・光泉

北鎌倉駅に隣接する小津ゆかりの稲荷寿司持ち帰りの店

1953年 4月26日 全日記 小津安二郎 より
「森と昌子ちゃん、 くる 光泉より稲荷すしをとって 麦酒をのむ」

1951年に開店、小津さんが北鎌倉に新居を構えるのが1952年、それ以来すぐ贔屓の店となりました。
現在の女将さんは当時高校生で小津自身の出前注文も良くあったとの事です。
店の前に出前用のバイクがありました、当時もこんな風だったのでしょうか・・・・。


本日の昼食は光泉・稲荷寿司に決定。 店に入ると雑誌 等で見たそのまんまの女将さん登場(当たり前か)予約が無いけど食したい旨を告げると「結構ですよ、海苔巻きはどうなさいますか?」とのご返事。
・・・・・・・「海苔巻き下さい!」
円覚寺

昨年に続き、今年もやって来ました円覚寺。 鎌倉五山第2位。
いよいよ2005年8月17日Wカップ・アジア最終予選 対 イラン戦・観戦2泊3日関東お上りツアー最終日です。
即年度は台風さんに祟れ、雨・風そして真夏とは思われない低温にも悩まされ、ほとんどヤケクソ状態の「いざ・鎌倉」でしたが、今年は良い・・・・・太陽がサンサンと輝く・・・本当に暖かい・・・・かなり暖かい・・・・・いや・めちゃくちゃ暖かい・・・・まさに夏です!。

やはり「小津」には「夏」が似合います。

今年はデジカメをと言う新しい武器を持参、昨年の様な心霊写真に成らぬようリベンジです。
まずは えんがくじ・・・と読みます・この石標を撮影 ”パチリ”・・・乳母車と相似形になっている所がミソです。 さすが円覚寺に来る親子は分かっていますね小津さんの様式美が・・・・・ビール瓶が無かったので、変りに乳母車にしたのでしょう・・・・・・・・?。
・円覚寺 山門

夏目漱石の小説で有名ですが、ここでは昔から色々な映画撮影が行われているらしい。
まぁ、「小津映画」には登場しませんが・・・・人気の無い瞬間を狙って撮影。

金曜日と言うのに観光客の多いこと、とくに外人さんが目につきます。なかには”本場”インド・パキスタン系の方も。

そう言えば、昨年行った高徳院には台風の中東南アジア系の人達でいっぱいであった、首都東京から近い事も一因なのだろうが・・・・・。

円覚寺は今回で三回目の訪問です、舎利殿などの国宝がありますが、そんな事よりまずは「あの人」のお墓へ
小津安二郎の墓

「合掌」
しかし、それにしてもセンスの良い墓石ですね、今回訪れてしみじみ感じました。
真に小津さんらしい地味で品の良い形、多き過ぎず小さ過ぎず。
なんかこう全然威張った感じがしない・・・・・・小津さんは死んでからでも自分の美意識を貫き通したかのようです。

前回の墓参では”無” の文字が悪天候下の撮影の為よく分かりませんでしたが、今回ははっきりと撮る事が出来ました。
墓石の後ろには小津ハマ名の塔婆がありました、彼岸の際のものでしょうから、数日前にこちらへ小津ハマさん(義妹)がこの花を携えて墓参に来たものかと思われます。
前回の失敗で、あまりにも悔しかったので今回はこの墓石を前後左右30枚位写真を撮って来ました。
しかし、知らない人が見たら・・・・変ですよねぇ、墓石の写真を30枚も撮る男
・・・・かなり・・・・やばいのかな・・・・          
小津病・末期症状ナリ。