Wing Brain メールマガジン 第408号
2017/10/15(日)発行



目次
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● 工夫をする ロクスケ
● 先延ばしについて考える(96) なさ
● 癖付けに関する経過報告(47) なさ
● 連載 第374回 健康で生活するために 具体的な目標を持つ ロクスケ
○ 編集後記




● 工夫をする
仕事をするにつけても日常生活をしてゆくにしても工夫をしながらするのと、唯マニュアルに沿ってやるのとでは全く結果が違う。それは誰でも同じだろうと思っていたら、そうではない事を見聞きして驚いた事が多々ある。

仕事柄、熟練職人の仕事を何度も見て驚いた事が何度もあるが、例えば本当に古い旋盤を数十年も使い続けている職人が、感覚だけで1/100ミリの精度で鉄材を削るなどはその例ではないのか。むろん、感覚だけといっても当然測定用のノギスやダイヤルゲージなどの測定器は使うのだが、それらを使っても、また最新型の旋盤を使っても、職人が最後に勘で削る仕上げほどの精度が出ないと言うのだ。

実際に、最新型の機械で削った製品を最後に熟練職人が勘で仕上げて本当に正確な製品が出来ると何度も聞いた。通常の日常品ならそれほどの精度は求められないので、自動機械で連続して作るが、精密加工が必要な場合は人間がやるしかない。

カメラのレンズなどは日本の技術が世界トップクラスだが、その技術はやはり熟練職人が支えているのだとか。

この様な話は無数にあり、定盤という完全な平面を持つ板は、人間がキサゲという道具で手作業で削って仕上げる。機械削りは普及品というか、まあそれなりに精度が有れば良いという物にしか使えない。

と、此処まで書いたのは、熟練だけが有れば良いのなら機械の進歩など無かったはずだと言うことだ。熟練職人が作れる製品は極めて数が少なく、当然極めて高くなる。が、誰もが熟練職人と同じ技術を持てるわけではないから、機械で熟練職人に近づく仕事が出来るように機械を改良してきた。だから、今では特に必要がない限り機械で大量に作った製品が極めて安価に手に入る。

いま、精度だけを言うなら100均で買った時計で十分であり、同じ精度の時計を100年前に手に入れるとすれば家一軒の価格だったろうし、そして実際には今の100均時計に及ぶ精度は出ないだろう。

常に誰かが熟練職人に匹敵するやり方を工夫してきたからだ。

私は趣味として物作りをしていて、様々な金属や木材を切ったり貼ったりしている。が、趣味なので当然熟練など欠片もないし、そして使っている機械はアマチュア用の物であって、精度などおこがましくて口に出来ない物ばかりだし、自作の機械も使っている。

当然出来る作品は熟練工の作品は言うに及ばず、一般の機械で作った物にも遠く及ばないが、そこは工夫するしかない。その場その場で解決法を考え何とか工夫してやり遂げるのだが、それなりに結構満足出来る物が出来る。熟練がないから、機械が駄目だから、出来ないだろうと諦めていては工作など出来ない。作り上げても当然満足も出来ない。

結局、私が物作りに没頭するのは、工夫する事が楽しいからだ。出来ないと思っていた事が工夫したら出来たと言う喜びを感じたいからだろう。これは、テレビを観ているなどしていても絶対に得られない喜びだ。

課題が難しければ難しいほど工夫をする。そしてやり遂げる。仕事でも趣味でも日常生活でもそれがなければ味気ない事甚だしいと思うのだが。

by ロクスケ




● 先延ばしについて考える(96)
引き続き、前回までに引き続いて、2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について再考察を行います。今回も引き続いて、原因の6つ目、即ち

>6.シミュレーション力の欠如
>
>これは上の5.と切っても切れない面もあるが、敢えて区別した。
>
>普通ならば、物事の筋道を立てる場合、頭の中でシミュレーションをするのだろうと思う。そのシミュレーションが適切でない場合、あるいはそもそもシミュレーション自体をやらない場合、このまま行くとまずいという予見ができなくなり、何でも行動が場当たり的になり、失敗を招くという流れが考えられる。
>
>場当たり的な行動という意味では、上の2.も関係はしていると思う。すなわち、衝動、欲望を抑えきれず、発作的、場当たり的な行動をついしてしまうということである。今述べている6.はそれとは少し違うものである。
>
>これも、脳科学の面からの知識が今現在無いので、追々勉強してゆきたい。

について考えます。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察を行っている。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法について考察を進めている。



405号において、脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、いくつかの疑問点を挙げた。かつ、前々回からその疑問点の1つ目について、答えを探る方法を考えている。今回もそれを続けたい。

前回までに述べたように、自問自答するにも、「今の気分はどうだい?」と漠然とした質問よりも、「今落ち込んでないか?」とより具体的な形の方が効果的と言える。前回は実際にどのように効果的かを小生の実体験として述べた。今回は、これらの考察・実体験に基づいて、食欲などの欲求の程度をチェックする具体的な方法を以下で述べることにする。



小生の場合、ついつい間食やアルコールの接種が我ながら多いと自覚しているので、例えば以下のような疑問文で自問自答してみると良いのではないかと思う。:

・「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
・「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
・「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

これらの疑問文に対して帰ってくる答は単純に「はい」「いいえ」の2通りでも良いが、できることならば、食べたい・飲みたい程度を3〜5段階で表すようにできないかと考えている。例えば、5段階ならば、「全く食べたくない」、「あまり食べたくない」、「どちらでもない」、「少し食べたい」「とても食べたい」となる。

上述の3つの内容を、セルフチェックの際に、自分の精神状態のチェックとともにチェックし、答えを得てみたい。かつ、そのチェックの後、それらの食べたい、飲みたい意欲がどのように変化してゆくかも可能な範囲でトレースしてみたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 癖付けに関する経過報告(47)
361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは10/01(日)だが、この2週間はかなり安定していた。前回述べたような風邪気味、鼻詰まりの症状が治まり、眠りの浅さが改善したことも少なからず大きいように思う。その上で、前回までに述べた課題の克服について続きを報告したい。

前回述べたように、チェック項目を完全暗記するようにして、確かにかなりチェックの質は向上した。その点は前回も述べたように我ながら非常に大きな進歩ではある。

加えて言えば、チェック項目はかなりの数になるため、意識が飛びやすい小生の気質からして、最後までチェックが行かずに途中で他に意識が飛んでしまうこともある。その際、少し気を付けながら、途中のどこまでチェックができたかをいちいち記憶していれば、意識がまたチェックに戻った際に、その途中箇所から再開することもできる。

ただ、特にここ1週間ばかり、暗記はしっかりできてはいるものの、そもそもチェックそのものの頻度が落ちてしまったように思う。それに起因して、そのチェック項目の一つに入っていた重要な内容をうっかり忘れかけてミスしかけるという出来事があった(いわゆるヒヤリハット)。

総じて考えれば、チェック項目の暗記化によりチェックの確実性は上がってはきたものの、全部がごぼっと抜けるオールオアナッシング状態が起きやすいと考えられる。そこで、ナッシング(ごぼっと抜ける)状態が起きないような追加の対策を続けて考えてゆきたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 連載 第374回 健康で生活するために 具体的な目標を持つ
誰にも言える事だが、目的無しに何かをやっても長続きしないし、単に時間の無駄でしかない。むろん、遊びなら時間つぶしと言う事もあるのだろうが、生活全てが時間つぶしではない。

学校で学ぶなら、良い成績を取る、良い学校に進学する、希望の職業に就く、知識を深めるなどなどの目標があるはずで、もしそれがなければ到底勉強に身が入らず、長続きせず、早晩授業について行けなくなり学校がつまらなくなり、そしてドロップアウト。

仕事でも、嫌々時間だけ過ごしている社員など何処の会社も置いておきたくはないだろうし、仕事のプロフェッショナルになり、任される責任の範囲が増え、そして会社や社会の役に立つ、そのような目標がなければこれもまた人生を棒に振りかねない。

目標を持つか持たないかで人生が大きく変わるのは生きている限り常にそうなのではないだろうか。

今年7月、105歳で亡くなった日野原重明さんは、死ぬまで現役として目標を持ち続けて生きていた。死の直前、死への恐れはあったと言うが、それでも十分に充実して生きた人生だと思う。

私自身むろん長生きはしたいが、唯生きているだけなら意味がない。充分生きたと思えるような生き方をしたいのであり、そのことはいつも考えている。幸い体力は有る方だし、健康も今のところ特に不安はない。自分では、知的能力も落ちているとは自覚していないが、むろん自覚していないだけかも知れない。それでも、現在急速に進化しつつあるネットやコンピューターは自分が使いたいと思うだけ使っているし、新しいソフトやアプリを使っても別に不自由なく使い方をマスターしている・・・と思う。

私はむろん心身をよりよい状態に保つためにそれなりの努力をしているが、それは生きている実感を持ちながら生きていたいからだ。毎回引き合いに出す語学も、現実に生活で使う事はないが、脳の刺激にはなるし、またネットを使うようになってから日本だけではなく海外の情報もそれなりに自由に利用出来るようになっているのは非常に有りがたい。

今はブログやホームページも作っているし、英語で作っているサイトもある。

身体能力も衰えた自覚はないし、知的好奇心が衰えた自覚もない。これはよりよく充実した生き方をすると言う目的があるからだろうと、自分では思っている。それがなければ、心身の健康維持もつまらなくなって止めてしまうのではないか。

生きているだけではなく、よりよく充実して生きるには何をするにしても目的をしっかりと持つ事が大切だと思う。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 毎年繰り返される事なんですが、今年ももうすっかり秋ですね。北海道などでは最低気温が0℃等と言うところもあります。私自身は夏も冬も基本的に同じ物を着ていて、アンダーシャツと作業シャツですが、それでも朝夕などは冷えるかな、と思います。

■ 近くでは祭の太鼓や笛の音が聞こえてきますが、方々でお祭りのようですね。今日辺り、ちょっと覗いてみようかなどと思っています。
(この項までロクスケ)

■ 早いもので、もう10月です。関東では、晴天の日は昼間は気温が上がるものの、朝晩はだいぶ寒くなってきました。昨日は昼間が夏日だったため、車の中で冷房をつけましたが、一方でこの編集後記を執筆している10/4(水)は夜になってだいぶ冷えてきたため、部屋で暖房を付けました。気温の変動が大きいと、油断していると体調をすぐ崩しがちです。

■ 今年は関東では夏が夏らしくなく涼しかったため、あまり実感が湧きませんが、例年で言えば残暑もだいぶ和らぎ、過ごしやすい秋の到来といったところです。あと1ヶ月もすると紅葉が始まりますし、秋の味覚に舌鼓を打つのも毎年の楽しみです。
(この項、なさ)



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