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TV朝日の「全日本プロレス中継」2001.6.9(土)
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2001.6.9(土)の深夜、と思われる。
TV朝日で「ワールドプロレスリング」の後、「全日本プロレス中継」なる番組が放送された。 2時間続けてプロレス放送が行われたことになるが、提供スポンサーも違い、一応別番組の扱い。 新聞のテレビ欄にも、別書きされていた記憶あり。 以下は録画ビデオを見てのレポートです。(2007.12.24) メニューページ「テレビ放送アーカイブス」へ戻る P:ピンフォール、ギブアップ |
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「ワールドプロレスリング」超実力派宣言2001 2001.6.6(水)新日本・日本武道館大会 提供:伊東温泉ハトヤホテル 解説:木村健吾、山崎一夫 実況:真鍋由 番組開始前のCM.。 字幕「チョーノってるか。」 暗いライブハウス風のステージで、客を前に叫ぶ蝶野。 「みんな、のってるか?」 「みんな、車好きか?」 「***?」(何と言っているかわからない…) タイヤ・ホイール館フジ 夏のフジ-イチ バーゲン 開催中! 「来ねーと…俺が困るんだ!」 フジ・コーポレーション CMの後、初めにメインのタイトルマッチまでの流れを紹介。 4.9大阪ドーム、IWGP挑戦者決定戦で永田が中西に勝ち。 同じくIWGP王座戦、史上初のノールール・マッチで藤田がノートンを破り王者に。 試合後、藤田は「俺が挑戦者を決める」として永田の挑戦を拒否。 5.5福岡ドーム、藤田が永田を挑戦者に指名。 永田は「未知なる格闘家」レイニー・マルティネスを撃破。 藤田、永田両選手のインタビューの後、番組タイトル・コール。 {新日−全日 5大シングルマッチ}(ダイジェスト) ●サムライ P 渕○ バックドロップ連発からピン ●田中稔 P 垣原○ カッキーカッターからピン ●飯塚 TKO 長井○ キックがあごに入りレフリーストップ ○中西 P バートン● ブルドッギング・ヘッドロックからピン ●小島 P 川田○ ジャンピング・ハイキックからピン ○武藤 P 馳● シャイニング・ウィザードからピン(ダイジェスト) 当時、「BATT」という団体を超えたユニットを結成していた2人。 新日−全日の対抗戦とは別枠でのシングル対決は、メインでないにもかかわらず39分のロング・マッチ。 試合後、ちゃんとした席が設けられなかったのか、階段に座っていっしょにインタビューを受ける2人。 会場ではメイン・イベントが進行していて、藤田が入場曲に使う「炎のテーマ」が聞こえて来る。 武藤 なんか、ちょっと、俺達だけのレスリングやっちゃったかな? 馳 ふへへ。 武藤 ただ、観客をバッターとしたら、(馳が)なんかいいピッチャーで、俺、どんな変化球もキャッチしたって感じだよね。 これ、自信つながりますよ。 真鍋 今日が仕上げとなって、天龍戦に死角なし、そういう感じですか。 武藤 いやあ肉体的にはボロボロだからね。 首やられたし、(馳が)もう厳しいからさあ、首やられて足やられて。 ただほんとに精神的にはさあ、何かこうクリアになったというか、何かこう研ぎ澄まされたよ。 俺は自信になったね。 あと初心にも戻れたし。 エンジョイした。 7.20札幌ドーム大会の決定カード紹介。 武藤−蝶野、永田−コールマン、{IWGP Jr.}田中稔−成瀬。 メイン。実況:辻よしなり {IWGPヘビー} ○藤田 TKO 永田● グラウンドでの膝蹴りでレフリーストップ。藤田が初防衛。 猪木、NOAHの秋山(試合前には花道上で永田と握手)がリングサイドで見守る。 実況によればプロレスルールということだが、両者オープンフィンガーグローブを着用。 パンチをしてもタイガー服部レフリーは止める様子がない。 試合後、リング上でのスピーチ。 藤田 おい!新日本プロレス。 ここにも魂のある奴いるじゃねーか!(健闘した永田のこと) 新日本はまだまだ落ちてねーんだ! 会場を後にする秋山にインタビュー。 最後に「次来る時はタイツはいてきます」
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「全日本プロレス中継」スーパーパワーin武道館
2001.6.8(金)全日本・日本武道館大会 提供:新宿西口ヨドバシカメラ 解説:馳浩、山崎一夫 実況:中丸徹 (試合は全てカットあり) {アジアタッグ王者決定戦} 垣原 ○長井 P 永田 真壁● ハイパー・ニー空牙からピン 実況:真鍋由 ○川田 P 天山● バックドロップからピン {世界タッグ} ○ケア スミス P 中西 吉江● ハワイアン・スマッシャーからピン、防衛 {三冠} ●天龍 P 武藤○ ムーンサルト・プレスからピン 初めて新日本の選手が三冠を奪取。 以下は実況より。 真鍋 …天龍と闘いたい、そして三冠ベルトがほしい、完璧にこうベクトルが1つの方向を向いていたと。 馳 三冠ベルトがほしいというのは、1つの方法論であって目的はね、プロレスの、純プロレスの復権じゃないかという気がするんです。 それをできる相手が三冠チャンピオンの天龍だったと。 (試合終了後) 馳 そしてもっと驚くべきは、全日本のファンは、(武藤の勝利を)喜んでますよ! : 真鍋 確かに声援が変わったと言いますか、武藤が変えましたよムードを! 試合後のインタビュー。 真鍋 あらためて今日、プロレス界の頂点に立った、そんな気がしませんか? 武藤 まあね。 ただ、どういう形であれIWGPのチャンピオンベルトとけんかするからね。 どういう形であれ。 三沢らの独立により、川田と渕の2人だけになった全日本も、この頃は新日と団体対抗戦をやって、勝ち越すまでに陣容を立て直しつつあった。 共に協力関係にあったとはいえ、新日と全日は、WWEにおけるRAWとSMACKDOWNではない。 別会社であって、この武道館2連戦(6.6、6.8)は、選手の貸し借りがあるからギャラの配分はあるにせよ、興行合戦でもあった。 客入りでも試合内容でも、負けられないという対抗心があったろうし、ファンもそういう目で見ていたはずだ。 わたしとしては、当時の記憶としても、今あらためて見た感想としても、総合テイストの藤田−永田戦より、こってりしたプロレスの名勝負であった天龍−武藤戦の方が、面白いと感じた。 新日より全日の方が、望む闘いができる。 武藤もそう感じたのだろう。 それが翌年の新日離脱・全日移籍につながる。 この年の新日本は、まだドーム大会を連発していた。 ドーム大会のマットには、B.V.D.の広告ロゴが入っている。 藤田が言うように、このときはまだ、新日本は落ちていなかった。 しかし、落ちつつあった。 そして、その対処法を誤った。 そう思えてならない。 ※当時の日記の記述はこちらです。 2001.7.8全日分裂とWCW買収 |