年賀状「ボツ」作品集

 関東の103系が急速に淘汰されている状況で、関西の103系や105系も早めに記録に残しておきたいと思い立ち、計画したのですが、ただ新幹線で行くのは面白くないと思い、武蔵浦和 ==> 東京都区内で¥15,540という切符を購入して関西に行くことにしました。今回はその行程のうち、大阪近辺で撮影された映像と昔に記録してあって映像を交えて公開します。映像の量が多くて恐縮ですが、是非最後までご覧下さい。
なお、いつものお願いですが、ここに記録されている映像は全て私、吉01が所有しているものです。無断での使用は堅くお断りいたします。

全体の行程表は こちら です(PDF)。

本来の行程ならば関西圏103系乗車のトップバッターは、福知山線の迂回乗車で播但線になるはずでしたが、福○山駅員のガセ情報で園部廻りを余儀なくされ、時間の都合で途中新快速を利用したため、この大阪環状線がトップバッターとなりました。
しかし、ホントに状態がいい!!!。手入れが違うとここまで違うものかと目を見張りました。まぁ廃車前提で全く手入れしていないケヨ区(キッパリ)と比較すること自体が間違ってますが。
前面の「太い銀ブチ」枠、張り上げ屋根、黒サッシ、戸袋窓なし、そして若い車号・・・何もかもがカルチャーショック(笑:今時の言葉やないで)でした。
こう見ると車掌さんの白い制服っていいですね・・・って、女性車掌だから言っているんじゃないですよ(^^;。昔ながらの高級感がありますものねぇ・・・浦車ファンクラブ準会員としての意見です(笑)。
映像は大阪駅を発車する大阪環状線外回り天王寺行です。
車号が2桁のクハだなんて、泣かせてくれます。でも2桁で驚いちゃぁいけません。1桁、それも「1」まで現存する訳ですから。
そう言えば、大阪駅の環状線ホームの番線が変わったんですよね。前は確か「環状内回り」とか?でしたが、内回りが1番線、外回りが2番線になっています。
停車中に(もちろん)外から撮影した森ノ宮電車区所属103系の方向幕駅名対照表。山手線と違って、他線区の運用にも充当されるため、結構多くのコマを持っています。ただ、東海道線、福知山線はさすがに要らなさそうですね(^^;
このあと、この表の26番のコマを出しているクハ103−1の映像が登場します。
和歌山へ「てつ」目的に訪れたのは、なんと24年ぶり(^^;。懐かしいというか、記憶がかなり薄らいでいる・・・。
和歌山駅に停車中の205系1000番台4連の普通天王寺行です。前面の助手席側の窓等が大型化されています。この映像だと暗くてよくわからないのですが、現物を間近で見るとちょっと抵抗があります。関東の人間の感覚からすると、青帯の205系が懐かしい・・・。
大昔(笑)、和歌山に行ったときの映像です。この映像ではわかりませんが、最終年度製造の非ATC高運クハの編成で、「むさぴょん」で言うならば、E19、E20やE38と同じグループです。この撮影が1981年(昭和56年)ですから、まだバリバリの新車ですね・・・って気が付いてなかった(^^;
しかし、今もヘタクソだけど、反対側のホームで撮影するとかもうちょっと気を使えばと思うのですが・・・でも中学生の写真ですから仕方がないですかねぇ。
これは2005年です(笑)。右が113系、左が105系で、今回の目的の1つがこの105系です。昔、常磐線沿線に住んでいた事もあって、とても懐かしいです。と言うのも、この105系の4扉車はほとんどが103系1000番台からの改造車で、特にこのクハの外観は、連結幌がなければ概ね原型を保っているので、常磐緩行、地下鉄千代田線を走っていた頃が思い出されます。
再び1981年の映像です。
紀勢・阪和線で使用されている113系ですが、昔はこの色で使用されていました(今も残っているのかな?)。「新快速色」と言うのでしょうか、個人的にはこの色に「速い」というイメージを持っています。東海道線の新快速もさることながら、現在でもそうですが阪和線内の快速も飛ばしてましたからね。
映像は阪和線山中渓(やまなかだに)付近で撮影したものです。
1981年の和歌山駅です。(カマ※:EF58-149/クラ※:竜華機関区※)
念のために言っておきますが、EF58ですから「SL」ではありません(笑)。暖房用のSG(蒸気発生器:Steam Genarator)で発生した蒸気を噴き出しているシーンです。この頃の客車の暖房はすでに「電暖」(電気暖房器)が主流で、常磐線上野口などで使用されていた客車はみんな2000番台でしたから、蒸気を出しているところを間近に見たのは初めてでしたし、このあと見たのも数回しかなかったように思います。

※カマ:機関車のこと。蒸気機関車が由来と思われる。
※クラ:機関区などを指す。機関庫の「庫」から由来していると思われる。
※竜華機関区:国鉄時代に存在した機関区で、関西本線久宝寺駅付近に存在した機関区。この当時EF15やED60も在籍していた。(竜華:りゅうげ)
和歌山線の105系です。種車の103系も含めて今時の電車のモハは2両でペアの「ユニット」(MMユニット)を組み、制御装置、MG(電動発電機)、コンプレッサー、パンタグラフ等の装置をどちらかの車両に搭載して共用する仕組みになっていますが、その方式だとローカル線で2両の編成を組むと2M0Tの全Mとなって効率が悪いことから、旧型電車のように1両に全部の装備をするモハ(クモハ)が必要となりました。この105系が誕生した当時(1984年頃)、8M2Tの強力編成で地下鉄乗り入れをしていた103系1000番台の評判が悪く、耐用年数を待たずに203系が投入されて余剰車となり、一部は快速線に転用されましたが、その他の車両は各地の工場で1M方式の105系に改造され、奈良や広島に配属となりました(1997年に奈良区から和歌山区へ転属)。ちなみに1981年に宇部・小野田・可部・福塩線に登場した105系は全て新製された車両で、3ドア・ロングシートでした。また飯田線にも同様の119系が走っていますが、こちらは3ドア・セミクロスシートです。
映像は和歌山駅で発車を待つ和歌山線普通粉河行。
紀勢本線の起点、和歌山市駅と和歌山駅の間で使用されている105系です。もちろん和歌山線、桜井線との共通運用だと思われますが、一部紀勢本線の新宮周辺での運用に使用できる車両も存在するようです。
1981年当時の和歌山市駅はまだ客車列車が存在し、一部は和歌山以南へ直通運転されていた記憶があります。
うっかり撮影した駅を忘れてしまいました。でも運転本数の割には多くの住宅が存在して「ローカル」なんて雰囲気ではありません。
こちらはモハから先頭車化改造された「タヌキ顔」のクモハ105。色は別としても、九州で活躍中の103系1500番台と外観はほぼ同じ・・・だと思ったのですが、向こうは戸袋窓がありませんでした(すんません、打ってる途中で気が付いたもので・・・(^^;)。
列車交換で顔を合わせたクハ105(右)とクハ104(左)。クハ105は種車がクハ103で大きな変化はありませんが、クハ104はモハ102が種車のため、電装解除および、先頭車化改造を受けています。クハ104に乗車して気が付いたのは、種車に搭載されていたコンプレッサをそのまま残してあるような感じでしたが、勘違いでしたかねぇ。
粉河に到着し折り返し運用に就くクハ105。日中帯はここまでが30分ヘッドで、ここから先が60分ヘッドで運転されています。「粉河」という駅名も訪れるまで全く知らず、うっかり「かなかわ」と呼んでしまいました。でも漢字変換にIMEを使用していますが、この「こかわ」と言い、前述の「やまなかだに」、「りゅうげ」と言い、一発変換するところがスゴイ!
こんなところに地下鉄直通の名残が残っていました。
さぁどこでしょう?・・・(ぉぃ)


もったいぶっても仕方ないので・・・左側車両の雨樋の内側に「手すり」のようなものが付いていますが、これは地下鉄区間内で使用する誘導無線のアンテナだと思われます。こんなところに手すりがあっても使い道がないですもんねぇ(笑)。それから写真には写っていませんが、手前の車両の妻面には「日本国有鉄道」の銘板が残っていました。JR西日本は結構残している車両が多いですね。
強制空冷ではなく、自然空冷の抵抗器もなつかしさを感じます。超多段式の103系1000番台当時のものでは無いようですが、通常この車体なら、ファンつきのカバーに覆われた抵抗器ですからねぇ。写真では判りませんが、発車する時などに空気ブレーキの圧力を抜くときの音が昔のままでした。同じ103系でも一般車と1000番台ではブレーキを緩める時の音が違っていました。
日中帯は、和歌山から粉河以遠への列車は奈良まで運転されますが、その場合この高田でスイッチバックとなり、入ってきた方向(この写真だと右)に戻っていく形になります。
奥に停車中の221系は、JR難波(昔は湊町だったかな)から区間快速の直通で高田まで運転されており、これも日中のみの運転です。このため日中は同じホームで乗換ができるように、写真に写っているホームしか使用していません。ただ、乗換は便利なのですが、和歌山行も奈良行も同じホームから出る訳で、間違い乗車なんてことはないんですかねぇ(^^;
和歌山から高田に到着した奈良行ですが、こちらの編成は随分体質改善されています。AU75での冷房改造、戸袋窓廃止など、大阪地区の103系の標準的な姿になっていますね。
先ほど103系1500番台で寝ぼけたことを書き込みしそうになっていましたが、この編成の反対側、タヌキ顔のクモハ105が1500番台に近いですね。
夕方近くになって王寺で発車を待つ105系和歌山行。どうも105系は王寺で2編成くらいが「昼寝」の運用になっているようです。
しかし、105系の他にうぐいすの103系やオレンジの103系がひっきりなしに走っている姿を上から見ていて、屋根上がグロベン(グローブベンチレータ:丸型の排気用ベンチレータ)でにぎやかなのを感じて「電車はみんなこうだったよな」などと思ったりしていました。
103系の冷房は東日本で登場したAU712ですら抵抗があったのに、このような分散型で登場すると何か別の形式ではないかと感じてしまいます。
王寺に到着した折り返しの関西本線(愛称:大和路線)103系列車。
王寺から天王寺まではオレンジ色103系の区間快速で移動したのですが、これが結構飛ばして走るんですよ。森ノ宮電車区所属で大阪環状線と共通の運用だと思われますが、それなりの勾配区間が存在しているのですけど、快調に走り抜けます。景色はちょっと違うけど、若干非力な4M4Tながら同じ8連の武蔵野線と同等の走りっぷりです。周りの景色や走行音をビデオに収めるためにわざわざ電動機の近くに陣取り、ビデオをまわしながら乗車して天王寺に到着後、先頭車をビデオの静止画撮影してその場を離れました。その時はクハ103−1であることに全く気が付いていなかったのですが、自宅で映像を確認してビックリ!!。「巡り合えなかったか」とこころで密かには思ってましたが・・・見てたんじゃん!。
と言うことで、全く自覚なしに天王寺で撮影していたクハ103−1です(笑)。
私的にはコンサートに出かけた後、再び天王寺に戻り撮影したのですが、これが大失敗(泣)。今回の旅行ではちょっと奮発して感度ISO400のリバーサルフィルムを使用したのですが、初めて使用するフィルムでいきなりバルブ撮影なんかするもんだからシャッターの開放時間がまるで合わず、ほとんどの写真が露出オーバーとなってしまいました。一応補正してなんとか見るに堪えられる位にはしたものの・・・トホホ(T_T)。
天王寺駅の阪和線ホームってご覧のように線路の両側にあるのですが、これはちょっと「てっちゃん泣かせ」となっています。
発車を待つ日根野電車区(天ヒネ大ヒネ)所属クハ103-162の普通日根野行です。
こちらはクハ103-162の東岸和田行普通列車。
大阪に来て感じたのですが、東日本の通勤路線使用車って編成を識別する「札」やステッカーが付いているのですが、森ノ宮の103系(前面に車号が書かれている)以外、そういった識別できる情報がないので記録を残したいと思ってもなかなか難しいです。
103系8連の快速日根野行です。関西地区では珍しい戸袋窓のある車両で、うっかり車号をメモっていなかったのですが、記憶が確かならクハ103-546か何かだったような気がします。
さらにうっかりだったのは、このホーム到着用ホームで人がいない(^^;。気まずさを感じてそそくさと反対側のホームへ移動しました。
同じ編成を反対側のホームから撮影したものです。見ての通り、屋根が無い部分だったのですが、ちょうど撮影しているときから雨が再び降り出し、どこまでも雨にたたられる旅でした。
この写真も惜しいですね。ちゃんと撮影できていれば、戸袋窓の存在も確認できているはずなのに・・・。悔しいのでかならずリベンジの撮影に出かけたいと思います。
発車を待つクハ103-120他6連の普通和歌山行です。
1981年当時の天王寺駅です。
2番線から発車を待つ、普通「はやたま」紀勢本線廻り名古屋行です。バックには原型ライトの103系も確認できますね。ちょっと判り難いのですが、牽引されている客車は旧型客車(スユニ61、オハフ33など)です。この列車なぜ愛称が付いているかと言うと、編成中に寝台車オハネ+オハネフ12を連結しているのですが、その寝台券を購入するためには愛称が必要なためと思われます。以前は「南紀」と言う愛称だったようですが、1978年にその名前を特急に譲っています。ちなみにこの寝台車は途中新宮で切り離されていたと思います。
実は自分にとってこの写真がはじめてのバルブ撮影でした。何かそれ以来「バカの1つ覚え」のように、こればっかりになっちゃいましたけどね(^^;
カマは先ほどと同じEF58−149「竜」ですが、この駅って上野と同じで機回しができないので推進運転での入線でした。
1981年の山中渓です。
区間快速・和歌山行の冷房改造されたクモハ103ですが、ライトが原型のままの編成です。
方向幕も電動化されていますが、武蔵野線などのように元々区間表示だった幕が電動化された場合って電動化しても区間表示のままだったりするのですが、阪和線はそんなことではなかったようですね。
この写真も1981年の山中渓です。
全車非冷房の編成による区間快速・天王寺行です。区間快速も以前はこんな方向幕だったんですね・・・。
時期としては3月の下旬だったのですが、バックで咲いている花は桜・・・ですかねぇ。
同じく1981年の山中渓を走行する急行「きのくに」です。天王寺発の列車は、全区間電化された区間を走る気動車急行でした。同じような例としては、常磐線の急行「ときわ」などがあったと思います。写真の気動車はキハ58ですが、南海線の難波から和歌山市経由で和歌山で併結される列車はキハ55と同等の車両でした。気動車で残している理由はそこにもあったのかもしれません。
天王寺で阪和線の撮影をした後、大阪へ移動し、今度は大阪環状線(外回り)の撮影にトライ・・・駄菓子菓子だがしかし、連休谷間の金曜日で撮影するホームが姫路行新快速の発車するホームと言うことで混雑がひどく、最終の新快速が出るまでは撮影になりませんでした。と言う事は・・・この撮影のほとんどは23:40以降です(+_+)。
さてこの映像ですが、奈良区所属の大和路線用なのですが、大阪環状線です(笑)・・・方向幕がそうなってますから、・・・間違いなし!。こんな運用があるとは私も知りませんでした。確かこの1周後、京橋行になってましたので、恐らく森ノ宮区停泊なんでしょうね。
上の映像と同じ奈良区所属の103系です。ただこちらは先頭車が高運転台で1枚窓化され、側面が張り上げ屋根となっています。京橋行ですので、これで今日の運用は終了ですね。
やっとオレンジの103系に巡り合えました。一時は何線を撮影しているんだろうかと考えた時間帯もあったりして(笑)。
比較的原型を保った編成ではないでしょうか(前の方は・・・後方は?)。1時間以上ホームに取り付いていたのに「大阪環状線」の方向幕を出したオレンジの編成を撮影できたのがこれっきりとはちょっと寂しいです(^^;
話しは変わりますが、西日本の区間ではこの写真のように運転士の添乗が増えてますねぇ。でもよく見ていると東日本でも最近そうなんですが、未熟な方が多いです。ブレーキのかけ方が滅茶苦茶で、止まり方が一定でなく不安定なため、乗っている方も疲れます。そういう運転士って自動車を運転する時にどういう運転しているんですかね・・・一度見てみたい。ちなみに阪和線では本務の運転士がブレーキをかけた後、添乗の運転士がブレーキを強めるシーンが何回か見受けられました。そんな新人のようには見えなかったんだけど・・・。
こちらは製造時からシールドビーム2灯化されていたクハの編成です。天王寺行なんですけど、天王寺到着後どうしているんでしょうか?。回送で森ノ宮入庫?、それか折り返しの運用か?、それとも電留線で停泊?・・・電留線あったかな?
クハ103-111(ゾロ目)編成の京橋行です。これで今夜はお役御免でしょう。おつかれさまでした。中間車に張り上げ屋根車を含んでますね。
午前様になってしまったので、これで最後にしようと思って撮影した編成です。これも天王寺行ですね。調べてみたら、天王寺行終1本前でした。
これにて関西の103系撮影は終了・・・宿のある天満へ急ぎます。おやすみなさ〜い。

Last update 2005.5.21


最後までご覧頂き、誠にありがとうございました。

   


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