・亀ケ谷坂

昨年に引き続き、この切通しを通って小津さんが週に二度は通っていたと言う扇谷の旧里見邸へと向かおうと思います。

1955年 2月13日 全日記 小津安二郎 より

「入浴 ブラブラあるいて建長寺谷戸の稲田邸に梅見に出かける・・・・・・・それから 亀ケ谷坂を通って 里見邸へゆく・・・・・」

1956年 3月28日 全日記 小津安二郎 より

「秀行と山を越して 里見先生のところにもずくをとどける」


鎌倉には切通しと呼ばれる山や丘切り開いて通した通路があって、外敵を防ぐのが目的だった様なのですが、それがこの様にそのまま残っているのは嬉しい限りです。

京や奈良の都にも当然そう言った危機管理の産物はあったのでしょうが、後世の者に具体的に目に見える物としては何も残って無いし・・・・・・・。
しかし、さすが武家の都だけの事はあります、坂の下から騎馬武者が駆け上がって来そうな面影が今でもあると思いませんか。

昨年は風雨の中、傘をさしてトボトボと天の台風を恨みつつ歩いただけでしたが、今回は最高のシチュエーションが待っていました。

炎天下、切通しに差し掛かると、まるで冷風機から送られた様な爽やかな風が、次々と坂を上って来る。
それは、とどまる事を知らないかの様だ。
後続の外国人観光客が思わず”至福の雄たけび”を上げる。
そして、管理人一行も余りの気持ちよさに思わず”ヘナヘナ”と道端にしゃがみ込んだのだ。

夏はこれだからヤメラレナイ 早く生ビールが飲みたいってか!
・旧 里見邸への道

亀ケ坂を下って程なく旧里見邸があります。
この道を調度曲がった所でしょうか。
泥酔して里見邸から出てくる小津さんの姿が目に浮かびます。


1960年 9月3日 全日記 小津安二郎 より

「昼から出社 原 司 アパートのよみ合せ アパートのセットを見る。 のち扇谷里見邸の<秋日和>ガーデンパーティに招かれる 原 司 岡田 佐田 佐分利 中村 それにスタッフ 大佛さん来られる。」

「秋日和」撮影中に行われたこのガーデンパーティは、写真が残されています・・・・しかしなんとも豪華なメンバーですねぇ。