1904.12.23 谷幸雄 対 三宅太郎(1)


 NATIONAL LIBRARY OF NEW ZEALAND(ニュージーランド国立図書館)のPAPERSPAST(過去の新聞)というウェブ・サイト
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=p&p=home&e=-------10--1----0-all
(ちなみに表記を英語とマオリ語とで切り替えられます)で見つけた、古い新聞の記事をご紹介します。


NOTES BY AMATEUR.  Otago Witness ,  15 February 1905
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=OW19050215.2.201&e=-------10--1----0-all
(「オタゴ・ウィットネス」紙より。かなり下の方です。)


 The accomplished Japanese wrestler Tukio Tani, who has proved so marvellously successful in England and on the Continent for a couple of years past, met with his superior a few days ago at the Tivoli Music Hall, London, in a countryman named Taro Miaki. Tani had a standing offer of £100 to any man who could stay with him for 15 minutes in the Japanese style, and Miaki, who had come over to this country quite unheralded, stepped on the stage, and not only “stayed with” Tani, but actually, in five minutes, gave him so decided a fall that he summarily gave in.

 完成された日本のレスラー谷幸雄、ここ数年の間英国並びに欧州大陸において驚くべき成功を示した彼が、己より上手に会ったのは数日前のチボリ音楽堂、ロンドンでのことで、それは三宅太郎という名の同郷人であった。谷が如何なる者も彼と日本式で十五分間持ちこたえられたら百ポンド進呈というお決まりの申し出をすると、三宅、まったく何の前触れもなくこの国にやって来たこの男が、舞台に上がり、谷相手にただ「持ちこたえた」だけでなく、実際は、五分の内に、彼を非常にはっきりとフォールしたので彼は即座に降参した。



ATHLETIC.  Star , 17 February 1905
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS19050217.2.5&e=-------10--1----0-all
(「スター」紙より。真ん中やや下ぐらい。)


 When Jap meets Jap. Yuko Tani, after issuing open challenges in London theatres and music-halls for a couple of years and defeating all comers by his marvellous skill in the Japanese style of wrestling, has at last met his match. One night recently, when the usual challenge was made, another Jap mounted the stage. It turned out that he was a champion in his own country at ju-jitsu, and, being two stone heavier than Tani, the latter could do nothing with him, and after ten minutes wrestling, gave up the attempt.

 日本人が日本人と立ち合えば。谷幸雄は、制限なき挑戦を宣言しロンドンの劇場及び音楽堂にて数年の間全ての応募者を日本式レスリングにおいて信じ難い技能を以って打ち負かした後、ついにその好敵手に邂逅した。近頃のある夜、いつもの挑戦がなされた際、今一人の日本人が登壇した。彼が彼の国の柔術王者であり、そして、谷より13kg重いと判明、後者は彼に何もできず、十分間の格闘の末、その企てを断念した。



 この当時プロレスラーや柔術家がよく行っていた「チャレンジ・マッチ」において、例えば玄人が素人と闘う場合、チャレンジャーは「誰でもかかって来い」と宣言した(先に闘いを望んだ)玄人の方であり、素人はこの場合そのチャレンジに応じた者、という位置付けのようです(純粋に言葉の使い方の問題ですが)。「何分間持ちこたえられたら…」というハンディキャップ・マッチ・ルールは、チャレンジ・マッチの他、体重差のあるレスラー同士の試合においてもよく適用されました。谷について、「15分立っていられたら二十ポンド、谷を負かしたら百ポンド」というルールがいつものものだった、と書いた記事もあります。
(別ページ「「イヴニング・ポスト」より・1909 覆面レスラーが柔術家に挑戦」もお読みいただけると幸いです。)

 一本勝ち(フォール)には、押さえ込み(ピン・フォール)の他、投げ(フライング・フォール)や、参った(サブミッション・フォール)があったものと想像します。
 米国で行われたフランク・ゴッチ対ジョージ・ハッケンシュミット戦は、電信によって日を置かずにニュージーランドでも報じられましたが、これは(「電信」とないため)英国より船便で届いた新聞ないし通信員からの手紙を元にした記事とすると、試合は(記事中に「数日前」とはありますが)、かなり前に行われたものと思われます。ウィキペディアには1904年とあります。
 遠くニュージーランドまでとどろいた谷の名声は、三宅に一敗しても決して落ちることはなかったようです。


谷幸雄
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E9%9B%84


追記2012.7.7
 試合の日付が分かりましたので、表題を改めました。



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