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  Essay



家相と掃除
昭和43年(1968年)に建てられた年代物のマンションに住むにあたり、リフォームを敢行した。
参考までに家相の本を買って読んでみると、がっかりすることばかり書いてある。それも玄関や水まわりなど動かしようのない場所に限って・・・  鵜呑みにするわけではないけれど、どうせなら吉相のほうが嬉しいに決まっている。

ところが偶然読んだサイトで、とても簡単に家相の悩みを解決する方法を知った。
さて何でしょう? 答えは「掃除」。
え〜、参ったなぁ!! w(゜ロ゜;)w 
すべての条件を完璧に満たした家を建てても、掃除をしなければ何の意味もないという。
逆に家相が悪くても、一生懸命手入れをしている家は厄がつかないそうだ。
いっそのこと、”金のしゃちほこを買って東南の角に置きましょう”といってくれたほうが、まだ楽だ。
しかし、窓を開けて空気をいれかえ、絞った雑巾で丁寧に拭き、埃をはらう、そんな毎日の積み重ねが大切なのだ。

あるとき思い立って、壁や天井、収納の扉、玄関の敷石まで全部きれいに拭いた。
”年末でもないし、やることはいくらでもあるのに、何てバカなことを始めたのだ”と、自分にうんざりしながら、見た目にはまったく変わらない重労働を終えた。
終わってしばらくすると、自分のまわりの空気が次第に澄んでくるのに気がついた。家の中をスキャンしたように、ひたひたとと透明感が増してくる。
達成感とか、きれいになってすっきりした、という感覚とは明らかに違うものだ。
どうして・・・? それは掃除をしたからだと思いつき、自分で驚いてしまった。

急に大掃除をしたくなったこと自体、自分をリセットしてクリアーになりたいという欲求があったのかもしれない。神社仏閣では、年末にご本尊様の埃を払う儀式がニュースになる。清める人もそれにふさわしい格好をしている。日本独特の感覚だろうか、それとも外国の教会などでも、同じことが行われるのだろうか。

私はネガティブになったり気持ちが鬱屈してくると、まず窓を開け、1ヶ所でもよいから掃除をする。身体を動かして、日々の生活の場である家に「いつもお世話になってます。これからも宜しくね」と感謝しながら、掃除をする。
気のせいといえば、そうかもしれない。だが、「気」が変われば、目の前の現実も確実に変わる。
セージを炊いて各部屋をまわって、お掃除はおしまい。ときどき盛り塩をとりかえ、蜜蝋のキャンドルやヒマラヤ岩塩のライトを灯したりすると、そのまま瞑想したくなる。
もうすぐ年末、どこから手をつけようかな・・・


[ おまけの話 ]

家相は科学的に解釈できるそうだ。
たとえば、トイレの配置としてふさわしくないのは、一般的に北東(表鬼門)、南西(裏鬼門)、家の中央の3つ。 
北東は、ほとんど日があたらない場所でとくに冬は寒い。南西は西日があたる。西日は紫外線が少ないため殺菌力にとぼしく、温度だけは上昇するので物の腐敗が進みやすい。家の中央は空気が滞留しやすく暗い。昔の木造家屋で、汲み取り式のトイレが家の中心にあったら大変だ。 
このような条件が健康や精神衛生上よくないのは、先人の智慧として理解しやすい。つまり必要以上に悲観しなくてよいのだ。

こんな解説はとりあえず面白いけれど、何に対しても「説明のつかないことは納得しない」と思ってしまうと、頭から信じる楽しさを半減するような気もする。サンタさんを信じるのと似たようなものだ。(違うかしら? ^^;) さて、そろそろ掃除にとりかかろう。 





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