独談(独断):これはあくまでも独り言です。

a. 原音とは何か?生音楽とは?

レコード芸術はフィルターを通してある。再生芸術はすべてコピーと編集によって成り立っている。生演奏はレコードよりも音楽の意図するものがわかりやすい。たとえ素人の演奏会でも同じだと思う。楽しめる音楽は音のよい音楽ではなく、その意図するものがわかりやすい再現演奏だと思う。

比較的フィルターの少ないフルトヴェングラ-やカザルスの奏でる(SP)がなぜに生々しく心に迫るのか?彼らの音記号には意味だけでなく訴求力がある。時に音が悪いのでかえって想像力を働かされているとも感じるときがあるが(彼らの音の特別な力は三極管シングルアンプの様に非常にストレートな感じがする−これは単に機械的歪と電気的歪のなせる業か?と自問している)。

b. LP盤はアナクロか?

SPはフィルターが少ない点でHI-FIだ。LPはフィルターが多いがそれでもわかりやすい演奏だと思わせる点でHI-FIだ。CDは最もフィルターが多いからダメなのか、新しい演奏家がダメなのか、なにより私の耳のせいか、音楽がわかりにくい。 CDで感心した録音(ADD)は後でLPレコードを探したくなる。 但しPCM録音のレコードは好きだ。デジタルがすべてダメだということではない。又アナログなら良いのでもない。大体アナログとデジタルを同じ相で扱う議論は間違っていると思う。

CD再生で一番気になるのはFilterとError Rateだーこれらを利便性に名を借りた誤魔化しと思うかHI-FIと思うかで判断が分かれる。音の補間は合理的で耳で聞いて分からないはずと言われても信じがたい。異常音を出さない仕組みとしか思えない。SACDには20kHzのリミッターはないがFilterとError Rateの問題はどうなっているのか。

ある時、外盤CDで音のおかしなものがあった。 電灯で透かしてみるとたくさんの星が耀いている! それでもかかるからすごい! 以来CDに対する不信は消えない。

CDとDATではDATがよいと言われるのはなぜか?(更にDATよりカセットがいいという人までいるらしいが理由がわからない)

因みに、Verveを引き継いだFantasyの再発レコード盤はデジタルテープ化したものをベースにしているのか、気が抜けたビールみたいになっている。オリジナルのアナログテープはもう腐っているのか!アメリカでは古代の本など文化遺産を全てデジタルフォーマット化する計画があると聞いたが、何処までデジタル変換が進んでいるのだろう?それで文化を保存したことになるのか疑問だ。EmercyからClifford BrownのMore Study in Brownが「米Mercuryのテープ倉庫に保管されている門外不出オリジナルテープからデジタル録音機に直接コピーした」のうたい文句で出たが、やはり当時のLP盤に比べラッパに覇気がない。テープが劣化してるか磁束が減少したとしか思えない。やっぱり、1956年にLPで出ていればMore Originalなのに残念。 やはりテープは腐るということか。後記:これは単に私のvinyl-drunken頭が迫力のある/迫真の歪を好んだ証拠なのでしょう。本当に良いラッパは岩清水のように柔らかく染入るもので裏返ったりとげとげしさは感じられないものだからです。

テープがないSPの場合、発売されたオリジナルSP盤が現在マスター扱いされている。

c. ハードとソフト

DJ関係の業務用機器が比較的まともな値段になっているのに、近頃のアナログ機器、特にレコード再生機器の莫迦高いのは何故か?それに比べて〔コレクターにはありがたい事だが〕クラシック音楽の中古レコードの大半がごみ扱いになっているのはどうしたことか! これも市場原理かと思うが、これではまともなアナログオーディオ愛好者は育たないと思う。DJの皿回しか成金か。まっとうなオーディオ機器が欲しい。そもそもまっとうなオトキチなんているのか!?     <小人閑居して不善をなす>とまでは言われないように、ソフトを漁ることはありますが古いジャンク機器を集めるのだけは止め主にネット上の情報を見て無聊を慰めています。これはお金のかからない<環境にやさしい>趣味ではないかと自嘲しております。ソフト・メディアの世代交代は画期的な技術とそれを受け入れる環境が整わないと、一朝一夕には変わらないようです。CDの次はSACDではなくPC/携帯オーディオになると現在は考えられているようで、ソフトの配給や入手方法も様変わりしました。そのうちインターフェースで脳のシナプスに直接繋げる生体再生なんていうのも誕生するかもしれませんね。そしたら時と場所を選ばなくなりますね。私は従来のレコードやCDを静かな環境で再生するだけで十分です。必要以上を求めたり流行に流されると「音楽を楽しむという基本姿勢」からかけ離れてしまうように思います。モノラルオーディオの時代60年そしてステレオの時代60年、次はサラウンドもしくはsound mappingによる多チャンネルの時代とオーディオ界では叫ばれていますが果たしてどうなるか?私は部屋などの関係からインターフェースで脳のシナプスに直接繋げる生体再生の方が究極ではないかと思います。

d. クラシックレコードの功罪(録音と実演)

「最初に出会った演奏・レコードが一番良い」といった人がある。本当だと思う。フィシャー・ディースカゥのシューベルト「冬の旅」ステレオ初期録音を愛聴していた。70年代半ば来日の折実演を聞く機会があった。 目の前に見る歌手は白髪が混じって、声の張りが薄れている。前のレコードの音ばかり思い出されて、目の前の歌声に気持ちが入らない。比べてしまったのはまずかった。当時フィシャー・ディースカゥは既に指揮のほうに取り組んでいたためだけではない。 以後、なるたけ知らない音楽を実演では聴くようにしているが、何故か限られた有名曲ばかり演奏されていて、知らない曲がすくないのが実情だ(興行上の理由)。

始めは同じ曲ばかり数種類のレコードを集めていたが、最初に感動した音楽はレコードでも同じで、比べるものではない。

レコードのいいところは実演ではめったにお目にかかれないものまで聴けることだと思う(録音ではなく記録として)。

e. 音楽の快感は何処から来るのか?これが一番知りたい。

高城重躬先生とは違って、楽譜も読めないし電子理論もわからないし何よりも音痴を自認している私が音楽とオーディオいじりを楽しんでいるのは事実である。musico ergo sum! 音楽を楽しむのに理屈はいらないが、音楽の快感は何処から来るのか心理学(Jung)でも哲学(Adorno)でもはっきりしたことは教えてくれない。回転が不安定になっているターンテーブルや低域共振やアームの横揺れによる変調が好ましく感じられることがあるのは不思議ですが、不正確な音楽がライブ感を演出するのでしょうか?歴史的な演奏法を無視して楽譜に書いてあることだけを機械的に再現したら如何でしょうか?音楽は何を本質としているのでしょうか?枝葉(trivial details)や気まぐれ(caprice)や不意がオーディオ的には面白く感じられるのは事実のようです。

f. レコード再生の歪

電気的歪はコンマ何々の段階まできた。 そして感知不能だという - それでも同じメーカーのアンプで出力だけでなく音に違いがあるのは何故?

レコードは歪が多いと言う。 確かにアナログレコードには共振やトレーシング歪など機械的要素が多い(さらにレコード製作時にも機械的歪が伴うので不利)。 しかしLP時代のピックアップの歪はスピーカーの非直線歪と大差ないはず? 45/45ステレオ溝をなぞる針先には3次元の動きが要求されるので厄介。モノラルレコードのほうが垂直信号がない分トレーシング歪は少ない-これがモノラルLPの方が音が良いと言う理由でもあるまい。
測定上の絶対歪と人間が感じる相対歪は違うのではないか?CRのアナログ信号発生器とCDテストレコード(16ビット)のサイン波[3kHz]をヘッドホンで聴いてみよう。歪はどれも0.1%以下なのに音の出方が違う。単純音なので、もちろんどれが良いとは言えない。 何を違いとして感じているのか?

人間は音を聴くときに歪を感知するのではない、脳のフィルターで聴くことが出来る(刷り込み)。聞き入るとき、目と同じようにズームアップされる部分がある。 だからSPのノイズも排除可能なのだ。 何を良いと感じ何を悪いと感じてるのか、快感原則だって本当のところは分からない - 脳科学か心理学か生理学か?

<オーディオにおいて音の違いは歪の違いをいう>とする理性派がいます。ところが、実際には歪の程度(歪率)よりもその内容(歪の次数や分布)により、酷く感じたり、気持ちよく感じたりしますので、歪が少なければ音が良く感じるかは別な話のようです。オーディオ的に気持ちよい音(LP?)は余りHi-Fiとはいえないのではと思います。純水よりもミネラル水が好き?人によりお好みの水が違うとすれば、純水(CD?)を基準にするのが良いはずですが、果たしてどの程度の純度に達しているのか? 特にアナログの場合、Design(設計・理論)とMake(工作精度)とPerformance(使いこなし・設定環境・部屋)の間にはそれぞれ大きな溝があるように思いますーどれひとつが突出して優れていてもいい音にはならないようです。

g. クレオパトラの鼻、もしくはemperor's new clothes<裸の王様>の身繕い

人間の感覚の欲は際限が無く、時に生演奏以上の音を求めたりします。特定の楽器や楽曲が<らしく>聴こえるスピーカや設定がありますが、それだけを求めるのはいかがなものかと思うことがありますー音楽を聴かず、音を聴くことになりがちです。個人的には<時々らしく>よりも<つねに破綻無く音楽に浸れる>方向を選ぶようになりましたーある意味オーディオ的なものから卒業したのか(あるいはしたいのか)? オーディオにおいて凄み<真実>のある音を求める人がいますが、そのような凄み<真実>は音楽の中に内在し個々の音にあるとは思わなくなりました。オーディオとは詰まる所、<聴けるだけで仕合せな音楽に出会う>ことに尽きるのではないか? スポーツのようにオーディオを<する><やる>と言う表現にはなじめません。音質の良い、高級な音響再生装置としてオーディオを考えるなら<買う・改造する・壊す・作る・交換する・蒐集する・売る>もしくはここで長々述べているような<語る>行為も含めてそれを<オーディオをする>と言うのか? オーディオについて「書き散らす・読み散らす・作り散らす・売り散らす・買い散らす・集め散らす」人々。これに聞き散らす人々も入れるべきか? 再読(再聴)は多読(いろいろなものを聴くこと)に勝ることもあると思います。私自身は全音楽の1%も聴いていない、と自覚していますーまだまだ私の知らない音楽があるのは喜ばしいことと思っています。

音楽家があまりオーディオ装置に凝らない理由は生演奏を聴く機会が多いからだけではなく、いわば音楽の見方が違うのではないかと思います。作曲家であれば音楽の骨格を、演奏家であれば肌触り(音色)をそれぞれ捕らえる目的で音楽鑑賞が目的ではないように思います。では我々の音楽鑑賞とは何かというと、オーディオ装置鑑賞になっていることがあります。カーソン・マッカラーズのA Member of  the Weddingに<初恋の男性に少しでも似た所を持った人と次々再婚して失敗を繰り返す老女>の話がでてきます。彼女が最後に出会ったのは<指>の部分でした。オーディオマニア(月を見よと指した指の方を見る人種)とよく似ていませんか? 音楽よりも特定LP・CDレコードを、あるいはオーディオ機器を聴く種であることに変わりはありません。音楽は月のような存在ではなく音を介した実存関係の中にある、とまた分けの分からんことを呟く自分があります。絵のばあいでもその由来や能書きを聞くよりも、その絵の中でどれだけ<自分が遊べるか>の方が大事ではないかと思います(ルオーが描いた対象は必ずしも美しいものではなく、むしろ悲しいもの、醜いものが描かれていますが其処に独特の色合いと精神性を感じます)。音楽も誰が作ったとか誰が演奏しているよりもその曲の演奏[再現]に何を感じるかの方が私には大切ですーそれ以外は二番煎じの他人事の客観的事実にすぎません。多くの時代にまたがって多くの人を感動させた物が古典=クラシックになるのだと思います。機械や物は古典にはならず、ただの古物になるだけですーそこから別の何かを得ようとする人を除いては。

ある時レコードを掛けていてバックハウスの手が見えたように感じたことがありました。冷静に思い返してみるとあるジャケットからの幻視連想(deja vu)にすぎなかったように思います。

LPレコードに限ったことではないかも知れませんが、一聴つまらないレコードを買ったと思ったものでも、後になって別な聴こえ方がして良いと思うことが度々です(その逆もあり、何でこんなレコードを聴いていたのか不思議に感じることもあります)。機器などよりも趣味や聴覚など自分のほうが変化したのか? 「若い時にしか出来ないことがある。年を取らないと分からないこともある。」−これは一言居士を自称していた亡父が便箋の裏に書き残した言葉です。ドイツの諺にDie Alten zum Rat, die Jungen zur Tun(老人達は忠告し、若者は行動す)とあります。過去の過ちや蹉跌の経験を持つ老人は同じ轍を踏まぬように忠告するのですが、若者は構わず行動する。結果は?古代ローマの詩人ホラティウスは『詩論』のなかで老人の特性を述べています:『頑固で気短で自分が若かった時代を賞賛し、若者を貶す。』 時代が変わっても人間はたいして賢くならず、歴史は繰り返されるようです。

h. 音だけにこだわるのは変態・オタク?

オーディオの歴史は映画や放送通信と密接にかかわっています。Westrex(Bell Systemの生産部門)やWollensak(Kodak系列のレンズ及びオーディオ機器製作会社)やNeumann(Teldecのハード面の設備製作会社)やFonofilm(=Ortofon)や電音(放送録音機器の製作会社)などの名前が思い出されます。アメリカのレコード産業はダンス音楽の進展と切り離せません。ウィーンワルツでさえ貴族でない庶民の参加を許す19世紀からのダンス音楽です(ショパンがその実態を見て顰蹙したとか)。今ピュアオーディオは衰退しているとよく言われますが、純粋に音楽だけがメージャーになったことは実際には一度もなかったのではないでしょうか?ダンスするもよし、カラオケするもよし、臨場感をもり立てる映画音楽として楽しむもよし、主義主張のメッセージを伝える補助(弾き語り)としてもよし。室内楽もサークル活動のように演奏に参加して楽しむのが本来の姿でした。私のように部屋にこもって音楽を聴くだけなのが室内楽ではないわけです。

私は生の音の出るものなら何でも好きです。蝉やキリギリスはもちろんのこと、公園で練習する素人の調子はずれなラッパやギター、撞木と座布団によって変わる仏壇の鉦の音を楽しみます。

horizontal rule

私がレコードを主に聴くのは珍しいからではありません。若い人の中には<アナログ始めました>と、まるで<冷やし中華>のような季節もののように思っている方が多いのには愕然としてしまいます。<物が骨董となるのはその実用的価値が終わった時>というペンタックスカメラ博物館館長だった鈴木八郎氏の言葉を思い出します[西麻布にあったペンタックスカメラ博物館は益子町に移転した後2009年7月31日ついに閉館の由。又一つの時代が終わった感があります。2011年10月「RICOH」「PENTAX」双方のブランドのコンシューマー向けカメラ事業は、ペンタックス リコーイメージング株式会社に集約=縮小された。2017年追記:関係は不明ですが現在「日本カメラ博物館」が半蔵門にある。私にはまだレコードは骨董ではありませんー日々の糧、常食です。常食は大げさですがニコチン中毒(nicotinism)並にビニール中毒(vinyl addict)にはなっています。ところで、タバコを吸う人はボケない(その理由はニコチンよりも呼吸法にあると私は思うー特にパイプタバコの場合)そうですが、レコードを聴く人はどうでしょうか?余談:briar pipeの生産はLPレコードの生産と似ているように思いますー戦後主流が英国やフランスからイタリアやデンマークに移り、恐らく70年代にピークを迎えたのですが、1980年以降briar資源枯渇のためかパイプメーカーの統廃合のためか全体に品質が落ちたと感じます。個々のbriar pipeはその使われた時間が長いほど、タバコがうまく感じますので新しいパイプに魅力を感じないのですー新しいパイプは育てる時間が必要。ある程度時間が経つと木部の内面から輝きだす瞬間がありそれがたまらないのです(緻密な黒筋の部分が道通がよくヤニが木部から染み出てくる)。私は特定のブランドのパイプに固着しませんー見かけが美しいパイプと喫煙してうまいパイプは別別。私の満足度係数経験値: source (music or tobacco) 50%〜80%/equipment (audio system or pipe) ±30%/situation or one's physical condition ±50% North American Society of Pipe Collectorsが発行しているThe Pipe Collectorsの2011年11月号で面白い記事を読みました:Mark Irwinが提唱する5つのルール @Pipes are For Use(コレは自明の理ですが、ブランド物を棚に飾って悦に入る人種を揶揄しています) AEvery Pipeman His Pipe(凡庸な物でも自分で気に入ればそれで良い) BEvery Pipe Its Pipeman(品物は人を選ぶー珍奇なものも特定の人には好まれる)CPreserve the Collection of the Pipeman(コレクションの維持管理) DThe Pipe Collection is a Growing Organism(嗜好もコレクションも育てるもの) これは趣味としてのオーディオにも通じるルールではないでしょうか?評論家や通人に保証されたものを集めるよりも、自分で集めたjigsaw pieces(=collection)を組み立てる。健康志向の中で煙草文化は衰退しパイプ煙草の品質も下がってしまい新たにパイプを買う気が失せました。音楽も興味が失せればその再生機器も無用の長物となりますが、いまのところ手持ちのLPと機器で十分かなと思う私がいます。

最近思うことは、アナログ万歳や西洋音楽万歳やオリジナル盤云々などの偏向に対して、同時体験のない人が過去に過大な期待を寄せるのは間違いですが過去のアルス(技術+芸術)がそれほど間違っていたわけではないと思っています。何故なら<音楽と人との関係>は偏向や御託よりも<素晴らしい=生きた関係>だからです。だから特定の演奏家や機械やアナログレコードだけが素晴らしいとは思っていません。 LPの推進者とされるGoldmarkの1958−60年の特許を見ると感慨深いです。 モノラル盤を同期させてステレオ再生するアイデアでした(2つの方法が提示されています、1つは2枚、もうひとつは裏表同時再生)。 当時モノラルLPは誕生しても一般の再生機器に問題が山積していて、1本溝をステレオ化することに大いに疑問を抱いていたようです。 ステレオLPの時代になってモノラルLP再生が完成し、CD-4の実験以降やっとステレオLPの再生が安定化したと感じています。余談:1951年平行2本溝によるステレオは米国Emory G. Cookによる試みが知られていますが、もっと古く1920年代RCA(USP1817177 & 2126370)や第二次世界大戦中のドイツTelefunken(DE737328)など平行2本溝ステレオ盤のアイデアは各国に存在しました。

最近ネット上で一部のメーカーがその<歴史を語る>ようになっては博物館行きも間じかで<ある意味終わっている>と思われます。寂しいことではありますが、いずれそのページが整理されて消えてしまうと思います。老兵は死なずただ消え去るのみ。その終わりは突然にやってきます。壊れる寸前のピアノの音が最高だったと後で述懐したピアニストがいたとか。。。メーカーは閉鎖する前にゴミのような商品を乱発して終わることが多いようです。

特定のメーカーや評論家や設計者の弁を頭から信じる人々がいます(拝金主義になぞらえて拝名=権威主義者authoritarianism)。私は<名に聞かず物に訊け>を信条にしていますーこれもひとつの独断(ドグマ)ですが。。。。中学の教科書で読んだ菊池寛のショートショート『形』の内容が頭から離れません。名(有名)や形という虚像や偶像にいかに影響されているかを描いています。興味のある方はネットの青空文庫で読むことが出来ますので読んでみてください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/4306_19830.html 名声により実力以上のパーフォーマンスを発揮するようにみえたり<期待>、平凡なものが過小に見えたりする<蔑視>現象はどの時代どの場所でも一般に多く見られます。

一体何がしたいのかその人ご自身よく分かっていない質問者がいます。何を真に求めるかを明確化すれば、その過程で既に答えや解決策が見つかることが多いと思います。人に質問しないで自分で答えを見出す姿勢は私の悪い癖かもしれませんが、問題意識を常に持っていれば答えの方から自然にやってくる幸運が多いと思っていますー遠回りしてやっと答えにめぐり合うーその過程で学ぶことの方が答え自身よりも意義深いこともあると信じます。関係のない本を読んでいて過去の疑念が解けたときの喜びはひとしおです。アーカシャ(虚空蔵)に全ての知恵が既に所蔵されていて、読み出す力さえあれば答えは既に常在しているのでしょうか?   何が問題なのかは問題設問自身の中にあることが多いのだが、問答をしていると質問者の気を悪くさせ怒らせてしまうことがある。ソクラテスが産婆術と呼ばれるその問答法によってソフィストと誤解され、周囲の人々に反感を持たせた理由が分かります。予め期待した答え以外は認めようとしない思い込みの人が多いのは今でも変わらないようです。私自身他人の言説を不愉快に思うことが多いのでネットでの投稿をやめたのですが、それは私が何らかの思い込み<筈=ハズ>や拘り<偏向>を抱いている証左(自ら築く馬鹿の壁)だと気が付きました。質問の隠れた動機の一つは同意や同感を求めて安心したい気持であり真実を求めてはいない事が多い。オリジナル・一人の個人であることに不安を覚えるのが人間の性でしょうか?又、オリジナルであることが他人にとっては何の意味も無い場合もあります。「同好の士」で括り特定の集団「グループ」になりたい気持ちも分かります。

温泉気分に浸っている人に冷や水をかけたり、狭いグループで遊んでいる人々の輪に口を挟むことは控えています(自分にも他人にも良いことがない)。いずれ温泉からあがるでしょうし、グループから離れる時がくるだろうし、「あんな時代もあったよね」とそれぞれ良い思い出になればそれで良しとすべきでしょうー今しか見えない自分を棚上げしてそんな感想を懐きます。若いうちはグループ活動によって豊かな経験を得ることも有意義だと思いますが、いい年になってグループ活動は如何かと思います(ボケないためにはそんなグループ活動を勧めるべきでしょうかー私には世代の違う人々や部外者や外人と接する方が新鮮味があって面白いと思うのですが)。

オーディオのBBSを見ていると<主人(管理者)が去った居間に我が物顔に居座る人>や<自らの理解内容を開示せずに勝手な質問をして、回答者を当惑させて密かに喜んでいる人>や<謙虚さも理解もない質問馬鹿の永劫回帰>が多いようです。BBSやブログをやらなかったのは今になっては正解だったか?ブログでは過去の自分の間違いを訂正することもできませんし、何よりも私が億劫で内弁慶だからなのでしょう。それでもネットの力は偉大で内外に興味深いページを日々発見する喜びもあります。一方でドイツやオランダやポーランドや台湾やスェーデンのオーディオフォーラムで私のページを引用・議論しているのには驚かされました。 内外のBBSで気が付くことは、最後に答える者は真のバカか賢者ですーその場合は誰も二の句が継げなくなるんですね。板が延びるとか称してBBSでは半馬鹿と半賢者が好まれますー二の句を継ぎ易いんですね。ネットでの引用と言えば、私のJIS S8502-1973のページが各国のWikipediaで参照され、30cmレコードの内周外周の線速度の違いについて述べられていますーしかもそのタイトルが私の別のページComparative table for 30cm LP Standards(正しくはComparative Table of Standards for 30cm LP)になっています。引用者の資質が問われるような記述や我田引水的な説明が多くあります(私自身のことは棚に上げて)。大賢は愚に似たりーそしてその逆に愚は大賢に似ていることもあるようです:落語の演題<こんにゃく問答>を思い出します。

自分で理解するために始めたような道化的な自己満足のサイトがさて実際なんの役に立つのやら? ビニールの死体解剖所見にならぬように気をつけていますが、針のトレース上改善不能な歪を見るたびに、技術者達は限界を感じてデジタルに移行したのだと実感します。そのデジタルがまだ発展途上にあることは確かなことだと思います。楽観的な私はアナログ録音を凌駕するデジタル録音/再生がいずれ現れることを信じています。

産業遺産についての余談:昨今北海道の炭鉱などの廃墟を巡る産業遺産ツアーがあるという。廃墟マニアもいるそうだ。かって実際に其処で暮らしたことがある人々は何と思うのでしょうか?炭鉱住宅(炭住)前で撮った大正から昭和初年の祖父母の写真が手元にあります。昭和30年代後半には炭住に住んでいる人は少なく、連なる長屋は既に記念的な遺産に見えました。レコードも実際に聴く人がいなくなれば産業遺産になってしまうのでしょうか?形あるものはいずれ壊れるが、その内容は形を変えて後の人々の心に引き継がれていくのだと思います。無理に形だけ残そうとすると結果は無残な様相を呈します。鉄道記念館や炭鉱記念館を観光目的にしても無縁の観光客をどれだけ呼べるのでしょうか?実際に閉館に追い込まれている施設が多いようです。十年一日のごとく進歩しない私の回りで、続々と一時代が終わっていくのを眺めています(幕末や終戦を体験した人に比べれば大した変化ではないのですが)。事物が変わるのと人の気持ちが変わるのとどちらが先か、あるいは人の気持ちは物と共に変わるのか(弁証法的に言えば量の変化があるレベルに達すると質の変化を来たす)?

horizontal rule

東京近辺では6月22日前後の11時から12時は太陽の足がもっとも早くなる(方位変化が大きい)と言ったら皆さんは笑うでしょうか?

マンションの日当たりについての季節変化を調べたいと考えて表にしてみたら上図のようになりました。節季の日付けは仮に22日に統一して2009年の東京地方の結果です。ガラス窓の方位とベランダ及びガラス窓の間口による入射角制限範囲によって居室に直射する時間帯が予想できます。古代の人たちが太陽観測に狭い観測窓を使った理由も実感できました。後ろの壁面に投射する日光の範囲変化を日々実測していたと思われます。西日が殊更に言われる理由は傾斜角度の時間変化が少ない=季節に関係なく強い日射が比較的長時間続くからだと言うことが分かります。午前中の東日も西日に似て傾斜が緩やかですが、午後の西日の方が温度が上がっているので感覚的に西日が強いという表現が生まれたのだと思います。因みに、西日は夏の季語だそうです。

 二十四節季 黄道上の位置(角度) 新暦(太陽暦) 季語
清明 15 4月5/6日頃
穀雨 30 4月21日頃
立夏 45 5月5日頃
小満 60 5月21日頃
芒種 75 6月6日頃
夏至 90 6月21日頃
小暑 105 7月7日頃
大暑 120 7月23/24頃
立秋 135 8月7日頃
処暑 150 8月23日頃
白露 165 9月7日頃
秋分 180 9月23日頃
寒露 195 10月8日頃
霜降 210 10月22/23日頃
立冬 225 11月7日頃
小雪 240 11月22日頃
大雪 255 12月7日頃
冬至 270 12月22日頃
小寒 285 1月5/6日頃
大寒 300 1月21日頃
立春 315 2月5日頃
雨水 330 2月18日頃
啓蟄 345 3月5日頃
春分 360 3月21日頃

二十四節季:初期の陰暦では一年を等分した平気(15日間隔)だったが後の陰暦では黄道を24等分した定気(15度間隔)を採用したとのこと。陰暦も太陽暦と同様に精緻なものですねー門外漢である私は感嘆するばかりです。

6月22日前後、11時から12時の間に見かけの太陽高度はさほど変化しませんが方位では60度近く変化することになりますね。私は次の夏に実際に観測してみたいと思っています(後記:入梅後の晴れ日2010年6月17日に観測しました)。日時計や時計の短針を太陽の方角に合わせた時12時の目盛と短針間を南方とする簡易方位測定はあまり正確ではないことになります(日時計は実際に夏時間冬時間の目盛りが別になっているようです)。関係の無い余談でした。アナログ時計が読めない人が世界的に増えているとか。50年ぶりにSeiko5を買いましたーその文字盤(Index)は内周円に時間、外周に分秒を刻んだデザインで初めは異な感じがしたのですが、アナログ針の短長二つの指針(Hands)の働きを直感的に示したデザインだといえます。決まった約束事は教えてもらえなければ分かりにくいですよね。私の子供時代には毎朝ネジを巻く振り子時計があり、ある年齢になるまでは時計に触らせてもらえませんでした。今アナログは分かりにくくなっているようです。現代日本人は英語がある程度できますが、江戸や明治の人ほど漢文の素養はありません。また縄文人ほどの土器製作能力は現代人には無いですし、何かを得れば何かを失う。どちらが賢いではなく、知の総和は新旧変わらないのではないか?「流行(ハヤリ)の半纏」ー結局どの時代の半纏を着ているかに過ぎません。今、天動説を信じる人は少ないでしょうが、私は地動説を聞いているだけで自分では証明できません(大体、言われていることを信じているだけで、その証明には何が必要かなど人は考えないものです)。人は手近な結論(handy conclusion)に付きやすい。膨張する宇宙や宇宙の始まりは極小だといわれても、私には自動洗濯機のルーテインの終りの脱水終了部分から話をしているようにしか思えません(脱水が終了した時、固まっていた衣類は自然に解れてexpanding)。

horizontal rule

趣味の増長:I.初めは入手したものの形質に感激する→II,いろいろなものを集める→III,人の持っていないような物に執着する→IV.最後は振り出しに戻り、現在所有している全てを愛でる/もしくは廃棄して他の趣味対象に移る。上の太陽高度の変化と似た曲線になるのではないか?それぞれの趣味が今どの段階にあるかを知ると冷静になれる。

レコード機器が普通の家庭には無くなった現在でも音楽ソースとしてレコードを選ぶ理由:

  1. 沢山のレコードを持っているから (又それらを聞いた思い出が捨てられないから)

  2. 沢山のカートリッジを持っているから (死ぬまでに使い切れない!)

  3. レコードの方がCDより聴いて楽しいから(レコードは毎回違ったLive Performance みたいだが、毎回同じCDは面白くない)

  4. 機器をいじるのが楽しいから (調整オタク) Black Box化したCDPには素人がいじる部分がない。オーディオは元来passiveな趣味だが、<調整する部分が多いほど高級だ>と思ったり、特異な/流行のtweakを試みて<音が良くなった>と妄想したり、古い機器を集めたり次から次と珍しい品を買ってそのレビューをしてみたりする。ビンテージオーディオの世界では主に日本とロシアが古い欧米の機器(本国ではジャンク扱い)を収集しているようです。そして欧米では日本のセミビンテージ機器が高評価されています。珍しいことがマニアですか?

  5. レーベル等についての能書きを述べるのが好きだから (マニアや通と呼ばれたい)

  6. 老人にとっては彼らの思春期の音楽がレコードに記録されているから (同時代性)

  7. まだCD化されていない音源があるから(カセットやレコードを個人的にデジタルコピー)。レコード自体コピーなのにさらにコピーを作ってその人に何の意味があるのか?自分の蔵書を自分のためにコピーする人は居ませんよね? 自分の持っていないレコードをレンタルしてカセットに録音した時代がありましたが、その人は今でもそのテープを聴いているのでしょうか?私はテレビを録画してみましたが、つまるところ録画は見ないので止めました。後世に残すべき記録は少ないと感じます。大きな事件(戦争や災害)でさえ喉もと過ぎれば他人事・絵空事。

  8. レコードが新しいファッションだから (レコード全盛の時代を知らない若い人にはtrendy)。マスコミや雑誌の無責任な<アナログレコードの復権>だとかに踊らされて、アナログレコードに未来があるように妄想する。

  9. 「音が良いから」は上の3/4/5を取り混ぜた理由と思われる (音楽よりも特徴のある音を選ぶ音マニア)。

  10. 時流に逆らい、使用が簡便でない、一定のお作法があるから (偏屈な変わり者)

ターンテーブルを操るturntablistやscratch DJがいる一方ではレコード演奏家など家元制に似たレコード検定もあります。どちらにも違和感があり、やはりレコードの時代は終わったことを痛感します。

傍目には理解できないが、個人個人の中でのみ整合するのが趣味という物なんですかね。根ざすもの(動機)や目指すもの(範囲)は人それぞれ。最近は読者からの質問に触発されることが多いですが、事を見てもそこに何を見たいかは人それぞれです。Fish bone (obsession) got stuck in my throat. It was my problem and not yours. / Fish bone got stuck in your throat. It was your problem and not mine. 断捨離について;捨てるのには集めるのと同じかそれ以上の強い意志が必要です。最近はよく災害ゴミの映像を見るのですが、所有者から無理やり離れた物の哀れを感じます。主体である所有者が物故した時にも、残された所蔵物は有機的関連を持った存在を失い無機的な物(ブツ)に変化します。所有者が生きている時にはその整った蔵書や纏まった収蔵物を見ただけでその人が辿った人生を見る思いがしますが、全くの部外者にはそれらは無機的なモノにすぎません。親子でも互いには分からないことが多くあります。生きているうちに成るだけ多くを譲ってしまうのが得策のようです。後は野となれ山となれ、の境地です(実際に災害ゴミを見ているとそんな気に囚われます)。人は勝手に何かを集めては死んでゆく。昨今、若い人は余計な物を持たない傾向があるようですが、世代を超えて引き継いだ物が堆積した場合には自分の知らない事物が結構あります。敗戦前までは家督とか惣領という概念があったのですが、新民法が施行されそれまで家単位で構成されていた戸籍が夫婦を単位とした戸籍になり本家・分家が実質消滅し家伝及び事物が散逸するのを免れない時代になりました。ある意味初期化してさっぱりしたとも言えます。

趣味家(Hobbyistその道の道楽者)は学者さんと違って共通の本質を求めず、わずかな違いに執着する傾向がある。例えば多くの園芸品種は学名としては一つに纏められています。Homo sapiens(人類)には白人、黒人、黄色人という人種はありますが本質ではない点については無視されます(var.Negroとかにはならない)。水草やビカクシダやサボテンやリトープスなどでも同様で、奇妙な変種形態やウイルスによって変異し班が出た種や交配作出種がそれぞれの趣味家の間で珍重されています。班を珍重するのはアジア圏では一種の文化ですが、文化の中には有害なものや賛成できないものも多くあります。そのような特殊文化への反省が無い人を私は避けるようにしています。それでも「同好の士」と見込まれて見ず知らずの人間から勝手なアプローチを受けた経験があります。私は原種しか認めない原理主義者(*注)ではありませんが、熱病や祭りにうかれて内部でのみ整合する特殊文化に重きを置くことはなくなりました。いよいよネットの世界及び現実の世界から離れて「孤独を楽しめる心境」になれました。他人様から見れば「私はもう死んでいる」のかもしれません。*注:極論すれば、本来のhabitatから分離された種はもはや種ではなく園芸・人工品種に変異する(動物園のゴリラはもはやゴリラではない)。日本沈没という映画を見て感じたことは、日本人は日本がなくなっても日本人で居られるか、という疑問です。Diaspora(離散)を経験したユダヤ人が二千年後に再結集/建国ができた理由は:特殊文化に閉じこもっていたせいか、閉じ込められていたせいか?特定の意識にもそのhabitatがあるのか?考えてしまいます。勿論現実的には政治的な力と時の力によってイスラエルが成立したことは間違いありません(20世紀初頃のユダヤ独立運動Zionismや第二次世界大戦後の植民地支配のリセット)。最近は昔から興味があった植物に入れ込んでいます。多くの種を集めるよりもその初めから終わり、そして再生を見るのが好きです。植物の適応力は凄まじく、抽水植物は水辺と水中を行き来する植物群で葉の形が大きく変化するものが多い。植物の学名の変遷を見ると、結構いい加減だなぁ、と思うことがあります。最初に記述した人の標本が行方不明で、別の人が別な学名で紹介したり、幼体を見た人と成体を見た人がそれぞれ別に発表したり、地域変種をvar. ナントカではなく種に格上げして記述したりいろいろあります[最近サンセベリアにはまっていますー学名リスト(エクセルファイル)を作りました}。別な科なのに似た形態をとる収斂進化(convergent evolution)の例を見ると進化には機能の合理化が働き、それがあたかも進化には一定の方向があるように見えますが、私個人は進化に一定の方向があるとは思っていない:前進もあれば後退もあり時代環境に従っているだけと思います(変化せずに生き残ったものは変化の必要が無かっただけで、我々人類のように変化の過程にあるものは危いと感じます:人類の最終形態は自らの意思によって決定されそうで空恐ろしい)。別な興味は【生きる意志】(ニーチェの「権力への意思」は誤解を生みやすいので私は生きる意志と解釈しています)が生命体には備わっていますが現状のコンピュータには無いものです。もしPCが自発的意思もしくは独自の時間感覚(=モラル)を持ってしまったら「ターミネーターの世界」になりますね。

horizontal rule

Frequently I have received following questions:

1. What is the standard setting for reproducing records as a starting point of criteria? 

2. What equipment or model I recommend?

It is very difficult to reach consensus about “good sound”. Good sound to someone might be bad to other as the content of music itself. I will not meddle with the taste of others. Why there are so many kinds of products even within the same manufacturer? The products with higher prices should have higher potential for good sound. But these will not guarantee “the good sound to specific person”. The tendencies of audio hobby: One would like vintage from curiosity shop, limited products from garage makers, or seek expensive top of the line products or home-made equipment - anyway rare or special products which other audiophiles do not own. Hobby of audio (hardware=equipment and/or software=source) is to make differentiating from others? There is too much of ostentatious show-off and blabbing write-up in audio reviews and reviewers. One cannot measure the taste of pudding eaten by others. My maxim: Something special or the virtue of speciality should be inherent in music and not in any audio equipment.

If there is complete Hi-Fi line of products from signal pickup to speakers without loss and distortion, then this is good for everybody? No never! There is another more important matter: room acoustics and the hearing ability of music lovers. It is seldom that hearers including musicians have same sensibility of their ears between right and left. Equipment and room are Physical circumstances while to enjoy the music is Psychological/physiological matter inside brain.

horizontal rule

Zarathustra in Nietzsche style would speak:

"Vinyl is dead" 
"I teach you Superdisc. Vinyl disc is something that is to be surpassed."
"DJs make a glockenspiel from the bones of vinyls and play their own music."  from "I love those who 
punish their god because of love". 

Every country or culture has its own noted hero, saint, thief and fool. 

There are people who cannot or will not evaluate the value of their treasures by themselves and try to ask other people. These people are easily going to make themselves conceited or deceived (voluntary self-deception). Often such persons are asking questions in order to seek the expected answers only or the consensus of their obsessions.

The followers of a sect often misinterpret the ideas of a sect founder while the antagonists may understand the true meaning mentioned by a sect founder more deeply than some loony followers do.

Every audiophile is spinning on the top of one's own hill.

Many minor twigs sprout from the trunk after the tree itself is dead. But only a few can survive and flower and bear fruit. 

True reality is not affected by the hearsay or theory, but the assumed reality conceived in everyone is affected by such. The borrowed knowledge is often misused and made far from understanding. There are many mockers who display or carry such knowledge without checking themselves about the validity and the limit of usage or application.

Often the distributors and dealers try to sell or mystify their handling merchandises with all kinds of frills and embellishments while the craftsmen or engineers or inventors would take very humble and sincere attitudes on their own products and ideas. In fact there is difference between product (raw/plain) and merchandise. People would like to be enchanted with catchy wording or nominal/superficial numbers.

It may be futile to give any rational guidance about new toy when a boy is raving over his new toy. An innocent boy or manic looks happier than an old melancholic man laden with too much prudence.

The true peak of a mountain is one irrespective of the approaching routes to it. But we forget often our destination and indulge in method or route - maybe such diversion (divertimento) is our life.

Strong power is required for man who wades through deep snow to open up a trail while meticulous care is required for men to follow a trodden trail. I think the same way about vinyl recording and reproduction.

I as being not wise enough cannot learn transcendent ideas from the wise people. Rather often I catch specific information from the fools who display too many things even though the reverse of opinions or informations is often true.

The minor adjustment pretending to be improving might result in complacency (self-satisfaction) in proportion to the efforts consumed on tweaks or adjustments.

One playing in his limited field believing his superiority would put blindfold on himself and would build wall against other fields played by other people. It is named "wall of fool" by a Japanese anatomist Takeshi YOUROU. It is truly difficult to understand each other since everyone has own illusionary field of play.

What makes difference between a workman and a craftsman? Craftsmen apply their knowledge from both experience and study to products. Simple workmen would repeat their narrow knowledge without knowing the real factors involved in products. 

Vinyl reproduction may continue as far as there are living listeners. Now vinyl reproduction becomes the temporary trend or new fashion to the young. Vinyl listeners and analog equipment are reducing while many vinyl sound sources are transformed to digital formats. I do not care about the reduction of time and volume - and I believe this is the nature of this hobby. SP records reproduced with mechanical sound-box are still attractive to me.

In the products of audio instruments, the following persons are involved. Sometimes all steps were great or only one step was great.

  1.  Project planners outline the general specifications or minimum requirements without indicating the method how to realize the products.

  2. Inventors of new method or design.

  3. Designers or drawers to outline the end products.

  4. Craftsmen or Craftswomen

Analogue records look like old puddings: how to eat them is up to you.

  1. Some people dispose of them because they belong to old formats.

  2. Some (newbie) will try to eat them from curiosity.

  3. Some would stick to them because of old format (they have plenty of records already).

  4. Some would like them from other reasons such as content of music, rare items etc. You should question to yourself why you select them. My personal reason as I think now is that every play of record sounds like a live performance: The impression/experience is different (new - never boring) each time (grin. I am negative about the conversion to digital format from analogue records since upto now I have not heard any good conversion to digital format (losing such vivid performance obtainable from every play of records). I think this is not the matter of selecting suitable equalization nor kinds of pickups nor reasonable arrangement of the equipment. These are my findings as of today.

Good sound or reproduction is a kind of illusion. What is goodness in illusion is impression or great concept one can receive. Often such psychological effects are exceeding the original plans or ideas the artists or authors intended.

Now people would seek conclusion only without thinking themselves. We can never be wiser than ancient people and cannot laugh at the people who believed the sun was revolving around our earth. By obtaining easy conclusions or answers, we lost something more important power to think by oneself independently without being affected by information available on internet etc.

-to be continued-

horizontal rule

ホームページへ戻る