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祖父 能見愛太郎  祖母 キク
明治3年生、家が貧乏であったので、大阪で代用教員をしがら勉学。眠いときには、錐で脚をを刺して眠気をはらい塩水で目をこすりながら勉強したという。
帝国大学冶金工学科卒、27年三菱合資入社。
大正7年三菱鉱業常務、11年九州炭礦汽船社長、
昭和7年7月10日死去(63歳)。
       
 (後列)キタ、福二郎、新一郎     今は亡き私の伯父・叔母たち
 (前列)なほ、祖母キク、タマ、    (左)福二郎、新一郎、キタ、トヨ、なほ
  武三郎(父)、祖父

 父はまだ初等科在学中(10歳)、
 昭和5年ころの写真。
 福二郎(中尉)は婚約するも、
 ビルマ,ラムリー島で戦死
 
         

       父武三郎の生まれたときの写真(大正9年) 
       後列:トヨ、祖父 
       前列:新一郎、キタ、祖母(キク)、抱かれている父、福二郎、ナオ 

 
 愛太郎の卒業論文「ベッセマー製鋼法」
 Design for Bessemer Steel (1894) 採鉱冶金学科に現存

    
愛太郎の蔵書  Ex Libris印、祖父死後、東大に寄贈    A.Nomi  Apri 20th 1899 London
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父武三郎・母裕子
  
  海軍大尉能見武三郎(昭和20年)
(大正9年ー平成23年)学習院高等科卒、大阪帝大工学部卒 武三郎 裕子の結婚式(昭和22年)
海軍で鈴鹿海軍工廠で機銃設計製作、戦後、国鉄、運輸省
日本鋼管などで勤務   平成21年11月死去。
祖母は、3人の息子(新一郎、福二郎、武三郎)の旅路の時のために、高価な白装束を作らせて
いた。それを父の結婚に際して、母に渡してあった。
  
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