オーディオの衰退と秋葉原電気街の嘆き 

ラジオ会館はオーディオマニアのメッカだったがここ十年で様変わり。 世紀末に第一家電DACが去り、2階3階は漫画とフィギュアに占領された上, 2000年の夏にはタンゴ解散とともに老舗の三栄無線まで閉店になった。 寂しい限りであるが、4階にはキムラとサトーががんばっているし下の階には光陽もあると思っていたら、しばらくご無沙汰しているうちにサトーは2003年秋閉店、2005年春久しぶりに部品を買いに秋葉原へ出たら光陽は見当たらない。アナログ関係アクセサリーとスピーカユニットとケーブルなど自作用機器の老舗・木村無線も2008年10月末にラジオ会館の店舗を閉店し足立区に移転した由。2011年夏、通称ラジ館は複合ビルとして建替えが決定したそうだ。因みに秋葉原駅周辺に多くの店舗を持っていたサトームセンは2008年営業停止し、旧サトームセン店舗はすべてヤマダ電機の直営になった由(2003年に秋葉原の7店舗などを閉鎖した後、外部資本との提携を模索したがついに2008年7月15日事業停止)。

東京ラジオデパートは部品の宝庫だがそれでも抵抗関係の専門店がめっきり少なくなった。日の丸無線,東京抵抗社,広瀬などは何処へ行った。それでも奥沢や海神ががんばっているのはうれしい。

再開発が進み周囲に巨大ビルが出来た後、秋葉原ラジオセンター(パーツセンター)はどうなるのだろう? アキハバラデパートは2006年12月31日閉店ーデパート前で露天商の口上はもう聞かれない。

ただ何処の売り場でも同じ声が聴かれた:「雑誌で紹介されるとそこそこ売れるが後はさっぱりなので常時在庫をおけない。」「さほど良いとは思われない物が売れる。」「高すぎて誰も買わない。」これが買い手ではなく売り手の言葉だとすれば雑誌等メディアにも責任があると思う。

部品店をもっと応援しよう。

結局、デパート化した大型電気店(間口広いがどこにでもあるような商品ばかり)と特化した零細店(間口は狭いが思いも付かないものまである)の2種に収束しつつある。

日本製オーディオ部品そのものの衰退も激しいようだ。進のプレート型抵抗、双信のSEコン、エルナー(セラファイン)やパナ(ピュアリズム)のオーディオ用コンデンサー等は廃品になる一方、海外製品が比較的安く手に入るようになった。

一方で、ネットで直販を始める部品メーカー(Alpsなど)や卸店は増えてきた。

ネットでお店のHPを開くようになっては個人テナントを寄せ集めた商売は難しくなったのかもしれない。昔の秋葉原では或るオーディオ店を訪れて商品の在庫がないと他店に電話して即納するネットワークがあった。

2010年4月30日:5年ぶりに秋葉を散策。秋葉原ラジオセンターだけが再開発の中で昔のまま。中にいる懐かしい面々の面子も余り変わっていないが、周辺はすっかり変貌した。中の人々が隠居するのとあの場所の商業形態が終わるのとほぼ同時になる予想。2階への階段途中に昭和26年創業当時ラジオ会館前でリヤカーを牛に引かせて物資を運ぶスナップ写真とその写真をプリントしたTシャツが飾ってあった。旧秋葉原デパート跡地でも何か建設中。秋葉原将棋センターが入っていた昭和通の雑居ビルも建替えになり現在幽霊ビル状態(漫画の「月下の棋士」にも登場した不思議な面々や手合い係のオジサン・オバサンどうしているのかな)。建て替えられた秋葉原ワシントンホテルは5月中旬に営業再開するとのこと。ラジオ会館の目玉だった3・4階はオタクのメッカになった(平成18年から清進商会は5Fの閑静な事務室風の一室に移転して営業)。ホビー産業とメディアの推移としては当たり前の流れなのかも?ラジオ部品→テレビ→ステレオ→カメラとPC→漫画とフィギュア・模型。扱っているものは違うけど屋台・ブース形式は同じーそれらが小綺麗な広い店舗に変貌した時が秋葉色が無くなる時だと思う。人形や玩具などを入れるディスプレイケースを家具再販業者さんがママバコと呼んでいたが、家具や調度にも流行や廃れがあるそうだ。丸いちゃぶ台、茶箪笥(網戸が付いた食器棚)などは冷蔵庫が無かった頃の名残りで今では見当たらない。オーディオラックもトップにレコードプレーヤを置くタイプは既に無く、背の低い横長のテレビ台=AV台が今や一般的になった。面白いのは同世代で同じような傾向の調度品を使っていることだ。1960年代にはコンソールステレオ装置と百科事典が中流以上の家庭の居間に家具のように揃えられていたことを懐かしく思い出します。

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