1992年の記録
紹興酒のふるさと紹興をたずねて
1992年2月8日〜11日
倅も同行し14名の仲間で呉越同舟本場の紹興酒を飲みに行きました。
2月8日
JL795便で成田空港を離陸、長崎経由で上海紅橋空港着陸。空港近くのレストランで遅い昼食。早速紹興酒で乾杯。腹ごしらえを済ませ、杭州行きの列車の時間待ちにと、ほろ酔い気分の一行を乗せたバスは上海市街を巡回。ガーデンブリッジで、記念写真をパチパチ。蘇州河の冷たい川風で酔いを覚まして、夕刻の列車に乗車。17時15分発重慶行き直快(急行)の軟座車(グリーン車)は、本土訪問の台湾ギャルでほぼ満席。車内ではときならぬ日台交歓の場となる。杭州のホテルは、西湖北側湖畔にある望湖飯店。
2月9日
中国国際旅行社杭州分社の女性通訳(ガイド)陳さんの案内で、曇り日、底冷えの杭州市内遊覧・「天に天堂(天国)、地に蘇・杭(蘇州・杭州)在り」と言われて地上の楽園も冬で形なし。シンボル「西湖」も人影、まばら。寒い遊覧船に一行肩寄せ合い、ここらで熱燗ほしいやの声しきり、「あれが『白堤』こちらが『蘇堤』・・・」陳さんのガイドもうわの空。「孤山」「湖心亭」「三潭印月」などの「西湖十景」も身につかず、ほうほうの態で船をあとにする。粉雪ちらつく「六和塔」で寒い記念撮影。ホテルに戻り昼食。冷えた体を紹興酒で温め、元気を取り戻して午後の市内遊覧を終え、18時03分発寧波行き快客(急行)列車で、今回のメイン訪問地、紹興市へ向けて勇躍?出発。19時10分紹興着。出迎えのガイドは、紹興支社の謝さん。バスで駅から5分、寒くてうす暗い街を少し走って、ホテル紹興飯店へ到着。夕食は紹興の郷土料理を肴に、2400年の伝統を誇る本場紹興酒(老酒)を早速賞味。一同、中国銘酒のふるさとに、今たどりついたる思い入れよろしくの態でした。
杭州・霊隠寺
杭州・西湖
六和塔から見た銭塘江
杭州・六和塔
2月10日
紹興は曇り、気温4度。かって春秋戦国時代(紀元前770〜221年)越王の勾践が首都と定めた紹興は、風光明媚な水の都として人々に愛され、張り巡らされた運河から「東洋のベニス」と呼ばれた。くすんだ黒瓦の屋根、古風な家並みや、崩れかけた漆喰の白壁に、古都紹興の面影を見ることができる。紹興はまた、近代中国の作家であり、思想家であった「魯迅」生誕の地であり、魯迅ゆかりの名所が点在する。さらには晋代(300年頃)の名書家「王義之」が晩年をここに過ごし、文人を招いての「曲水流觴の宴」を張った「蘭亭」は書道の聖地とされている。かくて紹興は、歴史と文化の薫り高い町でもあり、国内外の訪問客を集めている。紹興酒だけの町ではないのである。といあいうものの、参観の手始めは、ホテルに近い酒工場からとなり、訪れたのは、「紹興市醸造総公司」(紹興酒造工場)。広い構内は大小の老酒の甕で埋まり、鼻に覚え?の老酒の甘い香りが漂う。接待所で女性説明員から、紹興酒についての予備知識を聴く「この紹興酒は、2400年前から製造。年間生産量は4万3千トンで、60%が海外へ輸出、40%が国内向け。加飯酒、元紅(げんこう)酒、香雪酒(こうせつ)酒、善醸(ぜんじょう)酒の4種類があり、日本に輸出されるのは主に酒質の安定度の高い加飯酒で、コクのある辛口である。原料の米はもち米。中国では、女の子が生まれると紹興酒の壷を庭に埋め、その子が嫁ぐ日に掘り出すという習慣がある。この酒を花彫(かちょう)酒といい、じっくりと寝かされてコクの増したもの、それが老酒ある」などなど。更に「1915年のパナマ博覧会、1985年のパリ・マドリードの博覧会、同年の北京食物博覧会などで、金メダル獲得」と胸をはる。一同感嘆。葡萄酒めいたものも交えた試飲用の老酒をなめて、さてその醸造過程を拝見の申し出に企業秘密で不許可。しからば売店へ直行。「国賓接待用」の特製「加飯酒」2本セットを2個購入(成田空港で4本となったので1本税関に申告100円徴収される)。皆で2本セット、甕を購入し正門で紹興酒を抱えての記念撮影。次は歴史と文化を訪ねてと、先ずは蘭渚山麓の「蘭亭」を見学。造園技術の粋を凝らした風雅な「曲水の庭」で王義之先生を気取って記念撮影。「蘭亭碑」「鵝池碑」などの邸内を参観。次に魯迅先生には申し訳ないが「記念館」「三味書屋」などをパスして、なんと記念館の隣の街の居酒屋「咸亨(かんりょう)酒店」へ直行。この酒場は、魯迅の作品にしばしば登場する有名な?店とか。最近復元された店は、あいにく婚礼祝いの酒を酌み交わす人々で店内は満員。ガイドの謝さんの計らいで、庭前に机と椅子を持ち出しての、にわか造りの青空酒場で乾杯。酒店特製の「臭豆腐」の鼻を突く臭気にも馴れてご機嫌。ホテルへ戻り昼食。また老酒。午後は中国伝説上の夏王朝、禹王の墓のある「禹陵」へ。この地の治水に専念した禹王の徳を知る。
紹興発16時30分発特快(特急)で22時8分上海着。ホテルは遠洋賓館。
紹興・蘭亭
紹興・紹興酒製造工場前で
紹興・咸亨酒店で
紹興・咸亨酒店
紹興・大禹陵入り口の運河
紹興・大禹陵
2月11日
午前中は、お馴染みの黄浦公園付近の散策と上海友誼商店でのお土産購入。上海空港14時発JL796便にて長崎経由19時に成田に着く。
全電通神奈川退職者の会第7回海外旅行
成都・昆明をたずねて
(成昆鉄道に乗る)
1992年9月19日〜25日
48名のお仲間で参加。成都、昆明間は飛行機組の列車組に別れる。
9月19日
中国東方航空5772便で、14時45分成田空港離陸。17時35分上海紅橋空港へ着陸。上海銀座通り「南京路」の凄まじい雑踏を通り抜け、ホテル遠洋賓館へ。
上海・遠洋賓館前で
9月20日
終日、お馴染みの上海市内観光。夕刻空港へ。18時5分成都行き西南航空4502便で上海離陸。市街地の灯火が視界から消えて、暗黒の大陸を眼下に一路西南へ飛ぶこと2時間半。四川平原に灯りがちらついて20時45分成都空港安着。パンダが熱烈歓迎。市内の「四川賓館」で早速四川料理で夕食。「百種の料理があれば、必ず百種の風味あり」といわれる四川料理は、北京、、上海、広東などと並ぶ中国料理の華だが、唐辛子、山椒など多用のした独特な風味も、その凄まじい辛さに、口中たちまち火のごとく燃え上がり、お馴染み麻婆さん考案の激辛「麻婆豆腐」も一口食べて飛び上がり、辛さの表現として「汗かいて・涙流して・鼻水垂らす」と言われたがそのとおりとなった。
9月21日
成都は「三国志」ゆかりの地である。朝食もそこそこにホテル出発。成都観光の目玉、市の南部にある「武候祠」へ、ここは、三国志の蜀の知将諸葛孔明を祀った祠堂で、明代に隣接する備の墓昭烈廟と合体、君臣ともに祀る「君臣合廟」となった。「武候」は孔明の死後おくられた名前で、古来よりここが武候祠と呼ばれてきたのは、孔明が劉備よりいっそう深く慕われていたためといわれる。門内の「劉備殿」には黄金の劉備像、側棟には関羽、張飛をはじめ、28人の文官武将の像が遠来の日本旅人を出迎え。その奥に襟を正した諸葛像がある。天下統一に腐心し、五丈原で戦死した三国志の英雄に敬礼。次は市の西郊、浣花渓のほとりにある、詩人杜甫居住した「杜甫草堂」へ。この堂は李白、白楽天と並ぶ盛唐の三大詩人杜甫が浣花渓という小川のほとりに茅屋を建て、4年ほど住みここで247首の詩篇を書いた「おなじみの「国散れて山河在り、城春にして草木深・・・」杜甫のこれは有名な「春望」の一節だ。この詩聖杜甫を記念し、宋の時代に祠を創建。境内には、詩史堂、工部祠、「小陵墓堂」の石碑や文化財がいろいろある。その後、綿織の職人が仕上がった綿を洗ったという「綿江」のほとりにある望江楼公園へ。唐代女流詩人薛涛を記念し、清代初期に造られたもの。竹を好んだ薛涛にちなんで、園内には80数種におよぶ見事な竹が植えられている。園内には観光客をあてこみ。なんと駱駝も登場。仲間のおばさん達を乗せて外貨獲得に一役。土産店で目につくのが「風林火山」の文字。名だたる孫子の「疾きこと風の如く、静かなること林の如し、侵略は火の如く、動かざること山の如し」とか。ガイド市は「日本の武田信玄さんがこれを借用しました、こちらが本場」と胸を張る。刺繍工場、自由市場など市内観光後、飛行機組と別れた32名の列車組は、市内のレストランで夕食を終え、成都駅に向かう。今次訪中の旅のメイン?でもある「成昆鉄道苦難の旅」への挑戦である。中国南部、四川、雲南の山岳地帯を走る成昆鉄道は成都から昆明までの1,100q、沿線はすべて山の中。427ヶ所のトンネルと653ヶ所の鉄橋の全長は約400q、全線の4割を占める。1970年に完成したこの路線は、四川、雲南を結ぶ唯一の輸送路で、雲南からベトナム国境への物資輸送という重要路線であった。東風型ジーゼル機関車を先頭に、食堂車、郵便車、それの我ら外人用の軟臥車(寝台車)を増結。「成都ー昆明」の車両プレートを感慨こめて眺めつつ一同乗車。93次特快(特急)は21時15分定時発車。昆明へは明日の20時56分に着く。コンパートメントは4人、缶ビール、老酒でまずは乾杯。それにしても、特急列車とは名のみで蒸し暑い車内に扇風機が一つ、窓は錆び付いて開かないし、湯茶も有料、秘境路線とはいえ、乗せてやるだけの中国国鉄。ぶつぶついいながら、老酒の酔いでうとうと。
成都・望江楼公園
成都・武候祠
成都・刺繍工場
9月22日
「西遊記」でおなじみの蛾眉山のある蛾眉に真夜中の0時近くに停車。さりとは知らずうとうと。次の燕崗という小駅で11分停車。機関車をつけかえ、2両で牽引する「重連」となり、成昆鉄道ならではの急勾配にさしかかるわけだが、日程上とはいえ、このあたりからの数時間、明るい時に通れば、と悔やまれる。普雄駅を過ぎて夜が明けてくる。寝ぼけ眼を擦りながら窓外を眺めれば、長江支流の大渡河の両岸は険しい岩峰や絶壁が迫り、トンネル、鉄橋、ループ線の連続。このあたりが標高2,300b、成昆鉄道の最高地点とか。眼前に展開する素晴らしい景観に息をのみ、山岳鉄道の醍醐味をしばらく満喫する。12時、金江駅着。一同食堂車へ。味付けも手頃で良好だが、なにしろ昨日からの激辛四川料理から車内の飲み過ぎ、食べ過ぎで腹具合不良気味、食欲皆無模様で、食堂車料理長心づくしの名菜も青息吐息で観賞?するのみ。なにやかやで、疲労こんぱいの中、長い24時間汽車旅に耐えて、15分遅れの21時過ぎに昆明駅に到着。駅名標をバックに記念撮影。ホテルの綿華大酒店でひとあし先に到着の飛行機組と合流。
成昆鉄道のループ式線路
昆明駅ホームで列車組
9月23日
昆明は快晴。ミャンマー、ベトナム、ラオスと国境を接する雲南省の省都昆明は、海抜1,900bの高原都市で藤沢市の姉妹都市となっている。四季温暖で「春城」の別名を持ち、人口192万、21の少数民族が住む。今日は終日「石林」観光。市の東南126qカルスト地形の奇景「石林」は3億年も前に海底の石灰岩が地殻変動で陸地になり、数千万年にわたる雨水の浸食でできた石柱群。屹立する岩の柱を縫う遊歩道を汗だくで辿り、てっぺんの望峰亭からの素晴らしい遠望に、まさに天下の奇景絶景なりと一同感嘆の声をあげる。ホテルへ戻り小休止。元気回復。夕食は市内の金龍飯店のディナーショー。民族衣装をまとった美女の踊りをたっぷり鑑賞。
石林で
昆明・民族舞踊
9月24日
民族美女の夢も半ばに、早朝起床。雲南航空4541便でまた上海へ。着後、市内のシルク工場「雲花服装廠」へ。高温多湿の上海では、シルクの下着がおおもてとか。午後は市内参観組と自由行動組に別れ夕刻友誼商店で合流、お土産ショッピング。華僑飯店で特別料理のお別れ晩餐会。戻ったホテルでは、10名の仲間が往きのレストランで1テーブル10名が飾ってあった掛け軸30枚全部買い占めた?その掛け軸のアミダ分配で歓声があがる。
9月25日
あっというまの7日間が過ぎ、中国東方航空523便で再見中国。
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