年賀状「ボツ」作品集
 3月18日のダイヤ改正で運用を離脱した常磐線103系が4月8日に北千住〜取手でさよなら運転が行われ、翌9日に松戸車両センタ構内で車両展示会が開催されました。今回、こちらでは9日に開催された車両展示会の様子の映像をUPしました。
なお、8日のさよなら運転の様子はビデオ撮影がメインでStillの撮影は僅かでしたが、過去の映像などと共に近いうちにUPしたいと思います。ビデオも機会があったら公開したいですね・・・(って、まだ編集もしてないクセに)
 いつものお願いですが、ここに記録されている映像は全て私、吉01が所有しているものです。無断での使用は堅くお断りいたします。
前日の8日夕方から天気が回復し、この日は朝から天気に恵まれてホント良かったです。最後のイベントが雨では寂しいですもんね。受付を済ませて松戸車両センター(以下、松戸車セ)の門を入ると、このような横断幕で迎えてくれました。
松戸車セはご存知の方も多いとは思いますが、松戸駅から結構離れた場所に存在します。このイベントの案内では徒歩20分になっていましたね。以前に仕事で伺ったことがあるのですが、その時は京成バスで行ったような気がします。今はもうやっていないかもしれませんが、以前は職員輸送のためにクモヤが電車区(当時)と松戸駅6番線の間を行き来していました。自分はまだクモヤ90の時の記憶も残っていますねぇ(^^;
今回のイベント会場で掲げられていた会場案内図です。左の映像では見難いので、映像をクリックすると少しだけ大きい図がPOPUPするようにしてあります。
ふと気が付いたのですが、この図の中では7番線と15番線に列車の絵がありませんが、実際7番線にはクモヤ143×2、15番線にはここには203系(100番台)が在線していました。
前日に行われたさよなら運転のヘッドマークを掲げた7編成と22編成です。反対側(偶数側)から編成を見ることができないのではっきりしたことは言えませんが、昨日の7編成偶数(上野)寄りのヘッドマークを22編成に付け替えたのでしょうか。
この両編成が併結されているシーンはよく見かけましたが、このように並んでいるシーンは初めてみたような気がします。こうやって見ると窓の大きさや方向幕の付いている位置が違うのがよくわかりますね。
22編成全体のアップ写真です。付属編成4M1Tの5両で組成される強力編成です。現在の基本編成でも6M4Tなので併結すると10M5Tになってしまいますが、実際の走行時には1組がユニットカットされ8M7Tで運転されていました。その昔、基本編成の一部が8M2Tだったことがありますが、その編成とこの付属編成が併結すると12M3Tなんて恐ろしい編成になってしまいますからねぇ(笑)。運転台のユニットランプが「4」までしかないので、10M以上では運転できなかったのでしょうか・・・と言うよりもそんなに電動車比率上げても意味が無いっすよね(^^;
22編成クモハ103−147先頭部分のアップ写真です。この車、昭和43年3月26日に車籍を得ており、38年も走り続けてきましたが、ず〜〜っと松戸一筋の生抜き車でした。その間に走る環境も複々線が完成して快速運転が始まったり、装備では冷房化、電動方向幕化、前照灯シールドビーム化、前面補強、ATS−B車上子撤去、ATS−P取付、常磐線無線撤去、防護無線・共通無線取付、窓Hゴムの押さえ金具化などなど、当時とは随分変わりましたが、基本的なスタイルは変わらずに走り続けました。関西の体質改善車と比較するとかなり原型に近いのではないでしょうか。
一見するとまだ十分使えそうな気がしますが、よく見れば傷んでいる部分も多く、メンテナンス性を考えるとそろそろ限界なのでしょう。本当に長い間おつかれさまでした。
7編成クハ103−273のアップ写真です。この車でも誕生して32年経過しているんですねぇ・・・低運転台車と較べたら随分新しいと思っていたのですが(^^;。高運転台車だけでも8年間製造されているので、そう思っても不思議ではないのですが(最終製造1981年)。
クハは高運転台でも初期の車ですが、このすぐ後に連結されている車両は後期の車両で、モハ103−749+モハ102−2006は武蔵野線の元E19編成が中央線を走っていた頃に組み込まれていたユニットです。そう考えると何か親近感がありますね。
こちらは緩行線用の2編成(左:203系100番台、右:207系)です。103系に較べたら随分新しいのですが、共に国鉄型の車両で、203系の制御装置のベースは201系と同じなので、そろそろ次期形式が検討されてくるのかも知れません。ちなみにこの写真にある100番台(編成番号60番台)は後期に登場した編成で、台車などは205系のものをベースにしています。207系についても205系をベースにしていますが、たった1編成しか存在せず、国鉄初のVVVFインバータ制御で古いと言うこともあり電気系部品などの確保が難しいと思われ、浦和の209系試作編成(元901系)も今年度中に廃車されるとのことから、この編成もそろそろ置換えの話しが出てくるかもしれません。
こちらは上の2編成にJRになって配置された209系1000番台(編成番号80番台)を加えた3編成です。この209系1000番台も2編成しか存在しておらず、どうも常磐線は207系以降E231やE531が登場するまでの間、少数派の形式が続くことになります。しかし、この編成を揃えるのも大変だったでしょうね。恐らくは車両交換などを行ってやりくりしたのでしょうか。
こちらは快速線新旧形式の並びの映像です。さすがに勝田のE531まで借りる訳にはいかなかったでしょうね。しかしデザインに隔世の感がありますね・・・って、40年も経てば当然だが(^^;
E231にはデビュー時のヘッドマークが掲げられています。
10番線から15番線に留置された展示車両の全景です。
8番線に留置されていた130編成ですが、130編成は付属編成なので、この映像からすると基本編成を併結した15両編成だと思われます。
この編成、この後松戸16:04発の1641H取手行になるようで、15時の閉幕前から乗務員の方が乗り込んで仕業検査を開始しているようでした。
こちらは5番線に留置されていた基本編成の110編成です。こんな映像も通常撮影は不可能でしょうから撮影してみました。あとで貴重な映像になるのかもしれません。
なお、この編成と隣の6番線に留置されていた114編成を使用して、常磐線関連のギャラリーや休憩所に充てられていました。私も車内でお弁当を頂きましたが、E231系ロングシート車でお弁当を食べると言う貴重な体験(笑)をしてきました。(通常やったらひんしゅく買いそうですもんねぇ)。
こちらは7番線に留置されていたクモヤ143です。松戸車セに配置されているクモヤ143の車号は12と20ですが、手前と後の車両の車号をチェックするのを忘れました。
以前はクモヤ143−11も配置されていましたが、川越電車区開設時に転出しています。余談ですが、川越電車区(当時)へはいろいろなものが転用されていて、このクモヤもそうですが、交検ピット内にあるリフティングジャッキも旧武蔵野機関区(武蔵野操車場内に設置されていたDE11配置の機関区)から流用しています。同じ東京北管理局管内だったので転用も容易だったのでしょうか。
4番線から8番線までの全景です。結構多くの人が詰め掛けたことがわかりますねぇ。手前の4番線に留置されていた103系31編成はあるイベントに用いられていました。「あるイベント」というのは以下で紹介します。
前述の「イベント」と言うのは、31編成を用いた「空ノッチ実演会」のことです。クモハの制御装置(CS20A)と断流器(CB25)の蓋を開けてどのような動きをするかわかるようにして、主電動機(MT55)の電流はカットし起動しないような状態で断流器のリセットから逆転器(リーバーサー)の操作、主幹制御器(マスコン)のノッチ進段、ノッチオフ、フルノッチまで進段後、ノッチオフの状態からブレーキ弁操作を行うことによってどのような動きをするか見てもらうというものでした。
この映像は午前の実演会が終了した際、一度ヘッドマークを外しますと案内されている時のものです。しかしこのヘッドマークすごいですねぇ。取手〜大宮で運転されていた「ホリデー快速おおみや」のものですが、かなり年季が入ってます(^^;
それと思ったのですが、松戸車セの係員の方がホントに一生懸命対応して頂いている姿が印象に残っています。従事されている方も好きだからこそ素人相手にこんな笑顔で丁寧に説明されていたんでしょうね。
これがヘッドマークを外した「素」のクモハ103−84の顔です(笑)。方向幕も「常磐線」表示に変わっています。奥の方の断流器や制御装置の蓋が外されているのがわかりますね。
103系をホームの無いところから見上げるのは数回目なんですけど、マジマジとみるとやっぱりでかいですね。ジャンパ詮(KE70)も遠くから見ていると細いものに見えますが、このような至近距離からみると結構太いことがわかります。55芯もあるんですからそんなに細いわけはないんですけどね(^^;
実演会が行われている時の様子です。制御装置などの前に多くの人が集まって係員の方の説明に耳を傾けながら機器の動きを見つめていました。
制御装置(CS20A)の蓋が外されている映像です。奥の方にあるカムが回り、接点がカチャカチャ音を立てながら動いているのがよくわかりました。
左の映像ではちょっとわかり難いので、少しだけ大きな映像をこちらこちらこちらにリンクしました。
断流器(CB25)の蓋を外したところです。
それぞれのスイッチの名称を掲示して、いろいろな操作をした時にどのスイッチが動くかと言うことを説明されていました。
しかしこの実演会ホントに楽しく拝見させていただきました。爆音を轟かせて回るモーターをこんな機械がコントロールしていたなんて驚きでした。電気基板の組み合わせだけで大半のコントロールができてしまう現在の電車と較べると、何か「血が通っている」ような温かみを感じますね。
残念なのはこんな仕組みを知ったのに、既に身近なところで乗ることができなくなってしまったことです。この動きを想像して加減速時に乗っていられたら楽しかっただろうなと思います・・・仕方がないのでまた西日本に行くしかないですね(^^;
ゴツイ台車ですよね(笑)。103系の電動台車、DT33です。バネや梁だけでもかなり重そうなのですが、まくらバネを支えるボルスタアンカー(揺れまくら吊り)があることでさらに重そうに見えます・・・っていうか重いです(^^;。車輪の内側には主電動機MT55が装着されていますが、トルク重視の電動機とするため直径が大きくなってしまい、その影響で車輪径が通常の860mmより50mm大きい910mmとなっています。
一見、車のエンジンのようにも見えないこともない(?)この装置は空気圧縮機(コンプレッサー)C2000Mです。ブレーキやドア、警笛、パンタ下げなどに使う圧縮空気を生み出します。この実演会でもかなり頻繁にブレーキ操作を行うので何回も起動しているところを間近に見ることができました。
ちなみに103系でコンプレッサーが装着されているはモハ102(M’)です。モハ103(M)・クモハ103(Mc)には制御装置や抵抗器、断流器などが装着され、モハ102にはコンプレッサー、電動発電機(MG)などが装着されており、この2両1組のモハの組み合わせで初めて走行することができます。いわゆるMMユニット方式です。これに対して1両のモハ(クモハ)だけで動かせる方式を「1M方式」などと呼んでいます(JRだと105系やE127系などが該当します)。後者は2両編成以下で走る地方路線に向いています。
パンタグラフ(PS16)とその右に見える筒状のものは直流避雷器(LA15)です。西日本もPS16を使用していると思いますが、舟体の形状が変わっているようです。
電車のパンタグラフは知る限りではバネの力で持ち上げるばね上昇式を用いてます。これに対し電気機関車では圧縮空気の力で持ち上げる空気上昇式が多いようです。バネ上昇式は折りたたみ時はカギに引っかかった状態ですが、パン上げのスイッチが押されると蓄電池の電気で電磁石を動かしカギを外します。下ろす時は圧縮空気の力で押し下げ、カギをかけて固定します。空気上昇式はパン上げ時は圧縮空気で持ち上げて上昇し、下ろす時は圧縮空気の弱めます。ただし、パン上げ時に空気溜に圧縮空気がないと上がらないため、その時はジスコン棒で持ち上げてコンプレッサーを起動させます。
ありゃ、余談ばっかりになってしまったorz
先頭上部の電動方向幕です。常磐線の区間表示・・・懐かしいですねぇ。
冷房化される前までは幕が布らしきもので作られた手動式で当然車側の方向幕はありませんでした。103系が冷房化される時に電動になった訳ですが、武蔵野線や常磐快速線は電動化されてもなぜかこのような矢印を用いた区間表示の幕を使用していました。まぁまだ武蔵野線は手動の時代に区間表示だったので理解できたのですが、常磐線は手動の時は行先表示だったのに電動化されて区間表示になったのはかなり謎でした。それに松戸などで特急等の待避を行うと中線(松戸は2番線)が上り下り両方で使用されていたため、方向幕を見ただけでは電車に乗れないと言ったこともありました。
余談ですが・・・その昔、方向幕は駅員が回していたのですが、電動化されてから間もなく乗務員が操作するようになったような気がします。
交検ピット内の様子です。右側の3番線に留置されているのは付属編成(5両)の131編成です。左の4番線は31編成です。
131編成の行先表示機には意味不明な「Version2.00」と表示されたり、「■」が左から右に1つずつ移動するような表示がされていました。テスト表示モードみたいなのがあるんですかねぇ?。列番表示の方も「■」が左から右に1つずつ移動してみたり、「アドレス1」という表示がされていました。
今回のイベントに参加すると記念品と、このような包みのお弁当・お茶がもらえました。このお弁当、イベント参加者限定ですのでかなり貴重な包み紙です(^^;。前日8日にさよなら運転の時も北千住でお弁当が発売されましたが、そちらは1000番台の14編成の写真が用いられていました(その包み紙は後日公開予定「さよなら運転編」で公開しますね)。
た、大変だぁ・・・リュックにお弁当を入れておいたら煮豆と漬物がご飯の上に侵略していました(^^;。横にしちゃったかなぁ・・・。
内容は8日発売のお弁当よりもオリジナル性に欠け、幕の内弁当風になっていますが、逆にボリュームがあって味も良かったです。これで結構お腹がいっぱいになりましたねぇ。
「103」と書かれた物体は・・・ようかんです(^^;。8日発売のお弁当にも入ってましたね。
松戸車セ構内で見かけた1コマです。分岐器のクロッシングやトングレールなどの部品ですが、どうも金町保線技術センターの貯蔵品保管場所のようです。レールの上に書かれている文字の内容と言い、「032」と書かれた「xxxxxxx」のプレートと言い・・・懐かしいですなぁ(^^;
15時になっていよいよ松戸車セを離れる際に正門近くで振り返った時の写真です。31編成の前照灯がキラリと光っていたのでシャッターを押しました。もうこれで常磐線の103系も見納めかと思うと悲しかったですね。
今回のイベントを開催していただいた松戸車両センターや松戸地区指導センター、さらには応援で駆けつけていらっしゃった関係者のみなさん、本当にごくろうさまでした。東日本の103系最後の最後で本当に楽しい想い出ができました。さよなら列車でシートに座りながら窓枠にもたれて外を眺めた時に昔の風景が見えて涙が出てしまったこと、空ノッチの実演会のシーンや実際の103系のマスコンハンドル・ブレーキ弁を操作して動かした「電車でGo!」の記憶は一生忘れることはないでしょう。

本当にありがとうございました。

Last update 2006.4.18


最後までご覧頂き、誠にありがとうございました。

   


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