詩的な建築
和 の心象
和の感性と縄文文化(その3)
和の美意識と縄文の感性について
縄文遺跡から見つかる 土偶や土器に施されている形状と装飾についての考察です。
現代の美意識、また芸術性、デザイン の概念からこれらを読み解くことは可能だろうか?
私の主観は、
土器の形は・・・自然のイメージ、あるいは自然への畏敬の念を(直観的な想像力で)具象化している。
使い勝手・利便性を主(第一に)にしてはおらず、先に自然からの享受物(頂き物)であることを感受し、火の力(煮炊きする)は食物に変化を与え豊かな食性を人々に与える作用を為すこと。
その作用をもたらす炎の力への畏敬を器に顕わしているのである。(火炎土器等)
器もまた自然界にある土(粘土)の持つ力の作用で造られることへの畏敬を顕わしている。
そして、自然から得た火も器もまた時が来れば自然に戻って行く。
人も、自分たちの命も同様に自然の一部であると素直な直観で理解ができていた。
と思惟しています。
殊に、命を生み出すという力に対しては最も尊ぶべき神秘の力と感得していたのだと思います。
それ故に、縄文の時代では女性の生み育てる力もまた‘’神‘’に近く尊ばれていたと考えます。
このことは、土偶の人形(ヒトガタ)はほとんど女性であることに示されています。
女性性(命を生む、育む)は作り手のそれぞれによって具象化(抽象化ではなく)され造られていると感じています。(神秘性を人に似せて具象化している)
そこからも、土偶は祈りの対象物(偶像)であったと感じています。
現代的感覚では、デフォルメしているように想える形ですが、作り手の描く‘’ 命を生む、育む‘’ 神秘性=女性性の直観的イメージの具象化である。・・・だから理屈や理論がない。
古来より、日本(縄文の時代以来)は、月齢、陰暦、女性性を尊ぶ文化であり世界でも稀な社会だったと言えます。
これらのことから、日本の根底には、権力構造(王権あるいは支配力等)のような文化ではなく、自然観を中心に母性を主体とした社会構造から始まったと私は想像しています。
今現在の世界のなかで、このような歴史、背景を持つ国はきわめて稀です。
このように日本を見据えた時に、この混迷の世界の状況下で日本こそは、
自然観を基本に、母性(命を尊び育む)を尊重し得る文化へ世界を寄せて行くという転換的ビジョンを示し、世界に貢献して行く役割を持つ国ではないかと感じています。
現代においても、特に芸術的分野において、あるは創意工夫の分野でも美意識は様々であり、それぞれの文化にも依ったりしています。
しかし、その中でも、個々の直観によって生み出される感動的な‘’美‘’もありますね。
いわゆる 天から降ってきた みたいな。
きっと縄文時代はそんな直観力に長けた人々が多く存在しており、豊かな自然とも直観的に繋がれる感性・感受性そのものが豊な人たちであったのではないかと感じています。
やはり、いろんな人や生き物そしてあらゆる自然も活かせるような感性を持ちたいと想っています。



