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初めて写真の年賀状を作成したのがこの年賀状と次の年賀状です。
この写真は福山駅のホームから福山城を背景に福塩線の105系を撮影したもので、車両はまだバリバリの新車です。ちょうどこの時期は中国地方の旧型国電が一斉に淘汰された時期で、可部線の73系の撮影が目的で訪れた際、その途中に府中に留置されていた70系を見に行った時のものです。
考えてみればこの当時、中学生にしては随分派手な撮影旅行に出かけたようで、この写真は上の写真の撮影後に和歌山に出向き撮影されたものです。
この機関車、EF15という機関車で昔は武蔵野線内でもあちらこちらで見られたものです。撮影地は紀勢本線冷水浦(すげ〜、一発で変換したよ・・・しみずうら)付近で、機関車の所属は竜華(おっとこれも一発・・・りゅうげ)機関区です。
大宮も随分様変わりしたものです・・・。ホームの北側から大宮工場(当時)をバックに撮影したものですが、何か足りないと思いませんか?。そうです、新幹線です。この時はまだ影も形も無かったんですねぇ。
上の写真と同じEF15で長岡運転所所属の163号機です。この頃は「貨物時刻表」を手に、よく大宮に通ってました。
また前述の撮影旅行の写真が出てきました。先ほどの2枚よりも先に撮影されたもので、撮影地は天王寺駅構内です(なんと、東京→大阪→広島→福山→大阪→御坊→大阪→東京という行程・・・なかなかハードだす)。
雑誌で見た撮影データから初めてバルブ撮影にトライした写真で、なかなか会心の出来でした。これ以後、馬鹿の一つ覚えで夜間撮影がめっきり増えましたね。
肝心の被写体ですが、紀勢本線廻り普通「はやたま」名古屋行で、なんと寝台車連結の鈍行です。牽引機は竜華機関区のEF58−149、後ろは旧型客車でSGを使用していますが残念ながら蒸気は噴いていませんでした。
この当時、既に大糸線の旧型国電は姿を消していましたが、何故か大糸線沿線を訪ねています。この年はこの写真と下の2枚を合わせて3種類作成していますが、かなり大雪だったと記憶しています。
で、この写真が鉄道年賀状かって?・・・写真左下の鉄橋を注目!。115系4連がホントに小さく写っています。(写真をクリックすると拡大写真が表示されます)。撮影地は松本・城山公園(かな)の展望台です。鉄道写真としては ? ですが、なかなか良い仕上がりになったと自画自賛しております。
大糸線白馬駅での1コマ。糸魚川方面からの臨時列車の折返しで、雪のため大幅に遅れての到着だったと記憶しています。大糸線非電化区間の知識があまり無いんですが、当時はキハ58を使ってたんですかねぇ。
大糸線南小谷駅で発車を待つ「あずさ」と「しなの」。今ならばE351系・383系による2社の振り子車の競演なんですが、よく考えれば当時はまだ国鉄で同じ管理局管内配置車両の顔合わせでした(「あずさ」:183系1000番台・松本運転所(当時)、「しなの」:381系・長野運転所(当時))。
雪の武蔵野線・・・JRマークもなく、方向幕は区間表示、まだATS−Pが導入されてないのでクモハ103の運行番号窓が残っている・・・国鉄最後の年の年賀状で、ホント懐かしい感じがします。
撮影は吉川駅2番線(下り)で、確かこの時は雪のため抑止されていたと記憶しています。
武蔵野線に投入された形式としては3代目となる201系。初めて見た時は夢かと思いましたが・・・(笑)。
撮影地は吉川・南越谷間で、今では近代的な高架区間に変わってしまい、この景色も見ることはできなくなってしまいました。
自分としては非常に珍しい流し撮り・・・何分にもうまくいった試しがないので、ほとんどトライしません(笑)。決して良い写真ではないんですが、うまくいって嬉しかったんですかねぇ(^^;
撮影地は上の写真と同じ吉川・南越谷間です。
初めて北海道の地に足を踏み入れた時の写真です。この時も懲りずに5日間で北海道をほぼ1周するという強行軍で、この写真はその帰りに乗車した「北斗星」を函館の牽引機付替え時に撮影したものです。
「オハコ」になったバルブ撮影(この写真は25秒開放)なんですが、時間が少ない時のバルブ撮影は心臓によくないですね(^^;
これも「今では有り得ないシリーズ」の1枚です(ぉぃ)。
撮影地は吉川・新三郷間で、旧武蔵野操車場の南側を走行しているシーンなので今では見られない光景です。また車両も201系で、編成札が黒地のオレンジ文字になっているところを見ると既に一部8両化後の3形式(103・201・205系)揃い踏みの時期ですね。但し武蔵野6連運用は青梅・五日市線との共通運用だったので201系を見かける機会も少なく、201・205系の「2ショット」は見た記憶がありません。
(写真をクリックすると拡大が表示されます)
北海道もある意味海外なのですが(笑)、今度は正真正銘、海外で撮影された写真を使用しています。
香港・コーズウェイベイ付近のトラムで、当時は随分日系企業の広告が目立ち、遥か彼方に見える白い建物は「そごう」でした。今ではどうなっているんですかねぇ。
只見線沿線へ撮影のために出かけたことはないのですが、この時は「栃尾の油揚げ」を食べに行き、たまたま大白川駅を通りかかった所へ列車が入ってきたので撮影したものです。
自分の記憶が間違えていなければ、この時(1997年)只見線ではまだタブレット交換をしていたような気がします。
この年からインクジェットプリンタを使用して年賀状を作成し始めました。官製はがきで「インクジェット紙」が出るというので始めて見たものの、印刷した質を見ると、これまでの印画紙と比べメチャメチャ低下して少々つらかったですねぇ。DVからキャプチャした影響もあるのかも知れませんが・・・。
映像は岡山駅での285系で、解説によると被写体は「サンライズ出雲」のようです(「出雲」か「瀬戸」か判別はつきませんが)。
直江津駅での189系快速と北越急行HK100形のツーショットです。今回は映像ソースを「銀塩」に戻してプリンタ印刷にトライしましたが、やはりイマイチですね。
なんだかすごい映像を年賀状にしたものです。鉄道写真と言うよりは、ビーム砲を発射するSFアニメの1シーンのような。「はっしゃ」には違いないんですけど(ぉぃ)。
これでも一応武蔵野線の映像で、被写体は「昼寝」していた京葉区を回送として出区後、西船橋で折り返して東京、さらに折返しで舞浜へ向かい営業運転に就く臨時急行「イクスピアリ」(日立行・E653系)を回送の時点で西船橋にて撮影したものです。この時、発車案内には回送の発車時刻が出ていたので大きな「賭け」に出て、発車時刻の「秒」を「00(ころころ)」とヤマをはり、その20秒前からシャッターを開放したらドンピシャでした。でも露出オーバー気味なんで、ちょっと早かったかな?
103系の高運転台元ATC搭載車は正直キライでした。「空箱」のおかげで前は見えないし、朝のラッシュ時は「空箱」のある戸袋分だけ乗車定員は減るし・・・。前者はまぁ趣味の世界なんで良いとしても、後者は1人の通勤利用者としてほぼ毎日痛切に感じていました。でも長年利用してきましたからねぇ、少々愛着も感じていましたから、いざなくなるとなるとちょっと寂しいですね。
撮影地は西船橋駅、被写体はE15編成で2005.2.14現在まだ健在です。
この年賀状はエポックメークなものとなりました。何が変わったかと言うと、はがきが官製はがきの「インクジェット紙 光沢」に変わった事で画質が格段に向上しました。左の写真は印刷されたはがきをスキャナで取り込んだものですが(実物はもっときれい)、この画質ならば昔の印画紙使用のはがきと遜色ありません。価格も1枚あたり15円プラスならば全然納得です。撮影は京葉線新浦安駅だったのですが、西船橋と比較して大変なのは停車時間が短いこと。停車後すぐにシャッター開放しないと、また「ビーム砲発射!」になっちゃいます(笑)
(写真をクリックすると拡大が表示されます)


   

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