Cultivation & Communication

2007.11.26
落葉樹と常緑樹



 人の生き方に違いがあるように、木にもその生き方に違いがあるようだ。落葉樹と常緑樹もその一つである。葉の役割は、光合成により酸素と木の体力の源である有機物を作り出す。しかし、土から水分を取りづらくなる冬の過ごし方に違いが出てくる。

 落葉樹は、夏頑張って光合成をして多くの葉を作り木に体力を付ける。根から水分を取りにくい冬は、葉を落として休む。春から夏にかけて精力的な光合成を行う。太く短い、そして華やかに散って行く、生き方だ。

 常緑樹は、葉を厚くしたり細く小さくしたりして、寒さや乾燥に耐えられる構造をしている。その構造から、落葉樹の葉に比べ光合成の単位時間あたりの量は少ない。しかし、春先から秋まで長く光合成が出来る。体力を温存しながら長い期間光合成を行う。細く長く、与えられた葉を大事に使う生き方だ。

 桜と紅葉の共通点は、”華やかさ”と”散りゆく潔さ”であると思う。日本人は、古来この春と秋の自然の営みを、生活の中に採り入れている。桜を見て、田植えを行い(さあ頑張ろう)、そして秋の取り入れを終え紅葉を見て冬の休み(冬ごもり)に入るのである。

 落葉樹の下には、落ち葉が敷き詰められ、太陽の日差しが地面に届き低木にも日が当たるようになる。落ち葉は、暖かい布団となり小さな虫や微生物の住処となる。

 どちらの生き方も、神が与えてくれた生き方だ。



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2012.1.21
腹七分目が地球の養生訓(2)




 前回の「腹七分目が地球の養生訓」を書いた後、エコロジカル・フットプリントという言葉に出会った。エコロジカル・フットプリントとは、地球が本来持っている再生力と、人間による消費量や廃棄量とを比較し、「グローバル・ヘクタール(gha)」という理念上の面積に換算した数値です。日本のその値は、世界の倍以上だという。「腹七分目が地球の養生訓」は、生ぬるい考えであったことを反省し、「腹四分目が地球の養生訓」に修正したい。

 資料(注)によると、日本のエコロジカル・フットプリントの値は国民一人あたり4.1gha(2006年)で、世界の平均1.8ghaの2.3倍に相当する。言い換えると、世界中の人々が日本と同じ消費をしたなら、2.3個分の地球が必要になるという意味である。さらに資料には、最大の要因が「二酸化炭素」であると書かれている。それは、「カーボン・フットプリント」という言葉で表現されている。カーボン「炭素」、つまり、石油などの燃焼によって排出される、二酸化炭素のことであり、カーボン・フットプリントとは、自然な状態でCO2を吸収してくれる土地の面積が、その国にどれくらいあるかを表す。日本の場合、1961年から1990年代の半ばまでに10倍以上になっている。

 原発が停止され、急遽また火力発電に頼っている現状は人類滅亡に拍車をかけているように思われる。太陽光、風力、地熱エネルギーでは需要の10%に満たない現状では、原発も含め出来るだけ早い時期にカーボン・フットプリントを下げる策が必要である。

 前回の「腹七分目が地球の養生訓」を「腹四分目が地球の養生訓」に修正し、生活することにしたい。

(注)2010年8月、WWFジャパンとグローバル・フットプリント・ネットワーク(Global Footprint Network=GFN)は、共同で『エコロジカル・フットプリント・レポート 日本2009』を発表した。


   
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2012.1.6
腹七分目が地球の養生訓(1)




 「いまの文明の環境・人口問題は12に分類されます。自然破壊、漁業資源の枯渇、種の多様性喪失、土壌浸食、化石燃料の枯渇、水不足、光合成で得られるエネルギーの限界、化学物質汚染、外来種の被害、地球温暖化、人口増、1人あたり消費エネルギーの増加です。」 これは、2012年1月3日の朝日新聞に掲載された地理・歴史学者ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond)氏のインタビュー記事である。氏は、過去の歴史を分析し、「マヤ文明の滅亡もルワンダの虐殺も、ソマリヤの崩壊も、人口を支えるため過剰な森林伐採に原因がある」と指摘している。

 12の問題の因果関係をたどれば、その根っこは人類の生活様式の変化によってもたらされた結果であると推定出来る。江戸時代の世界人口は約10億人、戦後(1945年)約24億人が今(2011年)70億人である。そして世界各国は、この人口を養うための食料生産の営みを行っている。その結果がいろんな問題を起こしているのである。国連は、2040年には最大100億人に達すると予測している。今のやり方を続けていては、上記問題は益々深刻になり、地球はこの人口を支えられなくなる。その時、マヤ文明が滅亡したように人類は滅亡する。

 我々は、その中で子孫を残しながら生きていくことを考えなければならない。地球にも頑張ってもらわなければならない。しかし、地球は無限の力を持っているわけではない。その為の策は、地球の持っている環境再生能力まで、環境汚染を下げることである。昨年12月COP17は、十分な成果を出さずに閉幕した。この会議に、CO2排出の多い米国(20.9%)と中国(17.3%)が参加していない事は、嘆かわしい。今、世界各国が協力して行わなければならない一番大事な事は、環境汚染防止と、地球再生力促進である。放射能汚染も深刻だ。しかし、CO2問題は、それよりも深刻だ。大気中に放出されたCO2は封じ込めることが出来ない。じわじわと、大地を浸食していく。

 自分に出来る事はないか、70億分の1ではあるがやろうと思う。それは、今の生活レベルを下げて消費エネルギーを少なくする事である。「腹八分目に医者いらず」という養生訓がある。どの位まで下げたらいいか確たる根拠はないが、とりあえず我が家は昨年度の営業実績から「腹七分目」の生活レベルを目標としたいと考えている。地球のために「腹七分目」でいこうと思う。


 
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2010.121
地の塩




 塩のことを考えていたら次の一節を思い出した。
 「あなたがたは、地の塩である(You are like salt for the whole human race(the salt of the earth))」これは新約聖書のマタイによる福音書第5章13節の言葉である。
 
 食生活における塩の役割は、味付けと漬物など塩の防腐効果を利用した食料保存であろう。精神的面においても、「盛り塩」に代表される「浄化」や「手塩に掛ける」という言葉に含まれる”大事にする”、”世話をする”の意味に塩という言葉が使われている。また、古代ローマでは兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給されたといわれている。塩は、給与(salary)即ち、お金と同等の価値を持つものとしての役割があったのである。

 「あなたがたは、地の塩である」という言葉を考えてみた。
 「地」とは、この世の中、社会、隣近所ということであろう。「塩である」とは、上記塩の持つ役割を私たちが果たしているということだろう。

 人それぞれが、周りの人達とともに味わいのある社会を作り、腐敗しないようにお互いに刺激・牽制しあい、お互いを大事にしお互いに世話をし、人類の価値を共有し合えるようになりなさいということか。



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2010.111
味な塩




 最近、塩の使い方でこんなに味が違ってくるのかと感心した事がある。
 
 我が家では餃子をよく作る。その具を作るのが私の役割であり、試行錯誤の結果、ようやく美味しいと呼ばれるものが出来るようになった。ポイントは、塩の使い方(量)であった。
 
 これまでは、野菜(白菜、キャベツなど)をみじん切りにし、余分な水分を抜くために約大さじ1杯(15g)の塩をふって混ぜる。しばらくすると浸透圧の働きで水分が出るので、それを絞る。しかし、野菜自体が塩辛くなっているので、水にさらし塩分を取り除くが、未だかなりの塩分が野菜には残っているので、全体に塩味の強い餃子に仕上がっていた。

 うまくいったやり方は、少量(小さじ1杯弱、4gほど)の塩を入れてかき混ぜ15分くらい置いておくと、水分が出てくる。その水分を絞り出すだけで丁度良い味付けが出来ている。この塩加減がポイントである。ほんの少しの塩が、余分な水分を出し、さらに野菜のおいしさを引き出してくれるのである。

 塩は人間が使用した最も古い調味料だと言われており、塩を使う食生活は、まさに食文化の原点と言える。塩の使い方次第で料理が”おいしく”も、”まずく”もなってしまう。また、塩には甘さを強く引き立てたり、酸っぱさを和らげる働きがある。この働きを巧みに利用した味付けを「隠し味」と呼んでいる。砂糖を使用した甘いものに少量の塩を加えるとより甘く感じるようになり、すし酢に塩を使うことで酸っぱさが和らぐのである。

 味だけではなく塩の持っている優れた浄化力・殺菌力も、我々は生活の中に取り入れている。塩の濃度が1.5%以上になると、ほとんどの場合、材料の表面に付着している微生物が浸透圧の働きで脱水され、繁殖できなくなり、防腐効果が生じると言われている。この性質を利用して、たらこ、すじこ、塩辛、新巻鮭、塩干魚などが作られる。また、塩の浄化力を精神面に利用したものに「盛り塩」がある。料理屋などの玄関脇に盛られている塩をよく見かける。

 塩と言えば、「手塩に掛けて・・・」という言葉を連想する。辞書(大辞林)には、次のような説明が載っている。「手塩」とは、①それぞれの食膳に備えた少量の塩。古く、食膳の不浄を払うために、小皿に盛って添えたという。②手塩皿の略。③手ずから世話をすること。「手塩に掛ける」とは、自分で直接気を配って世話をする。

 私の生まれ育った新潟では、小皿のことを「おてしょ」とか「てしょ」と呼んでいる。これは、手塩皿からきた呼び方だと思う。今回、餃子の具の野菜の塩加減のことから、塩に関する様々なことを学ぶことが出来た。食文化だけではなく、生活のいろいろな場面でそれぞれ素材の持ち味を引き出してくれる塩は、不思議な力を持っている「味な塩」である。



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落葉樹と常緑樹  ゴーヤの苦み  腹七分目が地球の養生訓(2)
やっと実った葡萄  ヘチマ  
太陽の光  味な塩  
休眠打破  地の塩  
ハスの葉効果  腹七分目が地球の養生訓(1)  
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目 次

2010.101
ヘチマ




 今年の夏、少しでも涼しくということでゴーヤとヘチマを植えた。プランターに植えたゴーヤとヘチマの成長は著しく、2階の窓近くまで伸び、おかげで猛暑日の続いた今年の夏、格好の緑の日よけを作ってくれ、幾分暑さを凌げたようだ。

 ところで”ヘチマ”という名称は子供の頃から聞いていた。また、ヘチマ実からヘチマたわしが作れることも知っていた。しかし、最近”ヘチマ”とは変わった名であることに気が付いた。辞書には、「糸瓜」とある。「本来の名前は果実から繊維が得られることからついた糸瓜(いとうり)で、これが後に”とうり”と訛った。”と”という文字は、「いろは歌」で”へ”と”ち”の間にあることから”へち間”の意で”へちま”と呼ばれるようになった。

 ヘチマの蔓が伸びてゆくに従い、沢山の蟻が集まるようになった。これは、後で知ったことであるが、ヘチマのやわらかい葉やツルを害虫から守るために、蜜を出して沢山の蟻を集めていたのだ。ヘチマはの葉や蔓を害虫からヘチマを守ってくれるアリをやとっていたのだ。花の付け根に蜜を分泌する部分(蜜腺)があり、アリは蜜を吸うためそこへ集まってくる。蜜腺は葉の裏にも多数ある。ヘチマと蟻の関係を知り、蟻退治をしたことが悔やまれる。

 ヘチマの実は細長く、大きなキュウリのような形をしている。若い果実は食用に、成熟した果実は強い繊維が発達するので「たわし」として用いられる。果実は成熟後、次第に乾燥し、種子の周囲が繊維で支えられた空洞となる。色が茶色になった頃、実を獲り水でふやかし皮をはぎ取ると写真のような”ヘチマたわし”になる。今は、浴室と台所に置き、たわしとして使っている。



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2010.81
ハスの葉効果(Lotus effect)



   

 暑い日が続く夏、雨上がりのハス田に行った。ハスの香りは、生まれ育った田舎のお盆を思い出させる。その香りは、野菜の青くささを持っているのだが、爽やかで涼しさを感じさせる香りだ。2mにも伸びたハスの葉は、そよ風にゆれ、葉から丸い水滴がコロコロと転げ落ちる。葉の中央に溜まっていた水は、まるで水銀のように丸くなり落ちていく。

 [ハスの葉効果]という言葉に出会った。材料工学では、よく知られている言葉のようであり、ハス(Lotus)の名を付け「ロータス効果(Lotus effect)」と呼んでいる。ロータス効果は、葉の表面にある繊細な凹凸が水の表面張力を強くし水の玉にする事である。更に、葉の表面を転がりながら、葉に付着した泥やゴミや虫などの異物を絡めて葉っぱから払い落としてしまう、天然の自浄効果も有る。今や、この天然の自浄効果は、テクノロジーの分野で、衣服、建材、塗料などに利用されている。

 ハスは、泥の中からスクッと真っ直ぐに茎を伸ばし、葉や花をつける。空に向かって開く花は、逞しくもあり清々しくもある。緑の大きな葉は磨かれ、太陽光を効率良く受け、光合成により作られたデンプンを泥の中に蓄え蓮根(レンコン)を作る。泥の土壌から真っ直ぐに伸びた茎、華麗な花、キレイに磨かれた葉、子孫繁栄のエネルギーを蓄えた蓮根、ハスの一生は素晴らしい。

 このようなハスの一生を考えたとき、"自分はどうだろう"と考えさせられる。与えられた土壌で、真っ直ぐに伸びているだろうか、人の役に立つ花を咲かせているだろうか、人の意見を受け取れるように自分の心を磨いているだろうか、子孫繁栄のためのエネルギーを蓄えているだろうか。 



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2010.4.1
休眠打破




 桜は、夏に翌春に咲く花の基となる花芽を作り、秋から「休眠」に入ります。そして花芽は、冬の間、十分低い気温にさらされることにより、休眠から覚める「休眠打破」の状態を経て、気温の上昇とともに生長し開花に至ります。冬に十分気温が下がらないと、「休眠」から覚めにくく、桜の開花は遅れがちとなるようです。冬の寒さが一定期間あることにより、桜は美しく咲くのでしょう。

 人の一生も同じようなことがあるように思います。生後まもなく、脳細胞が出そろい、その細胞が繋がって成長していきます。学校では、先生の話を聞き、話し、いろいろな世界を学びます。友達と野山を駆け回り、海の幸、山の幸を享受します。また、楽しく遊んだり、時には喧嘩もします。家庭では、喜び、悲しみ、希望、失望などなど。長い青春の期間を過ごします。その期間に、脳が十分鍛えられ、やがて青年に成長してゆくのだと思います。その期間に、十分なる体験をしておかないと、花の咲きかたに異常を来すのではないかと思います。また、その期間での原体験が、素晴らしい花を咲かせるのだと思います。

 桜は、四季のある美しい日本の国で進化した植物なのです。私たち人間も、成長に欠かせない糧を得るための厳しい期間と、思いやりのある日本の社会で進化したいものです。そういう、社会を作ることが、我々大人の役割だと思います。



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2008.12.12
太陽の光


      
                 2008.12.12 12:00  町田市薬師池公園 入り口の紅葉

 12月に入ると、ここ薬師池公園の紅葉も終わりを迎える。しかし、池の由来の掲示版の脇にあるこの紅葉は、今が見頃でした。鮮やかな紅葉ではなく、黄色に紅を加えた色彩の黄葉です。紅の華やかさ、心浮き立つ気持ちに対して、この黄葉は、秋を静かに終わりにしようとする、もの悲しく、落ち着いた気持ちにさせてくれます。
 この紅葉の葉も、葉の中のカロチノイドと呼ばれる色素を輝かしてくれているのでしょう。太陽の光を通すと、透明な橙色になります。清々しい色合いに見えませんか。

 そこで一句       太陽を 透かして揺れる 黄葉哉



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2008.6.30
やっと実った葡萄



 今年、庭の葡萄の木が10房の実をつけた。秋の収穫の時を思うと、なんとも豊かな気持ちになる。
 
 実は、苗木を植えてから5年かかった。妻と初めてのバス旅行で山梨県に行った時、お土産に貰った苗木2本のうちの1本が育ったのである。
苗木を最初に植えたところは、場所が悪かったのか1本は枯れた。残りの1本を今の場所に植え替えてから伸びが早く、細長くどんどん伸びた。しかし、実のつきは悪かった。

 懇意にしている植木屋さんに聴いてみると、「今は、実より木を大きくすることが大事」だと言われた。そこで、まず”木に栄養を”と考え、生ゴミ処理器で乾燥させた有機肥料を、庭の土に混ぜることや、余計な枝を剪定することを行った。その結果、昨年は、小さな実がついた。しかし、実のついた枝をそのまま伸ばし放題にしたため、実に養分が集中せず、実は大きくならなかった。

 今年は、幹も直径4cmと大分太くなり根もしっかりした様子だ。5月には、新しく出た枝の付け根に小さな葡萄の赤ちゃん房が出来、次第に大きくなった。房が5~6cmほどになった時、枝先は2葉を残して切りとり、実に養分が集中するようにした。6月の終わりには、房の大きさが長さ25cm直径10cm程に大きくなっている。葡萄の実は雨に弱いと本に書かれていたので、手製のビニール袋を作り覆っている。梅雨の今も順調に育っている。

 人の成長も同じような気がする。多くの人、多くの出来事や経験から養分を吸い上げる太い幹が必要であること。そして、その養分をどこに活かしてゆくか。人の、社会の役に立つためには、その養分を集中させないと効果が出ないことを。私は、葡萄の木、いや植木屋さんから学ばせて頂いた気がする。




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自然の恵み

Essay 自然の恵み 

2010.91
ゴーヤの苦み



 今年の夏、家の涼しさを考えゴーヤを植えた。プランターに植えた3株の成長は著しく、いまや2階の窓近くまで伸びている。東側に面した廊下は、ゴーヤの日よけのおかげで幾分暑さを凌げる。蔓のあちこちに直径3㎝~5㎝程の花が咲き、やがて小さな実を付け、2、3週間で20㎝~30㎝となり、ゴーヤが食卓に載る。涼だけではなく味覚にも貢献しているのが我が家のゴーヤである。

 ゴーヤは、ウリ科の1年生ツル草で和名を「ツルレイシ」、一般には「ニガウリ」と呼ばれている。原産地は、熱帯アジア(インド)であり、中国に伝わりそこを経由して江戸時代に日本に渡来したと言われている。旬は、6月から8月、沖縄の夏野菜として知られている。

 日よけとして植えたゴーヤからの恩恵は、夏バテにも効くことがわかった。調べてみると、ゴーヤ100g中のビタミンCの量はレモンの2~3倍、キャベツの4倍に相当する120㎎もあるという。さらに、βーカロチンやビタミンB1、またカリウム・リン・鉄分などのミネラルも豊富で、疲労回復にもってこいの食材である。我が家の調理法は、中の白わたを取り3㎜に薄く切り、塩もみをして約40秒ゆで苦みを取り、冷やした後鰹節をまぶし醤油でいただくというシンプルなものだ。

 ゴーヤの特徴はその苦みにあると思う。苦みは、果皮に含まれるモモルデシンという成分で、血糖値や血圧を下げる効果もあることがわかってきたそうだ。また、この苦みは、食欲増進作用や整腸作用のあることもわかってきた。暑さで弱った胃腸を刺激するため、夏バテ防止にも効果がある。良薬は口に苦しというが、このゴーヤの苦さは癖になる苦さである。



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