ロケ地訪問

「唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われた、古代からの交通の要所です。

”壬申の乱” ”承久の乱” ”建武の戦い” 等 歴史に再三登場する橋ですが、具体的に”どこにある?”と問われるとなかなか答えられない人が大方では無いかと思います。
自分自身も京都にあるんだと勝手に思い込んでいたのでしたが、良く考えれば近江八景としても大変有名ですし、良く考えなくても、ちゃんと瀬田と冠がついています。
大津の瀬田にこの有名な橋はあるんですね。

資料によりますと現在のこの橋は昭和54年に造営されたもので、残念ながら映画「早春」当時のものでは無いようです。



全日記 小津安二郎よりロケ記録 

1955年9月12日(月) 三石発 昼過ぎ京都着 明日はくもりの由
酒大いにハずむ 開陽亭 なるせ すきやきなれど食ハず 九時すぎよりねる。

9月11日に岡山県三石でロケを終えた小津組は翌日に次のロケ地大津をめざし前日に京都入りをします。

そして、翌日の天候が曇りと知って”酒大いにハずむ” とあります。
なんか、目に浮かびますね”飲兵衛”小津安二郎の面目躍如と言ったところでしょか。
「どうせ、明日は撮影は出来ない、大いに飲め飲め」と言ったところでしょう。

しかし、予想に反して翌日は晴れとなり。

9月13日 (火) 晴れとなる 瀬田川ロケすむ・・・・とあります。 笑えますね。

三石に向かう途中、池部は大津にいる元上司 笠を訪ねます。

笠智衆と池部良が話し合っていた場所はこの辺でしょうか?。当時はこの辺に桟橋がありました、そこに腰かけて上流(写真・右)の方面を見ながら語ります。

そして、池部は笠に夫婦間の悩みを打ち明けます、そこへ京大短艇部のボートが1艇通り過ぎます。

「あの時分が一番いい時だなぁ」

「昔、河合さんもここで・・・・」

「あいつにもあったんだねぇ、あんな時代がぁ」

「あの時分が人生の春だねぇ」

笠の息子が橋の上から父親を呼びます。

「父さん・・・・・」

「おぅ!」  「支度が出来たらしい、そろそろ行こうか・・・・・」

「いろんな事があって、だんだん本当の夫婦になるんだよ」

「まぁ、あんまり仲人に心配させるなよ・・・・。」


瀬田のシーンでのラストはこのJRの東海道本線です、下りの汽車を唐橋の橋脚からロングで撮影されています。

「早春」は、めずらしく前作「東京物語」から3年ものブランクがありますが、それだけ「東京物語」が小津さんにとっても大作であったと言う証拠なのかも知れません。

ところで、ごくごく個人的な感想ですが、池部が東京を離れて三石へ度立つと決まったその送別会で、浮気相手である岸 恵子と握手をして別れの言葉を言うシーンがあります。

「元気でね」 「ありがとう」・・・・と握手するのですが・・・。

でも、管理人は思うのです、そうかなぁ、そんなふぅに分かれるかなぁ、男と女って・・・・。
成瀬巳喜男ならこんな奇麗事な別れをさせないでしょう。
まぁ、作風が違うと言えばそうかも知れませんが、やはり小津さんは男女の関係を画くのは不得手だと思わざるえません。
男女の別れってそんなもんじゃないと思うな・・・・まぁ、それだけ小津さんと言う人が男性的で爽やかな人だからでしょうか・・・・。男女関係が不得手と言うのは、まぁ、照れ屋と言うのもあるかもな・・・・。