1990年秋の武蔵野線

いよいよ103系の編成も残り1桁になってしまいましたが、まだ6両編成だった1990年秋に撮影した103系などの写真を公開します。
(写真の無断使用は固くお断り致します)
残念ながら車号が不明ですが、この当時は武蔵野線内の上りも「快速」の幕を表示したままだったんですねぇ。恐らく「快速はXX駅に止まるのか?」と言った問合せが殺到したので武蔵野線内上りの快速表示は止めたのではないかと思います。
京浜東北線も同様に田端や田町で快速表示を止めていますが、埼京線は列車識別の意味もあるのか(列車番号の末尾が種別によって異なる(K:各停、F:快速、S:通快))、全区間通して「快速」(「通勤快速」)を表示したままですね。
月をバックに走る武蔵野線・・・。8両編成に慣れてしまった今ではめちゃめちゃ抵抗ありますねぇ。何か少しかわいらしい感じがします(笑)
サハ(T)が連結されているところを見るとクモハ(Mc)の編成かと思われます。やっぱりこの景色には低運転台の顔つきが合ってますね・・・よく見ると最近の小ジャレた車両よりず〜っとデザインもバランスが良いし・・・(今更ながら感心)
「むさぴょん」と月・・・むさぴょん子さんに寄贈したい1枚です(笑)
今では見る影も無く変わってしまった吉川-南越谷の景色ですが、いやぁ・・・のどかですよね。
年賀状にも使用した201系の写真。手前に稲の切り株が写っているところが「中央線ではないんだゾ!」と主張しているようです(笑)。
流し撮り写真撮影の練習台にされてしまったクモハ103−105。のちに8両化されてE21に組み込まれた車両です。
2004年8月に運用を離脱し、同年秋にインドネシアへ渡り、第二(第三か?)の人生を送っています。元気に走ってるかなぁ?
これまた流し撮り(失敗か?)のクモハ103−146です。8両編成化後はE34に組み込まれて2004年7月まで活躍していました。2004年6月27日の線路切替工事(ちょうどこの区間)の時は、吉川-南流山の区間運転に使用された編成です。
よく見ないとわかりませんが「シルバーシート」のマークが・・・これまた懐かしい。
これだけ練習すりゃ少しは進歩するようで・・・やっと様になってきました。被写体はクハ103−605で8両編成化後はE32編成に組み込まれ、2004年2月頃まで活躍していました。
やっと形になりました(笑)。被写体はクハ103−625で、1992年に宮城野電車区(仙ミノ:現・仙台車両センタ(仙セン))に転出し仙石線を走り、2003年に引退しています。
一応201系です(笑)。一見すると103系と区別が付き難いのですが、ベンチレータが四角い(押込形)、パンタグラフがモハのペア(MMユニット)の外側に付いている(103系はペア(ユニット)の内側に付いている)、さらにはクハの方向幕が前寄り(1エンド側)にある事から判別ができます。(ドア窓や戸袋窓などでも判別できるかな)
今度は正真正銘103系です(パンタグラフの位置に注目)。電車の塗装と言うのは、こんなに陽の光をはね返すんですね。でも205系じゃ、眩しくて見られないかも・・・。こう言う時は下の写真みたいにフィルターをかけた方が良いですね。
夕日に向かって走る「むさぴょん」(またも無断使用・・・お許しを)。「夕日のバカヤロー」なんて叫んじゃいそう(ぉぃ)。「赤」のデジタルフィルタをかけてありますが、なんとも「夕暮れ」と言った感じです。もうこんな情景が見られないかと思うと残念ですねぇ(車両も景色も)。
こちらは2004年12月時点でのほぼ同一地点(やや南越谷寄り)で撮影した映像です。土盛りの部分はこの時点でもだいぶ更地化が進んでおり、昔の状況から一変してしまいました。この先5年も経ったら今とは全く違う景色に変わっているんでしょうね・・・。
高架の壁が無く、防護柵のあるこの辺りが新駅となる場所だと思われます。
被写体は、武蔵野線最後の低運転台車クハ103−140・141を従える「8連」(当たり前ですが)のE7編成です。

【2005.3.25追加】
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

Update:2005.3.25

  

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