何があっても、こいつを奪われるわけにはいかねぇ。
それが、兄貴ならば、なおさらだ。
─── 『 Brothers 』 3
トレーニング中に見た光景が脳裏から離れないまま、ボロアパートのドアを開けた。
「あ、おかえり」
嬉しそうな顔で、何事もなかったようにオレを出迎えるにいらだちを感じた。
そんなオレに自身も気付いたのか、笑顔から訝しげな表情に変わる。
「鷹村君?どうかした?」
「・・・・・・」
「鷹む──」
「何でもねぇ。」
手を伸ばしてきたをかわして、部屋に上がり込んだ。
チラリと様子をうかがえば、はかわされた手をしばらく見つめてから、
オレの態度を問いただすこともせずに作りかけの料理に戻った。
あんな些細なことでイラついている自分にケリを入れたくなる。
「ごちそうさまでした」
きちんと手を揃えて軽く頭を下げた後、はテーブルの上を片付け始めた。
食事中も機嫌の悪いオレに何も聞かず、
ただいつものように、今日の職場での出来事を笑顔で話していた。
先に食べ終わっていたオレは、の顔をまともに見ることもせずに、
『大人の雑誌』を読み耽るフリをする。
「あ、そういえば、今日ね、鷹村君のお兄さんに会ったよ」
台所で後かたづけをしていたが突然、話し始めた。
その何気ない調子に、一瞬何のことかわからなかった。
今の今まで、気になってしようがねぇ事だっていうのに。
「あ?」
「学校の帰りに、呼び止められたの」
水道を止めてタオルで手を拭きながら、それでもこっちを向かねぇから、
どんな表情をしているかはわからねぇ。
「何で卓兄がお前に会いに行くんだよ」
「・・・・・・」
「おい」
「・・・・・・別れてくれないかって・・・」
「・・・何だと?」
「鷹村家の人間にはそれなりのお家のお嬢さんと結婚してもらうからって・・・」
「・・・ったく・・・ふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・おまえ、何て答えたんだよ」
あの兄貴がに会いに行ったという時点で、何の話かってのはだいたい見当が付いていた。
だからこそ、俺が帰ってきたときの、の何もなかったかのような態度がムカついた。
普通ならもっとショックを受けているんじゃないかと思うはずだろう。
なのに、清々しささえ感じるこいつの笑顔に、得も言われぬ不安に駆り立てられる。
まさか・・・。
「ごめん・・・・・」
「・・・・何で謝んだ」
「だって・・・・」
「お前、まさか───」
まさか、別れろと言われて承知したんじゃねぇだろうな・・・。
「ごめん、私、やっぱり無理だった・・」
「・・・・お前───」
「やっぱり・・・メロドラマみたいに、身を引くなんて、私にはできない」
「あ?」
「鷹村君のためには・・・本当はそうするのが一番なのかもしれないけど・・・」
その言葉に、考えるより先に勝手に身体が動いていた。
気が付くと、背後から大きな体に包まれていた。
「・・・バカなこと言ってんじゃねぇよ」
「鷹村君・・・」
「何がオレのためだ。そんなのはオレ様が決めることだろうが。」
「・・・うん」
「勝手に答えを出すんじゃねぇ」
「・・・・ん」
クスリと笑いが零れてしまったから、見えなくても鷹村君が背後で訝しげな顔をしたのがわかった。
「何だ」
「だって・・・」
「まるで、お昼のメロドラマみたいなんだもん」
「あ゛〜?」
「御曹司と報われない恋・・・なんてね〜」
「バカなこと言ってると、犯すぞ、コラ」
「・・・ごめん」
「オレはあの家とは関係ねぇんだ、・・・ったく、わかってんだろうが」
「うん・・・ごめんってば」
「卓兄の言うことなんか、聞く必要なんてサラサラねぇんだ」
そう言ってから、ぎゅうっと少し痛いくらいに抱きしめられた。
それが、彼の不安を表しているようで・・・。
いつも高慢な、自信たっぷりの鷹村君とは思えない、そんな抱擁だった。
まわされた腕にそっと触れる。
彼の身体がピクリと動いた。
「私はどこにも行かないよ」
息をつめていたように思えた鷹村君が、わずかに力を緩める。
その腕の中で体の向きを変え、彼の背中に手を回した。
思えば、こんなふうに抱き合うのなんて、めったになかった。
私が、大きな鷹村君を抱きしめる、なんて。
いつも一方的に包まれてた気がする。
「鷹村君、私ね・・・、」
「・・・・・・」
「お兄さんに、思いっきり啖呵きって来ちゃったの」
「・・・?」
「何があっても・・・鷹村君とは別れませんからって」
私たちの間の『何があっても』は、普通の恋人のそれとは少し意味合いが違う。
今まで敢えてそういうことを口に出さないようにしてきた。
けれど、今、世界で一番彼に必要とされているような気がしたから。
こんなに大きな彼を、守ってあげたい、そう思った。
「だから、絶対離れないから・・・」
「・・・」
「覚悟、してね?」
笑ってそう言えば、たぶん目を丸くしているだろう彼が、クッと笑った。
「それでこそ、オレ様の女だ」
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