About us
はじめに
このコラムでは、事務所の建築についての思いや考え方、その時、折々の雑感などを綴って行きたいと思っています。
今は多くの分野が変革の時を迎えているように思います。
多分に、これまでのいろいろな価値観が問い直されてゆくのではないかと思います。人と人との結びつきや、思いやりといったことがとても大切な意識となって行くように思います。
元々が繋がりあい連鎖して成り立つ世界の姿への原点に立ち返り、それぞれの結びつきをもっと暖かなものに変えて行かなければいけないと感じます。
建築の構造もまた結びつきとバランスで成り立ちます。
また、自然との関連性と周囲との関係を大切に考えなくてはなりません。
大きな転換の時は、これまでにない良い智慧も必ず立ち顕われてきます。
一人一人のつながりや、他の分野から、きっと明るい兆しは見えてくると思います。
私自身も、これからこうした意識を強く深くしながら前向きに生きたいと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
また、個人のブログ(楽思居-らしい建築 http://nao55.exblog.jp/)もありますので、合わせてよろしくお願いいたします。
終の棲家としての住宅
住宅を建てることは一生のうちで最も高価な買い物と言われています。
大抵の方は、一生そこに住むために と考えて計画や設計をしていると思います。
ところが、せっかく苦労して建てた住宅に一生の間、暮らし続けているのかというと、実際はそうだとは言えない現実のようです。 最後に医療機関(病院や施設など)で亡くなる割合が日本では8割なのだそうです。 (ちなみにアメリカでは約5割)ある時期からは介護施設などに入ってしまい自分の家で過ごさなくなる方も相当多いのが現実のようです。ところが、最後はどこで生活していたいですか?と問われると、「自分の家、あるいは子供と一緒の場所がいい」と答える人がこれも8割なのだそうです。
日本では介護についての対応が本当はあまり進んでいるとは言えない状況です。自宅から施設へあるいは施設から最後は病院へとなる場合が実際多いのですね。
高齢化が急速に進んでいる現在、家族の有り様や介護の問題を考えると、今の住宅計画そのものが、現在の社会状況について対応しているのだろうかと疑問に感じています。
また、介護については、いろいろと問題があり、家族による介護がかえって家族を追い込んでしまうという問題も起きていますから、設計あるいは建築サイドのノウハウやハード対応だけでは対処しきれない問題も今の住宅は抱え込んでいます。
(高齢者が転んで怪我をしたりする事故の6割が住宅の中という現実もあり、それが介護の原因となっている場合もあるので、設計・建築側の対処ももちろん必要です。)
私はそうした社会状況に添って住宅設計の有り方を考え直さなければならない時期にきていると考えています。 そして、家族、あるいは一人暮らしの方、またはご夫婦、お年寄りの方、それぞれが「終の棲家」として最後まで住みこなす為の住宅づくりがより重要となっていると感じています。
人と人との身近な関わり合いや、人を育む場所が家・住宅でもあります。また、その人らしく生活して行く為の場所が家です。その意味からも、家族や、実際に住み生活する人の将来にわたって生活スタイルを守り支えるための住宅をどう考えるかが、益々大切なことになると予想しています。
私は今、こうしたことについて、設計段階から対処するプロジェクト提案を検討しています。それについては、建築設計以外の知識や情報、また他の分野との連携も必須となっています。
「終の棲家となる住宅・住まい方」とは、 孤独感や、不安なく、その人らしい生活ができること。さらに身近に人同士の親しさがある中で、自立した生活を送ることができること。 プロジェクトではそれを満たす為の設計提案を検討しています。
コラムをご覧の皆さんで、家族との暮らし方、ご自分のこれからの生活について、あれこれと悩んだり、考えておられる方がいらっしゃると思います。その内容をお聞かせください。
参考となるアドバイスを差し上げることができるかもしれません。また、私も参考として今後の設計に活かしたいと考えております。
どうぞお気軽にお問い合わせください。
より良く活かすこと、活きること それは、現在~この先の時代のすべての分野において、大切なキーワードとなるでしょう。
そのために私どもは、思いやりや優しさを根底において思考することがなにより大事なことだと考えます。
すまいの間や意匠(デザイン)、他の建築物も同様に、より良く活かしていくことにより、やすらぎと潤いのある生活や営みへ、さらにはあたたかな社会へと広がっていくことを目指しています。
このような姿勢を心がけながら、具体的には、「新しくしたい」「新たな活用をしたい」「再生するには(リノベーション・リユース)などのご要望について、対話を大切にしながら、実現化に向けてのお役に立てれば幸いに思います。
吉田 直行
代表・一級建築士
一級建築士(大臣)第245051号
山形県知事登録(1010)第1695号
1956年 山形市生まれ
1975年 県立寒河江高等学校卒
1979年 東京工科専門学校卒
1979年~(東京) 平野設計室、園部建築設計事務所勤務
1985年~(米沢) 渡部建築設計事務所勤務
2005年 吉田設計+アトリエ・アジュール 設立
主な業務
・ 住宅・建築全般の設計、及び設計監理
・ リノベーション、リフォーム 設計監理
・ 教育施設、医院、薬局その他店舗 設計監理
・ イベント空間設計及び自主企画プロデュース
・ まちづくりに関しての企画・提案・設計
市民活動に関する支援活動(社会貢献活動)
・ 山形市市民活動支援センター連絡推進協議会 理事
・ ホスピスケアの会(事務局)
・ みちのく屋台こんにゃく道場 活動支援
・ 非営利活動法人しん 活動支援
被災地復興支援活動
・ 塩釜市浦戸諸島復興支援活動ボランティア 建築アドバイザー(2011.9)
・ 宮城県仮設店舗の商品ラッピング、パンフレット等プロデュースを含めた復興支援
私の場所(父から受け継いだ話)
私の生家は大工棟梁四代目です。 幼いころから作業場の木の香りは身近なものとして育ちました。
祖父の代のころは、古材をうまく利用したり、無駄のない仕事が当たり前になっていました。
構造においても、まず、頑丈に組み上げるのが基本でした。
それは、雪の重み、台風や地震などによって、自分が手がけた建物が、飛ばされたり倒れたりすることは、
「職人として恥である」という誇りを強く持っていたからです。
また、冬場、雪で外仕事ができない時期には、凝った組子の建具を作ったりしました。
夏場に手がける建物にそれを使って建て込むのです。
当時は、大工職人として、「絵心」を身に付けるための手習いを受けたりしました。
今でいうなら、バランス感覚を養うためのものでもありました。
(当時手本とした 雄龍・雌龍 の対の墨絵は今も私の手元にありますが、とても迫力のあるものです。)
初代の租祖父は、家の中でも、立ち振る舞いに厳しかったと聞きました。
それは、そのころの大工は、朝早くから現場に通いこみ、建主方での振る舞いを頂きながら暗くなるまで作業にあたることも多く、そして「大工さま」と呼ばれるのですが、それにふさわしい身づまいを心がけていなければならないといった厳しさをもっていたからでした。
その租祖父は、宮大工の棟梁に弟子入りして十年、さらにお礼奉公の後、独り立ちしました。
そして今、私自身は、大工職人ではなく設計を生業にしていますが、職人であった先代の心を、どこかに受け継ぎながら、設計に向かい合っている気がしています。また、その繋がりのなかで手本とすべきことは、これからも大切に受け継いでいきたいと思っています。