陸上自衛隊第10師団第33普通科連隊 
旧陸軍歩兵第33連隊です。

小津さんは昭和2年と8年に、ここ久居の33連隊へ予備役演習召集で訪れています。
現在も旧陸軍当時のまま、33連隊と呼びます。こう言う例は珍しいと、どこかで聞いた事があります。

ここ久居で書かれた日記を読むと、かなり小津さんがネガティブになっていたのが良く分かります。 ほとんど投げやりに近い記述です。
順に書き綴ってみましょう。

昭和8年9月16日(土)日記より
33 Star Hotelに投宿 十五日あまりの味気ない長の逗留
この夜蚊帳なし 夜もすがら蚊になやむ

昭和8年9月17(日)日記より

日曜なればとて午後は休養

昭和8年9月18日(月)日記より

満州事変の二周年で夜を徹しての演習 明方から細雨

昭和8年9月20日(水)日記より

昨夜 さむさ゜むとした藁ぶとんの寝台で夢をみた 服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚をかさねてゐた夢だ 目がさめると雨がふつてゐる 夢とは似ても似つかぬ Star Hotelの一室で 雨の音を聞いてつくづく東京に帰りたいと思ふロマンチスト 小津 安二郎

昭和8年9月22日(金)日記より

イペリットですか 晒粉をまきますよ 遠慮なくそう仰言つて下さい

昭和8年9月25日(月)日記より

兵隊は蚯蚓の様に単純だ イベリットの瓦斯が来たらゴム靴をはいて おたおたと晒粉をまけばよろしい


昭和8年9月26日(火)日記より

Go Stop事件 軍人は巡査とちがって professionalではないと仰言る
そんな事はどうでもいいんだ ほんとうのとこ早く除隊さしてくれ

昭和8年9月29日(金)日記より

射撃 秋の陽の当つた射的場の土手にねころんで 一日をうつらうつらとくらす

昭和8年9月30日(土)日記より
「モロッコ」のクーパーとディートリッヒを思い出しつつ

「アーミー・ヂョリーのいないトム・ブラウンの生活は これは名手ジュールス・ファスマンをもってしても映画劇にはなり難い トム・ブラウンはゴム靴をはいてイぺリットに晒粉をまいていたら Non Senseものにもなり難い」
イペリットとは小津の属していた部隊で使用されていた毒ガスのことです。
小津さんはこの地で毒ガス訓練をしていたのです。

昭和2年の久居滞在中に旧友へ手紙を書いていますが、そのなかで・・・。

僕は二十五日に当連隊に入営した。毎日の練習、鼠が浮き上がつたゐたし云うあしたの味噌汁 ザラザラの凝灰石に米のとき汁の様な夕べの風呂 僕は明に地獄に落ちたのを感じる。中学二三年頃に当連隊の連兵場にスミスの飛行機を見に来たことがあった・・・朝から夕方までこの練兵場で鉄砲を担いでいる。久しぶりに見る伊勢の鈴鹿の山々が鮮かに襞の明暗ひいて雲脚の早い秋の空がめまぐるしく変わる。夕方になると殊の外に布引山や経ケ峯がいい。」・・と書いています。


何にも当時を偲ばせるものがないんでずが・・・・・。
一つだけ大正時代からの建造物があります、現在は何に使ってんでしょう?

2005年1月 取材