1995年〜1996年の記録

上海・南京の旅
1995年2月23日〜26日
私にとって1978年以来2度目の南京へ12名で。長江大橋、中山陵そして南京虐殺記念館で平和祈念。
2月23日 
JL791便で12時30分上海着。出迎えは上海女性ガイド「姜」さん。先ずは市内のレストランで遅い昼食。紹興酒で旅の無事を祈って一同乾杯。上海発16時30分の列車で南京へ向け出発する。上海、南京間を走るこの路線に紅白ツートンカラーの2階建て列車登場。21時6分南京着。案内は古都にふさわしい楚々たる女性ガイド「王」さん。ここで姜さんと任務交代。ホテルの「南京南都飯店」で南京の一夜を明かす。

車内で
上海駅2階建て列車の前で
 
2月24日 
終日市内観光。「長江大橋」「玄武湖」「中山陵」を廻り、今回の南京旅行のメイン?「南京虐殺記念館」へ。市内の江東門にあるこの建物は「侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」。日本語では「日本侵略軍南京大虐殺受難同胞記念館」となる。ガイドの王さんは「皆さんのご希望ですので案内しました」と言う。建物の入り口に数字で大きく、遭難者「300000」と書かれているのは30万人が虐殺されたと訴えでもあろうか。日本には、「南京大虐殺などなかった、中国のでっちあげだ」と主張し「30万人など大げさだ」と、この数字の信頼性を問題にする人々がいる。侵略戦争を美化する連中に、無数の無抵抗の市民や捕虜を殺せばそれが大虐殺であることの感覚がない。館内に、南京陥落後、日本側の命令で片付け、埋葬した遺体だけでも合計15万5千余の記録が表示され、又、当時に日本軍が刀を抜き「・・・人斬り」の日本の某新聞もあった。記念館自体が、集団で殺された記録のある場所に建てられ、建設中に出土した骨が、掘り出され当時を示すように、別館の土の上に並べられていた。植え込みに結ばれた無数の哀悼の白い紙の短冊や日中両国民の追悼の文字を眺めつつ、薄暮の記念館を去る。
南京大橋と長江

南京・中山陵で
南京大橋で 
南京虐殺記念館
南京・玄武湖公園 
南京・夫子廟
2月25日 
南京9時40分発、上海14時41分着の列車で上海に戻る。開発されて来た浦東地区を見学。上海タワーの前で写真を撮る。
上海テレビ塔の前で
2月26日 
黄浦公園付近を散策とショッピングをした後、上海空港14時10分発JL792便で帰国する。

  
黄浦公園から上海テレビ塔                              


全電通神奈川退職者の会第10回海外旅行
上海〜重慶〜三峡下り〜荊砂〜武漢〜上海
永遠的三峡
船の旅&歴史の見聞
1995年9月27日〜10月4日
伜同行、27名で三峡下り2泊3日の船の旅と三国志の旅。
9月27日 
全日空919便は12時55分上海着。全行程同行の北京・中国国際旅行総社ガイド孫さんと上海ガイド陳さんが出迎え。空港近くのレストランで昼食後、空港に戻り、中国西南航空4544便で約2時間、19時50分重慶着。出迎えの重慶ガイドも陳さん、バスの中で「重慶は人口1,100万人で中国一、気候は中国の三大竈と言われて今年の夏は最高45度、43度以上の日が2週間続いた。坂の街なのでオートバイが多く、スズキの合弁会社もある・・・・・」などと説明。旅の一夜の宿は、長江大橋側の「重慶揚子江假日飯店」
9月28日 
7時15分出発。バスで三峡下り乗船地の朝天門へ。坂の街らしく中国名物の自転車の列は見られず、荷物を天秤棒で担ぎ、長江の船と行き交う人が目につく。8時10分出航。船は「中華栄耀」1994年就航、2,000トン、乗客定員110名、乗組員88名。医務室、理容室、バー、サロンなどの設備がある。日本人乗客は我が団のみ、その他ドイツ人ツアーなどと国内旅行者らしい数組の家族の一団。今日から、荊砂まで600`2泊3日の船旅だ。14時豊都で下船見学。豊都は鬼城(お化け、霊魂の町)と呼ばれている伝説の町。重慶から北へ172`、ここ豊都は三峡ダム完成時には町の中心部は水没する。19時夕食の時、船長歓迎パーティ、カクテルで乾杯。カラオケ、ダンスで国際交流。船は万県に停泊。
乗船した船からの重慶の長江
重慶・乗船する船へ

 
船内の様子

乗船した「中華栄耀」2000トン

   一時下船した豊都で 
9月29日 
7時2分張飛廟を通過。9時8分白帝城通過。三峡の一つ瞿唐峡に入る。両岸の水面からそそり立つ断崖が続く。10時30分巫山で小舟に乗り換え長江支流の大寧河の小三峡に入る。川幅が狭いので迫力満点。小三峡は龍門峡、巴霧峡、滴翠峡からなり、龍門峡では断崖にある中国では最も長い古桟道が見られる。この河の奥地で生活する人の唯一の交通路。小舟の往来が激しい。巴霧峡のレストランで昼食。舟は途中で引き返し、巫山で本船に乗り換えて、16時30分巫峡に入る。両岸に六峰づつの巫山十二峰は、特に「神女峰」が美しい。夕食後サウナ、カラオケなどでくつろぐ。船は稀帰に停泊。
瞿塘峡

船上で

長江支流の大寧河へ33人乗り船で入る 
9月30日 
6時30分出航。一番長い西陵峡に入る。三峡ダム建設現場を通過。2008年の完成時、この三峡の風景は水没する。船長サヨナラ昼食会で船旅を終え荊沙港で下船。博物館で西漢時代のミイラを見物し、戦国時代の衣装の美女の奏でる楽器を聴く。宿は荊州城壁内にある「荊州賓館」.
パーティーで鳳凰を形取った野菜の前菜
船長主催お別れパーティー
 荊砂にて  
乗船した船の服務員と
10月1日 
今日は中国の国慶節、バスで武漢へ移動、高速道路を4時間で武漢着。武漢長江大橋を渡り、三国時代に創建の千古の名楼「黄鶴楼」を参観。五層51bの鉄筋造り。ここから武漢市内が一望。武漢に2泊の宿は26階建ての「武漢大亜州酒店」。
武漢長江大橋
武漢・黄鶴楼 
10月2日 
午前中は、今年6月に完成した全長400bの長江大橋第2橋を渡り、湖北省博物館と中国有数の風致地区「東湖」へ。昼食後、近くの自由市場を散策、午後は武漢の名刹「帰元寺」参観。夕食は「珈宮飯店」で武漢名物スッポン料理を堪能する。
武漢・東湖

武漢自由市場
10月3日 
旅行初めての降雨。今年4月に開港した武漢「天河空港」から中国西南航空4541便で上海へ移動。空路1時間で上海着。高速道路を走り、市街地に入る。昼食後は友誼商店でショッピング、今評判の「海藻石鹸」は20元(250円)だ。旅の最後の宿は5ツ星の「新錦江飯店」、缶ビールの値段は日本のホテル並みだ。
10月4日 
上海は今日も大雨。上海が初めての7名は「豫園」参観。他は近くの漢方薬店で休憩、ショッピング。中国最後の昼食は空港前の「海天大酒楼」で納めの紹興酒で乾杯。17時40分、全日空920便で無事成田帰国。



北京(十渡)
1996年2月5日〜8日
17名で北京の桂林と言われる真冬の十渡へ、ガイドは天皇陛下が訪中された時に万里の長城をご案内した任さんを指名。
2月5日 
NH905便で10時10分成田空港発北京へ。着後、西郊の日中戦争勃発の地「盧溝橋」へ。永定河にかかる石橋の欄干の獅子像などに、当時の日本軍の弾痕が残る。吹きさらしの橋畔にある・清朝乾隆帝の「盧橋暁月」の碑を眺め、市内に戻り、いつもは故宮から眺めていた「景山公園」の石段を登り、頂上の万春亭から故宮と北京市内を一望する。凍りついた「北海公園」を散策し、夕食の紹興酒で正気に戻り、ホテルの天橋賓館へ。
北京行き飛行機から見た富士山 

2回目の盧溝橋で

 氷の北海公園
(池の氷の上で遊んでいます)

北海公園から見た故宮
2月6日 
西南郊外約90qの景勝地「十渡」へ。拒馬河に沿って峨々たる山々と川の織りなす山水画の風景はまるで桂林のようなので、(小桂林)と呼ばれている。市民の憩いの場として、夏は賑わう十渡も冬枯れの今は人影もない。太行山系の山あいのこのあたりも日中激戦の地だった、とか。日本人旅行客の訪れぬこの渓谷や村々は、北京の穴場かも知れない。
 十渡で

2月7日 
万里の長城組と市内散策組と別れ、私は何回も来たが万里の長城組へ。八達嶺万里の長城と明の13陵などを見学。夜は全聚徳北京ダック店でご苦労さん会を。
 定陵で
八達嶺万里の長城で
全聚徳北京ダック店
2月8日 
おなじみ天安門広場から「故宮」参観。名ガイド任さんの含蓄ある熱心な説明に耳を傾ける。15時25分、北京空港発NH便で帰国。寒い寒い北京でした。

  故宮で

  
                           故宮・御花園

掛け軸に囲まれての昼食                             高速道路北京空港料金所


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