのピラミッド、道路などを参考にしてはどうか、と考えている。

ご承知のように、エジプトには、今から数千年も前に築かれたピラミッドが今も存在する。また、イタリアには、やはり同様に数千年も前、古代ローマ帝国時代に築かれた、ローマから放射状に伸びる石の道路が現存している。これらは、数千年も経った今現在もなお、表面こそ風化して凸凹があるものの、内部や地面下の部分は、未だに建設当時の構造がほぼ無傷で維持されている。この間、現代の道路や線路などのインフラと違い、特別なメンテナンスが絶えず行われてきたわけではない。

加えて、特にエジプトのピラミッドは、歴史上少なくとも3回程度は大地震に見舞われたという。しかし、それでもビクともせず、今に至るまでその形を維持している。

これらの古代のピラミッドや道路は、いわば、限りなくメンテナンスフリーで、かつ耐震性に極めて優れた構造になっている、と言えないだろうか。建造された当時、明示的にメンテナンスフリー、耐震性という設計思想で作られたかどうかは不明だが、少なくとも結果的にメンテナンスフリーかつ耐震性の高い構造物になった、とは言えると思う。現代の土木構造物、機械装置などでは、メンテナンスフリーな設計という考え方が普及してきたのは比較的最近のことである。また、建物の耐震強度が、震度6強の揺れにも十分耐えうるよう法的に義務化されたのも、ここ30年ほどのことである。そのように考えるならば、これら古代の構造物のメンテナンスフリーな性質や耐震性の高さは、実に驚くべきことではないか。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。
世の中の仕組みを考える(23)


引き続き、インフラ整備について、話を続けます。



このような、古代のピラミッド、道路のようなメンテナンスフリーな性質、高い耐震性の高さを、今後の我が国のインフラ構築、改良に反映させられないだろうかと思う。これら2つの性質とも、現状の我が国のインフラには、まだまだ不十分であるように考えているためである。

意外と知られていないかもしれないが、上で例に挙げた古代エジプトのピラミッド、古代ローマの道路とも、地面下には極めて頑丈な基礎が築かれている。砂や砂利、石のブロックなどが地下何層にも分厚く重ねられ、その上にピラミッドなり道路が構築されている。

これにより、整地した地面に直接アスファルトを敷設する現代の道路と比べ、地盤沈下が起こりにくい上、砂や砂利、ブロック同士がこすれ合わさることで、地震のエネルギーを摩擦で消散させられるため、上部の道路やピラミッドに伝わる揺れをかなり軽減できる構造になっている。言うまでもなく、地盤沈下が起こりにくく、揺れも軽減できるということは、裏返せば、その分、メンテナンスフリーであり、耐震性にも優れていると言える。



無論、現代の道路などのインフラも、地面下の基礎に砂利を敷くなど、ある程度の地盤沈下対策、耐震性の確保はなされてはいる。だが、例えば線路や道路の高架橋などは、十分な大きさの地震の揺れに耐えうる強度にはなっているものの、悪く言うなら、ただ頑丈なだけであり、制震や免震の機構が備わっているわけではない。

したがって、激しい揺れに襲われた場合、高架橋そのものは倒壊せずに揺れに耐えうるであろうが、揺れが上部にそのまま伝わるため、上部を走行している新幹線なり車に揺れが直に伝わることになる。新幹線などは、地震の初期微動を感知して、緊急ブレーキをかけるシステムが稼働してはいるものの、走行速度によっては、列車が完全停止する前に揺れが襲ってくる可能性もある。実際、2004年の新潟中越地震では、走行中の新幹線が脱線し、あわや大惨事という事態が起きた。対策として、車両や線路への脱線防止ガードレールの設置が進められているが、脱線しても線路から大きく逸脱しないようにするだけで、脱線そのものを完全に防止できるわけではない。

よって、例えば、断層が大きくずれて高架橋上に大きな段差が出来たり、道路の路面が大きく陥没するような事態があるわけで、その点で大惨事の可能性はゼロではない。このようなリスクを踏まえるならば、道路や線路のインフラは、制震・免震の機構を十分に備えた、古代のピラミッド・道路と同様な、より重厚長大な構造で作り直すべきではないかと思う。



…以上、今回も、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降も、引き続き今回の考察を続けてみたいと思う。
世の中の仕組みを考える(24)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。

前回、未曾有の大震災などに備えるためにも、古代のピラミッドなどの建築技術を参考に、より重厚長大な構造のインフラを整備してゆくべきであると述べた。今回は、そのような重厚長大な構造のインフラを、具体的にどのような形で整備してゆけば良いかについて述べる。

ここでの具体的な仕組みとは、一言で言えば、実に単純明快なものである。即ち、インフラの基礎として、砂利をとにかく分厚く敷くというものである。砂利を一定の厚みだけ敷くことで、土の地面に直接建造物を建てる場合と比べ、地面が締め固められ、より強固な土台となる。このような仕組みそれ自体は、鉄道の線路や家屋の土台地下などで普通に用いられてはいるが、ここで提案する方式は、そのような通常の砂利の土台層よりもはるかに厚みのある層を、インフラ敷地の地面全体に敷くというものである。

この方式により、砂利同士が噛み合い、こすれ合わさることで、地震の揺れを大幅に軽減することができる。言い換えれば、免震・制震の機能を備えているのである。実際、このような方式により、どれほど上部の建物の揺れを軽減できるかを実証したデータも存在する(→参考サイト)。また、砂利同士が噛み合うことですき間が沢山できるため、透水性が高く、夏のゲリラ豪雨、台風による大雨などの際、家屋に浸水しにくくなるというメリットも挙げられる。

さらに、砂利をただ分厚く敷くだけというシンプルな方法であるため、いったん敷いた後は原則としてメンテナンスフリーである。通常の免震・制震装置は、立派な機械装置であり、当然ながら定期的なメンテナンス、部品交換などが必須となるため、初期コストのみならず、完成後の運営維持コストも馬鹿にならない。しかし、本方式ならば、そのような維持コストは殆どかからない。強いて言えば、分厚い砂利の層が極めて長い時間をかけて地盤沈下を起こした際に、沈んだ分だけ薄く砂利の層を上面に追加するだけで済む。一石三鳥であると言える。

1995年1月に発生した阪神・淡路大震災では、後の調査により、局地的に地盤の弱い箇所に被害が集中していたことが判明している。そのような地盤の弱い場所には、特にピンポイントで分厚く砂利を敷き詰める本方式を採っておけば、大地震の揺れによる被害を大幅に軽減できたのではないかと考えられる。

もっと言えば、関東平野は、関東ローム層という土の層に形成されているが、全体的に地盤は弱く、過日のとある報道番組に出演した地震対策の専門家によれば、関東平野全体がプリンの上に載っているようなイメージである、とのことであった。ならば、広大な関東全域を、分厚い石の層で覆い尽くすほどの取組みをすべきではないだろうか。無論、今から一からスタートするならば、膨大な時間、コストがかかるであろうが、首都直下地震などへの抜本的な備えと考えれば、決して一笑に付すことはできないのではなかろうか。

…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ


世の中の仕組みを考える(25)

引き続き、インフラ整備について、話を続けます。

(24)では、地面下に石を分厚く敷き詰める方法について述べた。ここでは、それと同様な方式による地面上に構築する構造物の作り方、すなわち、蛇篭(じゃかご)を徹底的に活用する方法について述べる。

蛇篭というものをご存じであろうか。身近な例を挙げるならば、丘陵地帯や山間部などの斜面に、土砂崩れ防止の補強部材として、中に石がぎっしり詰まった金属製の網の箱が並んでいるのを見かけることがあるが、まさにそれが蛇篭である(→参考)。

古くは、江戸時代などから用いられてきたもので、簡単に言えば、網で出来た筒や箱の中に石を詰め込み、それを一つのブロックとして敷き詰めるというものである。かつて、日本では、竹で網状に編んだ筒が用いられた。海外においても、古くから同様な方法が用いられている。例えば、古代の南米のピラミッドの一部でも、地震対策として、太いヒモで編んだネットの中に石を入れ、それを積み重ねる方式が採られている。現代では、ヒモや竹の代わりに、耐腐食性と強度のある針金状の合金などを、同様に網状に編んで用いられる。

(24)の地面下に敷き詰める石と同様に、この蛇篭の中に詰める石は、ごく普通の石で良い。あるいは、石ではなく、解体した建物のコンクリート片などでも代用が可能であり、要は、石と同様に固くて重い、耐腐食性のある塊であれば何でも良い、とも言えるかもしれない。最近で言えば、東日本大震災の被災地で発生する膨大ながれきの有効活用策の一つとしても注目されているようである。

蛇篭は、このように、非常にシンプルな建材でありながら、優れた機能性を発揮する。(24)の方法と同様、透水性に優れ、かつ石同士が噛み合うことで強固な土台を形成し、石同士がこすれ合うことで、地震の揺れを吸収する機能を持つ。また、平たく言えば、土のうを積むように、ただ蛇篭を積んでいくだけで済むため、建設時の手間や時間も大幅に簡素化できる。個人的には、もっともっと蛇篭の価値が世の中で認められ、広まって良いように思う。

この蛇篭を最大限有効活用して、鉄筋コンクリートを極力使わず、道路や線路などのインフラ網を構築できないであろうか。すなわち、道路や線路などを建設する際、鉄筋コンクリートの高架橋を建設する代わりに、蛇篭を同じ高さだけ積み重ねて、盛り土ならぬ盛り石構造の道路・線路を建設するのである。なお、地平に線路や道路を直接敷設する場合は、(24)の方式で地面下に分厚く石を敷き詰めれば良い。

このように、線路や道路の路盤を、ほぼ石のみで構築することにより、鉄筋やコンクリートなどの建築資材を殆ど用いないため、資材の価格高騰の影響も受けにくく、建設方法も基本的には単に積んでいくだけであるため、その分、工期や手間の短縮、ひいてはコストダウンに繋がる。何より、環境にも優しい構造物になる。

…以上、今回も、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回以降も、引き続き今回の考察を続けてみたいと思う。

by なさ

世の中の仕組みを考える(24)
前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。



前回、未曾有の大震災などに備えるためにも、非常に分厚く砂利を地面下に敷いたり、簡素だが機能性の高い建材である蛇篭(じゃかご)を用いて線路や道路などの構造物を構築する提案を行った。今回は、それらの話にも関係するが、先に話題に出した田中角栄氏の列島改造論的な視点で、再び論じてみたいと思う。



前回述べたような方法を実現するためには、まずは膨大な量の砂利、石を採取する必要がある。それをどのようにするか。普通に考えれば、どこかの山肌を削って、そこから採取する方法が挙げられよう。本提案でも、その方法を前提に考えてはいるが、具体的にどこの山をどのように削るかという点で、これまた一つ、列島改造論的な観点から提案をしたい。

すなわち、山肌を削って砂利や石を採取するついで、採石場とする山を最終的に完全に削り取り、平地に変えてしまうというものである。無論、無条件、無造作に山という山を削り取って平にするのは、環境破壊につながる上、あまりにも膨大な労力を伴うので、一定の条件付きで行うことを前提とする。一定の条件とは、山を削る代わりに、平地にその分の緑の面積を代替で用意すること、さらに、幹線道路や新幹線などのインフラのルートの延長上にあって、標高の十分に低い山であることの2点である。

これにより、曲がりくねった山肌を直線状に成形することになり、採石と地形改善、交通インフラの直線ルート化、言い換えれば高速化を兼ねることができ、一石二鳥ではないかと考える次第。近年では、高速道路や新幹線は、山岳区間を抜ける際は、直線ルートの長大トンネルで抜けるケースが多いが、そもそも採石も兼ねて、山自体を、あるいは周辺の谷底的な地形までも成形してしまえば、本来はトンネルや橋梁になるはずの箇所を、平地または蛇篭を積み重ねた簡素な構造物で済ませることができる。あくまでも採石をありきとして、だが、完成後のメンテナンスの手間等も踏まえれば、経済的な方式には十分成り得るのではなかろうか。

かつて、元祖・列島改造論を唱えた田中角栄氏も、自身の出身地であり選挙区でもあった新潟県民の方々を前に、上越国境の山を削りとり、その土砂で佐渡島まで埋め立ててしまおうと熱弁を奮い、県民の方々から多くの支持を得たそうである。無論、この田中氏の発想は、半ばユーモアも交えたものであり、本気で谷川岳のような大山脈を切り崩す気でいたわけではなかろうが、発想的には、本件の提案は田中氏のそのユーモア交じりの発想に少しは近いものかもしれない。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ




世の中の仕組みを考える(25)

引き続き、インフラ整備について、話を続けます。



ここでは、上の(26)中段で述べた、採石のために山を切り崩すに当たっての一定の条件とした2点について、補足的により詳しく述べる。まずは、前者、すなわち山を削る代わりに平地に緑の面積を代替で用意することについて。

「カーボンニュートラル」という言葉、概念をご存じであろうか。人為的な行為から排出される二酸化炭素CO2の総量に対して、その総量を吸収するだけの緑の面積が確保されること、といった意味を表すものである。このような発想に基づき、一定以上の緑の面積を確保できるよう、地球環境保護のための各種の政策や取組みが行われている。

山を丸ごと平地に変えるほどに採石を行った場合、言うまでも無く、その山に本来備わっていた森林などの植物、ひいてはそこに生息する動物なども含め、生態系が失われてしまうことになる。

そこで、丸々そのようなロスが生じないよう、代替地となる平地などに、人工的にそれと同等の環境などを再現し、豊かな動植物の生態系を代替地において維持することが必須ではないかと考えられる。特に、削岩対象となる山の環境が、自然環境保護の特定保護地域に指定されているなどの場合には、そもそもその山を削岩対象とするかどうかという根本的な議論も含め、最大限の配慮がなされるべきであろう。



あるいは、そのような元の生態系の再現維持に特にこだわる必要が無いと判断される山については、代替措置として、例えば、都市部の壁面緑化、屋上緑化などを徹底的に推進し、元の山の緑と同等の表面積の(もしくは、同等のCO2吸収量の)緑を新たに生み出すようにする方法も考えられる。

この場合、CO2吸収量という一面的な条件が満たされれば良いのならば、人工的な繁殖・管理がしやすく、生命力があり、できれば可食の果実を収穫することなども可能な植物(例えば、グリーンカーテンや家庭菜園ではお馴染みのゴーヤ、ミントなど)を壁面緑化などの対象植物として推奨するのはいかがであろうか。

何にせよ、都市部のビルや一般家屋などの壁面・屋上(屋根)を立体的に有効活用すれば、潜在的には相当に莫大な量の緑の表面積を生み出すことが可能であると筆者は考えている。



次に、条件の2点目として、幹線道路や新幹線などのインフラのルートの延長上にあって、標高の十分に低い山であること、という点について。

高速化につながる点は(26)でも述べたが、さらに詳しく述べるならば、交通インフラのルートを限りなく直線化することにより、目的地までの建設距離を最短にすることができる。しかも、その最短ルートを、上述のように、山肌を削り、谷を埋めるなどの方法により、トンネルや橋梁などの高度な構造物を最小限にすることによって、相当な建設コストの削減につながると考えられる。これも、広義の意味で、先に述べた、インフラネットワークのスリム化の一環とも言えよう。

また、完成後に高速道路や新幹線が直線化により高速化されることで、沿線の経済効果などにもよりプラスになろう。そう考えれば、一石二鳥どころか三鳥、四鳥ほどの効果が期待されるように思われる。



…以上、今回も、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。

by なさ


世の中の仕組みを考える(28)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。



前回、田中角栄氏の列島改造論的な視点で、山肌から砂利や石を積極的に採取することで、地形を大胆に変え、交通インフラの直線ルート化を行い、同時に代替の緑の面積を確保するという提案を行った。今回は、それらの話にも関係するが、再び未曾有の大震災、とりわけ津波という観点から論じてみたいと思う。



先の大震災において、巨大地震に起因して、最大で高さ20m強の津波が被災地沿岸を襲い、2万数千人という数の犠牲者を出したことは、記憶に新しいところであろう。このような、千年に一度と言われる巨大津波に備えるために、インフラ整備という面で、我々はどのように対処すれば良いのであろうか。

以前より、三陸沿岸では、過去何度も襲っている津波を教訓に、津波から町を守るべく、海岸に城壁のような高い防水壁を築いたり、海岸近くの海中に津波の力を弱めるための構造物(簡単に言えば、テトラポットの壁を大規模、頑丈にしたようなもの)を整備されてきた。高い防水壁は、地元では万里の長城とも言われてきたそうだが、今回の大震災において、それらの構造物により町や住民が守られた地域もあり、改めてそのようなインフラ面での津波への備えの重要性が再認識された。

しかし、一方で、そのような構造物がありながらも、その想定を超える巨大津波であったために、それらの構造物が破壊されてしまい、津波を防ぎきれず、津波の流入により甚大な被害、犠牲を生んだ地域もある。したがって、インフラ面での備えの重要性とともに、インフラによる防御の限界もまた示された格好になる。



そのような点をしっかりと踏まえ、本稿では、津波の素人たる筆者なりの、津波対策のためのインフラのあり方を提案したい。あくまで素人の思い付きを超えぬ提案に過ぎないものではあろうが、ぜひ専門家の方々に、部分的にでも一考いただければ幸いである。なお、上述の点を踏まえるならば、インフラで100%完璧に津波を防ぐことはできないことは明らかであり、あくまでも最大限に防御できる確率を少しでも増やすための一提案、とご理解いただければと思う。

具体的に提案したいアイデアは、2つある。1つ目は、海岸部を人工的に大幅に掘り下げることである。2つ目は、掘り下げた海岸部を含め沿岸部の底に深い縦穴を等間隔に、できるだけ無数に掘り、普段は上に大きな石でも載せて水が入らぬよう、しっかり蓋をしておくことである。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。

by なさ




世の中の仕組みを考える(29)

引き続き、インフラ整備について話を続けます。ここでは、(28)で述べた2つのアイデアのうち、特に1つ目について、より詳しく述べたいと思います。



まず、2ついずれにも共通する前提として、それらの土木工事を行うべき箇所は、被災地沿岸すべてではなく、あくまでも集落や町がある海岸部、港周辺に限ることを申し上げておきたい。すなわち、今回の大震災の津波被害が北海道・東北から関東にかけて実に数百kmにも及ぶこと、さらに、南海トラフ地震や東海地震など、他地域沿岸でも同様な津波被害が想定されることを踏まえると、それらの沿岸すべてに津波対策の土木工事を一様に施すことは、現実的ではない。

なぜなら、想定される時間や労力、すなわち費用が天文学的な規模になってしまうからである。加えて、環境保護という観点でも、海中の生態系を壊しかねない土木工事は最小限に慎むべきであろうことも、もう一つの理由として挙げられる。なお、局地的とはいえ、人口集積地の沿岸にそのような土木工事を施す際は、前回の地形を大胆に変える提案と同様、海の生態系を壊さぬよう、もしくは同様の生態系を同じかそれ以上の面積分だけ別の場所に創り出すよう、最大限の努力と工夫を行うものとする。



その上で、まず1つ目のアイデアについて。

津波の物理学的、流体力学的な性質を踏まえると、特に海底面が緩やかな傾斜になっている箇所ほど、海岸部において、津波は巨大化しやすい。なぜなら、津波は海面から海底までの全ての海水が地震の巨大なエネルギーによって強く押され、そのまま陸地に向けて巨大な塊となって押し寄せるからである。これは、やや専門的に言うならば、水は非圧縮性流体であることに起因する。すなわち、強い押す力が水にかかった場合、空気などのガスと違い、体積が縮むことはない(厳密に言えば、ごく微量は縮む)。

よって、震源地付近の海水全てが地震の巨大エネルギーによって強く押されれば、基本的にはその総体積を保ったまま、陸地に押し寄せることになる。海水が陸地に近づくほど、海の深さは浅くなるのが普通である。また、津波となって押される海水を一つの塊とみなすならば、その左右方向には、当たり前だが、やはり海水がすき間無く満ちているため、左右方向には逃げ場があまり無いことになる。よって、底が浅くなれば、総体積を保つためには、消去法で考えて、どうしても上に押し出される格好になり、津波は陸地に到達する時点で高さが大幅に高くなってしまうのである。



これは、逆に言えば、海岸部の海が浅く無ければ、すなわち海岸部ギリギリまで沖合と同程度の深さがあれば、津波はそれほどに高くはなり得ないことになる。(あくまで今は理論上、机上論での話。実際には、そのような地形であっても、他の要因も考えられるため、海岸部でどうしてもある程度は高くはなる。)

その点が、本提案での着眼点である。即ち、最優先、最大限に防御したい沿岸部に関して、その海岸部分を人工的に(できれば沖合と同程度に)深く掘り下げておけば、津波が万が一到達しても、その高さはそれほど高くならないはずである。海岸部は陸地から海底にかけて傾斜を付けるのではなく、あえて海面から海底までを断崖絶壁にしておけば、津波のエネルギーの大部分を絶壁部分、すなわち水面下の陸地の岩盤が受け止めてくれることになる。これにより、海岸部の陸地では、被害を最小限に留めることができるのではないかと考える次第である。



…以上、今回も、国防・防災の観点から交通インフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。




前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回に引き続き、防災・国防の観点から世の中の仕組み、とりわけインフラ整備のあり方について考えてみたいと思います。



前回、田中角栄氏の列島改造論的な視点を踏まえ、巨大津波対策として、町のある沿岸部を人工的に大幅に掘り下げるという提案を行った。今回は、その話の続きを論じてみたいと思う。

今回は、前回の(28)で提示した具体的に提案したアイデアのうち、2つ目、すなわち、掘り下げた海岸部を含め沿岸部の底に深い縦穴を等間隔に、できるだけ無数に掘り、普段は上に大きな石でも載せて水が入らぬよう、しっかり蓋をしておくという方法について、詳しく述べる。



前回述べた、沿岸部を沖合並みに深く掘り下げる方法によっても、理屈の上では、陸地に巨大津波が押し寄せるリスクは低減できると考えられるが、それに加えて、さらに津波が陸地に押し寄せにくくする方策を打つことを提案したい。それが、この2つ目のアイデアである。発想は至って単純なもので、津波が沿岸部に迫った際、沿岸部の海底にまとまった体積分の水の逃げ場を作ってやることで、津波として押し寄せた大量の海水がその逃げ場に流れ込むため、その分陸地に海水が到達しなくなる、というもの。

なぜ、その逃げ場にする空間に、普段は蓋をするのか。当たり前だが、ただ深く縦穴なりの空間を海底に人工的に造ったとしても、そこに海水が普段から溜まっていれば、津波が来ても、そこは水の逃げ場にならないからである。逆に、巨大津波が押し寄せたときのみ、都合良く突然、海底にまとまった体積の空洞が現れることで、そこに津波の水が引き込まれる格好となり、空洞の体積が大きいほど、陸地に到達する津波の水量は減るはずである。



では、どのようにして、普段は海水が流れ込まないように蓋をし、かつ巨大津波が襲ったときのみ、都合良くその蓋を開けるようにするのか。例えば、人工的に鋼鉄や鉄筋コンクリート等で出来た電動の蓋を設置し、ダムや堰の水門のように、監視所から電動の遠隔操作で開け閉めする方法も考えられるが、それではあまりに大げさな仕組みであり、コストがかかり過ぎるというデメリットがあると思われる。

当方が提案するのは、巨大津波に特有の巨大な水圧を活かした、もっと単純な仕組みである。すなわち、想定される巨大水圧ほどの力を受けて、やっとズリズリ横方向に動くような、極めて重量のある蓋をしておけば良い。単なる平板の蓋だと津波の水圧を受けにくいため、例えば、ヨットの帆のように、横方向の力(水圧)を受けやすいよう、逆T字型の蓋を鉄筋コンクリートででも作って設置すれば良いのではなかろうか。あるいは、周囲の沿岸部に自然にある巨岩のうち、形状的にその逆T字型に近い形のもの、同様な機能を果たせるものを切り出してきて、そこに設置しても良い。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。




世の中の仕組みを考える(31)

引き続き、インフラ整備について話を続けます。ここでは、(30)で述べた2つ目のアイデアの続きを述べたいと思います。



次に、なぜ縦穴という形状にするのかについて。これも単純な話で、その方が土木工事がしやすいからである。すなわち、トンネルを掘るシールドマシンを縦にしたような、ある程度大きなドリルで一定の深さまで海底を掘れば済むからである。

これを、巨大なまとまった部屋、ホールのような空間にしようとすると、地上から一定の面積を重機で掘り下げていく開削工法を行う必要が生じる。これではコストがかかる。何より、工事従事員が海底部分に降りて作業しなければならず、工事の上で危険が伴うリスクがある。

あるいは、地下鉄のように、横方向のシールドトンネルを海底下に掘ろうとしても、そのトンネルの天井部分には海の水の重さも含めて、巨大な地圧がかかるため、トンネル強度を上げる必要が生じる上、トンネルを掘り進める上でも、やはり一定の危険は伴うことになる。

逆に、単なる縦穴であれば、横方向のトンネルのような巨大な地圧がトンネル壁面にかかることはなく、また開削工法の必要も無い。たとえ小さな縦穴であっても、その分穴の数を多くするなり、要は総体積がまとまった量になれば、上述のような津波の水を引き込む機能は果たせるはずである。これにより、建設コストも抑えられ、工事の際の危険のリスクもかなり低減できると考えている。



なお、トンネル壁面については、(海)水が海底や壁面の岩盤から染み出してくる可能性が低ければ、岩盤の地肌剥き出しでも構わない。染み出すリスクがあるなら、コンクリートの壁面にすれば良かろう。

縦穴であるので、地圧のかかり具合を踏まえるなら、横方向のトンネルのように壁面から染み出る水を逃がす必要性は低いと考えるが、染み出す量がある程度多いならば、そのような場所に穴を掘るのを避けるか、あるいは止むを得なければ、人工的に染み出た水をポンプ等で定期的に汲み上げることも選択肢ではあろう(コストや手間を踏まえると、なるべくやりたくは無いが)。

最悪の場合、縦穴が局地的に崩壊してしまったとしても、人が入る空間ではないため、崩壊による直接のダメージは殆ど無いと考えられる。崩壊してしまったら、また新たに縦穴を別の周囲の場所に追加削岩すれば済むことではなかろうか。



…以上、今回も、国防・防災の観点からインフラのあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。


世の中の仕組みを考える(32)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までは、主に国防上の観点から、社会インフラの整備のあり方について考えてきました。今回からは、視点を変えて、自然環境の整備について考えてみたいと思います。

小生が住む埼玉の片田舎は、山間部に近いこともあり、車で少し出かければ、すぐ自然豊かな山々に行き着く。買い物等で出かける度、これらの近隣の山々を普通に目の当たりにしてきた。自分たちにとって特に何の利害関係も無ければ、特に気に留めることもなかったろうが、毎年春先になると、その山々の木々、即ちスギの花粉に悩まされているため、どうしてもこれらの木々について考えさせられることになった。

改めて周囲の山々を見渡すと、どの山もほぼ例外なく、十分に成長したスギの木が斜面にびっしり生えている。これらは、自然に生えたものではなく、古くは数百年も前から、人工的に植林されてきたものが、今に至るまで成長し、生い茂っているのである。つい数十年前までは、これらの樹木は、計画的に管理、伐採され、住宅建材その他の用途に有効活用されてきた。即ち、小生の住む地域のみならず、全国の山間部では、林業が盛んであった。

しかし、高度成長期以降、都会を中心にコンクリートの建物が増加し、また海外から格安の木材が大量に輸入されるようになると、日本の林業は衰退を始め、今に至っている。もちろん、今でも林業は一定の規模で行われており、国内産の木材は、海外産と比べれば価格が高いながらも、品質の良さなどから一定のニーズはある。しかし、その需要の絶対量は、昔に比べれば少なくなっていることは否定できず、結果、全国の山々に植林された樹木は、当初の用途を失ったまま放置されるか、多額の税金をかけて営林署によって計画管理されるようになっている。

今後、少子高齢化、人口減少に拍車がかかれば、ますます国産木材の需要量は減り、営林面で大きな課題を残すことになろう。

そこで、本稿では、これら全国にかつて植林され、現代に用途を失っている樹木の今後のあり方について、稚拙ながら、一素人の私案を述べたいと思う。

私案の一つ目は、やや勿体無い話ではあるが、これらの行き場を失っている樹木を計画的に全て伐採処分してゆき、その代わりに、植林以前のその山本来の自然環境、生態系に戻していってあげることである。無論、これ自体、極めて長い時間と手間、コストを要するものになろうが、長期的に考えれば、自然豊かな原生林に戻ることで、営林コストはかからなくなる。先日、テレビ番組にて、北海道の白老町に残る、自然豊かな手付かずの原生林が採り上げられていたが、まさにこのような原生林が理想、お手本と言えようか。

なお、スギなどの人工樹林された樹木とともに、広義の意味では、いわゆる放置竹林も含まれよう。竹は、やはり以前は、農村などにおいて、食材としての筍を収穫したり、成長した竹を建材その他に供するため、人工的に植えられ、管理されていた。しかし、スギなどと同様、高度成長期以降、食材や建材が安価に入手できるようになると、次第に放置されるようになった。竹本来の旺盛な生命力から、周囲の自然環境を破壊するほどに勢力を伸ばし、大規模な竹林が全国各地に自然に増加してしまい、特に西日本地域では深刻な問題となっている。スギなどの樹木を伐採するのなら、これら竹林もまた、併せて伐採が必須であろう。

…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。
世の中の仕組みを考える(33)
引き続き、自然環境の整備について話を続けます。ここでは、(31)で述べた私案に続き、別の案を述べたいと思います。

私案の2つ目は、1つ目の案とは逆に、植林されたスギなどの樹木を、徹底的に経済活動の上で活用することである。

とはいえ、現状の状況の下では、質は高いが高価でもある国産木材を導入するメリットは、純粋な経済活動としてはそう高くないため、抜本的な解決は期待できない。かといって、国策として単に海外産の安い木材の輸入を禁止するだけでは、国内での木材・建材の無用な高騰を招くばかりか、外交上の問題にもなりかねない。

そこで、林業に関する技術開発を、国を挙げて強く推進するのはどうだろうか。今すぐ実用化できなくとも、ある程度中長期的な戦略を掲げて、やっていくものを想定する。林業に関する技術開発とは、即ち、既存のロボット技術、センサー技術や画像解析技術などの要素技術を積極的に導入、応用し、有機的に組み合わせて、低コストかつ省力的に人工樹林の計画的な管理、伐採を行える仕組みを構築することである。

農業もそうだが、林業においても、既存のそれらの高度な要素技術を結集させるだけでも、潜在的にはかなりの成果が上げられるのではないかと考えている。これが成功すれば、林業に携わる方々が、重労働から解放されるばかりか、より少ない要員、コストで、より多くの面積の維持管理を行うことができよう。ひいては、後継者不足の問題も解消でき、何より低価格で高品質な国産木材を国内に提供できる体制につながるのではなかろうか。

そうなれば、何らの強制的な規制などをかけなくとも、純粋な経済活動として、国産木材は自然に消費者から選択されるようになり、海外産の安価な木材に頼ることも次第に無くなってゆくのではないかと期待している。

全ての国ではないであろうが、海外、特に開発途上国では、輸出して外貨を稼ぐために、自然豊かな森の樹木が安易に乱獲的に伐採され、自然環境が破壊されている現状がある。それがひいては、昨今の地球温暖化や各種の異常気象をもたらしている面も否定できないのではないだろうか。本提案は、手前味噌ながら、その解決の一助ともなり得よう。

…以上、今回は、わが国における自然環境整備のあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。


世の中の仕組みを考える(34)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回からも、前回に引き続き、自然環境の整備について考えてみたいと思います。前回は、地方における営林上の問題を採り上げましたが、今回は、異常気象・自然災害対策などと絡めて、都市部における緑化の推進について提言したいと思います。



今年の夏も、東京都心は、過酷な猛暑、空梅雨による渇水、ゲリラ豪雨、落雷などの被害に晒されている。渇水などは小生が子供だった30年前にもあったが、ゲリラ豪雨や過酷な猛暑・熱帯夜は記憶に無く、その意味でも、昨今の地球温暖化などの影響による異常気象なのではないかと思わざるを得ない。

言うまでも無く、一番の理想、言い換えれば中長期的な目標としては、地球環境、東京都心をはじめ、わが国の気候を数十年前の状態に戻すことであろう。しかし、気象のコントロールは、科学的、技術的に未だに実現できていない難題の一つであり、実現の具体的な見込みは、今現在もなお無いと言える。

そこで、百歩譲って、猛暑やゲリラ豪雨・空梅雨などの(異常)気象をある程度不可避なものと捉え、それらに対し、日本人の英知を結集して、最大限の備えを中長期的なスパンで行ってゆくことを本稿で提言したい。以下に、具体的なアイデア、方策を順次述べる。



具体的な方策の一つ目は、東京都心をはじめ、都市部の密集地において、抜本的に緑化を推進してゆくことである。より具体的には、壁面緑化や屋上緑化、幹線道路や線路沿線に街路樹を標準的に整備してゆくこと等の方策が挙げられる。

壁面緑化や屋上緑化は、既に東京都をはじめとする各自治体において、精力的に推進されてきてはいる。その効果は現れているとは思うが、実際のところ、都市部全体で抜本的な緑化が推進されるほどには至っていない。そのため、改めて本稿で抜本的な緑化の必要性を提言する次第である。



現状、緑化が進んでいない理由としては、第一には、緑化に際して少なからぬコストがかかることが挙げられる。即ち、企業や個人の建物に緑化を義務付けようにも、企業や個人側にしてみれば、その費用を捻出するほどの費用対効果が見込めないことから、理解や同意を得ることが難しいのである。自治体が企業や個人に補助金を出せば、その問題は解決しようが、自治体の財源にも限りがあるため、都市部における全ての建物に十分な補助金を出すほどには至っていない。

しかし、東京都心を例に採れば、真夏の猛暑やゲリラ豪雨の原因の一つは、都心部のヒートアイランド現象、すなわちビルや道路などのコンクリート、アスファルトが直射日光から降り注ぐ熱を持ってしまうことである。土や緑が少なく、コンクリート・アスファルトが大部分の面積を占める都心部においては、その保持熱の総量が大きい上に、熱の逃げ場が少ないため、結果的に熱帯夜を引き起こす。それどころか、それらの熱が風に乗って、埼玉の熊谷や群馬の館林といった地域に流れ込み、当該地域の日中の最高気温を日本で一、二を争うレベルに引き上げている。

このようなメカニズム、原因が科学的に判明しているのならば、猛暑・豪雨による被害額や冷房費用などの殆どが、都心部のヒートアイランド化に起因すると言えるわけで、よって、それらの費用総額を削減できる範囲内でヒートアイランド対策に取り組むことには、一定の費用対効果があると言えることになる。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。
世の中の仕組みを考える(35)

引き続き、都市部における緑化の抜本的な推進について、話を続けます。



では、費用対効果が見込める範囲内でできる、ヒートアイランド対策とは、具体的には何であろうか。その一つが、上述した、壁面緑化や屋上緑化などの抜本的な推進ではないかと筆者は考えている。それについて、より詳細に以下で述べる。



先日、テレビ報道において、猛暑下の東京都心部において、路面の温度を計測するという企画があった。そこでの測定結果によると、同じ都心部でも、道路、即ちアスファルトの表面と、公園などの土の表面とでは、6℃ほども差があったのである。ご承知のように、都市部では、路面の照り返しによって、実質的な地上部の気温は、気象庁から発表される気温よりも高くなる。したがって、単純に考えるならば、仮にアスファルトの路面をすべて土や緑に変えたとすれば、実際の気温は少なくとも6℃程度下がるはずである。

気温が6℃も下がれば、各建物内での消費電力、ひいては冷房費用は、相当な量削減できる。それほどの冷房費用の削減が見込めるということは、各企業・個人が屋上や壁面の緑化を行う強いインセンティブになるはずである。よって、まず何より、そのこと自体を、都市部の各企業・個人に広く周知することが必要ではなかろうか。



その上で、コストや手間をそれほどかけず、効果的に緑化を行う方法を提案したい。これは、手前味噌ながら、我が家の庭でここ数年実践して効果を確かめているものである。

まず、屋上緑化について。マンションや企業の事務所などのビルの場合、平らな屋上が必ず存在する。極めて単純だが、その屋上に、できるだけすき間無く、植物を植えたプランターを敷き詰めることである。ここで、プランターは、市販のものでも良いし、発砲スチロールなどでも良い。中に一定の厚さで土を敷き詰める。土の厚さは、可能な限り厚くする。そこに、適当な植物を植える。言うまでも無く、真夏の時期に生育する植物でなければならない。

その植物がすくすくと育ってくれれば、真夏の屋上は緑と土で覆われることになる。その緑と土の量が多ければ多いほど、太陽の熱エネルギーがそちらに吸収されるため、ヒートアイランド対策の効果は高くなることになる。可能ならば、屋上に分厚く土を敷き詰め、公園や野山にあるような普通の樹木を植えても良いとすら考える。決して冗談ではなく、本気で主張したいことである。



…以上、今回も、わが国における自然環境整備のあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回も、引き続き、都市部の緑化について論じたいと思う。
世の中の仕組みを考える(36)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、自然環境の整備、とりわけ都市部における抜本的な緑化の推進について考えてみたいと思います。



前回、東京都心などの都市部において屋上・壁面緑化が進まない現状とその原因について考察し、その上で、費用対効果、小生自らの取組みの経験を踏まえた緑化のあり方について提言を行った。今回は、その提言をできるだけ具体的に掘り下げてゆきたいと思う。



まず、前回の続きとして、屋上緑化について。

前回提言した方法でビルの屋上に土と緑を増やすとして、では具体的に何の植物を植えたら良いだろうか。無論、答えは絶対無二のものではないが、小生が自らの経験からお勧めするのは、シソやミントである。これらは、今現在も含め、ここ数年の夏の時期に、我が家の庭で栽培しているものである。いずれも、栄養価や薬効の高い食べられる植物であり、かつ独特の香りから害虫にも強く、生命力・繁殖力が極めて強いという特徴を持つ。

これらの種・苗をひとたび植えれば、夏の一シーズンの間に、完全に放置しておいても、大抵の環境ですくすくと成長する。それどころか、庭などに地植えしてしまうと、繁殖し過ぎて駆除に苦労するほど。その点、ビルの屋上など、コンクリートに囲まれた狭い空間や、プランター上での栽培であれば、そういった問題は起こりにくかろう。強いて言えば、シソやミントの種子が風に乗ってビルの周囲の地面に落下し、そこで繁殖してしまう可能性も考えられるが、緑の少ない都市部で緑を少しでも増やそうという観点からすれば、既存の生態系への影響を考慮する必要性も低いので、逆にそれでも良いのかもしれない。



シソやミントにも、色々な種類がある。それでもシソは赤シソと青シソ、あるいはそれらの混合種のせいぜい3種類だが、ミントは実に沢山の種類がある。シソに関しては、赤青どちらも可食で、かつ栄養価・薬効が高いため、3種類どれでも良いとは思うが、ミントに関しては、ハッカ、特に「日本ハッカ(ホクト)」という種類をお勧めしたい。理由は、のど飴などに配合されるスーッとする成分(メントール)の含有量がずば抜けて高いこと、生命力・繁殖力がある程度強いことが挙げられる。

余談だが、このハッカは、元々は北海道北見市でかつて盛んであったハッカ栽培のための品種改良種である。今は、メントール成分を化学合成する方法が普及してしまい、残念ながらハッカ栽培は衰退してしまったそうだが、せっかくの優れた品種改良種であり、本提言のような別の形で復権させられればと思っている。



これらのシソやミント(ハッカ)、ただ緑の面積を増やすだけのためでも一定の意義はあろうが、栄養価や薬効の高いものなので、せっかくならば、定期的に収穫して、口に入れてみてはどうだろうか。

シソは、青シソの場合は特に、βカロチンという成分を多く含むそうである。その含有量・割合は、他の緑黄色野菜の中でも抜きん出ているとか。一方の赤シソは、ご承知のように、柴漬などに活用できる。これらを、当該ビル内のオフィスや住居で、食事(社員食堂)の具材にしてはどうだろうか。野菜の自家栽培は、最近の流行でもあり、安心安全な食材を限りなく原価0円で無尽蔵に収穫でき、少なからぬメリットがあると思われる。

また、ミント(ハッカ)に関しては、メントール成分の含有量が多いため、収穫した葉を軽く水でゆすいでそのまま口にすれば、FRISKなどのサプリメント的なものを口にするのと同等の効果が得られる。いわば、天然のFRISKといったところか。あるいは、お湯を注いだり、冷たい炭酸水に混ぜれば、ティーや清涼飲料水としても楽しめる。都会のオフィスで、社員が皆これらのミント(ハッカ)を摂取すれば、頭も冴え、仕事の能率も上がるのではなかろうか。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(37)

引き続き、都市部における緑化の抜本的な推進について、話を続けます。



次に、壁面緑化について。

こちらも、高層ビルでない限り、4〜5階立て程度の建物であれば、従来と同様な壁面緑化をそれほど無理なく実現できると考えている。即ち、ツタやヘチマ、ゴーヤ、キュウリなどのグリーンカーテンに向いた植物を、地上もしくは屋上、各階ベランダいずれかのプランターに植え、そこから上または下に向けて植物を壁面に這わせれば良い。できれば、屋上緑化と同様、可食なゴーヤなどが望ましいが、小生の経験からすれば、グリーンカーテンの場合、十分な高さに成長するまでに一定の期間を要することから、可食ではないツタの方が良いかもしれない。

壁面緑化の場合、北側の壁面など、日光が当たらない壁面では、植物の成長は悪いそうである。よって、緑化を行うならば、南側を中心に、日当たりの良い壁面のみが対象となるが、真夏の直射日光を遮る省エネ効果が目的の一つでもあることから、それでも十分ではなかろうか。

なお、壁面がコンクリート剥き出しの場合は特に、緑化することにより、植物からの分泌物等の影響で、長期的には壁面が傷むことがあるので、そのような場合、やや手間はかかるが、間に防護ネット等を挟むなどの工夫が必要になろう。



ここで、屋上緑化・壁面緑化の双方に共通する課題にいくつか触れておきたい。

まず、土の確保である。当たり前だが、緑化植物を植えるにあたり、プランターに入れる土が必要になる。その辺の地面の土を入れても良いが、せっかくなら、植物の生育を少しでも促進するため、養分を多く含む土を入れたいところ。市販の肥料を撒いても良いが、その肥料の購入にはコストがかかる。そこで、落ち葉や生ゴミ、抜いた雑草等で堆肥を作り、そこで出た土を用いてはどうだろうか。

植物の種類にもよるが、基本的には、緑化面積が増えるほど、秋など決まった時期になると、大量の落ち葉が発生する。また、公園や河川敷では、どうしても雑草が生い茂るため、定期的に除草が必要になる。何より、人間が日々暮らす上で、生ゴミが一定量発生する。従来、それらは焼却処分されることが多かったが、ゴミ処理に少なからぬ手間とコストを要することから、近年の環境対策の一環も兼ね、それらを燃やさずに堆肥にするケースが増えている。本稿では、それを世の中で標準的に、より徹底的に行うことを提案する。

こうすれば、ゴミの焼却量も減らせる上、市販の化学肥料を与える代わりに、栄養分たっぷりの土を供給することができ、一石二鳥である。



…以上、今回も、わが国における自然環境整備のあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。次回も、引き続き、都市部の緑化について論じたいと思う。
世の中の仕組みを考える(38)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、自然環境の整備、とりわけ都市部における抜本的な緑化の推進について考えてみたいと思います。



これまで、東京都心などの都市部において屋上・壁面緑化が進まない現状とその原因について考察し、その上で、費用対効果、小生自らの取組みの経験を踏まえた緑化のあり方について提言を行ってきた。特に、前回までは、屋上・壁面の緑化について考えてきた。今回は、道路や線路沿線の緑化について考えたいと思う。

建物やその敷地に次いで、都市部において面積を占めるものと言えば、道路・線路、あるいは河川などの交通路、ライフライン的なものであろうか。面積の一定割合を占めるならば、これらについても徹底した緑化を考えてゆかねばなるまい。



まず、道路の緑化について。道路で緑化と言えば、具体的には、沿道の街路樹が挙げられよう。街路樹が植えられている道路は既に多いが、その街路樹整備をより徹底的に行うことを本稿では提案したい。即ち、一定の広さ、幅を有する都市計画道路については、たとえ車線を一つ潰してでも、車道と歩道との間に街路樹を密に植えることを標準とし、かつ、夏場には、それらの街路樹の枝葉が道路の上空をほぼ完全に覆うように手入れを行うようにすることである。

道路の上空を覆う街路樹と言えば、例えば東京都内で言えば、練馬区春日町付近や青梅街道の杉並区西荻窪付近などが挙げられる。小生も、時々用事でこれらの場所を車で通るが、夏場は完全に直射日光を遮ってくれるため、下を車で通っても暑くなりにくく、快適に車の運転ができる。

かつ、街路樹の種類が桜の木であるため、年度末前後には満開の桜で道路上空が覆われ、桜の花道と化す。この桜並木の下を通るのは、小生にとって、毎年のささやかな楽しみの一つである。そして、冬になれば、葉は完全に枯れて落ちるため、逆に直射日光を路面に届けてくれる。冬の直射日光は、貴重な熱源でもある。これらの点を踏まえれば、どうせ植えるのならば、桜並木にすることが望ましいと言えるかもしれない。



同様に、河川の両岸や鉄道の沿線にも街路樹を標準的に整備することを提案したい。河川については、東京都内で言えば、小生の以前の居住地に近い、練馬区の石神井川沿いの桜並木が一つのモデルになろう。鉄道についても、京都を走る京福電車(通称・嵐電)の有名な桜トンネル(桜並木の築堤区間)がモデルになる(参考:http://randen.keifuku.co.jp/news/2012/04/post-61.html)。

このように、建物とその敷地のみならず、道路・線路・河川の上空を街路樹の枝葉で覆えば、都市部の殆どの面積を緑で覆えることになる。そこまでになれば、夏のヒートアイランド対策、もっと言えばCO2の削減、地球温暖化防止にも大いに貢献するのではなかろうか。のみならず、景観面での癒しの効果も併せれば、トータルでの効果は一石三鳥、絶大と言えないであろうか。




世の中の仕組みを考える(39)

引き続き、都市部における緑化の抜本的な推進について、話を続けます。



従来、街路樹とは、主に景観目的で整備されているのが現状ではなかろうか。緑化の推進という名目も言われてはいるかもしれないが、それほど強い意味を持っていないように思う。その点を改め、街路樹の整備においても、都市部のヒートアイランド対策という目的を前面に出してゆくべきではないか。前号までに述べたように、ヒートアイランド対策と位置付けるならば、費用対効果、投資効果を定量的に算出することができるようになる。そうなれば、国や自治体の財政面でそれほどの余裕が無くとも、取り組む意義は出てくることになる。

街路樹にかかるコストとして、整備の初期費用もさることながら、樹木の手入れや落ち葉掃除などの維持費も、少なからぬ費用は発生する。完全に人の手をかけないことは難しいにせよ、少なくとも落ち葉掃除などは、限りなく自動化できることではなかろうか。従来、車道の清掃には道路清掃車が用いられているが、車の乗り入れができない歩道部分などは、未だ人力による掃き掃除に依存しているのが現状であろう。



そこで、例えば一つの案であるが、最近一般家庭に普及しているロボット掃除機を、屋外の路面でも使用できるよう小改良した上で導入するのはどうであろうか。道路の掃除を行う際、当該箇所を部分的に通行止めにしておき、その箇所にロボット掃除機を稼動させる。こうすれば、人力の掃き掃除はもちろん、高価な特殊車両である道路清掃車も不要になり、金額にしてかなりのコストダウンになるのではなかろうか。

さらに言えば、特に歩道部分は、標準的に商店街にあるようなアーケードを標準的に設置することも提案したい。これにより、雨天時にも歩行者が傘に頼らず快適に歩行できるようになる上、突然のゲリラ豪雨や落雷からも身を守ることができる。何より、アーケードの屋根部分の形状を工夫することで、落ち葉や雨水を路面上の特定の箇所に落下させられるため、雨水処理や落ち葉掃除には効果的ではないだろうか。これらのメリットを踏まえると、歩道への標準的なアーケード設置は一石二鳥どころか三鳥、四鳥の効果があると言えるように思う。何も大げさ、立派なアーケードである必要も無く、木材と透明のトタンを用いる程度の、簡素な作りで十分である。

なお、街路樹に時折発生するドクガなどの害虫対策については、屋上・壁面緑化と同様、既述のように木酢液を用いれば、かなり効果があろう。人力で撒くのは手間がかかるため、例えばプランターの植物への水遣りで用いる底面給水方式など自動水遣りの仕組みを応用するなどすれば、省力的・効率的に行うことができよう。



…以上、今回も、わが国における自然環境整備のあり方について考察してみた。この他にも、問題点や方策はあるかもしれないが、それらについては、気付いた範囲で追って適宜補足してゆきたい。


世の中の仕組みを考える(40)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までは、自然環境の整備、とりわけ都市部における抜本的な緑化の推進について考えてきました。今回からは、視点を大きく変えて、学校教育、および生涯学習のあり方について論じたいと思います。



我が国日本が技術立国であることは、今さら言うまでもないであろう。当たり前な話だが、技術立国であるためには、一定の質を持った技術者、研究者をコンスタントに輩出していく必要がある。今のところ、その要件は満たされているとは思う。

しかし、その一方で、いわゆる理科系離れという問題も叫ばれて久しい。即ち、これからの社会を担う未成年の学生の多くが、理科系の専攻を選ばず、理科系科目に苦手意識を持ってしまい、理科系以外の道、主にいわゆる文系の道を選んでしまうという問題である。その結果として、将来的に、一定の質を持った理科系の人材が絶対的に不足し、技術立国としての要件を満たせなくなる恐れがある。言い換えれば、理科系離れの問題は、我が国の将来が危ぶまれる結果につながる。



それでも最近は、国も理科系離れ問題の対策として、様々な取り組みを行っているようである。テレビ番組でも、NHK・民放を問わず、理科の実験の面白さを全面に出したものが目立つ。中でも、理科の実験をエンターテイメントとして取扱い、人気を博している米村でんじろう氏のような方々の存在は大きいであろう。そういった面での実績は、率直に小生も心強く思っている。

とはいえ、数学や物理といった、いわゆる理科系科目に対して苦手意識を持ち、それらの科目の学力を十分に有しない学生が大量に輩出されるようでは、理科系離れの問題は、根本的に解決されたとは言い難い。理数系科目が好きな、得意な学生は、極論すれば、放っておいても、自ら勝手に学び、学力を付けてゆくので心配は要らないだろうが、それ以外の学生に対しては、学習指導をより一層強化してゆく必要があろう。

無論、監督官庁である文部科学省の方針の下、主に既存の学校教育において、教育のプロである学校の先生、あるいは教育分野の研究者の方々が大いに努力、工夫をしておられるし、少なからぬ成果が出ていると思っているが、忌憚なく申し上げるならば、一介の素人である小生が申し上げるのも何だが、まだまだその点では発展、工夫の余地が大いにあると小生は考えている。



そこで、以下では、小生自身の経験、見聞に基づき、大変僭越ながら、特に数学や物理などの理数系科目の学習・教育のあり方について、かなり踏み込んだ具体的な提言を行ってゆきたいと思う。

…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。




世の中の仕組みを考える(41)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



小生は、自分で言うのも何だが、理科系の大学学部、ならびに大学院修士課程を出た、典型的な理系バカの一人である。数学や物理は昔から好きな科目である。とはいえ、何の自慢にもならないが、高校1〜2年生の頃、物理を学び始めた当初、飲み込みが悪かったのか、一度テストで赤点を取った経験がある。大学受験の勉強も、勉強量だけは人に誇れると今でも思ってはいるが、要領が悪く、かなり遠回りな勉強をしていた。大学、大学院に進学後は、家庭教師や塾講師などのアルバイトをかなりしていたし、理数系科目の学習に関する論文研究を行った時期もある。

そういった経験から、特に理数系科目の学習、教育に関しては、一定の問題意識を持ち、色々とアイデア、持論を考え貯めてきた。本件の論述にあたっては、それらの貯め込んだものを徐々に吐き出しながら、提言としてまとめてゆきたい。以下、その本題を論じることにする。



まず、既存の学校教育における、特に数学や物理といった理数系科目の学習・教育について、問題点と小生個人が考える点を順次採り上げ、併せてその対策も思い付く範囲で論じたいと思う。



1点目としては、理数系科目の個々の学習内容が、社会人として世の中に出たとき、具体的にどう仕事等に活きるかという点の説明が不十分であることが挙げられる。純粋に理学的な視点で見れば、そういった説明は不要であろうが、実態として、理学系の研究者、学者の道に進む人は、理科系専攻の学生の中でもごく一握りである。

したがって、より工学的、実用的な視点を全面に出し、その観点から理数系科目の、個々の学習内容の意義を説く必要があるのではなかろうか。併せて、先に触れた米村でんじろう氏が得意とするような科学実験の面白さもまた伝えられれば、なお理想的であろう。それらにより、学ぶ側に、より具体的かつ明確な目的意識を持たせることができ、ひいては学習意欲の向上にもつながると小生は考える。



…以上、今回は、わが国における理科系離れの問題について考察してみた。次回も引き続き、この問題の続きを論じたいと思う。

世の中の仕組みを考える(42)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、学校教育、および生涯学習のあり方に関する具体的な提言を行ってゆきます。



前回、具体的な提言の1点目として、主に工学的な視点から、数学や物理等の理数系科目の知識・技能が、世の中でどう役立つのか、何のために学ぶのかを、もっと全面に出して効果的に学習者に伝えるべきであると述べた。

今回は、続きとして、それについてさらに具体的に掘り下げたいと思う。



一口に効果的に伝えると言っても、では具体的にどのように伝えれば良いのであろうか。無味乾燥な伝え方では、学習者の興味関心を引き付けることはできない。

一番良いのは、何と言っても、世の中の第一線で活躍する本職の方々から生の声を聞くことではないだろうか。自動車や新幹線の設計など、仕事の上で面白いところを全面に出し、できるだけ具体的に、踏み込んで話をしていただくのである。無論、業務上の守秘義務のある点は除いて、差し支えない範囲でである。

その際、単に仕事のやりがい等だけではなく、その業務を遂行する上で、どこでどのような理数系的な知識・技能が必要になるかを具体的に伝えることで、理数系科目の知識技能を学ぶことの意味、意義について、学習者に無理なく理解・納得してもらうことができるのではなかろうか。これは、小生自身の狭い経験に照らしてのことでもある。



例えば、早や15年以上前にはなるが、大学・大学院での講義の中で、企業等にご勤務されている大学・大学院OBの方々からお仕事に関する貴重なお話を伺う機会が度々あった。特に強く記憶にあるのは、自動車工学の授業であろうか。自動車メーカーにご勤務されている大先輩の方々から、自動車開発にまつわる様々な苦労話をお話いただいた。

正直なところ、当時は特に、自動車・自動車業界にはそれほどの強い興味は無かったのだが、大先輩の特別講義が始まると、ついつい自然にのめり込んで聞き入ってしまうほど、非常に面白い、ためになるお話ばかりであった。そのおかげで、自動車工学という科目における机上の知識の数々を、活きた知識として吸収できた気がしている。



またあるいは、最近で言えば、埼玉県和光市にある理化学研究所や、駒場の東京大学先端研の一般公開日に、研究に関する展示・発表を拝見・拝聴しに伺ったことも挙げられる。

研究員をはじめ関係者の方々が、発表・展示の上で趣向を最大限に凝らしておられることももちろんあるが、第一線の研究員の方々に直にご質問させていただけるという貴重な機会を得られることが、小生にとっては大変な魅力であった。時間を忘れて、夢中になって見て回り、色々と質問した。そういった体験から、より一層強い興味関心を持ち、にわか勉強の範疇ででも、独学を始めた研究分野は少なくない(例えば、量子コンピュータや福祉工学など)。


世の中の仕組みを考える(43)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



(42)で述べたように、第一線で活躍する方々の生の声を伺った上でであるが、さらに、その職業に学習者本人が模擬的になりきる体験をしてもらう等の方法も効果的かもしれない。あるいは、もっと他にも有効な方策は色々とあるように思える。そこは、アイデアを、知恵を絞って創意工夫を凝らす余地が大いにあろう。

いずれにせよ、理数系科目やそれを活かした職業に対して、嫌悪感や苦手意識を持つ、あるいは無関心な人をいかにして引き付けるか、仕事としての面白さと学習意欲とをいかに上手く結び付けるかということを最優先に考慮すべきであろう。何故なら、嫌い、苦手、無関心な人たちを引き付けることは、理科系離れの防止のみならず、国民的レベルでの理数系科目の学習意欲、平均学力の向上、ひいては理科系職業の人材確保にもつながるからである。



よくありがちなのは、元々得意・好きな人たちが、自分だけの視点・興味度から、「ね、面白いでしょ?」と一方的、自己満足的に伝えようとすることである。あるいは、無味乾燥な知識の詰め込みを強要することも挙げられる。これでは、かえって逆効果と思われる。

その意味では、熾烈な受験戦争におけるスパルタ的な詰め込み教育、あるいは逆に、ただ生徒の余暇時間を増やすだけの悪い意味でのゆとり教育は、適切な施策とは思えない。今の文部科学省の方針そのものかもしれないが、ゆとり教育を事実上撤回し、学力向上に再度重点をある程度置く一方で、特に総合学習の時間、ウェイトを増やすことが、特に未成年への教育方針としては、最適な方策ではないか。上述の第一線の生の声を聞くことなど、まさに総合学習の一環と言える。

子供の頃には興味が湧かなくとも、大人になってからふと興味が湧き、あるいは必要に迫られ、学ぶ機会に遭遇することは、誰でもままあること。下手なことをして、特に若いうちに、理数系科目に対して、無用に苦手意識、アレルギー反応を持たせてしまっては、長い目で見れば、一人一人の、ひいては我が国全体の将来の芽を潰すことにもなる。そういった危機感、問題意識を皆が持ち続けるべき と考える。



…以上、今回はここまで。次回も引き続き、この理科系離れの問題、特に具体的な提言の2点目以降について論じたいと思う。


世の中の仕組みを考える(44)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、学校教育、および生涯学習のあり方に関する具体的な提言を行ってゆきます。



前回まで、具体的な提言の1点目として、主に工学的な視点から、数学や物理等の理数系科目の知識・技能が、世の中でどう役立つのか、何のために学ぶのかを、もっと全面に出して効果的に学習者に伝えるべきであると述べてきた。今回から、提言の2点目をを新たに述べてゆきたいと思う。

学習者に数学や物理の必要性、面白さを伝えることは非常に重要ではあるが、理科系離れの対策としては不十分であろう。必要性、面白さを伝えるのは、全体の流れの中で見れば序章、オードブルに過ぎず、メインディッシュに相当する対策が必須である。メインディッシュとは即ち、一つには、教育・学習する上での方法論、カリキュラムのあり方を見直してゆくことであると小生は考えている。その見直しに関する具体的な提言を一つ以下で述べる。



変な話だが、学校の授業で数学や物理を習ったとしても、その後社会人になって、それらの学校で習った知識を仕事の上でフル活用する人は少ない。学者や教育者になったとしても、専門の科目・研究領域を絞るのが普通であり、学校で習ったあらゆる知識を有効にフル活用することなど、実態としてはあり得ない。従って、実用性、知識の活用度という一面から見れば、学校で知識を一通り習うことは、ある意味では無駄と言えなくもない。

無論、一般教養を身に付けるという意味で、一通りの知識を習うことには意義があると小生も考えてはいる。しかし同時に、それらの一般教養としての様々な科目・分野の個別具体的な知識を習う以上に、社会に出て誰もが実用的に必要になる汎用的な能力を養う方が、より有意義ではないかと考えている。

汎用的な能力とは即ち、論理的思考力である。あるいは、それに関連して、自然科学全般に共通するパラダイムや、一般システム思考といった概念、考え方である。それらを、独立した一つの教科として明示的に学び、能力として身に付けておくべきではなかろうか。




世の中の仕組みを考える(45)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



ここで、パラダイムとは、数学や物理学などの理論を建物に例えるならば、それらの建物の設計思想に相当するものである。数学、物理学をはじめとして、特に自然科学全般には、共通のパラダイム、設計思想が存在する。それは、要素還元主義という思想、考え方である。即ち、数学なり物理学なり、対象とする様々な問題や現象は、どれも限られた種類の要素から成り、それらの要素が複雑に絡みあって、様々な問題や現象を生んでいる、と捉える思想のことである。ここでの要素とは、具体的に言えば、数学なら定理や公理、四則演算などを指し、物理学や化学ならば元素・原子、物理法則などを指すことになる。

一般システム思考とは、いわば、その要素還元主義のパラダイムと論理的思考力とを合体させた思考法であり、自然科学に限らず、世の中の様々な問題や事象などを、要素還元主義的な思想、視点の下で、論理的に考え、分析してゆこうというものである。小生も、学生時代に勉強会のサークル活動を通じて学んだが、非常に役に立つものであると実感している。



よく、特に理系の学生は論理的思考力に優れるとも言われる。別に文系学生の論理的思考力が劣っているとは小生は思わないが、平均的に見れば、そういう傾向もあるのかもしれない。

しかし、小生自身の経験などからすれば、数学や物理学を学び、それらの問題が解けるようになったからと言って、それだけで普遍的、汎用的な論理的思考力が十分に身に付くとは言えないように思う。確かに、数学や物理の問題を解く上で論理的に考える場面は言うまでもなく多々ありはするが、そこで必要とされる論理的思考力は、汎用的なものではなく、かなり限定的、部分的なものである。

中には、汎用的な論理的思考力に特段秀でた学生も居るであろうが、それは主に、先天的な資質、あるいは理数系科目の学習以外の場面で培われた能力なのではないかと考える。



現状の学校教育、特に理数系科目のカリキュラムにおいては、この点への配慮がやや欠けているように思う。即ち、数学や物理学などの理数系科目の学習を通じて、数学・物理の問題を解くという直接的な知識技能の習得とともに、汎用的な論理的思考力を養うことの両方がねらいとされているように見受けられるが、それにはやや無理があるのではなかろうか。

持論として、個々の理数系科目の学習の上では、直接的な知識技能の習得のみに焦点、力点を絞るべきであり、汎用的、普遍的な論理的思考力を身に付けさせるためには、「論理的思考力」という独立した一つの教科を設けて、そこで別個に学ばせることが必要なのではなかろうか。



…以上、今回はここまで。次回も引き続き、この理科系離れの問題、特に具体的な提言の3点目以降について論じたいと思う。

世の中の仕組みを考える(46)

前号に引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。今回も、学校教育、および生涯学習のあり方に関する具体的な提言を行ってゆきます。



前回、提言の2点目として、数学や物理と言った個々の具体的な教科・理論を学ぶこと以上に、社会人に求められるスキルの一つとして、汎用的、普遍的な論理的思考力、およびその延長として要素還元主義や一般システム思考といった思考法を学ぶべきであり、それらは数学や物理などの既存の教科とは別に、独立した一つの科目として学ぶべきであると述べた。

今回も、まず冒頭に、その2点目の続きを少しだけ述べる。



最近の学校教育のカリキュラム見直しにより、総合学習の時間が重視されつつある。即ち、個々の教科として学んだ知識・技能を総合的に組合せ、我々が世の中で現実的に向き合うべき複雑な諸問題を解決してゆくための訓練の場としての教科である。総合学習の重視は、小生個人としても、大いに賛同しており、むしろ今以上により一層の拡充を図るべきとすら考えている。

この総合学習の拡充の一環として、汎用的な論理的思考力や、要素還元主義、一般システム思考といった思考法を訓練する時間を一定量設けるべきではないだろうか。即ち、世の中の様々な問題を、一定の分野に偏ることなく、全般的、網羅的に採り上げ、その問題に対して上述の思考法を用いて考え、論述する場を、例えば週1回、数時間連続で与えてはどうだろうか。

もっと言えば、今現在未成年の学生、生徒に対してのみならず、既存の社会人の方々に対しても、生涯学習、自己啓発の一環として、学ぶ機会を様々な形で作ってはどうだろうか。具体的には、職場内教育、社員教育の場に、このような訓練の機会を一定量設けることを法的に義務付けたり、あるいはユーキャンなどの通信講座や市中のビジネススクールで、このような訓練を行う科目を受講し、修了した場合に、受講費用を補助するためのスキームを国策として作るなどの方法が考えられる。



こうした訓練を重点的に行うことで、特定の分野に偏ることなく、世の中のあらゆる分野、諸問題に通用する、本当の意味で汎用的、普遍的な論理的思考力、問題解決能力が、国民的なレベルで養われることが期待される。先日のニュース報道によれば、日本人は平均的に数学的な能力、論理的な問題解決能力が海外の先進諸国の中で最も高いとのことだが、その結果に甘んじず、より一層の国を挙げての研鑽が望まれる。




世の中の仕組みを考える(47)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



次に、提言の3点目として、効率的、模範的な勉強法のあり方について述べたいと思う。これは、2点目で述べた論理的思考力や要素還元主義、一般システム思考などの考え方が下地になるものである。



小生自身もそうだが、未成年の頃に学校で教科として学んでも、およそ興味を覚えなかった分野について、年齢を重ねて、大人になってから改めて興味を持ち、学びたくなることは少なくない。これの典型的な例が、教科としての日本史、あるいは京都・奈良の修学旅行などではなかろうか。

小生も、中学生の頃に京都・奈良に修学旅行に行ったが、友人と夜に枕投げをしたり、寺院巡りと称して、京都や奈良の街中でふざけ合っていた記憶しか無い。しかし、年齢を重ねて40も近くなった今時分に、京都や奈良の寺院など歴史的な建造物に興味を抱くようになってきた。今後、機会を見つけては、実際に京都・奈良の寺院を巡りながら、日本の歴史について、自らの生涯学習の一環として学びたいと思っている。決して、かつての受験生のときのように、暗記科目としての日本史ではなく、である。

このような考えを抱くのは、決して小生だけではあるまい。一定の年齢以上の成人ならば、誰でも大いにあり得ることであろうと考えている。

またあるいは、特に数学や物理などの理数系科目や、英語などの語学については、仕事の上でどうしても必要に迫られ、改めて学生時代に購入して埃を被った専門の教科書を開く、といったケースも少なくなかろう。いや、もっと言えば、それこそ大学受験が迫った受験生が、ここでの一番の対象者かもしれない。



自分自身がこういった状況に直面したとき、いざ専門のテキストなり書籍を目の前にしても、特に語学や理数系科目については、適切な勉強法ができず、途中で挫折してしまったり、大学受験や資格試験のための勉強ならば、残念な結果に終わることも少なくない。特に語学については、その傾向が多分にあるように思う。努力してるのに報われない、結果が出ないというのは、この上無く空しい、残念なことではないだろうか。小生自身、大学受験やその後の社会人人生の上で、その点を痛感している。

そのように考えると、何を学ぶにしても、否、挫折しやすい語学や理数系科目などの場合は特に、勉強の方法論のあり方、効率性の追及が非常に重要になってくるように思う。



…以上、今回はここまで。次回も引き続き、この理科系離れの問題、特に具体的な提言の3点目の続きを論じたいと思う。


世の中の仕組みを考える(48)


引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回の後半において、提言の3点目として、学習の方法論、効率性を重視することの大切さについて触れました。今回は、その続きについて、具体的に掘り下げて述べたいと思います。



我が国では特に、教育・学習の場に限らず、あらゆる日常の場面においても、努力することそれ自体をもてはやして終わる傾向があるように思われる。やる気を引き出すための根性論、精神論ばかりが前面に出がちであり、努力する対象の方法論や効率性が前面に出されて論じられる、考えられることは、現状でも意外と少ないのではなかろうか。

例えば、大手の進学塾などでも、歴史の年号をひたすら無味乾燥にノートに書いて覚える等、根性論的なやり方が散見される。このやり方でも、歴史の科目の学力向上にある程度の効果はあろうが、小生からすれば極めて効率の悪い方法であると思う。目と手を使うだけでなく、音読みして口と耳も使うようにしたり、歩きながら覚えるようにすれば、脳をより活性化でき、記憶の定着も良くなる。あるいは、歴史のドキュメンタリーやドラマとして視聴したり、受動的に頭に入りやすい伝え方もできる。このように、方法論を改善する工夫の余地は多分にあるのである。

もう一つ例を挙げる。よく学校では「本を沢山読みましょう」と奨励される。しかしそれは、厳密に言うならば、「読解力や思考力、読み書きのリテラシー能力を現状よりも向上させましょう、一般教養を身に付けましょう」ということであり、本を読むことそれ自体が最終目的では必ずしも無い。即ち、ただ言われるままに本を漫然と読むだけでは、読解力や思考力、リテラシー能力、一般教養としての知識を十分かつ効率的に養うことはできないのではなかろうか。それぞれの目的に特化した、より洗練された方法論を確立する余地が、これまた多分にある。



無論、精神論・根性論それ自体を否定する気は全くない。やる気を引き出す、または忍耐力をつけるために一定の意義はあるとは思う。しかし、そればかりが前に出されて話が終わってしまうのは、見方によっては、中途半端感が否めないとも言え、結果的に努力が空回りすることにもつながる。それは非常にもったいない。

そこで、まず何より、「方法論が悪いままに努力することは、努力しないに限りなく等しいくらいに良くないこと」という観念を国民的なレベルで啓蒙し、意識付けしてゆくべきではないかと小生は考える。裏返せば、努力の最終目的に見合った、十分に効率的で洗練された方法論の追究、工夫を行うことを徹底的に奨励するようにし、それが常識、当たり前であるという考えを植え付けるのである。






世の中の仕組みを考える(49)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



そのような啓蒙を世の中に行ってゆくと同時に、要領の悪い学習者に対しては、適切な指導、援助を提供する体制を整えてゆくべきであると考える。個々人の能力的な特性や希望等にできる限りフィットした、言い換えれば個人差にも対応できる方法論を提供することが理想である。特に、小生も人のことは言えないが、現状の自分の方法論にどうしても固執してしまうタイプの学習者をいかに軌道修正できるかが、一つの鍵にはなろう。



しかしながら、そのような理想的な体制を整えてゆくには、まだまだ程遠いのが現状であるように思われる。その理由、要因としては、一つには、上述のように、国民的なレベルで方法論の追究よりも努力それ自体ばかりが重視され、精神論・根性論的な考え方がまだまだ幅を利かせていることが挙げられる。

それと同時に、そもそも、方法論の追究の土台となる認知心理学や認知科学といった分野が未だ発展途上にあることもまた、もう一つの理由、要因として無視できない点であると考える。ここで、認知心理学・認知科学とは、人間の脳・心の中の能力的、情報処理的な面をコンピュータや機械になぞらえて科学的に分析する学問のことである。その特徴から、人工知能の研究、理論体系とも裏腹な、姉妹的な関係にある。

いずれも、最初の学問的な基礎は、はるか30〜40年も前に確立しているのだが、その後は、学問としての発展が意外な程に進んでいない、言い換えれば十分な研究成果が出てきていないのが実態である。即ち、これらの学問分野の意外な停滞が、上述の理想的な学習支援体制の構築を程遠くしているのである。



では、何故、それらの学問体系は、意外な程に進歩が遅れているのであろうか?小生が今までに論文研究や前職での研究開発業務に携わった体験、そこでの見聞なども踏まえて推測すると、一つの明確な主たる理由、要因が浮かび上がってくる。それは、純粋に技術的、理論的なハードルというよりは、利害関係者のしがらみが複雑に絡んだ、いわば大人の事情とでも言うべき、見方によっては非常に下らないことがなのである。



…以上、今回はここまで。次回も引き続き、この理科系離れの問題、特に提言の3点目の続きをより掘り下げて論じたいと思う。



世の中の仕組みを考える(50)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、前々回と、提言の3点目として、学習の方法論、効率性を重視することの大切さについて触れました。今回も、その続きについて、具体的に掘り下げて述べたいと思います。



前回の最後で、現状の科学的な教育・学習の方法論、および関連学問としての人工知能、知識工学の応用的研究や実用化の進展を妨げている理由は、利害関係者のしがらみ、いわゆる大人の事情によるところがあるのではないかと述べた。今回、それについて詳しく掘り下げて述べたいと思う。



学問に限らず、世の中のあらゆる職種においても、それで飯を食っている人たちが大なり小なり存在する。その人たちからすれば、自分たちの職や収入、地位を脅かすものが存在するとすれば、半ば当たり前だが、大変に面白くないし、都合が悪い。だとすれば、そのような自分たちを脅かすものが自分たちに何らかの形で協力を求めてきたとして、果たして素直に協力に応じるだろうか? 常識的に考えれば、「No」であろう。むしろ、協力を拒否するだけでなく、可能ならば、その脅かす相手自体を潰そうとすら画策するものではなかろうか。

あくまで私見ではあるが、前回の最後に触れた、科学的な教育・学習の方法論の基礎となる認知心理学や、人工知能・知識工学の応用研究・実用化という動きが、世の中の一部の人たちにとって、今述べた「脅かす相手」になっているのではなかろうか。そして、そのこと自体が、認知心理学や人工知能他の進展を妨げているのではなかろうか。ここが、今回一番力説したいところである。



話に説得力を持たせるため、いくつかの例を挙げて考えてみよう。

貴方が何かの物作りのベテラン職人であるとする。それ一筋で生きてきて、自分の仕事にプライドを持って取組み、懸命に汗してお金を稼いできたとして、ある日突然、「貴方のやってる仕事は、最新コンピュータや機械で自動化できます。今後は人間がそんなことをやる必要はありません。」などと通告されたら、どんな気持ちになるだろうか? 単にリストラ宣告というだけでなく、プライドを相当に傷つけられはしないだろうか?

またあるいは、貴方が数学や物理学などの難解な理論の研究をする学者、大学教授であり、その道の権威、言うなれば親分として世の中に知られていて、弟子の学者も複数いるとする。そんな中で、ある日突然、「貴方の専門分野の難問を、最新の人工知能が解けるようになってきたので、今後は人間が研究する必要はありません。」、あるいは「貴方の専門分野、これまでは非常に難解で理解できる人も少なかったのですが、教育の方法論が改善されてきて、どんな素人でも容易に理解できるようになりました。貴方の研究内容は、その程度なんですね。」などと言われたら、どうなるだろうか? 自分の学者としての職だけでなく、権威は一気に失墜してしまわないだろうか?



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(51)

引き続き、理科系離れの問題について、話を続けます。



(50)で述べた話に関して、「邪推・妄想が過ぎるのではないか?」とのご指摘があるかもしれない。それに関して、あえてその可能性も確かにある、との断りを予めさせていただいた上で、以下でさらに話を続けたいと思う。

もともと、上述のような疑念を小生が抱くようになったのは、いくつかの自分の体験によるところが大きい。



一番最初の体験は、論文研究の上で、認知心理学や人工知能の専門書籍を読み進めたとき、その書籍に書いてある内容に対して、素朴な疑問を持ったことである。その書籍によれば、人工知能や知識工学の理論的な基礎は、1960〜70年代には出来上がっていたそうである。そして、基礎が出来上がった後は、人工知能に諸々の分野の専門的な知識、ノウハウを順次インプットしてゆけば良い、と述べられていた。

その後、人間の専門家が行う専門的な知的業務を人工知能に行わせる「エキスパートシステム」という構想が出され、特に1980年代に入って、商業的にも製作が広く行われ始めた。しかし、そのエキスパートシステムが実用的に成功したのは、ごく一握りであり、大部分は残念ながら失敗に終わってしまった。一部でも成功したのなら、それは成功であると捉える見方もあるが、エキスパートシステムそのものが失敗であるとする見方も少なくないようである。

それについて、人工知能や知識工学の専門書籍では、「人間の専門家の持つノウハウ、知識は、必ずしも全てをコンピュータに明示的にインプットできる形にはできないことが分かってきた」と述べられている。



その点が、個人的には、非常に腑に落ちなかった。「人間の持つ知識ノウハウの中で、コンピュータにインプットできないものがある」というのは、果たして本当なのだろうか?、と。実は、「コンピュータにインプットできない類のものがある」のではなく、「コンピュータにインプットできる形として、人間の専門家からノウハウを引き出すことができなかった」というのが真相ではなかろうか。

そもそも、エキスパートシステムを構築するにあたっては、同システムの研究者・開発者たちが、同システムにインプットしたい分野の専門家にノウハウを地道に聞き出し、そこで教わった内容を逐次同システムにインプットしていったのである。言うまでもなく、そのためには、聞き出す相手の専門家が非常に協力的であることが大前提になる。裏返せば、相手が非協力的であったならば、同システムを構築することはできないのである。

果たして、聞き出した相手は、皆が皆例外なく、協力的だったのだろうか? 人工知能や知識工学の文献には、相手がどれくらい協力的だったか等の記述は一切見当たらない。実は、非協力的な相手が意外と、いや相当に多かったのではないか。それが、小生個人の見立てである。



…以上、今回はここまで。次回も引き続き、この理科系離れの問題、特に提言の3点目の続きをより掘り下げて論じたいと思う。

by なさ



世の中の仕組みを考える(52)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前々回・前回と、提言の3点目として挙げた学習の方法論や効率性、ならびにそれに密接に関連する知識工学や人工知能の理論・技術の進歩を妨げている要因として、いわゆるオトナの事情があることについて触れ、かつその根拠・状況証拠となるエピソード、それに基づく小生個人の見立てを紹介しました。今回も、その続きを述べたいと思います。



本稿では、前回の話に加えて、同様に妨げの真の理由がオトナの事情によるものであることの根拠・状況証拠を2つほどご紹介したい。前回の話を1点目とすると、今回のは2〜3点目に相当する。



まず、2点目。小生が大学院の学生であった頃、今は亡き指導教官から厳しく論文研究の指導を受けていた。その教官が、あるとき、酒の席でポロッとこんなことを我々学生の前で言った。「私の講義する内容は、理論的に非常に難解だからであろうが、なかなか聴講者に完全に理解してもらうことは難しい。でも、こちらとしては、何となく分かったような、分からなかったような、そんな印象を持ってもらうので良いのだ。」と。

当時は、この発言の真意が良く分からなかったのだが、最近になり、意味を悟った。即ち、「自分の研究の専門分野について、世間一般で知名度を少しでも上げたいとは思う。しかし、その全容があまりに簡単明快に理解されてしまうのも、自分がその分野の権威として君臨する上で都合が悪い」。教官の真意・本音は、はっきり言えば、こういうことではなかったのだろうか。

後に、別の大学関係者の方と話をした際、「大学というところはね、とにかく教授が威張っている場所なんだよ。」という実情をお話いただいたことも踏まえると、話の辻褄は合うと考えている。大学教官がそのような本音を抱いていることを踏まえると、教官が自ら持つあらゆるノウハウを馬鹿正直に明快に開示するとは考えにくいのではなかろうか。



3点目として、さらにもう一点挙げる。これは、小生の前職で体験したことである。小生は当時、現場第一線で熟練した人間のプロが行っている知的に高度な業務をコンピュータ化、自動化するための研究開発をしていた。いきなり全自動は現実的に難しいので、部分的に可能なところからの自動処理を実現すべく、人間のプロに対するヒアリング調査を何度も行ってきた。

しかし、その都度、現場のプロ集団からは「自動化したら、人間の担当者のレベルが落ちる」と苦言を呈され、かつ具体的なノウハウを教えてほしいと問うても、「さじ加減が大事なんだよな」「長年の勘と経験で直感的に判断するもんなんだよ」などと、漠然とした抽象論で終わることが多かった。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(53)

話を続けます。



確かに、現場のプロは叩き上げの職人集団であることを踏まえると、自ら持つノ ウハウを言葉で明快完結に説明せよと言われても、上手くできない面もありはす るのだろう。少なくとも、当初は小生はそう考えていた。だが、段々と、本音を 意図的に言わずに、話をのらりくらり交わしているだけではないかと確信するよ うになった。

そんな折、小生が外部の研究所に出向していた頃だが、同業他社から出向で来て いたエース級の社員の方の仕事ぶりを拝見して感銘を受けた。その方も、小生と 同様に、人間のプロの仕事を自動化する研究開発に従事していたが、自ら現場の 仕事の状況を模擬的に再現し、ここでこういう判断をしたということは、現場の 人はこう考えたに違いないと、徹底的かつ具体的に現場の仕事内容に切り込んで ゆくのである。

その姿勢を小生も積極的に見習い、同様に自分が担当した範疇で同じような切り 込んだ分析を事細かく行った。その上で、その結果を現場に持って行き、人間の プロに見せたところ、反応は今までと全然違ったものとなった。前回、さじ加減 だの勘と経験云々言っていた人は出てこなくなり、代わりにその後輩諸氏が「そ れはその通り」「それはちょっと違う。〜ということだ。」などと、当方の分析 に対して具体的に細かく意見をしてくれた。やや穿った見方をするならば、こち らが具体的に細かく踏み込んだことで、現場のプロの人たちも、もうのらりくら り交わせない状況であると悟った、観念したかのような印象であった。



以上、学習の方法論や効率性、ならびにそれに密接に関連する知識工学や人工知 能の理論・技術の進歩を妨げている真の理由がオトナの事情によるものであるこ との根拠・状況証拠を3つほど挙げた。いかがであろうか? これら3点を踏ま えると、オトナの事情というものが多分に幅を利かせていると解釈するのが自然 ではなかろうか。

上述のようなオトナの事情があることを十分に踏まえた上で、前々回の(48) 〜(49)あたり、即ち学習の方法論や効率性の追求のところに話を戻すことに する。個々の学習者にフィットした学習・教育の方法論の実現はまだまだ遠いと しても、特に上述の状況証拠3点をヒントにすれば、そこに将来確実に行き着く ために今何をしてゆけば良いか、おぼろげながらも見えてこないだろうか? 少 なくとも、小生の頭の中には、その具体的なビジョンは出来上がりつつある。



…以上、今回はここまで。次回は、最後に触れた具体的なビジョンについて論じ てゆきたいと思う。
世の中の仕組みを考える(54)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回までに、提言の3点目として挙げた学習の方法論や効率性、ならびにそれに密接に関連する知識工学や人工知能の理論・技術の進歩を妨げている要因として、いわゆるオトナの事情があることについて触れ、かつその根拠・状況証拠となるエピソード、それに基づく小生個人の見立てを3つ紹介しました。今回は、それらの話を踏まえて、次の段階のあり方について論じたいと思います。



前回の最後で、個々の学習者にフィットした学習・教育の方法論の実現はまだまだ遠いとしても、そこに将来確実に行き着くために、特に既述のオトナの事情に関する状況証拠3点をヒントにすれば、今何をしてゆけば良いかというビジョンが見えてくると述べた。今回は、その具体的なビジョンのあり方について述べることにする。

具体的なビジョンを策定するための重大なヒントが、前回の状況証拠3つ目の話の中に含まれていることにお気付きであろうか。即ち、人間のプロが現状行っている高度な業務をコンピュータにより自動化する研究をする者が自ら、現場の人間のプロの仕事内容について、精力的に勉強・研究して、その知見を事細かく人間のプロにぶつけることである。

こうすることで、人間のプロも観念して噛み合ったやりとりをしてくれるようになる。間違っても、単に丸投げ的にノウハウを教えてほしいとプロに依頼してはならない。そうしても、十中八九、都合よくのらりくらり交わされるだけで終わってしまうであろう。



このやり方を、学習・教育という分野に対しても同様に実践するのである。

ここで、学習・教育の分野において、上述の話における自動化の研究者、現場の人間のプロに相当するのは誰なのかを確認しておきたい。自動化の研究者に相当するのは、できれば知識工学や人工知能理論にもある程度明るい、認知心理学(あるいはその応用分野としての学習心理学)を専攻する研究者である。一方、現場のプロに相当するのは、学習・教育の対象となる数学なり物理学の理論を専門に研究する学者である。

学習・教育の分野と聞けば、普通ならば学校や塾の教師が挙げられよう。しかしながら、変な話だが、少なくとも今の段階では、教師をあえて挙げるつもりは無い。その理由は後述する。強いて言えば、認知心理学・学習心理学を専攻する研究者が現役の教師を兼ねている、あるいは教師の経験があるという前提で良い。

まずは、既述の自動化の話と同様に、認知心理学の研究者が、数学なり物理学の専門分野を精力的に勉強・研究して、そこで得た知見を専門に研究する学者にバシバシぶつけ、必要により激論を交わすことである。その際、研究者自らが専攻する認知心理学(あるいは、関連する知識工学や人工知能理論)の観点から、数学なり物理学の教科書にある知識群を、適切な形で図絵等を用いて明示的に事細かく表現していくことが必要であると考えている。






世の中の仕組みを考える(55)


数学なり物理学の教科書の内容を適切な形で表現するという点について、「そのように適切に表現したものが、既存の教科書そのものなのではないか? 何を今さら表現し直す必要があるのか?」というご指摘もあるかもしれない。それに対する返答、反論も兼ねて、具体的にどのように表現するべきかについて以下で説明したい。

ここで言う「適切な形」とは、数学や物理学の知識を、認知心理学、あるいは関連する知識工学・人工知能のセオリーに忠実に則って表現することを意味する。言い換えれば、数学や物理学を正しく理解している人が、頭の中にそれらの知識をどのような状態、形で保持しているかを細かく解明するということでもある。

「そんなことができるのは、ドラえもんの道具レベルの、遠い未来の世界の話ではないのか?」という異論もあるかもしれないが、決してそんなことはない。既存の認知心理学や知識工学のセオリーをベースにすれば、原理的には、やろうと思えば今すぐできることなのである。そこは特に強調しておきたい。



認知心理学等のセオリーに基づくならば、人間が頭の中に情報・知識を保持する形態としては、以下の3種類に分類される。

まず1つ目として、イメージ、即ち人間が目で見た自分の周囲の景色・状況そのもの、あるいは目以外の五感から得られる感覚の記憶(痛い、甘い、臭い、重いなど)が挙げられる。コンピュータになぞらえるならば、jpeg・mpegなどの映像・画像ファイル形式、あるいはキーボードやマウス、その他USBケーブルで接続された入力機器などからコンピュータ本体への入力信号の記録でデータが保存されている状態に相当する。

次に、2つ目として、手続き的知識、即ち手足などを能動的あるいは反射的に動作させることが挙げられる。より厳密に言うならば、脳から手足などに動けと指令する信号のことである。これもコンピュータになぞらえるならば、画面に画像や文字を表示させたり、スピーカーから音を出すといった、コンピュータ本体から付属の機器に出される信号とでもなるだろうか。

さらに、3つ目として、宣言的知識、即ち概念的かつ抽象的な知識が挙げられる。これは、例えば「協調性」や「来年度予算」「微分積分」など、まさに難解な教科書や書籍に載っている内容の大部分を占める種類の知識そのものである。

裏返せば、人間の頭の中の知識の形態としては、この3種類しか無いのである。ここで、1つ目のイメージ・2つ目の手続き的知識と3つ目の宣言的知識の厳密な区分は、いささかあいまいであることを付け加えておきたい。即ち、やや概念的・抽象的であっても、抽象度が低く、五感に密接に結びついた概念・知識(例えば、「痛み」「蹴る」など)は、1つ目/2つ目の方に分類すべきか、3つ目の方に分類すべきか、判断が分かれうるということである。



…以上、今回はここまで。次回は、今回述べた認知心理学等の知見の説明を続けて行いたいと思う。
世の中の仕組みを考える(56)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、学習の方法論や効率性、ならびにそれに密接に関連する知識工学や人工知能の理論・技術の進歩を妨げているオトナの事情的な要因を突破するための方策について述べ、また予備知識として、認知心理学上で分類される知識の種類について紹介しました。今回は、その続きを論じたいと思います。



前回触れた3種類の知識を踏まえて、数学や物理学などの教科書上の知識の体系を、認知心理学や知識工学等の観点から解き明かし、素人でも分かりやすい形での説明を与えてゆくことにする。

なお、前回の補足にもなるが、以下の文中で用いる「概念」「知識」の意味について予め定義しておきたい。「概念」とは簡単に言えば、「たばこ」「可愛い」などといった単語のことであり、「知識」とは、その概念を複数個組合せて出来る文(文章)のことである。ここではそのように捉えていただければと思う。

まず、数学や物理学などの分野にかかわらず、総論として言えることであるが、既存の学校や塾等での教育、あるいは個々の生徒・学習者の自習・独学の上で、抽象的な概念に関する教え方・学び方を、より洗練された方法に改めるべきではないかと考えている。以下、具体的にこの点を説明する。



現状では、教科書の書き方に沿うならば、「微分積分」「座標系」などの抽象的な概念が、いわゆる天下り的な教示の仕方になっている場合が多い。即ち、それらの抽象的な概念を「そういうものがある」「いいから覚えろ」といった感じで押し付け的に与えられるケースが殆どではないかと思われる。

本来、抽象的な概念というのは、どんなものであっても、より具体的な概念が先に複数個あり、それらが組み合わさって共通する要素のみが抜き出され、その共通要素からいわば派生的に生まれるものなのである。例えば、「2」や「3」といった数も十分抽象的な概念なのだが、これらは元々、「目の前にリンゴが2個ある状態」「2回往復すること」といった、より具体的な概念の数々を記憶することによって、頭の中で生み出される新たな概念なのである。



そう考えると、抽象的な概念を新たに教える・学ぶ際には、その概念の派生元になる、より具体的な概念の数々を並べ、そこから共通要素を抜き出し、そこから派生的に抽象的な概念を頭の中に作り出すという順序を踏むことが本来の姿というか、一番自然な方法なのではなかろうか。

例えを一つ挙げるなら、「目の前にリンゴが2個ある状態」「2回往復すること」などの概念もまだ理解できていない幼児に、いきなり算数の知識として「2」や「3」という抽象的な概念を与えようとしても、あまりにも無理がないだろうか。そのような極論的なケースならば、誰もがそれは無理があると思うにせよ、実は意外と学校教育などのごく普通に見られる場面においても、上述の自然な順序に逆らった教え方・学び方がされているように小生は考えている。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(57)

話を続けます。



現状においても、抽象的な概念を上述のような自然な順序で教える方法の試みは行われてはいる。いわゆる「帰納的学習」「発見的学習」などと言われる方法論である。

しかし、それが実践されているのは、世の中全体で言えばごく一部であり、大半を占めるまでには至っていない。また、純粋に知識・概念を教えるために行うというよりも、総合的な問題解決能力を身につけさせる目的、つまり総合学習の一環として行われることが主体であり、必ずしも個々の一般的な教科の学習に広く適用されているわけではない。



その現状を踏まえ、本稿では、上述の自然な順序での教え方・学び方、言い換えれば「帰納的学習」「発見的学習」そのもの、もしくはそれに近い方法論を、世の中の大半を占める主体的なものにしてゆくべきではないかと提言したい。即ち、数学や物理学などの分野にかかわらず、抽象的な概念を新たに教える・学ぶ際には、必ずより具体的な概念の数々を並べ、そこから共通要素を取り出すという作業を必須とするようにしたい。

こうすることにより、ごく自然な形で頭の中に抽象的な概念が生み出されることになるため、従来の方法と比べても、学習者(生徒・学生を含む)が理解しやすく、覚えやすい、忘れにくいという利点が期待される。

逆に、従来の方法論では、「微分積分」「座標系」といった抽象的な概念を、より具体的な概念と十分に結びつかず、遊離した状態で、無味乾燥に覚えることになるため、「そもそも、それはどういう意味なのか?」「何の役に立つのか?」「何でそんな概念が生まれてきたのか?」といった疑問を払拭できず、結果的に理解しづらく、覚えにくい、忘れやすいのではないだろうか。



なお、「発見的学習」と言っても、本稿での提言としては、上述のような総合学習の枠を超えて、一般的な教科の教育・学習にも適用することを想定しているため、問題解決能力を養うための発見的学習のように、学習者が主体的に発見するまで長い時間をかけて待つことは必ずしもしない。なぜなら、いちいち個々の抽象的な概念を学ぶ度にそれをやっていたら、時間がかかり過ぎるからである。

あくまでも、抽象的な概念を提示する前に、その派生元となるより具体的な概念の数々を並べ、共通要素を確認して抜き出す作業を、比較的短時間のうちに効率的に行うことを想定するものである。


世の中の仕組みを考える(58)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、抽象的な概念の教え方の改善案として、抽象的な概念を天下り的に提示するのではなく、より具体的な概念をいくつか先に提示することで、対象となる抽象的な概念が自然な形で派生的に導かれるようにすべきであるという旨を論述しました。今回は、その続きとして、具体例をいくつか挙げて、補足説明をしたいと思います。



まず、前回も例に挙げた「2」や「3」といった数の概念を、再度例に挙げて考えてみる。幼児・小児向けにこれらの数の概念を教える場合、「りんごが2個ある」「みかんが2個ある」「クッキーが2個ある」などの写真or絵を提示するのである。これらの写真or絵から、頭の中に「何らかの物が2個ある状態」という抽象的な概念が派生的に形成される。

さらに提示する写真or絵を増やし、今度は「買い物に2回行ってくる」「2メートルの長さ」など、個数とは異なる単位の数え上げ方、さらには長さや時間のような連続量的な概念なども適宜採り上げることで、それらを素にして、先ほどの「何らかの物が2個ある状態」よりも更に抽象的な「2」という数の概念が頭の中に派生的に形成されることになる。



最終的に頭の中に「2」という数の概念を形成するために、何個・何種類の具体例を提示すれば良いのであろうか。一般論として言えば、どうしても知能的な個人差があり、そうした個人差は、例えばIQ(知能指数)などの数値の差として現れる。知能の極めて高い人は、「1を聞いて10を知る」という諺の通り、少ない具体例の提示で抽象概念の形成が頭の中になされるであろうし、逆に、具体例をいくつもいくつも提示しなければならない人も中には居るであろう。

とはいえ、総論として言うならば、そうした学習者の知能的な差は、提示する具体例の種類・数の多さを増減させることで、十分調節できるものと小生は考えている。それこそ、世界最先端のレベルの極めて抽象度の高い数学的な概念の場合は、どれだけより具体的な概念を提示しても、理解できない人、言い換えれば、頭の中にその極めて抽象度の高い概念が形成できない人も居るかもしれない。しかし、実際問題として、そういった極めて抽象度の高い概念を一般の人が学習する機会というのは、極めて希なことである。それゆえ、本稿では、そうしたケースはあくまで例外中の例外とみなすことにしたい。



また、上述の「りんごが2個ある」などの具体的な写真or絵から、「何らかの物が2個ある状態」というより抽象的な概念を頭の中に形成する過程とは、言い換えれば、「2個のりんごが変形して得体の知れない2個の塊になる」、「2個のみかんが変形して得体の知れない2個の塊になる」といった動画イメージを頭の中に描き、記憶する行為とも言えよう。抽象的な概念の形成が、そういった動画イメージの描画・記憶に必ず相当するかは一概に言えないかもしれないが、少なくとも、比較的抽象度の低い概念の形成の場合は、そう言えるのではないかと考えている。



…長くなるので、ここで区切ります。次へ続く。


世の中の仕組みを考える(59)

話を続けます。引き続き、上述の「2」や「3」などの数の概念と同様にして、より抽象度の高い数学的な概念についても考えてみます。本稿では特に、小学校で習う初等的な算数、即ち「2+3=5」「9ー5=4」「7×8=56」「60÷12=5」などの四則演算を対象とします。



前半の加減乗算については、「リンゴが2個あるところに、さらに3個足して合計5個になった」「みかんが9個あるところから5個持って行って、残り4個になった」「何も無いところに、みかんを7個ずつ持ってくる動作を8回繰返す」などの状況を動画イメージで描くことに相当すると考えられる。ただし、必要により、「リンゴ」や「みかん」は「何らかの物」といった抽象的な概念に置換えて考えるものとする。

最後の除算については、やや面倒であるが、「箱の中にある60個のみかんを12人に分けるため、箱から12個ずつ取り出し、12人に1個ずつ分ける動作を繰り返す」という状況の動画イメージに相当すると考えられる。いわば、集団でトランプをやる際にトランプのカードを1枚ずつ親が配るような状況と言えよう。ここでは、たまたま、箱の中から12個ずつ取り出して分配する動作を5回繰り返すと、丁度ピッタリ箱の中は0個になるので、計算としては完全に終了となる。



一方、余りが出る除算の場合は、更にやや煩雑な手順が加わる。以下では、その余りの処理の手順を詳細に述べる。例えば61〜71個を12で割る場合は、12人に1個ずつ分配する動作を「5回」繰返した後、1〜11個の余りが出ることになる。この際、「余り9個」という答えにしたい場合は、例えば「69÷12=5…9」となって計算は終了となる。

他方、小数点以下まで計算を繰返す場合は、「余ったみかんを全て10等分のスライス状にして箱に戻し、スライスになったみかんを便宜上1個分とみなして12個分(厳密には、0.1×12=1.2個)を取り出し、12人に1個分(厳密には、0.1個)ずつ分配する動作を繰返す」という状況の動画イメージに相当する。

ここでは、分配を「7回」行うと、残り6個分(厳密には、0.1×6=0.6個)となり、次に1個分ずつ12人に分配できなくなる。その際には、10等分したみかんを更に10等分にスライスして箱に戻し、その更にスライスしたみかんを便宜上1個分とみなして12個分(厳密には、0.01×12=0.12個)ずつ取り出し、12人に1個分(厳密には、0.01個)ずつ分配する動作を繰返す」という状況の動画イメージをさらに追加することになる。

この10等分して12人に分配するという繰返しの動作は、分配した後の余りが完全に無くなるか、計算を打ち切りたい時点まで繰返すことになる。ここではたまたま、「5回」分配すると丁度余りが完全に無くなるので、その時点で計算は終了となる。即ち、除算の計算結果としては、分配する動作の回数の数字「(1個の分配を)5回」「(0.1個の分配を)7回」「(0.01個の分配を)5回」を組合せて、「69÷12=5.75」となる。

世の中の仕組みを考える(60)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前々回、抽象的な概念の教え方の改善案として、抽象的な概念を天下り的に提示するのではなく、より具体的な概念をいくつか先に提示することで、対象となる抽象的な概念が自然な形で派生的に導かれるようにすべきであるという旨を延べ、さらに前回、その具体例として、2や3などの数字、四則演算を挙げて説明しました。今回も、その具体例の続きを説明します。



前回説明した四則演算のうち、加算と減算、乗算と除算は、それぞれ互いに裏返しの関係にある。本稿では、その点について触れる。

まず、加算と減算との関係について。例えば、「リンゴが2個あるところに3個を新たに持ってきて、合計5個になった」という文章は、「リンゴが今は5個あるが、3個を持ってくる前は2個であった。」と言い換えることができる。前者を数式で表すと「2+3=5」となるが、一方で後者は「5ー3=2」となる。

この2つの数式は、ある意味では等価な意味を表しているが、完全に同じではない。時間軸の方向が異なるのである。前者の加算は、左辺の2が初めの状態を表し、右辺の5が後の状態を表すことから、時間が進む向きであると言える。逆に、後者の減算は、左辺の5が後の状態を表し、右辺の2が前の状態を表すことから、時間を遡る向きであると言える。この相違点をもって、上述の「裏返しの関係」という表現を用いた次第である。

乗算と除算の関係についても同様である。例えば、「リンゴが2個あるところに、個数が3倍になるように新たに持ってきたら、合計6個になった。」という文章は、「今はリンゴが6個だが、3倍する前は2個であった。」と言い換えられる。数式で表すと、前者は「2×3=6」、後者は「6÷3=2」となる。上と同様に、この両者の数式は左辺・右辺の時間の前後関係が互いに逆であることから、時間軸の方向が異なる、即ち裏返しの関係にあると言える。



次に、この裏返しの関係を、頭の中でどう理解し、記憶すべきかについて述べる。

前回の(58)で述べたように、四則演算は、例えば「2+3=5」といった加算ならば、「リンゴが2個あるところに、3個を新たに持ってきて、合計5個になった」といった状態の推移を動画イメージで頭に浮かべれば良い(あるいは、イメージできるなら、リンゴを何らかの得体の知れない物体などと置き換えても可)。なお、ここでは、前後の状態が重要なのであり、動画化する場合、途中の移行中の状態は任意なイメージで良い。

その前提で考えると、上述の減算「5ー3=2」、言い換えれば「リンゴが今は5個あるが、3個を持ってくる前は2個であった。」というのは、「リンゴが2個あるところに、3個を新たに持ってきて、合計5個になった」という動画イメージを巻戻しながら見ていることに相当する。まさに、時間軸の向きが逆向き、裏返しの関係にあることの証とも言える。


世の中の仕組みを考える(61)


話を続けます。(60)で述べた加算と減算、乗算と除算との“裏返しの関係”は、実は、より高度な数学への橋渡しになるものです。即ち、方程式などの解き方のベースとなるもの。本稿では、特にその点について詳しく述べます。



小学校高学年〜中学校で習う方程式は、xやyなどの文字、あるいは■などの記号が出ては来るものの、用いる演算は加減乗除の四則演算に過ぎない。もっと言えば、実は高校以上で出てくる微分積分なども、概念的に見れば、基本的には四則演算の組合せで成り立っていると言えよう。そして、これら方程式などの問題を解く際には、上述の加算と減算、乗算と除算の裏返しの関係が必要なのである。



そもそも、方程式とは何であろうか? 以下で、平易な言葉で説明してみよう。

上で「リンゴが2個あるところに3個を新たに持ってきて、合計5個になった」という状況を例として挙げたが、世の中で実際に起こりうる状況の中では、そのように前後の状況がすべて具体的に、明確に分かるとは限らない。例えば、「初めの状況がどうなっていたかは不明だが、リンゴを追加で2個持ってきたところ、結果的にリンゴが5個になった」といったように、得られる情報が断片的なものである場合も多い。

そのような場合、具体的な情報が分かる後の状況から逆算して、初めの不明な状況を推理する必要が生じる。この逆算的な推理の過程を、抽象的な数式というもので表したものが方程式である、という説明が出来ないであろうか。

(なお、世の中で実際的に起こる状況は、「リンゴが2個あるところに3個を新た に持ってきて、合計5個になった」といったような単純、簡単なものとは限ら ない。一般には、もっと複雑難解な状況になるものだが、ここではあくまで説 明の便宜上、非常に単純な状況を採り上げている。その点、ご了解願いたい。)



方程式の意味をそのような逆算的推理と捉えると、上述の“裏返しの関係”に真価を見出だせるのではないかと思う。即ち、「初めの不明な状況にリンゴを2個追加したところ、結果的にリンゴが5個になった」という状況について、上述の状況と同様にして、時間的に遡って見ると、「今はリンゴが5個であるが、2個持ってくる前が初めの(不明な)状況であった。」と言い換えることができる。この裏返しの関係に基づく言い換えによって、初めの不明な状況を逆算的に推理できるわけである。

そして、これらの状況を数式で表したものが、それぞれ「x+2=5」「x=5ー2」であると説明できよう。ここで、半ば言うまでも無いが、xとは、初めの(不明な)状況における、リンゴの個数を意味するものである。



…以上、今回はここまで。次回も、今回の論述を続けて行いたいと思う。


世の中の仕組みを考える(62)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、加算と減算、乗算と除算との“裏返しの関係”について述べ、その上で、方程式の意味について考察しました。今回も、その考察の続きを行ってゆきたいと思います。



前回、方程式を解くこととは、初めもしくは途中の状況が不明で、それ以外の状況、特に後の状況が具体的に分かっている中で、逆算的に不明な状況の数字を推理して求めることであり、かつそれを具体的に求める際に、既述の“裏返しの関係”が威力を発揮することを述べた。

具体的には、例えば、前回の最後に述べた「初めの不明な状況にリンゴを2個追加したところ、結果的にリンゴが5個になった(x+2=5)。」という状況について、加算と減算との裏返しの関係を用いることで、「今はリンゴが5個であるが、2個持ってくる前が初めの(不明な)状況であった(x=5ー2)。」と言い換えられ、最初の不明な状況(リンゴの数=x)を逆算的に求めることができる。

これとは逆に、「初めの不明な状況からリンゴを2個取り去ったところ、結果的にリンゴが5個になった(xー2=5)。」という状況を考えると、減算を加算に裏返すことで、「今はリンゴが5個であるが、2個取り去る前が初めの(不明な)状況であった(x=5+2)。」と言い換えられ、最初の不明な状況(リンゴの数=x)を求められる。



同様に、乗算と除算との裏返しの関係について考えてみると、例えば、「初めのリンゴの個数は不明だが、その個数と同じ個数のリンゴを追加したところ、結果的にリンゴが10個になった(2x=10)。」という状況について、乗算を除算に裏返すことで、「今はリンゴが10個だが、2倍する前が最初の状況であった(x=10÷2)。」と言い換えられ、最初の不明な状況(リンゴの数=x)を求められる。

これと逆に、「初めのリンゴの個数は不明だが、その個数の半分の個数のリンゴを取り去ったところ、結果的にリンゴが10個になった(x÷2=10)。」という状況について、除算を乗算に裏返すことで、「今はリンゴが10個だが、個数を半分にする前が最初の状況であった(x=10×2)。」と言い換えられ、最初の不明な状況(リンゴの数=x)を求められる。



もっと言えば、「初めのリンゴの個数は不明だが、その個数と同じ個数のリンゴを追加し、さらにリンゴを2個追加してたところ、結果的にリンゴが8個になった(2x+2=8)。」といったより複雑な状況についても、上述の加算〜減算、乗算〜除算の裏返しを組合せ、段階を分けることで求めることができる。

即ち、まずは加算〜減算の裏返しによって、「今はリンゴが8個であるが、2個追加する前が2倍した直後の状況であった(2x=8ー2)。」と言い換え、2倍した直後の個数を6個と求める。次に、乗算〜除算の裏返しによって、「2倍した直後は6個であったが、2倍する前が最初の不明な状況であった(x=6÷2)」と言い換え、求めるべき最初の状況(リンゴの数=x)を求める。


世の中の仕組みを考える(63)

話を続けます。ここでは、(62)の続きとして、より複雑なケースとして、連立1次方程式の解き方について考えてゆきます。



例えば、「ある2つの数がある。大きい方の数から小さい方の数を引くと12であり、両方の数を足すと24である。2つの数をそれぞれ求めなさい。」という問題を考えてみる。

加算〜減算の裏返しを用いると、「大きい方の数から小さい方の数を引くと12である」を、「大きい方の数(から小さい方の数を引く前)は、12と小さい方の数を足した数である」と言い換えられる。このことを踏まえると、「両方の数を足すと24である」とは、「『12と小さい方の数を足した数』と小さい方の数を足すと24である」と言い換えられる。さらに整理すると、「小さい方の数を2倍して、それに12を足すと24である」となる。

このように整理すると、(62)で考えた範疇の問題に帰着する。即ち、加算〜減算の裏返しを用いて、「小さい方の数を2倍して、それに12を足すと24である」とは「小さい方の数を2倍した数(に12を足す前の数)は、24ー12=12である」と言い換えられ、さらに乗算〜除算の裏返しにより、「小さい方の数(を2倍する前の数)は、12÷2=6である」と求められる。小さい方の数が6であると分かったので、それを踏まえると、上述の言い換えにより、「大きい方の数は、12と小さい方の数(=6)を足した数である」となり、大きい数=18と求められる。



…以上、敢えて数式を用いずに言葉のみで表現してみたが、数学の問題として解くとすれば、2つの数をそれぞれx,yと置き、xーy=12,x+y=24と立式し、1つ目の式をx=12+yと変形して2つ目の式に代入してyの値を求め、そのyの値を1つ目の式に代入してxの値も求めることになる。即ち、代入および文字式の計算という数学的な操作を気付かぬうちに含んでいることを意味するが、どちらの操作も、言葉のみで表現すると、感覚的に何となく当たり前のように理解できる、受け入れられるのではなかろうか。


世の中の仕組みを考える(64)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、連立方程式の解き方を言葉で説明し、実はそれが数式で表現した際に代入等の操作に相当することを示しました。今回はその続きとして、数式化することの意味について考察し、その上で、より複雑なケースの解き方についても述べたいと思います。



まずは、数式および数式化することの意味について考えてみたい。

数式を一切用いない場合、前号で「大きい方の数から小さい方の数を引くと12である」などと表現したように、全て言葉で表現せねばならない。数式で表すと「xーy=12」で済むことと比べれば一目瞭然であるが、言葉で表現した方が長ったらしい、冗長な表現になってしまうことが分かる。数式に慣れ親しんでいなければ、数式化せずに、このように全て言葉で表現する方が分かりやすいかもしれない。

しかし、それは前号で挙げたような簡単な問題の場合であり、大規模かつ複雑な問題の場合は、全ての数量的な関係を言葉で表現するのは非常に骨が折れる上、無駄に表現が長く冗長であるため、かえって問題の数理的な構造、本質が見えにくくなってしまうのではなかろうか。即ち、大規模かつ複雑な問題の場合、数式に慣れ親しんでいないからと言って無理に全てを言葉で表現しようとするよりは、数式に慣れる一定の訓練を積んた上で、全て数式で表現する方が得策なのではないかということである。

裏返せば、適切な記号を用いて、これらを全て数式で表現すれば、問題の数理的な構造を簡潔に表現できる。それにより、余計な要素を排して、問題の数理的な本質が見えやすくなり、ひいては、正しい結論(答え)に辿り着きやすくなる。

なおかつ、そのように数式で簡潔に表現することで、言葉で表現した場合には一見全く異質に思える問題の多くが、実は数理的な構造、ひいては解き方、導かれる結論が同じであること、言い換えれば、その数理的構造や解き方、結論の普遍性、汎用性を見出せるのである。

このように、数式化には大きなメリットがあると考えられる。



数式化と同時に、公式化もまた重要な意味を持つ。

数式化により、特定の問題の数理的な構造や解き方が他の問題と同一であると分かったとしても、いちいち答えを導くための一連の操作を行うのは、実用的には煩わしい。できれば、数理的な構造や解き方が同一である問題群については、必要が生じたときにすぐに答えを導けるよう、予め準備をしておくことが望ましい。公式化とは、その準備に相当するものであると考えられる。




世の中の仕組みを考える(65)

公式とは何であろうか。公式と聞いて、2次方程式の解の公式や、三角関数の変換公式などを思い浮かべる方も多いであろう。何にせよ、共通して言えるのは、公式とは、最終的な結論(答え)を導くまでの途中過程を省略するための、汎用性の高いツールであるということである。公式を用いることで、迅速かつ機械的に問題を解くことができる。ここに、公式化の実用的な意味がある。

そして、その汎用性を高めるために、公式の中では、一般的には文字式が多用される。念の為に説明するが、文字式とは、前号で挙げた問題文中の数値(リンゴの個数など)を、具体的な数字の代わりに、アルファベットやギリシャ文字を用いて変数または定数として表し、それらの変数・定数同士の関係を数式化して表したものである。

例えて言えば、公式は、マクロなどを組んで作った便利なExcelシートに相当するものとは言えないだろうか。前提条件として、必要な数値を決められた欄に入力すれば、たちどころに求めるべき答えが算出される。このようなExcel便利シート、折しもこの時期に行われる確定申告などで重宝している方も多かろうが、まさにあのようなものである。個々の数値入力欄が個々の変数・定数に相当し、Excelシート全体が一つの公式に相当するようなものだろうか。

公式にも様々な規模、レベルがある。ab+ac=a(b+c)のようなごく簡単な公式から、4次方程式の解の公式のように複雑なものまで、様々である。そして、簡単な公式が組み合わさることで、より複雑な公式が導かれ、そのような公式が組み合わさることで、さらに複雑な公式が導かれる。いわば、公式は互いに階層構造、入れ子構造を形成しているのである。

実用的な観点からすれば、数学の理論を築き上げるにあたっては、いかに使える公式を多く導き、まとめるかがポイントであると言える。逆に、問題を解く際には、それらのまとめられた公式をいかに適切に組み合わせ、迅速かつ省力的に解くかがポイントであるとも言えよう。


世の中の仕組みを考える(66)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、数式化・公式化する意味について考察しました。今回はその続きとして、単に数式化するというだけでなく、数式の形式を統一することの意味についても考察し、その上で、行列・ベクトルといった分野についても言及したいと思います。



前回、文章での表現を数式化することで、実は数理的な構造・本質が見えやすくなり、一見すると全くタイプの問題に見えるものを同じ種類として考えられるようになる等のメリットがあると述べた。まずは、その点をさらに補足したい。

連立方程式の問題文を数式化して、例えば「2xーy=5」「x+y/2=ー4」などの式が得られたとする。これだけでもメリットはあるが、さらにこれらの式を統合的に扱う。すなわち、左辺のxやyにかかる係数と右辺の定数項の数字を文字で置き換えてみると、どちらも「ax+by=c」という形に揃う。ここで、念のために補足するならば、「2xーy=5」の式ではa=2, b=ー1, c=5として置き換えたものであり、「x+y/2=ー4」の式ではa=1, b=1/2, c=ー4としたものである。

このように表すと、変数が2個の連立1次方程式は必ず「ax+by=c」という形に統一されることが分かる。もっと言えば、ここから容易に想像できるように、変数が3個の場合は、必ず「ax+by+cz=d」というやはり統一的な形になる。この「必ず」というのが非常に重要なことである。

数学を学術的な理論として、あるいは実用的なノウハウ集として体系化するためには、一つにはこのような統一的、普遍的な形式の数式を見出すことが不可欠と言える。なぜなら、その統一形式を中心的に扱うことで、広い範囲を包括的かつコンパクトにまとめることができるからである。裏返せば、統一形式が無いと、「○○の場合は〜、▽▽の場合は〜、□□の場合は〜」というふうに場合分け的に論じなければならず、場合分けの数が多いほど、それだけまとまりの無い理論になってしまう。



さらに言えば、数式を統一的な形にまとめる際、数式を記述するための新たな方法論、概念を導入すると、より広範囲の内容をよりコンパクトにまとめることができる。次にそれについて述べる。

上で変数が2個、3個の場合の数式を例に挙げたが、4個の場合を考えてみると、変数がアルファベットの最後のzまで来ているため、4個目の変数に使う文字をどうするか困ってしまう。適当に何らかの文字を持ってくれば良いのかもしれないが、一般論的に変数の数が膨大になった場合、そもそも文字が足りなくなってしまうことになる。

そこで、添字、即ちアルファベットの右下に数字をくっつけて表記する方法を導入する。こうすると、上でx,y,zと表していた変数はx1,x2,x3,…と表せるため、理論上は変数が100個あろうが1万個あろうが、文字が足りなくなって困るという問題は回避できることになる。裏返せば、こうすることで、変数が2個や3個の場合だけでなく、変数が100個や1万個といった大規模な場合までも統一的に1種類の数式で表すことができるようになる。

世の中の仕組みを考える(66)

話を続けます。ここでは、(66)の続きとして、数式を記述するための新たな方法論、概念の導入に関して続きを述べたいと思います。



添字の導入により、変数だけでなく、変数にかかる係数や定数項も同様に表すことができる。即ち、上述の方程式は「a1 x1+a2 x2+…an xn=c」という形に書き換えられる。この形は、nの値、即ち変数の数が2個や3個であろうと、100個や1万個であろうと、どんな数であっても統一的なものになる。

ここで、連立方程式の場合、一意的に答えを求めるためには、変数と同じ数だけの方程式を連立させる必要がある。つまり、例えば変数が100個の場合、「a1 x1+a2 x2+…+a100 x100=c」という式が100個必要になる。どの式でも変数のx1,x2,…,x100は同じになるが、係数のa1,a2,…,a100や定数項のcは式ごとに異なる値になる(でなければ、連立方程式の形にならない)。

したがって、より正確に表記するならば、係数は何個目の式における何番目のものかを表すように「a3,1(3個目の式における左から1番目の係数という意味)」などと表記せねばならず、定数項も何番目の式のものかが分かるように「c5(5番目の式の定数項という意味)」などと表記しなければならない。すなわち、i番目の式ならば、「ai,1 x1+ai,2 x2+…+ai,100 x100=ci」となる。

この形の式を、変数の数が100個なら、1番目から100番目まで縦に並べれば、変数・定数の文字もしくは添字の数字が縦・横の列それぞれの列で揃うことで、規則正しい、整然とした美しい形で方程式群全体を記述できる。



とはいえ、これでも、100個なら100個の方程式を並べると、変数x1,x2,…x100が100個どの方程式にも並ぶことになり、その点で記載が100個の式に渡って重複の無駄が生じる。そこで、さらに別の表記法アイデアを導入することで、この重複の無駄を無くし、よりスリム、コンパクトな表記にする。

別のアイデアとは、具体的には、高校数学で習う行列・ベクトルという概念を導入することである。これにより、上述の「ai,1 x1+ai,2 x2+…+ai,100 x100=ci」という式のうち、変数群(x1,x2,…,x100)と係数群(a1,1,a1,2,…,a100,100)、定数項群(c1,c2,…,c100)とを分離して表記でき、その結果、大まかに言えば、100個の方程式群を一塊に扱い、「係数群×変数群=定数項群」という1つのシンプルな形の方程式に整えることができる。

ここで、変数群と定数項群は、100なら100次元のベクトルとして、係数群は100行×100列の行列として表され、元々の個々の変数・係数・定数項の文字・数字はそれぞれのベクトル・行列の成分として内包化、隠匿化される。個々の膨大な数の変数・係数・定数項それ自体が消えるわけではないが、直接方程式の前面に出てこなくなることで、より整然とした形になる。例えて言えば、部屋の中に膨大な数の玩具が剥き出しで置いてあるよりも、引き出しや容れものを用意してそれらの中に個々の玩具を収納すれば、部屋が綺麗に片付くのと同じことである。

世の中の仕組みを考える(68)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、数式化・公式化する意味に続く話として、いくつかの概念・アイデアの導入により数式の形式を統一することの意味について考察しました。今回は、その続きとして、新たな抽象概念の形成による数学の高度化について述べたいと思います。



前回、変数の数が極めて多数の連立方程式群について、添字表記の手法を導入することで、変数や定数に用いる文字の枯渇を回避しつつ、全ての方程式を統一的な形式で記述できることを述べた。さらに、行列やベクトルといった概念を導入することにより、個々の方程式に重複する変数の記述を回避し、行列・ベクトルで表される一塊の方程式に整理できることも述べた。

添字表記はともかく、ベクトル・行列といった概念は、単に方程式をきれいに記述するためのツールに留まらず、数学の理論をより高度化する、発展させる貴重なアイデアでもある。本稿では、その点について重点的に述べたいと思う。



連立方程式をベクトル・行列を用いて一塊の方程式で記述した際、「係数群×変数群=定数項群」という形で記述できるわけだが、この「群」という文字を都合良く隠してみたとすると、「係数×変数=定数項」となる。即ち、変数がたった一つの方程式と形が一緒であることに気付く。この点から、何が言えるだろうか。

当たり前な話だが、係数・変数・定数項ともに、何らかの数である。代数として文字で表されるにせよ、0やー10,452.2といった具体的な数字で表されるにせよ、何らかの数を表すことに変わりはない。

この点をもう少し抽象化して考えてみる。そもそも、数とは何だろうか。数は何を意味する、表すものだろうか。我々の身の回りで例を挙げるならば、「リンゴが2個ある」「身長が169.5cm」「気温がー10℃」といったものだろう。これらは、抽象的に言うならば、何らかの状態を表すものである。つまり、数とは何らかの実在世界の状態を記述するもの、と言える。

しかし、よくよく考えてみれば、一つの数だけで物事の状態が記述できるとは限らない。例えば、自宅などの住所を表す場合、「●●町1-2-3」といったように、数字を複数個の数字を普通に用いる。より数学的な言い方をするならば、平面上の特定の位置を表すには、xy座標系を導入して、(x, y)=(2, 3)といったように2つの数字を用いて表す。3次元空間ならば(x, y, z)=(-1, 5, 0.3)といったように3つの数字を用いる。






話を続けます。ここでは、(68)の続きとして、数が何らかの状態を表すものであることについて引き続き述べたいと思います。



今までに挙げた例を並べてみると、実在世界の何らかの状態を表すには、たまたま数字を1つだけ用いれば済むこともあれば、2つ・3つと必要になる場合もある。総じて言うならば、実在世界の状態とは、一般には何個かの数字を用いて表されるということである。言い換えれば、いくつかの数がペア・束になって、初めて特定の意味を持つことが多いということ。

ここで、上述の行列・ベクトルを用いた方程式の表記(「係数群×変数群=定数項群」)を思い出してみたい。変数群、定数項群とも、いくつかの数が束にされたものである。係数群もその点は同じであるが、束にする数字を一列ではなく、碁盤の目状に並べるという点が異なる。しかし、大雑把に見れば、複数個の数を束にするという点では同じである。

もっと言えば、上述のように、「群」を取って「係数×変数=定数項」という一つの方程式も、「群」が付くか付かないかの違いを除けば、「●×▲=■」という方程式の形は同じである。「群」が付かない場合とは、たまたま束にする数が1個である場合とみなすならば、別に「群」が付くか付かないかを気にする必要は無いのかもしれない。



種明かし的に述べるならば、一般に複数の数を束にして何らかの状態を表すものを、数学の世界では「量」と呼ぶ。束にする数や束の仕方の違いによって、スカラー量、ベクトル量、テンソル量と呼び分ける。簡単に言えば、束にする数が1つだけの場合がスカラー量、複数個の数を一列に並べて表すものをベクトル量、碁盤の目状に並べるものをテンソル量に相当する。

スカラー量やベクトル量はともかく、数を碁盤の目状に並べたものが何らかの状態を表すと言われても、いまいちピンと来ない方が殆どであろう。我々の身の回りには挙げられる例が極めて少ないかもしれないが、実用的に言えば、宇宙の膨張や歪み具合を表したり、あるいは工業界で金属材料などの材質、強度等を表したりするのに重宝される。何にせよ、実在世界の物理的な状態を表すものである。


世の中の仕組みを考える(70)

引き続き、このシリーズ記事の執筆を続けます。前回、新たな抽象概念の形成による数学の高度化として、ベクトルや行列といった概念の導入による方程式の一般化について触れ、それらの概念に基づいて表される量(ベクトル量、テンソル量など)が我々の身の回りの物理現象の状態を表すのに適していることを述べました。今回は、その続きを述べたいと思います。



複数個の数字を適宜組合せて、物事の状態を表す際、その複数の数字の組合せを一塊にまとめて、それを「量」(スカラー量、ベクトル量、テンソル量)という抽象的な概念として定義する。こうすることで、前々回に例に挙げたような複数個(2個や3個でも良いし、膨大な数でも構わない)の方程式群をあたかも一つの単純な方程式として表すことができる。ここまでを前回のうちに述べた。

普通の方程式に現れる係数・変数・定数項は、一つの数字、数である。それらをいずれも量に拡張的に置き換える、言い換えれば一般化することで、複数個の普通の方程式を一つの方程式(ここでは「一般化方程式」と呼ぶ)に置き換えられるわけだが、その中には、係数群を表す量と変数群を表す量との掛け算が含まれる。この掛け算は、言うまでもなく、今までに見てきた普通の掛け算と同じではない。

掛け合わせるものが普通の一つの数ではなく、複数の数をセットにした「量」であるから、量と量との掛け算もまた、普通の方程式に対する一般化方程式と同様、普通の掛け算を拡張的に置き換える、言い換えれば一般化した掛け算を意味する(以下では「一般化乗算」と呼ぶ)。この一般化乗算の具体的な計算方法は、具体的にはこの場では割愛するが、簡単に言えば、高校数学で習う行列とベクトルとの積の成分計算に相当する。



一般化方程式を解くには、言い換えれば、一つのベクトル量としてまとめられる変数群の各変数の値を求めるには、一つのテンソル量(行列)として表される係数群を左辺から消さねばならない。一般化方程式ではなく、ごく普通の一つの方程式の場合なら、左辺の係数を消すには、両辺を係数と同じ値で割れば良い。

それと同様に、一般化方程式の場合も、左辺の係数群を消すために、両辺を係数群と同じ量で“割り算”する必要がある。ここで言う“割り算”とは、ごく普通の割り算ではなく、一般化乗算と同様、普通の割り算を拡張的に置き換えた、いわば「一般化除算」である。この具体的な計算方法も、具体的にはこの場では割愛するが、簡単に言えば、高校数学で習う逆行列の成分計算に相当する。


世の中の仕組みを考える(71)

話を続けます。ここでは、(70)の続きとして、一般化方程式に関連する一般化した四則演算について述べます。



(70)で述べた一般化方程式は、既に係数群(行列、言い換えればテンソル量)×変数群(ベクトル量)=定数項群(ベクトル量)に形が整理されている状態から考えたが、一般化方程式を整理する前の段階から考えるならば、乗除算と同様に、一般化した加減算も必要になってくる。これらも、具体的な計算方法はここでは割愛するが、簡単に言えば、高校で習うベクトルや行列の加減算の成分計算に相当するものである。



ここまでで、数を量に一般化するのに合わせ、四則演算も一般化したが、これで初めて、完結的、包括的に一般化方程式を扱うことができるようになる。大事なのは、量も一般化した四則演算も、通常の数や四則演算を拡張的に置き換えたものであるということである。

つまり、ベクトル量(変数群、定数項群)に含まれる成分(つまり数)が、たまたま一つしか無い場合は、ベクトル量はただの数となる。言い換えれば、変数群、定数項群とも、群が取れて、ただの普通の変数・定数項になる。それに合わせて、係数群(テンソル量、行列)も、群が取れてただ一つの係数(数)になる。

これは即ち、ごく普通の方程式や四則演算が、一般化方程式や一般化四則演算に完全に包含されるということである。もっと言えば、数学の理論として考える上では、ごく普通の方程式や四則演算に関する理論と、一般化方程式や一般化四則演算に関する理論とを別個に独立して扱う必要はなく、前者が後者に完全に包含されるのだから、後者のみを扱えば済む、ということである。



…数学の理論とは、このような流れで発展してきている、と言える。世界最先端の数学理論とは、一般の素人にはおよそ理解の及ばない、非常に抽象的で高度な考えではあるが、原理的に言うならば、上で述べたごく普通の方程式や四則演算を一般化方程式・四則演算に置き換えるのと同様な手続きを経て、理論として高度化されてきている。

裏返せば、そのような高度かつ難解な数学の理論(その応用学問である物理学や物理化学なども含む)を理解しようとする際には、その流れがあることを理解のコツとして押さえることが有効なのである。

難解な理論とは、言い換えれば抽象的な理論とも言える。そして、その難解、抽象的な理論には、いくつもの難解、抽象的な概念が含まれる。それらの抽象的な概念は、より具体的な概念が束ねられることで、派生的に生まれたものである。その派生の過程は、以前の回で述べた「りんごが2個ある」「みかんが2個ある」といった具体的な身の回りの物理的な状態から「2」という数の概念が派生するのと、平たく言えば同じである。

このことを原理原則として肝に命じておけば、原理的に考えるならば、どんな難解高度な理論も理解することができるはずである。裏返せば、理解できないということは、その原理原則に完全に沿って、従っていないことを意味する。世の中の数学等の教科書、教育カリキュラムがその原理原則に完全に従っているかと言えば、小生個人的には、まだまだそうではないと考えている。言い換えれば、そこを改めてゆく価値は大いにある。



これまで長きに渡り、この理数系科目の教育・学習のあり方について論じてきたが、年度も改まったこともあるので、このあたりでシリーズ記事としては一区切りとしたい。小生個人の取組みとしては、引き続き、場を改めて、この理数系科目の教育・学習のあり方について考察してゆきたいと思う。

by なさ




能力とは何か?

能力とは何か?(1)
さて、今回から新たなシリーズ記事の執筆に着手したいと思います。先に、シリーズ記事として、認知心理学をベースに、論じた理数系科目の学習・教育のあり方について論じてきました。今回からは、認知心理学のみならず、場合により、脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、より広範囲に、人間の能力全般的な側面について論じてゆきます。



全般的に見て、心理学や脳科学とは、人間の性格的・能力的な側面を機械やロボット、コンピュータのメカニズムになぞらえて説明しようという考え方が根底にある。少なくとも、筆者はそう理解している。その中でも、認知心理学・認知科学とは、人間の情報処理的なメカニズムを解明しようとするものではある。

しかし、現時点において、実際的に、我々人間の日常的な知的活動の全般を、個別具体的に掘り下げて分析した、論じた前例は寡聞にして存じ上げない。心理学も脳科学も、認知科学も、人間の性格的、能力的な面全般のうち、断片的、一例的な面を、あるいはメカニズム的に比較的簡単に説明の付く、それほど高い能力を必要としない面のみを採り上げ、論じているものが殆どではなかろうか。

そこで、非常に大胆ながら、心理学や脳科学等の研究という意味ではアマチュア、一介の素人である小生が、大変に僭越ながら、ズケズケ、バシバシとその分野に積極的、具体的に切り込み、人間の性格的、能力的な面全般をある程度荒っぽくも仮説的に分析し、論じてゆくことにする。



脳科学者・心理学者は、少なくとも表向きは、そこまで全般的・具体的に深く切り込むことには大変に慎重である。少なくとも、小生はそういう印象を持っている。

一介の素人がそのような出過ぎたマネをすることに対しては、場合により、厳しいお叱りを受けるかもしれない(いや、既に前回のシリーズ記事である学習・教育のあり方に関する考察でもそうであったかもしれないが)。当方としては、プロの立場の方々から厳しい反論・指摘を受けることは、ある程度は覚悟の上である。むしろ、そのような展開になってほしいとすら思っている。その際は、プロの立場の方々と積極的に喧々諤々と議論をしたいと思っているし、その上でモデルの精緻化が図られることを大いに期待している。

しかし、発達障害の一当事者として、社会でやっていくために能力的な面で壁に当たり、悩みもがいているという実用的に非常に切迫した事情から、既存の科学的な知見を最大限踏まえつつ、仮説をある程度重ねた上で、人間の性格的・能力的側面をバンバン分析してモデル化し、それに基づいて、より実践的・応用的に、理に適った能力向上・自己改善のノウハウの構築を目指すものである。




能力とは何か?(2)


話を続けます。ここでは主に、(1)の続きとして、今後どのような順序、構成で論述を進めるかについて述べます。



まずは、基礎的なセオリーとして、概略的・一般論的に、喜怒哀楽の感情・性格的な側面、欲望・やる気に関係する面をどのようにモデル化するかについて論じることにする。喜ぶとは何か。怒るとは、悲しむとは何か。性格とは何か。意識とは何か。やる気とは何か。何故やる気が出る/出ないのか。何故面倒くさがるのか。甘えとは何か。これらについて、多少順番は論述の都合上前後するかもしれないが、順次考察を進め、一般論的なモデルを考案してゆきたい。

あくまで個人的な見立てとしてであるが、これらのメカニズム解明・モデル化は、やろうと思えば意外と簡単ではなかろうか。理論神経科学の基礎理論まで出来上がっているのだから、後はその基礎理論の知見を基本法則、要素として上述の諸々の側面をメカニズムを説明すれば良いだけであるのだから。



その上で、応用的・実用的なステップとして、気が利く人は何故気が利くのか、出来る人はなぜ出来るのか、逆に出来ない人は何故出来ないのかといった能力的な側面についても、バシバシと考察を進めてゆきたい。さらに、この考察に基づいて、人間一人一人がどのように日々生きて、振る舞ってゆくべきかの模範・モデルについても敢えて示したいとすら考えている。

併せて、そこまでの考察やモデルを踏まえ、脳の機能強化のあり方、言い換えれば脳トレのノウハウについても、必要により自ら試行錯誤的に実験台となりながら、あるいは過去の自らの体験を基に、精力的に考えてゆきたい。試行錯誤的な自らの実験的な取組み、その成果については随時お伝えしてゆきたい。



このような人間の能力に関する分析が世の中で進めば、いずれ将来的には、プロスポーツの競技でコンマ以下のタイムを争うのと同様、能力的に差がつかない、つきにくい世の中になっていくかもしれない。その際は、世の中の競争のあり方についても別途考えてゆきたいと思う。

何より、障害者/健常者を問わず、人間の能力を統一的・体系的に論じることになる。これは、ひいては障害者支援につながる。しばらく、発達障害に関する論述から遠ざかっていたが、改めて初心に帰り、発達障害支援のために本記事を精力的に執筆してゆきたい。この分析を通じて、能力に関する不条理な出来事が世の中から無くなることにつながれば幸いである。


能力とは何か?(3)

前回から、新たなシリーズ記事として、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を始めました。今回もその続きとして、ここでは人間の感情とは何かについて考えてみたいと思います。



人間には喜怒哀楽、感情というものがある。それは誰もが知っている、ごく当たり前な知識であろう。では、感情とは、喜怒哀楽とは何であろうか。もっと言えば、喜ぶとは、怒るとは、哀しむとは、具体的にはどういう行為、状態を意味するのであろうか。こう聞かれると、誰しも多少は戸惑う、返答に困るのではないだろうか。自分自身を含め、人間誰しもが当たり前に持つ振る舞いではあるが、いざ具体的に詳しく言葉できちんと説明しようとすると、意外と言葉に詰まるものである。

以下では、国語辞典の説明なども参考にしながら、人間の心身のメカニズムを洞察する観点から説明を試みたい。



まず、喜ぶという意味について。辞書によれば、嬉しいと思うこと、楽しく快い気持ちになること、などと説明されている。では、嬉しいとは、楽しいとは、快いとは、具体的にどういうことであろうか。…このように言葉の厳密な定義を考え出すとキリが無いので、ここではできるだけ簡潔かつ率直、具体的に表現すべく、喜ぶなら喜ぶという状態を頭の中でシミュレーションしながら考えてみる。

喜ぶとき、我々は、嬉しい、ウキウキした気持ちになる。場合により、いかにも他人から見て嬉しそうな、ニコニコした表情になる。嬉しい気持ち、ニコニコした表情を言葉で詳しく説明するのは案外大変だが、それらを「あぁ、あんな状態ね」と頭の中で浮かべる、シミュレーションするのは誰しも容易ではなかろうか。

このうち、表情については、顔の表面が特定の特徴、パターンを持った状態に変化するわけであるから、表情を画像解析のアルゴリズム、フローチャートとして表現することはできよう(実際、最近では笑う表情を自動で検知するデジタルビデオカメラなども発売されている)。これらの表現も、広義の意味では、言葉による説明、表現ということになろう。




能力とは何か?(4)

話を続けます。ここでは(3)の続きとして、喜怒哀楽、感情をどう説明するか、どう捉えるかについて述べます。



喜ぶという感情について、喜ぶ時の嬉しい、ウキウキした表情については特定の画像解析のアルゴリズムやフローチャートとして説明が付く。では、特に表情に出ない(出さない)ときの内面的な嬉しい、喜びの気持ちは、メカニズム的にどう表現したらよいだろうか。それを以下では具体的に考えてみる。

人間の内面、心理的な状態は全て、脳の内部の働きにより引き起こるものとの前提に立つと、内面的な感情も当然ながら脳内のメカニズムで説明がつくはずである。もっと言えば、脳科学的な知見として、人間の感情は脳内物質の分泌に起因すると既に科学的に説明されているのである。例えば、喜ぶ、嬉しい気持ちのとき、ドーパミンなどの特定の脳内物質が脳内に一定量分泌された状態にあることになる。

脳内物質のリアルタイムな分泌を検知できる機器があるならば、その検知される特定のパターン、あるいはそのパターンを検知するためのアルゴリズム、フローチャートとして、喜びなら喜びの内面状態を表現できることになる。即ち、本来は外から分からない、見えないはずの内面的な感情であっても、既述の喜びの表情の表現と同様に表面的なパターンとして表現できると言える。



とはいえ、脳内物質の分泌をリアルタイムで検知できる機器は、実在したとしても世の中にそう数は無いであろうし、現実的には検知精度にも限度はあろう。そこで、内面的な喜び、嬉しい気持ちを別の手段で検知、表現してみたい。

だいぶ以前に原稿化した話だが、感情モニタリングという臨床心理学的な技法がある。あまり知られていない方法ではあるが、自らの身体感覚を意識することで、自分自身のリアルタイムな感情、心理状態を検知し、さらに応用的な方法として、その検知した感情、心理状態を理性的、意図的に別の感情、心理状態に自由自在に変えるという優れた技法である。ここでは、この技法の前半、自分自身のリアルタイムな感情、心理状態を検知する方法を抜粋して説明する。

例えば、嬉しい気持ちにあるとき、理性的な目でリアルタイムに自分自身の身体感覚を意識してみる。より具体的には、指先の触覚を意識するように、脳のあたりの感覚を意識してみるのである。小生自身の経験からすれば、嬉しいときには、脳のあたりがフワーっと軽く持ち上がりそうな感覚を得る(あくまで個人的な自覚症状的なものとして。人それぞれ、大なり小なり違う感覚ではあるかもしれない)。この感覚こそが、上述の脳内物質の検知機器とは別の、内面的な状態を表すパターンと言える。


能力とは何か?(5)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の感情とは何かについて考えてみたいと思います。



前回、喜びの感情の定義、表現方法について述べた。即ち、喜ぶ際の独特の表情を画像認識的に検知するアルゴリズムや脳内、体内に分泌される各種物質の分布状況、あるいは感情モニタリング法に基づいて喜ぶ際に自覚できる独特の身体感覚などを以って、喜びという感情モードを定義、表現できるというものである。

その点を踏まえて、喜び以外の怒り、哀しみ(悲しみ)などの感情についても考えてみると、実は喜びと全く同様に、喜怒哀楽全ての感情モードが、あくまで大枠の次元で見れば、上述のように定義、表現することができるのではなかろうか。無論、例えば、喜ぶ際の表情と哀しむ際の表情は明らかに異なるものであるし、脳内や体内での物質の分泌も喜ぶ時と哀しむ時とでは同じではないであろうから、具体的な次元では全く異なる。あくまで、大枠での、言い換えれば上述のような抽象的な次元での話でである。



ここまで、喜怒哀楽の感情の各モードを単体で考えてきたが、実際には複数の感情が同時に湧き起こる場合も考えられよう。例えば、何らか一筋縄では行かない状況に陥った際、「嬉しい半面、悲しくもある」という表現をすることがある。あるいは、「複雑な心境」などと表現する場合もある。このような状態をモデル化するには、どうしたら良いであろうか。

前者の「嬉しい半面、悲しくもある」表現の文言に特に着目するならば、いくつかのモードの感情が、それぞれ何%ずつ湧き起こっている状態としてモデル化できるのではなかろうか。例えば、「今現在の状態は、喜び度86%、怒り度5%、悲しみ度2%…」と言ったように。それでなくとも、単一の感情モードが湧き起こる際にも、強弱、程度の差はある。即ち、ちょっとだけ嬉しい、悲しいときもあれば、非常に嬉しい、悲しいときもあろう。そのような状態をも包含的に表現できる点で、妥当なモデルとは言えないだろうか。

ただし、複数の感情モードが任意の強弱、組合せで本当に起こりうるかは、さらなる検証が必要であろう(例えば、「嬉しいし、悲しんでいる上に、怒っている」などという状態になりうるものだろうか??)。


能力とは何か?(7)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の意識とは何かについて考えてみたいと思います。



意識とは何であろうか。まずは、言葉の意味から考えてみる。

日常、我々は「○○を意識する」、「意識がある/ない」、「問題意識が高い/低い」といった表現で用いることが多い。辞書によれば、これらの表現における意識の意味は、それぞれ「自分の今ある状態や、周囲の状況などを正確に認識できている状態のこと」、「起きている状態にあること(覚醒)」、「ある物事について要求される注意を払っていること。または、考え方や取組み方について努力が行われていること」と説明されている。

このうち、3つ目の意味については、ここでの趣旨には直接関係ないので、以下では割愛する。逆に、1〜2つ目は、まさに本記事に直接関係する意味だが、それらの状態は脳内ではどのようなメカニズムにより生じていて、どのようにモデル化が可能なのだろうか。以下では、既存の精神医学や心理学、脳科学などの知見に基づき、その点について考えることにする。



人間の心理・精神としては、意識のみならず、いわゆる無意識(または潜在意識)が存在する。日常、我々は「無意識的にやってしまった」といった表現で、無意識という言葉を多く用いている。では、無意識とは何であろうか。今挙げた表現において、「無意識的に」をほぼ等価の意味で言い換えるなら、「意識しないで」「条件反射的に」などとなろう。つまり、上述の辞書的な1〜2つ目の説明が指す状態になっていない状態、またはその状態で条件反射的に何かを行うことを指すと言える。

意識、無意識どちらも、脳内の様々な部位、それらの働きの結果から生じるものである。では、それぞれ具体的に、どういう部位のどういう働きによるものだろうか。その一つのモデルを考える上で、以下に挙げるサイトの説明が参考になる。
・参考サイト1
・参考サイト2

これらのサイトの要約も兼ねて述べるならば、極めて大雑把、単純には、脳内の神経回路網の中で、ループ状の回路を構成している部分から意識が、それ以外のループ状でない回路を構成している部分から無意識が生じると考えられる。





能力とは何か?(8)

引き続きここでは、意識とは何かについて考えます。



ループ状である回路、ない回路とは、具体的にはどういうものであろうか。何故、ループの有無により意識、無意識という違ったものが生じるのであろうか。ここでは、我々自身が日常行う言動、遭遇する場面を思い出しながら考えてみたい。



例えば、熱したやかんなどを誤って手で触ってしまい、思わず「熱い!」と叫んで触った手を引っ込めてしまうという場合が挙げられる。このときの言動は、まさに条件反射的であり、言い換えれば無意識的な行為、無意識が行った行為である。この一連の行為を、脳内の神経回路上の電気信号(言い換えれば、情報)の流れとして説明すると、このようになる。:

熱いやかんを触ってしまった時、五感(この場合は痛覚・触覚)から熱いという信号が脳内に一旦送られた後、今度は脳から手を動かしたり、熱いと叫ぶ動作を指令する信号が手や口に送られ、その動作が行われる。機械やコンピュータになぞらえて言えば、温度センサー等から信号がインプットされ、直ちに諸々の動作をする機械群に信号がアウトプットされるという流れに相当する。

この信号の流れは、一方向であり、直線的である。つまり、無意識とは、単純には、一方向的、直線的な神経回路上を信号が流れることにより生じるものと言えることになる。



逆に、例えば論理的にものを考えるといった行為は、まさに意識的に行う行為、意識が行う行為である。今度は、この行為について、上と同様に分析してみる。

半ば当たり前ながら、考えるという行為を行う時、同じ姿勢のまま手や口を動かすことも無ければ、わざわざ意識的に五感を気にすることもない。つまり、上述の熱いやかんを触った時などと違い、五感からのインプット信号や、手や口などへの動作指令のアウトプット信号は流れ得ないのである。

その一方で、考えるという行為を続けるということは、基本的には、考えている間連続的または断続的に同一の情報(知識、記憶)を保持、意識し続けなければならない。情報を意識するという行為が脳内の神経回路上の電気信号の流れによるものとすれば、その間脳内の然るべき部位には電気信号が絶えずに流れ続けている必要がある。

そのような電気信号の流れについて、上述のような一方向的、直線的な神経回路のみを用いて説明付けることには、やや無理がある。逆に、脳内にループ状の回路が存在し、それに沿って信号がグルグル循環して流れ続けるとするなら、上手く説明付けることができるのである。何より、脳内にはループ状の神経回路が実在することが分かっている。
●能力とは何か?(9)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の意識とは何かについて考えてみたいと思います。



前回の記事において、意識と無意識の違いは、脳内の神経回路がループ回路になっているか、非ループ即ち直線状になっているかであることを述べたが、意識がループ回路によるものとみなすと、具体的にどのように都合が良いのか、上手く説明が付くのか、いまいちピンと来ない方も多かったのではないかと思う。そこで今回は、より具体的に詳しく述べることにする。



前回(7)の記事で引用した意識の辞書的な意味を振り返ってみると、「自分の今ある状態や、周囲の状況などを正確に認識できている状態のこと」、「起きている状態にあること(覚醒)」といったものであった。

前回(8)の記事の中で例に挙げた論理的に考えるという行為は、やや広義の意味として解釈するならば、この辞書的な意味の1つ目に含まれるものと言えよう。何故なら、考えるという行為は、自分の今の頭の中の状態や、周囲の状況としての考える対象を正確に認識できていることが必要条件だからである。

いずれにせよ、そのような行為を一定時間連続または断続的に行う際には、今現在よりも少し前の段階、時刻における考えや状態を把握、記憶しておくことが基本的に必要なはずである。逆にそうでなければ、例えば、考えた直後にその考えを忘れてしまうことになり、そもそも一定時間考えるという行為が成り立たないことになる。自分の状態や周囲の状況の認識についても同様で、今この瞬間の状態、状況の直接的な認識だけならば必ずしも必要ではないにせよ、実際的には少し前の時点、段階の状態や状況と比較することが多いことから、やはり今よりも前の時点、段階での状態、状況を記憶できなければ行為として成り立ちにくい。



前回(8)で述べたように、情報を意識する、言い換えれば一時的に記憶するという行為が脳内の神経回路上の電気信号の流れによるものであるとする(逆に、人間の脳内の神経回路の仕組み、科学的な性質からすると、そうであるとしなければ、意識のメカニズムについての説明は困難ではないかと考える)。この前提条件はまさにコンピュータの仕組みそのものでもある。そこで、あくまで基礎的なコンピュータの仕組みに着目し、それになぞらえて人間の意識を捉えてみたい。




●能力とは何か?(10)

引き続きここでは、意識とは何かについて考えます。



コンピュータ上で情報を記憶する手段としては、大きく分けて2通りある。1つ目は、コンピュータのメモリ上に一時的に記憶させるものである。これは、コンピュータの特定の回路上に電気信号が流れ続けることによって記憶するもので、当然ながら電源を切ってしまえば記憶している情報が消えてしまう性質を持つ。2つ目は、ハードディスクやUSBメモリ、MO、フロッピーディスクなどの(外部)記憶装置に記憶させる方法である。これらは、装置内の媒体の配置、構造を書き換えることにより記憶するもので、1つ目と逆に、コンピュータの電源を切っても記憶している情報は消えない性質を持つ。

これらの情報記憶手段は、人間の脳内における情報の記憶手段とある意味では類似している。即ち、人間の脳内で情報が記憶される際、短期記憶と長期記憶という2つの形態がある。その名の通り、前者は短期的、一時的な情報の記憶手段であり、後者は長期的な手段である。大まかに言えば、前者はコンピュータと同様に、脳内の神経回路上に電気信号が流れ続けることで情報を記憶するものであり、後者は脳内の神経回路の結線状態を変えることで情報を記憶するものである。



ここでは特に、意識に直接的に関係するものとして、人間の脳内の短期記憶に相当するコンピュータメモリ上の記憶手段に着目する。具体的な仕組みは、細かくは様々あるが、ごく基礎的にはフリップフロップという回路素子の仕組みに基づいている。
(詳細はこちらのサイトなどを参照のこと)

上述のサイト等に掲載されている回路図をご覧いただきたい。専門的に解説することはここでは割愛するが、NAND素子の右側から出た電線のうちの1本がS字にくねって対になるNAND素子の左側につながっている。回路図自体はやや複雑だが、要するに電気配線がループ状になっているのである。ここが話の肝である。

ある瞬間に素子から出力された電気信号(即ち情報)が再び素子に入力信号として入る。電気・電子回路上での電気の流れは極めて高速(光の速さ)だが、出力されてループを描いて再び入力信号になるまで、わずかな時間ロスが発生する。言い換えれば、今現在よりも少し前の時点で自分自身が持っていた、発した情報が再び自分自身の中に入ってくるのである。入ってきた情報と同じ情報を再び出力するようにし、これを繰り返せば、同じ情報を持続的に自分自身で保持することができる。

人間の短期記憶も基本的にはこれと同じことである。即ち、脳内の神経回路がループ状になることで、回路素子であるニューロンから出た電気信号(即ち情報)が一定時間後に自分自身に戻ってくる。この繰返しで同じ情報を持続的に保持できるのである。

能力とは何か?(11)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の意識とは何かについて考えてみたいと思います。



前回の記事において、コンピュータやデジタル回路におけるフリップフロップ回路と同様な捉え方として、脳内のループ状になった神経回路によって人間の短期記憶が実現できている旨を述べた。即ち、ループ回路上の端点を出た電気信号がループ回路を巡って一定時間の後に再びその端点に戻ってくることで、同じ情報がそのループ回路内に保持されるという仕組みである。

ここまでの説明で、そのループ回路上の電気信号が頭の中に記憶されている情報に相当するという点について、何となく漠然と、場合により一種の例えとして理解できはするものの、人間の頭の中で記憶される多種多様な情報がどうやってその電気信号で表す、識別することができるのかがまだ不明確であった。そこで、ここではその点についてもう少し詳しく掘り下げてご説明したい。



人間の脳内の仕組みのことから一旦離れて、コンピュータの仕組みに再び着目する。既述のフリップフロップ回路において、それ単体で見ると、ループ部分に流れる電流により2種類の信号を表現することができる。即ち、電流が流れている状態、流れていない状態それぞれが何らかの合図・信号に相当するという考え方のことである。ここで、「何らかの合図・信号」と言うと、またも漠然とした雲を掴むような話に聞こえるかもしれないので、身近な例になぞらえてみる。

モールス信号をご存知の方は多いと思う。音や電気信号を「ツー・トン・トン・ツー」というように連続的または断続的に流すことで情報を暗号的に伝える仕組みのことである。このモールス信号を使おうとする場合、ツーやトンの順番や長さに関するパターンがアルファベットや仮名一文字、あるいは「帰還せよ」などの特定の意味の指令文を表すことを予めルール化しておき、信号の送り手・受け手の双方に知らせておくことが必須である。でなければ、このような暗号的な情報のやりとりは成立し得ない。

このモールス信号は「ツー」(長音)と「トン」(短音)の2種類の信号から成る。例えば、長音を上述のフリップフロップ回路のループ部分に電流が流れる状態、短音を流れない状態として表現するとルール化したとすると、フリップフロップ回路単体で、モールス信号の一部分(「ツー」または「トン」1つ分)を表現できることになる。






能力とは何か?(12)

引き続きここでは、人間の頭の中で短期的に記憶される多種多様な情報が脳内の神経回路上のループ回路によって具体的にどのようにして表されるのかについて述べます。



(11)で述べたように、コンピュータ内のフリップフロップ回路単体で、モールス信号の「ツー」(長音)または「トン」(短音)1つ分を表せる。これは裏返せば、フリップフロップ回路を何個も集めれば、集めた個数分だけの長さのモールス信号を送れることになる。

実際問題、コンピュータ内にはフリップフロップ回路(もしくは、まとまった数のフリップフロップ回路の機能を凝縮した素子)が多数内蔵されており、これによって、データ量が膨大になる長大な文書を電子データとして記憶することができる。このように、文字や文章などの抽象的な記号・意味を記憶する際には、このモールス信号方式を用いれば良いことが分かる。



では、画像や音声などの情報は、コンピュータ上では具体的にどのように記憶されるのであろうか。画像に関して言えば、より専門的に言うならば、jpegやpngなどの高度なデータ化手法が最近では主流であるが、ここでは話を簡単にするために、ビットマップというデータ化手法を採り上げる。

ビットマップとは、一言で言うなれば「点画方式」である。即ち、一定の大きさのキャンパスに一定の短い間隔で格子状に膨大な数の点(実際の点画で言うなら、小さな画鋲や針など)を配置する。個々の点には、必ず何らかの色を塗っておく。個々の点への色塗りを適切に行うと、その点画を遠くから俯瞰して眺めると、あたかも普通に描かれた絵画や写真のように見える。これを擬似的にコンピュータ上で再現しているのである。

コンピュータの画面上で点画を再現するには、まず、実際の点画と同様にして、画面上にフルカラータイプのLED(発光ダイオード)などのごく小さな発光素子を一定の短い間隔で格子状に配置する。ここで、個々の発光素子は、光の3原色である赤・緑・青の光を様々な割合で配合して、任意の色の光を発することができるものである。

なお、実際には、3色の配合割合の組合せパターンには限度がある(即ち、発せられる光の色は完全に任意ではなく、限られた色しか出せない)が、最近のコンピュータは高性能化が進み、3色それぞれの配合割合を256段階で調整できるため、3色の組合せの場合の数として、256×256×256=16,777,216色の色を再現できるようになっており、実用的にはほぼ任意の色を表現できるに等しい。

その上で、個々の発光素子に通し番号を付けておき、各発光素子が発する光の色を3原色の配合割合として表すようにルール化すれば、例えば「175231番目の発光素子は赤201:緑155:青78の配合割合で作った色を発する」というひと塊の数値データに置換えることができる。これを通し番号で1番目から最後の番号まで全ての発光素子について数値データ化し、かつその数値データを上述のモールス信号方式で電気信号に置換えれば、コンピュータ上で画像を電子データとして記憶することができるのである。


能力とは何か?(13)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の記憶、意識とは何かについて考えてみたいと思います。



前回、人間の脳内での情報が記憶される仕組みを理解する一助として、コンピュータ上での情報記憶の仕組みについて触れた。前回述べたように、人間もコンピュータも、文章や文字、あるいは画像、音声といった情報、データをループ状の電気信号の回路を用いて短期的、一時的に記憶している。この点では、人間の脳もコンピュータも、ざっくり同じような仕組みであると言えよう。

しかし、一方で、半ば当たり前ながら、人間の脳とコンピュータの仕組みは全く同じではない。明らかに仕組みが根本的に異なる点もある。今回は、特にその相違点について以下で重点的に触れ、前回述べた共通点と併せて、人間の脳内における情報の記憶の仕組みをコンピュータになぞらえて理解したいと思う。



情報処理の仕組みの面での、人間の脳とコンピュータとの最も根本的な違い。それは、人間の脳は必ずパターン認識に基づいた情報処理をすることではなかろうか。視覚や触覚などの五感で何かを知覚、見聞きしたとき、あるいは脳内に記憶している知識を引っ張り出して何か思考するとき、etc…。よくよく考えてみると、人間が脳を使う場面全てにおいて、何らかのパターン認識に相当するプロセスを経ていることが分かる。

例えば、目の前にリンゴが置かれていたとして、それをリンゴと認識する場合には、視覚から入ってくる信号(情報)からリンゴの外見的な特徴を抽出することで、今目の前に置かれているのがリンゴであると気付くわけである。リンゴと一口に言っても、言うまでもなく、その外見的な特徴はどのリンゴも全く細部まで同じわけではない。形状はほぼ丸い形であっても、個々に細かい形は異なるし、表面の皮の色合いなども微妙には異なる。そういった前提の中でリンゴをリンゴと気付くには、かなり高度なパターン認識が必要となるのである。

一方で、コンピュータはそういったパターン認識に基づいた情報処理を常に行っているわけではない。人間が行っているようなパターン認識を人工的、擬似的にコンピュータに行わせることは、技術的、原理的に可能ではあろうが、かなり大げさな、高度な仕組みを構築しなければならない。例えば、ビデオカメラをコンピュータにつなげて、ビデオ画像の中に映る物体がリンゴであるかどうかをコンピュータに識別させるためには、相当に高度なプログラミングを行わなければならない。自力でそれを実現しようと試みれば、そのハードルの高さを実感すると思う。




能力とは何か?(14)

引き続きここでは、人間の脳とコンピュータとの情報処理の仕組みにおける決定的な相違点として、人間の脳のパターン認識について述べます。



人間の脳のパターン認識に話を戻そう。先のリンゴと同様、目の前にみかんやオレンジ、バナナなどが置かれていた場合、我々はそれらの物体を「みかん」「オレンジ」「バナナ」などと認識することができる。同じバナナやオレンジでも、リンゴと同様に、個々には大きさや色合い、形状などが細かくは異なるわけだが、それでもオレンジ、バナナと正しく認識できるのは、人間の脳がパターン認識の能力に優れているおかげと言える。

さらにこのパターン認識を進めると、リンゴ・みかん・オレンジ・バナナなどが一度に目の前に置かれていた場合、我々はそれを「果物が並んでいる」と認識することができる。

現代に生きる我々は、それらを総称して果物と呼ぶことを学校の教師や親などから明示的に習うことで、果物と認識している面もあるが、ではそもそも何故それらを果物と呼ぶようになったのか、果物という概念が生まれたのかと考えると、歴史的に遡って推定するならば、古代に生きた人たちが、視覚のみならず味覚などで知覚する情報とも併せて、リンゴやみかんなどに共通する性質(甘い果実であるという点)をパターン認識を経て見抜くことで、自然発生的に生まれたことではないかと考えるのが一番自然と言える。



これらの果物を、それこそ植物学者や図鑑の編集者になったつもりで、さらに細分化して分類しようとするならば、リンゴと梨、みかんとオレンジをそれぞれ同じ仲間として頭の中で自然と分類する人が多いのではなかろうか(注:特にリンゴと梨は形状が似ているが、植物学的な分類はかなり異なる)。その上で、リンゴの仲間、みかんの仲間、バナナの仲間として頭の中で分類したものを総称して果物と呼ぶことになろう。

このように、知識の分類を細かく行ってゆくことで、階層構造的、樹形図的な体系になっていくことが分かる。改めて考えると、人間は知識を探求、習得する際に、意識的にも無意識的にも、知識間の関係を体系的、階層構造的にまとめて理解しようとする性質があることが分かる。加えて、知識工学的な観点から見れば、上述のリンゴの仲間、みかんの仲間、果物などは皆、脳の中で形成される抽象的な概念である。知識の体系化、階層構造化には、そのような抽象概念の導入形成がセットの必須事項にもなる。

これらの知識の体系化や抽象概念の導入形成は全てひとえに、人間の脳のパターン認識の産物なのである。

なお、余談だが、実は「リンゴ」や「みかん」なども、一見具体的な意味を持つ言葉だが、それら自体も「果物」などの抽象概念と同様、パターン認識の産物として生まれた概念であるという点で見れば、実はある程度は抽象的な概念と言える。何故なら、上述の通り、個々には大きさや色合いなどが微妙に異なる実在の複数のリンゴを目にして、それらに共通する点を見抜いて「リンゴ」と認識しているのであり、個々の実在のリンゴそのものを直接的に表すわけではないからである。


能力とは何か?(15)


引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の記憶や思考の仕組みについて考えてみたいと思います。



前回、人間の脳とコンピュータとの情報処理の仕組みの違いという観点から、人間の脳がパターン認識を活かして目の前の物体を認識したり、頭の中で概念形成を行っていることを述べた。今回は、その続きとして、人間の持つ記憶や思考、言語に関する能力についても考察してみたいと思う。



まず、記憶について。短期記憶の仕組みについては、前々回までにコンピュータの仕組みになぞらえて考察しているが、改めて前回考察した人間の脳が得意とするパターン認識の能力を前提として追加考察してみる。

例えば、目の前にリンゴが1個あったとする。前回述べたように、厳密に言えば、リンゴ1個1個は形状や色合い、味などが微妙に異なるものであり、それらを同一のリンゴという果物であると認識できるのはパターン認識の能力故であり、またリンゴという概念それ自体も、パターン認識の結果、人間の脳内に形成される抽象的な概念の一つである。

このパターン認識やそれに基づいた概念形成は、実は記憶の手助けにもなっている。「今、目の前にリンゴが1個ある」ということを記憶しようとした場合、上述のパターン認識、およびリンゴという概念形成ができないとすると、目に写る画像(点画)を詳細に記憶しなければならない。その場合、記憶すべき情報量は極めて多くなる。実際、コンピュータ上で画面いっぱいの大きさの画像をビットマップ形式などで保存する際のデータ量を見れば、一目瞭然であろう。その情報量の負担の重さは人間の脳にとっても極めて大きくなってしまう。

それが、パターン認識と概念形成ができることで、既に頭の中に形成されているリンゴという概念を想起すれば、覚えるべき情報の大部分はカバーできてしまう。これならば、前々回述べた短期記憶の仕組みを踏まえると、理屈の上では、必要となる(短期記憶のための)ループ回路は1〜数個で済む。コンピュータになぞらえて言えば、データ量は格段に圧縮できることになる。これなら、記憶する作業の上で脳への負担は小さく、結果的に無理なく記憶できることになる。




能力とは何か?(16)


続いてここでは、人間の脳のパターン認識に基づく言語能力について考察します。



前回(14)の記事において、リンゴやバナナ、果物などの概念形成について述べたが、これらの概念は言語辞書的な観点からすると、名詞に相当する単語である。単語としては、他にも動詞や形容詞、副詞などの品詞が挙げられるが、これは言い換えれば、それらの品詞に相当する概念が人間の頭の中で形成されるということを意味する。

例えば、「走る」という動詞について考えると、自分の視野に様々な人や動物が走る光景を目にすることで、何らかの生物、あるいはロボットなどのそれに類似した機械などが手足(に相当するもの)を動かしながら、速く動いていく様子を脳がパターン認識として捉え、それが走るという概念の形成につながる。同様に、「速い」「速く」などの形容詞、副詞に相当する概念についても、様々な物体が速く動く光景を目にし、それを脳がパターン認識することで、速い・速くといった概念が形成される。



このようにして、様々な品詞の単語に相当する概念が頭の中で形成されてゆくことで、単語力が身に付いてゆく。その後を追って、もしくはそれと並行して、それらの形成された様々な品詞に相当する概念が同時に頭の中で想起されることにより、一つの文(命題)が形成される。

例えば、「犬」「走る」「速く」などの概念が既に脳内に形成されているとして、今自分の目の前に犬が速く走っている光景を目にしたとすると、それら3つの概念が頭の中に想起される。言語的に厳密に言うならば、日本語としては「が」などの助詞が必要になるが、そのような細部の点は便宜上割愛して考えるとすると、想起の結果、「犬(が)速く走る」という一つの文が頭の中に想起されることになる。

このような文(命題)の形成を繰返すことで、文を構成する概念の組合せそれ自体が、これまたパターン認識により、名詞―動詞ー副詞などのいくつかのパターン、概念として頭の中に形成される。言語的に言うならば、それが基本文型(英語で言えば、SVOCなど)に相当するものと言えよう。このような過程を重ね、繰り返して、人間は言語能力を徐々に習得してゆくのである。

能力とは何か?(17)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の言語、思考の仕組みについて考えてみたいと思います。



前回、言語能力の習得の仕組みに関して、単語力が身に付くのと並行して、もしくはその後から様々な文が頭の中で形成されて基本文型のパターンが徐々に身に付いてゆくと述べた。非常に細かい話になるが、「(単語力が)身に付くのと並行して、もしくはその後から」と前回記したのは、状況により、どちらの場合も考えられるからである。ここではまず、その双方の場合について、以下で具体的に例を挙げて述べることにする。



前者の場合、即ち単語と基本文型の両方が同時並行で習得される場合から先に説明したい。例えば、前回例に挙げた「犬が速く走る」という文について。犬なら犬の映像、画像を何度も目で見ることで、パターン認識により犬という概念、単語を習得してゆくことは既述の通りであるが、この何度も犬を目で見る際に、犬という単語、概念に関する部分のみが画像からパターン認識されるとは限らない。

名詞と同様に、副詞や動詞の単語、概念もパターン認識により習得されると前回述べたが、犬を見た最初の何回かが、たまたまどの回も、「犬が速く走る」と表現できる動作をしていたとすれば、「犬」だけでなく、「速く」「走る」についても、同時にパターン認識が働くことになる。そのような場合、「犬」「速く」「走る」の3つの概念、単語が常に一体になっているため、「犬が速く走ること」という一つの不可分な概念、単語としてパターン認識されてしまう。

この場合、一体的にパターン認識されているのは、上述の3つの単語、概念だけでなく、実は基本文型をも潜在的に含まれていると筆者は考えている。言い換えれば、このような場面では、単語の習得と基本文型の習得とが同時並行で進んでいると言える。

無論、人間が犬を見かける際に「犬が速く走る」と表現できるような場面ばかりを見ることは現実的には極めて起こりにくい。即ち、たまたま最初の何回かが上述のような状況で一体的なパターン認識がなされたとしても、その後で「犬」「速く」「走る」そして基本文型がそれぞれ独立的にパターン認識できる場面に遭遇することで、それぞれの単語、概念、あるいは基本文型を独立的に正しく習得してゆくことになる。


能力とは何か?(18)

引き続きここでは、言語習得の仕組みについて補足的に掘り下げて考察します。



次に後者、即ち単語の習得よりも基本文型の習得が後になる場合を説明したい。この場合は簡単な話である。既に「犬」「速い(速く)」「走る」という単語、概念が習得できており、なおかつ、それまでに名詞、動詞、副詞の3つの単語、概念の組合せ、即ち「名詞(主語)ー動詞ー副詞」という基本文型がパターン認識されたことがない上で、初めて「犬が速く走る」と表現できる場面に遭遇し、そこで上述の基本文型をパターン認識したとすれば、その時点で初めて(単語の習得と同時並行でなく)基本文型だけが習得されたことになる。

このような状況もまた極端な状況であり、実際的には、(17)で述べた全く同時並行である場合、および今述べた場合の中間的な状況を多数遭遇しながら、単語、概念と基本文型とが、程々独立的に、程々同時並行的に習得されていくことが殆どであろうと考えられる。



なお、今までの話とは逆に、単語が全く習得されていない中で、基本文型だけがパターン認識され、習得されることは原理的に考えづらい。何故なら、(17)で述べたように、基本文型がパターン認識されるということは、そもそも何らかの単語、概念が複数同時に想起もしくはパターン認識されていなければならず、従って、その時点で幾つかの単語、概念が既に習得されているか、もしくは基本文型と同時並行的にパターン認識、習得されていることになるからである。



また、基本文型のパターン認識、習得において、例えば名詞―動詞ー副詞という単語、概念が、単純な組合せとして3つ同時に想起、またはパターン認識されれば良いわけではない。別の基本文型として「主語ー述語ー目的語(英語で言えばSVO)」があるが、この場合の主語、目的語はともに名詞が当てはまる。「犬が人を襲う」、「人が犬を襲う」のどちらの文も成立するように、単純に名詞が2つ同時に想起されただけでは、どちらが主語で、どちらが目的語かが分からないことになってしまう。

よって、基本文型とは、複数の単語、概念の単純な組合せではなく、強いて言えば順列組合せではないかと筆者は考えている(英語で言えば、ConbinationではなくPermutation)。脳内のメカニズムとして、具体的にどのようにして、単純な組合せでなく順列組合せを実現するかについては、追って考察したいと思う。


能力とは何か?(19)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の言語、思考の仕組みについて考えてみたいと思います。



前々回、前回と、言語能力の習得の仕組みに関して、単語力が身に付くのと並行して、もしくはその後から様々な文が頭の中で形成されて基本文型のパターンが徐々に身に付いてゆくことを述べてきた。後者の場合、即ち単語の習得よりも基本文型の習得が後になる場合、前回このように説明した。:

「犬」「速い(速く)」「走る」という単語、概念が習得できており、なおかつ、それまでに名詞、動詞、副詞の3つの単語、概念の組合せ、即ち「名詞(主語)ー動詞ー副詞」という基本文型がパターン認識されたことがない上で、初めて「犬が速く走る」と表現できる場面に遭遇し、そこで上述の基本文型をパターン認識したとすれば、その時点で初めて(単語の習得と同時並行でなく)基本文型だけが習得されたことになる。

この説明をもう少しだけ詳しく補足したい。上述の状況で初めて「犬が速く走る」と表現できる場面に遭遇した際、いきなり「名詞(主語)ー動詞ー副詞」という基本文型をマスターできるわけではない。厳密に言えば、その基本文型を習得する第一歩になるのであり、その後類似した状況を重ねて、徐々にその基本文型をマスターすることになるのである。その過程を以下でより具体的に述べる。



例えば、「犬が速く走る」と表現できる場面に遭遇した際、厳密には「犬ー走るー速く」という順列組合せのパターンが頭の中に想起されるのみであり、それ以上でも以下でもない。その後で、「猫が速く走る」、「豹が速く走る」、「チーターが速く走る」と表現できる場面に次々と遭遇した際、同様に「猫ー走るー速く」などの順列組合せのパターンが想起されることになる。

ここで、それより前に想起した「犬ー走るー速く」などを正しく記憶できていて、なおかつ犬や猫・豹・チーターなどを包含する抽象概念(例えば、「哺乳類」「動物」など)が習得できていたとすれば、「チーターー走るー速く」の場面に遭遇した際、「豹ー走るー速く」、「猫ー走るー速く」「犬ー走るー速く」などが連想的に想起される(この場合、「走るー速く」の部分が連想のキーになると考えられる)。

その結果、それら4つの動物を包含する抽象概念(「哺乳類」「動物」など)と連想のキーになる「走るー速く」の部分とが結び付き、「哺乳類(または動物)ー走るー速く」という順列組合せのパターンが想起されると考えられる。



能力とは何か?(20)

引き続きここでは、言語習得、とりわけ基本文型の習得の仕組みについて補足的に掘り下げて考察します。



(19)の最後で述べた「哺乳類(または動物)ー走るー速く」という順列組合せのパターンが想起された後、例えば、「犬が速く歩く」「猫が速く歩く」「豹が速く歩く」「チーターが速く歩く」と表現できる場面に遭遇したとする。ただし、「歩く」の言葉・概念、および「歩く」「走る」などの概念を包含する抽象概念(例えば「動く」「ふるまう」など)も既に習得できているとする。

そうすると、先と同様に、「哺乳類(または動物)ー歩くー速く」という順列組合せのパターンが想起されることになるが、それと同時に、今度は「哺乳類(または動物)ー速く」の部分が連想のキーになって先の「哺乳類(または動物)ー走るー速く」が想起されることになる。その結果、「歩く」「走る」を包含する抽象概念(「動く」「ふるまう」など)と連想のキーになる「哺乳類(または動物)ー速く」の部分とが結び付き、「哺乳類(または動物)ーふるまうー速く」という順列組合せのパターンが想起されると考えられる。



全く同様にして、その後で「犬ー歩くーゆっくり」「猫ー歩くーゆっくり「豹ー歩くーゆっくり」「チーターー歩くーゆっくり」と表現できる場面に次々遭遇したとする。「速く」「ゆっくり」などの言葉・概念を包含する抽象概念として、何らか動作のスピードを形容する言葉・概念(適当な例が思い付かないので、ここでは仮に「A」とおく)を習得していたとすると、途中の説明は省くが、結果的に「哺乳類(または動物)ーふるまうーA」という順列組合せのパターンが想起される。

その後、「両生類ーふるまうーA」「ロボットーふるまうーA」などを順次想起していって、最終的に「何らかの物体ー何らかの動作ー何らかの形容」という抽象概念の順列組合せのパターンが想起されたとすると、それが先に述べた「名詞(主語)ー動詞ー副詞」という完成された基本文型として習得されることになる。ここまで、理屈の上でも、実際的にも、相当数の場面に遭遇し、相当数の順列組合せのパターン想起を経験することになろう。



なお、上述の「哺乳類(または動物)ー走るー速く」は、あくまで基本文型の習得の過程の上で想起される順列組合せパターンの一例であり、言うまでも無いが、現実に「哺乳類(または動物)は速く走る」とは限らない。速く走る(走れる)哺乳類、動物も居れば、そうでないものも居る。現実的な意味合いとしては必ずしも正しくないのだが、パターン学習の上では、このような順列組合せパターンの想起はほぼ必須であると考えられる。このことは、後の記事で追って思考(推論)についての考察でより詳しく説明したいと思う。

能力とは何か?(21)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。ここでは、前回の続きとして、人間の言語、思考の仕組みについて考えてみたいと思います。



前回までに、言語における基本文型の習得のプロセス、メカニズムについて掘り下げて考察、論述してきた。今回は話を戻して、概念(単語)と知識(文)との関係、概念(単語)の意味について考察することにする。



そもそも、SVOCや「主語(名詞)ー述語(動詞)ー修飾語(副詞)」などの基本文型とは、「リンゴが木から落ちる」などの様々な文の中から人間の脳がパターン認識によって見出されるものである。裏返せば、その基本文型のパターン認識が自然発生的に行われるためには、様々な、いや膨大な文を見聞きする、または脳内で形成される必要がある。

文とは言い換えれば知識であり、実際、人間は一生の中で様々な、膨大な文、即ち知識と接してゆくものである。その文を構成する要素が「リンゴ」や「走る」などの単語である。これらは言い換えれば概念であり、その形成もまた視覚に入ってくる映像などからのパターン認識によるものであると以前の記事で述べた。



極めて当たり前な話だが、一般にどの単語についても必ず辞書的に意味というものが定義される。この意味とは一体何だろうか。いわば、意味の意味である。こう言うと言葉遊び、もしくはやや哲学的に聞こえるかもしれないが、言語学的、認知科学的な視点から大真面目に考えてみたい。

一つには、上述の視覚に入ってくる映像などからのパターン認識の上で見出される特徴、言い換えれば構成要素、属性を列挙した、言い表したものと考えられる(例えば、「リンゴ」ならば「赤くて丸く、上部にヘタが付いている」など)。コンピュータ上でのパターン認識になぞらえるならば、与えられた画像データの中にリンゴが存在するかどうかを見出すためのアルゴリズムがあるとして、そのアルゴリズムの中に含まれる諸々の判別条件式(例えば、「外見が赤いか?」、「丸っこい形状か?」、「上部にヘタが付いているか?」など)に該当するとでも言えようか。


能力とは何か?(22)

全ての単語に定義される辞書的な意味とは何か。(21)で述べた内容以外にも、もう一つ挙げられると考えている。それをここで説明したいと思う。それは即ち、他の単語、言い換えれば他の概念との関係性を表すものではなかろうか。

(毎度しつこいが)リンゴを例に採るならば、「リンゴは木から落ちる」、「木に生って熟すと落下することもある」「果実であり、甘酸っぱく美味」などの文によって説明される内容である。見たままだが、これらの文は、「リンゴ」という単語(概念)の他に、「木」「落ちる」「生る」「熟す」「落下する」などの他の単語(概念)を含んでおり、それらの単語(概念)間の関係性を表している。

実際、国語辞書や百科事典、あるいはWikipediaなどで「リンゴ」という単語について調べてみても、そのような説明が大なり小なり載っている。辞書的に見れば、それらの説明、言い換えれば他の単語(概念)との関係性を表す文・文章もまた、リンゴならリンゴという単語(概念)が持つ意味ということになる。

これも、先の(21)での説明と同様に、コンピュータ上での情報処理になぞらえるならば、「リンゴは木から落ちる」などの膨大な文、文章のテキストデータ、もしくは人工知能エンジン内部に特殊な形で保持されている、暗号化または記号化されたデータ群のうち、「リンゴ」というキーワード検索をかけた際に抽出、リストアップされるデータに相当するものと言えよう。



ここで、先の(21)後半で述べた辞書的な意味の一つ目との違いについて補足的に説明しておきたい。

「リンゴは赤くて丸っこい」と言葉で表現すれば違いが無いように思えるが、既に脳内で「リンゴ」「赤い」「丸っこい」などの概念が形成されていれば、改めてリンゴの形状を見ることで、あるいは人の話や本などから机上の知識として見聞きすることで、それらの概念が同時に想起され、一つの文が生成される。よって、この場合は今述べた辞書的な意味の2つ目に該当することになる。

一方、リンゴ(の画像、映像)を目の当たりとすれば、視覚から入ってくる情報からパターン認識によりリンゴと認識される。あるいは、「リンゴ」という概念がまだ脳内で形成されていなければ、複数回目の当たりにすることで、リンゴという概念が新たに形成される。これらの認識・概念形成は「赤い」「丸っこい」などの概念が脳内で形成されている、いないに関わらず行われる情報処理である。

能力とは何か?(23)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回までに、言語の習得の仕組みについて考えてきました。今回からは、前回までを踏まえて、次のステップとして、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みについて考えてみたいと思います。



そもそも、「思考」とはどういう行為であろうか? まずは、思考という行為の定義について考えてみたい。思考とは、日常的に用いる平たい言い方ならば「考える」という行為のことである(従って、今まさに行っているのは、やや言葉遊び的ではあるが、「考えるという行為の意味について考える」という行為である)。

例えば、学校の勉強の一環として数学などの問題を解く。悩み事の解決策を導き出す。あるいは、何らか面白い話を思い出したり、創り上げる。一口に「考える」と言っても、具体的にはこのように様々な状況が想定される。これらの様々な状況全てに共通して当てはまる言い方、定義にしなければならない。

やや抽象的な言い方ではあるが、「頭の中に今持っている知識、あるいは今その場で他から得られる知識を組合せて、新たな知見を得ること」と定義できないだろうか。これは、既存の辞書に載っている説明の受け売りなどではなく、あくまで小生個人の持論の産物である。

上の例で言えば、数学などの問題を解く状況なら、今覚えている公式、類似した問題の解き方のパターンを頭の中で試行的に組み合わせて、その問題の答、即ち新たな知見を得るということである。あるいは、悩み事の解決策を導くならば、類似した悩み事の既存の解決策を思い出して、今の悩みに当てはめてみて、その結果どうなるかを頭の中でシミュレーションしてみる。これも、そのシミュレーションの結果を得ることが新たな知見を得ると言える。面白い話を創作したり思い出すのも、その面白い話が得られる新たな知見と言える。



因みに、言語の習得の仕組みに関する考察の次に、思考の仕組みの考察をなぜ持ってきたかをここで説明しておきたい。

それは、何らかの言語を習得してこそ、まともな思考ができると考えるからである。上述の定義に従うならば、思考をするためには、知識を組合せる必要があるが、その知識を的確、簡潔に表現する手段が言語なのである。逆に言えば、言語が無ければ、いかなる知識も表現のしようがない、もしくは極めて非効率、冗長な表現手段をしなければならなくなる。

このように、思考とは、言語という基礎の上に成り立つものと捉えているため、上で「次のステップとして」と表現した次第である。


能力とは何か?(24)

引き続きここでは、思考のメカニズムについて掘り下げて考察します。



先ほどの(23)の最後の説明について、少しだけ補足しておきたい。

知識とは、言い換えれば文、または文章のことであると前回までに述べた。言語で表現する際には、文または文章になるが、言語として表現しない場合には、例えば画像や音声などの形で表現されることになろう。先に挙げた思考の例のうち、面白い話を思い出す、創り出すなどの場合には特に、知識を直接的に文または文章として頭の中で想起せずに、その話の通りの状況を視覚的、聴覚的に見聞きした映像、音声として想起するかもしれない。

そのように映像、音声などの形で知識を表現、想起すると、脳内で扱う情報量としては増えてしまい、表現手段としては非効率、冗長なものになると考えている。ただし、表現手段として非効率、冗長であっても、逆にその方が想起しやすく、結果的に思考もスムーズに進む可能性はあるので、そこは留意されたい。

ただやはり、特に抽象的な内容について思考するならば、上述の面白い話を考えるのとは異なり、その抽象的な内容を具体的な場面の映像、音声として表現できないため、言語が思考の上で必要不可欠であると考えている。



次に、思考と言える全ての行為のうち、論理的思考と呼ばれる行為について考察することにする。論理的に物を考えるとは、具体的にどういうことであろうか。例えば、「AはBである。」「BはCである。」「よって、AはCである。」といったような知見(結論)の導出はまさに論理的思考そのものである。

このような導出の具体的なケースは挙げれば多々あろうが、その論理の骨組みというか、パターンとして見れば、いくつかの限られた導出の仕方に行き着くのである。それが、演繹的推論、帰納的推論、対偶、否定、同値といったものである。高校数学(証明、集合論あたり)で習う内容そのものでもあるが、我々人間は、論理的に物事を考える時、これらの導出の仕方を意識的または無意識的にほぼ必ず使っているのである。

能力とは何か?(25)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回までに、言語の習得の仕組みについて考えてきました。前回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みについて考察を始めました。今回は、その続きとして、前回の最後で触れた論理的思考のパターンである演繹的推論、帰納的推論、否定、対偶、同値などについて具体的に掘り下げて述べたいと思います。



最初に、演繹的推論、帰納的推論について。これらは、高校数学で標準的に習う内容ではあろうが、一応簡単に解説しておく。

例えば、「先々週の木曜日に嫌な出来事があった。先週の木曜にも嫌な出来事があった。だから、今週の木曜にも、来週の木曜にも、木曜にはこの先必ず嫌な出来事がまた起こるのではないか。」…我々は普段、このような物の考え方をすることがままあると思う。このような思考、推論を帰納的推論と呼ぶ。

これとは別に、「私の人生は何時でも嫌な出来事が起こる。だから、明日も嫌な出来事が起こるし、明後日も、その次の日も、次の週末も、今度の誕生日すらも、やはり嫌な出来事が起こる。」…このような考え方もまた時折するのではないかと思う。このような思考、推論を演繹的推論と呼ぶ。



一見、この2つの例の違いが良く分からないかもしれない。そこで、両者の違いを明示的に述べたいと思う。

1つ目の例に挙げた「先々週の木曜日」「先週の木曜」「今週の木曜」「来週の木曜」「木曜」という語句に注目されたい。これらは、一見どれも同じような意味合いに聞こえるかもしれないが、厳密に考えると、言葉の意味の抽象度合いが若干異なるのである。「先週の木曜」「今週の木曜」などは、今現在の時点を基準として、その前後の特定の時期、時点を表すものであるが、最後の「木曜」のみ、その前の「●●の木曜」全てを包含していることが分かる。即ち、最後の「木曜」は漠然と「何らかの週の木曜日」、あるいは「全ての木曜日の日」を意味するものであり、より抽象的な概念である。逆に、「●●の木曜」は全て、概念としての抽象度はどれも同レベルと言える。

1つ目の例では、最初に「先々週の木曜日に嫌な出来事があった。」「先週の木曜にも嫌な出来事があった。」という事実を述べ、その後で「今週の木曜にも、嫌な出来事が起こる」「来週の木曜にも、嫌な出来事が起こる」「木曜には嫌な出来事が起こる」という3つの可能性を導き出している。「●●の木曜」という語句にのみ着目すれば、最初の事実に含まれる「●●の木曜」以外の「●●の木曜」および「木曜」が後の可能性の中で出てきていることが分かる。



能力とは何か?(26)

引き続きここでは、思考のメカニズム、特に帰納的・演繹的推論について考察します。



(25)の最後で述べたように、1つ目の例では、最初に幾つかの「●●の木曜」が事実を表す文の中に出てきて、後から残りの「●●の木曜」および「木曜」が出てくる。概念としての抽象度で見れば、抽象度が同レベルの類似した他の概念、もしくはより抽象的な概念が後から出てくる。このような論述、思考のパターンを帰納的推論と言うのである。この場合、前に述べる内容が事実であるとして、後から導かれる内容はあくまで可能性に過ぎないこと、言い換えれば、必ずしも正しい、その通りになるとは言えないことに留意されたい。



これと逆に、2つ目の例では、最初に「私の人生は何時でも嫌な出来事が起こる。」という前提文を述べ、それを基にして後から「明日も嫌な出来事が起こる」「明後日も嫌な出来事が起こる」「その次の日も嫌な出来事が起こる」「次の週末も嫌な出来事が起こる」「今度の誕生日も嫌な出来事が起こる」などの内容を導いている。これが演繹的推論である。

この場合、最初の前提文が本当に正しいならば、だが(あくまで例として挙げているが、この前提文の内容それ自体は実際的には絶対正しいとは言えないだろう)、「何時でも起こる」と言っているのだから、より具体的に言えば、明日でも起こることになるし、明後日も、その次の日も、あらゆる日に嫌な出来事が必ず起こる、ということになる。つまり、最初の前提文が正しいならば、後から導かれる内容は全て必ず正しい、必ずその通りになることになる。



以上、帰納的推論、演繹的推論とは何かについて説明した。実は、これらはいずれも、過日述べた人間の脳内で行われるパターン認識の産物なのではなかろうか。即ち、実物のリンゴやバナナを何個も見て、そこからリンゴやバナナという概念を頭の中に形成するプロセスと、帰納的・演繹的推論のプロセスとは、脳内の仕組みとしては同じものであると考えられる。


能力とは何か?(27)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みに関する考察の前段として、演繹的推論、帰納的推論とは何かについて説明しました。今回は、前回の最後で概略的、予告的に述べた、この2つの推論のプロセスがリンゴやバナナなどの概念形成と同じ仕組みであるという点について、具体的に掘り下げて述べたいと思います。



まず、以前に述べた概念形成の仕組みを改めて振り返ってみたい。リンゴを例に採ると、実物のリンゴを複数個目の当たりにした際、それらの個々のリンゴに共通する要素が脳内で抜き出されることで、リンゴという概念が頭の中で形成される、というものであった。

これと同様に、例えば、「リンゴは木から落ちる」と「バナナは木から落ちる」という2つの文、言い換えれば知識を学んだ場合、もしくはその2つの文に相当する実在の場面を目の当たりにした場合を考える。既にリンゴ・バナナの両者を包含する果物という抽象概念が頭の中に形成されているとすれば、両者の文に共通する「…は木から落ちる」の部分、およびリンゴ・バナナに共通する要素として果物という抽象概念が抜き出され、「果物は木から落ちる」という文が頭の中で生成される。これが前回述べた帰納的推論である。

(因みに、果物という抽象概念が形成されていないとすれば、「…は木から落ちる」の部分のみが抜き出され、「木から落ちるもの」という概念が新たに形成されると考えられる。)

このように見比べると、抽象概念の形成と帰納的推論は仕組みとして同じものであると言えないだろうか。



次に、これとは逆に、演繹的推論について考えてみる。

既に「リンゴは木から落ちる」、「バナナは木から落ちる」という2つの文、言い換えれば知識を身に付けており、かつ、既にリンゴ・バナナの両者を包含する果物という抽象概念が頭の中に形成されていたとすれば、「果物は木から落ちる」という1つの文(知識)を学んだ場合に、その1つの文が刺激、入力信号となり、既に身に付けている上述の2つの文が想起されることになると考えられる。




能力とは何か?(28)

引き続きここでは、思考のメカニズム、特に演繹的推論の仕組みと概念形成の仕組みとの共通点について考察します。



(27)の最後で述べた、「1つの文が刺激、入力信号となり、既に身に付けている2つの文が想起される」という点について仕組みを詳しく説明したい。その前段として、概念の形成、想起について述べる。

例えば、幾つかの実在のリンゴを見てきて、リンゴという概念が既に頭の中で形成されているとする。その場合、リンゴと聞いて、それまでに見てきた個々の実在のリンゴのイメージを思い浮かべる、想起することができる。これは、我々人間が当たり前に持っている能力と言える。では、何故そんなことができるのであろうか。以下は、あくまで筆者個人の仮説である。

人間は、頭の中で既に形成されている概念を想起する際、その概念を構成する諸要素の断片が第一段階として想起されれば、残りの想起されなかった要素も連鎖的、第二段階的に想起され、その結果、その概念自体を想起することが能力的にできるのではないだろうか。逆にそのように考えれば、演繹的推論の仕組みのみならず、他の諸々の能力的な面も合理的に説明が付くと筆者は考えている。



この仮説を上のリンゴの例に当てはめて説明する。

そもそも、いくつかの実在のリンゴを目の当たりにした結果、それら実在のリンゴのイメージに共通する要素が抜き出されてリンゴという概念が形成されたわけである。これは裏返せば、リンゴという概念が持つ全ての要素は、個々の実在のリンゴのイメージも包含的に全て持つという意味であり、個々の実在のリンゴのイメージが持つ全ての要素のうちの一部分、断片であるという意味である。

それゆえ、リンゴという概念が想起されることで、その概念が持つ要素全てが想起されることになり、それらを包含的に要素の一部分として持つ個々の実在のリンゴのイメージが連鎖的に想起されることになるのである。



このような能力をありきとすると、(27)の最後で述べた「果物は木から落ちる」という1つの文を学んだ際、果物という概念の要素を断片として持つリンゴやバナナといった概念が連鎖的に想起され、それらの連鎖的に想起された概念が「…は木から落ちる」という部分と組み合わさって、「リンゴは木から落ちる」、「バナナは木から落ちる」といった文が想起されるのではなかろうか。これが演繹的推論の仕組みではないかと筆者は考えている。


能力とは何か?(29)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みに関する考察の前段として、演繹的推論、帰納的推論とは何かについて説明しました。今回は、演繹・帰納的推論に続いて、否定という概念、思考について、具体的に掘り下げて述べたいと思います。



いきなり「否定」と言っても、今ひとつピンと来ないと思う。そこでまず、そもそもここでの否定とは具体的にどういう意味を指すかについて述べる。

英文法などで否定文というものを習ったことがあると思う。英語で言えば、「I'm not American.」など、「not」「none」「never」などの単語が含まれる英文である。日本語で言えば、「〜でない」「〜しない」などの「ない」が含まれるような文を指す。通常、否定と言えば、このように文単位に対するものと捉えられるであろう。

ここで言う否定とは、これらの文単位の否定に加え、「リンゴでないもの」「ゆっくりではないスピードで」といったように、概念(言い換えれば個々の単語、品詞)に対する否定という意味合いも含むものである。もっとも、上述の文単位の否定というのは、文の中に含まれる単語部分に対する否定とも解釈できるので(詳しくは後述)、そもそも文単位の否定という考え方は定義する必要が無いとも言えるのかもしれない。



より専門的に言うならば、数学の集合論の観点から、ある集合Aに対する補集合~Aとも定義できよう。例えば、「リンゴ」という名詞を集合Aとするならば、その補集合~Aは「リンゴでないもの」となり、「ゆっくり」という副詞を集合Aとするならば、補集合~Aは「ゆっくりではないスピードで」となる。また、「走る」という動詞を集合Aとするならば、補集合~Aは「走らない」または「走る以外の何らかの動作をする」と定義できよう。

ここで、「走らない」と「走る以外の何らかの動作をする」とは、考え方により、同一の意味とも解釈できるし、異なる意味とも解釈できうるので、その点を注意されたい。「走る以外の何らかの動作をする」に「何もしない」も広義の意味で含むと解釈するのであれば、両者は同一の意味となる。何故なら、「走らない」と言う場合、走るという動作をしないという意味であり、それ以外に何も動作をしないのか、何らか他の動作をするのかが不明であるからである。


能力とは何か?(30)

引き続きここでは、否定という概念、思考の意味、メカニズムについて考察します。ここではまず、上述の文全体の否定と単語部分に対する否定とが同一の意味と定義できるか否かについて、より詳しく述べることにします。



例えば、「太郎は速く走らない」という否定文を考える。この文を、個々の単語レベルに分解してみると、「〜ない」という否定語以外に、「太郎」(名詞)、「速く」(副詞)、「走る」(動詞)となる。

上述の考え方から、仮に「〜ない」という否定が「走る」という動詞にかかるものと考えると、「走らない」または「走る以外の何らかの動作をする」となる。ここで、後者について、上述のように、広義の意味で「何もしない」も含むとすると、厳密には「走らず、他に何らかの行為をするかもしれないし、何もしないかもしれない」という意味となる。

あるいは、否定が「速く」という副詞にかかるものと考えると、「速くなく」となり、文全体としては「太郎は速くなく走る」となる。言い換えれば、遅く、または普通のスピードで走るということである。またあるいは、否定が「太郎」という名詞にかかるものと考えると、「太郎でない人物(動物?)」となり、文全体としては「太郎以外の者が速く走る」となる。



以上、否定語が文の中のどの単語にかかるかを場合分けして考えてみた。果たして、動詞・副詞・名詞のどれにかかるのが正しいのであろうか。単刀直入に言うと、一概には決められないのである。否定語が動詞にかかるかもしれないし、副詞かもしれないし、名詞かもしれない。これらのどれかにかかるのは間違いないが、どれとは決めつけられない。これが答えである。

このように答えると腑に落ちない人も居るかもしれないが、上述の集合論的、あるいは論理学的な観点から、論理積・論理和という概念を導入して考えると、すっきりした説明を与えることができるのである。



…今回はここまで。また次回も続きを述べます。

by なさ



能力とは何か?(31)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みに関する考察として、演繹・帰納的推論に続いて、否定という概念、思考について詳しく述べました。今回も、その続きの考察を行いたいと思います。



前回の最後で、文全体の否定とその文を構成する個々の単語の否定との関係について、集合論的・論理学的な観点から、論理積・論理和という概念を導入して考えると、すっきりした説明を与えることができると予告的に述べた。今回は、それについて具体的に掘り下げて述べることにする。



高校数学でド・モルガンの定理を習ったのをご記憶であろうか。A, Bという2つの集合があったとし、AやBの否定、言い換えれば補集合を~A, ~Bと書くとすると、「~(AかつB)」と「(~A)または(~B)」とは論理的に等しい意味であるというものである。このような抽象的な記述では分かりづらいと思うので、以下で平易な言葉でより具体的な、身近な例に置き換えて説明したい。

例えばAを「国語の点数が80点以上の人」の集合、Bを「数学の点数が80点以上の人」の集合とするならば、「~(AかつB)」は「国語・数学の点数がどちらも80点以上である人以外の人」を指し、「(~A)または(~B)」は「少なくとも国語・数学どちらかの点数が80点未満である人」となる。このように考えれば、この両者が等しい意味であることを容易にお分かりいただけるのではないかと思う。

このド・モルガンの定理を、より一般化した、拡張した形にすることができる。即ち、集合をA, Bの2つだけではなく、A, B, C, …, Zのようにいくつもの集合があるとき、「~(AかつBかつCかつ…YかつZ)」と「(~A)または(~B)または(~C)または…(~Y)または(~Z)」とが意味的に等しいと言えるのである。AからZまででは、たかだか26個程度だが、例えば個々の集合に対してA1, A2, A3, A4, …というナンバリングをしたとすれば、Aいくつの数字が1000であろうと100万であろうと、あるいは1億であろうと、上述の定理は成り立つのである。



能力とは何か?(32)


引き続きここでは、否定という概念、思考の意味、メカニズムについて集合論的・論理学的な観点から考察します。ここでは、(31)で述べたド・モルガンの定理を用いて、文全体の否定とその文を構成する個々の単語の否定との関係について説明したいと思います。



上述の集合論的な表現を踏まえ、文を構成する個々の単語をA, B, …, Zとおくと、個々の単語の組合せにより構成されるという考え方から、文全体は「AかつBかつCかつ…YかつZ」と表現できる。言い換えれば、この文全体の否定は「~(AかつBかつCかつ…YかつZ)」となる。

ここに(31)で述べたド・モルガンの定理の考え方を適用すると、意味的に「(~A)または(~B)または(~C)または…(~Y)または(~Z)」に等しいことが導ける。この中の「(~A)」「(~B)」「(~C)」…「(~Y)」「(~Z)」はいずれも、個々の単語の否定を表すものである。即ち、「Aという単語の否定、Bという単語の否定、Cという単語の否定、…、Yという単語の否定、Zという単語の否定のいずれかである」という意味になる。

これはまさに、前号記事(30)で述べた「文全体の否定は、個々の単語いずれかの否定に相当するが、どの単語かは特定できない」という内容に合致するものではなかろうか。以上をもって、前号記事(30)の最後に予告的に述べた内容の説明とさせていただきたい。なお、論理積とは上述の「かつ」を指すものであり、論理和は「または」を指すものである。



次に、この否定という概念、思考が何に起因して生じるものなのかについて考えてみたい。

我々の脳は無数の神経細胞から成り立っており、個々の神経細胞からは多数の樹状突起という枝が伸びている。この樹状突起の途中もしくは先端は、他の神経細胞の樹状突起の同様な箇所と結合(厳密に言えば、完全にくっついているのではなく、わずかなすき間をあけて密に接近)している。その結合の前後に電気信号が流れることにより、互いに結合した神経細胞群、ひいては脳全体が回路として機能し、人間としての高度な知的処理を行うことができるのである。

この神経細胞同士の結合のメカニズムは単一的ではなく、興奮性結合と抑制性結合という2種類に分類される(逆に言えば、神経細胞同士の結合は、必ずこの2種類のどちらかということになる)。当方の勝手な仮説だが、上述の否定という概念・思考は、この2種類の結合に起因するものではないかと考えている。

能力とは何か?(33)


引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みに関する考察として、否定という概念、思考について詳しく述べました。今回も、その続きの考察を行いたいと思います。



前回の最後で、我々人間の脳内にある神経細胞同士の結合方法が興奮性結合と抑制性結合の2種類あることに起因して、否定という概念、思考が起こるという仮説を述べた。今回は、その仮説について、もう少し詳しく述べたいと思う。

我々が頭の中で何らかの概念を想起する際には、脳内の特定の複数の神経細胞群が興奮状態、言い換えれば電気信号を発する活動的な状態になっている。つまり、特定の概念に対して、特定の神経細胞群の組合せが1対1で対応しているのである。ここで、単純化して考えやすくするため、以下では、神経細胞が実際の脳内よりもはるかに膨大な数あるものとし、特定の概念に対して特定のただ1つの神経細胞の興奮状態が対応しているものと仮定する。



今述べたことを前提とすると、一つの文(知識)を想起する際には、その文を構成する個々の単語、言い換えれば概念に対応する神経細胞群がすべて興奮状態になっていることになる。そして、一つの文を構成する以上、それらの神経細胞同士が何らかの形で結合している必要がある。「何らかの形で」と抽象的に書いたのは、具体的にはいくつかのモデルが考えられるからである。以下では、それらの中で、一番シンプルなモデルについて述べ、ここでは便宜上、我々人間の脳内の思考のメカニズムがそのモデルに基づくものと仮定する。

文を構成する場合、いくつかの基本文型(英語で言えば「SVOC」など)がある。言語で文を記述する際に、文を構成する個々の単語(概念)を基本文型に沿ってS,V,O,Cと順に記述するように、脳内でも個々の概念に相当する神経細胞が時間順に、玉突き的に順次興奮状態になっていくものとする。言い換えれば、そのような順序で興奮状態になっていくように、個々の神経細胞が順列組合せ的に結合しているものと考える。例えば、主語(S)に相当する神経細胞→述語(V)に相当する神経細胞→…というように。

ここで、「→」と書いたように、結合には向きがあることに留意されたい。即ち、最初に興奮状態になった神経細胞Aから発せられた電気信号が軸索(神経細胞同士の結合の手に相当する箇所)を伝わり、結合先の別の神経細胞Bを興奮状態にさせるのである。「B→A」という別の結合が無い限り、Bが興奮状態になっても、それによってAが再び興奮状態に陥るということは無い。





能力とは何か?(34)

引き続きここでは、否定という概念、思考のメカニズムと脳内の神経細胞の結合との関係性について考察します。



(33)で述べたように、一つの文を構成する個々の単語(概念)に相当する特定の神経細胞が互いに特定の順序で結合し、その結合順にそれらの神経細胞が興奮状態になっていく。これにより、その一つの文が頭の中に想起されることになるのではないかと筆者個人は考えている。

ここで、否定の概念、思考が要素として入ってくる場合、今述べた特定の神経細胞同士の結合の形態、種類が変わることになるのではないか。即ち、一つの文が頭の中で想起される際、その文の中の特定の単語(概念)に否定がかかるとした場合、その概念に相当する神経細胞とその前または後いずれかの神経細胞とを結ぶ結合が抑制性結合になるのではないだろうか。逆に言えば、否定でない限り、神経細胞同士の結合は興奮性結合ということになる。

例えば、「太郎はリンゴでないものを手にした。」という文を頭の中で想起する場合、…ー(興奮)→「太郎(S)」という概念に相当する神経細胞ー(興奮)→「手にした(V)」という概念に相当する神経細胞ー(抑制)→「リンゴ(O)」という概念に相当する神経細胞…という経路、順序で電気信号が流れる、ということである。



なお、抑制性結合と言うと、…神経細胞Aー(抑制)→神経細胞B…という結合になっているとして、神経細胞Aが興奮状態になった後、神経細胞Bは完全な鎮静状態、言い換えれば、ここで想起されない他の単語(概念)に相当する神経細胞と全く同じ状態になるようにも聞こえるが、そうではない。

厳密には、抑制性結合にはいくつかの種類があり、結合先の神経細胞を完全に鎮静状態にしてしまうものもあれば、半端な鎮静状態(逆に言えば、半端な興奮状態)にするものもある。ここでの抑制性結合は後者の種類であると考えると、想起されない他の単語(概念)に相当する神経細胞と全く同じにはならないわけであるから、上手く説明をつけることができる。


能力とは何か?(35)

引き続き、認知心理学や脳科学(特に、大脳生理学・理論神経科学)などの知見も踏まえつつ、人間の能力全般的な側面についての考察を進めます。前々回、人間の思考の仕組み、思考力の習得の仕組みに関する考察として、否定という概念、思考について詳しく述べました。今回は、その続きの考察として、論理的な法則としての対偶について考えたいと思います。



中学高校レベルの数学で、「対偶」という論理上の法則について習った記憶があると思う。即ち、「A(が成り立つ)ならば、(その結果として)B(が成り立つ)」という命題をありきとしたとき、そこから「(結果的に)B(が成り立つの)でないならば、(そもそも)A(が成り立つの)ではない」という命題が導けるというものである。

集合・補集合の図(ベン図)を描けば、この法則が必ず成り立つことは一目瞭然ではあるが、そもそも人間は何故、このような論理法則を発見するに至ったのであろうか。これもまた、前々回の記事(33)〜(34)で述べた人間の脳の神経回路の仕組みという観点から説明付けることができる。それを以下で具体的に述べることにする。



Aという命題または概念が成り立つ場合、Aを肯定的に想起することになるため、神経細胞Aと興奮性結合の状態にある他の神経細胞(群)から電気信号が流れ込むことにより、脳内の神経細胞Aが興奮状態になるとする。逆に、Aという命題または概念が成り立たない場合、Aを否定的に想起することになるため、神経細胞Aと抑制性結合の状態にある他の神経細胞(群)から電気信号が流れ込むことにより、神経細胞Aが抑制状態(中途半端な興奮状態)になるとする。

これらの仮定は、Bという命題または概念についてもAと全く同様であり、かつ神経細胞AとBとは、A→Bの向きで興奮性結合の状態にあるとする。さらに言えば、C,D,…という他の命題、概念(に相当する神経細胞(群))についてもAと全く同様であり、神経細胞CとB、DとBについてもそれぞれC→B、D→Bの向きで興奮性結合の状態にあるとする。即ち、「CならばB」「DならばB」という命題も成り立つものとする。





能力とは何か?(36)

引き続き、論理法則としての対偶について、脳内の神経細胞のメカニズムの観点で考察を続けます。



(35)で述べた前提で「AならばB」という命題を認識または想起したとすると、脳内では、まず神経細胞Aが興奮状態になり、続いて神経細胞Bが興奮状態になる(「CならばB」、「DならばB」という命題についても同様)。このような出来事が脳内で起こることで、Bという結果的な命題または概念と、その元となるA(またはC,D)という命題または概念とを関連付けて意識することができ、その結果、「Bであったということは、そもそもAであった(、あるいはC、Dであった)ということである」という思考を脳内で行うことができるのではないかと考えられる。

ここで、神経細胞AとBとは、A→Bの向きで興奮性結合があるのみであり、同じ向きで抑制性結合は無いものとする。何故なら、A→Bの興奮性結合とA→Bの抑制性結合とが同時にあったとすると、「AならばB」が必ず成り立つとは言えない(言い換えれば、「AならばB」かもしれないし、「AならばBでない」かもしれない)ことになるからである。

かつ、それと同様に、神経細胞Aは他の神経細胞(群)XとA→…の向きで興奮性結合は無いものとする。何故なら、A→Bの興奮性結合とA→Xの興奮性結合とが同時にあったとすると、やはり「AならばB」が必ず成り立つとは言えない(言い換えれば、「AならばB」かもしれないし、「AならばX」かもしれない)ことになるからである。



これとは逆に、「Bでない」という命題を認識または想起したとすると、既述のように、脳内では神経細胞Bが抑制状態(中途半端な興奮状態)になる。神経細胞Bが抑制状態になったとすれば、その直前に神経細胞Aが(完全な)興奮状態になることは全く起こり得ない(言い換えれば、必ず抑制状態になっている)ことになる。

このことから、上述の思考と同様にして、「Bでなかったということは、そもそもAでは全くなかった(、さらに言えばCでもDでも全くなかった)ということである」と導けることになる。このようなメカニズムによって、対偶という論理法則が発見されたのではないかと筆者は考えている。



…以上、これまで長きに渡り、能力とは何かというシリーズ記事を執筆してきた。ここまでで本テーマの考察も一通り行えたと思うので、年の区切りというタイミングに合わせ、本テーマはいったん一区切りとしたい。また必要により、追加の考察を適宜行ってゆくことにする。





2014年を振り返って

2014年を振り返って(1)
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。振り返れば、昨年2014年は、筆者にとって、今までに無い位にとても充実した、進歩の大きい一年でした。そこで、本年2015年をより良くするためにも、本記事の中で、差し支えない範囲で昨年の経過を書き綴り、振返りと反省を行いたいと思います。

本来ならば、本記事は2014年の最後の号となる前号に掲載すべきでしたが、前号ではそれまで続けてきたシリーズ記事を年内に完結させたかったため、代わりに新年号となる本号に掲載させていただきます。



一昨年から、仕事の上で新規プロジェクトが立ち上がったのだが、昨年に入ってそれが本格化した。当方のプライバシーならびに仕事の守秘義務上、あまり詳しくは書けないが、昨年はそのプロジェクトに明け暮れた一年であったと言っても過言ではない。

その手のプロジェクトは、世の中には類似の事例は数ある上、またその分だけ、ノウハウ、指南のようなものは多く存在はするようだ。プロジェクトを立ち上げるにあたり、外部の力を借りる手もあり、一時期はそれも検討したが、結果的には外注化はせず独力でほぼ100%こなすことになった。小生のこれまでの業務経験からすれば、やや畑違いというか不慣れな分野ではあるが、白紙から立ち上げる面白さを味わうことができ、非常にやりがいを感じている。

本年はそのプロジェクトが一応完結する予定の年であり、無事に完遂できるよう、引き続き尽力してゆきたい。手前味噌ながら、今のところ致命的なミスや混乱はなく、多少の紆余曲折はありながらも、進展している状況である。10数年務めた元職で致命的なミスや失態を繰り返していた頃からすれば、我ながら著しい進歩ではないかと思っている。

そのような進歩ができたのも、その元職を退く前後から、自らの失敗事例を分析するなど、仕事の上での失敗学的な取組みを進めてきたことが大きいと考えている。聞けば、安倍総理も、一昨年暮れに総理総裁の座に再度就任した際に、最初の総理総裁を経験した際の失敗経験やその他気付いたこと等をつぶさにメモしてまとめ、それを再登板時に活かしたという。安倍総理の取組みには小生など足元にも及ばないだろうが、それでも自分なりには大きな進歩であったと重ね重ね感じている。






2014年を振り返って(2)

2014年の振り返りについて、続けます。



プロジェクトと言えば、(1)で述べた以外にも、昨年のうちにもう一つプロジェクトを立ち上げようと画策してきた。少しだけ進展はできたものの、(1)で述べたプロジェクトが最優先であり、もう一つの方はどちらかと言えば犠牲になってきた。一応、自分なりに立ち上げはしたという意味では進展と言えば進展ではあるが、こちらは今年2015年に本格化させたいと思う。

次に、投薬治療について。昨年2014年の春先から通院先を変え、2013年末に成人向けに認可されたコンサータの処方、服用を開始した。結論から言えば、コンサータは期待通りの強力な薬である。元々は、やる気スイッチを少しでも入れやすくするために主治医に処方を相談したのだが、蓋を開けてみれば、やる気スイッチを入れる効果はもちろんストラテラ以上にあることは実感できたが、それ以上に、抗鬱作用に絶大な威力を発揮することが分かった。これまで処方され、服用してきたどの抗鬱または向精神薬よりも、酷い落ち込み気分を軽減、解消する作用が強い。同じ成分であるリタリンが、長年抗鬱剤として使われてきた意味を身をもって理解した。

続いて、犬を飼い始めたことの効果。これについては前々回記事に書いたので、ここでは割愛する。

さらに、認知行動療法について。年末近くから、医師の勧めで認知行動療法を受けることにした。発達障害的な特性も踏まえれば尚更、躁鬱的な気分の浮き沈みの軽減化に十分寄与するものであると医師から助言された。折しも、今の自分なりの自己改善の手法だけではやはり力不足であると最近感じていたこともあり、専門的な臨床心理的治療法には大きく期待している。こちらも、本格的にはこの年明け以降に進んでゆく予定である。

最後に、趣味嗜好、興味関心の変化について。これは、前年1年間というよりも、この5年間(特に一昨年からの2年間)で自分の中で変化が見られ始めていたが、昨年のある時、一昔前の自分と比べて大きく変化しているとふと気付いたものである。一般には、人間誰でも、年とともに多少は変化してゆくものであろうが、この2年ないし5年という短い期間での変化は、年をとったことも遠因の一つではあるかもしれないが、それだけが原因とは考えにくい。何故なら、自分と同じ趣味嗜好、興味関心を持つ方々が、今の自分と同程度の年齢で皆卒業していくわけではないからである。思い当たる節としては、6年前に行ったワーキングメモリトレーニング、および以前ご紹介した感情モニタリングという臨床心理技法の2つあたりではないかと考えている。

by なさ




早め早めの行動

今回は、最近身に付いて、改善してきている習慣について書きたいと思います。

このメルマガの記事執筆も含めて、こなすべきタスクをなかなか余裕を持って済ませることができないで来た。だが、最近新たに引き受け始めた仕事について、意識的に早め早め、先取り先取りでこなすようにしていた結果、タスク全般を早めにこなすように習慣付いてきたようだ。長年先延ばし、時間ギリギリ癖で来た小生が、そもそも何故、何をきっかけとしてそのような習慣が身に付いてきたのか。ある日ふと考えてみた。いくつかの要因が重なっての結果であるように思えた。それを以下で一つ一つ採り上げてみたい。



最も大きいのは、既に先日の記事でも採り上げているが、昨年秋頃に犬を飼い始めた影響であろう。おかげで、毎朝、毎夕の犬の散歩で適度に運動もするようになり、妻子とともに夜10時過ぎには寝て、朝6時過ぎには起きて朝日を浴びるという規則正しい生活リズムになった。かつては毎晩の平均睡眠時間が3〜4時間であった小生が7〜8時間は寝るようになった。夜たっぷり寝ると、朝起きてやる気スイッチも入りやすい。それ自体は以前から自らの経験則的にも気付いてはいたが、なかなか生活習慣を改められず、結果的にやる気スイッチが入りにくい状態であったように思う。

2つ目として、薬の効果もある。ストラテラという薬を基本的に毎日朝晩に飲み、頓服的にコンサータを時々必要により朝方に服用している。最近のある日、ストラテラをうっかりして朝晩とも、つまり丸一日分飲み忘れたのだが、睡眠をたっぷり摂っていても、いつもと比べてやる気度がある程度落ちたように感じた。ということは、睡眠+薬=十分なやる気、という図式が成り立つことを意味するのではないか。ただし、あくまでも優先順位、効力の順位としては、一に睡眠、ニに薬である。そこは強調しておきたい。

3つ目として、上述の仕事に関する同僚の方々、あるいは家族から「仕事早いねぇ」「やれば出来るじゃん」といった評価もあり、タスクを先に先に片付けることに快感を覚えるようになったことも挙げられる。我ながら、好循環が自分の中で起きていると実感している。時間ギリギリ癖の場合、時間ギリギリで間に合ったという快感を覚えてしまうことで、その癖が身に付いてしまうと聞くが、それとある意味では同じ原理ということになる。要因としては、この3つくらいであろうか。



ところで、上述のタスク全般の中には、このメルマガ記事の執筆も当然含まれる。このところずっと〆切ギリギリで原稿を仕上げている状態であり、何とかせねばとは以前からずっと思ってはいたものの、記事の執筆というタスク単体をこなす中では、なかなか克服できずに居た。それが、他のタスクを早め早めにこなすようになったおかげで、連動してメルマガ記事の執筆も他のタスクに引き込まれるように早めに手を付けられるようになった。本記事、メルマガ本号の編集作業も発行日の1週間前である1月18日(日)から着手できた。とはいえ、油断していたら、原稿を仕上げるのは1月23日(金)とギリギリになってしまった。着手できただけで油断せず、最後まで気を抜かずに仕上げる習慣付けを引き続きしてゆきたい。

by なさ
我が家に来るネコ母子

今回から、新たなシリーズ記事を始めます。といっても、今続けている再生可能エネルギーの話のように、毎号1〜2通の記事にできるほどの頻度にはならないと思いますが、ポツポツ不定期で書いてゆきたい内容です。



前号の編集後記にも書いたが、2週間ほど前のある日、我が家の庭に、猫の母子が迷い込んできた。その日の朝、同じ敷地内の離れに同居する親が庭の手入れをしていて、猫親子が居ることに気付いた。親は、大の猫嫌いであり、何としても追い出せ、保健所に処分させろと騒ぎ出し、殺虫剤を持って怒りながら庭をウロウロする始末。野良猫や近所の飼い猫が我が家の庭に入ってくることは以前から度々あり、その都度親が騒いでいて、我々にとっては困った問題の一つであった。

小生は、親とは全く逆で、猫が大好きである。妻子も動物全般が好きであり、猫を見つけるたび、皆で優しく話しかけたりしていた。この母子ネコ、野良にしては珍しく、よほど人に慣れているのか、まったく警戒心が無く、むしろ我々が親しげに語りかけて近付くと、ニャーと鳴いて寄ってくるほど。猫好きには、何ともたまらない、愛らしい猫ちゃんたちである。あまりの猫ちゃんたちのフレンドリーさに、親を除く我々家族4人はすっかり魅了されてしまった。



この迷い母子ネコちゃんたち、半狂乱になる親にさすがに危機感を感じたのか、それ以来、親が居る昼間のうちは、殆ど顔を見せなくなった。しかし、心得たもので、親が庭からいなくなる夕方以降に、ポツポツ出没してくるようになった。実際、親が騒いだ当日も、夕方陽が沈む頃になって、我々家族4人が住む棟の庭先に再び堂々と現れ、我々の至近距離で子猫に授乳を始めた。

その後しばらく、ほぼ毎晩、陽が沈む頃になると、母子でやってきた。母猫は大人しいが、子猫がやんちゃで、母猫が離れていると、母猫を呼ぶためか、元気よくニャーニャーと鳴く。それが何とも可愛らしいのだが、あまりに元気のため、夜屋内に籠る親の耳に届いてしまったことが一度あり、案の定、ほうきだか殺虫剤を持って飛び出してきた。そのときは、庭の隅に実は猫ちゃんは隠れていたが、幸い静かになったので、親には「外に出て行ったよ」と方便を使い、家に入ってもらった。



猫ちゃんたち、毎夜毎夜やってくるので、どうしようかと妻子と相談をしていたが、とりあえず、夜だけ滞在を黙認してあげることにした。素泊まりのお宿といったところか。当たり前だが、動物虐待的なことをして無理に追い出すことはできない。動物愛護の観点から、法的にも倫理的にもご法度な行為である。何より、猫好きの小生として、そんなことはできない。それゆえの結論であった。

ただし、これはあくまで短期的な対処に過ぎない。猫嫌いの親が居る以上、我が家では猫は飼いたくても飼えないわけで、遅かれ早かれ、何らかの形で根本的に問題を解決しなければならない。


我が家に来るネコ母子(2)

猫の話を続けます。



せめて、我々の前にやって来たときにそっとご飯でもあげたいが、それもできない。というのは、野良猫に無責任な餌付けをすることが、以前からご近所で問題視されていたからである。町内に、愛猫家で有名な一人暮らしのお婆さんが居て、以前から野良猫を見つけては餌付けをしているようであった。餌付け自体は良いのだが、それで居付いた野良猫たちが、ご近所のお宅の敷地であちこちにフンをしたり、菜園や鉢植え植物を荒らしたりしてしまう。それが問題になっていた。

つまり、餌付けをするなら、同時にトイレのしつけなどもしなければならない、ということなのだが、そのお婆さんはそこまでの問題意識は無く、腹を空かせた猫に餌をあげて何が悪い、という一点張りなのである。そのような態度に起因してなのか、そのお婆さん宅は、町内会を喧嘩別れで脱退してしまうなど、ご近所の人間関係にも亀裂を生んでいた。



そんな状況で、我々家族が母子ネコちゃんたちに餌付けをしてしまうと、そのお婆さんとやっていることが同じになってしまう。ましてや、猫嫌いの親は、そのお婆さんと先陣を切って喧嘩した過去があるらしく、我が家として矛盾した行為をしていることになり、当然ご近所からもそういう目で見られてしまう。何より、餌付していることが親に知れたら、家庭内の人間関係にもヒビが入ってしまう。

そんなことは、純粋な猫愛護には関係なく、単なる人間の、オトナの世界のしがらみ、エゴではないか、それで猫ちゃんたちを振り回すのはいかがなものか、との批判もあるかもしれない。しかし、現実問題、我が家が、我々家族が直面している問題でもある。決して、我が家だけの問題でもなく、全国的に見れば、よくあるご近所トラブルの問題ではないだろうか。そこを何とぞご理解いただければと思う。



とりあえず素泊まりの宿を提供しているものの、あまり長くかくまっていては親やご近所に知れてしまう上、既述のように根本的な問題解決にはならない。そこで、半ば手さぐりだが、根本的な解決を図るべく、行動に出ることにした。

ネットでにわか勉強してみたところ、動物愛護のNPO団体などが中心となって、そのような野良猫ちゃんたちを世話したり、里親探しを世話してくれるようであった。我が家の周辺の地域で中心的に活動している団体のサイトを見ると、最近大量に捨て猫を拾ったらしく、少なくとも引き受ける余裕は無いとのこと。とはいえ、里親探しなら、何らかの指導や手伝いはしてくれると思われるので、近々きちんと相談してみようと考えている。



最近は、保健所に相談しても、動物愛護の観点から、すぐに捕獲して殺処分はしないらしく、まずは動物愛護団体を紹介されたり、飼い猫や地域猫にするよう助言されるようである。つまり、うちの親なり、ご近所の誰かが保健所に通報したとしても、あの猫ちゃんたちがすぐに不幸な目に遭うことはないようである。その点では、とりあえずは一安心である。

ちなみに、あの母子ネコちゃんたち、昼間はご近所の工務店の敷地に居るらしい。妻が買い物帰りに目撃したとのこと。そういえば、ここ数日は、夜も我が家に来る頻度が減った。どうも、そちらを新たな寝ぐらにし始めたようだが、我が家にも来る以上、手探りでも行動はしてゆきたいと思う。

by なさ




落ち込まなくなった?!



落ち込まなくなった?!(1)

これまでずっと「能力について考える」というシリーズ記事を執筆してきましたが、そろそろネタ切れ気味になってきたこともあり、以前に編集後記で予告したように、今回から新たなテーマで記事を執筆してゆきます。



これまで、些細な失敗などで激しく精神的に落ち込むことが度々あった。それでも、一番精神的に調子が悪かった7〜8年前と比べれば、ここ5年くらいは落ち着いてはいた。Wing Brainに参加して早6年になるが、参加初期の頃に「安定的精神状態の実現」と題して記事を執筆した覚えがある。その当時としては、一番酷い時期と比べて劇的に良くなった嬉しさがあったが、それでも時々は落ち込むことはあった。

それが、ここ最近、精神的な調子が更に良くなってきた気がしている。記憶の限りでは、少なくともこの2ヶ月程度は全く落ち込んだことが無い。落ち込みの原因である些細な失敗、ミスは相変わらずポロポロ起こしているのに、である(とはいえ、以前と比べれば、失敗、ミスも徐々に頻度は減ってきていると思うが)。



この調子の良くなった原因は何だろうかと、ふと考えてみた。間接的な遠因は細かくは挙げれば色々あるとは思うが、一番の主要因は、規則正しい生活リズムになったことではないかと考えている。

実は、秋口から我が家で犬を飼い出したのである。小生を含め家族皆、動物好きであり、以前から猫や犬を飼いたいと思っていた。その折たまたま、知人から子犬を譲り受ける機会があり、家族で相談して、飼うことに決めた。まだまだ子犬だが、それ特有の可愛さもあり、飼うほどに愛着が増してゆく実感がある。その愛犬が毎朝6時には起きて散歩をねだるのである。子犬ゆえ玄関にケージを置いて飼っているが、鶏のように、6時を少しでも過ぎると、クゥーン、キャンキャンと鳴き出す。その声でほぼ確実に目が覚める。



落ち込まなくなった?!(2)

毎朝6時に愛犬の声で強制的に目が覚め、そのまま散歩に連れ出す。冬場なので、6時を過ぎてやっと明るくなるが、その薄明かりの日の出の時間帯に、犬を連れ、というより犬に引っ張られ、近所を散歩する。いや、朝は犬が夜通しケージの中で大人しく我慢していた鬱憤を発散しようとするためか、散歩コースを突っ走る勢いで進むため、飼い主は殆どランニング状態である。

散歩コースでご近所の何組かのワンちゃん、飼い主さんと交流しつつ、30分ほどして自宅に戻る。戻ってから、自宅の門を厳重に閉め切った上で、庭に更に30分ほど離す。すると、今度はリード無しのフリーな状態になるため、犬は更に喜んで駆け回る。飼い主としては、冬の早朝、ただ庭先に立ってても寒くて仕方ないので、体を温めるためにも、犬を多少追いかけまわして遊んでやる。すると、犬も喜んで更に駆け回る。

そして、また夕暮れ時にも同様に30分ずつ外散歩と庭駆け回りをする。朝夕とも、時々、外の散歩で興奮してなかなか自宅に戻ろうとしないことがあるので、その時は庭で解放せず、1時間ほど外散歩して終わらせる。

朝早く起き、一定の運動をするおかげか、夜は早くに眠くなりやすく、(たまに必要があって深夜まで起きることもあるが、)子供たちとともに夜10時過ぎには就寝することが多い。



…最近はこんな毎日を送っている。平日、土日を問わず、毎日このサイクルを続けている。我ながら、実に規則正しい生活になったと思う。この規則正しい生活リズムが、安定した精神状態の維持に大きく寄与しているのではないか、とつい最近気付いたのである。このまま落ち込む頻度がほぼゼロになっていく勢いにも思われ、そうなれば、長年の小生、いや家族も巻き込んでの悩みの一つがほぼ解消することにもなる。この先の経過を自己観察するのが、ささやかな楽しみの一つになりつつある。



先延ばしについて考える 先延ばしについて考える(3)

上の記事に続いて、先延ばしについて久しぶりに考察してみようと思います。

このテーマは、早5年以上も前になりますが、小生がWing Brainに参加した初期の頃に2回ほど執筆したシリーズ記事の続きに位置付けられるものです。当時の記事(2009年発行のメルマガ198〜199号)では、(1)で先延ばしの原因として考えられる要素を7つほど挙げ、その上で(2)でそれらの原因に対する対策を挙げました。あれから5年以上経ち、多少は進展はありましたので、この5年の経験と今現在の状況、知見を踏まえて、当時の考察内容を自己検証し、必要により当時の記事に加筆修正したいと思います。



当時、原因の1つ目として「やるべきことのやる気が起きない」という点を挙げ、やる気を出す脳内物質であるドーパミンの分泌が適切に行われていないことによって、健常者と比べてやる気スイッチが入らないのではないかと述べた。

改めて検証すると、その点は間違いないのではないかと思う。先の記事でも触れたように、小生は最近、睡眠をたっぷり摂り、かつ薬を服用することでやる気スイッチが適切に入るようになったが、睡眠・薬(ストラテラ、コンサータ)のいずれも、脳内でのドーパミン分泌の維持、促進をもたらす効果があるものであり、この点で我ながらかなり直接的な解決が図られていると言える。



今回は短いがここまで。次は、当時の記事(2)で挙げたこの1つ目の原因の対策について一つ一つ検証してゆくことにする。


先延ばしについて考える(4)

今回も、前回に引き続いて、2009年頃に小生が執筆したWing Brainメルマガの記事に関する振り返り的な考察を行います。前回、2009年09月の198号に掲載した記事「先延ばしについて考える(1)」の中で触れた先延ばし原因の1点目「1.やるべきことのやる気が起きない」について再考察しました。今回は、前回の最後で予告した通り、その原因1点目に関して、2009年10月の199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。



199号の記事(2)では、「1.やるべきことのやる気が起きない」の対策として7点ほど挙げた。今振り返れば、さらに2点ほど追加したい点もあるが、まずは改めてその7点について順に振り返ってみる。

対策1点目として挙げたのは、以下の点である。:

・場所などの環境による強制力を活用する。他のことをやれない環境を作る。例えば、家ではついつい好きなことをやってしまい集中できないが、職場なら多少は集中できるはず。

これについては、今も基本的に考えに変わりは無い。ただし、自分一人で仕事をしている環境であると、仕事場で仕事をしていても、ついついスマホを見てしまう等の誘惑に駆られることはある。かといって、スマホを遠く離れた所に置いてしまうと、万が一緊急連絡等が入ったときに返事が即座に出来ないため困ってしまう。よって、理想を言うならば、スマホも、あるいはPCでも、ついついやってしまいたくなるアプリ等を一定時間立ち上げないようにする等の仕掛けが必要であろう。

次に、対策2点目として挙げたのは、以下の点である。:

・他人に協力してもらう。家族や職場の人など、他人に仕事などの進捗ややったかどうかのチェックをしてもらうと良い。

これについても、引き続き、非常に有効な手段であるとは考えている。ただし、自分自身への人事管理を専任職としている上司役のような人でなければ、あるいは専属秘書でも雇わなければ、なかなか手取り足取り細かく管理はしてくれない。相手だって、他に抱えている仕事はあるだろうし、こちらのことを多少忘れてしまうことは大いにありうる。また、個人的な経験からすれば、当方の特性に理解をしてくれる人でなければ、そもそもなかなか協力をしてくれない。「そんなことを他人にしてもらわないと出来ないのか。自己管理ができていない」と呆れられて終わりというケースは多々起こりうることもまた留意されたい。


先延ばしについて考える

引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。



対策3点目として挙げたのは、以下の点である。:

・器具を活用する。小生は携帯のアラーム機能、Gmailの作業日誌、職場のWebスケジューラをかなり役立てている。なかなかやり出せなくとも、やらなければという意識付けにはなろう。

この点については、この5年間の小生自身の実績として、効果が全く無くはないが、あまり効果的な方法ではなかったとの実感がある。どちらかと言えば、後述のうっかり忘れ防止対策としての効果が大きいと思われる。強いて言えば、作業日誌やスケジューラの過去の累積分(つまりタスクとして完了した実績分)を見返すことで、ここまで積み上げて来られたことで自信を深め、これからのやる気を出す効果はあるのかもしれない。



対策4点目として挙げたのは、以下の点である。:

・何度も何度もやるべきことをイメージトレーニングする。これは催眠の応用になのか? 臨床心理士のK良和氏は、認知心理学のマジカルナンバーオブセブンと結びつけ、7回イメージすると良い旨を述べていた(確か)。

この点は、今思えば、当時以上に非常に効果的、重要な手法と捉えている。当時、自分自身の経験則として、やる気が出ない時に、事前に何度も何度もイメージトレーニングを頭の中でしていると、徐々にだがやる気が出るということに気付いており、それに上述の心理士からの7回イメージするという主旨の指導を重ねて、効果的な手法の一つとして挙げた次第である。なお、この記事を書いた当時、何故心理士の名前を伏せ字にしたかは記憶が曖昧だが、K氏とは東京都杉並区でカウンセリングルームを営んでいる臨床心理士の河野良和氏のことである。

最近気付いたことだが、やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすいようである。上述の河野氏からは「『やらなきゃ』『頑張ろう』と気負うのは逆効果であり、『〜が出来れば良いんだよなぁ』と軽く意識する、ただ思うだけに留めるのが効果的」と再三指導されていたが、改めてよくよく考えてみると、その指導内容と非常に符合するのである。

先延ばしについて考える(6)


今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ198号の記事「先延ばしについて考える(1)」では、先延ばし原因の1つ目として「1.やるべきことのやる気が起きない」を挙げ、その対策をメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で7点ほど挙げた。前回記事では、それらの対策に改めて順に触れ、4点目の途中まで述べたところである。

前回の最後で、最近自分で気付いたこととして、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことを述べた。今回は、その傾向について重点的に考察したい。



人間は、通常覚醒状態にあるときは、自律神経のうち交感神経の方が優位に活動しているが、催眠状態に陥る(トランスに入る)と、睡眠状態のときと同様に、副交感神経の方が優位に活動するようになるそうである。河野良和氏によれば、トランスに入った状態の方が、暗示にはかかりやすいとのこと。つまり言い換えれば、副交感神経が優位となっているとき、暗示によりかかりやすくなるのである。まず、この点のメカニズムについて考えてみる。

例えば、「右腕が上がる」という文を読み上げたり、頭の中で思い浮かべたとする。その場合、頭の中で直接的に想起されるのは、「右腕」「上がる」といった単語(言い換えれば概念)、およびそれらの組合せとしての文(言い換えれば知識)である。それらの想起の後に実際に自分の右腕が上がったとすると、想起された単語、文が自分自身の体への動作指令に置き換わったことになる。

以前の記事でも述べたように、そもそも人間の頭の中に形成される概念とは、元々は体への動作指令信号群、および体中のセンサーからの入力信号群が組み合わさって作られるものであると考えられる。例えば、腕なら腕を上げる動作をする際に出される動作指令、および腕に関わるセンサーからの入力情報がほぼ同時に脳内に電気信号として流れることで、特定の神経細胞群が興奮状態になる。このような形で特定の組合せで神経細胞群が興奮状態になることが、「上がる」などの単語(概念)を次々と生み出すのである。



先延ばしについて考える(7)


引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。



体への動作指令、体のセンサーからの入力情報の電気信号が流れることで特定の神経細胞群が興奮状態になると、それら特定の神経細胞群と動作指令の信号の発生源となる神経細胞の部位、およびセンサーからの入力信号を直接受信する部位との間の神経のつながりが強くなる。それにより、既に頭の中で「上がる」などの単語(概念)が形成されたいたとすると、実際に腕などを上ける動作をすることで、頭の中で「上がる」という単語(概念)が自動的に想起されやすくなる。

ここで、一つの仮説として、上述の両者間の神経のつながりが強化されることで双方向に電気信号が流れやすくなるとすると、つながりが強化されれば、逆に上がるという単語(概念)を想起することで、上げるという動作を指令する信号が自動的に発生しやすくなると考えられる。このようなメカニズムにより、催眠、特に暗示や自律訓練法などの効果を脳科学的に説明することができるのではないだろうか。

先の(6)の記事では、副交感神経が優位になっているという条件下で暗示にかかりやすくなると述べたが、今述べたメカニズムの中では、副交感神経、交感神経が説明要素に入っていなかった。そこで、これら2つを加味して、さらに拡張的にメカニズムを考察することにする。

やや漠然とした仮説ではあるが、副交感神経・交感神経はともに、上述の動作指令の発生源となる神経細胞の部位、および体中のセンサーからの入力信号を直接受信する部位と、「上がる」などの単語(概念)の想起に対応する神経細胞群との間の神経のつながりの途中部分に何らかの影響を与える機構を持っているのではないかと考えられる。

即ち、副交感神経が優位になっているときは、上述の神経のつながりに電気信号が流れやすくなり、またその結果として神経のつながりが強化されやすくなるのではないだろうか。逆に、交感神経が優位になっているときは、上述の神経のつながりに電気信号が流れにくくなり、その結果として神経のつながりが強化されにくくなるのではないだろうか。いわば、上述の神経のつながり部分に存在する電気抵抗の抵抗値を強弱させる機構ということである。

先延ばしについて考える(8)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



前々回の最後で、最近自分で気付いたこととして、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことを述べ、前回その理由を理論神経科学的な観点から考察した。副交感神経が優位になっている時は脳内の神経回路のつながりが強化されやすくなり、逆に交感神経が優位の時はつながりは強化されにくいという仮説的な説明まで行った。

今回は、その続きとして、交感神経・副交感神経は具体的にどのような場面で優位になるのかを述べ、その上で、我々誰しもが日常的に経験している事象を前回の仮説を以って説明してみたい。



小生自身にわか勉強で学んだことだが、交感神経とは、緊張状態にあるとき、意識が(強く)覚醒している時に優位になりやすいそうである。それと逆に、副交感神経は、リラックスした状態、催眠状態など、意識の覚醒が弱い時に優位になりやすい。いやむしろ、交感神経が優位の時に精神は緊張状態、強い意識の覚醒状態となり、副交感神経が優位の時に精神はリラックス状態になると言うべきなのかもしれない。

以前、先に紹介した河野良和氏のカウンセリングを受けた際、同氏から「『やらなきゃ』『頑張ろう』と気負うのは逆効果であり、 『〜が出来れば良いんだよなぁ』と軽く意識する、ただ思うだけに留めるのが効 果的」と再三指導されていた。改めてよくよく考えてみると、上述の仮説はその指導内容と も非常に良く符合するのである。即ち、『やらなきゃ』『頑張ろう』と気負うのは、どちらかと言えば意識が強い覚醒状態、緊張状態にあると言えるわけで、逆に 『〜が出来れば良いんだよなぁ』と軽く意識する、ただ思うというのは、どちらかと言えば精神が緊張状態よりはリラックス状態の時に起こりやすい、やりやすいと考えられるのである。


先延ばしについて考える(9)

引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。



河野氏の言う逆効果は、我々誰しも、一度は経験したことがあるのではないだろうか。例えば、大勢の人前でスピーチすることになったとする。よほど場馴れしている、もしくは人前に出るのが大好きという人でもなければ、本番前はさぞかし緊張することだろう。そんなとき、「アガらないようにしなきゃ」と強く意識するほど、かえって緊張感は増してしまい、コチコチになってしまったというご経験は無いだろうか。

あるいはまた、ダイエットや禁煙をしている最中、ついつい好きな食べ物や煙草を口にしたくなる。そんなとき、「頑張って我慢しなきゃ」と歯を食いしばるように踏ん張ろうとすると、かえってその食べ物や煙草のことが気になり、結果的に意志の強さが長続きせず、誘惑に負けてついつい口にしてしまった、といったご経験は無いだろうか。



これらのような現象も、先の仮説を以って説明できると考えている。

前者の例で言えば、アガらないようにと強く意識すると、意識の覚醒がさらに強くなってしまい、交感神経がさらに優位になってしまうと考えられる。そもそも、アガるという状態は、強い緊張状態が元になって起きていると言えるため、緊張状態がさらに高まれば、より一層アガり具合は強くなってしまうと考えられる。つまり、悪循環、負のスパイラルに陥ってしまうのである。

後者の例で言えば、我慢しなきゃと強く踏ん張ろうとするほど、食べ物や煙草といった我慢する対象物が連想的に頭の中でより強く想起、意識されてしまい、結果的にそれらの対象物と結び付いている「食べたい」「吸いたい」といった欲望的動作の指令信号が強く発せられてしまうのではないかと考えられる。これまた、悪循環、負のスパイラルである。


先延ばしについて考える(10)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ338号から3回ほど続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。

前回は特に、副交感神経が優位になっている時は脳内の神経回路のつながりが強化されやすくなり、逆に交感神経が優位の時はつながりは強化されにくいという仮説に関連して、交感神経・副交感神経は具体的にどのような場面で優位になるのかを、我々誰しもが日常的に経験している事象も交えて論じた。今回は、前回挙げたような交感神経が優位になってしまう場面において、具体的にどのようにすれば副交感神経が優位になり、望ましい結果を得ることができるのかを述べ、またその理由、原因は何故かを考察したいと思う。



大勢の人前でスピーチするなど、緊張してアガってしまう場面。あるいは、ダイエットや禁煙をしていながら、ついつい好きな食べ物や煙草を口にしたくなる場面。このような状況に陥ったとき、我々はどうすれば良いだろうか。「アガらないようにしようしよう」「××を食べたいが、食べないで我慢」「タバコを吸いたいが、吸わないで我慢」。このように思うと逆効果であると前回述べ、その理由の考察も行ったが、理由の考察について一点だけ補足的に述べておきたい。

(自己)暗示を行う際、「〜でない」「〜しない」という否定の文、語句を用いると、場合により「ない」の否定部分が抜け落ち、「〜である」「〜する」という逆効果として作用してしまうことがあると言う(詳細は、例えばこの論文などが参考になろう)。即ち、上述の例で言えば、「アガらない」が「アガる」、「食べない」「吸わない」が「食べる」「吸う」という暗示にすり替わってしまうということである。

上述の論文などを参考に、筆者なりに理論神経科学的な観点から掘り下げて考察するならば、頭の中で否定の文、語句を想起する際、「〜ない」という否定の意味要素に対応する脳内の神経細胞群が相対的に興奮状態になりづらい何らかのメカニズムがあるものと推察される。その性質は、常に成り立つものなのかもしれないし、あるいは特に交感神経が優位の場面でそうなりやすいのかもしれない。




先延ばしについて考える(11)


引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。



(10)で述べたように、「〜ない」という否定の語句、文を(自己)暗示に用いると、または交感神経を優位にしてしまうと、自己暗示を行おうにも逆効果になってしまう。では、具体的にどうしたら良いのであろうか。筆者が以前河野氏から教わったのは、トランス状態に入り(言い換えれば副交感神経を優位にして)、「平気」という語句を暗示に用いると効きやすいとのことであった。以下では、この河野氏の教示について解説、考察する。



まず、副交感神経を優位にする、即ちトランス状態に入る方法について。

元々河野氏の著書によれば、手で何かを触った際の感覚、床を足で踏んだ時の感覚など、体中の様々な身体感覚を意識するようにしていると、トランスに入りやすいとのことであった。河野氏のカウンセリングルームで直接指導を受けている間は確かにその方法で上手くトランスに入れた記憶があるが、独力でやろうとすると、意識がすぐ他に飛びやすいからか、なかなかすんなりとトランスに入れないでいた。

ある時ふと気付いたのだが、手や足などの身体感覚の意識ではなく、目の前に今見えている物をただじーっと見ながら心の中で「1, 2, 3, 4, …」と経過秒数を数えていると、10秒もしないうちにホワーンとした感覚になってくる、言い換えればトランスに入れるのである。そのホワーンとした感覚になると、全体的に体の力が不思議と抜け、体がダラーンとした状態になる。さらに目の前の対象物をじーっと見ていると、その対象物の周辺が段々とぼやけて見えるようになる。


先延ばしについて考える(12)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ338号から3回ほど続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。

前回は特に、人前で発表するなどの際にアガらないようにしようと意識するとかえって緊張してアガってしまう、或いは食べたいものを我慢したいが逆に反動で食べてしまう等の状況を挙げて、その原因の一つとして「〜ない」という否定の語句を用いた暗示になってしまうこともあることを述べた。また、その上で、副交感神経を優位にする、即ちトランスに入る方法、および「平気」という語句を暗示に用いると効果的であるとも述べた。今回はそれらの話の続きを述べる。



まず、前回(11)の記事で述べたトランスに入る方法について補足する。

催眠術の方法としては、催眠をかける相手の目の前で5円玉を糸でぶらさげ、振り子状に左右に揺らすという印象があるかもしれない。それに通じる話である。小生自身の経験からすると、特に小生自身が意識や注意力があちこちに飛びやすいからかもしれないが、視覚以外の身体感覚(例えば手や足の先で何かに触れている、踏んでいる時の感覚)を意識しようとしても、すぐに意識が他に飛んでしまい、なかなかトランスに入ることができなかった。それが、目の前に見えているものを見続けるだけで不思議と体の力が抜け、視界がぼやけた状態に陥る、言い換えればトランス状態に入れるのである。

この方法は、少なくとも小生自身にとっては極めて効果的な方法である。誰にでも効果的かどうかは小生自身としては未確認であるが、可能ならば今後他者の協力を得た上で、既存の専門文献を参考にしつつ、独力で出来る範囲で検証してゆきたいと思う。一般に、催眠が効かない人が世の中には数%居ると言われるそうだが、この方法をもってしても効かないのかという点には強い興味関心がある。


先延ばしについて考える(13)


引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、トランスに入る方法に関する補足説明の続きを述べます。



手や足の身体感覚を意識する方法は、河野良和氏が開発し、同氏の著書上などで周知しているものである。いわば、クイックに自己催眠を行うための手法とも言える(因みに、別の著者による「クイック自己催眠」という題の書籍が出版されており、その著者の手法と必ずしも一致しないため、注意が必要である)。

同氏の著書によれば、身体感覚を意識する訓練を何段階かに分けて行う手法が解説されているが、小生の場合、既述のように意識があちこちにすぐ飛びやすく、物事の飲み込みが全般的に良くないこともあり、なかなか同氏の著書を精読するだけでは、トランスにすんなり入るようになれないで来た。もしかすれば、小生のように、同氏の著書の手法を上達できない人が世の中に一定割合居るのではないかと思われる。そのような実態を世の中全般的に広く統計的に調査する機会があれば、なかなか興味深い結果が出るのではなかろうか。



河野氏の手や足の身体感覚を意識する方法にせよ、小生自ら考えた目の前のものを凝視する方法にせよ、独力で行っていると、トランスに入れたとしても(前者はそもそも失敗することが多いが)、感覚的にトランス、催眠状態への入り具合が浅い気がしている。以前、河野氏のカウンセリングルームを訪ね、直接の指導をしてもらった際には、明らかに深いトランス、催眠状態に自分が落ちていることを実感した。そのような深い状態を独力で自由自在に入れるようになることが目下の課題となっている。

トランス、自己催眠の深さをコントロールできるようになるためには、そもそも今現在自分が陥っているトランス、自己催眠状態の深さをできるだけ正確に自覚できるようになる必要がある。その上で、どの程度深いトランス・催眠状態になると、暗示はどの程度効きやすくなるのかを、できるだけ自力で実感、検証できるようにしてゆきたい。
先延ばしについて考える(14)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ338号から3回ほど続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。

前回は特に、副交感神経を優位にする、即ちトランスに入る方法について補足的な説明を行った。今回は、前回までに説明できていなかった「平気」という語句を暗示に用いると効果的であることの理由について考察を行う。



そもそも、「平気」とはどういう意味であろうか。まずその点について考察する。

国語辞典を調べると、「心に動揺がないこと。落ち着いていること。また、そのさま。平静。」とある。言われてみれば当たり前とも思える説明だが、厳密に考察するならば、心に動揺が起こる前提として、何か心に動揺を起こさせうるような状況の発生が暗黙の前提条件としてあることが分かる。そして、そのような状況にあっても、精神的な動揺が無い、落ち着いているのである。英語の文型の観点からすれば、「平気」の意味は「If〜, then〜.」または「Although〜, 〜.」と表現できるものであり、原因と結果の関係を表したものとも言える。

これを、今までに本シリーズ記事で述べてきた脳神経科学的な視点で言い換えれてみる。今述べた暗黙の前提条件については、言い換えれば、体の五感センサーで外界の異常、変動を検知し、その旨を脳へ知らせる入力信号の発生と表現できよう。そして、「動揺が無い、落ち着いている」とは、(結果的に)精神面、肉体面に変化が何も起きないこと、言い換えれば、脳内の意識状態を変動させたり、体を動かすための脳からの出力信号が発生しないことと表現できないだろうか。この2つをまとめると、「平気」の意味とは、「外界から脳内への入力信号が発生しても、脳内から出力信号が出ない」ということになる。




先延ばしについて考える(15)


引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、「平気」という語句の暗示を用いると効果的であることの理由に関する考察を続けます。



このように見ると、「平気」という語句は、実質的には手足を動かす等の出力信号が発生しない、
もっと言えば、欲望・意欲を司る神経細胞群の箇所が不活性な状態になる効果があると考えられる。また、別の視点で捉えると、「〜ない」という否定の意味を暗に含んでいるとも言える。にも関わらず、明示的な「〜ない」という文言が出てこないために、自己暗示の文に用いた場合、「〜ない」という明示的な否定文を用いる場合と比べて、効果的な結果を生むのではなかろうか。

例えば、「タバコを吸いたいが、吸わないで我慢」という文を自己暗示に用いると、暗示を行う中で「吸わない」の「〜ない」が取れてしまい、「タバコを吸う」という逆効果の暗示として作用してしまうことになるが、「タバコがそばにあっても、平気」という文を暗示として用いると、望ましい効果を生むということである。

「平気」という言葉の意味を正しく理解していなければ、当然その暗示は望ましくは効かないことになろう。しかし、上述のような国語辞書的な正確な意味、説明を理解、暗記してはいないにせよ、おおよそのニュアンスは誰でも掴めていると思われる。その意味で、この「平気」という語句を用いた暗示は、殆どの人にとって大なり小なり効果的に効くのではないかと考えられる。

その上で、世の中で数%居ると言われる催眠そのものが効かない人に対しても、前号で述べたトランスに入る方法とともに、この平気という語句を用いた暗示が効くのかどうか、大変興味深いところではある。それと同時に、「平気」の他にも、それと同等かそれ以上の効き目のある語句、言い回しが無いかどうかを調査、研究してゆきたいと思う。もっと言えば、語学的な視点、知見をもっと深めた、交えた上で、催眠や自己暗示と語学との関連性について考察すると、興味深い知見が得られるのではないだろうか。


先延ばしについて考える(16)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ338号から前回まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。今回からは、新たに別の対策について再考察を行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、やるべきことのやる気が起きないことへの対策として、さらに以下の点を挙げた。:

>・やるべきことを細かく分解し、中途半端でもよいから、まず手をつける癖を
>つける。例えば、掃除をするなら、押入れなどから掃除機を出してきて、コン
>セントにつなぐだけでもよいとする。そこまで出来たら、「第一段階クリア!」
>と自分を励ますと自信がつく?仕事などの作業をやるときも、まずPCを立ち
>上げ、GmailやWord、Excelなどの作業用ファイルを開くところまでやっておく。

ここではまず、これについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証してみる。

この対策は、今でも半ば無意識のうちに行っている(このメルマガ記事を執筆する際にもまさにそうしている)。こなすべきタスク、超えるべきハードルがあるならば、それを小刻みに分解して、階段を一歩一歩コツコツと昇っていくように少しずつ前進していくことで、達成感を小刻みに味わうことができる。これが地味ながら馬鹿にならない効果を生むのである。

半ば自らの経験則で行ってきたことだが、手前味噌ながら、先日のテレビ番組でも、この小刻みに分解して少しずつ前進してゆくやり方が優れた方法として紹介されていた。達成感を味わうことで、脳内でドーパミン(やる気を引き出す脳内物質)が分泌されやすくなるのだそうである。言い換えれば、科学で裏付けされた効果的な方法の一つとも言える。

以前はそれでも、やる気スイッチがなかなか入らなかった時は、少しずつ手を付けて行っても、途中の段階で手が止まってしまい、そこから先になかなか進まなくなってしまう傾向があったが、最近はコンサータ・ストラテラと言った薬の効果が出てきたからか、自分の実感として明らかに以前よりも途中で止まりにくくなっては来ている。




先延ばしについて考える(17)

引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた対策(以下に再掲)に関する考察の続きを述べます。

>・やるべきことを細かく分解し、中途半端でもよいから、まず手をつける癖を
>つける。例えば、掃除をするなら、押入れなどから掃除機を出してきて、コン
>セントにつなぐだけでもよいとする。そこまで出来たら、「第一段階クリア!」
>と自分を励ますと自信がつく?仕事などの作業をやるときも、まずPCを立ち
>上げ、GmailやWord、Excelなどの作業用ファイルを開くところまでやっておく。



(16)で述べたように、上述の方法を用いても、それでもやる気スイッチが持続せず(または入らず)、途中で手が止まってしまうことがあったが、コンサータやストラテラ等の薬を併用すれば手が止まりにくくなってきた。それらの経験を踏まえると、上述の方法は薬物療法との併用が効果的であるとも言えよう。即ち、どちらかの方法のみを用いた場合と比べ、双方を組み合わせた方がより良い効果を生むということである。

小生自らの経験からすれば、上述のようなやる気スイッチを入れやすくする効果だけでなく、うっかり忘れ防止、または注意散漫になるのを防止、または軽減する効果も少なくない。例えば、部屋を掃除をするために掃除機を出したとする。掃除機を出すことを第一歩としてそこまでやっておけば、少なくとも後で他のことに気を取られて、掃除のことを純粋に失念していたとしても、掃除機が目に入る位置に置いてあれば、「あ、そうだ、掃除をするんだった」と思い出すことが容易になる(とはいえ、目の前に物があっても他のことに夢中でそれに気付かないことは、特に小生の場合はよくあるので、置いておいたからといって必ず気付く保証はない。あくまで相対的に気付きやすくなるということである)。



今さらながらにふと気付いたが、上述のようにやる気スイッチが入らず、少しずつ手を付けて行っても、途中で手が止まってしまうという場合、そもそも途中段階を細かく分けるという思考作業自体を失念していた、もしくは思考作業自体にやる気が入らないことがあったように思う。やるべきタスクの作業工程が細かく分かれていて、それが明示されていれば、もしくは容易に想起できるならば、やる気スイッチの入り方が少し弱くとも、実は少しずつ進みやすくなるのではないだろうか。

もっと言えば、やるべきタスクが非常に細かく分かれていれば、少しずつ進めようと思っていても、やってみると思ったよりも先まで連続してこなす、進めることができるのではなかろうか。例えば、マクドナルド等のファストフード店でハンバーガーを注文するとする。バーガーのサイズが何段階もあり、その金額差が数十円ずつであり、上位サイズのバーガーに少しでも魅力を感じていたとすると、ついつい予定よりも少し上のサイズを選んでしまうという経験は無いだろうか。これと同様な状態とも言える。


先延ばしについて考える(18)


今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察します。



メルマガ338号から前々回まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。前回からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、やるべきことのやる気が起きないことへの対策として、さらに以下の点を挙げた。:

>・僅かな余暇時間で少しずつ作業を進めるようにする。後でまとめてやろうと
>しない。文書書き、日記付けや片付けなどは特に事前に僅かずつやっていくこ
>とが有効。少しでも手をつけておけば、自然に気になって考えるようになって
>くると思う。小生の場合、一度やったことを何度も後で繰返し見返す癖がある
>ので、それを活用する。まさにこの原稿を書くこと自体もそのようにしている。

>・いったんやり出して集中できてきたら、それを回りの環境によって阻害、中
>断されることのないような環境を作るようにする。ある程度長い時間集中しな
>いと進まないこともある。例えば、小生の仕事で言えば、コンピュータプログ
>ラム作成など。

ここではまず、これらについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証してみる。



少し前になるが、2011年秋頃に某SNS上で、1週間単位で何時から何時まで何をやるといった細かいタスクスケジュールを組み立て、その通りに実行していくという取組みを行った。少なくとも一定期間はスケジュール通りにほぼタスクを順次実行でき、手前味噌ながらある程度上手く行ったという自負はある。

その一連の取組みの中で、下手にタスクを細かく分解して少しずつやるよりは、1回につきまとまった時間(目安は2時間以上)をかけ、じっくり取組む方が効果的であるタスクもあった。そういった経験から、何でも勘でも細かく区切って少しずつ進めるのが必ず良いとは言えないことを学んだ。あくまでもタスクの種類、内容によるのである。先延ばしの防止以前に、様々なタスクをこなす上では、まずその点を見極める必要があると言える。

例えば、このメルマガについても、機械的にできる編集作業は細かく分解して行えるが(ただし、実際には、慣れてしまえば、短時間で一連の編集作業を終えられるため、一気にやってしまうことが多い)、原稿の執筆については、ある程度まとまった時間をかけて集中的に進める方が効果的であることを痛感している。


先延ばしについて考える(19)

引き続き、199号の記事「先延ばしについて考える(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた対策(以下に再掲)に関する考察の続きを述べます。

>・僅かな余暇時間で少しずつ作業を進めるようにする。後でまとめてやろうと
>しない。文書書き、日記付けや片付けなどは特に事前に僅かずつやっていくこ
>とが有効。少しでも手をつけておけば、自然に気になって考えるようになって
>くると思う。小生の場合、一度やったことを何度も後で繰返し見返す癖がある
>ので、それを活用する。まさにこの原稿を書くこと自体もそのようにしている。

>・いったんやり出して集中できてきたら、それを回りの環境によって阻害、中
>断されることのないような環境を作るようにする。ある程度長い時間集中しな
>いと進まないこともある。例えば、小生の仕事で言えば、コンピュータプログ
>ラム作成など。



少しずつ、できるだけ機械的にこなせることなら良いのだが、例えば何かの考察など、タスクの種類によっては、下手に細かく分解すると、自分自身の思考プロセスや途中段階での知見、結果を思い出すための時間的、労力的なロスが無用に生じてしまうのである。加えて、他のこと(例えば、他にこなすべきタスクや周囲のテレビの音など)に意識がすぐ飛んでしまうために、やるべき目の前のタスクになかなか集中できず、ある程度スムーズに集中できるようになるまでに、これまた時間的、労力的なロスが生じる。

そういった性質のタスクの場合、毎日5分ずつこなすと決めてやったとしても、前回の途中経過を思い出し、集中しようとするだけで、あっという間に5分が過ぎてしまい、その5分で進展が殆ど無い結果に終わる。それゆえ、ある程度まとまった時間をかけてこなす方が効果的と考える次第である。自分自身の経験則の上では、特にこのメルマガ記事の執筆、数学の問題を解く等のタスクの場合、1回1時間でも不足と感じるときが多々あり、少なくとも2時間はかけるようにしている。

逆に、特に今挙げた類のタスクについては、最初に2時間なら2時間、ある程度まとまった時間、労力をかけて集中すれば、あるいはそれが無理なら、30分から1時間などの時間を何度かに分けて可能な範囲で集中するようにすれば、そこでタスクを中断しても、他のタスクをこなしながら自然と頭の中で想起して意識がそちらに向かい、半ば自動的に思考が進むようになる。例えば、犬の散歩などをしながら考えをまとめ、進めるなど、効率的に同時進行でタスクを進めることができるようになる。このメルマガ記事の執筆それ自体もそうだが、思考に入るまでにかなり長い時間を要している。が、一度そこまでの段階に来れば、比較的あっという間に集中的に原稿を仕上げることができている。


先延ばしについて考える(20)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。前々回からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ198号の中では、先延ばしの原因の2つ目、3つ目として、さらに以下の点を挙げた。:

>2.やるべきことではないことをやってしまう
>これは、上の1.の裏返しで、やる気を出す脳内物質が不適切なところで普通>の人よりも多めに分泌されてしまうことではないだろうか。
>
>あるいは、これをやりたいといった欲望、やり出した行動を抑制する脳内物質>が不足しているという考え方もできる。まさに、「わかっちゃいるけど止めら>れない」という状態そのものである。逆に、上の1.は「わかっちゃいるけど>やり出せない」といったところか。
>
>これについても、上の1.と同様、もっと深く勉強してゆきたいと思う。



>3.他にやりたいことを先にやってしまい、手がつけられない
>これは、脳科学の領域まで突っ込んで考えれば、上の1.や2.と切っても切>れない面はあるのかもしれないが、敢えて区別してみた。
>
>要は優先順位付けである。上の1.と2.では、ある一つのやるべきこと、や>りたいことについて、やる気が起きるか起きないかという観点で考えてみた。>そのやるべきこと、やりたいことが複数個あった場合には、時間的な順序付け>をしなければならない。その順序付けが適切に行われないということである。
>
>これも、脳科学の次元で考えると、1.や2.と別の原因とするならば、にわ>か勉強の上での浅はかな考えに過ぎないが、前頭葉や大脳辺縁系などの働きに>関係するのかもしれない。これについても勉強を続けたい。

ここではまず、これらについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証してみる。



2は対象となるタスクが数として一つであるのに対し、3は複数個のタスクが競合している状態を指している。一見すると、3は2の状態が複数個あるだけで、本質的には2と同じことではないかとも思えるが、小生はそうではないと考えている。その意味で、2と3は当時も区別して論じたが、今考えても、やはり別に扱うべきであると思う。




先延ばしについて考える(21)

引き続き、198〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた要因に関する考察の続きを述べます。



(20)の最後で、要因2と3は一見同じに見えるが区別すべきと述べた。ここでは、その点について掘り下げて論じることにする。

2は対象となるタスクが一つだけなので、そのタスクのやる気、言い換えれば欲望の度合がある程度強く、それゆえにやる気に関わる脳内物質の放出量が一定値を超えた場合に、体が動いてそのタスクを実行することになると比較的容易に説明付けることができる。一方、3はタスクが複数個あるため、(当たり前だが体は一つしかないので、)どのタスクを今実行するかを選択しなければならない。その選択がどのように行われるかがここでの論述における焦点となる。

単純なモデルとしては、2と同様に、複数個のタスクそれぞれについて、やる気の度合の強弱があり、その中で最もやる気度の強いタスクが優先的に実行されるというものである。ごく大まかにはそのモデルで説明付けることもできようが、細かく見れば、その単純なモデルをもう少し拡張する必要があると考えている。

すなわち、複数個のタスクA, B, C, …があるとして、それらのタスクが単体であるときには、やる気、欲望の度合がそれほど強くなく、実行されないが、互いに競合した状態で同時に存在するときに、単体のときと比べて、やる気、欲望の度合が上下し、あるいは実行の敷居値が変わることで、実行に至ることが起こりうるのではないかということである。小生自らの経験からすると、そのようなケースが少なからずあるように思われる。
先延ばしについて考える(22)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、前回も挙げた先延ばしの原因の2つ目、3つ目に対する有効な対策として、以下の3点を挙げた。:

・ついやり出してしまったことから上手く転移する方法を考える。そのため、やり出してしまったことになるべく近い作業を始められる環境を作る。例えば、ネットサーフィンを始めてしまったら、InternetExplorerなどのWebブラウザ上でもう一つタブを開き、そちらではGmailを起動させ、書き途中の原稿、メール下書きなどを表示させておく。ネットを見終わったら、あるいは少し飽きてきたら、すぐ開いておいた作業を少し手をつけるように念じておく(注:作業を全部一気に片付けようとは思わない方がよいと思う。経験上。)このような作業の移行をなるべくスムーズにできるような、一般的なノウハウ集があると良い。

・やるべきことは何でも、締切までの時間余裕を十分にとれるよう、早期に手をつけるようにする。その上で、一旦やり出してしまったら自然に手が止まるまでやり続けてしまう。やるべきこととしての優先順位が低いことでも、せっかくやり出したのなら、自然に止めるまでやってみる。他のやるべきことも含めて締切までの時間的余裕があるなら、それで大丈夫なはず。

・ついやってしまうことが時間的に際限なく続かないのであれば(例:ネットをつい見てしまうとしても見るサイトや箇所が決まっているなら、限られた時間で見終わるはず)、一通りやりたいようにやってしまう。やってしまえば、他の本来やるべきことに少しでも手がつけられやすくなるはず。ついやってしまうことも、事前に少しずつ時間を見つけて、やってしまうようにすれば良いかも。

前回までと同様に、これらについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証してみることにする。



先延ばしについて考える(23)

引き続き、198〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた対策に関する考察の続きを述べます。



(22)で挙げた3つの対策のうち、ここではまず1つ目について述べる。即ち、ついやり出してしまったことから上手く転移する方法を考えることである。

これは、今改めて考えてみても、非常に有効な方法であると思う。例えば、このメルマガ記事を書いている最中も、他のタスクのことが気になって、そちらに目が向かってしまいがちであったが、記事の下書きをしているテキストファイルをPC上でずっと開いておくことで、一定時間が経つとその画面が目に入り、意識を記事の執筆に向かわせることができた。本号の記事2つを書き上げるまで、丸1〜2日程度は画面に下書きのテキストファイルを出しっ放しにしておいたので、そのファイルを目にして意識を執筆に向けさせられた回数は、それこそ10回程度、否、はるかにそれ以上の回数はあったのではないかと思われる。



とはいえ、他のことにすぐ気を取られがちであったため、意識はメルマガ記事の執筆に一度向かうものの、なかなか長続きしなかった。確かに、そういった対策を行っていないよりは、行っておく方がはるかに効果はあるという実感はあるが、できることなら、意識がすぐに向かい、かつその意識集中が長続きする方法を確立する必要があると改めて考えている次第である。

まだ未確立で思い付きのアイデアの領域を出ないが、せっかく画面が目に入るようにしたのなら、その画面をぼーっとしながら見つめ、トランスに入るようにするのはどうだろうか。それにより、他のことを気にする、やりたがる気持ちを上手にコントロールできるようになり、この手法単体で行うよりもより一層の効果を生むのではないかと考えている(その実践結果は、追って報告するようにしたい)。


先延ばしについて考える(24)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、前々回も挙げた先延ばしの原因の2つ目、3つ目に対する有効な対策として3点を挙げた。このうち、前回は1点目について再考察を行った。今回は、以下の2点目、3点目について、その後の自らの経験も踏まえて再検証、再考察したい。:

>・やるべきことは何でも、締切までの時間余裕を十分にとれるよう、早期に手
>をつけるようにする。その上で、一旦やり出してしまったら自然に手が止まる
>までやり続けてしまう。やるべきこととしての優先順位が低いことでも、せっ
>かくやり出したのなら、自然に止めるまでやってみる。他のやるべきことも含
>めて締切までの時間的余裕があるなら、それで大丈夫なはず。

>・ついやってしまうことが時間的に際限なく続かないのであれば(例:ネット
>をつい見てしまうとしても見るサイトや箇所が決まっているなら、限られた時
>間で見終わるはず)、一通りやりたいようにやってしまう。やってしまえば、
>他の本来やるべきことに少しでも手がつけられやすくなるはず。ついやってし
>まうことも、事前に少しずつ時間を見つけて、やってしまうようにすれば良い
>かも。



2点目については、折に触れて、できるだけそのようにするよう心掛けているつもりではある。そのおかげか、ある特定の分野のタスク(例えば、町内会の資料作成など)については、相当に早い段階でやるべきタスクを片付けられたことも少なくはない。しかし、その一方で、特に睡眠時間が短い時、コンサータやストラテラを服用していない時など、やる気スイッチが入りづらいため、早期に手を付けよう付けようと思いはしつつ、ついつい億劫がって先延ばしにしてしまう悪い癖が未だに健在ではある。


先延ばしについて考える(25)

引き続き、198〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた対策に関する考察の続きを述べます。



早期に手を付け、早期に片付けられたタスクがある。一方で、ズルズルと相変わらずの悪い癖で先延ばし時間ギリギリとなってしまうタスクもある。その違いは何から生まれるのか。ここでは、自分自身のこれまでの経験を踏まえて、その点を考察してみたい。

早期に手を付けられ、片付けられた理由。一つには、早期に手を付ける、片付けることに対して快感を覚える体験があったことであろうか。具体的には、早めに手を付け、片付けることで良い評価を得る、褒められる、褒美がある等の体験である。まさに、パブロフの犬というか、褒めて伸ばすという考え方の根拠にもなりうる至極シンプルな理由ではある。

もう一つは、その分野で時間ギリギリ、先延ばししてしまうことで不快な体験をしていないこともあるように思っている。というのは、一度時間ギリギリ、先延ばしをしてしまうと、特にそれで失敗し、怒られる等の体験をすると、「しまった、またやってしまった」というネガティブな自己暗示が作用してしまうと考えられるからである。自分はその分野は苦手だ、(その分野では)ダメな人間だとすら思うようになってしまい、やる気スイッチが入りづらくなってしまう、そういう悪循環が働いてしまうのではないか。



先延ばし、時間ギリギリになってしまう原因は、まさにこれの裏返しではないか。つまり、上述のうち後者の不快な体験が先行してしまい、前者の快感を覚える体験が無い、もしくは不足しているがために、好循環が起こらず、悪い結果を生むのではないだろうか。

加えて、先延ばし、時間ギリギリになってしまうもう一つの原因として、単純に他のことに気を取られてしまい、そのタスクのことをすっかり忘れてしまうこともあるのではないかと思う。自分の興味関心が高ければ、そのことを常時繰り返し意識することで、忘れずには済む。しかし、興味関心の度合いがある程度低く、他により気になることがあれば、そちらにばかり意識が向いてしまい、結果的に忘れてしまうということである。

先延ばしについて考える(26)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ198号の中では、先延ばしの原因の4つ目として以下の点を挙げた。今回は、これについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証、再考察したい。:

> 4.やるべきことをそもそも忘れてしまう
>これも上の1.〜3.と多少関連性があるのかもしれないが、敢えて区別した。やるべきことがいくつもあった場合、純粋に忘れてしまうということもあろう。その場合のことである。

> ADHD的な人の場合、忘れっぽさは対象物に興味をどれだけ持てるかによって大きな影響を受けるようだ。まさに小生自身もそんな感じである。はたから見て、どうでも良い細かいことはいつまでも覚えているくせに、大事な直前のことをすぽっと忘れてしまうのである。

> 脳科学の次元で見ると、短期記憶に関係するところだろうか。長期記憶は優れているけど、短期記憶に何らかの問題があるといった場合には、学校の勉強の面では良い成績をとれるけれど、直前の大事なことを(ある程度の興味が無ければ、)すぐ忘れてしまうので、仕事や日常生活の面では支障を来たすといった事態も十分考えられる。

> やはりこれも、脳科学の面から深く勉強してゆきたい。



この記事を書いてから早6年近くが過ぎたが、大変恥ずかしながら、先延ばし癖とともに、忘れっぽさも相変わらず健在である。それでも、先延ばし癖は多少たりとも克服できてきてはいるが、忘れっぽさの方はそれに比べてあまり改善しているようには自分でも思えない。今の仕事の上でも、どちらかと言えば、先延ばし癖以上に、この忘れっぽさが大いに足を引っ張っている面があるように思う。それゆえ、最近は特に、先延ばし以上に、忘れっぽさをどうにか少しでも改善しようとあれこれ考えあぐねているところではある。


先延ばしについて考える(27)

引き続き、198〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた忘れっぽさに関する考察の続きを述べます。



前回、先延ばしの遠因の一つとして、興味関心が他に行ってしまうことで、目の前の大事なことへの関心度が低く、結果的にそのことをすぽっと忘れてしまうという点を挙げた。先延ばしへの影響もあるが、そもそも忘れっぽいという欠点に関して言えば、これはもろに直接的な原因と言える。ADHD(に限らず、発達障害全般に言えることかもしれないが)当事者の場合、特定の物事への強いこだわり、過集中という傾向がある。この傾向が結果的に今述べたプロセスを経て、忘れっぽいという欠点を生んでいるのではないだろうか。

逆に、発達障害当事者の場合、強いこだわり、興味関心のある特定の分野の知識に関しては人並み以上に知識力、記憶力が発揮される傾向がある。その点を踏まえると、情報を記憶するというメカニズムそのものに欠陥、障害があるとは考えにくく、よって、その点が忘れっぽいという欠点の直接的原因ではないと言える。



ならば、忘れっぽさの直接的な原因とは何だろうか。それは、上述のプロセスをもう少し細かく掘り下げることで示されるのではないかと筆者は考えている。

即ち、特定の物事への強いこだわり、興味関心によって、その分野についてばかり頭の中で繰り返し、強く想起が行われることになる。そうすると逆に、目の前の本来大事なタスクなどについては、こだわりや興味関心度が低いために、殆ど想起が行われない、もしくは想起が行われても程度の弱いものになってしまう。脳科学的な見地からすると、知識は繰り返し想起することで記憶が定着するそうであるから、想起の回数が少なければ、あるいはさらに想起の強さの程度が弱ければ、記憶が定着せず、結果的に忘れてしまうことになると考えられる。

これと対照的に、普通の人であれば、特定の分野の知識についてそれほど強く、繰り返し想起が行われることはなく、あらゆる分野の知識を満遍なく想起するものと考えられるため、目の前の大事なタスクについても、適切な回数、適切な強さで想起が行われ、記憶が定着しやすいため、結果的に忘れにくいことになるのではないだろうか。


先延ばしについて考える(28)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目の対策として以下の点を挙げた。今回は、これについて、その後の自らの経験も踏まえて再検証、再考察したい。:



>「4.やるべきことをそもそも忘れてしまう」ことへの対策

>・1.で述べたような、携帯アラーム機能などの器具の活用。器具の活用は失念防止に一番役立つものかもしれない。小生の場合、携帯アラーム機能が薬の飲み忘れに非常に威力を発揮している。

> ・やるべきことを作業日誌やスケジューラに細かくメモしておく。具体的に細かくメモしておけば、抽象的に「片付け」などと書いておくだけよりもイメージしやすく、したがって忘れにくいと思う。
>・1.で述べたように、それをやることが楽しいと思うように何度もイメージトレーニングしてみる。あるいは、やるべきことが何かを考える作業であれば、問題意識を持って事前に少しでも考えておけば、問題意識が生まれて自然に気になるようになり、忘れにくくなる。



この記事を書いてから早6年近くが過ぎたが、その後の経験も踏まえて改めて再考してみると、そもそも論として、携帯アラームにせよ何にせよ、忘れてはならない内容についてメモすること、およびそれを見返すことそれ自体を忘れてしまっては何にもならないということである。

携帯アラーム機能は今も使ってはいるし、さらにカレンダー等に手書きで重要タスクをメモしたりすることもあるが、それでも忘れてしまうことが少なくない。メモして安心してしまい、そのメモを見返すのを忘れたり、そもそもメモしようとする前に別の用事が入ってしまうなどして、メモすること自体を忘れてしまったり、あるいはメモする対象が携帯アラームであったりカレンダーであったりと一定しないことで、どこにメモをしたのかを忘れてしまうこともある。

傍から聞くと笑い話のようであるが、忘れっぽい人間からすると、これも非常に大真面目に重要な悩みなのである。





先延ばしについて考える(29)

引き続き、198〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた対策を再考察したいと思います。ここでは、先ほど挙げた忘れっぽさの対策に関する考察の続きを述べます。



今(26)で述べたように、どこにどういう手段でメモをするかに関わらず、そもそもメモすること、それを見返すことそれ自体を忘れてしまうようでは、忘れっぽさの根本的な対策にはならない。したがって、確実にメモすること、見返すことを実行するよう十分に癖を付ける必要がある。癖を付けることが重要であることは、以前に読んだとある本の中でも触れられていたので、忘れっぽさ対策として癖を付けることが重要であることは世の中でも広く認識されているのだろうとは思われる。

が、自らの経験からすると、癖を付ける必要があるとは頭の中で分かってはいても、なかなかスムーズかつ確実に癖を付けられるように至らないのである。上述の書籍の中でも、癖を付けることが大切とまでは述べられていても、ではどうやったら確実に癖を付けられるようになるかまでは全く言及されていない。小生の記憶、見聞の限りにおいて、誰でも確実に癖を付けられる方法論が論じられているのを目にしたことが無い。ということは、その方法論が確立しない限り、誰でも確実にその手の悩みから抜け出すことはできないのではなかろうか。

したがって、以下では、いかにして確実に癖を付けるかについて掘り下げて論じてゆくことにする。



癖を付けるとは、より具体的にはどういうことであろうか。一つの表現としては、特定の場面、状況において、半ばまたは完全に無意識的、条件反射的に然るべき言動を行うようになることである。そのような状態に自分自身を持っていくために一定の訓練を行わねばならない。それが癖を付けるという行為と言えよう。

では、そのような状態に持っていくためには、具体的にどのような訓練をどのように行えば良いのであろうか。月並みかつ当たり前ではあるが、最初はたどたどしくとも、意識的に一つ一つ手順を確認しながら、何度も何度も正しい手順で反復練習するしかない。こう言えば簡単に聞こえるかもしれないが、自分の経験からすると、特に独力でそれを行おうとする場合、意外と手こずるものである。


先延ばしについて考える(30)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。前回、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べた。その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。今回は、この点について、その後の自らの経験も踏まえてさらに掘り下げて考察したい。



前回の最後にも触れたように、癖を付けるためには、月並みかつ当たり前ではあるが、最初はたどたどしくとも、意識的に一つ一つ手順を確認しながら、何度も何度も正しい手順で反復練習するしかない。それが完璧に出来れば、きちんと癖が付き、結果的に忘れっぽさも克服できるはずである。

しかしながら、小生のような者の場合、その反復の阻害要因を抱え込んでしまっているがために、なかなか癖を付けることができないでいる。具体的には、意識や興味関心があっち飛びこっち飛びしやすいために、癖を付けるべき反復動作を持続的に行いにくい。

もう少し掘り下げて言うと、その反復練習だけに意識が向いていれば良いが、たいていは途中で他に意識や興味関心が飛んでしまい、上の空になってしまう。そのため、反復動作が正しい手順で行われなくなったり、途中で反復動作が止まってしまう。あるいは、他の言動を行ううちに反復動作の正しい手順、もっと言えば反復動作それ自体をすぽっと忘れてしまうのである。そもそも、忘れっぽさを克服するための手段としての癖付けなのだが、その癖付け自体を忘れてしまうようでは、笑い話にしかならない。大真面目に考えるならば、この悪循環を抜本的に断ち切らない限り、忘れっぽさの克服という一大課題は達成できえない。

では、どのようにすれば、抜本的に断ち切れるのであろうか。理詰めで考えるならば、上述の悪循環の各プロセスに対して地道に対策を打つしかない。

例えば、すぐ他のことに意識や興味関心が飛んでしまうならば、すぐに元の癖付けのことに意識、興味関心が戻ってくるようにする工夫をすれば良い。小生自身を自己分析した限りでは、意識や興味関心が飛びがちな対象はある程度限られているので、その対象をリストアップして、その対象と元の癖付けのことを同時に頭の中で想起するようにする。こうすることで、意識や興味関心が飛んでも、連想的に元の癖付けのことが思い出され、自然と元の意識・興味関心の対象に戻るようになる。

先延ばしについて考える(31)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。前々回、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

前回、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、意識がすぐ他のことに飛びやすいとなかなか上手くいかないことを述べ、そのための対策として、意識が飛びがちな対象をリストアップして、その対象と元の癖付けのこととを同時に頭の中で想起することで、自然と元の癖付けのことが思い出されるようになると述べた。今回は、まずこの点について、自らの経験に基づいて掘り下げて考察、補足する。



ここ1ヶ月ほど、このメルマガ記事を自ら考察して書きながら、癖付けを実践してきている。この記事を書いているからこそ、次号用に考察を出さねば、何らか成果と言えるものを出さねばならないという自分自身への追い込みもあってか、おかげさまで、今までの自分の経験の中では比較的スムーズに癖付けが出来てきつつある。

必ずしも完全な形で、上述のように意識が飛びがちな対象全てをリストアップして同時に想起しているわけではないが、なるべく意識的に気付いた範囲で行うようにはしてきている。その甲斐あってか、特に数週間前の時期は癖をつけるべき行為を一日の中で何度も意識し、実践できていた。その後、やはり意識や興味関心が飛びがちなせいか、想起そのものを一日の中で怠る、忘れがちな時期が来たが、この記事を書く上で考察するにあたり、再び想起の頻度は増加傾向になってきている。

このペースで続けて行けば、ある程度スムーズに癖付けができてゆくものと見込まれる。100%自分自身の内面のみで癖をつけようとしてもある程度限度があるのが正直なところだが、小生にとってのこのメルマガ記事執筆のように、原稿締切などの外的な強制力が働くと、癖付けという面でも非常に効果的と言える。よって、まず言えることとしては、可能ならば外力を上手に採り入れて活用するよう工夫することが大切ということであろうか。

先延ばしについて考える(32)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



このまま比較的スムーズに癖を付けられたとしても、毎日毎日適切な回数、頻度で想起を繰り返すとして、短くともあと1〜2ヶ月は要するものと予想される。

というのは、一つには、だいぶ前に、以前も紹介した臨床心理士の河野良和氏のカウンセリングを受けた際、感情モニタリング法や自己暗示、およびそれらを基にして自分の悪い癖の矯正には、「早い人で3か月」と言われたためである。この3か月という目途は、例えば、2009年頃に当時昼食として必ず食べていた油そばを我慢するというイメージトレーニング(自己暗示)を繰り返し行っていて、成果が出たと実感するまでの期間とも近い(なお、この当時のイメージトレーニングについては、当時このメルマガ上で述べているので、そちらを参照されたい)。

総じて一般論として言えば、何か癖を付けるためには、毎日毎日トレーニングをするとしても、数か月はかかるということではなかろうか。裏返せば、その期間中は地道に毎日適切なトレーニングをしなければならないということである。日によって、トレーニングをやったりやらなかったりでは、ムラが出来て付けるべき癖を身に付きにくい。この点は河野氏も感情モニタリング法の著書の中で述べている。



実践してみると分かるが、癖を付けるためのトレーニングを毎日毎日均等な量行うのは独力ではなかなか難しい。上述のように外的な強制力を借りるのが非常に効果的ではあるが、一流のスポーツ選手などのように付きっきりの専属コーチ、トレーナーでも居ない限りは、外的強制力を借りたとしても、どうしても大なり小なりムラが出来てしまう。問題は、そのムラがどの程度に収まれば、数か月の時を経て癖を正しく身につけられるかということである。

加えて、数か月という期間ともなると、単純に忘れるだけでなく、飽きてしまい、やる気スイッチが入らないということも起こってくる。癖を付けるトレーニングを継続して行ってゆく上で、その飽きっぽさ、やる気スイッチが入りにくくなってくる点もまた、大きな課題の一つではある。

先延ばしについて考える(33)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

前回までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回は、その続きを掘り下げて考察する。



前号記事(31)でも述べたように、特に忘れっぽさ対策としては、他人にチェックしてもらう等の外圧的な手段が有効である。加えて、飽きっぽさ対策としては、自分自身が飽きやすいタイミング(例えば、1ヶ月程度で大抵飽きてしまう等)を自己分析して掴み、そのタイミングを狙って、持続してトレーニングを行ったことに対するご褒美を自分に与えることも有効ではなかろうか。あるいは、忘れっぽさ対策と同様、飽きやすいタイミングを見て、他人にチェック、場合によっては叱咤激励してもらうことも必要ではないかと思う。

とはいえ、自分自身の経験からすると、他人の協力を得るとしても、その協力を得る他人が忘れてしまったり、こちらへの指導に対するやる気がある程度無いと、途中で段々とお互いにだれてきてしまい、結局挫折してしまうことにもなりかねない。勿論、他人様に協力していただくという意味では、あまりその協力者を悪く言うことはできないので、適切な協力者を確保することもまた、重要な課題ではないかと考える。


先延ばしについて考える(34)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



既述の通り、正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要がある。(33)までに、そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法を述べたが、それ以外に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法も考えられる。それについて以下で述べる。



人間誰でも、日常生活は比較的パターン化された環境の中で過ごしている。例えば、自宅と職場・学校を通勤・通学で往復したり、朝昼晩には食事をし、夜には風呂に入り、深夜は寝室で寝る。…どれも極めて当たり前な話だが、よくよく考えてみれば、その当たり前なパターン環境を活かせるのではなかろうか。即ち、毎日毎日ほぼ必ず行く場所、行う行為、見る対象があるのだから、それらと癖を付けるべき行為とを頭の中で結び付けて記憶するのである。

これも経験則として言えることだが、何かの知識技能を記憶、習得する際、それ単独で覚えようとするよりも、既存の頭の中の知識や周囲に見えるもの、または視覚や聴覚などの五感を通じて入ってくる情報に意識的に結び付けた方が覚えやすくないだろうか。あるいは逆に、本人が意図しなくとも、ある知識を覚えようとしていた時、たまたま聞こえた歌声や見えた風景等にその知識が無意識的に頭の中で結び付けられ、後日たまたまその歌声なり見えた風景を再度耳に、目にした際、覚えようとしていた知識が自然と連想的に思い出されることもある。

過日の記事でも触れたように、これは脳の記憶のしくみ、性質によるものである。頭の中で全く別の2つの概念・知識を連想する行為を繰り返していると、その2つの概念・知識が頭の中で自然と結び付けられ、片方を想起した際に、もう片方も連想的に思い出されるようになる。場合によっては、たった1回の連想により、2つが協力に結び付いてしまうこともある。この性質を徹底的に活かすのである。



例えば、翌日の学校や職場に登校・出勤するための持ち物チェックを行う癖をつけるとする。その場合、前夜に忘れずに行うためには、前夜のうちにほぼ必ず行う行為や行く場所、触れる物に結び付けて記憶するようにしてみる。風呂場や寝室を開けて、中の様子を目で見ながら、同時に持ち物チェックについて思い出してみる、考えてみるのである。あるいは、野球観戦が好きなら、テレビのナイター中継の映像を見ながら、持ち物チェックについて思い出してみるのである。


先延ばしについて考える(35)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

前々回までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回に続いてその続きを考察する。



前々号記事(31)で述べたように、特に忘れっぽさ対策としては、他人にチェックしてもらう等の外圧的な手段が有効である。ただ机上でこのように理屈をこねているだけでなく、この手段を早速、自分自身にも適用、活用することにした。

具体的には、このメルマガ記事を書く際に、今までは締切ギリギリになることが多かったことへの対策を兼ねて、原則として発行日の翌週の週末を自分の原稿の締切とすることにした。細かく言えば、ロクスケ委員長から原稿や編集後記を頂戴した時点から起算して一週間以内に小生も原稿とメルマガの次号分の下案を仕上げるというルールである。ロクスケ委員長は非常にメルマガ記事の執筆にも精力的、熱心な方であり、小生のような先延ばしとは眞逆、全く無縁のお方であるため、メルマガ発行時にすぐ次号分の原稿を仕上げていただくことが多い。よって、実質的にはメルマガ発行日の翌週末が小生の締切となる。

このルールを小生自ら、ロクスケ委員長にお伝えし、実践することにした。人前でそのような宣言をすることは、実に良い緊張感をもたらすものであり、効果的な手段であると改めて実感している。そのおかげか、今この原稿を執筆しているのが前号発行日の1週間後にあたる9月13日日曜日である。相変わらず、宣言した締切日ギリギリにはなっているものの、それでも次号発行日の1週間前である。どうしても締切ギリギリ癖が直らないのなら、その締切自体を前倒しして設定すれば良い。時にそういった発想の転換も必要ではないかと思う。




先延ばしについて考える(36)

正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要があるが、小生のように意識があちこちに飛びやすく、忘れっぽい人間にとっては、そのトレーニングの持続がハードルの高いものである。前号までに、そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法についても挙げた。

他人を巻き込む方法と同様、この方法についても、自ら実践を意識的に行うことにした。具体的には、小生の場合、隔週でこの先延ばしに関するメルマガ記事を書き続けていることを活かし、メルマガ記事に関する考察と、癖をつけるべき事柄とを連想的に結び付けることにした。

特に、今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックを連想的に思い出しては、そのセルフチェックを必ず一度は行うようにしている(なお、セルフチェックとは、今その瞬間の自分自身の喜怒哀楽の状態を自己観察することである。本題から外れるので、ここでは詳細は割愛する)。

メルマガ記事の執筆は隔週で必ず行うものであり、締切が近づくと(いや、本来は締切の前に余裕を持って執筆を終えるべきなのだが)、考察〜執筆を行うことになる。その隔週必ず行うものに結び付けることで、忘れ続けてそのままフェードアウトしてしまうことが無くなるのである。そのおかげか、セルフチェックも、訓練を行い出した当初よりも、手前味噌ながら、迅速的確に行えるようになってきたと感じている。やはり、継続は力である。そのことを今とても実感している。



小生自身がそのように癖付けに試行錯誤している中、うちの娘が翌日学校に持っていくべき持ち物の用意を忘れそうになっていた。何の自慢にもならないが、誰に似たのか、うちの娘も忘れ物が多いようだ。そこで、早速今度は、小生のやり方を娘にも教え、効果を確かめてみたいと思う。経過、結果は追って報告したい。


先延ばしについて考える(37)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回に続いてその続きを考察する。



前号記事では、特に忘れっぽさ対策として、他人にチェックしてもらう等の外圧的な手段が有効であり、この手段を早速、自分自身にも適用、活用するため、このメルマガ記事の自主的な執筆締切を宣言して、それを実行することにした旨を述べた。前号記事も、自主的に宣言した締切の日ギリギリではあるがきちんと仕上げることができ、本号のこの記事も自主宣言の締切日ギリギリにきちんと書いている。今のところ、このペースであれば、(相変わらず締切日ギリギリではあるが、)上手く続けられると確信している。

言うまでもなく、できることならば、締切日ギリギリではなく、数日前に余裕を持って仕上げたいものだが、そこは次の目標ということで、まずはこの自主締切日をたとえギリギリでも良いから厳守することを当面の現実的な目標としたい。さしあたり、当面この先数か月、具体的には年内一杯続け、年明けから次の目標を目指したいと思う。






先延ばしについて考える(38)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要があるが、小生のように意識があちこちに飛びやすく、忘れっぽい人間にとっては、そのトレーニングの持続がハードルの高いものである。前々号までに、そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法についても挙げた。

他人を巻き込む方法と同様、この方法についても、自ら実践を意識的に行うことにし、メルマガ記事に関する考察と、癖をつけるべき事柄、特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックとを連想的に結び付けることにした。

メルマガ記事の執筆は隔週で必ず行うものであり、その都度考察〜執筆を行うことになる。隔週必ず行うものに結び付けることで、忘れ続けてそのままフェードアウトしてしまうことが無くなるものの、前号執筆時からのここ2週間で見れば、本号の記事執筆までにセルフチェックの頻度が一時期よりもかなり落ちてしまったように思われる。



そこで、その対策として、本号記事執筆直後から当面の間、セルフチェックを毎日一定頻度行うようにスケジュールを決めたいと思う。具体的には、毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるようにする。日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くのである。こうすれば、次号の記事を書き上げるために、毎日必ずチェックを続けなければならなくなる。それを継続できれば、十分適切に癖を付けることができるのではないかと期待される。


● 先延ばしについて考える(39)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を始めたが、今回もその続きを行いたいと思う。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



前々号記事では、このメルマガ記事の自主的な執筆締切を宣言して、それを実行することにした旨を述べたが、前号記事の執筆・編集時と同様に今回も、自主的に宣言した締切の日ギリギリではあるがきちんとこなすことが出来ている(これを今現在書いているので、まだ仕上がってはいないが、勢いに乗って仕上げることは十分できるはずである)。

思えば、このWing Brainに参加させていただいてから、間もなく早7年になるが、この間ほぼ、締切ギリギリ、もしくは過ぎてしまうことはあっても、原稿執筆・メルマガ編集それ自体を失念したことはない(大した自慢にはならないが)。よって、この流れで行けば、隔週でのそれらの取組みも永続的に続けられると確信している。とはいえ、惰性で同じことを、特に悪い癖を長く続けるのはやはりよろしくはないので、少しずつでも改善はしてゆくべきと改めて考えている。

前号において、さしあたり、当面この先数か月、この自主締切日をたとえギリギリでも良いから厳守することを当面の現実的な目標としたいと述べたが、それは無理なくできそうな見込みであることから、前倒しして次の目標を掲げることにしたい。即ち、本号発行直後、ロクスケ委員長から次号原稿等を頂戴した際、ご返事をする直前に委員長の原稿や編集後記の部分を挿入したメルマガ下案を先に仕上げることにしたいと思う。


● 先延ばしについて考える(40)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要がある。そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用することにしたことを前号までに述べた。

その上で、前号において、記事執筆直後から当面の間、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。

蓋を開けてみれば、これについては、残念ながら宣言通りに毎時00分のセルフチェックを確実に行うことは出来なかった。言い訳をするならば、仕事の忙しさもあるが、それにかまけてセルフチェックを行ったかどうかのメモそれ自体も怠ってしまっていた。記憶の限りでは、毎日を平均して1日あたり数回は頭の中で自然と思い出すことでセルフチェックが出来てはいたが、毎時1回までは出来ていなかった。その対策として、先ほど早速、スマートフォン上のスケジューラに毎時1回のセルフチェックを登録した。

こうしておけば、少なくとも仕事中はスマートフォンを胸ポケットに入れているため、バイブレーションで通知することで、失念防止にはなる。次号発行までは、このスマートフォン通知によって、どれだけ毎時のセルフチェックを確実に実行できるかを自己検証してゆくことにする。


● 先延ばしについて考える(41)


今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



前々号記事では、このメルマガ記事の自主的な執筆締切を宣言して、それを実行することにした旨を述べた。今回も、自主的に宣言した締切の日ギリギリではあるがきちんとこなすことが出来ているが、少しでもより一層改善すべく、次の目標を前回掲げた。即ち、メルマガ発行直後、ロクスケ委員長から次号原稿等を頂戴した際、ご返事をする直前に委員長の原稿や編集後記の部分を挿入したメルマガ下案を先に仕上げることにする、というものであった。

結論から言えば、馬鹿正直に申告するならば、残念ながらこの目標は今回は達成できなかった。前号発行日の夜、委員長より本号分の原稿を頂戴したが、その受領の返事をするのが翌日になってしまった上、メルマガ下案を作成するという自ら掲げた目標それ自体を失念してしまっていた。受領の返事をした直後、一瞬作成しなければと思い出したものの、またその後別のことに気を取られて忘れており、結局メルマガ下案を作成したのは、この原稿を執筆している前日の10月24日土曜日夜であった。

先延ばしについて考える(42)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



低レベルでお恥ずかしい話だが、それでも、メルマガ下案の作成を原稿執筆日の当日まで先延ばしするよりは若干マシではあったと思っている。プラス思考的に考えるならば、次はさらに少しでも良くすれば良いわけである。そこで、次回は具体的にこのように目標を掲げることにしたい。:

前回と同様、メルマガ発行直後、ロクスケ委員長より次号分の原稿を頂戴した際、受領のご返事をする前に原則としてメルマガ下案を作成しておくが、もしそれを失念、もしくはやる気スイッチがどうしても入らずに結果的に達成できなかったとしても、少なくとも今回のように原稿執筆(締切)日の前日とならないよう、一日でも前の日に行うこととしたい。その上で、できれば原稿執筆それ自体も、締切日ギリギリでなく、前日までには余裕を持って終わらせられるようにしたい。少なくとも、原稿執筆の考察着手をメルマガ下案作成直後から開始したい。

…これらの目標達成の可否を、次号執筆時にまた馬鹿正直に記したいと思う。傍から見れば笑われるような話だろうが、少しでも自己改善になればとの大真面目な思いからの行動である旨、何とぞご理解いただければと思う。



次に、感情モニタリング法のセルフチェックについて述べる。

前号まででも述べたように、正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要がある。そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用することにした。

その上で、前々号において、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。今回は前号執筆時点からの経過報告をしたい。

今回は、スマートフォンを用いてスケジューラに毎時00分にチェックのアラームが鳴るようにして2週間を過ごした。結論から言えば、これも残念ながら毎日確実に毎時00分にチェックを100%達成することはできなかったが、それでも前号執筆時までよりは明らかにチェックの頻度は上げることができた。そこで、これまた次回は少しでもより一層改善した状態になるようにしたい。具体的には、アラームが鳴った時点でチェックを行おうとして途中で意識が他に飛んでしまい、確実なチェックができないことが多々あったので、確実に最後までチェックを行えるようにしたい。


● 先延ばしについて考える(43)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



355号記事で宣言した、このメルマガ記事の自主的な執筆締切の日自体は、ギリギリではあるがきちんとこなすことが出来ているが、少しでもより一層改善すべく、次の目標を前回掲げた。即ち、メルマガ発行直後、ロクスケ委員長から次号原稿等を頂戴した際、ご返事をする直前に委員長の原稿や編集後記の部分を挿入したメルマガ下案を先に仕上げることにする、というものであった。

今回も、馬鹿正直に申告するならば、残念ながらこの目標は達成できなかった。ただ、前回よりは少しでも進歩すべく、前回のメルマガ下案作成日は締切日前日の10/24土曜日であったのに対し、今回は11/5木曜日に作成できた。半ば馬鹿馬鹿しい話ではあるが、その点は少しは進歩したと我ながら思う。今回も、前号発行日の夜のうちに、ロクスケ委員長より本号分の原稿を頂戴したが、その受領の返事も前回と同じく翌日になってしまった上、メルマガ下案を作成するという自ら掲げた目標それ自体を失念してしまっていた。


● 先延ばしについて考える(44)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



前回も述べたように、低レベルでお恥ずかしい話だが、それでも、メルマガ下案の作成を原稿執筆日の当日まで先延ばしするよりは若干マシと思い、プラス思考的な視点から、次はさらに少しでも良くするようにしたいと思う。まずは、前回掲げた目標の達成度を馬鹿正直にこの場で申告する。

前回掲げた目標は以下の2点である。:
「メルマガ発行直後、ロクスケ委員長より次号分の原稿を頂戴した際、受領のご返事をする前に原則としてメルマガ下案を作成しておくが、もしそれを失念、もしくはやる気スイッチがどうしても入らずに結果的に達成できなかったとしても、少なくとも今回のように原稿執筆(締切)日の前日とならないよう、一日でも前の日に行うこととしたい。」

「その上で、できれば原稿執筆それ自体も、締切日ギリギリでなく、前日までには余裕を持って終わらせられるようにしたい。少なくとも、原稿執筆の考察着手をメルマガ下案作成直後から開始したい。」

まず、前者については、確かに委員長からの受領日にはできなかったものの、小生の締切日の3日前である木曜日に作成できたので、進歩したと言える。後者については、残念ながら執筆自体がまた締切日ギリギリになってしまった。木曜日にメルマガ下案を作成した際、原稿のことも考えはしたが、執筆に至らなかった。よって、さらに両者とも次回は少しでも更なる改善をしたいと思う。前回も述べたように、傍から見れば笑われるような話だろうが、少しでも自己改善になればとの大真面目な思いからの行動である旨、何とぞご理解いただければと思う。



次に、感情モニタリング法のセルフチェックについて述べる。

前号まででも述べたように、正しく癖を付けるために数か月間に渡って適切なトレーニングを持続して行う必要がある。そのトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用することにした。

その上で、前々号において、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。今回は前号執筆時点からの経過報告をしたい。

今回も、前回までの2週間と同じように、スマートフォンを用いてスケジューラに毎時00分にチェックのアラームが鳴るようにして2週間を過ごした。これも残念ながら毎日確実に毎時00分にチェックを100%達成することはできなかったが、それでも前号執筆時までより更にチェックの頻度は上げることができた。特に、前号発行日の直後の数日間は、前回達成できなかった悔しさから、かなり意識してチェックを行えていたが、段々とまた忘れて、意識が低くなってしまったように思う。今回は、少なくとも最初の1週間は持続できるよう、心掛けたい。


先延ばしについて考える(45)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



持続して行うべきトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用している。

356号において、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。今回も前号執筆時点からの経過報告を行う。

残念ながら、馬鹿正直に自己申告するならば、セルフチェックを行ったかどうかのメモを取ること自体がまだ出来ていない。やらなきゃと時折思い出しつつ、半分また他のことに気を取られて忘れてしまったり、億劫な気になって、言い換えればやる気スイッチが入らず、メモを取ることそれ自体を先延ばししているのが現状である。



● 先延ばしについて考える(46)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



今回も、前回までの2週間と同じように、スマートフォンを用いてスケジューラに毎時00分にチェックのアラームが鳴るようにして2週間を過ごした。相変わらずではあるが、前号記事を執筆した後の数日は、記事に達成できなかったと自ら書いたことで良い意識付けになり、アラームでのチェックを割とこまめに(それでも毎時00分きっかりに必ず、ではないのだが)行えていた。前号で、せめて最初の1週間は持続できるようにしたいと述べたが、大まかに見て、その期間くらいはある程度達成できていたようにも思う。しかし、やはり中だるみというか、段々とそのチェックの達成も頻度が落ち、そのうちチェックそれ自体を他のことに気を取られて忘れてしまうというパターンは前回までと変わっていない。

そこで、中だるみ対策を打つことにしたい。最初の1週間はほぼ達成できていたのなら、一週間を経過した頃に1回、中だるみをしていないかをチェックするようにし、上述の感情モニタリングのセルフチェックとともに、中だるみのチェック結果自体も次号以降のこの原稿上で自己申告することにする。

その上で、この記事上で宣言したそれらの取組みについて、進展が無い限り、次の考察は行わないことをここに宣言したい。こうすれば、何も進展が無ければ次号の原稿が書けず自分が困ってしまうことになるため、自分を良い意味で追い込むための材料になるのではと考えている。今後2週間分の上述のチェック結果は、また次号で申告したいと思う。



ところで、前号記事までに掲げた2つの締切に関する目標について、今回分の結果をここに正直に自己申告したい。まず、

「メルマガ発行直後、ロクスケ委員長より次号分の原稿を頂戴した際、受領のご返事をする前に原則としてメルマガ下案を作成しておくが、もしそれを失念、もしくはやる気スイッチがどうしても入らずに結果的に達成できなかったとしても、少なくとも今回のように原稿執筆(締切)日の前日とならないよう、一日でも前の日に行うこととしたい。」

という1つ目の目標については、今回は完全に達成できた。即ち、前号記事発行日の夜、ロクスケ委員長より本号分の原稿を頂戴した直後にメルマガ下案を作成できた。大した目標でもないのは自分でもよく分かっているが、それでも達成できたことは非常に個人的には嬉しく感じている。

しかし一方で、残念ながら、2つ目の目標である

「その上で、できれば原稿執筆それ自体も、締切日ギリギリでなく、前日までには余裕を持って終わらせられるようにしたい。少なくとも、原稿執筆の考察着手をメルマガ下案作成直後から開始したい。」

については、考察も何となく自分では11/19(木)に始めた気で居たが、結局は考察も執筆も、締切日の11/22(日)夜になってしまった。言い訳するならば、前日11/21(土)夕方〜夜にかけて、やる気スイッチがすこぶる入ったのであるが、他のことに手を付けてしまい、本号の原稿執筆には至らなかった。この詳細は次号で述べることにする。


● 先延ばしについて考える(47)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



持続して行うべきトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用している。

356号において、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。今回も前号執筆時点からの経過報告を行う。

馬鹿正直に自己申告するならば、残念ながら今回も、セルフチェックを行ったかどうかのメモを取ること自体がまだ出来ていない。前回までと同様に、やらなきゃと時折思い出しつつ、半分また他のことに気を取られて忘れてしまったり、億劫な気になって、言い換えればやる気スイッチが入らず、メモを取ることそれ自体を先延ばししている。ただ、言い訳するならば、毎時1回のチェックそれ自体は、特に後半の1週間はかなりの頻度で行えた。


● 先延ばしについて考える(48)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



この2週間も、これまでと同じように、スマートフォンを用いてスケジューラに毎時00分にチェックのアラームが鳴るようにして2週間を過ごした。今回は、大して誇らしげに書けることでもないが、2週間通しで、特に後半の1週間はかなりの頻度でチェックを行うことができた。ばらつきはあるものの、毎時1回どころか、多い時で毎時3〜4回は行えていたのではないかと思う。その意味では、前回宣言した中だるみ対策という面では効果があったと考えている。引き続き、このペースを維持するとともに、できるだけ日々のチェックの記録を正確に取るように努めてゆきたい。

高い頻度でセルフチェックが行えていたこともあってか、チェックも少しずつスムーズに行えるようになってきた。以前は、自分のその瞬間の気分、喜怒哀楽の状態を客観的に判断するのに時間を要したり、途中で意識が他に飛んで忘れてしまったりすることが多かったが、いつの間にか短時間でチェックを行えるようになり、その結果、途中で意識が他に飛ぶことも少なくなってきた。とはいえ、未だ時折は意識が他に飛ぶことはあるので、ゼロを目指して引き続き取り組みたい。



ところで、前号記事までに掲げた2つの締切に関する目標について、今回分の結果をここに正直に自己申告したい。今回は、

「メルマガ発行直後、ロクスケ委員長より次号分の原稿を頂戴した際、受領のご返事をする前に原則としてメルマガ下案を作成しておくが、もしそれを失念、もしくはやる気スイッチがどうしても入らずに結果的に達成できなかったとしても、少なくとも今回のように原稿執筆(締切)日の前日とならないよう、一日でも前の日に行うこととしたい。」

「その上で、できれば原稿執筆それ自体も、締切日ギリギリでなく、前日までには余裕を持って終わらせられるようにしたい。少なくとも、原稿執筆の考察着手をメルマガ下案作成直後から開始したい。」

の2つの目標とも、残念ながら達成できなかった。当初は12/3(木)にはどちらも行うつもりで居たが、当日はコンサータを服用しなかったこともあり、やる気スイッチがなかなか入らなかった上、他のことに手を付けてしまい、本号の原稿執筆には至らなかった。

● 先延ばしについて考える(49)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

メルマガ199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号記事において、それらの点について再考察を行い、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べた。

352号までに、癖を付けるためには、月並みだが何度も何度も正しい手順で反復練習するしかないが、経験則として癖をきちんと身に付けるには数カ月程度はかかるものであり、その間継続して正しいトレーニングを持続するには、忘れっぽさ(そもそも、忘れっぽさ対策としての癖付けなのだが)や飽きっぽさに対する対策が必要である旨を述べた。今回も、前回までに続いて、その続きを考察する。



持続して行うべきトレーニングに対する忘れっぽさ対策として、他人を巻き込む方法の他に、可能な範囲で独力でできることとして、身の回りで頻繁に触れる、目にするもの、あるいは自分の好物に結び付けて、連想的に記憶するという方法を挙げ、それを実践するべく、小生が特に今現在最優先で改めて身に付けようと訓練している感情モニタリング法のセルフチェックに適用している。

356号において、セルフチェックを毎日必ず1時間に1回はセルフチェックを行う癖を付けるよう、日々の毎時00分にセルフチェックを行ったかどうかを携帯やPC上でメモするようにし、それを2週間分貯めて、次号原稿執筆時にその経過を記事に書くと宣言した。今回も前号執筆時点からの経過報告を行う。

馬鹿正直に自己申告するならば、残念ながら今回も、セルフチェックを行ったかどうかのメモを取ること自体が出来てはいない。ただ、前回と比べて、この2週間ほぼ通しで1時間に1回以上の頻度でセルフチェックを行えるようになった。スマートフォンにセットした毎時00分のアラームが鳴ったときに限らず、合間合間で何度もセルフチェックができるようになった。一度に連続して3回程度チェックを行えたことも何度もあった。その意味では、セルフチェックのメモ自体は達成できなくとも、そもそも論の癖付けという意味では、手前味噌ながらほぼ成功を収めたと言える。


● 先延ばしについて考える(50)

引き続き、癖の付け方に関する考察、補足を続けます。



セルフチェックの癖付けに関連して、この数カ月はマンネリ化した記事の書き方になってしまっていたが、上述のように癖付けがほぼ上手く行ったこと、本号が年末最後のメルマガ、かつシリーズ原稿も(50)という区切りの良い数字になったことも踏まえて、ここまでの話はいい加減一区切り付け、先に話を進めたい。

癖付けが上手く行ったということは、感情モニタリングのセルフチェックに限らず、他のことでも一つ一つ同じように取り組めば癖を付けられるはずである。そこで、年明けからは他にも癖を付けるべき内容をリストアップして、順次癖付けのトレーニングを実行してゆきたいと思う。さしあたり、ドジ・おっちょこちょいな性格を少しでも改善すべく、自分のあらゆる言動の実行前動作チェックというものに取り組むことにする。

それと共に、引き続き先延ばしに関する考察もペースをやや落として進めたい。これまではメルマガ1号あたりに同一のシリーズ記事を2通ずつ投稿してきたが、新年からは今述べた癖付けに関するもの、先延ばし考察に関するものを1通ずつ投稿することにする。



最後に、前号記事までに掲げた2つの締切に関する目標について、今回分の結果をここに正直に自己申告したい。今回も、

「メルマガ発行直後、ロクスケ委員長より次号分の原稿を頂戴した際、受領のご返事をする前に原則としてメルマガ下案を作成しておくが、もしそれを失念、もしくはやる気スイッチがどうしても入らずに結果的に達成できなかったとしても、少なくとも今回のように原稿執筆(締切)日の前日とならないよう、一日でも前の日に行うこととしたい。」

「その上で、できれば原稿執筆それ自体も、締切日ギリギリでなく、前日までには余裕を持って終わらせられるようにしたい。少なくとも、原稿執筆の考察着手をメルマガ下案作成直後から開始したい。」

の2つの目標とも、残念ながら達成できなかった。前者は12/17(木)に達成できたが、原稿執筆はまたも自主締切日ギリギリの12/20(日)深夜になってしまった。そこは引き続き目標達成に向け努力と工夫を重ねてゆきたい。


● 先延ばしについて考える(51)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



メルマガ338号から343号まで続けて、「やる気が出ないとき、ついつい面倒くさがって億劫なとき等の場面で、催眠(特に自己暗示)の一環として、トランス状態に入るようにすると、意外とその後にスムーズにやるべきことに手が付きやすい」ことに関して、理論神経科学的な観点も交えて考察してきた。344号からは、新たに別の対策について再考察を継続して行っている。

199号の中では、先延ばしの原因の4つ目、すなわち忘れっぽさへの対策としていくつかの点を挙げた。351号以降から前号まで、それらの点について再考察を行ってきた。その中で、結局はいかにして癖を付けるかがポイントである旨を述べ、その上で、癖を付けることは小生のような者にとっては意外と手こずるものであり、なかなか一筋縄には行かないことも述べてきた。癖付けについては一定の取組み成果があり、かつ別に独立したシリーズ記事に記してゆくこととしたので、本号からは(長らく停滞してしまったが)考察の続きを行いたい。



198号の中で挙げた原因のうち、4つ目までは再考察を終えた。そこで、本号以降では、5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。

>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行ってゆくことにする。

●先延ばしについて考える(52)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



前回予告した通り、本号では、198号の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行うことにする。



198号の記事を書いてから早6年が過ぎたが、この6年の間に自分自身の時間感覚は多少たりとも鍛えられてきたように感じている。というのは、198号の記事を書いていた頃は、今思えば限られた時間の中で全てをこなす、仕上げることが明らかに無理なことをあれもこれもと欲張ってやろうとしていたからである。当時と今とでは従事する仕事も異なるが、それでも複数のタスクを一定の締切までにこなさねばならないことには変わりはない。それでも、時間ギリギリ癖そのものは未だある程度残りながらも、今はそのような無理を自分自身が全くしていないことを踏まえると、時間感覚という一面で見れば、手前味噌ながらそれなりの改善がされたのだと思う。

ここで強調しておきたいのは、時間ギリギリ癖と時間感覚のずれは先延ばしの要因として一見同一のものに見えるが、実は異なるものである。少なくとも後者は先延ばしの直接の要因ではない。というのは、仮に時間ギリギリ癖があったとしても、時間感覚そのものが研ぎ澄まされていれば、締切から逆算して時間的に無理のないギリギリのタイミングで尻に火が付いて手が付けられるからである。逆に、時間ギリギリ癖が全く無くとも、言い換えれば先延ばし無く物事にすぐに取りかかれたとしても、時間感覚が狂っていれば、締切までに無理のあるスケジュールで進め、結果的に締切にタスクの完了が間に合わないからである。

● 先延ばしについて考える(53)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



前回に引き続き本号でも、198号の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行うことにする。



前回述べたように、時間感覚のずれそれ自体は、先延ばしの直接の原因ではなく、時間ギリギリ癖とは別に考えるべきものである。繰り返すが、時間感覚が適切に研ぎ澄まされていれば、先延ばしはしつつも、締切から逆算してちょうどピッタリなタイミングで尻に火が付き、締切にタスクを仕上げることができるのである。

とはいえ、改めて再考してみると、本当の意味で時間感覚が適切に研ぎ澄まされているならば、最低限の時間余裕を見た上で所要時間を割り出せると言えないだろうか。一般論として、不測の事態というのは大なり小なり起こるものである(例えば、車で出かけようとしたら、道路が事故で予想外に渋滞していて、目的地への到着が遅れてしまった、等)。

そのように考えれば、全く時間余裕が無くピッタリな所要時間を頭の中で割り出せるというのも、それはそれで優れた能力ではあるかもしれないが、現実的に考えれば、やはり一定の時間余裕を含めた所要時間を正しく割り出せることが、適切な時間感覚を持っていることの要件ではなかろうか。


●先延ばしについて考える(54)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた要因、対策について再考察します。



前回までに引き続き本号でも、198号の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い
>どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行うことにする。



前回述べたように、本当の意味で時間感覚が適切に研ぎ澄まされているならば、時間ギリギリピッタリに間に合わせるのではなく、最低限の時間余裕を見た上で所要時間を割り出せるものであると考えられる。これには、時間ピッタリに間に合わせる能力に加え、さらに高度な能力が要求されるとは言えないだろうか。その理由を以下で述べたい。

時間ギリギリピッタリに間に合わせるには、一連のタスクの固定的な流れを頭の中で順番に想起し、その一連のタスクに要する時間を正確に割り出せれば良い。求められる能力はそこまでである。

一方、時間余裕を加味する場合、不測の事態を予測し、その事態に要する時間を一定の正確さで割り出す能力が求められる。しかも、一般に、想定される不測の事態は一通りではない。例えば、車を運転して目的地に向かうといった場合、途中のどこかの個所で事故などで渋滞しているといった不測の事態が想定されるが、どこの個所でどのような事故が起きるかによって、渋滞の程度も当然変わってくる。



このように、不測の事態を予測するには、固定的な流れではなく、何通りもの事態を連想的、網羅的に想起する必要がある。ただ網羅するのではなく、特に重点的、優先的に予測すべき事態を見極めねばならない。その意味で、より高度な能力と言った次第である。

先延ばしについて考える(55)

今回も、前回に引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い
>どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行います。



前回、本当の意味で時間感覚が適切に研ぎ澄まされているならば、時間ギリギリピッタリに間に合わせるという能力に加え、最低限の時間余裕を見た上で所要時間を割り出すという更に高度な能力が要求されると論じた。それでは、それらの能力を適切に身に付けるにはどうしたら良いであろうか。今回は、その点について考えてみたい。

まず、いかなる能力でも言えることだが、その能力に長けている人というのは、先天的なセンスに恵まれている、もしくは人から後天的に教わるにも、職人の世界のように以心伝心的に学び取るといった形でその能力を身に付けることが多いのではなかろうか。逆に言えば、その能力に長けていない人というのは、それらの条件に該当しないために長けていないということになる。

ここで一つ小生の持論だが、先天的なセンスは不可抗力としても、後天的に教わるというプロセスについては、高度に洗練された明示的で体系的かつ効果的な訓練カリキュラムが用意されていれば、誰でもある程度一定の能力を身に付けることができるのではなかろうか。あるいは、障害によって100%自力で行うことが困難ならば、有用な補助道具を用意すれば良い。

とはいえ、一般にそのような都合の良いカリキュラムなどなかなか存在しないか、もしくは公開されていない。時間感覚の訓練についてネット上で検索してみると、子供向けの訓練については該当する記事が見つかるものの、残念ながら、大人向け、特に発達障害者向けのものは現状では見当たらない。しかし、存在しないのなら自分で新たに作れば良いのである。


● 先延ばしについて考える(56)

今回も、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い
>どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行います。



前回、適切な時間感覚の能力を身に付けるために、高度に洗練された訓練カリキュラムが用意されていることが望ましいが、現状では世の中には見当たらず、ならば自分で作るしかないと述べた。今回は、その続きとして、具体的な訓練カリキュラムのあり方について以下で考えてみたい。

まず、訓練を受ける者が現状どの程度の時間感覚を持っているのかを客観的に把握する必要があろう。そのために、何らかのタスクを行う際、そのタスクに着手する前に、そのタスクに何分かかるかを頭の中で明示的に予測する作業を欠かさずに行う必要がある。対象となるタスクは、買い物や洗濯といった家事でも、あるいは業務の各断片でも何でも良い。とにかく「○○を仕上げるのに○分」と予測する癖を徹底的に身に付ける。

その上で、併せて、そのタスクを実際にやり終えて何分かかったかを記録し、着手前の予測と照らし合わせる。時間感覚がずれているならば、予測値と実際の所要時間とに大きなずれが生じるはずである。そのずれがどの程度であったかについても、細かく記録してゆくのである。

● 先延ばしについて考える(57)

今回も、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の中で挙げた原因の5つ目、即ち

> 5.時間感覚の狂い どの時点でやるべきことをやり出せば十分無理なく終わるかといった時間的な面での読みに狂いがあると、(あるいは、そもそも、そういった時間的な読みを何もしていないと、)大事な課題に全く手をつけず、直前になって慌てふためくという事態は十分考えられる。それがまさに先延ばしそのものでもある。
>
>脳科学の面から見て、時間感覚はどのような部位の、どのような脳内物質が関係しているのか、まだ不勉強なので、分かっていない。これについては特に、基礎的な面から勉強してゆきたい。

について再考察を行います。



前々回までに、適切な時間感覚の能力を身に付けるために、高度に洗練された訓練カリキュラムが用意されているのが望ましいが、現状そのようなものは世の中に無く、自分で作るしかないと延べた。その上で、前回、具体的なカリキュラムのあり方について考察を行い、まず何らかのタスクを実行する際に、事前に何分かかるかという予測を立て、かつタスクを終えてから実際に何分要したかという記録を取り、両者のずれの程度を把握する必要があると述べた。

その次の段階としては、セオリーの上で2つの方向性があると考えている。以下では、それぞれの方向性について具体的に述べる。

方向性の1つ目は、何のタスクに何分かかるかを完全に知識として暗記することである。実際に要した時間をただ暗記するだけならば、前段階として予測を行う必要性は直接的には無いが、小生自身の経験則として言えば、予測という頭を働かせる行為を行うことで、無味乾燥にただ暗記を行うよりも頭に入りやすくなるというメリットがある。

2つ目は、上述の両者のずれを踏まえ、自分の時間感覚を補正するために、「あと5分程度は要するもの」「あと10分早く終わると思って良い」などと心の中で呟く、念じることである。それを繰り返すことで、徐々に自分の感覚が研ぎ澄まされ、上述の両者のずれは少なくなっていくはずである。ただし、いくら繰り返してもずれが少なくならない場合は、上述の1つ目の方法に頼るしかない。

実際には、これら2つの方向性をミックスした形、即ち知識として暗記しつつ、時間感覚も研ぎ澄ましてゆくのが最も望ましいと考えている。

● 先延ばしについて考える(58)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回からは、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
> これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

に対象を移します。



メルマガ365号の記事において、適切な時間感覚を身に付ける上で、様々な不測の事態を想定して、それらに備えての適切な時間余裕を見ておかねばならない旨を述べた。これは言い換えれば、ここで言うシミュレーション力が必要不可欠であるということに他ならない。よって、やはり上述の通り、当時の記事でも述べたように、原因の5つ目として挙げた時間感覚の欠如と切っても切り離せない面があるのである。

前回までに、時間感覚を養うための具体的な訓練カリキュラムのあり方について述べた。改めて考えてみれば、そのうち、何をするのに何分かかるかを予測する訓練とは、実はシミュレーション力を養うための訓練でもある。否、そもそも、シミュレーションとは物事の処理手順や様々な不測の事態を正しく頭の中で想起することであると定義できるから、まずはその定義通りのシミュレーション力を養うための訓練を、何に何分という予測の訓練を行う前に行っておく必要があるのではなかろうか。


先延ばしについて考える(59)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も前回から引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
> これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。 普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前回、シミュレーション力の訓練の必要性について述べた。では、そのシミュレーション力を養うためには具体的にどうすれば良いのであろうか。今回はその点を掘り下げてみたい。

シミュレーションとは、前回は「物事の処理手順や様々な不測の事態を正しく頭の中で想起すること」と定義したが、別の言い方をすれば、「今時点以降に現実世界に起こりうる事象をできるだけ正確に想起すること」とも定義できる。人間工学というか脳科学的な観点からすれば、今時点以降の事象を想起できるためには、過去に自分の身の回りで起きた、見聞きした事象の数々をできるだけ正確に、かつ、互いに連想的に結び付けて記憶しておかねばならないと考えられる。

そのためには、普段から身の回りの物事に対する観察力が必要である上、物事を記憶する能力、特に関連する知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力が求められると言える。これら3つそれぞれの能力について、普段から地道に鍛えておく必要があろう。


先延ばしについて考える(60)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も前回から引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前回、シミュレーション力を養うための訓練の具体的なあり方について考察を行い、普段から身の回りの物事に対する観察力、物事を記憶する能力、特に関連する知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。では、3つそれぞれについて、具体的にどのようなトレーニングを行って鍛えれば良いのであろうか。今回はそのうち、1つ目の観察力の鍛え方について掘り下げて考えてみたい。

巷にあるノウハウ本等を乱読してみると、観察力を鍛えるには普段から身の回りの物事をよく観察することだとの指南が散見される。別にそれに異論を唱えるつもりは無いが、そもそも小生のように観察力が元々無い者に「良く観察しろ」と漠然と言ったところで、「長生きするためには死ななければ良い」と言っているに等しく、実効的な効果は殆ど無いように思われる。

それよりは、十分な観察力を持つ人が様々な状況で具体的に何をどう見ているのかを徹底的に調査分析し、模範的な観察の仕方を事細かくフローチャートにでも図示して体系化し、それを小生のように不得手な者が丸暗記、体得するようにするのが一番効果的ではなかろうか。


● 先延ばしについて考える(61)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も前回から引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前々回、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、前回は観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

観察力のある人と無い人との能力的な差は、具体的にどのような原因により生まれるのであろうか。ここでは、その根源的な点について明らかにするとともに、それに対しての対策を考え、小生自らの実践結果にも基づき、その有効性を示すことで、上述の能力差を少しでも根本的に解決してゆきたいと思う。

脳科学や人工知能の理論を多少かじった上での仮説的な考えではあるが、目の前に見えている対象物をいかに正確かつ迅速に認識できるかという脳内の処理回路の洗練され具合により、観察力の面での能力差が生まれるのではなかろうか。言い換えれば、その処理回路を適切なトレーニングにより鍛えることで、観察力を十分に伸ばせると小生は考えている。

では、目の前に見えている対象物を、能力のある人は具体的にどのように認識しているのであろうか。まずは、対象物の輪郭や立体的な構造、色合いなどが挙げられよう。例えば、コンピュータ・人工知能ならば、色合いはRGB(光の3原色)の混ぜ具合により16,777,216色程度の違いを識別できる。人間も、コンピュータと全く同じではなかろうが、観察力に優れた人ならば、相当に細かな色の違いを識別できる。


● 先延ばしについて考える(62)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如

>>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。

>>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。

>>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。

>>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、前々回からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

目の前に見えている対象物を、能力のある人は具体的にどのように認識しているか。前回は対象物の色合いの認識について論じたが、今回は輪郭や立体的な構造について考えてみたい。空間認知能力に優れているならば、球体や立方体などの物体を頭の中で認識、想起することができる。能力が高いほど、より複雑かつ精密な構造に対応できると考えられる。

例えば、人の似顔絵を書く場合。人の顔こそ極めて複雑な構造物と言えるが、観察力(この場合、描写力も関係するが)が十分に高ければ、それこそ写真で撮影したのと酷似するほどに精密に描けるのに対し、小生のように観察力が低いと、顔の輪郭から鼻や目の細かな形状、配置等まで、およそ誤った認識をしてしまい、まるで福笑いの失敗作のような顔しか描けないことになる。

それだけでなく、想起するまでの所要時間もより短いのではなかろうか。加えて、静止画像だけでなく、動画として対象物の形状や位置、向き等が時々刻々変化してゆく様子に対しても的確に追随して認識できると考えられる。想起の所要時間が長くかかってしまうと、時々刻々の変化に追随できなくなることから、想起の所要時間の短さと動画的な観察力とは密接な関係があると考えられる。


● 先延ばしについて考える(63)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

前回、観察力を構成する要素として、どれだけ複雑な形状の物体をどれだけ迅速、正確に想起できるかについて述べた。今回は更に細部について補足したい。複雑な形状の物体を想起する場合、まず形状通りの輪郭を頭の中で描けるかが鍵であり、その上で、その輪郭で示される対象物の大きさ、ならびに位置をいかに正確に決められるかがポイントになると考えられる。

例えば、輪郭を正確に描けたとしても、大きさや位置がずれていれば、対象物を正確に認識したとは言えない。逆に、大きさや位置が正しくとも、輪郭が不適切である等の場合も同様である。子供の描く絵などを観察してみると、そのようなちぐはぐなケースを目にすることはあるのではなかろうか。無論、子供と比べれば大人は平均的にそのような能力は上ではあるが、小生のような観察力の劣る者の場合、大なり小なり、子供の絵画にも通じるちぐはぐさがあるのではないかと考えている。


● 先延ばしについて考える(64)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

前回までに、観察力を構成する要素として、対象物の色合いの他、輪郭、大きさ、位置をいかに正確に頭の中で構成できるかがポイントになると述べた。今回は、前々回373号で述べた輪郭について、特に「能力が高いほど、より複雑かつ精密な構造に対応できる」という点について、さらに詳しく補足説明したい。

当たり前だが、輪郭は線で描かれる。墓石など角張ったものは直線を組合わせて描けるが、一般には、人の顔などは曲線を組合わせて描かれる。これをより細かく言うなら、様々な半径・開き角の扇形の弧の部分を繋ぎ合わせたものと表現できよう。故に、上述の「能力が高い」とは、「今見ている目の前の対象物を適切な半径・開き角の扇形の弧の断片の数々に頭の中で分解し、それらの適切な繋ぎ合わせとして認識できること」と定義できると考えられる。


● 先延ばしについて考える(65)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

前回までに、観察力を構成する要素として、対象物の色合いの他、輪郭、大きさ、位置をいかに正確に頭の中で構成できるかがポイントになると述べた。今回は、前回までの考察を踏まえ、観察力を鍛えるための具体的な訓練方法について考えてみたい。

観察力を鍛えるには、上に挙げた色合い、輪郭、大きさ、位置といった構成要素について、最初はそれぞれ独立的に鍛える必要があると考える。即ち、色合いなら色合いの正確な観察に特化した訓練、同様に輪郭、大きさ、位置それぞれの正確な観察に特化した訓練が必要ということである。

野球などに例えて言えば、素振りやキャッチボール、ランニングといった基礎的なトレーニングに相当する。まずは様々な種類の基礎的なトレーニングをこなし、それぞれが上達してきたら、次にそれらを複合的に組み合わせたより高度なトレーニングを行い、それが上達してきたら更に高度かつ複合的なトレーニングを…といった具合である。


● 先延ばしについて考える(66)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

今回も前回に引き続いて、観察力を鍛えるための具体的な訓練方法について考察する。前回挙げた観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)それぞれをまずは独立的に鍛える必要があるが、どれをどの順序で、どのくらいの期間をかけ、どの程度のボリュームでやれば良いのであろうか。今回は特に、その点について掘り下げて考えたい。

構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)をどの順序で鍛えるべきかは、現段階では特に明確な考え、根拠は無いものの、強いて言えば、最も根幹を成すのは輪郭であると思われるので、小生としてはまずは輪郭を鍛えるところから始めてみたい。

次に、その輪郭に関するトレーニングの期間であるが、これは概ね3か月程度としておきたい。その根拠として、別に行っている感情モニタリングのセルフチェックの癖付け等で、経験則として3か月程度の訓練期間を要することが挙げられる。また、1回あたりの訓練のボリュームとしては、無理なく続けられるレベルとして、例えば一日あたり15〜30分程度としておきたい。まずはこれで続けてみて、必要により、量を増減すれば良いと考える。


先延ばしについて考える(67)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始めた。今回もその続きを述べたい。

今回も前回に引き続いて、観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を深めることにする。まずは、前回宣言した通り、実際に一日あたり15〜30分程度の時間を費やして、周囲の物の輪郭を観察してみた。

以前にも、観察力を養おうと一念発起して、視界に入る様々な風景や人、物体などを意識的に観察するようにしてみたことがあるが、ただ漫然と観察していてもあまり効果は無いのではないかと感じたことがある(その当時は、結局その後程なくして挫折した)。そもそも、観察力が元々無い人間がただ漫然と観察したところで、急激に観察力が身に付くはずもなかろう。

よって、一定のコツというか、ノウハウ、セオリーに従って観察する訓練が必要であると考えた次第。そこで今回は、一定のセオリーに従って観察を行うことにした。その経過は、次号以降で具体的に報告したい。


先延ばしについて考える(68)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を行っている。今回もその続きを行いたいと思う。

前回述べた通り、実際に一日あたり15〜30分程度の時間を費やして、一定のコツというか、ノウハウ、セオリーに従って周囲の物の輪郭を観察してみた。具体的には、対象物の輪郭を様々な大きさの円弧のつながりとして捉えるのである。上述の通り、輪郭は観察力の構成要素であるが、その輪郭は円弧という要素から構成される。いわば、それらの要素は互いに階層構造になっていると言える。

一般に、物の形という点では、三角形や四角形など、直線で構成されるものも挙げられはするが、身の回りを観察してみると、直線で構成される輪郭の物はそう多くは無いのではなかろうか。綺麗な直線で描けるものは、基本的に人工物ばかりであり、人間や動物、植物、地形など、自然界に存在するものは、皆何らか曲線、円弧の組合せで輪郭が描かれるものばかりである。


●先延ばしについて考える(69)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を行っている。今回もその続きを行いたいと思う。

今回も前々回述べた通り、実際に一日あたり15〜30分程度の時間を費やして、一定のセオリーに従って周囲の物の輪郭を観察している。前回と比べると観察の頻度は低くなってしまったが、思い出した際に時折観察を行った。身の回りの物体については、ある程度観察してみたが、考えてみれば曲線のつながりで構成されるのは、自然界に存在する動植物や地形などであることから、改めて今度は人様の顔などを観察対象にしてみることにする。

上の段落で述べた後、人の顔や動物などを観察するように努めたが、頻度としては、上の段落の執筆時よりも低くなってしまった。次回は、別記事で毎度報告している感情モニタリングのセルフチェックと同程度に観察ができるように工夫したい。

頻度は少ないながら、観察を行って一つ気付いたのは、人や動物の輪郭を追う際、頭の中で立体的に捉えるべきか、平面的に捉えるべきかという問題があるということである。絵を描く際には平面的に表さねばならないが、一方で立体的に対象物を捉える必要がある場面も多い。一番良いのは、平面上への投影描写と立体構造とを頭の中で柔軟に変換できることではないかと考えている。


● 先延ばしについて考える(70)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を行っている。今回もその続きを行いたいと思う。

今回も引き続き、一定のセオリーに従って、周囲の物、特に人の顔や動物などを機会を見つけては観察するようにしている。当初に宣言した実際に一日あたり15〜30分程度の時間を費やしてという目標にはまだまだ届かないが、少なくとも毎週木・日曜の週2回は、その程度の時間を費やしての観察はできている。

我が家では犬を飼っているので、犬が寝ている時にじっと観察することはできるが、人の顔をまじまじとは観察しづらいため、スマートフォン等に記録している家族の写真を拡大して眺めながら、輪郭という一面に特化して観察してみたところ、今更ながらだが、ふと一つ気付いたことがある。

人の顔などの輪郭を描く際、一本の細い線で全てを描けるわけではない。例えば、目ぶたの下側など、富士山の裾野のように滑らかな起伏がある場合、光の当たり具合の関係で、くっきりした輪郭線として描けない箇所も少なくない。その場合、一本の細い線の代わりに、黒から徐々に白になってゆくグラデーションとして滑らかな起伏を表現するのが適切と考えられる。


● 先延ばしについて考える(71)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を行っている。今回もその続きを行いたいと思う。



前回論じたように、輪郭を描く際には、一本の細い線のみではなく、立体的な起伏を表すためにグラデーションも併せて用いる必要があると考えられる。そこで、この考えに沿って、改めて周囲の物、特に人の顔や動物などを観察するようにしてみた。今週も、毎日15〜30分程度の時間を費やすところまで出来ていないが、毎日メルマガの執筆について思い出し、観察を行おうと思いを浮かべるところまでは出来るようになった。

実際に、輪郭のみならず立体的な起伏も意識しながら周囲の物や人、動物などを観察してみると、確かにグラデーションを用いた方が、より自然に対象を表現することができると分かる。

輪郭に関する考察でも述べたが、人物や自然界に存在する物(石、植物、動物など)は、直線よりも曲線のつながりによる表現の方が適切である。これを更にもっと言うならば、曲線のつながりの要素・元となる曲線の断片は、曲線という細い線の輪郭で表現するよりも、細かなグラデーションで表現された立体的な曲線のつながりとして表現した方が、より良い表現になると考えられる。


● 先延ばしについて考える(72)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前回までに論じたように、輪郭を描く際には、一本の細い線のみではなく、立体的な起伏を表すためにグラデーションも併せて用い、細かなグラデーションで表現された立体的な曲線のつながりとして表現した方が、より良い表現になると考えられる。その点を踏まえつつ、引き続き周囲の物、特に人の顔や動物などを機会を見て観察している。その中で改めて一つ気付いた点がある。

輪郭の前に論じた色合いの話にやや戻ってはしまうが、輪郭を描いた対象物について、光の当たり具合により表面の色合いに違いが生じる。当たり前だが、太陽光や電灯の光が当たると、対象物の表面にキラリと白っぽい明るい筋が通ったように見える。その光の筋もまた、輪郭の一種として表すことはできるのではないか。今さらだが、その点についても改めて考えてみたい。


● 先延ばしについて考える(73)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。




370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)のうち、特に輪郭に関して鍛える方法を、実践結果を交えながら考察を行っている。今回もその続きを行いたいと思う。



前回論じたように、対象物への光の当たり具合により、表面にキラリと白っぽい明るい筋が通ったように見える。この光の筋を輪郭の一種として表せないかという考察で前回を終えた。今回もその続きを考えてみたい。

前々回までの考察のように、光の筋の線もまた、輪郭と同様に、一本の線として描くよりは、グラデーションによって表現した方がより精密な描写になるのではないかと考えられる。前々回までに述べたのは、あくまで対象物の表面の立体的な凹凸を表すためのグラデーションだが、表面に当たる光の筋もまた同様な表現方法を採れるということである。

対象物の状態や形状が異なるのに同じ表現方法になるというのは、おかしな気もするが、考えてみれば仕方のないことではあると思う。というのは、人間は目の中のスクリーンに対象物を映り込ませて、言い換えれば3次元のものを2次元に投影、変換して見ているため、たまたま2次元上に投影した結果、形が同じになることはあり得るからである。

表現方法が同じと言っても、対象物を生で、または解像度の高いカラー写真として見る場合、ごく稀に高度なトリックアートのようなものを見た場合は見間違う可能性は無くは無いものの、基本的には表面の凹凸による濃淡と光の当たりによる濃淡とを見間違うことは現実的に殆ど無いのではなかろうか。

だが、カラーではなくモノクロの写真として見る場合や、マンガやイラストとして描写したものを見る場合は、上述の両者の濃淡を見間違う可能性はある程度高くなると考えられる。
●先延ばしについて考える(74)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭に関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行ってきた。今回からは、次の段階として、大きさについての考察に移りたい。

対象物の色合い・輪郭を正しく脳裏に焼き付けられたとしても、大きさを的確に把握できなければ、当たり前だが的確な観察力があるとは言えない。特に、大きさの場合、対象物の絶対的な大きさだけでなく、距離感(遠近感)にも影響があるため、二重の意味で大きさは重要な要素であると言える。

目というスクリーンに写り込む対象物の大きさが同じであっても、当たり前だが、それが目の前にあるものなのか、遠くにあるものなのかによって、対象物の実際の大きさはだいぶ異なる。周囲の物体との位置関係などを踏まえ、その対象物の実際の大きさを頭の中でできるだけ正確に再現できなければ、適切な観察力があるとは言えない。では、我々はそもそも、具体的にどのようにして対象物の大きさを把握しているのだろうか。その点について今後掘り下げて考えてみたい。


● 先延ばしについて考える(75)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭に関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行ってきた。次の段階として、前号からは、大きさについての考察を始めている。前回、大きさの把握の可否は、対象物の絶対的な大きさだけでなく、距離感(遠近感)にも影響があると述べた。今回は、前回の最後で予告した通り、対象物の大きさを我々人間はどのように把握しているのかについて考察したい。

我々人間は、視覚という一面で見れば、目の中に写り込む風景から対象物の大きさを把握している。言い換えれば、目の中の平面的なスクリーンに写る画像から物体の存在、その大きさ等を読み取っている。前回の考察でも述べた通り、立体的な対象物を平面のスクリーンに写すと、遠近法的に見て、すぐ近くにある小さなもの、遠くにある大きなものが同じ大きさになってしまう。

それを識別するため、さらに複雑、膨大な情報を併せて、対象物の実際の大きさ、その対象物の存在位置(自分からどれだけ離れた位置にあるか)を推測しているものと考えられる。例えば、対象物の周囲にある物体がある場合、それらの周囲の物体の実際の大きさを知っていれば、相対的に比較して対象物の大きさを推測することができる。


● 先延ばしについて考える(76)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭に関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行ってきた。次の段階として、前々号からは、大きさについての考察を始めている。前々回、大きさの把握の可否は、対象物の絶対的な大きさだけでなく、距離感(遠近感)にも影響があると述べ、前回は対象物の大きさを我々人間はどのように把握しているのかについて考察した。今回もその続きを行いたいと思う。



対象物の絶対的な大きさを推定する場合、前回述べたように、その対象物の周囲にある、大きさが既知の物体等の大きさとの比較により導き出すことができる。

他にも、特に対象物自体が動くものの場合、対象物の位置(即ち、自分自身との距離)がある程度正確に分かれば、その対象物の周囲に何も比較する物体等が無くとも、絶対的な大きさを推定できるのではないかと考えられる。

例えば、自分自身が居る地点から、はるか遠くまで続く道路があったとして、その道路上に居る車の大きさを推定するとする。

対象となる車が居る地点が道路上の目印(標識等)によりある程度正確に分かり、かつその道路を通る他の車が自分自身の居る地点から遠方まで走り去る時の、目に映る大きさの推移(どの程度遠くに行った時にどの程度小さく見えるか)のパターンを動画的に記憶できていれば、そのパターンに則って、対象の車の地点から逆算して、その車の絶対的な大きさを推定できよう。


● 先延ばしについて考える(77)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭に関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行い、次の段階として、385号からは、大きさについての考察を行ってきた。今回からは、その考察を踏まえて、具体的に観察力のうち大きさに関する面を鍛える方法について、実践結果を踏まえて考えてみたい。

身の回りの物事を観察する際、色合いや輪郭等とともに、大きさも意識するようにしてみると、観察力のより一層の向上につながると考える。具体的には、対象物一つ一つについて、まずは見たままで寸法(横幅・奥行・高さ)を大よそに推測してみる。次に、可能ならば、その対象物を実際に定規で長さを測定し、自分の推定した大きさとのズレの程度を確認する。これを繰り返せば、大きさを的確に把握できるようになるのではなかろうか。


● 先延ばしについて考える(78)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も前回に引き続き、大きさに関する面を鍛える方法について具体的に考えてみたい。

具体的に大きさを鍛えるにあたり、車や建物、雑貨品などの物体でも良いが、せっかくなので、人の顔や姿を観察対象としてみたい。というのは、人の顔や姿を正確に捉えることは、間接的にコミュニケーション力の強化にもなるからである。

輪郭・位置などと併せ、例えば顔なら顔の中のパーツ(目、鼻、口、耳、眉など)について、個々の絶対的な大きさや互いの大きさの比率を正確に捉える訓練を少しずつ行ってみたい。試しに、スマホで撮影した家族の顔写真などを題材にテストしてみる。まず、写真をじっと見て記憶し、写真を一旦伏せてそれを紙に描いてから両者を比較し、輪郭等とともに大きさのずれを検証する。


● 先延ばしについて考える(79)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回述べた大きさに関する面を鍛える方法について、実践しながら考察してみたい。

前回述べた方法、即ち写真を見て記憶し、それを思い出しながら絵に描いてみて、どの程度正確に頭の中で捉えられているかを比較するという方法を早速実践してみた。

家族の写真と描いた絵とを見比べてみたが、やはりというか、絵心の無い小生よろしく、目・鼻・口などのパーツの位置、大きさ(の比率)がだいぶずれていることが分かった。描く前に写真を改めてまじまじと眺め、各パーツの位置関係を強く意識してみたが、写真を見ないで描くと、全てのパーツ間の位置関係を正確に描けていないことが分かった。これが小生の観察力(描写力)の現状なのだと改めて痛感した。


● 先延ばしについて考える(80)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。



これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までに述べてきた大きさに関する面を鍛える方法について、前回の実践結果を踏まえながら考察を続けたい。

前回は、写真を見て記憶し、それを思い出しながら絵に描いてみたが、今回は写真を見ながら絵に描いてみた。記憶して描くよりも見ながら描く方が容易なのは言うまでもないが、それでも実物の写真と比べて、大きさ・輪郭等の面でずれている箇所が沢山ある。記憶して描くよりは良くなったものの、それは言い換えれば、記憶して描いたものがあまりにも酷かったということでもある。

以下では、具体的に何がどうずれていたのかを細かく検証してみたい。

まず、顔全体の大きさに対する各パーツの大きさの比率という面から見てみる。対象とする写真の顔の長さ・各パーツの長さを物差しで測ってみると、自分で描いた絵と比べて、それほど極端にずれてはいないように思える。例えば、顔・鼻それぞれの横の長さの比率で見ると、大よそ4:1程度であり、自分で描いた比率は3:1〜4:1である。


● 先延ばしについて考える(81)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までに述べてきた大きさに関する面を鍛える方法について、前回までの実践結果を踏まえながら考察を続けたい。



前回、写真を見ながら絵に描き、具体的に何がどうずれていたのか、特に顔全体の大きさに対する各パーツの大きさの比率という一面について検証してみた。今回もその続きを行いたい。

顔・鼻それぞれの横の長さの比率は写真と自分の絵とで大差ないにもかかわらず、両者を見比べてだいぶ異なると感じるのは何故だろうか。一つ思ったのは、それらの比率以外にも、様々な部位の長さ(の比率)や各パーツの輪郭・特徴が大なり小なり異なると、総合的に見てやはりだいぶズレて見えるのではなかろうか。

ここで、少し視点を変えて考えてみたい。プロの似顔絵描きの人で、写真のように本物そっくりに描く人もいれば、逆にあえて特徴を大げさに描写する人も居る。前者はもちろんだが、後者の絵でもパッと見て誰だかすぐ分かることがある。それはつまり、人間が対象人物の顔なら顔の輪郭等をどのように頭の中で捉えているかということにも通じるものであろう。


● 先延ばしについて考える(82)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。今回も、前回までに述べてきた大きさに関する面を鍛える方法について、前回までの実践結果を踏まえながら考察を続けたい。



これまでに、写真を見ながら絵に描き、具体的に何がどうずれていたのか、特に顔全体の大きさに対する各パーツの大きさの比率という一面について検証を続けている。前回は少し視点を変え、プロの似顔絵、特に顔等の特徴を敢えて大げさに描写する方法に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を始めた。今回もその続きを行いたい。

あくまで個人的な一つの仮説ではあるが、脳の仕組みとして、人物の顔なら顔を認識・記憶する際、写真のように正確な輪郭・位置・大きさ等ではなく、目や鼻・口などの各パーツの特徴度合により、実際とは異なるやや歪んだ輪郭・位置・大きさ等で記憶・認識しているのではなかろうか。また、その歪み度合も、個人差がだいぶあるのではなかろうか。もっと言えば、人によっては、写真のように正確な捉え方、やや歪んだ捉え方と、一つの対象に対して複数の捉え方をしている可能性すら考えられる。


● 先延ばしについて考える(86)


引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。前々回までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、前回からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面から考察を始めている。



小生のように観察力の劣る者の場合、いわゆる認知の歪みとしてか、まず注意力の配分度、興味関心度に極端な凹凸、偏りがあると自覚している。ここで、あくまでも小生個人の一つの仮説としてだが、注意力の配分とは、本質的に興味関心度が大きな基となって決まるものなのではなかろうか。

例えば、自分の好きなもの、興味関心の高いものについては、かなり細部まで、それこそ普通の人から見ればかなり枝葉末節な部分まで目ざとく観察力を発揮できる場合が少なくない(例えば、鉄道マニアだとすれば、電車の細かな形式等)。

一方で、興味関心のないもの、例えば小生ならば服装にどちらかと言えば無頓着だが、そういった無関心な分野のこだわりの無さは、普通の人と比べても群を抜いて低く、ひいては観察力の無さにもつながっている。


● 先延ばしについて考える(88)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。前々回までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、前々回からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面から考察を進めている。



前々回述べたように、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするためには、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する必要があろう。そこで、前回から、その是正の方法について考えている。今回もそれを続けたい。

興味関心の偏りを調べるとはいえ、そもそも人間が持つ興味関心の対象は、あらゆるものを含むとすれば、ジャンル分けしても膨大な数に渡ってしまう。また、観察力の偏りを是正することがそもそもの目的であるから、観察力に直結するジャンルに対する興味関心度を調べることにする。

人物に対する観察力に直結するジャンルとしては、服装(ファッション)や髪型、化粧などがまず挙げられよう。男性よりも女性の方がこれらの分野には興味関心を持ちやすいものと思われる。自問自答してみると、これらの分野に対して、小生自身はこれまで、ならびに今現在も殆ど興味関心を持っていない。一時期、新入社員の頃に服装にそれなりの関心、問題意識(?)を持ったものの、長続きはしなかった記憶がある。


● 先延ばしについて考える(89)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。前々回までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



そもそも、人は何故何らかの対象に興味関心を抱くのであろうか。その興味関心の対象に触れることで、直接または間接に、結果として何らかの満足感・快感を得ることができるからではなかろうか。例えば、料理やグルメに関心を持つ場合、美味しいものを食べて、もしくは自分の手料理を人に食べさせ、喜んでもらえることで満足感・快感が得られるからと説明することができる。

逆に、興味関心を抱かないということは、その対象に触れても、満足感・快感を得られないからではなかろうか。だとすれば、何らかの方法により、満足感・快感を得られるようにすれば良いのではなかろうか。

例えば、服装・ファッションに元々は大して興味も関心もなかったとする。それ が、家族や親友などに服装を選んでもらい、それを着て遊びの会合などに参加し た際、大変その服装が評判が良く、格好良いなどと褒めちぎられたとすれば、そ れが快感となり、どう着こなせばより格好良く見せられるか、自分なりに研究す るようになる、というのは比較的良くありがちなきっかけではなかろうか。


● 先延ばしについて考える(90)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前回、これまで興味関心を抱かなかった対象について、何らかの方法で満足感・快感を得られるようになれば、興味関心を持てるようになり、ひいては観察力の偏りの是正にもつながるのではないかと述べた。今回は、さらにこれに加え、別の方法ででも興味関心の是正ができる可能性について言及したい。

別記事テーマでもある感情モニタリング法、自己暗示等の根幹に関わる重要な原理でもあることだが、そもそも脳の仕組みとして、2つ(以上)の物事を同時に繰返し想起することで、それらに関わる付帯的な物事までも互いに連想記憶的に結び付けられるようになる。その結果、片方を想起することで、もう片方、およびそれに関わる付帯的な物事までも自然と連想されるようになる。

この原理は、例えば他にも、「辞書も何も他に要らない、ただ聞き流すだけで良い」という宣伝文句で有名な某英会話教材にも応用されているものである。上述の2つの物事が、この場合は片方が英文、もう片方が日本語の訳文に相当する。2つを同時に繰返し想起することで、片方の英文を聞いただけで、もう片方の日本語訳(訳文の文言というよりも文の表す意味自体)が自然と想起されるようになり、結果的に自然と英語を聞いただけで意味を理解できるようになるのである。

この原理を上手く応用すれば、興味関心、ひいては観察力の是正も原理的に可能ではないかと考えられる。


● 先延ばしについて考える(91)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



前回、興味関心、ひいては観察力の是正のため、某英会話教材や感情モニタリング法、自己催眠等にも共通して応用されていると思われる、脳の記憶の仕組みの原理(2つの物事の同時想起を繰返すことで、片方を想起しただけでもう片方も自然と想起されるようになる)に触れた。今回もその続きを述べたい。

1つの物事を想起または目の当たりにした際、その物事の情報的な面(英文の意味、リンゴなどの映像等)だけでなく、それにつながる感情的、欲望的な精神状態も連動して想起されることが多い。例えば、何かの拍子に行きつけの美味しいラーメンを想起したとして、連動してそのラーメンを過去に食べて美味しかったという満足感、さらにそのラーメンがまた食べたいという欲望もまた想起されるといった状況が挙げられる。



では、2つの物事を想起する際、それぞれが互いに全く異なる、あるいは真逆の感情・欲望的な精神状態を想起するような場合、その2つを同時に想起すると、感情・欲望的な精神状態はどうなるのであろうか。ここが肝になる点である。

例えば、ピーマンが大嫌いで、ケーキやハンバーグが大好きな人が居たとする。ピーマンを想起すると、連動して不快、嫌な気持ちになるが、ケーキやハンバーグを想起すると、美味しさに起因しての満足感、快適な気持ちになりうる。では、この2つを同時に想起すると、どういう気持ち、精神状態になるのであろうか。ピーマンの不快な気持ちが勝つのか、ケーキ・ハンバーグの快適な気持ちが勝つのか、あるいは両者が中和されて何でもない気持ちになるのであろうか。


● 先延ばしについて考える(92)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



前回、脳の記憶の仕組みの原理(2つの物事の同時想起を繰返すことで、片方を想起しただけでもう片方も自然と想起されるようになる)を応用して、好きなものと嫌いなもの(例えば、ピーマンが嫌いで、ケーキ・ハンバーグが好きな人がその両者)を同時に想起した際に、どのような精神状態になるのかについて考察した。今回もその続きを述べたい。

今現在の小生なりの見解としてではあるが、2つを同時に想起した際、トータルで精神状態がプラスになるのか、マイナスになるのかは、2つそれぞれの好き・嫌いの程度によるのではないかと考えられる。例えば、ケーキ・ハンバーグは好きではあるが非常に興奮するほど大好きではなく、一方でピーマンはトラウマになるほど、身の毛もよだつほどに大嫌いなのであれば、2つを同時に想起しても、ピーマンのマイナスの方が勝ち、トータルでやや不快な気分になるのではないか。



さらに言えば、単発で1回だけ同時に意識してトータルで精神状態がどうなるかだけでなく、繰返し繰返しその両者を同時に想起することで、段々とケーキ・ハンバーグの好きな(プラスの、快適な)感情がピーマンに結びつくようになり、同時にピーマンの嫌いな(マイナスの、不快な)感情がケーキ・ハンバーグにも結び付くようになるのではないかと考えられる。

即ち、それにより、同時の早期を十二分に繰返した後の段階で、ピーマンを単体で想起しても、以前ほどの嫌いな感情は湧かなくなり、またケーキ・ハンバーグを単体で想起しても、以前ほどの好きな感情が湧かなくなるということである。

実際、感情モニタリング法を考案した河野良和氏に直接カウンセリングを受けた際、(かなり昔の経験談だが、)給食で出るクジラの肉が嫌いな子供に食べさせるため、好きな食べ物をクジラの肉と同時に想起させることを繰返すことで、クジラの肉嫌いを克服して食べられるようになったとのお話を伺った。従って、この同時想起は非常に有効な心理技法と言える。


● 先延ばしについて考える(93)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



前回、脳の記憶の仕組みの原理(2つの物事の同時想起を繰返すことで、片方を想起しただけでもう片方も自然と想起されるようになる)を応用して、好きなものと嫌いなもの(例えば、ピーマンが嫌いで、ケーキ・ハンバーグが好きな人がその両者)を同時に想起することを十二分に繰返した後、ピーマンを単体で想起しても、以前ほどの嫌いな感情は湧かなくなり、またケーキ・ハンバーグを単体で想起しても、以前ほどの好きな感情が湧かなくなるのではないかと述べた。

ここで、幾つかの疑問が生じる。それらを以下に列挙したい。

1つ目は、人間の(というよりは生物、動物としての)根本的な欲求、例えば食欲などについても、上述の同時想起を十二分に繰り返すと、欲求の感情が湧かなくなるのであろうか。それとも、どれほど同時想起を繰り返しても、最低限度の程度は欲求が残るのであろうかということである。

大げさに考えすぎかもしれないが、もし前者であるならば、下手なやり方で同時想起を繰り返し過ぎると、例えば食欲が全く湧かなくなり、餓死してしまうのであろうか。拒食症といった疾患があることを踏まえると、そのような可能性は無いとは言えないようにも思う。

2つ目は、同時想起の組合せを適宜変えてゆくことで、非常に強いマイナス(例えば嫌い)の感情を完全に消すことができるのかということ。例えば、上で挙げたように、ピーマンがトラウマになる程に猛烈に嫌いで、ケーキ・ハンバーグなどはやや好きといった場合、やや好き程度のものをピーマンとの同時想起を順次繰り返すことで、ピーマンに対する激しく嫌いな感情は徐々に薄まり、最後には嫌いという感情を全く感じなくなる(むしろ好きになる?)のであろうか。


● 先延ばしについて考える(94)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



前回、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。今回は、それらの疑問点への答えを探る方法について考えてみる。

まず、疑問点の1つ目、即ちこの手法を用いることにより、人間の生物としての根本的な欲求(食欲など)が完全に湧かなくなることはあり得るかについて。今現在の個人的な見解・仮説としてだが、この手法により一定のレベルまで欲求を抑えることはできるようになるものの、生物としてごく最低限度のレベルは残るのではなかろうか。

具体的にそれを検証する手段として、タイマーを用いて一定時間毎に精神状態をセルフチェックする際、食欲などの欲求の程度もチェックする方法が考えられる。例えば、前々回述べたように、「今の気分はどうだい?」と自問自答するより、「今落ち込んでないか?」と聞く方がより有効と言えるが、それと同様に、「今の食欲はどうか?」と聞くよりも、「今、〇〇を食べたくないか?」などと自問自答するのが良いと思われる。


● 先延ばしについて考える(95)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



前々回、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。前回はその疑問点の1つ目について、答えを探る方法を考えてみた。今回もそれを続けたい。

前回までに述べたように、自問自答するにも、「今の気分はどうだい?」と漠然とした質問よりも、「今落ち込んでないか?」とより具体的な形の方が効果的と言える。その効果について、以下でより踏み込んで述べる。



改めて、時計の秒針を見ながら自分自身で実験してみると、例えば「今の気分はどうだい?」と自問自答すると、自分の中のもう一人の感情的な自分からの返答があるまで、平均5秒程度はかかるが、「今落ち込んでいないか?」という自問自答であれば、平均2秒程度で返答を得られている。ざっくり所要時間が半分以下という結果は非常に興味深いものがある。

5秒が2秒になっても、3秒縮まるだけではないかとの指摘もあるかもしれない。だが、自分自身の精神状態の特性を踏まえると、この3秒の違いは無視できない違いにつながっていると感じている。

というのは、小生は意識がすぐあちこちに飛んでしまう特性があるからである。「今の気分はどうだい?」と自問自答しても、5秒なら5秒経たないうちに、別の物事に意識が飛んでしまい、返答が無いうちにその自問自答自体を忘れてしまうことが度々あったのである。それが2秒程度に短縮することで、すぐ返答を得られるため、意識が飛ぶ前に確実なセルフチェックができる。大げさかもしれないが、この3秒の違いは小生にとって飛躍的な進歩になった。


● 先延ばしについて考える(96)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



405号において、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。かつ、前々回からその疑問点の1つ目について、答えを探る方法を考えている。今回もそれを続けたい。

前回までに述べたように、自問自答するにも、「今の気分はどうだい?」と漠然とした質問よりも、「今落ち込んでないか?」とより具体的な形の方が効果的と言える。前回は実際にどのように効果的かを小生の実体験として述べた。今回は、これらの考察・実体験に基づいて、食欲などの欲求の程度をチェックする具体的な方法を以下で述べることにする。



小生の場合、ついつい間食やアルコールの接種が我ながら多いと自覚しているので、例えば以下のような疑問文で自問自答してみると良いのではないかと思う。:

・「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
・「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
・「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

これらの疑問文に対して帰ってくる答は単純に「はい」「いいえ」の2通りでも良いが、できることならば、食べたい・飲みたい程度を3〜5段階で表すようにできないかと考えている。例えば、5段階ならば、「全く食べたくない」、「あまり食べたくない」、「どちらでもない」、「少し食べたい」「とても食べたい」となる。

上述の3つの内容を、セルフチェックの際に、自分の精神状態のチェックとともにチェックし、答えを得てみたい。かつ、そのチェックの後、それらの食べたい、飲みたい意欲がどのように変化してゆくかも可能な範囲でトレースしてみたい。


● 先延ばしについて考える(97)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



405号において、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。かつ、406号からその疑問点の1つ目について、答えを探る方法を考えている。今回もそれを続けたい。

前々回までに述べたように、自問自答するにも、「今の気分はどうだい?」と漠然とした質問よりも、「今落ち込んでないか?」とより具体的な形の方が効果的と言える。かつ、実際にどのように効果的かを小生の実体験として述べた。前回からは、これらの考察・実体験に基づいて、食欲などの欲求の程度をチェックする具体的な方法を検証している。



前回述べたように、ついつい間食やアルコールの接種が我ながら多いと自覚しているので、以下の疑問文で自問自答し、単純に「はい」「いいえ」ではなく、できるだけ多段階的な回答を得てみることにした。:

(1)「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
(2)「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
(3)「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

このうち、まず(1)について。この原稿を執筆しているのは10/15(日)だが、前夜10/14(土)夜の段階での自問自答の結果は、風呂上がりの直後は「少し飲みたい」〜「とても飲みたい」の中間程度であった。

これについて自己分析してみると、「とても飲みたい」レベルかもしれないが、欲望的な自分に対して理性的なもう一人の自分が自問自答していると、その欲求の程度がやや薄まるような感覚があったように思う。これは、喜怒哀楽の精神状態を対象とした感情モニタリングのセルフチェックと同様であり、食べたい・飲みたいといった欲望的な感情に対しても同様の効果があるものと考えられる。

(2)や(3)については、自問自答の結果、(3)は(1)と同程度だが、(2)は(1)よりは欲望の程度は1段階低く「少し飲み(食べ)たい」〜「どちらでもない」の中間程度と判断した。また、同様に(2)・(3)とも、自問自答することで、(1)と同様に欲求がやや薄まる感覚があったように思う。

今回は1回限りのチェックであったが、引き続き毎晩1回、できれば1日あたり数回以上はチェックしてみたい。


● 先延ばしについて考える(98)

引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



405号において、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。かつ、406号からその疑問点の1つ目について、答えを探る方法を考えている。今回もそれを続けたい。

前々回までに述べたように、自問自答するにも、「今の気分はどうだい?」と漠然とした質問よりも、「今落ち込んでないか?」とより具体的な形の方が効果的と言える。かつ、実際にどのように効果的かを小生の実体験として述べた。前回からは、これらの考察・実体験に基づいて、食欲などの欲求の程度をチェックする具体的な方法を検証している。



前回までに、以下の疑問文で自問自答し、単純に「はい」「いいえ」ではなく、できるだけ多段階的な回答を得ることを試みた。:

(1)「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
(2)「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
(3)「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

今回は、前回の最後でお伝えしたように、これら3つについて毎日1〜数回チェックしてみての結果、経過について述べる。ただし、正直に言えば、3つ全てについて毎日1回以上チェックが出来てはいなかったが、断続的に実施することはできたので、その点を以下に記したい。

まず(1)について。この原稿を執筆しているのは11/02(木)だが、この1週間の自問自答の結果は、風呂上がりの直後はほぼ「少し飲みたい」であった。前回よりも欲望レベルが少し下がった感じだが、先日寝酒は睡眠を浅くし医学的にあまり宜しくないという話を聞き、それをやや気にし出した後、欲求の度合も不思議と下がる結果となったのは興味深い。

次に(2)について。このところ秋が深まり朝晩冷えるようになったことから、冷たいドリンクをそもそも飲みたいという欲求自体が(特に朝晩は)そもそも下がってしまった。強いて言えば、晴天で気温が20℃前後まで上がる日、昼間の時点で「少し飲みたい」〜「とても飲みたい」の間くらいか。そもそも、このドリンクは目覚めを良くする意味で飲んでいる面もあり(ただし、実際の薬効的な効果は不明)、何となく生活習慣的に日課として飲んでいる面が少なからずある。

(3)は最近は意外と欲求度が低いが、代わりにスーパーに買い物に行った際に、安売りの菓子があると、つい1パック分買って食べてしまうことがあるので、その安売り菓子に置き換えて考えるべきと思われる。置き換えて考えてみると、これも欲望の程度は「少し食べたい」〜「とても食べたい」の中間程度と思われる。3時のおやつ代わりに食べることが多いため、昼飯をどの程度多く食べたかにより、日によって変動があるように思う。

引き続き、しばらくの間、この欲求の変動について追跡調査してゆきたい。


● 先延ばしについて考える(99)

2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について、特に原因の6つ目、即ちシミュレーション力の欠如について一貫して再考察を行っていますが、今回もその続きです。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察している。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法を模索している。



404号までに挙げた手法、即ち脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、405号でいくつかの疑問点を挙げた。その疑問点の1つ目、即ちこの手法を用いることにより、人間の生物としての根本的な欲求(食欲など)が完全に湧かなくなることはあり得るかについて、406号で小生なりの仮説を述べはしたが、実際にそうなのか裏付けをとれないか試行錯誤している。

その裏付けの方法として、食欲などの欲求の程度を一定頻度に繰返し自問自答、チェックする方法が考えられる。「今の食欲はどうか?」と漠然とした質問よりも、「今、〇〇を食べたくないか?」とより具体的な形の方が効果的と考えられるため、そのように実践している。

以下の疑問文で自問自答し、単純に「はい」「いいえ」ではなく、できるだけ多段階的な回答を得ることを試みており、今回も前回に引き続き欲求の変動について追跡調査を行ったので、報告したい(なお、本記事の執筆は11/12(日))。:

 (1)「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
 (2)「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
 (3)「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

(1)について。前回以降の自問自答の結果は、風呂上がりの直後は前回までよりも少し上昇し、ほぼ「とても飲みたい」であった。寝酒は健康的に良くないとの観点から前回は下がっていたが、このところ精神状態があまり良くなかったことから、その寝酒にストレス解消を求めたところがあったように思う。

(2)について。前回までよりも朝晩の平均気温は低下したが、それでも(1)と同様にストレス解消の観点からか欲求度はやや上がったように思う。

(3)は、ここ最近風邪を引いたことに関連して精神状態を崩したこともあり、買い物に出かける機会がやや減り(家族に任せていた)、スーパー等で菓子類を目にしにくくなったこともあり、その点で実際の摂取頻度は下がったものの、家族が気を遣って菓子類を買ってきてくれることもあり、正直に言ってそれに甘える自分も居たため、欲求度はあまり変わっていないように思う。

引き続き追跡調査は行ってはゆくが、考察は先に進めてゆきたい。


● 先延ばしについて考える(100)

2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について、特に原因の6つ目、即ちシミュレーション力の欠如について一貫して再考察を行っていますが、今回もその続きです。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察している。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法を模索している。



今回は、これまでの定例の考察を一旦中断し、やや閑話休題的な話を述べたいと思う。本記事もずっとシリーズ記事として執筆を続け、気が付けば(100)に達した。その点を我ながら改めて感慨深く感じるとともに、これまでお付き合いいただいている読者の方々に深く御礼申し上げます。

思い返せば、このシリーズ記事の執筆を開始した時点、もっと言えば元々の2009年頃の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」の執筆当初から比べると、当時小生の最大の悪い癖であった先延ばし・時間ギリギリというのも、40歳を過ぎた今となっては、おかげさまでかなり克服できてきた。

克服を後押しした要因として、例えばコンサータの服用なども大きいが、とりわけこのシリーズ記事の執筆を粘り強く続け、先延ばしについて自問自答を断続的にでも繰り返していたことが何より大きいと考えている。継続は力と言われるが、まさに我ながらその通りであったように思う。

改めて思うことだが、例え発達障害ゆえの特性であったにせよ、努力と工夫次第で短所的な特性はかなりの部分克服できるものと強く確信している。この考察を始めた頃と比べれば、今や仕事に日々追われる身ではあるものの、何とか人並みに一社会人として職務を果たせている現状がある。このWing Brainに参加し始めた頃と比べれば、我ながら相当な成長を果たせたと思う。

裏返せば、当時今程の経験・能力を発揮できていれば、また相当に違った人生を歩んでいた、いや何より、人様に様々な迷惑をかけずに済んだかもしれないと思うと、それはそれで非常に悔やまれるものはある。ただ、今更悔やんでも何も生まれないので、せめて今後は今までの分を取り返すべく、日々の職務を全うしながら、あくまで余力の範囲で自助活動を精力的に続けたいと強く思っている。その具体的な中身については、別記事としてお伝えしたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ
トップへ












































癖付けに関する経過報告

● 癖付けに関する経過報告(1)

前号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、本号からは独立して別のシリーズ記事として執筆します。



前号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

この癖付けのおかげか、この取組みを始めてから、夏以降、気分の落ち込みがほぼ全く無くなった。唯一、先月12月上旬に一度だけマイナス思考に陥ることがあったが、落ち込んだ気分をすぐにセルフチェックすることでその落ち込んだ気分から短時間のうちに抜け出すことができた。これまで、精神状態の改善を何度もこのメルマガ上で報告してきたが、それはそれ以前と比較して悪い精神状態に陥る頻度が落ちたという意味であり、完全にゼロになったわけではなく、数か月に1回程度は精神状態が乱れることがどうしてもあった。それがほぼ完全にゼロに収束した。これは、自分の人生の中では相当な成果と考えている。



とはいえ、油断していると、段々とだれてきて折角身に付いた癖付けが抜けてしまいかねないことから、本号以降は、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆきたい。

具体的には、常時自分の頭蓋骨のあたりの身体感覚を意識するようにするのである。というのは、これまでセルフチェックを試行錯誤して行ってきた中で、経験則的に頭蓋骨のあたりの身体感覚を意識すると、自分の精神状態を良く識別できるのである。嬉しいことがあったり、精神状態が良いと、頭蓋骨のあたりに温かい液が流れ出るような感覚になる。逆に、精神状態が悪いと、頭蓋骨のあたりが麻痺したような、モヤがかかったような感覚になる。他の方々が同じ感覚を持つかどうかは分からないが、少なくとも自分自身の中ではそういう明確な傾向があるのである。


● 癖付けに関する経過報告(2)

前号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、本号からは独立して別のシリーズ記事として執筆します。



前々号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

とはいえ、油断していると、段々とだれてきて折角身に付いた癖付けが抜けてしまいかねないことから、前号以降は、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言した。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



残念ながら、前号執筆時までと比べると、この2週間はややセルフチェックの頻度がやや落ちてしまったように思う。これも一種の中だるみと言えよう。改めてこの場で馬鹿正直に申告するとともに、次号発行時までには前号執筆時と同じかそれ以上の頻度でチェックができるようにしたいと思う。

その一方で、頻度こそ落ちたものの、セルフチェックそのものを思い出して行う際には、自分のその時の精神状態、感情の状態を一定時間連続的に意識するようになってきた。より具体的には、何か他のことをやりながら、前号で述べたように頭蓋骨のあたりの身体感覚を意識し続けるのである。どうしても、一定時間後に意識、考えがすぐ他のことに飛んでしまう傾向があるため、まだそれほど長い時間連続的に意識し続けることはできていないが、それでも訓練を積んでゆけば連続する時間を少しずつ伸ばせると期待している。

実体験として感じることだが、昨年末までのように断続的にパルス的にセルフチェックを行おうとすると、セルフチェックを始めて自分の今現在の精神状態、感情の状態がどうなっているかを理性的に判別するまでに10秒前後の時間を要する。昨年末までは、特に癖付けを始めた最初の頃は、意識が他に飛んでしまうことにより、この10秒の時間を持続できずに、せっかく行いかけたセルフチェックを途中で止めてしまうことが多かった。それが、連続的に意識し続けることで、10秒待たずに飛んでしまうことが実感として少なくなったように思う。加えて、ひとたび10秒かけて判断した自分の状態を改めて一から判断し直す必要がなく、身体感覚の変化を軽く意識し続けるだけで良いというメリットもあるのである。

● 癖付けに関する経過報告(3)

前々号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、前号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

とはいえ、油断していると、段々とだれてきて折角身に付いた癖付けが抜けてしまいかねないことから、前号以降は、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言した。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



馬鹿正直に自己申告するならば、残念ながら、前号執筆時までと比べると、この2週間は前回の2週間と比べて、さらにセルフチェックの頻度が落ちてしまった。前回と同様、中だるみと言える面もあるが、改めて再考してみると、常時連続的にセルフチェックを行うようにするという目標は良いとしても、いきなりそうなるように持って行こうとすることに無理があったように思う。

連続的に意識し続けられるならば、前回考察したようにいちいち毎度10両程度の時間をかけて自分の喜怒哀楽の感情の状態、精神状態をチェックすることなく、変化の程度、有無のみを意識するだけで済むという利点があるはずだが、どうしても意識が一定時間後にあちこち飛んでしまう傾向が残る。その意識があちこち飛ぶことそれ自体も将来的に改善したいとは思うが、自分自身の現状を目を背けずに受け入れるならば、やはり年末までのように断続的なセルフチェックを行う形にするのが良いと改めて思った次第である。

できるだけチェックの時間間隔を短く短くしていくことで、最終的に連続的なセルフチェックを行えるように持っていくよう軌道修正することにしたい。よって、まずこれからの2週間は、ここに来て落ちてしまったセルフチェックの頻度を、年末までと同程度に回復させることに注力したい。


● 癖付けに関する経過報告(4)

前々号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、前号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。


2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この2週間は、前回の2週間と比べて、セルフチェックの頻度は少しは回復したように思える。地道に癖付けを再度続けようと努めたことも勿論あるが、その回復に一役買った要因がこの2週間のうちに起きたことも大きいと自分では考えている。一役買った要因とは、即ち、現在の仕事が当初の予測通りに思うように進捗せず、精神的に焦っている状態が数日続いたことである。



あくまで小生個人の経験則としてだが、不思議なもので、平静な状態が続いている時は、癖付けのことが頭から抜けてしまいやすい。だが、焦りや怒りなどの普段の平静な状態とは異なる状態に陥った時、不思議とセルフチェックの癖のことが思い出されるのである。焦りの状態は連続的に続いたため、結果的に、セルフチェックのことも焦りの状態に呼び込まれるように想起することができたのである。この時の焦りの程度は、それなりに強いものであったため、セルフチェックにより焦りの感情を完全に静めることまでは出来なかった。とはいえ、セルフチェックという行為それ自体を高頻度に思い出し、実行できたことは、小生にとっては少なからぬ収穫になったと考えている。

● 癖付けに関する経過報告(5)

前々号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、前号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この2週間は、残念ながら、前回の2週間と比べると、セルフチェックの頻度は少しまた落ちてしまったように思う。決算の時期ゆえ業務に追われて余裕が無かったこともあり、毎時00分アラームはセットはしていたものの、スマートフォンそのものを日中に見る機会が少なく、夕方ふと見ると、その日一日分のチェックアラームが未チェック状態のまま溜まっている有様であった。なかなか一進一退な状態が自分の中で続いてはいるが、地道に癖付けをまだまだ続けてゆきたい。

前回述べたような精神的に焦っている状態は、この2週間は幸い前回の2週間よりは頻度が落ち、比較的平静な精神状態のまま過ごした。裏返せば、前回述べたような理由から、それゆえに、セルフチェックの頻度が落ちたとも言えようが、だからと言ってセルフチェックが身に付かない状態を続けるわけにも行かず、他の手段でチェックの頻度を上げるようにしてゆきたい。

今現在はあくまで案として考えていることだが、毎時00分アラームを止め、別の時刻(例えば毎時30分、45分など)にアラームが鳴るようにする等、マンネリ化を少しでも回避することで、チェック頻度の向上につなげてゆきたい。

● 癖付けに関する経過報告(6)

前々号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、前号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この2週間は、前回の2週間と比べると、セルフチェックの頻度は再び上昇した。決算の業務が一段落して肉体的にも精神的にも余裕が出来たことが大きいように思う。毎時00分アラームは引き続き続けているが、時間的余裕が生まれ、スマートフォンを見返す頻度が上がったことから、チェック頻度も再び上がる結果となった。とはいえ、まだ年末頃と比べると頻度は相対的に低いままであるため、地道に癖付けをまだまだ続けてゆきたい。

決算業務が一段落したおかげで、精神的にも前回以上に平静な状態のままで過ごせたように思う。寝不足に起因しての精神的な不安定さは多少見られたが、セルフチェックの頻度が上がることで、多少不安定な精神状態であっても、その不安定な状態を理性的な自分自身の目で確認することで、不安定さを軽減できたように思う。

また、セルフチェックの際、その瞬間の自分の精神状態がどうであるかを確認するのに、頭蓋骨のあたりの身体感覚をいきなり意識するようにすることで、より迅速に確認することができるようになった。頭蓋骨に意識を向けることそれ自体は以前一度述べたことかもしれないが、そう自分で述べつつも、当時は無意識的に身体感覚に目を向けずに精神状態がどうかをチェックしようとしていたように思う。今回気付いたのは、精神状態がどうかを考えることなく、いきなり条件反射的に頭蓋骨周辺の身体感覚に目を向けると良いということである。

● 癖付けに関する経過報告(7)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この2週間は、前回の2週間と比べると、後半は特にセルフチェックの頻度が残念ながら落ちてしまった。前回は、決算の業務が一段落して肉体的にも精神的にも余裕が出来たと述べた。その余裕の程度は今回も同じはずであるが、先週あたりから仕事上のアイデアを考案するのに没頭してしまい、セルフチェックのことが頭から抜け落ちていたように思う。

スマートフォンの毎時00分アラームは引き続きセットしているが、以前と同様に、アラームがマンネリ化したせいか、アラームに自分自身が反応しづらくなってきている。決算のような絶対的な締切のある一大イベント的業務だけでなく、好きで没頭するようなタスクに浸っている際にも、忘れずに思い出せるよう、アラームのマンネリ化を防ぐ工夫自体を真剣に考えてゆく必要があろう。よって、次回以降は、アラームの方法を試行錯誤した経過をお伝えしたい。

また、特に前半の1週間において、セルフチェックのために頭蓋骨周辺の身体感覚に目を向ける際、年始に一度試したように、連続的に身体感覚を意識し続けられるかどうかを改めてふと思い出して試してみたが、やはり同様な結果となった。意識は一定間隔(経験則的に見て概ね1分未満)であちこちに飛ぶものであるということは、改めて公理として受け入れざるを得ないと感じた次第である。


● 癖付けに関する経過報告(9)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この2週間もまた、セルフチェックの頻度は残念ながら高くはならなかった。ただ、前回までの2週間と比べると頻度はある程度は上がったと言える。前回から引き続き、仕事上のアイデアを考案するのに没頭してしまい、セルフチェックのことが頭から抜け落ちていたことが敗因である点は変わっていないと思う。

前回までと同様、アラームのマンネリ化を防ぐためのアラームの工夫について、ほぼ頭から抜け落ちていたため、相変わらずまだ大した工夫、試行錯誤は行えていない。特定の時間のみ誤字を含む文言が表示された際、何度かに一度程度だが、それによりふとセルフチェックについて思い出したことは今回もあった。

とはいえ、これでは相変わらず停滞した状態が続く気がしてならないので、自戒の念を込めて、このメルマガ記事の執筆・編集作業について、締切ギリギリにしないためにも、方針を見直したいと思う。即ち、先延ばしに関する考察記事、ならびにこの癖付けの経過報告記事どちらも、1週ずつ2回に分けて執筆するようにする。まず、この記事を執筆している4/24(日)夜の1週間後にあたる5/1(日)夜、言い換えれば次号発行日までに原稿2通とも前半部分を執筆し、それをロクスケ委員長に提出する。その上で、さらに1週間後の5/8(日)夜までに原稿2通の後半部分を執筆、提出する。次回原稿はこの方針で行きたいと思う。


● 癖付けに関する経過報告(10)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



前回宣言した通り、今回からは前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通とも半分を仕上げることとした。公約通り、本号のこの原稿の前半は前号発行日である5/1(日)夜に仕上げている。併せて、本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げることとした。これらにより、より一層余裕をもってメルマガの発行作業を行えるようになった。

それだけでなく、小生自身の癖付けについても、これまでの2週間毎の半分の1週間毎に癖付けの振返りを行えるようになったことで、この1週間で見ると、セルフチェックの頻度が再度大きく向上した。昨年末までの癖付けの成功に準じた大きな成果が得られたと実感している。



さて、ここからの部分は5/8(日)夜の執筆分になるが、この1週間も、セルフチェック頻度はまずまずであった。重ね重ね、癖付けの振返りを2週間毎から1週間毎になった点が大きい。加えて、この1週間は連休であったことから、仕事で忙殺されずに済んだことも少なからず影響している。何より、前週にこのメルマガ371号の下案を小生の原稿2通の半分を仕上げていたことによる時間的余裕が実は最も大きな好影響をもたらしたのではないかと考えている。


● 癖付けに関する経過報告(11)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。これまでの執筆・編集のペースと比べて一週間前倒しになったことで、未だ時間的な面で若干の違和感があるものの、発行日の2週間前に大部分を仕上げていることの心理的余裕、安心感、快感は他に代え難いものであると改めて思う。

この部分を執筆している5/15(日)夜の段階では、この一週間は仕事が特に忙しかったものの、セルフチェックも前回と同程度の頻度で行うことができた。前回は仕事の忙しさが一段落したからチェックができたと述べたが、改めて考えると必ずしもそうではなく、上述の心理的余裕、安心感、快感が大きな原動力となっているのではなかろうか。

さて、ここからは5/22(日)夜の執筆分である。今週は前週よりも仕事の忙しさは多少緩和されたものの、セルフチェックの実行頻度は前週と同程度であったように思う。ただ、毎週日曜日夜にこのメルマガ原稿を執筆するという生活パターンを作ることによって、それまでの一週間の実行頻度が多少落ちたとしても、日曜夜に原稿を書きながら意識付けをすることによって、翌日以降の月〜火曜日頃は実行頻度を多少たりとも高めることはできているように思う。


● 癖付けに関する経過報告(12)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。発行日の2週間前に大部分を仕上げていることの心理的余裕、安心感、快感は引き続きありはするが、それに慣れてきたせいか、段々と明には感じなくなってきたように思う。

この部分を執筆している5/29(日)夜の段階では、この一週間は前週よりも再び仕事が忙しくなった。セルフチェックは前回と同程度であったようには思うが、仕事上でのとあることが契機となってのストレスにより、精神的なバランスをこの週末に崩してしまった。途中、セルフチェックにより気分の安定化をと一瞬思うことが何度かあったが、残念ながら年末頃のような安定性は得られなかった。やはりセルフチェックの頻度を安定化させることが何より最優先であると改めて痛感した。

さて、ここからは6/5(日)夜の執筆分であるが、この一週間もまた、特に後半は仕事上の諸々の要因がストレスとなってか、精神的なバランスを崩してしまった。前週の反省もあり、途中途中でセルフチェックを意識的に採り入れ、精神的なバランスを保とうと努めたが、ほぼ不安定な状態のまま推移してしまった。やはり初心に帰って、毎時00分アラームが鳴ったら、チェックができたかどうかを記録してゆくようにしたい。せっかくなので、何日の何時にチェックができたか否かを○×で記したメモを次号から標準的にこの記事に記すようにしたい。


● 癖付けに関する経過報告(13)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。それは引き続き続けるとして、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、前回宣言した通り、日々のセルフチェックが毎時00分に出来たかどうかを○×で記録するようにしている。

この部分を執筆している6/12(日)夜の段階では、この一週間は前週より仕事の忙しさは減ったこともあり、セルフチェックの頻度は前回よりも少しは上がったように思う。精神的なバランスもこの一週間は安定していた。○×記録をつけると宣言したが、残念ながら馬鹿正直に申告するならば、頭の中で「9時は×、10時は○、…」というふうに意識はしたものの、完全な形では記録できていない。次週こそ、完全な形での記録をしてゆきたい。

ここからは6/19(日)夜の執筆分であるが、残念ながらこの一週間もきちんと記録は出来ていない。ただ、前週よりは思い出す頻度は高まったとは思っている。このままズルズル行くのもまずいので、せめてサンプルとして今日6/19一日分のチェック結果を思い出しながらいかに記したい。:
6/19(日) 8,13,16,18,20時が○、それ以外は×。

自宅で掃除などをしていた時、考え事をしていた時はほぼ×であり、何か必要があってスマートフォンを見返した時に思い出してチェックできたといった感じであろうか。「今日の何時に何をしていたか」と今思い出しながら書き出してみたが、一定頻度でこのように思い出すようにすれば、少しは意識付けになるのではないかと考えている。言うまでもなく、次週以降は更なる頻度向上を目指したい。


● 癖付けに関する経過報告(14)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。それは引き続き続けるとして、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、前々回宣言した通り、日々のセルフチェックが毎時00分に出来たかどうかを○×で記録するようにしている。

この部分を執筆している6/26(日)夜の段階では、前週にこの前号記事を執筆したことが良い意識付けとなり、セルフチェックの頻度は前回よりもかなり上がったように思う。精神的なバランスはこの一週間も引き続き安定していた。○×記録については、完全に精密な記録までは行かなかったものの、頭の中で「今日の13時は×、14時は○、…」というふうに意識できる頻度がかなり増えた。例えば、昨日6/25(土)は14,15,16,17時が連続して○になった(と記憶している)。引き続き、完全な記録ができるよう努めたい。

ここからは7/3(日)夜の執筆分であるが、この一週間も前半は残念ながらまた前週と同程度の意識具合であった。後半は、馬鹿正直に言えば、他の考え事についつい没頭してしまい、セルフチェックの意識具合が落ちてしまった。例えば、今日7/3(日)はスマートフォンのアラーム自体に気付いたのが、犬の散歩をしていた間の朝の2回と、たまたま自宅でメールチェックをしようとしてスマートフォンを手に取った夕方の1回だけであった。かつ、そのアラームに気付いても、セルフチェックを1回も実行できなかった。我ながら無残な結果に終わったので、次週は特に後半部の意識付けを工夫したいと思う。


● 癖付けに関する経過報告(15)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。それは引き続き続けるとして、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、前々回宣言した通り、日々のセルフチェックが毎時00分に出来たかどうかを○×で記録するようにしている。

この部分を執筆している7/10(日)夜の段階では、残念ながら、セルフチェックの頻度は前回までと比べて再び落ちてしまった。精神的なバランスはこの一週間も引き続き安定していたが、やはりセルフチェックの頻度向上は喫緊の課題であるため、何としても計画通りに実行できたという実績を作りたい。そこで、このメルマガ記事の執筆や下案の編集を早めに仕上げるためにも、次週からは毎週日・木曜の週2回ロクスケ委員長にメールをお送りするようにし、その際にチェックの結果を振り返るようにしたい。

ここからは、7/14(木)夜の執筆分である。7/10から4日しか経過していないが、振り返りを週2回としたことで、自分自身への良い意識付けになり、セルフチェックの頻度は向上したように思われる。少なくとも、7/11(月)、12(火)の2日間はここ最近の中では高頻度にチェックができた。ただ、残念ながら、正確に記録できるまでには至っていない。引き続き、次の7/17(日)夜までに頻度向上を目指したい。


● 癖付けに関する経過報告(16)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。それは引き続き続けるとして、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、前々回宣言した通り、日々のセルフチェックが毎時00分に出来たかどうかを○×で記録するようにしている。

この部分を執筆しているのは7/21(木)夜だが、前回宣言した通り、ロクスケ委員長に毎週木・日曜の週2回ご報告のメールをお送りするようにしてから、不思議と劇的にセルフチェックの成功頻度が向上した。特に、7/16(金)には、ふと思い立ち、スマートフォンの表面に小さなメモ用紙を貼り付けてみた。これが劇的な進展につながった。

日に何度もスマホを見る癖が付いているため、見る度にセルフチェックのことを思い出し、チェックを行うことができた。チェックを行った時刻をそのメモ用紙に書き足すようにした。結果的に、その日は計21回もチェックを行うことができた。昨年末の頃に匹敵するどころか、それを凌ぐ程の劇的な進歩であり、我ながら驚いた。

ここからは7/28(木)夜の執筆分であるが、この1週間はスマホの表面にメモ用紙を貼り付ける取組みをしなかったため、セルフチェックの頻度は格段に再度落ちた。ただ、一度メモ用紙を貼り付ければ、チェックの頻度が格段に上がることを確認できたので、自分自身として非常に大きな自信につながった。次週は、毎日とは言わないまでも、週に数日はメモ用紙貼り付けを実行したい。


● 癖付けに関する経過報告(17)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、前号メルマガの発行日夜までに本号の原稿2通の半分ずつ、ならびに本号メルマガの下案(小生自身の原稿を除く部分)、編集後記の小生執筆箇所についても前倒しで仕上げている。それは引き続き続けるとして、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、前々回宣言した通り、日々のセルフチェックが毎時00分に出来たかどうかを○×で記録するようにしている。

この部分を執筆しているのは8/5(木)夜〜8/8(日)夜だが、この期間は残念ながらスマホにメモ用紙を貼り付ける取り組みをしていなかった。8/9(月)以降の数日間は、上述の観察力の訓練と併せて、毎日行うことにする。以下でこの間の取組み結果について述べる。

ここからは8/10(水)夜の執筆分であるが、8/9(月)からこの日までの3日間、スマホにメモ用紙を貼り付ける方式により、セルフチェックを確実に行うことができた。○×の記録というよりも、スマホの画面を見てセルフチェックのことを思い出し、実行できた時刻をリストアップしてゆくという方式を採ったが、チェックの頻度、量としては3日間とも十分であった。

幸か不幸か、この3日間の途中、一時的に気分がやや不安定になることがあったが、高頻度なチェックを復活できたおかげか、やや不安定な状態になっても、すぐにセルフチェックのことを思い出して実行し、結果的に短期間に安定状態に戻すことができた。早速効果を実感できたので、それを励みに、さらに継続したい。


● 癖付けに関する経過報告(18)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは8/21(日)夜だが、この1週間は残念ながらすっかり忘れてしまっていた。明日以降はまたスマートフォン上にメモ用紙を貼り付ける方式で連日確実にチェックができるようにしたいと思う。

ここからは8/25(木)執筆分であるが、残念ながら8/22(月),23(火)はまたもすっかり失念してしまっていた。幸い、8/24(水)朝の段階で思い出したため、慌ててスマホにメモ用紙を貼り付け、チェックを行うことができた。8/25(木)も前日のメモ用紙を流用する形で引き続きチェックを実行できた。頻度は両日ともほぼ毎時1回のペースであった。基本的に毎時1回と自ら念じているからか、思い出してスマホを見る頻度が結果的にほぼ毎時1回となったのは、我ながら興味深い。


● 癖付けに関する経過報告(19)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは09/04(日)夜だが、前号原稿発行日の翌日08/29(月)以降は毎日チェックを行うことができた。毎日欠かさずという目標まであと一歩ではあるが、ほぼ癖は付いてきたと思う。前回と同様、この一週間も思い出す頻度は、30分または1時間、2時間おきと、不思議とほぼ等間隔であった。これはつまり、体の中の体内時計にセルフチェックの癖付けが刻み混まれてきた証拠ではないかと考えている。

ここからは09/08(木)夜の執筆分であるが、09/04から引き続き、毎日欠かさずセルフチェックを実行することができている。少し自分の中でマンネリ化してきたせいか、チェックの間隔がやや開くことが多くなった気がする(最大で3〜4時間程度)。大げさながら、早くもそのような状態に陥り始めたことに危機感を抱いてもいるので、改めて初心に帰って、マメなチェック(30〜1時間おき程度)を行ってゆくようにしたい。


● 癖付けに関する経過報告(20)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは09/18(日)夜だが、前号原稿締切日の翌日09/09(金)以降も、前回から引き続き毎日チェックを行うことができた。毎日欠かさずという目標自体はようやくだが、達成できたことになる。前々回〜前回までと比べて、チェックした時刻を記録する頻度は、最大で3〜4時間開いてしまうことがあった。実際には、他の仕事等で手が離せない時にチェック自体は頭の中で出来ていることが多かったが、記録自体をサボってしまった。その点は改めたいと思う。

ここからは09/22(木)夜の執筆分だが、引き続き、毎日欠かさずチェックを行うことはできた。09/18までのように、上で自己申告したように間が3〜4時間開いてしまうことがまだあったが、少しだけ頻度は減ったようにも思う。09/20頃に久しぶりに精神的な具合がやや崩れたが、ふと途中で冷静にセルフチェックのことを自然と思い出し、何度か今現在の自分の喜怒哀楽の状態をチェックすることで、具合を持ち直すことができた。その点は、結果を出せて良かったと思う。


● 癖付けに関する経過報告(21)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは10/02(日)夜だが、引き続き毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを欠かさず行うことができている。前回、間が最大で3〜4時間開いてしまうことを反省点として挙げたが、今週は多少マシになった点、進歩した点があるので、それを報告する。

先週から、夜寝る前に鍵をかけ忘れたかどうか等を忘れずに確認するためのチェックシートを作成し、寝る前に毎晩欠かさずチェックを行っている。そのチェック項目の中の一つに、本メルマガの執筆・考察を行えたかどうかというのを含めている。そのおかげで、先週から毎晩欠かさず、本記事の執筆・考察について、たとえ一瞬でも思い出すことが出来ている。その点は大きな進歩と考えている。



ここからは10/6(木)夜の執筆分であるが、引き続きチェックは毎日ペースで出来ている。が、細かく言えば、今日10/6は頻度が極めて低かった(1日で2回程度。ただし、スマホの表面に貼り付けた紙にメモしたのが2回なので、実際には5回程度はセルフチェックが出来ている)。その理由は、実にレベルが低い話だが、メモ紙に書くスペースが無くなってしまい、出先でチェックを思い出すことが多かったためである。出先で紙の付け替えが出来ないため、結果的にチェックの頻度も落ちてしまった。

毎晩寝る前に欠かさずチェックしている項目の中にメルマガの執筆・考察があるのに、毎週木・日曜以外はチェック自体は一応したとしても、やること無しとして結果的に何もしないことが多かった。そこを改めることで、上述のような事態には陥らなくなると思われる。そこで、早速その点を明日の晩から改めたい。


● 癖付けに関する経過報告(22)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは10/15(土)夜、ならびに10/16(日)夜だが、引き続き毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを欠かさず行うことができている。今週も、最大で3〜4時間開いてしまう日が週の3分の1〜半分程度はあったように思う。我ながら、慣れてきたことによる中だるみに陥っているのではないかとすら思ってはいる。中だるみ具合を戒めるためにも、どれくらい間が開いたかを、夜寝る前の鍵のかけ忘れ等のチェックシートに記録してゆこうと思っている。

ここからは10/20(木)夜の執筆分であるが、早速、夜寝る前のチェックシートに項目を追加した。項目追加後、少なくとも毎晩1回は意識付けになっており、少しはチェック頻度が増加したようにも思う。

だが、チェックの時刻を見返すと、1時間等間隔というよりは、最大で相変わらず数時間開くこともあれば、1時間に何度もチェックしているときがあった。よって次の小目標は、出来るだけ当初の目標通りに1時間等間隔にチェックを行ってゆくこととしたい。癖付けという意味では、一日当たりの回数が数多ければ大差はないかもしれないが、様々な状況においてチェックを行うことに意義があると考えるため、同じ場面に居る中で短時間に何度も行うよりは、より良いのではないかと考えられる。


● 癖付けに関する経過報告(23)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは10/30(日)夜だが、今週は残念ながら、前週まで欠かさず実施してきた、毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを行うという習慣を怠ってしまった。前週までも、毎日チェックは行ってはいるものの、間隔が最大数時間開くことがあったが、それが更に悪化してしまう結果となった。この点を悔いるとともに、自戒の念を込めて、明日10/31以降は再び毎日欠かさずこのチェックを行うようにしたい。

ここからは11/3(木)の執筆分であるが、10/31以降は夜寝る前に行う戸締り等のチェックを、専用の用紙を印刷して抜けなく行うようにはなったが、スマホの画面にメモ用紙を貼り付けての感情モニタリングのセルフチェックはまだ再開できていない。他のことに気を取られてついつい忘れている状況なので、改めて明日以降再度欠かさずチェックを行えるように心がけたい。


● 癖付けに関する経過報告(24)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは11/13(日)夜だが、今週も残念ながら、数週間前まで欠かさず実施してきた、毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを行うという習慣を怠ってしまった。前週から進歩がない状態なので、やや遠回りだが、毎晩夜寝る前のチェック時に、このメルマガ編集用のUSBメモリを必ずPCに挿してメルマガ本号のファイルを開き、考察を行う癖を付けたい。

この部分を執筆しているのは11/18(金)夜である。本来は11/17(木)夜までに仕上げるつもりであったが、うっかりして同日夜に仕上げるのを失念してしまい、一日遅れての執筆となってしまった。まず何より、その点を反省するとともに、再発防止に努めたい。

毎晩夜寝る前のチェックは必ず行っており、メルマガの考察・執筆を行ったかどうかも毎晩チェックしていたはずなのだが、半ば無意識的にかチェックしても実際に考察・執筆を毎晩するのを怠っていたのが実態である。つまり、チェック自体が形骸化していたことになる。形骸化の結果が、今回のうっかり忘れという失態につながったと我ながら思う。そこで、今回の失態を逆に教訓、意識付けの材料として前向きに捉え、毎晩確実に考察・執筆を少しずつ進められるようにしてゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(25)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは11/26(土)夜だが、前週に引き続き、今週も残念ながら、数週間前まで欠かさず実施してきた、毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを行うという習慣を怠ってしまっている。

進歩がない状態を脱却しようと、やや遠回りだが、毎晩夜寝る前のチェック時に、このメルマガ編集用のUSBメモリを必ずPCに挿してメルマガ本号のファイルを開き、考察を行う癖を付けることにした。残念ながら、毎日このメルマガファイルを開いて考察を行えていたわけではないが、上述の通り、この部分を執筆しているのは11/26(土)であり、通常よりも一日早く手を付けられたのは、我ながら、僅かながらだが進歩と言って良いのではないかと思う。

今週は、夜寝る前のチェックも怠りがちな状況で、それが災いして、翌朝の炊飯器のセット、風呂場の換気扇のスイッチを入れるのを立て続けに失念してしまった。前回のメルマガ下案の仕上げを一日失念した時と同様、失敗を良い契機と捉えて、自分への意識付けを改めて行うとともに、対策として再発防止につなげる工夫を重ねたいと思う。


● 癖付けに関する経過報告(26)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは12/11(日)夕方だが、前週に引き続き、今週も残念ながら、数週間前まで欠かさず実施してきた、毎日スマートフォンの表面にメモ用紙を貼り付け、チェックを行うという習慣を怠ってしまっている。また、夜寝る前のチェック事項も、前週よりは確認を怠らずに行ってはいるものの、チェック用紙に一つ一つペンでチェックを入れる程にはマメに行っていない。

だが、どういうわけか、そもそもの目的であった感情モニタリングのセルフチェックが数日前から急に出来るようになってきた。実現頻度は、癖付けに成功したと述べた昨年末頃に匹敵する。あるいは、それ以上かもしれない。自分でも何故急に高頻度に出来始めたのか、まだ十分に分析できてはいないが、とりあえず経過報告としてありのままにこの場でお伝えしたい。

ここからは12/15(木)夜の執筆分だが、引き続き、セルフチェックが高頻度に行えている。純粋なセルフチェックも、これまでよりも少し工夫して、頭の中で喜怒哀楽の状態を数学のxy平面(または一次元的な数直線)のグラフ上のプロットとして表すイメージを描くことで、自分の中でよりきめ細かくチェックが出来ているように思う。加えて、お湯が脳から湧き出るといったイメージトレーニングをも同時に行えており、精神状態の安定化に少なからず寄与していると考えられる。


● 癖付けに関する経過報告(27)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



今回も、セルフチェックの頻度を抜本的に上げるための対策として、日々のセルフチェックが高頻度に出来たかどうかを記録する取組みの経過について述べる。

この部分を執筆しているのは12/25(日)夕方だが、前回お伝えした通り、そもそもの本シリーズ記事の目的、癖付け対象である感情モニタリングのセルフチェックを高頻度に繰り返し実行できるようになり、その後も絶えることなく継続的、安定的に実行できている。20日近くその状態を継続できていることから、癖付けとしては現段階で見てまずまずの成功ではないかと考える。

ここからは12/29(木)夜の執筆分だが、引き続き高頻度なセルフチェックを行い続けられている。さらに、2015年末〜2016年年始に次の目標として掲げていた癖付けも少しずつ進められている状況である。そこで、2017年は、セルフチェックを完全に定着させるとともに、別の癖付けも身に着けられるよう努めてゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(28)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは01/07(土)夜だが、前々回・前回とお伝えした通り、そもそもの本シリーズ記事の目的、癖付け対象である感情モニタリングのセルフチェックを高頻度に繰り返し実行できるようになり、この1〜2日多少頻度が落ちたものの、その後も絶えることなく継続的、安定的に実行できている。既に1ヶ月程度その状態を継続できている。

そこで、セルフチェックとともに、うっかりミス・おっちょこちょい的なミスを防ぐべく、一瞬一瞬の自分自身の言動を要所要所で意識する癖付けに挑戦し始めている。まだセルフチェックほどではないが、今現在は比較的高頻度に意識できていると考えている。引き続き、頻度向上に向け工夫と努力を重ねてゆきたい。

ここからは1/12(木)の執筆分だが、早速、言動を要所要所で意識する癖付けが役立った。他愛もないことだが、子供を習い事に送りに出す際、月謝袋に月謝を入れて渡す必要があることに気付き、実行した。普段は妻が管理しているが、たまたまその日は不在で、予め何の用意もしていなかった。これまでの小生ならば、気付かずにうっかり忘れていただろうが、きちんと気付けたことは、極めて些細なことながら、自分の中では大きな進歩、励みになったと考えている。


● 癖付けに関する経過報告(29)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは01/22(日)夜だが、引き続き、感情モニタリングのセルフチェックとともに、うっかりミス・おっちょこちょい的なミスを防ぐべく、一瞬一瞬の自分自身の言動を要所要所で意識する癖付けに挑戦し始めている。まだセルフチェックほどではないが、今現在も比較的高頻度に意識できている。今回は、高頻度に繰返し意識する中で一つ気付いたことがあるので、それについて述べたい。

セルフチェックを行う際、以前は今の自分自身の喜怒哀楽の精神状態を概念的に自問自答するようにしていたが、それよりも、387号で述べたように、頭の中でxy平面やお湯が脳から湧き出るといった具体的な静止画・動画的なイメージを思い浮かべる方が、チェックの実施、精神状態の安定化をよりスムーズに行えているように感じている。更に最近、それ以上に、妻子と過ごす楽しい出来事や自分自身の趣味対象を思い浮かべることで、より抵抗感、億劫感なく自然にセルフチェックが行えるのではないかと気付くに至った。


● 癖付けに関する経過報告(30)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは02/05(日)夜だが、引き続き、感情モニタリングのセルフチェックとともに、うっかりミス・おっちょこちょい的なミスを防ぐべく、一瞬一瞬の自分自身の言動を要所要所で意識する癖付けを続けている。この2週間を振り返ると、前回執筆時よりも意識の頻度がやや落ちた気がする。改めて、高頻度に繰返し意識できるよう、意識付けしたいと思う。

前回述べたように、妻子と過ごす楽しい出来事や自分自身の趣味対象を思い浮かべることで、より抵抗感、億劫感なく自然にセルフチェックが行えるのではないかと思われるが、趣味対象など、あまりそればかり思い浮かべ過ぎると、そのこと自体に意識が行って上の空になってしまい、セルフチェックそれ自体を失念してしまうこともあると改めて気付いた。

この部分を執筆しているのは02/09(木)夜だが、02/05(日)までの反省から、意識の頻度は少しは戻ったように思う。この数日間で改めて気付いたが、趣味などの楽しいことと結びつけながら高頻度に思い出していると、少しずつだが、その趣味などに対して楽しく感じなくなってきたように思う。人間だれしも、一時的に何かに夢中になっても次第に飽きてくるものだが、それと同じことではないか。


● 癖付けに関する経過報告(31)


361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは02/19(日)夜だが、前回までの反省から、意識の頻度は前週と同程度を維持してはいる。引き続き、頻度向上に向けて工夫を重ねてゆきたい。

ところで、前回の最後に述べた点、即ち趣味などの楽しいことと結び付けながら高頻度に思い出していると、少しずつだが、その趣味などに対して楽しく感じなくなってくることに関連して、この1週間を振り返ってみると、その楽しいこと自体を自然と欲しなくなってきたように思う。セルフチェックの頻度の低迷と大きく連動しているという点は、それはそれで興味深い。

ここからは2/23(木)執筆分だが、この数日を振り返ると、再び感情モニタリングのセルフチェック、ならびにうっかりミス・おっちょこちょい的なミスを防ぐための、一瞬一瞬の自分自身の言動を要所要所で意識する癖付けも少し頻度が上昇した。皮肉なことだが、今自分が抱える仕事の中で手をなかなか付けたくないものが一つあり、それをやろうやろうと意識すると、かえって他のことが手に付きやすくなってしまう。この数日の頻度上昇も、一つにはそれがあるかもしれない。


● 癖付けに関する経過報告(32)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは03/05(日)夜だが、この1週間は仕事が溜まってみて夜寝るのが毎晩遅くなった影響からか、昼間に気分的に不安定になることが時折あった。一日調子が優れない日もあったが、精神的にやや不安定になると、不思議と感情モニタリングのセルフチェックのことが自然と頭に浮かんでくることが多かった。不安定な気分の状態とセルフチェックとが上手く結び付けられているからではないかと考えている。

ここからは03/09(木)夜の執筆分だが、仕事の多忙さもあり、この数日間も前週ほどではないが、精神的にやや不安定になることがあった。だが、やはり途中からセルフチェックのことが浮かび、自然と不安定さが治まった。この数日間の場合、セルフチェックのこと自体が浮かぶというよりは、自分の感覚としては、感情的な自分を眺める別の自分が出てきて、「今私は一体何をしているんだろうか?」と自問自答したくなる状態と言えようか。その結果、それまでの自分の喜怒哀楽、精神状態が麻痺してくるように感じた。今回のこの感覚は、前週までのとは少し違うもののように思える。引き続きこの点も研究してゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(33)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは03/19(日)夜だが、この1週間前の03/11(土)〜12(日)の週末はその前週以上に気分的に不安定な状態であった。感情モニタリングのセルフチェックのことはある程度は頭に浮かんだが、残念ながらそれ以上に感情的な自分の方が勝ってしまい、久しぶりにかなり落ち込んだ状態に陥った。結果的に、翌3/13(月)朝に仕事しているうちに、段々と不安定さは解消していった。久しぶりとは言え、精神的な安定感が崩れたのは非常に残念だが、敢えてそこは冷静になって、何故不安定な状態に陥ったのか、今一度自問自答して綿密に検証してみたい。

この部分を執筆しているのは03/23(木)だが、この数日間は再びセルフチェックの頻度は向上した。前週の不安定さの原因を改めて振り返ると、セルフチェックの頻度が落ちていたことが大きな要因と考えられ、改めて高頻度にチェックを行えるよう、工夫を重ねてゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(34)


361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは04/02(日)夜だが、前回執筆時03/23(木)以降を振り返ってみると、前回の最初の週と同様、精神的には不安定さが目立った。やや睡眠不足気味だったこともあるが、セルフチェックの頻度の低さが改めて影響したように考えられる。このところ仕事に追われ、セルフチェックを気に掛ける余裕が少し無くなっていることも要因として挙げられるが、セルフチェックをある程度高頻度に思い出せる時間的余裕を最低限残しておくべく、仕事のスケジュール等を改めて見直してみたい。

ここからは04/06(木)執筆分だが、ここ数日間も精神的な不安定さは少しあった。仕事のスケジュールはある程度詰まっていたが、04/02夜に述べた通り、セルフチェックを行える程度の時間余裕は最低限作ったつもりではある。直接的に時間余裕ができたからと断言できるわけではないとは思うが、意外にも時間余裕の殆どない昼間の時間帯に精神的にやや不安定になった際、セルフチェックのことが自然と思い出され、それにより精神的な不安定さはある程度落ち着いたように感じている。


● 癖付けに関する経過報告(35)


361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回からは、その新たな取組みについて述べたいと思う。

この部分を執筆しているのは04/16(日)夜だが、この1週間を振り返ると、精神的な乱高下がこれまで以上にあった。前半の4/10(月)〜11(火)頃の2日間はかなり落ち込んだ気分になった一方、12(水)は一転して気分がやや高揚する感覚であった。我ながら躁鬱的な傾向かとも思われたが、高揚した4/12(水)以降は、これではいけないとの危機感もあってか、再び感情モニタリングのセルフチェックの頻度が少しずつだが向上した。思い出しの頻度自体はまだ十分とは言えないが、頻度が高かった年末年始頃と同様の心理状態に戻って来た気がしている。

この部分を執筆しているのは04/20(木)夜だが、上で述べた通り、この数日はセルフチェックの頻度をある程度高い水準で維持できた。精神状態は極めて落ち着いており、やはり精神状態の安定性とセルフチェックの頻度とは大きく関係していることを改めて実感した。セルフチェックを自然と思い出すまでの頭の中での思考や意識の時々刻々の変化は、自覚の上では年末年始頃とほぼ同様になってきており、少なくともしばらくはこの状態が続くと思われる。できるだけ永続的にこの状態が安定するよう工夫と研究を重ねたい。


● 癖付けに関する経過報告(36)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。今回もその経過報告をこの場で行いたい。



この部分を執筆しているのは04/30(日)夜だが、振り返ると、この1週間は精神的には比較的安定していた。感情モニタリングのセルフチェックも、頻度はまだまだ十分に高いとは言えないが、ある程度の頻度で(極端に間隔が開くことなく)実施できていた。さらに頻度向上になるよう工夫を重ねたい。

その工夫の一つとして、最近ふと思い付いたことが一つある。これまでは、チェックの頻度が落ちた時に、落ちてしまったとこの場で書く等、失敗を拾い上げる減点主義的な振り返りをしてきたが、自己暗示という面からすれば、そのような方法が負の自己暗示になってしまっているのではないかと改めて気付いた次第。

そこで、今後は、イメージトレーニングを兼ね、(全くの嘘を書くわけにはさすがに行かないが、)セルフチェックならセルフチェックの癖付けが大成功した今後の自分の姿を何らかの形で克明に描写するような取組みをしてゆきたい。

ここからは5/5(金)の執筆分だが、この連休中もまた精神的には比較的安定しており、セルフチェックは前週までよりも更に頻度が向上してきた。のみならず、セルフチェックとセットで、(しばらくそれ自体失念していたことだが、)トランス状態に入る訓練のことも思い出し、ポツポツ実行できるようになってきた。引き続き、セルフチェックの頻度を上げるとともに、トランスに入る訓練もセットで忘れずに実行するように心掛けたい。


● 癖付けに関する経過報告(37)


361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは05/15(月)夜だが、この1週間は精神的に比較的安定していたものの、特に今日の夕方以降はやや調子を崩した。ただ、感情モニタリングのセルフチェックのことが比較的容易かつ自然に思い出され、今現在の自分自身がどのような精神状態かを理性的に、冷静にチェックするもう一人の自分、いわゆる「眺める自分」が出ていたように思う。

セルフチェックの頻度はこの一週間も自分の中では比較的高い水準にあるとは思うが、より一層高める工夫の一つとして、何らかのツールを用意できないかと改めて思った次第。早速、ネット上で検索してみたところ、スマホアプリとして、メトロノーム型のタイマーというものがあるのを知った。明日以降、これを実際に試してみたい。

ここからは、05/18(木)執筆分だが、3日前に予告したタイマーを早速スマートフォンにダウンロードして活用してみたところ、自分でも驚くほどに高い効果が確認された。数分おきにバイブレーションやアラーム音が繰り返されるだけのシンプルなものだが、それでも小生には予想以上に効果的なものであった。詳細は次号以降でお伝えしたい。


● 癖付けに関する経過報告(39)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは06/08(木)だが、前回執筆時から精神的にはかなり安定していた。前回述べたように、タイマーを短い間隔で設定し、感情モニタリングのセルフチェックを繰り返し想起し続けられたことの効果が非常に大きかったのではないかと実感している。

強いて厳しく言えば、この1週間程度、タイマーを活用しての短時間に繰り返し想起することをやや怠っていたようにも思う。これも以前からの癖付けの途上でも起きたことだが、中だるみによるものと我ながら思うので、しっかり癖を付けるためにも、タイマーの活用を引き続き行ってゆきたい。十分に癖を付けられたら、このシリーズ記事は終了したいと考えている。

ここからは06/11(日)執筆分だが、この数日は癖付けの頻度がまた落ちてしまった。タイマーをかけるのを怠ったことが大きいので、引き続きタイマーを必ずかけることをマイルール化したい。癖を十分に身に付けるためには、数か月は継続して行う必要があると考えており、そのためにはまだあと2ヶ月以上は継続が必要であろう。少なくとも、今日一日は危機感を持ち続けたことで、頻度は再び上昇した。明日以降も高頻度なペースを維持してゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(40)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは06/22(木)だが、引き続き精神的にはかなり安定していた。一時的に半日程度、やや焦りの気持ちが生じたこともあったが、以前に同様な焦りの気持ちを感じたときよりも、比較的冷静に自分自身を見つめることができ、淡々と対応することで、結果的にその焦りの気持ちが生じる原因を除去することができた。重ね重ね、タイマーを短い間隔で設定し、感情モニタリングのセルフチェックを繰り返し想起し続けられたことの効果が持続しているのであろうと実感している。

数分おきといった極めて短い間隔での想起はできない期間も多かったものの、この1週間を振り返ると、前回の反省からタイマーを意識的に毎日ほぼ必ず設定することはできた。ただ、タイマーのアラーム自体に(セルフチェックを怠りながら聞き流すことに)慣れてきてしまったためか、短い間隔でアラームを聞いても、毎回必ずセルフチェックを実行することはできないでいた。よって、次なる目標として、アラームが鳴ったら必ず条件反射的にセルフチェックをするよう癖を付けることとしたい。

ここからは06/25(日)執筆分だが、この数日間も概ね安定はしていた。強いて言 えば、06/23(金)はやや調子を崩したが、スマホでタイマーをかけることで、タ イマーのアラームの都度ではなかったが、比較的短い間隔でセルフチェックを続 けることができ、「今は少し調子を崩している。やや不快な気分」と繰り返し確 認することができた。そのおかげか、以前ならばもっと不快、または落ち込んだ 気分になっていたところ、比較的軽度で済んだように思われる。


● 癖付けに関する経過報告(41)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは07/08(土)だが、この2週間弱の間も、概ね精神的に安定していた。失敗して、これまでなら落ち込む、もしくは不快な思いをすることも度々あったが、不思議と安定していた。時折パルス波のように不快な精神状態が湧き上がることもあったが、比較的短時間のうちにセルフチェックのことを思い出し、自分の今の精神状態が不快な状態であるともう一人の自分が眺めることで、我に返ったようにその不快な感覚が鎮まることも多かった。

スマホでタイマーをかけることは、時折忘れることもあったが、比較的断続的だが継続はできていた。ただ、タイマーが鳴る度にセルフチェックを確実にはできておらず、他に気を取られていてできないことも多かったが、気付いた際には意識的に自分の今の精神状態をチェックするよう努めた。ただ、自覚として、まだ意識的に思い出すようにしていることが多く、できれば無意識的、条件反射的にセルフチェックができるようになると一番理想なのは言うまでもない。

上述の別記事にも述べたように、某英会話教材を繰り返し聞くことで、自然と英語を聞いただけで意味が頭の中に入ってくる状態にならないと、英語のリスニングをを上達したとは言えない。それと同様に、できればタイマーなど無くとも、短い間隔で自然と無意識的、条件反射的にできるようになるまで、繰返し訓練を積む必要がある。そこが本記事の目指すゴールであり、まだまだその途上にある。ゴールに辿り着くまで、本記事の執筆を続けたいと思う。


● 癖付けに関する経過報告(42)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは07/23(日)だが、この2週間の間も、概ね精神的に安定していた。多少の変動はあったが、比較的安定していた。ただし、この数日は、スマホでタイマーをかけていたものの、別の考え事に没頭してしまい、時折タイマーのアラーム(バイブレーション)でハッと気づいてセルフチェックを思い出したように実行することも少なからずあった。

前回述べたように、英語を理解するのと同様、意識的、能動的にセルフチェックを行わないとできないのではまだまだゴールではなく、無意識的、条件反射的にできるまで繰り返し訓練しなければならないと思っている。ここ最近、休みの日でも仕事のことで頭が一杯で、セルフチェックのことだけに一日費やせる日が少ないが、お盆休みや秋の連休など、まとまった休日を得られたら、丸一日くらいはそれだけに費やす日を設けたいと思っている。

去る5/18(木)は昼間にスマホのアラームとにらめっこし続け、数分おきにセルフチェックを繰り返すことで、かなり癖付けに成功した。その後の停滞ぶりを我ながら改めて振り返ると、やはり定期的にそのような丸一日費やせる日を作ることは必須ではないかと重ね重ね考えている。


● 癖付けに関する経過報告(43)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは08/06(日)だが、この2週間の間も、概ね精神的に安定していた(今回も多少の変動はあったが、前回同様に比較的安定していた)。スマホでタイマーをかけるという方法も、これまた前回同様に途中で気付いてチェックすることはあるものの、別の考え事等に気を取られてアラーム(バイブレーション)自体に気付かないことも多かった。

無意識的、条件反射的にできるまで繰返し訓練する必要があると前回述べたが、改めて考えてみれば、お盆や連休時など、一年の限られた時期だけ行っても、十分に長続きせず、段々と実行頻度が落ち、十分な癖付けにならなくなってしまう。実際、5月頃に一度癖付け出来たものの、その後仕事等に気を取られて段々と実行頻度が落ち、癖付けとして半端な状態のまま今に至っていることが何よりの証拠と言える。

よって、どれほど忙しくとも、できれば毎日朝昼晩にできるだけ高頻度に繰返し実行できる体制を築かねば、十二分な癖付けにはならないと改めて思った次第。とはいえ、ここでこのようにただ理屈をこねていても、具体的かつ効果的な方法が無ければ、前に進まない。そこで、仕事のサイクルに上手く組み込む形で高頻度にセルフチェックを行う方法をとりあえず考えてみた。その方法を明日8/7(月)から早速実行してみたいと思う。その経過、効果については次号で報告したい。


● 癖付けに関する経過報告(44)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは08/20(日)だが、この2週間の間も、前回から引き続き概ね精神的に安定していた(今回もやはり多少の変動はあったが、前回同様に比較的安定していた)。

前回、仕事のサイクルに上手く組み込む形で高頻度にセルフチェックする方法を考えたとお伝えしたが、それを早速この2週間で実践してみた。結論から言えば、それなりに効果のある方法だったと思う。決して毎日完璧に高頻度にチェックができているわけではないが、以前から実践しているスマホでタイマーをかける方法と組み合わせることで、以前よりも高頻度にできるようにはなっていると思う。

加えて言えば、チェックの頻度を上げるだけでなく、1回あたりのチェック時により確実かつ迅速、正確なチェックを行う方法を模索して編み出した。他愛もないことかもしれないが、不快な気分であるかどうかを確認するには、「今の気分はどうだい?」よりも「今、落ち込んでいないかい?」と自問自答する方が効果的であることにある時気付いたのである。

改めて考察するならば、「気分はどうだい?」よりも「落ち込んでいるか否か」の方がより具体的、突っ込んだ質問になる。逆に言えば、「今の気分はどう?」の方がより漠然とした、より抽象的な質問ということになる。精神状態をより正確にきめ細かくチェックするには、いちいち「嬉しい気分か?」「悲しんでいないか?」など、喜怒哀楽などの様々な感情の状態毎に自問自答しなければならない煩わしさはあるものの、質問の具体度を上げる効果は確実にあると言える。


● 癖付けに関する経過報告(45)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは09/03(日)だが、この2週間の間も、前回から引き続き概ね精神的に安定していた。今回もやはり多少の変動はあったが、一度だけ前回までよりも不安定になった時期があった。改めて振り返ってみると、今回も含めて以前に特に不安定になった時期に共通するが、感情モニタリングのセルフチェックの頻度が落ちていた時期と重なっていたように思う。

前回から引き続き、仕事のサイクルに上手く組み込む形で高頻度にセルフチェックする方法を実践しているが、仕事の内容も含め、各項目をチェックする際、一つ一つのチェックの質が落ちていたように思う。前回、せっかくより確実にチェックする方法を編み出したが、それに安心してチェック自体を怠っていたようにも思う。当たり前だが、チェックの方法自体を洗練したとしても、チェックそのものを確実に実行しなければ意味がない。そこで、次の2週間は、チェックの確実性を上げる工夫を重ねたいと思う。その経過は次回追って報告したい。


● 癖付けに関する経過報告(46)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは09/17(日)だが、この2週間、特に最初の1週間は、前回までと比べて、少しだが精神的にやや不安定ではあった。今回の直接の原因は、セルフチェックの頻度もあるが、変動の激しい気候のせいか風邪気味、鼻詰まり気味であり、睡眠時間は普段と同じでもやや眠りが浅かったことではないかと考えられる。対策として、薬を服用するようにしてから、眠りの浅さは無くなり、それ以降はかなり安定している。

その上でだが、前週末にあたる9/10(日)頃、前回述べたセルフチェックの現状の課題(チェックの頻度自体は上がったものの、チェックの質が落ちている点)を克服する方法を重点的に考え抜き、早速実践してみた。結論から言えば、完璧とまでは言わないにせよ、かなり克服できるようになってきた。その点について以下で詳しく述べる。

従来は、チェックリスト・チェックシートを作り、それを高頻度に読み進めながら、項目一つ一つをチェックするようにしていた。それを改め、チェック項目を体系化し、完全に暗記するようにし、かつチェック項目をジャンル別にグループ分けし、各グループに項目何個ずつという数字も併せて暗記するようにした。こうすることで、チェックシートをいちいち読み進めなくとも、頭の中で項目が連鎖的に思い出せ、チェックシートを読み進めるよりもかなり早くチェックできるようになった。手前味噌ながら、かなりの進歩であるように思う。


● 癖付けに関する経過報告(47)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは10/01(日)だが、この2週間はかなり安定していた。前回述べたような風邪気味、鼻詰まりの症状が治まり、眠りの浅さが改善したことも少なからず大きいように思う。その上で、前回までに述べた課題の克服について続きを報告したい。

前回述べたように、チェック項目を完全暗記するようにして、確かにかなりチェックの質は向上した。その点は前回も述べたように我ながら非常に大きな進歩ではある。

加えて言えば、チェック項目はかなりの数になるため、意識が飛びやすい小生の気質からして、最後までチェックが行かずに途中で他に意識が飛んでしまうこともある。その際、少し気を付けながら、途中のどこまでチェックができたかをいちいち記憶していれば、意識がまたチェックに戻った際に、その途中箇所から再開することもできる。

ただ、特にここ1週間ばかり、暗記はしっかりできてはいるものの、そもそもチェックそのものの頻度が落ちてしまったように思う。それに起因して、そのチェック項目の一つに入っていた重要な内容をうっかり忘れかけてミスしかけるという出来事があった(いわゆるヒヤリハット)。

総じて考えれば、チェック項目の暗記化によりチェックの確実性は上がってはきたものの、全部がごぼっと抜けるオールオアナッシング状態が起きやすいと考えられる。そこで、ナッシング(ごぼっと抜ける)状態が起きないような追加の対策を続けて考えてゆきたい。


● 癖付けに関する経過報告(48)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは10/15(日)だが、この2週間も引き続きかなり安定していた。アレルギー対策の薬を服用していることもあり、眠りは引き続き適度に深いものであったこと、仕事等の面で特に大きなミスをしていないこと等も大きいと思われる。

前回、チェックの頻度が落ち、チェック項目群の中の重要項目をうっかり忘れてミスをしかける出来事、ならびにチェックそのもの全部がごぼっと抜ける状態があったと述べたが、残念ながらこの2週間もややその傾向があった。追加の対策としては、アラームの間隔や警告の仕方のパターンを変えてみること等が挙げられるが、そのような対策はまだ正直なところ実行には移していない。

次回までに、それらの対策を実践し、その効果などを確かめたいと考えている。

● 癖付けに関する経過報告(49)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは10/29(日)だが、この2週間も引き続きかなり安定していた。アレルギー対策の薬を服用しているのは前回と同様だが、数日前に不覚にも風邪をひいてしまった上、特定の薬の服用タイミングを誤り、夜になって目が冴えてしまい、結果的に睡眠時間が短くなった日があった。幸い、翌日の仕事等の面で特に大きなミスはしなかったが、いわゆるヒヤリハットの状態であった。

前々回までに述べた、チェックの頻度が落ち、チェック項目群の中の重要項目をうっかり忘れてミスをしかける出来事、ならびにチェックそのもの全部がごぼっと抜ける状態があったことについて言えば、この2週間は不思議と抜けることが少なかった。それゆえか、前回述べた追加対策(アラームの間隔や警告の仕方のパターンの変更)は、恥ずかしながら未だ実行には移せていない。

不思議とミス・抜けが少なかったのは、チェックの頻度が落ちたことをこのメルマガ記事の執筆等で繰り返し自覚し、意識付けすることで、無意識的な次元で注意が向くようになったのではないかと考えている。

とはいえ、ミスや抜けがゼロではない以上、引き続き追加対策を確実に実行し、ほぼ確実にゼロにできるよう努めてゆきたいと思う。別記事の考察も含め、日々高頻度に実行し、振り返りができるよう、次回はこの原稿内にチェックリストを明示的に含めるようにしたい。

● 癖付けに関する経過報告(50)

361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは11/12(日)だが、この2週間の精神状態はあまり良いものではなかった。仕事上の課題が特に多かったこともあり、結果的に睡眠時間が短かったこともあるが、家族への接し方もその時々の精神状態によりかなり変動があった。家族も(今に始まった話ではないので、慣れはしているだろうが、)困惑している面もあったと思われ、その点を申し訳なく思っている。

前回までに述べたチェック頻度については、結果的に前回までとあまり変わっていなかったように思う。今回は、一念発起して、チェック項目を全て一度復習して記憶し直し、完ぺきではないが、特に休日などにアラームを当初の通りの間隔でかけ、一定頻度で繰返し想起するようにした。

相変わらず、所々で抜けがあるのは悔しいところではあるが、この繰返し想起を粘り強く続けることで、抜けを完璧にゼロにしてゆきたい。なお、前回の最後に述べたチェックリストの項目については、改めて自分自身が完璧に暗記できるようになったため、ここではやはり割愛させていただきたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ






● 発達障害自助活動の今後について

これまで、定例的に上述のシリーズ記事「先延ばしについて考える」とともに、「癖付けに関する経過報告」のシリーズ記事を執筆してきています。前者が今回(100)に達する一方、後者は前回(50)に達し、どちらも大きな節目を迎えることができました。重ね重ね、これまでお付き合いいただいた読者の皆様に御礼を申し上げます。

その上で、両者の記事の番号を揃える目的もあり、今回は後者のシリーズ記事の執筆をお休みさせていただき、この節目に我ながら相応しいと思う趣旨の記事を執筆させていただきます。



早いものでもう2017年も年末ですが、来年2018年は、小生がADHDと診断され、発達障害の世界に入り、かつこちらのWing Brainに参加させていただいてから早10年になります。思えば、長いようで短い10年でした。この間、実に様々なことがありましたが、何よりこの10年のうち丸9年は、Wing Brainの活動が骨格となっていたことに違いありません。隔週での記事執筆、途中からメルマガの編集等にも携わらせていただけることになり、今に至っています。

これまでの通り、Wing Brainでの活動は、発達障害当事者としての自己改善・自助活動がメインです。それ以外の趣旨で記事を執筆していたこともありますが、今後も引き続き発達障害・自己改善関係をメインに精力的に続けてゆきたいと考えています。折しも、来年2018年は上述のように小生にとって大きな節目であるため、今一度原点に立ち返り、今後の具体的なあり方を再考したいと思います。

我ながら、これまでに自己改善・自助活動のためにあれやこれやと思い付いては、様々な構想・計画を出してはきたものの、恥ずかしながら計画倒れ、または三日坊主的に実行がうやむやになってしまっていることが少なくありません。いわゆる「やるやる詐欺」状態に陥っている面が多分にあると自戒の念を込めて正直にこの場で申し上げます。



そこで、来年以降は特に、特別新たな構想・計画を立てるというよりは、今までに公表した構想・計画について、未着手のもの、あるいは途中で頓挫・中断しているものを改めてつぶさにリストアップし、無理のない範囲で強力に推し進められるよう体制を築いてゆきます。

とはいえ、こう申し上げたこと自体、「やるやる詐欺」になりかねない面もあるでしょうから、これまでと同じ環境・体制では同じ結果になるとの判断から、これまでとは異なる新たな環境・体制をまずは構築できるよう、工夫をしたいと思います。具体的な方法は敢えてここではまだお伝えしませんが、進展したら追ってお伝えしたいと思います。今回はひとまずここまでとさせていただきます。

by なさ

トップへ











































● 前年の振り返りと今年の目標

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。毎年の恒例ではありますが、自分自身の成長のため、いつものシリーズ記事を今回はお休みし、代わりに上述の題、テーマで執筆させていただきます。

前年2016年は、小生にとって、特に仕事の面で少なからぬ成果がありました。詳細はプライバシーの関係で一切割愛させていただきますが、ようやくというか、手前味噌ながら、人に誇れる成果を出せたのではないかと考えております。引き続き本年2017年は、更なる飛躍を目指して、ひたむきに愚直に、仕事にまい進してゆきたいと思います。

加えて、本メルマガの小生の記事に関して、癖付けに関して年末に大きな成果がありました。一昨年2015年の暮れにも、一旦は癖付けに成功したはずでしたが、年が明けてから崩れてしまいました。今回は、その反省を活かし、油断せずに、今後も絶えることなく一度身に付いた癖を実行し続けられるよう、手段を尽くしてゆきたいと思います。

総じて、2017年は、前年の成果を踏まえ、それに甘んじることなく、更なる飛躍を目指して、油断せず、何事も地道かつ愚直に、コツコツと一つ一つの取組みをひたむきに続け、実を結ぶよう工夫と努力を重ねてゆきたいと思います。皆様にとっても、より良い一年となりますように。

by なさ



● 今年一年を振り返って


早いもので、2017年も残すところ僅かとなりました。この記事を執筆しているのは前号412号発行日である12/10(日)夜ですが、本号413号が今年最後のメルマガとなることを踏まえ、前号に引き続き、これまでのシリーズ記事としての継続執筆を今回も一旦お休みし、今年一年の振り返りを行いたいと思います。



前号でも触れましたが、早いもので、今の2種類のシリーズ記事を執筆して、それぞれ(100)、(50)まで来ました。どちらも引き続き精力的に続けてはゆくつもりですが、記事の文言の半分程度は結果的に毎回同じもののコピーペーストになっている面もあり、そろそろ体裁や今後の見通し、方向性を明確にしてゆかねばと改めて思った次第です。

なお、半分程度をコピーペーストにしているのは、手抜きとの批判を受けても仕方ないとは自分でも思いますが、それでも敢えてそうしているのは、隔週で記事を執筆し続けるにあたり、前号までの流れが段々抜け落ちてきて、全体を通じて読み通していただいた際に、趣旨や話の方向性があちらこちらにぶれたてしまうことを防止するためのものです。コピーペースト部分を除いても、小生の記事は文字数にして決して短すぎるわけではないと我ながら思いますので、決して文字数稼ぎで行っていることではありません(念のため)。

そこで、新年2018年以降は、少しスタンスや進め方を変え、年間を通じての進行スケジュールをできるだけ明確に、細かく定めたで、できるだけその通りに進めてゆきたいと考えています(これ以上の詳細は、次の記事でご説明します)。



今年一年を振り返ると、非常に大きな成果、言い換えればブレイクスルーが2つほどありました。その2つについて、次の記事で具体的に述べたいと思います。



● 今年一年を振り返って(2)

前の記事から続けます。



ブレイクスルーの1つ目は、今年5月頃ですが、スマートフォンのインターバルタイマーを上手く活用することで、癖付けの面で非常に大きな効果が得られたことです。

これに気付いた直後は、半日程度スマホを常に傍に置いたまま、数分おきのアラームの度にチェックシートを確認、または予め暗記しておいたチェック項目を暗唱しながら頭の中でチェックするというトレーニングを繰返し、それらのチェック項目の抜けが飛躍的に減りました。

ただ、その後しばらくして中だるみ的な状態に陥り、インターバルタイマーのトレーニング自体を忘れる、またはサボることが多くなってしまい、癖付けという面ではやや停滞した面も正直に言えばあります。

ですが、最初熱心に取り組む時期から中だるみ状態に陥るまでの期間自体に一定の傾向があると思われるので、その期間自体を予め強く意識しておくことで、かなり中だるみ防止になるものと思われ、従って新年以降はその期間についてもシリーズ記事の中で明示的に触れてゆきたいと思います。



ブレイクスルーの2つ目は、つい最近、この年末近くになってから心掛け始め、今現在非常に効果を発揮していることです。最近は頻度としては時々ではありますが、仕事でミスする等により、精神的に落ち込んだ気分になることがありました。今でも完全にゼロではありませんが、シリーズ記事でお伝えしている感情モニタリング法のセルフチェックと併せて、気分転換になる良い方法を見つけたことです。

具体的に何かと言うと、気分が優れない時ほど、仕事や家の雑用などを間髪置かずに次々片付けてゆくという方法です。

数年前から服用を始めたコンサータ、あるいは朝晩決まって行う犬の散歩等のおかげもあってか、以前と比べても、物事のやる気スイッチが非常に入りやすくなりました。必ずしもコンサータを服用しなくとも、生活習慣的な効果なのか、体が段々と自然に動くようになってきました。

仕事も日々忙しくなる一方であり、とにかく毎日の生産性、効率を上げねば、一つでも多く目の前のタスクを片付けてゆかねばと強く思う程に切迫した状況になってきました。そのため、理性的に考えて落ち込んで悶々としている暇など無く、最初はがむしゃらに目の前の課題を次々片付けていたのですが、そうしていると、目の前の山積みの課題と向き合っているうちに、段々と優れない気分が和らいでゆくことに気付きました。

感情モニタリング法の効果も相まって、仕事を忙しくこなすことで気分が優れることで、さらにより一層仕事等に熱心に取り組めるようになるという好循環が生まれたように思います。

無論、物には限度はあるでしょうし、実際に11月初頭前後など、体調を崩して連鎖的に精神状態も優れなかった時は、とても仕事に次々取り組める状況にはなかったため、あくまでも体調や精神状態が一定以上優れている時に限っての効果なのかもしれません。



以上、2つのブレイクスルーについてお伝えしましたが、前年まで以上に自己改善という一面において非常に大きな進歩のあった一年であったと我ながら思います。この良い流れを是非新年以降につなげたいと強く思っています。引き続きご支援いただければと思います。それでは、良いお年をお迎え下さい。

by なさ





●今年の計画(1)


新年明けましておめでとうございます。日々仕事に追われていたこともあり、1年があっという間に過ぎ去ってしまいました。思えば、旧年中は前号でお伝えしたブレイクスルーなどもありましたが、一方で反省点も多くありました。今一度その反省点とも真正面からしっかりと向き合い、前年まで以上により一層自分自身の成長、自己変革を図れる1年にしたいと強く思っています。

至らない点はまだまだ多いのが現実ではありますが、先日も申し上げたように、本メルマガでの記事執筆が、自己変革への大きな追い風の一つになっていることは間違いありません。折しも、今年2018年は、小生が発達障害と診断され、こちらのWing Brainに参加させていただいてから10年の節目に当たります。そこで、前年までの欠点を払拭すべく、今年は進め方を抜本的に見直すことにします。



前年まで、「先延ばしについて考える」、および「癖付けに関する経過報告」の2種類のシリーズ記事を細々と書き続けてきました。限られたテーマをコンスタントに継続できたことはまだ良いとしても、実態として、両者とも毎号の原稿の文言の半分前後が前号までのコピーペーストになっていたこと、先行きの見通しもなくダラダラと書き続けてきたこと等、厳しく見ればそのような改善すべき点が多々あったことから、新年の節目を機に、まず何よりそれらを改めます。

先延ばし癖それ自体は、まだまだ完全に克服できているとは言えないものの、それでもこのWing Brainに参加させていただいた約10年前と比べれば、我ながらかなり成長はできました。その現状を踏まえ、今後自分が目指すべき方向性、目標を改めて定め、それに向かって一歩一歩着実に階段を上っていけるよう、年間の計画、ロードマップを明確に定め、できるだけ忠実にそれに沿って計画通りに進めてゆこうと思います。

さしあたり、次の(2)で具体的な今年1年の計画を定めることにします。


● 今年の計画(2)

前の記事から続けます。ここでは具体的な年間計画を述べたいと思います。まず、今年1年の一大テーマとして、以下の3点を掲げます。:

  ・うっかりミスの撲滅
  ・忘れっぽさの撲滅
  ・勘違い、思い込みの撲滅

いずれも、先延ばし以外での小生の欠点ばかりです。過去はもちろん、今現在の仕事を進める上で、先延ばし以上に少なからぬ障害になっており(先延ばしは意外と最近は障害になっていない)、完璧な、もとい人並みの質で仕事をこなしてゆく上で、撲滅・克服は至上命題となっています。

そこで、先延ばしについては考察や言及を今年は一旦保留とし、これら3点の克服に重点を置きたいと思います。

それぞれについて、以下の各ステップを踏むことにします。:

  ・原因に関する机上での考察(なぜそうなってしまうのか?)
  ・対策    〃     (では、どうすれば良いのか?)
  ・対策の実行(やってみた経過報告)
  ・効果の確認(やってみて結果的にどうであったか)

いわゆる「PDCAサイクル」的な4段階です。

1年間は52週あります。本メルマガは隔週で発行していますので、年間で26回発行することになります。そこで、上述のテーマ3点それぞれにつき4ステップ踏むとして、各テーマの各ステップで一つの記事を執筆するとすれば、3×4=12回分の記事が書けることになります。それを2回繰返し、かつ本号を含め今年年末に再度年末の振り返りをするとすれば、計26回分になります。

実際にこの1年やってみて、その通りに計26回分になるかは分かりませんが、昨年までのように先行きの明確なく書き続けるよりはだいぶ良いと考えています。早速、次回から上述テーマ3点のうち1点目について、考察を行ってみます。今年はとにかく計画的に、きびきび行きたいと思います。

by なさ

● うっかりミス等の撲滅(1)

前号記事「今年の計画(1)〜(2)」の宣言通り、今回から重点的に考察と実践を進めてゆきたい。まず、理詰めで、理論的に考察してゆくにあたり、撲滅対象、即ち以下の3点について、具体的に指す意味について考えてみたい。いずれも、小生のようなドジ、おっちょこちょい、或いはいわゆる「天然」と言われるタイプの人に共通する短所的特性ではなかろうか。

  ・うっかりミスの撲滅
  ・忘れっぽさの撲滅
  ・勘違い、思い込みの撲滅

この3点とも、上述のタイプの人の実際の日々の言動の中で、厳密に区分されるものではなく、複雑に入り組んでいる、もしくは意味の区分があいまいであるように思う。なぜなら、勘違いや思い込みがあるからこそ、結果的にうっかりミスをしてしまうこともあれば、そもそも、勘違いという現象自体がある意味ではうっかりミスであるとも言えるからである。



そこで、心理学、特に人間の脳の情報処理的な面を説明する学問分野である認知心理学・知識工学といった観点から人間を機械やコンピュータになぞらえ、その上で上述の3点を考えてみたい。

まず、五感(目・鼻・耳・口・手足や顔・胴体などの皮膚の触覚など)は外界から何らかの情報を得るセンサー、すなわち情報をインプットするポートの役割をしている(因みに、口などはエネルギーの注入口、即ち機械などになぞらえれば電源への接続口の役割も果たしている)と言える。

同様に、手・足・口などは外部に情報を伝える、またはアクションを起こすといった、いわばアウトプットのポートの役割をしていると言える。特に、口などはインプット・アウトプット両方の役割を兼務しているとも言える。

さらに、脳は、上述のインプットのポートから得た諸々の情報を集約し、記憶したり、それらの情報を基に思考する、言い換えれば情報を保持・加工する役割をしていることになる。

以上のように人間の各器官は情報の流れという一面から3つの役割に分類できる。上述の短所的特性3点は、この3つの役割に沿って意味をいわば再構築することで、厳密に区分することができると考えられる。



● うっかりミス等の撲滅(2)


前記事(1)で挙げた3つの役割、即ち

  ・情報のインプットの役割
  ・情報の保持・加工の役割
  ・情報のアウトプットの役割

という点から、改めて3つの短所的特性、即ち以下の3点を捉えてみる。

  ・うっかりミス
  ・忘れっぽさ
  ・勘違い、思い込み

まず、忘れっぽさや勘違い、思い込みというのは、情報のインプット、または保持・加工の過程におけるエラーとモデル化できる。なぜなら、情報が的確に人間の脳内にインプットされ、正しく保持・加工されていれば、忘れたり、勘違い・思い込みを起こすことがないと言えるからである。

同様に、うっかりミスとは、情報の保持・加工、またはアウトプットの過程におけるエラーとモデル化できよう。なぜなら、例えば誤って別のスイッチを入れてしまうといったうっかりミスは、正しくはどのスイッチを入れれば良いかという情報を脳内で的確に保持されていれば、もしくは別の情報から的確に加工されてその正しいスイッチの情報を得られ、かつその上で、脳から手足に正しく指令が伝わり、その正しいスイッチを入れる動作が適切に実行されれば、うっかりミスにならないからである。

短所的特性は、細かくは上述の3つに限らずもっと挙げられるかもしれない。いずれにせよ、上述の3つに類する短所的特性とは、以下のように厳密に分類することができると言える。
 ・情報のインプットの過程におけるエラー
  ・情報の保持・加工の過程におけるエラー
  ・情報のアウトプットの過程におけるエラー

よって、うっかりミスをはじめとする諸々の短所的特性の撲滅にあたっては、今後はこの3つのエラーの撲滅と読み替えて取り組んでゆくことにする。次号以降、これら3つのエラーについて順に掘り下げて考察してゆきたい。




● うっかりミス等の撲滅(3)

前回までに、小生のようなドジ、おっちょこちょい、或いはいわゆる「天然」と言われるタイプの人に共通する短所的特性として以下の点を挙げた。:

  ・うっかりミス
  ・忘れっぽさ
  ・勘違い、思い込み

これらを(人間工学・認知心理学的な観点から、)以下の3つに分類した。

  ・情報のインプットの過程におけるエラー
  ・情報の保持・加工の過程におけるエラー
  ・情報のアウトプットの過程におけるエラー

今回はこのうち「情報のインプットの過程におけるエラー」について考えたい。



インプットの過程におけるエラーとは、厳密にエラー箇所を分類するならば、目や口などの五感、センサーの役割を果たす器官自体のエラーによる場合、またはセンサーの器官自体は正常だが、そこから脳に信号が送信された後、脳内での情報処理においてエラーとなる場合とに大別できよう。

ただし、脳内の情報処理と言っても、ある程度複雑高度な思考を伴うものは「情報の保持・加工の過程におけるエラー」に分類されるべきとの観点から、比較的単純で簡単な、条件反射的な認識プロセスのみに限定するものとする。



例えば、実際には実在しない物体の幻覚が見えたとする。その場合、目というセンサー自体に何らかの異常があって、脳に実在しないはずの物体の画像に関する信号を誤って送信してしまう場合の他、目というセンサーから脳への信号は正常でも、実在しないはずの物体が居るとの誤った情報(信号)が脳内で勝手に発生してしまう場合も考えられる。

このような場合、センサー自体の異常であれば、本記事のテーマである「うっかりミスの撲滅」を自助努力で行う範囲を超えていることになる。また、脳内での誤った情報の発生という場合でも、何らかの病気や薬の副作用等によって起こるのならば、それも同様に自助努力による解決の範囲を超えている。よって、それらのようなケースはここでは割愛させていただき、発達障害者にありがちな、いわゆる「認知の歪み」に相当する場合のみを対象とさせていただく。


● うっかりミス等の撲滅(4)

ここでは、前記事(3)で述べた「認知の歪み」に起因する「情報のインプット過程におけるエラー」のメカニズムと対処法について考えてゆきたい。



まず、発達障害者に特有の認知の歪みの場合、例えば興味のある好きなことに対しては細かく深い洞察力、観察力を発揮できたりすること等を踏まえると、エラーが起こる直接の原因は興味や注意力の偏りにあると考えられる。言い換えれば、それらは上手に訓練や工夫を重ねることで補正できるはずである。

この点については異論も少なくなかろうが、小生自らの経験からしても、十分可能であろうと確信している。昨年までのシリーズ記事「先延ばしについて考える」でも、興味対象や喜怒哀楽の感情を臨床心理学、脳神経科学的な観点から上手にコントロール、意図的に補正できることを述べた。

ここでは、それらの大前提に立って、具体的にどのように認知の歪みを補正し、その上でエラーを防止してゆくかについて考えてゆきたい。



まず、情報のインプット過程自体をどのようにモデル化するかが課題と言える。発達障害者を含め、そもそも人間がどのように五感というセンサーから情報を得ているかを的確に説明し、その上で健常者と比べて発達障害者がどのような点でどの程度ずれているのか、足りないのかという歪みをつぶさに分析解明しリストアップする。ここまででも非常に壮大な、大きな話だが、抜本的な解決のためには不可避な道ではないだろうか。

次に、そのリストアップされた歪みを一つ一つ補正する方法論、あるいは訓練のカリキュラムを組み、それを実践する。実践した結果をフィードバックしてカリキュラムや方法論をより精緻化してゆく。いわゆるPDCAサイクルに基づく流れだが、ここまで完璧に実行できれば、理屈の上ではより完璧な認知の歪みの補正ができるはずである。


● うっかりミス等の撲滅(5)

これまでに、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性を、人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、そのうちの1点目、即ち、「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、考察を始めた。

特に前回は、発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因してのエラーを補正すべく、まずは情報のインプットの過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。



今回はその続きとして、その歪み・ずれをリストアップする具体的な手順を考案してみたい。小生なりに独自に考えるものであり、言い出しっぺの責任として、小生自ら今後実践し、PDCAサイクルに則ってその結果を振返り、より良い結果を出せるようにしてゆきたい。

歪み・ずれの全容をリストアップすると言っても、すぐに全部をリストアップするのは膨大な作業であり、相当な時間と手間を要する。よって、余程に計画的、体系的に行ってゆかねば、無駄な手戻りや抜けが出てしまい、効率的ではない。

そこで、辞書や図書館の本の分類などのように、全容をまずは大まかな次元から順に体系化、ジャンル毎に分類する。その分類・体系化を必要により細分化し、適度な分類・体系化が出来たら、順に歪み・ずれのリストアップ作業に着手するという手順で行くことにする。



まず、「情報のインプットの過程におけるエラー」を最初の大まかな次元で分類すると以下のようになる。:

  ・視覚(目)に関するエラー
  ・嗅覚(鼻)に関するエラー
  ・味覚(口)に関するエラー
  ・聴覚(耳)に関するエラー
  ・触覚(皮膚)に関するエラー

五感という文字通り、そのままの分類ではある。ただし、実際には、例えば視覚と聴覚を併せて等、複数のセンサーから得られる情報を総合して対象物を認識することが多い。よって、厳密に言えば上述の五感それぞれ単体ではなく、それらの順列組合せで考える必要がある。だが、それにはまず五感それぞれ単体でのエラーを解析し尽くす必要があるはずである。よって、上述の五感を順に解析してゆくことにする。

(次の記事(6)に続く)

by なさ


● うっかりミス等の撲滅(6)

ここでは、前記事(3)で挙げた五感それぞれのエラーについて、具体的な解析手順のあり方について考察する。



小生なら小生自身の日常生活の中で、もっと大げさに言えばこれまでの人生の中で、具体的にどのようなエラーがあったであろうか。細かいことならばそもそも記憶に残っていないであろうし、一つ一つ思い出してゆくのは膨大な作業にはなろうが、日常生活は同じような環境での同じような言動の繰返しであることを踏まえると、その地道な解析作業は長い人生の上で必要不可欠と考えるため、思い出せる範囲、できる範囲で進めてゆきたい。

とはいえ、記憶の限り挙げつらったところで、ただ羅列するだけでは直接には何も役立たなかろう。効率的、体系的にリストアップし、それらに対してエラーの原因究明、対策を一つ一つ立ててゆかねば費用対効果として意味をなさない。逆に、上手に体系化し、効率的な解析手順を確立しさえすれば、これまでの経験の中でのエラーのみならず、現在進行形でこれから起こるエラーについても瞬時に解析を進められ、より一層効率的と考える。



体系化にあたっては、幾つもの視点に基づくラベリング分類の手法が有効と考えられる。これだけでは抽象的で分かりづらいため、以下で例を挙げて説明する。

例えば、「時間」という視点から何らかのエラーを分類することができる。どの時間帯、時期に起きやすい(実際に起きた)エラーかによって、以下のように分類するのである。:
  ・朝/昼/夕方/夜/深夜
  ・春/夏/秋/冬
  ・日曜/月/火/水/木/金/土

それと並行して、今度は例えば「場所」という視点から、以下のように分類する。
  ・自宅(もっと細かくするならば、リビング/玄関/トイレ/風呂…)
  ・職場
  ・道路上
  ・駅
  ・公園
   等々

また別の視点として、例えば「物」という視点から以下のように分類する。
  ・食べ物(さらに細かくするならば、肉/野菜/飲料物/…)
  ・食器類
  ・電子機器
  ・文房具
  ・お金
   等々

また別の視点として、例えば「人」という視点から以下のように分類する。
  ・自分自身
  ・家族
  ・友人
  ・町内の方々
  ・職場の上司、同僚、後輩
   等々

そろそろ止めておくが、要は、いわゆる5W1H的な視点から、一つの解析対象を何通りにも分類するのである。必要により、例えば「場所」ならば、上でカッコ書きしたように、自宅なら自宅をさらに細分化しても良い。適度な細分化の上で何通りもの分類を繰り返しておくと、それだけで頭の中がかなり整理される。これは、認知心理学・知識工学的に見て、非常に理に叶ったやり方と言える。


● うっかりミス等の撲滅(7)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性、特に発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因するエラーを撲滅するために考察と実践を行ってゆくものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、情報のインプットの過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

前回は特に、様々なエラーをいかに効率的、体系的に整理するかが鍵であり、そのための具体的な方法として、ラベリング分類の手法が有効ではないかと述べた。今回は、より具体的に、エラーの例を挙げ、具体的にどのようにラベリング分類するかを実践してみたい。



例えば、小生がよくやってしまうエラーの一つに、就寝前の炊飯器のセットが挙げられる。敢えて言うまでもなかろうが、念のために一連の手順を細かく述べておくと、翌朝の起床時に米が炊けているよう、炊飯器の窯に研いだ米と然るべき量の水を入れ、翌朝の時刻に炊けるよう炊飯器のタイマーをセットしておくというものである。

この際、小生は時折以下のようなエラーをしてしまうことがある。:
  ・一連の手順を丸ごと全て忘れて寝てしまう
  ・米と水を窯に入れて炊飯器にセットし、タイマーをかけ忘れる
  ・タイマーをかける際、誤って翌朝ではなく夕方の時刻でセットしてしまう



ここで、ここでの本題の論述からやや外れるが、一点触れておきたい。言われてみれば確かにそうだと誰もが思うことではあろうが、あるいはこれまた言うまでもないことだが、これら3つとも、米が翌朝の段階で炊けていないという結果は全く同じであるものの、一連の手順、プロセスのどの段階でエラーが起こるか、ひいては原因・対策の立て方は全く異なる。どれか1つをほぼ完全に撲滅できたとしても、残り2つがまだ発生してしまうようでは、完全な解決にはならない。

この例と同様に、何か撲滅したいエラーが1つあったとしても、エラーの手順、プロセスに沿って分析してみると、いくつものエラーに細分化されることが多い。よって、対象となる様々なエラーどれも完全に抜かりなく撲滅しようとするなら、分析と対策は一見した以上に手間と時間をかけねばならないと言える。



(次の記事(8)に続く)

by なさ



● うっかりミス等の撲滅(8)


ここでは、前記事(7)で挙げた炊飯器のタイマーかけ忘れというエラーにつき、細分化した3つのエラーそれぞれをラベリング分類してみたい。



まず、前夜に就寝前に行うタスクであることから、細分化した3つのエラーどれも前号(6)の時間・時期による分類に従えば、「夜」または「深夜」に分類される。同様に、5W1H的に見えると、場所の分類として「自宅」、もっと細かく言えば「台所」(台所に炊飯器が置いてある場合)となる。物の分類としては「米」または「炊飯器」、人の分類としては「自分」および「家族」(自分を含め家族分のご飯を炊くため)となろう。

このように、一つの事例につき、いくつもの観点から異なる分類を重ねるのがラベリング分類の特徴であり、肝でもある。半ばバカバカしい分類ではあるが、大真面目に行っていることをご理解いただければと思う。



とはいえ、ここで終わってしまっては意味がなく、さらにこの分類に基づいて対策を打つ必要がある。どのように対策を打てば良いかを続けて以下で述べる。

ラベリング分類したら、その分類を紙に書き出して貼っておくなり、パソコンやスマートフォン上で行うならば、文書やメモ帳ファイルに名前を付けて保存しておく。それと同時に、できれば分類のそれぞれの視点、ジャンルから、上述の炊飯器のセットし忘れ、もっと言えば細分化した3つのエラーを逆算的に想起できるように繰り返し繰り返し暗唱しておくと良いと考える。

具体的には、台所に来たら、あるいは台所と言う概念、イメージを頭の中で想起したら、連想的に炊飯器のセットし忘れ(を細分化した3つのエラー)を想起できるよう、台所なら台所とそれらのエラーとを何度も何度も同時に想起して頭の中で結び付けるようにするのである。

それをひたすらひたすら訓練的に繰り返すことで、台所から上述のエラーを迅速かつ確実に想起できるようになろう。もっと言えば、台所に限らず、例えば他の「夜」または「深夜」、「米」および「炊飯器」、「自分」および「家族」などのラベリング分類に用いた様々なジャンルの概念とも、同様にな訓練を繰返しておけば、日常生活の様々な場面で上述のエラーのことを思い出すきっかけ、糸口がそれだけ多くなり、言い換えればその分忘れにくく、思い出しやすくなる。


● うっかりミス等の撲滅(9)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性、特に発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因するエラーを撲滅するために考察と実践を行ってゆくものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、情報のインプットの過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

前回までに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を用いて実践してみた。今回はそのラベリング分類について、もう少し補足的に考察してみたい。



前回例を挙げて分類を実践してみたものの、小生自身も含めこの手法を実践する方々にも手軽かつスムーズに実践していただく上では、方法論をもう少し突き詰める必要があると考えられる。そこで本記事ではまず、より実用的に、より簡単に様々なエラーをラベリング分類できるよう、手順をマニュアル化してみたい。


(1) ブレインストーミング的に失敗を徹底的にリストアップ

まず、日々の日常生活・仕事の上で、特に頻度の高い失敗をリストアップする。基本的には頻度が高ければ、それだけ記憶に残りやすい、思い出しやすいと考えられるので、とにかく思い付く限りメモ用紙(またはパソコンやスマホのメモ帳)に書き出してみる(いわゆる「ブレインストーミング」的な手法)。ここでは余計なことを敢えて考えず、とにかくポンポン思い付く限りひたすら書き出すことに専念することが重要である。ここでは多少荒っぽく殴り書きで構わない。

思い付く限りとにかく失敗を書き出したら、後述の(2)以降の手順として、それらを整理・分析する段階に入る。もし後から新たな失敗をしたら、または思い出したら、上述のリストアップに用いたメモに追加してゆけば良い。その際、既にこの(2)以降の手順に入っているものにはその旨のチェックマークをしておけば、取りこぼしや無駄な重複が無くなり効率的である。



(次の記事(10)に続く)


● うっかりミス等の撲滅(10)

前記事(9)から引き続き、エラーのラベリング分類につき手順のマニュアル化を進める。ここでは、手順(2)以降を述べる。



(2) 説明文章の精緻化

(1)で殴り書き的にリストアップした失敗事例一つ一つについて、今度は表現のいわば「清書」段階に入る。例えば、既述の炊飯器のタイマーセット忘れの場合、まず殴り書き的には「炊飯器のタイマーセット忘れ」といった簡単な箇条書き程度であろうから、それをやや馬鹿丁寧な説明文章として記述する。ポイントは、いわゆる5W1H的に「どこで」「いつ」「誰が」「何を」「どのように」を明示する、加えて言えば、その結果どうなったかを明示することである。例えば、炊飯器のタイマーセット忘れの場合、以下のように表現できよう。:

----↓説明ここから↓----

夜寝る前、自宅の台所にある炊飯器に、研いだ米(無洗米の場合は研ぐ必要なし)と水を釜に入れ、内蓋もセットし、タイマーを翌朝X時XX分にご飯が炊き上がるようセットする必要がある。しかし、その手順全てを忘れて就寝した。

その結果、翌朝に起床した際、米が炊けていないことに気付き、慌てて近所のコンビニにレンジでチンできるパックの米を自転車で買い出しに行く必要があり、朝の支度が遅れ、仕事への出勤や子供たちの登校がギリギリになった上、食事時間を削ることにもなり、家族に迷惑をかけた。

----↑説明ここまで↑----



(3) 説明文章の文節解析

(2)でやや馬鹿丁寧に記述した説明文章について、今度は文節で区切る形で解析を行う。国語の授業ではないので、動詞とか名詞とか助詞といった細かい分類はここでは不要である。助詞や句読点は全て省き、名詞・動詞・形容詞などの語句のみ残して説明文章を分解する。例えば、上述の文章ならば、以下のようになる。

----↓解析ここから↓----

夜 / 寝る / 自宅 / 台所 / 炊飯器 / 研いだ / 米 / 無洗米 / 研ぐ / 水 / 釜/ 入れ / 内蓋 / セット / タイマー / 翌朝 / X時XX分 / ご飯 / 炊き上がる /セット / 忘れて / 就寝

翌朝 / 起床 / 米 / 炊けていない / 気付き / 慌てて / 近所 / コンビニ / レンジ / チンできる / パック / 米 / 自転車 / 買い出し / 朝の支度 / 仕事 / 出勤 / 子供たち / 登校 / ギリギリになった / 食事時間 / 削る / 家族 / 迷惑

----↑解析ここまで↑----


● うっかりミス等の撲滅(11)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性、特に発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因するエラーを撲滅するために考察と実践を行ってゆくものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、情報のインプットの過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

前回までに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、前回はその手順の途中までを述べた。今回はその手順の続きを説明したい。



前回例を挙げて分類を実践してみたものの、小生自身も含めこの手法を実践する方々にも手軽かつスムーズに実践していただく上では、方法論をもう少し突き詰める必要があると考えられる。そこで本記事ではまず、より実用的に、より簡単に様々なエラーをラベリング分類できるよう、手順をマニュアル化してみたい。



(4) 各文節・単語と失敗内容との結び付け

前回述べた手順(3)で失敗事例の説明文章を文節に区切った。その各文節(厳密にはその文節の中に含まれる各単語、およびその単語の意味する概念)と失敗事例内容とを頭の中で連想的に結びつけるようにする。その結び付けの操作を頭の中で訓練的に繰返し繰返し行うことで、個々の単語・概念を頭の中で思い浮かべただけで、連想的にその失敗事例も思い浮かぶようになる。様々な単語・概念と結び付けることで、確率的に事ある毎にその失敗事例を思い出せるようになる。

とはいえ、事例の内容が込み入ったものであるほど、各文節(に含まれる単語)の数はかなりの数に上る。例えば、前回の例で言えば、文節は以下のように計46個とかなりのボリュームになる。:


夜 / 寝る / 自宅 / 台所 / 炊飯器 / 研いだ / 米 / 無洗米 / 研ぐ / 水 / 釜 / 入れ / 内蓋 / セット / タイマー / 翌朝 / X時XX分 / ご飯 / 炊き上がる /セット / 忘れて / 就寝 (22文節)

翌朝 / 起床 / 米 / 炊けていない / 気付き / 慌てて / 近所 / コンビニ / レンジ / チンできる / パック / 米 / 自転車 / 買い出し / 朝の支度 / 仕事 / 出勤 / 子供たち / 登校 / ギリギリになった / 食事時間 / 削る / 家族 / 迷惑 (24文節)


1つの失敗事例につき、これら46個なら46個の単語・概念といちいち結び付け操作を行っていては時間と手間が追い付かないのが現実ではなかろうか。そこで、これらの単語・概念のうち、特に結び付けの必要度、費用対効果の高さを格付けし、その上位順に優先的に結び付け操作を行うようにすると効率的と考える。



(次の記事(12)に続く)

by なさ


● うっかりミス等の撲滅(12)

ここでは、前記事(11)で述べた手順(4)の続きを説明したい。



上述の各単語・概念のうち、結び付けの必要度・費用対効果の高さからすれば、特に以下の単語・概念が優先順位の上位に位置付けられよう。:

夜 / 台所 / 炊飯器 / 米 / 無洗米 / 研ぐ / タイマー / 翌朝 / ご飯 / 炊き上がる / 炊けていない / 朝の支度

このうち、例えば「米」と「無洗米」はほぼ似ている、近い概念のため、一括りにしてしまっても良い。あるいは、上述のように分解が行き過ぎであるならば、分解の程度をもう少し後退させ、例えば「夜 / 寝る」と分解せず、「夜寝る前」で一つの文節・概念として扱った方がより良いと考えられる。



ここで、そもそも結び付けの必要度、費用対効果による優先順位が生じる理由について触れておきたい。

上述の各単語・概念のうち、例えば「夜」「仕事」など、上位に位置付けなかったものは、意味する対象が広い、もしくは比較的概念として抽象的で漠然としていて、他の様々な失敗事例などといくらでも結び付けやすいと言える。他にも様々な失敗事例と関係する単語・概念との結び付けを重ねてゆくと、「夜」なら夜などの単語から逆算的に連想されるべき事例内容が多くなり過ぎ、確実に必要な場面で連想しづらくなってしまうと考えられる。

逆に、例えば「炊飯器」「台所」などは意味する対象が狭く、比較的かなり具体的ではっきりとした概念であるため、上述の失敗事例など、結び付けられうる内容は比較的少ないと言える。ということは、上述の逆で、様々な事例と関係する単語・概念との結び付けを重ねても、結び付けの事例内容は比較的少ないため、逆算的な連想をより確実に行えるようになり効果的と考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(13)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性、特に発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因するエラーを撲滅するために考察と実践を行ってゆくものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、情報のインプットの過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

前回までに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきた。今回もその続きを説明したい。



(5) 員数管理

前の手順(4)において、失敗事例を細かく文章化し、さらに文節毎に分解して、その文節の中の個々の概念と当該事例とを結び付けて記憶することで、失敗事例を様々な場面で思い出しやすくするようにした。

失敗事例が少なければ、それだけでも十分であろうが、対象となる失敗事例が増えてきた場合、一つの概念(例えば「台所」など)に対していくつもの事例を結び付けなければならなくなる。そうなると、一つの概念を想起した際に、結び付けられているいくつもの事例のうち、いくつかはどうしても抜けが出やすくなり、全てを毎回確実に連想しにくくなってしまう。



そこで、その対策として、別の記憶法、チェック法を用意しておくことにする。具体的には、「員数管理」と言って、例えば台所なら台所の概念に結び付けられた事例が合計で何個あるかを意識しておくという手法である。

これは、産業界などでミス・抜け防止のために広く導入されている手法の一つで、例えば何かの機械のメンテナンスを行う際に、点検すべき箇所が何か所、あるいは作業後に工具置き場に戻すべき工具が何個と、個数を意識して作業を行うことで、抜けを防止するのに非常に有効なものである。



(次の記事(14)に続く)

by なさ


● うっかりミス等の撲滅(14)


ここでは、前記事(13)で述べた手順(5)の続きを説明したい。



産業界などでミス・抜け防止に有効な員数管理の手法を日常生活のミス防止にも積極的に応用してゆきたい。その実践にあたっては、以下のような手法が考えられる。

例えば「炊飯器」に関係する失敗事例が3つあったとする。その場合、単に炊飯器=3つと記憶するだけでもある程度は効果的ではあろうが、様々な概念に対して〇〇=XX個と記憶していると、個数そのものを混同したり勘違いすることは十分考えられる。

そこで、炊飯器なら実物の炊飯器の上部あたりに3つなら「3」などと数字をメモして貼っておくのが良いと思われる。なぜなら、このようにしておけば、後から別の失敗事例が追加された場合にも「3」を「4」と書き換えれることで、員数管理に起因しての間違いは起こりにくくなると考えられるからである。



とはいえ、結び付けの対象となる概念が炊飯器のように実在する物体とは限らない。例えば「朝」などの抽象的な概念の場合、メモを貼り付けようがない。また、対象が特定の人物(例えば「母」など)の場合、当たり前だが、その人物にメモを貼っておくわけにもいかない。

そこで、一日の予定表などのひな型を紙のメモかパソコンのメモ帳かに作成しておき、そこに代わりに書き込むようにして、そのメモを頻繁に見ながら行動する癖を付けるようにすることが有効と考えられる。例えば「朝」ならば、予定表の時間軸の朝の時刻付近に「3」などの数字を書き込むにするのである。

ここで、どうせメモを見ながら行動するのならば、朝の時刻付近に失敗事例そのものを書き込んでおけば良いとも言える。記入スペースに余裕があるならば、それに越したことはないだろうが、事例が多い場合、そのメモの中に書き込める量にも限度があろう。そのようにメモへの記入量の節約という面でも上述の方法は有効と考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(15)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込みといった短所的特性、特に発達障害者に特有の、いわゆる認知の歪みに起因するエラーを撲滅するために考察と実践を行ってゆくものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

前回までに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。今回もその続きを説明したい。



(6) 一筆書きの流れを作る

今回は、前回の手順(5) 員数管理と併せて行うことで、より効果的と思われる手法をご紹介したい。

一連の作業を抜けなく、間違いなく確実に行うためには、その一連の作業を定例の流れ、パターンとして予め定義して、毎回それに沿って実施すると効率的である。

その際、例えば台所で炊飯器のセットを行う際、まず炊飯器のコンセントがきちんとささっているか、釜に米がセットされているか、タイマーが正しい時刻にセットされているか、タイマーがオンになっているか等の各手順を、コンセントやタイマーボタン等の場所をいちいち指で触り、なぞりながら確認するとより効果的と思われる。これは「基本動作」と言って、企業の作業現場などで安全性向上のため、員数管理とともに経験則的に培われた手法の一つである。

さらに言えば、指で触り、なぞる手順をできるだけ最短の一筆書き状にし、確認箇所があちらこちらに飛ばないようにしておくと、より効率的かつ確実である。



(次の記事(16)に続く)

by なさ


● うっかりミス等の撲滅(16)

ここでは、前記事(15)で述べた手順の続きを説明したい。



(7) 一つ一つを3〜5秒指差して確認

これもまた産業現場等で経験則的に培われた手法の一つであり、かつ手順(5)〜(6)と併せて行うことでより効果的と言えるものである。

一つ一つの項目をチェックするにあたり、指差確認はヒューマンエラー防止に極めて有効な方法であるが、その指差確認も漫然と無意識的に行っていると、確認が確認にならなくなってしまう。

そこで、一つ一つの確認項目につき、必ず一つあたり3〜5秒間、対象を指差しするというルールを導入する。これにより、悪い意味での漫然とした無意識的流れ作業に陥るのを防ぐ効果が期待される。効果の理由として、対象を数秒間指差し続けることで、無意識的な状態から脱して意識的に確認対象に注意力が向きやすくなるためと考えられる。

さらに言えば、これは産業現場でというよりも小生自身のこれまでの経験則で言えることだが、一連の確認項目の中で、これまでの実績の上で特に抜けやすい項目については、3〜5秒ではなく10〜20秒程度と指差し時間を長くすることで、より確実性が増すと考えられる。



なお、この10〜20秒指差しの効果の理由は、上述の3〜5秒間指差しのそれ、即ち3〜5秒ないし10〜20秒間確認対象を固定的に指差し続けることで無意識的な状態から脱する効果に加え、もう一つ挙げられる。それは、小生独自に唱えるノウハウ・見解であるが、トランス状態に入りやすくなるという効果である。それを以下で少し詳しく述べる。

以前に精神状態の安定化、ならびに自己暗示のためトランス状態に入ることの意義・方法論を述べた。即ち、10〜20秒間目の前にある任意の対象をボーっと見続けることで、トランス状態に入りやすくなり、それにより、落ち込んだ気分などの悪い精神状態の改善になる他、自己暗示にかかりやすくなるというものである。

ここからは小生独自の新たな知見であるが、トランス状態に入ると、不思議と周辺の視界に対する注意力、観察力が増すのである。つまり、普通の状態で居ると何となく見過ごしてしまうような視界の中での動きなどに、気付きやすくなる。

例えば、車を運転している際、運転中に先方を注視し続けることでトランス状態に入ることがしばしばあるが、その状態で運転を続けると、対向の車や沿道の建物等、普段なら特に興味関心もなく注意も向かないような対象の存在や変化に不思議と気づきやすくなるのである。

何故そのような効果があるのかは、少なくとも今現在は精神医学や臨床心理学(の一分野としての催眠)の正しい知見を持ち合わせていないので何とも言えないが、少なくとも言えるのは、経験則的に確実に効果があるということである。


● うっかりミス等の撲滅(17)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。今回もその続きを説明したい。



なお、これらの手順につき、当初は様々なエラーを効率的、体系的に整理するという狭義の意味での手順として説明してきたが、前号(15)の手順(6)あたりからは日々のエラーを防止するための確認手順という意味合いが強くなってしまったように思う。その点を筆者である小生自身がやや混同していたので、その点をお詫びするとともに訂正させていただきたい。

エラーの効率的、体系的な整理までの段階(狭義の意味)で一旦話を止めても良いが、折角なので、日々のエラーを防止するという広義の意味での手順として引き続き説明してゆきたい。なぜなら、日々のエラーを防止するための前段階として、エラーの効率的、体系的な整理(ラベリング分類)を位置付けており、両者の意味には包含関係にあるためである。



(8) 途中途中で何かエラーが無いかと意識する

この手順も、前回までに挙げた(7)等と併せて行うようにすると効果的であろう。事ある毎に、「つい今の自分の言動は本当に大丈夫か?」と自問自答するようにするのである。

ここで、「事ある毎に」とは、基本的には、できるだけ短い間隔であればある程良いが、理屈の上ではあまりに極端に短いと他の手順を実行できなくなってしまうので、例えば15分おき、30分おき、あるいは特定の場所、場面で思い出せるようにできれば理想的と考えられる。

小生個人の経験則として言うと、この手順(8)を単体で行っても、漠然とし過ぎてしまい、意外とあまり効果はないと思われる。逆に、他の手順も適宜行っている前提で「大丈夫か?」と意識すると、抜けやすいと予め問題意識を持った特定の言動等を優先的に想起できるようになり、効果的と思われる。



● うっかりミス等の撲滅(18)

ここでは、前記事(17)で述べた手順の続きを説明したい。



(9) 意識の状態遷移のループを作る

これは特に上述の手順(8)と併せて行うことでより効果的と言えるものである。



小生自身の経験則でもあり、かつ世の中一般の方々にとっても半ば当たり前な話かもしれないが、人間は何かを意識するという場合、一つの物事しか同時に対象にすることはできない(一方で、いわゆる無意識的に、厳密に言えば潜在意識的には複数の物事を同時に意識することはできよう)。

この原理原則に従えば、注意を向けるべき対象があったとして、それ以外に意識が行ってしまった場合、その注意を向けるべき対象から意識が逸れることで、何らかのミスが起こると言える。小生のように意識が比較的次から次へと飛びやすい者にとっては、これがミス頻発の根幹の原因の一つと言っても過言ではない。



ずっと一つの対象に意識を向け続けられれば良いだろうが、どうしても意識が次から次へと飛びやすいのであれば、発想を転換させ、一度飛んだ意識をしばらくして元の対象に戻すように工夫すれば良いと考えられる。再度他に意識が飛んだとしても、またしばらくして元に戻すようにする。いわば、意識の状態遷移のループを作るのである。

その発想に基づき、小生は状態遷移ループを作るよう自ら訓練・実践してきた。日々の仕事の中でルーチンワークを繰返す場面が多いため、そのルーチンに上手く組み込む形で、何か月もかけて徐々に意識の状態遷移ループを作れるようになった。仕事の上での極めて重要なチェック事項につき、今ではタイマー等の補助ツールを使わなくとも、自分自身の時間間隔としてほぼ必ず15分なり30分おきにそのチェックを欠かさず行えるようになったのである。


● うっかりミス等の撲滅(19)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法についても触れてきた。今回もその続きを説明したい。



(10) 一つ一つの言動を分解して意識する

この手順も、前回までに挙げた(5)〜(9)、特に「(8) 途中途中で何かエラーが無いかと意識する」と併せて行うようにすると効果的であろう。むしろ、(8)を単独で漠然と大丈夫かと自問自答するよりも、この(10)を組合わせることで大丈夫か否かの検証対象がより具体的になる効果もあると考えられる。

炊飯器のタイマーをセットする、かかってきた電話に応対する等々、日常のあらゆる時々刻々の自分の言動につき、419〜420号の(2)〜(4)で述べた文節に分解する要領で、徹底的に細かく分解して意識してみるのである。自分の発した言葉について、何という言葉を何秒かけて、どのような言い方(速さ、イントネーション等)で発したか、あるいは手足や視線等の動きならば、右手をどの位置からどの位置にどういう動きで移動させたか等、時系列で可能な限り細かく意識(可能ならば記録)する。いわば、自分そっくりの精巧なコピーロボットを製作するために自分自身の言動を模写するような感じである。

<

● うっかりミス等の撲滅(20)


ここでは、前記事(19)で述べた手順の続きを説明したい。



(11) 日々の計画を事細かく立て着実に実行する

これは、これまでに述べたすべての手順を計画倒れにならず着実に少しずつ実行してゆくための最も根本的かつ必須の手順である。

いくら事細かく理屈で手順が必要と論じても、それを実行しきれなければ机上の空論に過ぎない。理屈で述べたことを体現、実行しきってこそ説得力もあるというものである。一般論として、手順が多岐に渡り、事細かくなるほど、全てを日々欠かさずに実行しきるのは容易なことではない。途中で一部または全部を忘れてしまう、または分かってはいるがやる気スイッチが入らず挫折してしまうこともあろう。



そこで、毎日朝から晩まで、ある程度細かくこなすべきタスクをリストアップし、できれば時系列で予定表に計画を書いて、できる限りその予定・計画通りにこなしてゆくことが必須でないかと改めて考える次第である。

なお、「改めて」と言ったのは、もうかれこれ7〜8年前になるが、2011年頃のある時期、ふと一念発起して、一日の予定表を事細かく書いてその通りに実行してみたことはあったからである。当時は数日続いて段々と挫折してしまったが、7〜8年ぶりに改めて挫折対策の上で再度実行してみようということでもある。

これまでに述べたすべての手順だけでなく、日々の小生の仕事の各タスク、さらには、このメルマガの原稿執筆・編集作業自体もその計画の中に組み込み、着実に実行してゆきたいと思う。



因みに、このメルマガの小生担当箇所、即ち小生自身の原稿の考察・執筆、ロクスケ委員長から頂戴した原稿や編集後記を挿入させていただく形でのメルマガの下案編集とロクスケ委員長への提出(最終段階のメルマガ発行自体は、ロクスケ委員長に一貫して行っていただいている)につき、前号発行日には次号分を提出する流れで来ているが、ここに来てズルズルとずれ込み、本号の提出は前号から1週間も遅れてしまい、委員長にご迷惑をおかけした。

ここ最近続けて仕事に追われ、残務を終えるのが午前0時を回ることも少なくなかったが、睡眠時間も十分に確保できておらず、全体的にもっと効率的にこなすための改善の必要を強く感じていた。そのためにも、この(11)の体現は必要不可欠と言える。


● うっかりミス等の撲滅(21)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法についても触れてきた。その上で、前回の最後にそれらの手順を日々確実に実行するため、日々の計画を細かく立て実行することの必要性を述べた。今回は、前回の予告通り、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



お恥ずかしながら、前回の記事執筆から丸2週間経過したが、その計画立案〜実行についてまだ綿密、完璧には実行できていない。頭の中で「今日はこの後〇〇をしよう」という簡単な計画を考えることは度々あった。以前に思い立って日々の計画を事細かく立てて実行してみた2011年頃と同じではあるが、たとえ頭の中で大まかにでも、予定を立てることは、時間を効率的に使い、一定の緊張感を持って日常生活を過ごせることは改めて実感できた。その点は(2011年の繰返しだが)自分の中では成果と言えば成果である。

だが、明示的に書き出してという次元までは実行できなかった。その点は自らを律するためにも正直にこの場で報告したい。その上で、また次号で実行できなかった旨を述べるのは進歩がないので、次の原稿(22)において、この先2週間の計画を事細かく立ててみたいと思う。



(次の記事(22)に続く)

by なさ



● うっかりミス等の撲滅(22)


ここでは、前記事(21)の続きとして、この先2週間の計画を立ててみたい。

最近の小生の仕事・私生活の両方を含めた日常生活の上で、欠かせないタスク、重要課題がいくつもある。普段は今回は採り上げない仕事の主要タスクに追われているが、普段からなかなか時間を十分割けてない、またはついつい取組みが遅れていると問題意識を持っているものがいくつもある。それをここでは採り上げたい。大まかには以下の8点である。

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

最後の本メルマガに関するタスクは、上述の(A)〜(G)と比べて別格という意味で「(S)」即ちSpecialのSとした。どうしても仕事関係が多いが、(7)は健康管理という意味で無視できない問題であり、最低6時間は意識的に確保したいため、この中に含めた。

まず、最低限として(G)は6時間は常時確保したく、目安として毎日深夜0時までに就寝したいと思う。その上で、(E)・(F)を併せて毎日30分ずつ、(A)〜(C)を日替わりで同様に毎日30分ずつ、加えて(D)は所要時間は特にここでは決めないが、原則として毎日きっちり仕上げることにしたい(現状では、細部を仕上げないまま終わりにし、後日時間のある時に遡って仕上げることが多い)。

Specialとした最後の(S)は、原則として毎週木・日曜に原稿を1つ仕上げる、または下案編集作業を行うこととしたい。ここ最近は本来の自ら設けた締切よりも1週間程度遅れていることから、その遅れを取り返せるよう、着実に実行してゆきたい。さしあたり、6/7(木)には次号426号原稿を1つ仕上げたい。


● うっかりミス等の撲滅(23)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法についても触れてきた。その上で、前回の最後にそれらの手順を日々確実に実行するため、日々の計画を細かく立て実行することの必要性を述べた。今回は、前回の予告通り、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



前回記事の執筆仕上げ日である6/3(日)から早10日間経過したが、正直に申し上げて前回〆切を宣言した6/7(木)の段階で別格の「(S)」とした本メルマガ記事の執筆を少なくとも1通分仕上げることができなかった。その点につき、(小生の勝手な受け止め方ではあるが)ロクスケ委員長により大変良い意味で厳しく有難いご対応をいただいており、今一度自らを律しなければと思った次第である。

(このように堂々と本メルマガ記事の執筆仕上げが遅れている状況では尚更、大変言い訳苦しいが、)前回の頭の中での計画立案〜実行という実績からすれば、ほんの少しは進歩したとは言える。具体的には、前回挙げた(A)〜(G),(S)のうち、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」を本記事執筆日6/12の前夜に仕上げることができた。また、「(E) 職場の掃除」についても本日までにかなり進めるこ とができた。(E)については、前週までは頭の中でやらなければと思っているだけであったが、週末6/9頃あたりから実作業として本格化できた。


● うっかりミス等の撲滅(24)

ここでは、前記事(23)の続きとして、前回からの挫折の反省も大いに踏まえ、この先2週間の計画を前回よりもさらに事細かく立ててみたい。なお、前回挫折しているのに更に細かい計画など実行できるのかとお叱りを受けそうだが、小生自身は計画がアバウト過ぎたことが逆に挫折の一因と考えているため、敢えてそのようにしてみた。

まず、改めてこなすべき8つの主要タスクを再掲する。:

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

このうち、(D),(E)は前回からおかげさまで進んだため、引き続き持続的に実行し続けられるよう努めたい。

具体的には、(D)については本記事執筆仕上げ日である6/12以降の毎日につき、やむを得ない日を除いては原則その日のうちに日誌を仕上げることにする。

(E)についても、毎日30分は行い続けるようにしたい。ここで、前回(E)は(F)と併せて30分としたが、双方足してと言うと、両者の内訳があいまいになりやすいことから、今回は敢えて実行できた(E)のみ毎日30分とした上で、具体的な作業内容を前夜のうちに計画することにする(この点についても次回本当にその通りに出来たかを報告したい)。なお、(F)は(E)がある程度進捗するまで一旦保留としたい。



その上で、(A)は漠然と思い立った際に頭の中で考えかけはしたが、深く集中的に思考・進捗しないまま過ぎていたため、(A)〜(C)を交代とせず、まずは集中的に(A)を毎日30分と掲げて実行に努めてみたい。(B),(C)は全く手つかずだが、敢えて欲張らず(A)がある程度進むまで保留としたい。

(G)については、前回までよりは意識的に早めに寝られるようになったが、まだ十分に早いとは言えないため、前夜までよりは30分は早く就寝するよう努めたい。

最後に、別格の(S)だが、次回記事以降、本記事のフォーマットを工夫してチェックリスト日記形式にして毎晩少しずつ記入するようにしたい。その上で、原稿1通分を毎週木曜に統一して仕上げるようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(25)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



前回426号記事の執筆仕上げは当初の目標から1週間程度遅れて6/14(木)であった。かつ、諸事情でメルマガ下案を編集しロクスケ委員長に提出するのが発行日の3日前である6/21(木)になってしまった。本記事はその反省もあり、前号下案提出の6/21に引き続いて執筆している。おかげさまで、前々回挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、ある程度の進捗を見ることができた。今回はその点について特に詳細に触れたい。



● うっかりミス等の撲滅(26)


ここでは、前記事(25)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。:



まず、(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えしたが、その通りに(A)のみをこの1週間は持続的に進められた。まだ頭の中で大まかな(一部は細かく)全体的な案を考えている段階だが、だいぶ案としては固まってきた。引き続きそのペースで進めるとともに、頭の中で考えるのみならず、そろそろ手を動かして物を作る実作業に移行したいと思う。これまでは毎日30分と時間的な目標のみであったが、次号までの新たな目標として、頭の中で案を固めるのを今月中には完了させたい。次号までにその通りに出来たかを正直に伝えたい。

(D)については、引き続き毎業務日ともその日のうちに細かく仕上げられている。その日のうちに仕上げられる快感を得られている点が大きな原動力となっているように感じている。また、その日のうちに仕上げねばとの緊張感から、昼間の業務中から夜までに仕上げられるよう、僅かなすき間時間で日誌に前倒しで細かく書き込み始めている点も大きい。引き続きこのペースを維持したい。

(E)についても、毎業務日にきっちり30分とは行かなくとも、優先すべき業務の合間に少しずつ進められている。自宅の一角と同様、見通し良く、分かりやすくシステマチックな整理の仕方に対しての快感、期待感を持てるようになったことが少なからず大きいと考えている。これまでに、今現在使用している書類と古い書類とを分類し、古い方を(こちらはある程度分類整理も粗雑なままでも)倉庫にしまうところまで出来た。次回までに、今使用中の書類につき、毎業務日にできれば1種類(所要時間的には最大で30分)ずつジャンル別に書類をファイルに分類整理するようにしたい。

(F)は元々毎週日曜に定例で行っているが、(E)に次いで普段から少しのすき間時間で出来ることを進めるよう意識し、実際少しずつだが出来ているので、それを継続したい。できれば、平日のすき間時間に何をどれだけ進めるかを次回までにリストアップし、計画表としてまとめたい。

最後に(G)について。前回までよりは、平均して30分までは行かないかもしれないが、早く就寝できるようになってきた。特にここ1週間のうち1日程度は23時台に就寝できた。昨晩は仕事が一段落せず、止む無く就寝がだいぶ遅くなったが、今晩以降はできるだけ改めたいと思う。今後の目標としては、毎日何時何分に起床し、何時何分に就寝したかを記録してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(27)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



前々回426号まで続けて原稿提出が遅れた反省もあり、前回427号記事の執筆を当初の目標通り6/21(木)に仕上げることができた。今回もそのペースを維持すべく、本記事を7/5(木)に執筆できている。かつその上で、前々回挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回以上にかなりの進捗を見ることができた。今回もその点につき詳細に触れる。


● うっかりミス等の撲滅(28)

ここでは、前号記事(26)と同様に、前記事(27)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えしているが、今回もその通りに(A)のみをこの1週間は持続的に進められた。まだ頭の中で考えている段階だが、前回までは大まかな全体案の段階であったが、今回はかなり細部まで考えを進められ、ほぼ案としては固まった。前回記事では6月中には頭の中で考える段階を終えたいと宣言したが、それよりも1週間程度遅れるものの、そろそろ頭の中で考えるのみならず、手を動かして物を作る実作業に移行したい。

本記事を執筆している7/5(木)の段階では、仕事の実作業で締切の近い重要な別のタスク(これは上述のリストには含めていない)があるため、まずそれを最低限の余裕を持って(できれば本日7/5(木)中には完了させ、その上で来週7/12(木)頃には既に実作業に着手している状態でいることを目標としたい。

(D)については、引き続き毎業務日とも、良い意味での緊張感を持って、その日のうちに細かく仕上げられている。のみならず、前日7/4(水)分については、その前日7/3(火)夜に少し時間があったことから、先に素案として下書きできるところまでしておいたため、たまたま7/4(水)夜は他のタスクに時間を要したが、その分短縮した時間で(D)を仕上げられた。引き続き、このペースを維持したい。

(E)についても、正直に言って前回よりは割ける時間が減ってしまったが(主に(A)に時間を優先的に割いたため)、毎業務日にきっちり30分とは行かなくとも、引き続き、優先すべき業務の合間に少しずつ進められている。前回宣言した目標、即ち、今使用中の書類につき、毎業務日にできれば1種類(所要時間的には最大で30分)ずつジャンル別に書類をファイルに分類整理することについては、何とか前日7/4までに1種類はできた。やや実績としては目標よりも遅れてはいるが、引き続き目標通りに実行できるよう努めたい。

(F)は残念ながら前回から進展はなく、定例通り日曜に最低限の掃除を行っている程度である。前回の目標、即ち平日のすき間時間に何をどれだけ進めるかを次回までにリストアップし、計画表としてまとめるという取組みは全く実行できていない。今回は特に、他の点が比較的進展していることも踏まえ、次回までの重点事項としてこの(F)の強化に努めたい。

最後に(G)について。これも残念ながら、前回までと比べ、睡眠時間が再びやや短くなってしまった。就寝時間が前回よりも最大で30分程度平均して遅くなっていることもあるが、一番は犬の散歩等のため今までよりも30分〜1時間程度早起きするようになったことが大きい(猛暑日は今までの時間帯では既に暑いため)。また、前回宣言した目標、即ち毎日何時何分に起床し、何時何分に就寝したかを記録するという取組みも、やらなければと思いつつ実行できていないため、これも(F)と同様に次回までの重点事項としたい。



今回はここまで。次回以降も引き続き上述の計画の進捗をお伝えしてゆきたい。

by なさ
● うっかりミス等の撲滅(29)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



426号まで続けて原稿提出が遅れた反省もあり、前々回427号〜前回428号記事の執筆を目標通り6/21(木)、7/5(木)にそれぞれ仕上げることができた。今回もそのペースを維持すべく、本記事を7/19(木)に執筆できている(ただし、次の記事(30)は7/20にずれ込む見込)。かつその上で、前々回挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回から引き続き一定の進捗を見ることができた。今回もその詳細に触れる。




● うっかりミス等の撲滅(30)

ここでは、前号記事(28)と同様に、前記事(29)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)のみを持続的に進めた。正直に言って、今回は上述の(A)〜(G),(S)以外のタスクに力を入れてしまい(前号執筆段階で抱えていたタスクとは別のもの。因みに、前号段階で抱えていたタスクは何とか無事終えている)、残念ながら前回まで程には進展はしなかった。かつ、6月中には頭の中で考える段階を終えたいと前々号で述べたものの、本記事を執筆している7/22(日)の前日までの段階では、頭の中で考えている段階を抜け出せていなかった。

さすがにいい加減その段階を抜け出したく、別の形ででも次の段階に移るための自らへのプレッシャーを与える工夫を行った。それもあり、本記事の執筆を進めながら、同日のうちに次の段階に必要な、重要な下調べを一つ行えた。自分で言うのも何だが、いかにも本記事の執筆において進展のアリバイ作りをするため、締切ギリギリで追い込まれて重い腰を上げたような形ではある。それは全くその通りかもしれないが、それでも何とか手段を選ばずに進展させたいとの強い思いからであり、次回以降も同様な形で無理にでも進展させてゆきたい。



(D)については、引き続き順調であり、毎業務日とも細かく仕上げられている。1ヶ月以上持続して続けられており、もはや今さらその日のうちに仕上げないと、自分として気持ちが悪い程になってきた。この(D)の成功体験を足掛かりに、他のタスクも同様な状態に何とかして持ってゆきたい。

(E)についても、ほぼ順調に進められている。毎業務日にきっちり30分とは行かなくとも、引き続き優先すべき業務の合間に少しずつ進められており、前回までよりは時間と手間を割くことが出来ている。かつ、前々回宣言した目標、即ち、今使用中の書類につき、毎業務日にできれば1種類ずつジャンル別に書類をファイルに分類整理することについては、前回は1種類であったが、今回は他の全種類も行えた。当初目標よりは遅れているが、引き続き確実に実行してゆきたい。

(F)は、残念ながら今回も前回までと同じであり、進展はしていない。前々回の目標、即ち平日のすき間時間に何をどれだけ進めるかをリストアップし、計画表としてまとめるという取組みは今回も全く実行できていない。(A)〜(E)が進展したとはいえ、いい加減次はこの(F)も進展させたい。

最後に(G)について。今回は、ほんの少しではあるが、前回までよりは睡眠時間を平均してやや長くできた。引き続き猛暑日続きであり、犬の散歩のため、起床時間は5時台であるが、就寝時間を意識的に早められた。ただ、前回宣言した目標、即ち毎日何時何分に起床し、何時何分に就寝したかを記録するという取組みはまだ実行できていないため、これも(F)と同様にいい加減実行に移したい。


● うっかりミス等の撲滅(31)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



426号まで続けて原稿提出が遅れた反省〜前々回427号〜前回428号記事の執筆を目標通り早めに仕上げることができたが、前回429号の執筆はまたも少しだけ後退してしまった。その反省から、本430号記事は、意識的にかなり早めに仕上げることにした(発行予定日8/19(日)に対し、執筆日7/29(日))。

その上で、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回から引き続き一定の進捗を見ることができた。特に今回は、(A)について比較的大きな進展があった。次の記事でその詳細に触れる。


● うっかりミス等の撲滅(32)

ここでは、前号記事(30)と同様に、前記事(31)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。なお、前記事(31)は前号429号発行日の1週間前7/29(日)に仕上げられたが、本記事の執筆を仕上げられたのは結局、前号発行日8/5(日)になってしまった。その点は大いに反省したい。




まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)のみを持続的に進めた。これまで、6月中には頭の中で考える段階を終えたいと言いつつ実行できないでいたが、前号で宣言したことも大きく、前記事を仕上げた7/29(日)直後にようやく実作業段階に移行することができた。その点は小生としてはかなり大きな一歩であり、前進である。本記事を仕上げた8/5(日)も記事の仕上げ作業着手前に(A)の実作業を30分程度は実行できている。

これまでの他のタスクの経験から、一度着手できれば、余程油断しない限りは継続的に取組み続けられるとは思われるが、念のため後述(D)などと同レベルを維持できるよう注力してゆきたい。



(D)については、引き続き順調であり、毎業務日とも細かく仕上げられている。既に1ヶ月半以上は持続して続けられている。一昨日8/3(金)に他の業務に追われ、久しぶりに翌日に仕上げを持ち越したが、やや大げさながら屈辱感を味わったため、その翌日中には一日遅れで仕上げられている。

(E)についても、今回もほぼ順調に進められている。当初目標は毎業務日に30分程度としたが、今現在は資料の整理が殆どであるため、途中からは事実上、毎業務日に資料5ページ分という何となくの目標に切り替わっており、その切替後の目標に沿って、引き続き優先すべき業務の合間に少しずつ進められている。未整理の資料も目に見えて減ってきており、早ければ今月中には未整理分が無くなると予想される。その後は、一旦整理した資料をさらに細分化して整理してゆく予定である。

最後に、(F)・(G)は、残念ながら今回も前回までと同様に進展していない。(F)については、427号での目標、即ち平日のすき間時間に何をどれだけ進めるかをリストアップし、計画表としてまとめるという取組みが全く未着手のままである。(G)についても、毎日何時何分に起床し、何時何分に就寝したかを記録するという取組みが今回も未着手のままである。

それでも、これら2つの未着手の取組みについて、この1週間、事ある毎に「いい加減やらなければ」と繰返し思うことはできた。(A)の実作業着手も当初目標より1ヶ月遅れたが何とか実行できたことを踏まえれば、この2つの取組みも、何度も何度も念じていれば、近いうち着手できるとは思われる。その点は敢えてやや楽観的に捉えておきたい。


● うっかりミス等の撲滅(33)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



426号まで続けて原稿提出が遅れた反省から、427号〜前々回428号記事の執筆を目標通り早めに仕上げることができたが、前回430号の執筆は1通目は早めに仕上げられたが(発行予定日8/19(日)に対し、執筆仕上げ日7/29(日))、2通目は翌週の8/5(日)になってしまい、またも少しだけ後退した。その反省から、本431号記事は、少しでも意識的に早めに仕上げることにした(1通目である本記事は発行予定日9/2(日)に対し、執筆仕上げ日8/16(木))。

その上で、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回から引き続き一定の進捗を見ることができた。今回は、上述のリストに含まれない他のタスクに時間を要したため、(A)については(最低限の進捗はあったものの、)やや停滞した。一方で、仕事がお盆休みに入る直前に(E)はタスクの進捗としてかなり大きな節目を迎え、一区切りをつけることができた。次の記事では、その詳細に触れる。




● うっかりミス等の撲滅(34)

ここでは、前号記事(32)と同様に、前記事(33)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。なお、前記事(33)は前号430号発行日の3日前8/16(木)に仕上げられたが、本記事の執筆を仕上げられたのは結局、前号発行日8/19(日)になってしまった。前号は記事1通目(31)を前々号429号発行日の1週間前に仕上げられており、その点で前号よりも更にやや後退である。その点は大いに反省したい。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)のみを持続的に進めてはいる。長らく頭の中で考える段階に停滞したがようやく脱し、実作業段階に移行できたが、前号記事執筆後からは、上述の(A)〜(S)以外の他のタスクをやることになり、そのままお盆休みに入ったこともあり、2週間前からはあまり進んでいない(ごく数日は少しだけ進められた)。

前回、「一度着手できれば、余程油断しない限りは継続的に取組み続けられる」と述べたものの、理由はどうあれ、残念ながら結果だけ見ればやや後退しており、その点で再度盛り返す必要があると痛感している。言い分けながら、上述の「他のタスク」とは、自分の中では(A)〜(S)よりも優先的に行うべきと理性的に判断されるものではあるが、それならば前号直後にそれを宣言すれば良かったはずであり、計画性という面で厳しく見ればやや難があると言わざるを得ない。今後は、そのような場合には前号の段階で事前にやむを得ない停滞をできるだけ宣言するようにしたい。



(D)については、お盆前までは継続して順調であるが、お盆休み明けからは、完全な仕上げが毎業務日ともできないでいる。お盆明けで他の主要タスクが一時的に多くなったことが直接の原因ではある。だが、厳しく見れば、その一時的な業務量の増大は十分に予見できるものであり、お盆休み中(または前)に予め出来る範囲を準備しておけば、十分に時間を確保できたと考えられるため、今後は休日、特に連休前には出来る範囲を準備しておくようにマイルール化しておきたい。

(E)については、前号(33)でも触れた通り、今回最も進歩した箇所である。当初計画よりも前倒しで未整理分を全てお盆前に片付けることができたことは、自信を深めることにかなりつながったと確信している。今後は、次の段階である、一旦整理した資料をさらに細分化して整理してゆく段階に移行する予定であるが、一段落した安心感からか、まだお盆休みから数日経った8/19段階で次の段階に移行できていない。今月中には着手できるよう努めたい。

最後に、(F)・(G)は、残念ながら今回も前回までと同様に進展していない。単刀直入に言えば、内容についても代り映えしないので、記述は敢えて省略したい。


● うっかりミス等の撲滅(35)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



426号まで続けて原稿提出が遅れた反省から、427号〜428号記事の執筆を目標通り早めに仕上げることができたが、前々回430号の執筆は1通目は早めに仕上げられた(発行予定日8/19(日)に対し、執筆仕上げ日7/29(日))。だが、2通目は翌週8/5(日)になってしまい、再度少しだけ後退した。その反省から、前回431号に続き、今回432号記事も少しでも意識的に早めに仕上げることにした(1通目である本記事は発行予定日9/16(日)に対し、執筆仕上げ日8/30(木))。

その上で、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回に続き一定の進捗があった。今回も、上述のリストに含まれない他のタスクに時間を要したが、(A)については前回よりは最低限進捗できるよう努めた。加えて、お盆休み直前に一段落し、その次の段階の開始が遅れていた(E)についても、少しずつだが進み出すことができた。次の記事では、その詳細に触れる。



(次の記事(36)に続く)

● うっかりミス等の撲滅(36)

ここでは、前号記事(34)と同様に、前記事(35)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。なお、前記事(35)とともに本記事(36)も前号431号発行日の3日前8/30(木)に仕上げられており、前号より改善した。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)のみを持続的に進めてはいる。頭の中で考える段階を7月中にようやく脱し、実作業段階に移行できたが、前々号記事執筆後からは、上述の(A)〜(S)以外のタスク(以下「(E')」)を進めることになり、8月以降は残念ながらあまり進んでいない(言い訳苦しいが、(E')はおかげさまで特にここ1週間程度でかなりの進捗を見た)。

「一度着手できれば、余程油断しない限りは継続的に取組み続けられる」と前々回述べた割には停滞した反省から、前回の宣言通り、やむを得ない停滞の場合はその旨を予告すべく、次回以降もしばらくは(A)は細々と進めることにしたい。



(D)については、この2週間では、ほぼ毎業務日ともその日のうちに仕上げられているが、これも(A)と同様に(E')を優先してきた結果、その日のうちに仕上げられない日が数日あった。その点は改めて反省するとともに、事前の休日等にできるだけ準備しておくよう対策したい。

(E)については、お盆休み前に未整理分の分類整理を完了し、お盆明け直後は次の段階への移行が停滞したが、おかげさまでこの2週間は少しずつだが進捗した。上述の(E')とは、当初は直接(E)とは関係ない次元のものであったが、進めるうちに結果的に(E)に間接的に関係するタスクになったので、改めて(E')と呼ぶことにした次第である。その通り(E)に間接的に関係するため、(E')を優先的に進めることで、結果的に(E)も(これまでとは異なる方向性から)進捗することが期待される。そのため、当面は(E)自体も細々と進めはするが、敢えて(E')を優先したい。

最後に、(F)は今回も進展していないが、(G)についてはお盆明け以降に進捗があった。スマホで就寝・起床時刻を毎日記録する取組みを始めた。まだ純粋に失念してしまう日もポツポツあり、完全に癖を付けられるまでには至っていないが、徐々に毎日確実にできるよう工夫と努力を続けたい。



● うっかりミス等の撲滅(37)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



これまで、特に426号まで続けて原稿提出が遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。目標通りに早めに仕上げられることもある一方、特に原稿2通目の再度仕上げが遅くなってしまうことも少なくなかった。その反省から、431〜432号に続き、今回433号記事も少しでも意識的に早めに仕上げることにした(1通目である本記事は発行予定日9/30(日)に対し、執筆仕上げ日は9/13(木))。

その上で、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回までに続き一定の進捗はあった。今回も、(A)について前回と同様に最低限進捗できるよう努めた。加えて、お盆休み以降に次の開始への取組みが遅れていた(E)についても、少しずつだが進み出すことができた。次の記事では、その詳細に触れる。


● うっかりミス等の撲滅(38)

ここでは、前号記事(36)と同様に、前記事(37)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。なお、前記事(37)は9/13(木)に仕上げられたが、本記事(38)は前号432号発行日9/16(日)になってしまった。再度、前号よりやや後退してしまったため、その点は次回また改善を目指したい。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)のみを持続的に進めてはいる。7月末から頭の中で考える段階を脱して実作業段階に移行できたものの、430号記事執筆後からは、上述の(A)〜(S)のうち後述(E)に間接的に関係するタスク(以下「(E')」)を進めることになり、8月以降は残念ながらあまり目に見えて進んではいなかった。前号までの記事で停滞中の旨を繰返し述べる度意識できたこともあり、この2週間は、まだまだ少しではあるが、前回よりは少し進展させることができた。引き続き、たとえ細々とでも少しずつ進められるよう努めたい。

(D)については、前回から引き続き、残念ながらその日のうちに仕上げられていない日が度々あった。本記事を執筆している9/16(日)段階でも直前数日間の仕上げが出来ていない。前回述べた通り、この2週間も(A)と同様に(E')を優先してきた結果という面は引き続きある。その点は重ねて反省するとともに、事前の休日等にできるだけ準備しておくよう対策したい。

(E)については、引き続き、お盆休み前に仕上げた未整理分の整理の次の段階を(A)と同様に少しずつではあるが進めている。こちらは、(A)よりも少しずつだが着実に進んではいる。加えて、既述(E')を特に精力的に進めており、本記事執筆日である9/16が連休に当たることもあり、昼間の時間をできるだけ(E')に割いている。おかげさまで、(E')はかなりの進捗となり、ゴールも見えてきた。引き続き、今月一杯くらいは(E')の仕上げまで精力的に進め、その後は(A),(E)に再度時間を割いてゆきたい。

最後に、(F)・(G)とも特に進捗はないが、(G)についてはスマホで就寝・起床時刻を記録する取組みを続けている。未だ抜けてしまう日が多いものの、繰返しの意識付けになった効果なのか、徐々に早め早めに就寝できるようになってきたと感じている。引き続き、特に(G)も改善を進めたい。


● うっかりミス等の撲滅(39)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類し、まずはその1つを採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めており、その手順を回を分けて説明してきている。

421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法、かつそれらの手順を日々確実に実行するために日々の計画を細かく立て実行することの必要性も述べた。今回も前回から引き続き、その日々の計画立案〜実行からこれまでに述べた手順の実行に関する進捗状況を説明したい。



これまで、過去426号まで続けて原稿提出が遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。目標通りに早めに仕上げられることもある一方、特に原稿2通目の再度仕上げが遅くなってしまうことも少なくなかった。その反省から、431号頃から少しでも意識的に早めに仕上げるよう心掛けている(1通目である本記事は発行予定日10/14(日)に対し、執筆仕上げ日は9/27(木))。

その上で、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスク(以下に再掲:)

 (A) 広告関係の下案作り
 (B) 顧客向けの資料作り
 (C) アプリ作成(プログラミング)
 (D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ
 (E) 職場の掃除
 (F) 自宅の掃除
 (G) 睡眠時間の確保

 (S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出

のうち、別格の「(S) メルマガの原稿執筆、下案の編集・提出」以外についても、前回までに続き一定の進捗はあった。今回も、(A)について前回と同様に最低限進捗できるよう努めた。正直に言って前号までよりも若干停滞したものの、本記事を執筆するにあたり、その前後にアリバイ作り的だが最低限進めることはできた。次の記事では、その詳細に触れる。


● うっかりミス等の撲滅(40)

ここでは、前号記事(38)と同様に、前記事(39)の続きとして、前述のこなすべき8つの主要タスクにつき、前回までと同様に(A)〜(G)の順に、個々に進捗状況をありのまま正直に述べたい。なお、今回は前記事(39)とともに本記事も9/27(木)中に仕上げられた。前号までが続けて2通目の仕上げが遅くなったので、再度改善できた。引き続きこのペースを維持したい。



まず、過日(A)〜(C)のうち当面は(A)に絞って進める旨をお伝えした通り、今回も(A)を重点的かつ持続的に進めてはいる。7月末から頭の中で考える段階を脱して実作業段階に移行できたものの、430号記事執筆後からは、上述の(A)〜(S)のうち後述(E)に間接的に関係するタスク(以下「(E')」)を進めることになり、8月以降は残念ながらあまり目に見えて進んではいない。前記事でも触れた通り、本記事の執筆にあたり少しはアリバイ作り的に進めなければとの良い意味でのプレッシャーから、この2週間というよりは本記事を執筆している9/27(木)にある程度進めることができた。加えて、(まだ(A)も十分に進んではいないものの、)そろそろ(C)も着手しなければとの意識が不思議と芽生え、頭の中で少しだが考え始めることはできた。とはいえ、(A)を半端に放置したまま(C)を先行させるのも何なので、引き続きたとえ細々とでも(A)を少しずつ進められるよう努めたい。

(D)については、前回から引き続き、残念ながらその日のうちに仕上げられていない日が度々あったものの、翌日〜数日後には仕上げられている。実務的に問題はないものの、主に後述の(G)のため、事前の休日等に前倒しでできるだけ準備しておくよう引き続き努めたい(今回もそこまでは実行出来ていない)。

(E)については、引き続き、お盆休み前に仕上げた未整理分の整理の次の段階を少しずつではあるが進めている。こちらは、(A)よりも少しずつだが着実に進んではいる。加えて、今回も直近の週末が連休であったため、昼間の時間を有効に使って、前回よりは若干ペースダウンしたものの、(E')をかなり進めることができた。まだ現状の段階はある程度残っているが、次の段階に向けてツール類の準備も進められた。引き続き、今月一杯か来月前半の連休くらいまでは(E')の仕上げまで精力的に進め、その後は(A),(E)に再度時間を割いてゆきたい。

最後に、(F)・(G)とも特に進捗はないが、(G)についても(実行できない日もまだまだ多いが)スマホで就寝・起床時刻を記録する取組みを続けている。繰返しの意識付けにより、この2週間も少しだが早め早めに就寝できるようになってきた。引き続き、特に(G)も改善を進めたい。



今回はここまで。なお、今年に入り途中からここまで、上述のような形で執筆してきたが、年末年始に宣言した計画通りに進んでいないことも踏まえ、改めて記事の内容を見直したい。次回以降も計画の進捗はきちんと伝えるものの、表現形式を改めるとともに、中断している考察を改めて再開したい。

● うっかりミス等の撲滅(41)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、前号記事(39)の前半を参照されたい。今回からは、前号までの重複内容を省き、新規に執筆する内容のみで極力記事を構成してゆきたい。併せて、考察についても今回から再開したい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。目標通りに早めに仕上げられることもある一方、特に原稿2通目の再度仕上げが遅くなってしまうことも少なくない。今回も少なくとも1通目である本記事だけでも早めに仕上げようと心掛け、本号435号発行予定日10/28(日)に対し執筆仕上げ日は10/11(木)であり、前号までと同じ水準を維持できている。

今回も前回から引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況をまず本記事でお伝えしたい。今回も、「(A) 広告関係の下案作り」、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除 および (E') 間接的に(E)に関係するタスク」、「(F) 自宅の掃除」については、前号までと概ね同じペースであった。

ここで、(E')は細々と地道に続けているが、少しずつ形になってきており、具体的な物が着々と出来てくると、自信にもつながり好循環と思っている。この2週間は特に、他にこなすべきタスクも割り込んでくることも多く、当初の予定よりは遅れているが、来月11月くらいには(E')を完成させたいと考えている。手戻りの効きにくいタスクゆえ、(A)以上にまずは頭の中でシミュレーションを重ねてじっくり考え抜いた上で作業に移す必要があり、決して手を動かすのが遅れているのは無駄ではないと考えている。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」について、不思議とこの数日間の中で、意識的に睡眠時間を優先的に確保しなければとの思いが今まで以上に強まり、これまでの平均よりも30分〜1時間程度は早く床に就けるようになった。その点は今後もより一層早寝早起きを実践できるよう尽力してゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(42)

さて、前記事(41)で触れたように、今年春先頃まで続けていた考察を再開したい。なお、今回本記事は前記事(41)よりも3日遅れて10/14(日)中に仕上げたものである。前号までよりも既述内容が変わったとはいえ、前号は2通目を1通目と同じ日に仕上げられていたので、厳しく見ればやや後退と言える。次号は再度前号までのペースに戻したい。



さて、考察の再開にあたり、まずは(前号までのテンプレート文章の半ば焼き直しにはなってしまうが、)本シリーズ記事の最初の目的と趣旨、これまでの取組みの経緯などを以下で整理したい。

なお、前号まで1通目の記事に毎回ほぼ同じ概要説明の文章を必ず記載していたのは、いきなり本記事を途中からお読みいただいた方に分かりやすくするのと、小生自身がこれまでの経緯などを忘れないようにし、頭を整理するためであった。とはいえ、毎度同じ文章のコピーペーストで原稿の一定割合を埋めるのも、それはそれでよろしくないので、今回からその点をできるだけ改めたい。



まず、本シリーズ記事のそもそもの目的、趣旨から振り返りたい(以下、しばし 前号までのほぼ再掲内容)。:

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から

  ・情報のインプットの過程におけるエラー
  ・情報の保持・加工の過程におけるエラー
  ・情報のアウトプットの過程におけるエラー

の3つに分類し、まずは最初のインプットの過程を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感の観点から分類し、まずは視覚から順に考察を始めた。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理ための有効な方法として、ラベリング分類例を挙げてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化を進めるべく、その手順を説明してきた。421号からは、エラーの整理分析のためのラベリング分類というよりは、日々のエラーをそもそも生まないための工夫・手法として、員数管理や手順の流れを1通りにする、数秒程度の指差確認などを挙げた。

この421号あたりから、考察を進めることからだいぶ外れてきてしまっていた。無論、そもそもエラーをしないための工夫は、本記事の大元の趣旨には十分に沿ったものではあるが、考察の話とごちゃごちゃになってしまった点は反省したい。改めて、年始414号の(2)記事で述べたPDCAサイクルに則り、ここ最近の小生のエラーに関する現状も交え、これまでの話を一旦整理することにする。


● うっかりミス等の撲滅(43)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も前号と同じく、前々号434号までの重複内容を省き、新規に執筆する内容のみで極力記事を構成してゆきたい。併せて、考察についても再開する。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。目標通りに早めに仕上げられることもある一方、特に原稿2通目の再度仕上げが遅くなってしまうことも少なくない。少なくとも1通目である本記事だけでも早めに仕上げようと心掛けているものの、残念ながら、本号436号発行予定日11/11(日)に対し執筆仕上げ日は前号435号発行日10/28(日)であり、前号までよりもやや後退してしまっている。その点は反省するとともに、せめて前号までの水準に戻してゆきたい。

今回も前回から引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況をまず本記事でお伝えしたい。今回も、「(A) 広告関係の下案作り」、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」については、前号までと概ね同じペースであった。(A)・(E)は正直に申し上げて、後述のように(E')を優先するため、正直に申し上げてあまり進展していないが、(E')仕上げ後に再度注力してゆきたい。なお、「(F) 自宅の掃除」については、最近お掃除ロボットを購入し、家の中の殆どの床面や畳の面を自動で掃除させられるようになったため、そもそも(F)に時間を割く必要が少なくなっている。

前回までと同様、(E')は細々と地道に続けている。この2週間の間は、やむを得ず(A)〜(S)以外の別の業務に時間を割く必要が生じたこともあり、やや停滞したものの、本記事仕上げ日である10/28(日)はある程度まとまって進められ、おかげさまで段々と目に見える形になってきたのが嬉しい。出来上がってくると、充実感とともに自信にもつながって、重ね重ね好循環になっていると思う。前号で宣言したように、できれば11月中には(E')を完成させたいと考えている。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」について、引き続き早く寝ようとの意識は日々高いものの、2週間前と比べ、就寝時間が少し遅くなってしまった反省はある。時間の使い方を効率化することで改善できるはずと考えており、その点の反省と改善を重ね、今後もより一層早寝早起きを実践できるよう尽力してゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(44)

前号記事(42)に続き、今年春先頃まで続けていた考察を再開して今回も続けたい。なお、今回本記事は前記事(43)よりも当初は3日遅れで11/1(木)頃に仕上げる予定であったが、考察を頭の中で整理するのに時間を要したこと、仕事の忙しさ等も重なり、結局7日遅れて発行日1週間前である11/04(日)になってしまった。ここ最近ではワースト記録であり、理由はどうあれ、その点を大いに反省したい。



さて、前号記事(42)の最後で予告した通り、ここ最近の小生のエラーに関する現状も交え、PDCAサイクルに則り、これまでの話を一旦整理することにする。

これまでの考察として、様々なエラーを効率的、体系的に整理するための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、416号からその具体的な手順を炊飯器のセットを一つの対象事例として説明した。これまでに挙げた手順は以下の通りである。

 (1) ブレインストーミング的に失敗を徹底的にリストアップ
 (2) 説明文章の精緻化
 (3) 説明文章の文節解析
 (4) 各文節・単語と失敗内容との結び付け
 (5) 員数管理

 (6) 一筆書きの流れを作る
 (7) 一つ一つを3〜5秒指差して確認
 (8) 途中途中で何かエラーが無いかと意識する
 (9) 意識の状態遷移のループを作る
 (10) 一つ一つの言動を分解して意識する
 (11) 日々の計画を事細かく立て着実に実行する

ここまで説明した後、425号記事以降は、(11)の手順に則り、日々の計画の進捗についての話を続けてきた。最初の考察の話は(5)あたりまでであり、(6)以降はエラーの効率的、体系的に整理というよりは、そもそもエラー自体を防ぐための手順の工夫に関する話にすりかわってしまっていた。

話がすりかわってしまった最大の原因は、そもそも年始の年間計画の流れ自体を途中から半ば失念していたことである。その点は今号記事の仕上げが遅れた点と併せて、大いに反省しなければならない。それに加えて、(5)の手順がエラーの効率的、体系的な整理としても有効なだけでなく、エラー自体を直接的に防ぐための手順としても有効であったことも原因の2点目として挙げられよう。これら1〜2点目が重なり、(5)の説明以降、話がすりかわってしまったと考えられる。

次号以降も考察を再開して続ける予定であるが、上述の話のすりかわりの対策として、今後1ヶ月の執筆計画を以下で予告することにする(今後もこの予告は続けたい)。:

 ・次号 437号→ 最近の小生のエラーに関する現状の報告
 ・438〜439号→ 上述(1)〜(5)各手順の再検証と別の手順の必要性
 ・440〜441号→ 上述(1)〜(5)各手順を別の様々な対象事例で実践


● うっかりミス等の撲滅(45)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、毎号の重複記載内容を極力省いた上で、まずは本記事では定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。だが、前号436号は、発行予定日11/11(日)に対し、執筆仕上げ日が残念ながら1週間前の11/04(日)とかなり遅くなってしまった。前号までよりもその点でさらに後退してしまった反省から、今回は前号発行日11/11に対して1通目である本記事を11/08(木)に仕上げた。2通目もできれば11/11には仕上げたい。



まず、今回も前回から引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、「(A) 広告関係の下案作り」、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」については、前号までと概ね同じペースであった。

前回までと同様、(E')はやはり細々と地道に続けているが、この2週間の間も、やむを得ず(A)〜(S)以外の別の業務に時間を割く必要が生じたこともあり、当初の予定よりも停滞してしまっている。本記事仕上げ日である11/08(木)の段階で、この1週間は少なくとも手を付けられていない。これまでに宣言したように、できれば11月中には(E')を完成させたいと考えている。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」について、引き続き早く寝ようとの意識を日々持っており、この1週間は比較的早めの就寝を実行できている。時間の使い方を効率化するための改善を特に意識しており、前号記事の仕上げ段階よりは少しは進捗できたと考えている。今後もより一層早寝早起きを実践できるよう尽力してゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(46)

前号記事(44)に続き、今年春先頃まで続けていた考察を再開して今回も続ける。前号記事(44)の最後で予告した通り、今回は最近の小生のエラーに関する現状の報告をしたい。なお、本記事は前記事(45)の予告通り11/11(日)に仕上げられた。このペースを今後も安定して維持してゆきたい。



さて、これまでの考察として、様々なエラーを効率的、体系的に整理するための有効な方法としてラベリング分類を挙げ、その具体的な手順を炊飯器のセットを一つの対象事例としてきた。その炊飯器のセットという事例について、ここ最近の現状を正直に言えば、この半年間ほぼノーミスで毎晩実行できている。考察を深める前に、そもそも対象事例のミス自体を殆どしなくなってしまったとは、我ながら何とも皮肉な話ではある。

とはいえ、厳しい見方をすれば、ミスは完全ゼロではなく、純粋なセットのし忘れ、およびセットはできたもののタイマーの時刻設定を誤ったことがそれぞれ1〜2回程度発生したのもまた事実である。そこで、考察をさらに深めるとともに、この事例に関するミスを完全ゼロに安定してできるよう、さらに工夫を重ねてゆきたい。



その上で、他の事例に関するミス防止の対策を試行錯誤しながら進めてきた中で、十分に有効と言える手法の存在を改めて一つ実感した。それは何かといえば、これまで何度も触れてきた自己暗示である。以下でより詳細に述べる。

犬の散歩中や家でリラックスしている時などに、意識的にトランスに入るように癖を付け、特にその際に「上手く行くんだよなぁ」「完璧にできるんだよなぁ」「色々と細かいことに気付いて、気配りできるんだよなぁ」と心の中で(できれば一人で家に居る時などに声に出して)唱えるというものである。

この手法は、これまで何度も折に触れて述べてきたことであるが、15年以上も前に臨床心理士の河野義和氏に直々に習ったものである。日々積極的に繰返し心の中で(できればトランス状態になり、声に出して)唱えるだけで、日々のミスがかなり減ることが改めて分かってきた。今後機会を見て、心の中で何回唱えるとミスの発生頻度がどの程度になるか、数字のデータとして自分自身の統計調査をしてみたいと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(47)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、毎号の重複記載内容を極力省いた上で、まずは本記事では定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。前々号436号は、発行予定日11/11(日)に対し、執筆仕上げ日が残念ながら1週間前の11/04(日)とかなり遅くなった反省から、今回も前号に引き続き、発行日12/09に対して1通目である本記事を11/22(木)に仕上げた。2通目もできれば前号437号発行日である11/25には仕上げたい。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、「(A) 広告関係の下案作り」、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」については、前号までと同様に概ね同じペース、厳しく言い換えればほぼ進捗なしであった。

前回までと同様、、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」はやはり細々と地道に続けているが、この2週間の間も、やむを得ず(A)〜(S)以外の別の業務に時間を割いており、当初の予定よりも停滞してしまっている。本記事仕上げ日である11/22(木)の段階でも、前号から続いてこの3週間は手を付けられていない。これまでに11月中には(E')を完成させたいと宣言してきたが、11/23〜25の連休を使っても難しい状況になってきたのは残念ではある。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」についても、引き続き早く寝ようとの意識を日々持ってはいるが、この2週間は前号記事の執筆段階までと比べ、再度やや遅くなってきてしまった。とはいえ、他の事情にも迫られ、時間の使い方を効率化するための改善は前回までよりも強く意識し、例えば本記事執筆日である11/22をはじめここ最近の数日は1日24時間の使い方をだいぶ効率化できてきたとの自負はある。今後もより一層早寝早起きを実践できるよう尽力してゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(48)

前号記事(46)に続き、今年春先頃まで続けていた考察を再開して今回も続ける。なお、本記事は前記事(47)で予告した11/25(日)から4日後の11/29(木)に仕上げている。またも予定より4日遅れてしまった点を重ねて反省したい。

436号記事(44)の最後で予告した通り、今回はラベリング分類の具体的な各手順の再検証と別の手順の必要性について考える。なお、この部分のみ前号までと重複するが、ラベリング分類は様々なエラーを効率的、体系的に整理するための有効な方法として挙げたものであり、各手順とは、以下の5つを指す。:

 (1) ブレインストーミング的に失敗を徹底的にリストアップ
 (2) 説明文章の精緻化
 (3) 説明文章の文節解析
 (4) 各文節・単語と失敗内容との結び付け
 (5) 員数管理

まず、これら5つと別の手順の必要性についてだが、少なくとも本記事の執筆段階では、別の手順の必要性は特にないと考えている。その上で、これら5点を再検証する。大筋の流れとしては、特に大幅な見直しの必要はないと考えるが、細かな点として、失敗のリストアップや記述に際して、前号でも述べた自己暗示の効果と絡めて一部補足というか修正したい。

具体的には、失敗事例を挙げる際、失敗のエピソードを忠実に想起・記述するのではなく、敢えてその失敗を裏返して、どうすれば良かったのかを明示的に想起・記述する方がより効果的と考えられる。

というのは、失敗エピソードそのものを繰返し想起・記述することで、その失敗をすること自体を自己暗示する形になってしまうためである。前号でも述べた通り、こうありたい、こうなれば良いという理想像を明文化して唱える、または映像的にイメージすることで、自己暗示の効果が得られる。これは裏返せば、望ましくないことを明文化、イメージしてしまえば、忠実にそのような結果を生むように自分自身の潜在意識に指令を送ってしまうことになり、全く逆効果だからである。

よって、上述の5つの手順のうち、特に(1),(4)については、このように表現を修正すべきと考える。:

 (1') ブレインストーミング的に、実際の失敗とは逆の望ましい結果を
    イメージして、それらを徹底的にリストアップ
 (4') 実際の失敗とは逆の望ましい結果をイメージし、
    それと各文節・単語とを結び付け

同様に、これ以外の(2),(3),(5)についても、失敗事例そのものではなく、実際の失敗とは逆の望ましい結果を対象にすべきということになる。


● うっかりミス等の撲滅(49)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、毎号の重複記載内容を極力省いた上で、まずは本記事では定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。特に436号は、発行予定日11/11(日)に対し執筆仕上げ日が1週間前の11/04(日)とかなり遅かった。前回438号はだいぶ改善したものの、今回439号では発行日12/23に対して1通目である本記事の仕上げは当初予定よりも3日遅れて前号発行日12/09(日)になってしまった。2通目もできれば同じ12/09には仕上げたかったが、何とか12/13(木)までには仕上げたい。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、「(A) 広告関係の下案作り」、「(E) 職場の掃除」については、前号までと同様、厳しく単刀直入に言ってほぼ進捗なしであった。ただし、(E)については年末大掃除をそろそろ行う必要があるため、いい加減手を付けねばと繰返し念じているところである。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続き当日のうち、もしくは数日以内に確実に終えられている。

前回までと同様、、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」はやはり細々と地道に続けている。ここ最近、(A)〜(S)以外の別の業務に優先的に時間を割いていたこともあり停滞していたが、それが何とか一段落し、かつ前号記事でも述べた自己暗示の効果もあってか、久しぶりに1週間前に手を付けられた。これまでに11月中には(E')を完成させたいと宣言してきたが、何とか年末年始頃までには完成させたいとは考えている。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」についても、引き続き早く寝ようとの意識を日々持っている。どうしても寝る時間が遅くなりがちのため、ここ最近は考え方を少し切替え、早く寝るというよりも睡眠時間を確保しようと心掛けている。併せて、時間の効率的な使い方を追求し続けている。ここ最近は、時間を効率的に使うことに快感を覚えてきており、好循環になっていると考えている。引き続き、より良い方向に持っていけるように工夫を重ねてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(50)

前号記事(48)に続き、今年春先頃まで続けていた考察を再開して今回も予定通りに続ける。なお、本記事は前記事(49)で予告した12/09(日)から7日後の12/16(日)に仕上げている。せめて12/13(木)にはと宣言したにも関わらず、結局1週間も遅れてしまったことを猛烈に反省したい。



さて、436号記事(44)で予告した通り、今回もラベリング分類の具体的な各手順について考える。今回は特に、前回修正した以下の2つの手順の中で、実際の失敗とは逆の望ましい結果をイメージすることに焦点を当て、小生自身の最近の経験を踏まえ、補足的に述べたいと思う。

 (1') ブレインストーミング的に、実際の失敗とは逆の望ましい結果を
    イメージして、それらを徹底的にリストアップ
 (4') 実際の失敗とは逆の望ましい結果をイメージし、
    それと各文節・単語とを結び付け

望ましい結果をイメージするという行為自体、非常に簡単なことのように思える。

だが、小生自身の経験からすれば、特に失敗を重ねて自尊心が低い、精神状態が悪い時にそれを行おうとしても、不思議と自然に望ましいイメージが浮かんでこないのである。無理にイメージを浮かべようとしても、「ダメだ、ダメだ、私はダメなんだぁ」と全力で自分自身を否定する、もう一人の自分が心の中に出てきてしまい、途中で良いイメージがかき消される、押し流される感覚に陥る。

必ずそのように全力でもう一人の自分に否定されるわけではないが、案外と望ましい結果をイメージするのは、一定の難易度があると考える。



そのようにもう一人の自分に否定されるような場合、頑張って力ずくで良いイメージを浮かべようとすると、そのもう一人の自分からの反発をより一層受けることになり、これまたかえって上手く行かなくなるのである。これは、前々から度々触れていると思うが、自己暗示の観点から言える、いわば心理学的な法則の一つである。

例えば、ヘビースモーカーが禁煙したいと思っても、無理に喫煙を力ずくで止めようとしても、かえって喫煙したくなってしまい、長続きしなくなる。それよりは、当面は喫煙なら喫煙をしてしまって構わないことにし、その代わりに喫煙をしながらでも、できれば毎回必ず「煙草を見ても平気で居られると良いんだよなぁ」と軽く思う、吸わないで居られる自分をイメージするという姿勢の方が、長期的に見て実は効果的なのである。

上述の望ましい結果をイメージするとは、その禁煙の仕方とある意味同じである。失敗なら失敗自体をしてしまっても構わないから、その代わりに、その失敗をせずに上手く行っている自分をイメージすれば、やがてはその失敗をしなくなって行くという考え方なのである。



とはいえ、そのもう一人の自分の言う通りに全力で自分を否定するネガティブな考え、イメージで頭の中が支配されてしまうと、それはそれで悪い自己暗示になってしまう。困ったものである。そのようなジレンマを解決すべく、小生自身が試行錯誤して得たひとまずの知見として、以下の3点が挙げられる。:

まず1点目は、詳細に具体的なイメージを無理に浮かべようとするのではなく、「上手く行くんだよなぁ」「完璧に出来るんだよなぁ」などと、抽象的な文を自己暗示として頭の中で(できれば声に出して)繰返し浮かべるのである。小生自身の経験則として、抽象的な内容であっても、自己暗示は少なからぬ効果はあり、なおかつ抽象的なほど、もう一人の自分に否定されづらくなるように感じている。

2点目は、もう一人の自分に否定された時、「ダメだと思ってしまうのも仕方ない。でも、どうなれば良いかと、ただ思えるだけだと良いんだよなぁ」と、もう一人の否定する自分を一旦許容、抱擁する代わりに、良いイメージを浮かべられると良いんだよなぁということそれ自体を自己暗示するようにするのである。

3点目は、自己暗示として頭の中に文を思う浮かべる、または声に出す際に、意識的にかなりゆっくりとしたスピードで行うことである。直上の2点目の自己暗示文で言えば、「ダ〜〜メ〜〜だ〜〜と〜〜思〜〜っ〜〜て〜〜し〜〜ま〜〜う〜〜の〜〜も〜〜仕〜〜方〜〜な〜〜い。で〜〜も、ど〜〜う〜〜な〜〜れ〜〜ば〜〜良〜〜い〜〜か〜〜と、た〜〜だ〜〜思〜〜え〜〜る〜〜だ〜〜け〜〜だと〜〜良〜〜い〜〜ん〜〜だ〜〜よ〜〜な〜〜ぁ」くらいの感じである。


● うっかりミス等の撲滅(51)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力しているが、うっかり忘れというよりも先延ばし癖により、前号439号は、発行予定日12/23(日)に対し執筆仕上げ日が1週間前の12/16(日)、さらにメルマガ439号の下案を仕上げ提出するのが翌12/17(月)とかなり遅かった。その反省から、今回440号では発行日01/06(日)に対して1通目である本記事は前号439号発行日より前の12/20(木)に仕上げた。2通目も同じ12/20には仕上げたい。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、前号までと同様、「(A) 広告関係の下案作り」、「(E) 職場の掃除」については、作業としては単刀直入に言って進捗なし、かつ「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続き当日のうち、もしくは数日以内に確実に終えられているといった状況である。

(A),(E)は最近ほぼ全く進捗が無い。特に(E)については、年末大掃除をそろそろ行う必要があるため、「いい加減手を付けねば」と繰返し念じていると前号で述べたが、少し軌道修正し、自己暗示の知見を踏まえ、「やらなければ、頑張らねば」と思うほど逆効果と考え、「今は手を付けられなくて構わない、でもそのうち出来れば良いんだよなぁ」と軽く念じるように心掛けている。かつ、さらにこの2週間は一歩踏み込んで、(A),(E)が仕上がった状況をできるだけ具体的に繰返しイメージするようにしている。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」についても、前号段階では他のタスクが一段落したため少し手を付けられたが、年末が近づいてきたため、年末特有の他のタスクが新たに発生し、本記事執筆段階ではやはり時間の捻出がやや難しい状況ではある。これも上述の自己暗示効果を踏まえ、「年末年始のうちに出来上がれば良いなぁ」くらいに繰返し軽く思うように心掛けている。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」についても、前号から引き続き、早く寝るというよりも睡眠時間を確保しようと心掛けている。前号で述べたように、時間を効率的に使うことに快感を覚えることで好循環を生み、ここ1週間は、仕事が休みの日も含め、何時から何時の間に何を仕上げ、次に何をするかと常々意識できるようになってきた。更に良い方向に向かえるように工夫を重ねてゆきたい。


● 昨年の反省と今年の目標

元々は定例通りに「うっかりミス等の撲滅(52)」を掲載予定であったが、年始ということもあり、予定を変更して(年始としてはこれも定例通りではあるが)昨年2018年の反省と今年2019年の目標について述べたいと思う。なお、本記事は前記事「うっかりミス等の撲滅(51)」で12/20(木)のうちに本記事を仕上げると宣言したものの、結果として4日遅れて12/24(月)になったことも正直に記す。



まず前年の反省から。昨年2018年はその前年までと比べて仕事に追われる時間が多くなり、本メルマガの記事執筆や下案の編集提出が遅れることが多くなった。仕事を遅れの言い訳にしてはならないのは百も承知だが、結果としてそのようになったことはこれまた否めない事実もである。また、主要なタスクの進捗を毎号の記事にて正直に書いていたが、昨夏頃に当初挙げていた(A)・(E)はもとより、途中から優先していた(E')ですらも秋頃から停滞するようになっていた。

強いて良く言えば、時間に追われることが多くなったことから、特に仕事中の時間経過、即ち何のタスクに何分かかるかを強く意識するようになってきたことで、少しでも効率良く動き時間と手間の消費を最小限に抑えられるようになってきた。まだまだ発展途上ではあるが、少しずつでもそのようにできるようになってきたことは自分自身にとって確実な進歩であり、自信にもつながっている。

加えて、前号記事まででも度々触れてきたが、自己暗示をより効果的に活用できるようになってきたことも大きな進歩と言える。ただ、喜怒哀楽、特に落ち込みや怒り・イライラを理性で完全にコントロールするという面ではまだまだ発展途上であり、怒り・イライラを鎮めようと努めつつもかえって増長させてしまうことも度々あったことから、その対策が急務と考えている。



以上の点を踏まえ、今年2019年は以下の点を積極的に実践し身に付けてゆきたい。

(1)時間配分の細分化

仕事の時間以外の私生活の面でも、何のタスクに何分かかるかを今まで以上に細かく強く意識し、毎日朝から晩までのスケジュールを細かく立てるようにする。学校のように時間割を作る、もしくはそれが硬直的過ぎるならば、その日のうちに何を何分かけてやるかの一覧表を作り、予定通りにこなしてゆく。時間割や所要時間を細かく規定すると、時間をダラダラ浪費することなく、集中的にタスクをこなす効果が期待できる。早速、本記事を執筆している12/24(月)の午後の予定をメモ帳に記したので、その通りに実践してゆきたい。


(2)感情(特に怒り・イライラ)のコントロール能力の向上

臨床心理士・河野良和氏の考案した感情モニタリング、ならびに自己暗示の手法を併用して、感情のコントロールをできるだけ完璧にできるよう工夫と研究を続けてゆきたい。特に、ここ最近は怒り・イライラの状態にある時に理性的な自分が感情モニタリングを試みて、かえって感情的なもう一人の自分に反発されることが多かったことから、モニタリングの方法について、同氏の著書を今一度読み返し、手法の適正化を研究してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(52)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。前々号439号は提出が遅かったが、その反省から前回440号は発行日01/06(日)に対して原稿1通目を12/20(木)、原稿2通目とメルマガ440号下案を当初より遅れたものの12/24(月)に仕上げた。今回は、発行日1/20(日)に対して原稿1通目である本通を1/4(金)に仕上げられている。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回は、年末年始で時間を通常時期よりも多く確保できたこともあり、前号まで停滞していた各タスクについて、少なからず進めることができた。「(A) 広告関係の下案作り」について、久しぶりに作業を再開し進めるにあたっての再検討を行えた。「(E) 職場の掃除」については、作業としては引き続き進捗なしであったが、後述の(E')を大幅に進められた。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続き当日のうち、もしくは数日以内に確実に終えられている。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」についても、年末特有の他のタスクが完了したこともあり、年末年始休みに入って直ちに作業を久しぶりに再開できた。かつ、この年末年始の時間を限りなくこの(E')に注ぐことができ、数ヶ月ぶりにまとまった進捗があった。年末年始のうちに完全仕上げにはならなかったものの、それの一歩、二歩手前まで進められ、自分の中でも相当な自信につながった。

これらのタスクいずれも、前号で述べた自己暗示の効果が少なからずあったと強く確信している。即ち、「やらなければ、頑張らねば」と思うほど逆効果と考え、「今は手を付けられなくて構わない、でもそのうち出来れば良いんだよなぁ」と軽く念じるように心掛け、さらに一歩踏み込んで、各タスクが仕上がった状況をできるだけ具体的に繰返しイメージするようにしたのである。

加えて、感情的・欲望的な自分をもう一人の理性的な自分の目で見つめるという、感情モニタリングの手法を改めて復習して細部の手法に気を付けながら再実践したことも大きな効果があったと確信している。この再実践の手法の細部については、後日改めて詳細に記事にしたいと思う。



最後に、「(G) 睡眠時間の確保」についても、前号から引き続き、早く寝るというよりも睡眠時間を確保しようと心掛けている。幸い、年末年始休みに入り、朝は早起きの必要が無くなったため、十二分な睡眠時間を確保できている。加えて、前号までと同様、で述べたように、何時から何時の間に何を仕上げ、次に何をするかと常々意識して時間を効率的に使う心がけを持続的に実践できていることも大きいと考えている。仕事初め以降は年末までと同様のリズムに戻ることになるが、引き続き最大限の睡眠時間を確保できるよう努めたい。

<

● うっかりミス等の撲滅(53)

前号は年末年始のため別記事に差し替えたが、前々号439号記事(50)の考察を今回も予定通りに続ける。なお、本記事は前記事(52)の仕上げ日01/04(金)から2日後の01/06(日)に仕上げられている。引き続き、このペースは維持してゆきたい。

さて、前記事(50)の後半でも触れた感情モニタリングの手法は自己暗示とともにタスクの計画的実行に効果的であることを改めて実感した。のみならず、前々号記事(50)の後半で述べた悪い自己暗示に陥らないための工夫の4点目としても同手法は効果的ではないかと改めてつい最近になり実感したのである。そこで、今回からしばらくは、同手法に重点的に焦点を当てて考察したい。



感情モニタリングについては、これまで小生の記事で過去に何度も折に触れて紹介してきたこともあり、ひとまず詳細はそれらの過去記事か同手法の考案者である臨床心理士・河野良和氏の著書などを参照願いたい(なお、今現在は同氏の著書はほぼ全て絶版のようなので、国会図書館等で閲覧することをお勧めする)。ここでは、同手法の概略を小生自身が学んだ範囲で改めて紹介したい。

感情モニタリングとは、自分の心の中に居る感情的・欲望的な自分を、もう一人の理性的・客観的な目で見つめるというものである。心の中で「今は怒っているかい?」「今の気分はどうだい?」などと呟いてみると、しばらくして「今は穏やかな気分かな」「今はちょっとイライラしているかな」等の返答が不思議と感情的・欲望的な自分から帰ってくる。こう聞くと「そんなことできるもんか」等と懐疑的に感じる方も少なくないと思われるが、不思議とそうなのである。嘘だと思ったら、是非ご自分で実践してみることをお勧めする。



その上で、特に怒りやイライラ、悲しみなどの気分状態にある際、その問いかけを1回あたりできるだけ短時間で切り上げ、代わりに(少し間を開けて)何回も問いかけることがコツである。短時間で切り上げるとは、「今の気分はどうだい?」と問い、「ちょっとイライラしているかな」との返答があったら、心臓の鼓動や頭の中がカーっとなっている等の身体感覚を短めに感じてみて、「あっそう」くらいに素っ気なく切り上げて他の物事に興味注意を向ける感じである。

個人的に、感情モニタリングを知って20年近く経つのに、今一上手く上達しなかったのは、この短時間で切り上げることが上手く出来ていなかったと反省している。イライラ気分をいつまでも1回あたり連続して長い時間味わっていると、段々と問い掛けている理性的な自分までもそのイライラに感化されるというか、客観的に自分の喜怒哀楽の感情を観察、コントロールできなくなってしまう。

短く切り上げる代わりに、間を置いて何回も(具体的な目安は7回前後)問い掛けていると、段々とイライラや悲しみなどの深いな感情が麻痺するというか、薄れてきて、感情的に中立的な、理性的かつ冷静な心理状態になってくるのである。


● うっかりミス等の撲滅(54)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。年末近くの439号は提出が遅くなった反省から、440〜441号は早めに仕上げられた。今回も、発行日2/3(日)に対し、後述の(55)を原稿1通目として1/13(日)に、本記事を2通目として前号441号発行日の1/20(日)に仕上げられている。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、年末年始を過ぎて通常体制に戻ったが、時間の使い方の効率化を進めているおかげで、前年末まで停滞していた各タスクについて、年始以降も一定ペースで進めることができている。

「(A) 広告関係の下案作り」は、年末年始よりは少しペースダウンしたが、引き続き再検討を進められた。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も引き続き当日のうち、もしくは数日以内に確実に終えられている。前号段階では当日よりも数日後に持ち越す頻度が多くなっていたが、その反省からこの2週間は当日以内に終える日が多かった点は改善点と言える。

今回は「(E) 職場の掃除」の進捗が一番大きかった。決算の時期でもあり、経理関係の書類の整理と電子データの整理などを一気に進め始められ、前年夏頃に細々と進めた書類の整理を一気に仕上げられ始めている。決算締切の強制的な制約があるため、このまま春先までの間に作業を完遂できる見込である(というか、嫌でも仕上げなければならない状況になる)。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」についても、まとまった時間を確保できた年末年始よりはペースダウンし、特に年始後に少し体調を崩したため、上述(E)の作業再開と引き換えに、作業しては一旦再度ストップしていたが、本記事執筆日1/20(日)に再度少し進めることができた。完成の時期について暗に催促する声を頂戴したこともあり、(E)とともに少しずつでも進めなければと改めて痛感した次第である。

前号と同様、これらのタスクいずれも、前号までで述べた自己暗示ならびに感情モニタリングの効果が少なからずあったと改めて強く確信している。



最後に、「(G) 睡眠時間の確保」についても、前号から引き続き、早く寝るというよりも睡眠時間を確保しようと心掛けている。前号までで述べたように、何時から何時の間に何を仕上げ、次に何をするかと常々意識して時間を効率的に使う心がけを持続的に実践できておかげで、この2週間は特に、平日でも早めに就寝できるようになってきている。このペースを持続してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(55)

今回も、前号441号記事(53)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を今回も予告通りに続ける。なお、今回は変則的に本記事を前記事(54)よりも先に01/14(月祝)に仕上げられている。発行日02/03(日)に対して実に約3週間も前であり、今までの遅れがちなペースを十分挽回できたと確信している。引き続き、このペースを維持してゆきたい。



前号記事(53)において、同手法の概要と手順を改めて説明した。今回は効果に関する補足的な説明、ならびに理論的な考察をしたいと思う。

まず、効果に関して。前回は同手法により喜怒哀楽を理性的にコントロールできると述べたが、それのみならず、例えば甘いものを食べたい、煙草を吸いたいといった欲望的な面もコントロールできるのである。つまり、禁煙やダイエットなどに十分な効果が期待できる。のみならず、飽きっぽい、短気、気が小さいなどの性格的な面の改善にも効果が期待される。その意味では、自己暗示の手法と併せて、上手くマスターすれば、かなり万能な手法ではないかと考えられる。

同手法の考案者である臨床心理士・河野良和氏の著書ならびに同氏の直接カウンセリングを受けた際に伺った話によると、同手法に頼らずとも自己暗示の手法により十分代替できるとのことであった。実際、例えば同氏の研究所のホームページ上での解説でも同手法の詳細は述べられていない。

とはいえ、小生の試行錯誤の上で得た知見としては、自己暗示の手法は効果が出るまで比較的長い時間(数ヶ月程度)を要するものであり、一方で感情モニタリングの手法は(手法自体を適切にマスターすれば)比較的短期間に効果を得ることができると言える。よって、感情モニタリング法は自己暗示の効果が出るまでの一時的なつなぎの手法、または自己暗示の効果をより強めるための補完的な手法として活用できるのではないかと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(56)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。年末近くの439号は提出が遅くなった反省から、440〜442号は早めに仕上げられた。今回も、発行日2/17(日)に対し、後述の(57)を原稿1通目として1/27(日)に、本記事を2通目として前号442号発行日の1日前2/2(土)に仕上げられている。



まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も、時間の使い方の効率化を進めているおかげで、前年末まで停滞していた各タスクについて、年始以降も比較的良いペースで進められている。

「(A) 広告関係の下案作り」は、この2週間は後述の他のタスクを優先すべく、やむを得ずストップしたが、他のタスクが仕上がり次第、追って再度手を付けたいと思う。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も引き続きほぼ当日のうちに確実に終えられている。前号までは最長でも数日以内に仕上げられていたが、この2週間は1日以内程度で済んでおり、従来よりも改善できている。

今回も年度末に近くなってきたため、前号に続き「(E) 職場の掃除」の進捗は大きいが、この2週間は後述の(E')を優先してしまった。理性的に考えれば、締切期限を踏まえると(E')よりは(E)を優先すべきであるが、馬鹿正直に言って、今回は(E)を先延ばしにしてしまったように思う。締切期限からすれば、そろそろいい加減最大限の手間と時間を(E)に費やす体制にしなければと考えている。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」については、前号で暗に催促されたことを踏まえ、(E)の先延ばしの一環でか、不思議とその直後に手を付けられ、だいぶ進めることができた。本記事を執筆している2/2(土)現在でも、自分自身の正直な心境として、(E)よりも(E')を優先したい気持ちで占められていると感じる。無理に「(E')よりも(E)を優先せねば」と強く念じると、自己暗示の面で逆効果と言えるため、上手に気が向くよう工夫を重ねたいと思う。



最後に、「(G) 睡眠時間の確保」については、今回一番進展があったと言える。前号までも早く寝るよう時間の使い方の効率化を進めてきたが、不思議とこの2週間は今までよりも更にかなり早い時間に寝ることができている。昨年から本記事で繰返し述べ、上手な自己暗示になるよう繰返し念じてきた効果がいよいよ如実に出てきたと実感している。このペースは是非今後も堅持したい。


● うっかりミス等の撲滅(57)

今回も、前号442号記事(55)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を今回も予告通りに続ける。なお、今回も前号に続き、本記事を前記事(56)よりも先に01/27(日)に仕上げられている。今回も発行日02/17(日)に対して実に約3週間も前であり、今までの遅れがちなペースを十分挽回できたと確信している。引き続き、このペースを維持してゆきたい。



前号記事(55)において、同手法の効果に関して補足的に改めて説明した上で、理論的な考察として自己暗示と並ぶ別の手法である旨を述べた。今回は、前回の予告通り、同手法は喜怒哀楽や欲望・性格面の改善になぜ効果的なのかについて考察してみたい。

そもそも論ではあるが、喜怒哀楽などの感情、性格とは、より具体的にはどのような意味であろうか。国語辞典の普遍的な説明というよりは、ここでは感情モニタリング、さらには脳科学的な観点から、より的確な説明をしてみたい。

河野氏の著書内容を拝借するならば、感情とは、例えば怒りであれば、カーっとなってムカムカするといった身体感覚の状態として説明できる。また、内向的、おっちょこちょい、怒りっぽい等などの諸々の性格・欲望的な面は、これは同氏の著書ではなく、あくまで小生個人の見解であるが、「IF〜THEN〜」(もし〜ならば、〜)のコンピュータプログラム的なコード記述で原理的に表現できると考えられる。

例えば、怒りっぽいというのは、人から何か言われる等、何らか怒る引き金になる体験をしたことで怒るわけであるから、「もし〜という体験をしたら、怒る」というように、まさに「IF〜THEN〜」の形になるのである。

同様に、何かを食べたい等の欲望的な面は、食べたい食べ物を目の当たりにする、思い浮かべる、あるいは空腹感を感じる場合に食べたいと感じるわけであるから、同様に「もし〜という体験をしたら、食べる」という「IF〜THEN〜」の形である。

おっちょこちょいな性格も、特定の状況で不適切な言動をしてしまうことと言えるから、「もし〜という状況の状況ならば、〜という言動をしてしまう」という「IF〜THEN〜」の形である。

これらの様々な「IF〜THEN〜」のコードが人間の脳内にプログラムされている状態が喜怒哀楽であり、あるいは性格・欲望でもあると考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(58)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

これまでに原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力している。年末近くの439号は提出が遅くなった反省から、440号以降、特に前回443号はかなり早めに仕上げられた。今回も、発行日3/3(日)に対し、本記事を原稿1通目として2/14(木)に仕上げられている。次の(59)も前号443号発行日2/17(日)には仕上げたいと思う。

まず、今回も前回までと同様に、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も引き続き、時間の使い方の効率化を進めているおかげで、前年末まで停滞していた各タスクについて、年始以降も比較的良いペースで進められているが、正直な申告として、この2週間、特に連休初日の2/9(土)以降は後述の(E')仕上げに没頭したこともあり、やや時間の効率化が疎かになってしまったと反省している。改めて気を引き締め、効率的な時間の使い方を追求してゆきたい。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回に続きストップしたままだが、他のタスクが仕上がり次第、追って再度手を付けたいと強く思っている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続きほぼ当日のうちに確実に終えられている。

「(E) 職場の掃除」は、前回も述べた通り、年度末近くで本来は最も時間を割くべき箇所だが、前回から引き続きこの2週間も(E')を優先し、先延ばし状態のままである。幸い、後述のように(E')は一段落したため、本記事仕上げ日2/14(木)直近の週末2/17(日)以降はいい加減最大限の手間と時間を費やしたい。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、前号から引き続き、前述(E)の先延ばしの一環もあってか、相当な時間と手間を費やせ、特にこの2週間は連休となった2/9(土)〜11(月祝)の3日間でおかげさまで大幅に進捗した。作業としてほぼ一段落と言えるレベルとなり、相当に自信を深められたと感じている。この勢いで、先伸ばし状態の前述(E)にいい加減手を付けたいが、前号でも述べた通り、「やらなければ」と念じるほど自己暗示の面では逆効果のため、上手く手を付けられるよう、イメージトレーニングを繰返すなど工夫を重ねたいと思う。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」については、前述(E')を集中的に仕上げた2/9以降は就寝時間がやや遅くなってしまい、時間の使い方の効率化とともにやや後退してしまった反省はある。(E')も一段落したため、改めて本記事仕上げ日2/14夜から早め早めの就寝を心掛けたい。



● うっかりミス等の撲滅(59)

今回も、前号443号記事(57)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を今回も予告通りに続ける。今回は前号までと異なり、以前のように本記事は前記事(58)よりも後に小生の原稿2通目として02/17(日)に仕上げられている。今回は発行日03/03(日)に対して2週間前、前号443号発行日であり、前号よりは少し後退したものの、悪くないペースではある。最低限これを維持してゆきたい。

前々号記事(55)において、同手法の効果に関して補足的に改めて説明した上で、理論的な考察として自己暗示と並ぶ別の手法である旨を述べた。今回も、前回の続きとして、同手法が喜怒哀楽や欲望・性格面の改善になぜ効果的なのかについて考察を進めてみたい。



前号では、喜怒哀楽などの感情・性格・欲望とは、あくまで個人的な仮説、見解として、「IF〜THEN〜」のコンピュータプログラム的なコード記述で原理的に表現できる旨を述べた。その前提で、今回は、感情モニタリング法や自己催眠の作用メカニズムを「IF〜THEN〜」のコード記述に関連してどのように表現、モデル化できるかについて述べたい。

まず、感情モニタリング法は、脳内にプログラムされている「IF〜THEN〜」のコードによって引き起こされる様々な感情・欲望の状態(怒っている、食べたがっている等)を打ち消す、または緩和する指令の信号を送る作用があるのではないかと考えられる。

次に、自己催眠については、脳内にプログラムされている「IF〜THEN〜」のコード自体を書き換える作用があると言える。脳内のコード自体を書き換えるという意味では、別に催眠に限らずとも、普段の平静な状態で意識的に頭の中で何か思考したり情報を覚えたりすることも広義の意味で書き換えに相当するとは言える。だが、感情・性格・欲望に関わる面の書き換えは、自己催眠を使わなければ困難、または無駄に時間と労力を要する効率の悪いやり方になってしまうと考えられる。

これら感情モニタリング法・自己催眠のいずれの仮説、見解とも、全容的に脳神経科学的なモデルとして明快に表現できるものではまだ全くないが、断片的、部分的なモデル、仮説としてそのように言えるのではないだろうか。大変におこがましいが、いずれ将来的には(時期は未定だが)全容的なモデルを仮説として提唱するくらいまでには論述を進めたいとは思っている。


● うっかりミス等の撲滅(60)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

2018年以前は原稿提出が度々遅れた反省から、意識的に早めに原稿を仕上げようと尽力してきたが、2019年に入り、時間の効率的な使い方を強く意識するようになったことも後押しし、これまでと比べてかなり早めに仕上げられている。今回も、発行日3/17(日)に対し、次の記事(61)を原稿1通目として2/28(木)に、本記事を2通目として3/2(土)に仕上げられている。

今回も前回までと同様、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も引き続き、時間の使い方の効率化を進めているおかげで、前年末まで停滞していた各タスクについて、年始以降も良いペースで進められている。特に、2月後半に入ってから、時間を効率的に使うだけでなく、一部のタスクではあるが、より前倒しでタスクを仕上げられるようになってきている。非常に良い結果が出せていると自分でも実感している。以下、定例的に個別に進捗をありのまま正直に述べたい。



「(A) 広告関係の下案作り」については、前回までに続きストップしたままだが、自己暗示の観点から自然に手を付けられるよう、「頑張って手を付けねば」という考えを持たないように敢えてしている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続き当日のうちに確実に終えられている。前号までよりも確実性が上がっている点は更なる成果と考えている。

「(E) 職場の掃除」は、前回から引き続きこの2週間もやや先延ばし状態のままになってはいる。だが、前号記事執筆段階までで、後述の(E')が一段落しているため、本当の締切と言える年度末が近づき、締切効果でようやく少しずつだが手を付けられたのが実態ではある。引き続き、年度末前に少し余裕を持って仕上げることにしたい。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、前号記事執筆段階までで一段落しており、前述(E)にいい加減集中したいため、敢えて手を付けないでいる。新年度に入り次第、他のタスクを適切に遂行できる範囲で少しずつ再開したいと思う。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」については、前号までよりは再度早めの就寝ができるようになってきている。これから当面、年度末に向けて(E)に嫌でも集中せざるを得ない状況になるが、それと両立できる範囲で、引き続き早め早めの就寝を心掛けたい。


● うっかりミス等の撲滅(61)

今回も、前号444号記事(59)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を今回も予告通りに続ける。今回は前々号までと同様、本記事は前記事(60)よりも前に小生の原稿1通目として02/28(木)に仕上げられている。今回は発行日03/17(日)に対して2.5週間前、前号444号発行日3日前であり、前号と同程度の悪くないペースではある。引き続き最低限これを維持してゆきたい。

442号記事(55)において、同手法の効果に関して補足的に改めて説明した上で、理論的な考察として自己暗示と並ぶ別の手法である旨を述べ、前号444号記事(59)では、同手法が喜怒哀楽や欲望・性格面の改善になぜ効果的なのかについて仮説を立ててメカニズム的な考察を行った。今回はその補足説明を行う。



前号記事において、感情モニタリング法は、様々な感情・欲望の状態(怒っている、食べたがっている等)を打ち消す、または緩和する指令の信号を送る作用があるのではないかと述べた。とはいえ、自分自身の感情・欲望的な状態をただチェックすれば打ち消す、緩和する作用が発生するかと言えば、メカニズムとして単純にそうとは言えない面がある。今回はその点を具体的かつ重点的に述べたい。

実用的に同法を習得するにあたり、チェックの仕方が悪いとかえって逆効果になってしまう場合がある。それは、不快な感情状態(怒り・落ち込みなど)にある場合、チェックを行って不快な状態にあると気付いた場合、そのチェックを1回の作業としては一瞬で止めることである。逆に、快適な状態(喜びなど)、または普通の状態にある場合は、チェックの時間をある程度長めにとる、即ち快適な感情状態をもう一人の理性的な自分の目で少し長めに味わうようにするのである。

小生自身が同法を習得実践する上で、最初の頃に上手く行かなかった主な理由はその注意点を遵守していなかったことにあると後悔反省している。今でも、意識的に気を付けていないと、不快な感情状態の場合に、ある程度長い時間チェックし続けてしまうことがある。そうなると、不快な感情状態を長めに味わってしまうことで、その不快な状態をかえって自己増幅させる結果になるようである。

逆に、不快な感情状態にある場合、1回あたりのチェックを一瞬で切り上げる代わりに、一定時間をおいて繰返し何回か一瞬チェックを繰返すことで、不思議と不快な感情状態が収まってくる。小生自身の経験としても、やや大げさに言えば、不思議体験とも言える程、急に自分の不快な気分がフッと消えることがあった。

これらの話を総合すると、同法は、一瞬のチェックを断続的に繰返すことで打ち消す作用になり、1回あたり長くチェックし続けると逆に増幅する作用があるのではないかと考えられる。そのような性質があるのは大変に興味深い。


● うっかりミス等の撲滅(62)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。今回も、まず本記事において定例の各タスクの進捗についての報告をしたい。

以前は原稿提出が度々遅れていたが、今年に入り時間の効率的な使い方を強く意識するようになったことも後押しし、これまでと比べてかなり早めに仕上げられている。今回も、発行日3/31(日)に対し、次の記事(63)を原稿1通目として3/17(日)に、本記事を2通目として3/21(木)に仕上げられている。

今回も前回までと同様、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えしたい。今回も引き続き、時間の使い方の効率化に加え、一部のタスクをより前倒しでタスクを仕上げられるようになってきており、非常に良い結果が出せていると自分でも実感している。以下、今回も定例的に個別に進捗をありのまま正直に述べたい。



「(A) 広告関係の下案作り」は今回も引き続きストップしたままだが、自己暗示の観点から自然に手を付けられるよう、「頑張って手を付けねば」という考えを持たないように敢えてしている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続きほぼ当日のうちに確実に終えられている。終えられていない日は、あくまでも後述の(G)睡眠時間確保を優先しているためであり、先延ばしでは全くない。

「(E) 職場の掃除」は、前号で述べた年度末の締切を迎え、やや締切ギリギリにはなってしまったが、前年までよりは少しだけ早く終えることは出来ている。締切までに必要なことは無事に終えたが、残務がいくつか残っており、それをできれば年度内に片付けたいとは思っている。最悪でも、5月の10連休を有効に使って余裕を持って終えるようにしたい。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、前号記事執筆段階までで一段落しており、今回は特に締切直前ということもあり、前述(E)に集中するため、敢えて手を付けないままでいた。(E)の残務はあるが、そろそろ前号の通り新年度に入り次第、徐々に再開したいと思う。

最後に、「(G) 睡眠時間の確保」について、まだ不完全ではあるが、起床・就寝時間を記録するよう心掛けており、その効果もあり、前号以上に早めの就寝、または昼寝により24時間あたりの睡眠時間を確保できるようになってきた。(E)も山場を越えたこともあり、引き続き早め早めの就寝を心掛けたい。



● うっかりミス等の撲滅(63)

今回も、前号445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を今回も予告通りに続ける。今回は前々号までと同様、本記事は前記事(62)よりも前に小生の原稿1通目として03/17(日)に仕上げられている。今回は発行日03/31(日)に対して丁度2週間前、前号445号発行日である。今回は直前まで業務の締切に追われたため、やむを得ず前号までのペースよりもやや後退した。次回以降は今回よりは余裕ができる見通しのため、前号までのペースに戻したい。

442号記事(55)において、同手法の効果に関して補足的に改めて説明した上で、理論的な考察として自己暗示と並ぶ別の手法である旨を述べ、前号445号記事(61)までに、同手法が喜怒哀楽や欲望・性格面の改善になぜ効果的なのかについて仮説を立ててメカニズム的な考察、補足説明を行った。今回からは、これまでの考察を踏まえ、実践的なステップに移りたいと思う。



前号記事において、感情モニタリング法を実践する上で、自分自身の感情・欲望の状態(怒っている、食べたがっている等)をチェックする際、1回あたりのチェックの所要時間を一瞬とするか長めとするかで、不快な感情の時には効果が180°変わることを述べた(即ち、1回当たりのチェックを一瞬で終わらせる代わりに、断続的に何回も一瞬チェックを繰返すことで不快感情は鎮まるのに対し、1回あたりのチェックに長い時間をかけていると、不快感情がかえって増大してしまう)。

この点を踏まえ、最近は特に、同法を実践する上で1回あたりの所要時間をできるだけ意識するようにしているが、他に意識が向くような状況では、どうしても所要時間のことが頭から抜けがちになってしまうようである。その問題を克服するための効果的な対策は何か無いかとここ最近考え続けてきた。

まだ試行錯誤の段階ではあるが、一つの方法として、チェックの際に心の中で「1・2・3・…」と秒数の経過を数えるようにしている。こうすると、不快な感情の時には1秒で切り上げる一方、快適な感情の時は(根拠は無いが、あくまで大まかな目安として)例えば10秒間はチェックし続けることができ、チェックに要する所要時間の面で安定性が出てくるのではないかと考えられる。

それとともに、特に不快な感情の時、1秒チェックを何秒(または何分)の間隔をおいて断続的に何回チェックを繰返すと、約何分後に不快な感情が鎮まるかを自己人体実験として数値データ採りしたいと考えている。幸い、最近は、この先何に何分かけ、何時までに何と何を終わらせる等、時間の効率的な使い方を強く意識できるようになってきているので、それをさらに発展させる形でそのようなデータ採りが自然にできるようになると期待している。早速、本記事を執筆している3/17(日)の翌日からできる範囲で実践してゆきたい。経過は次号記事(65)にて報告できるようにしたい。


● うっかりミス等の撲滅(64)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も、まずは、前回までと同様、引き続き425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を本記事でお伝えする。以下、今回も定例的に個別にありのまま正直に述べたい。

「(A) 広告関係の下案作り」は今回も引き続きストップしたままだが、引き続き自然に手を付けられるよう、「頑張って手を付けねば」という考えを持たず、気付いた範囲で自己暗示を繰返すようにしている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、後述(G)を優先する前提で、引き続きほぼ当日のうちに確実に終えられている。

「(E) 職場の掃除」、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」とも、新年度に入り、いい加減そろそろ再開したいが、まだやや先延ばし状態になっている。また、「(G) 睡眠時間の確保」についても、この2週間は、時間の効率的な使い方の面でやや後退した反省もあり、連動して睡眠時間も少し短くなってしまった。



さて、次に、新年度に入った節目ということもあり、新たな進捗報告の形を今回から試行したい。

今年に入り時間の効率的な使い方を強く意識するようになったことも後押しし、これまでと比べてかなり早めに仕上げられてきたが、残念ながら今回は、たまたま休日の時間を法事等で十分に確保できなかったこと、後の記事(65)の考察に時間を要したこともあるが、中だるみ的な要素も無かったとは言えず、また遅くなってしまった。今回は、発行日4/14(日)に対し、本記事を原稿1通目として4/4(木)に仕上げている。前号分までは、その前の号の発行日には原稿1通目は仕上げられていたことから、理由はどうあれ、昨年以前のペースに少し戻ってしまったと反省している。その反省からの新方式の導入でもある。

以前にも似た形を試行しかけて挫折した経緯はあるが、その日にすべきタスクの数々を盛り込んだ一日の予定表を作り、極力その通りに実行してゆくようにする。その際、各タスクとも、今までの経験から所要時間目安を決め、それを基に予定を組むようにし、実行結果を以下のフォーマットの表に毎日記入することにする。XXは実際に費やした時間、YYは目標の時間を表す。

     A    E    E'    G
04/06金  XX(YY)  XX(YY)  XX(YY)  XX(YY)
04/07土  XX(YY)  XX(YY)  XX(YY)  XX(YY)






● うっかりミス等の撲滅(65)


今回も、前々号445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する考察と論述を予告通りに続ける。今回は、本記事は前記事(64)よりもさらに遅れ、小生の原稿2通目として04/06(土)に仕上げた。今回は発行日04/14(日)に対して丁度1週間前、前号446号発行日から1週間を過ぎている。今回は、直前まで業務の締切に追われたため、やむを得ずペースが後退した前号よりもさらに後退してしまった。当初は余裕ができるはずが、後から雑多な用事が休日に入ったこともあるが、正直に振り返ってみると、すき間時間は少なからずあったずであり、それを有効活用できなかったのは大変に悔やまれる。次回以降は、445号までのペースに戻したい。

445号記事(61)までに、感情モニタリング法が喜怒哀楽や欲望・性格面の改善になぜ効果的なのかについて仮説を立ててメカニズム的な考察、補足説明を行った。前号から、これまでの考察を踏まえ、実践的なステップに移っている。



前号記事において、感情モニタリング法を実践する上で、時々刻々の自分自身の喜怒哀楽などの感情的・欲望的な状態のチェックに要する所要時間を安定的に意識し、不快な感情状態であるか否かでチェックの時間を意識的に上手に変動させるため、チェック中に所要時間を心の中で「1・2・3・…」と数え上げる方法を試行していると述べた。その上で、1回当たりのチェック所要時間のみなあらず、前のチェックを終えてから次のチェックを行うまでの時間間隔をも意識し、さらにそのような断続的チェックを何回行うと、何分後に感情状態が変化してくるか(特に不快な感情が鎮まるか)を前々号445号発行日3/17(日)の翌日からデータ採りすることにすると述べた。今回はその進捗報告である。

正直に結論から言えば、上述の全ての内容について細かく正確な数値データ採りができているわけではない。一部はある程度細かく採れてきたと考えているが、残りはかなりざっくりとした大まかな参考数字のレベルである。いきなり完璧なデータ採りは無理としても、段階を経て、時間をかけて徐々に完璧を目指したいと思う。

まず、ある程度細かく採れている点から述べる。前号までに、不快な感情状態の際にはチェックを1秒で切り上げるべきと述べたが、より厳密に言えば、3〜5秒程度は必要であることが分かった。即ち、理性的な自分から感情・欲望的な自分に「今の気分はどうだい?」と問い掛けた際、感情・欲望的な自分から返事が返ってくるまでに3秒程度はかかるのである。返事が返ってきてから、その返事、即ち不快なら不快の感情状態を1秒程度意識するとすると、計4〜5秒は必要になるということになる。

次に、まだ大まかな把握レベルのデータについて述べる(より数値データとしての信頼度を上げるためには、繰返し繰返し感情モニタリング法を実践し、類似の状況下において結果が大きくずれることはないことを立証してゆく必要があろう)。上述の4〜5秒を要しての自分への問い掛けを7回程度繰返すと、(現状ではかなりまだ幅はあるが、概ね30分〜1時間前後に自分の感情状態が変化してくるようである。


● うっかりミス等の撲滅(66)


本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、本記事は、新たな生活リズムの影響もあり、執筆時間を確保できず、記事2通目として当初予定よりも1週間遅く4/20(日)に仕上げている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの進捗状況を定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は前回掲げた新たな進捗報告の形を意識したことで、まだまだ少しではあるが、犬の散歩などの外出時に頭の中で再度考察できた。加えて、これまで(A)を優先するため着手を中止していたタスクのうち、「(C) アプリ作成(プログラミング)」を(A)と同様に、時間配分としては(A)とほぼ交互に外出時に考察し始めることができた。(A)の再開と同様に所要時間としてはまだまだ僅かではあるが、新たに着手できたことは自分の中では非常に大きな一歩と感じている。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、後述(G)を優先する前提で、引き続きほぼ当日か(決して先延ばしではなく、やむを得ず睡眠時間等を明示的に考慮した上で)翌日のうちに確実に終えられている。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は先延ばしというよりも、新年度に入り、小生自身や家族の生活リズムがかなり変わったこともあり、まだ時間を割ける余裕は作れずに居る。再開は間近に迫った大型連休になる見込である。その一方で、「(E) 職場の掃除」は、(A)・(C)と同様に新たな進捗報告の形のおかげもあってか、少しずつだが再開できているが、新たな生活リズムに慣れないこともあり、(E')と同様に、まとまった時間を捻出できるのは大型連休中になる見込である。

「(G) 睡眠時間の確保」については、生活リズムが大きく変わったことから、この2週間は十分な時間を確保できているとは言えない。徐々に体が慣れていくとは思われるが、少しずつ十分な睡眠時間の確保を意識し、維持してゆきたい。



最後に、前回述べた新たな進捗報告の形だが、さすがに前号記事執筆時からの毎日の記録を全て省略せずに掲載すると、本記事が無駄に長くなってしまうことから、この2週間の大まかな平均的な数字を以下に記したいと思う。なお、単位は「分」である。

        A    C    E    E'    G
直近2週間平均  15(30)  15(00)  15(30)  00(00)  300(400)


● うっかりミス等の撲滅(67)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を予告通りに続ける。前号447号の記事仕上げが(理由はどうあれ)久しぶりに遅れたことから、その反省として、本記事は前号447号発行日前の4/11(木)に仕上げられている。記事1通目の仕上げとしては、年始以降ここ最近の最早ペースに戻すことができた。引き続き、このペースを堅持してゆきたい。



前々号446号記事において述べたように、感情モニタリング法を実践する上で、不快な感情状態であるか否かでチェックの時間を意識的に上手に変動させるため、時々刻々の自分自身の喜怒哀楽などの感情的・欲望的な状態のチェックに要する所要時間を安定的に意識すべく、チェック中に所要時間を心の中で「1・2・3・…」と数え上げる方法を試行していると述べた。

その上で、1回当たりのチェック所要時間のみなあらず、前のチェックを終えてから次のチェックを行うまでの時間間隔をも意識し、さらにそのような断続的チェックを何回行うと、何分後に感情状態が変化してくるか(特に不快な感情が鎮まるか)を445号発行日3/17(日)の翌日からデータ採りしている。今回もその進捗報告の一環として以下を述べたいと思う。



前号記事では、数値データとしてはあくまでも大まかなものではあるが、感情モニタリング法による感情状態のチェックに要する所要時間、ならびに不快な感情状態を緩和するために必要な繰返し回数などについて述べた。今回は、同手法による感情のコントロールを、自己暗示を用いて間接的により円滑にするための手法について述べる。なお、これは、感情モニタリング法の考案者である河野良和氏が直接に伝授している手法ではなく、同氏の手法・理論に基づき、小生自身が考察と実践の試行錯誤を繰返して見出しつつあるものである。

感情モニタリング法を忠実に実践する上で、あくまで小生自身の経験則の範囲においてであるが、なかなか上手く行かないことが度々ある。具体的には、他のことに気を取られて同手法を実践すること自体をすっかり失念してしまったり、あるいは、同手法の実践途中に意識が他に急に飛んでしまい、感情・欲望的な状態のチェックが半端な時点で中断してしまうこと等である。

当初はその点でかなり悩んだものの、ふと自己暗示を上手く織り交ぜれば良いのではないかと思い付いたのである。感情モニタリング法と自己暗示とは、本質的には共通する要素は少なからず多いと考えられるものの、実践的な手法としてはこれまで別個のものとして論じて、扱ってきたが、発想を変えて、その両者を意識的に融合、混合することにしたのである。

具体的に言えば、半ば馬鹿馬鹿しい話にも聞こえるが、例えば、「上手に感情モニタリング法を実践できれば良いんだよなぁ」、「感情・欲望的な状態を確実にチェックできるんだよなぁ」などという暗示文を心の中で繰返し念じたり、確実に抜けなく感情・欲望的な状態のチェックが出来ている自分自身の姿をイメージしたりするのである。これにより、感情モニタリング法をより一層確実に上手く実践できるようになってきていると実感している。


● うっかりミス等の撲滅(68)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、本記事は、前号に続き、4月以降の新たな生活リズムの影響もあり、執筆時間を十分に確保できず、記事1通目として当初予定よりも4日遅れて4/29(月祝)に仕上げている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は前回は少し考察できたが、今回は(A)は敢えて飛ばし、「(C) アプリ作成(プログラミング)」の方を前回と同様に外出時などに頭の中で考察できている。(A)を敢えて飛ばした理由は、昨年に8つの主要タスクとして計画を掲げた時点から情勢が変わり、(C)の方が優先度が高くなってきたためである。(A)と同様に(C)もまだまだ考察としては序盤であり、さらに外出時などの時間を有効活用して考察を深度化できないかを工夫し実践してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き当日か翌日には仕上げられている。「(G) 睡眠時間の確保」についても、前回よりは生活リズムの変化に慣れてはきたが、疲れが溜まり過ぎるとかえって眠れなくなることもあってか、まだまだ十分な時間を確保できているとは言えない。連休に入り、休日が連続したことで、ようやくまとまった長い睡眠時間を確保できてはいる。引き続き、限られたスケジュールの中で、質の高い睡眠を確保できるよう工夫してゆきたい。

「(E) 職場の掃除」は、新たな生活リズムに慣れないため4月中も十分な時間を捻出できなかったが、ようやく大型連休に入ったため、前回予告通りに連休中の時間を有効活用して完全に仕上げるとともに、連休後も溜めずに効率的に片付けてゆく体制を構築する予定である。この進捗については、次号の記事(70)で述べたい。かつ、(E)を完全に仕上げた上で、「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」も余力の範囲で連休中に再開したい。



最後に、前回と同様に、各タスクのこの2週間の大まかな平均的な数字を以下に記したいと思う。なお、単位は「分」である。

        A    C    E    E'    G
直近2週間平均  00(00)  15(30)  10(30)  00(00)  270(400)


● うっかりミス等の撲滅(69)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を予告通りに続ける。447号記事の仕上げが遅れた反省から、前号448号記事は447号発行日前の4/11(木)に記事を仕上げられた。今回は連休の時間を執筆に充てるため、前号448号発行日の翌日4/29(月祝)に本記事を仕上げている。連休後以降も、引き続き前号までのペースを維持してゆきたい。



446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関しての進捗を述べる。

まず、前記事(68)の各タスクの進捗にも関わることだが、特にこの大型連休前の1週間、毎日の中で何のタスクに何分かかるかをより一層意識するようにしてきた。本記事を執筆するためもあるが、4月以降の新たな生活リズムの中で各タスク、特に睡眠に充てる時間を十分に確保できていないという危機感から自然と行えるようになったものである。

そのように所要時間を日々意識することで、上述の各タスクのみならず、感情モニタリング法のチェックの間隔を開けないようにしなければとの危機感も自然と生まれるようになり、買物や犬の散歩などの外出時に、上述の(C)とともに、同法のチェックも意識的に実践するようにしてきた。

その際、より一層自然にチェックが行えるようにするため、小生自身の好きな風景を頭の中に思い浮かべ、その風景に出てくる一人の人物が「今の気分はどうだい?」と小生に語り掛けてくるという動画的なイメージを繰返し頭の中で再生することで、外出時にかなり高頻度にチェックを行えるようになってきた。

とはいえ、まだその動画イメージ自体は高頻度に思い浮かべられるようになってきたものの、連鎖的にチェックを確実に行えるまでには至っていない。次回までに、そのチェック自体も高頻度に確実に行えるように工夫してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(70)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、本記事は、大型連休で十分な時間を確保できたこともあり、前号記事の仕上げから1週間後の5/6(月祝)に仕上げられている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日5/6時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回は今までの遅れを十二分に取り返す程に大幅に進捗した。

「(A) 広告関係の下案作り」は、十分な時間を確保できたこの大型連休中も敢えて飛ばし、「(C) アプリ作成(プログラミング)」の方を優先した。前回までは外出時などに頭の中で考察する段階であったが、今回はPCに向かってアプリ開発のための(あくまで自分向けのではあるが)手順書・仕様書等の素案を資料としてまとめることができた。資料にまとめられたため、今まで以上に計画的、システマチックに考察・作業を進められると見込まれる。引き続き、外出時に頭の中で考察するのに加え、資料まとめ、アプリ開発(プログラムコード記述)を同時並行で進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き当日か翌日に済んでいる。「(G) 睡眠時間の確保」は、4月中は不足の状態が続いていたが、大型連休で十二分に回復できた。改めて思ったのは、疲れ過ぎているとすぐに寝られないことがあるということ。連休が終わり、元のペースに戻っても、限られたスケジュールの中で、質の高い睡眠を確保できるよう工夫してゆきたい。

「(E) 職場の掃除」は、前号記事の執筆直後すぐに手を付け、足掛け4日、作業時間として丸2日かけて一気に仕上げることができた。昨年からほぼ停滞していただけに、実に清々しい気分であり、この大型連休中の一番の思い出、功績と言っても過言ではない。単に今まで溜めたものを片付けただけでなく、今後に備えて片付け方や物品の管理方法なども定めることができたため、今後は日々のすき間時間で効率的に進められると大いに期待される。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、この連休中も(E)を最優先したが、(E)が一段落したため、本記事の仕上げ日である連休最終日5/6に少し再開できた。連休後に(E)とともにすき間時間で再度少しずつ進めてゆきたい。



最後に、前回と同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回は2週間平均ではなく、連休中1週間の累積時間である。なお、「(-)」は、特に時間目標を定めていなかったことを意味する。

A    C     E    E'    G
00(00)  90(180)  960(-)  60(60)  3780(-) 単位:分

● うっかりミス等の撲滅(71)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。本記事も前記事(70)と同様に大型連休中の十二分な時間を充てられたため、前記事と同じ連休最終日5/6(月祝)に仕上げられている。今回は連休中に前倒しで仕上げたものだが、連休後も引き続き早め早めのペースを維持してゆきたい。



446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関しての進捗を述べる。今回は、前号記事(69)の執筆から1週間と時間経過が短く、かつ前記事(70)の文章量が多くなったことから、本記事の文章量は少し短めにする。

前号記事では、好きな風景などの動画イメージを繰返し頭の中で思い浮かべて再生することで、チェックを思い出す頻度自体は上がったものの、動画の想起で止まってしまい、チェック自体まで行かないことが多いことが課題であった。この連休中の1週間で工夫を重ねたことにより、チェック自体の頻度も上げることに成功した。その成功のコツを1点速報的に述べたい。

従来は「今の気分はどうだい?」と自問自答することでチェックしていたが、経験則からすると、「どうだい?」という問い掛けだと、もう一人の感情・欲望的な自分から返答を得るまで5秒程度は要してしまう。5秒程度も要すると、その間に意識が他に飛び、チェック自体が頭から抜けてしまうために、チェックが確実にできない結果を生んでいた。それを改め、「今の気分は良いかい?」と問うことで、返答まで約1〜3秒に短縮できるようになった。それにより、意識が飛びづらくなり、確実なチェックができるようになってきたのである。



今回はここまで。436号記事(44)の予定よりも更に少し遅れるが、次号451号の記事(73)でも、今回の続きとして、感情モニタリング法をより円滑にするための自己暗示をどの程度の頻度で繰返すと効果的であるか等の数値データ採りを実践した結果などを述べたい。

● うっかりミス等の撲滅(72)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、大型連休後の通常ペースに戻ったこともあり、次の記事(73)は前号発行日5/26(日)に、本記事は5/30(木)に仕上げられている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日5/30時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も悪くないペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、現状では(C)を優先しているが、外出時の頭の中での考え事の一つとして、少しずつだが復活的に時間を捻出できている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回に続き、PCに向かってアプリ開発のための手順書・仕様書を資料として少しずつまとめられている。加えて、自力での開発のみならず、一部を外注化することとし、その外注仕様についても業者への打診と内々の検討を始められている。引き続き、(A)と同様に、主にすき間時間を使って少しずつ仕様書を仕上げ、自力で出来る部分はプログラミングの段階に移行してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、この2週間は特に100%当日のうちに済んでいる。これも、すき間時間の有効活用により早い段階から少しずつ仕上げることにより、睡眠時間を犠牲にすることなく、実現できている。

「(G) 睡眠時間の確保」は、引き続き最たる課題の一つだが、連休後は家族の協力も得て、意図的にすき間時間に休めるような体制にできたため、一日の睡眠時間の総計は以前よりも少し増やせている。加えて、薬の服用や夜の晩酌の酒の飲み方を少し工夫することで、入眠しやすくする工夫もできている。

「(E) 職場の掃除」は、前号で述べたように、大型連休時に時間を費やしたおかげで、連休後も極めて順調に、すき間時間を使って上手く行えている。このペースを今後恒久的に持続してゆきたい。

「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、大型連休後は、上述の(A)や(C)を優先すべく、意図的に時間捻出は避けている。今後、他のタスクの進捗を見て再開したい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの 2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'   G
05(15)  20(30)  15(15)  0(0)  300(300) 単位:分

● うっかりミス等の撲滅(73)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前回は大型連休中の十二分な時間を充てられたため早めに仕上げられたが、今回は通常のペースに戻っている。とはいえ、以前のようにズルズル先延ばしはしたくないため、休日も一日の予定、その日にやるべきタスクを予定表に予め明記し、その通りにこなしていくよう努めている。今後も引き続き早め早めのペースを維持してゆきたい。

446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関しての進捗を述べる。



前回述べたように、感情モニタリングのセルフチェック時の自分への問い掛けを以前の「今の気分はどうだい?」から「今の気分は良いかい?」とすることで、反応速度が格段に早くなり、チェックの確実性が上がった。その効果はこの2週間も引き続き確認している。

加えて、以前のように2〜3分おきにスマートフォンでタイマーをかけ、アラームが鳴ったらセルフチェックを行うように癖をつけるトレーニングを時間を見つけて重ねてきている。そのトレーニングにばかり費やせる時間はそう多くはないが、普段の仕事や犬の散歩の途中、あるいは家で家族とくつろいでいる時間中にも、かなりの頻度でセルフチェックのことが頭に浮かぶようになり、その都度、意識が他に飛ぶ前にチェックを確実にできるようになってきた。



以前は、チェックの成功率が高くなかったため、チェックできたとしても、比較的良い気分の時にしか出来ていなかった。即ち、不快な気分の時は、不快な気分に頭の中が占められてしまいがちであり、そもそもチェックのことを思い出せないでいたが、その課題をチェックの確実性・頻度向上により十分に克服できてきたと言える。

不快な気分の際にチェックを行うと、「今の気分は良いかい?」との理性的な自分からの問い掛けに対し、もう一人の感情的・欲望的な自分から、「今は良くはないな」「先ほどよりは少しは良くなかったかな」などの返答を得ることができる。このように不快な気分の際に、繰返し思い出す度に問いかけると、最初は「今は良くはないな」との返答でも、回数を重ねると、不思議なことに段々と「先ほどよりは少しは良くなかったかな」との返答に変わってゆくのである。数値データ採りとしてはまだ不十分だが、引き続きデータ採りを意識して続けてゆきたい。


うっかりミス等の撲滅(74)


本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、大型連休後の通常ペースに戻ったこともあり、今回も本記事は現行1通目として前号発行日6/9(日)に仕上げられている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日6/9時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も悪くないペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、本記事執筆時点でも(C)を優先しているが、前回から引き続き外出時の頭の中での考え事の一つとして、少しずつ時間を捻出できている。前回から検討を進めた結果、今現在の自分の抱える仕事面での資金的な余裕が少し出来たことから、後述(C)と同様に一部を外注化することとした。今は外注に際しての発注指示書の作成に取り掛かっているところである。外注化できれば、その分進捗は確実かつ速くなると期待される。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回に続き、アプリ開発のための手順書・仕様書を資料として少しずつまとめられている。加えて、前号で既述の通り一部外注化する予定であるが、今回はそのための業者とのやりとりを少し進めることができた。引き続き仕様書をさらに仕上げ、次号記事執筆時点あたりでは自力プログラミングの段階に移行したいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き毎日当日中に終えている。ここ2週間は、さらに進め、翌日以降分の(D)に必要な文書ひな形の準備を前夜までに終えるまでに進歩している。

「(G) 睡眠時間の確保」は、引き続き睡眠時間を分散し、薬や酒の力も少しだけ借りつつ、一日あたりの睡眠時間を概ね適切に確保できている。「(E) 職場の掃除」も、大型連休時に時間を費やし整理したおかげで、連休後も極めて順調に、すき間時間を使って上手く行えている。「(E') 間接的に(E)に関係するタスク」は、引き続き他のタスクへの時間捻出のため休止中だが、(A)・(C)が進捗していることから、今秋以降の再開を目指したい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'   G
10(15)  30(30)  15(15)  0(0)  300(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(75)


今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前々回までは大型連休中の十二分な時間を充てられたため早めに仕上げられたが、前回からは通常のペースに戻っている。かつ、前号までの段階では、休日の一日の予定、その日にやるべきタスクを予定表に予め明記し、その通りにこなしていくよう努めていた。

今回は、前記事(74)を前号発行日6/9(日)に仕上げられたものの、言い訳苦しいが後述の考察とデータ採りに時間を意外と要したため、本記事の仕上げはその1週間後の6/16(日)まで伸びてしまった。併せて、今週に入り、特に仕事に直接関係するタスクは先延ばしせずに進めてはいるものの、予定表をいちいち明記するのを怠ってしまっていた。改めて、ペースを元通りに戻すよう次号は心掛けたい。



446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関しての進捗を述べる。

前回、不快な気分の際に感情モニタリングのセルフチェックを行うと、「今の気分は良いかい?」との理性的な自分からの問い掛けに対し、もう一人の感情的・欲望的な自分から、「今は良くはないな」「先ほどよりは少しは良くなかったかな」などの返答を得ることができ、繰返し間を開けて問う度に不快な気分が解消されていくと述べた。前号までの段階では、数値データ採りとしてはまだまだ不十分であったが、今回は、少しだけその点で進捗を見たので、それを報告したい。



つい昨夕であるが、仕事での些細なミスに起因して、やや不快な気分になってしまっていた。その際、以前ならば不快な気分やそれに伴う様々なマイナス思考的な考えに頭の中が占められていたが、今回は2回ほど途中でふと、「あ、今自分は不快な気分で居る。セルフチェックせねば」と自然と気付けたのである。

その2回とも、以前の記事で述べた自分の好きな風景などのイメージが連鎖的に頭の中に自然と浮かび、明示的・能動的なチェックを完璧に行うことまでは出来なかったものの、仕事に半ば没頭していたこともあり、ふとその後深夜になって、不快な気分は落ち着き、そのまま就寝したこともあり、今朝起床した段階では、極めて快適な気分で居ることができた。

今回の推移を数値データとして見れば、途中2回、やや半端な形ではあるが、自然とチェックのことが頭に浮かび、今は不快であるとのメタ認知が出来たことで、6時間程度の時間を要したが、不快な気分は解消された。この2回・6時間という数値データを今後の基準として、さらによりきめ細かなデータ採りを進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(76)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、大型連休後の通常ペースに戻り、かつ前号452号は原稿提出とメルマガ下案の仕上げが遅くなってしまった反省から、今回は本記事を現行1通目として前号発行日の4日後6/27(木)に仕上げられている。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日6/27(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も悪くないペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までは一時的に(C)を優先していたが、前回述べたように外注化を正式に決めて該当業者と話を進めることになった。本記事執筆時点で、既に最初の段階の打合せ等は済ませており、発注指示書の作成をさらに進めているところである。これで、長らく棚上げになっていた懸案の一つが劇的に進展すると期待される。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回に続き、(A)とセットで一部を外注化するための仕様書を少しずつだが進めている。この2週間は主に(A)の外注化の準備を先行させてため、前号段階までと比べ、予めの計算の上でだが、少しばかり(C)はペースダウンした。外注化準備に予想以上に時間を要したこともあり、前号で予告した自力プログラミングは次号以降に延期しているが、悪い意味での先延ばしにならぬよう、少しでも余力が出来たら着手したいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き毎日当日中に終え、前号と同様に、翌日以降分の(D)に必要な文書ひな形の準備を前倒しで準備している。加えて、明確に1週間先までの分を週末などの休日の時間を使い、とことん前倒しして終えられるまでに進歩している。これ以上の前倒しは時間労力的にも限界と実感しているため、このペースを今後も堅持してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、引き続き睡眠時間を分散し、薬や酒の力も少しだけ借りつつ、一日あたりの睡眠時間を何とか概ね適切に確保できている。この2週間は、例えば家族が買い物中に駐車場の車の中で必要により仮眠を摂らせてもらうなどにより、より短い時間を有効に使って睡眠時間を確保できるようになってきた(夜の睡眠時間が比較的短かった場合に特に有効)。

「(E) 職場の掃除」も、引き続き大型連休時の大整理のおかげで、すき間時間を使って効率的に行えている。敢えて言えば、この2週間は上述の(A)・(C)外注化などに時間を費やしたため、少し(E)を怠ったが、一念発起して昨日6/27朝に一気に片付けられている。(E')は今回も引き続き時間の都合から休止中である。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'   G
30(30)  10(15)  15(15)  0(0)  300(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(77)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前々回までは大型連休中の十二分な時間を充てられたため早めに仕上げられたが、前回からは通常のペースに戻っている。連休後しばらくは、休日の一日の予定、その日にやるべきタスクを予定表に予め明記し、その通りにこなしていくよう努めていた。

今回は、前号記事とメルマガ下案の仕上げが遅くなってしまった反省から、前記事(76)は6/27(木)に仕上げたものの、本通は前号発行日6/23(日)から1週間後の6/30(日)に仕上げている。前号に続き、本記事の考察とデータ採り、ならびに他の抱える仕事に時間を要したこともあるが、今回は考察の素案は少なくとも6/27(木)段階では固まっていたことから、すき間時間を有効に使ってより早いペースで仕上げられるよう工夫を重ねてゆきたい。



446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関しての進捗を述べる。

前回、仕事での些細なミスに起因してやや不快な気分になった際、2回ほど途中でふと、セルフチェックせねばと自然と気付き、お気に入りの風景などのイメージが連鎖的に頭の中に自然と浮かび、6時間程度後に不快な気分が解消されたと述べた。今回は、それよりもさらに少し細かいデータ採りができ、かつやや大げさだが新たな知見も得られたので、本稿ではそれについて述べる。

前号記事執筆後からの間、またも仕事上の些細なミスに起因して不快な気分に陥ることがあったが、陥った後も前回と同様に途中でふと「今の気分は良いかい?」と感情モニタリングのセルフチェックをすることができた。今回は、前回よりは短い間隔で繰返し実行でき、かつ前回の6時間から半分程度の3時間程度で不快な気分を和らげることができたため、前回よりは進歩したと言える。

かつ、その日は午前に続き午後も同様な些細なミスにより再度不快な気分になったが、仕事後の犬の散歩時に繰返しセルフチェックでき、再度和らげることができた。



だが、1日に2回不快な気分に陥る原因が生じたことにも起因してか、その日の夜に仕事の残務を片付けている途上、再度不快な気分になってしまった。幸い、その時もセルフチェックを行うことができ、かつ酒の力もあってか、就寝までには和らげることはできた。この夜に再度不快な気分に陥ったのは、昼間の2回のように不快な気分に陥る直接的かつ外的な原因があったわけではないため、不快な気分の内的なぶり返しとも言える。

ここから学べることとして、不快な気分は一度鎮まればそれで終わりではなく、場合により再度ぶり返すことがありうるということである。よって、一度鎮まった後も定期的にセルフチェックをしつつ油断しないようにしてゆく必要があると言える。今後もこの点は常々意識してゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(78)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。なお、5月の大型連休後は仕事に追われていることもあり、原稿提出が軒並み遅れがちになっていた。今回も本記事は原稿2通目として前号発行日の8日後7/15(月祝)に仕上げられている。連休頼みとはいえ、ここ最近では一番遅くなってしまった反省はある。次号以降は何とか前号までのペースには戻したい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日7/15(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も悪くないペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までに外注化のための打合せを済ませたと述べた。この2週間は(C)以降のタスクを優先すべく、外注業者の都合もあり一旦ストップしているが、近日中には再開する予定である。業者が関わるため、半ば強制的に進む見込である。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、この2週間は(A)がストップしたこともあり、自力プログラミングの一歩手前の段階として考察ある程度進めることができた。(A)が再開するまではもう少し重点的に進めたいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き毎日当日中に終えている。ペースとして全く変わりなく、今後も堅持してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、引き続き昼と夜とに睡眠を分散することで、一日あたりの一定以上の睡眠時間の確保に努めているが、この2週間は仕事量の多さに起因して前回までよりは少し後退してしまった反省はある。海の日を含むこの連休で寝貯めするような形で睡眠時間の不足を取り返している形だが、我ながら疲れがかなり溜まっている感覚であり、もう少し絶対的な睡眠時間の確保は必須と痛感している。しばらくはやむを得ず今のペースが進む見込だが、上述の(A)の外注化等により何とか少しずつ時間を捻出してゆきたい。

「(E) 職場の掃除」および(E')も、外注化の進捗等にも起因して、この1週間では久しぶりにかなり進めることができた。当面は断続的に進めることになろうが、出来る範囲で進めてゆきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
10(15)  30(30)  15(15)  15(15)  240(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(79)


今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。5月の大型連休後しばらくは連休中の十二分な時間を充てられたため早めに仕上げられたが、その後は以前のペースに戻っている。

今回は、前々号・前号と連続して小生の執筆記事とメルマガ下案の仕上げが遅くなってしまった反省から、できるだけ今回は早めに仕上げようと意識していたものの、仕事量が絶対的に増えたこともあり、今回は本記事の仕上げは発行日7/21(日)の1週間前、7/14(日)深夜になってしまった。連休となる7/13(土)〜15(月祝)まで時間を捻出できない事情はあったにせよ、ここ最近ではワーストの遅さであるため、次号以降は何とか工夫して時間を捻出できるよう努めたい。なお、今回も考察の素案自体は7/11(木)にはほぼ固まっていた。

なお、連休後しばらくは、休日の一日の予定、その日にやるべきタスクを予定表に予め明記し、その通りにこなしていくよう努めていたが、6月頃から絶対的に仕事の量が増え、予定表の記述自体の時間も惜しくなり、中断してしまってはいる。幸い、7月に入り時間に少し余裕ができる場面もあったが、中断したまま現在に至っている。時間に少しでも余裕ができたならば、予定表の明記とそれに沿った行動は改めて必須としてゆきたい。



さて、446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も、それに関して少しだが進捗があったので、それについて述べる。

仕事での些細なミスに起因してやや不快な気分になることが今現在までも度々あるが、感情モニタリングのセルフチェックの適宜繰返しにより不快な感情が鎮まるまでに、前々号の段階では約6時間、前号段階では約3時間を要していた。

今回は、先日7/12(水)頃だが、鎮まるまでに約1時間半程度であったと記憶している。感情モニタリングの訓練の成果なのか、所要時間が半分、さらに半分と劇的に短縮してきているようにも見える(とはいえ、同じ訓練度であっても、元の不快の程度により鎮まるまでの時間は異なるとも考えられるため、単純に糠喜びはできないとは思っている)。

加えて、鎮まるまでの所要時間が短縮されたのみならず、途中途中でのセルフチェックの実施回数やインターバルについても、やや大まかだが知見が得られた。即ち、不快の程度が比較的軽い場合、セルフチェックの回数は3回前後、インターバルとしては(やや幅があるが)10〜30分程度で鎮まる効果を実感できるようになる。

以上の数値データを基準として、さらに自己観察を考察を進め、不快の程度により、チェックの回数・インターバル、鎮まるまでの所要時間を一覧表にまとめられるようにしてゆきたいと考えている。

● うっかりミス等の撲滅(80)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

なお、できるだけ先延ばしの反対、前倒しで記事を仕上げるよう努めてはいるが、仕事に追われ、今回も本記事は原稿1通目として前号発行日の4日後7/25(木)に仕上げられている。前号よりは回復したものの、次号以降は少しでもより早いペースに戻したいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日7/25(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も前回同様のペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から更に外注業者との調整等を進めており、業者側が準備に着手し、再開までのカウントダウン状態である。「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、この2週間も自力プログラミングの一歩手前の段階として考察を引き続きある程度進めることができている。ただし、後述の睡眠不足に起因して、集中力がやや落ちている自覚があるため、少し成果という意味では足踏み状態ではある。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き毎日当日中に終えている。(主にこれにより睡眠時間を犠牲にしている面も否めないが、)ペースとして全く変わりなく、今後も堅持してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、この1週間は家族のスケジュールの都合により、毎朝起きる時間が少しだけ遅くなったため、就寝時間が同じでもある程度はまとまった睡眠時間を確保できている。疲労が溜まっていると前回述べたが、7月半ばの連休とこの1週間の睡眠時間確保で、何とか疲労の蓄積を少しでも解消できればと考えている。加えて、同じ睡眠・休憩時間でも、少しでも昼寝や夜の睡眠の質を高める工夫も必須と考えている。今後はその点に重点的に取り組みたい。

「(E) 職場の掃除」は地道にすき間時間で少しずつ進めている。(E')は前回はある程度進められたが、この2週間は主に睡眠時間確保のため、敢えてストップさせている。



なお、本記事の執筆を仕上げている7/25(木)は、以前と同様に、その日一日にこなすべきタスクをリストアップし、できるだけ計画的、効率的に1日を過ごすよう努めた。5月の連休以降は、このリストアップをやや怠っていたが、前号記事で述べたことを契機に、一念発起して再開した。やはり、これを行うと、1日の過ごし方に緊張感を保て非常に有意義、効果的であると感じている。一点、タスクの達成率をできるだけ100%にすべく、時間配分に余裕を見てリストアップしたつもりが、逆にその時間余裕が仇となり、途中途中で非効率的な時間の使い方をしてしまった反省はある。次週以降は、その点を改善してゆきたい。

最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A   C    E    E'   G
0(0)  15(15)  15(15)  0(0)  240(300) 単位:分




● うっかりミス等の撲滅(81)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。5月連休以降は連続して小生の執筆記事とメルマガ下案の仕上げが遅くなってしまった反省から、できるだけ今回は早めに仕上げようと意識していたものの、仕事量が絶対的に増えたこともあり、今回も本記事の仕上げは発行日08/03(日)の1週間前、7/28(日)昼間になってしまった。前号と同じペースであるが、このペースが定着してしまうのは良くないと考えており、折しも間もなくお盆休みに入ることから、ペースの立て直しを何とか図りたい。

なお、前回までに中断していた休日の一日にこなすべきタスク一覧および予定表を今回は久しぶりに前夜のうちに記し、翌日にできるだけその通りに実行することができた。全て予定通り完璧にできたわけでもないが、少なくとも8割は達成できたことから、一定の進歩であったと考えている。今後は休みの日に必ず予定表を記し、かつ100%達成できるように改善してゆきたい。



さて、446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回は、直接的な成果はあまり無かったものの、いくつか気付いた点があったので、それについて述べる。

まず、今回も不快な感情が続くことはあり、その不快な感情を鎮めるべく、感情モニタリングのセルフチェックによる効果もある程度は確認されたが、それ以上に睡眠時間を十分に確保する方が圧倒的に大きな効果が得られることを再認識した。一般に、睡眠不足が続くと怒りっぽくなりやすいとのことだが、それは全くその通りであったようにも思う。改めて、出来る限りの睡眠時間、および睡眠の質の確保に最大限の力を注いでゆきたい。

加えて、前回まで以上に細かい数値データを採取するためには、セルフチェックを毎日四六時中、高頻度に意識し続ける必要があるとも痛感した。仕事などに集中していると、どうしてもセルフチェックなど他のことは頭から抜けてしまう。思い出す頻度が低ければ、その頻度以上に細かいデータは原理的に採取できないことになる。幸い、上述の通り、休日はタスク予定表を記してその通りに実行する取組みを復活させられたことから、そのタスクの一つとして、可能な限り短い頻度でセルフチェックを実行するという項目を常時含むようにしておきたい。その上で、前号で述べた目標、即ちセルフチェックの回数・インターバル、鎮まるまでの所要時間を一覧表にまとめるという取組みを確実に実行できるようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(82)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

なお、できるだけ先延ばしの反対、前倒しで記事を仕上げるよう努めてはいるが、仕事に追われ、お盆休みで十分時間が確保できるとの見通しから、今回は本記事を原稿1通目として前号発行日の8日後8/12(月)に仕上げられている。前号までよりも少しペースは悪化してしまった。理由はどうあれ、次号以降は少しでもより早いペースに戻すべく、このお盆休みの期間を使って、次号原稿を前倒しで執筆しておきたいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日8/12(月)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。今回も前回同様のペースで推移している。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回直後から大きく進展した。後述の(C)に時間を割く必要はあるにせよ、外注業者との作業分担をしつつ、自力での範囲を予定通り進めておきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、この2週間は睡眠時間の確保等を優先すべく一旦手を止めたが、お盆休みに入り、睡眠時間は今までの不足分を十分補えるようになったことから、残る時間を有効に使って、(A)と同様に進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、この2週間は、(C)と同様に睡眠時間確保のため、敢えて翌日が休日の場合に限り翌日に持ち越すことがあったが、基本的には引き続きその日のうちに終えている。今後も堅持してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、前回から引き続き、毎朝起きる時間が少しだけ遅くなったことでまとまった睡眠時間を確保できた。さらに、5月の連休時と同様、この山の日を挟んだ連休中に十二分な睡眠を確保でき、疲労の蓄積は十分解消できたと考えている。昼寝や夜の睡眠の質を高める工夫にはまだ殆ど着手できていないことから、今後はその点に重点的に取り組みたい。

「(E) 職場の掃除」は引き続き地道にすき間時間で少しずつ進めているが、この(E)も(A)と同様に新たに外注業者に一部委託することにした。引き続き自力で進める面も残るが、これで(A)と同様に劇的に進展すると期待される。(E')はこれまでしばらく休止していたが、これもこのお盆休みで少しは再開できると期待される。予定を組んでその通りに実行してゆきたい。



なお、前回再開したと述べたなすべきタスクをリストアップし、できるだけ計画的、効率的に1日を過ごす取組みは、お盆前までの休日にはほぼ実行できた。睡眠を優先すべく山の日の連休中は休止したが、本記事仕上げ日の翌日8/13(火)以降は再開したい。その際、前回述べた反省点を改善したい。

最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C   E    E'   G
10(10)  0(0)  15(15)  0(0)  270(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(83)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。今回もできるだけ早めに仕上げようと意識していたものの、前記事(82)と同様に、お盆休みに入るという安心感・甘えも少しあり、本記事の仕上げは発行日08/18(日)の6日前、8/13(火)になってしまった。前記事で既述の通り、次号からはペースの立て直しを図りたい。



さて、446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も前回に続き、正直なところ、データ採りという面での直接的な成果はあまり無かったものの、さらに考察を進め、今後のデータ採りのあり方について掘り下げて考えられたので、今回はそれについて述べる。

前回までに、感情モニタリングのセルフチェックの回数・インターバルに対して、前後の感情状態の変化を数値データとしてデータ採りする必要性を述べた。加えて、セルフチェックを毎日四六時中、高頻度に意識し続けねば、なかなかデータ採りは軌道に乗らないとも述べた。

幸い、後者については、お盆休みに入ったことから、集中的に高頻度なチェックのトレーニングを行うことで軌道に乗ると期待される。そこで、前者のデータ採りのあり方についても改めて塾考することにした。その結果、数通りのデータ採取の流れのパターンを作り、その通りに実行することで、パターンを作らない場合よりもデータ採りしやすくなると考えるに至った。以下では、そのパターンの詳細を述べる。:

まず、セルフチェックのインターバルのパターンを3通り作る。具体的には、短(2分半または5分)・中(15分)・長(1時間)である。その上で、チェックの回数は原則として7回と固定する。7回の根拠は、認知心理学のセオリーのであるマジカルナンバー(→参考サイト)、およびそれを踏まえての河野義和氏の考える感情モニタリングに関するセオリー(詳細は後日改めて掘り下げたい)である。マジカルナンバーは今現在は7ではなく4が定説のようだが、小生個人の経験も踏まえ、敢えて多めの7としたい。

このパターンを基に、このお盆休みの期間に、できればインターバルを長中短と変えながら(少なくとも短のパターンを優先して)、7回のチェック時の感情状態を紙面などにチェックして記す癖を付けたい。この取組みの進捗は、このお盆休み中に間を置かずに次号分の記事(85)で報告したい。


● うっかりミス等の撲滅(84)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

前号は執筆仕上げが遅くなってしまったが、前号記事の最後で述べたように、今回はお盆休みの時間を十二分に活用できたため、本記事(84)および次の記事(85)ともに執筆を前号456号発行日である8/18(日)に仕上げることができた。これでようやく以前のペースに戻すことができた。併せて、お盆明け以降の定例のタスクもこのお盆の間にできるだけ前倒しで用意しておくことができたため、次号458号記事(86)〜(87)も8/22(木)頃には仕上げられる見込である。これ以降は、メルマガ発行日に前後して次々号の記事を常に執筆するペースを維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日8/18(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」、「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、(E')は、前号記事(82)仕上げから1週間未満と短かったこと、お盆休み期間であること、および(C)を今回は最優先したため、今回は進捗は敢えて無しとした。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、この1週間で最も進められたタスクである。お盆休みに入り、睡眠を十二分に摂ることができ、集中的に(お盆前までと比べて)冴えた思考ができるようになったことが大きい。まだ今現在は頭の中でアルゴリズム、フローチャートを考えている段階ではあるが、かなり考えをまとめることができた。引き続き、このまとめを土台にして、すき間時間を有効に使って思考をさらに進め、できれば来月以降はコーディング(プログラムコードの記述)まで進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、前号執筆段階で一旦十分な睡眠時間を確保できたが、さらにその後もタスクを進めつつ、普段よりは長く睡眠時間を確保できた。お盆以降は以前のペースにある程度戻らざるを得ないが、上述のようにお盆以降のタスクをできるだけ前倒しで準備できたため、その分を睡眠時間の確保に向けたい。

「(E) 職場の掃除」は外注業者に一部委託する前段階で自力でできることを引き 続き進めた。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A   C    E    E'   G
0(0)  60(60)  15(15)  0(0)  420(480) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(85)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。今回は前記事(84)と同様、お盆休みの時間を十二分に活用できたため、前号456号発行日の8/18(日)に仕上げられている。

446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回は前回記事(83)執筆仕上げ日から1週間以内と短いこと、前回データ採りの手法を具体的にある程度細かく考案したこと、およびお盆休みで十分な時間を捻出できたことから、データ採りという面でも一定の成果はあったと自負している。以下ではそれについて報告したい。



前回、感情モニタリングのセルフチェックについて、チェックのインターバルのパターンを3通り作ると述べた。直後から、早速その手法を自ら実践し、データ採りをすることにした。前回3通り挙げたが、まずはインターバルを最小の2分半〜5分として実践した。以前はスマホのアラームを用いて2分半なり5分おきにアラームが鳴るようにし、正確に2分半または5分の間隔でチェックを行うようにしたが、今回はお盆休みで家族と常に一緒であったことから、アラームは用いず、時計を常に見て時間経過を意識しながらチェックを繰返し行った。

まず、数日に渡り断続的にだが高頻度に繰返し繰返しチェックを行ったことで、頻繁なセルフチェックの癖を再度ある程度付けることができた。ただし、時間間隔などにムラがあるため、引き続き時間を見て、アラームも多用してより正確に癖を付けてゆきたい。

次に、チェックの回数について、認知心理学のセオリーのであるマジカルナンバーとなる回数(ひとまず7回)を1セットとする旨を前回述べた。この1週間での実践の上では、正確に7回とカウントできてはいないものの、概ね7回程度を1セットとして繰返しチェックを行うことはできた。



この1週間は、不快な感情になること自体が無かったため、不快な感情の解消という目的でのデータ採りはできていないが、例えば自分の好きな飲食物を摂取した際などに嬉しい、または快適な感情になった瞬間をある程度細切れ的にではあるが、セルフチェックすることはできた。ひとまず、この1週間で気付いたこととして、不快な感情と異なり、快適な感情の場合、高頻度に繰返しセルフチェックを繰り返しても、その快適な感情が鎮まることがなく、むしろ増長する効果があるようにすら感じたことが挙げられる。

当面はこの先も、不快な感情の解消に関するデータ採りを優先してゆきたいが、今回のような快適な(嬉しい、楽しい、またはやや興奮気味の)感情についても併せて少しずつデータ採りと考察を繰返し、今回のデータの信憑性なども含めて、さらに研究してゆきたいとは考えている。

● うっかりミス等の撲滅(86)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

前々号までは執筆仕上げが遅くなってしまったが、前号と同様に今回もお盆休みの時間を十二分に活用できたため、特に前号での予告通りに次々号の記事を常に執筆するペースにすべく、本記事(86)の執筆を次号457号発行日の1週間前である8/25(日)に仕上げることができた。前号で予告した8/22(木)よりは3日遅れてしまったが、8/22の前から執筆は着手できており、自分の中では前進することができた。今後もこのペースを維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日8/25(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

まず、「(A) 広告関係の下案作り」は、業者とのやり取りも含め、まだ少しではあるが進めることができた。引き続き、当面は特にデザイン面を掘り下げたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」も、前号段階から引き続き、毎日少しずつではあるが、すき間時間を有効に使って頭の中で考えを進められている。前号の繰返しになるが、来月以降はコーディングまで進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」はお盆前と同様に原則としてその日のうちに完了できている。「(E) 職場の掃除」も同様に毎日すき間時間で少しずつ進められている。

「(G) 睡眠時間の確保」は、お盆前のペースに戻りつつも、お盆休み中に前倒しで進めていたおかげで、お盆前よりは少しだけ多めに睡眠時間を確保できた。前倒しペースをできるだけ今後も維持し、少しでも睡眠を多く確保してゆきたい。

前号段階では(E')は進捗が無かったが、今回は久しぶりにまとまった時間を費やして計画を進めることができた。以前に進捗があった頃の復習と頭の整理の段階ではあるが、少しだけ考えを進め、新たな着想を得ることができた。これも今後は他と同じくすき間時間を使って少しずつ進めてゆきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
15(15)  15(15)  15(15)  15(15)  300(300) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(87)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。今回は前記事(86)と同様、お盆休みの時間を十二分に活用できたため、当初予定の8/22(木)よりは遅れたものの、何とか前号457号発行日の5日前である8/27(火)に仕上げられている。

446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りしている。今回も前回記事(85)に続き、データ採りという面でかなり直接的な成果があった。以下でそれについて報告する。



前回から引き続き、感情モニタリングのセルフチェックについて、チェックのインターバルを3パターンのうち最小の2分半〜5分として実践を続けている。前回記事の段階では、お盆休みということもあり、不快な感情になること自体が無かったが、この1週間では幸いにして(?)久しぶりに長い時間不快な感情に陥ることがあった。最初は怒りの感情が先行し、セルフチェック自体が頭から抜けていたが、途中でふと思い出し、繰返しチェックを行うことができた。

回数をできるだけ意識していたところ、たまたまかもしれないが、前号記事で挙げた7回程度繰返しチェックを行った段階で、不快な感情が鎮まってくるのを実感した。自分としては、かなり大きな収穫、前進であると思っている。

ただし、各7回のチェックにつき、ただ漫然とチェックすれば良いわけではなく、ちょっとした工夫が必要のようである。以下にそのコツを列挙しておく。:

@まず、「今の気分は良いかい?」と自分自身に心の中で問い掛ける。
A強弱を問わず不快との返答を得たら、不快な感情を意識するのをすぐ止め、 代わりに特定画像を頭の中にイメージし、その画像をしばらく意識する。

なお、特定画像とは、気分が快適になる、リラックスできる、またはプラスな意味で興奮できる何らかの画像を指す。具体的には、癒し効果のある風景画や趣味の対象物、好きなミュージシャン、恋人の姿などが挙げられる。

ここで特に大事な点は、不快な感情を意識するのをすぐ止めることである。不快な感情を繰返し長く意識し過ぎると、かえって不快な感情が増幅してしまい、逆効果になってしまう。これは河野義和氏も著書の中で述べており、また小生も実践する上で何度も経験していることである。

● うっかりミス等の撲滅(88)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

前々号までは執筆仕上げが遅くなってしまったが、前号と同様に今回もお盆休みの時間を十二分に活用できたため、特に前号での予告通りに次々号の記事を常に執筆するペースにすべく、本記事(88)の執筆を次号458号発行日の10日前である9/5(木)に仕上げることができた。前号記事は当初予告から3日ほど遅れてしまった反省から、今回は当初予定通りに完了できたため、自分の中では前号よりもさらに前進することができた。今後もこのペースを維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日9/5(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

まず、「(A) 広告関係の下案作り」は、業者とのやり取りを除けば、自力でできるものは時間的な制約から残念ながら前回から進展はないが、今月に入り、他のタスクが進捗した後から少しずつ時間を捻出し、特にデザイン面を掘り下げてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」も、前号段階から引き続き、毎日少しずつすき間時間を使って頭の中で考えを進めている。前回よりは、コーディングの段階に少しだけ進んだが、今月の連休時などを有効に使って、より本格的なコーディングまで進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は引き続き原則としてその日のうちに完了できている。「(E) 職場の掃除」も同様に毎日すき間時間で少しずつ進められている。(E)に関しても一部は定期的に外注化することにしたので、その準備として専門業者とのやり取りを進めている。次回までには、概ねその準備は完了する見込である。

「(G) 睡眠時間の確保」は、9月に入り、7月以前のペースに完全に戻ったが、時間の使い方を最大限工夫し、就寝時間を以前よりも1時間前倒しにできている。1日あたりの睡眠時間総計が同じであっても、やはり集中的に通しで寝られる方が起床後のすっきり具合、体調などが明らかに異なる実感はある。今後もこのペースを維持してゆきたい。

(E')についても、前号に続き、前回ほどではないが、引き続き一定の時間を費やして計画を進めることができた。前回は以前の復習と頭の整理が中心であったが、今回はさらに少しだけ考えを進めることができた。引き続きこのペースで少しずつ進めてゆきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A   C    E    E'    G
0(0)  15(15)  15(15)  15(15)  300(300) 単位:分





● うっかりミス等の撲滅(89)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。今回も前記事(88)と同様、出来る限り前倒しペースで原稿を仕上げようと努め、当初予定の9/12(木)よりは遅れたものの、何とか前号458号発行日である9/15(日)に仕上げられている。

これまで、446〜448号記事で述べたように、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りをしてきた。その過程で、前回記事(87)で述べたように、データ採りの面でかなり直接的な成果があったため、今回からはデータ採りに力点を置く段階を終え、より実践的かつ更なる大きな成果を出すべく、次の段階の取組みを始めている。今回はそれについて述べる。



前回述べた感情モニタリングに関する独自に発見した改良的方法を今回も引き続き実践している。前回記事執筆後、不快な気分になることは何度もあったが、毎回必ずではないにせよ、おおよそ半分程度の頻度で、この改良的方法を自ら実践することで、不快な感情を鎮め、むしろ比較的快適な気分に持っていくことができた。その点で、更に成果が日々少しずつ肉付けされているのは間違いないと確信している。

そこで、次なる目標は、この改良的方法による効果を得る頻度を上げ、最終的には不快な感情になった際に限りなく百発百中で鎮められるようにしたい。そのためにも、現状で不快な感情を鎮められない場合があるのは何故かを自問自答してよくよく分析対策しておく必要があると考える。以下では、それについて論考したい。

現状では、思い立った際に「今の気分は良いかい?」と自問自答するようにしているが、その頻度を正確に時間計測しているわけではない。かといって、日々仕事に追われるような状況において、いちいちタイマーを使って正確に時間計測していられるかと言えば、常時必ずというのは難しいのが実情でもある。

何か良い方法が無いか、前号記事執筆後からずっと考え続けてきたが、ふと一つ思い付いた。あくまで試行錯誤的な方法の一つとしてだが、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続ける試みを始めてみたい。ここで、特定画像とは、前号記事で述べたように、気分が快適になる、リラックスできる、またはプラスな意味で興奮できる何らかの画像を指す。


● うっかりミス等の撲滅(90)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで、執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前号あたりから次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。とはいえ、前号は記事1通目は比較的早かったものの、2通目が結局遅くなってしまった反省はある。幸い、9月は連休が続くため、貴重な休日の時間を有効活用して遅れを取り戻したいと思う。なお、本記事は前号459号発行日の翌日9/16(月祝)に仕上げている。常に次々号記事を執筆するペースとしては少し遅く、この1週間でもう1号分(つまり記事2通分)を仕上げたいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日9/16(月祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、この2週間は後述(C)に関連して業者とのやり取りと自力での準備に時間を取られたため、今回も(A)について自力でできる範囲は時間的な制約から残念ながら進展はない。この(C)に関連したやり取り・準備はあと1週間程度時間を取られそうなので、何とか今月中には、少しずつ時間を捻出し、特にデザイン面を掘り下げてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回は自力でのコーディングまでは行かないものの、一部外注のための業者とのやりとり、およびそのための準備の面で比較的大きな進展があった。上述の通り、ひとまずこのやりとり・準備をあと1週間程度続け、今月中には本格的なコーディングまで進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」は引き続きその日のうちに終えられている。(E)の外注化のやり取りは予告通り前週のうちに完了した。この点では遅れはなく予定通り順調と言える。

「(G) 睡眠時間の確保」は、前号段階では就寝時間を1時間前倒ししていたが、その後段々と遅くなってきてしまった反省はある。そこで、数日前から強制的に1時間前倒しで就寝できる工夫をすることにした。具体的には実に些細なことだが、非常に効果的であり、再度早めに就寝できるようになった。この工夫は持続性があることから、今後も効果の維持が期待される。

(E')については、(A)と同様に(C)の業者やり取り・自力準備に時間を取られたため、今回はほぼ全く進展はない。次回の連休時に少しだけでも進展できればとは考えている。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A   C    E    E'   G
0(0)  30(30)  15(15)  0(0)  300(300) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(91)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前号記事(89)は当初予定より遅れたが、出来る限り前倒しペースで原稿を仕上げようと努めており、今回も前記事(90)と同様、本記事も連休の時間を有効活用し、前号459号発行日の翌日9/16(月祝)に仕上げられている。

これまで、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りをしてきたが、その過程で、前々回記事(87)で述べたように、データ採りの面でかなり直接的な成果があったため、前回から次の段階の取組みを始めている。今回もその続きを述べる。



前々回、感情モニタリングに関して独自に発見した改良的方法を紹介した。これ自体、少なからぬ成果と確信しているが、不快な気分に陥った際、まだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるため、あくまで試行錯誤の一環として、更なる改良的方法を前回考案した。今回は、具体的には、その方法の実践結果について主に述べる。

前回記事仕上げ日からわずか1日しか経過してはいないが、連休で時間を捻出できたこともあり、おかげさまで集中的に実践できている。その中で得られた知見が少なからずある。以下で順に紹介したい。



まず、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続けるよう試みたが、概ね上手く行っている。常に100%思い浮かべられるまでは行かないが、実感として、おおよそ70%の時間は思い浮かべられているように思う。かつ、常時、または繰返し繰返し思い浮かべることで、その特定イメージを思い浮かべ易くなっていると実感している。

加えて、できるだけ高頻度に「今の気分は良いかい?」と自問自答するようにしているが、この自問自答へのレスポンスの確実性・速さともに向上しているように実感している。

以上2点からすれば、自然と良い方向に向かっていると言える。前号で試行錯誤的な方法として紹介したが、十分効果的な方法と言えるのではなかろうか。よって、当面はこの方法を可能な限り常時実践し、限りなく100%特定イメージを想起でき、かつ百発百中で不快な気分を鎮められるよう、成果を出してゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(92)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで、執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前々号頃から次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。前号460号記事は9月の連休の貴重な休日の時間を有効活用し、458号発行日の翌日9/16(月祝)に仕上げた。これと同じペースとして、本記事は2号分前の459号発行日の前日9/28(土)に仕上げている。このペースは今後も維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日9/28(土)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、この2週間も自力でできる範囲は時間的な制約から残念ながら進展はないが、外注業者の協力を得て素案が見えてきたため、その業者と話し合い、少しだけ進展が見られた。今後は、この素案を叩き台として、デザイン面の詳細を詰めてゆきたい。本記事を執筆している9月最後の週末で何とか最低限の時間を捻出したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、(A)と同様に外注業者とのやりとりの面である程度の進展があった。そのやり取りを通じて、半ば強制的に自力でのコーディングについてもごく一部だが何とか進展する格好となった。10月以降も、(A)と同様に外注業者とのやりとりを続け、本格的なコーディングまで進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」は引き続きほぼその日のうちに終えられている。この2週間は、(D)はその日のうちに終えるのを敢えて翌日に持ち越すことが何度かあったが、おかげで睡眠時間を最低限確保できた。(E)は業者とのやり取りが進み、外注化が今回は大きく進展した。この点では前回に続き遅れはなく、予定通り順調と言える。

「(G) 睡眠時間の確保」は、前号段階で再度遅くなりかけていた就寝時間を1時間前倒しする工夫を始めたが、予想通りに2週間を経た現在でも効果は持続しており、再度早めに就寝できている。このペースを堅持してゆきたい。

(E')については、今回も(A)・(C)・(E)それぞれの担当外注業者とのやり取り・自力準備に時間を取られたため、残念ながら9月2回目の連休も時間を捻出できず、今回もほぼ全く進展はない。10月以降の連休時に少しだけでも進展できればとは考えている。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A   C    E    E'   G
5(5)  30(30)  15(15)  0(0)  300(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(93)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前々号記事まで当初予定より遅れることが多かったため、出来る限り前倒しペースで原稿を仕上げようと努め、前回は9月の連休の時間を有効活用し、前々号459号発行日の翌日9/16(月祝)に仕上げられたが、今回は連休が終わり時間が十分に捻出できなかったこともあり、本記事の仕上げは10/6(日)になってしまった。

これまで、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りをしてきたが、458号記事(87)で述べたようにデータ採りの面でかなり直接的な成果が得られ、感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見したため、その後は次の段階の取組みを始めている。即ち、不快な気分に陥った際、まだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるため、あくまで試行錯誤の一環として更なる改良的方法を考案し、実践している。今回もその経過を述べる。



前回から、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続けるよう試み続けている。

前回記事の段階では、その前記事の執筆から1日しか経過しておらず、連休中であったこともあり、1日経過する中では概ね上手く行った。今回は、その前回記事仕上げ日9/16から3週間も経過したが、やはり100%常時思い浮かべるまでにはまだまだ至っておらず、道半ばではある。

とはいえ、作業と作業の合間や休日の僅かな余暇時間など、少しでも余裕ができた際には、特定イメージ画像の想起と「今の気分は良いかい?」の自問自答を、少なくとも1回は実行できている。とにかく手が空いたら、時間が出来たら、それらの想起・自問自答を繰り返すという意識付けは十分できてきていると確信している。何か特定の物事に没頭しがちな性格だが、途中でふと意識が我に返った際に想起・自問自答ができているので、一日を通じて忘れることはほぼ無い。

なお、上述のように常時100%特定イメージを想起しようと試行錯誤している中で一つ気付いたことがある。イメージをできるだけ鮮明に想起しようと意識していると、自然とトランスの状態に入っていくことがあった。感情モニタリングのみならず、自己暗示の面からも、上述の想起・自問自答に加えて、トランスにもある程度の頻度で入れれば理想的ではあるが、意識せずとも自然と入れるのならば、それはそれで助かる面はある。引き続き、自然とトランスに入る頻度などについても自己観察、研究をしてみたい。


● うっかりミス等の撲滅(94)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで、執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前々号頃から次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本号の前号461号記事よりは少し後退したものの、462号分の本記事も461号発行日の1週間前10/20(月)に仕上げられている。仕事に追われる毎日のため、連休があるか否かでペースはやむを得ず変わってくるが、次々号記事を常に執筆するペースは今後も維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日10/19(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、外注業者の協力により、この3週間の間に相当な進展があった。前回は机上の素案ベースであったが、今回の進展をベースにして、デザイン面をより詳細に詰められるようになった。併せて、その検討結果を踏まえ、別の業者にも細部の作業を依頼でき、加速度的に成果が得られた。前回から週末の度に少しずつ検討の時間を捻出してきたが、今後は今までと同じ作業時間でもより効率的に作業を進められることが期待できる。後述(C)の進展具合を踏まえ、より多くの時間を捻出できるよう工夫してゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」についても、(A)と同様に、外注業者とのやりとりを中心にかなりの進展があった。やりとりの結果、結果的に自力コーディングの作業負担は当初想定よりも減りそうだが、前回と同様に業者とのやり取りを通じて、半ば強制的にコーディングを行う上でのアルゴリズム構築はさらに進展があった。当面このペースを続け、年内には最低限度の初歩的機能を持ったアプリ構築を完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、および(E')は、前回までと同様である。(D)は今回も後述の睡眠時間確保のため翌日に持ち越した日がポツポツあったが、特に問題なく推移している。(E)は外注業者のおかげで前回以上に相当な進展があり、今後はその業者との定例のやりとりにより、かなり当方の労力負担は減る見込である。

「(G) 睡眠時間の確保」も前回から引き続き概ね早めに就寝できており、平均の睡眠時間は今までよりも明らかに増加している。このペースを堅持してゆきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E   E'   G
30(30)  30(30)  5(5)  0(0)  360(360) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(95)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。前記事(94)と同様に、次々号の原稿を常に執筆するペースを維持すべく、本記事(95)も461号発行日の1週間前である10/19(日)に仕上げられている。前号記事(93)の仕上げ日から丁度2週間後であるため、ペースは前回と同じことになるが、できれば連休の時間なども有効活用した上で、できるだけ前倒しペースでの記事仕上げに努めてゆきたい。

これまで、感情モニタリング法を上手に実践すべく、1回のチェック自体に要する時間、ならびに次のチェックを行うまでに開ける時間を意識し、数値データ採りをしてきたが、458号記事(87)で述べたようにデータ採りの面でかなり直接的な成果が得られ、感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できた。

そこで、その後は次の段階の取組みを始めている。即ち、不快な気分に陥った際、まだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるため、あくまで試行錯誤の一環として更なる改良的方法を考案し、実践している。今回もその経過を述べる。



前々回から、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続けるよう試み続けている。

前回段階では、なかなか100%常時思い浮かべるまでには至っておらず道半ばと述べたが、この2週間、特に直近の1週間ではかなりの進展があった。即ち、前回も述べたが、作業と作業の合間や休日の僅かな余暇時間など、少しでも余裕ができた際には、特定イメージ画像の想起と「今の気分は良いかい?」の自問自答を意識的に行うよう、ひたすら繰り返した結果、前回までの段階以上に、かなりの高頻度で仕事中なども実行できるようになってきた。例えば、歩きながらでも、特定イメージが実際に見えている目の前の風景と頭の中で重なって見えるようになった。

その成果なのか、先日のある日、仕事で上手く行かない面があり、それまでならば大なり小なりイライラしていたが、そのイライラ感が自然と鎮まる、またはそもそも発生しないようになってきたことにふと気付いた。代わりに、夜間にそれまで溜まっていたイライラ感が急に噴出するような出来事は1回だけあったが、それ以降は特に発生していない。つまり、感情のコントロールという面では成功を収め続けていることになる。

今後も引き続きこの状態を維持するとともに、100%常時思い浮かべられるよう、さらに訓練を重ねてゆきたい。なお、前回触れたトランス状態については、今回は特に意識していなかったが、上述の成功を土台に、今度はトランスを中心的に研究を深めてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(96)


本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで、執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前々号頃から次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。463号分の本記事も前号462号発行日の1週間前11/04(月祝)に仕上げられている。今回は11/3〜4が連休であったため、どうしても時間の確保のために早くできなかったが、ペースとしては前号462号と同程度であった。次々号記事を常に執筆する今のペースは今後も堅持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日11/04(月祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から引き続き、外注業者の協力により前回と同程度の進展具合であった。即ち、デザイン面の詳細を詰める作業が進展し、業者2者それぞれから前号段階で依頼していた細部の作業がひとまず仕上がった。業者からの仕上がりが速いため、こちらも間を置かないように意識するようになり、結果的にとんとん拍子に進んでいる。我ながら、今までのペースの遅さからすると、見違えるほどの進展である。後述(C)に費やすべき時間の捻出も踏まえると、今後当面は時間配分としては現状維持がベストと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」についても、(A)と同様に今回もかなりの進展があった。前回までのやりとりを踏まえ、(A)と同様に業者に作業着手してもらう段階に達したため、コーディングを行う上でのアルゴリズム構築が少しずつだが形になり始めている。当面このペースを続け、前回述べたように、年内には最低限度の初歩的機能を持ったアプリ構築を完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、および(E')は、前回までと同様だが、これまでの(E)に加えて(E')も新たに外注業者に一部委託することにした。全体を丸投げすると特注扱いとなり極めて高額になることから、既製品も上手に織り交ぜて、一部外注(特注)することで安価に対応することにした。早速、この1週間のうちに、(E')の一部を委託できる業者を何社か探し当て、コンタクトを取り始めた。次までには、これも(A)や(C)のように作業着手してもらえるように勧めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」も前回から引き続き概ね早めに就寝できており、平均の睡眠時間は前回と同じく一定の睡眠時間を確保できている。このペースを堅持してゆきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E   E'   G
30(30)  30(30)  5(5)  0(0)  360(360) 単位:分




● うっかりミス等の撲滅(97)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回は本記事の仕上げは462号発行日11/10(日)になってしまった。前記事(96)と同様にできれば11/3〜4の連休に仕上げたかったが、以前のペースに戻ってしまった。本記事仕上げ日以降の2週間は連休もなく時間を十分取れる日がなかなかないが、何とか工夫して前倒しペースでの記事仕上げに努めてゆきたい。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたため、その次の段階の取組みを続けている。即ち、不快な気分に陥った際、まだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるため、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回もその経過を述べる。

前回までと同様、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続けるよう試み続けている。前回はかなり高い頻度で実行できるようになったと述べた。



その頻度は前回からの3週間の間も概ね維持できているが、この1週間は仕事で同時並行で進めるべきことが多く、それらのことを常時考え続けていたため、その分特定イメージ画像を思い浮かべられる頻度は落ちてしまった。その点は気にしており、やや大げさだが危機感を持っていたため、本記事仕上げ日前の数日間は特に時間を見つけては意識的に思い浮かべるようにしてきた。

そこで新たに得た知見として、一時的に仕事などに集中せざるを得ず、特定イメージ画像を思い浮かべられる頻度が一時的に落ちたとしても、時間を作って再度思い浮かべる訓練を短期的に繰り返すことで、ほぼそれ以前の頻度に戻すことは比較的容易にできるということである。当たり前と言えば当たり前ではあるが、思い浮かべる訓練ばかりに現実的に時間を取れない環境において、長期的に粘り強く訓練を続けるためには必須の知見ではないかと考えている。

今後は、さらにレベルアップを目指して、今回のように仕事など他のことに集中しながらも同時並行で特定イメージ画像を思い浮かべられるよう、常時100%の想起実現を目指して、さらに訓練を積んでゆきたい。



さらに、前々回および前回の最後で述べたトランス状態に入る訓練については、特定イメージを思い浮かべる訓練と並行して、この3週間は比較的意識し続けることができた。そこでの知見も少なからずあるが、詳細に述べると長くなることから、次の(99)で重点的に述べることにしたい。


● うっかりミス等の撲滅(98)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特に いわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。 これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで、執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前々号頃から次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。464号分の本記事は前号463号発行日の前日11/23(土祝)に仕上げられている。今回は前回記事を仕上げた11/3〜4の後の連休がここまで無く、どうしても時間の確保のために早くできなかったため、ペースとしては前号463号よりも少し遅くなってしまった。次々号記事を常に執筆するペースが少し後退してしまったが、何とか遅くとも年末年始の休みを利用してペースを戻してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日11/23(土祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から引き続き、外注業者の協力によりかなりの進展具合であった。前回までよりもさらに細分化して業者発注先を少し増やしたことで、前回はまだ保留状態であった別のデザイン面でも詳細を詰める作業が進展し始めた。前回までの進展箇所もさらに順調に進展している。後述(C)も今回からは(A)並みに進展し始めたため、そちらにもある程度費やす時間が増えつつあるが、(A)も後退させるわけにはいかないため、引き続き時間配分として現状維持に努めたいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、前回から目に見えた進展があったが、今回はさらにプログラミング作業着手の段階に至ったため、アルゴリズム構築も固まりつつある。このペースで行くと、最低限度の初歩的機能を持ったアプリ構築を年内に完了させるという前回述べた目標を少し前倒しできそうな見込である。その分、年明け以降に予定していた次の段階まで年内に進められそうであるため、年明け以降のロードマップを目下考え始めているところである。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、および(E')は、前回までと同様である。前回述べた(E')を外注業者に一部委託する計画が進み、ひとまず業者を一つに絞り、事前のやり取りを終え、発注直前の段階に至った。前回考えていたよりは既製品を使う割合が結果的に減ってしまう見込とはなったが、検討を重ねた結果、既製品では無理との結論になったため、やむを得ないと考えている。次回は発注を終え、作業が進んでいると見込まれる。

「(G) 睡眠時間の確保」は、今回唯一後退してしまったところである。上述の(A)・(C)が特に進展した結果、やり取りに費やす時間が増え、同時並行で進めざるを得なかったため、やむを得ず睡眠時間を削らざるを得なくなった。健康上よろしくないのは百も承知だが、今回ばかりは仕方ないと我ながら考えている。次回までには、何とか以前並みの睡眠時間を再度確保したいと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E   E'    G
45(45)  45(45)  5(5)  15(15)  300(300) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(99)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回も本記事の仕上げは463号発行日11/24(日)になってしまった。前々号の記事を常に執筆するペースを維持するには、できれば前記事(98)とともに前週11/16(土)〜17(日)に仕上げたかったが、以前のペースに戻ってしまっている。時間を十分取れる日がなかなかないのは相変わらずだが、前記事で述べた通り、年末年始の休暇も最大限に活用しつつ、何とか前倒しペースでの記事仕上げに努めてゆきたい。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたため、その次の段階の取組みを続けている。即ち、不快な気分に陥った際、まだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法として、仕事など何かをしている、または何かに注意が向いている際、常時並列的に頭の中に特定のイメージ画像を思い浮かべ続けるよう試み続けるといった手法を考案し、実践している。今回もその経過を述べる。



前回、一時的に仕事などに集中せざるを得ず、特定イメージ画像を思い浮かべられる頻度が一時的に落ちたとしても、時間を作って再度思い浮かべる訓練を短期的に繰り返すことで、ほぼそれ以前の頻度に比較的容易に戻せることを、経験則で得た知見として述べた。

今回は、さらに思い浮かべる頻度を向上させるべく、新たな試みを始めた。即ち、パソコンの前に居る際に、パソコン画面上の一角にそのイメージ画像を実際に表示させたまま仕事を進めることである。極めて単純な方法ではあるが、本記事執筆日の前日11/23(土祝)に継続して実践してみた結果、少なからぬ効果があることが分かった。

従来は、頭の中で特定イメージ画像を頭の中で訓練的に思い浮かべようと努めてきたが、そうすると、慣れないうちはかなり意識的に行わねばならず、意識が他に飛んでしまうと思い浮かべる時間間隔がかなり空いてしまうという問題点があった。

それが、パソコン上に表示させたままにしておくと、仕事の方に意識が行ったとしても、狭いパソコン画面上なので自然と目に入り、いちいち意識しなくともその特定イメージ画像が無意識の次元にすっと刷り込まれるような効果を生むようである。それにより、パソコンの前から離れても、頭の中で比較的に自然とその特定イメージ画像を思い浮かべ易くなるようである。

よって、パソコンの画面に表示させたままにする方法と、(パソコンの前に居る以外の場面で)従来通りの頭の中で思い浮かべる方法とを併用することが、最も効果が高いと考えられる。これが今回新たに得た知見である。



さらに、前回までも最後に述べてきたトランス状態に入る訓練についても、前回以前から少しずつだが知見を少なからず得られている。今回もそれを述べる余力がなくなってしまったことから、再度次回以降に持ち越しにしたい。


● うっかりミス等の撲滅(100)
本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで執筆仕上げが度々遅くなった反省から、前々号頃から次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。直近の数号分は再度ペースが遅くなったため、今回465号分の本記事は前号464号発行日の3日前12/05(木)に仕上げられている。この先、本記事中で述べる各タスクの進捗や外注化による時間捻出により、少しずつだが時間を採れそうなので、特に年末年始の休みも有効活用してペースを戻してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日12/05(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から引き続き、複数業者を交えて外注化により鋭意進んでおり、同程度の進展具合で順調に推移している。前々回までは保留状態であったデザイン面の詳細もほぼ固まってきた。後述(C)とともに当面年内くらいは前回までのペースを維持しながら進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、アルゴリズム構築もほぼ固まり、その次の段階でこの2週間弱の間にこぎつけることができた。年内はこのまできるところまで進め、年明け以降の進め方も前回よりは具体化してきたため、引き続き前倒しして年内から詳細を詰め始めるよう準備を進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、および(E')は、前回までと同様である。前回述べた(E')の発注はまだ諸事情で保留状態だが、その付帯的な作業は既に完了している。保留状態が解除され次第、直ちに進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、今回も前回並みのまま推移している。前回と同様に(A)・(C)のやり取りに費やす時間が増えているためである。これらのやり取りが一段落すれば、再度以前並みの時間を確保できる見通しではある。できるだけ少しでも作業を効率化して時間を捻出しつつ、睡眠も限られた中で効率的に摂れるよう、研究を深めたいと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの2週間弱の一日あたり平均時間である。

A    C    E   E'   G
50(45)  50(45)  5(5)  5(5)  300(300) 単位:分





● うっかりミス等の撲滅(101)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回も本記事の仕上げは464号発行日12/08(日)になってしまった。前々号の記事を常に執筆するペースを維持したいが、以前のペースに戻ってしまっている。今回も時間を十分取れる日がなかなか無かった。この先連休がないため、やむを得ず年末年始の休暇も最大限に活用して何とか前倒しペースでの記事仕上げに努めたい。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回もその経過を述べる。

前回まで、快適または楽しい気分になれる頭の中で特定イメージ画像を頭の中で訓練的に繰返し思い浮かべる方法、および仕事中など何かをしながらという場面で、特定画像を実際にパソコンの画面上の一角に表示させたままにしておく方法を紹介し、いずれも一定の効果があることを述べた。今回は、前回までに最後に予告的に触れてきたトランス状態に入る訓練について重点的に述べたい。



だいぶ以前にも触れたが、自己催眠を実践する上で、トランス状態、即ち催眠がかかりやすい状態に入ることが望ましい。自己暗示それ自体は、トランス状態に入っていなくとも効果はあるにはあるが、トランス状態に入っている方が効果が大きくなる、言い換えれば暗示にかかりやすくなるのである。

トランスに入るには、感情モニタリング法の創始者であり臨床心理士の河野義和氏の方法をベースに、小生自身が試行錯誤の上で発見した簡単な方法が効果的であろう。即ち、目の前のどこか一点を見つめ、心の中で意識的にゆっくりと「1,2,3,4,…」と数えるのである。5〜10秒ほどすると、見つめている対象やその周囲の見え方がぼやーっとなってきて、同時に自然と体の力が抜けてくる。こうなると、トランス状態に入ったことになる。

トランス状態に入った/入らないという2極的な状態ではなく、トランス状態も浅い状態から深い状態まで幅があるようなので、数値化するならば、0か1かではなく、何%トランス状態に入っているかと表現されるべきものではないかと考え られる。

これまでに触れ、実践してきた感情モニタリング法、およびその改良法は、(少なくとも小生自身の理解の仕方としては、)直接にはトランス状態とは関係がないものと位置付けてきた。だが、本当に関係がないのかどうかは十分に検証できていない。

少なくとも、最近少しずつ実践していることだが、感情モニタリング法(の改良法)を実践しつつ、トランス状態に入り自己暗示を繰り返すことも並行して実践することで、より効果が得られることを改めて実感しつつある。次号以降では、感情モニタリング法(の改良法)とトランス状態との関連性の検証はとりあえず後回しにし、トランス状態に入って自己暗示を繰り返すことについて、重点的に述べたい。



今回はここまで。次号466号は新年号になるため、新年の抱負などを記事にする予定のため、さらに次の467号の記事(103)にて上述の話を続けたい。


● うっかりミス等の撲滅(102)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めていたが、特にこの年末は仕事が立て込んでしまい、前号記事(100)は前号464号発行日の3日前12/05(木)に仕上げられたが、今回は前号465号発行日の1週間後、つまり本号発行1週間前の12/29(日)にずれこんでしまった。年末年始の休暇に入らないと十分な時間を確保できなかったのはやむを得ないとは思うが、外注化等によりこの先少しずつだが時間を採れそうなので、次号467号分の記事もこの年末年始の休みのうちに仕上げておくなど、前倒しペースを復活させたいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日12/29(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、これまでから引き続き、複数業者を交えて外注化によりかなり進んでおり、同程度の進展具合で順調に推移している。特に年末前に各業者にかなり追い込みで進めてもらったことが大きく、年末のこの段階で骨格はほぼ固まったと言える。年末年始に入り業者は休みに入るので、逆に自力で年末年始の時間を有効活用して一気にできるところまで進めたいと思う。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」についても、外注業者に年末の追い込みでかなり進めることができた。予想よりも少し早いペースで進んだため、一定の余裕をもって年明け以降に詳細を詰め、次の段階を前倒しで進められるよう、この年末年始の時間を有効活用して自力でできる範囲で準備を進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」、「(E) 職場の掃除」、および(E')は、前回までと同様である。前回保留とした(E')も発注納品が済み、本格的な実行のための準備は整った。こちらも、この年末年始の時間を有効活用して自力でできる範囲を一気に進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、特に12月に入り、上述の(A)・(C)・(D)を進めるためにかなり時間を費やしたため、前回までの段階よりも少し睡眠時間を削らざるを得なかった。睡眠時間を削るのはよろしくないのは百も承知だが、仕方なかったと考えている。やっと年末年始になったため、せめて睡眠時間は毎日しっかり確保したいと思う。その上で、今後も平行して、できるだけ少しでも作業を効率化して時間を捻出しつつ、睡眠も限られた中で効率的に摂れるよう、研究を深めたいと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの3週間強の一日あたり平均時間である。

A    C    E   E'   G
60(45)  60(45)  5(5)  5(5)  270(300) 単位:分


● 前年の振返りと今年の目標など

今回は、定例のシリーズ記事「うっかりミス等の撲滅」に代わり、毎年恒例ではあるが、前年2019年の反省と今年2020年の目標について述べたい。なお、本記事は、前記事「うっかりミス等の撲滅(102)」と同じく、年末年始休に入った12/29(日)、即ち本号発行日の1週間前に仕上げている。重ね重ね、12月は仕事に追われ時間が全く取れず(先延ばしではない)、ある程度はやむを得なかったとは思うが、せめて新年2020年以降は業者外注化している様々な取組みが進展し、日々ある程度の時間余裕ができることが見込まれるため、早いペースで常時仕上げられるようにしてゆきたい。



さて、1年前の440号でも年末年始のタイミングで前年振返りと新年の目標を述べた。そこでの新年の目標として、以下の2点を掲げた。:

(1)時間配分の細分化
(2)感情(特に怒り・イライラ)のコントロール能力の向上

いずれも、手前味噌ながら、この1年を振り返ると、少なくとも前年と比べれば少なからぬ進歩があったと実感している。前者(1)の場合、そもそもこの1年で仕事の業務量が大幅に増え、時間を効率的に使ってこなさないと物理的に回らなくなってしまったという切迫した事情がある。後者(2)の場合、既に先の号の原稿でお伝えした通り、感情モニタリングに関する改良的方法を考案したことが大きく、コントロール能力は大幅に向上したと思う。

とはいえ、敢えて自分に厳しく言うならば、(1)も少し時間に余裕がある場合には無駄な時間が未だにできやすい面があること、さらに(2)についても、常時100%完璧にコントロールができているわけではまだないことを肝に銘じなければならないと考えている。裏返せば、これらの課題は新年2020年の目標とも言える。



そこで、改めて(前年の焼き直しとも言える面はあるが、)以下の2点を新年の目標として掲げることにする。:

(1)時間配分のさらなる細分化、効率化

先延ばしは以前と比べて相当に減ったが、馬鹿正直に言えば、完全にゼロにはなっていない。そこで、先延ばしを完全ゼロにする上、特に先延ばししやすいタスクについては、費やすべき時間、自分の中での時間的締切を明示的に決めて、それを遵守できるように実行してゆきたい。

(2)感情のコントロール能力の完璧化

未だ常時100%完全なコントロールが実現していないことから、これを常時100%にするようトレーニングと研究を重ねてゆきたい。既に前年末頃の段階で、コントロールが未だ上手く行かない状況の徹底的な分析と試行錯誤により、上手く行かない状況を今後どのようにして上手く行くように持っていくべきかについては、ほぼ方向性は見えてきた。そこで、その方向性のままトレーニングをさらに重ね、1年後には完璧なコントロールができているようにしたい。


● うっかりミス等の撲滅(103)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。この年末は仕事が立て込んでしまい、前号記事(102)は年末年始の休暇に入った前号発行1週間前の12/29(日)に仕上げがずれこんでしまった。今回は、進捗報告のため前回記事の仕上げ日から時間を置く意味もあり、何より年始の仕事初めからまた時間が取れなくなったため、前号発行4日後の1/9(木)に仕上げている。次回からは、再度早めペース、さしあたり1/16(木)に仕上げるようにしたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日1/9(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、年末までは、複数業者を交えて外注化によりかなり進み、骨格はほぼ固まった。年末年始の間に自力でできるところまで進めるつもりでいたが、結果的に後述(E')に殆どの時間を割いたため、(A)は今回は当初予定に反してほぼ進まなかった。ある程度はやむを得ないが、事前にもう少し計画を細かく定められなかったのかと自己反省してはいる。なお、この年始以降は、年末までと同程度に進捗していく予定である。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、外注業者が年末年始の休みに入ったため、この1週間では直接には進捗は無いが、前回述べた通り、当初の計画通り、年始以降の準備を進めることができた。これ以降、(A)と同様に、年末までと同程度に進捗していくよう進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、「(E) 職場の掃除」は前回までと同様であるが、今回は(E')について、前回予告通り、これまで停滞していた分を一気に巻き返すほどに大幅に進捗した。この点も年末の計画通りであり、今回最大の成果と言える。一方で、(E)を当初はもう少し年末年始の間に進める予定であったが、結果的に(E')にその分の時間を譲る形になってしまった。

「(G) 睡眠時間の確保」は、年末年始の休暇中は(久しぶりに)十分に確保できたが、年始の仕事初め以降、年末までと同程度の短さになってしまった。できるだけ年末年始の間に年始以降の準備をするようにしたが、既述(E')に予想外に多くの時間を費やしたため、その分のしわ寄せが年始以降の睡眠時間にも影響してしまった。ある程度やむを得ないにせよ、(E')をもっと効率的に短時間で進められる余地は多少あった反省はあるので、その反省を今後に活かしたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの3週間強の一日あたり平均時間である。

A    C   E   E'     G
5(60)  5(5)  5(15) 360(360)  420(450) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(104)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、前号は年末で仕事に追われたため止む無く年末年始休に入った12/29(日)に仕上げたが、今までのペースを取り戻すべく、本記事は正月1/2(木)に仕上げている。年始休の間に続けて次号468号分の記事まで仕上げ、年始の仕事初め以降に少しでも余裕を持たせたいと思う。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回は、前々回記事(101)の続きとして、感情モニタリング法(の改良法)と並行して実践することでより高い効果が得られると期待される手法、即ちトランス状態に入っての自己暗示について、考察と実践の経過を述べる。

前回、トランス状態に入るために、目の前のどこか一点を見つめ、心の中で意識的にゆっくりと「1,2,3,4,…」と数える方法を挙げた。今回はその続きとして、小生自身の試行錯誤の上で見出した知見も含め、自己暗示を少しでも効きやすくする方法を列挙する。



まず、トランス状態に入った後、実現したい内容を表現した文を頭の中で想起する、もしくは声に出すことで自己暗示を実現できる。小生自身の経験則からしても、頭の中で想起するよりは、声に出す方が自己暗示は効きやすくなる。加えて、声に出すにせよ頭の中で想起するにせよ、できるだけゆっくりとしたスピードで文を唱えるのである。

前々回、トランス状態に入らなくとも自己暗示はある程度効果はあるが、トランス状態に入る方がより効果的と述べた。それと同様に、頭の中で想起するだけでも、あるいは比較的速く文を唱えても自己暗示の効果はあるにはある。だが、声に出した方が、そしてゆっくり唱える方が、より効果的のようである。これらの知見をまとめると、トランス状態に入り、なおかつ声に出し、ゆっくり唱えることで、自己暗示の効果を最大限に引き出せるということになる。

とはいえ、周囲に人が居る状況で声に出すのは現実的に難しいので、例えば一人で車を運転している時、一人で自宅で時間を潰している時などに実行する癖をつけると、時間の有効活用にもなり一石二鳥と言える。



次に、頭の中で想起する、もしくは声に出す自己暗示の文をどう構成するかについて述べる。実現したい内容を、ある程度抽象的でも良いので、否定文の形でなく肯定文の形式で、「〜すると良いんだよなぁ」「〜できるんだよなぁ」という形式で文にするのがコツである。ここで、なぜそのように構成すべきなのかについて、以下で2点ほど補足する。

まず1点目。自己暗示の仕組みとして、なぜか否定文にしてしまうと、頭の中で否定語(「〜でない」、「Not」など)が抜け落ちた肯定文として効いてしまうようなのである。なぜ抜け落ちるのかは小生自身の今現在の知見では説明がつかないが、経験則としてそのような傾向があるようである。例えば、「嫌なことがあっても、落ち込まないと良いんだよなぁ」ではなく、「嫌なことがあっても、気分は平気」などと、言い回しをとにかく工夫することである。

2点目。「〜すると良いんだよなぁ」「〜できるんだよなぁ」というのは、既述の感情モニタリング法の創始者である臨床心理士・河野義和氏の指南に基づく。同氏曰く、「(暗示が有効に効けば、自己暗示の文として)思った通りになる」とのこと。



以上の点を踏まえて、小生自身、ここ最近は時間を見つけては、トランス状態に入った上で、「先が読めるんだよなぁ」「時間を上手く使えるんだよなぁ」「気分が安定するんだよなぁ」などと繰返し繰返し(できるだけ声に出して)唱えている。

個人的な実感としては、いずれも少しずつ効いているというところか。急に100%できるようになるわけではなく、前は全然出来なかったが、少しずつできるようになってきている、成功の頻度が段々上がっているというのが率直な実感である。成功の頻度をグラフ化するならば、直線(比例関係)というよりは、放物線、即ち最初は緩やかでも途中から加速度的に伸びるという感じである。そのため、失敗の頻度を敢えて意識せず、少しでも成功を感じたら、それをやや大げさに捉えて、「上手く行っている」と実感するようにするのがコツである。


● うっかりミス等の撲滅(105)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特に いわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。 これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

これまで執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に 執筆するペースを維持するよう努めている。特にこの年末は仕事が立て込んでし まい、前号記事(103)は仕上げが遅れたが、今回は前倒しペースを復活させ るべく、前号記事での予告通り、前号467号発行日の3日前1/16(木)に仕上げられ ている。引き続きこのペースを維持したいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日1/16(木)時 点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前号で年末年始の休み中に他のタスクで時間を 取られ進まなかった旨を述べた。この1週間で、前週の成人の日の連休も使って 何とか最低限は進められたが、まだ本格的には自力でも着手できておらず、エン ジンの再スタート段階である。これまで優先してきたタスクが順次片付いてきて いることから、この先2週間、せめて1月末頃までにはまとまった進捗があるよう にしたいと思う。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、この1週間で外注業者に次 の開発依頼を行った。一旦はこれで業者からの作業完了待ち状態となるため、当 方のタスクとしてはほぼ一段落ではある。この先2週間は、上述(A)などに時間を 割きたいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は前回までと同様である。(E')は年末 年始で一段落しており、(A)を優先しつつも、「(E) 職場の掃除」も少しずつ時 間を作って進めたいと思う。

「(G) 睡眠時間の確保」は、この1週間は、前回の年始初めよりは多めの時間を 確保できるようになった。ただ、厳しく見れば、深夜までに必要なタスクを終え、 入浴の上で就寝するまでの間、最大で15〜30分間に若干ダラダラ時間を浪費して いるようにも思うので、入浴から就寝までをよりキビキビできるようにしたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの 1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'   G
15(30)  45(30)  5(15)  15(5)  300(300) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(106

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。 次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、465号は年末で 仕事に追われたため止む無く年末年始休に入った発行日1週間前に仕上げたが、 今までのペースを取り戻すべく、本記事は前号記事(104)と同じ正月1/2(木) に続けて仕上げている。年始休の間に続けてさらに次の469号分記事まで仕上げ、 年始の仕事初め以降に少しでも余裕を持たせたいと思う。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号 記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見 できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至ってい ないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

今回も、465号記事(101)の続きとして、感情モニタリング法(の改良法) と並行して実践することでより高い効果が得られると期待される手法、即ちトラ ンス状態に入っての自己暗示について、考察と実践の経過を述べる。前々回・前 回と、トランス状態に入り自己暗示を少しでも効きやすくする方法をリストアッ プした。今回は、465号記事(101)の最後で予告的に触れた、感情モニタリ ング法と自己暗示との関連性、特に両者を有機的に融合した新たな手法について、 特に掘り下げて述べる。



これまで、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示とは、平行して行う ことでより効果的とはしながらも、基本的に別個のものとして論じてきた。今回 は、それらを有機的に融合することで、いわば相乗効果を得る方法について紹介 したい。なお、この方法は、つい最近になり小生自身が試行錯誤の上で編み出し たものである。

これまでに紹介した感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示について、 小生自身が実践してきた上で、なかなか上手く行かない面が少なからずあった。 感情モニタリング法、自己暗示ともに一番最初に知ってから、今年2020年で実に 早20年ほど経つ。実にお恥ずかしい話だが、この20年間、部分的に上手く行きつ つも完璧にマスターできないまま過ぎてしまったのである。

その最大の阻害要因は、意識や興味があちこちにすぐ飛んでしまうことにより、 それらの手法を実践することそれ自体を忘れてしまう、もしくはやろうやろうと 思いつつ億劫がってしまう、他のことをついやってしまうことによるものであっ た。今回紹介する方法により、小生自身はその最大の阻害要因をクリアしつつあ り、手前味噌かつやや大げさだが、小生の日々の生活は劇的に変わりつつある。



● うっかりミス等の撲滅(107)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

過去に執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。今回も前号468号発行日の3日前である1/30(木)に仕上げられている。引き続きこのペースを維持したいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日1/30(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前号までの段階で、年末年始も含め、他のタスクに時間を取られ、まだ本格的には自力でも着手できていない旨を述べた。この2週間、特にこの数日でようやく時間的余裕ができたことから、目に見えた進捗が出てきた。この先1〜2週間は比較的余裕があるため(他のタスクで不測の事態が起こる可能性もあるが)、重点的に進めたいと思う。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、前号段階で一段落となったことから、その後も最低限度の業者とのやり取り等は行っているものの、予告通りこの2週間は特に(A)の方に時間を割き出している。当面まだこの先、少なくとも1〜2週間はこのままのペースで行く予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は前回までと同様である。(E')は年末年始で一段落したと述べたが、(A)を優先しつつも、残る部分をこの2週間で少しずつだが再度進め始めている。この先2週間ほどの間に、続きの部分も目に見えた進捗があるようにしたい。「(E) 職場の掃除」も、年度末が近づいたことから、尻を叩かれるように、この2週間で進み始めている。これも、(E')と同様に、この先2週間である程度まとまった結果を出したいと思う。

「(G) 睡眠時間の確保」は、この2週間は、少し余裕ができてきたことから、前回並みか少しさらに多い程度に確保できている。前回の反省として、入浴の上で就寝するまでの間、最大で15〜30分間に若干ダラダラ時間を浪費していた面があったため、今回はその点を意識し、少しは時間短縮になったと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
30(30)  15(15)  15(15)  30(30)  360(360) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(108)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、465号は年末で仕事に追われたため止む無く年末年始休に入った発行日1週間前に仕上げたが、今までのペースを取り戻すべく、本記事は前々号記事(104)、および前号記事(106)に続き、正月1/2(木)に仕上げている。これでしばらくはストック記事を確保できるため、メルマガ下案の作成も時間短縮できる見込である。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

今回も、前回記事(106)の続きとして、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示との関連性、特に両者を有機的に融合した新たな手法について、特に掘り下げて述べる。



上で新たな手法とは言ったものの、具体的な種明かしをするならば、基本的には自己暗示それ自体と何ら変わりはない。ただ、自己暗示で唱える文、即ち実現したい内容がやや特殊なだけである。

前々号467号で、小生自身が実践している自己暗示の例として、「先が読めるんだよなぁ」「時間を上手く使えるんだよなぁ」「気分が安定するんだよなぁ」といった文を挙げた。それと同様に、「気分のセルフチェックが常時できるんだよなぁ」「(特定イメージ画像が)常時頭の中に鮮明に浮かぶんだよなぁ」「トランスに入る(入りたくなる)んだよなぁ」「自己暗示ができる(やりたくなる)んだよなぁ」などと、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示それ自体を実現したい対象として自己暗示をするのである。

それと併せて、「(嫌なことがあった時などに)気分が落ち込んでしまうのは仕方ない。だが、その時に平気でいられると良いんだよなぁ」、あるいは少し複雑だが、「(嫌なことがあった時などに)気分が落ち込んでしまうのは仕方ない。だが、その時に『平気でいられると良いんだよなぁ』という自己暗示ができると良いんだよなぁ」という自己暗示をするようにもするのである。



以下では、これらの方法について、あくまで小生自身の勝手なネーミングであるが、総称的に「間接暗示」と呼ぶことにする。同様に、後者の「(嫌なことがあった時などに)気分が落ち込んでしまうのは〜」の暗示を「不快感情受入れ」と勝手に呼ぶことにする。

これらの間接暗示、不快感情受入れの手法により、小生自身の感触として、感情モニタリング法(の改良的方法)、および自己暗示を行う頻度が加速度的に伸びる効果があることが分かってきた。

では、具体的にどの程度の頻度で上述の方法を実践すると、量的にどの程度の効果があるのだろうか。および、特に不快感情受入れの手法をわざわざ実践するのは何故なのか。これらの疑問については、さらに次号以降で考察・論述したい。


● うっかりミス等の撲滅(109)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

過去に執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。今回も前号469号発行日の4日後である2/20(木)に仕上げられている。引き続きこのペースを維持したいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日2/20(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前号で述べたように、少し時間的余裕ができてきたことから、少しずつ進み出している。前回は目に見えた進捗がようやく出てきた旨を述べたが、前号記事執筆時点からはまた別のタスクが発生したため、そちらをある程度優先せざるを得ず、前回までよりは停滞してしまった。その別のタスクはようやく本記事執筆日2/20をもって一段落となる見込のため、また前号までのペースで目に見えた進捗があるよう進めたいと思う。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」については、前号までとほぼ同程度のペースで進んでいる。今回は外注していたものが一つ出来上がったことから、目に見えて一段階進んだことになる。その業者にはさらに次のものを発注しており、このペースで行けば、来月にはさらに一段階進む見込である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は前回までと全く同様である。(E')は年末年始で一段落し、前号で述べたように、残る部分を進めている。前号段階からはこの(E')を最も進めており、特にこの1週間で最も目に見えた進捗があった。個人的にも達成感が一番あって嬉しい。「(E) 職場の掃除」は、特にこの1週間は(E')を優先したため、前回までよりは少し停滞した。(E)と(E')はある程度連動しているため、(E')を最優先しつつ、連動する箇所から(E)も目に見えた結果が出るよう進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、この2週間も前回までと同程度の時間を確保できている。前々回述べた反省点として、入浴から就寝するまでの間の時間短縮は、前回と同程度で推移している。厳しく言えばもう少し短縮できるはずなので、さらに工夫して1分でも多く睡眠時間を確保したいと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
15(30)  10(10)  10(15)  60(60)  360(360) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(110)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、465号は年末で仕事に追われたため止む無く年末年始休に入った発行日1週間前に仕上げたが、今までのペースを取り戻すべく、本記事は467号記事(104)・前々号468号記事(106)・前号記事(108)に続き、正月1/2(木)に仕上げている。これでしばらくはストック記事を確保できるため、メルマガ下案の作成も時間短縮できる見込である。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

今回も、前回記事(108)のさらに続きとして、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示との関連性、および両者を有機的に融合した新たな手法について、今回は特に、前回「不快感情受入れ」と勝手に命名した方法について、それを何故実践するのかを掘り下げて述べる。



前々回の記事(106)において、これまで足掛け20年に渡って感情モニタリング法、および自己暗示の方法を実践しつつも、完璧にマスターできていなかった要因として、最大の阻害要因、即ち、意識や興味があちこちにすぐ飛んでしまうことにより、それらの手法を実践することそれ自体を忘れてしまう、もしくはやろうやろうと思いつつ億劫がってしまう、他のことをついやってしまうことによることを挙げた。

「最大の」と表現したように、阻害要因はそれ一点だけではない。特に「不快感情受入れ」の手法に関連するところでは、もう一つ無視できない要因が挙げられるのである。それは即ち、不快感情を十分に受け入れていなかった、言い換えれば知らず知らずのうちに抑圧してしまってきたことである。



これまで、嫌なことに遭遇したこと等により不快な感情に陥った状況において、感情モニタリング法(の改良的方法)を意識的に実践してきた。具体的に言えば、「今の気分は良いかい?」と理性的な自分から感情・欲望的な自分に問いかけ、不快な感情であるとの回答が返ってきた際に、今現在は自分自身は不快な感情なのであると理性的に認知するとともに、意識的に快適な気分になれる特定イメージ画像をその場ですぐ想起するというものであった。

その手順を一定の間隔を置いて何度も繰返すことにより、少なくとも一時的には不快な感情を鎮める効果があった。それで不快な感情がぶり返さずに平穏に推移することも少なくなかったのだが、その一方で、後からふとした瞬間に不快な感情がぶり返し、物に当たるなどの暴挙的な振る舞いをしてしまうこともまた度々起きていた。

その不完全さに当初はかなり悩んだのだが、ある時ふと、「実はこの方法では、不快な感情を鎮めているのではなく、抑圧しているのではないか?」という知見に達したのである。その知見を得た後も、ではどうやって抑圧を解けるのだろうかと更に悩んだのだが、色々と試行錯誤し悩み考え抜いた結果、不快な感情(を持つもう一人の自分)に対して、意識的に認めて、受け入れてあげることが効果的なのではないかと気付いたのである。これが実践する理由である。前号記事で挙げた不快感情受入れの暗示文は、その一例、一端である。厳密に言えば、可能な限りもう少し馬鹿丁寧な受入れ方法をする必要があると考えている。


● うっかりミス等の撲滅(111)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

過去に執筆仕上げが度々遅くなった反省から、ここ最近は次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回も前号470号発行日の4日後である3/5(木)に仕上げられている。できるだけ更に早くしたいが、最低限のラインとして、引き続きこのペースを維持したいと思う。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日3/5(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前号までで述べたように、時間的余裕ができたことにより少しずつ進み出しているが、別のタスク、特に後述(E')を最優先しているため、本記事の仕上げ日3/5時点でもまだ目に見えた進捗は残念ながら無い。ただ、(E')が3/2(日)時点でようやく一段落したことから、3/5以降しばらくはこちら(A)にある程度まとまった注力ができると見込まれる。(A)に時間を割くと言い続けつつズルズル過ぎているため、いい加減まとまった時間を割きたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」については、前号までとほぼ同程度のペースで進んでいる。(C)は前号で予告したように、さらに次の発注を行ったため、ほぼ他力ではあるが着実に前進はしている。今年1年、このペースをほぼ維持してゆきたいと思う。

(E')は3/5時点でも最も時間を割いて進めており、前回に引き続きこの2週間でもかなり目に見えた進捗があった。おかげさまでほぼ完成に近づいたと言える。理想を言えば、さらに(E')として追加で続けることはあるが、前述(A)が遅れていることから、そろそろ一段落したいと思う。「(E) 職場の掃除」は、今回も(E')を優先したため、前回と同程度の停滞ぶりである。(E')が一段落してきたため、まず(A)、次に(E)も少しずつ時間を割いてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、この2週間は、前回までよりも少し後退してしまった。(E')に時間を割き過ぎてしまったこともあるが、これまで述べてきた反省点である入浴から就寝するまでの間の時間の浪費が短縮できていないことも大きいので、さらに意識・工夫して、1分でも多く睡眠時間を確保したいと思う。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
10(30)  10(10)  10(15)  90(60)  330(360) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(112)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。次々号の原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、465号は年末で仕事に追われたため止む無く年末年始休に入った発行日1週間前に仕上げたが、今までのペースを取り戻すべく、本記事は467号からのシリーズ記事(104)、および(106)・(108)・(110)に続き、正月1/2(木)に全て一気に仕上げている。これでしばらくはストック記事を確保できるため、メルマガ下案の作成も時間短縮できる見込である。



これまで、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

今回も、前回記事(110)のさらに続きとして、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示との関連性、および両者を有機的に融合した新たな手法について、引き続き、前々回「不快感情受入れ」と勝手に命名した方法について掘り下げて述べる。



前回、足掛け20年にも渡り感情モニタリング法、および自己暗示を実践しつつも完璧にマスターできないでいたもう一つの要因として、不快な感情(を持つもう一人の自分)を結果的に抑圧していたのではと気付き、それを意識的に認めて、受け入れてあげることが効果的ではないかと、様々な試行錯誤とともにかなり悩み抜いた上で気付いたことを述べた。今回は、前回の補足説明として、具体的にどのようにして、できるだけ馬鹿丁寧と言える形で、認めて、受入れてあげるのかについて重点的にお伝えしたい。

あくまでも今現在の小生自身のやり方であるが、他人に対して優しい言葉で接するように、自分自身(もう一人の不快な感情を持つ自分)に対して同様に優しい言葉で接してあげるのである。即ち、「そんな嫌な思いをしたら、そりゃ気分も不快になるよねぇ、そうなるのは仕方ないよ。うんうん」などと、時間と労力の許す限り、まず無条件に話を聞いてあげる姿勢を貫くのである。

その上で、最後におまけ的に「できればその際に、感情的に平気でいられると良いんだよなぁ」、あるいは「できればその際に、『感情的に平気でいられると良いんだよなぁ』という自己暗示ができると良いんだよなぁ」という一文を、軽く触れる、添える形にするとベストなのではないかと考えている。



ここで、(自分自身に対してなので、変な話ではあるが、)受け入れる際の言葉遣いに気を付けなければならない。小生自身の経験則からすれば、言い方を間違えると逆効果になってしまうことがあるようである。例えば、「不快な気分になってしまって全然構わない。でも、不快にならないようになると良いんだよなぁ」と明示的に暗示文にしてしまうと、後半の暗示文に狙いがあるとしても、前半の文が過度に積極的・肯定的な認め方になってしまい、かえって不快な気分になりやすくなるようなのである。「そうなってしまうのは、まぁ仕方ないか」くらいに、弱い肯定的な言い方にするのがベストではないかと小生は考えている。


● うっかりミス等の撲滅(113)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

過去に執筆仕上げが度々遅くなった反省から、次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回も前号471号発行日の5日後である3/20(金祝)に仕上げられている。できるだけ更に早くしたいが、年度末で仕事に追われ、お彼岸の連休であるこの日までやむを得ず遅れてしまった。今後も、最低限のラインとして、引き続きこのペース、できればそれ以上に早いペースは維持したい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日3/20(金祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前号までで述べたように、時間的余裕ができたことにより少しずつ進み出している。これまで、特に後述(E')を最優先してきたため、なかなか目に見えた進捗が無かったが、(E')が3/2に一段落し、その翌週にほぼ完全に仕上がったことから、本記事仕上げ日の前日3/19(木)からかなりまとまった時間を捻出できるようになった。今後は、これまでの(E')と同様に(A)も一段落するまで、このペースを当面維持してゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」については、前号までとほぼ同程度のペースで進んでおり、このペースを同様に堅持してゆきたい。

(E')は、既述のように3/2時点で一段落し、その翌週にほぼ完成した。大げさながら、自分としてはかなり大きなプロジェクトとして進めてきたので、ほぼ完成を見たのは非常に感慨深い。今後は、少しずつは進めるものの、これまで(E')を最優先するために犠牲にしてきた前述(A)と「(E) 職場の掃除」に集中的に時間を割いてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、前週までは前述(E')の最後の仕上げもあり、一時的に後退した状況が続いたが、この1週間は時間的余裕が少しずつ出来たこともあり、再度増加できている。これまで述べてきた反省点である入浴から就寝するまでの間の時間の浪費は少しずつだが短縮できてきている。今後は、引き続き限界まで短縮できるよう持っていきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
30(30)  10(10)  10(15)  15(15)  360(360) 単位:分



● うっかりミス等の撲滅(114)


今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、年始以降、前号471号までは正月1/2(木)に全て一気に執筆を仕上げ、記事をストックできたため、メルマガ下案の作成の時間短縮、ひいてはメルマガ下案の早期仕上げを維持できた。残念ながら、前号段階でストック記事は枯渇したため、再度少しずつ記事を仕上げながら進めるという年末以前の体制に戻ることになった。

年末と同様に年度末で仕事に追われたため、本記事は発行日3/29(日)の9日前である連休となった3/20(金祝)に仕上げられている。考察はこの連休で進めているので、できるだけストック記事も溜め、4月以降もできるだけ早期に仕上げられるよう努めたい。



再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前回記事(112)までは、正月に一気に考察・執筆したストック記事として、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示との関連性、および両者を有機的に融合した新たな手法について掘り下げて述べたが、今回は感情モニタリング法それ自体に焦点を当て直し、最近の小生の実践的な実績を踏まえ、追加の考察を行いたい。



ここ最近、仕事に追われ、仕事での諸々のストレスから、精神的に不安定になることがしばしばあった。まだまだ安定して不快でない精神状態を保つまでには至っていないが、その最大の要因として、感情モニタリングのセルフチェック(の改良的方法)それ自体の実践を怠っていたことが挙げられると反省している。すなわち、高頻度に「今の気分は良いかい?」と自問自答し、不快であれば、快適な感情になれる特定イメージ画像を頭の中で想起するという一連の動作の実施頻度が成り行きでかなり落ちていたのである。

その反省から、本記事執筆日の前日である3/19(木)頃から意識的に高頻度に上述の一連の動作を繰返し繰返し実行するようにしている。その際にふと気付いたのだが、「今の気分は良いかい?」と理性的な自分から感情的なもう一人の自分への自問自答を行い、「今はやや不快」「今は調子良い」などの返答を得るまでの反応スピードが以前よりもかなり速くなったと実感したのである。具体的には、自己測定の上で、以前は5秒程度はかかっていたが、今現在は1秒程度にまで短縮できている。

当初から、あくまで最終形態・目標としては、常時自問自答が行える状態、言い換えれば感情的な自分を眺めチェックする理性的な自分が常に前面に出ている状態を目指してきたが、ここにきて、それに一歩近づいたように実感している。これは、昨秋に感情モニタリングのセルフチェックの改良的方法を編み出した成果に続く大きな成果と捉えている。これらの成果を糧に、今後もさらなる進展・飛躍を力強く目指してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(115)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

過去に執筆仕上げが度々遅くなった反省から、次々号の記事を常に執筆するペースを維持するよう努めている。前号は年度末で仕事に追われやむを得ず遅れてしまったが、今回は前号発行日である3/29(日)に仕上げられている。前回よりは少し改善できたので、今後も引き続きこのペース、できればそれ以上に早いペースを維持してゆきたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日3/29(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、3月に入り時間的余裕ができたことにより、少しずつ進み出している。今回も、前回から引き続き一定の時間を捻出できており、まだまだフル稼働とまでは行かないが、おかげさまで以前と比べてかなり進んでいる。引き続き、一段落するまで、このペースを当面維持してゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も変わらず、前号までとほぼ同程度のペースで進んでおり、このペースを同様に堅持してゆきたい。

(E')は、前回述べたように大きなプロジェクトとして進めてきたものが一段落したため、(A)などに時間を割くべく、前回時点からは(E')に費やす時間は大幅に減ってはいる。ただ、(E)を進めるにあたり少し支障があることが分かったのと、前回一段落したものに、欲を言えばもう少しだけ付け加えたいところが生じたため、(E)に集中的に時間を割くのは少し後にして、(A)を優先しつつも、(E')にも当面再度少しずつ時間をコンスタントに割きたいと思っている。

「(G) 睡眠時間の確保」は、(E')が一段落してから余裕ができ、前回から増加しており、今回時点でも同程度のまま推移している。これまで課題であった入浴から就寝するまでの間の時間の浪費も前回からそう変わりはないが、以前よりは短縮できている。今後も、引き続き限界まで短縮できるよう持っていきたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
30(30)  10(10)  5(10)  30(20)  360(360) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(116)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、年始以降、前号471号までは正月1/2(木)に全て一気に執筆を仕上げ、記事をストックできたため、メルマガ下案の作成の時間短縮、ひいてはメルマガ下案の早期仕上げを維持できた。前々号の段階でストック記事は枯渇したため、再度少しずつ記事を仕上げながら進めるという年末以前の体制に戻っている。

前号は年度末で仕事に追われたため遅くなったが、本記事は前号発行日3/29(日)に仕上げられている。考察は前号記事段階から再度進めているので、できるだけストック記事も溜め、4月以降もできるだけ早期に仕上げられるよう努めたい。



再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

これまで、感情モニタリング法(の改良的方法)と自己暗示との関連性、および両者を有機的に融合した新たな手法について掘り下げて述べたが、前回からは感情モニタリング法それ自体に焦点を当て直し、最近の小生の実践的な実績を踏まえ、追加の考察を行っている。



ここ最近、感情モニタリングのセルフチェック(の改良的方法)それ自体の実践を怠ってきた反省から、前回記事の執筆日前後から意識的に高頻度を行うよう心掛けてきた。おかげさまで、挫折することなく、不思議と高頻度チェックは維持できている。それどころか、これまで仕事中などは殆どセルフチェックのことは頭に浮かばないことが多かったが、ある程度頻繁にチェックできている。実施頻度という一面で見れば、過去最高と言っても過言ではない。我ながら快進撃とも思っており、ぜひこの快進撃を堅持してゆきたい。

前回、セルフチェック時の反応速度が以前よりも上がった旨を述べたが、その後さらに新たな知見を得た。精神状態が普通というか良好の時は反応速度が速いものの、やや不快な状態など、良好でない状態になった時は反応速度が少し鈍るようであることが分かった。

推定される理由としては、普通というか良好な状態の時はセルフチェックを頻繁に行うほどその状態が高頻度にチェックされるようになり、脳内の神経回路が強化されることによるものと考えている。例えば、何かの技能を習得する際、最初は動作がたどたどしいとしても、習熟を重ねることでスムーズに動作できるようになるのと全く同じ理屈である。


● うっかりミス等の撲滅(117)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日4/19(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、3月から少しずつ進み出している旨を述べたが、今回はコロナウィルス感染拡大の影響で仕事量がやや減少したことで時間的余裕ができ、おかげさまでさらに進捗した。フル稼働とはまだ言えない状況ではあるが、さらに次号までの間に時間を作り、フル稼働と言えるペースに移行したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き前号までとほぼ同程度のペースである。(C)はペースこそ変わらないものの、まもなく一段落と言える大きな節目を迎える見込である。続いてその次のステップに進み、それが仕上がることで、(C)はほぼ完成に近いものとなる見込である。引き続き、このペースを堅持してゆきたい。

(E')は、(A)と同様に、コロナの影響での仕事量減により、結果的に再度時間を費やすことができている。本記事執筆日である4/19もまとまった進展があった。前回述べたように、まだ当面、さしあたり大型連休あたりまでは、(A)とともに(E')にこのペースで時間を捻出し続けたい。

「(G) 睡眠時間の確保」も、コロナの影響での仕事量減により時間を少し多く捻出できている。ただし、何となくの推移から、夜の連続した睡眠時間は増えず、昼休みや夕食前後などの短い時間に短時間睡眠を何とも摂るようになった。昼休みの短時間睡眠は医学的にも良いとされているが、夕食前後などは必ずしも良いものでもないと思われるため、できるだけ夜の睡眠を連続して摂れるように改めたい。



最後に、前回までと同様に、各タスクに費やした時間を以下に記す。今回はこの1週間の一日あたり平均時間である。

A    C    E    E'    G
30(30)  15(15)  5(10)  45(60)  360(360) 単位:分


● うっかりミス等の撲滅(118)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今年始から471号までは正月休み中に全て一気に執筆を仕上げ、記事をストックできたが、ストック記事も枯渇したため、前号から再度少しずつ考察しながら記事を仕上げるという年末以前の体制・ペースに戻っている。

前号記事は前々号発行日に仕上げられたが、今回は前号発行日の1週間後、本号発行日の1週間前4/19(日)に本記事を仕上げている。前号執筆段階からの間、コロナ感染拡大の影響で小生の仕事量もやむなく減少し、時間的余裕ができてはいたが、下手に時間が出来たことで考察にふけってしまい、記事の執筆が遅れてしまった。自分の中では先延ばしではないとは思っているものの、考察と執筆をある程度同時進行できなかったとも反省している。次号からはその点を改善したい。



再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

おかげさまで、少しずつではあるが改善は進んでおり、前号段階では手前味噌ながら快進撃とも述べたように、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになった。今回は、考察に時間をかなり費やしたこともあり、さらに改良した方法、知見を見出すに至った。その詳細を以下で述べる。考察に没頭した結果、その改良した方法、知見の分量が多くなったため、本記事以降、数回に分けて述べたい。



前々回から前回にかけて、セルフチェック時の反応速度が以前よりも上がった旨を述べた。セルフチェックの実施頻度の向上と併せて、それはそれで大きな進歩ではあったのだが、精神的に不快な状態にある場合においては、まだそれだけでは不十分であった。というのは、この感情モニタリング法(の改良的方法)は、セルフチェックを行うだけで終わりなのではなく、セルフチェックして不快な感情状態にあると分かった際に、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像(例えば、鉄道マニアのはしくれである小生ならば、好きな鉄道車両の写真など)を想起する必要があるからである。

前回までの段階では、セルフチェックまではスムーズに行くようになってきたものの、その次の特定イメージ画像の想起はまだまだ不完全であった。即ち、セルフチェックまで行った直後、意識が別の対象に飛んでしまい、特定イメージ画像の想起まで行かないで終わってしまう、あるいは特定イメージ画像の想起をしかけるものの、頭の中に浮かぶ画像が不完全、半端なもの(細部の輪郭などが何となくぼやけた、漠然としたもの)で終わり、不快な感情状態の改善が常時十分に安定して行えないでいたのである。

その点を何とか改善したく、前号記事執筆日からの間、ずっと考えあぐね、色々と試行錯誤を繰り返してきた。その結果、特定イメージ画像の想起をより安定して効果的に行うためには、3つのコツが不可欠であることが分かった。今回は、そのうち1つだけ述べることにする(2〜3つ目は次回以降に)。

1つ目は、日頃から時間を見つけては、想起すべき特定イメージ画像をパソコンやスマホなどの画面に実際に表示して、眺め続けるようにすることである。ただ単に眺めれば良いのではなく、できるだけ自己暗示によりトランスに入った状態で、いわば無の境地?の状態というか、ぼーっとした何も考えない状態で眺め続けることである。ここでの注意点は、変にイメージ画像を頭に叩き込もうと意識しないようにすること。そうなると、かえって逆効果なのである。


● うっかりミス等の撲滅(119)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日5/3(月祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回コロナウィルス感染拡大の影響で仕事量がやや減少したことで時間的余裕ができ進捗した旨を述べた。今回、連休に入ったが、後述(E')にのめりこみ始めてしまい、まだ(A)に十分な時間を捻出できるまでに至っていない。何とかこの連休中に、たとえ1日でも良いので集中的に(A)に時間を費やす日を作りたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前号までとほぼ同程度のペースを維持できている。前回予告した通り、この2週間でこれまで進めてきたものが一段落し、予定通り次のステップに進み出している。その今回着手したステップが仕上がれば、前回述べた通りほぼ完成となるため、新たに少しずつではあるが次の新たな開発を始められるよう準備を少しだけ始めた。いずれにせよ、良いペースを維持できているので、引き続きこのまま進めたい。

(E')は、前回述べたように、(A)と同様にコロナの影響での仕事量減により時間を費やせるようになった。この2週間では、この(E')に最も時間労力を集中的に投下している。この連休中に2〜3個まとまった仕上がりが見込まれるため、前述(A)が多少犠牲になっても、連休明けの業務をスムーズにするためにも、最大限の時間労力を連休中にさらにかけたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、連休に入ったこともあり、年末年始と同様に、十分な量の睡眠時間を捻出できている。併せて、連休終了後に再度夜の連続した睡眠時間が短くならないよう、どのようにして効率的な睡眠が摂れるかを考え、できる工夫を始めてみたい。

● うっかりミス等の撲滅(120)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、前号474号記事の仕上げは前々号473号発行日の1週間後なってしまった反省から、今回は前号発行日4/26(日)のうちに本記事を仕上げている。前回は時間的余裕があったものの考察にふけってしまい記事の執筆が遅れたが、その時の考察内容のストックがあったため、今回は比較的早く仕上げられた。次号・次々号くらいまではその考察ストックがあり、かつ折しもゴールデンウイークに入るため、正月と同様に、ストック記事を溜め、夏場頃までそれでしのぎたいと考えている。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

少しずつ改善は進んでおり、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになったが、まだそれでも精神的に不快な状態に陥った場合に快適な精神状態に回復させる、即ち感情のモニタリングを超えてコントロールというレベルにまで高めるには不十分であった。その不十分さを克服するために考察と試行錯誤を重ねた結果、3つのコツが不可欠であることが分かったこと、おおよびそのコツの1つ目を前回述べた。今回もその続きを述べたい。



前回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像をスムーズに想起しやすくするためには、日頃から時間を見つけ、その画像をパソコンやスマホなどの画面に実際に表示して、できるだけ自己暗示によりトランスに入った状態、言い換えればボーっとした何も考えない状態で眺め続けるようにするのがコツの1つ目であると述べた。今回はその理由を以下で補足説明する。

これも以前に述べたことの再掲になるが、自己暗示を行う上では、できるだけトランス状態に入った上で、願望内容をできるだけ具体的なイメージ画像として思い浮かべ、「〜になると良いんだよなぁ」とただ思うようにするだけ、というのがコツであり、逆に「〜となるように頑張ろう!」などと歯を食いしばるように強く意識するのは、かえって逆効果なのである。

それと同様に、特定イメージ画像を思い浮かべる際にも、「〜という画像を思い浮かべよう!」、あるいはその前段でスマホ等に表示されている画像を見て「この画像を後で鮮明に思い浮かべられるよう、頑張って覚えよう!」などと意識してしまうと、かえって思い浮かべられなくなってしまうようである。

なお、そもそも何故、意識し過ぎると逆効果なのかというメカニズムについては、以前にも少し触れたことはあるが、本稿では直接の本題から外れるため割愛する。

ここで、小生自身の経験からすると、「頑張ろう!」などと」それほどに強く意識しているつもりがなく、「ただ思うだけ」のつもりであっても、実はそれなりに強く意識し過ぎてしまっているようなのである。そのため、あくまで小生の試行錯誤の過程で得た知見として一番確実なのは、繰返し繰返し、時間を見つけてはトランスに入った状態で特定画像をボーっと眺め続けることである。


● うっかりミス等の撲滅(121)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日5/19(火)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、連休前の前々号にて、前回コロナ感染拡大の影響で仕事量がやや減少したことで時間的余裕ができ進捗した旨を述べた。今回は連休を挟んでの2週間であったが、残念ながら前回に続き後述(E')に引き続きのめりこみ続け、前回と同様に(A)には十分な時間を捻出できていない。そろそろいい加減手を付けないといけない時期になってきたので、久しぶりに先延ばし癖が出てしまったようにも思う。次の週末には(E')は再度一段落する見込なので、何とか今月中には手を付けられるようにしたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前号までと同程度のペースを維持し、前回から着手したステップを着実に進められている。現ステップは早ければ今月5月中、遅くとも来月6月中には仕上がる予定である。引き続きこのまま進めたい。

(E')は、前回予告通りに連休中に集中的に時間労力を投下でき、おかげで予定通り少なくとも1個はまとまった仕上がりに持っていくことができた。当初見込よりは少し遅れたが、最大限の時間労力と工夫を重ねた結果であり、仕方ないと考えている。連休中に終わらなかった続きも連休後の休日数日をかけ、少なくとも今月中には仕上がる予定である。

「(G) 睡眠時間の確保」は、連休中は(E')に夢中になった結果、やや睡眠時間は短めとなってしまった。連休後は結果的に連休前と同程度の睡眠時間で推移している。平日の睡眠時間確保は引き続きの課題だが、一つちょっとした工夫で早めの就寝ができる余地が出てきたため、本記事の執筆日5/19の晩以降、実践してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(122)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、前々号・前号と最後の仕上げまで遅くなった反省から、今回は本記事を1通目として前号発行日5/10(日)に仕上げている。今回も含め、次号くらいまでは論述内容として考察ストックがあるが、このゴールデンウイークに結果的に思った程に続きの考察に時間を取れなかったため、今回は先の考察も同時並行で進めながら本記事を仕上げた。当面は長期休暇もないため次回以降も当面このペースを維持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

少しずつ改善は進んでおり、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになったが、まだそれでも精神的に不快な状態に陥った場合に快適な精神状態に回復させる、即ち感情のモニタリングを超えてコントロールというレベルにまで高めるには不十分であった。その不十分さを克服するために考察と試行錯誤を重ねた結果、3つのコツが不可欠であること、およびそのコツの1つ目とその補足説明を前回までに述べた。今回もその続きを述べたい。



今回は3つのコツのうち2つ目について述べる。それは即ち、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像について、快適な、楽しい感情状態を一度に最大限に引き出せるよう、画像それ自体を洗練・濃縮することである。

例えば、特定イメージ画像の具体的な候補が、自分が手塩にかけて鉢で育てているお気に入りの花が咲いている様子であるとする。またもう一つの候補として、富士山やアルプス山脈などの雄大な自然の風景であるとする。それぞれの画像を単体で順番に頭の中で想起して行っても一定の効果は見込めるものの、より短時間に少ない手間で効果を出すためには、富士山などの雄大な風景の手前にその手塩にかけている花が元気に咲いている様子を一つの画像として一体的に思い浮かべるようにする。このようにできれば、一回に2回分の効果を得ることができるという理屈である。

あるいは、特定イメージ画像が風景や人物などの実際の様子の写真であるとして、その実際の写真を敢えて自分に都合の良いように加工してしまうという手もある。例えば、小生のように鉄道が好きな人が、特にお気に入りの鉄道車両があったとして、その車両には車体の側面に赤いストライプが入っていたとする。もしそのその線の赤色が青色であれば、自分としてより気に入ったデザインになるとするならば、PCのフォトショップなどのソフトを使ってその車両の赤い線を青色に塗り替えてしまえば良い(因みに、鉄道ファンの世界では、そのように実際の車両のデザインを勝手に加工して写真や模型として再現することを嘘電と言い、一つの趣味分野として定着している)。


● うっかりミス等の撲滅(123)

■本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日5/28(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、4月以降コロナの影響で時間が出来てきたものの、後述(E')に引き続きのめりこみ続け、(A)には十分な時間を捻出できてこなかったが、前回述べたように、いい加減手を付けないといけない時期になったので、少しずつ追い込まれるように時間を捻出し始めたので、このまま少しずつ時間を増やしてゆきたい。先延ばし癖が久しぶりに出てしまった点は反省しなければならない。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き同程度のペースを維持している。前号で今月中にと述べた開発ステップは無事完了したため、次の開発ステップを進め始めた。来月6月中には仕上がる予定である。引き続きこのまま進めたい。

(E')は、前回今月中には仕上がる予定と述べた、連休中に終わらなかった続きも無事終わらせることができた。まだいくつか残ってはいるが、前述(A)の時間を捻出したいこともあり、そろそろ(E')は最低限のメニューを日々細々と進められるペースを維持するだけに縮小してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」は、引き続き連休前と同程度の睡眠時間で推移しているが、前回述べた、ちょっとした工夫で早めの就寝ができる余地を実践し始め、おかげで30分程度は早めることができるようになった。前述(C)の開発が完了し、それによる仕事の能率化が図られた面も大きい。このままのペースを堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(124)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号476号発行日5/24(日)に仕上げている。次回以降も当面このペースを維持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

少しずつ改善は進んでおり、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになったが、まだそれでも精神的に不快な状態に陥った場合に快適な精神状態に回復させる、即ち感情のモニタリングを超えてコントロールというレベルにまで高めるには不十分であった。その不十分さを克服するために考察と試行錯誤を重ねた結果、3つのコツが不可欠であること、およびそのコツの1〜2つ目を補足説明を含め前回までに述べた。今回もその続きを述べたい。



今回は、前回述べた3つのコツのうち2つ目に関する補足説明をしたい。前回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像それ自体を洗練・濃縮することを2つ目として挙げた。その洗練・濃縮を具体的にどのようにして実践するかの手順を以下で述べる。

まず、快適な、楽しい気分になれる画像または動画を、ブレーンストーミング的に思い付く限り列挙する。もっと言えば、このような場で言うのも何だが、性的興奮を覚えるような卑猥な画像または動画でも良いかもしれない。

次に、それらの各画像または動画について、特にどの部分が快適な、楽しい気分、あるいは性的興奮を覚える対象になるかを分析し、不要な部分をカットする。例えば、自然の風景画ならば、背景の山だけ必要なのか、手前の平地の風景や山の上の青空も必要なのかなどを場合分けして考察してみる。ペイントやフォトショップなどのPCソフトで言えば、画像・動画のクリッピングを行う行為に相当するが、頭の中で画像または動画を思い浮かべるだけでは不十分と感じるならば、実際にPC上でそのようにクリッピングを繰返し試行錯誤して行ってみても良い。

その上で、それらのクリッピングした画像または動画を統合してみる。例えば、非常に不謹慎かもしれないが、お気に入りの自然の風景画を背景として、そこに特に性的興奮を覚える女体の裸体を描いても良い。そのような統合を繰返し行い、できるだけ画像サイズの小さい静止画、または再生時間の短い動画に仕上げる。

統合を試みても、なかなか1つの静止画または動画にまとまらないかもしれない。その場合は、後からふと思い付いて統合できるかもしれないので、無理に統合しようとせず、複数の静止画または動画として頭の中に登録しておくようにする。因みに、小生個人的には、今現在、5個も10個もないが、2〜3個の動画にまとまっている。


● うっかりミス等の撲滅(125)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日6/14(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、4月以降コロナの影響で時間が出来てきたものの、後述(E')に引き続きのめりこみ続け、(A)には十分な時間を捻出できてこなかった。先延ばし癖を久しぶりに発揮してしまったが、いい加減手を付けないといけない時期が迫り、少しずつ追い込まれるように時間を捻出し始められている。この2週間は後述(E')の時間を減らし、その分(A)の時間を増やせた点は進歩と言 える。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き同程度のペースを維持している。前月より次の開発ステップが進んでおり、今月以降に仕上がる予定である。引き続きこのまま進めたい。

(E')は、連休後までにまとまった段階まで終わらせることができた。連休前後から新たに計画したものも含め、まだいくつか大きな段階が残ってはいるが、ひとまず前述のように(A)の時間を捻出するようにしており、(E')は最低限のメニューを日々細々と進めるペースを維持している。理想は毎日コンスタントに少量ずつ進めることだが、日によってムラがあるため、そこを今後は是正してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回ちょっとした工夫で早めの就寝ができる余地を実践し始めたと述べたが、特にこの1週間はさらに早めることができるようになり、就寝時間を以前よりも1〜2時間も早められるようになった。連続て6〜7時間は眠れるようになり、昼休みや夕食後に仮眠することもなくなり、日々物事を効率的に進められるようになったように感じている。今後はこれを堅持するとともに、就寝時間以外の時間を効率的に活用できるよう研究してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(126)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号477号発行日6/7(日)に仕上げている。次回以降も引き続きこのペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

少しずつ改善は進んでおり、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになったが、まだそれでも精神的に不快な状態に陥った場合に快適な精神状態に回復させる、即ち感情のモニタリングを超えてコントロールというレベルにまで高めるには不十分であった。その不十分さを克服するために考察と試行錯誤を重ねた結果、3つのコツが不可欠であること、およびそのコツの1〜2つ目を補足説明を含め前回までに述べた。今回もその続きを述べたい。



今回は、前回述べた3つのコツのうち、最後の3つ目に関して説明する。それは即ち、話が少し戻るようだが、感情モニタリングのセルフチェックにおける自問自答の仕方それ自体を少しだけ工夫することである。

以前、「今の気分はどうだい?」と自問自答するよりも、「今の気分は良いかい?」とYes/Noで答えやすい形で聞く方が、チェックの確実性が上がる旨を述べた。それをさらに工夫し、「今のイライラ度、焦り度は何段階目?」と定量的に自問自答する方が、より短時間に正確な返答を得やすくなることに最近たまたま気付いたのである。

加えて、「イライラ度=3、焦り度=2」などと定量的に返答を得て、少し前のイライラ度や焦り度と比べることで、不快の程度が段階的に緩和されてくるのをより一層実感しやすくなるのである。

これも以前に述べたことの繰返しになるが、小生個人の経験則からすれば、不快な精神状態(イライラ、落ち込み、焦り)にある際、5〜10回セルフチェックと特定イメージ画像または動画の想起を繰返すことで、段々と不快な状態が緩和されてくる。この際、上述のように定量的な自問自答を繰返すことで、例えばイライラ度が最初3であったのが、2〜3回目には2になり、4〜5回目には1になり、7〜8回目には遂に0になるといった感じで、自らの感情状態の変化を数字、言い換えればグラフで表すことができるようになるのである。

ここで、何回目のセルフチェックにおいてイライラ度がいくつになるかの変化をグラフで表した際、グラフが直線状に変化するのか、それとも反比例のような曲線状に変化するのかは個人的に興味深いところであるが、まだそこまで分析できていない。今後は、そういった細部も余力の範囲で研究してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(127)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日6/28(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、後述(E')に引き続きのめりこみ続け、先延ばし癖を久しぶりに発揮してしまったようで、十分な時間を捻出できてこなかったが、いい加減手を付けないといけない時期が迫り、前々号記事執筆段階あたりから、少しずつ追い込まれるように時間を捻出するようになった。今回は前回よりは少し多く時間を捻出でき、そろそろ(A)も完了に近づいてきた。その点では前回と同様に進歩と言える。引き続き、完了までこのペースを維持したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」および「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、全く同程度のペースを引き続き維持できている。次の開発ステップの仕上がりは来月以降となったが、引き続きこのまま進めたい。

(E')は、引き続き(A)の時間を捻出するようにするため、最低限のメニューを日々細々と進めるペースを維持している。前回述べたように、理想は毎日コンスタントに少量ずつ進めることだが、まだ日によってムラがあり、全く手が付けられない日もあれば、まとまって時間を捻出できる日もある。後述(A)や(G)の時間捻出のためにはある程度仕方ないが、例えば6/25(木)は1時間強ほどの時間を工夫により捻出できたはずであり、まだまだ時間の使い方を効率化できる余地がある。その点を今後は特に重点的に是正してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回から引き続き、早めの就寝を維持できており、毎日連続して6〜7時間は眠れている。強いて言えば、この1週間は夜の就寝時間が少しだけ遅くなってしまった反省もあるため、再度30分程度は早く寝られるよう、時間を効率的に活用できるよう研究をさらに深めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(128)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号478号発行日6/21(日)に仕上げている。次回以降も引き続きこのペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

少しずつ改善は進んでおり、感情モニタリングのセルフチェックをかなり高頻度に実践できるようになったが、まだそれでも精神的に不快な状態に陥った場合に快適な精神状態に回復させる、即ち感情のモニタリングを超えてコントロールというレベルにまで高めるには不十分であった。そのため、それさを克服すべく考察と試行錯誤を重ね、3つのコツを見出し、それを前回までに述べた。今回は、少し話を戻して最新の経過をお伝えしたい。



本記事仕上げ日6/21のつい数日前からであるが、失敗などして落ち込みかけた際、以前よりも不思議と気分の落ち込みの程度がかなり軽くなったことに気付いた。即ち、(自己流の)感情モニタリング法のセルフチェックを実践する以前に、そもそも不快感情がそれほどに湧いてこないようになったのである。(自分で予め気付いた)何の前触れもなく、突然実現したこともあり、自分自身としても非常に驚いた。ついその1週間前にも同様な失敗等でだいぶ落ち込んでしまったため、非常に対照的に思えるとともに、明らかな差異を実感できる良い比較材料になった。

だいぶ前にもこのメルマガ記事として述べたことはあるが、かつて20年前、感情モニタリング法の創始者である臨床心理士・河野良和氏にカウンセリングを受けていた際、感情モニタリング法というよりは自己暗示により感情状態が一時的だが劇的に改善し、(仕事でミスしたり怒られても)精神的に不思議と落ち込まなくなるようになった。当時、周囲からも「ねーっ、全く落ち込まなくなったよね」と非常に驚かれた記憶がある。その時の体験と非常に今回も似ているため、やや大げさではあるが、自分自身としては実に20年ぶりの快挙とも言える。

とはいえ、その20年前、しばらくは落ち込まずに過ごせたのだが、ある時、何か言い合った際だったか、何かのセリフ(具体的には覚えていない)を声に出したところ、急に気分が落ち込んでしまい、何かの魔法が解かれたかのように、たちまち元に戻ってしまったという苦い体験がある。そのため、今回も無条件に糠喜びせず、一定の警戒感を緩めず、さらに諸々の取組みを粘り強く続けてゆきたい。

さしあたり、その20年前に具体的に何が明確な原因で、臨床心理学・催眠の理論としてどのような原理によって、そのように戻ってしまったのかについて考察を進め、そもそも同じような結果を招かないように最大限の工夫をすること、さらに万が一何かの拍子で元に戻ってしまった場合、できるだけ短期間にまた落ち込まなくなるよう回復させるためにどうしたら良いかを考える必要があろう。


● うっかりミス等の撲滅(129)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日7/12(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、先月までは後述(E')に引き続きのめりこみ続け、先延ばし癖を久しぶりに発揮したようで十分な時間を捻出できてこなかったが、この1か月で少しずつ追い込まれるように時間を捻出するようになった。今回も前回からほぼ同じペースで時間を捻出できている。引き続き、完了までこのペースを維持したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今月に入り1つステップが完了したため、さらに次のステップに向けて準備を進めている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、全く同程度のペースを引き続き維持できている。いずれも、引き続きこのままのペースで進めたい。

(E')は、(A)の時間を捻出するため、最低限のメニューを日々細々と進めるペースを維持するよう努めてきたが、この2週間は完了が近づく(A)に意識的に注力するため、(E')の時間をかなり削ってしまっていた。おかげさまで(A)はほぼ仕上がりの段階に達したため、数日前から再度(E')に時間を費やし始めている。前回述べた時間の使い方の効率化は、まだまだ改善の余地はあるが、少しずつ改善はできてきていると自負している。今後も引き続き特に重点的に改善してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き早めの就寝、6〜7時間の睡眠時間を維持できている。これまでの改善課題であった夜早く寝るための時間の効率化も、上述(E')にも関連して少しずつ改善できている自負がある。(E')と同様に、より一層の改善を進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(130)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号479号発行日7/4(日)に仕上げている。ここしばらくこのペースを維持できていることから、次回以降も引き続き堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。前々回までにそれらの方法、コツについて述べてきた。今回も前回に続き、話を戻して最新の経過を率直にお伝えしたい。



前回記事の仕上げ日の直前から突然、失敗などして落ち込みかけた際、以前よりも不思議と気分の落ち込みの程度がかなり軽くなったと述べた。個人的には20年ぶりの快挙とも述べたが、今回のこの記事を仕上げる数日前、やはり仕事でささいなミス(今までと比べれば、さほどの深刻なものでもないのだが)をしてしまった際、久しぶりにまた落ち込みの程度がやや大きくなってしまった。

20年前もある言い合いが引き金になり急に元の落ち込みやすい自分に戻ってしまった苦い経験から、元に戻ってしまった際の回復方法を考える必要があると前回記事の最後で述べたが、早速そうせざるを得ない状況になってしまった。

今回の原因を自分なりに推察すると、その前から数日間、落ち込まなくなったことを喜ぶあまり、感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)のセルフチェックを少しサボっていたことが挙げられる。その上で、特に再度落ち込んでしまった日の前夜、就寝は早めにしたはずだが、どうも眠れず、結果的に夜通しでの睡眠時間が短かったことも挙げられる。

そのどちらがどれだけ要因として効いているのかは現時点では不明だが、いずれにせよ、その2つが直接の原因と考えられるのであれば、その2ついずれも重点的に対策せねばなるまい。そのため、この週末から、再度意識的にこまめにセルフチェックをするとともに、早め早めの就寝、さらには夜眠れなくなるのを防ぐため、午後以降極力昼寝やコーヒーの摂取、および就寝直前の飲酒を控えるように心がけている。

ここ最近は我ながら快進撃を続けてきたつもりでいたが、今回はやや停滞、後戻りしてしまった感もある。だが、これまでの経験の蓄積もあるため、後戻りの損失は最小限と考えている。引き続き今までの取組みを粘り強く続けたい。


● うっかりミス等の撲滅(131)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日7/26(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、この1か月半で少しずつ追い込まれるように時間を捻出するようになったが、おかげさまで(ようやくだが)ほぼ仕上がるに至った。今回は仕上がる段階となったため、前回よりはペースダウンしたが、まだ完成後のフォローアップなども少量だが残されているため、僅かずつだが今後も時間を最低限は捻出してゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、これまで準備を進めてきた次のステップを予定通り着手できている。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も、全く同程度のペースを引き続き維持できており、このペースを堅持したい。

(E')は、ここ最近は(A)の時間を捻出するため費やす時間をかなり削っていたが、(A)はほぼ仕上がったため、前回から再度(E')に時間を費やし始めている。今回も前回時点とほぼ同じペースで進められており、特に本記事執筆日7/26はかなり進めることができた。時間の使い方の効率化は、少しずつだが改善は進んでおり、日々就寝前に今日のムダ時間はどの程度であったが、次にそのムダを省くためにどうすれば良いかを必ず反省するようにしている。今後もこのペースを続けてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き早めの就寝、6〜7時間の睡眠時間を維持しているが、この1週間ばかりは、休日を中心に昼寝の時間が増えた反動もあり、夜の就寝時間が少し遅くなってきた反省はある。具体的には、前週までは23時頃の就寝に努めてきたが、23:30過ぎになってしまう日が増えてしまった。(E')と同様、時間の効率化を進め、元の状態への改善を急ぎ進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(132)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号480号発行日7/19(日)に仕上げている。ここしばらくこのペースを維持できていることから、次回以降も引き続き堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。



前回、それまでしばらく仕事等で失敗しても気分の落ち込みがかなり軽くなる状態が続いていたものの、久しぶりに落ち込みの程度が大きくなったと述べた。前々回記事で述べた、落ち込みやすい状態に戻ってしまった場合の回復方法の実践を皮肉にも早速実行する羽目になった。

再度落ち込みやすくなった原因の一つとして、感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)のセルフチェックを少しサボっていたこと、睡眠時間が再度やや短くなっていたことを前回記事で挙げたが、この2週間はその反省から、意識的に昼以降のコーヒーの摂取、就寝前の飲酒を避け、早く就寝し、かつセルフチェックをできるだけ高頻度に行うようにした。おかげで、この2週間は比較的安定するようになった。



それだけでなく、今まで以上に少しでも進展できるよう、セルフチェックの方法もより洗練する工夫を重ねるようにした。具体的には、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像をより鮮明に思い浮かべやすくなるよう、イメージを浮かべることそれ自体を自己暗示の対象にしたのである。

これには理由がある。即ち、特定イメージ画像を浮かべよう浮かべようと意識し過ぎてしまうと、かえって頭の中に自然と浮かびにくくなってしまうという課題があったためである。より細かく言うならば、特定イメージ画像は何となく全体的にぼやけた状態で思い浮かべられはするのだが、476号記事(122)でも述べたように、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい要素を洗練凝縮するようにしているため、局部の細かい描写がパッと自然に浮かびにくくなっていた、というのが正確な表現かもしれない。

その課題を克服するため、ふと思い付いて、できるだけ鮮明に思い浮かべたい局部を対象として、「〜が鮮明に思い浮かべられると良いんだよなぁ」という自己暗示をするようにしてみたのである。

その自己暗示の効果からか、少しは特定イメージ画像(の局部)を以前よりも鮮明に思い浮かべられるようになったような気はしている。もっとも、その特定イメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることもあるので、どちらがどれだけ影響しているのかはまだ見極められておらず、それも今後の課題の一つと言える。

● うっかりミス等の撲滅(133)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日8/10(月祝)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回述べたように、既に仕上げの段階となったが、我ながらどういうわけか、仕上げでもう終わりと思った後から、急に凝り出してしまい、結果的に特にこの1週間はかなり(A)に時間・労力を注ぐ形になった。その凝り方は決して無駄なものではないが、我ながら、どうせ凝るのならば、もう少し早い段階でそのくらいの時間・労力を捻出したかったと反省している。今の調子で行くと、当面はまだこの凝り方は続きそうだが、幸いに連休やお盆休みの時期も重なっているため、当面はその時間を有効活用して注力できる見込である。とはいえ、ある程度の段階まで来たら、後述(E)・(E')にサイド注力したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回予告した次のステップに予定通り進めているが、今回はお盆休みの時期なので、相手業者の都合上その分の一時的な停滞はやむを得ない。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も、全く同程度のペースを引き続き維持できており、このペースを堅持したい。

(E')は、前々回から再度時間を捻出するようにしているが、連休とお盆休みが重なるため、その分の時間を(A)とともに(E')にも中心的に捻出している。同時に、時間の使い方の効率化についても、下手に休暇で時間があることから無駄に過ごしやすいという危機感もあり、より一層無駄な時間の過ごし方をしないよう気を引き締めて休暇の時期を過ごしたいと思う。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き早めの就寝、6〜7時間の睡眠時間をほぼ維持している。前回の反省で夜の就寝時間を少しずつ意識的に早めているが、梅雨明けとともに猛暑となり、犬の散歩を今までよりも1時間程度早く早朝に済ませる必要があることから、結果的に夜の睡眠時間がその分短くなってしまっていた。猛暑が続く限り、早朝の起床時刻は今のまま続く見込のため、夜により早く就寝できるよう、このお盆休みの時期にリズムを整えたいと思う。


● うっかりミス等の撲滅(134)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号481号発行日8/2(日)に仕上げている。この2か月程度はこのペースを維持できていることから、次回以降も引き続き堅持したい。

繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。



前回、感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)のセルフチェックの方法をより洗練する工夫を重ねるようにしたと述べた。具体的には、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像をより鮮明に思い浮かべやすくなるよう、「〜が鮮明に思い浮かべられると良いんだよなぁ」というふうに、イメージを浮かべることそれ自体を自己暗示の対象にしたのである。これにより、少しは特定イメージ画像(の局部)を以前よりも鮮明に思い浮かべられるようになったような気はしている。

今回は、前回の最後に挙げた課題、即ち、そのイメージを浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探ることとした。



この1週間、必ずしも毎日ではないが、朝起きてから仕事前に、特定イメージ画像を数分程度眺めるようにしてみた。その上で、その後どの程度の時間、頭の中でそのイメージ画像を鮮明に想起できるかを実験してみたのである。その結果、比較的興味深いことが分かった。特定イメージ画像を数分程度眺めた後、比較的高頻度に頭の中で想起を繰り返してみたところ、概ね1時間程度は鮮明に想起できるようであった。

とはいえ、単純にいかなる状況でも1時間程度かと言えば、必ずしもそうとは言えないのではないかと思う。何故なら、イメージ画像を眺める時間を数分ではなく、もっと短く一瞬に近い時間とする場合、あるいは逆に5〜10分かそれ以上の時間眺め続けた場合では、その1時間という時間はある程度変動するのではないかと考えられるためである。

もっと言えば、イメージ画像を眺め終わった後、どの程度の頻度で頭の中で想起を繰り返すかによっても変動する可能性もあるし、そのような実験というか訓練を繰り返すことで、頭の中に長期記憶?としてイメージ画像が焼き付けられ、イメージ画像をそれほど眺めなくとも鮮明に頭の中で想起できるようになる可能性も挙げられる。

今回の直接の知見は上述の1時間という数字までではあるが、今述べた可能性を踏まえ、この先もより込み入ったデータ採りをしてゆきたいと考えている。進捗は次回以降に追って報告したい。


● うっかりミス等の撲滅(135)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日8/22(土)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、仕上げの段階になったここ最近急に凝り出したと前回述べた。山の日の連休やお盆休みを有効活用し、かなり注力することができた。ひとまず仕上がったため、これで一段落ではあるが、まださらに次のステップは少しずつ続いていくため、最低限度だが適切なペースを今後も堅持したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、お盆休みも明け、再度お盆休み前と同様なペースで少しずつ進み出している。前回予告した次のステップに予定通り進めているが、今回はお盆休みの時期なので、相手業者の都合上その分の一時的な停滞はやむを得ない。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も、睡眠時間確保のため翌日に持ち越すことは度々あるものの、ほぼ同程度のペースを引き続き維持できている。

(E')は、山の日の連休とお盆休みを有効活用し、既述(A)とともに、かなり進めることができた。前回、下手に休暇で時間があることから無駄に過ごさないようにしたいと述べたが、その危機感からか、今年はほぼ無駄なく休暇の時間を有効活用することができた。お盆休みでひとまず(E')も一段落はしたものの、まだ細々と続ける必要はあるため、(A)と同様に少しずつだが安定したペースを堅持するようにしたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、本記事執筆日である8/22現在だが、今回唯一、まだ前回述べた課題を解決できていない。早朝の起床時間は前回の段階と同じだが、夜も就寝が23時を回ってしまっている。わずかな昼寝などで毎日の睡眠時間の合計は6〜7時間を維持できてはいるが、やはり昼寝をせずに夜に連続した睡眠時間を確保する方が時間の効率や健康面でも望ましいため、次回までに少しずつでも改めたいと思う。


● うっかりミス等の撲滅(136)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、今回も本記事を1通目として前号482号発行日8/16(日)に仕上げている。この2か月以上はこのペースを維持できていることから、次回以降も引き続き堅持したい。

繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。

前回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回もその続きを述べる。



この約1週間も、前回とほぼ同様に、特定イメージ画像を意識的に眺めるようにしてみた。今回は、前回と異なり連休やお盆休みも重なったため、朝起きてすぐではないが、逆にPC上でタスクをこなしながら、比較的長い時間イメージ画像を眺め続けられる状況にあった。1日あたり累積で眺めていた時間は少なくとも1時間、長い日で数時間はあったと記憶している。

その上で、前回と同様に、イメージ画像をPC上で眺め終わった後、その後どの程度の時間、頭の中でそのイメージ画像を鮮明に想起できるかを実験した。その際、前回と全く同じでは進歩がないので、今度は単純に静止画としてのイメージ画像を想起するだけでなく、そのイメージ画像に頭の中で動きを付けるようにしてみた(例えば、イメージ画像が特定の人物の顔であった場合、その人物がニコッと笑みを浮かべる、といったように)。

その結果、前回と比べると、眺める時間(の累積)が長いほど、頭の中で動きを付けやすいように感じられた。同時に、そのように頭の中で動きを付けるようにするほど、単純に静止画を頭の中で想起するよりも、イメージ画像が浮かびやすくなるようにも感じられた。それが今回の知見である。



ここで、動きを付けることで浮かびやすいイメージ画像とは、厳密には元の静止画そのものではなく、頭の中で動きを付けた、言い換えれば動画化したものの途中時点の一時停止映像をも含むものである(例えば、上述の人物の顔が元の静止画であり、その顔が笑みを浮かべるという動きを頭の中で付けたとすると、その人物が笑みを浮かべている途中の任意の瞬間の表情を指す)。

あくまでも勝手な仮説だが、静止画を静止画のまま記憶しようとするよりも、頭の中で動画化などの加工を行う方が、記憶・想起しやすくなるのではないかと考えられる。英単語を覚えようとする際、ただやみくもに単語帳で日本語の意味と結び付けて覚えるよりは、英文ごと覚えたり、口に出して読んだり、音声でその単語の発音を聞いたりと、様々な物事に結び付けた方が覚えやすくなるのと同じ原理と考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(137)


本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日9/3(木)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までに仕上げの段階になって急に凝り出したと述べたが、その凝った仕上げも峠を越え、一段落した。引き続き、まだ少しずつレベルアップしていく必要があるが、後述の他のタスクにも再度時間を割きたいこともあり、引き続き最低限度だが適切なペースを今後も堅持したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き、少しずつだが、お盆休み前と同様なペースで進んでいる。今回から、新たに別のアプリ作成についても動き出しており、それぞれ大幅な進展こそないものの、着実に前に進めてゆきたい。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も、今回も睡眠時間確保のため翌日に持ち越すことが多いが、特に問題ないペースを維持できている。

(E')は、お盆休みの時期に集中的に時間を割き、休み明け後はしばらく手を殆ど付けられないでいたが、8月末になり、少しずつ時間を再度捻出できるようになってきた。本記事を執筆している9/3も、ある程度時間を割いて進められる見込である。(A)と同様に、引き続き少しずつだが安定したペースを堅持したい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回までよりは就寝時間を早めることができるようになった。眠気を感じた際には、必要により昼寝をすることもあるが、夜は23時過ぎには就寝、朝は6時頃の起床を維持できている。次回までにもう少し改善を進め、夜は23時前の就寝を心がけたい。


● うっかりミス等の撲滅(138)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めているが、今回は本記事の仕上げが前号483号発行日から4日後の9/3(木)になってしまった。数か月ぶりに遅くなってしまったことから、次回以降は前のペースに戻したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。

前回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回もその続きを述べる。



この約2週間も、前回とほぼ同様に、特定イメージ画像を意識的に眺めるようにしている。連休・お盆休みが終わり、通常の体制に戻ったため、朝の起床後から夜の就寝前まで、総量としては短い時間ながらも、PC上でタスクをこなしながら、時間を少しずつ見つけてはイメージ画像を眺めている。

今回は、そのイメージ画像の眺め方を少し工夫してみた。即ち、これまでは対象となるイメージ画像全体をPC画面上に表示して眺めてきたが、敢えて一部分(例えば右半分、左半分のみ)だけ表示するようにしてみたのである。これはそもそも、限られた画面スペース上に仕事で必要となる文書などのウィンドウを様々開いていると、イメージ画像全体を表示するスペースが十分にないという実用的な事情にもよるものであるが、それを逆手に取った形と言える。

イメージ画像全体をひたすら眺め続けていると、段々と新鮮味が失われるような感覚になってはくる。だが、不思議なもので、右半分だけ、あるいは左半分だけを眺めるようにしていると、逆に新鮮味を感じるようになるのである。その上で、右半分・左半分だけ眺め続け、一定時間が経過した後に再度画像全体を眺めるようにすると、画像全体としての新鮮味が復活してくるように感じられる。新鮮味があるということは、言い換えれば、快適な、楽しい気分をそれだけ味わえるということになり、感情コントロールと言う面でのメリットに直結する。

下手にイメージ画像を何種類も用意しようとするよりは、1種類の画像から旨味を最大限引き出せるので、コストパフォーマンスは非常に大きいと言える。いわば「1粒で2度美味しい」といったところか。


● うっかりミス等の撲滅(139)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日9/20(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、お盆休みの前後、仕上げの段階になって急に凝り出したものの、峠を越え一段落したため、9月に入ってほぼ落ち着いている。前回までに述べたように、引き続きまだ少しずつレベルアップしていく必要もあるため、最低限度の時間をコンスタントに捻出するペースを今後も堅持したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までと同様のペースで着実に進んでいる。お盆前後から別のアプリ作成についても動き出しているが、その面でこの2週間では少し進展があった。急激な進展こそないものの、着実に前に進めてゆきたい。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」も、この2週間は特に、睡眠時間確保のため翌日に持ち越すことが多いが、特に問題ないペースを維持できている。

(E')は、集中的に時間を割いたお盆休み以降しばらくお休み状態だったが、前回述べたように、8月末から再度少しずつ時間を捻出している。本記事を執筆しているのは連休中の9/20(日)だが、この連休中にお盆休みと同様に集中的に時間を割いて一定のレベルまで進めたい。その後は、(A)と同様に引き続き少しずつだが安定したペースを堅持したい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前述(D)を翌日持ち越しすることが多くなった代わりに、前回と同程度かさらに少し早く就寝できるようになった。それと連動して、朝は従来より30分繰上げ5:30に起床するようにした。朝の起床時刻を強制的に繰上げることで、夜早く寝なければという良い意味での追い込みができ、夜の時間の使い方が効率的になったように思う。眠りが浅い等により結果的に夜の睡眠が十分でないこともあるが、相当な眠気を感じない限り休日でも昼寝は極力せず、その分次の夜に少しでも早く就寝するように心がけている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(140)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。前回484号は記事1通目の仕上げが4日ほど通常より遅れてしまったが、今回は前号484号発行日である9/13(日)に仕上げられた。引き続きこのペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。

前々回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回もその続きを述べる。



前回は特定イメージ画像を右半分・左半分だけ眺め続けることで新鮮味を感じられ、1種類の画像から旨味を最大限引き出せる、いわば「1粒で2度美味しい」効があると述べた。今回はこの理由、原因について考察してみたい。



人間の視覚、あるいはそこから脳に伝わる情報伝達の仕組みという観点から考えると、そもそもイメージ画像全体を眺めたとしても、視覚を通じて脳に伝わる時点で、コンピュータになぞらえるならば、脳内まで伝わり、さらに情報として記憶される上で、画素数(あるいは画像ファイル容量)に上限があり、イメージ画像全体のうち実は限られた部分しか脳内で認識・記憶されていないのではないかとも考えられる。いわば、「画素数(またはファイル容量)上限説」である。

その画素数(またはファイル容量)の上限値が対象とするイメージ画像の大きさ、細かさによらず一定であると仮定すると、イメージ画像全体を眺める場合と、そのイメージ画像の左半分だけ眺める場合、あるいは右半分だけ眺める場合とで、脳内で認識・記憶される画素の部分・箇所が大なり小なり異なるのではないかと考えられる。

それにより、イメージ画像全体をひたすら眺め続けて新鮮味が失われてくる、飽きてくるとしても、左半分・右半分だけ眺めると、脳内では画像情報としてはほぼ全く新しいものとして認識されるため、新鮮味を感じるのではないだろうか。


● うっかりミス等の撲滅(141)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日10/4(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、前回述べたように、前月以降はほぼ落ち着いている。9月は結局殆ど時間を捻出できなかったが、この先まだだいぶ先だが、年始以降に再度次の段階に新たに進みたいと考えるようになり、それに向けて年末年始を中心に少しずつ時間を捻出したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も引き続き同じペースで着実に進んでいる。前回述べた別アプリ作成はほぼ完結し、それにより日々の時間を少し捻出できるようになったため、その浮いた時間を有効活用して、さらに次の段階に進み出した。まだまだ取り組むべき課題は多いため、今後も着実に前に進めてゆきたい。「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き睡眠時間確保のため翌日にほぼ持ち越すことが殆どだが、特に問題ないペースを維持できている。

(E')は、お盆休みに集中的に時間を割いた後、前回予告したように秋分の日の連休でまとまって進めることができた。10月は祝日が無いため、当面進歩はまた最小限になるだろうが、11月以降の祝日・連休を使って少しずつ進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回から引き続き5:30起床を維持している。前回、夜早く寝なければという良い意味での追い込みにより夜の時間の使い方が効率的になったと述べたが、この2週間はやや効率が落ちた気がしている。逆に、朝は起床してから効率的に時間を使えているので、そこは堅持してゆきたい。上で述べた(C)の進展により時間が浮いたので、その分を睡眠時間にも充てるようにしたい。


● うっかりミス等の撲滅(142)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。前々回は記事1通目の仕上げが4日ほど通常より遅れてしまったが、今回も前号485号発行日である9/27(日)に仕上げられている。引き続きこのペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前々回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。



前回までに、特定イメージ画像を右半分・左半分だけ眺め続けることで新鮮味を感じられ、1種類の画像から旨味を最大限引き出せる、いわば「1粒で2度美味しい」効果があること、およびその理由の考察を述べた。今回はこの半分だけ眺めることのもう一つの効果、およびそのもう一つの効果を引き出す別の方法について述べる。



よくよく考えてみると、特定イメージ画像を半分だけ眺めることで、画像から受ける新鮮味が変化するのみならず、画像自体を頭の中でより鮮明に、細かく描写できることに気付いたのである。これは、前回述べた「画素数(またはファイル容量)上限説」に基づくならば、非常に筋の通った理屈であると我ながら思う。いやむしろ、新鮮味の変化という要因も決してゼロではないだろうが、それよりは主に画像自体を鮮明に細かく描写できることによって、快適な、楽しい感情状態になりやすくなると言えるのかもしれない。この鮮明かつ細かく描写できるというのが、上で述べたもう一つの効果である。

その上で、そのもう一つの効果、即ちを特定イメージ画像を鮮明かつ細かく描写できるようにするための別の方法を述べる。これは、つい最近、試行錯誤の上で何となく気付いた、身に付けた方法である。

特定イメージ画像を思い浮かべようとする際、思い浮かべようと強く意識すると臨床心理・自己暗示のセオリーの面から見れば逆効果であり、「思い浮かぶと良いんだよなぁ」と軽く思うようにすることが最も効果的なのだそうである。これは以前に臨床心理士の河野義和氏から直接ご指導いただいた知見でもある。これまで、この軽く思うという方法を実践していたつもりなのだが、どうも思えば思う程にイメージ画像の鮮明さが失われてしまうようにも感じることが多く、それが悩みの一つではあった。

それがある時、「どうせ(特定イメージ画像を鮮明に)思い浮かべられないんだよなぁ」と何となく愚痴半分に思ったところ、その直後にふとその画像を鮮明に思い浮かべられたことに気付いたのである。それ以降、イメージ画像を思い浮かべるのみならず、他にやりたいこと、実現したいことについても、「どうせ〜できないんだよなぁ」と思う直後にできることが多いことも見出した。理由・原因はまだ完全には説明がついてはいないが、「どうせ〜できない」というやや諦めの気持ちで思うことで、無用に期待感を持たず軽く思うという行為を結果的に実現できたためではないかとも考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(143)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。



今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日10/18(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。

「(A) 広告関係の下案作り」は、9月は結局殆ど時間を捻出できなかったが、年始以降に再度次の段階に新たに進みたいと考えるようになり、それに向けて少しずつ時間を捻出したいと前回述べた。10月に入り、諸々の業務の効率化が進み、少しずつ時間を作れるようになったため、その時間を活かして、まだほんの少しずつだが、特にこの1週間では、年末年始頃を予定していた(A)の次の段階の作業にも時間を作れるようになった。当面は後述(C)が中心となる予定だが、(A)も少しずつ進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回述べたように、別アプリ作成がほぼ完結し、それにより日々の時間を少し捻出できるようになったため、その浮いた時間を有効活用して、さらに次の段階に進み出している。新たな開発をいくつか進め始めており、この2週間では一番(C)に時間を費やしている。当面、このペースで進め、一定の成果を早めに得たいと考えている。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き睡眠時間確保のため翌日にほぼ持ち越すことが殆どだが、特に問題ないペースを維持できている。

(E')は、前回述べたように、秋分の日の連休でまとまって進めることができたが、今年は10月は祝日がないため、(E')の時間確保は11月以降に持ち越しになるが、(C)の開発が進めば、平日も週末もさらに時間を作れるようになるため、計画的に確実に進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き5:30起床を維持している。前回、一時的に良くなった夜の時間の使い方の効率が落ちたと述べたが、今回は前述(C)で時間を要するようになり、時間が足りないという危機感が強くなったこともあり、少しだが改善した。具体的には、30分程度は前回よりも早く就寝できるようになった。朝は引き続き効率的に時間を使えている。夜の睡眠時間が短い日が度々あったが、30分程度の昼寝で補えている。


● うっかりミス等の撲滅(144)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回も時間の都合により、前号486号発行日の一週間後10/18(日)に仕上げている。今回も先延ばしではなく、本来の仕上げ予定日10/11(日)に予定が立て込み、かつ10/15(木)も考察の時間は作れたものの、文章として仕上げるまでの時間が取れなかった。ただ、特に10/15(木)は時間の使い方を工夫すれば、十分に仕上げられたようにも思うので、今回の反省を今後に活かしたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前々回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えしたい。



前回までに、特定イメージ画像を右半分・左半分だけ眺め続けることで新鮮味を感じられるだけでなく、画像自体を鮮明かつ細かく描写でき、1種類の画像から旨味を最大限引き出せる、いわば「1粒で2度美味しい」効果があること、およびその理由の考察を述べた。加えて、「どうせ(特定イメージ画像を鮮明に)思い浮かべられないんだよなぁ」と思うことで、より鮮明かつ確実に思い浮かべられる効果があることを述べた。

それらの効果を踏まえ、前回執筆段階からの3週間で、日々の生活の中で、特定イメージ画像の想起、および連動して感情モニタリングのセルフチェックの頻度をさらに向上させようと、自分なりに試行錯誤を繰返しながら、トレーニングを行ってみた。その結果、「どうせ〜できないんだよなぁ」というスクリプトを応用し、「どうせ(特定イメージ画像を鮮明に)思い浮かべられないんだよなぁ」とともに、「どうせ、セルフチェックも頻繁にできないんだよなぁ」とも頭の中で唱えることで、かなり高頻度に思い浮かべる、思い起こすことができるようになった。実際、本記事仕上げ日の10/18(日)の朝も犬の散歩をしながら、断続的というよりも、ほぼ連続して、歩きながらセルフチェックと特定イメージ画像の想起ができたのである。

自分では、これまたかなり大きな成果と受け止めている。まだ集中力を要する仕事中は実現できていないが、私生活の中では、常時そのような状態を維持できるよう、さらにトレーニングを続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(145)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクの執筆日11/01(日)時点での進捗状況を、定例的に個別にありのまま正直にお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、諸々の業務の効率化が進み、少しずつ時間を作れるようになったと前回述べた。前回は年末年始頃を予定していた(A)の次の段階の作業に時間を確保できたが、その後この2週間は結局業務自体が再度増えてしまい、後述(C)に時間を前回より多く費やしたことで、この2週間はあまり進まなかった。次の2週間は、前回並みに少しずつ時間を確保してゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、さらに次の段階に進み出していると前回述べた。この2週間も、前回の続きで一番時間を費やしてきている。その面では確実に進んでおり、このまま進めれば、年内には一定の成果が得られる見込である。よって、引き続きこのペースを堅持したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、特に問題ないペースを維持できているものの、引き続き睡眠時間確保のため翌日以降にほぼ持ち越すことが殆どではある。とはいえ、業務の諸々の効率化により、この(D)も他のタスクをこなしながら一部前倒し的に進めることができるようになり、前回よりは進歩できた。

(E')は、前回述べたように、10月は祝日がないため時間を殆ど取れなかったが、前回予告したように(C)が進んだことにより、この2週間は少しだけ時間を作れるようになり、以前並みに少しずつ進めることができた。今後も、チビチビとだが計画的に確実に進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き5:30起床を維持している。夜の時間の使い方の効率は前回と同程度を維持しているが、この2週間は、上述(C)や(E)にややのめり込んだこともあり、少し寝る時間が遅くなってしまった。30分程度の昼寝で睡眠時間を補っているのは前回通りだが、次回までには夜の就寝時間を再度少し早めるようにしたい。

● うっかりミス等の撲滅(146)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回も前回に続き、時間の都合により、前号487号発行日の一週間後11/01(日)に仕上げている。今回も先延ばしではなく、本来の仕上げ予定日10/25(日)に予定が立て込み、かつ10/29(木)も考察の時間は作れたものの、文章として仕上げるまでの時間が取れなかった。今回も前回の10/15(木)ほどではないが、時間の使い方を工夫すれば、少しでも原稿を書き進められたようにも思うので、前回・今回の反省を今後に活かしたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前々回、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べた。今回も前回に続き、最新の経過を率直にお伝えするが、少し今までと異なった視点での考察・知見を得た。



前回、「どうせ(特定イメージ画像を鮮明に)思い浮かべられないんだよなぁ」とともに、「どうせ、セルフチェックも頻繁にできないんだよなぁ」とも頭の中で唱えることで、かなり高頻度に思い浮かべる、思い起こすことができるようになったと述べた。その頻度の高さはこの2週間も多少のブランクはあったものの、概ね高い水準を維持できている。

その中で、感情モニタリングのセルフチェックを高頻度にできるようになった副産物として、自分の感情状態をかなり細かく把握できるようになってきた。具体的には、単純な喜怒哀楽だけでなく、焦りや不安感、あるいは何となく面倒くさい、特定の飲食物を摂取したいといった欲望的な状態をも、自分の中のもう一人の自分が眺められるようになってきた。

まだ不完全、少しずつではあるが、怒りや悲しみ、落ち込みといった感情状態だけでなく、面倒くさがっている、食べたがっているといった無欲・欲望的な心理状態をも、特定イメージ画像の想起によって意図的にコントロールできるようになってきたようにも思う。例えば、この原稿執筆についても、セルフチェックすることで、「あ、今先延ばししようとしている。執筆を面倒くさがっている」というモニタリングができることで、その面倒くささ・先延ばししたくなる心理状態を是正し、より早めに原稿仕上げに持っていくことが出来ていると考えている。


● うっかりミス等の撲滅(147)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である11/15(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、諸々の業務の効率化が進み、少しずつ時間を作れるようになったと前回述べた。前々回までは年末年始頃を予定していた(A)の次の段階の作業に時間を確保できたが、前回までの2週間に加えてこの2週間も他のタスクあまり進まなかった。ただ、後述(C)をできるだけ早く進めたい事情もあり、決して先延ばしではなくやむを得なかったと考えている。なので、(C)が一段落するまでは、(最悪の場合この年末頃まで)(A)は一旦保留としたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前々回から次の段階に進み出している。他のタスクやアプリ作成が進んだこともあり、本記事執筆日11/15(日)段階でもほぼ専らこの(C)に精力的に時間労力を費やしている。技術的にいくつか壁に当たっているものもあるが、解決の道筋は見えてきており、前回述べた通りに年内には一定の成果が得られる見込であり、引き続き没頭してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、ここ最近は睡眠時間確保のため翌日以降にほぼ持ち越すことが殆どであったが、前述(C)のうち他のアプリ開発が進んだこと等により業務の諸々の効率化をさらに進めることができ、当日のうちに完了させられることが多くなってきた。進歩が目に見えているので、さらに(C)を進めることでより一層の効率化を進めたい。

(E')についても、(D)と同様に、(C)の進展等により仕事の効率化がが進み、この2週間は前回以上にまとまった時間を作れるようになった。前週11/8(日)および15(日)の2日間で特に大きく進展したと言える。現状の(E')は(C)の進捗とも間接的に関係し相乗効果を得られる面があるため、当面まとまった成果が得られるまで、(C)とともに精力的に続けたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き概ね5:30起床を維持している。ここで「概ね」と述べたのは、少しだけ遅くなり、05:45前後になることが多くなったためである。前回、(C)・(E')にのめり込み寝る時間が遅くなったと述べた。そのペースはこの2週間も変わっていない。早く寝なければとも思うが、一方で早めに就寝しても寝付けないことも多く、それはそれで時間の無駄とも思っていた。最低限の昼寝で睡眠時間を補えてはいるため、ひとまず今のペースを続けて様子見してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(148)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と続けて、原稿1通目である本シリーズ記事の執筆が前号発行日の1週間後と遅くなってしまった。その反省もあり、幸いにも前号488号発行日の11/08(日)は時間が十分に確保できたことから、以前のペースである前号発行日仕上げに戻すことができた。前回までの反省を活かし、日々の時間の使い方を効率化できたことが大きかったように思う。よって、今の時間の使い方を今後も堅持してゆきたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

これまで、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べてきた。今回は、前回までの実践の経過を踏まえ、改めて考察を深めたい。



前回、感情モニタリングのセルフチェックを高頻度にできるようになった副産物として、単純な喜怒哀楽だけでなく、焦りや不安感、あるいは何となく面倒くさい、特定の飲食物を摂取したいといった欲望的な状態をも含め、かなり細かく自分の感情状態をチェックできるようになってきたと述べた。そこで、今後さらにきめ細かく感情のモニタリング、コントロールを行っていくためにも、改めて自分自身の感情状態がどの程度バリエーションがあるのか、整理してみたいと思う。

まず、機械的、ブレーンストーミング的にリストアップしてみることにする。:(ひとまず思い付く範囲で。喜怒哀楽・欲望に加え、五感からの直接的な情報をも含む。必要により随時加筆修正してゆきたい)

 ・喜ぶ、嬉しい、楽しい、好意を抱く、愛する
 ・怒る、イライラする、腹を立てる、ムッとする、恨む、妬む、悔しがる
 ・悲しむ、空しく感じる、落ち込む、落胆する

 ・何かをやりたくなる(食欲・性欲・睡眠欲・その他様々な言動への欲望)
 ・何かを面倒くさがる、億劫がる

 ・痛い、痒い、気持ち良い、暑い、熱い、冷たい、しみる、ツーンとする


● うっかりミス等の撲滅(149)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である11/29(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回述べたように、後述(C)をできるだけ早く進めるべく、(C)が一段落するまで一旦保留としている。よって、この2週間も、(C)と(E')が少しずつだが着実に進展している一方、(A)は進歩はほぼない。本記事執筆時点でまだあと1ヶ月程度あるが、年末年始頃には何とか再開したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き現段階を着実に進めている。前回、いくつかの技術的な壁に当たっていると述べたが、そのうち2つが本記事執筆日11/29(日)の数日前までに解決しており、残る1つも未解決ではあるが、おかげさまで解決に向けて大きく進展した。前々回述べた通りに年内には一定の成果が得られる見込であり、引き続き没頭してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回効率化により当日のうちに完了できることが多くなったと述べたが、諸事情でそれまで用いていたアプリの1つが急に使えなくなったこともあり、効率化という面で少し後退してしまった。そのため、前回よりは翌日に持ち越すことが多くはなったが、大体のアプリを入手できる見込が立ったため、次回までには前回並みの効率化を再度実現したい。

(E')は(C)とともにこの2週間も前回以上にまとまった時間を作れるようになった。前回11/8(日)・15(日)の2日間で特に大きく進展したと述べたが、今回もそれほどの進展はないものの、着実に少しずつ進められている。これも、できれば年末前にはまとまった成果が得られる見込が立ったため、引き続き年内は同じペースで進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回と同様に5:30起床過ぎの起床を維持している。(C)・(E')にのめり込むあまりに寝る時間が遅くなっているのは前回と変わりはないが、最低限の昼寝で何とか睡眠時間を補えており、健康上特に問題がないならば、年内はやむなくこのペースを維持して様子見したい。


今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。仕事に追われて、やむを得ず前号発行日の1週間後と遅くなってしまうこともあったが、今回も前回と同様に前号489号発行日11/22(日)に仕上げられている。今日も、1日の中での時間の使い方を効率化できたことで、本通を仕上げる時間を十分捻出できたように思う。引き続き、今の時間の使い方を今後も堅持してゆきたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

これまで、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べてきた。それらの取組みに関して、手前味噌ながら一定の成果が確認できたため、前回から、次のステップに位置付けられる考察を始めた。今回はその考察を踏まえての実践結果と考察の続きを述べる。



前回、よりきめ細かく感情のモニタリング、コントロールを行うべく、自分自身の感情状態がどの程度バリエーションがあるのか、ブレーンストーミング的にリストアップしてみた。今回は、そのリストアップ結果をこの2週間意識的かつ重点的に踏まえながら感情モニタリングを行い、感情状態別にどの程度正確にモニタリング、コントロールできているかを自己分析してみた。

まず、一番高頻度にモニタリングできているのは、快適または普通(中立)の感情状態にある時であった。快適であれば、精神的に余裕があるためか、感情モニタリングや快適な気分になりやすい特定イメージ画像について想起しやすいというかなり明確な傾向が以前からあることが分かっている。

次に、快適または普通(中立)の感情よりは頻度が現状では劣るが、(前回のリストアップからは漏れてしまったが、)体調が優れない、気持ち悪いといった状態に陥った際、感情モニタリングと特定イメージ画像の想起を行うことで、不思議にもその気持ち悪さなどが軽減、消失することが多かった。無論、コロナをはじめとする肉体的なダメージを伴う病気、怪我などを全て回復できるものでは全くないだろうが、病は気からという諺があるように、精神の持ちようにより軽減、消失することは十分に考えられると思う。

その次に挙げられるのが、イライラ、落ち込み、悲しみといったマイナス感情の状態である。まだまだ百発百中には至っていないが、それでも以前よりはそのような状態に陥った際の感情モニタリング、コントロールできる率はかなり上がってきていると自負している。これまでの経験則として、快適または普通(中立)の感情状態にある際の感情モニタリング、コントロールできる率が上がることにより、連動して少しずつ上がっていくように感じているので、引き続きその率を上げるよう取組みを粘り強く続けたい。

最後に、現状で最も低いのが、面倒くさがる、億劫がる、さらには痛い、痒いといったものである。面倒くさがる、億劫がるという状態は、一つ前のイライラ、落ち込み、悲しみなどのマイナス感情と限りなく同程度か、少し劣る程度と自覚している。現状で飛びぬけて一番低いのが、痒いという状態である。私は生まれつきアトピー性皮膚炎だが、皮膚が乾燥したり、ジュクジュクした湿疹状態になった際の痒みをどうにも我慢できないことが多い。まだ感情モニタリング・コントロールによる抑え込みはほぼ全く成功していないため、イライラ、落ち込み、悲しみなどのマイナス感情以上に、実はこの痒みのコントロールが目下の課題であるともいえる。


● うっかりミス等の撲滅(151)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である12/13(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から引き続き後述(C)に加え、(E')が一段落するまで保留としている。当初は(C)が落ち着くまでと述べたが、(E')も再度進める必要が生じ、それらを併せると年末年始の休みも足りなくなってしまう見込となったことから、当初予定の年末年始頃の再開は難しくなってしまった。ひとまず具体的な予定は現時点で未定となったが、来年春先頃までには何とかしたいとも思っている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前々回の段階で当たっていた幾つかの技術的な壁について、前回段階でもいくつか解決したと述べたが、この2週間で残る課題もおかげさまで全て解決した。その意味で、前回からの約一か月間は累積で相当に大きな進展となった。その結果に甘んじることなく、さらに次の段階に取り組んでいる。その過程で、さらに次の技術課題が早速幾つか浮上したが、これまでの課題解決の実績を踏まえると、解決する自信は十分にある。引き続き、気を抜かず鋭意取り組んで行きたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回効率化の面で後退してしまったと述べたが、おかげさまで前述(C)の進展も相まって、前々回までの段階に戻るとともに、さらに効率化を進めることができた。(C)と絡めて、さらなる効率化を進めており、早ければ年末年始頃には一部が実現できる見込である。

(E')は(C)とともにこの1ヶ月ほどは特にまとまった時間を作れるようになり、前々回11/8(日)・15(日)の2日間で特に大きく進展したと述べた。それに加えて、この2週間、特に12/6(日)・12(土)の2日間も大きく進展し、一つまとまった成果が得られた。本当は本記事執筆日である12/13(日)にももう少し進展させたかったが、それは次週以降にお預けになった。次こそはその次の進捗を報告できるようにしたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き5:30起床過ぎの起床を維持しており、最低限の昼寝と週末の寝貯め(医学的には寝貯めは有効性がないとされているが)でしのいでいる。幸い、(C)・(E')が進展してきたことから、新年以降は少しずつでも夜の睡眠時間を増やすよう努めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(152)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である12/27(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回述べた通り、後述(C)や(E')などを優先して進めるため、当初予定の年末年始頃の再開は難しくなったと述べた。その情勢に変わりはないが、少しずつでも進めるべく、(C)などと同様に外注化を再度行うことにした。年末年始にかかりはするが、その間に最低限の準備を進め、年始以降に外注化を進めて、春先頃までには実現したいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までにいくつかの技術的な課題が全て解決したと述べた。その上で、それ以降はさらに次の技術課題に取り組んでいる。この2週間は後述(E')に時間を最優先で割いたことから、最低限のテストを行ったという意味で少しだけ進みはしたが、正直なところあまり進展はしていない。年始以降の仕事の効率化に多分に影響することでもあるので、後述(D)などとともに、年末年始に一気に進めたいと考えている。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回と同様に効率的に進められている。後述(E')に注力することを最優先としたため、前回予告した、早ければ年末年始頃に実現できるとした更なる効率化は、まだ本号執筆時点で進展はない。ただ、(E')が一気に進んだことで、(D)の更なる効率化への布石、準備にはなったことは間違いなく、この年末年始でこの(D)も行けるところまで進めたい。

(E')は前回から引き続き、この12月に入って大きく進展した。前回執筆日である12/13(日)までにだいぶ進み、あともう少しと述べたが、その残りを翌週の12/20(日)、および12/24(木)に一気に進めることができた。この点は前回の予告通り、予定通り実現したと言える。早年末となり、年末年始のまとまった休暇が目前に迫ったため、昨年と同様に一気にそこでやりかけとなっていることを進めたいと考えている。次号記事にてその進捗を報告できればと思う。

「(G) 睡眠時間の確保」については、このところ前述(C)や(E')のために夜の時間を割かれていることから、止む無く起床時刻を5:30から6:00に繰り下げた。ここ最近は05:30にアラームが鳴っても、2度寝してしまうことも多かったことから、睡眠の効率を高め、かつ2度寝を防止する意味で、熟慮の上で変更した。前回も述べたが、前述(C)や(E')を年末年始の間にある程度進め、新年以降はできるだけ夜の就寝時間を早められるように努めたい。

● うっかりミス等の撲滅(153)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回も仕事に追われて、やむを得ず前号491号発行日12/20(日)の10日後12/30(水)とかなり遅くなってしまった。年末と言うこともあり、年末年始の休みを原稿執筆に注ぎ込めればという思い、さらに時間が取れるだけに考察に没頭してしまい、記事の執筆作業自体が遅くなったが、新年以降は再度前号発行日に仕上げるペースに戻したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前年2020年中は、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べてきた。それらの取組みに関して、手前味噌ながら一定の成果が確認できたため、前々回から、次のステップに位置付けられる考察を始めている。今回もその続きを述べる。



前々回490号記事(151)までに、よりきめ細かく感情のモニタリング、コントロールを行うべく、自分自身の感情状態がどの程度バリエーションがあるのか、ブレーンストーミング的にリストアップを行い、そのリストアップした感情状態別にどの程度正確にモニタリング、コントロールできているかを自己分析した。

その結果、快適または普通(中立)の感情状態の時に一番高頻度にモニタリングでき、次に体調が優れない、気持ち悪いといった状態、さらにその次にイライラ、落ち込み、悲しみといったマイナス感情の状態という順位の頻度でモニタリングできており、最も頻度が低いのが面倒くさがる、億劫がる、さらには痛い、痒いという状態であり、特に最下位である痒みのコントロールが目下の課題と述べた。



そこで、この4週間は特に痒みのモニタリングに意識的に注力してみた。その結果、痒みを感じた時の状態をモニタリングすること自体はかなりの頻度でできるようになった。その点は大きな進歩と言える。

なお、短期間でかなりの頻度まで行けるようになった理由としては、意識的に注力していたこともあるが、怒りやイライラなどのマイナス感情よりもかなり高頻度に痒みの刺激が発生するため、意識が他に行ってしまうことでモニタリングすること自体の失念が逆に起こりにくいからではないかと考えられる。

ただ、モニタリングできるようになったとはいえ、イライラ、落ち込み、悲しみといったマイナス感情の時と異なり、コントロールまではまだほぼ全くできていない。感覚的に言えば、モニタリングするとしないとで、痒み刺激により掻きむしってしまう度合いは1〜2割は下がったようにも思うが、結局掻いてしまうことには変わりなく、マイナス感情の時のように一定時間後にスーッと消失することはなかなか難しいのが正直なところである。

モニタリングは短期間でできても、コントロールは逆にできないのは、そもそもマイナス感情の時とは本質的に状態が異なるからではないかと考えている。

即ち、マイナス感情は、何かのきっかけによりマイナス感情の状態になったとしても、そのきっかけが単発的な出来事であることが殆どであることから、後からモニタリングし、特定イメージ映像の想起などにより軽減・消失が比較的容易なのであろう。逆に、痒み刺激は肌からの痛覚というセンサーから連続して痒み刺激という信号が送られ続けるため、マイナス感情と同じ方法で対処しても、継続的に軽減・消失できないのではなかろうか。

例えて言えば、前者が車のアクセルを一度踏んで加速した後で惰性走行している状態、後者がアクセルを踏み続けて加速し続けている状態に相当しよう。その両者の状態でブレーキを踏んでも、前者は容易に減速・停止できるが、後者はなかなかできない。感情コントロールとは、そのブレーキを踏む行為に相当するものと考えられる。


● うっかりミス等の撲滅(154)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特に いわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。 これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日で ある01/10(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までに述べた通り、後述(C)や(E')などを 優先して進めるため、当初予定の年末年始頃の再開は難しくなり、引き続き保留 中である。少しずつでも進めるべく、(C)などと同様に外注化を再度行うことに したと述べたが、この年末年始の休みは後述(C)や(E')を結局優先したため、前 回の段階で予定していた最低限の準備もまだ進められていない。実現可能な目標 を掲げなければ意味がないため、ひとまず、(C)と(E')が一定の段階に達するま で、その準備も保留としたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、年末から次の技術課題に取り組んで いるが、前回の段階で十分な時間が取れず進展していなかったが、この年末年始 の休みである程度進めることができた。当初予定していたように、一気に進める までは行かなかった。現段階でも後述(E')を最優先しており、年末年始と同様に 少しずつでも着実に進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。 今回も(E')への注力を最優先しており、前々回予告した更なる効率化は、まだ十 分には進展していない。ただし、既述(C)が少し進展したおかげで、この(D)の更 なる効率化も少しだけだが進展した。(C)とともに、今後は少しずつ進めてゆき たい。

(E')はこの年末年始の休みでも一番進展することができた。前回、やりかけてい ることを一気に進めたいと述べたが、それを概ね予定通りに達成できた。ただし、 まだ完全には終わっていないため、この記事を執筆している1/10(日)の段階でも 重点的に進めている。次の記事では、今進めている残りの完了を報告したい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回から朝の起床アラームを5:30から6:00 に繰り下げたと述べたが、その後は順調に06:00にすっと起きられ、2度寝もせず 朝の準備などを進められている。夜の就寝時間は引き続き深夜0時頃になってし まっているので、次はその就寝時間を23時頃に戻すように努めたい。既述(C)や (D)の更なる効率化が実現すれば、無理なく実現できるようになるため、(G)のた めにも、既述の各取組みを着実に進めたい。


● うっかりミス等の撲滅(155)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本 シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、前回は仕事に追われて、 やむを得ず前々号491号発行日の10日後とかなり遅くなってしまった。今回は正 月休みを少しでも有効に使って元のペースに戻すよう努め、前号492号発行日の 翌日1/4(月)に仕上げている。それでも前号発行日から1日過ぎており、できるだ け前号発行日に仕上げられるよう努めたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための 試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する 独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮め られるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を 考案し、実践している。

前年2020年中は、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ 画像を浮かべることそれ自体を自己暗示することによる効果、およびイメージ画 像をパソコン上で画像編集して実際に作成したものを、時間を見つけては意識的 にボーっと眺めるようにしていることの効果それぞれの影響度、寄与率がどの程 度かを重点的に探り、そこで得られた知見について述べてきた。それらの取組み に関して、手前味噌ながら一定の成果が確認できたため、490号記事から、次の ステップに位置付けられる考察を始めている。今回もその続きを述べる。



490号記事にて、モニタリングできる頻度が最下位であった痒みのコントロール を行うべく、前回意識的、重点的に痒みのモニタリングに注力してみたところ、 モニタリング自体はかなりの頻度でできるようになったものの、怒りやイライラ などのマイナス感情などと比べ、痒みの刺激が高頻度に発生するため、コントロ ールは難しいことが分かった。

改めて述べるのも馬鹿馬鹿しいが、そもそも痒みは皮膚の乾燥等で発生するため、 皮膚のケアをこまめに行うようにすることで痒みの発生を殆ど防げるので、無理 に痒みのコントロールをしようとするのではなく、痒みに関しては基本的には発 生を未然に防ぐことで対処すべきと思った次第である。

一方で、マイナス感情は予防が逆に難しいが、コントロールは比較的できやすい ため、改めてそちらに注力することにした。その際、前々号で予告したように、 新しい方法も導入して、これまで不完全であった点を補うことで、より完璧を目 指すことにする。

これまでに不完全であった点とは、具体的にはマイナス感情が発生した際、頭の 中がその感情で支配されてしまい、モニタリングすること自体を失念してしまう、 吹き飛んでしまうことである。これまでにも、スマホのタイマーを短い間隔でセ ットし、アラームが鳴ったらモニタリングを行う訓練をしてきたが、それだけで は限界もあるように思ったので、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強 してみることにした。

NLPとは、ネットでググれば概要は分かると思うが、これまで学んで実践してき た感情モニタリング法とも共通する点が少なからずあり、実は感情モニタリング 法に出会う前、何かのきっかけで偶然NLPの本を本屋で手に取ってにわか勉強し たことはあった。今から20年以上も前だが、改めてその時のにわか知識を呼び戻 し、今後少しずつ深めてゆきたいと思う。


● うっかりミス等の撲滅(156)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である1/21(木)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。なお、本通は定例の執筆日である1/24(日)よりも3日早く仕上げられている。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までに述べた通り、後述(C)や(E')などを優先して進めるため、引き続き保留中のままである。何とか春先頃には再開したいとは考えている。(C)や(E')も全面完成と言えるまでにはまだまだ十分に長い時間を要すること、ならびに特に(E')は連休などのまとまった休みを充てる必要があることから、(C)や(E')の進展により(D)などの仕事の効率化を進め、その浮いた時間をこの(A)に最優先で充て、日々少しずつ進めてゆきたいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次の技術課題に取り組んでおり、前回の段階である程度進んだが、この11日間は後述(E')を優先しており、さほど(C)は進んでいない。今現在外注しているものが完成する見込のため、それを待って一気に進めたいとは考えている。それまでは、最低限度の部分をチビチビ少しずつ進めるとともに、先々を考えてある程度中長期的な計画を練るようにしたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。今回も既述のように(E')を最優先しており、更なる効率化は進展していない。現段階で(D)の効率化は(C)とほぼ完全に一体の状態であるため、(E')→(C)→(A)の優先順位で進めてゆきたい。

(E')は前回からも引き続き、一番進展できている。前回重点的に進めていると述べた箇所は予定通り完成はしたが、一部不備があることが後から分かったため、その修正方法と設計に時間を充てている。加えて、既述(C)の中長期的計画も踏まえて、全体の将来設計を考えながら、考える時間、設計する時間を重点的に優先して作っている。この先2週間〜1ヶ月程度で今回考えた設計通りに製作を進める予定である。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前々回朝の起床アラームを5:30から6:00にしたが、諸事情で家族に代わって朝の家事を一部行うことにしたため、再度5:45に繰り上げた。おかげで、朝はその代行部分もスムーズに行えている。加えて、前回課題とした夜の就寝時間も23時頃までは行かないにせよ、可能な限り23:30〜0:00の間に就寝できる日が多くなった。少しずつだが23:00を目標に就寝時間の繰上げにも努めたい。




● うっかりミス等の撲滅(157)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、前々回などは仕事に追われ、年末年始の休みをアテにして、かなり遅くなってしまったが、前回から元のペースに戻すよう努め、今回も前号493号発行日の1/17(日)に仕上げている。このペースを今後もできるだけ堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始めている。特に前回からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。今回もその続きを述べる。



NLPについての全体概要の解説は敢えて省略するが、ここではひとまず、当方の取組みに直接に必要な、有用性の高い手法について重点的に触れることにする。具体的には、特定の五感とイメージとを結び付ける手法、および「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法の2つである。ともに、従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似した手法とも言える。それらについて、今回は1つ目について以下で掘り下げて述べる。

まず、1つ目の特定の五感とイメージとを結び付ける手法について。従来の取組みとして、快適な、楽しい感情になる特定イメージ画像を頻繁に頭の中で想起するべく、数分の短い間隔でスマホのタイマーをかけてアラームが鳴るたびに想起するなどの工夫を重ねてきた。即ち、従来は特定イメージ画像を時間と結び付けようとしてきたが、その結び付け先を時間以外の五感などにも広げるものである。

例えば、パソコンを操作するのにマウスを右手で握りしめる時の指先の触覚、さらにトイレで便座に座った時の尻の触覚、車を運転するのにハンドルを両手で握りしめる時の指先の触覚などなど、いずれも現段階では触覚ではあるが、その触覚を意識しながら、特定イメージ画像を想起するようにしてみる。できれば、数十秒間くらい、意識的にかなりゆっくり「1,2,3,…」と数えながらトランス状態に入って結び付けを行うと効果的のようである。

最短で何回か繰返す程度で、例えばハンドルを握っただけで自然と特定イメージ画像が頭の中に浮かんでくるようになる。従来の時間と結び付ける手法と組合せるならば尚更、毎回必ずではないにせよ、そのように日常生活の要所要所で、結果的に1日の中で高頻度に特定イメージ画像を想起することで、モニタリングという行為自体を伴わなくとも、マイナス感情になりにくくなる効果が期待できる。

実際、この1ヶ月近くに渡りその取組みを重点的に行うことで、仕事で失敗した際などにもあまり不快な、イライラした感情になりにくくなったと実感している。年始早々、そのような成果が目に見えたという意味で、個人的に非常に幸先良い1年のスタートと率直に思っている。



今回はここまで。次の495号の記事(159)でも上述の話を続けたい。

by なさ









● うっかりミス等の撲滅(158)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である2/7(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までと同様、後述(C)や(E')などを優先して進めるため、引き続き保留中のままである。何とか春先頃には再開したいとは考えている。前回から引き続き、後述(C)や(E')も全面完成と言えるまでにはまだ十分に長い時間を要する状況である。どちらも後述のように少しずつチビチビだが確実に進めてはいる。まだ具体的な目途はなかなか立たないが、着実に進めて仕事の効率化を進め、その浮いた時間をこの(A)に最優先で充てたいことには前回から変わりない。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次の技術課題に取り組んでいる。前回段階では後述(E')を優先したと述べたが、この2週間は逆に(C)の遅れを取り戻すべく意識的に進めた。前回触れた、先々を考えての中長期的な計画はおかげさまである程度固まってきたので、今後はその実施計画を具体的に策定してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。今回は既述のように(E')より(C)を最優先しているものの、その(C)の効果による更なる効率化は進展していない。だが、少しずつだが別の面で新たに効率化が出来るようになってきた点は新たな進歩と言える。とはいえ、その新たな面での効率化は(C)の効果により見込まれる効率化よりは程度は小さいものであるため、引き続き(C)の進捗に力を入れてゆきたい。

(E')は前回最も力を入れたことから、作業としては今回は少しだけ進めたが、前述(C)を優先した。とはいえ、前回述べたように、全体の将来設計を考えながら、考える時間、設計する時間をすき間時間を有効活用する形で引き続き作り、ある程度進めることができた。この考える時間は今後も当面引き続き同程度に捻出してゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、引き続き朝05:45起床を続けており、朝の時間を家事等にも有効活用できている。ただ、夜の就寝時間は引き続き23:30〜0:00の間のままで推移している。なかなか目標の23:00に近づけないでいるため、例えば毎日5分ずつなどの具体的な目標を作って改善してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(159)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前号494号発行日から1日過ぎてはしまったが、2/1(月)に仕上げている。できれば1日繰上げ、前号発行日当日に仕上げるペースを今後もできるだけ堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始めている。前々回からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。今回もその続きを述べる。

前回から、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な、有用性の高い手法について重点的に触れており、具体的には、ともに従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似した手法ではあるが、特定の五感とイメージとを結び付ける手法、および「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法の2つを採り上げた。前回その1つ目の手法を実践した上での効果について述べた。2つ目の手法について掘り下げる前に、今回もその1つ目の手法の実践に関する続き、補足を述べたい。



快適な、楽しい感情になる特定イメージ画像を頻繁に頭の中で想起するべく、従来のスマホのタイマーを使って時間と結び付ける方法以外に、パソコンを操作するのにマウスを右手で握りしめる時の指先の触覚など、特定の五感と結び付ける方法、およびその実践結果を前回述べた。

今回は、その前回のさらに応用編として、特定イメージ画像に、別の五感を重ねて結び付け、さらに特定イメージ画像を頻繁かつ鮮明に想起しやすくするというものである。ここで、重ねて結び付ける五感は、実際にその特定イメージ画像に伴うものでなくて良い。例えば、特定イメージ画像が山脈などの何らかの風景画であるとして、その風景画を大自然の環境で眺めている際の、自分が居る周囲の草木の匂いや、風が吹いてその風が体に当たる際の肌の感覚など、自分の記憶の中で思い付く五感の記憶、いわば体感的なイメージを特定イメージ画像と同時に想起することで、頭の中で結び付けてしまおうとものである。

自分自身で実践する上での経験則としても、そのような五感の記憶、体感的なイメージの結び付け、重ね合わせが多いほど、特定イメージ画像の想起はより鮮明かつ確実になっているように感じている。その結び付け、重ね合わせをどれだけ多重にでき、その分特定イメージ画像の想起がどれだけ鮮明かつ確実になるか、その程度を今後しばらく重点的に実践し調べてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(160)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である2/23(火祝)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までと同様、後述(C)や(E')などを優先して進めるため、引き続き保留中のままである。春先頃には何とか再開したいと考えていたが、後述のように、新たにやむを得ず全く新たなタスク(H)に着手することになってきた。そのため、残念ながらこの(A)は自ら手をかけられる見込がなくなってしまった。そのため、これも従来以上にできるだけ外注化する方向で検討を始めたところである。何とか新たな外注化の形でこの(A)を少しでも進められるよう、手探りで進めたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次の技術課題に取り組んでいる。前回述べた通り、今後の、ひとまずは今年分の実施計画を具体的に策定し始めている。後述の新たなタスク(H)にも絡めて、一部新たに加わる要素もあるが、(H)の計画が一段落した時点で、新たな開発に着手したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。今回は既述のように新タスク(H)の着手を最優先したため、まだ前回述べた(C)の効果による更なる効率化は進展していない。だが、今後(H)を進める上でも、この(D)の効率化は最優先課題でもある。そのため、(C)をもう少し進め、できれば春先4〜5月頃には遅くとも効率化を実現したいと考えている。

(E')は前々回まで最も力を入れたが、今回は新タスク(H)ならびに最低限の(C)を優先したため、殆ど進めることができていない。少なくとも今月いっぱいは(H)に時間を注がざるを得ないため、これも最速で春先以降、(D)効率化の後に重点的に進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き朝05:45起床を続けており、朝の時間を家事等にも有効活用できているが、夜の就寝時間は引き続き23:30〜0:00の間のままで変わっていない。(H)の着手により、夜の時間も少しずつだが削られているため、23:00就寝という目標がやや遠のいてしまった。春先まではやむを得ないが、これも春先以降に毎日5分ずつなどの具体的な目標を作って改善してゆきたい。

最後に、全く新たなタスク(H)について触れる。これは諸事情で詳細はおろか概要の触りも全く具体的に述べることはできないが、今後中長期的に考えて必要不可欠なタスクであり、かねてより計画してきたことではある。他のタスクを抱えながらも、今このタイミングで始めるのが最適との考えにより、思い切って決断した次第である。当面春先まではこの(H)を軌道に乗せるため、ある程度夜の時間も削って進めたいと思う。


● うっかりミス等の撲滅(161)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回は久しぶりに前号495号発行日から一週間経過した2/21(日)に仕上げている。前号発行日2/14(日)の直前はある程度余裕はあったはずであり、結果的に仕事の完了を優先してしまったため、本記事の執筆が一週間遅れることになった。次回から再度、前号発行日当日に仕上げるペースに戻したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始めている。前々回からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。今回もその続きを述べる。

前回までに、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な、有用性の高い2つの手法について重点的に触れてきた。具体的には、ともに従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似した手法ではあるが、特定の五感とイメージとを結び付ける手法、および「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法の2つである。前号までに前者の手法を重点的に論じてきたが、今回からは後者の手法について述べる。



上述のように、パートとは、自分の心の中の一部分の意味である。即ち、自分の心は一枚岩、一塊ではなく、複数のパート、パーツから構成されているという考え方、モデルに基づくものである。これは、自分の心を自己分析しても十分理解できる。なぜなら、以前から自分の心の中には、理性的な自分、感情・欲望的な自分など、少なくともその2つの自分が居ると考えていたからである。

例えば、何かカロリーの非常に高い大好物のお菓子を食べたいと思った時、健康面やダイエットなどを考えると食べないで我慢した方が良いと理性的に考えても、好きなものをどうしても食べたいという欲望が湧いてきて、理性の考えとの間で葛藤することはある。この場合、理性的な自分、欲望または感情的な自分、もっと言えばその両方を第三者的に俯瞰する、いわば眺める自分という3つのパートがあると捉えることができる。

先に、これらのパートと会話することは、従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似した手法であると述べた。それは具体的には、かなり以前に述べたものだが、自分自身に「今の気分は良いかい?」などと質問することで、「まぁ、概ね良い気分かな」などともう一人の自分から答えが返ってくるという行為と比べてのことである。これは、上述の2つないし3つの自分という捉え方からすれば、眺める自分が欲望または感情的な自分に問いかける、語り掛けるという意味になろう。


● うっかりミス等の撲滅(162)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である3/7(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までと同様、後述(C)や(E')、特にここ最近は新たなタスク(H)に着手し、それを優先しているため、引き続き保留中である。前回、この(A)は自ら進めることが当面難しくなったことから、追加で外注化する方向で検討を始めた。この2週間で、その外注化の具体的な方法を少しだが何とか考える時間だけは作れた。今後当面は、そのプランに沿って外注化を少しでも進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前々回から、新タスク(H)にも絡めて、ひとまず今年分の実施計画を具体的に策定している。この2週間で、その計画に沿い、まだごく一部だが、開発を発注したところである。今現在の開発状況も注視しながら、少しずつ着実に進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。この2週間は、新タスク(H)を進めながらも、(D)の効率化を進めるための計画をある程度進展させることができた。その段々の取組みが今月3月末には実現し、それに続いて、前回述べた通り、春先4〜5月頃には遅くとも効率化を実現できるように精力的に進めてゆきたい。

(E')は引き続き今回も新タスク(H)ならびに(C)・(D)を優先したため、殆ど進めることができていない。前回、最速で春先以降に(D)効率化後に重点的に進めると述べたが、これも(A)と同様に一部外注化できないかを新たに検討し始めている。半端に自力でかなり進めてしまったため、他のタスク以上に今からの外注化は少しハードルが高いが、何とか一部でも外注化で時間労力の削減を図りたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き朝05:45起床は変わらず、夜の就寝時間は引き続き0:00前後と変わっていない。新タスク(H)も少しだけ進展し、おかげさまで思ったよりも少なくとも今現在は順調に進んでいるため、前回ほど夜の時間を削られてはいないが、何となくの生活習慣的な要因もあり、就寝時間を早められていない。春先以降と言わず、今からでも、前回述べた毎日5分ずつ早くするといった具体的な目標を作って改善してゆきたい。

新たなタスク(H)については、前回から一念発起して始めたが、おかげさまで前回から少し進展した。ただ、(H)の内訳として、この2週間で取組み始めたことはある程度軌道に乗り始めたが、まだ追加で新たに興す要素があるため、この先1か月程度はそれに注力しなければならない状況である。次回かその次くらいには、(H)全体的にある程度軌道に乗っていることを目標に、限りなく全精力を傾けてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(163)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は前々号495号発行日から一週間後の2/21(日)と遅くなった反省から、今回は逆に意識的に早め早めにと思い、前号496号発行日の3日前である2/25(木)に書き始め、2/28(日)に仕上げられた。引き続き、前号発行日当日に仕上げるペースを維持してゆきたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始め、494号からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。前回までに、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な、従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似しているが、有用性の高い2つの手法について重点的に触れた。特に前回からは2つ目として、「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法を掘り下げてきた。今回もその続きを述べる。



このパートと会話することは、従来の感情モニタリングの手法の延長にある、ある意味では類似した手法であると述べてきた。これまでも、感情モニタリング法(の延長)として、自分自身(のパート)との会話を実践してきたつもりでいた。だが、今改めて振返ってみると、その実践はかなり部分的、半端なものであったように反省している。

というのは、心のパートという概念を明示的に意識していなかったことにより、「今の気分はどうだい?」などと自分自身に質問する際にも、欲望または感情的なもう一人の自分を非常に漠然とした、いわば蜃気楼のような曖昧な、半ば見えない相手として捉えていたように感じるからである。それでも、「まぁ、概ね良い気分かな」などと答えが返ってくるので、一定の効果はあると考え、それ以上掘り下げる余地はないように思い込んでいたのである。

改めてNLPとして学び直し、心のパートと明示的に捉えるようになったことで、対話の相手がより鮮明になったように思う。即ち、例えば自分が嫌な気分になった際、あるいは何かのお菓子などを衝動的に食べたいと思った際など、様々な場面で、「嫌な気分になっている自分」「お菓子を食べたがっている自分」などと、自分自身には様々な心のパートがあると意識するようになった。

心理学的な観点で考えれば、それらの「嫌な気分になっている自分」「お菓子を食べたがっている自分」などは、本質的に同一の心のパートなのかもしれないが、当方が実践する上では、ひとまず細分化して捉えておいた方が得策ではないかと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(164)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である3/21(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回までに述べたように、後述(C)や(E')、(H)を優先しているため、引き続き保留中であり、今後の時間的制約から、(A)も(C)などとともに追加で外注化するための検討を始めている。前回、外注化の具体的な方法を少し考えたが、この2週間はその続きで外注先やそれによる今後の進行スケジュールを策定することができた。それにより、最速で7月ないし8月のお盆休み頃には全面完成させたいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き新タスク(H)にも絡めて、今年分の実施計画に沿い、開発を順次発注を進めている。前回までに発注した内容は開発が順調に進んでいることから、追加でさらに続きを発注し、今現在はそ開発が進んでいるところである。引き続き、全体の開発状況を注視しながら、少しずつ着実にさらに進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回までに、(D)の効率化を3月末には実現したいと述べた。ひとまずその実現のために関連する環境作りを3月末には実現できる予定だが、さらにもう一工夫しなければ、無理なく効率化を図ることはできないため、そのための時間作りを計画している。それにより、前回までに述べた通り、4〜5月頃には遅くとも効率化を実現できるようにしたい。

(E')は、引き続き(A)と同様に(C)・(D)・(H)を優先しているため、殆ど進められていない。前回までに、(A)と同様に一部外注化する検討を行ってきたが、それを踏まえて、少なくとも無理なく外注化できる点について外注先を選定するまでは進められた。今後、その業者への作業委託の準備を入念に進め、早ければ(D)と同様に4〜5月頃には外注部分のみでも実現したい。併せて、(E)についても、(E')とは別の形で外注化することとし、その発注先の選定なども検討を進めている。次回までに外注先を決め、(E')と同様に進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、特にこの2週間では残念ながら後退する結果となった。(H)の進展に伴い、資料作成や外注先とのやり取りに少なからぬ時間を取られた結果、深夜01:00前後に就寝する日が続き、慢性的な睡眠不足に陥ってしまった。朝はやむを得ず起床05:45を06:00に変更し、その上で昼間など僅かな時間に仮眠を摂るようにしてしのいでいる。あくまで一時的なやむを得ない状況と考えており、4月以降は山場を越えて元の生活リズムに戻せる見込である。その後は、当初目標とした23時就寝を目指して、改めて生活リズムを整えたい。

最後に、新タスク(H)は、引き続き追加で興す要素を中心に、最優先で時間を割いて精力的に進めている。今現在が一番の盛りではあるが、4月以降は(H)全体を軌道に乗せ、他のタスクや(G)睡眠に時間を少しずつ割くようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(165)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前々回はその前の495号発行日から一週間後と遅くなった反省から、前回からは意識的に早め早めに仕上げるようにしており、今回も前号497号発行日3/14(日)に仕上げられている。引き続き、前号発行日当日に仕上げるペースを維持してゆきたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。手前味噌ながら、少しずつだが着実に改善は進んでおり、日々その手応えを実感してはいるが、完全100%を目指してさらにブラッシュアップを続けている。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始め、494号からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。前回までに、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な、有用性の高い2つの手法について重点的に触れた。特に前回からは2つ目として、「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法を掘り下げてきた。今回もその続きを述べる。



前回までに、「嫌な気分になっている自分」「お菓子を食べたがっている自分」など、自分自分の心のパートを細分化して捉えるようにしたと述べた。その上で、特にこの2週間は、それらの自分、特に嫌な気分になっている自分、イライラしている自分、落ち込んでいる自分など、マイナスな感情状態になっている自分に対して、気付いた範囲内で優しく語り掛けるように心掛けてみた。

その語り掛けは、できればイライラしたり、落ち込んだり、マイナスな気分になった瞬間にリアルタイムに語り掛けられるのが理想ではあるが、まだそこまでできるようには至っていないため、精神状態の良い時、つまりプラスな気分になっている時に気付いた範囲で、「イライラした時の自分、そりゃぁ嫌なことがあればイライラするよねぇ。でも、そこで平気で居られると良いんだよなぁ」などと語り掛けるようにしてみた。まだ数回程度しか出来ていないが、感情モニタリングのセルフチェックも最初はそれくらいの頻度から始まり、今はほぼ終日高頻度に出来るようになったことを踏まえると、今後少しずつ着実に頻度が上がっていくと確信している。

その語り掛けと併せて、これまでの感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)も精力的かつ高頻度に続けられている。そのおかげか、イライラした状態に陥った際、イライラしてはいるのだが、プラスな気分をもたらしてくれる特定イメージ画像をかなり高頻度に想起できていた上、もう一人の理性的な、いわば自分を眺める自分が、イライラしている自分を眺めて「今はイライラしているな」とモニタリングできていた。感情モニタリングという面でも、かなり進歩してきたと自負している。その点での今後の進歩も我ながら楽しみにしている。


● うっかりミス等の撲滅(166)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である4/3(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、今回も後述(C)や(E')、(H)を優先しているため、引き続き保留中ではあるが、前回までと比べて少しだけ進展があった。即ち、前回述べたように、この(A)も外注化するための検討を進めていたが、それに際して自力である程度中身を深く理解しておかねばならない必要に迫られ、尻を叩かれるように自力で勉強を始めた。後述(H)などがもう少しで一段落する見込のため、(A)の自力勉強も数日で一旦途切れてはしまっているが、(H)の一段落のタイミングで改めて自力勉強を再開したいと考えている。その上で、前回策定した外注前提での進行スケジュールの通り、5月頃から外注化を進め、前回予告通りに夏頃には全面完成させたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回の通り、後述(H)にも絡めて、計画通りに開発の発注を進めてきたが、発注は前回までで一段落し、今はその進捗を見据えているところである。ただ、一点、予算的な面等から後回しにした案件があり、それを今回は余力の範囲で少しだけだが進められた。今後しばらくは予算とも相談しながら、出来る範囲でこの遅れている案件も進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前々回までに(D)の効率化を3月末には実現したいと述べた。ひとまずその実現のために関連する環境作りは前回予告通りに3月末に実現できたが、その先の作業が4月にずれこんでしまった。ただ、その作業を円滑に進めるための業者と出会えたことから、5月頃までには重点的に進められる見込は経ってきた。なので、前回述べた通りの計画で進められると見込まれる。

(E')は、引き続き他のタスクを優先しているため、現段階でも殆ど進められていないが、前述(D)の効率化のための環境作りが完了したため、(E')をかなり進めやすくなった。(D)と連動して、(E')も一部外注化する予定だが、想定よりも少し余裕が出来てきたため、自力作業部分も併せ、4〜5月頃には実現できる見込である。(E)についても、前回予告通りに(E')とは別の形で外注化する見込が立ち、外注先も概ね固まったため、次回あたりから少しずつ進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回から引き続き、この2週間も残念ながら深夜1:00前後に就寝する日が続いたが、この1週間程度は少し緩和でき、深夜0:00頃には就寝できるようになった。それをもう少し進め、当初目標とした23時就寝を5月頃までには何とか実現したい。

最後に、新タスク(H)は、前回までに準備がほぼ一段落し、軌道に乗りつつある。残りを今月中に仕上げ、他のタスクや(G)睡眠に時間をさらに割くようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(167)

今回も、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めている。本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。496号ではその前の495号発行日から一週間後と遅くなった反省から、前回からは意識的に早め早めに仕上げるようにしており、今回も前号498号発行日3/28(日)に仕上げられている。引き続き、前号発行日当日に仕上げるペースを維持してゆきたい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。手前味噌ながら、少しずつだが着実に改善は進んでおり、日々その手応えを実感してはいるが、完全100%を目指してさらにブラッシュアップを続けている。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始め、494号からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始めている。前回までに、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な有用性の高い2つの手法について重点的に触れ、特にここ最近は2つ目の手法として「パート」、即ち自分の心の中の一部分と会話するという手法を掘り下げてきている。今回もその続きを述べる。



パートの考え方に基づき、「嫌な気分になっている自分」「お菓子を食べたがっている自分」など、自分自分の心のパートを細分化して捉えるようにしている。その上で、前回からは、それらの自分、特に嫌な気分になっている自分、イライラしている自分、落ち込んでいる自分など、マイナスな感情状態になっている自分に対して、気付いた範囲内で優しく語り掛けることを繰り返している。

この2週間は、前回までよりは、語り掛けの少し頻度を上げることができたと自負している。その頻度が上がってきたからか、語り掛けを繰り返している中で、不思議な体験というか、発見をしたので、今回は特にその点を重点的にお伝えしたい。

嫌な気分になっている自分に対して、「イライラした時の自分、そりゃぁ嫌なことがあればイライラするよねぇ。でも、そこで平気で居られると良いんだよなぁ」と語り掛けているが、その前段、「「イライラした時の自分、そりゃぁ嫌なことがあればイライラするよねぇ。」と同情的な語り掛けを繰返し行っていたからなのか、そのイライラした自分が以前よりも心の前面に出て来て主張する頻度が高くなったように感じている。

イライラする頻度はこれまでとほぼ変わっていないと思われるが、これまでは感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)を行っていても、やり方がやや不適切なのか、そのイライラした自分を無理に抑えつけてしまっていたようにも思われる。その抑制がパートの語り掛けによって緩み、抑えつけていたイライラした時の自分が自然と浮かび上がってくる、もしくは今までの反動でより前面に強く出て来るようになったのではないかと考えられる。



● うっかりミス等の撲滅(168)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である4/18(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、今回も後述(C)や(E')、(H)を優先しており、引き続き保留中である。前回、(A)の外注化検討に際して自力である程度中身を深く理解しておかねばならない必要に迫られ、自力で勉強を始めたと述べた。この2週間は後述(C)以下のタスクに追われ、逆にその自力勉強の時間は取れなかった。後述(C)と(H)が5月の大型連休時に前後して仕上がる見込が立ったため、その後は自力勉強を再開し、その上で外注化を進め、前回予告通りに夏頃には全面完成させたいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までに後述(H)にも絡め計画通りに開発の発注を進めてきたが、特に前回予算的な面から後回しにしてきたと述べた案件がこの2週間にかけ順次完成し、おかげさまで(D)の効率化が段階的に実現してきている。後述(E')の外注化と併せ、5月連休頃には再度一段落するとこ ろまで持っていきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められているが、上述の通りこの2週間では(C)の開発が進んだことにより、さらに効率化できるようになった。5月連休の頃には、この(D)の効率化は最終段階まで到達する見込である。それ以降は、(A)や(H)に特に重点的に注力してゆきたい。

(E')は、今回もまだ他のタスクを優先しているために進捗はないが、外注化の日程がほぼ固まったため、5月の連休を利用して自力で進められるところを最大限進めたい。その上で、(E)も前回述べた通りに(E')とは別の形で5月頃から外注化を進めてゆく予定である。

「(G) 睡眠時間の確保」については、この2週間はほぼ安定して深夜0:00頃には就寝できている。まだ僅かだが、日によっては23:30過ぎには就寝できる余裕も出てきた。5月連休明け頃には安定して23:30前には就寝できるようにしたい。

最後に、(H)は前回述べた通りに3月までにほぼ前準備を終えており、新年度に入り予定通り本格スタートできている。今現在は順調に進んでいることから、今年度1年間の見通しを少しずつ立て始めているところである。次年度以降のさらに新たな展開にもつながるものであるため、予定通りに引き続き順調なペースで進むよう、最大限に尽力してゆきたい。


● メルマガ500号記念に添えて

今回は、メルマガ通算500号、かつWing Brain発足から20周年というという記念すべき節目であるため、予定を変更し、それらをお祝いする趣旨で投稿させていただきます。

なお、ここだけは毎号の通りに記します。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努めており、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げていますが、今回も前号499号発行日4/11(日)に仕上げられています。引き続き、前号発行日当日に仕上げるペースを維持してゆきたいと思います。



私がWing Brainに加入させていただいたのは2008年の年末頃、メルマガに記事を執筆させていただき始めたのは2009年始からでした。それから早12年。干支が一巡する程に時間が経過しました。この12年を振り返ると、WBメルマガに隔週で原稿投稿、メルマガ編集に携わらせていただいていることが、お世辞なく良い意味で生活上のリズムとしてすっかり浸透、定着しており、今やWBメルマガは無くてはならないものとなっています。

私生活面では、居住地も職業も変わり、それなりに変化が大きな12年でしたが、この12年を振り返ると、今が一番充実していると実感しています。12年前は子供達もまだだいぶ幼い年頃でしたが、12年経った今はだいぶ大きくなり、私自身も40代後半になってしまいました。振り返ると、本当に長い時間が経過したのだと痛感します。



WBに参加させていただいたそもそもの目的は、自己改善でした。そのテーマをずっと粘り強く掲げ続け、12年が経過しました。途中停滞していた、または一進一退なまま時が過ぎましたが、手前味噌ながら一昨年頃から目に見えた成果が出てきました。改善の勢いという面では、やはり今が一番と言えるかもしれません。

WB参加当初から自己改善をテーマにした原稿を執筆させていただいてきましたが、特に目に見えた成果が出てきたと言えるのは、今のシリーズ記事を執筆し始めたからではないかと考えています。原稿を執筆するためには、考察をして何か新しい話を書かねばならない、そのためには自己改善について真剣に考え、実践しなければならない。そういう好循環が生まれたことが大きいのだとお世辞なく思います。おかげさまで今は仕事もそれなりに順調ですが、それも自己改善の成果が活かされている面が少なくないように思います。

この勢いを今後も堅持し、より一層の改善を進めるとともに、WBにも引き続き貢献し続けられればと心から願っています。引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。



今回はここまで。次の501号からは前号499号までの続きの記事を書きたいと思います。
● うっかりミス等の撲滅(169)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である5/2(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、今回も引き続き保留中である。前々回述べた、(A)の外注化検討に際して自力である程度中身を深く理解しておかねばならない必要に迫られての自力の勉強は、まだ再開出来ていない。折しも、大型連休に突入したが、前回までの予告通り、後述(C)と(H)を大型連休時に前後して仕上げる計画で進めているため、大型連休の貴重な時間を(A)に捻出できる見込は残念ながらない。何とか予定通りに(C)と(H)を連休明け頃には仕上げ、6月以降は(A)に着手し、夏頃には全面完成させたいと考えている。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までに(D)の効率化が段階的に実現してきているが、この2週間でもさらに次の開発を進めている。これは元々予定していた段階よりもさらに次の段階の開発になる。これまでに開発できた範囲は予定通りに達成できているが、自力で仕上げる部分が残っており、そこをこの連休中の時間を使って実現したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められており、この大型連休の時間を使って、(D)の効率化は最終段階まで持っていくようにしたい。これも(C)と同様に自力で仕上げる部分が必要であり、それに注力しているところである。

(E')は、前回述べたように、外注化の日程が固まったため、自力で進められるところをこの大型連休を利用して最大限進める予定である。(E)も(E')とは別の形で外注化を進めてゆくと前回までに述べたが、(E')が仕上がり次第、最速で今月5月の連休明け以降に進める予定である。

「(G) 睡眠時間の確保」については、この2週間もほぼ安定して深夜0:00頃に就寝できている。23:30過ぎの就寝は今回は残念ながら無かったが、連休に入ったのでおかげさまで睡眠時間自体は維持できている。上述の各タスクの完了が実現したら、予告通りに安定して23:30前には就寝できるようにしたい。

(H)は前回から引き続き順調に進んでおり、この連休の前後は自力で進める部分はかなり少なくなっている。ただ、今年の後半に入る頃から再度自力でのウェイトが増える見込のため、とにかく他のタスクをこの連休前後は集中的に進めたい。



● うっかりミス等の撲滅(170)

前回は500号記念として別の原稿を寄稿させていただいたが、今回からは再度、前々号までの続きとして、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号500号発行日4/25(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。手前味噌ながら、少しずつだが着実に改善は進んでおり、日々その手応えを実感してはいるが、完全100%を目指してさらにブラッシュアップを続けている。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始め、494号からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始め、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な有用性の高い2つの手法について重点的に触れ、掘り下げてきた。今回からは、一端そのNLPの話を保留とし、感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)および自己暗示に話を戻して、この2週間の進捗について述べる。



前回499号記事において、「これまでは感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)を行っていても、やり方がやや不適切なのか、そのイライラした自分を無理に抑えつけてしまっていたようにも思われる。」と述べた。その反省もあり、ふと思い立って、改めて感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)ならびに自己暗示を復習することにした。

これまでに書籍等で学んだ内容、および自己流的に編み出した方法を列挙してみると、ここ最近ではきちんと実践できていない、悪く言えば忘れていた、サボっていた要素があることに気付かされた。それを以下に列挙したい。:


・自己暗示を行う際、暗示を効きやすくするためトランス状態に入る。

・その上で、「頑張らねば」「やらなければ」といった歯を食いしばるような強 い意図的思いを抱くのではなく、「できると良いんだよなぁ」と軽く思うよう にすることで、自己暗示として行いたいことを自然と実行できるようにする。


・感情モニタリングのセルフチェック、即ち「今の気分は良いかい?」と心の中 のもう一人の自分に自問自答した際、不快な感情状態であると分かったならば、 すぐさまチェックを止め、指先などの身体感覚を味わうようにしてみる。その 上で、「良いかいと聞いている自分はどうだい?」と先に自問自答した側の自 分に対して問いかけ直してみる。そして、一定の短い時間後に再度今の一連の 手順を繰返す。

・逆に、セルフチェックの結果、快適な感情状態であった場合は、その快適な状 態をしばらく味わうように眺め続ける。


これらは、ここ最近、正直に言えば、きちんと出来ていなかったと反省している。例えば、セルフチェックの結果、不快な感情状態にあると分かっても、すぐそのチェックを止めるのではなく、不快な状態に浸りこんでしまい、結果的に不快な感情状態を増幅させてしまうといった逆効果な状態になることもしばしばあったように思う。

そこで、特にこの1週間は、これらの基本中の基本とも言える手法を徹底して、改めて身に付けることにした。まず、できれば事前に目の前に見えるものをボーっと10秒間程度、心の中で「1,2,3,…」とゆっくり数えながら眺めるようにしてトランス状態に入り、自己暗示がかかりやすい状態にする。その上で、時々刻々の仕事中や私生活の中で、ほぼ常時セルフチェックを抜けなく行え続けられているという理想的な自己実現のイメージを頭の中で繰返し繰返し想起するのである。

即ち、セルフチェックを確実に常時安定して行えるよう、それ自体を徹底的に自己暗示してみたのである。その結果、数日間で比較的安定してセルフチェックを確実に行えるようになってきたと実感している。


● うっかりミス等の撲滅(171)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である5/16(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、保留中のままなのは前回までと同じである。前回、後述(C)と(H)を大型連休時に前後して仕上げる計画で進めていると述べたが、(H)を進めるのに予想よりも時間を要し、連休の間に案の詳細を固めるまでやっと進み、本通仕上げ日である5/16(日)時点で仕上げをまだ進めているところである。そのため、残念ながら、(A)に着手できるのも、少なくともその分は延期せざるを得ない見込となった。ひとまず、大まかな再計画として、着手を6月としたところを夏頃に、全面完成を夏頃としたところを秋頃に修正したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、この2週間でもさらに次の開発を進めている。連休中に自力で取組む部分を仕上げる旨を前回述べたが、上述の通り(H)に時間を要したため、自力で取組むのは連休明けになってしまった。取組みを始められただけ幸いと前向きに考えているが、仕上げは少なくとも今月一杯はかかると思われる。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められいるが、連休の時間を(H)以外に費やせず、(C)と同様に連休明けから続きを取組んでいる。何とか来月6月中には、自力で仕上げる部分も含めて、(D)の効率化を最終段階まで持っていくようにしたい。

(E')についても、連休中に自力では進められず、連休明け以降にようやく手を付けられている状況である。外注化の部分は予定通りに進んでいるため、その分で進んでいるとは言えるが、これも残る自力で取組む部分を当面はできるだけ時間を作って鋭意進めたい。(E)を進めるのは、(E')がほぼ仕上がってからとなってしまうため、手を付けられるのは6月以降になってしまう見込である。

「(G) 睡眠時間の確保」については、この2週間もほぼ深夜0:00頃に就寝できているが、この数日間は上述(E')外注化の関係から時間を取られ、やむを得ず深夜1時頃になってしまう日が続いた。これはあくまで一時的なものなので、この先一週間くらいで元の水準に、できるならばその次の週くらいには23:30過ぎの就寝を目指したい。

(H)は、上述の一連のタスクの中ではほぼ唯一、この2週間も安定して進んでおり、仕上げる時期が上述の通り遅れてはいるが、着実に進んでいるとの自負はある。仕上げは余裕を見て今月中になりそうだが、ひとまず半端に手を止めるわけにも行かず、今月中はこの(H)を集中的に完了させたい。


● うっかりミス等の撲滅(172)

前回は500号記念として別の原稿を寄稿させていただいたが、今回からは再度、前々号までの続きとして、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。

できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日5/9(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていないため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践している。手前味噌ながら、少しずつだが着実に改善は進んでおり、日々その手応えを実感してはいるが、完全100%を目指してさらにブラッシュアップを続けている。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、490号記事から、次のステップに位置付けられる考察を始め、494号からは、従来の取組みをさらに補強すべく、新たにNLP(神経言語プログラミング)を勉強し始め、NLPの様々な手法の中で、当方の取組みに直接に必要な有用性の高い2つの手法について重点的に触れ、掘り下げてきた。前回からは、一端そのNLPの話を保留とし、感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)および自己暗示に話を戻し、これまで足りなかった点をリストアップして復習を行っている。今回もそれを続けており、この2週間の進捗を述べる。



前回、これまでに書籍等で学んだ内容、および自己流的に編み出した方法の中で、ここ最近ではきちんと実践できていない、悪く言えば忘れていた、サボっていた要素を4つ挙げた。その上で、感情モニタリングのセルフチェックを行うことそれ自体を自己暗示することで、セルフチェックを比較的安定して行えるようになってきたと述べた。

この2週間もそれを粘り強く続けており、特に連休を約1週間挟んだため、連休中は仕事に時間を取られている平日よりも1日あたり長め、高頻度にセルフチェックを行えたと自負している。

加えて言えば、単に長め、高頻度にできたというだけでなく、特に前回挙げた4つの要素の中で、特に実施頻度が低かった「(今の気分は)良いかいと聞いている自分はどうだい?」と先に自問自答した側の自分に対して問いかけ直してみるプロセスについても、ちょっとしたアイデアにより、実施頻度を前回までよりもある程度高くすることができたように感じている。そこで、今回はそのちょっとしたアイデアについて以下で触れることにしたい。:



これまでは、「今の気分は良いかい?」、および「(今の気分は)良いかいと聞いている自分はどうだい?」のどちらも、特に何か鮮明な画像的、動画的なイメージを浮かべることなく、言葉としての問いかけで行ってきた。前者だけであればそれで十分であるが、後者も含めると、その問いかけを行う際、過日より繰返し述べてきた、楽しい、快適な気分になれる特定イメージ画像を浮かべるという別手法を組合せてみることにした。

これまでに浮かべてきた特定イメージ画像はいくつかあるが、風景画であったり、自分が好きな電車の写真であったり、ファンである人物であったり、家族の姿であったりと、多岐に渡っていた。その中から、例えばファンである人物、家族の顔などに絞って、その人物から語り掛けられているというイメージを浮かべるようにしてみたのである。

この取組みの結果として(とはいえ、まだ短期間であり、途中経過だが)、そのイメージ画像を浮かべることそれ自体によって楽しい、快適な気分になりやすくなるだけでなく、その人物と対話する動画イメージをセルフチェックの際に標準的に浮かべることで、「(今の気分は)良いかいと聞いている自分はどうだい?」というプロセスまで行ける確実性が向上したように感じている。

● うっかりミス等の撲滅(173)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である5/30(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、引き続き前回から保留中である。後述(C)と(H)は着実に進みつつはあるが、まだある程度の時間を要することになったため、前回述べたように、(A)の着手を夏頃に、全面完成を秋頃として、何とか年内に完成させられるように進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、さらに次の開発を鋭意進めている。連休中に取組む予定であった自力で行う部分を当初予定より遅れて連休明けに始め、何とか前回述べた通りに今月中に仕上げられる見込となった。引き続き、6月以降も次の開発を淡々粛々と進めてゆく予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められており、(C)と同様に連休明けから自力で仕上げる部分も含めて、続きに取組んでいる。(C)については何とか5月中に自力部分の仕上げが間に合いそうだが、(D)は残念ながら6月以降にずれ込む見込となった。前向きに考えるならば、(C)は仕上がったので、続けて(D)の効率化も最終段階まで持っていくようにしたい。

(E')については、連休明けから遅れてようやく手を付け始めたが、(D)と同様に自力部分の仕上げが5月に終わらない見込となった。ただ、5月中に何とか後述(H)が一段落しそうなので、6月以降は(D)とともに(E')の自力部分にもある程度時間労力を注げる見込である。(E)も夏以降に進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回一番変化が大きかったと言える。即ち、これまでは就寝時刻を深夜0:00頃かできれば23:00頃にと頑張ってきたが、ふと発想を変えて、朝の起床時刻を工夫して遅くしてみることにした。これまで、朝起きてやらねばと決めつけていたタスクのうち一部が、ちょっとした工夫で前夜のうちに大部分終わらせられ、朝は最低限の付け足しで済むことが分かったからである。この1週間は、そのように敢えて朝の起床を遅くすることで、夜は00:00過ぎまで起きていても、特に睡眠不足に陥ることは少なくなり、昼間の仕事の効率もその分向上したように思う。そのため、当面このペースを続けたい。

(H)は、この2週間も安定して進んでおり、他を犠牲にしたおかげで、この5月中にまた大きな節目を迎えることができた。まだ6月以降も続きはするが、ようやく(A)〜(E')にまとまった時間を注げる見込が立ったのは、大きな進展と考えている。


● うっかりミス等の撲滅(174)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回は前号発行日より1日早く前日5/22(土)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



繰返しの再掲になるが、これまでに感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、458号記事(87)で述べたように感情モニタリングに関する独自の改良的方法を発見できたが、不快な気分に陥った際にまだ百発百中で鎮められるまでには至っていなかったため、成功頻度を高めるべく、更なる改良的方法を考案し、実践してきた。手前味噌ながら、少しずつだが着実に改善は進んでおり、日々その手応えを実感してはいるが、完全100%を目指してさらにブラッシュアップを続けてきた。

前年2020年中の感情モニタリング(を自己流にアレンジした方法)の考察・実践の取組み成果を踏まえ、考察のレベルアップを進めるとともに、補完としてNLP(神経言語プログラミング)の勉強なども進めてきた。前々回からは、一端そのNLPの話を保留とし、感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)および自己暗示に話を戻し、これまで足りなかった点をリストアップして復習を行っている。



前回までに、感情モニタリングのセルフチェックを確実に行うべく、これまでに書籍等で学んだ内容、および自己流的に編み出した方法の中で、ここ最近ではきちんと実践できていない、悪く言えば忘れていた、サボっていた要素を4つ挙げた。その上で、感情モニタリングのセルフチェックを行うことそれ自体を自己暗示し、さらに、楽しい、快適な気分になれる特定イメージ画像を浮かべるという別手法も組合せ、これらの手法を総合することで、セルフチェックを比較的安定して行えるようになったと述べた。

この2週間は、その続きとして、それらの方法を毎日高頻度に実践しながら、手法のチューニング、ブラッシュアップすべく、試行錯誤を重ねてきたが、おかげさまで手前味噌ながら、かなりのチューニング、ブラッシュアップを実現でき、当初目的である感情モニタリングのセルフチェックを限りなく100%に近づけることができた。長らく取り組んできたこの課題も、終わりが見えてきたように思う。今回はその進展について述べたい。



前回は、「(今の気分は)良いかいと聞いている自分はどうだい?」という先に自問自答した側の自分に対して問いかけ直してみるプロセスについて、特定イメージ画像の中の人物が語り掛けてくるイメージを浮かべるようにしたが、それよりは、敢えてイメージを浮かべずに問いかけの文言を工夫する方が効果的であり、特定イメージ画像の想起は別に並行して行う方が良いことが分かった。

即ち、例えば「今の気分は良いかい?」とまず自問自答し、「やや不快かな」という返答が返ってきたら、「(今の気分は)良いかいと聞いている自分は、同じように不快かい?」と自問自答してみるのである。そうすると、「いや、私は客観的に眺めているから、そんなに不快ではないな」といった回答が返ってくる。そうすると、不思議にも、不快感が少し和らぐのである。それを複数回繰り返していると、完全ではないが不快感はほぼ解消されることを実感した。もっと言えば、その繰返しの間に、特定イメージ画像の想起も挟んで実行すると、より効果的のように感じられた。

● うっかりミス等の撲滅(175)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である6/13(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、引き続き保留中であるが、前々回述べたように、夏頃に(A)の着手ができるよう、発注業者の選定、および発注方法の検討を少しずつだが始めたところである。概ね、来月7月頃までにその検討を終え、8月頃から着手を実現できるように進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き次の開発を鋭意進めている。前回5月中に仕上がる予定と述べた部分については、一応仕上がったものの、一部微修正が必要になったため、今月に入りチューニングしている状況である。このチューニングも何とか今月6月中には完了したいと考えている。さらに今月中にもう一つ、完成させ実運用に入る目途が立ったものがあるため、それを何とか軌道に乗せたいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。4月頃から、その仕上げを少しだけだが精緻化する必要が生じたため、手間と時間を多めに費やす必要が生じていたが、それも上述(C)の進展に伴い、この1週間ほどで解消し、再度効率的に進められるようになった。(D)自体の完全な効率化にはもう少し時間を要する見込であるが、何とか8月頃までには実現したいと考えている。

(E')については、前回述べた通り、当初は5月連休中に仕上げる予定であった部分について、上述(D)の再度の効率化により少し時間を捻出できることになったため、今月6月末頃からは(E')も自力で少しずつ進められる見込である。(E)も前回述べた通り夏以降、具体的には8月頃から少しずつ進めたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、前回述べた通り、ちょっとした工夫により、夜の就寝時間を変えずに朝の起床を遅くするリズムをこの2週間も続けている。比較的安定して睡眠不足の回避を実現できており、このまま恒久的にこのペースを続けたいと考えている。

(H)は、前回、5月中に大きな節目を迎えられたと述べたが、今月に入り、その延長として、さらに次のステップに進めることができた。これにより、今月6月後半から来月7月頃にかけて、大きく進展できる見込である。こちらが軌道に乗れば、上述(A)〜(E')に費やす時間も増やせ、好循環に持っていけると見込まれる。ゆえに、今月6月は特にこの(H)の次の進展に全力を費やしたいと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(176)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日6/6(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。補完としてNLP(神経言語プログラミング)の勉強なども進めてきたが、改めて感情モニタリング法(を自己流にアレンジした方法)について、これまで足りなかった点をリストアップして復習を行ったところ、急激に感情面での安定化を図れるようになり、不快な気分を百発百中で鎮められるようになったと前回述べた。

この2週間も、セルフチェックを能動的に行う頻度は少し落ちたものの、引き続き感情面での安定化は図れている。このまま油断せず、余力の範囲でセルフチェックを行うようにし、長期に渡り安定化させたい。この先数か月、半年、1年と安定化すれば、長きに渡り取り組んできた感情モニタリング法に関する一連の取組みのうち、不快感情の克服という狭義の意味では遂に完結、終結ということになる。今年末には、(狭義の意味での)終結を宣言できるよう、引き続き今年一杯はこのペースを意識して続けてゆきたい。



その上で、その次のステップとして、広義の意味での感情モニタリング法の習得、即ち食べたい、痒いのを我慢する、面倒くさいからタスクに手を付けたくないといった欲望的な面でのコントロールを完全にマスターできるようにしたいと思う。これらの欲望的な面でのコントロールは、感情モニタリング法だけでなく、自己暗示と併用することが特に重要と、これまでの経験則で学んでいるので、自己暗示の更なるマスターも兼ねることになる。

さらにその次には、そもそもこのシリーズ記事のタイトルにもあるように「うっかミス等の撲滅」に立ち返り、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングを重点的に進めてゆきたい。そのためのセオリーは既に自分の頭の中にあるので、それを具体的に追って解説しつつ、積極的に実践して少しずつでも改善を具現化してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(177)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である6/27(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、引き続き保留中であり、夏頃に(A)の着手ができるよう、前回から引き続き、発注業者の選定、および発注方法の検討を少しずつだが進めている。この2週間での私的な事情の変化により、夏頃に(A)に費やせる時間は少し削減せざるを得ないことになったが、7月まで検討、8月着手の目標は変更がないよう次の2週間も進めてゆきたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き開発を鋭意進めており、前回チューニングしていると述べた箇所は、この2週間でおかげさまで完了した。かつ、実運用に入ると前回予告したものも、ギリギリ月末になるが予定通り運用を開始することになった。7月以降も、さらに次の開発を進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回、一時的に精緻化のため手間と時間を多めに費やしていた箇所が解消したと述べたが、この2週間ではさらにもう一つ効率化が実現し、かなり効率的に進められるようになった。残るは、(D)自体の完全な効率化だが、そのための準備を本記事執筆日の6/27(日)に進めることができた。何とか、前回予告した8月頃までには実現したい。

(E')については、前々回述べた通り、当初は5月連休中に仕上げる予定であった部分について、上述(D)の再度の効率化、および後述(G)・(H)の改善・進展の効果もあり、さらに少しずつ時間を捻出できることになったため、(E')も自力で少しずつ進められるようになった。上述(D)とともに、本記事執筆日6/27(日)に作業に先立っての机上検討を再開することができた。前回述べた8月頃からの再開を前倒しできたことから、毎日少しずつだがコツコツと進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き、夜の就寝時間を変えずに朝の起床を遅くするリズムをこの2週間も続けている。安定して一定の睡眠を確保できており、このまま恒久的にこのペースを続けたい。このペースがベストとの見解に改めて達したため、今後は特段の変化がなければ、(G)の記述は基本的に省略することにする。

(H)は、今回一番大きな進展があったと言える。前回予告したように、6月後半から7月頃にかけて大きく進展できる見込と述べたが、それが無事に具現化した形である。残る6月中に急ぎ準備を完了させ、7月からは次の大きなステップに歩み出したい。それにより、上述の他のタスク、特に(D)〜(E')を重点的に進めたい。



● うっかりミス等の撲滅(178)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日6/20(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。途中、紆余曲折も大なり小なりあったが、最近になってこれまで足りなかった点をリストアップして復習を行ったところ、急激に感情面での安定化を図れるようになり、不快な気分を百発百中で鎮められるようになったと前々回述べた。

前回、セルフチェックを能動的に行う頻度は少し落ちたと述べた。感情面での安定化は比較的図れていたはずだが、厳しく見れば、少し不安定になる面があったとの反省もあり、この2週間は前々回並みにセルフチェックの頻度を上げるよう心掛けた。その結果、敢えて厳しく見て、まだ100%完璧ではないが、前回よりは安定性が回復したように感じている。引き続き当面の間、具体的には数ヶ月間はこの頻度を意識的に心掛けてゆきたい。



その上で、前回の最後に予告した通り、「うっかりミス等の撲滅」に立ち返り、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングを、セルフチェックと意識的にセットにして、前倒しで始めることにした。というのは、比較的初歩的だがダメージの大きいドジな失敗をつい先日してしまったからである。おかげさまで、その失敗による精神的な落ち込みは以前より相当に軽かったと自負しているが、それでも失敗しないに越したことはないわけで、そのために敢えて計画を前向きに変更した次第である。

具体的には、何かの言動を行う際、できれば事前、せめてギリギリ直前に、その言動を行うシミュレーションを頭の中で行うようにする。例えば、車を運転してどこかの目的地に行く場合、どの経路で行くかを事前にイメージするのである。加えて、できればその言動のギリギリ直前、せめて言動をしてしまった直後に、その言動をしたことで本当に良かったのだろうか?と自問自答するようにするのである。それらを、セルフチェックと同様に、常時100%確実に実施できることを最終目標として、できるだけ頻度を高めて行うよう、癖を付けるようにトレーニングしてゆくのである。

● うっかりミス等の撲滅(179)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である7/11(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、今回も引き続き保留中ではある。前回、私的な事情の変化により(A)に費やせる時間は少し削減せざるを得ないことになったと述べたが、おかげさまでこの2週間でその事情なるものが少しだが改善できたため、少しその分(A)に費やせる時間を再度捻出できる見込にはなった。ただ、後述(H)にできればもう少し時間を費やしたい事情も出てきたため、(A)についてはあまり欲張らず、出来る範囲で進めるようにしたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き開発を進めている。前回実運用に入ると予告したものは、諸事情でさらにもう少しチューニングを行っているが、それとともに次の大きな開発ステップに少しずつだが着手できた。それが今回の最大の進展と言える。秋頃まで当面の間はその開発ステップに専念したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回準備を進められたと述べた次の効率化ステップについては、引き続き8月頃までに実現するとして、今回はそのさらに次のステップを進める計画を新たに策定できることになった。上述(C)とともに、これもまた今回の大きな進展の一つである。当面は、従来の効率化を少しずつ進めるとともに、次のステップの計画の詳細を煮詰めることに時間を費やしたい。

(E')については、前回から引き続き、作業に先立っての机上検討を再開できている。前回よりはペースが少しだけ落ちたが、できるだけ絶やさず、引き続き少しずつコツコツと進めてゆきたい。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き前回までと同じペースを堅持できているため、前回予告通り詳細は省略することにする。

(H)は、上述(C)・(D)に準じて、今回もある程度の進展があった。前回までの予告通り次のステップに歩み出しているが、そのステップの中で、当面重点的に取組むべき内容をある程度絞ることができた。前回はそのステップに進むことで、(D)〜(E')を重点的に進められるようになる見込であったが、逆に重点的に取組むべき内容が絞られたことで、そこに当面は時間を費やさざるを得ない状況になった。とはいえ、それが進展すれば、改めて(D)〜(E')を重点的に進められるようになるため、とにかくその絞られた内容を重点的に進めたい。




● うっかりミス等の撲滅(180)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日7/4(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。途中、紆余曲折も大なり小なりあったが、最近になってこれまで足りなかった点をリストアップして復習を行ったところ、急激に感情面での安定化を図れるようになり、不快な気分を百発百中で鎮められるようになったと503号の回で述べた。

前々回、セルフチェックを能動的に行う頻度が少し落ちたと述べた。この2週間も前回よりは頻度が回復したと判断しているが、厳しく見れば、感情面で少し不安定になる面がまだまだあったとの反省もあり、さらにこの先もブラッシュアップとして安定して100%維持を心掛けてゆきたい。一度達成したものの、再度崩れてしまったことはこれまでにも度々発生している。そこで、前向きにデータ採りという意味でも、具体的にどのくらいの期間、頻度でチェックを続ければ十分に安定化が図れるか、臨床心理学的研究といった位置付けで取組みを続けたい。



その上で、前々回の最後に予告した通り、「うっかりミス等の撲滅」に立ち返り、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングを、セルフチェックと意識的にセットにして、前倒しで始めている。前回、そのトレーニングの具体的な方法として、何かの言動を行う際、できれば事前、せめてギリギリ直前に、その言動を行うシミュレーションを頭の中で行うようにする。例えば、車を運転してどこかの目的地に行く場合、どの経路で行くかを事前にイメージするようにすると述べた。今回は、その取組みの経過を振り返るとともに、さらにより掘り下げた方法を試行錯誤してみたので、それを報告したい。

言動の直前にその言動のシミュレーションをすると言っても、単純にその言動を頭の中で漫然と画像または映像をイメージするだけでは、この2週間を振返ると、あまり効果がないことが多かったように思う。そこで、本当にこの原稿執筆日の直前からではあるが、できるだけ場合分けしたイメージの仕方をするよう心掛けるとともに、特定の場所や時間に結び付けて、特に要注意ポイントを頭の中でリストアップし意識するように心掛けてみた。

即ち、例えば洗濯機の前を通りかかったら、あるいは、洗濯機の前に居なくとも毎晩22時頃になったら、洗濯機ですぐに洗濯し始める、もしくは洗濯が終わった後の洗濯物が洗濯機の中に残っているのを取り出さなくて良いかを確認するようにするのである。

このような場所と時間のチェックポイントを自分の生活環境に張り巡らせ、そのチェックをできるだけ確実に行ってゆくことで、ミスを限りなくゼロにするように持っていけるのではないかと考えている。まだこの掘り下げた取組みを始めて数日も経っておらず、また成功頻度も決して高くはないが、1〜2回は成功の実績が出来てきている。この頻度を徐々にでも高めるとともに、これまたデータ採りとしてどの程度の期間でどの程度の成功率になってゆくかを見極めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(181)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である7/25(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回から変わらず、今回も引き続き保留中である。事情は前回から特に変わっていないが、(A)を少しでも前に進めるための自分としてのインセンティブを増やすべく、この(A)を仕上げることによる経営上の費用対効果について少しだけ考えてみた。その結果、今の状況では、いつまでも未完成なままで居てはみっともないという社会常識的な意義以外には、特に急いで仕上げる経営的な面でのメリットは薄く、後述(H)がさらに大幅に前進した前後に(A)を仕上げるのが、最も費用対効果の高い戦略ということが分かった。よって、(A)は引き続き当面保留とし、特に後述(H)をその分進めることとしたい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き前回着手した次の大きなステップの開発を少しずつだが進めている。前回は漠然と秋頃まで当面の間続ける旨述べたが、より細かいスケジュールとして、来月のお盆休みの頃までには初歩の段階の開発を完了したいと考えている。それ以降秋口はその続きの中盤以降の開発を進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。強いて言えば、他のタスクが一時的に重なったことで、次の日以降に持ち越すことがこの1週間で続いたが、これ以降はまた引き続きその日のうちに仕上がるペースを維持できる見込である。前回述べた、8月以降の次のステップについては、引き続き計画通りに細部を煮詰める作業を進めている。このペースを来月まで維持してゆきたい。

(E')については、今回一番大きな進展があったと言える。かねてから計画していた大作業が他力本願ながら終結したのである。残るは自力で仕上げる箇所を残すのみであるが、その机上検討は前回から引き続き細々と続けている。その検討と準備をできるだけ前倒しで進め、来月8月のお盆休み頃には仕上げたいと思う。

「(G) 睡眠時間の確保」については、今回も引き続き前回までと同じペースを堅持できているため、今回も詳細は省略する。

(H)は、前回から引き続き、重点的に進めるべきと絞った箇所について、その通り重点的に進めている。この2週間は、不思議と順調に進めることができた。細部を抜けなく完璧に仕上げるには、まだまだ時間はかかると予想されるものの、大よその骨格が順調に固まってきているのは大変喜ばしい。引き続き、このペースを他のタスクとともに維持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(182)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日7/18(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。途中、紆余曲折も大なり小なりあったが、最近になってこれまで足りなかった点をリストアップして復習を行ったところ、急激に感情面での安定化を図れるようになり、不快な気分を百発百中で鎮められるようになったと503号の回で述べた。

504号の記事にて、セルフチェックを能動的に行う頻度が少し落ちたと述べたが、それ以降は頻度が落ちた反省から、セルフチェックを意識的に心掛けていることもあり、徐々に回復しつつある。この2週間は前回よりはさらに頻度が回復したと判断できる。前回述べたように、厳しく見れば感情面で少し不安定になる面がまだあるにはあるが、その不安定さは徐々に減ってきているように感じている。

特に、前回述べたように、具体的にどのくらいの期間、頻度でチェックを続ければ十分に安定化が図れるかというデータ採りを意識したことが、一つには功を奏したのではないかと考えている。データ採りそれ自体は不十分かもしれないが、更なる安定化を実現するためにも、できるだけ細かなデータ採りを心掛けてゆきたい。もう一つは、後述のドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングが進み、感情モニタリングのセルフチェックと両立できるようになってきたことも大きな要因と考えている。



さて、その次に、今上で少し触れたように、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングを前回から引き続き精力的に進めている。前回の時点では、成功頻度はそれほど高くなく、1〜2回の成功実績が出来ている程度であったが、おかげさまで、この2週間ではその頻度はかなり向上してきた。上述の感情モニタリングのセルフチェックと併せ、セットで行うようトレーニングを重ねてきたことで、いわば一挙両得的な効果が出てきたようにも思う。

特に、このような場所と時間のチェックポイントを自分の生活環境に張り巡らせ、そのチェックをできるだけ確実に行ってゆく方法が効果的であったように考えている。即ち、前回も挙げた例だが、洗濯機の前を通りかかったら、あるいは、洗濯機の前に居なくとも毎晩22時頃になったら、洗濯機ですぐに洗濯し始める、もしくは洗濯が終わった後の洗濯物が洗濯機の中に残っているのを取り出さなくて良いかを確認するといった方法である。

ただ、強いて言えば、場所でのチェックは比較的順調に出来ているように思っているが、時間に結び付けたチェック、さらに言えば、前回述べた、場合分けしたイメージの仕方も、まだまだ相対的に抜けやすいようであり、それらの確実性の向上が目下の課題と言える。引き続き研究と実践を続けたい。


● うっかりミス等の撲滅(183)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である8/8(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(A) 広告関係の下案作り」は、前回も保留中である。前回、(A)を積極的に仕上げる経営上のメリットは薄いと述べたように、当面は保留の方針に転換している。よって、この(A)に関する進捗は前回述べた(G)と同様に当面は省略したい。

「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次の大きなステップの開発を少しずつ進めている。前回、お盆休みの頃までには初歩の段階の開発を完了したい旨を述べた。折しも時の経つのは速いもので本号が発行される頃にはお盆になってしまう。結局、詳細は時間をかけて考え抜かねばならず、当初計画よりは遅れてお盆の時期に集中的に開発を進めることになる見込である。秋口もできる限りのペースで概ね年末年始頃まで続きの中盤以降の開発を進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。この2週間はほぼ当日のうちに仕上げられている。8月以降と予告した次のステップは、前回から細部を煮詰める作業がおかげさまである程度進展した。このお盆休みを利用して、できれば作業まで進めたいと考えている。

(E')は今回も一番大きく進展した。この2週間は上述(D)と連動して、自力で仕上げる箇所の作業計画の詳細検討を進めることができた。何とか予定通り、前回予告した通りにこのお盆休み中には仕上げたいと思う。

(H)は、前回までに重点的に進めてきた箇所につき、おかげさまで一段落した。続けて、この先2週間では次の段階のスタートを図る計画である。前回も述べたように、細部を抜けなく完璧に仕上げるには時間はまだかかると見込まれるが、上述の他のタスクと比べ、骨格が順調に固まりつつある。引き続き、このペースを維持するとともに、他のタスクもこのペースに近づけるよう努めたい。


● うっかりミス等の撲滅(184)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日8/1(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。504号の記事にて、セルフチェックを能動的に行う頻度が少し落ちたと述べたが、それ以降は頻度が落ちた反省から、セルフチェックを意識的に心掛けていることもあり、確実に回復してきている。この2週間も前回2週間と同程度で概ね推移している。まだまだ今回も感情面で不安定になることがあるが、安定性は確実に上昇してきていると確信している。

前回述べたデータ採りについては今回も明確な進展はなかなか無いが、より細かいデータ採りを行うための指標、目標については考えてみた。例えば、時間と言う面で見て、1時間あたり概ね最短で6〜12〜24回、つまり2分半か5分ないし10分に1回はセルフチェックを行う、あるいは特定の場所や行為において必ず行うようにするのである。調子が良い時は最短5分かそれ以下の間隔で出来ているが、何かに気を取られていると10分程度忘れて抜けてしまうことがあることを改めて数日前に実感した。よって、今後は特に何かに気を取られていても、できれば5分以内にはハッと気付いてセルフチェックが行えるようにしたい。



その上で、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするためのトレーニングを引き続き精力的に進めている。前々回は1〜2回の成功実績が出来ている程度であったが、前回に続き今回も、それなりの頻度で成功するようになってきた。

特に前回、特定の場所や時間に結び付けて、特に要注意ポイントを頭の中でリストアップし意識するように心掛けていると述べたが、それをこの2週間も続けたところ、まだ特定の場所での行為のみだが、かなりの成功率になってきた。ただし、まだ百発百中でなく、10回に1回程度は忘れてしまうことがあるので、これをほぼ100%成功率に持って行きたい。

改めて、感情モニタリングのセルフチェック、ミス防止のために要注意ポイントを意識する取組みどちらも、何かに気を取られて意識がポンと飛んでしまい、それにより抜けてしまうことが根本原因にあることを痛感したのがこの2週間でもあった。それゆえ、共通の対策として、意識をなるべく飛ばないように注意のアンテナを張り続けるトレーニングをこの先も特に重点的に進めてゆきたい。f


● うっかりミス等の撲滅(185

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である8/22(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前回からの2週間にお盆休みも数日取得できたこともあり、その休みの時間を有効活用して、前回までの予告通りに集中的に考察を行うことができた。結果的に、考察は進んだものの発注まで済ませられなかったものが1件分残ったが、概ね予定通りの進捗となり、個人的には満足している。この先、僅かな時間のすき間を有効活用して、その残った1件の発注までも何とか8月中には完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回、更なる効率化のための取組みについて、細部まで煮詰める検討が前倒しで進展したため、このお盆休みの時期に、その検討を踏まえての具体的な作業を、上述(C)と同様に集中的に進展させることができた。これまたその進展には満足している。まだまだ完成ではないが、一定の見通しが立ったことで、完成イメージもかなり細かく描けるようになり、一層のモチベーションの向上につながった。(C)と同様に、今後はすき間時間を有効活用して、少しずつだが着実に進めたい。

(E')もこの2週間でかなり進展した。前回、自力で仕上げる箇所の作業計画の詳細検討を進めることができたと述べたが、それが(D)と連動して活きた結果となった。お盆休み中に完全に仕上げるまでは行かなかったが、時間を無駄に浪費したわけでもないため、遅れは致し方ないと判断している。この(E')も、今後のすき間時間で少しずつ着実に進めたい。

(H)は、前回の予告通り、次の段階をスタートさせることができた。骨格は前回からさらに細かく固まってきたと言える。その骨格を固める途上、一つある程度大きな課題が浮上し、その解決策を早速検討することになったが、おかげさまで上述(C)の進展にも関連して一定の目途は立っており、その目途に基づいて着実に少しずつでも進めてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(186)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日8/15(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は比較的安定しており、この2週間も1回不安定になることがあったが、その後はおかげさまでかなりの実感、自信をもって安定化していると言える状態で推移している。この先も常時100%を目指して安定化させてゆきたい。

改めてまだ100%に安定して達しない原因を自己分析すると、前回の最後にも触れたように、ミス防止のために要注意ポイントを意識することと併せて、感情モニタリングのセルフチェックが何かに気を取られて意識がポンと飛んでしまい、それにより抜けてしまうことが主たる原因のように思われる。

そこで、対策として、注意のアンテナを張り続けるべく、引き続き意識が飛んでもすぐにその飛んだ意識を元に戻す訓練を意識的に行うとともに、これまたミス防止のために要注意ポイントを意識するのを兼ねて、今現在から例えば10分先、あるいは車を運転して買い物に行くといった一塊の行為を頭の中でシミュレーションしつつ、その際に不適切な言動をしてしまう危険性、ならびに気分が不安定になりうる危険性を意識しながら、同時に気分が安定化していられる自分をイメージトレーニングするようにしてゆきたい。



次に、既に上で少し触れてはいるが、ドジ・おっちょこちょいなミスを限りなくゼロにするため、ミス防止のために要注意ポイントを高頻度に意識するというトレーニングも続けている。既述のように、感情モニタリングのセルフチェックとともにまだまだ安定して100%を維持できてはいないが、それでも特定場面に限って言えばかなり安定して100%に近づいてきた。引き続き完全100%を目指すとともに、他の場面でも常時安定して100%を実現できるよう、上述の対策を粘り強く続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(187)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である9/5(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前回はお盆休みの時間を有効活用して集中的に考察を行えたが、1件分だけ発注までたどり着かなかったと述べた。その残り1件の発注を8月中に仕上げる予定であったが、決して先延ばしではないのだが、お盆明けの業務が予想以上に多く、それらに忙殺され、残念ながら9/5の時点でも発注が完了していない。何とか9月は少し落ち着いたことから、9月前半には発注まで完了したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回までに述べている、更なる効率化のための取組みについて、お盆休みの時期に集中的に進展できたが、その後は(C)と同様に予想以上の定例業務に忙殺され、なかなか時間が取れなかった。9月に入る頃からその忙殺さから少し開放されたため、その分で浮いた時間を使ってコツコツさせることができた。既に完成イメージは細部までほぼ固まっており、9月以降年内のうちには隙間時間を有効活用して着実に進めたい。

(E')も(D)と連動している。9月に入る頃から時間を少しずつ作っては部品の発注などを進められた。今後は、その届いた部品を組み合わせて、コツコツ少しずつ部材を作り、年末までにはそれらを組み合わせて必要なものを完成させたい。

(H)は、引き続き次の段階を進めているが、前回浮上した課題は、おかげさまで概ね解決の目途がほぼ確実に立ち、それに基づいて、次の具体的なステップに進められている。できれば9月中にはその具体的なステップをほぼ完成させたい。



● うっかりミス等の撲滅(188)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日8/29(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。今回も前回から引き続き、比較的安定しており、時々は不安定になることがあっても、比較的スムーズに感情モニタリング法のセルフチェックを行おうとの考えが想起し、実際に行えている。その蓄積が、更なる実感、自信を深めることにもつながり、またそれにより、気分を安定化していられる自分のイメージトレーニングを自然に行えることにもなり、好循環を生んでいる。この先も粘り強く常時100%を目指して安定化させてゆきたい。

前回、まだ100%に安定して達しない原因を自己分析すると、何かに気を取られて意識がポンと飛んでしまい、それにより感情モニタリングのセルフチェックなりミス防止のために要注意ポイントを意識することが抜けてしまうことの主原因と述べた。そのような抜けはまだまだありはするが、ここ数日で見ると、特に仕事が忙しく意識があちこちに飛びやすい状況の中で、ふと自然にセルフチェックとミス防止要注意ポイントの意識のことが頭に浮かぶようになり、その点で大きく進歩したと自負している。

また、これも前回述べたように、今現在から例えば10分先、あるいは車を運転して買い物に行くといった一塊の行為を頭の中でシミュレーションする訓練についても、まだまだ断続的にではあるが、強く意識せずとも自然と想起できるようになってきた。その点でも進歩できたと言える。



このように、今回はいくつかの点で進歩できたが、まだ事前に要所でチェックが抜けたことによりミスをしてしまった事象が何回か発生した。そのミスを後ろ向きに捉えるのではなく、同様なミスを再発防止するために、何をどうすべきかを前向きに考えるようにした。一時的にミスしたことで気分的に落ち込むこともあったが、上述のように感情モニタリングのセルフチェックを比較的迅速かつスムーズに行うことで、落ち着いた精神状態で冷静かつ客観的に原因分析できた。その点もまた進歩と言える。

原因分析の結果、今回のいくつかのミスから特に学んだことは、日常のルーチンではないイレギュラーな出来事が発生した場合は、その出来事の展開について出来るだけ様々な状況を想定し、場合分けしてシミュレーションを行っておくようにすること、および、様々なおよび他人に重要なチェックなどを依頼する場合、特に意思疎通が不十分なことによりチェックが不完全になってしまわないよう、二重三重に確認を行う体制を作ることの2点である。

引き続き、常時安定して100%確実な結果を出せるよう、上述の取組みを粘り強く続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(189)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である9/19(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前回までに1件分だけ発注までたどり着かなかったと述べているが、その残り1件について、前回予定した9月前半には結局間に合わなかったが、本記事を執筆している9月の連休のうちには発注を済ませたい。その上で、さらに次の開発を細かいものばかりだが少しずつ年内は進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。更なる効率化のための取組みについては、前回から引き続き少しずつ進めているが、前回からの2週間は上述(C)の残り1件の発注など他のタスクが割り込み、前回ほどには時間を割けていない。だが、10月に入れば、また少し時間が取れる見込のため、前回述べた通り、年内のうちには隙間時間を有効活用して着実に進めたい。

(E')も前回述べた通り(D)と連動しており、この2週間は部品の発注をほぼ全て済ませ、それらの部品を組み合わせて部材を作り出している。(D)と同様にこの2週間はペースが極めて遅くなったが、引き続き10月以降は少しずつ時間も作れると予想され、コツコツ少しずつ部材を作り、年末までにはそれらを組み合わせて必要なものを完成させたい。

(H)も引き続き次の段階を進めており、前回目途が立ったと述べた課題とした点は全て解決できた。予告通り次のステップを9月に入り鋭意進めている。これは時間期限がほぼ厳格に決められていることから、9/19現在も予定通りに進んでいる。引き続き、その予定通りに完遂したい。


● うっかりミス等の撲滅(190)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回も前号発行日9/12(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。今回も引き続き概ね安定しており、どうしてもまだ不安定になることも時々あるが、比較的スムーズに、自然に感情モニタリング法のセルフチェックを行えている。

特にこの2週間は、コロナではないだろうが、気候の極端な変動に起因して少し体調を崩すことがあったが、「今の気分は良いかい?」「気持ち悪いかい?と聞いている自分も同じくらい気持ち悪いかい?」などと、感情モニタリング法のセルフチェックの延長で自問自答することで、さらには体調が回復してスッキリした自分を自己暗示としてイメージすることで、少しは気分、体調の回復に寄与したと自負している。引き続き、この先も粘り強く常時100%の気分の安定化を目指して安定化させてゆきたい。



その上で、今回も引き続き、感情モニタリングのセルフチェックとともに、ミス防止のために要注意ポイントを意識する取組みを粘り強く続けているが、今回はそれを続けるとともに、少し視点を変えてというか、より掘り下げる取組みを始めた。今回は特にそれを以下で具体的に論じたい。

これまで、特定の場所および特定の時間に要注意ポイントを意識するようにしてきたが、例えば洗濯機の前に来たら洗濯し忘れないようにするといった、比較的単発的なチェックに終始していた。それをさらに発展させ、その場所および時間において、具体的に何をどう注意すべきなのかに加えて、その注意行動の後に具体的にどのような言動、状況の展開が想定されるのかを場合分けしてイメージする訓練を行うようにしている。

例えば、洗濯をし忘れることで、どのような弊害が後に生じるのか、逆に正しく忘れずに洗濯を先に行っておくと、どのようなメリットがあるのか、もっと言えば、洗濯するにも、今ある衣類の山のうち、全てまとめて洗濯すべきなのか、一部の特に汚れた、または翌朝にはすぐまた使う衣類だけを先行して少量洗濯するべきなのか、といったように、いくつものも場合分けを行ってシミュレーションするようにしている。こうすることで、頭の中で様々な記憶と結び付けられ、忘れにくくなると考えられるだけでなく、具体的な展開をイメージすることにより、より危機管理能力を高めることが期待できる。これを自然に癖として身に付くまで粘り強く続けてゆきたい。その経過は追って報告してゆく。

● うっかりミス等の撲滅(191)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である10/3(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めているが、今回は後述(H)などの進行もあり、前々回までに発注まで辿り着かなかったと述べた1件について、残念ながら前回予告した9月連休のうちの発注には完了しなかった。冷静に自己分析してみれば、少しずつでも時間は作れたはずであり、その点は大いに反省点だが、気を取り直して、多少の時間余裕を含めて、10月末までには完了させたい。一方で、前回次の段階として細かいものと述べたうちの一つは結果的に発注が済み、順調に進行してはいる。そのあたりの順序付けは改めて再考しなければならないが、いずれにしても前回述べた通りに少しずつ年内は進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。更なる効率化のための取組みについて、今回も上述(C)とともに後述(H)などに時間を割いたこと等により、あまり進展してはいない。だが、10月に入り、予定通り少し時間余裕ができる見込みが立ったことから、自分で進めるだけでなく、新たに別の発注先を見つけること等の柔軟な対応により、もちろん自分自身の隙間時間を有効活用することも含めて、着実に進めたい。

(E')も、引き続き前回通り(D)と連動しているが、この2週間は上述(C)・(D)とともに同様な理由で停滞してはいる。だが、特にこの(E')は(D)とともに新たな発注先を見つける見込みが立ったことで、少しずつだが確実かつ計画的にコツコツと部材を作り、年末までにはそれらを組み合わせ、必要なものを完成させたい。

(H)は上述(C)〜(E')と比べればこの2週間でも進展があり、前回述べた通りに時間期限が厳格に決められているものについては、概ね計画通りの進展があったが、まだそれでもその直接の計画外の点について一点だけ進展が停滞しているものがある。その点を真摯に反省するとともに、他の順調な点と併せて、出来る限り全てを予定通りに完遂したい。

● うっかりミス等の撲滅(192)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回は前回より1日早いペースで、前号発行日の前日9/25(土)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、この2週間は、身体的には健康そのものであったが、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少しばかり不快な思いをさせてしまうこともあった。

その反省から、改めてこれまでの考察と実践の知見を総復習し、より強固なものとすべく、感情モニタリング法に関して、再度重点的に考察と実践を今回行うこととした。おかげさまで、重点的に時間を費やした結果、より安定した手法を確立できるに至ったので、今回はそれを以下で述べる。



まず、ここ最近は感情モニタリング法の二重チェック、即ち「今の気分は良いかい?」と自問自答した直後、「良いかい?と聞いている自分も同じくらい良いかい?」と自問自答することを繰り返すのみであった。それによりある程度の安定化は図れていたものの、やり方が悪いのか、時折不安定になることがあった。

そこで、当初に独自方式として挙げた特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、その二重チェックを行うようにしてみた。その際、その特定画像・映像を浮かべよう浮かべようと意識し過ぎることで、かえって思い浮かべづらくなっていた面もあったため、昨年発見した方法として、「どうせ〜なんて浮かばないんだよなぁ」と思うようにしてみたのである。こうすることで、かえって自然と思い浮かべ易くなり、何よりその特定画像・映像により、落ち込んでいた気分から快適な気分に変わることができることを改めて実感した。

その上で直後に感情モニタリング法の二重チェックを行い、かつその特定画像・映像の想起から二重チェックまでのステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すことで、その落ち込んでいた気分から変わった快適な気分を、より安定化する作用が働いたように感じている。この安定感をできるだけ長期に渡り維持するため、今述べたステップを短時間のうちに頻繁に繰り返す取組みをこの先2週間、いやそれ以上の期間、粘り強く続けてみたい。

● うっかりミス等の撲滅(193)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である10/17(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前回までに発注まで辿り着かなかった1件について、大変遅ればせながら、ようやく初歩の部分について発注がこの2週間で完了した。後述(D)〜(H')とともに、前回述べた通り10月に入り時間に余裕がかなりできたことが非常に大きい。10月後半で残りの部分の発注もできるだけ進め、前回述べた通りに10月末には一通り完了させたいと考えている。その上で、次の開発も予定通り年内には発注まで完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回予告した通り、10月に入り時間余裕がかなりできるようになり、効率性はさらに向上した。併せて、別の発注先に発注する準備が整い、さらなる効率化のための道筋がつく結果となった。自分の時間余裕と発注とを併せて、予定通り年内には完了させたい。

(E')も、引き続き前回までと同様(D)と連動しており、10月に入り時間余裕ができたことにより劇的に進み始めた。上述(D)の別の発注先も絡んでいるため、強制的に発注メニューをコンスタントに考えねばならず、良い意味での強制力になっている。この先は、既に計画していた部材の作成を進め、年末までにはそれらを組み合わせ、必要なものを完成させたい。

(H)は引き続き今回も順調に進んでいる。上述(C)〜(E')とともに10月から時間余裕ができたことにより、(H)もさらに時間を割けるようになった。前回述べた時間期限が決められた項目を中心に、今月中に一つ区切りを付けられるところまで進めたいと思う。


● うっかりミス等の撲滅(194)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。度々そのペースが遅れることもあったが、今回は前回よりは1日遅れたものの、前号発行日10/10(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、特に前回の2週間は精神的に不安定になることが度々あり、家族に少しばかり不快な思いをさせてしまった。その反省から、改めてこれまでの考察と実践の知見を総復習し、より強固なものとすべく、感情モニタリング法に関して、再度重点的に考察と実践を今回行い、より安定した手法を確立できたと前回述べた。

今回も、やや不安定になることが一度あったため、さらに精神安定を強固なものにすべく、さらに前回確立した手法をブラッシュアップすることとした。その実践結果を以下で述べる。



前回予告した通り、この2週間は、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努めた。特に、休日など時間が少しでも空いた際、1時間なら1時間の間に集中的にひたすら繰返すようにしてみた。

その結果、瞬発的にイライラや怒りの感情が湧いたとしても、その湧いた瞬間をモニタリングでキャッチし、特定イメージ画像・映像の想起と二重チェックとでイライラや怒りを鎮めることができるようになった。

また、ひたすら繰返す中で、半端に間隔を空けて繰り返すと、特定イメージ画像・映像の想起、二重チェックともに一からいちいちやり直すことになり、時間ロスが少なくないが、間隔を極めて短くすると、特定イメージ画像・映像ならびに感情状態の身体感覚が残像的に残った状態になるため、想起とチェックを一からやり直す必要がなくなり、その分時間と労力の削減になることが分かった。

これらは、かなりの大きな成果と受け止めている。この成果を自信につなげ、今後の更なる飛躍のために相当なインセンティブになるものと自負している。

ただし、他のことに意識や考えが向いてしまうと、段々と二重チェックが薄れてくることを以前に痛感していることから、安定化の成果に甘んじず、ひたすらさらに時間を作って集中的に繰り返すことをこの先長らく、少なくとも3ヶ月程度は続けてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(195)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である10/31(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。最後まで発注に辿り着かなかった1件を前回発注したと述べたが、今回はその開発が続いている。10月に入り時間に余裕がかなりできているのは前回から変わらないが、後述(H)に関連して一つ大きなタスクが発生したため、前回述べた(C)の残り部分の発注を、やむを得ず見送らざるを得なくなった。このタスクはおかげさまで順調に進んでいるため、そのタスクが予定通り完了次第、(C)の残り部分発注も完了したいと思う。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、引き続き効率的に進められている。前回までに述べたように、10月以降に時間を捻出できるようになったため、更なる効率化のための作業を別の発注先に計画通り発注できた。このまま順調に進め、予定通り年内には完了させたい。

(E')も、引き続き前回までと同様(D)と連動し、10月以降は時間余裕ができたことにより劇的なスピードで進んでいる。おかげさまで、前回述べたように、発注メニューを新たな発注先にコンスタントに投げ続けたおかげで、今月中に一つ大きなタスクが完了した。この先はさらに、前回までの計画通りに、部材の作成を進め、年末までに次の大きなタスクを完了させたい。

(H)は、引き続き今回も進んでいるが、上述のように同じ(H)の中で一つ大きなタスクが発生したため、それに専ら時間を割いていた。前回時間期限があると述べた項目も、やむを得ず延期せざるを得なくなった。おかげさまで、何とかそのタスクも十分な完了の見込が立ったため、次回以降は、その遅れた時間期限のある項目を集中的に進め、11月中には完了させたい。


● うっかりミス等の撲滅(196)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前回と同様に、前号発行日10/24(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。

これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。その経過を以下で述べる。



今回も前回に続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努めている。

前回、高頻度に繰り返すと、特定イメージ画像・映像ならびに感情状態の身体感覚が残像的に残った状態になるため、その分時間と労力の削減になると述べた。今回は、前回よりは集中して行う時間は少し減ってしまったため、その残像効果を十分活かせていなかったと反省している。

だが、ひたすら繰り返すことで、別の効果を新たに得られるようになってきた。即ち、特定イメージ画像・映像の想起と感情モニタリング法の二重チェックとを続けて繰り返し行うことで、両者が頭の中で強く結びつくようになり、特定イメージ画像・映像の想起をするだけで、感情モニタリング法の二重チェックが無意識的に自然と頭に浮かぶようになったのである。あるいは逆に、感情モニタリング法の二重チェックを行おうとすると、特定イメージ画像・映像が頭の中に無意識的に自然と想起されるようにもなってきた。今回も、前回に続き、かなりの大きな成果と受け止めている。

そのおかげか、仕事等でミスしてイライラすることがあっても、そのイライラの程度が少しは軽減されてきたように感じている。本記事を執筆している直前にも一つ個人的に非常に残念なミスを続けて2つしてしまったが、精神的には比較的落ち着いていられた。今後も、ここまでの成果に満足せず、前回述べたように、少なくとも3ヶ月程度は持続できるようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(197)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である11/14(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前々回発注した1件はほぼ仕上がっては来たが、今回もまだ開発が続いてはいる。前回(H)に関連して発生した大きなタスクはおかげさまで無事完了したため、再度(C)〜(E')に時間を費やせるようになった。その時間を有効に使って、(C)も残り部分の発注を進めるべく、上述の最後の1件が完了次第、即座に発注する予定である。できる限り年内には完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も引き続き効率的に進められている。先月以降生まれた時間を活用して、さらに一工夫することにより、より一層の効率化を実現できている。後述(E')とセットで、発注した内容の進展がおかげさまで順調に進んでおり、予定通り年内には完了させたい。

(E')も、引き続き(D)と連動し、先月から変わらず劇的なスピードで進んでいる。前回大きなタスクが一つ完了したと述べたが、その続きを早速発注し、こちらも順調に進んでいる。前回までに述べた部材の作成にあたり、全体的な戦略をさらに細かく綿密に検討することができ、概ね結論を得た。この結論の通りにさらにきめ細かく発注を続け、年末までにこれら一連のタスクを完了させたい。

(H)は、引き続き今回も一定のペースで進んでいる。前回述べた大きなタスクは上述のように無事完了したため、遅れている時間期限のある項目に着手し始めたところである。とはいえ、この項目も細分化してみれば大きく2つに分けられるため、そのうちの1つは余裕をもって11月中に完了できる見込だが、細分化したもう一つの方が12月にずれ込む見込となった。ただ、何としても年内には完了させたいと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(198)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前回と同様に、前号発行日11/7(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。

これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。今回もその経過を以下で述べる。



今回も前回に続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努めている。

前回述べたように、繰返しのトレーニングの効果として、特定イメージ画像・映像の想起をするだけで、感情モニタリング法の二重チェックが無意識的に自然と頭に浮かぶようになり、また逆に感情モニタリング法の二重チェックを行おうとすると、特定イメージ画像・映像が頭の中に無意識的に自然と想起されるようになってはきた。だが、油断して訓練を怠ることで、せっかくのその両者の結び付きが緩んでしまう恐れもあることから、結びつきをより一層強固なものにしたく、引き続き意識的に両者を続けて繰返し行うよう心掛けている。



今回はさらに、前回の反省から、前々回述べた特定イメージ画像・映像の残像効果を再度得たく、特定イメージ画像・映像の想起にも意識的に力を入れた。具体的には、パソコンの前に向かっている最中には、できるだけ特定イメージ画像・映像を実際にパソコン画面上の一角に表示してチラチラ眺めるようにしている他、パソコンから離れている時は、512号で述べた手法として「どうせ〜なんて浮かばないんだよなぁ」と念じるようにした。これらにより、あくまで主観的な感覚として、以前よりも特定イメージ画像・映像の残像が残りやすくなり、かつ想起しやすくなってきたように感じている。これも今回の大きな収穫と捉えている。

その効果のおかげなのか、この2週間は、ちょくちょくミスをしてしまっていたが、前回までよりはイライラしたり落ち込む程度、頻度が減ったように感じている。引き続きここまでの成果に満足せず、気を緩めずにこの先数ヶ月は意識的に持続してゆきたい。
● うっかりミス等の撲滅(199)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である11/28(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き次のステップの開発を進めている。前回までに発注していた残る1件はおかげさまで仕上がった。あとは、欲を言えばさらに次のステップの開発を計画してはいるが、ひとまずこの(C)は少し手を止めて、後述(D)〜(E')に特に注力してゆきたい。

たため、再度(C)〜(E')に時間を費やせるようになった。その時間を有効に使って、(C)も残り部分の発注を進めるべく、上述の最後の1件が完了次第、即座に発注する予定である。できる限り年内には完了させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も引き続き、前回述べた一工夫による一層の効率化を順調に維持している。後述(E')とセットにした発注は、少しずつだが確実に進んでいる。この後1ヶ月以内にはこの(D)に直接関係する箇所の全体について仕様を細部まで完全に固められるようにし、年末年始を利用して完了させたい。

(E')は、特に前回から変わらず劇的なスピードで進んでいる。前回から引き続き、全体的な戦略を細かく綿密に検討してきたが、この度仕様の細部まで完全に固めることができた。この先は、その仕様の通りに発注を続けるとともに、自力で進められるところを少しずつ着実に進め、(D)とともに年末年始を利用して完了させたい。

(H)は、引き続き今回も一定のペースで少しずつ進んでいる。前回述べた、遅れている時間期限のある項目を引き続き進めており、そのうち大きく分けて2つのうち1つを今月中に完了できる見込である。残り1つを、上述(D)〜(E')を優先しつつも、できるだけ年内に完了させたいと考えている。とはいえ、(D)〜(E')の作業量を考えると、この(H)は年内完了は少し厳しくなってきたようにも感じており、優先順位を狂わせない程度に、順次軌道修正しながら着実には進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(200)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前回と同様に、前号発行日11/21(日)に仕上げられている。引き続き、このペースを堅持したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。今回もその経過を以下で述べる。

今回も前回に続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。そのおかげで、今回も引き続き、特定イメージ画像・映像の想起をする、あるいは実際にその画像・映像を眺めるだけで、感情モニタリング法の二重チェックが無意識的に自然と頭に浮かぶことが多く、また逆に感情モニタリング法の二重チェックを行おうとすると、特定イメージ画像・映像が頭の中に無意識的に自然と想起されることが多い。



前回からの進歩点を改めて探ってみると、今回は大きく2点ほど挙げられる。

まず1点目として、今述べた両者の結び付きは少しずつだが強化されているように感じている。即ち、片方を想起することでもう片方も想起される頻度がかなり高くなってきたということである。加えて、特定イメージ画像・映像を繰返しパソコン画面上の一角に表示し、さらに今回はスマホの画像にも採り入れてチラチラ眺めることで、さらには「どうせ〜なんて浮かばないんだよなぁ」と繰返し念じることで、特定イメージ画像・映像の残像効果はさらに少し強くなったようにも感じている。これらの成果を励みに、さらに強化できるよう、地道に努力を続けてゆきたい。

次に2点目として、感情モニタリング法の二重チェックがかなりやりやすくなってきたことが挙げられる。今回はこれが最も大きい収穫と言える。これまでも、同チェックは繰返し行ってきたつもりであったが、どうしても行っている途中で意識が他に飛んでしまい、チェックそれ自体が不完全、尻切れトンボになってしまうことが少なくなかった。その反省を踏まえ、あれこれ試行錯誤した結果、一つの有効な対策を編み出した。即ち、チェックを行う際、意識が飛ばないように身構え、そうしないとチェックが不完全に終わってしまうという危機感を意識的に持つようにしたのである。その身構えを繰返し行うことで、半ば無意識的にその身構えを行えるように段々となってきた。これにより、さすがに100%とまではなかなか行かないが、これまで成功率が概ね50%程度だったものが80%程度にまで向上してきた。これはかなり大きな進歩であり、今後は限りなく100%を維持できるようになるまで、地道にこの身構えの訓練を重ねてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(201)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、執筆日である12/12(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までに残る1件も仕上がり、後述(D)〜(E')に特に注力してゆくため、この(C)は少し手を止めると述べた。その予告通り手を止めている状況ではあるが、強いて言えば、次の(C)のステップの開発について、ほんの少しだけ、隙間の時間で検討を進めることはできた。できれば、年内にある程度その検討を固め、発注まで行けるように持っていきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も引き続き、前回までと同様、一工夫による一層の効率化を順調に維持している。後述(E')とセットにした発注は、今回も確実に進んでおり、一つ節目の作業が完了した。ただし、その作業により、軽微だが別の課題が新たに発生したため、それを年内に何とか解決したいと考えている。それとともに、前回の予告通り、細部まで検討設計を年内に完全に固めたい。

(E')は、今回も順調に進んでいる。今回は前回よりは進行スピードがやや落ちたものの、他のタスクもある中で、最大限可能なペースで進められていると判断している。前回固めた細部の設計に基づき、この2週間で少し作業をさらに進めることができた。引き続き着実に進め、前回から予定は変わらず、(D)とともに年末年始を利用して完了させたい。

(H)は、引き続き今回も少しずつ進んでいる。前回までに述べた、遅れている時間期限のある項目を引き続き進めているが、前回11月中に完了見込と述べた点について、発注先の都合により、今月にずれ込んでいる。再度の入念な擦り合わせにより、何としても年内完了は厳守したい。その上で、前回も述べたように、上述(D)〜(E')を優先しつつ、残る部分を前回は年内完了と述べたが、11月完了見込のものが今月に伸びたため、玉突きで年明け完了になる見込である。発注先にも配慮しつつ、何とか遅れを最小限に抑えてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(202)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも1日遅れたが、執筆日である12/27(月)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き、後述(D)〜(E')に特に注力するため、この(C)は一旦手を止めている。前回は隙間の時間で次のステップの開発について検討したが、今回はさらに少しだけ検討し、さらに部分的な発注はできた。その先の検討を固めるのは、結局は年末年始の休みになりそうだが、何とか年始までに検討を完全に固め、全面的な発注まで持っていきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も引き続き前回までの効率水準を順調に維持している。前々回年内に固めるとした細部の検討設計はおかげさまでほぼ完了した。前回述べた、後述(E')とセットにした発注は、この2週間でほぼ完了し、後は年末年始の休みで自力で出来る限り進めるのみとなった。前回述べた、軽微な別の課題は、まだ発注先にも関係するため、完全には解決していないが、目星は付いているため、何とか年始すぐに解決したい。

(E')は、今回も引き続き(C)〜(H)の中で最も順調に進んでいる。既に固めている詳細設計に基づいて作業を少しずつ進めてきたが、上述のように外注部分はほぼ完了した。残るは自力で進める部分だが、年末年始の休み中における自力作業の進め方を残り数日で綿密に計画しておきたい。

(H)は、今回も僅かずつだが進んではいる。年末年始のため、契約面における確認といった形式的な作業に時間を多少取られたが、実質的な進捗も隙間の時間でありはする。前回述べた年内完了見込となる点については、おかげさまでほぼ完了した。それだけでも大きな進歩ではあるが、残る部分を年明けのできるだけ早い時期には完了させたい。


● うっかりミス等の撲滅(203)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。ただ、今回は残念ながら、やむを得ない家庭の事情により、久しぶりに大幅に遅れ、記事の仕上げが1週間遅れの12/26(日)になってしまった。今回はやむを得ない事情とはいえ、本当に1週間も遅れざるを得なかったのかと馬鹿正直に自問自答するならば、決してそうではなく、努力と工夫をもう少し重ねれば、せめて12/23(木)には仕上げられたと反省している。今回と同様な事態はそうそう再発はしないとは思われるものの、今回の反省は前向きに次回以降に活かしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。今回もその経過を以下で述べる。

今回も前回までに続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。前回までに、その結び付きは十分に強化され、片方を想起するだけで、もう片方も自然と頭に浮かぶようになってきたが、この3週間もそれをさらに強化し続けてきた。

前回と同様に、この3週間の進歩点を探ってみると、今回は大小併せて3点ほど挙げられる。それらを以下で順次説明したい。



まず1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化が挙げられる。前回までのように、特定イメージ画像・映像をパソコンまたはスマホの画面上に表示してチラチラ眺める、あるいは「どうせ〜なんて浮かばないんだよなぁ」と繰返し念じることを引き続き粘り強く続ける一方、今回はそれに加えて、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入ることで、より一層短時間かつ確実に想起が行えるようになってきた。この実績を踏まえ、今回の取組みを今後も永続的に続けたい。

次に2点目として、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことが挙げられる。即ち、特定イメージ画像・映像を眺めても、感情モニタリングのセルフチェック・二重チェックのことが自然かつ確実に想起されるようにはなっても、感情的に殆ど何も変化が起こらなくなっていることに最近ふと急に気付いた。そもそも論として、感情モニタリングのセルフチェック・二重チェックが確実に想起されるのならば、特定イメージ画像・映像により引き起こされる気分それ自体は半ばどうでも良くはあるのだが、臨床心理学的に大変興味深く感じた。それゆえ、今後も、引き起こされる快適な気分について、程度の変化の傾向を注意深く見守る、自己観察するようにしてゆきたい。

最後に3点目として、これも今さらというか、そもそも論な話なのだが、感情モニタリングを想起するために、果たして特定イメージ画像・映像をトリガーとする必要があるのかということに気付いたことが挙げられる。怒りやイライラといった負の感情を鎮めるための感情モニタリング法でもあるので、ならばいっそ、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起できれば、一番手っ取り早いのではなかろうか。そこで、新年以降は、次の目標として、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)と感情モニタリング法との結び付けの強化を重点的に行ってゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(204)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日から1日遅れてしまったが1/10(月祝)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前々回までの段階で、後述(D)〜(E')に特に注力すべく一旦手を止めていたが、前回から徐々に再開している。この年末年始の休みを有効に使って検討を固め、全面的な発注まで持っていく旨を予告したが、おかげさまで予定通りに100%達成できた。その点では大変に満足している。今後は、発注した以上は進捗管理や次のステップの準備等で忙しくなる見込のため、滞ることのないようしっかり進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、年末年始を挟んだものの、その前後の業務日において、今回も引き続き同程度の効率水準を順調に維持している。(E')とともに、年末年始の休みで自力で出来る限り進めると前回述べた部分について、(E')部分の作業計画を綿密に考える点は少しだけ進めたものの、上述(C)および後述(H)を優先的に進めることとなったため、残念ながらほぼ全く進んでいない。そこは大きな反省点だが、(C)と(H)に予想外に時間を要したこともあり、やむを得なかったと考えている。おかげさまで(C)と(H)はかなり進んだため、この年始以降に少しずつまた再開したい。

(H)は、上述(C)とともに、おかげさまでこの年末年始の間に立て続けに大きく進捗できた。前回、年明けのできるだけ早い時期に完了と予告した部分を前倒しで達成できた。我ながらその点は、年始早々縁起の良い順調な滑り出しではある。とはいえ、他のタスクを犠牲してしまった以上、逐次全体のバランスを考えながら、偏りなく進めてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(205)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は、やむを得ない家庭の事情により、久しぶりに大幅に遅れてしまったが、今回は通常通り前号発行日1/2(日)に仕上げられている。この通常ペースを今後も堅持してゆきたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。今回もその経過を以下で述べる。

今回も前回までに続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。前回までに、その結び付きは十分に強化されてきているが、引き続き今回もその強化を持続している。前回、進歩点として大小併せて3点ほど挙げた。前回からの期間が1週間と短いが、3点それぞれについて更なる進歩点が少なからずあった。それらを以下で述べる。



まず前回1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。一日中ではないが、風呂に浸かる等の際、できるだけトランス状態に入ることで(目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによる)、特定イメージ画像・映像の想起がしやすくなることは今回も確認した。今回気付いたのは、トランスに入った場合は、入らない場合と比べ、「どうせ〜なんて浮かばないんだよなぁ」と必ずしも念じなくとも想起しやすくなるということである。これは、トランスに入ることで(風呂に浸かっていることもあろうが)脳がリラックスすることによるのではないかと思われる。引き続き、特にトランスに入りながらの訓練を続けたい。

次に前回2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。一日なり一週間を通じて全体平均で見ると、確かに弱まっているように思うが、より細かく見てみると、弱まった状態が数日程度続いたかと思えば、また一時的に元に戻り、またしばらくすると弱まるというふうに、弱まり方に波というか変動があることに気付いた。この波のより詳しい観察をこの先続けたい。

最後に3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。理屈としてはその両者を直接結びつければ良いことには気付いたものの、具体的にどうやって効率的に結び付けられるか、それをこの1週間は考えてみた。怒りやイライラの感情は、何かのきっかけにより急に発生することが多いため、怒りやイライラの感情で頭の中が支配され、セルフチェック、二重チェックのことを忘れてしまいがちである。そこで、普段の快適な気分の時から、繰返し特定イメージ画像・映像を想起するように、「怒りやイライラ感情の発生はまだかなぁ〜」と期待して待つことにした。これにより、いざ発生したら、「来た〜!」とすかさず負の感情をキャッチできるのではないかと考えられる。早速、この先2週間で実践してみたい。


● うっかりミス等の撲滅(206)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日1/24(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、年末までの段階では後述(D)〜(E')に特に注力すべく一旦手を止めていたが、年末年始の休みも有効に活用して再開し、前回おかげさまで全面的な発注まで予定通りに100%達成できたと述べた。その後の2週間で、その発注作業の続きを少しずつ進めているが、年始以降の定例業務等に追われ、あまり時間を割くことができないまま推移している。幸い、年末前に発注した1件が1月中に完了する見込みのため、それを励みに、残る部分も可能な範囲で少しずつ進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、年始以降の業務日において、今回も引き続き同程度の効率水準を順調に維持している。前回、年末年始の休みで自力で出来る限り進めるとした点について進められなかった旨述べたが、今回も上述(C)と後述(H)を優先しており、事実上は止まっている。余裕を見て春先以降に再開できるように進めてゆきたい。

(H)は、前回述べたように、年末年始の間に大きく進捗し、この2週間もその進捗をさらに少しずつだが進めている。上述の発注1件が今月中に予定通り完了した後、さらに次の発注を鋭意行いたい。その上で、今年の少なくとも上半期は、既に契約発注した数々の案件の進捗を管理する段階となる。言い換えれば、(H)に割く時間は減る見込みのため、その分を上述(D)に充てたいと考えている。


● うっかりミス等の撲滅(207)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は、やむを得ない家庭の事情により、久しぶりに大幅に遅れてしまったが、今回は通常通り前号発行日1/16(日)に仕上げられている。この通常ペースを今後も堅持してゆきたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを行っている。

前回まで、即ち記事の執筆段階で見て昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も一応継続して続けてはいるが、前回記事の進捗3点目でも触れたように、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その途上、この2週間も幾つか新たに興味深い知見が得られた。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も、風呂に浸かる等の際、できるだけトランス状態に入ることで(前回までと同様に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによる)、特定イメージ画像・映像の想起がしやすくなることを確認した。後述2点目と併せて、この2週間は前回までと比べて、イメージの想起の効果がより大きくなったように感じている。次回以降も、今回と同様な条件、頻度で想起を行うことで、想起の効果が同程度維持できるかを入念に確認してゆきたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。今回は、上述のようなトランスに入らない状況下でも、比較的安定して快適な気分を再度得られるようになったことが進展として挙げられる。後述3点目に力点を移しつつあるために、イメージの画像・映像の想起頻度が落ちたことに加え、そのイメージと感情モニタリングのセルフチェック・二重チェックとの結び付けも意識的に行わなくなったことが原因ではないかと考えられる。今後も、今の状況・ペースを続けて、そのイメージによる快適な気分の程度がどうなっていくか、入念に確認してゆきたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。普段の快適な気分の時から、繰返し特定イメージ画像・映像を想起するように、「怒りやイライラ感情の発生はまだかなぁ〜」と期待して待つという方法を前回述べたが、今回それを実践してみた。1回限りではあるが、実際にイライラした際に、「あ、イライラ感覚、来た!」と思え、セルフチック、二重チェックまで実践できたのである。そもそも、怒り・イライラの頻度もこの2週間は高くなかったことを踏まえれば、そこそこの成功率と言える。よって、この先もこの方法論を当面続け、経過を注視してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(208)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日2/6(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回は年始以降の定例業務等に追われ、あまり時間を割くことができなかった旨を述べたが、今回はその定例業務も少しだけ効率化できたこともあり、その分進めることができた。前回触れた、年末前に発注の1件はほぼ予定通り1月中に完了したため、その残りというか、続きの部分として今回進められた。このペースでこの先も当面続けてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回予想外の進展があった。即ち、使用する機器を別の目的から更新することになったが、そのおかげで、副作用的に前回までよりもさらに効率化を進めることができた。思わぬ副産物ではあったが、その効率化で浮いた時間を、上述(C)のみならず、さらに他のタスクへの時間に有効に充ててゆきたい。

(H)は、前回述べた年末年始の間の大きな進捗を引き続き少しずつ進めている。今回は年末年始ほどではないにせよ、おかげさまで前回よりはある程度進捗があった。前回述べた発注1件はほぼ完了したため、予定通り次の発注を行うところである。まだその次の1件は発注完了まで行っていないため、淡々粛々と完了まで進めてゆきたい。前回、(H)が一段落すれば(D)に充てられると述べたが、その(D)も既述のようにさらに効率化できたため、その分玉突きで(C)や一旦手を止めている(E)や(E')に充ててゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(209)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は、やむを得ない家庭の事情により、久しぶりに大幅に遅れてしまったが、今回もそれとは別に、職場での急な機器トラブルに見舞われ時間を要したため、やむを得ず前号発行日から4日遅れて2/3(木)に仕上げられている。次回以降は、前号発行日に仕上げる従来のペースに戻したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

前回まで、即ち記事の執筆段階で見て昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も一応継続して続けてはいるが、前回記事の進捗3点目でも触れたように、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点での進展はまだなかなかないが、それ以外の従来の取組みの範囲で、この2週間も幾つか新たな知見が得られた。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も、風呂に浸かる等の際、できるだけトランス状態に入ることで(前回までと同様に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによる)、特定イメージ画像・映像を想起するように努めている。今回は新たに、PC上で特定イメージ画像・映像をボーっと一定時間眺め、その後に頭の中でどの程度想起の効果が続くかを検証してみた。例えば、30分程度ずっとPC上でそのイメージを眺め続けると、ざっくりとだがその後30分程度は頭の中でかなり鮮明にイメージを想起できることを確認した。意識的にトランスに入ろうとしたわけではないが、ボーっと眺めている間に自然と軽いトランス状態に入っていたように思う。今後は、意識的にトランスに入ってから、時間を正確に測ってイメージの鮮明な想起の持続時間を測りたいと考えている。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。上述1点目の取組みを行っていたことも関連してはいると思うが、今回も前回までと同じく、安定して快適な気分を得られることを確認している。一つ気付いたのは、感情モニタリングのセルフチェック・二重チェックとの結び付けそれ自体というよりは、意識的にセルフチェック・二重チェックをしなければと焦った気分に知らず知らずのうちに陥っていたことが大きいのかもしれないということ。よって、今後はその意識的にしようしようと思わないよう、「セルフチェック・二重チェックができると良いんだよなぁ」と自己暗示を繰り返すようにしてみたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。前回までは、普段の快適な気分の時から、繰返し特定イメージ画像・映像を想起するように、「怒りやイライラ感情の発生はまだかなぁ〜」と期待して待つようにしたが、今回はその待つこと自体を他の仕事等に気を取られて抜けていたように思う。そのせいか、一度だが、仕事に起因してイライラし、物に当たってしまったことがあった。そこは大いに反省するとともに、期待して待つことを忘れないように工夫を重ねてみたい。


● うっかりミス等の撲滅(210)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも2日遅れたが、2/22(火)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も前回から引き続き鋭意進めているが、今回は前回までと比べてかなり進展があった。即ち、次の段階としての開発が新たに始まり、当初は些細なトラブルもあったが、この2週間はおかげさまで順風満帆とも言える程に非常に順調に進んでいる。進めるにあたっては当方も少なからぬ労力がかかるが、順調に行っていると当方としても非常にやりがいがありとても楽しい。このままの良いペースを堅持し、プロジェクト完遂まで突き進みたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回予想外に大幅な進展があった旨を述べたが、今回もその効率性を維持できている。欲を言えば、極限まで更なる効率化を進めたいと画策してはいるが、それにはまだある程度時間を要すると見込まれる上、ひとまず現状でも十分と判断しているため、今後も現状の水準を当面維持するとともに、浮いた時間を(C)や(E')などに優先的に充てたい。

(E')については、ここしばらく省略してきたが、今月に入り(D)の効率化により時間を捻出できたため、再度少しずつ進められている。外注化を中心に進めていることから、おかげさまで少しずつだが計画的に確実に、順調に進んでいる。このペースを維持できれば、最速で今年春先には大きなプロジェクトが一つ完遂できる見込である。それを目指して確実に進めてゆきたい。

(H)は、今回も年末年始ほどではないにせよ、おかげさまで前回並みに進んでいる。前回、発注完了まで行っていないと述べた1件についても計画通りに発注に無事こぎつけた。そのさらに次の1件にも、あともう少しで手が届くところではあるが、今現在進めているものを着実に進めつつ、進捗を見ながら、来月3月中にはその次の1件も発注まで済ませたい。



● うっかりミス等の撲滅(211)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。で きるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ 記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と、いずれもやむを 得ない事情により久しぶりに大幅に遅れてしまったが、今回は前号発行日2/13 (日)に仕上げられている。次回以降もこのペースに戻したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続 け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、 積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的 に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあるこ とから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング 法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように 努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も一応継 続して続けてはいるが、年始以降は怒りやイライラといった負の感情(に伴い発 生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェッ ク、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点 での進展はまだ芽が出たばかりではあるが、それ以外の従来の取組みの範囲でも、 この2週間も幾つか新たな知見が得られた。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化 について。今回も、できるだけトランス状態に入ることで(前回までと同様に、 目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数え ることによる)、特定イメージ画像・映像を想起するように努めている。前回か らは、風呂に浸かる等の際に加えて、PC上で特定イメージ画像・映像をボーっと 一定時間眺め、その後に頭の中でどの程度想起の効果が続くかを検証し始めてい る。今回は、さらにスマホで犬の散歩中などに(所謂ながらスマホにならないよ うに十二分に注意しながら)イメージを眺め続けるようにもしてみた。今回は散 歩中はトランスに必ず入るという手順を踏めなかったが、5分程度スマホで眺め、 その後頭の中で想起を繰り返すことで、ざっくり30分弱はイメージを鮮明に想起 できたように思う。次回は、トランスに必ず入るとともに、その時間をより正確 に測ってみたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体 により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなって きたことについて。今回も安定して快適な気分を得られているが、今回は前回ま で以上にその快適な気分の効果が増加したように感じている。その一つが、上述 1点目の工夫でもあるのだが、「〜のイメージが浮かぶと良いんだよなぁ」とい う自己暗示のスクリプトを、今までは頭の中で念じていたが、今回は(周囲に気 を付けながら、支障のない範囲で)声に出して念じてみた。その違いが意外と大 きな効果を生んだように考えている。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い 発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェ ック、二重チェックを想起する方法について。今回も、「怒りやイライラ感情の 発生はまだかなぁ〜」と期待して待つことを、他の仕事等に気を取られて抜けて しまう点はあったものの、別の工夫も新たに行ってみることにした。即ち、怒り やイライラの感情が湧き起こること自体を予見し、そうなり得る状況でも、冷静 に落ち着いて淡々と対処している自分をイメージするようにしてみた。まだそれ による効果は確認できていないが、少なくともイライラして物に当たってしまう ことは今回は一度もなかった。引き続き、この方法を続けながら、様子を見てゆ きたい。


● うっかりミス等の撲滅(212)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日である3/6(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も前回から引き続き鋭意進めている。今回は前回ほどではないが、前回の大きな進展をさらに淡々と前進させられている。軌道に乗ってきたので、要する労力は前回よりは少ないものとなり、他のタスクも並行して進められるようになった。引き続きこのペースを維持し、少しずつでも計画的に着実に進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。更に極限まで効率化を進める画策をしていると述べたが、(C)や(E')が進捗してきたおかげで、その極限までの効率化も先が少しずつ見えてきた。早ければこの春先にも、遅くとも夏頃までには、そのための作業に着手できる見込となってきた。引き続き、この極限までの効率化の計画について進捗をこの場で述べていきたい。

(E')については、今回も着実に進んでおり、この2週間でおかげさまで一つの大きな作業工程が完了した。この先は、その次の工程にいよいよ着手する予定であり、それが完了すれば、ほぼこの(E')は全てが完了することになる。足掛け数年を要したが、ここに来て急速かつ順調に進んでおり、今年夏頃には全て完了できるよう、鋭意進めてゆきたい。

(H)は、今回も前回と同程度に進んでいる。次の1件の発注については、今月に入り、少し事情が変わってきたため、今月中の発注は難しくなったが、事情の変化に対応すべく準備を重ねた上で、春先頃には発注までこぎつけたい。上述(C)や(D)・(E')とともに、この春先、5月連休頃までにはどれも大きな動きが見込まれそうであり、それを非常に楽しみにしている。

● うっかりミス等の撲滅(213)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前々回より前は2回続けて、いずれもやむを得ない事情により久しぶりに大幅に仕上げが遅れてしまったが、前回に続き今回も前号発行日2/27(日)に仕上げられている。次回以降もこのペースに戻したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も継続するとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点での進展はまだ芽が出たばかりではあるが、それ以外の従来の取組みの範囲でも、この2週間もまた幾つか進捗があった。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も、できるだけトランス状態に入ることで(前回までと同様に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによる)、特定イメージ画像・映像を想起するように努めている。今回も、風呂に浸かる等の際に加え、PC上で特定イメージ画像・映像をボーっと一定時間眺めながら、さらには犬の散歩中にも5分程度スマホで眺め、その後頭の中で想起を繰り返すようにしている。今回は、散歩中も含め、まだそれほど高頻度ではないが、トランスに入る頻度が少しずつ増えてきた。つい先ほども、風呂の中でトランスに入り想起することで、かなり明確な効果を確認した。次回以降も、トランスに入った時間、特定イメージ画像・映像を眺める時間、その後に想起する時間をできるだけ正確に測りながらこの取組みを精力的に続けてゆきたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。今回も、特に上述のトランスに入ることで、安定して快適な気分を得られることを明確に確認した。「〜のイメージが浮かぶと良いんだよなぁ」のスクリプトは、今回もそれほど大声ではないが、マスクをして犬の散歩中などに繰返し呟いている。大声で言う程効果は大きいように感じているが、コロナ渦の現状を逆手に取って、マスクをしながら呟くのは有効と考えている。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。今回は、「怒りやイライラ感情の発生はまだかなぁ〜」と期待して待つことは、前回ほど抜けはなく、前々回と同程度の効果はあったように感じている。ただ、前回述べた別の工夫、即ち、怒りやイライラの感情が湧き起こること自体を予見し、そうなり得る状況でも、冷静に落ち着いて淡々と対処している自分をイメージするという実践は、前回ほど十分にはできなかった。ひとまず効果の確認以前に、一定頻度で確実に実践できるよう工夫と努力を重ねてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(214)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日である3/19(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も前回から引き続き鋭意進めている。今回は結果的に前回までよりもまとまった時間が作れたこともあり、この(C)にある程度注力できた。そのおかげもあり、今回はかなり前進できた。特に、この先の見通しが付けられる程の知見が得られたことは、大きな収穫である。これを足掛かりに、さらに次のステップに進み出している。この次のステップをできれば4〜5月中には区切り良い段階まで進展させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。更に極限まで効率化を進めているが、今回はその点で少しだが改良が進み、直接的な効率化はまだ出来ていないが、その準備が整った。(C)や(E')の進捗と連動して、できれば前回述べたようにこの春先にも、遅くとも夏頃までには本格的な作業に着手したい。

(E')については、今回も着実に進んでいる。前回一つの大きな作業工程が完了し、この2週間はその次の工程に予定通り着手できている。着手にあたり、少し細かい準備作業の追加が必要なことが分かったが、着実にそれも進められており、前回述べたように、今年夏頃には全て完了する見通しがより一層立ってきた。このまま鋭意進めてゆきたい。

(H)は、今回も少しずつ進んでいる。次の1件の発注は難しくなったと前回述べたが、上述のように(C)で大きな進展があったことから、何とか今月末頃にはその発注まで進められる見通しが立ってきた。これにより、5月連休頃までに(H)も大きな進展が見込まれることとなり、より一層楽しみになるとともに、やりがいもより一層感じられるようになってきた。その思いを好循環につなげたい。


● うっかりミス等の撲滅(215)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今年に入り何度か続けて、いずれもやむを得ない事情により久しぶりに大幅に仕上げが遅れてしまった。今回も前号発行日の2日後3/15(火)に仕上げられている。次回以降は以前の通常ペースに戻したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近は平均して概ね安定してはいるものの、精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけている面もあることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も継続するとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点での進展はまだまだ発展途上ではあるが、それ以外の従来の取組みも含めて、この2週間はある程度まとまった進捗があった。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も、できるだけトランス状態に入ることで(前回までと同様に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによる)、特定イメージ画像・映像を想起するように努めている。今回は新たに、視覚的なイメージに対して、触覚や嗅覚の感覚も結び付けるようにしてみた。即ち、思い浮かべる視覚的なイメージの対象物を触った時の感覚、その時にする匂いなども想起するようにした。結果的に、前回までのようにPC上やスマホで特定イメージ画像・映像をボーっと眺める時間はやや減ってしまったが、以前と比べて特定イメージ画像・映像をより鮮明に想起できるようになったことを確認した。当面、この取組みを続けるとともに、PC上やスマホでイメージを視覚的に眺める時も頭の中で触覚・嗅覚を想起して結び付けるようにしてゆきたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。今回は、上述1点目に力を入れたため、前回ほどではないが、出来る範囲で「〜のイメージが浮かぶと良いんだよなぁ」というスクリプトをマスクをして犬の散歩中などに繰返し呟くようにし、改めて想起しやすくなることを確認した。上述1点目の取組みと併せての相乗効果にも期待したい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。今回は、「怒りやイライラ感情の発生はまだかなぁ〜」と期待して待つというよりも、敢えて視点というか考え方を変えて、今現在以降の出来事を予見して先回りするという観点から、もし不快な感情が湧いたらどうするか、今のままで本当に大丈夫かという問題意識を常に持ち続けるようにした。直接的な効果は確認できていないが、付帯的な効果として、常に予見するという心構えを維持することで、うっかりミスを防止するべく一つ一つの動作を警戒して実行できるようになってきた。この取組みを続けて経過を観察してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(216)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日から3日過ぎてしまったが4/6(水)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も精力的に進めている。前回もかなり進展したが、前回に続き今回も大きな進展があった。前回見通しが付いたと述べたが、それをより強固なものにできるまでになった。このままいけば、前回述べた通り、5月中には区切り良い段階まで進展できる見込である。引き続き、最優先で注力して着実に結果を出してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。更なる極限まで効率化を進めているはが、今回は上述(C)などに注力したため、今回は特に準備は進んでいない。ひとまず今月中は(C)を最優先とし、5月以降に前回までの予定通りに本格作業に着手したい。

(E')については、今回も細々とではあるが着実に進んでいる。前回述べた次の工程を引き続き進めており、上述(C)の影響もあるが、夏頃までに完了する見通しをより強固なものとすべく、鋭意淡々粛々と進めてゆきたい。

(H)は、今回かなり大きく進展した。(C)での進展を踏まえ、次の発注まで概ね予定通り進められたためである。このまま順調に行けば、前回述べたように、5月連休頃までにはさらに大きな進展が見込まれるため、(C)とともに優先的に注力し、確実に結果を出してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(217)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今年に入り何度か続けて、いずれもやむを得ない事情により久しぶりに大幅に仕上げが遅れてしまった。今回は前号発行日3/27(日)に仕上げられている。次回以降もこの通常ペースに戻したい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近でも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは、年始以降も継続するとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点での進展はまだまだ発展途上ではあるが、それ以外の従来の取組みも含めて、この2週間でもある程の進捗があった。それらを以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も、前回から続いて、視覚的なイメージに対して、触覚や嗅覚の感覚も結び付けるようトレーニングを続けている。改めて今回も、視覚のみの場合と比べて、特に触覚との結び付きにより、より想起しやすくなることを実感した。指先などの触覚の感覚をまず初めに想起することで、望む視覚的イメージを連鎖的に想起できている。併せて、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入ること、および「〜のイメージが浮かぶと良いんだよなぁ」というスクリプトを呟くことでもまた、視覚的イメージが想起しやすくなることも確認している。これらを踏まえ、次回以降は、トランスに入りつつ、触覚などの感覚を想起するという複合的なやり方を実践してみたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。今回は別のイメージ画像・映像を試みで想起するようにしたこともあり、結果的に元のイメージ画像・映像の効果が戻ったような気がしている。そこで、敢えて2つのイメージを交互に想起することで、両者の効果を補間し合うようなテクニックを確立してゆきたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。今回も、今現在以降の出来事を予見して先回りするという観点から、もし不快な感情が湧いたらどうするか、今のままで本当に大丈夫かという問題意識を常に持ち続けるようにした。まだまだ常時できるようにはなっていないが、前回よりはかなり長い時間持ち続けられるようになり、それに伴い気分の安定化、ミス防止にも効果が目に見えて出てきたと実感している。引き続きこの取組みを続け経過を観察してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(218)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日4/17(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も最優先で精力的に進めている。今回も、前々回・前回に続いてまとまった進展があった。前々回見通しが付いたと述べた点について、前回と併せてほぼ進捗として目に見える形となり、この先の予定もほぼ固まった。前回までに述べた通り、5月中には区切り良い段階まで確実に進展できる見込となった。それゆえ、この先5月連休前後は(C)に割く時間は少し削減できる見込みとなり、後述の他のタスクに時間を割ける予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。この1週間は上述(C)をはじめ他のタスクにやや圧迫されたものの、また元の効率性に戻せている。まだ本格的な準備は今回も進んでいないが、上述のように(C)に割く時間をこの先当分削減できる見込のため、(E')とともに5月連休前後は(D)の更なる極限まで効率化のための作業にいよいよ着手したい。

(E')については、今回も細々とだが着実に進んでおり、特にこの1週間ではほぼ区切りの良い段階まで完結的に進めることができた。5月連休前にこの段階まで来れたのは非常に理想的であり、5月連休の貴重な時間を(E')の次の段階のために集中的に充てられる見込となった。予定通り夏頃、より具体的にはお盆休みの時期までに完了すべく、着々と準備を進めたい。

(H)も今回さらに進展した。前回までの進捗を踏まえて次の段階として構想していたものがかなり細かいレベルまで案として固められるようになった。これまた5月連休頃までに、前回までの進捗と併せて大きく進展する見込である。この先当面は(D)や(E')とともに優先的に時間を割きながら着実に進めてゆきたい。


今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今年に入り何度か続けて、いずれもやむを得ない事情により久しぶりに大幅に仕上げが遅れてしまった。今回も前号発行日4/10(日)に仕上げられている。次回以降もこの通常ペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近でも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年末までは、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰り返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化してきた。その取組みは引き続き継続するとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点も少しずつ進展しており、従来の取組みも含めて、この2週間でも進捗があったので、以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、視覚的なイメージに対して、触覚や嗅覚の感覚も結び付けるようトレーニングを続けている。今回は、前回予告した通り、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入り、その上で特に触覚の感覚を想起するという複合的な取組みを実践してみた。まだ始めたばかりではあり、あくまで気持ち程度ではあるが、複合的に取組む方が僅かに効果的のように感じている。次回以降も当面続けて様子を見たい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。今回は再び、ほぼ専ら元のイメージ画像・映像を想起し続けるようにしたものの、新たな取組みとして、元のイメージ画像・映像を言葉で形容するようにしてみた。その文章を読み返すことにより、元のイメージ画像・映像をまた少し違った形で想起できるようになり、イメージの新鮮さが蘇った気がしている。次回以降も当面これを続けたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。今回も、今現在以降の出来事を予見して先回りするという観点から、もし不快な感情が湧いたらどうするか、今のままで本当に大丈夫かという問題意識を常に持ち続けるようにした。今回は他のタスクに意識が向いてしまい、前回よりも持ち続ける頻度が落ちた気がしている。特定の時刻や場面でそれを思い起こす癖をつけるようにして、頻度の回復を図りたい。


● うっかりミス等の撲滅(220)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも1日早く4/30(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までにまとまった進展が続けてあった。今回は、開発としては順調に進んだこともあり、前回予告した通り(C)に割く時間は削減できる結果となった。ただ、残りの検証等の残務を連休中にある程度まとめて行っておく必要が生じたため、当初の見込・予定よりは連休前後も(C)に費やす時間は少し増える見込である。いずれにせよ、5月中には概ね予定通り区切り良い段階まで完了する予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。連休中は(C)にまだ時間を費やさねばならないが、連休後、余裕を見て6月以降に概ね予定通り(E')とともに作業着手できる見込である。

(E')については、前回までに区切り良い段階まで完了している。前回、5月連休中の時間を(E')の次の段階に充てると述べたが、上述の通り(C)の残務に費やすことになったため、(E')の次の段階は連休明け以降になる見込である。時期は少しずれたものの、着実に少しずつ進めたい。

(H)は前回から続いて、今回もさらに進展した。前回細かいレベルまで案として固めた内容について、上述(C)の残務とともに、この連休中に仕上げられる見込となった。連休後はこの仕上げた内容を踏まえて(H)の次の段階に実際的に進めたい。


● うっかりミス等の撲滅(221)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も連休に入る時期で出張など立て込んだため、やむを得ず前号発行日から4日後の4/28(木)に仕上げられている。次回以降は通常ペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近でも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点も少しずつ進展しており、従来の取組みも含めて、この2週間でも進捗があったので、以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、視覚的なイメージに対して、触覚や嗅覚の感覚も結び付けるようトレーニングを続けている。即ち、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入り、その上で特に触覚の感覚を想起するという複合的な取組みを実践している。この取組みを始めて1ヶ月が経つが、今回は新たに、触覚や嗅覚などを複数個の感覚を同時に想起するようにし、かつ触覚でも少し異なる質感を複数通り想起するようにしてみた。それにより、前回までより更に効果が大きくなったと感じている。さらに次回以降もその延長で取組みを続けたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。前回は、元のイメージ画像・映像を言葉で形容するようにしたが、今回はイメージをPC上で特殊加工するようにしてみた。すると、その加工が意に反した結果になったこともあり、不思議なことに、引き起こされる快適な気分が再度弱くなってしまった。ただ幸い、それより前の言葉で形容する等の取組みに戻して一定期間続けたところ、効果は元に戻ってきた。今後当面は奇をてらわず、従来の方法で継続してみたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。ここ最近、イライラの頻度が結果的に高くなってしまったこともあり、負の感情を繰返し繰返しモニタリングするようにしていたのだが、なかなか負の感情をモニタリングによって鎮められなかった。そこで、ふと思い、自己暗示として、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと繰返しつぶやいてみた。すると、程なくして、ぶり返すように繰返し湧いてくる負の感情がある程度スーッと鎮まったのである。今回はこれが最大の成果と言える。この方法を3点目の方法の一部に盛り込んで今後も続けたい。


● うっかりミス等の撲滅(222)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも4日遅れたが5/19(木)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、連休を挟んで今回もまとまった進展があった。連休中に(C)に費やす時間は予定通り少し増やしたものの、検証等の残務を全て完了できるまでは残念ながら行かなかった。その分、5月中に予定していた、区切り良い段階までの完了は少し伸びることになった。6月前半には何とか完了させたいと考えている。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持しているが、PCのディスク容量等が少しひっ迫した影響で、少しだけ効率性が落ちてしまった。何とかPCメンテをかけることで、早急に従来の効率性に戻したい。上述(C)が遅れた影響で、(D)・(E')は6月中旬以降に作業着手する予定である。

(E')についても、連休中は(C)に時間を充てたため、この2週間でも進捗は殆どない状態である。ただ、そろそろすき間時間を見つけて、6月以降の作業スケジュールなど細部を詰めておく必要はあると考えている。これまで、(E')に関して細 部を詰めておかなかったことで場当たり的な対応になり、細かいミスが続いた反省があるため、その反省を十分に活かした準備を入念にしておきたい。

(H)は、諸事情により連休中に仕上げる予定であった内容を一旦延期せざるを得なくなってしまった。ただ、より入念な準備と確認のためなので、これは仕方ないと考えている。時期は単純に後ろにずれるが、やることは何ら変わりないため、抜けやすい、誤りやすい点を予めリストアップし、チェックをより入念に行うことで間違いなく着実に進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(223)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は連休前で出張などが立て込んだため遅れたが、今回は前号発行日5/8(日)に仕上げられている。次回以降も通常ペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近でも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。前回、その力点をさらに見直した取組みを行うことで大きな効果を確認できたため、その取組みをこの2週間弱の間も精力的に続けており、一定の進捗が今回もあったので、以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入り、その上で触覚等の感覚を想起するという複合的な取組みを実践している。今回は特に、改めてトランス状態に入ってイメージを想起することの効果を再確認した。触覚等の感覚の想起による効果も少なからずあったとは思うが、図らずも「触覚と結び付けねば」と強く意識してしまうことで、効果がやや薄れていたようにも感じている。次回以降は、軽く想起する程度にできるよう工夫してゆきたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。前回はイメージを特殊加工したことにより、図らずも一時的に再度弱くなったと述べたが、この2週間弱は快適な気分の程度は十分元通りになっている。この状態を今後も堅持したい。

最後に、前回始めた新たな方法、即ち、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示として繰返しつぶやくことについて。前回、負の感情のぶり返しが鎮まるという大きな効果を確認したが、この2週間弱もそれを継続することで、ぶり返しの頻度がかなり減ったと実感している。よって、負の感情を無理に感情モニタリングのトリガーするのを一旦止め、今後もこのつぶやきを堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(224)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも一日早い5/28(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、連休前後にまとまった進展があったが、今回もその後のフォローアップ的な段階を進められた。PCに向かって具体的な作業を行うのは今回は一旦ストップしたものの、犬の散歩中や入浴中などに頭の中でアイデアを練る作業をコツコツ少しずつ進められた。前回述べたように、検証等の残務は6月にずれこむ予定だが、今回のアイデアを練る、考える時間は今後も一定時間を捻出できる見込であることから、出来る範囲で着実に進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。前回、PCのディスク容量等が少しひっ迫した影響で、少し効率性が落ちたと述べたが、今回は前回の予告通りPCメンテを行うことで、元の効率性を概ね戻すことができた。その上で、6月後半から(D)・(E')の作業着手する予定である。

(E')は、今回も連休中から引き続き(C)などに時間を充てたため、この2週間でも進捗は殆どない。前回述べたように、6月以降の作業スケジュールなど細部を詰めておく必要はあるが、その詰める作業もやや滞っている状況ではある。5月ももう終わってしまうため、6月に入ってから、例えば毎日30分ずつでも、この作業に充てたいと考えている。細部を入念に詰め、細かいミスを防止するためにも、ある程度設計図的なものを面倒でも具体的に描くことにしたい。

(H)は、前回連休中に仕上げる予定であった内容を一旦延期したと述べた。今回は(E')と同様に進捗はまだ殆どないが、6月に入り、前回述べたように、抜けやすい、誤りやすい点を予めリストアップし、チェックをより入念に行うことで間違いなく着実に進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(225)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は連休前で出張などが立て込んだため遅れたが、今回は前号との発行日の間隔が広がったことにより、前々号発行日の2週間後5/21(日)に仕上げられている。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。今年に入り、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移してきたが。なかなか効果が出なかったため、その力点をさらに見直した取組みを行うことで大きな効果を確認できたため、その取組みをこの2週間弱の間も精力的に続けている。今回もその進捗について述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入るようにしている。今回は、前回の反省から、あまり意識的に触覚等に結び付けようと思わないようにしてみた。その結果、前回の3点目として挙げた自己暗示により、負の感情のぶり返しが鎮まることで、副次的効果として、特にトランス状態に入ることで、イメージをより想起しやすくなったように感じている。これはかなり大きな進歩と考えている。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。これも、上述の通り、負の感情のぶり返しが鎮まることで、前々回一時的に弱くなったと述べた効果が元に戻るだけでなく、明らかに以前よりもより一層快適な気分を引き起こすようになったと感じている。1点目と併せてかなり大きな進捗である。引き続き、このまま様子を見るとともに、今後もこの状態を今後も堅持してゆきたい。

最後に、前々回始めた新たな方法、即ち、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示として繰返しつぶやくことについて。今回もこれを継続しているが、前回に引き続き、負の感情のぶり返しはかなり鎮められている。ある程度弱い不快感情であれば感情モニタリングで十分鎮められるので、上手く両者を織り交ぜることにより、安定して快適な感情を維持するようにしてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(226)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日である6/13(月)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、連休前後にまとまった進展があったが、今回も前回よりは少し時間が減ったが引き続きその後のフォローアップ的な段階を進められた。PCに向かって具体的な作業を行うのは今回も一旦ストップしたいるが、犬の散歩中や入浴中などに頭の中でアイデアを練る作業をコツコツ少しずつ進められている。今回は全く私的な事情によりこの(C)も少し進捗が鈍ったため、前回までに述べている検証等の残務は今月後半も見送り、来月7月以降にずれこむ予定となった。少し時間に余裕を見て、アイデアを練る、考える時間を今月一杯捻出し、抜けや漏れのないように着実に一つ一つの段階を進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。今後、また一つPCメンテに関連して効率が落ちる懸念もあるため、少し先回りして防衛策を考えておきたい。

(E')については、今回は外注の都合もあり、(C)はやや滞ったものの、この(E')は少しだけだが進捗した。外注する以上は待ったなしになる面もあるため、前回の予告通り、作業スケジュールの細部を詰める作業を進めたい。まだ前回予告した通り毎日30分まで出来ていないため、たとえ毎日10分でも進めてゆきたい。

(H)は、今回も連休中から仕上げを延期した内容を引き続き少しずつ進めている。今回は、仕上げに際しての詳細な注意点を要点としてリストアップして確認した。ここまでは前回の予定通りであり、次回以降もチェックをより入念に行うことで間違いなく着実に進めてゆきたい。




● うっかりミス等の撲滅(227)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回は連休前で出張などが立て込んだため遅れたが、今回も定例通りの予定日6/5(日)に仕上げられている。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を先月頃から実践し、大きな効果を確認できたため、その取組みを今回も精力的に続けている。その進捗について以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入るようにしている。今回も、負の感情のぶり返しを概ね鎮められていることもあり、特にトランス状態に入ることで、イメージをより想起しやすい状態を維持できている。今回は、それに加えて、触覚等の結び付けを少し復活させてみた。まだ明確な実感としての効果を確認はしていないが、後述2点目のイメージ効果の再後退を少しはカバーできたと考えている。引き続き、触覚等の結び付けは続けてゆきたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めることにより快適な気分が引き起こされる効果について。今回、諸事情でまた特定イメージ画像・映像の加工(ただし今度は前回とは少し異なる形)を試みたところ、一時的にだがまたイメージの効果が弱まったように感じた。ただ、既述1点目の効果によってかイメージを視覚的に想起しやすい状態にでき、それほどの問題にはなっていない。逆に、1点目で上手くカバーし続けられるならば、このイメージの加工を試みで続けてみたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返しつぶやくことについて。今回もこれを継続している。本記事を執筆している前夜だが、たまたま失敗して気分が落ちたが、これらの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜることにより、多少の一時的なぶり返しはあったが、一定時間後に十分鎮められた。できればたとえ一時的にでもぶり返しはほぼ完全ゼロが理想なので、そこに持って行けるよう、この方法をしばらく継続してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(228)


本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも1日遅れたが、7/4(月)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回もPCに向かって具体的な作業を行うのはストップしているが、犬の散歩中や入浴中などに頭の中でアイデアを練る作業をコツコツ進められている。前回述べた私的な事情は今回も続いてきたが、それもようやく一段落してきたため、これまでに考え、練ったアイデアをそろそろ漏れなく体系的に整理する段階に進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回新たに以前とは別の原因により効率性が一時的に落ちる状況が発生した。以前とは全く異なるため、予測ができなかったが、この1週間程度で復旧させ、以前の効率性に戻したい。

(E')については、今回も前回と同程度に進捗した。外注するために作業スケジュールの細部を詰める作業待ったなしという状況が良い緊張感を生んでいる。今回もまだ毎日30分には達していないが、毎日10分程度は徐々に出来てきている。このまま少しずつでも費やす時間を増やしてゆきたい。

(H)は、前回までに仕上げを延期した内容を引き続き少しずつ進めてきた。そろそろ次の締め切りが近づいてきたため、これまでに整理した点を全て漏れなく踏まえ、余裕をもってスケジュール通りに進められるよう、鋭意ステップアップしてゆきたい。




● うっかりミス等の撲滅(229)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。先月から発行の週が諸事情で1週ずれたものの、今回は前号発行日の3日前6/23(木)に仕上げられている。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を4月頃から実践し、大きな効果を確認できたため、その取組みを今回も精力的に続けている。今回はさらに新たな取組みを始め、その点でも早速大きな効果を確認した。以下でそれらの進捗について以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入るようにしており、安定した効果を確認している。今回は、前回まで以上に触覚等との結び付けも新たな方法で積極的に実践してみた。即ち、前回までは触覚等も頭の中での想像的な結び付けで止まっていたが、今回は、例えば何か似たものを触ってみてその質感を繰返し確かめることで、特定イメージに直接結び付ける以前に、実際の触覚等と頭の中の想像との結び付けを強化してみた。この効果はかなり大きく、間接的に特定イメージとの結び付けも強化されたように実感している。引き続きこの方法を今後も続けたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めることにより快適な気分が引き起こされる効果について。前回またイメージの加工を試みたことで一時的にイメージの効果が弱くなったが、今回は上述1点目の取組みにより、むしろイメージの効果はかなり強化されたと感じている。それを踏まえ、この2点目のイメージ加工も再度別の形で実験的に試みてゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについても、引き続き精力的に継続している。今回はそれに加え、特に私生活での対人関係(家族を含む)を今まで以上により積極的に持つようにしてみた。これは無理して意識的に行うというよりも、上述1点目やこの3点目の自己暗示の取組みの効果から自然連鎖的にもたらされたものではないかと感じている。これも今後精力的に続けたい。


● うっかりミス等の撲滅(230)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日7/17(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回もPCに向かって具体的な作業を行うのはストップ、さらに今回は(詳細は次回の記事(233)で述べる予定だが、犬の散歩中や入浴中などの時間を別のことに使ったため、今回は頭の中でアイデアを練る作業も一旦ストップした。欲を言えばもう少しアイデアを練り切りたいところだが、折しも連休になったので、いよいよ今日から練ったアイデアを体系的に整理する作業を開始したい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回新たに以前とは別の原因により効率性が一時的に落ちる状況が発生したが、無事予定通りに復旧した。それと並行して、この2週間で、後述(E')にも関連して効率性を極限まで上げる取組みにいよいよ手を付けられ始めたので、それを今後しばらく継続してゆきたい。

(E')については、今回は前回以上に久しぶりにかなりの進展があった。今日7/17現在もその作業は続いており、来月8月のお盆休み頃までにまとまった進展が見込まれるため、その完成後の予想イメージを繰返しイメージトレーニングしながら、1日30分程度を目途に、作業を淡々粛々と進めてゆきたい。

(H)は、今回は次の締め切りに向けての整理作業を一旦ストップしたが、締め切りは確実に近づいているため、繰返しになるが、これまでに整理した点を全て漏れなく踏まえ、余裕をもってスケジュール通りに進められるよう、できればこの連休中に少しは進めたい。

● うっかりミス等の撲滅(231)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前号発行日7/10(日)に仕上げられた。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を4月頃から実践し、大きな効果を確認できたため、その取組みを今回も精力的に続けている。今回も前回に続けてまた新たな取組みを始め、それらの点でどれも少なからぬ効果を早速確認した。以下でそれらの進捗について以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回この点でかなり大きな進展があった。即ち、次の2点目でイメージの加工を試行錯誤していたが、その中で特にしっくりくる加工法を見つけ、それに基づいた鮮明なイメージ画像を完成させることができた。これにより、従来1点目の取組みとして行ってきた方法とも併せて、かなり鮮明にイメージ画像を想起できるようになった。それだけでなく、その加工後のイメージ画像を直接的にスマホやPC上で常時表示しながらそれを継続的に眺めることで、そもそもの目的である感情モニタリングの二重チェックの効果をより一層引き出すことが出来てきたように感じている。引き続き、今回の方法を継続したい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めることにより快適な気分が引き起こされる効果について。上述の通り、しっくりくる加工法を見出したことで、この点はほぼ解決したと考えている。よって、次回以降はこの2点目の代わりに別の取組みについて述べていくことにする。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについても、引き続き精力的に継続している。前回から、特に私生活での対人関係(家族を含む)を今まで以上により積極的に持つようにしており、これも少しずつ効果が出ていると感じている。さらに今回からは、以前に一時期行った、2〜3分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活したことで、併せてかなり劇的な効果を確認した。次回以降はこの点を重点的に述べたい。


● うっかりミス等の撲滅(232)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日7/31(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回からこれまで頭の中で練っていたアイデアを体系的に少しずつ整理し始めているが、途中でアイデアの補完が必要なことに気付き、再度頭の中で考え直している。その上で、後述(H)の作業期限も近づいてきたことから、一旦体系化の作業は再度ストップし、お盆明け以降に進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、前回から引き続き、後述(E')にも関連して効率性を極限まで上げる取組みを進めている。外注化しながら計画的に進めているため、少しずつチビチビではあるが着実に進展してはいる。この作業を秋以降までしばらく同じペースで継続してゆきたい。

(E')については、この2週間平均で見ると、1日30分までは残念ながら行かなかったものの、これまた(D)と同様に少しずつだが、おかげさまで着実に進んでいる。今後は、完成後予想のイメージトレーニングとともに、簡略的でも良いので設計図的なものをしっかりまとめ、それに基づいて細部まで間違いのないよう粛々と進めてゆきたい。

(H)は、前回連休中に少しでも進めたいと述べたが、残念ながら連休中は上述(E')を優先し時間切れとなった。折しも8月になるので、そろそろいい加減手を付けて着実に締め切りに間に合わせたい。


● うっかりミス等の撲滅(233)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前号発行日より一日早く、7/23(土)に仕上げられた。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、2〜3分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもどれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。前回、特定イメージの特にしっくりくる加工法を見つけ、それに基づいた鮮明なイメージ画像を完成させることができた。今回はさらにより鮮明なイメージとなるよう、イメージ加工のブラッシュアップに着手している。このブラッシュアップは来月までかかる見込であるが、できればさらに来月以降もイメージ加工を極限まで突き詰めてゆきたい。

なお、現状の加工後イメージをスマホやPC上で常時表示しながらそれを継続的に眺めることで、そもそもの目的である感情モニタリングの二重チェックの効果をより一層引き出せることは今回も改めて実感した。ただ、効果があり過ぎ、別の意味でデメリットが生じたため、一旦この2週間はイメージを眺めながら感情モニタリングを行うことは敢えて控えることにした。即ち、感情モニタリングはモニタリング単体で、イメージ想起はイメージ想起単体で別個に行うようにした。それにより、上述のデメリットはほぼ解消できた。前者のモニタリングは、2〜3分タイマーをかけて繰返し繰返しセルフチェックを行うことでより一層の効果を得られるようになり(この詳細は次回以降に是非述べたい)、イメージと結び付けてのより一層の効果を得る必要性が薄れたため、今後もそのように別個に取組んでゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについても、引き続き精力的に継続している。今回は、トランスに必ず入った上で、上述の自己暗示のスクリプトを、意識的にかなりゆっくり呟くようにしてみた。明確に劇的な差異を確認できたわけではないが、平気と何となく思えるようになってきたと感じている。これも引き続き精力的に今のやり方で続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(234)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日8/14(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回からこれまで頭の中で練っていたアイデアを体系的に少しずつ整理し始めている。前回から引き続き、期限の迫っている後述(H)の作業のため、今現在も一旦ストップしている。次回以降、再開できるようにしてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も後述(E')にも関連して効率性を極限まで上げる取組みを進めている。今回も前回と同じく、少しずつチビチビではあるが着実に進展している。引き続き同じペースで継続してゆきたい。

(E')については、この2週間平均で見ると、今回は前回よりは進歩し、1日30分ペースは守れたように思う。次回、お盆休みの時間を使って、簡略的な設計図をしっかりまとめ、それに沿って細部まで間違いのないよう粛々と進めてゆきたい。

(H)は、8月に入り、おかげさまで着手でき進んでおり、締め切りも間近のため、最低限の時間余裕をもって締め切りに間に合わせたい。


● うっかりミス等の撲滅(235)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前号発行日より一日早く、8/6(土)に仕上げられた。次回以降もこのペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、2〜3分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。前回から引き続き、イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを少しずつだが着実に進めている。早ければ今月中には次の段階まで進めそうであり、お盆休み中も淡々粛々と進めてゆきたい。

次に、前回予告的に述べた、2〜3分タイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて、今回はある程度詳しく述べたい。

犬の散歩中など、少なくとも1〜2時間の間、2〜3分タイマーを何度も何度も、繰返しひたすらかけてセルフチェックを行っている。これにより、単純計算上、1時間ならば24回、2時間ならば48回は行えることになる。先日久しぶりに思い立って2時間程の間、48回程度行ったところ、その後しばらく、タイマーをかけずとも、かなりの頻度でセルフチェックのことが繰返し自然に頭に想起され、セルフチェックを高頻度に行い続けることができた。

逆に、ここ数日は、残念ながらそのタイマーの取組みをややサボってしまっていたので、セルフチェックを高頻度に行えていない。だが、数値データとして、それだけの回数タイマーを使って繰り返せば、それだけの頻度で自然に想起できることが分かったので、今後はこのデータを基に安定して常時行えるように維持してゆきたい。経過は追って随時報告してゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについても、引き続き精力的に継続している。今回も、できるだけトランスに入った上で、上述の自己暗示のスクリプトを、意識的にかなりゆっくり呟くようにしている。つい1週間ほど前だが、仕事でミスをして叱られてしまい、従来ならば落ち込むような状況に陥った際、不思議と落ち込まず、前向きにここでこうなれば良いんだよな、と思えるという出来事があった。自分としては突然変異的な変化であり、我ながら驚いたが、思えば、4月からこの取組みを始めて3か月が過ぎ、やっと訓練の成果が出てきたのではないだろうか。今後も精力的に続けてゆきたい。

● うっかりミス等の撲滅(236)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日9/4(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続きこれまで頭の中で練っていたアイデアを体系的に少しずつ整理している。前回述べた後述(H)の締切は結果的に2ヵ月程伸びたため、その分再度この(C)に割く余裕ができ、少しずつ再開している。今月9月はこのペースを当面続けたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も少しずつだが、後述(E')にも関連して効率性を極限まで上げる取組みを進めている。お盆明け以降進めていた作業がおかげさまで仕上がりつつあり、着実に進展はしている。引き続き次回移行も同じペースで継続してゆきたい。

(E')は、お盆明け以降も、前回と同様のペースを守って進められている。前回述べた簡略的な設計図はまだ完全な形にはなってはいないが、ある程度まとめられたため、細部を入念に詰めるとともに、次回以降はそれに沿って間違いのないよう粛々と作業を進める予定である。

(H)は、上述の通り結果的に締め切りが2ヵ月伸びたため、改めて内容の細部を入念に確認するとともに、余裕をもって間に合わせたい。


● うっかりミス等の撲滅(237)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回は前号発行日の一週間後である8/28(日)に仕上げられた。次回以降は、できれば一日早く土曜夜には仕上げられるようにしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、数分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。前回から引き続き、イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを着実に進めており、前回予告通りにお盆休み中も粛々と進めたこともあり、順調に次の段階まで進んでいる。9月に入る頃には、さらに次の段階に進めたい。



次に、スマホのタイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて。今回も残念ながら、半ば言い訳ながらお盆休みを挟んだこともあり、前回からの3週間でのタイマーを使った取組みの頻度は高くはない。だが、全く行っていなかったわけではなく、頻度は低いが実施はできている。

その代わりと言っては何だが、1回のタイマーをかける時間を短くするようにした。これは、前々回までに1回2〜3分でタイマーをかけて繰返しセルフチェックを行っていたところ、徐々に短い時間でできるようになってきたためで、今は1回1分強とかなり短い時間に設定して実施している。その1分強のうち、セルフチェックに要する時間は、「今の気分は良いかい?」と自問自答する1次チェックに最短で数秒、さらに「『今の気分は良いかい?』と聞いている自分は良いかい?」ともう一人の自分に自問自答する2次チェックに5〜10秒程度である。

併せて、セルフチェックを行った際、不快な感情であった場合には瞬時にその不快感情を感じることをスパッと止める必要があるが、タイマーの時間が長いとどうしてもダラダラしてしまう面があったため、タイマーを短く設定することで、自分自身に良い意味での緊張感を与えることができるとともに、不快な感情であった場合にその不快感情を感じることをスパッと止めやすくなるメリットもあり、一石二鳥と実感している。次回以降は、今回達成できなかった、タイマーをかける取組みの頻度自体を上げることを目標としたい。



最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについて。

前回、この取組みを始めて3ヶ月が過ぎ、従来ならば落ち込むような状況に陥った際、不思議と落ち込まず、前向きにここでこうなれば良いんだよな、と自然に思える突然変異的な変化があったと述べた。今回はそれに加え、感情モニタリングのセルフチェックも含め、うっかりミス防止のためのチェックも完璧にできている自分を自然に頭の中でイメージできるようになった。具体的なイメージを不快でない感情で繰返し想起することで、暗示としての効果が高まるため、この自然にイメージする取組みをさらに3ヶ月続け、効果の程を確認してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(238)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日9/18(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続きこれまで頭の中で練っていたアイデアを体系的に少しずつ整理している。まだ少しずつだが着実に前回よりは進められている。まだまだ来月までは毎日少しずつチビチビ進める段階だが、後述(H)にも関係する段階となってきたため、引き続き地道に進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')は、今回も少しずつだが着実かつ計画的に進められている。簡略的な設計図はある程度形になってきたので、細部をさらに詰めるとともに、それに沿って間違いのないよう粛々と作業を進めてゆきたい。

(H)は、前回までに述べたように締め切りは延びたが、上述(C)とともに余裕をもって締め切りに間に合わせるため、着実に進めてゆきたい。



最後に、これまで長きに渡って上述の文章校正で書き進めてきたが、より一層計画的かつ効率的に進めるべく、次回から本記事の文章の書き方を一新したい。


● うっかりミス等の撲滅(239)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も定例通りに前号発行日9/11(日)に仕上げられた。土曜夜には原稿執筆を始めていたが、夜のうちに仕上げまで行かなかった。次回以降は、できれば一日早く土曜夜には仕上げられるようにしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、数分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。前回から引き続き、イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを着実に進めているが、今回また区切りの良い段階まで進められた。これまでは静止画の加工であったが、動画の加工まで進んだ。静止画以上に動画加工の効果は大きく、より想起しやすくなり、後述の感情モニタリングの1次チェックする際、特定イメージ画像・映像をほぼ連動して想起できるようになり、感情状態の安定化に大きく寄与したと実感している。残る動画の加工を来月頃まで進めてゆきたい。

次に、スマホのタイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて。今回は前回の反省から、犬の散歩時のみならず、家族と食事中などにも高頻度に繰返し行った。繰返し行うことで、1回1回のチェックに要する時間が徐々に短縮できるようになり、特に感情モニタリングの2次チェックまで最短7秒程度で行えるようになった。それを踏まえ、最初は1回2〜3分でかけたタイマーの時間を1分00秒に短縮できた。上述の特定イメージの想起と併せ、仕事で嫌なことがあっても落ち込まず比較的平静な状態で居られた。この状態を今後も堅持してゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについて。今回は上述の2点で大きな効果を得たため、あまりここには時間をさけていない。ただ、前回から引き続き、感情モニタリングのチェック、うっかりミス防止のためのチェックが完璧にできている自分を頭の中で繰返しイメージできており、わずかだがイメージの頻度が上がってきた。これをしばらく、前回から起算して3ヶ月は続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(240)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日10/2(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、引き続き頭の中で練っていたアイデアを体系的に少しずつ整理しているが、おかげさまで9月以降はだいぶ整理できてきた。そろそろ具体的にまとめる段階に来たので、来月11月頃までかけて時間を有効に使って体系化を完成させたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')は、今回も着実かつ計画的に少しずつ進められている。簡略的な設計図はほぼ固まったので、それに沿って間違いのないよう引き続き粛々と作業を進めてゆきたい。

(H)は、そろそろまた締め切りが近づいてきたので、今度は時間に余裕をもって、まとめる段階に進みたい。



最後に、前回予告した通り、より一層計画的かつ効率的に進めるべく、今回から本記事の書き方を一新する。といっても、上述の書き方までは同じとして、以下にそれぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を表形式で記す。:

     9/18〜9/24   9/25〜10/2
(C)    1111111 1111111
(D),(E') 1111111 1111111
(H)    0000000 0000000

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「1」は10〜20分程度の場合という意味である。これにより、10分単位で費やした時間を厳格に管理し、より効率的に時間を使って各タスクを進めてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(241)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も定例通りに前号発行日9/25(日)に仕上げられた。今回も連休中の9/23(金祝)には原稿執筆のための考察を始めていたが、昼間の外出等で時間を要したこともあり、原稿の仕上げは遅くなってしまった。次回以降は、できれば土曜夜には仕上げられるようにしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけてきたことから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、数分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。前回から引き続き、イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを着実に進めており、残る動画の加工を進めている。あくまで残り作業であり、ほぼ十分な効果は得ている。よって、今後はこの1点目は今の残り作業が完了したら必要により不定期で進めてゆく予定である。

次に、スマホのタイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて。今回もタイマーの時間を1分00秒に短縮して取り組んでいるが、前回述べたように、後述の3点目とも併せ、かなりの効果が出てきた。この2週間も仕事等で嫌なことがあっても落ち込まず安定して平静な状態で居られた。何となく実感としてこのまま安定して大丈夫という自信もおかげさまで付いてきたが、油断せずこのままの状態を堅持できるよう気を引き締めてゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについて。今回も引き続き、感情モニタリングのチェック、うっかりミス防止のためのチェックが完璧にできている自分を頭の中で繰返しイメージできており、前回まで以上にイメージの頻度が上がってきた。まだまだ油断せず、累積で3ヶ月に達するまで粘り強く続けてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(242)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日11/19(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前号からの間、10月に入ってから、おかげさまで大幅に進展した。それまで頭の中で練っていたアイデアが順次整理・体系化し、ほぼそのまとめ作業も完了した。それを踏まえ、11月以降は次の発注段階まで進んでいる。9月段階の想定以上に順調過ぎるほど順調に進んでおり、年内にもある程度まとまった成果が得られるものと期待している。引き続き、時間と労力をかけてじっくり着実に進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')は、今回も着実かつ計画的に進められている。上述(C)とともに前号段階よりも更に加速し、かなり目に見えた成果として完成に近づきつつある。このまま行けば、年末年始にはほぼ仕上げの段階まで漕ぎつけられる見込である。引き続き、(C)とともに時間労力をかけて、間違いのないよう引き続き進めてゆきたい。

(H)は、上述(C)〜(E')に時間労力を割いた反面、諸々を総合定期に考慮し、一旦再考することとしたので、敢えて10月に入ってから保留にしている。上述(C)〜(E')の進捗を踏まえ、新年以降に熟慮の上で起動修正して着実に進めてゆきたい。



最後に、前回から新たに始めた、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。今回は前号から間が開いたが、全て記載するのはキリがないので、直近2週間分のみ記すことにする。:

     11/6〜11/12   11/13〜11/19
(C)  6666666 6666666
(D),(E') 6666666 6666666
(H)  0000000 0000000

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(243)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も定例通りに前号発行日10/9(日)に仕上げられた。今回も前日10/8(土)夜にはこの記事の考察と執筆を始めてはいたが、原稿の仕上げは日曜にずれ込んでしまった。前回からの目標通り、できれば土曜夜には仕上げられるようにしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけてきたことから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、数分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを精力的に続けており、今回もそれらの進捗を述べる。



1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを進めているが、今回も加工作業を少しずつだが着実に進めている。来月あたりには完了する見込であり、それ以降は不定期で進めてゆく予定だが、今後この1点目は必要によりお伝えする形としたい。

次に、スマホのタイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて。今回はタイマーを1分00秒に短縮設定しての取組みは一旦中断する結果になったが、前回から引き続き、累積で起算して1ヶ月間、仕事等で嫌なことがあっても落ち込まず安定して平静な状態で居られた。その実績が個人的にとても嬉しく、最大級の祝いを自らしたい気持ちで一杯である。引き続き油断せずこのままの状態を堅持できるよう気を引き締めてゆきたい。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについて。今回も、感情モニタリングのチェック、うっかりミス防止のためのチェックが完璧にできている自分を頭の中で繰返しイメージできてはいるが、厳しく見るならば、前回までよりはイメージの頻度が落ちたように反省している。まだ累積で3ヶ月に達するには道半ばなので、できるだけ安定した頻度で続けられるよう努めたい。


● うっかりミス等の撲滅(244)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は変則で前回記事から1週間しか経っていないが、定例仕上げ日11/27(日)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回これまで頭の中で練ってきたアイデアの体系化まとめ作業が完了したと述べたが、一つだけ追加の必要が生じた内容があり、そのまとめ作業を行っている。それとともに、前回までにまとめが完了した内容を予定通り発注段階まで進められている。引き続き年末までにまとまった成果が得られるよう、鋭意進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')は、この1週間も前回までよりはペースが少し落ちたものの着実かつ計画的に進められている。一方で、完成後の導入を見据えて、前週のうちに発注を一つ済ませておいた。その点が前回からの進歩点と言える。引き続き淡々粛々と進めてゆきたい。

(H)は、前回まで保留としていたが、そろそろ年末に近づいたため、上述(C)〜(E')が着実に進捗していることを踏まえ、年始以降を見据え少しずつ動き出している。これから年始以降に向けて徐々に時間を増やしてゆきたい。



最後に、前回から新たに始めた、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。今回は前回からの1週間分のみ記すことにする。:

     11/20〜11/27
(C)  6666222
(D),(E') 3333333
(H)  1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(245)

今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回は発行日の関係でずれてしまったが、発行日の4日後11/24(木)に仕上げられている。従来からの目標通り、次回以降はできれば前号発行日の前夜(土曜夜)には仕上げられるようにしたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。それでも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけてきたことから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、今年4月頃から特定スクリプトの自己暗示と感情モニタリングを上手く織り交ぜた方法を、さらに今月7月からは、以前に一時期行った方法として、数分のタイマーをスマホでかけて、その間に繰返し繰返し感情モニタリングや忘れやすいもののチェックを行う取組みを復活させており、どれもこれも少なからぬ効果を早速確認した。そのため、それらの取組みを今現在まで精力的に続けている。

今回は前回から間が1ヶ月半ほど開いたが、その間にかなりの変化があったので、それを述べたい。前回10月初めの段階で精神状態が安定していると述べたが、残念ながら10月下旬になって、あることを契機にバランスを崩す結果となってしまった。その後も断続的にバランスを崩すことが度々発生してしまったが、これまでの取り組みを再強化したり、さらに工夫を重ねることにより、本記事仕上げ日の2日前にあたる11/22の段階で、概ね安定化に目途が付いた。それを個別に以下で述べるとともに、今後も取組みを堅持してゆきたい。



1点目として、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。イメージ加工を極限まで突き詰める取組みを進めており、今回も更に新たな加工作業を少しずつだが着実に進めている。年末にはまた一つ完成する見込である。新年以降も断続的に進めるとともに、必要によりこの1点目は報告する形としたい。

次に、スマホのタイマーにより繰返し感情モニタリングのセルフチェックを行う取組みについて。10月下旬にバランスを残念ながら再度崩して以降、再度このタイマーを使った取組みを特に重点的に強化している。従来は1分だったが、さらに短くしたり、別のツールを活用するなど試行錯誤してきたが、それらの積み重ねによって、再度安定化が図れるようになってきた。一番は、タイマーを短く設定することにより、意識があちこちに飛びにくくなり、感情モニタリングに連続して集中し続けることができるようになったことが一番大きい。言い換えれば、これまでは意識が飛ぶことで、モニタリングが不完全な形になってしまっていたことが上手くいかない原因であったと自分なりに分析している。

最後に、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと自己暗示を繰返し呟くことについて。今回は、上述2点目のタイマーに準じてこちらも再強化しており、高頻度に取組むことで少しずつ効果が出てきていると実感している。特に、意識が飛んだ際に、モニタリングが不完全になるとともに、ついつい歯を食いしばって頑張ろうという考えに自然に走ってしまうことが多かったが、意識が飛びづらくなったことでその頻度もかなり減ってきており、それが効果の主原因と分析している。


● うっかりミス等の撲滅(246)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より一日遅れて12/12(月)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回追加で一つだけ行ったものがあったが、それも含め、これまで長きに渡り頭の中で練ってきたアイデアの体系化まとめ作業を完了し、全ての内容について予定通り発注段階まで進められている。今現在は発注に際してのやり取りを日々続けている。早いもので12月も半分が過ぎようとしているが、引き続き、残り2週間で年末までにまとまった成果が得られるよう、鋭意進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')についても、この2週間は前回と同程度のやや低いペースではあるものの、着実かつ計画的に進められている。前回発注した内容の実現時期は未定だが、早ければこの年末年始か遅くとも来年春先には実現し、それまでにこの(D)〜(E')もいい加減完成させたい。それを目標に、引き続きこの年末年始も淡々粛々と進めたい。

(H)は、この2週間はまだ殆ど進捗はない。上述(C)と(D)〜(E')の進捗にも連動しているため、それらの進捗を待って、年越しになってしまうかもしれないが、計画的に時間を捻出してゆきたい。



最後に、前々回から新たに始めた、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。今回は前回からの2週間分のみ記すことにする。:

     11/28〜12/4    12/5〜12/11
(C)  3333333  3333333
(D),(E') 2222222  2222222
(H)  1111111  0000000

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(247)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より4日遅れて12/29(木)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き、発注段階まで進められた開発案件についてのやり取りが続けている。年末になり、何とか少なくとも1件はおかげさまでまとまった成果が得られる見込となった。年始以降も、他の案件についても同様に成果が得られるよう、鋭意進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')については、12月後半に入り少しまたペースアップでき、大よその骨格が出来上がり、この年末年始で全体の微調整ができるレベルに達した。その微調整を粛々と進めた上で、年始以降は残りを計画的に進め、前回述べた通りに春先には(D)〜(E')を完成させたい。

(H)は、年始以降を見据え、少しずつ準備を始めている。年始から2件新たに動き出せるよう、特に(C)の進捗と連動して、万全の準備を進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		12/12〜12/18	12/19〜12/25	12/26〜12/29
(C)		3333333	2222222	3336
(D),(E')	2222222	3333333	2226
(H)		1111111	1111122	1113

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(248)

これまで長きに渡り、445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同モニタリングを適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定になることもあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなることが明らかな原因であり、モニタリングが出来さえすればほぼ確実に安定化できるまでになってきた。

そこで、節目の新年となる今回からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践結果を重点的に記述してゆきたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回は記事の内容を改めたこともあり、発行日の2日後12/20(火)に仕上げられている。従来からの目標通り、次回以降はできれば前号発行日の前夜(土曜夜)には仕上げられるようにしたい。



これまでの人生で長きに渡り、うっかりミスや物忘れが余りにも多く、無駄に苦労してきた。従来は、そのようなミスを犯す度に、「しまった、やってしまった」「あー、何でやってしまったんだ。バカバカバカ」と自分を責めてしまい、精神的にも落ち込んだりイライラしたりを繰り返してきた。最近になり、感情モニタリングを相当にマスターできてきたことにより、精神状態の安定化を図れるようになった。そのおかげで、そうしたうっかりミスや物忘れの防止に抜本的な対策をようやく冷静かつ理性的に講じられるようになってきた。

手前味噌ながら、ここ最近加速度的に、以前と比べて飛躍的に改善の効果が出てきている。まだまだミスは相変わらず度々発生しており、完全な解決までは至ってはいない。だが、日々目に見えて改善の手応えを得られるようになってきており、このまま進んでゆけば、発達障害的な特性を相当なまでに克服できると強く確信している。それこそ、小生がWing Brainに参加させていただき活動を始めた当初に、おこがましくも発達障害の世界に革命を起こすと宣言したが、その宣言が現実のものになりつつあると言っても過言ではない。その革命の実現も兼ね、本記事を今後精力的に記述してゆくことにする。



そもそも、うっかりミスや物忘れはどのような原因により起こるのであろうか。長年自分なりに突き詰めて考えた結論は、
  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと
の2つのいずれか、または両方が重なっていること、である。

裏返せば、この2つの原因を取り除ければ、うっかりミスや物忘れは理屈として起こり得ないことになる。この理屈は、それこそ今から5〜10年も前に自分なりに結論付けていたのだが、なかなか実践として結果を出せずに来てしまった。最近になり、感情モニタリングの取組みの試行錯誤の副次的効果として、これら2つの対策にもなることを見出し、実践して大きな効果を得られることを順次確認している。そこで、次回以降は、その経過と得られた結果について、重点的に述べてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(249)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より1日遅れて1/9(月祝)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も引き続き、発注段階まで進められた開発案件についてのやり取りが続けている。前回まとまった成果が得られる見込と述べた案件は順調に進み、間もなく最初の成果が得られる予定である。この案件がおかげさまで順調であるため、他の案件のうち1件について年末年始の時間を使って自力でかなり進めることができた。それ以外についても、同様に順次進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')については、この年末年始で全体の微調整をする予定であったが、上述(C)の次の案件に時間を結果的に割いてしまったため、手つかずとなってしまった。(D)〜(E')を完全に仕上げるには業者に発注した作業が完了する必要があるが、その業者が年度末で手一杯のため、一旦やむを得ず手を止めることにした。それまで、可能な範囲で微調整を少しずつ粛々と進め、できれば予定通り今年春先には(D)〜(E')を完成させたい。

(H)は、この年末年始も少しずつだが準備を進めている。上述(C)を優先したため、前回新たに動き出す2件については少し遅れることとなったが、結果的に、その(C)の優先により、この新たな2件も、これから動き出すにあたり、より強固な肉付けにはなった。今後も、特に(C)の進捗と連動して、万全の準備を進めたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		12/30〜1/1	1/2〜1/8
(C)		991	1166699
(D),(E')	111	1119116
(H)		111	1122222

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(250)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。

そこで、前回からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回は年末年始に当たったこともあり、発行日の2日後1/3(火)に仕上げられている。従来からの目標通り、次回以降こそできれば前号発行日の前夜(土曜夜)には仕上げられるようにしたい。



前回、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、
  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと
の2つのいずれか、または両方と述べた。この2つそれぞれについて、今回は自分なりの対処策を紹介したい。

まず、前者としては、地道だが、日常あらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していくことである。とはいえ、ついつい意識がすぐ飛んでしまい、なかなか日常のあらゆる言動を意識化するのは意外と容易ではないが、それでも後述する後者の対策も併せれば、徐々にだが日常のほぼ全ての言動を意識化できるようになる。

その上で、その意識化できた一つ一つの細かい手順の中から、特にミスや物忘れにつながりやすい要注意箇所を抽出する。これも、急に抽出しろと言われても意外とパッと出てこないものだが、地道に手順の意識化を行っていれば、徐々にだが少しずつできるようになってくる。そうして要注意箇所を意識できるようになると、その場面になった際に警戒心が働くため、ミスしづらくなるのである。


● うっかりミス等の撲滅(251)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より1日早い1/21(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も引き続き、発注済の開発案件についてのやり取りが続けている。前回まとまった成果が得られる見込と述べた案件は順調に進んではいるが、いくつか修正点が判明したため、まだ最初の成果得るまでには至っていない。来月頃には得られるよう鋭意進めてゆきたい。さらに、前回自力で年末年始に進めたもう1件について、発注まで進むことができた。こちらも発注を済ませて鋭意進めてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')については、前回から引き続き一旦手を止めており、上述(C)に特に時間を割いている。(C)のまとまった成果が得られた後くらいから、具体的には来月頃から(D)と(E')も再開し、春先頃には完成させたい。

(H)は、この2週間は一旦手を止めており、上述(C)にほぼ専ら時間を割いている。前回述べた通り、(C)の肉付けをより強固にすることで、この(H)もさらに強固なものになると見込まれるため、しばらく(H)も手を止め、来月頃までは(C)に特化してゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		1/9〜1/15	1/16〜1/22
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(252)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。

そこで、今年年始の前々号からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と遅くなったことから、今回は前号発行日の1日前1/14(土)に仕上げられている。今回やっと久しぶりに目標を達成できた。次回以降もこれを堅持してゆきたい。



前々回、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、
  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと
の2つのいずれか、または両方と述べた。前回はこの2つのうち前者について、自分なりの対処策を紹介した。今回もその続きを述べる。

日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していくわけだが、実際にやってみると、手順一つ一つを具体的にどこまで細かく分解すべきかという、意外と無視できない思わぬ問題に直面する。

あまりに細かい手順にばかり目が行ってしまうと、それこそ木を見て森を見ずといった状態に陥り、全体的の大まかな動作手順の流れを見失い、正しい動作を完遂できなくなる。かと言って、大まかな流ればかりに目を向けていると、今度は逆に細かい動作の過程で抜けや誤りが生じてしまい、結局ミスにつながる。

この取組みの初期の段階では、どうしてもそういった問題に直面してしまうが、長く根気よく、何より「適切な方法」でこの取組みを続けていると、徐々にだがそのどちらにも適切に対応できるようになってくる。

その「適切な方法」とは、あくまで当方が試行錯誤の上で見出したものだが、一つ一つの細かい動作を一塊の抽象的な概念・知識として体系化し、さらにそれらの抽象的な概念・知識を束ねてより抽象的な概念・知識として体系化する。要するに、動作手順を概念・知識として階層構造、入れ子構造になるように頭の中を整理するのである。これは人間の脳の構造、記憶のメカニズムの面で理に叶った方法と考えている。


● うっかりミス等の撲滅(253)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より1日早い2/4(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から引き続き、発注済の開発案件についてのやり取りが続いてきたが、ようやく修正点の協議も一段落し、何とか今月中にはまとまった成果が得られる見込となった。自力で年末年始に進めたもう1件についても、今回までに発注を完全に済ませ、さらにその次の依頼も素案をまとめることができた。来月までには、その次の発注も鋭意進めたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')については、今回も引き続き手を止めているが、上述のように(C)が一段落してきたことから、前回述べた通りに今月後半頃からは再度(D)と(E')も再開できる見通しとなった。前回述べたように、春先頃には完成させたい。

(H)は、この2週間も手を止めているが、これも上述の通り(C)が今回大幅に進んだため、(D)・(E')以上に(H)の再開がぐっと近づいた。ただ、もう少し入念に(C)の細部の仕上げに力を注ぎ、春先以降に(H)も再開したい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		1/9〜1/15	1/16〜1/22
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(254)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。

そこで、今年年始の前々号からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と遅くなったことから、今回は前号発行日1/29(日)に仕上げられている。次はまた、前号発行日の前日土曜には仕上げられるようにしたい。



前々回、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、
  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと
の2つのいずれか、または両方と述べた。前回はこの2つのうち前者について、自分なりの対処策を紹介した。

前々回、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、前回は細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法を紹介した。今回も、この「適切な方法」の続きを述べる。



一日の中で、直近またはその日の夜までに行うべき手順を、朝段階で(朝が無理ならばできるだけ早い時間帯に)シミュレーションするようにする。

その際、抽象的な概念で予め体系化した一連の手順のうち、できるだけ大枠から確認するように癖を付けるのである。大枠とは、例えば、夜〇〇さんにメールを送信する、書類を1通送付する、といった一塊のタスクである。

その上で、過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする。さらに、それらの手順を実行した後、できるだけ直後の段階で、今実際にやった手順で合っていたかをいちいち確認するようにするのである。

これらの手順は、少なくとも最初のうちは、なかなか一日の中で100%完全に実行できるものではないだろうが、根気よく続けていると、段々と正しく実行できる割合が徐々に向上するようになる。


● うっかりミス等の撲滅(255)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は定例仕上げ日より1日早い2/18(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回まで続いてきた発注済の開発案件について、細部までやり取りが完全に終了した。自力で年末年始に進めたもう1件についても発注が済み、2件ともまとまった成果を待つのみとなった。その余力を活かし、さらにその次の依頼について、前回の素案から更に深度化して詳細までまとめることができた。予定通り、来月までには、その次の発注も終えたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')については、今回も引き続き手を止めている。(C)が一段落してはきたが、(D)〜(E')の関連外注が遅れていることを踏まえ、前回から少し計画を見直し、(D)と(E')の再開はもう少し先延ばしして、上述(C)をより一層強固にするとともに、それに関連して後述(H)を当面優先したい。

(H)は、引き続きこの2週間も手を止めているが、(C)の順調な進捗を踏まえ、来月に入ってから(H)を再開することとした。次回には少し進展する予定である。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		2/6〜2/12	2/13〜2/19
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(256)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。

そこで、今年年始の前々号からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と遅くなったことから、今回は前号発行日の前日2/11(土祝)に仕上げられている。次回以降もこのペースを堅持してゆきたい。



542号記事にて、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、

  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと

の2つのいずれか、または両方と述べた。併せて、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、前々回からは、細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法を紹介し、実践している。今回も、この続きを述べる。



前回述べた一連の方法のうち、今回は特に「過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする」という点について重点的に述べる。

最近の日々の生活の上で特に忘れやすいタスクと言えば、夜就寝前にストーブに灯油を補充することなどが挙げられる。忘れやすいと意識していれば、かなりの確率で忘れずに実行できるのだが、その際に2つの問題があると考えている。

即ち、忘れやすいと意識すること自体をそもそも忘れている、抜けている状態になってしまうこと、ならびに、灯油の補充なら灯油の補充と意識することで、他の忘れやすいタスクのことが抜けてしまう、または普段なら忘れないような他のタスクが逆に抜けてしまうことの2つである。

前者については、とにかく日々訓練を重ねて、限りなく常時、あるいは特に抜けやすい場所や時間帯などに限定してでも、忘れやすいと確実に意識し続けるようにすることである。ただ根性論的に忘れないように意識するんだ!と歯を食いしばっても意味はなく、日々どのくらいの時間、頻度で、どのような訓練カリキュラムによって、忘れないように自分の意識の持ちようを変えてゆくかという、データに基づいた訓練が必須と考えている。そのためのデータ採りを今後積極的に行ってゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(257)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は仕事に追われ定例仕上げ日より2日遅れて3/7(火)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回まとまった成果を待つとした2件について、2件目の追加のやり取りが発生したため、それを進めつつ、次の依頼の発注準備を着実に進めている。可能ならば、予定通り今月中にはその準備している発注も終えたいが、追加やり取りのペースからして、4月にずれ込む見込となった。余裕を見て、5月の連休までには終え、連休中は後述(D)〜(E')と(H)に時間を割けるようにしたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')、(H)については、今回も引き続き手を止めている。前回述べた通り、(H)は今月から少しずつ再開してゆく予定である。上述(C)での追加やり取りはあるものの、(H)を進める上で少なくとも当面は(C)の遅れはそれほど影響しないため、ここは計画通りに着実に進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		2/20〜2/27	2/28〜3/5
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(258)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。

そこで、今年年始の前々号からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回・前々回と遅くなったことから、今回は前号発行日の前日2/25(土)に仕上げられている。次回以降もこのペースを堅持してゆきたい。



542号記事にて、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、

  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと

の2つのいずれか、または両方と述べた。併せて、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法、ならびに過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする方法を紹介し、実践している。今回も、この続きを述べる。



前回、忘れやすいと意識すること自体をそもそも忘れてしまうことの対策として、とにかく日々訓練を重ねて、限りなく常時、あるいは特に抜けやすい場所や時間帯などに限定してでも、忘れやすいと確実に意識し続けるようにすることを挙げた。それを踏まえてこの2週間を過ごしてきたが、特にここ最近はアイデアを練ること、考察を進めることに時間と労力を割いているため、上述の取組みが抜けやすい状況になっている。とはいえ、アイデアを練る、考察を進めるのを止めるわけにもいかないため、それらを上手く両立させる方法を模索している。

一つ思い付いたのは、アイデアを練る、考察を進める際に、時間や場所を細かく区切り、この先15分間××について考える、あるいは歩いて〜〜に着くまでに△△のアイデアを練り続けるといったようにすることである。あまりに細切れ過ぎても、かえってアイデアを練る、考察を進めるのがやりづらくなってしまうが、適度に時間と労力を集中的に使えるならば、時間にメリハリをつけ、集中力を高める意味でも一石二鳥ではないかと考えている。その上で、予め決めた時間・場所に達したら頭をスパッと切り替え、忘れやすいと意識することに頭を使うようにするのである。

早速、この先2週間、この方法を重点的に実践し、方法の妥当性について自己検証してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(259)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は再度余裕ができたため、定例仕上げ日の前日3/18(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回まとまった成果を待つとした2件について、前回の追加のやり取りが完了し、まだ細部に若干の修正が必要ではあるが、おかげさまで期待通りの成果がほぼ得られた。それを踏まえ、早速次の依頼の発注を来週から開始したい。発注完了は前回の通り4月にずれ込む予定であるが、今のペースであれば、5月の連休までには2件とも成果が得られる見込であり、連休中は後述(D)〜(E')と(H)に時間を割けられる予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」ならびに(E')、(H)については、今回も引き続き手を止めている。上述の通り、(C)でまとまった成果が概ね得られたため、計画通りに着実に(H)も今月末から少しずつ再開したい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		2/20〜2/27	2/28〜3/5
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1111111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(260)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。



そこで、今年年始からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も前回に続き、前号発行日の前日3/11(土)に仕上げられている。次回以降もこのペースを堅持してゆきたい。



542号記事にて、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、

  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと

の2つのいずれか、または両方と述べた。併せて、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法、ならびに過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする方法を紹介し、実践している。



前回、アイデアを練ったり考察を進めることに時間労力を割いていると、うっかりミスや物忘れ対策が疎かになりやすいため、両立させるための対策として、時間や場所を細かく区切り、予め決めた時間・場所に達したら、うっかりミスや物忘れ対策に頭をスパッと切り替えるという方法を挙げた。今回もその続きを述べる。

この2週間、その方法を少しずつ実践している。まだまだ完璧とは言えないが、時間と場所を区切ることで、前回述べたように集中力を高める効果があることは実感できている。時間を意識せずに考えていると、意外とグルグル同じことを想起し直したり、途中で他のことに意識が飛んでしまい、思考の効率が落ちることに改めて気付かされた。前回述べたように、あまりに細かく区切り過ぎるとかえって効率は落ちるものの、10〜15分間程度ならば、程々に長すぎず短すぎず、丁度良いように感じている。この先しばらく、もう少し時間区切りを細かく変えて、試行錯誤してゆきたい。

その上で、予め決めた時間・場所に達した際、うっかりミスや物忘れ対策に頭を切り替えるのにも、予め事細かく決めたフローチャート的な手順でチェックを一つ一つ進めてゆくのが確実ではないかと考えるに至った。よって、この先はしばらく、時間区切りの微調整とともに、この頭を切り替える際の手順のあり方についても入念に細かく考えてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(261)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は再度余裕ができたため、定例仕上げ日の前日4/1(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回まとまった成果を待つとした2件について、前回述べた若干の細部の修正も完了し、年度末の区切りの良いタイミングで成果が得られた。前回述べた次の依頼の発注を今現在進めており、新年度となった今月以降の予定も少しずつ固めつつある。最速で来週には次の発注を済ませる予定であり、あくまで最速でだが、前回述べたように5月の連休までには2件とも成果が得られる見込である。加えて、新たに以前から漠然とした構想に留まっていた別の案件も、新たに追加発注することにした。その発注をできれば今月中、連休前には行っておきたい。その上で、何とか、今年の5月連休中は、前回述べたように、後述(D)〜(E')と(H)に時間を割きたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」と(E')については、今回も引き続き手を止めているが、(H)については新年度に入るタイミングもあり、上述(C)の進捗を踏まえ、予告通り新たに1件進めることができた。(C)とともに着実に予定通り進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		3/20〜3/26	3/27〜4/2
(C)		6666444	4444666
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1113311

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(262)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。



そこで、今年年始からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回は前回より一日遅れたものの、前号発行日3/26(日)に仕上げられている。次回以降はまた前回までと同様に前号発行日前日の土曜日に仕上げられるようにしたい。



542号記事にて、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、

  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと

の2つのいずれか、または両方と述べた。併せて、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法、ならびに過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする方法を紹介し、実践している。

前回、アイデアを練ったり考察を進めることに時間労力を割いていると、うっかりミスや物忘れ対策が疎かになりやすいため、両立させるための対策として、時間や場所を細かく区切り、予め決めた時間・場所に達したら、うっかりミスや物忘れ対策に頭をスパッと切り替えるという方法を挙げた。今回もその続きを述べる。



今回も上述の取組みを続けているが、やはりまだスパッと頭を切り替えるところが上手く出来ていないと感じている。

試行錯誤の結果、頭を切り替えるには、以前にも述べた、スマホのタイマーを15〜20秒などの極めて短い時間でかけ、アラームが鳴ったら感情モニタリングのセルフチェックとともに、今自分が何をしているか、直前に何の言動をしたかを繰返しチェックするのが有効と分かった。より具体的に言うと、15〜20秒のアラーム鳴動によるチェックを30分〜1時間程度ひたすら繰返し行ったところ、頭の中で意識のループができ、まだすぐに切り替えられるようにこそなっていないが、比較的安定してチェックできるようになった。

どうも、極めて短時間のチェックを何度も何度も繰返すことが鍵のようで、その鍵をベースに、さらにより良い方法を試行錯誤して確立してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(263)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は再度余裕ができたため、定例仕上げ日の前日4/15(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回次週に済ませるとした次の発注、ならびに以前から漠然とした構想に留まっていた別の案件の追加発注について、いずれも予定通り順調に発注まで進んだ。まだ細部のやり取り修正などが今後追って発生する可能性は高いものの、大型連休の前後にはある程度まとまった成果が得られる見込となった。同時に、最初の1件について、前回得られた成果をさらに改良し、より完璧な成果が得られた。年度が改まったタイミングで、我ながら上々の滑り出しと言える。この良い流れを永続してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」と(E')については、今回も引き続きまだ手を止めている。前回1件進められた(H)について、さらに次の段階まで進むことができた。引き続き、着実に予定通り進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		4/3〜4/9	4/10〜4/16
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1113111

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(264)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。まだ不安定な面はあるが、それは意識が飛んでモニタリングが適切に行えなくなるためであり、モニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになった。



そこで、今年年始からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践に関する論述を行っている。今回もそれを続けたい。

なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回は特に仕事が年度初で立て込み、結果的に前号発行日の4日後4/13(木)に仕上げられている。次回以降はまた前回までと同様に前号発行日前日の土曜日に仕上げられるようにしたい。



542号記事にて、うっかりミスや物忘れがそもそも起こる原因として、

  ・条件反射的、無意識的な言動をしてしまうこと
  ・意識が途中途中であちこちに飛んでしまい、
   注意が適切な対象に向かず、記憶が定着できないこと

の2つのいずれか、または両方と述べた。併せて、前者の対処策として、日常のあらゆる言動について、細かく動作手順として分解し、その細かい手順一つ一つを意識していく方法を紹介した。その上で、細かい手順に目が行き過ぎて逆効果にならないよう、「適切な方法」、即ち、一つ一つの細かい動作を抽象的な概念を用いて頭の中で体系化していく方法、ならびに過去の自分自身の経験に基づいて、特にミスしやすい、忘れやすい箇所の細かい手順を意識的に思い出して、そこを順に頭の中で注意を向けるようにする方法を紹介し、実践している。

アイデアを練ったり考察を進めることに時間労力を割いていると、うっかりミスや物忘れ対策が疎かになりやすいため、両立させるための対策として、前々回から、時間や場所を細かく区切り、予め決めた時間・場所に達したら、うっかりミスや物忘れ対策に頭をスパッと切り替える取組みを始めている。今回もその続きを述べる。



前回、スマホのタイマーを15〜20秒などの極めて短い時間でかけ、アラームが鳴ったら感情モニタリングのセルフチェックとともに、今自分が何をしているか、直前に何の言動をしたかを繰返しチェックする取組みを再開した。今回も少しずつそれを続けているが、ここ1週間ほどで見ると、いちいちタイマーをかけずとも、自然と頭の中に意識のループができ、上述の2つのチェックが自然と比較的高頻度にできるようになってきた。

さらに、今回から、またアイデアを色々と考える取組みも再開しているが、アイデアを考えつつ、途中途中で2つのチェックもそれなりに出来ていると感じている。少しずつだが着実に成果が出始めており、今後この一連の取組みを持続向上させていく上で、非常に大きな励みになる。是非、より一層力を入れてゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(265)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回は業務が年度初と連休前に立て込み遅れたが、定例仕上げ日の3日後5/3(水祝)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回から集中的に時間と労力を最優先で割いており、そのおかげもあり、前回の発注まで進んだ件につき、細部のやり取り修正までかなり進んだ。そのため、この2件目も、1件目と同様に、連休明けの5月中にはまとまった成果が得られる見込となった。前回から引き続き、非常に順調過ぎるくらいに順調であり、この良い流れを永続してゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」と(E')については、今回も引き続きまだ手を止めているが、上述(C)の大幅な進捗により、前回進められた(H)については、もう1件も順調に進めることができた。(C)でまとまった成果を手にする段階までカウントダウンとなってきたこともあり、今後は(C)と(H)は事実上は一体連動したものとなる。引き続き、着実に予定通り進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		4/17〜4/23	4/24〜4/30
(C)		9999999	9999999
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1111111	1139333

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。



● うっかりミス等の撲滅(266)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。そこで、今年年始からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践を行ってきた。

感情モニタリングに関して、意識が飛ばずにきちんとモニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになってはいるのだが、まだ意識が飛ぶこと等を主因として不安定な面はあるにはあった。折しも、この連休前に些細なことを起因として精神的なバランスを崩すことがあった。この際、それまでのやり方通りにモニタリングは出来てはいたはずだが、不快な感情がなかなか元に戻らず、ごく一時的にだが精神的に取り乱す場面もあった。

そこで、今回は今一度、感情モニタリングの基本に立ち返り、やり方が細部まで一つ一つ適切に行えているか、何か足りないことがないかを集中的に検証して対策を考え、実行することにした。今回はそれについて述べる。



なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げているが、今回も前回に続き、特に仕事が年度初と連休前とで立て込み、結果的に前号発行日の10日後5/3(水祝)に仕上げられている。今回は連休まで時間が取れなかったこと、連休の時間を集中的に使うつもりであったことから、先延ばしではなくやむを得ない状況と考えている。次回以降は、連休も終わることから、また前々回までと同様に前号発行日前日の土曜日に仕上げられるようにしたい。



前々回、スマホのタイマーを15〜20秒などの極めて短い時間でかけ、アラームが鳴ったら感情モニタリングのセルフチェックとともに、今自分が何をしているか、直前に何の言動をしたかを繰返しチェックする取組みを再開した。前回も今回も、改めてスマホのタイマーを稼働させることはあったが、前回述べたように、いちいちタイマーをかけずとも、自然と頭の中に意識のループができており、上述の2つのチェックが自然と比較的高頻度にできてきている。

即ち、チェックの頻度としては決して低くないが、それでも感情面で不安定になるとすれば、チェックの際のやり方等に起因すると考えた。分析と検証してみた結果、以下の点に課題があると再認識するに至った。:

  ・感情の1次チェック、2次チェックとも、比較的効果的なスクリプトを心の中でつぶやくようにしているが、それでもスクリプトを唱えることに満足して意識が他に飛び、チェックが適切に行えていないことがある。

  ・1次チェックを行い不快な感情を検知した際、その不快感情に飲み込まれないよう、不快感情を俯瞰的、遠巻きに眺めるように観察するようにした上で、チェック後瞬時に2次チェックに移行する必要があるが、それらが適切に行えずに、不快感情に半ば飲み込まれていることがある。

  ・不快な感情が検知された際は特に、瞬時に2次チェックに移行した上で、5〜9回程度は繰返しチェックを行う必要があるが、繰返しそこまでの回数を行えていないことがある。

他にもまだいくつか挙げられるが、ボリュームがあるため、続きは次回に回すことにする。


● うっかりミス等の撲滅(267)

本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、今回も業務が連休前に溜まった仕事が結局終わらず、連休後も立て込み遅れたが、定例仕上げ日の3日後5/17(水)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、今回も集中的に時間と労力を最優先で割いた。おかげで、2件目も発注のやり取りが細部まで完了し、1件目と同様に、今月5月中にはまとまった成果が得られる見込となった。連休の時間も費やして前回から引き続き、非常に順調過ぎるくらいに順調であり、このまま2件ともミッションとして完全コンプリートするまで良い流れを続けてゆきたい。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」と(E')については、今回も引き続きまだ手を止めている。前回に続き、上述(C)の進捗により、(H)も2件分順調に進んでいる。(C)で2件目までまとまった成果を手にする段階までカウントダウンとなってきたこともあり、連動して(H)もこの先順調に進んでいく予定である。引き続き、着実に予定通り進めてゆきたい。



最後に、それぞれのタスクに費やした毎日の所要時間を今回も表形式で記す。

		5/1〜5/7	5/8〜5/15
(C)		9999999	9999333
(D),(E')	1111111	1111111
(H)		1933339	6666333

ここで、「0」はその日に費やした時間の合計が10分未満の場合、「6」は60〜70分程度の場合という意味である。今回は特に(C)〜(E')に毎日1時間ずつは平均して割くことができている。このペースを今後も堅持してゆきたい。


● うっかりミス等の撲滅(268)

これまで長きに渡り、感情モニタリングの手法に関する論述を続けてきた。おかげさまで、長年の試行錯誤が実を結び、同手法を適切に行うことで感情の安定化を図れるようになってきた。そこで、今年年始からは、引き続き感情モニタリングの仕上げもしつつ、次の段階として、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践を行ってきた。

感情モニタリングに関して、意識が飛ばずにきちんとモニタリング出来さえすればほぼ確実に安定化できるようになってはいるのだが、まだ意識が飛ぶこと等を主因として不安定な面はあるにはあった。折しも、この連休前に些細なことを起因として精神的なバランスを崩すことがあった。この際、それまでのやり方通りにモニタリングは出来てはいたはずだが、不快な感情がなかなか元に戻らず、ごく一時的にだが精神的に取り乱す場面もあった。

そこで、前回からは今一度、感情モニタリングの基本に立ち返り、やり方が細部まで一つ一つ適切に行えているか、何か足りないことがないかを集中的に検証して対策を考え、実行することにした。今回もその続きを述べる。



なお、引き続き、できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。前回はやむを得ない事情で遅くなったが、今回は前号発行日5/7(日)に仕上げられている。今後もこのペースを堅持したい。



548号記事にて、スマホのタイマーを15〜20秒などの極めて短い時間でかけ、アラームが鳴ったら感情モニタリングのセルフチェックとともに、今自分が何をしているか、直前に何の言動をしたかを繰返しチェックする取組みを再開したと述べた。今回も、いちいちスマホのタイマーをかけずとも、自然と頭の中に意識のループができており、上述の2つのチェックが自然と比較的高頻度にできている。

前回、それでも感情面で不安定になることがあったため、チェックの際のやり方等に起因すると考え、分析と検証を行っている。前回まず3つの課題を挙げたが、この数日間で見れば、意識していることもあり、これらの課題は対策が打てている。即ち、感情モニタリングの1次チェック、2次チェックも一度にまとまった回数を実行できている。ただ、まだ確実性には欠けると思っており、さらに訓練を積み、より高頻度かつ確実に行えるようにしてゆきたい。

その上で、前回挙げた3点に続き、さらに考えられる課題を挙げる。:

  ・感情の1次チェックを行った際、快適な気分であればそれを一定時間味わうようにし、逆に不快な感情の場合はスパッと瞬時に2次チェックに移行するというように、1次チェックの結果により真逆の対応ができるべきだが、それが確実に行えていないことが多い。

  ・感情の1次チェック、2次チェックの際に、できればトランスに入った上で、特定イメージ画像・映像を頭の中で想起することが望ましいが、まだ全てを同時かつ確実に出来ていないことが多い。

  ・不快感情が続いている場合、1次チェック・2次チェックを行っても不快感情のぶり返しが起こりやすいため、トランスに入った上で、不快な気分の自分に寄り添い、「気分が不快になるのは仕方ない。でも、快適な気分が続くと良いんだよなぁ」などと自己暗示のスクリプトを繰返し唱えることが望ましいが、その実行頻度はまだ決して高くなく、1次〜2次チェックを行うことで頭が一杯になっていることが多い。

ひとまず挙げられる課題は以上6点にほぼ尽きると考えている。これら6点を日々高頻度かつ確実に実行できるよう、さらに訓練を積んでゆきたい。



今回はここまで。次の552号の記事(270)でも上述の話を続けたい。

by なさ





















● 今年の振返りと来年の目標など
今回も、昨年末と同様に、定例のシリーズ記事「うっかりミス等の撲滅」に代わり、今年2020年の反省と来年2021年の目標について述べたい。なお、本記事は、前記事「うっかりミス等の撲滅(151)」と同じく、本号発行日の1週間前である12/13(日)に仕上げている。今年始の同じ記事において、昨年12月は仕事に追われ時間が全く取れなかったが、2020年以降は業者外注化している様々な取組みが進展し、日々ある程度の時間余裕ができることが見込まれると述べた。それは見込み通りとなったが、その分本記事ももう少し早めに仕上げられなかったかなとの反省もある。そこは来年に前向きに活かしたい。



今年始の466号記事において、今年2020年の目標として以下の2点を掲げた。:

(1)時間配分のさらなる細分化、効率化
(2)感情のコントロール能力の完璧化

この2点は、そのさらに1年前の440号記事において挙げた以下の2点をさらに進めたものであった。

(1)時間配分の細分化
(2)感情(特に怒り・イライラ)のコントロール能力の向上

この2つとも、(前年もそう述べたと思うが、)手前味噌ながら、この1年を振り返ると、前年と比べれば少なからぬ進歩があったと実感している。



前者(1)の場合、前年の段階では仕事の業務量が大幅に増え、時間を効率的に使ってこなさないと物理的に回らなくなってしまったという切迫した事情があったが、今年は上述の通り外注化が進み時間余裕ができ、その意味で浪費できる時間も増えたはずであるが、時間の効率化は逆にさらに進めることができた。

その進歩を生み出せた要因としては、一つには、何か一つ一つのタスクをこなしながらも、次のタスクは何を進めるべきか、それにどのくらいの時間が見込まれるかを予測しながら進められるようになってきたことが要因として大きいように考えている。それにより、タスクの間間で立ち止まって考える時間ロスがなくなったのである。

またもう一つの要因として、後述する(2)の進歩とも関係することだが、感情モニタリングのセルフチェックと特定イメージ画像の想起を何かしながら容易にできるようになってきたことも挙げられる。これも日々のトレーニングと方法論の試行錯誤の成果であると自負している。



後者(2)の場合、前年からさらに続けて、感情モニタリングに関する改良的方法を考案し、積極的に実践してきたことが大きく、前年からさらに感情コントロール能力は大幅に向上したと自負している。

(1)と同様に、その進歩を生み出せた要因としては、快適な、楽しい感情状態にできるだけなりやすい特定イメージ画像を想起する方法、およびその画像を想起しやすくするための自己暗示的な方法、さらには画像自体をより快適な、楽しい感情状態になりやすくするために加工編集できたことが挙げられる。



とはいえ、(前年と同様に、)敢えて自分に厳しく言うならば、まだまだ(1)については、少し時間に余裕がある場合には、まだまだついつい無駄な時間を過ごしてしまうことが多い上、(2)についても、つい瞬間的にカッとなったり、イライラいしてしまうことがまだまだある。

この2つのどちらも、完全に解決できていれば、これ以上触れることはないだろうが、残念ながらまだ完全解決には至っていないため、さらに来年2021年の引き続きの目標として掲げ続けたいと思う。

ただし、前向きに言うならば、いずれも、前年までと比べれば、その程度は軽くなってきていると自負している。新年からは、さらに新しい手法を採り入れることで、それら(1)(2)ともに100%完璧にしたいと考えている。その新しい手法とは、まだ個人的に学んだばかりであり、さらに深くセオリーを学び、実践と試行錯誤を重ねてゆく必要があることもあり、追って具体的には触れてゆきたいと思う。


今年の振返りと来年の目標など


早いもので今年2021年も年末となったため、昨年末と同様に、定例のシリーズ記事「うっかりミス等の撲滅」に代わり、今年2021年の反省と来年2022年の目標について述べたい。

なお、本記事は、前号516号発行日である12/05(日)に仕上げられている。一昨年、昨年と比べ、仕事の効率化、外注化を段階的に進めてきたため、この年末はおかげさまで昨年よりもさらに時間余裕を持てるようになった。それとも連動してか、今年は後述のように本メルマガ記事の執筆と提出が遅れることは殆ど無くなった。これは今年の大きな成果の一つでもある。来年はさらなる向上を目指したい。



昨年末の491号記事において、今年2021年の目標として、前年2020年年始の目標である以下の2点を引き続き掲げたが、この2点とも、昨年以上に今年は着実な進歩、手応えを実感した。:

(1)時間配分のさらなる細分化、効率化
(2)感情のコントロール能力の完璧化

前者(1)の場合、前年も述べたことだが、何か一つ一つのタスクをこなしながらも、次のタスクは何を進めるべきか、それにどのくらいの時間が見込まれるかを予測しながら進められる能力がさらに向上したことが大きい。前年以上に外注化の割合が増えたが、裏返せば、外注先にコンスタントに仕事を作らねばならず、自力でこなす割合が高い以前と比べて、スケジュール管理により一層の計画性、緊張感が必要になってきたことが、良い意味での追い風になったと考えている。

後者(2)の場合、既に今年の記事で重ねて述べてきたことだが、感情モニタリング法のセルフチェックについて、特に「『今の気分はどうだい?』と聞いている自分はどうだい?」と自問自答する、いわゆる二重モニタリングのスキルが向上したことが特に大きいと考えている。加えて言えば、それに、特定イメージ映像・画像を想起するステップを結び付けられるようにもなったことも挙げられる。



とはいえ、(これも前年と同様に、)敢えて自分に厳しく言うならば、(1)については、まだまだついつい無駄な時間を過ごしてしまうこともゼロではなく、(2)についても、つい瞬間的にカッとなったり、イライラいしてしまうことはゼロになっていない。この2つのどちらも、完全にゼロになっていない以上、完全に解決できたとは言えず、したがって、さらに来年2022年の引き続きの目標として掲げ続けたい。昨年の491号記事で述べた時点と異なり、ほぼ完成に近いレベルまで上がっては来たことから、新たな手法の開発や試行錯誤は必要性は低くなったと考えており、今の手法を繰返しトレーニングして、より完璧なものに仕上げたい。



今回はここまで。次号518号からは、前号までに引き続き、これまでのシリーズ記事の続きを執筆してゆきたい。

by なさ



● 今年一年を振り返って

今回は久しぶりに年末年始ということもあり、今年1年の振返りと新年以降の抱負を述べたい。なお、この記事は前号発行日12/4(日)に仕上げられている。欲を言えば発行日の前日12/3(土)に仕上げたかったが、今回も一日遅れてしまった。新年の節目でもあるので、次回以降は恒常的に前日土曜日に仕上げられるようにしてゆきたい。



今年1年を振返ると、前年まで以上に個人的に大きな収穫があったと言える。特に、シリーズ記事でもずっと執筆してきたが、感情モニタリング法のセルフチェックをかなりマスターでき、概ね精神的な安定化が図られたことが何より一番大きかったと言える。

このセルフチェックは、かなり前から精力的に習得に時間労力を割いて試行錯誤してきたが、自分自身の要領と飲み込みが悪い面もあり、一進一退の状態が続き、長い目で見て本当に少しずつ進歩が続いていた。たまたま今年の暮れ近くになり、それらの取組みが積み重なって、組み合わさって、やっと花咲いたと言える結果になった。長年に渡って取り組んできたことが帰結、完成したのは、個人的には本当に感無量であり、何より喜ばしく、今年の残りの期間はこの喜ばしい思いの余韻にずっと浸っていたいと思う程である。

とはいえ、まだ次の目標である、うっかりミス、物忘れの撲滅という大きな課題が残っている(そもそも、普段のシリーズ記事も「うっかりミス等の撲滅」としているわけで)。よって、余韻に浸っている暇はなく、早速次の課題の克服に向けて精力的に動き始めている。まだまだ十分な結果が出るには程遠い状態ではあるかもしれないが、自分なりに考察と実践を着実に進められており、来年以降、いや今年残りの期間でも、可能なところは成果を着実に出してゆけるのではないかと考えている。

そこで、新年以降は、感情モニタリング法のセルフチェックに重点を置いた記事の執筆を一段落させ、新たに、記事のタイトルそのままの、うっかりミス等の撲滅のための考察と実践結果を重点的に記述してゆきたい。

今回はここまで。次回の新年1月以降は、今述べた内容を重点的に記事化してゆきたい。

by なさ
























トップへ