・金剛証寺 山門

「伊勢へ参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」・・・・と江戸時代の伊勢詣ブームで当時歌われたそうです。
内宮の奥の院と呼ばれ神宮とともに隆盛を見せた古刹です。
地元の人間には、参道に林立する卒塔婆群で有名です。

管理人は今回ここを訪ねたのは小学生以来のはずです。
はずです・・・と言うのはまったく記憶に無いからですが、三重の中部地方に住む人間で、お伊勢さんへ行か無い人間がない様に、この朝熊山へ来たことの無い人間は、たぶんいないでしょう・・って随分無責任な物言いですが。(笑)
朝熊山に来た覚えはあるんですが・・・・・この古刹に来た覚えが無い。
また、小学生の頃友人と、ここ朝熊山で元旦、御来光を見る事に執念を燃やしていた時期がありましたが、結局親を説得出来ず実行には至らなかった事を懐かしく思い出されます。
今から思うと、小学生程度で、大晦日に松阪からここへ来るのは無理かもしれませんね。
・庭園と本堂

大正7年の宇治山田中学校寄宿時代の日記から。小津さんがここ金剛証寺へ来た事が分かります。






大正7年4月28日(日)・・・・日記より


「朝食をすませて草鞍をはいて弁当を携へて 
稲田 池部 木下、海住と  朝熊山登山の旅路につく
 
漸く
豆腐屋につき弁当を開く。
学校も良く見へた。
中山先生共に行った。
槌賀先生は小学校の先生を同伴でがんがんを下げて行った。

奥の院へ行った。
 
中山先生よりミルクキャラメルを賜はって
帰りは急の道なり学生もゐた。」
・奥の院

金剛証寺の奥に、この奥の院があります。
参道に立ち並ぶ卒塔婆に圧倒されます。
写真を撮ろうかとも思いましたが・・・何かそれをさせない霊気の様なものを感じました。

写真、右下に小さな卒塔婆が見えますが、参道に並ぶそれは、この数倍の高さのものです。


現在、朝熊山へは伊勢志摩スカイラインで簡単に行く事が出来ます。
小学生で来たときも叔父の車で来ましたが、あの当時から比べるとこの有料道路は随分廃れている印象を受けました。
観光客は後で出来た、パ−ル道路やスペイン村に行ってしまうのでしょうか・・・。

今回も車を利用しての浅熊山でしたが、いつかは小津さんのように徒歩で登頂したいと思いました。