1993年の記録

天津甘栗探しと北京の旅
1993年2月5日〜8日
11名で天津甘栗のルーツ探訪?北京では慕田峪万里の長城、蘆溝橋を視察。
2月5日 
NH905便で10時30分成田空港離陸。現地時間13時50分に北京空港に着陸。中国国際旅行社天津分社の女性ガイド趙さんがにこやかにお出迎え。ニイハオもそこそこに専用バスで天津目指して出発。高速道路を東南へ約170q、快走する車内で趙さんの天津案内「渤海湾に面し首都北京の海の玄関と呼ばれる天津市は、北京、上海とともに中央直轄市で、行政、産業、交通上の重要な位置をしめている」などなど。天津の歴史・沿革からみどころまでの名ガイドが続くが、肝心の「天津甘栗」が登場しない。しびれを切らして質問に、怪訝な顔の趙さん答えて曰く「甘栗は天津名物ではありません。たぶん天津港から積み出したのでそう言われるでしょう」に一同がっくり。趙さんが「季節外れだがどこかにあります。探してみましょう」と慰める。さて夕食は和平区山東路の「狗不理」総店。天津名物はなんと甘栗ならぬ包子(饅頭)。犬も食わぬ意味の「狗不理」は百年前の初代店主の頑固さに親がつけた名をそのまま店名にしたとか。あたかも今夜は旧の十五夜とかで、団子なるぬ肉まん、餡まんなどの月見包子攻め。
2月6日
 市内観光。2月の寒風に晒された水上公園内の動物園に人影なし。パンダの「寨々」君もごきげん斜め。次は隣の「天津廣播電視塔(テレビ塔)」へ。湖上に屹立する塔をエレベーターで昇り、14階の回転展望台から天津市内を眼下に一望する。午後は「南市食品街」へ執念の甘栗探し、3階建てのレストラン、喫茶店の店舗とおびただしい出店をくまなく探しても甘栗らしきものは皆無。ついでに横丁の露店を覗いたが万事休す。甘栗は日本で買うにしかず、と悟って一行は気を取り直して、天津が誇る絨毯の「天津地毯二廠」(天津第2絨毯工場)へ。ところがなんと土曜日で休業。日本並みの週休2日制?と肩を落とす面々に、それではと非番?の男女2名の工員さんがサービスの実演「謝々」と熱意に応えて売店でショッピング、絨毯はもっぱら目の保養。天津凧や年画などのお土産購入し、高速道路を北京に向けてUターン。

  
      
天津動物園                       天津動物園のパンダ                       天津テレビタワー
  
北京・夜の故宮
天津食品街前で

北京・京劇観賞
2月7日 
北京は快晴。おなじみの「万里の長城」も今回は慕田峪へ。八達嶺に比べこちらは閑散。名物ロープウェイからの眺望も素晴らしいが、料金も25元から40元に大幅アップ。蒙古高原から吹き渡る冷風に首をすくめて退散。午後は「盧溝橋」参観。北京南西20q、永定河にかかる白い石橋はマルコ・ポーロが「東方見聞録」で世界で最も美しい橋と述べて有名。全長266,5b、アーチ型の孔11個、欄干140本、欄干に彫られた486個の獅子像が見事だ。日中全面戦争の発端となった盧溝橋事件の起きた所。忌まわしい過去は別にして、今は由緒ある観光地。

 
                           
慕田峪万里の長城
 
                             
蘆溝橋
中国国際旅行社「任」さんと
2月8日 
午前中、王府井街など散策後、北京空港15時30分発NH906便で帰途につく。

  王府井街


全電通神奈川退職者の会第8回海外旅行
西安・敦煌の旅
駱駝の背にゆられて
1993年9月22日〜28日
34名で敦煌莫高窟参観と鳴沙山砂漠でラクダに乗り移動する。
9月22日 
全日空905便は、定刻10時25分成田空港離陸。北京空港で西北航空2108便に乗り換え、18時50分、西安空港に定時?着陸。ホテルは市の南部、東雁引路の「唐華賓館」有名な大雁塔に隣接するこのホテルは4層の中国風建築。唐代の美女「楊貴妃」の夢など見て、先ずは古都西安の一夜を過ごす。
9月23日 
敦煌行きの便が午後に変更。それではと、午前は「陝西省博物館」参観。故周恩来首相の生前の指示により、1991年に完成したいうこの博物館の収蔵品は11万7千点。中国の地方博物館では最大で、北京の故宮博物館に比に非らず、とか。古代から近代まで時代順の展示品の質量に圧倒される。昼食は市内のレストラン「唐楽宮」。唐代宮女の服装をした美女のお出迎えはよろしいが、なんと昼食もバイキング方式。空腹を抱え、お皿を持って長蛇の列。「中国開放政策即日本的合理化空腹暫時是我慢乞協力」といったところか。15時10分、西安空港を離陸した「西北航空」2212便は、傾く夕日を追って、黄河流域の黄土に続く砂漠地帯を眼下に西進。経由地「蘭州」は「乗客此皆無着陸即無駄」とばかり、着陸省略。敦煌めざし直進。17時40分、砂漠のど真ん中の敦煌空港に安着。タラップを降りる一行に乾いた砂漠の強風が熱烈歓迎。はるばる来た辺境の地の敦煌にしばし感無量。出迎えの女性ガイドは「王建華」さん。スラリとした敦煌美人だ。夕食もそこそこに、待機した駱駝に分乗。上空の十日月を眺め、砂漠をキャラバン気取りで「鳴沙山」「月牙泉」付近を一廻り。ホテルは市内一流の「敦煌賓館」。砂塵を流し、辺境の宿に夢を結ぶ。
 
                        
西安・狭西省博物館
 
                         
鳴沙山砂漠
9月24日 
今日は、市内の東南25`にある、旅のメイン「莫高窟」参観。鳴沙山大砂丘東麓の断崖に開かれ、かって千仏洞と呼ばれた千を越す窟院も、今は492窟が残り、断崖にアパートのような三層、四層の石窟が並んでいる。「遠く前秦の建元2年に開さくされたこの石窟に、今、保存されているのは、北魏より元代までの壁画や彫像で・・・・・壁画は延べ4万5千余u、彩色像2千体、まさに、古来からの『シルクロードの珠玉・極楽』である」。莫高窟専属女性説明員の名調子がつづくなかで、暗い洞窟に持参の懐中電灯の光を交錯させ、一同しばし感嘆。「これこそまさに敦煌芸術の魅力」、との説明員女史もぐっと胸を張る。昼食を済ませ、午後は「陽関」へ。北の「玉門関」と並ぶ往時の沙州(敦煌)城防衛の拠点も、砦とは名のみで、小高い砂山の上に、崩れかかった当時の「烽台」が一つぽつんと残っているだけだった。帰途は、砂漠のどまん中の「映画村」を背景に記念写真を一枚、日中合作映画「敦煌」ロケのために造られた「敦煌城」が中国側の要請でそのまま残され、入場料を徴収して新たな観光名所?になっていた。オアシスのなかの葡萄園に立ち寄り、トイレ休憩を兼ねて葡萄狩り。料金は25元(500円)は安くはないが、もぎとり放題、食べ放題。緑色の細長い「トルファン葡萄」で渇いたのどを潤す。莫高窟の楼門を模して造られた三層の赤い屋根の門をくぐって敦煌市内に戻る。辺境の町敦煌も、観光の目玉の外資獲得と開放政策で、街並みもぐっと近代化。ビル建築のラッシュのなかで商店街も活気ついている。敦煌旅行会社直営の餐庁(レストラン)で敦煌お別れの晩餐会、オアシスで買った乾し葡萄をつまみ、名産「夜光杯」に老酒を充たして乾杯。
  
                       
 敦煌莫高窟                      陽関の烽火台
前方は映画敦煌セット
9月25日 
砂漠の駱駝に別れを告げて、再び「西安」へ戻る。ホテルは1日目の「唐華賓館」、お帰りなさいと、大雁塔と預けた荷物がお出迎え。
9月26日 
今日はシルクロードの起点「西安」観光。何はともあれ郊外の「兵馬俑博物館」へ。推定8千体といわれる秦始皇帝の地下軍団に圧倒される。帰途は始皇帝の陵墓を遠望。周辺はザクロの産地で、沿道にザクロ売りの声が交錯する。つぎは「華清池」、市の東北30`にある温泉保養地で、唐の玄宗皇帝がここに華清宮を造り、楊貴妃を寵愛したことから有名になったとか。8年前に覗いた?「楊貴妃の風呂場」は消えて、今は市民の浴場になっていた。市内に戻り、午後は「大雁塔」「西安碑林」を参観。「西門城壁」に登り小手をかざしたが、あいにくの小雨模様で、シルクロード原点の街並みは霞んでいた。
  
西安・兵馬俑                   西安・華清池                          西安・碑林にて

 
西安・食事の前菜
西安・大雁塔

9月27日 
訪中の旅もあと2日、「西北航空」2509便で今日は上海へ移動。明るい秋の日差しの「上海紅橋空港」着陸。中国最大の都市「上海」は、開放政策のもと、凄まじい建築ラッシュや、人、車、自転車の洪水。エネルギッシュな雰囲気につつまれていた。おなじみの上海。陳ガイドもマンネリ説明ぬきで、車窓に屹立するビル、ホテル群を指さして、近代化上海を誇示。昼食後は、「豫園」「玉仏寺」など観光メイン探訪組と自由行動組に分散。夜は「上海雑伎」参観
上海・黄浦公園にて
9月28日
午後の「全日空」920便で18時に全員無事元気で成田に帰国。
 
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