Wing Brain メールマガジン 第402号
2017/07/23(日)発行



目次
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● 整理整頓の習慣づけ ロクスケ
● 先延ばしについて考える(90) なさ
● 癖付けに関する経過報告(41) なさ
● 連載 第368回 健康で生活するために 洗濯はこまめに ロクスケ
○ 編集後記




● 整理整頓の習慣づけ
私自身、掃除は苦手だが嫌いではない。特に、部屋や目に付く机の上などが散らかっていると落ち着かないので、気になるたびに整理をしている。が、ご多分に漏れず単に散らかっているものを見えないところにつっこんで後からどこにあるかわからなくなったり、掃除や整理の途中で興味のあるものに引っかかって中途半端になったりする。

これについては昔に比べればかなり改善したと思っているが、知らない間に(知らないわけはない、自分でやったのだから)使っていない部屋にがらくたが大量に詰め込まれていたり物置が満杯になって足の踏み入れ場所さえなくなったりしていることは未だにある。

それを解決する最も有効な方法は、要らないものを捨てることなのだが、それが簡単にできれば苦労はない。よく、断捨離という言葉を聞く。要らないものを徹底して捨てれば身辺はきわめて整理整頓され、思考も整頓されるということだ。が、おそらくそれは私にはできない。

たとえば、本が何百冊かあるが、今はそれを読むことはほとんどないし、また電子読書端末に数百冊分の本を入れておけば、本を持ち歩くことも要らなくなるが、それでも本を捨てる気にはならない。ただの物体ではないとの意識があるからだろう。

人によってはそれが服だったりレコードだったりするわけだが、相も変わらず私の所有物は増え続けている。たとえば、昔から筆記具が好きで、万年筆やボールペン、シャープペンから鉛筆まで何の考えもなく目に付いたものを買ってしまう。おかげで筆記具が引き出しにあふれ、何百本あるか知らないし、それを生涯かけて使うことなどあり得ない。が、捨てられない。

衣服などは本当に何のためらいもなく捨てるのだが、筆記具、本類、工具、工作材料などはたまる一方だ。これを無理をして捨ててしまったりすると、何年もうじうじと悩むことになる。かつて真空管を数百本捨てたことがあるが、未だに思い出すと胸が痛い。今真空管はプレミアムがついて、おそらく今買えば100万では利かないだろう。かつて、本をおそらく何度にも分けて1000冊以上処分した。しかし、その喪失感が身にしみて、今では本も捨てたり処分することはほとんどなくなった。とはいえ、今本を新しく買うことは滅多にない。図書館で借りたり、ネットでダウンロードすることが結構増えたし、明らかに本を読む量が減ったように思う。

話が掃除から別の方向へ行ってしまったが、掃除とはよく考えてやらなくてはならないということだ。

by ロクスケ




● 先延ばしについて考える(90)
引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



前回、これまで興味関心を抱かなかった対象について、何らかの方法で満足感・快感を得られるようになれば、興味関心を持てるようになり、ひいては観察力の偏りの是正にもつながるのではないかと述べた。今回は、さらにこれに加え、別の方法ででも興味関心の是正ができる可能性について言及したい。

別記事テーマでもある感情モニタリング法、自己暗示等の根幹に関わる重要な原理でもあることだが、そもそも脳の仕組みとして、2つ(以上)の物事を同時に繰返し想起することで、それらに関わる付帯的な物事までも互いに連想記憶的に結び付けられるようになる。その結果、片方を想起することで、もう片方、およびそれに関わる付帯的な物事までも自然と連想されるようになる。

この原理は、例えば他にも、「辞書も何も他に要らない、ただ聞き流すだけで良い」という宣伝文句で有名な某英会話教材にも応用されているものである。上述の2つの物事が、この場合は片方が英文、もう片方が日本語の訳文に相当する。2つを同時に繰返し想起することで、片方の英文を聞いただけで、もう片方の日本語訳(訳文の文言というよりも文の表す意味自体)が自然と想起されるようになり、結果的に自然と英語を聞いただけで意味を理解できるようになるのである。

この原理を上手く応用すれば、興味関心、ひいては観察力の是正も原理的に可能ではないかと考えられる。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 癖付けに関する経過報告(41)
361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは07/08(土)だが、この2週間弱の間も、概ね精神的に安定していた。失敗して、これまでなら落ち込む、もしくは不快な思いをすることも度々あったが、不思議と安定していた。時折パルス波のように不快な精神状態が湧き上がることもあったが、比較的短時間のうちにセルフチェックのことを思い出し、自分の今の精神状態が不快な状態であるともう一人の自分が眺めることで、我に返ったようにその不快な感覚が鎮まることも多かった。

スマホでタイマーをかけることは、時折忘れることもあったが、比較的断続的だが継続はできていた。ただ、タイマーが鳴る度にセルフチェックを確実にはできておらず、他に気を取られていてできないことも多かったが、気付いた際には意識的に自分の今の精神状態をチェックするよう努めた。ただ、自覚として、まだ意識的に思い出すようにしていることが多く、できれば無意識的、条件反射的にセルフチェックができるようになると一番理想なのは言うまでもない。

上述の別記事にも述べたように、某英会話教材を繰り返し聞くことで、自然と英語を聞いただけで意味が頭の中に入ってくる状態にならないと、英語のリスニングをを上達したとは言えない。それと同様に、できればタイマーなど無くとも、短い間隔で自然と無意識的、条件反射的にできるようになるまで、繰返し訓練を積む必要がある。そこが本記事の目指すゴールであり、まだまだその途上にある。ゴールに辿り着くまで、本記事の執筆を続けたいと思う。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 連載 第368回 健康で生活するために 洗濯はこまめに
背広を着なくなってずいぶん経つ。昔仕事で背広を着ていた頃は、身だしなみはやはり仕事上気を遣わなくてはならず、よれよれや汚れた服装はしなかった。

今、背広は着ないが、それ以外のあまりまともな物も着ないようになっていて、一日中、一年中作業服を着ている。むろん、家にいるときや工作などをしているときと、外にでる時は替えているが作業服であることは変わりない。冬も夏も、アンダーシャツの上に作業シャツ、それだけだ。以前はそれなりにポロシャツやカーディガンなども着ていたが、それもやめた。

なにより、金がかからない。作業服は相対的にやすいし、結果として多数もって頻繁に洗濯ができる。最初は外にでるときに着て、洗濯しても汚れが消えなくなったら家の中で着て最後に作業場で工作するときに着る。いよいよ最後は、雑巾として役立ってくれる。

着る物はおしゃれのためにもあるのだから、あくまで私はそうしているというだけのことだが、これで別に困ったことはない。むろん、人様からみればまた別の見方や評価があるのだろうが、私の知ったことではない。

今の私にとって、洗濯が気楽に頻繁にできることが最重要なのであり、汚い格好でさえなければよかろうと割り切っている。

人生割り切らなければならないことはたくさんあり、食べ物にしても趣味にしても私なりに割り切って楽に生活できているならそれでよいと思っているし、そして実際にそれで困ったこともないと思っている。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 今年は全国的に冷夏のようで、さらに空梅雨気味であり、農作物への影響が懸念されているとか。たしかに、野菜などかなり高いような気がします。しかし、一方九州などでの豪雨災害など、ますます天候異常が拡大してきたのではないでしょうか。

■ また、日本列島の地下構造が活動期に入ったとのことで、日本全国で頻繁にかなりの規模の地震が報じられているようだし、火山活動も活発化しているような気がします。天候と言い地震や火山と言い、この日本に住んでいる以上さけられないのでしょうがもう少し落ち着いてほしい物です。(この項までロクスケ)

■ 7月に入り、関東では昨年と同様、空梅雨気味の天候が続いています。この編集後記を執筆しているのは前号発行日の7/9(日)ですが、7/8〜9とも関東では連日の猛暑日となり、特に昼間はとても冷房が無いと過ごせない暑さでした。一方で、3年前の広島の豪雨被害と同様、九州では未曽有の豪雨により甚大な被害が出てしまったようで、心が痛みます。

■ ここ最近、数十年に一度の豪雨といった言い方がニュース等でなされますが、それよりは「今までに経験したことのない大雨」といった言い方の方が的を得ているように思います。最近の異常気象に起因して立て続けに激しい豪雨が発生している現状を見ると、この先数十年はこのような豪雨は当たり前のように繰り返し起こると予想されるためです。(この項、なさ)



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