1932 古賀残星「講道館今昔物語」(読売新聞)

 

 

古賀残星「講道館今昔物語」は、読売新聞朝刊に昭和7(1932)年11月25日から12月18日まで(時々休みがあります)、20回にわたって連載されました。昭和9(1934)年には三元堂より書籍として出版されています(大幅に加筆があるようです)。

 

12月7日の連載第10回では「揚心流の猛者を撃破 西郷の快技に講道館の名揚る」と題して、戸塚揚心流の照島を西郷四郎が得意の「山嵐」で破った試合について書いています。時は明治18年5月、所は丸の内鍛冶橋の警視庁、となっています。なお、この時に他にも講道館館員が試合をしたとは書いていません。

 

8日の第11回「豪雄・『鬼』横山の出現 警視廳の中村と天下分目の大試合」と、9日の第12回「激戰・一時間を過ぐ 横山優勢、講道館の名聲燦然」の2回にわたって、横山作次郎対中村半助の試合を取り上げています。大会は明治19年6月10日、丸の内警視庁の道場で行われ、「物見高い江戸ッ児は講道館と警視廳との大試合を見ようと押し寄せた。」とあります。講道館からは他に山下義韶、佐藤法賢等が出場とありますが、対戦相手や勝敗には触れていません。三島通庸警視総監の見守る中、試合は一時間を過ぎて審判の久富鉄太郎がそれまで、と止めた。終盤、横山が払い腰を決めたが道場の際であったため中村は板壁にぶつかって一本にならなかった、とあります。

 

 連載各回の表題は以下の通りです。

 

1回 11/25 『ハイカラ黨』凹ましに 率然『柔術』を志す 『バンカラ黨』の首領・嘉納氏

2回 11/26 いま八万に及ぶ入門 その筆頭・富田七段 寺の書院にたてこもつて稽古

3回 11/28 英書懐に師匠探し 見つけた整骨師・道場は九疊敷

4回 11/29 苦心の一技奏効! 怪力廿五貫の巨漢を見事投ぐ

5回 11/30 野球では『投手』嘉納 燃ゆる柔道研究心・三師匠に師事

6回 12/ 1 屋根の瓦がズレる 餘りの猛稽古に住職から苦情!

7回 12/ 2 飜譯料で道場新築 明治十六年・起倒流を會得

8回 12/ 3 「柔術」から「柔道」へ 奨勵のために段の制度生る

9回 12/ 5 弟子を得るに苦心 麒麟児・西郷四郎六段の奮闘

10回 12/ 7 揚心流の猛者を撃破 西郷の快技に講道館の名揚る

11回 12/ 8 豪雄・『鬼』横山の出現 警視廳の中村と天下分目の大試合

12回 12/ 9 激戰・一時間を過ぐ 横山優勢、講道館の名聲燦然

13回 12/10 露國皇帝を驚かす 廣瀬中佐、露國武官を投飛ばす

14回 12/11 猛拳闘家を投飛す 山下九段、紐育での大試合

15回 12/12 下富坂に道場建つ 日清戦争の影響と當時の入門者

16回 12/13 四段、七段を屠る 鬼横山を投げた永岡の横捨身

17回 12/14 田畑・徳の大決戰 さしもの武徳殿も人で埋まる

18回 12/15 三船六段の十人投 寒月の如く冴えた快技の連續

19回 12/16 道場彩る紅花數輪 「弱くない女」へ――女子柔道家

20回 12/18 憶ふは『明日の武士』 水道橋畔にそそり立つ大講道館

 

 

さがの歴史・文化お宝帳

 古賀 残星

http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=1508

 

 読売新聞、昭和43(1968)年10月7日朝刊の訃報には「本名・古賀又作=柔道評論家、講道館六段」とあります(追贈七段の由)。

 

国立国会図書館デジタルコレクション

 

古賀残星「嘉納治五郎」同光社、昭和19(1944)年

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718211

 

著作権はまだ保護期間にあるはずですが、遺族の許可が出ているのか、この作品だけインターネット上で公開されています。

 こちらには、次のような記載があります。

 

初の他流試合  P130(コマ番号69)〜

 天神真楊流の市川大八道場で、偶然邂逅した戸塚派の照島太郎に稽古試合を挑まれ、病み上がりであった有馬純臣が敗れる。時期は書いていないが、明治19年4月に入門したと書かれている横山作次郎が既に講道館にいることになっている。

 

西郷と照島の大決戦  P136(コマ番号72)〜

「皆を集めたのは、今日警視総監の三島さんと會つたら、この五月十日に芝山内の彌生館で武術大會をやるから、講道館からも選士を出さないかとの話があつた。…」

「…だれも出たいだらうが、今度は一人に限るといふから、西郷を出すことにしよう。…」と嘉納師範。

 日付はあるが年はない。明治19年なら弥生社(舎)はまだ芝公園ではなく本郷向ヶ岡にあるが、そこまで厳密に考えて書いてはいないか。西郷四郎が照島太郎に「山嵐」で勝ち、有馬の仇を討つ。

 

横山作次郎と中村半助  P148(コマ番号78)〜

 6月10日(翌年ではなく同年の翌月とされている)、鍛冶橋警視庁の道場において対戦。検証(審判)の久富鉄太郎がそれまで、と分けたのは「講道館今昔物語」と同様だが、横山の払い腰で中村が投げつけられた道場の板壁がぱりぱりと破れた、「横山に七分の勝利が在る」等と、横山の優勢がより強調された描写になっている。試合時間は55分(東京朝日新聞における横山七段の証言と同じ)とされている。横山以外の出場者については何も触れていない。

 

戸塚流の敗陣  P153(コマ番号80)〜

 秋の警視庁武術大会。戸塚派の佐野周三郎が、西郷四郎の腕固めに参った。「講道館今昔物語」にも、他の人の話にも出て来ない対戦である。

 

 印象としては、どの試合も同年の出来事と読めるような書き振りになっています。演出上の都合でしょうか。読んでいだければおわかりのように、伝記と言っても小説仕立てになっています。

まへがき」には次のようにあります。 P3(コマ番号5)

 

 私はこの偉大なる恩師の愛國精~を傳へようと、青少年時代を中心として、小説風に筆を進めたのであります。先生の少年のころの材料はほとんどないのでありますが、私は先生と東北に、また九州に旅をしました機會や、我孫子の別荘などで、懐古談をききましたのを素材として描いたのであります。 …

 

 

 

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