Essay 思うまま感じたまま
2008.4.20
道具はシンプルがいい



 先日TVで、アメリカで「そろばん塾」が盛んだというニュースを見た。学校の授業にも採り入れられてきたそうである。一方、日本では算盤を学校教育の中でキチンとやっているのだろうか。電卓の時代になぜ算盤なのか、という事を言う人が多くなって来ているのではないか。電卓は、指でキーを押すだけで計算は電卓がやる。算盤は、脳が暗算をしそれを指先で玉を動かし記憶するのだ。算盤は、人間の行う暗算の技術と連携した優れた道具なのである。脳を刺激する非常に優れた方法なのである。

 世の中一見便利そうな道具が増えてきている。携帯電話、パソコン、インターネットなどは、今や生活必需品である。しかし、その使い方次第では、脳にとっては害を及ぼすモノとなる。こんな実験を思いだす。ある文章を読み上げる。1人は紙に鉛筆で書く。1人は携帯メール文としてボタンを押す。このときの脳の活性化の状況を調べたら、鉛筆で書く人の脳は、ボタンを押す人の脳に比べ数段高いレベルで活性化されていることが分かった.。ボタンを押す人の脳はほとんど活性化されていないと言うことである。(2006.5.10 NHKクローズアップ現代)

 私は、講師を行う事が多い。講師には板書が必須である。しかし、普段仕事ではパソコンを使って文書を書く事が多い。その結果、板書中漢字を忘れ書けない事が多くなっている。恥ずかしいことである。その対策として、1日必ず鉛筆で文字を書く機会を強制的に作っている。朝の「To Do List書き」、日中の「手帳メモ書き」夜の「日記書き」である。やはり、基本は毎日キチンとやることが肝心だと思っている。運動選手が、基本トレーニングを毎日行うように。

 道具は、便利になる傾向があるが、脳を退化させる機能は使わないことが肝要と心得ている。算盤のように脳を刺激する道具は復活した方が良いと思う。特に、子供の頃は脳の成長期であり、その刺激により社会人として必要な脳の回路が形成されるのではと思う。私の机の上には、紙と鉛筆、ナイフ、定規、鋏、製本化された辞書類、それにパソコン等である。手と脳を沢山使う道具が、人を退化させないと考えている。
 



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2008.5.20
できる事とやるべき事



 先日、NHKクローズアップ現代で、地球環境保全に関する討論が行われていた。CO2排出規制をどのように行うかの討論である。EU連合が推進する「総量規制」の立場と、日本で進めようとしている「産業別積み上げ方式」の立場の2者の主張は、それぞれの立場で考えると、いずれも納得出来る内容である。

 総量規制の考えは、現在の地球環境の状態から、何時までにどれだけCO2を削減するかという「地球にとって人類がやるべき事」を明確にしたのである。一方、積み上げ方式は、やれないことを言うのではなく、と言う前置きで「産業別に達成すべき枠を決める」という、「各自できる事」から始めようという考えである。「やるべき事」をやろうという考えと「やれる事」をやろうと言う考えの討議である。
 
 世の中は、「やるべき事」と「やれる事」の両方が必要である。地球環境は、しかし「明日のエコでは間に合わない」などとTVコマーシャルでも言われているように、皆危機感を持っている緊急事態なのである。地球レベルで「やるべき事」の目標をを定め、タイムスケジュールを作り、段階的に「やれる事」は即実行し、難しい課題に対しては皆が知恵と技術を出し合って解決すればいい、とごく自然にこのシナリオが出るのだが、なかなか現実はそううまくいかない。その中でEU連合が「やるべき事」を明確に打ち出していることは希望が見える。

 「やるべき事」と「やれる事」は、いつも共存している。我々の人生で考えれば、夢や理想だけでは生きていけない。今やれる事で、日常の糧を得て行かなければならない。しかし、夢や理想があるから生きていけるのである。社会も同じである。地球環境保全の件も、同じである。それぞれの立場で、目標を達成しようと頑張っている。それぞれは最適化されているが、全体最適化になっていない。全体最適化の労苦をとる立場の存在が必要である。地球環境サミットにおいて、全体最適化の役割を議長国である日本政府が担って欲しいと切望する。

 我が家ではどうか、まだ総量規制の立場はない。できる事として、車を出来るだけ使わない、生ゴミは家で処理し庭の肥やしにする、節電するくらいだ。あまりでかいことは言えない。




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2010.51
つながり



 春は、新旧の生命がつながってゆく季節です。落葉樹は新しい葉が芽を出し、常緑樹は新しい葉に古い葉が道を譲り落ちてゆきます。人間社会も同じです。古い人が去り、新しい人が入ってきます。

 先日、旅先でこうした”つながり”の光景を目にした。ある会社の新人教育の1日目を終わり、宿に帰る道。タクシーの運転手さんに、旨いものが食べたいと告げると、老舗の焼鳥屋に連れて行ってくれた。運転手さんが言うには、通は釜飯を頼みその間(30分)焼き鳥で一杯やるのだそうだ。もみじの若葉に囲まれた閑静なたたずまいの入り口を入ると、カウンター席に案内された。運転手さんの言った通りに釜飯を頼み、焼き鳥を5、6本で芋焼酎を楽しんだ。

 しばらくすると、調理場に若い男性が現れ、名を名乗った。調理場の先輩であろう2名の料理人は、無言で会釈した。先輩の若い方の調理人が、若者に真新しい前掛けを渡し、紐の結び方を教え始めた。若者は、この店に入った新人のようである。前掛けの紐の結び方は、柔道着の帯の結び方のように見える。その後、先輩はカウンタの隅にある自動発券機のようなものから出てきた紙を取り、新人に見せながら、説明し始めた。新人教育が始まったのであろう。

 先輩が、後輩に仕事を教えている場面は、何とも言えない微笑ましい、あたたかい光景です。新人は、こうして先輩とつながり、仕事を覚え、その世界に入ってゆくのです。この季節、多くの若者がそれぞれの仕事を、先輩とのつながりを通して覚えてゆくのです。まさに、春は”つながり”の季節です。




 
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2010.61
テッセン




 庭仕事をしていると、垣根越しに「テッセンが綺麗に咲きましたね」と声をかけられた。振り返ると、近所のおばあさんがいた。「今年は沢山咲いてくれました」と答えると、おばあさんは、笑顔でうなずいていた。

 私は、このお婆さんが「クレマチス」を「テッセン」と呼んだことに興味を覚えた。

 テッセン(鉄線)は中国原産であり、カザグルマ(風車)は日本原産、この2種とヨーロッパ系の原種が交配されて生まれた品種を総称してクレマチス(Clematis)と呼んでいる。カザグルマは、花びらの形からすぐに連想できる。テッセンは、育ててみると分かる。冬、落葉し枯れたかと思われる蔓を手で切ろうとしても切れない、まるで鉄のように堅く丈夫なのである。

 お婆さんの事に戻る。お婆さんは、このテッセンという名称をどういう経緯で知ったのだろう。生まれた家の庭に咲き、
父母から「テッセン」という名を聞いたのだろうか。俳句をやりだしてから、季語の一つとして知ったのだろうか。いろいろと想像する。

 ともかく、テッセンという名でこの花を愛でてくれている人が近所にいることが嬉しくなる



 
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2011.2.1
人の居場所




 HHKの朝の連続TV小説「てっぱん」での一こま。正月、実家の尾道に戻っている娘が仕事先の大阪に「帰る」と言った。これを聞いた父親の言葉、「”帰る”ではないだろう、”行く”だろう」、この親子はまた口喧嘩になった。父親としては、娘の居場所は尾道の実家だと思っている。一方、娘は自分の居場所は仕事場とアパートのある大阪だと思っている。

 何気ないこの言葉の違いが、それぞれの居場所を表している。生まれ育てられ巣立つまでは、その場所が居場所である。しかし、親元を離れ職に就いたらもはや父母のいる家は、心の居場所であるかもしれないが、実生活での居場所ではない。人間は、生活するために仕事をし糧を得る。成人した人にとって、仕事場や生活している場所が居場所ということであろう。

 人が生きていくためには、幾つかの居場所が必要である。家庭における居場所は、最も動物的であり親子兄弟親族であること自体が居場所の必然性を持っていると思う。しかし、家庭内での役割を果たしていないとなると居づらくなることもある。職場における居場所は、基本的には利害関係で集まっている事から、果たすべく役割(仕事)をキチンと成し遂げることが大事で、それが成されないと自分の居場所を持続する事は難しい。もう一つの居場所は、友人、同じ趣味や価値観を持った仲間がある。これらは利害関係ではなく精神的な、他の動物にはない、より人間的な居場所であろう。
 
 人生長い道のりを歩いて行く中で、幾つかの居場所を確保して行くことが、やり甲斐のある幸せな人生と言えるのではないだろうか。居場所を持ち続けるために、いつまでも人の役に立つ事が大切だと思っている。そのためには、仕事をすることができる身体を維持すること、人に喜んでもらえる仕事をすること、更に喜んでもらえるように新しい仕事のスキルを身につける日々の行いが大事だと考えている。人間の脳は、一生進化し続けるものだと思うからである。




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2011.4.5
安全と安心



 
 2011年3月11日14時46分、三陸沖でマグニチュード9.0という巨大地震が発生した。この規模は過去世界でも数例しかなく、日本では千年に1度の天災であると報じられた。被害の大きさは、死者12,087人、安否不明者18,119人(2011年4月4日現在)と報じられている。この数は、阪神淡路大震災を越えおそらく世界でも近代史上例を見ない値であろう。被害を大きくした最大の要因は、地震による津波である。最大20mを越えるという。6階建てのビルを越える高さである。これまで想定して定めた指定避難場の高さを遙かに超えた巨大なものだった。避難者は40万人を越えた。不安の中に今も避難生活は続く。

 更に、深刻な事態をもたらしたのが福島の原子力発電所からの放射能漏洩である。半径20㎞の住民は避難、放射能の拡散は広範に及ぶ。今、日本国民の最大の関心事は放射能拡散による人体に及ぼす悪影響のリスク対応であろう。政府や原子力保安院の説明の多くは、放射能の値は国が定めた安全基準を越えていないから安全である。または、越えているがすぐに人体に影響を与えるものではない、と言う。しかし、そう言われても状況の収束が見えないなか、不安は増すばかりである。近隣の地域に拡散した放射能レベルは、安全基準の値を下回っていると報じられても安心には結びつかない。

 そこで、放射能について調べてみた。下記資料に詳しく書かれている。読み終わって分かったことは、知らなかったことにより生じていた不安要素が解消されたことである。そもそも、我々は日常生活でいろいろな放射線を受けている。我々は、自然放射線と医療用放射線合わせて年間約4ミリシーベルト受けているという。我々は、太陽から、大地から、食品から日常的にある量の放射性物質(同位元素)を取込・蓄積・排出しているのである。ある意味それでバランス良く健康が保たれていると考える事も出来るのである。勿論その量は、許容できる範囲ということではあるが、全くゼロではないのである。

 不安とは「リスクの度合いをどう判断したらいいか分からないから生まれる心の不安定さ」と言えよう。そして、安全とは「不安要素がないか、または許容範囲内に収まっている状態」といえる。ここで、不安要素の「認識度合い」や「許容範囲」は、各人の知識・知恵のレベルにより異なる。日本の商用原子力発電の第1号機である福島第1原発の1号機が稼働して40年、放射能リスクに対する知識や知恵はまだまだ未熟と言わざるを得ない。

 現在、現場では放射線量の多い危険な状況下で事態収束に向け懸命な作業が行われている。ほんとうに頭が下がる。兎に角、早く原子力発電所が定常状態に戻ることを願う。そして、将来は今回の災害で得た知識と知恵が、今後の原子力発電の安定稼働の礎になることを祈りたい。

資料:放射線科学センター暮らしの中の放射能」 http://rcwww.kek.jp/index-5.html



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2012.7.22
パソコンの功罪



 パソコンを使い始めて20年、文書作成の効率は格段に向上した。今やパソコン無しには仕事は出来ない。ビジネス上の取引文書や原稿・教材をパソコンで処理すると、昔の手で書いた時期に比べ、格段に効率が良い。また、パソコンの記憶容量も大幅に増え、文書の格納、検索、管理も便利になった。
 しかし、漢字が出てこない。講義のなかで黒板(今は白版)に書いているとき、不意に漢字がでてこない、どう書き続けたらいいか困る場面が多くなった。場面は違うものの、同様に感じている方も多いのではないかと思う。
 パソコンで文章を書くという行為は、キーを押すことであり文字は書いていないのである。前に、NHKで脳学者の小泉英明氏が「PCと手書きの違いについての脳の実験」を放映していた。それによると、PCで文字を入力する場合に較べ手で書く方が脳全体を使っていることが示されていた。手書きによって蓄積された漢字を書く脳が、PCを使うことにより使われなくなり退化しているためだという。人間の脳は使わないと退化する、廃用性の退行という現象が起きているのである。
 廃用性の退行を防止するためには、手で文字を書く以外にない。日常的な仕事の多くはPCでこなすとしても、手で文字を書かなければならない場面は多くある。例えば、資格取得試験は手書きが多い。場合によっては、小論文を書かなければならない場合もある。その論文に、よく使う用語や専門用語の漢字が出てこなかったらどうだろう。勿論、辞書は持ち込めない。審査員は、かなで書かれた用語を見て、首をかしげるのではないかと思う。漢字をキチンと書ける様にしておく必要性は十分にある。
 漢字を忘れない方法は、日常生活の中で手で文字を書く機会を確保しておくことである。手帳・メモ・手紙・日記など、その人に応じた文字を書く習慣をつけることがコツのように思える。そうすれば、漢字を書く脳のサビ(錆)がとれ、いざというときに恥をかかなくてすむのではないかと思う。

 

   
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2012.8.7
ロンドンオリンピックの聖火



 第30回夏季オリンピックが2012年7月27日からロンドンで開催された。競技場にはイギリスの中世の田園風景があり、製鉄所の煙突が現れ産業革命を象徴する。まさにイギリスの発展が世界をリードしてきたという印象を与えたかったように感じた。近代オリンピックの開会式は国をアピールする場となり、回を重ねる毎に華やかになり、自国の文化と力を誇示する場となってきた。

 そんな開会式の中で私が共感したのは聖火である。参加204カ国の選手団の入場が始まり、プラカードと褐色のカップが選手団を先導する。このカップが何を意味するか分からないまま式は進み1万人を超える選手団が入場した。エリザベス女王の開会宣言の後、テムズ川を船で運ばれた聖火が会場に運ばれた。聖火は若いアスリート7人に渡され会場を1周、それぞれが放射状に伸びた長い棒の先にあるトーチに点火された。トーチは選手を先導したあの褐色のカップだった。カラーの花に見えるトーチは次々に点火され204の花びらが輝いた。そして、その放射状の棒はゆっくりと垂直に立ち、やがて一つの大輪の花となった。世界は一つだと言うメッセージに読み取れた。感動した。

 第18回の東京オリンピックの聖火も印象深い。敗戦から立ち上がった日本の復興を世界にアピールしたオリンピックであった。聖火台に向かって真っ白なランニングとパンツ姿の最終聖火ランナーが167段の階段を駆け上がり灯した聖火は、敗戦国日本の経済復興の象徴であった。最終ランナーは原爆が投下された8月6日、広島生まれた陸上選手だという。平和を願う日本が世界に示した行動である。

 地球は今だ平和な星ではない。内戦や国益をかけた紛争がくり返されている。204枚の花びらが大輪の花を咲かせる日はいつ来るのだろうか。いや、永久に咲かないと分かっているからこのようなセレモニーが必要なのかもしれない。人間の弱さを再認識し気持だけでも共有する場を定期的に持ちたい、これがオリンピックのもう一つの役割かもしれない。




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2012.10.23
身近に感じたノーベル賞



 2012年のノーベル生理学・医学賞にiPS細胞の研究で京都大学の山中伸哉教授(50歳)が決まった。日本では19人目とのこと。しかし、これまでの受賞者とどこか違う。研究成果が認められノーベル賞候補になるには、相当の年数がかかることが多かったと思うが、マウスiPS細胞の作成からわずか6年のスピード受賞となった。その原動力は、治療法が見つかっていない病気の原因解明につながり難病患者に希望の光をもたらした功績であると思う。それが、多くの人を動かし、急速に全世界に研究が広がり実用化に近づいたからであろう。

 人類にとってその研究成果の意義が大きいことは勿論だが、私が共感した点は、受賞インタビューの山中氏が「iPS細胞研究所」の研究員の雇用について言及していることである。山中氏は「研究に携わっている非正規雇用の職員の安定雇用できる仕組みをつくるよう国に求めた」というニュースも聞いている。これまでのノーベル賞受賞に対してこのような話題は無かった。山中氏は「iPS細胞研究所」の所長として、若い研究者の将来を考えているのだ。

 山中氏の考えに賛同し「iPS細胞研究基金」へのご寄附も多数寄せられたという。嬉しいことだ。「iPS細胞研究所」のホームページには山中所長名で次のメッセージが掲載されている。「 iPS細胞研究基金へのご寄附も多数いただきました。心から感謝を申し上げます。みなさまのメッセージやご支援から、私のみならず研究所教職員一同が大きな力をいただいております。いただいたご寄附は、優秀な人材の雇用や知的財産の確保、そのほか研究活動に有効に使わせていただきます。」

 また、研究職の厳しさについて次のように述べている。「米国の研究者は厳しい競争にさらされており、ノーベル賞受賞者でも業績が出ないと隅に追いやられる。日本も昔すごいことをしたから、永遠に身分が保障されるというのはやめるべきだ」と。考えさせられる言葉である。

 研究職として謙虚に生きようとしている山中氏の言葉に、共感と身近な人間味を感じた。




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思うまま感じたまま

2013.1.5
箱根駅伝のリズム


 2013年1月2日、今年も箱根駅伝を見ることが出来た。家族で熱中して一つの場面を共有して心通わす箱根駅伝は、年明けの楽しい行事となっている。大手町から箱根の芦ノ湖までの約110㎞を5人の選手がタスキをつなぐ6時間のドラマである。今年は、日本体育大学が往路と復路を制し、総合タイム11時間13分26秒で30年ぶり10回目の総合優勝を果たした。前回19位で、今回は予選会を経ての出場。予選会から勝ち上がったチームの優勝は第73回大会の神奈川大以来16大会ぶりとのこと。

 毎年話題となる箱根の山登りの第5区、今年も新しいドラマが展開された。小田原中継所2位でタスキを受けた日体大のキャプテン服部翔太選手は強風の中、首位との差1分49秒を縮め、更に2位との差を2分35秒に広げてゴールインした。この山登りの中で告げられたトピックスが予選会から這い上がってきた日体大のチーム改革の話題である。監督は、チーム力の原点はチームのまとまりであると考え、生活改善から始めたという。規則正しい食事、挨拶、練習、睡眠を1年間徹底したことが今回のチーム力に繋がっていると。

 森羅万象リズムがある。規則正しいリズムがあって物事はうまくいくようである。その根源は宇宙の仕組みにあるように思う。太陽系に住む我々のリズムの根源は太陽の動きであろう。箱根駅伝の実施される季節は小寒であり、正月の凛とした空気に包まれ大地が清められる寒の入りに入る時節である。その清い空気の中で選手たちが見せてくれるドラマは感動する。エネルギーを与えてくれる。

 規則正しく生活することが自然の摂理であることは間違いない。来年も、この感動を家族で共有できるよう、今年も規則正しいリズムで生活し、働きたいものである。



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床屋の取り分 人の居場所  箱根駅伝のリズム
道具はシンプルがいい 安心と安全  
できる事とやるべき事  パソコンの功罪  
つながり ロンドンオリンピックの聖火  
テッセン 身近に感じたノーベル賞  

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ultivation & Communication

2010.1.1
床屋の取り分


 
私が30年御世話になっている床屋さんが、横浜にあります。椅子が6つぐらいあり、理髪師さんも常時5~6人いる床屋さんです。横浜に住んでいた頃から通い、今でも2カ月に1度は通っています。隣が大型の本屋でもあり、本を探したり眺めたりする楽しみもあるからです。

 最近、髪がどんどん薄くなり、七三に分ける事に無理が生じるようになってきました。頭のてっぺんは髪が薄く伸びないのに、なぜ周りの髪だけが以前と変わらず伸びるのか、不思議でもあり、経済面からも不合理だと感じていました。

 ある日、その床屋の中年の理髪師さんに整髪してもらいながら聴いてみました。
「どうして、肝心な所が伸びないで、周りだけが伸びるのでしょうか・・・」
するとその理髪師さんは、
「神様は、ちゃんと床屋の取り分を残しておいてくれているんですよ」と答えてくれました。
これには納得、そして感心させられました。

 人は、それぞれの立場で世の中を見、考えているのだ、と改めて気付かされた思いです。これで、私も髪の件は、吹っ切れました。人の話を聴く事は、大事なことだと思います。コミュニケーションの原点かもしれません。



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