Wing Brain メールマガジン 第527号
2022/05/08(日)発行



目次
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● 一日の計画 ロクスケ
● うっかりミス等の撲滅(220) なさ
● うっかりミス等の撲滅(221) なさ
● 連載 第493回 健康で生活するために 家庭菜園 ロクスケ
○ 編集後記




● 一日の計画
わたしはいつも計画を立てて行動する様にしている。むろん、その計画通りに行動出来ることは少ないが、とにかく何もすることが無いまま生きているのはまっぴらごめんだと思っているからだ。一番長期の計画はなんと言っても人生の計画だろうが、その為にも十年単位、一年単位、月単位の行動計画が必要だと思っている。

繰り返すが、全てが計画通りに行くなら世話は無い。現実には予想もしない変化を受け入れたり、自分自身の考えが変わって計画を変更したり等は普通に有るし、むしろ最初の計画に余りにこだわると却って自分を縛り付けることになるのだから、計画は計画、決定とは違う。

人生の計画は当初私が計画していた物とは全く違っているが、仮に同じだったらおそらく私自身真面には生きてこられなかったはずだ。いや、真面というのはあくまで私の自覚に過ぎないが。

それはともかく、人生の計画も結局は一日の計画の積み重ねなのだから、其の計画を立ててそれに沿って生活をするのは大切だろうが、一日単位でも計画に縛られることがあってはならないと思う。計画は計画、行動はあくまでその時に何が必要かを判断して行動することが優先されるべきだろうが、ただそれだけだとつまりは自分のその時々の思いつきで動くことになるだけだから真面な生活など出来ない。思いつきで買い物をしたり、思いつきでやりたいことをやっていては生活がどうなるか分かろうという物。したがって、その時々にどの様に行動するかはあくまで計画に沿って、考えることになる。

色々書いたが、自分の意図しなかった事態が起きるなどは普通に有るのだし自分の考えることが一瞬にして変わるなどもあるのだから、それと計画をうまく組み合わせて行動し、必要なら週単位、月単位、年単位の計画で調整して行くことになる。

計画は計画、生活はあくまで計画を参考にしながら行動して行くと言うことになるのではないだろうか。

by ロクスケ




● うっかりミス等の撲滅(220)
本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。これまでの経過・概要等については、434号記事(39)の前半を参照されたい。

今回も引き続き、425号で挙げたこなすべき8つの主要タスクについて、定例仕上げ日よりも1日早く4/30(土)時点の進捗状況を、定例的に個別・正直にありのままお伝えする。



「(C) アプリ作成(プログラミング)」は、前回までにまとまった進展が続けてあった。今回は、開発としては順調に進んだこともあり、前回予告した通り(C)に割く時間は削減できる結果となった。ただ、残りの検証等の残務を連休中にある程度まとめて行っておく必要が生じたため、当初の見込・予定よりは連休前後も(C)に費やす時間は少し増える見込である。いずれにせよ、5月中には概ね予定通り区切り良い段階まで完了する予定である。

「(D) 業務日誌(引継ぎ資料)の仕上げ」は、今回も前回までと同等の効率性を安定して維持している。連休中は(C)にまだ時間を費やさねばならないが、連休後、余裕を見て6月以降に概ね予定通り(E')とともに作業着手できる見込である。

(E')については、前回までに区切り良い段階まで完了している。前回、5月連休中の時間を(E')の次の段階に充てると述べたが、上述の通り(C)の残務に費やすことになったため、(E')の次の段階は連休明け以降になる見込である。時期は少しずれたものの、着実に少しずつ進めたい。

(H)は前回から続いて、今回もさらに進展した。前回細かいレベルまで案として固めた内容について、上述(C)の残務とともに、この連休中に仕上げられる見込となった。連休後はこの仕上げた内容を踏まえて(H)の次の段階に実際的に進めたい。



(次の記事に続く)

by なさ




● うっかりミス等の撲滅(221)
今回も445号記事(61)の感情モニタリングの手法に関する論述を続ける。できるだけ早め早めに原稿を常に執筆するペースを維持するよう努め、本シリーズ記事は原則として前号発行日に仕上げている。今回も連休に入る時期で出張など立て込んだため、やむを得ず前号発行日から4日後の4/28(木)に仕上げられている。次回以降は通常ペースを続けたい。



これまで長きに渡り、感情モニタリング法を上手に実践するための試行錯誤を続け、不快な気分に陥った際に百発百中で鎮められるよう、改良的方法も考案し、積極的に実践してきた。ここ最近でも精神的に不安定になることが度々あり、家族に少なからず迷惑をかけていることから、これまでの手法のブラッシュアップを精力的に行っている。

昨年から引き続き、特定イメージ画像・映像を思い浮かべながら、感情モニタリング法の二重チェックを行うというステップを短時間のうちに頻繁に繰返すように努め、両者の結び付きを繰返し強化している。それとともに、新たに怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法の研究に力点を移しつつある。その新たな力点も少しずつ進展しており、従来の取組みも含めて、この2週間でも進捗があったので、以下で述べる。



前回までに1点目として挙げた、特定イメージ画像・映像の想起の更なる容易化について。今回も引き続き、視覚的なイメージに対して、触覚や嗅覚の感覚も結び付けるようトレーニングを続けている。即ち、入浴時を中心に、目の前の視界に映る風景などをボーっと眺めながら「1,2,3,…」とゆっくり数えることによりトランス状態に入り、その上で特に触覚の感覚を想起するという複合的な取組みを実践している。この取組みを始めて1ヶ月が経つが、今回は新たに、触覚や嗅覚などを複数個の感覚を同時に想起するようにし、かつ触覚でも少し異なる質感を複数通り想起するようにしてみた。それにより、前回までより更に効果が大きくなったと感じている。さらに次回以降もその延長で取組みを続けたい。

次に、前回まで2点目として挙げた、特定イメージ画像・映像を眺めること自体により元々引き起こされていた快適な気分が、以前よりも程度が急に弱くなってきたことについて。前回は、元のイメージ画像・映像を言葉で形容するようにしたが、今回はイメージをPC上で特殊加工するようにしてみた。すると、その加工が意に反した結果になったこともあり、不思議なことに、引き起こされる快適な気分が再度弱くなってしまった。ただ幸い、それより前の言葉で形容する等の取組みに戻して一定期間続けたところ、効果は元に戻ってきた。今後当面は奇をてらわず、従来の方法で継続してみたい。

最後に、前回も3点目として挙げた、怒りやイライラといった負の感情(に伴い発生する身体感覚)それ自体をトリガーとして感情モニタリング法のセルフチェック、二重チェックを想起する方法について。ここ最近、イライラの頻度が結果的に高くなってしまったこともあり、負の感情を繰返し繰返しモニタリングするようにしていたのだが、なかなか負の感情をモニタリングによって鎮められなかった。そこで、ふと思い、自己暗示として、「イライラしてしまうのは仕方ない。でも、そこで平気だと良いんだよなぁ」「ダメだダメだと思ってしまうのは仕方ない。でも、そこでなるべき姿を自己暗示できれば良いんだよなぁ」などと繰返しつぶやいてみた。すると、程なくして、ぶり返すように繰返し湧いてくる負の感情がある程度スーッと鎮まったのである。今回はこれが最大の成果と言える。この方法を3点目の方法の一部に盛り込んで今後も続けたい。



今回はここまで。次の528号の記事(223)でも上述の話を続けたい。

by なさ




● 連載 第493回 健康で生活するために 家庭菜園
私の家にも狭いが庭があり、殆ど手入れなどしていないが、それでも荒れ放題は気になるので、最低限の手入れはしている。

以前は家庭菜園などをしていた。一時期はビニールハウスなども作って、トマトや茄子、キュウリなどを心がけたが自分には其の能力が無いと見極め、それからは野菜作りなどは止めた。近所の家などには、本当に見事な野菜を沢山作っている人がいるが、本当に朝から晩まで畑仕事をしているし、そして培養土、肥料、種、苗と相当の金を使っている。

確かにそうやって作った野菜は新鮮だし美味なのだろうが私にはそこまで時間、労力、金を使う気には到底なれない。天気の良い日など、家庭菜園で殆どの時間を過ごしている人を見ると、むろん、その人達がそうしたいからそうしているのであり、わたしはそこまでして野菜作りをしたいと思わないだけの違いだ。

ということで、私は余り荒れ放題にしている庭を私の出来る範囲で野菜作り出来るようになれば良いと言うだけの理由で今年はそれなりに春から畑を作っている。そして、手間をかけなくても勝手に出来る野菜だけを選んで作ることにしていて、まだ結果は分からないが、出来なければ出来なくても別に構わないと言う全く無責任な家庭菜園を心がけている。だからわざわざ培養土など買いもしないし肥料も本当に適当にやっているだけだ。

もう何年前だったか覚えていないが、色々作った畑で、小松菜などが殆ど手入れをしなくても結構伸びて重宝したことがあるが、今回はおそらく小松菜などが主だろう。が、出来ると言って食べきれないほど出来ても結局枯らしてしまうだけなので、作る量もそれなりに抑えている。

また出来なくてもまあ構わない、放っとけば良いということでカボチャなども計画している。余り手間がかからないのだそうだ。結果は分からないが。

冬は野菜が高いが、家庭菜園でも野菜は出来ない。夏秋は野菜が安いから家庭菜園で費やす肥料、時間を考えると買った方が良いし、最近の野菜は農薬も無害な物を使っているとのこと、気にしないで買っている。つまり私の家庭菜園は、荒れ地にしておくよりは良いだろうというだけのことだが、やってみればそれなりに楽しいことは楽しい。野菜も上手く出来ればよいが、出来なければそれだけのこと、もっと上手く作れるように時間をかけるなどは一切する気が無い。割り切れば、無責任家庭菜園も結構楽しい。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ コロナ肺炎の感染者数が日本では他国に比べて少なく、そのうえ確実に減少しつつある状況だったのが、大型連休の終わり頃からまた感染者数が増えるようになっています。外出制限などが解除されて、今まで自由に旅行が出来なかった人達が大勢移動したためでしょう。

■ 危惧はしていたのですが、やはり残念です。ただ、感染者数の増加の割に重傷者数はそれほど増えてはいないようですが、無論油断は出来ないし、今は若年層の感染者数が非常に増えているとか。一日も早く有効な治療薬、感染防止ワクチンなどが日本でも承認されれば良いのですが。
(この項までロクスケ)

■ この編集後記を執筆しているのは連休中の5/4(水祝)です。今年は日曜も出張したり在宅で仕事をしたりで、何とかこの祝日3連休のうち2日は休みにできていますが、それ以外は谷間の平日も含めて仕事仕事で終わってしまっています。仕事があってそれ相応に僅かでも稼ぎがあるのは有難いものの、世間が休みの時はもう少し休みたいものです。

■ 休みと言っても、本当に仕事を全くせずに過ごすわけではなく、手を動かしてタスクの締切が近い雑務をこなすのを止めているだけで、将来的な構想や諸々のアイデアを練ったりするための、考える時間に充てているだけです。その意味では、1年365日のうち、本当に仕事のことすら考えない日は、思えばこの数年、一日も無かったような気がします。
(この項、なさ)



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