1980年代の記録


香港〜広州〜桂林〜広州〜香港
香港・広州・桂林の旅
1983年8月2日〜7日
私(野中美久)にとって1978年以降2回目の中国訪問となり、4家族8名で行く。25名のツアーで私たちを除き新婚さんが多かった。
仲間のKさん2日目の朝、香港で散歩中ホテル前横断中スリに遭う。

   
 香港で               広州のホテルで蚊帳の中の家内


  
  広州レストランで子豚の皮を北京ダックのようにして食べる        桂林動物園

 
桂林独秀峯にて                          漓江下り

  
桂林・七星公園                    広州・越秀公園




全電通神奈川退職者の会第1回海外旅行
北京〜西安〜上海
北京・西安・上海の旅
1985年8月8日〜14日
19名のお仲間で、日本からの添乗員と中国国内でのスルーガイドなし、北京のガイドは20歳の女性大学生・麻さん

8月8日
JL781便は午後1時過ぎ北京空港に到着。入国手続き完了。さて「通訳さんヤーイ」となる。何しろ日本からの添乗員同行無しの丸腰訪
中団。紙切れの現地認識番号「Tー1394団」をめざとく見つけたのは何とうら若き女性通訳、外語大学日本語科4年生の麻さん。旅の疲
れも無視され、「行って見よう」とさきたてられ、早速バスに乗車。猛暑の中を一路天壇公園めざして快走。第1夜の宿は八達嶺万里の長
城の麓の「天壽山飯店」およそ
ホテルとはにつかぬ、珍しく純中国風の旅館だ。彼方に明の13陵が見える。

天壇公園                                   八達嶺万里の長城近くにあった天壽山飯店

8月9日
八達嶺万里の長城、明の13陵の指定のコースを見学観光。中国、全世界的夏休みでどこも凄い人出だ。全世界の人種が汗だくでぞろぞ
ろ歩く。夜は体育館演芸場で雑伎をみる。今夜と明日の宿は「友誼賓館」


                   
万里の長城で

北京の雑伎
8月10日
頤和園、故宮、栄宝齋などを朝から汗を流しながら歩く。そして友誼商店で買い物。両替した兌換券を握ってここでも汗だくだ。夕食は名
物「北京ダック」を600元(一人30元)払い特別にオーダーするも2皿提供されただけ、高い。生温かいビーチュウのせいか、オプション料
金30元の割には感激もうすかった。
 
頤和園の石の船                       天安門広場でガイド麻さんと(右の娘さん)

8月11日
次に見えるときは立派なガイドになっていると言われた「麻さん」と別れ、民航206便で西安へ。4発プロベラ機で2時間20分、13時着。
気温36度出迎えの中国国際旅行社西安分社の李さんと対面。炎暑の中を昼食のレストランへ直行「西安はその昔長安といわれ・・・」
と早速、通訳氏の名調子。油と酒と煙草の臭いが渦巻くレストランの2階は外人専用で。クーラー抜きで天井にプロベラ扇風機がトロトロ
回っている。乾杯のビールは「西安ビール」生温さを通り越して、まさに燗ビール。冷やしたのは無いの?に、怪訝な面持の通訳氏「我が
中国にはビールを冷やして飲む習慣無し」とたっていうなら、と氷をどさっと投げ出された。デザートの西瓜も勿論あたたかかった。
昼食後、大雁塔から玄宗皇帝の気分で西安市内を眺め、興慶公園で阿倍仲麻呂を偲ぶ。今夜と明日の宿は西安を代表するホテル「鐘
楼飯店」


  
西安・大雁塔で                   大雁塔からの西安市内

8月12日
今世紀最大の発見と言われる秦の始皇帝の兵馬俑、華清池で楊貴妃の風呂場を覗いてにやにやし、碑林では碑石が1905基が林のよ
うにあり驚く。夕食はスッポン、ウズラ、ウナギなどの料理を堪能。

 
西安・兵馬俑(この頃は兵馬俑全体は撮影禁止) 
西安・華清池


8月13日
朝早い西安発7時40分の便で上海に11時に着き、上海の通訳・付さんのお出迎え。付さんは日本の商社マンとのこと。一日中市内観
光。上海展覧館、紅口公園、南京路、友誼商店で買い物。今夜の宿歴史のある「上海大履」部屋割りが同階で無く。3つの階に分かれ
てしまった。
  
  蘇州河のジャンク
   宿泊した上海大履よりガーデンブリッジ

8月14日
上海動物園を見学後、
上海動物園のパンダ
上海発JL792便13時30分で帰国の途につく。機内で落ちていたスポーツ新聞を回し読みして初めて御巣鷹山の日航機の大事故を機内
の人が知る。17時10分成田着陸の時に拍手が起こり帰国。




全電通神奈川退職者の会第2回海外旅行
上海〜蘇州〜杭州〜上海
上海・蘇州・杭州の旅
1987年5月28日〜6月1日
29名で参加し、上海では2組に分かれ、市内観光と黄浦江遊覧船で長江合流点まで。私は船に乗る

5月28日
成田発中国民航924便は、初夏の上海紅橋空港へ定時着陸。上海も馴染みとなったが、大陸の土を踏んだ感慨は少しも薄れていなか
った。空港では独特な中国の臭いを感じる。
上海19時30分発の列車で目的地蘇州へ。列車は広軌、ゆったりとした4人掛けのコンパートメントで、真ん中に小卓があり、女子服務
員がお茶のサービス。南京行きの直快(急行)で蘇州まで86q、約1時間30分。午後8時30分というのに、暮れきらぬ窓外の麦畑に点
々と働く農民の姿が見える。貧しさのゆえの労働で無く、開放政策による働きに見合う収入が保障された農民の労働意欲を垣間見る思
いがする。さて、それとは対照的に、日本の働き蜂の一行はしばし労働を休止し、観光気分を満喫、缶ビールを満喫し、腹つなぎの弁当
の不味さを嘆き、談笑したり。こちらは目下標準的な日本の観光団の様相。(天に極楽あれば、地に蘇州、杭州あり)と唄われる古都蘇
州は長江下流の大湖の東に位置する。京杭大運河と大湖から流れる何本もの川が街を囲み縦横にクリークが走り、いたる所に石造り
の太鼓橋が見られる水の都で、東洋のベニスともいわれる。往事の風流人のあこがれの地として知られ、官を辞しての庭園つきの邸宅
を建て、蘇州美人と花月風月に囲まれて余生を送るのが昔の中国人の理想とか。今も市内に170余の名園がある。ホテルは市内随一
の「蘇州飯店」

5月29日
昨夜の日中チャンポンの酔い覚ましにと付近を早朝散策。運河のホテルの家の前で若い女性の手招きに、さては街娼?中国もここまで
きたか、それにしてもこんな朝早くに、と逃げ腰で迂回。帰りにそっと覗けばなんとこれが「お土産や」。観光地蘇州だけに看板も日本語
併記、大書して「よくいらっしょいませ」とあった。倉浪亭、留園、拙政園など清代を代表する名園を駆け足見学。拙政園は清代の小説「紅
楼夢」の舞台といわれる。郊外の「虎丘」へ行く。春秋時代(紀元前500年)呉王夫差が父閤閥を埋葬した所で、正門を入り坂道の突き当
たりに岩を深くうがった「剣池」がある。秦の始皇帝が呉王の墓に埋められた3千本の名剣を奪おうと掘らせたが、水が出て止まらず池に
なったという。剣池を迂回して上に行くと、丘の頂に「雲巖寺塔」が建っている。これは蘇州の象徴の一つ。春秋時代の建立。今では幾分
傾いて、中国版「ビザの斜塔」だ。塔の下の赤色の大岩は、塔建立の秘密保持のため、工事使役の人夫たちが何千人かが完成と同時に
惨殺され、人夫の血を吸った岩がそれ以後赤い色に変わったと伝えられている。唐代の詩人僧寒山が住んだという「寒山寺」は蘇州観光
の目玉である。寺の前の運河にかかる江村橋の下を漁船が行き交い、詩人張継の「楓橋夜泊」の情景を再現。「月落ち鴉啼いて霜天に
満つ/江楓漁火愁眠に対す/姑蘇城外寒山寺/夜半の鐘声客船に至る」。おなじみのこの詩、唐朝の官吏登用試験に落ちた張継の心境
吐露であると、通訳氏の名解説。境内の鐘楼では、鐘突きの順番待ちの一同、寺の坊さんのあきれ顔もものかわ、夜半ならぬ真昼の鐘
声をゴンゴンと響かせていた。寺の外のバス停には札幌市交通局のバスが停車していた。
15時15分蘇州発の列車で上海経由で杭州に20時45分着。宿は「浙江賓館」


蘇州・ホテル近くの朝の運河
 
蘇州・寒山寺                                     蘇州・虎丘斜塔

5月30日
杭州は、蘇州とともに「天に天堂、地に蘇杭」で、中国屈指の景勝地。中国政府推奨、外資獲得天下抜群。市の西側に広がる西湖は、三
方を緑の連山に囲まれ、四季折々の情景は筆舌につくし難くまさにこの世の天国なり。と知られるようになったのは、唐代の白楽天、宋代
の蘇東坡の両詩人が杭州の地方官に任ぜられ、多くの詩編を詠み西湖を宣伝したことによる。特に蘇東坡の「西湖を把って西子(西施)
に比せんと欲すれば、淡粧、濃沫総て相宜し」の名文句で、杭州生まれの中国4大美女の一人、西施になぞられてから西湖の名が生まれ
天下に広まったといわれる。白楽天、蘇東坡にちなんだ白堤、蘇堤や湖心亭、三単印月、柳浪聞鷲、平湖秋月、曲院風荷などの詩情画
意に富んだ「西湖十景」が点在。また、湖畔の山々の中に、千年の古刹の霊隠寺、飛来峰摩崖石仏、六和塔などの名勝旧跡がいっぱい。
ハイライトは勿論、西湖遊覧船。仕上げは霊隠寺の精進料理を堪能。

      
杭州・六和塔で                              杭州・西湖で

5月31日
杭州発7時30分発のの列車で上海へ。11時33分着。旅の終わりは上海「黄浦江遊覧」。長江と合流点までの約30qを3時間余で往復
する船旅である。遊覧船は予約制。呼び掛けて応じたのは一行29名中なんと7人。後はお馴染みのショッピング。上海丸ごとハウマッチ
で、オプションの上海旅情も、円高景気が優先する。乗船場は外灘、南京路の和平飯店の近くの船着き場。遊覧船は中国最大の双胴船
「浦江号」。外人向け1等と中国人用2等に分かれ、1等は20元(約800円)お茶とお菓子のサービス付き。船内ではバンド演奏がある。
毎日、朝9時と午後1時の出港である。船着き場を離れ、進行左に上海大履、ガーデンブリッジ、外灘一帯に林立するビル群を眺めなが
ら川風に吹かれ一路北へ進む。行き交う貨物船、外国船、ジャンクの中を行く。風が強くなり、了望塔の灯台が見え、やがて視界にびょう
ぼうたる大海が現れる。と思いきやなんとこれが長江の本流。船はここでUターンする。このあたりの川幅は800bとか。船着き場では、
買い物をすませた仲間がバスの窓から迎えてくれた。最後の夜は上海雑伎でパンダの曲芸を見る。


船からガーデンブリッジと上海大履を見る
  
  黄浦江の長江合流点                     上海雑伎のパンダ

6月1日
上海9時50分発CA926便で12時30分無事に成田着。





全電通神奈川退職者の会第3回海外旅行

香港〜広州〜桂林〜広州〜香港
香港・広州・桂林の旅
1988年9月23日〜28日
30名が参加し私は5年ぶりの同じコースであったが、前回は香港〜広州は飛行機、今回は往きはホーバークラフト、帰りは列車の旅。

9月23日
JL1375便は17時成田空港を飛び立ち香港啓徳空港にへ20時(現地時間)着陸。相変わらずな漫々的な入国事務処理に業をにやす。
香港旅行社の女性ガイドがにこやかなお出迎え。一路ホテルに直行。早速バスの中で香港ドルに両替。「香港は泥棒天国、ガイドも先ず
泥棒と思え」ガイドの悪い冗談に一同ギョッと身構える。

9月24日
朝食もそこそこに8時40分九龍発のホーバークラフトで中国広州へ向かう。小雨の中、台風の余波で海上は大荒れ。船は大揺れ。難航
3時間余。珠江を遡り広州州頭埠頭へ到着。折しも昼時、入国手続きをすませ早速市内の「広州飯店」で昼食。一息ついて秋雨の中を市
内観光に出かける。広州は人口300万、広東省の省都で、珠江デルタ地帯の北に位置する華南最大の都市。中国の南の玄関口。290
0年の歴史を持つ広州は「花城」ともいわれ、肥沃な土地に植物、果樹そして芙蓉ジャスミン、桃、梅、牡丹、ハマナスなどの花々につつま
れる。市の中央にある「中山記念堂」へ行く。革命の指導者、孫中山(孫文)を記念して1931年広州市民と海外の華僑が建てた八角形の
宮殿式建築。内部は1本の柱もない独特の構造で、5000人収容の大ホールがある。堂の前には高さ5Mの孫文の銅像が立つ。あいにく
の雨のため、銅像の裏で一同記念撮影。次は「広州美術館」へ。美術鑑賞はさておいて、お目当てはショッピング、両替不要、日本円OK
で、円高景気で購買力旺盛。外貨獲得で売店ニコニコ。日中友好!!夕刻、広州白雲空港19時発の中国民航3935便に搭乗。19時5
5分桂林空港着。夜目にも周辺に桂林独特の奇峰群立。まさに息をのむの感ありといったところ。宿舎の漓江飯店へ,ホテルは桂林随一。

  
広州・中山記念堂で     

9月25日
桂林の朝は快晴。漓江下りには絶好の日和となる。8時ホテルを出発。川下りの港の揚堤まではバスで1時間、船着き場には大小の観
光船が待機。われわれの船は60人乗りで、一行30名の他に香港華僑の一行が同乗して、10時出発。桂林観光のハイライト漓江下り
が始まる。漓江は、広州へ流れる華南第一の大河である珠江の支流のひとつ桂江の中流地点で、この流れを下流の陽朔までの83qを
4時間かけて下る。巨大な龍蛇のような山間を曲がりくねって流れる漓江の流れは浅瀬あり深淵あり、千変万化。「桂林の山水は天下に
甲たり」といわれる水墨画の世界が終わりまで続く。両岸には奇峰、奇岩、その間に緑の竹林や集落が点在。小舟で鵜飼をする人、のん
びり水浴の水牛、泳ぐ子供達、さまざまな風物がとけあい、さながら天然の画廊の趣である。船中で昼食。ビールの酔い覚ましは2階のデ
ッキで。奇峰をバックに記念撮影や、周囲の風光に時のたつのも忘れ風雅な船旅を堪能。
しかし川下りの船の2階デッキにまで土産屋が店をひろげているし、川の中を子供らが、船上の客が投げる缶ビール、ジュース、果物を奪
い合うさまはものわびしい風景もある。風景といえば、川下りの途中で、イカダで鵜飼をする人々に出会う。観光船が下る時間は仕事にな
らないだろうが、イカダの漁師は棹で水面を叩き魚を追い込み、鵜を放ち魚を捕らえさせ、鵜を棹につかまらせて舟にあげる。鵜飼でとれ
た紅魚の蒸し煮は桂林料理の最高の味であるといわれている。終着地の陽朔へ14時に到着。陽朔は漓江下りの終点の町であるが、桂
林に劣らず風光明媚な所、だが、船着き場付近は露店が並び、外人(特に日本人)目当ての物売りがうるさい。
陽朔で下船後、バスで桂林郊外の芦笛岩へ。ここは全長2qに大鍾乳洞がある。洞内は迷路のように入り組んでおり、「雪人」「雄獅」「魚
尾峰」などと名付けられた奇岩が、色鮮やかな照明に浮かび、幻想的なムードをつくっている。帰りに、七星公園を回り、市内の貿易センタ
ーでショッピング。榕湖飯店で夕食。珍しく日本風の造りと窓外の月が美しい。そういえば今夜は中秋の名月だ。

漓江下りの船から見る

                     

  
漓江下り船内昼食後に売り子さんと               桂林郊外の芦笛岩大鍾乳洞

9月26日
8時40分発民航2514便で再び広州へ。機内で月餅のサービス。9時30分広州着。早速市内観光へ。先ず動物園のパンダと対面。レ
ストランで昼食後六榕寺へ行く。南朝の梁代、537年建立の古刹。境内には高さ57bの八角九層の塔が聳える。さて次は、生臭さ見物
と自由市場へ。食の街、広州市民の胃袋をまかなう広大なマーケット。山積みの肉、野菜にまじり、鶏をはじめ、蛇、スッポン、猫、犬、ハ
トなど、「食は広州にあり」で「足のあるものは椅子とテーブル以外、羽のあるものは飛行機以外」なんでも食べてしまう、の通り、すさまじ
い市民の食欲。まさに「食の都」を垣間見る思いである。ホテルに戻り小憩後、越秀公園内の広州博物館へ。小高い丘の上のこの公園に
は、羊城という広州の別称にちなんで5頭の羊の石像がある。園内にある五層の建物が「鎮海楼」で、海の近くにある越秀山は海を鎮める
ということでこの名がついたといわれる。東方貿易公司友誼商店で盛大に買い物。夕食は北園酒家の広東名菜。だが従業員の仏頂面は
不好。ホテルは花園酒店。夜の散歩の出会いはなんと「夜の女」。中国も変わった。

  
桂林飛行場                                      広州・六榕寺

9月27日
広州発8時30分の列車で香港へ戻る。列車「広九鉄道」特急車だが、なんと香港の列車だ。4人掛けのコンパートメントの中国の列車と
は違って座席は前向きで味気ない。早速ガイドからスリが乗っているから気をつけろとの注意がある。国境の深せんで乗務員らが交替。
高層ビルが林立する九龍駅へ11時08分着。おなじみのにこにこ女性ガイドがお出迎え。昼食後、香港島観光。ショッピングで外貨放
出。「万金油」もたっぷり買わされる。アバディーンの海鮮料理は香港の土産話。ビクトリアホテルで本旅行の最後の夜を過ごす。

  
車窓から見た深せんのビル群                           香港・タイガーバーム
香港島へのフェリーから

9月28日
香港啓徳空港11時25分のJL002便で帰国の途へ。16時05分成田着。


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